解答例 コンピューターにはできないが人間にできることは何か。それは、 「自分を疑うこと」だ と私は考える。自分を疑うというのは、それまでの自分の思考や行動をいったん括弧に入 れて、その意味や価値を客観的に考えるということである。 例えば、人工知能が発達し、車の自動運転の精度が向上すると、タクシーやバスの運転 手の仕事が奪われる可能性がある。しかし、車を動かす人工知能自身はそれについて何の 疑問も抱かないだろう。また、人工知能を持つロボットが戦争に参加するようになった場 合、そのロボットの「知能」では、自分の存在を疑問視したり、自ら人間に対して戦争を やめるように申し立てたりすることはない。なぜなら、そもそも人工知能は、人間によっ てあらかじめ組み込まれたプログラムや、大量に蓄積された過去のデータの枠内において 自らの判断や行動などを決定するからである。言い換えれば、人工知能は一定のプログラ ムやデータを前提としてはじめて機能するのであり、そうした前提自体を対象化して捉え ることはできないのである。 このような人工知能に対して、人間の知性は自己自身を常に対象化して捉えることがで きる。例えば、私たちは、学校や職場などで、今自分がやっていることにはどのような意 味や価値、根拠があるのかと自分に問いかけることができる。このように、人間は人工知 能とは違って、自分の思考や行為を対象化して、それらの意味や価値を疑うことができる のである。 このことは、人間と人工知能の関係を考えるうえで重要である。人工知能は自己自身の あり方に疑問を抱かない。だからこそ、人間の方が、人工知能を進歩させる自分自身を疑 い、その行き過ぎや危険性などを判断しなければならないのだ。この点において、人間の 知性は本来人工知能に取って代わられることはないのである。 しかし、情報過多でかつ時間にゆとりのない現代社会において、人々はそうした知性を どれだけはたらかせているだろうか。人工知能の問題に限らず、地球規模で資源の枯渇や 環境汚染が叫ばれている今日、人類はこれまでの自分たちの生き方や価値観を長期的な視 点から問い直す段階に来ている。このような状況において自分自身に無頓着でいることは、 いわば人間が知性を捨てて、自らコンピューター化することを意味する。したがって、今 後どれだけ人工知能が発達しても、人間は自らを疑う精神を保持し続けなければならない のである。
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