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早稲田大スポーツ科学部【小論文】解答例 近年運動部における体罰やいじめといった問題が世間を騒がせているのは周知
の通りであるが、その背景には高等学校における運動部の活動の問題があるので
はないか。つまり、行きすぎた勝利至上主義のために、スポーツを通した人格の
陶冶という本来の目的が見失われているのではないか。
例えば、近年多くの高校で取り入れられているスポーツ推薦の問題について考
えてみよう。スポーツ推薦で入学した生徒は朝から晩まで練習に明け暮れ、勉強
や他の文化活動に十分に触れることができない場合が多い。スポーツが心身の発
達を促すことは否定しないが、高校生という多感な時期にスポーツのみに専念す
ることは、
「スポーツで結果さえ出せばよい」という偏った価値観を植え付け、か
えってその生徒の心身の発育を阻害していると言える。
また、競技力の向上についても問題がある。運動部の活動は高校生の競技力を
向上させはするものの、それは体格や運動能力に優れた一部の生徒、いわゆる「レ
ギュラー」と呼ばれる生徒たちに限られる傾向がある。人並みの体格や劣った運
動能力しか持たない、つまり勝利に貢献できない生徒は「補欠」とされ、十分な
指導を受けられず、競技力を向上させる機会に乏しい。
最後に一体感の醸成についてであるが、部活動を通して生徒の間に連帯感・一
体感が生まれることは事実である。ただそうした一体感も、
「監督・先輩の命令は
絶対」といった歪んだ上下関係や閉鎖的な体質と結び付けば、弱者を犠牲にする
全体主義や、不祥事の露見を防ごうとする隠蔽体質へと容易に転化する。
「チーム
のため」という言葉によって、部員一人一人の冷静な判断力やモラルが奪われて
しまうのであれば、部活動で生まれる連帯感も人格の成長を妨げるものにしかな
らない。
こうした問題を解決するには、運動部に所属する生徒にも学業や文化活動への
参加を推奨し、選手以外の部員にも大会に参加する資格を与え、外部の視察を受
け入れるといった改革が必要である。言い換えれば、これからの運動部に求めら
れるのは、外部に開かれた部活動への変革であろう。
そしてそのためにも、指導者は勝利という結果だけを追求するのではなく、部
員一人一人の能力の開花を本義とする部活動本来のあり方に立ち返らねばならな
い。脱勝利至上主義、それこそがまさに今高等学校の運動部に求められるもので
ある。