「ポスト・ケインジアン制度主義」の可能性 ―貨幣的生産経済における財政政策の位置づけ― (企画セッション「ポスト・ケインジアンと制度派経済学の融合は可能か?―資本主義の 退行的進化をめぐって」) 帝京平成大学(非常勤)寺川隆一郎 1 はじめに 2007 年のアメリカの住宅バブル崩壊後、信用逼迫が国際的に波及した際、 「ミンスキー・ モーメント」ということばが人口を膾炙したのは記憶に新しい。周知のようにハイマン・ ミンスキーとは、その「金融不安定性仮説」で、資本主義のダイナミズムには不安定性が 内包されていることを指摘した人物だ。近年、このミンスキーの理論に依拠して、2007 年 から 2009 年にかけての「長期景気後退(Great Recession)」を分析する Whalen ed. (2011) と Tymoigne and Wray (2014)が相次いで公刊された。興味深いことに、いずれの著作もミ ンスキー理論を踏襲するだけでなく、ミンスキーが属するポスト・ケインジアン(以下 PK) と、それとは独立に 20 世紀初頭のアメリカで生まれた制度派(以下 AI)の知見の架橋を試 みているのだ。 PK も AI も、その時代の標準的な経済学への反発として登場した。いずれの学派も、過 大なリスク・テイクによる金融構造の脆弱化が、バブルとその後の不況を呼び込むことを 指摘している。現代の標準的見解である「効率市場仮説」が金融構造の脆弱化に荷担し、 公衆からの信用を失っている今、PK と AI の知見を統合することで新たな枠組みを模索す ることは重要な取り組みであるといえるだろう。そこで本報告では、Whalen ed. (2011)で 提唱されている「ポスト・ケインジアン制度主義(Post-Keynesian Institutionalism: PKI)」 を検討し、両学派のあいだの対話の可能性を探りたい。 以下、2 節では、PK と AI の合流のこころみの系譜を簡潔に紹介する。3 節では、ミンス キーによるケインズとコモンズの架橋を整理した上で、Whalen ed. (2011)による PKI 構想 を検討する。4 節では、PK と AI、中でも PKI が重視するジョン・R・コモンズとのあいだ の見過ごせない違いとして、財政政策の位置づけを指摘する。最終節では、PK と AI のあ いだの対話は、「貨幣的生産経済」を分析する理論的次元へと掘り下げることが求められる ことを指摘したい。 2 ポスト・ケインジアンと制度派の合流のこころみ ジョン・M・ケインズの経済学とアメリカの AI の親和性はしばしば指摘されてきた。た とえばケインズの系譜を継いだ一人である宇沢弘文は、その回顧インタビューで、ソース 1 ティン・ヴェブレンの『営利企業の理論』(Veblen 1904)を読んだ際に、ケインズの『一般 理 論 』 (Keynes 1936) の 核 心 が 含 ま れ て い た こ と に 衝 撃 を 受 け た と 述 べ て い る (Okuno-Fujiwara and Shell 2009)。また、ケインズの高弟であるジョーン・ロビンソンも、 ケンブリッジ資本論争の後にヴェブレンの J・B・クラーク批判(Veblen 1908)を読み、ヴェ ブレンの痛烈な J・B・クラーク論を人びとが覚えていれば、資本について論争する必要は なかっただろうということばを残している(Harcourt 2011: 263-4)。 それに対して AI の系譜からは、単なる親和性の指摘にとどまらず、積極的な合流が試み られてきた。その最初期のものは、ウォレス・C・ピーターソンによる、1977 年のアメリ カ進化経済学会での会長講演だ(Peterson 1977)。また 1983 年には、チャールズ・K・ウィ ルバーとケネス・P・ジェイムソンの手で、スタグフレーションという当時の経済問題に取 り組むために、AI と PK の知見を統合する著作『経済学の貧困』が公刊された(Wilber and Jameson 1983) 。 こ の 著 作 は 、「 ポ ス ト ・ ケ イ ン ジ ア ン 制 度 主 義 (Post-Keynesian Institutionalism: PKI)」という名称を使用した最初期のものだ。 今世紀に入ると、Wilber and Jameson (1983)とは独立に、AI の進化論的アプローチとケ インズの経済学を統合する「進化論的ケインズ主義(Evolutionary Keynesianism)」を標榜 する動きが現れた(Cornwall and Cornwall 2001, Niggle 2006)。標準的経済学に代わる理 論を構築する上で、AI と PK の知見を統合しようとする気運が高まってきているといえよ う。そのような流れに棹さし、アメリカの住宅バブル崩壊後の「長期景気後退」の分析と 政策提言を行う枠組みとして、PK と AI の一層の統合を目指しているのがチャールズ・J・ ウェイレンを中心としたグループだ。 「長期景気後退」は、標準的経済学の「効率市場仮説」 では説明がつかない、金融市場から内発する不安定性を周知のものとした。ウェイレンは、 AI のコモンズを研究すると同時に PK のミンスキーの薫陶も受けており(Whalen 2008b)、 1990 年代から PK と AI の統合を模索してきた。2011 年に上梓された論集『長期景気後退 後の金融不安定性と経済安全保障』(Whalen ed. 2011)は、 「長期景気後退」の分析としても、 標準的経済学に代替する理論形成の一里塚としても注目に値するといえる。そこで次節で は、このウェイレンらの PKI の内容を見てみよう。 3 ポスト・ケインジアン制度主義―媒介としてのミンスキー ウェイレンたちのグループに特徴的なのは、ミンスキーからの影響だ。標榜している PKI のうち「PK」の部分は、ほぼミンスキー理論だと考えて間違いない。ミンスキーは、その 「金融不安定性仮説」が、2007 年のサブプライム危機で一躍脚光を浴びたように、ケイン ズ経済学の中でも投資と金融の関係に着目した研究で知られている。しかしミンスキーが、 「貨幣的経済学は制度的経済学であることから逃れられない」(Minsky 1982: 280)と述べ、 晩年には AI のコモンズに関心を寄せていたことはそれほど知られていない。ミンスキーが、 ケインズ経済学に AI の知見を接合しようとしたことが、 ウェイレンたちの PKI の淵源にあ 2 る。そこで、ミンスキーと AI との関係を簡単に整理しておこう。 ミンスキーは、1996 年に、アメリカ進化経済学会で、進化経済学への貢献を讃えるヴェ ブレン-コモンズ賞を受賞している。その記念スピーチで、ケインズのコモンズ宛の 1927 年 4 月 26 日付けの書簡(Keynes 1927a)の一節を引用している。 「考え方一般が、これほど ぴったり一致すると感じられる経済学者は、貴兄の他にいないようです」 。そしてミンスキ ーはこの一節を、 「ケインズ経済学とアメリカ制度派の親和性の証拠だ」(Minsky 1996: 357) としている。ただしこれには多少留保が必要だ。確かにこの一節は、ハロッドやスキデル スキーによるケインズの評伝でも、ケインズへのコモンズの影響を示す証拠として引用さ れてきた有名なものではある。しかしこの手紙の主題は、当時の FRB の金融政策について のコモンズの分析だ。コモンズは、FRB が、当時発見されたばかりの公開市場操作をつか って、卸売物価安定化を目指すべきだと提言する論文(Commons 1927)を公刊し、ケインズ に意見を求めたのである。ちょうど『貨幣論』に向けて準備をしていたケインズは、この 提言に賛意を示した上で、上記の有名な一節を書いたのだ。あくまでも通貨管理という限 定された主題についての同意であることは留意しておくべきだろう。 それではミンスキーは、ケインズとコモンズのあいだの親和性を過大に評価しすぎてい るのだろうか。そうではない。実はこの有名な書簡以外にも、ケインズとコモンズのあい だの合意を示す証拠がある。それはケインズによる、1925 年 8 月の自由党の夏期学校での 講演「私は自由党員か」(Keynes 1972: 303-6)と、同年 9 月のモスクワでの講演「イギリス 経済の変遷」(Keynes 1981: 438-42)だ。両講演で、ケインズは、コモンズによる欠乏 (scarcity)・豊富(abundance)・安定化(stabilization)の経済段階論に肯定的に言及している のだ。このケインズによる引用が、コモンズのどの著作からのものなのかは長らく謎であ ったが、近年ウェイレンの調査により、1925 年に関係者に配布された、1934 年に刊行され ることになる『制度的経済学』の草稿からのものであることが判明している(Whalen 2008)。 ケインズが引用しているコモンズの段階論とは次のようなものだ。資本主義経済は、そ の初期段階では制度の不備から市場で流通する商品が限られているが(「欠乏期」:産業革 命以前) 、法制度が整備されるにしたがって大規模投資が可能になり商品流通量も増えるこ とになる( 「豊富期」 :産業革命~19 世紀) 。しかし市場への参加者が増えると、競争圧力が 強くなり、しばしばダンピングなどによる破壊的で、不公正な競争が起きるようになる。 また期待した売上げを実現できない誤った投資が、 「一般的過剰生産」すなわち不況を呼び 込むことになる。そこで過当競争や過剰投資を抑制する「安定化」政策が求められるよう になる( 「安定化期」 :20 世紀~)(Commons 1924, 1934)。このようなコモンズの段階論 をケインズが受容していることからわかるのは、ケインズが、1925 年の時点で資本主義の 制度的構造の変化という認識を持ち、産業革命以降の資本主義に不安定性を認める点でコ モンズと一致していることだ。1927 年の書簡が示す、中央銀行の物価安定化政策について の両者の合意は、資本主義が、 「安定化」政策を必要とする安定化期に入ったというより広 範な認識に基づいているといえる。 3 ミンスキーは、このような意味での広範な合意がケインズとコモンズのあいだにあった ことを認識していた。というのものミンスキーは、コモンズの、1930 年代までを対象にし た三段階論を現代にまで拡張し、五段階論を提唱しているからだ(Minsky 1990, 1993)。コ モンズは、欠乏期・豊富期・安定化期という段階を、各段階の中心的プレイヤーに注目し て、それぞれ商人(merchant)・雇用主(employer)・銀行家(banker)資本主義とも呼ぶ。20 世紀初頭のアメリカでは、生産物市場ではカルテルや企業合同で、労働市場では組合の組 織化による競争圧力の制限が試みられていた。前者のケースでは、アドバイスや証券引き 受けを行う投資銀行が中心的役割を果たす。また、証券市場に資金を供与する点では、商 業銀行が、商業銀行の貸し出し利率をコントロールする点で FRB が大きな存在感をもつよ うになった。このような意味で、コモンズは、安定化期を、銀行家資本主義と呼ぶのだ。 ミンスキーは、コモンズの段階論を踏襲した上で、コモンズが目にしなかった戦後のアメ リカ経済へと議論を拡張する。ミンスキーによると、第二次世界大戦後のアメリカでは、 企業の高い生産性と良好なバランスシート、所有の分散から、経営者が銀行家よりも強い 「経営者資本主義(managerial capitalism)」が登場したが、その後生産性の低迷とバラン スシートの悪化により経営者の発言力は低下し、それに代わって短期的目標にしか関心を 持たない機関投資家が支配的になる「資産運用者資本主義(money manager capitalism)」 へ移行した。 「資産運用者資本主義」では、銀行家・経営者資本主義段階での競争圧力を制 限するための規制が積極的に解体され、再度資本主義が不安定化しているとされる。ミン スキーは、ケインズのコモンズへの共鳴を正当に受け継いでいるといえよう。 このようにケインズのコモンズへの共鳴と、ミンスキーによるその継承という補助線を 引くと、ミンスキーの影響下にあるウェイレンたちの PKI の中心的テーゼが明らかになる。 それは、資本主義的発展の進化という文脈の中で、投資と金融のあいだの関係から景気循 環を分析するというものだ(Whalen 2011: 3)。前者は AI の、後者は PK の知見だ。このよ うな分析は、均衡ではなく歴史的過程の分析を試みる点で、標準的経済学と性格を異にす る。そして資本主義が構造的に不安定性を高めるときに、どのようにしてそれを「安定化」 させるのかという政策課題を持つ点でも、標準的経済学とは大きく異なる。 ウェイレンたちは、AI と PK を架橋するために、19 世紀終わりから 20 世紀初頭にかけ てヴェブレンとコモンズが手がけた主題が、1970 年代以降のシドニー・ワイントローブや ポール・ディビッドソン、ミンスキー、ランドール・レイの手で拡張されている点を指摘 する。ウェイレンたちによると、標準的経済学が「経済」を孤立系としてとらえるのに対 して、AI と PK は「経済」を、より広範な社会システムの一部としてとらえる点で共通し ている( 「分子論的経済観」 )。隣接科学である文化人類学や社会学、心理学が研究する現象 の影響を排除できないため、自ずと学際的なアプローチを取ることになる(「多元主義」) 。 そしてこのような方法論から AI と PK は、 「歴史」 ・「制度」 ・「市場」 ・「賃金」 ・「消費」と いった主題について、標準的経済学 に代わる見通しを示すことができるのだという (Brazelton and Whalen 2011)。また金融と産業の共進化の過程を分析する際には、コモン 4 ズの考案した「未来性(futurity)」概念が「PKI の礎石」になるとも指摘している(Atkinson and Whalen 2011)。 このようにウェイレンたちの PKI は、ミンスキーを媒介に、ケインズとコモンズを架橋 する点が特徴的だが、積極説としては、いまだ概念や、研究の方向性のレベルでの共通点 の指摘にとどまるものしか備えていない。 「長期景気後退」についての分析は、ミンスキー の金融不安定性仮説と資産運用者資本主義概念に依拠するものであり、AI 的知見を導入し た形跡に乏しい。PKI の構築は、現在進行形の課題であり、Whalen ed. (2011)はそのため のアジェンダを提示したものだと評価できるだろう。 しかし PK と AI は、その起源を同じ 20 世紀初頭にたどることができるとはいえ、イギ リスとアメリカという大西洋で隔てられた 2 つの土地で生まれたものだ。容易に統合を許 さない部分があってもおかしくない。ところがウェイレンたちの議論には、両者の違いへ の言及がほとんど見られない。その違いが些少なものであれば、そのような処理も正当化 できる。しかし、それが経済政策に関わるものなら、無視することはできないだろう。し かも、ウェイレンたちが、PK と AI を架橋する上で重視しているコモンズが、政策面でケ インズ、そして PK と対立する見解を持っているのである。これは紙幅を割いて論じる必要 がある。争点は財政政策だ。PKI は、今般の「長期景気後退」に際して政府の積極的な介 入を提言しているが、コモンズは、たとえ大恐慌を目にしても、財政政策に対して終始慎 重な姿勢を崩さなかった。この財政政策をめぐる対立は、PK と AI の統合を容易には許さ ない断層だといえる。そこで次節で、PKI とコモンズのあいだの財政政策への姿勢の違い を素描しよう。 4 財政政策への姿勢の違い PKI は、リーマン・ショック後の「長期景気後退」を、ミンスキーの「金融不安定性仮 説」と「資産管理者資本主義」概念で読み解く。前者は、景気循環の内生性を、後者は、 1980 年代以降の脆弱な金融構造を示している。 「金融不安定性仮説」によると、「安定とは 不安定化(Stability is destabilizing)」だ。経済が比較的好調な期間がつづくと、人びとはリ スクを許容するようになり、負債比率が高まる。負債による支出の伸びがさらなる成長を 呼び、リスクが一層許容されるようになる。この繰り返しで負債比率が累積的に高まり、 ついには持続不可能な水準に達するとき、景気は反転する。負債を圧縮しようと人びとが 一斉に資産を売却する結果、資産価値が収縮し、さらなる負債の圧縮が必要になる負債デ フレーションの過程が始まる。景気循環は、資本主義経済では自然の成り行きとして起こ るものなのだ。それゆえにミンスキーは、レバレッジの使用や過剰なリスク・テイクを予 防する規制の必要を認めつつも、規制で景気循環をなくすことはできないと考えている。 不安定性が避けられないものである以上、景気後退を食い止め、回復を促進するために十 全の備えをする必要がある。景気後退時の政府による積極介入が要請されるゆえんだ(「大 5 きな政府」と「最後の貸し手」 )。 Whalen ed. (2011) への寄稿者の一人であるファデル・カブーブは、「長期景気後退」を ミンスキーの図式で読み解き、今般の不安定性の原因を、アメリカでの経済的不平等の拡 大に見ている (Kaboub 2011) 。アメリカでは 1980 年代以降、下位・中位所得層の実質所 得が伸び悩んでいる。カブーブによると、それでも消費が落ち込まなかったのは、クレジ ット・カードやホーム・エクイティ・ローン、リバース・モーゲージ、サブプライム・ロ ーンといった消費者向けの金融商品が次々と開発されたためだ。その結果、家計の負債/ 可処分所得比率が上昇し、消費支出は持続不可能なものとなってしまったのだという。そ こでカブーブは、金融不安定性を防止するためには、不平等に正面から対応すべきだと主 張する。具体的には、生活賃金での完全雇用を政策的に実現することで、家計が、安定的 所得を得られるようにするということだ。そのために政府部門が、最低賃金水準で常設の 雇用を提供することを提言している。いわゆる「最後の雇い手(employer of last resort)」 論だ。 賃金水準を低く設定するのは、民間雇用を奪わないためだ。そして、働く意欲・能力を 備えた生産年齢の人なら誰でも雇うことで、景気変動にかかわらず完全雇用を維持できる のだという。景気後退時には民間部門から公共部門に雇用が移動し、景気回復時にはその 逆が生じるという仕組みだ。また職務内容も、単に賃金を支払う名目のものではなく、地 域のニーズに即した公共サービスの提供となっている。政府および NPO が地域のニーズに 基づきプロジェクトを選択することで、単なる雇用の調整弁ではない、意義のある仕事を 提供できるのだという。 「失業は最も深刻な労働問題」(Commons and Andrews 1936: 1)だとみなしたコモンズ もまた、循環的失業に対して公共事業の計画的配分を提唱している。 [労働需要の増減についての]知識から、失業の予防および救済に理知的に対処す ることが可能になるだろう。その手段は、公共事業の計画的配分と、民間産業の労働 需要が低水準のときの必要性のある事業の前倒しでの実施だ。/公共事業は(中略) スポンジのようなはたらきをするだろう。不況や不振の時期には労働予備軍を吸収し、 民間企業での労働需要が増えるときには解放するのだ。(Commons and Andrews 1936: 27) ただしこのコモンズの「スポンジとしての公共事業」論は、PKI の「最後の雇い手」構 想に比べるとかなり控えめなものだ。「最後の雇い手」論が想定している政府による雇用と は、老人介護や公立学校の授業補助、地域の安全の監視、住居修繕、公園管理などの常設 の公共サービスだ(Kaboub 2011: 86)。それに対してコモンズの考える公共事業は、インフ ラ整備に代表されるいわゆる旧来の「公共事業」でしかない。また「最後の雇い手」構想 は、公的部門が事業を拡大することで、経済全体での雇用のプールを増やそうとするもの 6 だ。しかしコモンズの「スポンジとしての公共事業」論は、すでにある公共事業計画を反 循環的に実施することで、労働需要の変動をならそうとするものでしかない。 むしろコモンズは、政府部門による救済よりも、企業による、失業補償制度のような予 防的取り組みを強調する。コモンズによると、1920 年代のアメリカの先進的事業者のあい だでは、 「継続的かつ忠実な労働力の維持と、その雇用を規則的なものとする事業分析と安 定化政策は利益を生む」(Lewisohn et al. 1925: 3)という認識が広がり、景気循環の原因と なる過剰投資を予防するビルト・イン・スタビライザーとして、失業補償制度を導入する 動きが見られるようになっていた。それゆえにコモンズは、 「産業の真の『当事者』である 経営者による自助努力の効力」を強調し、 「この国の多様な事業活動で発揮される『ヤンキ ー的』創意を導入することは失業の減少に大いに貢献する」(Lewisohn et al. 1925: 3)とし て、失業対策は企業、そして産業レベルでの民間の取り組みが基本であるするのだ。 このように PKI とコモンズのあいだでは、政府介入に対して温度差がある。その原因は、 失業の位置づけの違いにある。ケインズの系譜では、失業を、有効需要不足の結果である と同時に、消費支出減少の原因でもあるとして、マクロの需要の問題としてとらえる。そ れゆえに消費を下支えするための財政政策が要請されることになり、PKI の「最後の雇い 手」政策のような施策が提唱されることになる。それに対してコモンズは、失業を「能率」 (労働生産性)という供給側の問題としてとらえている。たとえば失業による損失である。 コモンズによると、被用者にとっては、失業とは、賃金の喪失と不安定雇用による勤労意 欲の減退を意味する。使用者にとっては、遊休状態の装置劣化の加速と被用者の技能と意 欲の低下、労働者を新規に雇用し「慣らし運転」する費用を意味する。そして社会全体に とっては、失業とは、生産能力の巨大な浪費であるとともに、政府及び民間の慈善活動へ の重荷を意味するのだという(Commons and Andrews 1936: 3-4)。コモンズにとって失業 とは供給側のコスト要因なのだ。失業によって労働者の所得が失われることで、消費支出 が落ち込むことは、あくまでも景気後退の結果でしかないとコモンズは考えている。 このように読み解いていくと、PKI とコモンズのあいだでは、景気循環のとらえ方に齟 齬があることに行き当たる。PKI は、上述のカブーブの分析でも明らかなように、不況を、 所得から支出に割かれる割合の低下(貨幣の退蔵)としてとらえている。それに対してコ モンズは、信用通貨論の立場から、投資低迷による所得=購買力の収縮として不況をとら えているのだ(Commons [1934] 1990)。企業の投資決定と、それをファイナンスする銀行の 融資決定がフローとしての貨幣を生むという構成である。それゆえにコモンズにとっての 景気対策の中心は、「企業心理(business confidence)」の改善に置かれることになり、政策 対応としては金融政策が中心に置かれることになる。このような観点からすると、カブー ブの言うような所得再分配は、景気対策としては二次的な意味しか持たない。所得そのも のを生み出す投資をどのように喚起するかが重要なのだ。 7 5 おわりに―貨幣的生産経済の分析の違い 前節では、PKI とコモンズの財政政策の位置づけの違いに注目し、なぜそのような齟齬 が生じるのかを掘り下げていく中で、両者が依拠する景気循環の理論に違いがあることを 明らかにした。2 節で見たとおり、PKI の中心的テーゼは、資本主義的発展の進化という文 脈の中で、投資と金融のあいだの関係から景気循環を分析することだ。この中心的テーゼ からすると、PK とコモンズの景気循環理論の齟齬を見逃すことはできない。 Whalen ed. (2011) には、編者のウェイレンをはじめとする、コモンズの貨幣的経済学と ケインズ理論の関 係を検討してきた論者が参加している。しかし Whalen (1993) も Atkinson and Oleson (1998)も、コモンズとケインズのあいだの違いの指摘に欠ける。 Tymoigne (2003)は、コモンズの貨幣的経済学を、ケインズの『貨幣論』から『一般理論』 への理論的発展の中間にあるものとして位置づけているが、これはかなり PK 的な読み込み が強い解釈だ。 ケインズが『一般理論』を準備する中で、自らの新しい理論を「貨幣的生産理論(monetary theory of production)」として構想していたことは良く知られている。コモンズもまた自ら の貨幣論を「取引貨幣論(transactional theory of money)」と呼び、企業の投資決定とフロ ーの貨幣の創出・譲渡・消滅を相即的にとらえていた。両者のよく似た洞察が、どこで分 岐し、政策的な違いとして現れるのか、PK と AI の対話は、今後はこの点をめぐって継続 することが期待される。 文献 Atkinson, Glen and Theodore Oleson Jr., 1998, “Keynes and Commons: Their Assault on Laissez-faire,” Journal of Economic Issues, 32: 1019-30. Atkinson, Glen and Charles J. Whalen, 2011, “Futurity: cornerstone of Post-Keynesian Institutionalism.” In Charles J. Whalen, ed., Financial Instability and Economic Security after the Great Recession, Cheltenham, UK; Northampton, MA, USA: Edward Elgar, 53-74. Brazelton, W. Robert and Charles J. 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