ドゥオーモに入ると、5つの堂々たる身廊をもち、柱頭に彫像の

06 ドゥオーモの内部 (右側部分と聖堂内陣)
ドゥオーモに入ると、5つの堂々たる身廊をもち、柱頭に彫像のある52本の巨大で高い柱に支えられた目もくらむような高さの聖堂
に気絶しそうな感覚を覚えます。
39におよぶ色彩豊かな見事なステンドグラスを通して入ってくる光がかもしだす神秘的な雰囲気と同様に、まさにゴシック様式の
独特の効果をつくりだしているのです。
しかしこれは光線や雰囲気によるものだけではありません。実際、聖堂内部のいたるところに古い物語、興味深い伝説、大小の宝
が隠されているのです。その一部だけでも発見に行きましょう。入り口から一番奥の右側の身廊から始めましょう。すぐ右側に大司
教アリベルト・ダ・インティミアーノの花崗岩でできた石棺があります。西暦1000年ごろにドイツ皇帝コッラード2世に対するミラノの
反乱を指揮し、有名な牛に引かせた戦車を作らせたのがまさにこの大司教なのです。棺の上には彼がサン・ディオニジ僧院に献
上した貴重な銅製十字架の複製が置かれています。十字架像のオリジナルは今日、ドゥオーモ博物館に所蔵されています。すぐ
左側の告白所の側の壁面にはミラノのドゥオーモの最初は1386年であったとラテン語で刻まれた非常に小さな記念碑があります。
その先を進むと赤い大理石の二本の柱で支えられた棺があります、これは1300年代のカンピオネーゼ工匠の彫刻がほどこされた
ものでオットーネ・ヴィスコンティとジョヴァンニ・ヴィスコンティの遺体が保管されています。二人とも勇敢な戦士でありミラノの領主
になり、また大司教にもなったのです。彼らの名前はさらに先のほうにある初代から現在までの大司教の名前の記された表に記
載されています。
そして商人マルコ・カレッリの後期ゴシック様式の石棺があります。彼は、ドゥオーモ屋上にある最初の尖塔の建設資金を寄付し、
その貢献により、ドオゥーモに埋葬されるという特権を得た唯一の非宗教者です。
それから祭壇が三つ並んでいます。順番にサンタ・アガタ、サクロ・クオーレそして聖母マリアに捧げられた祭壇です。これらは大
司教カルロ・ボッロメオによりドゥオーモ建設の指揮が任された、通称、ペッレグリーニと呼ばれた建築家ペッレグリーノ・ティバル
ディにより16世紀後半に設計されたものです。
翼廊に到達しました。当初ここにあった二つの扉を閉鎖するように命じたのは、その後聖人となるカルロ・ボッロメオです。当時は、
この二つの扉から人々が、手押し車を押したり、場合によっては雄鶏を運んだりしてこの扉から入っては出て行くことで、大聖堂の
中を横切って近道をしようとする人が多かったため扉を閉鎖することでミラノのうるさい雑踏を遮断しようとしたのです。
さて翼廊の右側の部分は3つに分かれています。
すぐ右側はレオーネ・レオーニの手によるジャン・ジャコモ・メディチの墓碑です。真ん中にはボッロメオにより閉鎖された二つの扉
の一つの場所に聖ジョヴァンニ・ボーノ礼拝堂があります。そして左側にマルコ・ダグラーテの彫刻による「皮をむかれた聖バルト
ロメオ」の感動的な彫像があります。
教会の中央部に向うと、象眼細工の装飾をされた床面のデザインも含めすべてペッレグリーニの設計による聖堂内陣があります
。中央部には、幅広の大階段の上に中央祭壇があります。その脇には二つの柱のそばに説教壇があり、さらに前扉に大変美しい
絵の描かれたオルガンがあります。中央祭壇の後ろには華麗なクーポラのついた聖体容器があり、さらに後ろにはクルミ材ででき
た見事な彫刻のほどこされた聖歌隊席があります。
祭壇の前に立ち頭上を見ると、金箔の銅の覆いの中で「聖なる釘」の存在を知らせる赤い光の輝いているのがみえます。これはキ
リスト十字架の「釘」の一つといわれおり、テオドシウス皇帝から聖アンブロージョに寄進されたとされています。しかし伝説では聖
アンブロージョ自身が鍛冶屋で職人が金槌でこの釘を火の中で曲げようとたたいているところを見つけ出したといわれています。
毎年9月、ミラノ大司教がこの釘をとるために高所まで上って信者に示すという感動的な儀式が行われます。「ニヴォラ」と呼ばれる
、雲の形をした、木と鉄、そして彩色された紙張子でできた特別のリフトを使ってのぼります。