14.教信寺

14. 教信寺
か
こ ざん きょうしん じ
加古山 教 信寺
宗派
浄土真宗大谷派
茨木市宿久庄4丁目14番14号
宿久庄の地名は醍醐天皇(第六十代天皇在位 897~930 年)の御代に書かれた『和名類聚抄』
の島下郡の項に宿人郷と記され、人は久の誤りで、宿久郷のことであるといわれている。
その後、安和 2 年(969 年)の『仁和寺文書』には〝摂津国宿久庄田地‥‥〟とあり、相当古
い時代から地名としての【宿久庄】は存在していた。
昭和 55 年(1980 年)1 月 1 日、大字宿久庄を町名とし 1 丁目から 7 丁目に分け、新住居表
示が施行されそれぞれの家屋に番・号が付された。しかし、4 丁目地区だけは住民の強い要
請で新住居表示の番・号は付されず各家屋は旧土地番地のままであった。その後、住民の
合意が整い、平成 16 年(2004 年)、新住居表示の番・号が各家屋の付された。
口伝によれば、承和 12 年(845 年)、教信なる人物が道場を建立したと伝わり、寺歴とし
ては大変古く長い歴史を有する寺院であるが詳細は不明。約千年後の江戸中期、真宗東本
願寺大谷派より寺号と本尊が付与され寺院となる。しかし、明治 5 年(1872 年)には、無住
寺状態で廃寺となった。その後、明治 13 年(1880 年)8 月 13 日、現住職の祖父が中興の祖
として寺院を再興した。
本堂・庫裏は老朽化が進み、昭和 36 年(1961 年)に新築工事が行われ現在に至っている。
この新築された本堂は、鉄筋コンクリート造りの斬新なデザインの寺院で、エキゾチック
な雰囲気が漂っている。寺院の周辺は樹木が繁茂し、その中にこの斬新な本堂が溶け込み、
タイの古都チェンマイに存在する寺院を連想させている。
寺院創建
寺史は古く、承和 12 年(845 年)、教信が道場を建立したが、詳細ついては
不明なことが多い。その後、江戸中期、本山から寺号と本尊が付与され寺院
となった。
本
尊
建 造 物
法要・行事
住
職
木造阿弥陀如来立像
本堂・庫裏は老朽化が著しくなり、昭和 36 年(1961 年)新築。
修正会(1 月 1 日)、栄隊へ抱擁(4 月)、盂蘭盆会(8 月 16 日)、報恩講(12 月)
水戸一雅(みと かずまさ)住職。
平成 5 年、三代目住職に就任。
明治 3 年(1872 年)廃寺となる。明治 13 年(1880 年)、現住職の祖父が中興
として寺院を再興。無住状態が長く続いたため承和 12 年の創建からの住職
歴等は不明。故に、教信寺は、中興の祖である現住職の祖父を起源とし現住
職は三代目となる。この初代住職は茨木市市議会議員を務めなど地域に大き
く貢献された。