オミクスで読み解く腸エコシステムの生理的・病理的意義 大野 博司 理化学研究所統合生命医科学研究センター・科学技術振興機構 CREST われわれヒトを含む動物の腸内には膨大な数の細菌群、腸内細菌叢が共生している。腸内細菌叢は、総数 100兆個以上にも達し、40〜60兆個と試算されるヒトの体細胞数の2〜3倍にも達する。腸内細菌 叢は 500~1,000 もの菌種により構成され、その遺伝子総数はヒト個体当り数十万と、ヒトの遺伝子数2 万数千をはるかに凌駕している。この多種多様な菌同士が相互作用し、肝臓に勝るとも劣らない代謝系を 形成するとともに、宿主との相互作用により、「腸エコシステム」と呼ばれるユニークな環境系を構築し ている。したがって、ヒトの生理・病理を真に理解するためには、超生命体の本質とも言える腸エコシス テムの理解が不可欠である。 しかし、膨大な数の細菌群と宿主が複雑に相互作用する腸エコシステムを個体レベルで解析する良い手法 は知られていなかった。そこで演者らは、ゲノム(DNA レベル)、トランスクリプトーム(RNA レベ ル)、メタボローム(代謝産物レベル)など異なる階層、レベルの網羅的解析法を組み合わせた統合オミ クス手法を提唱・構築し、その有用性を証明してきた。 統合オミクス手法の有用性を検証するために、複雑な腸エコシステムを有する通常のマウスではなく、無 菌マウスに限られた細菌のみを定着させたノトバイオートマウスを対象にした。無菌マウスにある種のビ フィズス菌を定着させておくと、その後の腸管出血性大腸菌 O157 による感染死を抑止できるが、その分 子メカニズムは不明であった。演者らは、統合オミクス統合解析法を応用することにより、ビフィズス菌 が産生する酢酸が腸粘膜上皮の抵抗力を増強することで、マウスの O157 感染死を予防することを明らか にした。さらに比較ゲノム解析から、マウス O157 感染死を予防できるビフィズス菌は果糖トランスポー ター遺伝子を保有しており、それによって果糖を代謝して酢酸を産生することで予防効果を発揮すること もわかった。このように、バイアスを掛けること無く網羅的解析から酢酸を同定し、その機能解析まで導 き出せた点において、統合オミクス手法は腸エコシステム解析に適した手法と考えられる。 腸エコシステムは宿主の免疫系の発達にも関与している。例えば、Clostridiales 目に属する細菌群が大腸 の制御性 T 細胞(Treg)の分化を誘導することが最近示されている。演者らは統合オミクス手法を用い てこの Treg 誘導の分子メカニズムを解析した。その結果、細菌の代謝産物のひとつである酪酸がヒスト ン H3 のアセチル化というエピゲノム制御を介して Treg の分化誘導を促進することを見出した。さらに、 酪酸は Treg 誘導を介してマウスの実験腸炎の発症を抑えることから、炎症性疾患の治療への応用も期待 される。
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