神通寺 定例法座 - 神通寺 ご法話のページ;pdf

PM 7:00 〜
神通寺報
4/17(金)
PM 1:00 〜
神通寺 定例法座 JINZUJI
定例法座では、正信偈のおつとめのあと、住職のご法話
があります。
3 月は、大野光夫さんより釜揚げうど
んを振る舞っていただきました。10 年
くらい前までは、お葬式の引き払いで、
お手伝いの町内の衆に、釜揚げうどん
を振る舞って労をねぎらう風習がありました。その頃を懐
かしく思い出しながら、熱々のうどんを美味しく堪能しま
した。
4 月 は、 中 庭 の 梅
で お 花 見 し な が ら、
あったかいおでんを
いただきましょう。
お腹をすかせてお
参り下さいませ。
神通寺念仏奉仕団
参加申込みはお早めに!!
【日 程】 11 月 11 日(水)〜 12 日(木)
1 泊 2 日
【参加費】 32,000 円(日程中の交通・宿泊・食事・飲物代含む)
※ 初日の午前中に、大谷本廟にて納骨・おつとめいたします。
※ 2日目の晨朝参拝で、おかみそり(帰敬式)を受式すると、 仏弟子の名告りとしての「法名」が授与されます。
※ 納骨や帰敬式を希望される方は、申込みの際にお知らせ
下さいませ。
第 259 号
(2015 年 3 月号)
〒 506-0021
高山市名田町 5-30
明林山 神通寺
住職 朝戸 臣統
0577-32-3614(TEL/FAX)
[email protected]
www.jinzuji.com
神通寺報 配布スタッフの皆様(敬称略)
不破 朝子・三枝 勝・黒田 はな・中垣 久美子・中澤 一弘・塚本 清洋・中田 泰子・永富 登代子・
石垣 美代子・洞口 義武・松尾 衿子・片岡 節子・畠山 正一・松本 文男・阿多野 正昭・
柴田 和子・安藤 礼子・成畑 瑛子・松川 浩幸・大萱 勝・谷口 忠雄・若田 義隆・千原 繁・
大野 光夫 ( 新規 ) ※緑ヶ丘町の配布スタッフを募集しています!!
1
第 259 号(2015 年 3 月号)
そうぎ
祖様はおられませんよ。
」ということです。このことだけは、
きちんとお伝えした上で、目の前にある問題について考えて
ぶ
最 近、 お 参 り と 納 骨 の こ と に つ
いて、二つの相談を受けました。
みたいと思うのです。
ん
「施主であるはずの兄が、十年以上
こくべつしき
えに添って亡き人のいのちとお別れをして
せしゅ
前に亡くなった父や母などに、まっ
私 た ち は、 先 立 っ た お 方 の お 別 れ に 際 し て、 葬 儀 を お
つ と め し ま し た。 こ れ は、 単 に お 別 れ を 告 げ る だ け の 式
ぼ
凡夫
た く お 参 り を し な い の で 困 っ て い ま す。 妹 で あ る 私 が 代 わ り
(告別式)ではありません。
「葬儀」である以上、仏様のみ教
壇 も 違 う の で、 う ち に お 参 り し て も
いくという意味が込められています。
しゅうし
にお寺にお参りしたのだけれど、結婚して宗旨が違うし、仏
らうわけにはいかないですよね。」
「 亡 き 妹 の お 骨 を、 ゆ く ゆ く は お 寺
先 立 っ た お 方 は、 こ の 世 の 命 を 終 え て
む
「 無 」 に な っ て し ま っ た わ け で も な く、 ど
ゆうれい
の 納 骨 堂 に 納 め た い と 思 い ま す。 た
われ
こかをさまよう「幽霊」になっていかれた
せい
すく
だ、 私 と は 姓 が 違 う か ら 、 や が て 私
かなら
あ み だ さ ま
必ず救うぞ。我にまかせよ。
そのはたらきを身に受けて、残された私
いただきます。
ころへ還ってきてくださるのだと聞かせて
かえ
同時に、迷いの世界で苦悩の中にある私
ぶつどう
を、仏道へ導くはたらきとなって、私のと
せていただくのです。
という阿弥陀様の願いに包まれて、お浄
ど
ほとけ
な
土に生まれて仏さまに成られたのだと聞か
じょう
のでもありません。
ろに入るわけにはいかないのでしょ
うか? 」
ど ち ら も、 当 事 者 に と っ て 切 実 な
悩 み で す。 私 た ち は、 お 参 り や 納 骨
に つ い て、 ど の よ う に 受 け 止 め た ら
いいの で し ょ う か 。
☆★☆★☆★☆★
ま ず 確 認 し た い こ と は、「 残 さ れ
さわ
た子孫にタタリや障りをおこすご先
が 亡 く な っ た と き に は、 一 緒 の と こ
正信偈を唱和するご門徒の皆さん。
第 259 号(2015 年 3 月号)
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はいけないとか、そのようなことで私たちに災いをもたらし
ぶつどう
お念仏申すことを何よりも願い、
自身がお念仏申し、仏道を歩む身にお育ていただくところに、
す。
な 感 情 に 振 り 回 さ れ て し ま い、
た り は い た し ま せ ん。 仏 様 と な っ て、 私 た ち が 手 を 合 わ せ、
で す か ら、 ご 先 祖 様 は タ
タリや障りをもたらす存在
その苦しみをご先祖様のせいで
葬儀や法要に込められた大きな意味が込められているので
ではなく、仏さまとなって、
はないかと責任転嫁さえしてし
せきにんてんか
喜んで下さるのです。実は、様々
私 に お 念 仏 を 勧 め、 仏 道 に
ま う の が、 私 の 姿 で あ る こ と に
ぶつどう
誘ういはたらきとなってい
気 付 か さ れ る の で す。 迷 っ て い
すす
かれたのだとお聞かせいた
る の は ご 先 祖 様 で は な く、 実 は
ねんぶつ
だ く の が、 私 た ち の み 教 え
私のほうでありました。
いざな
なので す ね 。
く こ と は で き ま せ ん。 し か し、
☆★☆★☆★☆★
そう聞かせていただきま
す と、 お 参 り や 納 骨 に 際 し
仏 法 に 出 遇 い、 仏 様 の 願 い を 聞
自分中心に物事を見ているう
ち は、 な か な か そ の こ と に 気 付
て の 悩 み も、 自 ず と 受 け 止
か せ て い た だ く こ と で、 私 の あ
あ
め方が転じられていきま
りのままの姿を照らし出される
あ み だ さ ま
親 鸞 聖 人 は、 阿 弥 陀 様 の み 教
て
えに照らされて明らかにされた
しんらんしょうにん
☆★☆★☆★☆★
で
す。
のです。
のに一緒にところに入れて
か、 納 骨 の 際 に 名 前 が 違 う
先立たれた大切なお方
は、 仏 壇 の ご 宗 旨 が 違 う と
「拝読 浄土真宗のみ教え」より
第 259 号(2015 年 3 月号)
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みずか
きび
み
よく
ねが
しょう
ぼんのう
とんよく
さまた
じ
ひ
しんに
ち
え
ない自分の姿が私の行き先を妨げていることに気付かされる
さまた
という願いが生ずることで、お慈悲のない自分の姿、智慧の
いちねん
むみょうぼんのう
自らの 姿 を 、 厳 し く 見 つ め て お ら れ ま す 。
のです。そこにはじめて煩悩が私にとって大きな問題となっ
ぼんぶ
「凡夫」といふは、無明煩悩われらが身にみちみちて、欲
も お ほ く、 い か り、 は ら だ ち、 そ ね み、 ね た む こ こ ろ お ほ く
てのしかかってくる。貪欲(むさぼり)と瞋恚(いかり)が
りんじゅう
ひまなくして、臨終の一念にいたるまでとどまらず、きえず、
はじめて私の生き様の妨げになってくるのです。
」
いちねんんたねんもんい
(「一念多念文意」より)
たえず
☆★☆★☆★☆★
私がお参りするそのままが、実はご先祖様の導きによってお
あまぎしじょうえんせんせい
先 日、 大 阪 の 天 岸 浄 圓 先 生 の ご 講 義 を 聴 く 機 会 に 恵 ま れ ま
きび
あ み だ さ ま
し た。 厳 し い お 言 葉 の 中 に 、 阿 弥 陀 様 の 願 い に 照 ら さ れ て 明
参りする身にお育ていただいているのだと、お参りの方向も
転じられていきます。たとえご先祖様の姓が違っても、お育
てん
らかになる私の姿についてお聞かせいただきました。
むみょう
まちが
「 無 明 と い う の は、 自 分 中 心 で 生 き て い る と い う こ と で す。
ての尊さに違いがないことに気付かされま
あかし
な
てん
あ み だ さ ま
先に仏さまと成られたご先祖様のご恩に報
ほとけ
まよ
自分のことは間違いないと思い込んでいる状態です。自分
す。 迷 っ て い る の は、 ご 先 祖 様 で は な く、
いた
ぼん
あゆ
むしゅうきょう
自身が本尊でありたいという生き方が無宗教
実 は 私 の ほ う で あ っ た と、 方 向 が 転 じ ら れ
ほんぞん
と い う こ と で あ り、 無 明 だ と い う こ と で す。
るのです。
むみょう
そ の 私 が 宗 教 を 持 つ、 宗 教 を よ り ど こ ろ に す
ぶつどう
ほとけ
あ み だ さ ま
る と い う こ と は、 自 分 に と っ て 耳 の 痛 い こ と
私自身が阿弥陀様のみ教えをよりどころ
とし、お念仏申す人生を歩んでいくことが、
ぼんのうぐそく
そんざい
みみ
を大切に聞いていくということです。」
い る こ と な の で す。 私 が お 念 仏 申 す そ の ま
ほとけ
え
むく
「 煩 悩具足 の 凡 夫 とよく お聞か せいた だきま
ぼんのうぐそく
す が、 自 分 の こ と を 本 当 に 煩 悩 具 足 と 思 っ て
ま が、 阿 弥 陀 様 の 願 い が 私 に 届 け ら れ て い
し
ち
おん
お ら れ ま す か。 仏 さ ま に 成 り た い、 仏 道 を 歩
る 証 で す。 先 立 っ た お 方 の ご 縁 を い た だ い
のうせい
ぼんぶ
み た い と い う 思 い を 持 つ 人 こ そ が、 自 分 の 煩
て、 残 さ れ た 私 自 身 が、 お 念 仏 申 す 生 き 方
じ
な
悩 性 を 知 ら さ れ る ん で す よ。 つ ま り、 仏 さ ま
へと少しずつ転じられていくのです。
な
ひ
に 成 り た い、 お 慈 悲 と 智 慧 の 存 在 に な り た い
大野さん提供の釜揚げうどんを堪能しました。
第 259 号(2015 年 3 月号)
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