妙法蓮華経提婆達多品第十二

『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経提婆達多品第十二
『経典』に学ぶ
妙法蓮華経提婆達多品第十二
経文
ほとけもろもろ
び
く
つ
み らい せ
なか
も
ぜん なん し
ぜん にょ にん
みょう ほ
け きょう
仏 諸 の比 丘 に告 げたまわく、未 来 世 の中 に若 し善 男 子・善 女 人 あって、妙 法 華 経
だい ば だっ た ほん
き
じょうしん
しん きょう
ぎ わく
しょう
もの
じ ごく
が
き
ちく しょう
の提 婆 達 多 品 を聞 いて、 浄 心 に信 敬 して疑 惑 を 生 ぜざらん者 は、地 獄・餓 鬼・畜 生
お
じっ ぽう
ぶつ ぜん
しょう
しょ しょう
ところ
つね
こ
きょう
き
も
にん
でん
に堕 ちずして十 方 の仏 前 に 生 ぜん。所 生 の 所 には常 に此 の 経 を聞 かん。若 し人・天
なか
うま
しょうみょう
らく
う
も
ぶつ ぜん
れん げ
け しょう
の中 に生 るれば 勝 妙 の楽 を受 け、若 し仏 前 にあらば蓮 華 より化 生 せん。
現代語訳
よ
しんこう
だんじょ
みょうほうれんげきょう
だい ば だっ た ほん
おし
き
「のちの世 において、もし信仰 のあつい男女 が 妙 法 蓮華経 の提 婆 達 多 品 の教 えを聞
すなお
こころ
しん
かん
うたが
お
ひと
いて、素直 な 心 で信 じ、ありがたいと感 じ、疑 いを起 こすことがなければ、その人 は
じごく
いか
せかい
が
き
かなら
ほとけ
むさぼ
せかい
ちく しょう
おろ
せかい
あく どう
地獄 (怒 りの世界 )・餓 鬼 ( 貪 りの世界 )・畜 生 (愚 かな世界 )といった悪 道 におち
まえ
う
つね
おし
き
いることなく、 必 ず 仏 の前 に生 まれ、常 にこの教 えを聞 くことができるでしょう。
にんげんかい
てんじょうかい
う
か
しこう
せいしんてき
よろこ
み
もし人間界 や 天 上 界 に生 まれ変 わるとしても、そこでは 至高 の精神的 な 喜 びに満
せいかつ
ふたた
ほとけ
おし
き
きかい
めぐ
ちた生活 をおくることができるでしょう。そして、 再 び 仏 の教 えを聞 く機会 に恵 ま
ぼん ぷ
きょうがい
ほとけ
ちか
きょうち
たっ
れれば、凡 夫 の 境 界 にいながらでも、 仏 に近 い境地 に達 することができるでしょう」
じごく
にんげん
こころ
いか
こころ
ふ
まわ
こうどう
つね
くる
〈地獄 〉――人間 の 心 にあてはめると、怒 りに 心 を振 り回 されて行動 し、常 に苦 しい
き
も
い
い
み
気持 ちで生 きることを意味 しています。
が
き
つ
り こ し ん
まんぞく
つぎ
つぎ
むさぼ
〈餓 鬼 〉――尽 きることのない利己心 の満足 のために、次 から次 へとものごとを 貪 り、
き
も
い
つねにイライラした気持 ちで生 きることです。
ちく しょう
よくぼう
ひと
みち
おこ
たにん
じぶん
きず
〈畜 生 〉――欲望 のおもむくまま人 の道 にはずれた行 ないをし、他人 も自分 も傷 つけ
ふこう
き
も
い
てしまい、不幸 な気持 ちで生 きることです。
じっ ぽう
ぶつ ぜん
しょう
い
ほとけ
じかく
も
〈十 方 の仏 前 に 生 ぜん〉――いつ、どこへ行 っても、 仏 さまとともにいる自覚 を持 つ
い
み
わたし
ほとけ
い
ほとけ
ことができるという意味 です。すなわち「 私 は 仏 さまに生 かされている、いつも 仏
まも
じかく
じかく
つね
じんせい
おお
さまに守 られているんだ」という自覚 です。こういう自覚 が常 にあれば、 人生 に大 き
じしん
ゆうき
え
きょう
き
しあわ
だい あん じん
きょうち
い
な自信 と勇気 が得 られ、いつも 幸 せな大 安 心 の境地 で生 きることができます。
つね
こ
ほとけ
まえ
じかく
ひと
ほとけ
おし
〈常 に此 の 経 を聞 かん〉――いつも 仏 さまの前 にいる自覚 がある人 は、仏 さまの教 え
『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経提婆達多品第十二
わす
いっせつ
こころ
なか
おし
かえ
あじ
を忘 れることはありません。ですからこの一節 は、いつも 心 の中 で教 えをくり返 し味
い
み
わうことができるという意味 です。
意味と受け止め方
ぶっしょう
め
ざ
仏 性 に目覚 める
ぶっ しょう
にんげん
ほんしつ
ほんぶつ
おお
うちゅう
こんげん
おな
仏 性 とは「すべての人間 の本質 である、本仏(大 いなる宇宙 の根源 のいのち)と 同
はたら
じいのちの 働 き」のことです。
しゃくそん
にんげん
わたし
こ
めいげん
わたし
釈 尊 は「すべての人間 は、みな 私 の子 どもである」と明言 されていますから、 私
ほんらい
せいちょう
ちょうわ
よろこ
かがや
そんざい
じっさい
おお
ひと
せっ
たちは本来 、成 長 と調和 を 喜 ぶ 輝 ける存在 なのです。し かし、実際 に多 くの人 と接
ひと
ほとけ
ひと
で
あ
かぎ
してみると、「この人 は 仏 さまのようだ」という人 ばかりに出会 うとは限 りません。
はんたい
ひと
ほんぶつ
あら
うたが
ほんしつ
ぶっしょう
むしろ反対 に、「この人 もほんとうに本仏 の顕 われなのだろうか」と 疑 いたくなるよ
ひと
で
あ
うな人 と出会 うことがあります。
しゃくそん
ひと
にんげん
ひと
そこで 釈 尊 は、人 びとに「 人間 の本質 は 仏 性 である。どんな人 であろうとも、そ
ひと
ほんしつ
ほんぶつ
おな
はたら
しんり
ほう
もと
みずか
ぶっしょう
の人 の本質 は本仏 と同 じいのちの 働 きなのだから、真理・法 に基 づいて 自 らの 仏 性
め
ざ
かなら
ほとけ
ふか
こころ
きざ
にハッキリと目覚 めれば、だれもが 必 ず 仏 になれる」ことを深 く 心 に刻 んでほしい
ねが
だい ば だっ た ほん
と
という願 いから、提 婆 達 多 品 をお説 きくださるのです。
だい ば だ っ た
しゃくそん
ちち
じょうぼん のう
おとうと
かん ろ ぼん のう
こ
じゅうだい で
し
提 婆 達多 は、 釈 尊 の父 ・ 浄 飯 王 の 弟 である甘 露 飯 王 の子 で、のちに 十 大 弟子 の
ひとり
あ なん
だい ば だ っ た
あなん
しゃくそん
どうし
一人 となる阿 難 の兄にあたります。つまり、提 婆 達多 も阿難 も、釈 尊 とはいとこ同士
だい ば だ っ た
せいしょうねん じ だ い
ぶ ん ぶ りょうどう
しゃくそん
い
み
なのです。提 婆 達多 は、青 少 年 時代 から文武 両 道 にすぐれ、 釈 尊 とはよい意味 のラ
イバルでもありました。
しゃくそん
おうきゅう
す
しゅっけ
さと
ひら
あなん
しゅっけ
ねっしん
きょうち
たっ
釈 尊 が 王 宮 を捨 てて出家 し、悟 りを開 かれたあとは、阿難 とともに出家 して熱心 に
しゅぎょう
はげ
ず の う めい せき
すす
修 行 に励 みました。もともと頭脳 明 晰 であったために、かなり進 んだ境地 にまで達 し
つた
たと伝 えられています。
だい ば だ っ た
も
まえ
つよ
ぞう じょうまん
こころ
と
のぞ
ところが提 婆 達多 は、持 ち前 の強 い増 上 慢 の 心 を取 り除 くことができなかったた
しゃくそん
たいこうしん
いだ
しゃくそん
かっこく
おう
ちょうじゃ
めに、やがて 釈 尊 に対抗心 を抱 くようになりました。 釈 尊 が各国 の王 や 長 者 をはじ
おお
ひと
あお
した
ねた
しゃくそん
め、多 くの人 びとから仰 ぎ慕 われていることを 妬 み、釈 尊 をおとしいれようとさまざ
かくさく
しゃくそん
いのち
うば
がけ
しゃくそん
おおいわ
お
まに画策 しました。また、 釈 尊 の 命 を奪 うため、崖 から 釈 尊 めがけて大岩 を落 とし
おお
お
き
あら
きょぞう
さけ
の
おそ
て大 けがを負 わせたり、気 の荒 い巨象 に酒 を飲 ませて襲 わせたこともありました。
とうじ
ぶっきょう
しんぽう
ひと
だい ば だ っ た
ぎゃくぞく
だいあくにん
み
当時 、 仏 教 を信奉 する人 びとは、提 婆 達多 を 逆 賊 、大悪人 と見 ていました。とこ
しゃくそん
おおぜい
で
し
まえ
おどろ
かた
ろが 釈 尊 は、大勢 の弟子 たちの前 で、 驚 くべきことを語 るのです。
『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経提婆達多品第十二
ぜんちしき
善知識
しゃくそん
じぶん
か
こ
よ
はなし
釈 尊 は、はじめにご自分 の過去 の世 の 話 をなさいます。
か
こ
よ
しゃくそん
くに
おう
しんじつ
おし
さいこう
さと
ひと
つか
もと
つづ
過去 の世 において 釈 尊 は、ある国 の王 でしたが、真実 の教 え・最高 の悟 りを求 め続
おし
と
ひと
いっしょう
けていました。教 えを説 いてくれる人 があれば、一 生 のあいだその人 に仕 えようとも
こうげん
公言 していました。
ひとり
せんにん
おう
まえ
あら
わたし
ひと
すく
おし
あるとき、一人 の仙人 が王 の前 に現 われ、「 私 はすべての人 を救 う、すぐれた教 え
し
おう
わたし
い
したが
と
を知 っています。もし王 さまが 私 の言 うとおりに 従 うなら、それを説 いてあげまし
い
おう
せんにん
つか
き
み あつ
みず
まき ひろ
ょう」と 言 いました。王 はすぐに仙人 に仕 え、木 の実 集 め、水 くみ、薪 拾 いをはじめ、
せんにん
すわ
み
おう
ち
こしか
か
おし
き
仙人 の座 るものが見 つからなければ、王 が地 にはって腰掛 けの代 わ り に な りまし た 。
なんねん
つか
おう
さいこう むじょう
このようにして何年 も仕 えるうちに、王 は最高 無上 の教 えを聞 くことができたので
す。
しゃくそん
か
こ
よ
はなし
お
わたし
ほとけ
さと
え
か
こ
よ
釈 尊 は、過去 の世 の 話 を終 えたあと、「 私 が 仏 の悟 りを得 たのは、過去 の世 のそ
しゅぎょう
ひと
えん
せんにん
だい ば だ っ た
ぜんしん
うした 修 行 が一 つの縁 となっているのですが、じつは、その仙人 は提 婆 達多 の前身 な
わたし
だい ば だ っ た
ぜん ち しき
よ
ゆうじん
え
ほとけ
のです。 私 は、提 婆 達多 という善 知 識 (善 い友人 )を得 たおかげで 仏 となることが
だい ば だ っ た
なが
しゅぎょう
できたのです」とおっしゃいました。そして、
「提 婆 達多 は、これから長 いあいだ 修 行
はげ
かなら
ほとけ
じょうぶつ
ほしょう
じゅ き
あた
に励 めば、 必 ず 仏 となることができるでしょう」と 成 仏 の保証(授 記 )を与 えられ
たのです。
で
し
こえ
だ
おどろ
弟子 たちは、声 も出 せないほどに 驚 きました。
だいあくにん
ほとけ
《まさか、あの大悪人 が 仏 になれるなんて……》
しゃくそん
かえ
と
ぶっしょう
ひと
むね
釈 尊 は、これまでにくり返 しお説 きになられた「 仏 性 」ということを、人 びとの胸
つよ
いんしょう
だい ば だ っ た
れい
も
に強 く 印 象 づけるために、提 婆 達多 の例 を持 ち出されたのです。
しん
で
し
げんしょう
くう
こてい
はじめはまったく信 じられなかった弟子 たちも、
「 すべての 現 象 は空 である。固定 し
みかた
あやま
おし
おも
お
かんが
しゃくそん
せっぽう
た見方 は 誤 りである」という教 えを思 い起 こし、考 えをめぐらすうちに、釈 尊 の説法
しんい
の真意 がしだいにわかってきました。
げんしょう
あら
にんげん
おくそこ
おな
ほとけ
「 現 象 として現 われた人間 のすがたはさまざまだけれども、その奥底 には同 じ 仏 の
やど
ぼんぶつ
あら
ほんぶつ
い
ちから
いのちを宿 している。みんな本仏 のいのちの顕 われなのだ。つまり、本仏 の生 かす 力 ・
じ
ひ
びょうどう
う
おお
ひと
ぼん のう
ふ
まわ
慈 悲 をすでに 平 等 に受 けているんだ。けれども多 くの人 は煩 悩 に振 り回 されることで
みずか
じかく
さと
ほんぶつ
じ
ひ
かん のう
じぶん
自 らの自覚(悟 り)をくらまし、本仏 の慈悲 に感 応 できないでいる。だから、自分 の
ほんしつ
ぶっしょう
き
ぼんのう
ちょうぎょ
ぼんのう
本質 が 仏 性 であることに気 づき、煩悩 をよく 調 御 (コントロール)し、また 煩悩 そ
ぜん
ちから
か
どりょく
みずか
ほんしつ
かんぜん
め
ざ
のものを善 の 力 に変 えていく努力 をすれば、自 らのいのちの本質 が完全 に目覚 めて、
『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経提婆達多品第十二
ほとけ
だれもが 仏 となることができるんだ」
で
し
だい ば だ っ た
じゅき
あた
せっぽう
じぶん じしん
もんだい
なお
弟子 たちは、提 婆 達多 に授記 を与 えられた説法 を自分 自身 の問題 としてとらえ直 す
ひと
ほとけ
かくしん
え
しゃくそん
おし
とうと
ことができたために、すべての人 が 仏 になれるという確信 を得 て、釈 尊 の教 えの 尊
ふか
かんめい
う
さに、深 い感銘 を受 けたのでした。
だい ば だ っ た
しゃくそん
と
か
きょうだん
ぼんのう
提 婆 達多 は、
「 釈 尊 に取 って代 わって 教 団 のトップになりたい」という煩悩 にとら
ぼんのう
こうどう
ぼんのう
しゃくそん
おな
ひと
われて、煩悩 のままに行動 しました。しかし、その煩悩 を「 釈 尊 と同 じように人 びと
すく
ほうこう
か
ちから
はっき
を救 おう」という、よい方向 に変 えれば、すばらしい 力 を発揮 できたはずです。これ
ぼん のう そく ぼ だい
たが
ひ
せいかつ
かえ
ふか
が「煩 悩 即 菩 提 」ということです。お 互 いさまに日 ごろの生活 をふり返 り、深 くかみ
おし
しめておきたい教 えです。
ぎゃくえん
まな
逆 縁 に学 ぶ
しゃくそん
だい ば だ っ た
ぜんちしき
よ
だい ば だ っ た
しゃくそん
じしん
釈 尊 は、提 婆 達多 を善知識 と呼 ばれました。 提 婆 達多 のおかげで、 釈 尊 ご自身 が
さと
ふか
かんしゃ
じぶん
ますます悟 りを深 めることができたのだと感謝 されているのです。すなわち、自分 の
つごう
わる
つら
で き ご と
ぎゃくえん
そうぐう
にんげんてき せいちょう
かて
都合 の悪 いことや辛 い出来事 ( 逆 縁 )に遭遇 したとき、それを 人間的 成 長 の糧 とし
しょうか
たいせつ
おし
わたし
みずか
て 消化 していくことの 大切 さを 教 えてくださっているのです。 私 たちが「 自 らの
せいちょう
こうじょう
こんぽんてき
ねが
も
い
し
とも
成 長 ・ 向 上 」という根本的 な願 いを持 って 生 きていくうえでは、よき師 、よき友 、
しょ
よろこ
えん
じゅんえん
もと
つづ
たいせつ
よき書 といった 喜 ばしいご縁 ( 順 縁 )を求 め続 けることが大切 です。そして、たび
しょう
ぎゃくえん
わたし
ましょうめん
う
たび 生 じる 逆 縁 をも、 私 たちは 真正面 から受 けとめていきましょう。そこにある、
おお
まな
かなら
はっけん
じ
ひ
み
ほとけ
そんざい
はだ
大 きな「 学 び」が 必 ず発見 できます。そのとき、慈悲 に満 ちた 仏 さまの存在 を、肌 で
かん
感 じることができるでしょう。
『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経提婆達多品第十二
事例から学ぶ
じれいへん
かくほん
こ
おし
わたし
ひ
び
せいかつ
事例編 では、各品 に込 められた教 えを、 私 たちが日々 の生活 のなかで、どのように
い
ぐたいてき
じれい
かんが
生 かしていけばよいかを、具体的 な事例 をとおして 考 えていきます。
鈴木さん一家プロフィル
おばあちゃん・ミチコさん(75)…佼成会の青年部活動も経験している信仰二代目会員
アキオさん(45)…一家の大黒柱。ミチコさんの末息子
アキオさんの妻・夕カエさん(38)…婦人部リーダー。行動派お母さん
長女・ケイコさん(16)…やさしい心の持ち主の高校一年生。ブラスバンド部
長男・ヒロシくん(9)…元気いっぱいの小学三年生
ちゅうがっこう
せんぱい
中 学 校 の先輩
こうこう に ね ん せ い
ぶ
しょぞく
せんげつまつ
しちにん
高校 二年生 のケイコさんはブラスバンド部 に所属 しています。先月末 までに、七人
いちねんせい
にゅうぶ
こうはい
す ず き せんぱい
よ
なん
て
の一年生 が入部 してきました。 後輩 から「鈴木 先輩 」と呼 ばれると、何 だか照 れくさ
かん
しんにゅう ぶ い ん
むか
じ
き
い感 じがします。そんなケイコさんには、 新 入 部員 を迎 えるこの時期 になると、ある
で き ご と
おも
お
出来事 が思 い起 こされるのでした。
ちゅうがく
にねんせい
しんきゅう
とし
すいそうがくぶ
それは 中 学 のときのことです。ケイコさんが二年生 に 進 級 したその年 、吹奏楽部 に
しんにゅう ぶ い ん
さんにん
はじ
こうはい
そんざい
はんめん
や
は 新 入 部員 が三人 しかいませんでした。初 めてできた 後輩 の存在 がうれしい半面 、辞
おも
さんにん
だいじ
められてはたいへんという 思 いから、ケイコさんは 三人 をとても大事 にしました。
いちねんせい
やくわり
ぶしつ
そうじ
がくふ
てつだ
れんしゅうご
一年生 の役割 である部室 の掃除 や楽譜 のコピーを 手伝 ったり、練習後 もおしゃべりを
じぶん
どりょく
したりと、自分 なりの努力 をしていたのです。
ばん
さんねんせい
す い そ う が く ぶぶちょう
せんぱい
でんわ
ある晩 、三年生 で吹奏楽部 部長 のアカネ先輩 から電話 がかかってきました。
しんにゅうせい
あま
しんじん
いちねんせい
たいど
しごと
「あなたが 新 入 生 に甘 くしているから、いつまでも新人 に一年生 としての態度 や仕事
み
せんぱい こうはい
ぶ ぜんたい
とうせい
みだ
が身 につかないじゃない。先輩 後輩 のけじめをつけないと、部 全体 の統制 が乱 れるの。
えんそう
えいきょう
およ
それがひいては、演奏 にも 影 響 を及 ぼすのよ」
せんぱい
きび
くちょう
かえ
ことば
先輩 の厳 しい口調 に、ケイコさんは返 す言葉 がありませんでした。しかし、ケイコ
ぶ
かんが
こうどう
さんにしてみれば部 のことを 考 えて行動 しているつもりでしたから、とてもショック
でした。
せんぱい
にがて
ふたり
かんけい
それからというもの、すっかりアカネ先輩 が苦手 になり、二人 の関係 はぎくしゃく
『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経提婆達多品第十二
したものになってしまったのです。
せんぱい
先輩 がいたからこそ
せんぱい
にがて
「そんなこともあったわね。ケイコは、いまもアカネ先輩 のことが苦手 ?」
がっこう
かえ
ははおや
だいどころ
か
し
た
はな
学校 から帰 ってきたケイコさんと母親 のタカエさんが、台 所 でお菓子 を食 べながら話
しています。
びみょう
かん
「うん。微妙 な感 じ」
ちゅうに
かあ
い
「そうだ、ケイコが中二 のときにお母 さんが言 ったことを覚えてる?」
わたし
せんぱい
い
げんいん
「うん。 私 にも先輩 から言 われるだけの原因 があったんじゃないかしらっていうこ
わたし
かあ
い
わたし
ぶ
とでしょう?あのとき 私 は、お母 さんにそう言 われてショックだったのよ。私 は部 の
そんぞく
かんが
しんじん
たいせつ
しんじん
ぜったい
あま
存続 のことを 考 えて新人 を大切 にしていただけで、新人 を絶対 に甘 やかしてはいなか
げん
えんげきぶ
に ね ん れんぞく
しんじん
はい
はいぶ
ったんだから。 現 に演劇部 は、二年 連続 で新人 が入 らなくて、廃部 になってしまった
のよ」
かあ
せ
い
「お母 さんは、ケイコを責 めてそう言 ったんじゃないのよ」
せんぱい
ごかい
わたし
「うん、いまはわかってる。アカネ先輩 は誤解 していたのよ。あのとき 私 がどうい
き
も
しんじん
せっ
き
う気持 ちで新人 と接 していたかを、聞 いてくれればよかったのに」
おとな
じぶん
あいて
ごかい
れいせい
かんが
「ケイコも、だんだん大人 になってきたね。自分 が相手 に誤解 をさせたと、冷静 に 考
えられるようになったんだ」
ごかい
わたし
「うん誤解 させたのは、たしかに 私 なんだよね」
さんねんせい
ぶちょう
えら
ぶちょう
「そういえば、ケイコは 三年生 になって 部長 に選 ばれたじやない。ケイコの 部長 と
ひょうか
けっこう たか
やくいんかい
い
しての評価 は、結構 高 かったよね。PTAの役員会 でも、よく言 われたもの」
おお
「みんな大 げさなのよ」
ぶちょう
いちねんせい
ぶいん
「そうそう。ケイコが部長 のとき、一年生 の部員 にマユミちゃんっていたじゃない。
き
こ
ゆいいつ
い
ものすごく気 むずかしい子 だったわよね。あのマユミちゃんが、唯一 ケイコの言 うこ
すなお
き
がっこうじゅう
ゆうめい
はなし
とだけは素直 に聞 くって、学 校 中 の有名 な 話 だった」
あ
かのじょ
はなし
き
だいじ
「マユミちゃんとつき合 うには、彼女 の 話 をしっかりと聞 いてあげることが大事 な
き
はなし
き
のよ。こちらが聞 いてあげないから、マユミちゃんもこちらの 話 を聞 いてくれなくな
るの」
にんげん かんけい
き
び
まな
せんぱい
「ケイコは、どこでそんな人間 関係 の機微 を学 んだの?もしかして、アカネ 先輩 か
ら?」
わたし
せんぱい
にがて
そんけい
せんぱい
すがた
「まあね。 私 はアカネ先輩 が苦手 だったけど、尊敬 はしているの。アカネ先輩 の 姿
み
ぶちょう
やくわり
ぶいん
ひ
ぱ
を見 て、部長 としての役割 っていうのかな、部員 をどう引 っ張 っていったらいいかと
『経典』に学ぶ∼妙法蓮華経提婆達多品第十二
よさん
せっしょう
かいけつ ほうほう
ひつよう
まな
か、予算 の 折 衝 やトラブルの解決 方法 など、リーダーとして必要 なものを学 ばせても
おも
らったと思 っているの」
せんぱい さまさま
「そうなんだ。じゃあ、アカネ先輩 様々 だね」
いちじ
にく
おも
とき
かげ
「そうね。一時 は憎 らしいと 思 ったこともあったけど、 時 がたつにつれ、お 陰 さま
おも
って思 えるようになったの」
ぶっきょう
よ
なか
なに ひと
おし
「 仏 教 では、この世 の中 にむだなものは何 一 つとしてないと教 えているの。すべて
で き ご と
ほとけ
せいちょう
ねが
げんしょう
しょう
の出来事 は、仏 さまがその人によりよく 成 長 してほしいと願 われて、現 象 として 生
ほとけ
せんぱい
そんざい
じんせい
じているのよ。だからケイコには、 仏 さまがアカネ先輩 という存在 をとおして、人生
べんきょう
ふか
じ
ひ
おも
で き ご と
あた
の 勉 強 をしてほしいために、深 い慈悲 の思 いからあの出来事 を与 えてくださったんだ
おも
と思 うわ」
ちゅうに
せんぱい
きび
い
かた
わたし
ぶ
「そうね。中二 のあのとき、アカネ 先輩 が厳 しい言 い方 をしてくれたから、私 が部 の
だいじ
かんが
ひと
き
ことを大事 に 考 えていたとしても、独 りよがりではいけないっていうことに気 づくこ
とができたんだもの」
「ほんとう?」
き
いっ
げつ
なに
「うん。そこに 気 づくのに一 か月 ぐらいかかったけどね。リーダーシップとは 何 か
み
しめ
せんぱい
わたし
ぶちょう
を身 をもって示 してくれた先輩 がいなかったら、私 が部長 になっても、みんなのすべ
き
も
すべ
ぶいん
き
も
気持 ちをつかむ術 もわからず、部員 がバラバラの気持 ちでいたかもしれないと、いま
おも
はほんとうにそう思 えるのよ」
にがて
あいて
じぶん
たか
ほとけ
つか
「苦手 な相手 こそ、自分 を高 めてくれる 仏 さまの遣 いなのね」