目 次

目 次
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はじめに
第一
現代フランスに見られる﹁文学﹂再考の動き
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3
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文学のために
﹁理論の魔﹂の軌跡を追って
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40
Ⅰ 理論の見地から
﹁共通の感覚﹂に導かれた文学の尊厳
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第一章 カルロ・オッソラ
文学の﹁危機﹂と再生力
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第二章 ウイリアム・マルクス
理論至上主義から人間救済の文学へ
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第三章 ツヴェタン・トドロフ
第四章 アントワーヌ・コンパニョン
xiii
53
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第五章 ジャック・ブーヴレス
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ク
= レジオ
文学上の﹁影響﹂の内実
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﹁あまり書かない﹂文学者も立派に存在しうることについて
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ジ
= ャック・オリガス
﹁共感﹂にもとづく文学の存在理由
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Ⅱ 教育と研究の現場
第六章 ジャン
﹁発見の驚き﹂に根ざす文学研究
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第七章 エマニュエル・ロズラン
第八章 ロジェ・ファイヨル
マ
= リ・ル
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現実を粗々しく抱きしめる詩人の役割
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文学研究は﹁一生の事業﹂に足るか
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Ⅲ 創作家の立場
第九章 ジャック・ルーボー
﹁証人﹂に徹する作家の使命
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フランスで読む日本文学
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重層をなす﹁読み﹂の楽しみ
第十章 ジャン
第二
第一章 アンドレ・ジッドと永井荷風
189
166
149
134
112
93
72
xiv
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創作の源泉としての読書
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第二章 ウイリアム・ブレイクと大江健三郎の﹁美しい月﹂
バルト・小林秀雄・本居宣長・紫式部を通じて﹁作者﹂を追う
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213
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﹁現実﹂を読む﹁私小説﹂作家
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自然を読む科学者と詩人
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西善蔵における﹁わたくし﹂と﹁おおやけ﹂ ︰︰︰︰︰︰︰︰︰︰︰︰︰︰ 第三章 重層をなす﹁読み﹂の楽しみ
第四章 第五章 小林秀雄と自然科学
個に徹する読みから表現の普遍性へ
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﹁日本のプルースト﹂から﹁フランスの紫式部﹂へ
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と日本語の﹁作品﹂のあいだで
lʼœuvre
共通の基盤のために
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文学は言語の壁を超えられるか
第六章 グローバリゼーションに対する森有正の観点
第三
第一章 フランス語の
第二章 フランス語に﹁拷問される?﹂日本文学
第三章 フランス語圏における﹃源氏物語﹄の受容
xv
224
251
244
262
297 279 275
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﹁母語﹂をめぐる小林秀雄と森有正の選択
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﹁読む歓び﹂と﹁原典礼賛﹂ ―
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第四章 フランス語圏における日本近代文学研究の現状
第五章 知と血と言葉と
跋にかえて 初出一覧 339
343
319
307
xvi
現代フランスに見られる﹁文学﹂再考の動き
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第一篇 文学のために
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第 1 章 カルロ・オッソラ
Ⅰ 理論の見地から
﹁共通の感覚﹂に導かれた文学の尊厳
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第一章 カルロ・オッソラ
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第二次世界大戦が終わって六十年、世界各国で記念事業が相継ぐ。昨二〇〇四年のヨーロッパでは、
かつての対独連合国の首脳たちに今回はじめてドイツからも現職の首相が加わって、連合国軍のノルマ
ンディー上陸に始まるナチスからの解放を盛大に祝い、今年に入ってからは強制収容所アウシュヴィッ
ツの解放記念も厳粛な雰囲気でおこなわれた。その一方ドイツでは、連合国軍の空爆によるドレスデン
の徹底的破壊を思い起こすなど、六十周年記念は、現在の政治家たちの思惑や計算が絡んでいるにせよ、
誠実な民意の次元でも、深い反省と新たな決意の確認として、進められて来た。わずか六十数年前にい
わゆる先進文明国が全力をあげて遂行した途轍もない殺戮と破壊。人間性の陰に潜むそのような悪が数
十年ののちにすっかり拭い去られたとはとても思えないが、逆に、まさに﹁悪﹂の根強さを認識する度
合いに応じて、そのような恐るべき自己から脱却しようと願う真摯な努力が、具体的な欧州連合形成の
3
第 1 篇 文学のために
︶
4
過程にはひしひしと感じられるのである。統一通貨ユーロを実現して数年、いまや加盟国は二十五か国
に及び、参入希望国は、トルコ、ウクライナに至るまで押すな押すなの盛況、現在提案されている欧州
憲法の成否は、フランスの国民投票の状況に見られるように、まったく予測を許さないにしても、経済
的共通基盤のうえに政治的共同体としての性格を強化しつつあるヨーロッパは、単に、近代兵器が発達
︵
しすぎて、たとえばフランスとドイツの武力抗争が不可能になった、というだけのことではない。第二
を偲ぶ発言や催しが相継いでいるのもその顕れである。もちろん、回顧展などはいつでもどこでもある
るこの分野でも、フランスでは、昨今、いくつかの区切りが想起され、記念されている。ジャン ポ
=ー
ル・サルトルとレイモン・アロンの生誕百年、ロラン・バルトの没後二十五年など、時代を画した人々
類全体の文明史を方向づける重く深い流れのなかで、﹁人間﹂の生き方にもっとも本質的な水位で関わ
回顧と反省のうちにヨーロッパ文明の基盤を再確認し、将来の展望を切り開こうという動きは、この
ような政治現象にとどまらず、文学・思想の分野でも強く感じられる。実際、ヨーロッパのみならず人
文学・思想界の動き
ている。
に強調され、今日も便乗者のいる﹁東洋の叡智﹂などというものがいかに当てにならないかも歴然とし
痛いほど強く感じられる。日本には、いろいろな意味でツケが回ってきているのだ。また、かつて盛ん
がアジアのなかで、とくに中国や韓国・北朝鮮との関係において、惨憺たる状況にあることを思うと、
次世界大戦への反省と再生への強い持続的希求とがもたらした成果なのである。このことは、現に日本
1
第 1 章 カルロ・オッソラ
ので、何事もイヴェントとして企画し売り出さなければ人の注意を引かない現代大衆文明の風潮と言っ
てしまえばそれまでの話であるが、そうとばかりは言えない時代の節目、回顧と再生のときとしての性
格も確かに感じられる。
輝かしい一時期
四十年前に、私がパリで生活しはじめた当時、フランスの思想界、文学界は、新しい読み方、斬新な
認識方法の次々に提唱される活気に満ちた時代、実に輝かしい改革の一季節にあった。ジャン ポ
=ー
ル・サルトル、フランソワ・モーリヤック、アンドレ・マルロー等の円熟した哲学者や作家が文学の創
作よりも直接に政治の問題に関わっていくかたわら、強烈な批評精神を備えた知識人が、それまでの認
識プロセスに叛旗を翻し、あたらしい価値基準をひっさげて続々と登場する様は目を見張るほど生き生
きしていた。その頃、パリのカルチエ・ラタンというごく狭い空間には、文学研究の面で、また人文・
エコル・ノルマル・シュペリユール
社会科学の諸分野で、それぞれに魅力のある知的革新を推し進める学者たちがひしめいていた。私の留
学していたパリの 高 等 師 範 学 校 では、ルイ・アルチュセールやジャック・デリダの姿に接することが
できたし、その一隅の大教室では異様に熱気のこもるジャック・ラカンのゼミも開かれていた。パンテ
ゼチュード
ス
=ト
オンを挟んで、北に数百歩行けば、コレージュ・ド・フランスで、やがては、ミシェル・フーコー、ロ
オート
ラン・バルト等の公開講義が聞けるようになったし、その脇の高等研究院ではクロード・レヴィ
ロース等が教鞭を振るっていた。
しかも、伝統的な文学研究はコレージュ・ド・フランスから通り一筋隔てたソルボンヌを中心になお
5
・
第 1 篇 文学のために
健在であったし、図書館や国立古文書館に行けば、実証的な文献研究に余念のない老若男女の研究者た
ちが、連日、席をあらそい、驚くほどの忍耐力を発揮して、手書きの史料や古今東西の書物と朝から晩
までじっと対面しているのだった。
その一方、一九六八年のいわゆる五月革命の大爆発をはさんで、人間の生き方を根本から問い直し実
際に社会改革をめざす﹁政治的﹂な関心は、陰に陽に活力を発揮し、ソルボンヌのおもおもしい建物か
ら 東 に 二、
三百歩行けば、政治集会によく使われるミュチュアリテ会館があり、反戦集会の演壇に立つ
サルトルの濁声がスピーカーを通じて場外まで聞こえてくる、そんな時代であった。
このような思い出をことさらに述べるのは、自分がその時代にパリに生きたことを懐かしみ、わが青
春のカルチエ・ラタンを謳いたいなどということではない。私が言いたいのは、ただひとつ。当時から
数十年にわたって、文学をはじめ様々な分野における人間の営みを読み解く﹁理論﹂として強力に世界
の知識人に働きかけ、影響を与え、かつ多くの亜流を生み出し弊害をも引き起こした思想が、まったく
あたりまえのことながら、起源においては生き身の個人に支えられ、一人一人の人間の生存に直結した
根源的疑問と情熱とから生まれ出てきたことなのである。実際、神の死に続いて、ユマニスムは死んだ、
人間は死んだ、作者は死んだ、ある個人の心情に色濃く染められたはずの詩や小説も、作者のイデオロ
ギーを刻された﹁作品﹂としてではなく、書き手の心理などは脱した言語自体の機能発揮の場として、
つまりは﹁テクスト﹂として読め、書き手よりは読み手こそが、テクストの意味作用を十全に発揮させ
るのだ、等々と提唱する人たちも、よく見れば、なんとも人間臭い面構えをしていたのである。私が、
はじめは漠として、四十年後の今はほぼ確信をもって感じるのは、ひどく原始的な表現になるが、はじ
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第 1 章 カルロ・オッソラ
ことば
︵ ︶
め に﹁人﹂あ り き、と い う こ と な の で あ る。
﹁はじめに言があった﹂と言わずにいられなかったのも、
ほかならぬ人間なのだ。
反省の時
︵ ︶
ダイモン
生きたここ四十年の思潮を、とくに一九七五年までの比較的短い時期を中心に、整理し解明した良書で
文学と常識﹄
︵ Antoine COMPAGNON,
まず、アントワーヌ・コンパニョンの﹃理論の 魔 は、著 者 自 身 が 情 熱 を も っ て
︶
, Paris, Editions du Seuil, 1998, 311 pages
よう。
つくようになった。そのような論述はいくつもあるが、ここでは特に私の興味をひいた二冊の本をあげ
そして、ここ数年来、一九六〇年代からの大きな動きを総括して将来への足がかりを求める著作が目に
= トロースをのぞいて、いまや皆、故人になった。私
四十年の後、右に名を引いた人々は、レヴィ ス
自身も数十年にわたるフランスとスイスでの教師生活の後、静かに来し方行く末を思う年齢に達した。
2
﹁作者﹂が
ある。著者によれば、この時期の特徴は、様々な﹁文学理論﹂と﹁常識﹂の抗争であった。
作品の意味を決定する権限を持つとする常識、
﹁世界﹂が作品の題材であるという常識、﹁読む行為﹂を
作者と読者のかわす対話とする常識、
﹁文体﹂を書きざまの選択とみなす常識、
﹁文学史﹂を大作家の威
風堂々と連なる聖なる行列と考える常識、﹁価値﹂を文学的規範に基づく客観的なものと考える常識、
これらにもろもろの理論が揺さぶりをかけた。しかし、常識は抵抗し、対立は激越なものになった。そ
の総括として何が言えるのか、何を言わなければならないのか。これが、文学論の流れを歴史的に整理
7
3
第 1 篇 文学のために
することに秀でたコンパニョンが本書に課した主題である。
その結論において、コンパニョンは﹁理論﹂の神話を剥ぎ取ることができたであろうかと自問した後、
次 の よ う に 言 う。
﹁批評を批評し、文学研究を評価することは、その適合性、首尾一貫性、豊かさ、複
雑さを評価算定することである。おそらくこれらの基準はどれひとつとして理論的研磨には耐えないだ
ろうが、それでもいちばん議論の余地の少ないものである。民主主義と同じで、批評の批評は、体制の
なかでいちばん欠点の少ないものである。私たちには、どれがいちばんよい体制なのかわからないが、
ほかの体制がもっとひどいことは疑いようがない。それゆえ私は、数ある理論のなかでどれかひとつを
弁護するようなことはしなかったし、常識を擁護することもしなかった。擁護したのは、あらゆる理論
の批判であり、そこには常識の批判も含まれていた。困惑こそ、文学のただひとつの倫理なのである﹂
︵原書、二八三頁、邦訳書、三〇六頁︶
。
ここに言われるような﹁常識﹂がそのように確固たるもので、それほどに徹底した攻撃を受けるに値
するかどうかという疑問を当時からいだき、文学とは程遠い索漠とした文体で繰り広げられる理論めい
た文章の氾濫に悩まされた私としては、四十年たって下された喧嘩両成敗的なこの結論は、やや煮え切
らないと言いたくもなるが、西洋の文学観にはなんとしても一度は揺るがすべき﹁常識﹂が確かにあっ
たのだし、本物の﹁理論﹂のおかげで、それまで見えなかった実に多くのものを読み取り、それを整理
して伝えあうことが可能になったことも事実なのだから、常に批評の精神を働かせながら、取るべきは
取り、捨てるべきは捨てていく思考法はまっとうである。むしろ、そのような形で、ある種の常識、つ
まり﹁共通感覚にもとづく認識﹂が立ち戻ったことを喜ぼう。しかも、ここ数十年来の文学観の動きに
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第 1 章 カルロ・オッソラ
見られる一種純真なひたむきなやり方は、試行錯誤を経て、いかにも不器用ではあるが、終には自己を
超えることを可能にする西欧流の生きかたでもあるように思う。両次大戦の殺戮と破壊を経て、やっと
主要人物とパラダイム﹄
︵ Jean―
︶
で あ る が、
, Paris, Editions du Seuil, 2002, 245 pages
ク
= ロード・ミルネールの﹃構造の探険航路
共同体を作る、過去の行き過ぎをはっきり認識して、廃墟の上にあたらしい文明を作るのもおなじ精神
の働きである。
Claude MILNER,
次 に、言 語 学 者 ジ ャ ン
これはコンパニョンが文学理論の領域でした総括を、言語学者フェルディナン・ド・ソシュールを祖と
して、主に一九六〇年代からフランスで台頭し、嵐のように世界の知識界を席巻した﹁構造主義﹂の意
味を再考するかたちで実行している。
、
﹁価値﹂等々のテーマ別に再検討したのに対し、ここではまず主要人物、ソ
コンパニョンが﹁作家﹂
シュール、デュメジル、バンヴェニスト、バルト、ヤコブソン、ラカンを列伝のように扱い、最後に共
通点を探るパラダイムの章では、主にアルチュセールを取り上げる。ミルネールは言う。﹁全体をより
よく把握するためには、この研究プログラムを存在せしめた主体たちの個々の特殊性を認める必要があ
った。それは、次の点を承知していなければならないからである。構造を重視する研究プログラムは、
主体たちに先立って存在していたのではない。彼らは、それをどこかに見出したのではなく、それぞれ
に特殊な決意をすることによって、文字通り発明したのである。ある者は、と言って私はとくにソシュ
ールの場合を思うのだが、その途上において、まわりの世界は平穏であったにもかかわらず、孤独と混
﹂
︵同書、序
沌とに出会った。また別のものは、幸福に出会った、世界は瓦礫に覆われていると言うのに。
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第 1 篇 文学のために
。要 は、主 体 の 決 意 ・ 決 定 で あ り、あ る ひ と つ の 思 想 に よ っ て な さ れ た 賭 け が 契 機 に な っ て い
文 八 頁︶
る、と言うのである。
﹁反人間主義﹂とも規定される構造主義の再検討のうちにも、人間の影が次第に色濃く
こ の よ う に、
確 認 さ れ て い る こ と が、私 に は 興 味 深 い の だ。
﹁人間﹂と﹁常識﹂がかつての権威をもってそのまま復
活したというのではないが、すくなくとも、完全に排除されるのでなく、文明のありように関して根本
的な問いが発せられるに際して、再び考慮の対象になってきたことは確かであろう。
文学の尊厳を信じて
このような状況において、とくに私の注目するのは、コレージュ・ド・フランスにおいて﹁ネオ・ラ
テンのヨーロッパにおける近代文学﹂と題する講座を担当しているカルロ・オッソラの営みである。彼
はイタリアの出身で、ダンテを中心とするネオ・ラテン文学が専門であるが、ギリシア、ローマの古代
から、ヨーロッパ各国の近代・現代文学にいたる広い学識をもち、しかも単なる碩学として博識を誇る
のではなく、現代文明の置かれた状況に、強烈な問題意識をいだいた知識人である。文学および文学研
究のもつ根本的な﹁使命﹂を広くヨーロッパを舞台に再確認し、謙虚で着実な視点から文明史上におけ
る文学の役割にひとつの展望を開いている人物といってよい。その意味で、私がこの文章の冒頭で述べ
写す者と予言する者﹄
︵ Carlo OSSOLA,
―
たヨーロッパ統合への政治的流れを文学の次元で支え、より充実したヨーロッパ再建のために批判の目
を光らせているともいえよう。
﹃我 々 の 諸 起 源 の 将 来
こ こ で は、近 著、
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