ヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」の歴史的背景と ヴェルディオペラのなか

ヴェルディのオペラ「ドン・カルロ」の歴史的背景と
ヴェルディオペラのなかでの宗教性
今回わたしは「ドン・カルロ」の歴史的背景、つまり「ハプスブルグ家の人々」
という演題です。しかし“歴史的な話なら俺の方が良く知っているぞう“と 99%
聴講下さった方は思ったことでしょう。その通りです。
だが今日は只の歴史を喋るのではありません。
ヴェルディが 28 曲オペラを作曲した中でキーワードとして「ハプスブルグ家」
「神聖ローマ帝国、皇帝」「十字軍」等考えますと4番(12)、5番、8番、
14番、17番、18番、20番、24番そして25番と数多くあります。
その中でも 17 番目「リゴレット」は「ドン・カルロ」に繋がる歴史上の人物の
作品であります。
フィリッポ2世の父親カルロス1世(5世)とフランソワ1世との敵対、そし
て確執。これは「リゴレット」の冒頭、リゴレットの台詞、
“お殿様の好みは色
と酒と戦争”と歌います。この戦争こそがカルロス1世(5世)との戦いです。
戦いは4回戦い3勝1引き分けでカルロス1世(5世)の圧倒的な勝利です。
これに腹をたてたフランソワ1世、ローマ教皇と結託「神聖ローマ皇帝」に立
候補します。慌てたカルロス1世(5世)、7人の選帝侯に賄賂攻め、しかし、そ
の賄賂の資金捻出のため多額の借金をアウグスブルグのフッガー家にし、見返
りに「免罪符」の独占販売を許可します。
(ルターはこれに反対して宗教改革を
始めた)そしてやっと皇帝の座につきます。しかし、腹の虫が治まらないカル
ロス1世(5世)、ローマへ進軍、世に悪名を轟かしたローマ掠奪(1527 年)、教皇
を恐怖のどん底へ。そんなことで神聖ローマ皇帝の戴冠式はローマではなく、
結局ボローニャで執り済ませた。
それからフランソワ1世を父に持つアンリ2世はメディチ家創始者コジモの孫
娘カテリーナと結婚、長女として生まれたエリザベッタ。フィリッポ2世の嫡
男として生まれたドン・カルロス(母親はポルトガル王女マリア)、エリザベッ
タとドン・カルロは同じ年に生まれ、父親同士の講和により婚約しますがフィ
リッポは此の時すでに妻マリアを産褥により失い独り身であった。
ドン・カルロが五体不満足で有ったのは周知の通りでありますが、頭、頭脳が
どの程度であったのか極めて重要なところであります。父親フィリッポ2世に
逆らってでもフランドルへ救援に行く意思が働いたかどうか、と言う能力の疑
問です。歴史上はその反逆罪で牢獄に幽閉され一生を終えます。
しかしわたしは違うと疑問視いたしております。
ある日カルロス5世が城内でドン・カルロ、孫とばったり対面いたします、も
ともと、カルロスという名前はカルロス5世が自分の名前を孫に与えた名前で、
立派な王になるようにと期待し、付けたものであります。
しかしその対面時、孫カルロの言動を聞き、見て、できそこないの孫に幻滅を
感じ、孫を見捨てるわけです。つまり反逆したのではなく、どうしようもない
能無しの、病気の息子をフィリッポは幽閉したのであり、世間体の問題もあり
ハプスブルグ家の歴史改ざんであると思います。
フィリッポ2世とエリザベッタとの結婚問題は、上述のようなカルロより、エ
リザベッタはフィリッポ2世と結婚した方が幸せだったようで、フィリッポ2
世は終生非常に可愛がり贅沢三昧を許していたと言うことです。
シラーの原作は五体満足で非常に有能な皇太子として登場いたします。
そしてフランドルを救援するために父フィリッポ2世に嘆願しますが叶えず、
また、許嫁エリザベッタまで取られて親子の確執が頂点となり、カルロは堪忍
袋をぷっつり切り、あわや城内で刃傷沙汰になるところをロドリーゴが中に入
りその場を治めますが、ついにフィリッポ2世は宗教裁判長の裁断を仰ぎます。
しかしシラーはドン・カルロを死なすわけには参りません。そこで一計を試み
終幕間際カルロス5世により救助の手が差し出され廟へと引きずり救助されま
す。このカルロス5世の亡霊のヒントは「ハムレット」から魂を貰ったとシラ
ーは告白いたしております。
スペイン・ハプスブルグ家(神聖ローマ帝国)の最大の汚点
キリスト教・ドグマによる異端審問については触れなければなりません。今回
の「ドン・カルロ」の大きなテーマですから。しかし昨今「ネット」で「異端
審問」と探索すれば、直ぐに欲しい結果がでてきます。
ここで重要な事は、この異端審問は純粋に宗教的取り締まり、つまり表面上カ
トリック信者を装い、その実カトリックでは無い、という人々への取締であっ
たのです。それが、だんだん政治的になり異教徒(ユダヤ教、プロテスタント、
イスラム教)たちへの弾圧に変わってゆき、特にユダヤ教徒への弾圧、資産没
収が常態化してゆくのであります。
結局、スペイン・ハプスブルグ家には何にも良いものがありません。結婚外交、
掠奪、侵略等で領土を拡張します。また、このカトリック・ドグマによる異端
審問、免罪符の独占販売許可、ローマ掠奪等、カトリック教会の一大汚点を後
世に残し、無茶苦茶します。
ヴォルテールは「神聖ローマ帝国」を神聖でもなく、ローマ的でもなく、そも
そも帝国ですらないと言っています。
またワーグナーは「ニュルンベルグのマイスタージンガー」の最終幕切れで
ハンス・ザックスに言わせています。
「神聖ローマ帝国は靄(もや)のごとく消
え去り、聖なるドイツの芸術がわれらの手にのこるでしょう」とアイロニー(比
喩、たとえ話)として使っています。
しかし、ハプスブルグ家にとって唯一絵画収集については歴代の国王たちは審
美眼(慧眼)の持ち主が多く、画家の起用、つまり宮廷画家としてマクシミリ
アン1世がデューラー、カルロス5世、フィリッポ2世のティツィアーノ。フ
ィリッポ3世、4世時代のグレコ、ベラスケス、ルーベンス等が活躍いたしま
す。
これらの画家が描いた名作の数々は後世において「プラド」は勿論のこと「エ
ルミタージュ」
「ルーヴル」等美術館の基礎になっていて唯一心救われるもので
あります。
次に「ドン・カルロ」を作曲した G・ヴェルディは敬虔なカトリック信者か?
ヴェルディは聖職者たちが大嫌いであった為、サンタ・アガータの屋敷に個人
の礼拝堂を設けていた。しかし妻ジュゼッピーナの話によると、この礼拝堂で
敬虔なる祈りを捧げている姿を見たことがない。と言っています。
ヴェルディは「運命の力」で、人は運命に逆らうことはできない。目に見えな
い運命の力が作用する。つまりこのことは自分の行い、業(ごう)→行為によ
って因果が生まれるのであり、決して神に起源を求め、イエス・キリストに従
って自ら苦しみを負うて、救済者その人との合一を求めて祈る,極めて他力で
は救済されない。と此の劇の最後は言っているのです。
アルヴァーロは不慮の事故と思っているがドン・カルロは父親殺しとして復讐
に燃え、執念でアルヴァーロを探しだします。アルヴァーロは世捨て人となり
修道院に入って神に祈り、安寧の日々を送るが二人の運命ははっきりしていま
す。目に見えない運命の力、業(ごう)により最悪な結果として決闘となる。ドン・
カルロはアルヴァーロに刺されて死ぬ。アルヴァーロは業(ごう)の重さに愕
然とし、自害する。
ヴェルディのこのような運命論的な考察がはじまったのは「ステフェーリオ」
(1850 年)から後の作品に多く見られます。
つぎにゲーテに宛てたシラーの書簡より(1795/08/17)
「キリスト教には至高なものに向かう素質が潜在していると思いますが、生活
におけるこの宗教の多様な現われが私に不快で悪趣味に思えるのは、偏にそれ
らが当の至高なものを表現するのに失敗しているからです。」と言っています。
カトリック教会(教皇)が中心となり、人種、社会、文化の別なく共通の価値
観、世界観で掌握、共同体を作っている。日常生活においてもこの箍(たが)
がかかり、ひとりひとりのおおらかな自由さが無視され、人間不信の方向へ進
む。
たとえばヴェルディは「ラ・トラヴィアータ」2幕でアルフレードの父親ジェ
ルモンが自分たちの都合で、息子との仲を解消するようにヴィオレッタに告げ
た場面。ヴィオレッタはジェルモンに「恵み深い神様は許して下さっても、あ
なた(世間)が許しませんのねぇ」悲痛な思いで決断を余儀なくされる。
ヴェルディとジュゼッピーナは 1848 年頃から同棲生活をしている。正式に結婚
するのが 1859 年 8 月でこの間約 11 年間、彼らはブーセットで因襲、中傷、嫌
がらせに悩まされます。
特にジュゼッピーナが教会に行くとほとんどの女性たちは“囲われ者の顔を見
たくない”と彼女が座っているベンチの四方は空席になる。といった嫌がらせ。
また“元歌手だって、二人の父なし児の母親だって、昔はいろんな男と噂があ
った女だって、それがヴェルディの旦那と同棲している・・・・”といったよ
うなひそひそ話。
ヴェルディはこのような因襲、中傷等の実体験から「トラヴィアータ」の題材
にしたことは周知の通りであります。
2015/09/06 錦職昭彦