生計一という概念 生計一の概念は自明であり、事実 認定の曖昧さ

2 1 3 生計一という概念
が両親を扶養控除の対象にすること
は認められるだろう。つまり、所得
控除の生計一は「扶養」を基準とす
る生計一なのだ。
生計一の概念は自明であり、事実
認定の曖昧さを残すとしても、立法
趣旨に遡った議論までは必要としな
い。それが税法の現場の認識だと思
う。しかし、これも探求してみれば
税法理論の奥深さを教えてくれる。
生計一概念が登場するのは、①親
族が事業から受ける対価(所得税法
5 6 条)、②所得控除(同法7 2 条
以下)、③小規模宅地の生計一(租
税特別措置法6 9 条の4 )の三つだ。
そして、①として、弁護士夫婦の
間で支払われた弁護士報酬について
生計一概念が議論されている(最高
裁平成1 6 年1 1 月2 日判決)。裁
判所は「必要経費にそのまま算入す
ることを認めると、納税者間におけ
る税負担の不均衡をもたらすおそれ
がある」ためと判示し、所得税法5
6 条を合憲と判断している。この判
例の評釈は、立法趣旨として、(a)
家族の間に給与を支払う慣行がない
こと、(b)恣意的な所得分割を許
すことになり、(c)支払いの事実
の確認に困難が伴うという3 つの理
由を掲げているが、これは違うのだ
と思う。
夫婦の財布は一つであり、1 つの
財布の中の支払いは認識できない。
これが所得税法5 6 条の立法趣旨で
はないか。だからこそ、同法5 6 条
は、親子であっても生計が別であれ
ば給与の支払いを認める。では、逆
に、同居するが、生計は別という概
念が存在するだろうか。仮に、親と
同居する子の場合だ。各々に別の財
布を持つだろう。しかし、この場合
も、同じ風呂に入る限りは財布は1
つ(生計一)とならざるを得ない。
生計一という言葉でも、①夫婦
(財布は1 つ)の生計一と、同居の
親子(財布は別だが、生計一)とい
う概念、②別居の親子(財布は別で、
生計も別で、扶養義務がある)場合
の生計一は立法趣旨が異なるのだ。
a 別居の親子 (財布は別で、生計別だが、
扶養義務がある)
b同居の親子 (財布は別だが、生計一)
c夫婦(財布は1 つ)
では、③の小規模宅地特例の居住
用宅地や事業用地についての生計一
概念は、どのように理解すべきか。
仮に、同居していなくても、仕送り
を続けていれば生計一なのか。これ
は異なるように思う。小規模宅地の
生計一は、同居から始まる生計一と
位置付けるべきだ。なぜなら、小規
模宅地特例は、あくまでも、被相続
人と同居していた者の居住を保護し、
被相続人の生活の糧になっていた事
業を保護するという立法趣旨がある
からだ。仮に、東京に住む家族につ
いて、息子が大阪に転勤中に相続が
開始した場合の居宅の保護であり、
実家の酒屋を手伝う息子が別居した
場合の事業の保護だ。
実務では、具体的な事例があり、
そこでの実感がある。だから、判断
を間違えることはないのだが、しか
し、「生計一」という言葉のみが一
人歩きすると判断を間違えてしまう
ことになる。立法趣旨に遡って理解
すべきは税法の基本だ。
しかし、「財布が1 つ」という立
法趣旨は同法5 6 条の場合に限り、
医療費控除や扶養控除等の所得控除
については採用できない理屈だ。仮
に、故郷の両親に仕送りをする場合
だ。この場合に財布が1 つとまでは
認定できないと思う。しかし、息子
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