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暮らしの
判例
消費者問題にかかわる判例を
分かりやすく解説します
国民生活センター 相談情報部
認知症高齢者への販売行為につき
意思無能力による契約無効が一部
認められた事例
本件は、認知症の高齢者が、約5年にわたって有名百貨店内の特定の売場で衣料品を
購入し続けた事案である。
裁判所は、当該売買契約の一部について意思無
原 告:X(消費者)
能力状態であったとして無効と判断したものの、 被 告:Y(百貨店)
売買契約が公序良俗に違反するとの主張は認めな
かった(東京地裁平成 25 年4月 26 日判決、『消費
者法ニュース』98 号 311 ページ)。
(Y の店舗での販売を委託さ
関係者:A
れたブティック)
B(Xの弟で、Xの成年後見人)
C、D(Xの妹)
E(A の担当者)
と診断された。同年8月末頃、X の弟 B と妹 C・
事案の概要
D は、Y の店舗に赴き、ブティック A の担当者
E に対し、X に商品を販売しないよう要請した。
百貨店等を営む Y は、ブティック A に対し、
Y が所有する婦人服等の管理、陳列、販売等を
E は、このことを上司に相談したが、上司は、
委託する方法により、商品を販売していた。
Y の顧客サービス担当者と相談したうえ、E に
対し、販売することは構わないと指示した。
X は、2006 年1月3日から 2010 年7月1日
までの間にブティック A において、何度にもわ
Xは、翌月の9月12日頃、ブティックAで、ジャ
たり、婦人服等 280 点(総額約 1100 万円)を
ケット 1 着を購入し、代金約8万円を現金で支
購入した(本件売買)
。X は、本件売買開始当時
払った。同月15日、Bは、Y の庶務課長に対し、
71 歳、独身の女性で、一人暮らしであった。
X に対する販売を止めるよう要請した。また、
2010 年8月、X は、大学病院で
「アルツハイ
その頃 Bは、Xに対する販売を止めるよう要請し
マー型認知症に罹患している。発症は5年前」
たにもかかわらず販売したことを Y に抗議した。
り かん
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2011年5月6日、X に対して成年後見開始の
めるには、これを認めるに足りる合理的な立証
審判がなされ、B が成年後見人に選任された。
が必要である。
このような状況で、X は、遅くとも 2005 年
2009 年8月以前の売買については、Xに意思
頃にはアルツハイマー型認知症に罹患しており、
能力がないと認めるに足りる合理的な立証がさ
本件売買契約は意思無能力の状態で行われたも
れていないから、無効とはならないが、2010
のであるから売買契約は無効であると主張し、
年8月の初診の時点で急激に悪化することは考
仮にそうでないとしても、E において、X のア
えられないため、遅くともそれ以降は X が意思
ルツハイマー型認知症による判断能力の低下状
無能力状態であったと判断しても不合理とはい
態を知っていたか、少なくとも知り得べき状態
えないことから、2009 年8月以降の X の購入
にあったにもかかわらず、自ら販売利益を得る
は意思無能力により無効というべきである。
ために過剰に婦人服等を販売した行為は、商品
⒉Y の行為の公序良俗違反性について
販売活動として社会的に許容される相当性を逸
最近の流通業界および百貨店等で高齢者に対
脱する行為であり、本件売買契約は公序良俗に
する対応や接客方法を学ばせることを社員教育
反し無効であるなどと主張して、不当利得返還
の一環としている動きがあるところ、Y 社内に
請求権に基づき、Y に対して、本件売買代金約
おいて特にそのような指導がなかったことは適
1100 万円の返還とこれに対する法定利息の支
切さを欠くといわれても致し方ないといえ、B
払いを求めた。
らから X に商品の販売をしないでほしい旨の要
請を受けながら、2010 年9月 12 日、Y が X に
対し商品を販売したことは、適切であったのか
理 由
疑問を持たざるを得ない。
⒈Xの意思無能力について しかし、E において X の状況を知りまたは知
2010 年 10 月1日付け診断書によれば、Xの
り得たと認定するに足りる証拠はないから、Y
病名は「アルツハイマー型認知症」と記載され、
の店員が、アルツハイマー型認知症により判断
付記に
「約5年前の発症と推定される。2010 年
能力等が衰えていた X に対して、そのような状
8月6日当院初診時
(略)
、高度の記憶障害を中心
況を知り、または少なくとも知り得べき状態に
とした認知機能障害を認める。現在は高度アル
あったとはいえないものというべきである。ま
ツハイマー型認知症である」
と記載され、2011
た、X の主治医の陳述書等に照らせば、E が年に
年3月4日付け診断書において、
「後見相当」
と
100 回以上 X と会話していながらその認知症を
の意見が付され、2011 年5月6日、Xについ
気づかなかったとしても不自然とはいえず、本
て成年後見開始の審判がなされたことが認めら
件売買契約が公序良俗に反するとはいえない。
れる。
以上により、X の請求を、Yに対し、本件売買
このことからすると、2010 年8月時点にお
いて、Xが意思能力を喪失していたといえる。
契約のうち 2009 年8月から 2010 年7月まで
しかし、このことから、2005 年時点において
の取引を意思無能力により無効とし、合計額約
Xの意思能力がなかったということにはならな
240 万円の返還とこれに対する法定利息の支払
い。アルツハイマー型認知症は時間の経過とと
いを求める限度で認容する。
もに知的機能障害が進行するものであるから、
2005 年時点においてXに意思能力がないと認
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が衰えていたXに対して、そのような状況を知
解 説
り、または少なくとも知り得べき状態にあった
意思能力とは、自己の行為の結果を判断でき
から行ったことであり、その能力を考慮するこ
る精神能力である。意思能力は、問題とされる
となく、自ら販売利益を得るために、過剰に婦
法律行為の種類、特に行為の複雑性や重大性の
人服等を販売したものであり、このような売買
程度によって異なり、その有無は個別に判断し
行為は、商品販売活動として社会的に許容され
なければならない。判例・学説上、意思無能力者
る相当性を逸脱する行為であり、公序良俗に反
の行為には法的効果が生じないとされている。
すると主張している。Xに対する販売行為の態
様が、この主張のとおりだとすると、これは、
意思無能力の原因には低年齢
(7歳程度以下
らんよう
と説明されることが多い)
のほか、精神上の障害
暴利行為ないし状況の濫用に該当する可能性の
がある。後者の場合で意思能力なしとされた判
ある行為であり、公序良俗違反により無効とす
決としては、本件のような認知症のケース
(参考
る余地もあったと思われる。
判例① ~ ⑦など)のほか、脳血管性障害のケー
ス
(参考判例⑧など)
、精神遅滞のケース
(参考
参考判例
判例⑨など)、統合失調症のケース
(参考判例⑩
など)などがある。
①東京地裁平成 8 年 10 月 24 日判決
(『判例時報』1607 号 76 ページ)
意思能力の有無は、問題となる法律行為の時
②東京地裁平成9年2月 27 日判決
(『金融・商事判例』1036 号 41 ページ)
点で判断されるため、その時点での医師の診断
書がある等の事情がなければ意思能力がないこ
③東京高裁平成9年6月 11 日判決
(『判例タイムズ』1011 号 171 ページ)
との立証は難しい。本件でも、Xの主治医の陳
述書について、主治医の診断経験に基づく意見
④福岡地裁平成9年6月 11 日判決
(『金融法務事情』1497 号 27 ページ)
に過ぎないなどとして
「上記陳述書のみを根拠
として直ちに 2005 年当時、Xの意思能力がな
⑤東京地裁平成 10 年 10 月 26 日判決 (『金融法務事情』1548 号 39 ページ)
かったと認めるに足りる合理的な立証がなされ
⑥東京地裁平成 20 年 12 月 24 日判決
(『判例時報』2044 号 98 ページ)
たとはいえない」としているが、主治医の陳述
書をより重視した解決が望ましいと思われる。
⑦神戸地裁伊丹支部平成 24 年1月 23 日判決
(『判例タイムズ』1370 号 188 ページ)
本件で、Xは、ブティック A の担当者 E が、
1年間に100回以上もXと会話したのであれば、
⑧神戸地裁姫路支部平成 24 年2月 16 日判決
(
『証券取引被害判例セレクト』
42号161ページ)
Xの認知能力が低下していたことに気づかない
はずはなく、Xに対し、衣料品とは関係のない
健康食品の販売をしたこと、決済不足となった
Xに対し E が銀行窓口まで同行することは、E
が、アルツハイマー型認知症により判断能力等
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⑨東京地裁平成 17 年9月 29 日判決
(未搭載)
⑩東京地裁平成 10 年 10 月 30 日判決
(『判例時報』1679 号 46 ページ)