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元代 叢 林 の経 濟 生 治 (佐
藤)
元 代 叢 林 の経 濟 生 活
勅 修 百 丈清 規 を 中 心 と し て-
き だ と強 調 し て いる。 この よ う に 異 民 族 の支配 下 にあ る佛 敏
-
々團 は、 ま ず 帝 室 と 接 近 し、 信 官 の指 示 の下 に寺 院 の肚 會 的
玄
唐 代 の百 丈 古 清 規 か ら、 元 代 の 勅 修 百 丈 清 規 (以下勅規 と
機 能 を果 し、 世 俗 の中 に 佛 教 を 生 か す こと に よ つて、 そ の生
達
よぶ) に至 るま で には、 五 百 年 以 上 も経 過 し て お り、 古 清 規
藤
もす で に散 侠 し て いた。 それ ゆ え 徳 輝 は勅 規 を 撰 述 す る に當
命・
は 保 謹 さ れ た の であ る か ら、 か れ ら の外 護 心 を増 長 さ せ る
佐
つて、 當 時 存 在 し た 北 宋 の輝 苑、 南 宋 の 入 衆 日 用 ・叢 林 校
た め、 叢 林 にお い ても 種 々 の所 濤 法 要 が 盛 大 に行 な わ れ た。
ど が 臨席 し、 全 山 を 學 げ て所 薦 法 要 が 行 な わ れ た ことを 勅 規
定、 元 の繹 林 備 用 の四 清 規 を 参 照 し、 ﹁一不 以 己 見 妄 有 去 取 ﹂
勅 規 が封 象 と し た叢 林 の規 模 は、 住 持 以 下 西 序 の頭 首 (+
は 傳 え てい る。 こう し て官 員 や 檀 越 な ど と の接 燭 に よ つて、
京 に 在 る 官寺 は、 皇 帝 の尊 像 を 佛 の 壇 上 に 安 置 し、 聖節 ・
一)、東 序 の知 事 (五)、列 職 雑 務 (+二)等 の叢 林 運 螢 の責 任
教 團 が 世俗 化 し た と いわ れ る が、 そ れ は む し ろ、 敏 團 が肚 會
景 命 ・千 秋 節 ・國 忌 ・四 齋 日 ・毎 日 の祀 讃 に は、 官 員 檀 越 な
者 と隔 四五 百 名 の僧 衆、 お よ び 荘園 の僕 從 等 より 構 成 さ れ て
的 に 獲展 し た こ とを 示 す も ので あ り、 從 來 の貴 族 的な も の か
と 述懐 し て い る か ら、 元 代 を 中 心 と す る叢 林 の實 態 を知 る た
いる 堂 々た る 官 寺 であ つた。 當 時 の佛 教 界 は 宣 政 院 の監 督 下
め の重 要 な 手 が か り を 提 供 し て いる。
に 在 つ て、 官 寺 は 帝 室 より 土地 を寄 進 さ れ、 廣 大 な 寺 田を 所
て いる 一面 が見 ら れ る ので あ る。 こう し た 過 程 を歩 ん で いる
叢 林 に と つて、 時 に は 逸 脱 的行 爲 が あ つて も、 そ れは 教 團 獲
ら 脱 皮 し て、 大 衆 の宗 敢 と し て、 か れ ら と 共 に 生 き よ う と し
優 遇 尤 至、 特 燭 賦 役 使 安 厭 居 ﹂ る聖 恩 の廣 博 な こ と に謝 す た
展 史 の 一駒 とし て捕 え る べき で、 以下 そ れ ら の問 題 に つい て
有 し て いた こ とを ﹁元 史 本 紀 ﹂ は傳 え て いる。 勅 規 も ﹁國 朝
め に、 僧 衆 は 必 ず 佛 性 を 悟 明 し て、 君 恩 に 報 ず る 心を 蓋 す べ
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畠 山 林 を 始 め、 荘 主 荘 戸 の佳 宅、 磯碍、 磨 院、 家 畜 小 屋、 舟
な い。 それ に よ る と、 叢 林 が 所有 し た廣 大 な 荘 園 内 には、 田
い る の み で、 詳 細 は 繹 苑 清 規 を 参 照 し て理 解 す る よ り 方 法 が
主 ・荘 主 ・諸 荘 監牧 等 を あ げ て、 そ の内 容 を 簡 軍 に 読 明 し て
(
1) 叢 林 の自 給 髄制 自 給 禮 制 の實 態 が ど うあ つたか と い
う 貼 に つい て は、 勅 規 は 爾 序 章 列 職 雑 務 の 項 で、 園 主 ・磨
考 察 し た い。
か し ﹁恒 産 足 用、 不 必 多 往 干 求 取 厭 也 ﹂ (化主)と い う か ら、
も 限 り が あ つた か ら、 時 に は 化 主 を 獲 す る こ とも あ つた。 し
膿 制 を と つて いた よ う だ が、 自 家 生 産 に も限 度 があ り、 租 入
實 状 下 の叢 林 の 日常 生 活 も、 往 時 のよ う に、 あ る程 度 は自 給
う ほど、 叢 林 の紀 綱 が齪 れ て いた こと が知 ら れ る。 こう し た
之、 姦 公害 私 不 可 枚 學・。
錐 欲 匡 救 未 如 之 何。L(諸荘監牧)と い
持 私 任 匪 人 者 有 之、 因 利 曲 絢 者 有 之、 爲 勤 蕾執 事 人 連 年佑 充
叢 林 の経 濟 は そう 弱 髄 では な か つた ら し い。 叢 林 の金 穀 ・鏡
者 有 之、 托 勢 求 充 者 有 之、 樹 黛 分 充 者 有 之、 角 力 孚 充 者 有
車 を 納 れる 倉 庫 な ど が存 在 し た。 荘 主 は寺 か ら 離 れ て い た と
は いえ、 荘 園 の主 導灌 を 一手 に掌 握 し て いた 關 係 上、 そ の職
吊 ・米 変 の出 入 は、 古 規 では 庫 頭 が 掌 つて い た が、 勅 規 で は
て、 副 寺 の濁 断 と不 正を 監視 し た。 そ し て常 佳 の金 銭 の使 用
副 寺 が これ に當 り、 牧 支 決 算 も 知 事 ・住 持 が 會 計 監 査 を し
尤 甚 ﹂ (荘主)と いう よ う に、 徴 租 事 務 を 取 扱 う 監 牧 の牧 入 が
ど の公 的 な も の 以外 は禁 じ て い た よう であ る。
範 園 も ﹁寺 門 外 護 官 員 檀 越 賓 客 迎 迭慶 吊 合 行 人 事 ﹂ (副寺)な
つて い た。 そ れが 元 代 に な る と ﹁近時 叢 林 凋 弊 百 出。 而 荘 中
多 か つた の で、 そ の地 位 が 孚 奪 の的 と な り、 弊 害 が 百 出 し た
灌 は 次 第 に強 化 さ れ て、 叢 林 経 濟 を 左 右 す る ほ ど の實 力 を も
と い つ て いる。 道 心 のな い者 が 荘 主 に 充 る と、 職 責 を 怠 り、
大 衆 に 供 す る鏡 糧 を消 費 し、 ま た 未 納 の課 税 を 蓄積 し て後 々
國 家 の優遇 に報 ゆ る た め に、 帝 室 へ の 所 濤、 或 い は 佛 の 降
費 は 莫 大 であ つた こ とが 察 せ ら れ る。 官 寺 とし て の性 格 上、
いは殿 含 の破 損 修 理 ・荘 園 の付 属 施 設 の維 持 な ど で、そ の運 螢
の役 人や 近 里 の富 豪 に追 随 し て、 巧 み に私 財 の蓄 積 を 計 つた
誕 ・成 道 ・浬盤、 帝 師 抜 合 斯 八 の浬盤 會、 達 磨 忌、 百 丈 忌、
(
2) 常 佳 の消 費 経 濟 世 俗 と の交 流 が密 接 であ つた 當 時 の
叢 林 は、 多 く の外 護 者 ・僧 衆 ・荘 戸 ・奴 碑 な ど の人 件 費、 或
の で、 荘 中 の出 費 は常 住 の牛 ば に も 達 し た。 そ こで 勅 規 は、
しな か つた と い つて いる。 た と え 老 成 の者 を 充 て ても、 州 縣
叢 林 の機 構 を 粛 正 す る た め に は、 荘 主 の慶 止 が 急務 であ る と
開 山 や 歴代 の租 忌、 嗣 法 の師 忌 そ の他 ﹁月 分 須 知 ﹂ で規 定 し
ま で に累 を及 ぼ し た の で、 荘 戸 ま で荘 主 を侮 り、 租 課 を 納 入
強 調 し て いる。 こ の種 の弊 害 は 荘 主 に と ど ま ら ず、 一山 の佳
て いる 各種 の法 要 や 茶 禮 等 が 定 期 的 に 行 な わ れ た。 こ れ ら の
藤)
持 や 幹 部 職 員 も 互 に 結托 し て私 腹 を 肥 や し た よ う で、 ﹁爲 佳
元 代 叢林 の経 濟 生 活 (佐
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法要 儀 式 には、 つね に僧 衆 に茶 湯 ・黙 心 ・藥 石 ・贈 鏡 な どが
衆 以薦 冥幅 ﹂ (信 衣 ) とか ﹁或 勤 奮 有 田地 米 穀 房 舎 床 楊 卓 榿
れ てい た。 そ れ ゆ え勅 規 も ﹁或 亡 僧 衣 鉢 稽 豊、 當 放 低 信 債 利
元代叢林 の経濟生治 (佐 藤)
施 與 さ れ、 時 に は 在 家 の者 ま でも 供養 し た。 ま た臨 時 の行 事
十 一貫 文 と い い、 残 金 は ﹁牧 堂 司 公 用 ﹂ と い う か ら、 相 當 澤
當 書 蹄 常 佳。 伍 量 唱 衣銭 寡 多、 則 排 日 俵 襯 調 経 看 経 添 奨 茶 湯
が 日用 必 需 品 の勧 募 のた め、 地 方 へ赴 く 際 に は、 輝 苑 清 規 が
山 の動 産 不 動 産 類 を 所 持 し て いた こと が知 ら れ る。 北 宋 時 代
とし て、 住 持 の葬 儀、 新 命 佳持 の入院、 新 蕾 爾 序 の交 代 の茶
指 摘 し て い る よ う に、 常 住 か ら 官員 檀 越 宛 の 土 産 物 を持 参 し
には 金 鏡 の所 持 が暗 獣 のう ち に 認 め ら れ て い た が、 元 代 では
輻 寵 骨 等 佛 事 ﹂ (板帖 式)と規 定 し て いる。 い ま 亡 曾 葬 儀 の牧
炭 火 ・粥 食 五 味、
公 然 とそ の使 途 ま で定 め てい る よ う に、 ⋮
叢林 の生 活 が 一般 肚
支 決 算 表 であ る板 帳 式 に よ れば、 牧 入 金 一千 貫 文、 支 出 金 九
た と思 わ れる。 或 い は病 僧 肘 の湯 藥
會 と異 な ら な い状 態 であ つた こと が知 ら れる。 僧 衆 の牧 入 源
丈 庫司 が 四節 に行 な う茶 湯 な ど が あ げ ら れる。 こ のほ か 化 主
或 いは 衆 寮 内 の必 需 品 も常 に蓄 え てお か ね ば な ら な か つた か
と し ては、 法要 の際 に 施 與 さ れ る贈 鐘 や、 亡 僧 の衣 鉢 を 腱 分
湯 人事、 亡 僧 の葬 儀、 新 掛 搭 入寮、 衆 寮 結 解 の際 の茶 湯、 方
ら、 年 間 を 通 じ て常 佳 が 支 辮 す る費 用 は計 り 知 れ な い も の が
油燭
あ つた。
支 出 と し て は、 日用 必需 品 の購 入、 入 寮 時 の陪 寮 銭、 或 いは
林 の幹 部 の牧 入 は、 僧 衆 より 多 い こ とは 想 像 さ れ る が、 か れ
を 喜 捨 し て佛 租 への報 恩 供 養 を行 な う な ど が あ げ ら れ る。 叢
し、 大 衆 の 一員 と し て入 寮 す る に は ﹁陪 寮 鏡 若 干 ﹂ (新 掛 搭、 佛 の降 誕 ・成 道 ・浬盤 ・達 磨 忌、 百 丈 忌 な ど に、 信 衆 は 浄 財
し てえ た 金鏡 の三 分 の 一が大 衆 に分 配 さ れる 時 な ど が あ る。
(3) 個 人 の消 費 経 濟 僧 徒 の私 有 財 産 と し て は、 衣鉢 そ の
他 の辮 道 具 は も ち ろん であ る が、 か れち が 叢 林 に 遊 方 掛 搭
人 貼 入 寮 茶 ) を 納 め ね ば な らな か つた。 それ ゆ え 曾 衆 は 常 に
ら に はま た各 種 の茶 禮 を 行 な う こ とが 課 せら れ て い た。 そ の
茶 禮 の多 く は、 一般 に 上位 者 が 支 辮 し た し、 そ の上、 僧 衆 全
た。 勅 規 に よ る と、 佳 持 か ら僧 衆 に至 るま で、 所 持 品 が 豊富
であ つた と い つて い る。 例 え ば 佳 持 が 遷 化 す る と、 主喪 は首
つた。
員 に鮎 心 ・藥 石 ま でが 振 舞 わ れ たか ら、 そ の出 費 は 多 大 で あ
若 干 の金 鏡 を 所 持 し なけ れ ば、 掛 搭 す る こ と も で き な か つ
座 と 遺留 品 の多 少 を 調 べて三 分 し、 二 分 准 喪 司 孝 服 颯 経 燈
(4) 僧 衆 の生 活 態 度 輝 家 の修 行 は、 一般 に 有 道 の尊 宿 を
慕 い、 依 棲 し て掛 搭 を 求 めた も の であ つた が、 當 時 の 遊 方 掛
燭 之 費、 一分 婦 常 佳 陪 貼 供養、 一分俵 大 衆 看 経 井 佛 事 板 帳 等
用 ﹂ (請 喪 司職 事 )と の べて い る し、 僧 衆 も 自 己 の葬儀 費 が賄
え る 程 度 の衣 鉢 を 所 有 す る こ とは、 す でに 北 宋 時 代 に 認 め ら
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相 看 ﹂ (大相看) と い つ て、 二 三 十 人 位 い集 ま る のを 待 つて、
叢 林 側 に お い ても、 ﹁新 到 須 候 人多 各 預 詣 侍 司、 附 名 作 一起
な 道 を選 ぶ者 が多 く な つた と い つて いる。 ま た 新 到 を 迎 え る
禮 漸 至 無 聞﹂ (遊 方 参 請 ) と いう よ う に、 知 己 を 頼 つ て 安 易
そ の後、﹁遊方 者 多 不 入 具過。 到 腱 軌 尋 郷 曲 頭 首 寮 舎 安 泊。 古
搭 は 初 め 具過 寮 に到 つて、 求 道 の熱 意 を 開 陳 し た。 と ころ が
使 用 し た か ら、 僧 堂 に は修 行 者 が 一人 も いな か つた と傳 え て
の 一員 に 戻 る のみ か、 各 自 は 軍 寮 を 構 え て大 衆 を 僕 從 とし て
と いう。 そ れ が勅 規 の頃 に は、 任 満 ち て職 を 退 い ても、 大 衆
戻 つて修 行 に專 念 し た か ら、 僧 堂 は常 に修 行 者 で満 ち て いた
は、 知 事 ・頭 首 でも 任瀾 ち て そ の職 を 退 け ば、 大 衆 の 一員 に
規 定 し て、 監 覗 の眼 を 光 ら せ る ほ ど で あ つた。 往 時 の 叢 林
印。 佳 持 庫 司 各 牧 一本 爲 照。 公請 一入 看 守 方 丈。﹂ (退院),
と
丈 什 物 匙 封 交 割、 具軍 目 一様 爾 本、 住 持 雨 序 勤 醤 愈 押 用 寺 記
勅 規 は こう し た 叢林 の實 態 を 憂 う る の餓 り、 弊 害 の 一々を
一度 に佳 持 と相 看 す る こと を 規 定 し て、 新 到 を 接 得 す る佳 持
遠 慮 な く指 摘 批到 し て、 規 矩 の嚴 正 と、 修 行 者 の自 毘 を 喚 起
の手 数 を 省く な ど馬 す べ てが 形 式 的 な も のに な つた。 ま た掛
は ﹁近 來 好 孚 作 闊 者、 往 々侍 強 挾 私 孚 較 名 字 是非、 互相 塗 抹
す る こと に努 めた。 そ し て古 規 以來 の修 行 者 中 心 主 義 を 守 り
いる。
喧 講 擁 衆 ﹂(夏前出草軍)と い つ て、 ﹁冒 名 越 戒 者 ﹂ の あ つた こ
ぬ こう と し た努 力 が、 わ ず か と は い え 入 浴 規 定 に 生 き て いる
搭 す る 者 の氏 名 を、 戒 騰 順 に 列 學 す る 圖 帳 に つい て も、 勅 規
と を非 難 し て いる。 そ し て か れ ら は、 牧 入 の多 い荘 主 ・
庫 司・
庭 に、 編 者 の辮道 観 が 窺 わ れ る し、 ま た そ う あ る べ き こ と
が、 勅 修 の二字 を 冠 し た 本清 規 のと る べき 態度 であ つた と い
た び佳 持 が遷 化 す る と 悪 口 罵 署 し、 甚 だ し き は 棺 を推 撃 し、
衣物 を掠 め奪 う な ど の働 暴 を 働 いた。 こ のよ う に規 矩 の素 齪
え よう。
執 事 に充 たる こ とを 求 め、 そ れ が 叶 わ ぬ 時 は憤 恨 を 抱 き、 一
し た 叢林 を救 濟 する に は、 ぜ ひ と も ﹁宗 眼 明 白 徳 勧年 高、 行
止廉 潔 堪 服 衆 望 者 ﹂ (
議 學佳持) を 佳 持 と し て選 ぶ べき であ る
の に、 勤 蕾 知 事 た ち は ﹁不 揮 歳 徳、 惟 從 賄賂 致 有 樹 窯 絢 私 互
し てか れ ら は、 新 蕾 交 代 の際 に 什 物 を 私 物 化 し て勝 手 に運 び
相 携 奪 ﹂ (同 上)し て、自 分 に 都 合 のよ い者 のみ を選 ん だ。 そ
去 り、 事 務 引織 き を困 難 な ら し め た。 こ の こ と は 佳 持 退 院
藤)
の際 に も み ら れ た から、 勅 規 は ﹁常 住 銭 物 須 要 簿 書 分 明。 方
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