EU Trends BOEのガイダンス変更の行方 発表日:2014年1月23日(木) ~金融政策は科学だがアートでもある~ 第一生命経済研究所 経済調査部 主席エコノミスト 田中 理 03-5221-4527 ◇ 失業率が金融緩和を継続する7%の閾値に急接近している。早期利上げ観測を封じ込めるためには、 フォワード・ガイダンスの基準値そのものを変更したり、文言を強化する必要があるだろう。 ◇ FRBに倣って文言を強化するとの見方もあるが、BOEのガイダンスは既に、文言強化後のFRB のガイダンスに似通っている。確かにFRBはインフレ率の基準をガイダンスに付け加えたことで、 利上げ開始までの距離を保つことにある程度成功した。だが、高インフレ体質の英国では、インフレ 率の解除条項がかえって利下げまでの距離を縮める要因となりやすい。 ◇ 失業率の基準値そのものを変更すれば、ガイダンスの信頼性が損なわれるとの見方もある。だが、B OEは中期的な均衡失業率が変化することを認めており、1月のMPC議事録でも均衡失業率が当初 想定よりも低くなっている可能性があると指摘している。基準を変更しても、これまでの説明との整 合性を保つことはそれほど難しくない。 ■ 失業率の基準接近でガイダンスの効果が薄れてきた 英国では失業率が金融緩和継続の閾値に設定された7%に急接近するなか、BOEが近くフォワード・ガ イダンスを修正するかに注目が集まっている。21日に発表された9~11月平均の失業率は7.1%に一段と低 下し(8~10月平均は7.4%)、閾値達成はもはや時間の問題となってきた。 同日発表された1月8・9日の金融政策委員会(MPC)の議事録では、「失業率が7%の閾値に到達 するのが当初想定よりも早まる可能性が高まった」としながらも(ちなみに、これは今月の一段の低下が 明らかとなる前の会合での言及)、「経済の未利用資源(スラック)は失業率の低下が示唆するほど縮小 していない」とし、「失業率が近い将来に7%の閾値に到達しても直ぐに利上げをする必要はない」、 「金融危機の余波による成長率への逆風はしばらく続き、インフレ圧力は抑制され続ける可能性が高い」、 「利上げをする時期がやってきた場合にも、緩やかなペースで行うことが望ましい」との判断が示された。 議事録の中にガイダンス修正の可能性を直接的に示唆する言及はなかったが、「最近の失業率の低下は中 長期の失業者の減少によるもので、均衡失業率が当初考えていたよりも低くなっている可能性がある」と し、7%に設定した基準値に変更の余地があることを示唆しているようにも読める。 このように足許で失業率が急速に低下しているが、BOEに利上げを急ぐ様子は窺えない。ただ、BO E高官の再三の火消し発言にもかかわらず、市場では早期利上げ観測が高まりつつある。失業率の推移と ガイダンスとの整合性をいかに図るか、市場参加者の多くはBOEの説明に納得していないようだ。この ままガイダンスを変更せずに、失業率が閾値に達成すれば、利上げ期待を封じ込めることは難しくなる。 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足る と判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内 容は、第一生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。 1 仮にガイダンスを修正するのであれば、景気・物価判断を見直し、総裁ほかMPC委員の記者会見が開 かれる四半期毎(2・5・8・11月)の物価レポートを発表するタイミングで行うのが自然な流れだろう。 そこで次回2月5・6日のMPCや12日の物価レポートの発表時に何らかのガイダンス変更のアナウンス メントがあるのではないかとの観測が広がっている。 折しも、大西洋を隔てた米国でも失業率の急速な低下でガイダンスの信頼性が問われている。FRBは 昨年12月17・18日のFOMCで量的緩和の減額開始(テーパリング)を発表した際、減額開始後も金融緩 和を継続する姿勢に変化がないことを強調した。一部でゼロ金利継続の条件とする失業率の基準値を変更 するとの見方もあったが、基準値を6.5%に据え置き、「インフレ率が2%の長期目標を下回る限り、失業 率が6.5%を下回った後もかなりの間、ゼロ金利を継続する」との表現を追加した。基準が独り歩きするこ とを防ぐため、失業率を基準値から参照値の扱いに事実上格下げした一方、ガイダンスの効き目が薄れぬ よう、今後もしばらく緩和が続くことを強い言葉で約束した訳だ。失業率の基準値を引き下げる明示的な ガイダンスの変更を予想していた筆者は、「なるほど、その手があったか」と感心させられたものだ。 FRBのガイダンスの文言強化が市場の利上げ期待の抑制に今のところ一定の効果を発揮していること から、BOEも失業率の基準値を引き下げるのではなく、ガイダンスの文言強化で対応するのではないか との見方が市場参加者の間にある。ただ、BOEにとって事はそう簡単ではなさそうだ。 ■ FRBに倣った文言強化には限界 そもそもBOEのフォワード・ガイダンスには、文言強化後のFRBのガイダンスに類似した内容が含 まれている。カーニー総裁を初めBOEの政策メンバーはこれまで再三、7%の失業率はあくまで金融緩 和を継続する閾値(通過点)であり、緩和を終了する誘因(トリガー)ではないことを強調してきた。基 準値を達成したからと言って、すぐさま緩和を打ち切るのではなく、基準値を達成した時点で緩和を継続 するか否かを詳細に検討し始めるとしている。これは正に、FRBが基準達成後も相当期間はゼロ金利を 継続するとの言葉に込めたメッセージと同じだ。 しかも、英国のガイダンスには、①18~24ヶ月先の消費者物価の上昇率が2%の物価目標を0.5%上回る とMPCが予想する(つまりMPCの中期的なインフレ率予想が2.5%を上回る)場合や、②中期的なイン フレ期待が十分に抑制されない場合、③金融安定委員会(FPC:金融システムの安定を監視するためB OE内に設置)が金融緩和姿勢が金融システム安定にとって重大な脅威になると判断した場合には、フォ ワード・ガイダンスの適用を中止できる3つの解除条項(ノックアウト条項)が設けられている。 インフレ圧力が比較的抑制されている最近の米国では、FRBが新たにインフレ率の基準をガイダンス に付け加えたことで、利上げ開始までの時間軸を保つことにある程度成功している。だが、高インフレ体 質が常態化した英国では、インフレ率の解除条項が逆に利上げまでの距離を縮めるものとして意識されが ちだ。この点、14日に発表された昨年12月の消費者物価が約4年振りにBOEの物価目標を超過しなかっ たことは、利上げまでの距離を幾分引き伸ばす要因となるが、物価目標を下回っている米国と違って、利 上げを先送りすることを正当化する理由としては弱い。そのうえ、住宅市況に過熱感が広がっており、金 融システム安定への脅威と言う別の解除条項に引っかかる恐れがあり、利上げまでの距離を縮める要因と して働いている。単に米国の真似事をすれば良い訳ではない。 ■ 失業率の基準変更は従来の説明と整合的 では、よりストレートに失業率の基準値を変更する方法はどうだろうか。BOEがフォワード・ガイダ ンスを導入したのは昨年8月。基準導入から僅か半年余りで基準値自体を変更すれば、ガイダンスの有効 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足る と判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内 容は、第一生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。 2 性に疑問が持たれるとの懸念の声も聞かれる。FRBが基準値の変更を見送った理由もこれと似通ったも のであったことは、FOMC議事録から読み取れる。ただ、有名無実化したガイダンスの基準に固執する ことこそが、ガイダンスの信頼性低下につながりかねない。 そもそも、BOEが失業率の閾値を7%に設定したのは、中期的な均衡失業率が現在6.5%程度にあると の試算結果に基づいている。インフレ率が2%の中期的な物価安定目標に無理なく復帰するためには、失 業率が中期的な均衡失業率に到達する以前の段階で、部分的に金融緩和を縮小しておく必要があるとBO Eは考えた。仮に基準値を均衡失業率と同じ6.5%に設定した場合、引き締め開始後の利上げペースがかな り早くなるとの観測が高まる可能性がある。そこでガイダンスを開始した時点の直近の失業率7.8%と、中 期的な均衡失業率である6.5%の間のキリの良い基準値として7%が選ばれたのだ。 BOEによれば、中期的な均衡失業率とは短期的な実物ショックなどを吸収した後の失業率で、実際の 失業率と中期的な均衡失業率とのギャップが、労働市場における未利用資源(スラック)の大きさを指し、 賃金上昇圧力を測るうえで重要な尺度となる。中期的な均衡失業率の水準は、失業者の構成などによって 左右される。例えば、失業が長期化すると一般にその人が有しているスキルが低下するため、短期失業者 よりも職探しが難しくなり、その分賃金が低くなる傾向がある。したがって、失業者に占める長期失業者 の割合が増えると、経済全体でみた賃金上昇圧力が抑制され、インフレを加速させない均衡失業率の水準 がそれだけ低下する。BOEは失業率を基準に採用した際、中期的な均衡失業率の試算が不確実なもので、 その時々の労働市場の状況に応じて変化する可能性があることを認めていた。失業率の基準値を変更した としても、従来の説明との整合性を取ることはそれほど難しくない。 1月のMPC議事録でも、失業者の構成変化により均衡失業率が従来考えていたよりも低くなっている 可能性があると指摘している。このところの失業者の減少は長期失業者が職に就いた影響が大きく、より 低い賃金の職を受け入れる失業者が増えていることを示唆している。そのため、失業率が低下しているが、 賃金上昇圧力が抑制されていると説明している。 ■ 金融政策は科学か、それともアートか? ガイダンスの文言強化や基準値変更以外に考えられる市場対話の方法としては、①四半期毎の物価レポ ート発表時だけでなく、毎月のMPCで記者会見を開くことや、②景気・物価見通しの発表方法をより精 緻化すること、などが考えられる。前者は市場対話の機会を増やすことにつながるが、政策当局の意図を 市場に正しく伝えることが出来るかは別物だ。後者は金融政策の反応関数が複雑になり、一般国民への緩 和の意図を分かりやすく伝えることは必ずしも容易ではない。 フォワード・ガイダンスは市場参加者のみならず一般国民に対して金融政策の視認性を高めることで、 予期せぬ政策変更による金融市場のショックを和らげたり、家計や企業の投資決定における不確実性を低 減して緩和効果の浸透を高めることが期待されている。本来、金融政策は様々な経済・金融事象を多角的 に分析したうえで総合的な判断が下される“アート”に近いものだが、そこを敢えて一般国民にも馴染み のある失業率と言う1つの概念に集約しているのがガイダンスだ。最近の失業率の急低下でBOEは緩和 継続の意思を伝達することに苦慮しているが、従来のガイダンスを継続したままで、基準達成後も緩和を 継続すると強調するだけでは信じて貰えそうにない。ガイダンスの基準そのものを変更するか、かなり丁 寧で粘り強い市場対話が必要となろう。 以上 本資料は情報提供を目的として作成されたものであり、投資勧誘を目的としたものではありません。作成時点で、第一生命経済研究所経済調査部が信ずるに足る と判断した情報に基づき作成していますが、その正確性、完全性に対する責任は負いません。見通しは予告なく変更されることがあります。また、記載された内 容は、第一生命ないしはその関連会社の投資方針と常に整合的であるとは限りません。 3
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