生きる 3 年 菫組 M.Y. 幼稚園の時からの友達が一年程前に、交通事故に

生きる
3 年 菫組
M.Y.
幼稚園の時からの友達が一年程前に、交通事故に遭いました。その子とは幼稚園で
の三年間、毎日のように一緒に遊んでいたくらいに、とても仲の良い友達でした。小学
校は違う学校でしたが、私にとっては幼稚園での生活で一番印象に残っています。そ
んな大切な友達がトラックにはねられて植物状態になっていると聞いた時は本当に驚
き、そして今まで身近にそういう人がいなかったこともあり、全く信じられませんでした。
私はお見舞いに行きたいと思っていながらも会って現実を知るのが怖く、学校が忙し
いからなどと言い訳をして結局会いには行きませんでした。その後、友達が奇跡的に
一命を取りとめたことを聞いて安心しました。しかし身体には言葉が出にくくなる失語
症と右半身不随という障がいが残ってしまいました。大好きだった野球も出来なくなっ
て、失語症の為かコミュニケーションも取りにくくなったそうです。
そんな友達と、この夏休みにある事から久しぶりに会う事が決まりました。私は嬉しい
という一面、久しぶりだという緊張感、そして、失語症だと話は出来るのだろうかなど不
安がありました。しかし、実際に会うと、そんな不安など全く気にしなくても良いくらいに
普通に話すことができました。片言ではあるものの一生懸命に話している事が印象的
でした。そして友達のお母さんは「生きることの喜びを感じることができた」とおっしゃっ
ていました。私は彼に久しぶりに再会したことで生きることのすごさに気付き、命の大切
さを改めて考えさせられました。
しかし、そんな人がいる一方、いじめなどの理由によって自らの命を絶ってしまう人も
多くいます。私には、それがもったいなく感じられます。せっかくの命を自分で捨ててし
まうことは、生きたくても生きられない人たちに失礼だと思うからです。
また、よく「死ね、死にたい」というような言葉を、軽い気持ちで言うことがあります。こ
れは、よく考えてみると、ひどい事を口にしているのだという事がわかります。これから
は私自身、言葉に注意していきたいです。
以上の例から、生きるとはどういうことなのか、私なりに考えました。それは自分自身
に与えられた命を大切にするということだと思います。もちろん、中には何かがきっかけ
で命の大切さに気付くことができる人もいます。しかし、逆に気付くきっかけがないまま
自らの命を絶ってしまう人もいます。でも、だからこと生きることに対する本や映画があ
るのではないでしょうか。
そして改めて生きることのすごさとは何かを考えてみると、自分が普通に生活してい
ること、それが何よりなのだと思います。毎日学校へ行って、礼拝を受けて、授業に出
て部活をして。そんな何気ない、当たり前のことこそがすごいと考えました。
二学期は残り約半年の六ヶ月もあります。その中で、生きていることのすごさ、当たり
前の良さを感じられるようになりたいです。そのためには、今までの考えを改めて、一
学期や昨年までとは違った見方、生き方をしてみる、これを目標にして生活を送りたい
と思います。そして私自身だけではなく、もっと周りをみてみると、紛争、戦争、地震な
どでたくさんの人が困難を強いられています。そんな人達も含めて、他人の生きている
すごさなども感じたいです。