シリーズ PR 日本の歴史を科学で読み解く 4 科学的な手法も使い歴史検証をされている先生方の特別講義を 4 回紹介します。 ❶ ● ❷ ● 修験洞窟を3Dプリンタで再現 ルーツを求めて伊豆半島へ 深澤 太郎(フカサワ タロウ) FUKASAWA Taro 國學院大學助教 専門分野:考古学、人類学 主要研究課題:日本列島における国家と「神 道」の形成、山岳宗教の考古学的研究 頼らない考古学的見地から伊豆修験の実 を活用しやすい形で共有することが可能 少年時代に参加したナウマンゾウで有 態を明らかにすれば、そのルーツとなっ になると考えています。 名な野尻湖の発掘調査では、土中から自 た、もっと原始的な信仰の実態にも迫れ 分たちのルーツが出てくるかもしれない るのではないかと考えているんです。 という体験にわくわくしたものです。ま た子供の頃から神道・仏教・キリスト教 などに接してきたため、 「信仰」という文 化にも興味がありました。日本には古来 3D プリンタで遺跡を まるごと持ち出す また、3D プリンタをつかって、修験 窟を研究室内に自由なスケールで再現す る試みもスタートしました。こうするこ とで現地調査では見落としていた洞窟内 の細かな形状や、人為的な加工の有無を 2011 年から『伊豆峯次第』に出てく 調べたり、壁の落書きを詳細に分析する から「神道」と呼ばれる独自の国家的宗 る霊場の現地調査を開始しました。四国 ことができます。洞窟そのものを大学の 教がありましたが、長い歴史の中で仏教 八十八箇所の遍路では「同行二人」 (弘 博物館で展示することもできるようにな などと関わりあい、その形は常に変化し 法大師と一緒にまわるの意)という言葉 るでしょう。 ています。そこで私は、ある意味では日 が使われますが、伊豆修験の道は修験道 本宗教のルーツを探ることが、日本文化 の開祖とされる役小角とともに歩くので やがて風化してしまう貴重な文化財をそ の始まりや、日本人の原点を知ることに す。辺路の行程は海伝いで、岸壁沿いの のままの形で保存することも可能にしま つながるんじゃないかと思ったんです。 洞窟も少なくありません。苦労して入っ す。遺跡をまったく傷つけることなく内 このようなテーマを追求するために選 てみると、修験者が残したらしい中世の 部を調査する手法としても今後活用され んだ場所の一つが伊豆半島です。そうい 焼き物が転がっていたり、壁面に古くは るのではないでしょうか。科学技術の進 えば、かつて國學院大學の大場磐雄先生 15 世紀の落書きが残っていたりするん 歩は考古学をも進化させてくれるのです。 が「神道考古学」という学問を提唱した です。ところが、入り口が狭くて 1 人ず のも、伊豆のフィールドワークによる発 つしか入れなかったり、真っ暗で内部を 想でしたね。伊豆は、古くから修験者た 見渡すのが難しい洞窟もある。 ちが修行のために辺路沿いの拝所をめぐ そこでこの調査では、現地教育委員会 る霊場でした。現在の伊豆山神社は、明 の協力を得て、空間情報の計測・分析に 治以前は「走湯権現」 「伊豆山権現」な 強い株式会社パスコとともに、洞窟の精 どと呼ばれていた伊豆修験の中心です。 密な 3D 計測・高解像度カラー撮影など しかし文献として確認できる修行の記録 を実施しました。数百件に及ぶ拝所の は、宝暦 11(1761)年の『伊 豆 峯 次 第 』 GPS 情報は地図上にマッピングし、調 が最古で、わずか 250 年前のものしか 査データをどんどんマッシュアップして わかりません。そこで、文字資料だけに います。こうすることで、研究の全体像 い ず みね し だい それだけではありません。この手法は、 ❸ ● ❶下田市の心壇堂岩屋の壁面に描かれた不動明王立像(15 世 紀後半) ❷測量の様子。高解像度カラー撮影をすることで、現 場では解読できなかった文字なども読み解くことができる。 ❸『伊豆峯次第』 (宝暦 11(1761)年)は、伊豆の行者が年 末から年始にかけて伊豆半島を一周する辺路行の行程と、その 概略が記された貴重な文書。写真の右の地図は、 『伊豆峯次第』 から行程を地図に落とし込んだもの。 総合企画部広報課 さらに詳しくは http://www.kokugakuin-univ.jp/ をご覧ください。
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