11.ポートワインのまち コインブラから再び、ポルトガル国鉄(CP)の特急

11.ポートワインのまち
ドゥーロ川の対岸から見たポルトの旧市街。手前のドン・ルイス1世橋は上を路面電車と歩行者が、ア
ーチの下の部分を車が通行する複合橋だ。画面では見えないが、手前側の岸壁に沿って有名なポートワイ
ンの醸造場が昔からの雰囲気を醸している。今しも川面に浮かぶ2隻の船は、観光客を乗せる遊覧船だが、
そのポートワインを運んでいた時代の船を模しているそうだ。
コインブラから再び、ポルトガル国鉄(CP)の特急(AP=アルファ・ペンドゥラー
ル)に身をゆだねて、次の目的地ポルトに向かう。途中、アヴェイロに停車した。この町
は大分市の姉妹都市である。ひと月後には姉妹都市締結30周年を記念して、大分市から
訪問団が来ることになっているが、わたしの今回の旅のテーマである日甫交流は、16世
紀を中心とした中世と近世のことであって現代のことではない。申し訳ないが、ここには
寄らず先を急ぐことにする。
ポルトの中心にあるサン・ベント駅には薄闇の迫るころに到着した。まず駅舎の豪華さ
に驚かされた。私見ではあるが、世界で最も内装の豪華な鉄道駅の一つだろう。ポルトガ
ル自慢のアズレージョ(タイル)をふんだんに使った壁画は見る者を圧倒するに十分であ
る。この駅が出来たのは1875年である。日本の誇る東京駅が1872年に完成してい
るから、ほぼ同時期の建造物という事になる。もちろん改装なった東京駅の美しさは言う
までもないが、このサン・ベント駅の3世紀にまたがる歴史にも、わたしは見とれてしま
壁
に
タ
イ
ル
絵
が
あ
る
。
右
が
外
観
の
一
部
。
左
、
カ
ン
パ
ニ
ャ
ン
駅
の
ロ
ビ
ー
、
全
て
の
った。
さてこの町のことである。ポルトは英語ならポート、つまり港のことである。単に「港」
と呼ばれてそのまま都市の名前として世界中に認識されているのはこの「港」だけであろ
う。そこで定冠詞を付けて「オ・ポルト」と呼ばれることもある。当時のヨーロッパ世界
で、単に港といえばここなのだというポルトガル人たちの自負である。彼らの繁栄をもた
らした大航海時代の最大の拠点であったのだから、定冠詞を付けて呼ばれるだけの歴史的
資格は確かに充分有している。
ポルトと言えばもちろんポートワインとエンリッケ航海王子である。エンリッケ航海王
子はポルトガルの大航海時代の創始者であり、ポートワインは大航海時代の船乗りたちの
命を支えた、文字通り「命の水」であった。わが大友宗麟も献上品としてのポートワイン、
当時の日本では珍陀酒(ポルトガル語で赤ワインを指すチンタの訛りであろうか)を飲ん
でいる。
ポートワインはこのポルトのまちを流れるドゥーロ川の上流域一帯で産するワインに、
同じワインや絞りかすを蒸留してつくったアルコールを加えて発酵を止め、酸化しにくく
した酒精強化葡萄酒と言われる飲み物のことである。これがつくられるようになったのは
15世紀の中頃、つまり大航海時代の黎明期と重なる。この頃、遠洋航海の船乗りたちの
命を脅かしていたものの一つに壊血病があった。要はビタミンCが不足して起こる栄養障
害だ。新鮮な野菜や果物が取れない遠洋航海では、ビタミンなどという栄養素の存在すら
まだ知られていなかったこともあって、
まるで呪いか祟りにあったようにして、
多くの人々
が命を失った。それを救ったのがワインだったが、ワインは船の上ではすぐに酸化してビ
ネガー酢になってしまう。
今でこそ酒精強化ワインは同じポルトガルのマディラ酒、スペインのシェリー酒、イタ
リアはシチリア島のマルサラ酒など、わたし達も普通に酒屋で買って飲むことができるよ
うになったが、この時代はポルトの醸造家達の独占商品だった。大航海時代がポルトガル・
スペインからイギリスにバトンタッチされた後も、船乗りたちの「命の水」はポルト(ポ
ート)から来たワインということで、ポートワインという名前が広く世界に知れわたった
というわけである。
ドン・ルイス1世橋のたもとからは、ポートワインの醸造場の屋根の上を通るローウエ
ーが出ている。今は昔ほどの賑いこそなくなってしまったが、熟成のためにワインを詰め
た樽を寝かせておいた倉庫の屋根が延々と続いている。わたしが訪れた日はちょうどポー
トワイン祭りの最終日ということで、パレードなども賑やかに催されていた。実はわたし
は今度の旅ではポートワインを一度も口にしていない。もともと酒精強化ワインはシェリ
ー酒党を自認しているのに、ポルトの酒屋の店先で見るポートワインの値段が、1本50
0~600円もあり、数万円のものもあることに驚いて手が出なかったのである。
ドン・ルイス1世橋の上を走るトラムと呼ばれる路面電車。歴史ある港町には近代的すぎるようにも見
えるが、わたしにはむしろよく似合っているという印象だった。