は た お 母ちゃんは大勢の子育てに、農業に大忙しの日々。その合間を縫い、寝る間を惜しんで 機織 り をしていたね。 母ちゃん覚えている? 今から五十数年前、私が 小学校六年生の時だったよ。母ちゃんが言っ みぃ た。 「おい、光 。あんたに生きる道つけてやるから機むんに座ってごらん」と。 降って湧いたような言葉に私は心の準備などなかったが、もしかして“あんたなら織れると” と認めてくれたかもと思ってうれしかったよ。 それから母ちゃんの特訓が始まった。「機むんの下にある踏み台に足を乗せる。片方の足で踏 ・ ・ ・ むと縦糸が開く、開いたところに横糸の ひづき を横に走らせる。次はもう一方の足を踏みバッタ んを前に引いて糸を締める。この繰り返しだ。やってごらん」 げき ところが思ったようにいかず困難を極めている私に母ちゃんの 檄 が飛ぶ。「はげっ! なんで こんなに簡単な事が出来んのぉ。ぼっと者、何回教えればわかるの! こんな不器用な子知らん。 あんたは他に生きる道見つけろ」と乱暴に言い放って立ち去った。呆然自失の私は、ショックの あまりにその場にへたりこんだよ。 あれから長い月日が流れ、私は都会に仕事を得て働いていたが、母ちゃんに認知症の症状が出た わん ののう お う ので、実家で両親と暮すことになった。母ちゃんは開口一番「私 は 紬 織 りが一番好き、織 りち ゃかぁ」と言う。なーんだ、私に織り方を教えてくれていれば二人で 機織りが出来たのにと言っ てはみたものの、母ちゃんの頭の中の回路はつながらなかった。 母ちゃんが空の人になって十年、私は近所のお姉さんの紹介で龍郷町の織工養成所に通い始め て十年が経った。 大島紬が出来るまでは気の遠くなるような時間がかかり、職人さんの技が結集されている。こ の技術と伝統は世界に誇れると思う。 私は先生の指導のもとで織っているよ。 母ちゃんの子供でよかった。ありがとう。
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