多様な格差社会への転換 - JMR生活総合研究所

消費を読む 提言論文
多様な格差社会への転換
- 市場を捉える九つの階層セグメント-
同質性の高い中流社会という戦後築かれた日本社会の認識が崩れようとしています。従
来の社会認識を前提とした市場理解とマーケティングは効率を低下せざるを得ません。情
報技術革新が社会構造の流動性を高め、多様な格差化が進展するという、新しい消費社会
のステージを展望します。
1.格差拡大の事実
市場とは、人々の暮らし方(生活スタイル)から生まれてくる様々な商品やサービスへ
の欲望のことである。市場は経済行為であり、社会がそれを包摂している。市場、経済、
社会は密接に関連しているが、社会の動向が市場に大きな影響を与えていることは事実で
ある。従って未来の予測を社会の変化から展望することは市場の長期予測をする上で欠か
せないことである。
日本社会は、上と下が非常に近くて真ん中が大きい「俵型おにぎり社会」であった。国
民の 84%が自分を中流階層として認識し(平成8年度国民生活選好調査)、この割合は 78
年以降ほとんど変化していない。血縁や地縁によって差が生まれる階級社会から平等な中
流社会への転換が戦後の社会の一貫した流れだった。
しかし、様々な統計データはこの認識と異なる現実を示している。84%の中流意識の背
後で多様な格差が拡大している。多様な格差の源泉は、賃金格差、資産格差、地域格差、
情報格差そしてライフステージ選択肢の拡大の五つである(図表1)
。
(1)賃金格差
勤労世帯における世帯年収上位 20%と下位 20%の実収入の格差は 95 年の 2.71 倍から 98
年の 2.88 倍へと3年連続して拡大(家計調査年報)した。今後、企業の実力賃金の導入、
低収益事業・機能の売却やアウトソーシングにより賃金格差は拡大する。
(2)資産格差
日本には 1,253 兆円という膨大な資産がある。その大半を占める貯金額を年代別にみる
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と、30 代の平均 670 万円に対し 60 代は
図表1.多様な格差の拡大
約3倍の平均 1,874 万円を保有する(平
成 10 年版国民生活白書)
。今後、金融自
由化、年金制度改革から資産格差は拡大
する。
(3)地域格差
勤労世帯の実収入は全国平均で約 59
万円。地域別にみると、最高が北陸の約
69 万円、最低が沖縄の 40 万円と 29 万円
の格差がある(平成 10 年家計調査年報)。
産業の立地は地域別に集中している。80
年代「シリコンロード」と呼ばれた東北
自動車道沿いには電子産業、北陸は伝統
的に繊維、機械、金属が強く、半導体組
立は九州に集中する。今後、産業間の成
長力の差から地域格差は拡大する。
(4)情報格差
パソコン普及率には地域、年齢、収入
など様々な側面で格差が存在する。例えば地域別に見ると、全国平均 25%に対し最高が関
東の 31%、最低が九州・沖縄の 18%と約 13%の格差がある(平成 10 年版家計消費の動向)。
パソコンの有無は入手できる情報の格差を生じる。マスメディアを通じた画一的な情報だ
けを入手する人と、インターネットを通じより早く詳しい情報を入手する人では収入や生
活スタイルが必然的に異なる。
(5)ライフステージ選択肢の拡大
これまでの平均的なライフステージ選択は、初婚年齢が男性 30 歳、女性 27 歳、初子誕
生が男性 33 歳、女性 30 歳、長男結婚が男性 58 歳、女性 55 歳で、親子3世代世帯を形成
するというものだった。しかし、当社 98 年生活者調査から、
30 代未婚者:男性 22%、女性 15%
40 代以上の子なし既婚者:男性8%、女性6%
というように平均的ライフステージの拡散を確認できる。今後、独身貴族、DINKSな
ど世帯形成パターンが多様化するだけでなく、SOHO、起業家、フリーランス専門職な
ど就業形態の選択肢の多様化も進むと考えられる。
「中流社会」という認識は事実と齟齬をきたしている。しかし、多くの企業が既に存在
しない8割の中流市場に対し商品を投入している。その結果、商品は売れ残り不良債権化
し、資産効率を圧迫する。この悪循環からの脱却のために、格差化の事実を組み込んだ新
しい社会認識が求められている。
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2.消費社会の理論-現在社会論
戦前の階級社会から中流社会への転換にともなって、生産主導の社会から消費主導の社
会への転換がもうひとつの基軸となった。現代社会を捉える上で、消費社会論が有力なモ
デルを提示している。
最も影響力のある消費社会論者ボードリヤールは、消費社会を「消費の仕方を学習する
社会、消費についての社会的訓練をする社会である」と定義している。その基本的主張は
以下の2点に要約できる。
消費社会では人々は享受を強制され、欲望は生活に必要な財の消費の次元を離脱し
無限に拡大する(基本的欲求と副次的欲求の分離)
欲望の対象は他者との差異化の欲求を満たすマスメディアにより提示された複数の
生活スタイルである(マスメディアによる欲望の生成と説得)
日本でも見田宗介、内田隆三などが、消費社会論の観点から現代社会を分析している。
彼らの見解を以下にまとめる。
見田は情報化による大量廃棄を前提としない消費の可能性と美の追求における主体
の存在から現代社会の今後の発展可能性を示唆する
内田も副次的欲求と基本的欲求の充足の不可分性から消費社会を今後も成長可能性
を持つものと捉えている
これらの論者の共通点は、現代社会が欲望を基軸とする社会であるということである(図
表2)。欲望が消費を決定し、消費が生産を規定する。もうひとつは、その欲望が個人に帰
属するものではなく社会システムによって生み出されるものであり、他者の欲望の模倣と
いう形で際限なく流動化されるということである。
図表2.消費社会の捉え方
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この理解に従うならば、戦後の日本社会は、不平等をなくすというシステムによって、
欲望を限りなく市場化してきたと言える。学歴による地位や収入の差異、都市と地方の差
異、男女の差異などの社会的差異を平等化するという手法を利用して消費を常に活性化し
てきた。そして、出来上がった生活スタイルが単一の中流生活であった。この日本の特有
の現象を岩井克人は、法人資本主義という概念で説明している(「現代日本の文化論8」岩
波書店)。法人資本主義とは全労働者の約7%を占める、従業員規模 500 人以上の上場企業
に勤める人々の生活スタイルをモデルとする社会である。
当社では、このような中流生活スタイルを、以下の3点から定義している。
1.
安定収入:サラリーマン世帯
2.
性別分業:妻は専業主婦またはパート・アルバイト
3.
財の形成:持ち家
このような特徴を持つ中流生活スタイルの原型は大正時代には成立、75 年には総人口の
8割にまで拡大し(松田 1998 年)
、結果として、78 年には中流意識が現在と変わらないレ
ベルにまで広がり、中流の生活スタイルは成熟したのである。
しかしながら、様々な階級差を模倣欲望に結びつけるシステムはもはや限界に来ている。
このことも消費社会論者の共通の認識である。地球環境、資源制約などの問題である。
3.消費社会の展望-多様な格差社会化
階級差から欲望が生まれ、消費社会化が進展してきたことが、経済成長の原動力であっ
た。この消費社会化の動きはもはや後戻りすることはできない。同時に、これまであった
階級差はもはや失われてしまった。消費社会という条件と新しい格差が拡大しているとい
う事実を組み込むと新しい消費社会のステージが見えてくる。
(1)消費社会化の階層再生産機能
新しいライフスタイルモデルを考えるうえでのキーワードは「多様な格差」である。一
般的に、消費社会化は格差のない豊かな社会の実現を約束すると信じられている。しかし、
格差拡大という現象は消費社会固有の性質である。資本主義社会は、社会の階級差を前提
に成立し、その差を利用して消費社会へと進展した。資本主義社会の存立は、人々のなん
らかの社会的差異を前提としているのである。ボードリヤールは消費社会下の階層化の必
然的進行を、以下のように説明する。
1. 消費者は自分が望み選んだ証明として他人とは異なるモノを消費しようとする
2. しかしその差異性はあらかじめ存在する社会階層を基本としたライフスタイルモデ
ルの差でしかない
3.
結果として社会階層は再生産される
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日本でもこのような階層化の事実が確認できる(図表3)
。全世帯(2人以上)の年収格
差は 71 年に最低の 4.00 倍を記録して以来、長期的には上昇傾向にあり、97 年には 66 年の
4.80 倍に迫る 4.78 倍を記録している。つまり、70 年代に収入格差の縮小は停止し、その
後は拡大しているのである。
図表3.拡大する世帯年収格差
(2)多様な階層化の進展
ヨーロッパの高級ブランドは、封建的な階級差から生まれてきたものであり、階級差の
ない日本市場で欲望の対象となるのは、消費が、人々の欲望がなんらかの差異を求めてい
る証左である。日本の消費社会は、新しい格差を生み出すことによって新しい消費社会の
システムを創造しようとしている。
しかし日本の階層化は、欧米の封建的な残骸に基づく所得や資産階層を基軸とした単一
の階層化ではない。五つの格差を基にした多様な階層化である。
西欧には資産、米国には職業(管理職、事務職、労働者など)を基軸とした階層が存在
する。一方日本では、農地解放等による資産格差の消滅(厳密には存在するが)
、極端な生
活給制度による賃金格差の消滅から、欧米のような強力な階層化要因が存在しない。その
ため、差異化の欲望は中流モデルを漂い「分衆の時代」やその後のバブル消費を形成した。
しかし、消費社会の当然の帰結として、あるいは経済のグローバル化の結果として階層
化が進行している。日本社会は中流生活スタイルモデルの揺らぎのなかで誕生した、いく
つかの生活スタイルモデルを頂点とした「多様な格差社会」へと転換していくと考えられ
る。
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4.市場を捉える九つの階層
(1)多様な格差を生む諸要因
多様な格差は、垂直の格差(収入階層)を生じる経済的変数と、水平の格差(財の保有
パターン)を生じる人口統計的変数から捉えることができる。このふたつの変数の組み合
わせから、同質的中流市場は多様な階層市場へと分化する。
1) 垂直の格差
垂直の格差の要因は、第一に収入格差、第二に資産格差、第三に情報格差である。最も
重要なのは収入格差である。実力賃金の導入と企業間格差の拡大から、まず、上場大企業
のホワイトカラーが上流として分化し、他のサラリーマン世帯と異なる社会階層を形成す
る。次に、経営の効率化により低付加価値業務の外部化を進める中で、低賃金かつ雇用保
証のない契約社員やパート・アルバイトの比率が増える。この層が下流として分化する。
第二に、金融自由化により資産運用の結果として、資産格差が拡大する。この結果、資
産を基軸にした上流層が生まれる。
第三に、情報化により広義のデザイン(経営・マーケティング企画、機械・機器の設計、
PCプログラム開発など)の重要性が増加する。その結果、特定分野で高度なデザイン能
力を持つ人々が高い収入を得て上流層として分化する。
2) 水平の格差
水平の格差の要因は、第一にライフステージ選択肢の多様化、第二に高齢化である。ラ
イフステージ選択肢の多様化は、単純に子あり世帯を形成するか、しないかで捉えること
ができる。中流化の一要素に核家族化(両親と成人していない子供で構成される世帯の形
成)がある。この核家族化と異なる選択、シングルもしくはDINKSを選択する層が中
流から分化する。
次に、高齢化の進展による高齢者世帯の増加がみられる。これまでは子供夫婦との同居
が多く、独立した社会階層として存在しなかった。しかし、少子化と高齢化の組み合わせ
は子供と同居できない高齢者世帯を社会階層として分化させる。
(2)九つの階層セグメント
垂直の格差、水平の格差の結果として「同質的中流市場」から、九つのセグメントが存
在する「多様な格差市場」(図表4)への転換が起こりつつある。
1) 中流生活スタイルの分化
構造転換の中心は、96 年で 84%存在する中流階層の分化である。当社 98 年生活者調査
によると、サラリーマンになり安定した収入源を確保したいと考える層が全体の約 60%を
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占めている。今後も、安定収入を基軸にした中流生活スタイルへのあこがれが消費の牽引
車となる。しかし、収入の格差が約 60%の中流生活スタイル志向者を、10%の本流上流(旧
本流中流)、40%の共働き中流、10%の共働きフリーターへと分化させる。
第一に、本流上流は、企業間格差と実力賃金の結果、上場大企業の拠点(本社または事
業本部所在地、主に東名阪)に勤めるホワイトカラーのマネージャークラスで高い収入を
得る世帯である。夫の賃金だけで生活ができる。したがって、性別分業、資産形成という
旧本流中流の特性を維持していくことになる。
第二に、共働き中流は、全国の主要市街地に住む中小企業の従業員を世帯主とする世帯
である。夫の賃金は家計の維持に十分ではない。したがって、資産形成は可能だが、それ
は共働きを通じて行われることになる。
第三に、共働きフリーターは、都心に住む世帯主が契約社員またはパート・アルバイト
の世帯である。夫の賃金は家計の維持に決定的に不足している。したがって共働きにより
家計を維持していくが、家計収入は資産形成には不十分なものとなる。
2) 三つの新上流セグメント
情報格差、資産格差を基軸に上流階層では本流上流(旧本流中流)に加え、人口の5%
の情報上流、5%の資産上流が分化する。
第一の情報上流は企画、研究者、プログラマーなどのクリエーターを世帯主とする世帯
である。世帯主は自分の技術を高く評価する職場を求め移動することを志向する。
第二に、資産上流は起業家または投資家を世帯主とする世帯である。世帯主は安定した
収入よりも、リスクの高い事業や金融商品に投資し、高いリターンを得ることを志向する。
両セグメントともに収入が高く、夫又は妻の収入のみで家計を維持し、資産形成するこ
とが可能である。どちらの層もビジネスの機会、情報量の多い都心に居住することが多い。
3) 三つの新中流セグメント
中流階層では共働き中流に加え、人口の 10%のシングル中流、10%の高齢中流の2セグ
メントが分化する。
第一に、シングル中流は、都心に住む安定した収入源を持つ独身世帯または、既婚子な
し世帯である。老後の保険としてマンション等を購入するなど、資産形成意欲が高い。ど
ちらも、結婚しないこと、子供を持たないことを自由意志で選択した層で、家族を形成す
るよりも独身の気楽さを重視する。EDO(恵比寿、代官山、表参道)でショッピングを
楽しむ層である。
第二に、高齢中流は定年前に資産形成に成功した高齢者世帯である。新規就農者 10 万人
の6割を占める定年帰農者など、新しい生活スタイルを形成しつつある。年金収入を基本
に置きつつも他に収入源があり、一定の購買力を有する。
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4) 三つの新下流セグメント
下流階層では共働きフリーターに加え、人口の5%のパラサイトシングル、5%の無資
産高齢者の2セグメントが分化する。
第一に、パラサイトシングルは、親と同居している安定した収入源を持たない独身者で
ある。契約社員やパート・アルバイトによる収入は一般的に、独立して中流の生活スタイ
ルを維持するには不足する。しかし、共働き世帯を形成するより独身の気楽さを選択した
い。そういう層が戦略として親と同居し、食住を依存することで中流生活スタイルを維持
しているのである。
第二に、無資産高齢者は、定年前の収入が低く資産形成に失敗した層である。借家生活
であるため、年金を中心とした収入は、衣食住の必須的支出以外に回すことができない。
結果として、非常に質素な消費を行うことになる。
(3)多様な階層市場を前提としたマーケティング
九つの階層セグメントに属する人々の間では、財の保有パターンやデザインの志向、利
用するチャネルが大きく異なる。
ライフステージ選択の差は、財の保有パターンの差を生じる。子あり世帯を形成する層
では家事関連の耐久消費財に対する支出が大きいが、子なし世帯を形成する層はCVSを
冷蔵庫代わりに使用する。
クリエーターや起業家・投資家はサラリーマン世帯と異なるデザインを志向する。共働
き中流やシングル中流の一部はこの層の生活スタイルに憧れを持つ。一般的な製品のライ
フサイクルは本流上流から共働き中流、共働きフリーターへと普及しながら成熟化へ向か
う。しかし、情報上流や資産上流を起点とした異質の製品ライフサイクルが誕生する。
収入階層は財の購入に占めるサービスの割合の差を生じさせる。新上流層は商品により
高付加価値チャネルを選択するが、新下流層は低付加価値チャネルを選択する。
結果として、同質的中流市場を前提としたマーケティングの生産性は低下する。商品は
売れ残り不良債権化し企業の資産効率を圧迫する。この悪循環からの脱却のために、九つ
の階層セグメントをベースにした、格差を創造するマーケティングが求められているので
ある。
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