学習メモ

現代と文化
新しい博物学を (全二回)
学習のポイント
池内 了 ① サイエンスは知識総体のことを意味していた
② サイエンスの変質…自然哲学から自然科学へ
③ なぜ、科学は楽しくなくなったのか
① 新しい博物学の提案
② 新しい博物学をイメージする
③ 総合知、知の総合
理解を深めるために
高校生のみなさんは自分の進路について考えていることと思います。その場合
に、「文系か理系か」という区分を自分に当てはめてみることもあるかと思います。
こうした区分は、自己理解の目安として便利ですが、一方では、あらかじめある
枠のなかに自分自身の興味関心を押し込むことでもあるでしょう。この文章の筆
者の池内了さんは、文系、理系の間の垣根を「余計な壁」と呼んでいました。
この文章の前半は「サイエンス」の概念の歴史的な変化について書いています。
かつてサイエンスは総合知、知識総体のことを意味していました。そこには文系
と理系の別はありません。自然の研究は人間や倫理の研究と一体で進められてい
ました。ところがあるとき科学が神学や倫理学など他の知の領域から分離して、
現在の自然科学に限定されていきます。科学が取り扱う対象が限定され、科学特
有の方法論が確立され、それがさらに先鋭化していくと、理系、文系は全く異な
る対象を、まったく異なる方法で扱うものと認識されることになります。そして
科学は専門家のものとなり、一般の人々にとって近づきがたいものとなって行き
ました。一般の人々は、科学技術の恩恵を受けながら、その科学になにか得体の
知れないよそよそしさを感じないではいられません。これは深刻な問題です。
軍事技術の拡大や公害、生命そのものの操作など、科学がどこに行くのか不安
になることがあります。科学が科学だけの領域に閉じ込められ、その内側で「発
展」していくとすれば、今後私たちはますます不安になっていくでしょう。科学
は再び倫理的な観点からの考察と社会的な合意とに開かれていく必要があると思
います。では再び総合的な知を取り戻すにはどうすればいいのか。あるいは、そ
の総合知とはどんな形をしているのか。池内さんは「新しい博物学」を提唱しま
した。
池内さんは、現在のところ「内容はまだまだ不十分」だと書いておられますが、
従来の学問の枠組みにとらわれない文理の共同作業が今後広がっていくなら、や
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佐藤 泉
第 71・72 回
第1回
第2回
講師
現代文
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ラジオ学習メモ
がては思ってもみなかった新しい知の形が浮かび上がってくるのではないか、と
思われてきます。
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従来の学問の枠にとどまらない共同の知の作業のなかから、思ってもみなかっ
第 71・72 回
た豊かな「思想」さえ現れました。私たちは悲劇からさえ何かを学ぶことができ
る、ということの優れた事例だと思います。
(学習メモ執筆・佐藤 泉)
現代文
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ラジオ学習メモ
新しい博物学を
いけうち
さとる
池内 了 近代科学は、十七世紀初頭のガリレオに始まり、ニュートンによって集大成さ
れたことになっているが、それはいわばエリートの科学であり、はたして一般の
人々にまで科学の考え方が浸透していたかどうかを疑う科学史家が多い。しかし
私は、ニュートンの理論とは独立に、科学の大衆化もほぼ同時並行的に進んでい
たと思っている。十七世紀から十八世紀にかけて望遠鏡や顕微鏡が普及し、それ
まで見えなかったものが詳細に見えるようになり、人々はこぞって星空や虫にレ
ンズを向けて観察に励むようになったためである。また、新大陸から運び込まれ
た珍しい植物や動物などに好奇心がくすぐられ、それらの図鑑が多く出版されて
ベストセラーになり、世界中の虫や岩石や植物などを収集することがブームとな
った。自然観察のための道具とグローバル化した情報の集積によって、人々はき
わめて自然のうちに科学に親しむようになったのである。それによって得られた
知識を集大成したものが百科全書であり、共通性と異質性によって自然物を分類
する博物学が科学の主流となった。十九世紀半ばまで、知識総体のことを意味し
たサイエンス(ラテン語のスキエンチアが語源)という言葉は必ずしも自然科学
だけに限定されてはいず、人々は自然の摂理に神の意図を読み解く「自然哲学」
を楽しんでいたのである。
しかし、産業革命以来、技術の発展には目を見張るものがあり、技術の基礎を
なす基本原理(科学)の研究の効用が認識されるようになった。その典型が「熱
力学」だろう。蒸気機関のような熱エネルギーから仕事を取り出す機械の効率の
研究に始まり、マクロな概念である温度や圧力や熱量をミクロな分子運動から説
明する方向へ進んでいったからだ。また、物質の見かけの姿の共通性や異質性の
理由を、その物質を構成する、より基本的な要素とその反応性に求めていく方法
の有効さが認識されるようにもなった。マクロからミクロへ、デカルトが主張し
た要素還元主義を旗印とするサイエンス(自然科学)へと変質したのである。現
在から見れば、
「変質」ではなく「王道」を発見したことになるのだが、歴史的
に見れば、やはり「自然哲学からサイエンスへと変質した」と言うべきだろう。
要素還元主義は大成功を収めた。電気と磁気が電荷とその流れである電流を通
じて統一されて電気の時代をもたらし、原子の世界の成り立ちとその運動法則が
エレクトロニクス革命を導き、今やDNAの構造の解明から神に代わって生命を
操作する時代を迎えつつある。まさに、変質した科学が技術を通じて現代の文明
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を駆動していると言っても過言ではない。
しかし、何か座り心地が悪い。科学が楽しくないのである。「理科嫌い」の子
供たちが増え、科学は悪をもたらすと不信感を持つ人々も多い。とはいえ、科学
第 65 〜 68 回
佐藤 泉
と手を切って暮らすことはもはや不可能である。科学へのアンビバレンスな感情
現代文
講師
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ラジオ学習メモ
が座り心地を悪くさせているのだ。
そ の 根 源 の 一 つ は、 科 学 の 対 象 が 等 身 大 の 世 界 か ら 外 れ て し ま っ た こ と に あ
る。マクロからミクロへの要素還元主義を突き詰めてきた結果、直接目には見え
ない世界を操作するようになり、科学の言明は、直感が利かず、実感から離れ、
ほとんどがブラックボックスの中の出来事になってしまった。人々は、説明を受
けても専門用語だらけでほとんど理解できず、中身を知らないまま利用するのみ
なのである。それでは、科学の時代を生きている充実感が味わえず、疎外感を持
つだけに終わってしまうのだ。ましてや、環境ホルモンだの、放射能だの、遺伝
子操作だのと、何やら恐ろしげな言葉が頭上を行き交っているのに、それに対し
てどう言っていいのかわからないとあれば、科学の発展はもう結構と言いたくも
なるだろう。
もう一つの根源は、
「 科 学 技 術 創 造 立 国 」 と い う ス ロ ー ガ ン が あ る よ う に、 科
学が国の命運を担うかのように言い立てられ、肩肘張って科学の有用性を説かね
うんちく
ばならなくなっていることにある。さまざまな石を集めて分類し、それに名をつ
けては書棚に並べ、人に見せては蘊蓄を語る。そんな楽しみとは無縁の科学とな
ってしまったのだ。そんな石を集めて何の役に立つのか、それは国民の福利に寄
与するのか、それが世界をリードする研究成果なのか、そんなことを常に言い立
てられて科学が楽しいはずがない。
いずれも、科学が日常における個人の営みからはるかに離れてしまったことを
意味している。どうかして科学を身近に引き寄せ、今一度科学の楽しみを取り戻
せないものだろうか。異なった目で自然を見直せば、新しい世界が見えてくる。
そこから、文化としての科学の奥深さを観賞することができないものだろうか。
そんなことを考えて、私は「新しい博物学」を提案している。鉱物や動植物など
の自然物を記載・分類した博物学は、かつては自然哲学を総合化する学問であっ
た。そこから生物学・地質鉱物学・化学・物理学などの学問が分化し、それらは
さらに細かく専門分化して科学の疎外が生じているのが現状である。ならば、再
度これらを総合化して博物学を復権させることが大事なのでは、と考えたのだ。
そして、歴史学や民俗学、文学や美術、言い伝えや隠れたエピソードなどをも博
物学に加えれば、文系や理系という余計な壁も崩せるのではないだろうか。「新
ふ
ぐ
しい」という接頭語をつけたゆえんである。その試みの一端を以下に紹介してみ
たい。
私たちの周辺にはあらゆるモノがあふれている。それらは河豚毒や竹や朝顔の
ような自然物であったり、望遠鏡や磁石やブランコのような人工物であったりす
うた
るが、それぞれ人間世界に登場するに当たって異なった歴史を持ち、短歌や俳句
や詩に詠われ、科学研究の対象にもなってきた。そこで、これまでバラバラにさ
れてきたモノをめぐる知的な営み全部をつなぎ合わせて、一つの物語を作ってみ
第 71・72 回
たらどうだろう。
「科学と文学の間」
に立って仲を取りもとうという試みである。
ぶ そん
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たとえば、河豚毒の物語。科学面から見れば、フグ毒(テトロドトキシン)の
化学構造の決定やどのように神経毒として作用するか、なぜ養殖フグには毒がな
ば しょう
いかなどの研究がある。この研究は、フグだけにとどまらずカニや貝が持つ共通
の毒へと広がっている。そこから一転して芭蕉・蕪村・一茶が残した河豚に関す
現代文
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ラジオ学習メモ
る俳句を渉猟して三人の俳人の河豚とのつき合い方を探り、河豚料理のうまさの
理由がどのような成分にあるのかをサイエンスも交えて語る。そして最後に、紫
式部と清少納言の間の確執の背後には河豚毒による集団中毒事件があったのでは
ないかという説を紹介する、という展開である(ここで、フグとかたかな書きし
ている場合は魚類名の科学表示であり、河豚と漢字で書く場合は文化現象として
の表現である)
。
あるいは、
「 星 は す ば る 」 と い う 清 少 納 言 の 有 名 な 一 節 を 取 り 上 げ て み よ う。
彼女はそれに続いて「ひこぼし。ゆふづつ。よばひ星、すこしをかし。尾だにな
からましかば、まいて。
」と星づくしを連ねているが、はたして清少納言は実際
さい とう くに じ
に星を見てこの文章を書いたのだろうか、という疑問を取り上げてみたのだ(む
たな ばた
ろん、そんな疑問を持った古天文学者斉藤国治氏の著作を参考にしたのだが)。
そこで、
『万葉集』や漢詩を引用しながら「ひこぼし」から七夕伝説の由来を紹
介し、
「よばひ星」の「よばひ」のしかたの変遷を『古事記』や『源氏物語』に
たどりつつ、それぞれの星についての天文学上の知見にも触れていく。さらに、
日本が建設した口径八・二メートルの「すばる」望遠鏡の話、すばる星(西洋で
すばる
はプレアデス星団と呼ばれる)の伝説、すばるを使ったことわざや和歌、最後に
やま
ばなし
「月は東に昴は西に いとし殿御は真ん中に」という江戸時代の歌謡と蕪村の名
よ も
句「菜の花や月は東に日は西に」の関係と、「すばる」をキーワードにした四方
山話に仕立て上げた。
むろん、
私が使った資料はごく少ないから内容はまだまだ不十分である。また、
何か新しいものをつけ加えたわけでなく、エピソード集を作ったにすぎないかも
しれない。しかし、書きながら、同じ一つのモノであっても、実に多様な歴史が
あり、さまざまな見方や表現があり、科学とも関係づけられることを実感できて
私自身楽しかった。それだけでなく、これまで私の科学の解説本には一顧だにし
か
い
ま
なかった文系人間の連れ合いが、すらすら読んで楽しかったと言ってくれたので
ある。ごくささやかな成功にすぎないが、「新しい博物学」の可能性を垣間見た
気がしている。
役に立たなくても、新しいものをつけ加えなくても、知的に楽しく、これまで
と違った目で世界を眺めることができる、そんな総合知の学問として「新しい博
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物学」が育ってくれたらと思っている。二十一世紀という時代の科学の一つの目
第 71・72 回
標ではないだろうか。
▼作者紹介▲
池内 了(いけうち・さとる)1944〜。兵庫県生まれ。天文学者。
宇宙や銀河の進化について研究のほか、科学者の倫理についての発言も
多い。著書に、『科学の考え方・学び方』
『宇宙論のすべて』
『疑似科学入門』
など。本文は『ヤバンな科学』より。
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