2013 年 12 月号 教区年間テーマ 人はパンだけで生きるものではない ー信仰年にあたってー カトリック瀬戸教会広報 2013年 12 月号 発行 毎月第一日曜日 〒483-0983 瀬戸市苗場町 66 カトリック瀬戸教会 (0561)82-7340 カトリック瀬戸教会 検索 2 御父に向かう祈り ミサのあずかり方⑦ キリストの死と復活を「思い起こす」という共 主任司祭 櫻本好美 同体の行動を、司祭が声を出して祈り、会衆は それに耳を傾けて心を合わせるという分業で行 第7章 奉献文に親しむ っているのです。 ところで、祈りは相手のあるものですから、 今回は「奉献文に親しむ」 (来住英俊『目からウ 会衆が本当に参加するためには、自分たちが誰 ロコ ミサのあずかり方』P.59~)について に向かって祈っているのかをはっきりと意識す 学びます。 る必要があります。御父、イエス・キリスト、 聖霊、この中の誰に向かって祈っているのか。 1共同体が思い起こす ふだん私たちはこれをあまり意識していません。 「主は皆さんとともに」 「また司祭とともに」 要するに「神さま」に祈っているのです。個人 という対話で始まる叙唱から、感謝の賛歌、と 的な祈りではそれでよいのですが、典礼の祈り 続いて、「キリストによってキリストととも ではこれを明確にする必要があります。ミサの に・・・」という栄唱までを「奉献文」といい 祈り、奉献文は御父に向かう祈りです。 ます。ミサの頂点というべき部分で、会衆の積 「これはわたしのからだ、わたしの血の杯」 極的な参加が最も期待されるところです。 という聖体制定の部分は、うっかりしていると、 会衆がより積極的に参加するためには、 「ここ 司祭が会衆に向かって最後の晩餐の物語を語っ で共同体は何をしようとしているのか」と考え ているように聞いてしまいます。しかし本当は、 るといいでしょう。共同体全体としての行動の 司祭は御父に向かって、 「御子キリストはあの時、 イメージがはっきりすると、自分の役割も明確 このように話し、このようになさいましたね」 になるからです。 と思い起こしているのです。会衆もこれをはっ 奉献文における共同体の行動は、 「思い起こ きりと意識して聴き、応答すれば、 「思い起こす」 す」ことだと考えるのがいいでしょう。イエス・ という共同体の行動にもっと積極的に参加でき キリストの死と復活を「思い起こす」 (記念する) るでしょう。 のです。聖霊の交わりの中で、信じる者の共同 聖体制定の叙述は、聖書の物語とはっきり結 体がその出来事を感謝を込めて「思い起こす」 びついているし、パンとぶどう酒という目に見 ことによって、今ここに集まっている私たちは えるシンボル、そして司祭の動作も伴っている 2 千年前にパレスチナで起こった出来事に、時 ので、会衆に与える印象が強いようです。たし 空を越えて直接にあずかることができるのです。 かに大事な部分ですが、ここだけが突出してし そして、その出来事の持つ救いの力にあずかる まって、その後の祈りの影が薄くなってはいま ことができるのです。 せんか。記念唱は会衆も声を出せるところです。 1 2013 年 12 月号 教区年間テーマ 人はパンだけで生きるものではない ー信仰年にあたってー 御父に向かってしっかり声に出して祈りたいも 3 奉献文に親しむ のです。 奉献文は、ほとんどは司式司祭だけが声を出し 司祭「信仰の神秘。 」 て祈ることになっています。会衆が声を合わせ 会衆「主の死を思い、復活をたたえよう、主 るのは、感謝の賛歌、記念唱、そして栄唱の終 が来られるまで。 」 りの部分だけで、その他は会衆はひたすら聴く さらに、司祭はこう祈ります(第Ⅱ奉献文の場合)。 立場に置かれています。最も大事な部分であり 「わたしたちはいま、主イエスの死と復活の記 ながら、聴くだけの時間が長く続くために、集 念を行い、ここであなたに奉仕できることを感 中力を失いがちです。 謝し、いのちのパンと救いの杯をささげます。」 そこで、日ごろから奉献文のテキストによく これを「奉献の祈り」とも呼びますが、 「あな 親しんでおくといいでしょう。また、奉献文に た」とは御父のことです。この御父への祈りに ついて勉強することは有益です。 (奉献文は幾種類も 皆さんはどの程度参加しているでしょうか。 あるのですが、ほとんどの小教区では、 「第Ⅱ奉献文」か「第Ⅲ奉 献文」と呼ばれるものを使っていると思います。) 次回のテーマは「ミサで自分自身をささげる」 です。 2
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