2013 年 8 月号 教区年間テーマ 人はパンだけで生きるものではない -信仰年にあたって カトリック瀬戸教会広報 2013年 8 月号 発行 毎月第一日曜日 〒483-0983 瀬戸市苗場町 66 カトリック瀬戸教会 (0561)82-7340 に心身ともに引き締まってきます。キリスト信 ミサのあずかり方③ 者にとって、家から教会に着くまでの道はすべ 主任司祭 櫻本好美 て参道といってもいいでしょう。 道中で見かける風景、出会う人たち、すべて 第3章 ミサに出かけて行く をこれからイエス・キリストのミサにあずかろ うとしている人間の目で見ることができれば、 今回は「ミサに出かけて行く」 (来住英俊『目 からウロコ ミサにあずかる準備になるでしょう。電車やバ ミサのあずかり方』P.21~)につ スに乗る時間の長い人は、この一週間自分は何 いて学びます。 をしていたのかを思い巡らしたらどうでしょう。 キリスト信者として日曜日の生活のリズムの 過去一週間のスケジュール表を見るだけでもい 中にミサに出かけて行くことをしっかり入れた ろいろ思い出せるものです。 いものです。日曜日の朝起きた時に、心がミサ そのような時間を持つと、ミサの始めの「回 にあずかる喜びに満ちあふれていなくても、自 心の祈り」がより意義深くなると思います。あ 分をとがめる必要はありません。眠い目をこす らかじめ自分の一週間を思い起こしていれば、 りながら起き上り、着替えて、家を出て、教会 その中にはたしかに「罪」もあったことが分か に向かって進んでいく。そのからだの動きの中 ります。そして、回心の祈りを罪だけに限定せ に、あなたの信仰は表現されているのです。 ず、 「神さま、この一週間私にもいろいろありま した。でも、今こうしてここに来ています」と 1 家から教会まで いう思いを込めて祈ることができるのではない 普通,ミサは入祭の歌から始まると考えられ でしょうか。 ています。ミサの最初の部分は「開祭の儀」と 呼ばれ、入祭の歌を歌い、回心の祈りを唱え、 2 教会が遠いのも悪くない あわれみの賛歌を歌いながら、次第にミサにあ こう考えると、家から教会までの距離が遠い ずかる心の準備をすることになっています。し というのも、必ずしも悪くないことが分かるで かし実際のところ、日常生活からミサへ気持ち しょう。もちろん、家族の多い人は交通費もか を切り替えるのに、この時間だけで足りるでし かるし、小さな子どもを引率する気苦労もあっ ょうか。 てたいへんです。 「しかし、少なくとも一人で行 自分の家から教会までの道のりを、日常生活 く場合にはメリットがあります」と、著者の来 からミサへ気持ちを切り替えるために心を整え 住神父様は自らの経験を次のように紹介してい ていく時間として考えることができます。神社 ます。 には参道があります。玉砂利を踏んで、木立の 「私は洗礼を受けたばかりのころ(30歳の 中の参道を社殿に向かって歩いて行くと、次第 頃)、私鉄の駅まで20分歩き、二駅電車に乗っ 1 2013 年 8 月号 教区年間テーマ 人はパンだけで生きるものではない -信仰年にあたって て、また教会まで10分歩いていました。その しかし、日本のほとんどの地域では、信者は 途中、遊びに出かける人たちや仕事をしている 広い範囲に散らばって住んでいるので、信者仲 人たちを見て、 『日曜日なのに、私は今こうして 間が集まってくる光景を実際に見ることはでき 教会に向かっている。私はキリスト信者なんだ』 ません。ここでは想像力が必要です。飛行船に という思いを新たにしていました。今考えると、 乗って、東京の町を空から見下ろしています。 これはミサに参加する準備になるよい時間でし あちらこちらから、地下鉄に乗って、電車やバ た。」 スに乗って、また徒歩で教会に向かって進んで 来る人々の姿が見えます。教会に到着した私た 3 神の民が集まってくる ちが信者仲間に出会って懐かしく思うとすれば、 ミサの時間が迫ると、教会の「寄せ鐘」 (ミサ 「せっかくの日曜日なのに、この人たちもここ の時間が迫っていることを告げる鐘)が鳴り響く。そ まで出かけて来たのだ」と思うからではないで れを聞いて、あちこちの家から人の姿が現れて、 しょうか。 教会に向かって集まってくる。カトリック信者 次回のテーマは、 「祈りの空間を創造する」で の多い長崎ではそういう光景が見られたそうで す。 す。それはまさしく、東から西から、礼拝する ために神の民が集まってくるという光景だった でしょう。 2
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