『和歌山市立博物館研究紀要』第 29 号 掲載論文の要約(掲載順) 七右衛門家・早川家の火縄銃と「紀州筒」 太田 宏一 七右衛門家や早川家の鍛冶が製作した火縄銃は、その在銘資料から紀州製であることが 裏付けられている。両家の関係に言及し、これらの火縄銃が、いわゆる「紀州筒」として 位置づけられるのかどうかを検証した。七右衛門家と早川家の火縄銃の共通性は見出せな かったが、江戸中期の早川製火縄銃は「紀州筒」の特徴を持ち、それ以後この形式が普及 していったと考えられる。 キーワード:七右衛門、早川、紀州筒 中世~近世初期における伽陀寺について 小橋 勇介 伽陀寺は、和歌山市加太にかつて存在した寺院である。本論では、伽陀寺の中世から近 世初期に至る歴史的展開について述べた。鎌倉時代末期には「葛城一ノ宿」を名乗り、葛 城修験の拠点寺院となっていた。荘園鎮守の別当も兼ねるが、戦国期に至ると修験の寺と しての性格がより強くなる。十六世紀なかばまでは伽陀寺独自の行動も見られるが、本山 派修験道総本山の聖護院との関係を強化し、本山派の修験者集団の秩序に包摂されること となる。近世の伽陀寺は、聖護院末の寺院として推移する。 キーワード:向井家文書、葛城修験、本山派修験道 中国画譜と日本文人画―祇園南海の場合― 近藤 壮 江戸時代中期、日本文人画の先駆者の一人である祇園南海(1677~1751)は、中国画譜 を利用して作品を描いていることが知られている。本稿では、新たに見出された新出作品 を含めて、南海作品と『八種画譜』や『芥子園画伝』をはじめとする中国画譜との関係を 真正面から探り、南海の学画過程を明らかにしようとした。その結果、南海がどのような 画譜をみて、どのような作品を描いていたかということがより鮮明となり、近世初期文人 画における中国画受容の一端が明らかとなった。 キーワード:祇園南海、日本文人画、中国画譜、『八種画譜』、『芥子園画伝』、 黄檗画、上野若元 和歌山城西の丸及び「西之丸庭園」について 武内 善信 和歌山城西の丸は、紀州徳川家初代頼宣によって藩主の隠居所として築造されたといわ れて来たが、誤りである。西の丸には茶室や能舞台、庭園があり、藩主の趣味の場であっ たのは間違いない。だが、江戸幕府における茶の湯や能の位置から考えて、特別な行事の 舞台でもあった。西之丸庭園は、通説では頼宣の命による小堀遠州流の作庭といわれてい た。だが、西の丸にあった浅野家の御数寄屋屋敷の書院式茶室を、家老の上田宗箇が造営 したと思われ、茶庭となる西之丸庭園も作庭の名手である宗箇が関与した可能性が強い。 キーワード:和歌山城西の丸 西之丸庭園 紀州徳川家における女中採用についての試論 御数寄屋 山下 奈津子 江戸時代、紀州徳川家に仕えた女中たちがどのような人物だったのか、和歌山県立文書 館所蔵「紀州家中系譜並に親類書書上げ」の一部を抽出し、特に藩士の娘からの採用を中 心に分析を行った。紀州徳川家においては、藩主やその正側室だけでなく、他家へ嫁いだ 藩主の娘にも女中が従い、紀州藩士の娘も少なからず奉公している。その父親の役職や禄 高との関係性や江戸城の大奥との比較を通じて、紀州徳川家の女中採用の方向性を見出す ことを試みた。 キーワード:女中、大奥、系譜 血書について 寺西 貞弘 血書とは、自分の強い決意を示すため、自らの血で文字を書くこと、また、その文字や 書状のことをいう。第 2 次世界大戦末期、戦局を挽回しようと、徴兵年齢に達していない 少年たちが、少年志願兵として採用されたい旨を記した血書が軍部に多く提出された。し かし、敗戦時に焼却処分されることが多かった。小論が紹介しようとする血書 4 通は、偶 然にも今に残された血書を紹介し、その背景を論じたものである。 キーワード:連隊区司令部、少年志願兵、サイパン陥落 佐藤寛吾写「華岡門人姓名録」について・下 髙橋 克伸 華岡青洲が創設した医塾・春林軒で学んだ門人の名簿(門人姓名録)を紹介している。 華岡青洲は、日本で初めて全身麻酔薬「通仙散」を開発し、それを使って乳ガン手術に成 功した医者である。この成功は画期的な出来事であった。このため、その技術を学ぼうと 全国から多くの学生が春林軒に集まった。本稿は、前号で翻刻した門人の内容について検 討してみた。そこから、青洲存命中の門人と、亡くなって以後の門人との違いなど、いく つかの点を述べ、門人姓名録のもつ意義などを問題提起した。 キーワード:春林軒 華岡青洲 門人姓名録 和歌山市加太春日神社伝来鏡に関する考察 清水 梨代 和歌山市加太春日神社には 21 面の銅鏡が伝来している。その伝来経緯については神社祭 祀に使用されてきた御正体および鈴鏡を除くと不明である。しかしながら今回調査をおこ なった結果、神社奉納鏡の蓋然性が高い一群を抽出することができた。その意味では、社 寺伝来鏡には江戸時代までに奉納された鏡が多く含まれていることが確認され、地域の寺 社や信仰の推移を復元する一助となるものと考えられる。 キーワード:加太春日神社、神社奉納鏡 太田・黒田遺跡第 61 次調査出土弥生土器の再検討 大木 要 太田・黒田遺跡第 61 次調査の SK-35、SX-7 から出土した土器は、太田・黒田遺跡にお ける弥生時代中期中葉後半から中期後半前半の土器様相を把握することのできるまとまっ た資料である。本稿ではこれらの遺構から出土した土器について、特に直口壺の口縁端部 に施される文様構成に着目し検討を行った。その結果、中期中葉後半~中期後葉前半につ いて大きく3つの段階が設定できた。 キーワード:太田・黒田遺跡、弥生土器、弥生時代中期、直口壺
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