自治医大卒業生ら「6 カ月プロジェクト」始動Vol.1 - うのクリニック

以下、m3.com より転載、抜粋です
スペシャル企画
東日本大震災(被災地の現場から)
自治医大卒業生ら「6 カ月プロジェクト」始動◆Vol.1
「自立型」「長期」「地域全体」で被災地に 96 人切れ目なく派遣
2011 年 3 月 25 日 星良孝(m3.com 編集部)
東日本大震災の発生から 3 月 25 日で 2 週間が経過し、医療支援は長期化の様相を呈してきた。その中
で、自治医科大学卒業生の有志が 6 カ月間にわたって 96 人の医師を切れ目なく派遣していく計画を作り、
「単発で終わらない」被災地支援プロジェクトを本格的に始動した。
東京都江東区新木場から被災地に飛んだ(写
真提供:自治医科大学医学部同窓会東日本大
震災支援プロジェクト)
「被災地を早く支援しなければ」「地域医療に必要なものは僕らがわかっているのではないか」「自治 医
大の卒業生の絆を生かすことができるのではないか」。詳細については後述するが卒業生によるプロジェ
クトが発足するや、全卒業生 3000 人余りのうち、 1 割近くに当たる 200 人もの医師が、日々の仕事など
の制約条件があるにもかかわらず支援希望に手を挙げた。自治医大は 1978 年に第 1 期が卒業し、 2011
年には第 34 期が卒業、どの世代からもだ。開業医、勤務医、大学教員など、立場も一様ではない。
被災地には、既に、大崎病院東京ハートセンター心臓血管外科の浜田俊之氏(第 8 期)、愛知県の新城
市民病院総合内科医長の宮道亮輔氏(第 25 期)、鹿児島県の霧島市立医師会医療センター地域医療部
長の三阪高春氏(第 13 期)、静岡県立総合病院総合診療 科医長の牧信行氏(第 21 期)、長野県のはた
クリニック院長の羽田原之氏(第 14 期)、大阪大学大学院の濱口重人氏(第 24 期)の 6 人が被災地での
診療に 当たっている。
被災地では医療支援の輪は広がっていきそうだが、「自立型」「長期的」「地域全体」を旗頭に掲げる 自
治医大の卒業生による自発的取り組みは、ほかの医療従事者にも参考となりそうだ。被災地では問題と
なる疾患が日々変わり、必要とされる医療も変わると指 摘されている。だからこそ、長期にわたる地域復
興を視野に入れた積極的支援が意味を持つ。
統制なければ「邪魔」の恐れ
まさしくプロジェクトは自然発生的に生まれ、大きなうねりとなっていった。3 月 11 日の東日本大震 災の
発生後、全国の医療従事者が被災地支援に名乗りを上げたことは周知の通り。「医療に恵まれないへき
地等における医療の確保向上及び地域住民の福祉の増 進を図る」を設立趣旨とする自治医大の卒業
生も例外ではなかった。
岩手県一関市の県立千厩病院で診療していた桑田吉峰氏(大阪 17 期)が大地震に遭遇、そのまま被災
地の診療へ。山梨市立牧丘病院院長の古屋聡氏(山梨 10 期)、島根県隠岐広域連合立隠岐島前病院院
長の白石吉彦氏(徳島 15 期)は 15 日に被災地に入っ た。これら医師から発せられたアドバイスが卒業
生の間で共有されたことで、プロジェクトの立ち上がりにつながった。
「統制なく大勢が現地入りしては、邪魔になるだけの恐れがある」というものだ。
プロジェクトへの進展したのは、かねて自治医大の卒業生同士、日々のメールでのやり取りを始め連絡
が密接だったことも大きかった。「じゃあ、卒業生を一丸にまとめて、被災地をうまく支援しようじゃないか」。
そうした連絡が飛び交ったのだ。
「同窓会が動けばすべて動く」。ここで困難が浮かび上がった。同窓会長である宮城県涌谷町町民医療
福祉センター長の青沼孝徳氏(自治医大第 1 期、以下同)自身が甚大な被害を受けた石巻市に近く、身
動きが取れなかったのだ。青沼氏はどうにか自治医大心臓 血管外科教授の三澤吉雄氏(第 1 期)に同
窓会長代行を依頼。卒後指導部長を務める尾身茂氏(第 1 期)と共に、卒業生を取りまとめることに。立場
や年齢の垣 根を取り払った「自治医科大学医学部同窓会東日本大震災支援プロジェクト」が動き出した
のはここからだ。
被災地入りしていた卒業生が帰還した時。左か
ら桑田氏、石川氏、白石氏、尾身氏、古屋氏(写
真提供:自治医科大学医学部同窓会東日本大
震災支援プロジェクト)
医療支援に名乗り出る医師はもちろん、取りまとめ役の事務局担当を買って出る医師も自治医大卒業
生 の中から出てきた。本部長の尾身氏のほか、自治医大地域医療学准教授で事務局長を務める石川
鎮清氏(第 12 期)、同じく助教の神田健史氏(第 22 期)など だ。日本プライマリ・ケア連合学会とも連携し
た。先発の 2 人や参加医師らとの連絡を取りながら、プロジェクトの目的や運営方針などをまとめた趣意
書のほ か、6 カ月にわたる人員計画など計画作りが進んだ。
作成された「自治医科大学医学部同窓会東日本大震災支援プロジェクト」の趣意書には甚大な被害を
受けた東北地方の今をこう分析している。
【現状】
先発して被災地に入った医師の情報では、最も被害が大きかったのは、岩手県南三陸地域と、
宮城県気仙沼地域であり、気仙沼地域を含む岩手県東磐地域では 120 カ所の避難所に尐なくとも 8000
人の避難者・患者がおり、次いで被害の多かった岩手県釜石地域、宮城県登米地域も同様の状況とのこ
とであった。多 数の DMAT が既に被災地入りしているが、その性質上長期の安定した支援は期待できな
い一方、ガソリン不足などの交通事情のため現在は尐ない外来患者が今 後大幅に増加すると考えられ
る。現在献身的に診療に従事されている現地の医師の疲労も極致に達しており、各地域とも 4 名以上の
医師の応援を長期的に求めて いる状況である。
主に 3 地域に膨大な医療ニーズが生じており、継続的な支援がなければ医療体制が破綻する可能性も
指摘している。その上で、プロジェクトの使命として、自治医大卒業生が現地に向かう目的をこう設定し
た。
【目的】 ・被災後超急性期を過ぎた急性期、慢性期の被災地における医療支援(中小規模病院・診療所
における、身体・心理的サポート)を行う。 ・被災地医師と協力し、避難所等への巡回診療等も行い、地
域全体の支援を行う。
既に外傷をはじめとした緊急医療の必要性は小さくなり、感染症や慢性疾患への対応が迫られていると
の分析から、施すべき医療を急性期と慢性期の疾病への対応とし、巡回診療を含めた地域医療の底上
げに力を尽くすと宣言している。
【活動の骨子】 ・長期(最低 6 カ月)の支援 ・自立型医療支援 ・避難住民を含む地域全体の包括的支援
冒頭に示した通り、「長期」「自立型」「地域医全体」が 3 本の柱とも言うべきキーワードとしてい る。石川
氏は、「20 日頃の状況では、現地に医師が比較的多くなっている。そうした中では混乱も出ている。自立
型の医療を長期にわたって提供すること、さ らに地域の復興を視野に入れながら、どの場所にどんな医
療提供体制を置けばよいかを検討していくことが重要と判断した」と話す。
3 地域を基地病院に設定
【派遣地域】 被害の大きい被災地のうち、長期的な支援を求めている下記 3 地域を対象とする。 A:宮
城県登米地域(登米市立米谷病院、登米市立佐沼病院、豊里病院他) B:岩手県東磐地域および宮城
気仙沼地域(岩手県立千厩病院、国保藤沢町民病院他) C:岩手県釜石地域(岩手県立釜石病院他)
基地病院(ベース)は被害の大きかった 3 地域の病院に設定。その上で岩手県と宮城県の医療支援を
実 施していく。地域のニーズに従って、柔軟に医療の支援内容を充実させていく。ベースでは宿泊や食
事のほか、電話やメールをはじめとした連絡も可能で、医師 らはブリーフィングを頻繁に行うほか、事務
局との連絡も密にして提供する医療についての情報を集約している。
【派遣人員】 自治医大同窓会を中心とした医師ボランティア延べ 96 人 急性期(3 月 20 日~5 月 15
日;8 週間)
1 週間交替で上記派遣地域に医師 2 人ずつ 延べ 2 人×3 地域×8 週=48 人 慢性期(5
月 15 日~9 月 4 日;16 週間)
1 週間交替で上記派遣地域に医師 1 人ずつ 述べ1人×3 地域×16
週=48 人
20 日、第一陣が地域医療振興協会の協力も得て、ヘリコプターによって東京都江東区の新木場から被
災地へと飛び立った。
現在、釜石地域には、浜田氏、宮道氏、東磐地域には三阪氏、牧氏、登米地域には羽田氏、濱口氏が
診療に当たっている。27 日には第 2 陣がやはりヘリコプターで被災地入り。第 1 陣との間で引継ぎを行っ
た上で、切れ目ない医療提供を行っていく予定となっている。
思いとどまらせるほどの勢い
5 月半ばまでは毎週 6 人、さらに 9 月初めまでは毎週 3 人と、6 カ月間で 96 人の医師を被災地に派遣
する見通し。状況を見ながら、派遣医師を増やすことも選択肢に入れる。
支援を申し出る自治医大卒業生は約 200 人。その勢いは事務局の想定を超えるもので、中にはへき地
の一人診療所の医師や離島でただ一人の産婦人科医も手を挙げ、事務局から「地域医療を守るのも重
要」と思いとどまってもらうケースまであるほど。ほかの参 加希望者も規模の大きな医療機関にすべての
医師が勤務しているわけではない。「被災地支援の申し出を認めてくれる所属長には感謝」と事務局の石
川氏は言 う。