希望が丘駅前商店街∼透明人間の憂鬱∼ - タテ書き小説ネット

希望が丘駅前商店街∼透明人間の憂鬱∼
白い黒猫
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︻小説タイトル︼
希望が丘駅前商店街∼透明人間の憂鬱∼
︻Nコード︼
N5993CB
︻作者名︼
白い黒猫
︻あらすじ︼
ミラーじゅ希望ヶ丘︼。
ここは東京郊外松平市にある希望が丘駅前商店街、通称︻ゆうY
OU
国会議員の重光幸太郎先生の膝元であるこの土地にある商店街は、
とうめいゆき
パワフルで個性的な人が多く明るく元気な街。そんな街で生活する
事になった東明透は、ある仕事を担当する事になり⋮⋮。別冊﹃中
に人などおりません?﹄。いきなり﹃中の人﹄となってしまった男
性の日常生活です。
※ 鏡野悠宇さんの﹃政治家の嫁は秘書様﹄に出てくる商店街が物
1
語を飛び出し、仲良しなろう作家さんの人気活動スポットとなって
しまいました。鏡野悠宇さん及び、登場する作家さんの許可を得て
創作させて頂いております。
2
第三のコミュニケーションツールに加え、また別の役割
とうめいゆき
小学校の時の俺のあだ名は﹃スケルトン﹄だった。コレは別に骸
骨のように痩せているからではない。俺の名前が東明透という名前
だからだ。そのため透明人間と誰か言い出し、日本で﹃透明﹄と誤
認されている言葉﹃スケルトン﹄と変化してしまったのである。別
に虐められてはいたわけでなく、俺の苗字がついそう言いたくなる
ような空気を醸し出しているから仕方がない。
そして大人になり、俺は本当の透明人間になってしまった。就職
活動に失敗した事への失望から冷めた眼で俺を見るようになってき
た両親から逃げるようにやってきたこの希望が丘駅前商店街で、俺
は名前の通り透明な存在。学生でも社会人でもなくフリーターとい
う中途半端な立場で、叔母夫婦が経営するJazzBar黒猫で働
く俺はいてもいなくても世界は変わらない。
いま暮らしている所は希望が丘駅前商店街を中心とした町内会は
活気があり、コレが東京かと思う程、近隣住民は異様に仲良い。ど
こかの家の猫が家出したのか帰って来ない事、地元の名士らしい重
光ナンチャラ議員とかの所に入った新しい秘書が良い子で可愛いと
いった話まで皆に知れ渡ってしまうほど不思議な情報網が発達して
る。その街で生まれ育った人達が暮らしている街だからだろう、そ
ねこやま
すみ
こでは皆が家族という感じである。そんな中に突如入った俺は完全
なる部外者。叔母である根小山澄の甥っ子という事で、認知されて
いるけれど、それだけ。
商店街歩いていても、商店街の人から声かけられるが﹃ユキくん、
丁度良かった! 良いイカが入ったのよ、澄ママに渡してくれない
?﹄﹃あ、澄ママに伝えておいてくれない? こないだ言っていた
ワイン入荷できそうなのよ、ウチの人が良いツテ持っていて、流石
燗さんよね♪ 今月中には手にいれられると思うから!﹄﹃店に出
すケーキの試作品なの。澄ママにお願い。後で感想聞かせてね﹄と
3
いう感じで電話、メールに続く第三のコミュニケーションツールと
なっている。こんな感じであらゆるコミュニーケーションツールを
駆使して対話しているから情報も筒抜けなのだろう。
JazzBar黒猫においても、常連中心のお店だけにお客さん
は叔母夫婦のやりとりを楽しみ、俺はその横でセッセと言われるま
まに料理やお酒を運ぶだけ。誰も俺なんか見ていないし、その存在
を意識すらしていない。
いつものようにお店の買い出しプラス商店街の方から頂くお土産
とかの叔母へのお届け物でズッシリと重くなった荷物を手にJaz
ユキ
zBar黒猫に戻ると、中から賑やかな笑い声が聞こえてきた。﹃
おかえり∼! 透ちゃん﹄叔母の澄さんより先に居酒屋﹃とうてつ﹄
の女将籐子さんが挨拶してくる。続いて喫茶店﹃トムトム﹄奥さん
の紬さん、篠宮酒店の雪さん、神神飯店の玉爾さんらが次々と声か
けてくる。年上の女性ここまで集うとそのパワーは凄く、若造であ
る俺なんて太刀打ちできない。俺は頭を下げて小さい声で挨拶を返
す。
商店街は特に女性陣が仲良くこうしてそれぞれのお店で集まって
和気藹々と女子会ならぬ婦人会をしている事が多い。今日はウチで
集まっていたようだ。
ユキ
﹁透くん重かったでしょ、助かったわ∼﹂
澄さんはニコニコと近づいてきて俺にそう声をかけてきてパンパ
ンになったエコバックを受け取る。このお店は叔母夫婦、それと平
日代わり代わり演奏にきてきてくれている学生バンドマンなどの手
もあり俺なんていなくても回っていっていると思うのに、澄さんは
いつもこのように﹃透ちゃんが来てくれて良かった﹄といった言葉
をかけてくれる。その言葉にすこし申し訳なさとくすぐったさを感
じる俺がいて、そんな言葉に﹃いえ、そんなことないです﹄とモゴ
モゴと答える事しかない。
4
ふじんかい
﹁あ、これは桜木さんから、田舎から送ってきたからとか﹂
俺が持って帰ってきた贈り物は即その場で開けられて、女子会の
おやつとなる。
とうめい
﹁そうそう、今日は貴方を皆で待っていたのよ! 東明くん﹂
篠宮酒店の雪さんは名前が一緒の為、呼びにくいのか俺を名字で
呼ぶ。皆の視線が俺に集まるのを見て、俺は緊張する。いつもなら
軽く挨拶をして開店準備するのだが、今日は何故かその輪に招き入
れられて椅子に座らせる。
﹁実はね、貴方を見込んで、やって貰いたいことがあるの。お願い
♪﹂
俺が今もってきた蜜柑を俺に渡しながら元気に籐子女将がそう切
り出してくる。いつになく期待に満ちた皆さんの視線が怖い。俺は
蜜柑を胸に抱いてしまう。
﹁な、なんですか?﹂
すると皆の視線が奥のテーブル席に向けられる。そこには不思議
な青い物体があった。何故そんな目立つものがいきなり店にあって
気がつかなかったのかと今更のように思う。微妙に歪な形の長いド
ーム状のものが伏せた感じでテーブルにのせられ、ドームの上部に
は派手な取っ手のついた赤いベレー帽のような何かが乗っている下
部分は柔らかいようでテーブルの下に向けてダランと垂れ下がって
いる。そしてソファー部分にぼっこりとしたブーツのようなモノが
置いてある。
ドーム部分には大きな目があり、下では口らしきものがあってに
やりと笑っている。ついソレと目が合ってしまい意味もなく見つめ
合う。いわゆるキグルミというヤツなようだ。
﹁⋮⋮コレは?﹂
何故か得意げな顔の皆を振り返って聞いてみる。
5
﹁希望ヶ丘駅前商店街、ゆうYOU
ミラーじゅ希望ヶ丘のイメー
ジマスコット﹃キーボ君﹄じゃない!﹂
紬さんはそうキッパリと言うが、俺はキーボ君という言葉自体初
めて聞いたし、初対面である。
﹁コレに透くんが入るの! ピッタリでしょ! きっと格好いいと
思うわ!﹂
澄さんは、そうとんでもない事を言ってくる。こんな不思議な生
物のキグルミの何処がピッタリで、どうしたら格好よくなると言う
のだろうか? 最初は﹃お願い﹄だった筈が、なんだか﹃決定事項﹄
に変化している。しかもこの商店気でこのメンバーに逆らえる者な
どいない。俺は弱々しく笑い頷くことしか出来なかった。
6
第三のコミュニケーションツールに加え、また別の役割︵後書き︶
﹃中に人などおりません﹄の別冊的な内容となっています。
こちらに登場するキーボ君、そのうち他の方の作品の中にも進出活
躍していく予定です!
7
︵希望+夢︶×︵愛+優しさ︶=キーボ君
俺が入る事になったキーボ君とはそもそも何者なのか?
見た目は青いクラゲに、手足が生えた感じでレインボーカラーの
ミラーじゅ希
飾りのついた黄色いベレー帽っぽいのが頭にのっている。
資料を見ると﹃希望が丘駅前商店街、ゆうYOU
望ヶ丘にやって来たみんなのお友達﹄とあり、希望と夢の妖精らし
い。﹃希望﹄とか﹃夢﹄とか、何故そんな漠然としたものをマスコ
ットにしたのか? 希望と夢に、愛と優しさを掛け合わせた結果こ
の青い謎の生物となったようだ。頭にのっている黄色いベレー帽み
たいのは帽子ではなく、﹃希望﹄らしい。そして虹色の飾りは﹃愛
の取っ手﹄でエコバックを表現してあり﹃地球に優しく﹄を訴えて
いるらしい。絶対後付けの設定だ。
で、それらを全部踏まえた感じでキーボ君を演じて欲しいと、ム
チャ振りされた。
着てみると結構重い。昔の潜水服着ているような気分だ。成る程、
目の部分全体が透けていて外部を見られるようだ。中は真っ暗とい
う訳ではなく、全体からぼんやりと光が透けている為意外と明るい。
﹁きゃー、可愛い﹂
可愛らしく声を上げる雪さん。
﹁いいじゃない! 素敵よ﹂
ユキ
ニコニコ笑いそういう籐子女将の言葉に頷く澄さん。
﹁本当に、透くんにピッタリだわ! 似合うよね∼﹂
何故か感心したように紬さんはそう言ってくる。
キグルミに似合うもピッタリもないと思うのだが、よく分からな
い絶賛の声に俺は微妙な顔するしかなかった。しかし褒めている叔
母達には、ニヤリと笑った満足気なキーボ君の顔しか見えていない
だろう。
8
彼女達に言われるままに、手を挙げたり、歩いてみたり、ターン
してみたりと動いては歓声をもらい、なんだか妙な気分だった。
一時間後、流石に初めてのキグルミを着て疲れて、ソファーで炭
酸水を飲みながら休憩させてもらうことにする。しかし皆さんは元
気なままで、横で女性五人はまだキーボ君を囲んで﹃あ∼だ、こ∼
だ﹄と話し合っている。そしてキグルミ大改造が慣行される。内側
にはペットボトルをセット出来るドリンクホルダーと、私物? を
入れる為のポケットと、何故か荷物をかけられるフックがつけられ
た。
﹁これで、居住性はかなり良くなったと思うから、頑張ってね!﹂
集団で笑顔でそう言われると、俺は頷くしかない。もう完全に後
には退けない。お礼をいいつつキーボ君︵改︶を怖ず怖ずと受け取
った。
今週末の節分祭りで、お披露目となりそれから、神出鬼没に登場
しては商店街を盛り上げて行くという、ザックリとしたスケジュー
Bar黒猫の上にある叔母の家で、タ
ルによりキーボ君プロジェクトはスタートした。
そう思いながらJazz
オルを頭と首に巻き、水のペットボトルを仕込みキーボ君を着る。
細い出入り口をムニ∼と身体を潰してなんとか通り抜け、背中のチ
ャックを開け後ろ手で玄関の鍵を閉めてそれをジーンズのポケット
につっこみ内側から後ろのチャックを閉じる。エレベーターのボタ
ンを一階押すつもりが、二階も同時に押してしまったものの何とか
下に降りる事が出来た。お祭り総合本部となっている篠宮酒店の倉
庫を先ずは目指すことにした。その倉庫まで十メートルくらい。し
かも商店街から一本後ろの小道にあるので、こんな格好でも目立た
ないで移動出来るだろう。
一番の不安は、果たしてこの青い謎の生物が皆に受け入れられ
9
るのか? 俺はキーボ君を上手くやれるのか? 人の前に出るのも
あまり得意ではない俺が。振り向くとエレベーターの扉に、俺では
なく、青いキーボ君がぼんやりと映っている。不安をこっそり打ち
明けた叔父の根小山 杜さんの言葉を思い出す。
﹃せっかく自分ではない別のモノになれるチャンスではないか! 転ぼうが、失敗しようが、見ているヤツからしてみたら、それは青
いぬいぐるみキーボ君の姿。だから何も恐れる事はないだろ!﹄
そう、今は東明透でも、透明人間でもない、俺はキーボ君なんだ!
そう言い聞かせ、俺は深呼吸をしてキーボ君の第一歩を踏み出し
た。
10
︵希望+夢︶×︵愛+優しさ︶=キーボ君︵後書き︶
<i107093|1603>
11
良い子だけでなく、悪い子にも言っておきたい事
⋮⋮最近の子供は、﹃知らない人についていってはいけません﹄
という言葉を知らないのだろうか?
﹁お前、何だよ∼﹂
﹁ねえ、お手て繋いで∼﹂
﹁あなた、なんていう名前な? 私ミナ﹂
﹁何かしゃべろ∼﹂
﹁ねえねえ、お名前な∼に?﹂
こんなよく分からない不思議なマスコット、絶対ウケないと思っ
ていたが、子供は細かい事あまり気にしないらしい。歩き出した途
端に子供に見つかり、大声で声かけられ、あれよあれよと集まって
囲まれてしまった。子供に囲まれながら俺はボテボテと歩く。
この子達は、知らない人どころか、よく分からない生物に自ら積
極的について行っている。俺が悪い生き物だったらどうするつもり
なのだろうか? と心配になる。もしアマゾンとかアフリカで、よ
く分からない生物についていったら大変な事になるだろう。ここが
日本で良かったとも思う。
相手が子供だけに、余計に中の人を感じさせたらダメだと、俺は
無言で身体を揺すったり手を振ったりと愛想を振る舞い、面倒を見
ながら篠宮酒店の倉庫を目指す。正直キーボ君という行動をかなり
制限された格好でこの十数人の子供を相手にするのに限界を感じて
いた。角を曲がり狭い視界の先に目的地が見えてきた事でホッとす
る。俺はもう集まりお祭り準備をしているメンバーに手をふり助け
を求める。しかしこの姿で手を振っても、あまり危機感が伝わらな
いらしく、皆は笑顔で手を振り返してくるだけでだった。
12
子供に躓かないように、ゆっくり近づいてやっと集合場所に到着
する。
﹁おっ! キイ坊! 早速モテモテだなぁ∼
やっぱ、お前は何かもっていると思っていんだよ∼俺は!
今日のお前、最高にイケてるぜ!﹂
篠宮酒店の店長燗さんが俺に向かって親指をたててニヤリと笑う。
モテているというのだろうか? この状況は。俺はとりあえずペ
コリとお辞儀する。
﹁何? オジさん、この子と知り合い? 何ていうの?﹂
ついてきた子供が、目をキラキラさせて燗さんに話しかける。
﹁コイツはな∼キー太郎っていってな、この商店街のマスカットな
んでぃ﹂
名前が間違えているし、しかもさっきと名前も変わっているし、
マスカットでも、マスカットのマスコットでもありません、燗さん。
首を横に振っても身体全体揺らす事だけになるので、俺は違いま
すと両手もブンブン横にふり、間違いを指摘する。
﹁燗さん違うでしょう、この子はね∼キーボ君と言うマスコットで
ね、この商店街に夢と希望を届ける為にやってきた子なの。仲良く
してね﹂
奥さんの雪さんが、優しく訂正するが、なんかキーボ君の業務内
おれ
容がより難易度の高いモノとなっている。しかし子供は素直なもの
で、﹃そうなんだ∼宜しくね∼﹄とキーボ君と仲良くすべく、話し
かけてきて抱き付いてくる。重心の低い所に力を与えられコケそう
になるが耐えた。
節分祭りは、皆で豆もって鬼役の人を商店街から追い出すと言う
もの。燗さん筆頭に鬼演じる人の迫真の演技もあり、子供達は張り
切り、大人達は笑い、なんとも暖かく祭りは盛り上がる。俺ことキ
ーボ君は、豆で攻撃する子供達の後ろをついて歩き、腕をブンブン
振り回し応援する役割。
13
お祭りなんて大学時代友人や彼女と行った花火大会くらいで、こ
ういう町内会のような所でローカルに開催されるお祭りは初めてで
新鮮で楽しかった。
キーボ君効果もあるのだろう。子供設定のキーボ君を演じる事で、
子供と一緒にいつになくハシャいでいる俺がいた。燗さん演じる鬼
に逆に追われ逃げる事になったキーボ君の俺。重い身体で逃げる為
にコケてしまうと、子供が盾になってかばってくれ、豆を鬼に一生
懸命投げつける。子供は仲間と認めてくれたようだ。しかし分別の
ついた中学生以上の子供や大人しい小さい子にはイマイチウケが悪
いようで珍獣を見るような恐怖の視線で遠巻きされているのは、あ
えて気にしない事にする。
お祭りも盛況で、町内会各店舗で用意した恵方巻らしきものも飛
ぶように売れた。らしきというのは本当の恵方巻を作っていたのは、
お弁当屋さんと寿司屋と居酒屋の﹃とうてつ﹄さんだけで、喫茶ト
ムトムは恵方巻ロールケーキ、神神飯店は恵方春巻きと恵方キムパ
プ︵韓国のり巻き︶、練り物屋さんは恵方揚げ︵もう巻いてすらな
い︶といったものをチャッカリと用意して売っていたからだ。商店
街の皆さんは商魂も逞しいなと思う。
祭りが終わり居酒屋﹃とうてつ﹄の打ち上げが行われた。俺はキ
ーボ君を脱いだ状態で、明るく盛り上がる宴会風景を酔いでフワフ
ワとした気持ちで眺めていた。ずっと帰宅部で、バイトも本屋だっ
た為に集団で何かをするという事をしない人生を送ってきただけに、
参加して﹃キーボ君良かったよ∼﹄と誉められ、自分の行動が認め
ユキ
られるというのも嬉しかった。
﹁あら、透くん静かだけど、楽しんでいる?﹂
籐子女将がニコリと笑いながら声かけてくる。
﹁何かチョット酔っ払ったみたいです∼。この空気と酔いを楽んで
ます♪﹂
﹁顔真っ赤よ、烏龍茶持ってきてあげるわね﹂
14
そう言って離れて行く。そして氷で冷えて水滴を纏った烏龍茶の
グラスと、俺の好きな温泉玉子を持って来てくれた。ここの温泉玉
子は黄身のとろけ具合が絶妙で旨い。思わず頬が緩んでしまうのを
感じた。
﹁ありがとうございます∼!
この店の温泉玉子大好きなんだ∼嬉しい♪﹂
籐子女将は笑いながら俺の頭を小さい子供にするかのように撫で
てくる。
﹁今日、透くん頑張ったからご褒美!﹂
俺がニコニコと早速温泉玉子の器に手を伸ばすのを見て籐子女将
は何故かフフと笑い、離れて行った。
火照った身体に冷たくチュルンとした温泉玉子は最高に旨かった。
宴会は盛り上がっていくが、流石に疲れもあったのだろういつも
以上に、酔いが強く出たらしい俺は、一足早めに帰らさせて貰う事
にした。
俺としては、最高に良い気分で帰宅してそのままベッドに倒れ込
み夢の世界に突入しただけだった。しかしこの事が商店街での俺の
扱いに大きな変化をもたらす事になるとは思いもしていなかった。
15
in
﹃居酒屋と
良い子だけでなく、悪い子にも言っておきたい事︵後書き︶
<i107373|1603>
こちらの物語、饕餮様の︵希望が丘駅前商店街
うてつ﹄︶にて、籐子女将の視点での物語が公開されています。
透くんから見えていない、商店街の人の愛に満ちた彼への視線を楽
しむ事が出来ます。是非そちらもご覧担ってみて下さい。
16
不思議な夢を見た?
商店街の人が俺の部屋で集まって話をしているという不思議な夢
を見た。
﹃ヤッパリ顔赤い﹄
﹃おデコが熱いわ! これは熱だしているわよ!﹄
﹃オイ! ユキ坊、コレ取り敢えず飲め!﹄
﹃確かにチョット熱いかも﹄
﹃澄、アイスノンもってきたぞ﹄
﹃澄ママ心配するなよ! ユキの助はこんな事でお陀仏するような
タマじゃねえ。軽い熱中症だって﹄
﹃そうよ、ほら幸せそうに笑いながら寝ているし。こんな穏やかな
笑み浮かべる重症患者はいないわよ﹄
﹃たしかに、柔らかく笑っている。可愛いわね∼﹄
﹃ゆ、雪、可愛いって!﹄
﹃や∼ね。アナタが世界で一番可愛いに決まっているでしょ♪﹄
⋮⋮⋮⋮⋮。
良く分からない夢である。直前に会話した打ち上げの参加者がそ
のまま夢にまで流れ込んできただけなのかもしれない。
朝起きると何故か枕と頭の間にアイスノンがあり、おでこに冷え
ピタが張り付いていた。首を傾げ冷えピタを剥がし起き上がるとベ
ッドの足部分に青い何かを見つける。俺が昨日脱ぎ捨てたキーボ君
で、しどけないポーズでコチラを見つめるという姿でベッドに寝そ
べっている。
﹁⋮⋮﹂
俺はソレを持ち上げて、頭の取っ手を壁のフックにかける。背中
を手前にしたのは、できる事なら視線を感じたくない事と、手入れ
をするため。開いているチャックの内部に手を入れてポケットの中
の小物を出して空のペットボトルを取り出し、ファブリーズを振り
17
かけておく。
枕の上のアイスノンは冷凍庫に戻しておいた方が良いだろうと掴
んでキッチンに行くことにする。
ゆき
キッチンに行くと澄さんは俺を見て慌てて近づいてくる。
﹁透くん大丈夫? どこか辛い所ない?﹂
そして俺のおでこに手をあて聞いてくる。
﹁え? 大丈夫ですけど。どうしてですか?﹂
そう澄さんに話しかけていると、杜さんが気だるげに入ってくる。
﹁おはよう、透くん。君は昨晩熱中症で熱出していたんだよ。
大丈夫か身体とかどこか辛くくないか?﹂
代わりに杜さんが説明してくれる。なる程、昨日はなんか身体が
ホッポッとしていたのは酔っ払っただけではなく、熱も出していた
らしい。俺は首を横に振って﹃大丈夫です﹄と伝える。
昨日は熱をだしていたのかと妙に納得している俺の目の前で、杜
さんは澄さんに近づき﹃おはよう﹄のキスをする。最初はこの二人
のこういった行動を見て照れてしまっていたけど、最近ではそうい
う二人の仲が良い所を見ているとホッコリと幸せな気分になる。い
わゆる俺達世代が彼女としているようなイチャイチャという軽いモ
ノではない。もっと強く深く、やらしい意味でなく成熟した大人の
関係を感じる。
東明一族からの猛反対に遭いながらも、愛を貫き通した二人。か
つて杜さんは澄さんのお見合の席に突入して、そのまま手をとりあ
って愛の逃避行という映画のような行動をしでかした。こんなに穏
やかで優しい二人を見ているとそんな激しい事が過去にあったとは
思えない。澄さんはその為、勘当されてしまい、東明一族との溝が
埋まらない。澄さんは家族を失ったのではない、こうして素敵な家
族を手にいれたのだと俺はそう思う。
言葉を多く交わすのではないが、視線を交じらせふわりと笑い合
うそんな穏やかな愛をいつも交わしている。元から二人はセットで
18
あったように、素敵な夫婦という家族関係を築いている。
三人でこうしてテーブルを囲み朝食を食べる時間がなんか好きで、
この時間だけは俺もその家族の一員になっているかのように感じた。
﹁そういえば、みんなも心配していたから、元気な姿見せてあげな
よ﹂
杜さんの言う﹃みんな﹄という言葉を聞き逃し俺は頷く。それよ
りも杜さんの目の下にクマが深くできている方が気になったから。
﹁昨晩も遅くまで仕事していたんですか?﹂
杜さんは恥ずかしそうに顎の髭を撫でる。
﹁あまり、昼夜反転させたくはないんだけどね、締め切り迫ってい
るしな﹂
﹁俺、ビルの掃除とかするし、買い出しも行くし、杜さんは少し寝
たら。そして午後頑張れば良いよ。開店準備は澄さんと二人でも出
来るから﹂
俺の言葉に、澄さんも頷く。
﹁でも君の身体大丈夫なの?﹂
別に一晩寝たらスッキリしてかえっていつもよりも元気なくらい
である。
﹁昨日はしゃぎすぎた事による単なる知恵熱ですから! 一晩寝た
らすっかり良くなったから大丈夫です! 若いし﹂
俺の言葉に杜さんは目を細め、頭をガシガシ撫でてくる。
﹁じゃあ頼むよ!﹂
杜さんと澄さんから見たら俺はまだまだ小さい﹃ユキくん﹄のま
まなのだろう。ハグしてきたり、頭を撫でてきたりといった行為を
俺にしてくる。いや二人だけでなくこの商店街の人は皆、俺や俺く
らいの年齢の子をまるで我が子であるかのように頭を撫でたり背中
を叩いたりとしてくる。
個人主義で自立を早く求められ、クールな距離感の家庭で育った
俺には戸惑う事も多いけれど、その触れてくる人の肌の暖かさが妙
に心地よいと知った。
19
なんか照れくささもあり、俺は俯き立ち上がる。
﹁じゃ、俺ソロソロ出ます。ご馳走様でした﹂
食器を手に取り流しに置き、二人の元から離れた。
20
不思議な夢を見た?︵後書き︶
<i107558|1603>
21
皆さんの優しさが、俺の心に痛いです
杜さんって、世間的には不思議人かもしれない。髭面で基本ラフ
な格好が多い為に絶対に堅気の人には見えない。その髭のせいで年
齢が分かり難く、子供時代に見た印象と今の印象が殆ど変わらず年
とってないようにも見える。この街以外では職務質問もよくされる
らしい。俺が小学生の時に、こっそり杜さんと会っていたら﹃東明
さん所のユキちゃんが妖しい男に連れていかれていた﹄と大騒ぎに
なった事がある。
JazzBar﹃黒猫﹄も趣味でやっているという感じで、商売
っ気がまったくなく人が気軽に楽しんで貰えたら良いなという事だ
けを考えてやっている所がある。月曜から木曜日は近所の大学のJ
azzサークルの学生の演奏披露の場となっていて、金曜日の夜だ
けプロのJazz奏者の演奏が楽しめる。良い酒と家庭的な料理を
楽しめる良いお店だけど、料理も酒もこの価格で利益出ているのか
? 燗さんらから心配されるくらい安い。実際若干赤字経営である。
何故それで生きていけるかと言うと、杜さんのもつ商店街のビル
二つの家賃収入と、駐車場三つの売上と、杜さんの商店街の人には
秘密の仕事の収入で生計をたてている。
かと言ってそれぞれの仕事をいい加減にしている訳では決してな
い。お店は良いお酒と美味しい食べ物を楽しんで貰うべく毎日心を
込めて用意をしている。また家賃収入は座っているだけでお金が入
って来るほど甘くない。不動産屋に管理代行しなければ、家主が面
倒みるしかない。毎日見回り、掃除して様子を見て何か不備がない
かチェックする。
午前中はビル管理の仕事をして、午後から黒猫の開店準備それが
根小山夫妻と俺の仕事だった。今日も住居のあるビルの掃除を済ま
せ、もう一つのビルへと向かう事にする。
横で軽トラックが急に止まる。配達中の燗さんのようだ。あいさ
22
つすると態々運転席から降りて近づいてくる。
﹁ユキ坊じゃねえか、もう出歩いていて大丈夫か?﹂
俺の顔を覗き込みそう聞いてくる。何故燗さんが、その事を知っ
ているのかと驚きながらも頷き、元気であることを伝える。
﹁いいか∼熱中症といってもバカに出来ねえんだから、いらぬ我慢
はするなよ! お前さんは我慢強い所は良い所だけど、そう言う事
での頑張りは止めるんだぞ! いいな!﹂
ユキ
何度も俺に言い聞かせ再び軽トラックに乗り込み去っていった。
﹁透くん、もう、動いて大丈夫?﹂
ニメートルも歩かないうちに、違う声に呼び止められる。籐子女
将が気遣うように俺を見つめている。籐子女将も熱出した事を。何
故知っているのか戸惑っていると、額にそっと手をあててくる。
﹁良かった、熱は下がったのね。
あまり無理したらダメよ!﹂
俺は心配かけた事にお詫びの言葉を返し別れた。
喫茶トムトム前を通ったら、紬さんの息子さんの次郎さんが店の
前の掃除をしていたので挨拶する。
﹁お袋から聞いたけど、昨日熱中症で、ぶっ倒れたんだって? 大
丈夫?﹂
あれ? なんか話が大きくなっている。
﹁いえいえ、倒れてはないですよ。ただ夜少し熱を出しただけです
から。なんか皆さんにご心配かけさせてしまったようで申し訳あり
ません﹂
次郎さんはニコリと笑う。
﹁あのさ、ウチは猫が看板娘しているらくらいだし、マスコットの
お客様もオッケーだからキーボ君でも涼みにきてね﹂
俺は有り難い言葉に感謝して頭を下げた。そして次郎さんと別れ、
根小山第二ビルヂングへと向かう。
掃除を終え少し早いけれど毎日の楽しみ、商店街でのランチを食
べる事にする。今日はなんかガッツリいきたい気分だったので﹃神
23
神飯店﹄に行くことにした。
﹁ユキクン、大丈夫∼?﹂
ここでも心配の言葉を頂く。なんで俺ごときが熱出した事が此処
まで広く早く広まっているのか?
この店だけで楽しめる卵フワフワ関西風天津飯を迷わず注文。し
ばらくするとテーブルに料理が並ぶ。並ぶ? 何故か天津飯と一緒
に餃子が一緒に置かれている。
オクシ
﹃ユキクン、細いから太らないとダメ﹄といい餃子をサービスし
てくれた玉爾さんに俺は頭を下げるしかなかった。
美容室﹃まめはる﹄の前を通っても、千春さんがわざわざお店の
外まで飛び出てきて体調を気遣う言葉をかけてくる。
食材の買い出しに訪れた﹃菜の花ベーカリー﹄でも、﹃盛繁ミー
ト﹄でも同様の言葉を頂き、恐縮しまくりで異様に疲れて黒猫に戻
る事になった。
そこで澄さんに改めて聞いてみると、昨日打ち上げ会場の﹃とう
てつ﹄で、俺の事が話題になり﹃あの顔の赤さは、本当に酔いのせ
いなのか?﹄と心配になり、皆で俺の部屋まで様子見にきたらしい。
寝顔という思いっきりアホで無防備な姿を人に晒してしまった事
を知り俺は恥ずかしさで気絶しそうになった。
これだけ人を心配にさせるって、俺はどれだけ情けない姿を皆に
見せたのか? そこに激しく凹む。
24
﹃キーボ君﹄という仕事
俺のキーボ君としての活動は、商店街のイベントだけでなく、平
日不定期な時刻に出現させて盛り上げていく事になった。
不定期と決めたのは、時間をシッカリ決めてしまうと、俺が日常
の仕事に差し障りが出てはいけないのという配慮と、いつ登場する
か分からない所が妖精らしいという理由からである。
やるからには、キッチリして皆さんの期待に応えたい。
そしてキーボ君という存在と向き合うことにする。彼? 彼女?
やはり﹃君﹄と言うかには男の子だろう。夢と希望の妖精で人間
と友達になるためにやってきた心優しい妖精。といった事を含めて、
キーボ君はゆっくりとした動きの穏やかなマスコットにする事にし
た。〇ズミーランドのキャストのようにダンスするなど軽快な動き
を見せるなんて最初から俺には無理な事もある。それに前回の事考
えると死角関係なく子供がいる事も多いからゆっくりと動く方が安
全だからだ。
イメージとしては杜さんのように、無口で一見怖そうだけど優し
く温かい存在。そして少しでも子供達に夢と希望を与えるマスコッ
トとして頑張ろうと心に誓う。
熱中症対策としては、澄さんが買ってきてくれた頭に巻くタイプ
のアイスノンをキンキンに冷えた状態で頭に巻き、冷えピタはキー
ボ君のポケットに常備しておく。前回はトイレが大変そうだからと
少し控えめにしてしまったところがあるので、今度はちゃんと水分
はとる事を心がける事にする。もう皆さんにあんな心配はかけたく
ない。
澄さんに﹃行ってきます﹄と挨拶してエレベーターに乗り、また
失敗して一階のボタンを押すつもりが二階のボタンも同時に押して
25
しまい、二階の到着時に受付の所にいた整骨院の林先生と目が合っ
てしまう。目を丸くしている林先生にお辞儀して挨拶をしておいた。
林先生は呆然とした顔のまま挨拶を返してくれた所で扉が閉まった。
今回は子供に突進されてこないように、そっと周囲を見渡してか
らメイン通りにさりげなさを装ってそっとメイン通りに踏み出した。
先日のお披露目に加え、予め商店街中に張り出された掲示物など
にも細かくキーボ君を登場させてあることもあり、この商店街にお
いての認知度は低くなく歩くと﹃キーボ君!﹄と声をかけてくれる
人がいる。俺はゆっくりと身体を揺らしながら、道行く人に向かっ
て手を上げ挨拶しながら歩く。﹃神神飯店﹄の玉爾さんが態々外に
表に出て﹃ユキクン、頑張って∼﹄と手を振ってくる。
今は﹃キーボ君﹄なんだけどな∼と思いながらお辞儀を返した。
そして、張り切って﹃キーボ君﹄として商店街中央広場方面へと歩
き出した。
普通、マスコットにはアテンダーが付き、その人が視野の狭いマ
スコットの代わりに周囲に目を配り、乱暴する子供の行動を諌めて
止めて、喋られないマスコットの言葉を代弁する。しかし、このキ
ーボ君にはそんな存在は居ない。それで大丈夫か? と思われそう
だけどこの希望が丘商店街で行動する分にはまったく問題はないよ
うだ。
キーボ君がそこまで子供が熱く寄ってくるマスコットでないので
モミクチャにされるという事態にまでならない事と、キーボ君をバ
ンバンと激しく叩いたり蹴飛ばそうとしたりしている子供がいよう
ものならば、商店街の誰かが飛んでやってきてその子供を叱ってく
れる。
﹁おい! ガキども! コイツはなぁ! とぉっても繊細で身体も
弱いんだぜ! 乱暴しようものなら俺が許さないぞ!﹂
篠宮酒店の店長の燗さんは率先して俺の事を守ってくれる。
26
そういった事は感謝しているのだが、初日の熱中症が皆さんの心
に強く印象が残ったらしく俺は﹃か弱い﹄人間と思われてしまった
ようだ。気が付けば﹃人に優しいマスコット﹄が﹃身体がか弱い皆
で優しく見守ってもらうマスコット﹄になっていた。
歩いていると、雪さんがキーボ君の額に手を当て熱がないか確か
めてくる。﹃もうアイスノンぬるくなってない? 替えの用意ある
わよ!﹄と籐子女将が気にかけ、喫茶トムトムの紬さんが﹃はい∼
! キーボ君休ませてあげましょうね∼﹄と喫茶店の一番涼しいテ
ーブルに連れていってくれて冷たい飲み物を出してくれる。流石に
毎回ご馳走になるのが申し訳なくなって、珈琲チケットを購入しキ
ーボ君が喫茶トムトムでお茶する時はそのチケットを自動で切って
もらうことにした。
また﹃お腹空いたでしょ! コレでも食べて﹄と盛繁ミートの紅
葉さんが後ろのチャックを勝手に開け差し入れを入れてきてくれた
のをきっかけに、商店街の人によるキーボ君への差し入れというの
が一般化してしまった。皆さんの純粋な好意のその行動に、俺は断
る事も出来ずお辞儀して感謝の気持ちでそれを頂き、人間に戻った
時に改めてお礼に伺うようにしている。
マスコットとしてチャックを開け飲み物や食べ物を受け取るのは
どうかと思うのだが、商店街の大人は俺が頑張っているキーボ君と
して見ていて、素直な子供からは背中で様々なモノを出し入れする
生物として認識され、希望が丘駅前商店街の一部として定着してい
った。最近では、キーボ君への差し入れだけではなく、澄さんへの
贈り物も受け取るようになり、キーボ君の内側のフックがまさかの
大活躍をする事態となっている。
キーボ君として活動している時にそのように商店街の方との関わ
る事も増え、キーボ君でなくても商店街の人と会ったら色々会話を
交わすようになり、気が付けば前よりも人と話をするのが嫌ではな
くなっていた。
そして、初めは仕方がなくやっていた﹃キーボ君﹄という仕事?
27
がどうしようもなく愛おしく楽しく感じている俺がいた。俺は能
天気にキーボ君と黒猫の東名透という商店街の人公認の二重生活を
二か月チョットの程の間嬉々として行う事になる。キーボ君に対す
る皆からの愛情を、俺への好意と勘違いした結果。だって人生でこ
こまで周囲に認められ喜ばれた事がなかったから、俺は舞い上がっ
てしまったのだ。
四月になりそんな浮かれながら桜祭りの舞台でキーボ君の仕事を
していると、そこで驚くモノと遭遇する事になる。舞台の上に、何
故かもう一体のキーボ君がいた。その状況に俺はただ呆然とする。
28
﹃キーボ君﹄という仕事︵後書き︶
<i109015|1603>
もう一体のキーボ君から見た世界は鏡野悠宇の﹃とある人々
in
希望が丘駅前商店街﹄内の﹃とある特別国家公務員 in 希望
が丘駅前商店街﹄にてご覧になる事が出来ます。
そちらが何者か、早くお知りになりたい方はどうぞそちらを読まれ
て下さい。
29
ホンモノのキーボ君
桜祭りのステージに、青い何かがノソノソと上がってきたので見
てみるとそれはキーボ君だった。俺は事態が飲み込めず呆然とする。
﹁やっと、キーボーズ結成だな!﹂
後ろから燗さんの声が聞こえるけれど、まったく状況が飲み込め
ない。舞台の上にいるもう一体の青いマスコットも俺の着ぐるみと
同じ色で似た顔に同じように頭にレインボーの取っ手のついた飾り
を載せている。違いといったら帽子のようなモノの色が赤いという
事くらいで、ハッキリと相手もキーボ君である事が分かる。
驚きのあまり動く事を忘れていると、もう一体のキーボ君は何故
かコチラにズンズンと近づいてきて気がつくと体当たりされ後ろに
ぶっ飛ばされていた。もう何が何だか分からないけれど、二体のキ
ーボ君がぶつかり転けた様子が面白かったのかステージの下から笑
いが起きる。
﹁おい、気をつけろよ。こいつはお前と違って非力なんだからよお﹂
燗さんが起きるのを助けながら、キーボ君にそう言い放つ。
﹁うるせえよ、おっさん﹂
もう一人のキーボ君から、聞いたことのない声が聞こえた。誰?
コレ?
﹁お前は喋ったら駄目なんだぞ、黙って愛想をふりまいてろ、可愛
くな﹂
ニヤリと燗さんがからかうように言うと、もう一体のキーボ君は
ピョンピョンと跳ねてから突然燗さんに頭突きを食らわしてきた。
そしてそのままヒーローショーさながらのキーボ君と燗さんバトル
ショーが始まり、会場はより一層盛り上がった。この場合どちらが
正義の味方で、どちらが怪人なのかは良く分からない。いつも元気
30
な燗さんはともかく、もう一体のキーボ君は俺と同じ着ぐるみをき
ているとは思えない程軽快な動きで、視界の悪さもモロともせず生
身の燗さんと嬉々とした様子で戦っている。その楽しげな様子から
も、コレが喧嘩などではなく、この二人は仲良い事が窺えた。そし
て俺ことキーボ君はヌボーと立ったまま、その様子を見守る事しか
出来なかった。
その後は流れでなんとなく、二体による子供達との写真撮影大会
へとなりイベントは無事終了する。よく分からないけれど商店街の
人は俺の事を﹃一号﹄と呼び、もう一体を﹃二号﹄と呼んでいる事
から、彼は﹃二号﹄さんなのだろう。そして俺が﹃一号﹄であるよ
うだ。
無事イベントも終わった事で、恐る恐る二号さんと呼ばれるキー
ボ君に近づく。俺よりも若干背が高いのか二号さんの方が大きい。
そして声をかけようと手を伸ばした瞬間、キーボ君は﹃もう限界!
我慢できない!﹄と走り出し駅方面消えていった。着ぐるみとは
思えないスピードで。
唖然と青き小さな点となった二号さんを見送っていると、燗さん
が声かけてくる!
﹁どうでい? 感動の再会は? 嬉しかっただろぉ?﹂
再会って? 初対面なのですが⋮⋮。
よくよく聞いてみると、あちらの中の人は、商店街にある昌胤寺
の次男坊で元々はその人がキーボ君に入る予定だとか。しかし仕事
の都合で長期間街を離れる事となり急遽俺にその役目が回ってきた
とという事らしい。何故俺のような人見知りの激しい人物にこの仕
事を? と思っていたけれどその話を聞いて納得する。
二号さんの中の人は安住さんといって、爽やかな好青年という感
じ。小さい頃からこの街に暮らしている事もあるのだろうが、商店
街の皆とも仲が良くいつも彼のいる所には笑いが起き賑やかだった。
安住さんが快活な人だからだろう、キーボ君の姿になっても生き
生きとしていて、着ぐるみというか本当にそういう生物がいるかの
31
ように軽快で自然な動きに、俺も感心するしかなかった。彼がキー
ボ君になる人とされていた理由も良く分かったし、その動きはとて
も俺が真似できるものではない。
安住さんにより、パワーアップしたキーボ君に太刀打ちできるわ
けもなく、俺は青い皮を脱ぎ元の透明人間に戻った。
32
ホンモノのキーボ君︵後書き︶
in
希望が丘駅前商店街﹄の﹃帰ってきたキーボ
コチラの物語、鏡野悠宇様と共に作成しております。
﹃とある人々
君﹄で、二号から視点で描かれております。
33
甘えを卒業する前にする事
安住さんはあれから数度帰ってきてはキーボ君二号を嬉々として
やっている。やはり元々キーボ君をやりたかったからだろう、その
モチベーションも高く文字通りキーボ君の姿で走り回っている。
今も楽しげに大声あげて走る中学生の後を﹃キーボ∼♪﹄と叫び
ながら追いかけて遊んでいた。
俺はその様子を見守った後溜息をつく。酔っぱらいが大暴れした
為に荒らされてしまった根小山第二ビルヂング前での作業をようや
く終え、何時もより疲れてしまったからだ。割られた看板の撤去と、
破片が広範囲に散っていた為に念入りに掃除する必要もあった。そ
の酔っぱらいは、真田さんが捕まえてくれたというので、犯人の連
絡先はわかるので柳牛の看板と進学塾の看板の修理代を請求する為
にも派出所にその被害を改めて報告に行き商店街を北に上る。取り
あえず今日無事開店できたものの柳牛さんとしても腹立たしい事だ
ろう。その事を考えるとまた溜め息が出てくる。
色々考える事もあって、一仕事したわりにお腹が余り空いてない。
しかし午後からの事を考えると何か食べておいた方が良いだろう。
今日はサッパリとしたものを食べたいので﹃とうてつ﹄に入る事に
する。
暖簾潜ると、籐子女将が優しい笑顔で迎えてくれてチョットだけ
ホッとする。冷や汁昼定食があったのでそれを注文する。そして再
び溜め息をつく。
女将がそんな俺を見て笑う。
﹁どうしたの? そんな溜め息ついて﹂
そんなに大きな溜め息ついたのかと恥ずかしくなり笑顔で誤魔化
す。
﹁いや、柳牛の被害が酷かったので、あれがウチの前の方だったら
34
あんな酷い事になる前に止められたのに﹂
柳牛寿司の入った第二ビルヂングは裏通りにある。あの辺りは会
社が多く、お店関係が閉まれば通りが無人となる。だから発見も遅
れ酷い有り様となった。ビルの上の進学塾が終わったかなり後だっ
たのが不幸中の幸いである。子供達にもしもの事があったらそれこ
そ大変だし、夢いっぱいの子供に酔っぱらったダメ大人の姿は教育
にも良くない。
﹁酷かったみたいね。柳牛さんお店は大丈夫なの?﹂
俺は頷く。
﹁ガラスは割られていましたが、朝一でとりかえてもらえました。
それでランチ営業にはなんとか間に合あいました。壊された看板は
まだそのままですが﹂
そう言っていると、﹃とうてつ﹄の前に奇声を挙げた中学生が走
り抜けその後を二号さんがスピードも衰える事なく追いかけていた。
さっき見てから五分程経っているけれどまだ追いかけっこで遊んで
ユキ
いるようだ。みんな本当に元気だ。
﹁透くんは、一緒にやらないの?﹂
籐子女将はお店の前を走り去った青い風から俺に視線を戻しそう
聞いてくる。俺は頭の中で、笑いながら駈ける子供とその後を楽し
げに追いかける二体のキーボ君を想像して頭を横に振る。
﹁安住さんが、折角自由に楽しくやっているのに邪魔したら悪いで
す。とてもあの動きについていけないので、迷惑になりそう﹂
そう言って笑顔を作った。籐子女将は苦笑する。
﹁でも、安住さんが出来ない時は、替わりに頑張りますよ﹂
そして言って自分でなんか傷つく。籐子女将は少し困ったような
顔をする。
﹁あのね、逆だと思うんだけど。透くんのキーボ君がいての二号で
は? 二号だけだと、この商店街の品格を疑われそうだし、透くん
の一号がいるから、二号のあのヤンチャも許されると思うけど﹂
俺の感情を見透かされたのかもしれない。籐子さんにはそう言う
35
表現で、一号を持ち上げてくれる。俺は笑みだけでその言葉に答え
る。あらゆる感情を笑って誤魔化す。俺の悪い癖。
﹁あんな風にしょっちゅう婦警さんに連行されるマスコットが、こ
の商店街の象徴というのもね∼﹂
女将の視線に釣られて通りを見ると、駅前派出所の婦警の京子さ
んと二号さんが仲良く手を繋いで歩いていた。キーボ君の格好でも
彼女とデートしているなんて、安住さんは本当に自由な人だと感心
する。とはいえ安住さんは、ただの能天気な人でない。自分の夢を
叶えるために必死で努力してその一歩を踏み出した所である。そし
て今現在もその目的の場所で、必死で頑張っている努力家らしい。
商店街の様々な人が、彼の事を﹃あいつは昔からわんぱくで﹄と言
いつつ、愛情タップリに教えてくれた。
﹁俺も頑張らないと!﹂
脈絡もなく、そんな言葉を言ってしまった俺を不思議そうに女将
が見つめてくる。その視線に恥ずかしくなり顔を伏せる。
﹁いや、午後から就職の面接なので。
俺もいつまでもこの商店街の皆さんの優しさに甘えているわけに
はいかないしね。
就職してここを出て自立して、一人で生きていけるようにしない
と﹂
何故か籐子女将は悲しげな顔をする。
﹁⋮⋮透くん、あのね﹂
いつも笑みをたたえて優しく暖かい雰囲気の女将が、俺をジッ強
く見つめてくる。そんな変な事言った覚えはないけれど、怒らせて
しまったのだろうか? 慌ててしまう。
﹁⋮⋮あの、籐子さん?﹂
﹁何で、甘えたら駄目なの? どうして一人で生きなきゃなんて事
を言うの?﹂
思いもしない言葉に、何て言葉を返して良いのか分からない。両
親は共稼ぎだった事もあり。何でも一人でやりなさい、我が儘はい
36
けません、甘えるなんて恥ずかしい。早く自立しなさいと言われて
育ってきた。
﹁第一、透くんは全然人に甘えてない。すごく下手。
そんな言葉、人にシッカリ甘えて、他人に迷惑のひとつでもかけ
てから言うべきだと思う﹂
籐子女将はそう言い切りクルッと背中を向けて去っていった。呆
然としていると、籐子女将がまだ少し怒ったような顔で定食の載っ
たお盆を持って戻ってくる。
何か申し訳なくて、頭を下げやってきた料理を見ると、何故か冷
や汁定食にはついてこない筈の刺身と大きいだし巻き玉子がついて
いる。
﹁え、コレは⋮⋮﹂
籐子女将はキッと睨んでくる。
﹁﹃わ∼ありがと∼♪ 頂きます!﹄と笑顔で言って食べればいい
の!﹂
﹁⋮⋮ありがとうございます。ありがたく頂かせて頂きます﹂
そう怖ず怖ずと答えると、籐子女将はニッコリいつもの笑顔をし
て頷き去っていった。
37
甘えを卒業する前にする事︵後書き︶
ここで書かれている内容は、鏡野悠宇さんの作品でかかれている感
じと若干違った状況に書かれています。
これは、あくまでも透君の﹃※あくまでも個人の感想です﹄なので、
ご了解ください。
38
青い訪問者
就職した友達のメール等によると、新しい世界に飛び込んで今が
一番必死で大変な時のようだ。この商店街にも同世代の人はいるが、
皆何だかの未来へのビジョンを持っていて、自分の足で未来に進ん
でいっている。
そして俺は相変わらず、入社試験に落ち続けている。それなりに
試験を二次三次と進める事は出来ているけれど既卒者というマイナ
スポイントも加わった事で条件も悪くなったし、俺自身の存在感の
薄さがここで効果を発しているのか、俺だけが足踏みの時間を過ご
している。
最近では仕事が決まらない事の焦りよりも、人生というか自分の
世界における存在意義や、社会における個の役割とは? といった
レベルの事までを考え始めて、いよいよ重症だと思う。
そんな状況の俺を気遣ってか、杜さんや澄さんは、﹃ユキくん三
人でペルー料理食べにいかないか?﹄﹃ねえねえ、こんなシャツ買
ってきたの♪ 猫の絵可愛いでしよ? 三人でお揃いよ﹄といった
言葉をかけてくれる。
二人にとって、俺は生きて産まれて来ることの出来なかった子供
の替わり。ある意味この世界で俺を求めてくれている唯一の場所で
もある。
商店街で﹃ウチの子﹄﹃息子﹄といった表現で俺の事二人が話し
ているのを良く聞く。その言葉にムズ痒さの伴う喜びを感じている
俺もいる。でも俺は彼らの息子ではなく、あくまでも息子替わり。
だから彼らの優しさに甘えてはいけない。どんなにそこが心地よく
ても。
﹃何で、甘えたら駄目なの?﹄
39
籐子女将の言葉が、頭に甦る。
くち
﹃透くんいつも良い子だから、今日は我が儘で甘えまくって良いの
よ!﹄
昔澄さんにも、そんな言葉を言われた事も思い出す。
くち
﹃気を使ったらピヨ口の刑だぞ!﹄
そんな言葉を言われ、杜さんに昔よくホッペを寄せられピヨ口に
もされた。
﹁甘えろ! か∼﹂
第二ビルヂングの掃除をしなが、そんな言葉を呟き一人照れる。
しかしこんな良い年になってどう甘えろというのか? そんな事
を考えながら商店街を北に歩く。先日そんな事言われた照れ臭さも
あり﹃とうてつ﹄に行くのが恥ずかしかった。宿題出来ずに先生か
ら逃げている小学生のようだ。だから今日は喫茶店トムトムでフワ
フワ卵のオムライスランチを頂く事にする。いつものように紬さん
らとの会話を楽しみ、看板猫のトラちゃんに挨拶してから第一ビル
ヂングに戻る。
﹃黒猫﹄の店内清掃し、野菜切る等の料理の下準備をしていると、
黒猫の店のドアが元気に開き、扉についた小さいベルがカララララ
ァァァァァァァァァァ∼♪ と長い音を立てる。
﹃申し訳ありません、まだ準備中ですので﹄
と、言おうとして固まる。そこに青いモノがヌボーっと立ってい
たから。
﹁よう一号、そろそろ時間だぞ、準備しろ﹂
キーボ君二号はそう言ってニヤリと笑った。いや、もともとキー
ボ君は笑っているけれど、俺を見てニヤリと表情を動かしたように
見えた。
40
青い訪問者︵後書き︶
<i110216|1603>
41
青い兄弟
二号さんはブニっと入口に体を入れ込み俺の方に近づいてく
る。
﹁よう一号、そろそろ時間だぞ、準備しろ﹂
状況がまったく掴めない俺の頭に今さらのようにこの言葉が届く。
﹁え?﹂
間抜けな声を思わずあげる俺。
﹁え? じゃねーよ。せっかく一号二号で兄弟キャラなんだから一
緒に楽しまなきゃダメだろ。あ、猫ママ﹂
二号さんは体を動かし、俺の後ろに視線を動かす。澄さんが近づ
いてくる気配がした。
﹁急なんですが一号の中の人、緊急出動よろしいですか?﹂
そう言い可愛く身体を傾ける。
﹁あらまあ∼、わざわざお迎えに?﹂
澄さんはニコニコと二号さんに答えている。まるで小学生の息子
のお友達が学校に一緒に行こうと誘いに来たのを迎えるかのような
ノリである。
﹁だったら上で待っていてくれる? さすがに三人で上には上がれ
ないから﹂
二号さんは澄さんの言葉に右手を少しあげ小さく曲げる。
﹁了解です﹂
たぶん敬礼しているつもりなのだろう。﹃二号くんも待っている
から、急がないとね﹄と澄さんに促されて俺は三階へと上る事にす
る。いまいち状況が掴めないままキーボ君を着て裏の駐車場に行く
と、そこにはキーボ君だけでなく、篠宮酒店の息子さん醸さんの姿
もあった。約束した訳ではないけれど、二人を待たせてしまったの
は事実なので二人にお辞儀する。
﹁遅いぞー、いくぞ、兄貴っ!﹂
42
中の安住さんの方が明らかに年上だ
二号さんがブンブンと待ちきれないと言わんばかりに俺に手を振
ってくる。でも兄貴って? と思う。
﹁⋮⋮俺、兄貴ですか?﹂
﹁だって一号だろ? 普通は一号が兄、二号が弟だと思うけど。ね
え醸さん﹂
エッヘンという感じで二号さんが答え醸さんに同意を求める。そ
う言う設定いつ出来たのだろうか?
それにしても、なんでだろうか? 同じ着ぐるみだと思うのに、
二号さんはスゴく表情がある。着ぐるみというか、キーボ君二号と
話しているような錯覚をおこす。
﹁そうだな⋮⋮それに多分、実際の中の人の年齢もそうだと思う﹂
﹁えっ?!﹂﹁えっ?﹂
顎に手をやり、醸さんが言ってくる言葉に俺は思わず声を上げて
しまう。すると隣の二号さんからも同じような声が聞こえた。
同じ反応を見せた俺達を見て、醸さんが吹き出す。
﹁やっぱ兄弟だな、変なところでシンクロしていて面白いぞ、一号
と二号って﹂
全く似てないと思うのに、醸さんはそんな事を言う。まあ着ぐる
みきてしまえば、ソックリなのは確かかもしれない。
﹁そうっすか? ま、お互いの歳のことはま改めて話し合おう、一
号﹂
二号さんはいち早く我に返ったようで、俺の肩に手をやりそんな
事を言ってくる。
﹁はあ⋮⋮﹂
歳の事ってこれ以上話し合う必要なんてないと思うのだが⋮⋮。
どう話し合っても二人の年齢は変わらない。何についてどう話し合
おうと思っているのだろうか? そんな事考えている俺を二号さん
が﹃行くぞ∼!﹄と促す。
43
未だに状況についていけていない俺は、二人について裏通りから
駅方面に歩向かう。二号さんはなぜか醸さんの押す台車に乗ってご
機嫌な様子。
﹁あのさあ、俺に遠慮して出ないとか無しだからな? 俺が戻って
これない時にピンで出るのは仕方がないとして、二人揃ってる時に
せっかく一号二号でセットにされてるのを片割れしか出ないって何
だかおかしいだろ?﹂
そして台車の上から、俺に対して説教が始まる。
﹁はあ⋮⋮﹂
何故二号さんが誘いに来たのか、その理由が見えてくる。二号さ
んからしてみたら、帰ってきたら全て丸投げというのも腹立たしい
だろう。二号さんに申し訳なくなり反省する。そして一緒に楽しも
うという彼の気持ちは嬉しかった。しかし着ぐるみで怒られるとい
う事は、こちらの態度や表情が相手に見えず真面目に聞いていない
かのように見えているのかもしれない。二号さんの声も熱が上がっ
ていく。
逆に二号さんも、口調とキーボ君のキャラが合ってなくて、どこ
か恍けた光景になっている。二号さんは気がついていないようで、
台車の上にチョコンと座りながら大真面目にお説教を続ける。
﹁はあじゃないだろ。兄貴ならもっとシャキッとしろシャキッと﹂
短い手をブンブンふり熱弁している姿がなんとも妙である。
﹁恭一、口調が仕事モードになってる﹂
そんな二号さんと俺に、醸さんがおかしそうに笑いそう指摘する。
すると背筋をピッと伸ばし、その後恐縮したように、醸さんに頭を
下げる
﹁あー⋮⋮すみません﹂
不覚にも、そう言うキーボ君が可愛く見える。そう言う仕種をみ
ると、年下という事にも納得してしまった。
44
青い兄弟︵後書き︶
<i110421|1603>
45
初めての共同作業
篠宮酒店の倉庫前で燗さんが笑顔で待っていた。二号はそんな燗
さんに近付き頭突をしてじゃれる。
﹁まったく、おめーは昔から変わらん奴だな。一号、こいつの真似
だけはするなよ、バカがうつるぞ﹂
あの動きを真似なんて無理です。俺は頷いておくが、燗さんの俺
に対してニヤリと笑った表情は﹃お前も俺にぶつかってこいゃ∼﹄
と言っているようにも見えたが、そんな筈はないし、俺が頭突きし
たら燗さんも驚くだろう。俺は首を横に振る。
﹁うつるかっ、行くぞ、一号! おっさんの近くにいる方がバカが
うつる﹂ 一号が俺の手を握り掴むとそのまま商店街中央広場方面歩き出す。
﹁あら、一号ちゃんと二号ちゃん仲良くお出掛けかい?﹂
声をかけてきたのは櫻花庵の婆ちゃん。まるで小さい子に﹃今日
はお兄ちゃんと一緒なの、良かったね∼﹄と言っているような感じ。
﹁櫻花庵のわらび餅、食ったことあるか?﹂
櫻花庵さんの挨拶に元気に答えた後、二号さんは俺にそう話しか
けてくる。
﹁いえ、まだです﹂
﹁手作りで出来立てはすっげー美味いから一度買いに行ってみな﹂
﹁へえ﹂
そう答えると﹃ホント絶品だからよ﹄とビックスマイルで続けた。
もともと一号より二号の方が口の開き方が大きくヤンチャっぽい。
そしてこうして話していると、それが素の表情に見えてくるから不
思議である。
盛繁ミートの丑さんが﹃今日は両キーボ君揃い踏みか∼﹄言って
来たり、﹃トムトム﹄の紬さんは﹃今日は二人で遊ぶのね♪ 二人
で揃った姿が可愛いわ∼♪﹄といった言葉をかけてきたり、思った
46
以上にキーボ君二人? 二体? での行動に商店街が沸いている。
皆さんにこんなに喜んで頂ける事だったのなら、いじけてなくても
っと一緒に顔出せば良かったと反省。
二号さんも楽しいのか、鼻歌まで飛び出している。本当に自由な
方である。
﹁あの二号さん、俺達、マスコットだから歌声は⋮⋮﹂
商店街の中の人を知っている身内ならば会話しても良いけれど、
流石に声出しっぱなしというのはマスコットとして不味いだろう。
﹁細かい事気にするなって♪ 何なら大声で歌ってやってもいいぞ
?﹂
﹁遠慮します﹂
細かいどころか、かなり大きい部分も二号さんには気にならない
ようだ。鼻歌歌いながらルンルン♪ といった様子で歩いている。
男同士手つないだまま歩くのは、そんなに嬉しい事にも思えないの
だが、二号さんは楽しいようだ。繋いだ手を揺らしている。でもそ
の楽しげな姿を見ていると、俺も楽しい気ごしてくる。ついニヤニ
ヤと笑ってしまった。着ぐるみで表情が見えなくて幸いだ。多分生
身のままだと、大の大人の男性二人が手を繋いで楽しげに歩いてい
る様子は異様だろうから。
視線を感じてソチラを見ると、﹃とうてつ﹄の前で籐子さんかコ
チラをみて嬉しそうに笑って手を降っていた。俺は声は出さず頭を
下げ籐子さんに挨拶した。
﹁万引きだーその男捕まえてくれ﹂
そんな声が商店街に響いた。
﹃Books大矢﹄から飛び出してきた若い男がコチラに向かっ
て走ってくる。店長さん浅野さんがその男に向かって大声で叫んで
いる。
足を止めてしまった俺、手を離し少し腰を落としてから万引き犯
人に突進していく二号さん。一瞬で駆け寄りそのままの勢いを生か
47
しジャンプして犯人を押し倒す。一瞬の事だった。
﹁このっ、おとなしくしろっつーのっ﹂
取り押さえられも尚も逃げようとする男にの上で、二号さんが低
い声で恫喝しながら必至に短い手足でバタバタしている。
安住さんならば大丈夫でも、キーボ君だと一人の男を捕まえ続け
るのは大変そうだ。
﹁おい一号、ちょっと手伝えっ﹂
どうしようかと迷っていると、二号さんに助けを求められる
﹁あ、はい﹂
返事して踏み出すもののどう手伝えば良いのか、解らない。しか
も緊急事態にキーボ君を着ていた事を忘れていて、思ったよりも重
かった身体によろけてしまう。その前方に二号さんの下から這い出
でようとしている男。しかし身体のコントロールが効かずヨロヨロ
と移動する俺。
情けなくもスッ転ぶが、柔らかいモノの上に転けたようで、全く
痛くない。その直後沸き起こった歓声が、キーボ君の中の青色の空
間まで響いてきた。しかしその歓声に応えられるわけもなく、恐ら
く犯人の身体の上と思われる所で静かに横たわっていた。
48
初めての共同作業︵後書き︶
<i110529|1603>
49
俺達の勲章
﹁二号だけかと思ったら一号君もなの? 二号の真似はしちゃ駄目
って誰かに言われなかった?﹂
俺と二号さんはベンチにて二人仲良く並んで婦警の京子さんに怒
られている。万引き犯は駆けつけた派出所の真田さん確保した事で
事件は無事解決したが、着ぐるみ二体が押し倒して捕獲というのは
やや乱暴で手放しで褒められる事ではないようだ。しかし大勢のや
じうまの前で婦警さんに叱られるマスコットってどうなのだろうか
? 申し訳ないという気持ちを精一杯表現する為に、少しうつむき
加減のポーズで京子さんのお叱りの言葉を受けることにした。ウン
ウンと頷いて聞くのも、バカにしていると取られそうだ。そっと隣
を窺うと、二号さんは背筋を伸ばし京子さんを真っすぐ見上げ聞い
ている。自衛隊においては正しいポーズなのだろうが、顔が二号さ
んなのでニッカリと笑っている顔なので緊迫感もあったものではな
い。
﹁いえ、その、真似っていうか転んでしまって⋮⋮﹂
決して真似した訳ではなく、半分は偶然の事故だった事を説明す
る事にするが。隣の二号さんの身体がピクリと動く。その動きにつ
られ視線を向けると、二号さんもコチラを見ていて目が合う。何で
だろうか? 二号さんの目が妙に輝いて見えるのは。
﹁そうだよ、俺も驚いて転んだんだよ。な、一号?﹂
身体を左右に揺らし、﹃な、な、な、なッ!!﹄と同意を求めて
くる。なんで二号さんの感情ってこうも、着ぐるみを突き抜けコチ
ラに伝わってくるのだろうか? きっとそれは俺にだけでなく、絶
対周りの皆に伝わってると思う。良い口実見つけたと喜んでいる事
が。
﹁え、ああ、そうです、俺も二号さんも騒ぎに驚いて転んでしまっ
て。そしたらたまたまさっきの人が下にいたっていうか⋮⋮﹂
50
二号さんの迫力に負けてそう続けてしまう俺。その様子を見て大
きなため息をつく京子さん。
﹁つまりは、二人揃ってタイミングよく転んだ時に、これまたタイ
ミングよく?さっきの万引き犯が下にいたってわけ?﹂
﹁そうです﹂﹁⋮⋮そうです⋮⋮﹂
細めた京子さんの目を見ると、もう実情はバレバレなのだろう。
﹁まったくもう⋮⋮﹂
京子さんは頭に手をやり、頭を横に振る。
﹁あ、京子﹂
﹁なによ﹂
二号さんの問いかけに、キツメの声で答える京子さん。二号さん
すごく睨んでいますよ!
﹁篠宮のおっさんちに電話して台車の派遣頼んでくれ﹂
京子さんは首を傾げ、二号さんに顔を近づける。そして二人で何
やら話をしている。なんやかんや言って恋人同士だけあり仲が良い。
そして再びやってきた台車に載せられ二号さんは商店街を凱旋パレ
ードのように移動する。俺は隣で京子さんの小言を聞きながら一緒
に歩くことになった。
中央広場に戻った時、俺達の所に商店街の人が集まってくる。
﹁キー坊、二号は兎も角、一号は良くやったよ!﹂
ニヤニヤしながらも、二人をバンバン叩き褒めてくれる燗さん。
﹁いや∼、捕まえてくれて助かったよ! アイツ今回が初めてじゃ
ないんだよ! だから今日あ何が何でも捕まえたくて︱︱﹂
浅野さんもニコニコとそんな事を言ってくれた。
喫茶店﹃トムトム﹄の孝子さんが人込みを押しのけ近づいてくる。
﹁なんだ?﹂
それに気が付いた二号さんが孝子さんに声かける。
﹁紬さんがね、これ二人にって﹂
そう言ってコチラに出した手に二枚の金色のモノが載せられている
51
﹁あ、いい子メダルだ﹂
俺がそう言うと、二号さんは首を傾げコチラを見つめてくる。
﹁いい子メダル?﹂
﹁言葉通りのメダルでたまに紬さんがくれるんですよ。集めたらい
いことがあるらしいです﹂
時々俺の時、キーボ君の時関わらず、呼び止めてくれるメダルで
ある。実はこないだもらったメダルがまだキーボくんの内ポケット
に数枚入っている。
﹁へえ⋮⋮俺達の勲章みたいなもんか﹂
﹃俺達﹄という言葉がなんかくすぐったかった。
﹁それと、これは孝子からのご褒美﹂
もう片方の手にクッキーをもって二号さんに示す。
﹁へえ⋮⋮美味そうじゃん﹂
そう会話を返す二号さんから、喫茶店の方に視線を向けると紬さ
んが孝子さんを指さし何故か手でバッテンを作り俺に何かを訴えて
いた。
﹁ん? 一号は食べないのか?﹂
なんでだかわからないけれど、孝子さんが俺にお菓子をくれた事
が今までもあったけれど、それを喫茶店の面々が慌てたように回収
していってしまって食べられた事がない。
﹁俺は⋮⋮﹂
ニッコリそう笑い、二号さんの背中のチャックを開けてを突っ込
む孝子さん。
﹁恭一君、食べてみて﹂
﹁おう﹂
そんな会話が交わされるけれど、喫茶店から誰かが飛び出してき
てお菓子を回収する気配がない。するといきなり二号さんが大きく
52
震え、俺はビクリとしてしまう。一瞬二号さんが爆発したかのよう
に見えた。
﹁にっがぁぁぁぁ!! たかぁこぉぉぉぉ! これ何いれて作った
んだぁぁぁ!! よもぎかぁぁぁ?!﹂
﹁あれえ?﹂
そんな謎の会話が交わされる。でもヨモギ味でも別にクッキーと
してそんなに変とは思えない。それにクッキーが苦いって? 何が
あったのだろうか?
﹁あれえじゃねーよ! おい一号、お前、知ってたな?!﹂
こっちをキッと睨むように見つめてくる二号さんに俺は手を前に
横にふり必死で否定する。
﹁え? いや、なんでしょう、俺は食べる機会が今まで無かったの
で⋮⋮﹂
俺の話を最後まで聞くこともなく二号さんは叫びながら喫茶店の
方に走って消えていった。
孝子さんをみると、コチラを見てテヘヘっと可愛く笑ったけれど、
その笑みが少し怖く見えたのは俺だけだったのだろうか?
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俺達の勲章︵後書き︶
<i110612|1603>
54
オフ会で生まれたモノ
色んな事があって若干疲れを感じながら黒猫での通常業務に戻っ
た。まだオープンしたてで、barにきたというより軽めの夕飯を
楽しみきたサラリーマンとか、カフェ替わりに食事前の一時過ごす
女性、待ち合わせのカップルとかがまったりしている感じ。演奏し
にきている学生も聞かせる為というか、音合わせをすませ指ならし
Jazzに充たされた、何処か切なく大人なディープさを漂わ
も兼ねて音で遊んでいる。
せた遅い時間帯の黒猫店内も良いのだが、この時間帯ならではのス
ローな空気も俺は好きである。
カララァァァァァラァァァァアア
なんか昼間にも聞いたような元気な音がしてBarの入り口の扉
が開く。するとそこにまた二号さんが立っていた。そんなはずはな
いと、顔を横に振る。改めて見ると違った。精悍な顔立ちの男性が
﹃よ!﹄と手を上げ俺を見てニヤリと笑う。なんかダメだ、その人
物の顔がどうしてもキーボ君二号に見える。
﹁よお、素では初めまして﹂
俺に近づいてきてそう挨拶する。
﹁二号、さん?﹂
やはりこの声からもキーボ君二号の安住さんである。
﹁安住です、初めまして﹂
﹁あ、どうも、東明です﹂
昼間に手を繋いで一緒に歩いた関係なのに何処か他人行儀な挨拶
着ぐるみオフという意味ではオフ会であっている
を交わす。なんとも不思議な感。これはネットのオフ会に近い感覚
なのだろうか?
55
のかもしれない。
立ったままなのも可笑しいので中に促すと、カウンターの中にい
る杜さんに挨拶してカウンター席に座る。その時少し足を引き摺っ
ているのに気がついた。
﹁安住さん、足、どうしたんですか?﹂
そう聞くと安住さんは、ばつが悪い顔をする。
訓練中にドジって﹂
先程の万引き犯との取っ組みあいではなく?
﹁ああ、これ?
訓練中?
﹁怪我してたんですか?﹂
﹁軽い捻挫程度で大したことないから⋮⋮﹂
そう聞くと頬をボリポリ掻きながらそう答える安住さん。そんな
怪我しているような人に仕事押し付けていたという事実にも落ち込
むし、安住さんにも頭にきた。
﹁なんで、怪我していたのにあんな無茶したんですか!﹂
だったら最初から﹃足が負傷してあるから無理
無茶だけでない、怪我した身体でどうしてキーボ君の仕事引き受
けたりしたのか?
!﹄と俺にふってくれれば良かったのに。
﹁この程度の怪我はいつものことだし大したことないさ。ま、あと
一週間ぐらいで元通り﹂
もっと大切にしないと!﹂
そう言ってニカッと明るく笑う。
﹁大事な身体じゃないですか!
安住さんは普通の仕事ではない。特に身体が基本。足を引き摺る
ような怪我していたら業務に支障をきたす筈。
﹁俺はもともと頑丈な人間だからさ、そんな心配すること無いんだ
って﹂
尚も能天気な口調で安住さんはそんな事言ってくる。そして考え
るこの人黒猫に何しに来たのだろう?Jazzが好きな人にも見え
ないし。
大の大人がBarにしにくる事と言ったら聞くまでもないだろう。
お酒を呑みにきたと言うことになる。
56
そしてこう言う感じの人だから、﹃酒は薬だから、いっぱい飲め
ば怪我も吹き飛ぶ﹄とか言いそうである。
それに傷み止めとか飲んでいたら、余計にお酒はまずそうだ。と
なると身体に優しく怪我に良さそうなモノ与えるべきだろう。
﹁おーい、東明くーん、聞いてるか︱?﹂
声に気が付き安住さんに視線を向けると、ヘラっと笑って手を俺
の目の前で振ってくる。少し自分の世界にいたようだ。
﹁別にこれ、東明君のせいじゃないんだからそんな気にすること無
いんだぞ?﹂
安住さんは笑いながらそう言うが、怪我しているのにキーボ君の
仕事をさせ無理させたのは俺である。
﹁今スムージーでも作りますから座っていてください!﹂
言ってからスムージーは悪くないかもしれないと気がつく。欲し
い効能をチョイスして作成出来る。
﹁お、おう・・・?﹂
そう答える安住さんを後にしてカウンターに入る。
ミキサーをセットして、さて何スムージーにしようかと悩む。
坑酸化作用に、カルシウムも欲しいから豆乳の半量を牛乳にして、
キュウイにリンゴにほうれん草、モロヘイヤ、アボガドと色々放り
込んでミキサーを回す。味を確認すると効能重視で作った為が少し
青臭い。冷凍バナナとパインも加え臭み取りにレモンとハチミツを
加えさらに回す。結果スゴい色のスムージーが大量に出来上がる、
味は⋮⋮悪くない。でも通常のスムージーと比べてかなりドロ∼と
していて気持ち悪い。
小さいグラスに分けてjazzバンドのメンバーに配り試して見
ることにする。意外と見た目気にせず、皆笑顔で受け取り嬉しそう
に飲んで﹃旨い﹄と喜んでくれたから大丈夫だろう。
残りを大ピッチャーに注ぐ。並々に注がれたどす黒い緑の液体を
持っていくと、安住さんも流石にひいてはいた。
﹁なあ東明君、これは⋮⋮﹂
57
﹁キウイとリンゴを使ったスムージーです、美味しいですよ﹂
なるべくさりげなさを装ってそう促した。
他にも色々入れたけれど、全部説明するのは正直面倒である。薄暗
い店内だから分かり辛くなっているけれど、確かに見た目ホラーな
色調のドロドロの飲み物を出した認識はある。
﹁そっか⋮⋮ヨモギじゃないんだな?﹂
安住さんはヨモギが相当嫌いなようだ。だから孝子さんのクッキ
ーに悲鳴あげていたのかと納得する。
﹁違いますよ﹂
恐る恐るといった様子で大ジョッキに口をつける安住さん。意外
と食べ物には慎重な所があるようだ。そして飲んで驚いた顔をして
から笑顔になる。
﹁美味い﹂
そう言って更にゴクゴク飲んでくれたのを見てホッとした。
58
オフ会で生まれたモノ︵後書き︶
<i111075|1603>
濃厚パワードリンク・キーボスムージー
キーボ君︵二号︶専用に開発されたスムージーですが、人間が飲ん
でも意外なとイケるのでメニューに加えてみました♪
濃厚な味わいの、このスムージーを飲めばどんな疲れも吹き飛ぶ筈?
ドロ∼として舌触りで好き嫌いは分かれますが、好きな人は好きな
味です。
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上手な甘え方
﹁ところで安住さんは何故、自衛隊を志したんですか?﹂
何となく二人の関係が落ち着いたところで、何となくそんな事を
そうだなあ・・・。別に使命感に燃えてとかそんなんじ
聞いてしまった。
﹁何故?
ゃなくて、とにかく昔っからなりたかったんだよ自衛官に。知って
の通り実家は寺でオヤジは殺生をする職業なんて認めないってんで
未だに認めてくれてないけどな﹂
子供時代から真っ直ぐ夢に向かって走るというのも、安住さんら
しいと感じた。
﹁初志貫徹ってやつですか、凄いですね﹂
素直な感想を述べたのに少し照れた笑みを安住さんは浮かべる。
﹁確かになかなか思うような仕事につけないって愚痴っている級友
とか見ていると、自分がなりたいって思っていた職につけたことは
凄くラッキーだったとは思う。そう言えば、お前も就職活動中だっ
け?﹂
やはり、その流れだとそう聞かれるのは当然だろう。安住さんか、
あまりにも普通に聞いてきたから、俺も普通に素直に答える。
﹁はい。でもなかなか。最終面接までいくんですが﹂
安住さんは俺の顔見て首を少し傾げる。
﹁ふーん。俺と違ってそういう面接官のウケ良さそうに見えるけど
な﹂
良い子には見えるのが俺というキャラクター。﹃良い﹄はともか
く﹃子﹄は卒業しなければならない。
﹁でも、理由は何となく分かるんですよね。熱意を感じないのでし
ょうね、俺に。その企業に何が何でも働きたいという想いが見えな
いから最終選考で落とされるんだと思います﹂
大学卒業してから、就職活動についてとか、自己分析とか、友達
60
と交わす事もなかった。それだけに殆ど初対面とも言うべき安住さ
んにそんな事語った自分に驚く。
安住さんも、就職浪人の俺に変に気を使う様子もなく﹃ふーん﹄
と言ってスムージーをズズーとストローで啜る。
﹁何かやりたい事とかないのか?﹂
シンプルだけと、今の俺には難しい質問を直球で聞いてくる。
﹁それが無かったから大人になって慌てて探している状態なんでし
ょうね。モラトリアム状態?﹂
不思議な人だなと思う。多分素の感情で人と接する人なのだろう。
だから俺もつい素で返してしまう。
﹁いいんじゃね、それで。見つけるのが早いか遅いかってだけの違
いだろうし。俺はたまたまやりたいことを見つけるのが早かったっ
てだけで。そのかわり今は地獄の一丁目に立っている気分だけどな﹂
この人の言葉は、理論的滅茶苦茶だけど納得できて、自分の今の
状況もたいした事ではないように思えてくる。気がつけば笑ってい
た。
﹁でもさ、本当にやりたいことだからこそ頑張れるんだ。だから東
明君も焦って妥協するよりも、とことん自分のやりたいことを探せ
ば良いんじゃないのか?と俺は思う﹂
﹃やりたい事か⋮⋮﹄本当に俺に見つかるのだろうか?
﹁そうなんですかね⋮⋮﹂
﹁そうなんだよ﹂
自信無げに答える俺に、明るく即効そう答えてくる。
﹁安住さんが言うと、本当にそんな気がしてきました﹂
﹁気がしてきたんじゃなくて、そうなんだって。これ、兄貴の受け
売りだから間違いない﹂
元気にそう言い切る安住さん。なんか色んな意味で心が軽くなっ
た。人をなんか元気にしてくれる方である。そう言えばキーボ君二
号の頭に載った赤いのは﹃夢﹄だったと思い出す。
そんな事話していたら、安住さんのジョッキが空なのに気がつく。
61
ウチ
結構量あったと思うのに⋮⋮飲みきるなんてと少し感動する。しか
果樹園スムージーと
しあんなに、ネットリしたの黒猫のスムージーだと思われるのも悲
しい。
﹁あっ、グラス空ですね。次なに飲みます?
か、フォレストスムージーにとか、南国スムージー、北国スムージ
ーとかもありますけど﹂
そう声かけると、安住さんは少し悩む。
﹁もしかしてスムージー縛り?﹂
流石にスムージーだけだと身体が冷えてしまいそうだ。暖かいモ
何でも好きなの言って下さい。あっそろそろ焼きた
ノを食べて貰わないと。
﹁いえいえ!
てのキッシュも出来る筈ですし﹂
俺はノンアルコールのメニューと料理のメニューを渡す。そのタ
イミングで澄さんが自宅のキッチンで焼いてきた料理をもって黒猫
にやって来る。
﹁あら、安住くん来てたのね∼
今日は大活躍だったんだって? 偉いわね∼﹂
朗らかに子供に話しかけるように声かけてくる澄さんに、明るく
返事する安住さん。
﹁頑張った安住に、特別ご馳走しちゃう﹂
そう言いながら出来立てのキッシュやミートパイを皿に盛り付け
渡す澄さん。安住さんはそれを、満面の笑みで受けとる。
﹁うぉ∼♪ 旨そう! 頂きます﹂
先日﹃とうてつ﹄の籐子女将の言うところの甘え方、安住さん見
ていると分かったような気がした。
﹁うま∼♪ ママの料理最高♪
昔作ってくれたカボチャとベーコンのパイも旨かった♪ また、
食いたいな∼﹂
そんな言葉に、澄さんはフフと笑う。
﹁今、カボチャの美味しい季節じゃないけど、明日でも作ってあげ
62
る﹂
﹁まじ? 嬉しい! ありがとう♪﹂
変な遠慮はしないで、行為を素直に受け取り、感情をストレート
に相手に見せる。そう言う面は見習わねばと、そのやり取りを見て
思った。
安住さんは、楽しく会話を楽しみ、料理をたらふく食べ、お酒は
一切飲まずジュースやスムージーだけを飲んで満足したのかスツー
ルから立ち上がりポケットから財布を出す。﹃良いのに﹄という澄
さんに、﹃飲み物代だけでも払わせてよ!﹄と返し数枚のお札を置
いていく。
﹁あっ安住さん!﹂
帰ろうとするその姿を呼び止める。
﹁ん?﹂
振り向く安住さんに、俺は笑いかける。
﹁送りますますよ!﹂
﹁え?﹂
あ
目を丸くするので、補足の説明を加える事にする。男が男を送る
というのも変だと思われただろう。
一人で帰れるから!
﹁ウチにも台車ありますから、お寺まで運びますけど!﹂
﹁い、いやいやいやいや大丈夫だから!
っありがとう! でも大丈夫﹂
安住さんは何故か遠慮してそそくさと帰ってしまった。
63
ブルー・マロウ
俺がこの街に来て少しだけ行動的に変わったように、この商店街
浅野さん一家が越してきてBooks大矢
が再オープ
も少しずつ変化していっている。シャッターが閉まっていた本屋さ
んの所に
ン。
黒猫近所ではオーナーが亡くなった事で閉店となっていた﹃美容室
まめはる﹄さんが先代オーナーのお孫さんにより近々復活するとい
う話を澄さんが嬉しそうに話しているのを聞いた。
mallow﹄
そして最近黒猫の隣のビルの一階でも何やら人が出入りしている
様子だった。何かお店が出来るようだ、﹃Blue
という看板だけではどういうお店か察する事が出来ない。ただ昔澄
さんに飲ませてもらったブルーマロウのハーブティーの事を思い出
しただけだった。藍色の水色のティーがレモンを加えると鮮やかな
ピンクに変わるのを感動したものである。
この新しいお店三つがさらに商店街を華やかにしていく事を嬉し
いと思うのと同時に、自分も早く仕事を決めて変わって行かないと
いう焦りも少し感じる。そしてそうやって華やいでいく商店街から
去らなければいけない事にも寂しさを覚えていた。就職浪人二年目
になり、少しであるものの手応えも感じてきている。俺がここを去
るという事は、俺にとって大きい出来事でも、この商店街の大きな
流れからしてみたら些細な事。分かっているけれど、これだけお世
話になった商店街で何も残せない自分も情けなく思う。
今日は面接もなかったので、俺はいつものように二つのビルの清
掃作業に、﹃黒猫﹄開店準備をしていた。店内掃除の為に真っ先に
する事は邪魔な電飾看板を出す事。するとビルの入り口に見慣れぬ
64
女性が困ったように立っている。女性の年齢って分かり難い。小柄
だけど多分年齢は俺と同じくらい? 濃いブルーの柔らかいフォル
ムのコットンのワンピースがその女性の肌の色の白さを際立たせて
いる。三月だとはいえ今日暖かい。その上着のない軽やかな恰好が
ますます新しい春の訪れを感じさせた。
その女性は一階は眼鏡屋さんがあるが、そちらではなく階段とエ
レベーターホールの方をジッと見つめている。
と言うことは2階の整骨院の患者さん?
﹁⋮⋮あの。どうかされましたか⋮⋮? うちに何かご用でも?﹂
さわやま
りお
そう声をかけると、その女性はビクンと身体を強ばらせコチラを見
てくる。かなり驚かせてしまったようだ。
﹁あっ、と、隣で雑貨屋をさせて頂きます、澤山 璃青と申します
! えっと、こちらの黒猫さんの方ですか?!あの、ご挨拶に⋮⋮﹂
どうやら、隣でオープンするお店の方のようだ。俺が言うのも変
だけど、こんな若い人がお店を始めるという事に純粋に驚きを感じ
る。
﹁⋮⋮ああ、お引越しされて来た方なんですね。こちらこそよろし
くお願いしますね。といっても僕はマスターではないので、ちょっ
と下まで一緒に来て頂けますか? 今ならママがいますから﹂ 俺は彼女を黒猫に案内する。
ねこやま
すみ
﹁あら、お隣に入る方? まぁ、お一人で雑貨屋さんを? 頑張っ
とうめい
ゆき
てね! ちなみに私は根小山 澄。夫はちょっと手が離せなくて、
ごめんなさい。で、この子が甥っ子の東明 透。よろしくね﹂
澄さんがニコニコとその女性を迎える。優しい人なのだけど見た
目が少し怖い杜さんじゃなくて、澄さんが対応してくれて良かった
のかもしれない。緊張していた女性の顔が少し解れる。澤山さんは
今商店街の一員となろうと踏み出している。そのことにチョット羨
ましさを感じる。
﹁早速だけど、よかったら今夜飲みにいらっしゃいな﹂
澄さんはすっかり気に入った様子で、そうやって誘っている。澄
65
さんに限らず、この商店街の人は社交的でフレンドリーだ。この先
こんな感じで迎えられ、すぐに澤山さんも商店街に溶け込んでいく
んだろう。
﹁あ、あの、お酒、すっごく弱いんですけど。それでもお邪魔しち
ゃっていいですか?﹂
﹁平日は大学生でJazzサークルの子たちが演奏しているの。だ
から気楽に、ね。商店街の人も結構集まるし、親睦が深められるか
もしれないわよ?強いお酒を無理に勧めたりなんてしないから、是
非どうぞ!﹂
﹁ありがとうございます。じゃあ、お言葉に甘えて、また夜に来ま
すね﹂
女性二人の会話に入れるわけもなく、ただそのやりとりを眺める
しかなかった。そして澤山さんは去っていった後、いつもの黒猫に
戻る。俺は清掃作業を再開することにした。
午後、キーボ君の活動予定について篠宮さんの所での打ち合わせ
から帰ってきて、根小山ビルヂングに入ろうとしたら目の端に碧の
色が入ってくる。澤山さんがポスト隣のビルのポストの前に立って
いる。まあ本当にお隣さんなのだから、こうして見かけるのは当た
り前なのだが、俺はアレ? と思う。
﹁澤山さん?﹂
思わず声かけてしまったのは、彼女が真っ青な顔色で顔を強ばら
せていたから。
﹁⋮⋮あ、東明、さん﹂
ハッとコチラを見てきた事で、虚ろだった瞳に少し表情が戻る。
﹁どうしました? 何だか顔色が悪いですよ﹂
﹁え、そうですか⋮⋮?﹂
俺の言葉に、ぎこちない笑みを浮かべそう応える。迷子の子供を
前にしているような気分に
なる。
66
﹁ーーおいで﹂
このままここでそんな表情で立っているのも可哀想に思えて、手
をひき黒猫まで連れてきてしまった。澤山さんを連れてきた事で驚
いた顔をした澄さんに簡単に説明をする。澄さんも澤山さんの表情
を見て理解したのだろう、柔らかい笑みを浮かべ、彼女の心を抱き
しめるような優しさでカウンターへと案内する。こういうものは、
やはり澄さんのように同じ女性に見てもらったほうが良いのかなと、
俺は少し離れて座って状況を見守る事にする。彼女はずっと掴んで
いた手紙を見てハッとした顔をして、それをカウンターに置き小さ
く溜息をつく。洋一号サイズでエンボスの模様の入ったその封筒。
白いそのサイズの封筒がこの年代の人に届く。それが何であるかは
簡単に予測できた。結婚式の招待状である。
澄さんに出されたホットチョコレートドリンクを両手で持ち一口
つける澤村さん。その途端に彼女の瞳から涙がポロリとこぼれ俺は
慌てる。澄さんは落ち着いたもので﹃あらあら﹄といって彼女にお
しぼりを渡す。
別れて間もないの元彼から届けられたらしい結婚式の招待状。し
かも相手は彼女の後輩。話を聞いていても相手の男性の気持ちが分
からない。付き合っていたという事はそれなりに深い交流をしてき
た筈の相手。そんな相手に結婚式祝ってもらいたいと思うものだろ
うか? 澤山さんの様子みても別れたとはいえ、まだ少しその想い
かお
が残っているような感じ。そんな相手に態々招待状送る意味って何
なのだろうか?
﹁そうなの⋮⋮。でも、璃青ちゃん、ずっと硬い表情をしてたから、
ちょっと緊張の糸が切れちゃったんじゃないかしら。悲しいってい
うより、そういうのもあるかもしれないわよ?﹂
澄さんは、彼女が泣いたのは、その相手の男性の所為ではなく、
開店準備で張っていた気が途切れただけだから、オカシイことでも
なんでもないと告げる。そういう事をすっと言える澄さんは流石だ
と思う。
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﹁そうなんでしょうか⋮⋮﹂
そんなやりとりを見つめながら、俺はどう考えても納得のいかな
いモノを感じていた。相手の男性の行動がまったく理解できない。
﹁そんな男性、別れて良かったですよ﹂
心の中で言ったつもりの言葉、口に出していたようだ。
﹁⋮⋮え﹂
当然澤山さんはビックリしたように俺を見てくる。俺は恥ずかし
くて、顔を逸らしてしまう。
﹁ごめんなさい。生意気な事、言いました。
⋮⋮ただ、相手の男性デリカシーなさすぎですよ。最近まで付き
合っていた人、結婚式に呼ぶのってどういう神経かと⋮⋮仮にそれ
でも招いて祝ってもらいたいならば、招待状送り付けるだけとかで
なくて、電話なりでその気持ちを伝えて、澤山さんの意志を確認し
てからすべきかと⋮⋮申し訳ありません。余計なこと言いました﹂
ダメだ、どう言葉を重ねようが余計なお世話で、彼女の何の慰め
にもならない。俺は素直に失言を謝る事にした。澤山さんはフフと
笑う
﹁いえ、いいんですよ。謝って頂くことないです。ホント、デリカ
シーないですよねー。何考えてるんだか。意外とデキ婚かもしれな
いですよ。いくら何でも早過ぎですもん﹂
そうして笑う顔は、まだ哀の色を帯びていて少し痛々しかった。
﹁電話もね、あったかもしれないけど、アドレスから削除した上に
着信拒否してるから。そんな報告、聞きたくもないですけど。招待
状は多分、新婦のせい。その後輩、一応わたしに懐いてたので。そ
れすら怪しいんですけどね。それにしたって“出す前に止めろよ、
元彼!”って感じですよね﹂
着信拒否して、その後の付き合いも出来てない相手に何故そうい
う事してきたと、俺は見知らぬ相手の男を呆れるやらムカツクやら
で溜息をついて気持ちを入れ替えることにする。
﹁ごめんなさい!こんな重い話しちゃって。しかも開店前なのに、
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わたし⋮⋮⋮﹂
﹁ここでスッキリしてくれたなら、それでいいのよ。そんな事より
今日商店街回ってどうだった? 瑠青ちゃんにもここでの生活を楽
しんで貰いたい、って心から思ってるのよ﹂
﹁⋮⋮はい。皆さん暖かく接して下さって嬉しかったです。それに、
まだやる事が盛りだくさんなんでした。しっかりしなくちゃ。これ、
美味しかったです。ご馳走さまでした。東明さんも、連れてきて下
さって、どうもありがとうございました﹂
そう言ってくる澤山さんに﹁いえいえ﹂と首を振り答えていると
と、何故か突然澄さんがプッと吹き出した。
﹁ユキちゃんの方が年下なんだから、そんな﹃さん﹄なんてつけな
くても。皆のように﹃ユキちゃん﹄でいいのでは? その方がいい
感じじゃない?打ち解けた感じで﹂
この商店街では、名前で呼び合うのが普通になっているけれど、
俺はその事に未だに慣れずムズムズしている。澤山さんも途惑って
いるようだ、俺の方を上目遣いでチラリと見上げてくる。
﹁えっと、⋮⋮⋮ユキ、さん?﹂
ゆうり
なんでだろう、女性にこうして呼ばれるのって凄く気恥ずかしい。
大矢さんところの友理ちゃんとか、トムトムさんところの孝子さん
らは妹という感じだからそこまで照れくさくなかったのだが、紬さ
んや籐子さんらのように思いっきり大人の女性でなく、このくらい
の年上女性から言われるとなんていうかスゴく照れる。
今まで付き合ってきた彼女は皆呼び捨てだったし、母も姉も同じ。
こんな風に柔らかく呼ばれる事なんて、なかったから余計に違和感
を覚える。
﹁うーん。それもなんか堅いわねぇ。じゃあ、“ユキくん”でいっ
てみる?﹂
澄さん、どういう指導なのですか。謎のダメ出しを入れてくる。
俺はが下手に止めると、仲良くする気はまったくないと勘違いされ
そうな事もあり視線で訴えるが澄さんには通じない。むしろ、﹃い
69
いでしょ! コレ、いいでしょ!﹄という視線が返ってくる。
﹁うん。⋮⋮⋮だね﹂
視線のパワーに負けそう答えるしかなかった。
﹁⋮⋮はい。それでは“ユキくん”で﹂
﹁それなら俺も、“璃青さん”で﹂
この商店街にいるからには、ここのルールに従うしかない。こっ
ちの気恥ずかしさが伝わったのか、璃青さんも少し顔を赤くしてい
た。澄さんだけが嬉しそうにニコニコとしていて、俺達はただ顔を
赤くしながら見つめ合うとよく分からない状況を作り出していた
。とはいえその時間で彼女の顔から暗さは消えた。
そんな不思議な時間の後、瑠青さんは仕事に戻るようで何度もお
礼を言いながら去っていった。
ここにきた当時は俺だけが悩んでいて、皆はすべて上手くいってい
て楽しそうに過ごしている。そのように感じていた。みんなそれぞ
れ悩みを抱えていて、でも前に歩く為に頑張っている。そういうの
が見えてくるようになった。俺がこの商店街で色々助けてもらった
ように俺もここにいる間はそうして人に接していかないとと思う。
特に璃青さんはこの商店街に一人で飛び込みこれから頑張って行こ
としている。お隣さんという事もあるから俺が色々助けてあげない
ととそんな事を思った。しかしまずは目の前の﹃黒猫﹄の仕事。開
店までもう時間もそんなにな。俺は深呼吸して仕事を再開すること
にした。
70
ブルー・マロウ︵後書き︶
ブルー・マロウは花言葉は﹃柔和な心、魅力的、穏やか、熱烈な恋、
葵﹄様の書かれたものに触発されて書かせ
勇気﹄となるようです。どのような意味を持つ事になるのでしぃう
ね?
コチラの話﹃たかはし
て頂きました。瑠青ちゃんからみた様子あ﹃Blue Mallo
wへようこそ∼希望が丘駅前商店街﹄にて描かれていますので、あ
ちらの可愛らしい世界も併せて楽しまれると楽しいかもしれません。
71
家族の想い
﹁日本酒というのも一緒くたで語れない程様々な顔もってんだ。淡
麗辛口が日本酒の特長というかそれが旨さのようにも勘違いされが
ちだけどよ、それだけが旨い日本酒ではねえ。甘くて濃厚さを楽し
むモノも結構ある。そういったのは、濃い味の洋食とも相性がいい
んだ﹂
俺は篠宮酒店にて、燗さんの言葉を聞きながらメモをとっていた。
﹁日本酒が旨いのは東北だけじゃねえ、九州とか南にも旨い銘柄が
あるんだな! でも南だと日本酒は甘口になる︱︱﹂
黒猫には当たり前だけどお酒が沢山ある。その中で俺が知ってい
るたのはメジャーなビールとウィスキーの銘柄位だった。実践で飲
んで学べというか杜さんの姿勢。しかしそれでは追い付かない程の
種類があり日々のお客様の質問に対応しきれない場面が多く四苦八
苦していた。そこで頼ったのが、黒猫のお酒の仕入れを請け負って
いる篠宮酒店のオーナーであり、お酒のエキスパートの燗さんだっ
た。
黒猫は基本洋酒中心だけど、知る人ぞ知るといった面白い銘柄の
日本酒もいくつか用意してあり、そういうのを目当てにくるお客様
が密かにいるようだ。そういうお客様の相手も出来るように本日も
教えを乞うていた。
﹁ところでユキ坊、最近の黒猫いい感じだな! 高い良い酒が回転
よく売れていっている﹂
日本酒講座が終わり雑談になった時に燗さんがそんな事を口にす
る。
﹁燗さんのお陰なんですよ﹂
俺は笑い頷く。
﹁燗さんから教えて頂いた事をメニューに情報として加えてみたん
です。お酒って分かる人はいいですが、普通の人は銘柄ズラリと並
72
べても良く分からない。だから無難なものを選んで終わってしまう。
折角良い酒取り揃えているのに、それが伝わらないの勿体無いと思
って﹂
燗さんのギョロっとした目がジッと俺を見つめてくる。いつにな
く真面目な顔に首を傾げてしまう。
﹁そこなんだよ! ユキ坊﹂
いきなり肩を掴まれ大声でそう言わる。
﹁今までの黒猫さんに足りなかった所!﹂
﹁⋮⋮はあ﹂
熱い視線と強い口調でそう言われると、答えるしかできなかった。
。
﹁あの二人は揃って育ち良いというかノンビリ屋さんだからよぉ、
慈善事業じゃねえんだから商売っ気出せって言っても通じねえの
まあ不動産や株持ってるから資産はそれなりに有るんだろうけどよ。
アイツら外車乗ってるし、ブランド品とか上品なモン着ているし、
しょっちゅう海外旅行行ってるようだし﹂
確かに世間bから見たら根小山夫妻は気儘過ぎる感じに生きてい
るように見えているのかもしれない。杜さんいとって黒猫と不動産
管理が副業だとは知らないから心配しているのも仕方がないかもし
れない。
﹁二人ともソコは、しっかりしている⋮⋮﹂
﹁だからこそ、ユキ坊みたいなシッカリしたヤツが二人と一緒にい
てくれる嬉しいんだが、このままこの商店街に残る気はないか?﹂
思いもしていない事言われてしまう。
﹁勿論、商店街のもんは皆仲間で家族みてえなもんだ。だから俺達
も見守っていくつもりだ! でもホンモノの家族にしか出来ねえ事
ってのもある。俺達に出来ねえけどユキ坊にだから出来る事って多
いと思わねえか﹂
家族⋮⋮俺は改めてそれを考える。俺の両親は喧嘩している所を
見たことないが、杜さんや澄さんのように仲良くしている所も見た
ことない。朝互いの一日のスケジュールを確認しあい、姉と俺に近
73
況と今日の予定を聞きそれに合わせ言葉をかけ解散。後はそれぞれ
自分の一日を過ごす。今でも時々であるがメールは届く。俺はそれ
に報告のメールを反すだけ。非常に淡々とした関係ではあるとは思
う。
冷たい訳でも残酷な訳でもない。言っている事は正論だし、両親
が俺に求める堅実に生き方というのも俺を思っての事。
﹁アイツらの抜けてるとこをお前さんがカバーして、お前さんの繊
細でアレコレすぐ悩んでしまうとこをあの二人の能天気さが包み込
む良い親子じゃねえか﹂
親子ではなくて、親戚なのだが燗さんはそう力説する。
この商店街の家族のような一家団欒からは程遠いが、俺の家庭に
愛がないわけではない。俺を思っての事だろうが、冷静に俺の欠点
だけをハッキリと指摘してくる家族の言葉が痛すぎて、耐え切れず
俺が逃げ出しただけである。
﹁それにな、ユキ坊にはあの二人にはない商売人の才能有る。そう
いう人を自然に気遣い喜ばすってのはなかなか出来そうでできねえ
もんなんだ! そう言う意味でも黒猫で最高の切り札になるから!
どうだ残ってくれんか? またキーボ君一号のあの味出せるのは
あんたしかいねえ! どうだ?﹂
こんなふうに認めたような口調で言われる事に慣れていなくてど
う返すべきか悩む。だって俺に商才なんてモノあるも思えないし、
俺のキーボ君に安住さんの二号のような個性はない。
﹁あなた、東明くんが困ってるでしょ﹂
奥さんの雪さんが近づいてくる。燗さんは途端に照れたように大
人しくなる。雪さんはニコニコ俺を見上てくる
﹁東明くん、杜さんも澄ママも貴方が夢持って生き生きと人生を楽
しんでいく事を望んでいると思う。
だからそんな顔ばかりしないで、今を楽しんで! ほら可愛い顔
しているんだから笑って♪﹂
その雪さんのあまりにも優しく温かい笑みにつられるように俺も
74
つい笑ってしまった。
この商店街の人ってなんか敵わないと思った。何気ないようでい
て俺や根小山夫妻の事を気にかけこうして見守ってくれている。最
初は戸惑う事の方が、多かったけれど最近のじゃそういう所がこそ
ばゆいけれど嬉しい。
﹁ありがとうございます﹂
突然お礼を言う俺の二人は不思議そうな顔をするけどすぐ雪さん
はニッコリと笑い、燗さんは照れる。
﹁なんでぃ、いきなり﹂
ポリポリ頭を燗さんはかく。
﹁なんか、色々と皆さんにお世話になっているというか、暖かくし
て頂いているというか﹂
﹁あ、あたり前だろ! 黒猫さんも俺の家族みてえなもんだし、お
前も息子みてえなもんだから﹂
またその言葉が俺をムズムズさせて、心を暖かくする。
75
分岐点
この商店街で過ごすようになってもうすぐ一年になる。ここでの
生活は俺の考え方をかなり変える事になった。生き生きと自分の仕
事に誇りをもって生きている大人と、シッカリ自分の夢を持ってい
る同世代の人達との交流は、俺の価値観を大きく動かすことになっ
た。
去年は省庁といった堅実狙いの職種を選んでいたのだが、今年か
らは対象を広げるようになった。もう一つ変わった事は面接にて語
るべきネタが格段に増えた。逆に言えばそれまでの自分がいかに人
に語るべき事のない人生を生きてきたかという事でもあるのだろう。
就職浪人二年目で面接にいい加減慣れてきたし、人と話すのが苦手
ではなく、寧ろ楽しい事となってきた。たかが一年だけど、この一
年は俺にとって大きな意味をもつ一年だったのかもしれない。
俺は根小山第一ビルヂングの入口で、空を見上げどこまでも突き
抜けたその青さに俺は目を細める。六月にはいり、梅雨を吹っ飛ば
して夏がきたようだ。第二ビルヂングに向かうために大きく深呼吸
をして気合を入れる。ふと見たポストの所に手紙が入っているのに
気が付いた。そっと覗いてみると、手紙が五通入っている。宛名を
見てその内三通が俺宛でドキリとする。送り主は先週最終面接を行
った三社。グシャグシャにならないようにその三通をカバンのポケ
ットに入れて杜さん宛の封書は書類サイズで大きかった事もあり後
で回収することにしてそのままポストに戻しておいた。ドキドキす
る気持ちを抑えながら第二ビルヂングの掃除を済ませ、冷静に封卯
書を開ける為にも喫茶店﹃トムトム﹄に立ち寄る事にする。すっか
り馴染みとなったバイトの雄一くんは俺の顔を見て笑顔で迎えてく
れて、大きい椅子に案内してくれる。今はキーボ君ではないのだが、
あえて指摘せずその椅子に腰掛ける。
76
オムライスのランチセットを注文してから深呼吸して心落ち着か
。
せてから三通の手紙とカッターナイフをカバンから取り出した。そ
っと丁寧の封書をカッターナイフで開けて中の紙を取り出す
三通ともほぼ同じような文章で結果を伝えていた。
コトン
音のがして見るとアイスコーヒーとビニールに入れられたクッキ
ーが置かれている。
﹁お疲れ∼
このクッキー、澄さんから貰ったレモンジャム使って作ってみた
の! 結構出来良いから⋮⋮﹂
孝子さんがそこまで言って不思議そうに俺を見つめてくる。
﹁何か元気ない? ボーとしていて反応悪いよ!﹂
そうしてチラリと動かしたら視線で手紙の文章が目に入ったのだ
ろう。目を見開らく。
﹁え! 内定ってことは仕事決まったの?﹂
俺より先に嬉しそうに笑い、声をあげる。その声でトムトムの皆
が一斉にコチラを見てきて少し恥ずかしくなる。
太郎さんや紬さんも近付いてくる
﹁ユキくん、おめでとう!﹂
紬さんの言葉に俺は頭を下げお礼を言う。
skogと、あとマメゾン﹂
﹁どういう会社に内定が決まったの?﹂
太郎さんが聞いてくる。
﹁天河リゾートに北欧家具のEn
三人は目を丸くする、こういう同じ表情をすると三人が血縁者だ
と分かるくらいよくその顔は似ていた。
﹁結構メジャーで大企業じゃん! どれも。
⋮⋮でも、ということは、黒猫辞めちゃうの?﹂
孝子さんの言葉で一瞬場がシンとしてしまう。しかしすぐに紬さ
んが笑顔を戻す。
﹁辞めるのではなく、旅立つといいなさいよ! それにここから通
77
えばいいじゃない、交通の便もいいから便利だしね﹂
孝子さんはその言葉にいつものニコニコした笑顔が戻る。
﹁天河リゾートといったら高級ホテルチェーンよね! 家族割とか
で皆で遊びに行くのも楽しそう♪﹂
skogの家具を社員割で買いたい﹂とか皆早くも、俺が
再び店内に明るい空気が戻ってくる。
﹁En
どこ行くと自分たちが美味しいかという話題で盛り上がる。
﹁お祝いに食後ケーキ食べない? サービスするわよ!﹂
そして皆で珈琲で乾杯となり、目出度いムードのままトムトムを
後にした。しかし何故だろうか待ちに待った内定通知なのに俺自身
がまったく気分が昂揚していない。戸惑いの方が大きかった。それ
は社会に出るという戸惑いではなく、三通もいきなり内定通知がき
た事にあるのかもしれない。
この三社はどれも魅力的。それだけに贅沢で悩ましい問題につい
て考えながら戻っていると、根小山第一ビルディングの前で落ち着
きなくウロウロしている人がいた。
良く見てみると杜さんだった。
﹁杜さん? どうかされたんですか?﹂
そう声かけると、杜さんはツカツカツカと俺に近づいてくる。な
んか顔が怖い? そして俺は肩をガシッと掴まれる。
﹁え! 杜さん?﹂
﹁内定通知、見てしまったんだって?﹂
なんか変な文脈な気がしたが俺は頷く。何故か杜さんは慌ててい
るかのようにも見える。不思議で顔を傾げると杜さんはハッとした
顔になる。
﹁⋮⋮⋮⋮そ、そうか⋮⋮お、おめでとう。
突然の事で、焦ってしまって﹂
ずっと側で見守ってくれていた杜さんだけに、それだけ心配をかけ
ていたという事だろう。俺は申し訳ない気持ちになり頭を下げる。
﹁杜さんには、本当に色々ご心配おかけしたので、申し訳ありませ
78
ん⋮⋮﹂
俺の言葉に、杜さんはいやいやと頭を横に振る。そして何か考え
事をしたように黙り込む。
﹁⋮⋮ユキくん、チョッと話がある。いいかな?﹂
そう言って手を引き連れていったのは、黒猫でもなく、自宅で
もなく、商店街の何処かでもなく、駅の反対側にある喫茶店だった。
そこでコーヒーを二つ注文した杜さんは、灰皿を引き寄せ煙草を吸
う。そして大きく煙を吐き俺の方に向き直る。
﹁何処に行くか決めたのか?﹂
俺は首を横に振る。
﹁さっき結果知ったばかりですから﹂
フーと杜さんはまた息を吐く。そして何故か気まずい沈黙。
﹁その中に君の人生を賭ける程の会社はあるのか?﹂
俺は首を傾げ苦笑してしまう。
﹁君に妥協した人生を歩んで欲しくないんだ﹂
杜さんらしい言葉に笑ってしまう。
﹁杜さんのように、夢を実現させるだけの才能を持っていれば、そ
ういう生き方も可能なのでしょうね
でも俺はいずれの会社にいってもそれは妥協ではないと思います。
結局同じなんですよそれぞれが持っているモノの中で自分の道を模
索してそこに喜びを見出していくという意味では。なんかそう思い
ます﹂
杜さんはテーブルを睨みつけるように﹃うーん﹄とつぶやく。そ
して顔をあげ俺にキッと視線を向ける。
﹁だったら、その進路先の一つに、ウチも加えてくれないか?﹂
思いもよらない言葉にポカンとしてしまう。
﹁え?﹂
﹁別に身内だからとかいうのではないんだ。君に就職活動中に来て
貰ったのは、君にウチの会社に来てもらいたかったのもある。
知っての通り税金対策もありウチは法人化している。結果不動産
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管理に、Bar経営、俺の仕事のマネジメントとかなり多岐に渡る
業務を行っているのに、社員は二人だけという状態。かといって関
係ない他人を入れるにはいかない悩ましい所があった。そこで試し
に君に来て貰ったのだが、君は俺の思っていた以上だった﹂
俺は特別な事をした覚えはないので首を横にふる。
﹁商才、経理管理能力が君にはある。俺や澄よりもはるかに高い。
君が来てから黒猫での赤字が消え、他の部門の出費が大きく減った
事で全体としてかなりプラスの計上となっている
知っていたか? 燗さんとか商店街の皆が、君が商売人としての
能力を評価しているだよ﹂
そんな事言われ、恥ずかしくなってくる。
﹁ハッキリ言ってしまうと、俺は君が欲しい。俺には君が必要なん
だ﹂
声のトーンを上げていきなりそんな事を杜さんが言ってきたので、
周りにいた主婦やサラリーマンがコチラに注目する。杜さんはそん
な周囲を気にしていない。
﹁日本中で一番、君を必要としている企業はウチだし、君にとって
も一番自由に君の能力を試せる場所なのではないか?﹂
いつになく真剣で熱い言葉をかけてくる杜さんに、心がなんとも
言えず熱くなる。人からここまで必要とされるという言葉が、今日
来た三通の内定通知以上に嬉しかったのは確かである。でも同時に、
自分がこのまま杜さんの所にいて、期待にしっかり応えるだけの仕
事ができるのだろうか? という不安もある。逆に足を引っ張る可
能性もある。個人事業の企業だけに俺一人の行動で大きな迷惑をか
ける事もありえる。
﹁君が内定もらったのはいずれも大企業だ。それに比べたらウチな
んてショボイだろう。でも今までとは異なり、ちゃんとしたそれな
りの給料を支払うし。他の企業と収入面で損はさせない。その代わ
り今まで以上の責任を負ってもらって、それだけの仕事もしてもら
う。
80
あまり君にとって魅力ない話か?﹂
熱弁をふるっていた杜さんが、圧倒されて何も反応できなかった
俺を見て不安げに見てくる。慌てて首を横に振る。
﹁いえ、嬉しいです。杜さんにそのように思ってくださった事。た
だその期待に自分が応えられるのか﹂
﹁そこは、俺が大丈夫だと保障するよ! 君がいれば俺と澄のモチ
ベーションも上がるからな﹂
速攻そんな事いって、杜さんはニッコリと笑った。こうして俺の
内定先がさらにもう一件増える事となった。
81
熱い愛情をもった世間
あの後も一時間にわたって杜さんの熱い言葉は続いた。その事も
あってか商店街に戻る二人は照れ臭さをもあり無言だった。かとい
って気不味いのではなく、気恥ずかしいだけである。
﹁⋮⋮駅の反対側にいくのも新鮮でしたよね﹂
﹁そ、そうだな。き、気が付けば商店街で全てを澄ましていた所も
あるからな﹂
二人で妙にモジモジしながら、商店街を歩く二人はなんとも変だ
ったと思う。でも商店街の人とすれ違い挨拶を交わすにつれ二人は
落ち着いてきてだんだんいつもの感じになっていく。何故か商店街
中の人が俺の内定を知っていて、﹁どうするの? 悩んでいるなら
相談のるから﹂といったことを皆言ってくる。そんな状況を見守り
ながら杜さんがフフフと笑いだす。
﹁こういう所、この街は変わらないなと思って。
俺が就職先を探している時も、その就職先をアッサリ辞めたとき
も、こんな感じで皆自分の事のように気にかけてくれた。
俺の父が亡くなった時も、厄介な親戚から全力で守ってくれた。
俺が今もこうしていられるのも、皆のお陰だ﹂
杜さんは目を細め商店街を見つめそんな事を言ってくる。
﹁他の土地だったら、俺みたいな奴はきっとダメになっていたんだ
ろうな﹂
そう言ってニヤリと人の悪い顔をする。
﹁そうですか? 杜さんならば何処でもシッカリやっていけるんじ
ゃないですか?﹂
首を横にふる。
﹁独りで生きていたら、俺は確実にダメになっていた。自分に溺れ、
甘えて。
こうして見守ってくれる、時には真剣叱ってくれる人達がいるか
82
ら、道を踏み外さず歩んでこれた﹂
道を踏み外すなんて大袈裟な事言う杜さんに笑ってしまう。
﹁冗談じゃなく、もし彼らがいなかったら、俺は自分の狭い世界に
澄を閉じ込めて、その閉ざされた世界でのみ生きようとしていたと
思う﹂
愛妻家の杜さんらしい言葉だと思った。全てを敵に回しても一緒
にいたいとまで想いあっている二人をこの街は温かく見守ってきた
のだろう。
﹁でもこの商店街で生きていく限り世界から孤立するのが難しい。
熱い愛情をもった世間の方が勝手にドア開けて訪ねてくる。考えて
みたらスゴくて、素敵な事だよな﹂
杜さんはコチラをチラリとみて﹃だろ?﹄と言うので俺は素直に
頷く。俺に対してもこの街はそうだった、全ての事が面白くなくて
くさっていた俺をにやたら構い、一見どうでも良い事を話している
ようで様々な事を教えてくれた。確かにこれ以上ないくらい素敵な
所。
﹁さてと、二人であんまりサボっているわけもいかないから帰ろう
か﹂
二人でそそくさと黒猫に戻り、業務に戻る事にした。
今日は学生バンドの演奏の日だった事もあり俺はカウンターに腰
掛け店内を見渡しノンビリしていた。バンドの身内集う店内の空気
もくだけた感じ。常連でもある彼らは自分で伝票に書き入れ飲み物
を自由に取っていくし、料理もカウンターにまで来て美味しそうだ
と感じたものを自分で注文してテーブルに戻っていく。ウェイター
としての仕事がかなり楽な状況で、俺はカウンターの所で澄さんと
杜さんの三人でワインを楽しんでいた。
カラララララァァァァァア
83
お店のドアの鐘がやたら元気な音で響く。その音の鳴り方で誰が
来店したのかすぐ分かる。
﹁よっ!﹂
やはり安住さんで、そう挨拶してカウンターに座る。
﹁恭一、演奏中なんだから、もう少し静かにドア開けろよ、あ、こ
んばんは﹂
篠宮酒店の長男の醸さんも一緒だったようで、安住さんをそう叱
ってから挨拶してくる。この二人、性格はまったく違うけれど、年
齢も近く近所で一緒に育ってきただけに仲も良いようだ。
﹁いらっしゃいませ、醸さん、安住さん、何されますか?﹂
このキーボくん特性スムージーって!﹂
カウンター席の二人におしぼりとメニューを渡す。
﹁何だよ!
安住さんがメニューに挟まった一枚の紙をヒラヒラさせてそう声あ
げる。
﹁あっそれ、先日安住さんが飲まれたスムージーです。商品化した
んですよ。そしたら何故か意外とサラリーマンとかから人気で﹂
安住さんは、ジトっとコチラを睨んでくる。
﹁﹃意外と﹄って何だよ! お前まで、俺に毒見させて商品開発し
てんじゃねえよ!﹂
何故怒っているのか分からない。しかも﹃お前まで﹄って? 安
住さんが美味しいと言ったから商品化したのに。
﹁いえ、スムージーにしてはネットリしていて舌触りがイマイチな
ので⋮⋮でも、このスムージー飲むと悪酔いしにくくなるとか評判
で⋮⋮
あと毒見って、俺はただ安住さんに早く体を直してもらいたくて
身体に良いモノを集めて作っただけですよ。それに最初に俺も味た
しかめて、あと学生さんにも毒⋮⋮いや、味見してもらってから﹂
何故か語れば語る程言い訳じみた感じになっていき、安住さんの
目が座っていく。
﹁へえ、面白いね。俺まずソレを飲んでみようかな﹂
84
醸さんが穏やかにそう言う事で、結局安住さんもキーボくんスム
ージーを一緒に飲むことになった。
﹁じゃあ、透くんの内定に、乾杯!﹂
醸さんのそういう乾杯の挨拶で飲み会がスタートする。二人にも
シッカリ情報が伝わっているようだ
﹁ありがとうございます﹂
俺が頭を下げると、醸さんはニコニコと笑う。
﹁すごいね! 大手三社からもらったんだって?﹂
﹁逆に、ずっと貰えてなかった事の方が不思議な気もすけどな!﹂
二人の言葉に恥ずかしくなり﹃いやいや﹄と首を横にふるしか出
来ない。
﹁で、どうするんだ! ドレいくんだ?﹂
安住さんはきなりそう切り出してきて、俺は返事に困る。
﹁⋮⋮いや、貰ったばかりで、まだ悩んでいる所なんだ。どうすれ
ば良いかな∼? と﹂
﹁そんなのお前次第だろ、お前が一番やりたいって事選べば良いだ
けじゃね?﹂
俺が言い割らない内に、速攻そんな事言われてしまう。確かにそ
うなのだろうが、今俺の前に広がる四つの未来、正直どれが俺に合
っていて、どれを一番俺が望んでいるのか? 今の俺によくわから
ない。
﹁あのさ、未来を悩むのってそんなに簡単な事じゃないと思うよ、
恭一﹂
醸さんがそう安住さんをたしなめる。安住さんが少し照れたよう
にポリポリと頭を掻く。
﹁実はですね、内定、三つじゃなくて、今四っつもらっている状態
なんですよね﹂
二人の顔が﹃えっ﹄という感じで俺に注目する。
﹁杜さんの会社、今日誘われて﹂
俺の方を見ていた顔が、同時にカウンターで他の常連客と話をし
85
ている杜さんに向けられる。
﹁だから、余計に色々悩んじゃって﹂
ため息をついて、グラスに入ったワインを飲む。
﹁まあ、このまま続けたいなら続ける、別の事したいならソッチい
く、お前がやりたいようにすればいいんじゃね! お前が決める事
だ﹂
安住さんの言葉の通り、俺が決めるしかない問題。俺が﹃ん∼﹄
と悩んでいるのを、醸さんが気遣うような表情で見つめている。
﹁まあ、俺としてはこのまま商店街に透が残ってくれるたら嬉しい。
でもユキが決めることだから、俺からどうこう言うつもりはないか
な。
まあ例え黒猫にかかわらなくなったとしても、透には役目があるか
らな。キーボ君っていうさ∼﹂
のんびりとそう答える醸さんに、俺は笑ってしまったけど、安住
さんはブルブルと顔を横にふる。
﹁あのさ! この商店街オカシイって! 俺の方もそうだけど、な
んでその役割ってどこまでもついてくるものなの? 普通、代わり
の人見つけなきゃな∼とか言う所だろ! 一号もそこは拒絶しろよ
!﹂
なんだろう、別に悩みが解決した訳ではないけれど、二人にこう
した話をする事で少し気が軽くなって笑っていた。
そのまま、商店街での面白話や、安住さんの訓練中の苦労話など
様々な話で盛り上がり閉店まで楽しい時間を過ごした。そしてまた
安住さんが商店街に戻ってきた時に三人で飲もう︵といっても安住
さんは禁酒しているらしくノンアルコール飲料のみだが︶という話
になり会はお開きになる。
﹁あの今日は、ありがとうございました﹂
二人を道路まで見送った時そういうと、二人は同じように首を傾げ
てくる。
﹁いや、色々相談に乗って頂いて﹂
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二人が同時に吹き出し同じような顔で笑う。まったくタイプも性
格も違う二人だというのに。 ﹁んなもん、弟としては、兄貴が悩んでいたら話くらいは聞く、そ
んなのあたりめえじゃん!﹂
安住さんの言葉に、﹃そういうもんだよね﹄と醸さんが頷く。
﹁ま、醸さんも、いっつも頭抱えて悩んでいるとこあるから、そっ
ちはお前が愚痴聞いてやってよ!﹂
﹁なんだよ、愚痴って!﹂
安住さんの言葉に醸さんが、すぐにツッコむ。テンポの良いやり
取りが気持ちよく俺はフフと笑ってしまう。
二人が﹃じゃあね﹄﹃じゃあな﹄と言って去っていくのを、手を
ふって見送った。 なんか妙に楽しくて、ハァ∼と大きく息を吐く。
少し冷たい夜の香りが心地良い。俺はその空気を、瞳を閉じて少し
今度は肌で味わう。そして後片づけをするために俺は黒猫に戻る事
にした。
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求める場所と帰る場所
先が見えない悩みから、どの道を選ぶべきかと、今までとは逆の悩
みを抱える事になった。俺はいままでの焦りとは違ったムズムズし
た想いを抱えながらこの商店街で日常生活を過ごす。
内定をもらった三社はどこいっても面白そうな気はする。ホテル
で働く、北欧家具に携わり仕事をしていく、珈琲と触れ合い仕事を
していく、そしてこのままこの商店街で働く。どこが俺にあってい
るのか? 俺のやりたい仕事なのか、それが分からない。
Books
第二ビルヂングの仕事を済ませ、菜の花ベーカリーに寄って黒猫
で使うバケットを買い商店街を下っていくと目の端に
大矢が目に入る。ずっとシャッターが閉まっていたが最近再開した
本屋である。今までは本は駅ビルまで行かないと手に入らなかった
のだが、こうして商店街の中に出来たのは嬉しかった。こうしたチ
ョットしたついでに立ち寄れる。
入った瞬間にインクと紙の独自の香りが鼻孔をくすぐる。本屋独
自のこの空気がなんか落ち着く。店頭では若い女の子三人が本を並
べている。その本を見ておや? と思う。幻想怪奇作家﹃月野 夜﹄
のコーナーを作っているようだ。﹃この美しき世界に酔え﹄文字の
入った月が描かれたお手製の宣伝ポスターまで書かれていてかなり
大々的に売りだそうとしているようだ。新刊が出たわけでもなく、
何故? と首を傾げてしまう。
♪﹂
﹃黒猫は二度振り返る﹄を嬉々
﹁月野先生の本は、やはり美しく積み上げないと
黒髪のロングヘアーの女の子が
としてピラミッドのように積んでいる。なるほどそれぞれの本を、
高さを変えてピラミッド状の積み上げ、背後の月のポスターで作家
用の月の幻想的な世界を再現しているようだ。こういうディスプレ
イって面白いなと思う。お店や売り出したいモノをお客様に対して
分かりやすく表現していく事って大切なんだなと思う。
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ユキ
﹁あ! 透さんこんにちは!﹂
このお店の娘さんの友理ちゃんがそう挨拶してくる。商店街の一
員であることと、先日のキーボくんの万引き犯逮捕劇の件もあって、
顔見知りになった。天然パーマの為か毛先がクルンとしたショート
ヘアーの女の子で会ったらいつも明るく挨拶してくれる。
﹁こんにちは友理ちゃん。
それにしても、このディスプレイ凄いね! すごく面白い!
⋮⋮でも、なんで月野夜?﹂
そう答えると、三人の女の子の目がすわる。
﹁ユキさんは、月野夜先生、嫌いなんですか?﹂
その怒りの籠った視線で問いかけてくる言葉に俺は慌てて首を横
にふる。
﹁嫌々大好きだよ! 全作品初版と文庫で持ってるくらい﹂
その途端に三人から不穏な空気が消える。この三人も月野夜の大
ファンだったようだ。
﹁え! そうだったんですか! 透さんは何が一番好きですか?﹂
友理ちゃんののキラキラした目での質問に、俺はうーんと少し考
える。
﹁ミッドナイトシリーズもいいけど、やはり夢三部作のほうが雰囲
気が好きで、特に﹃夢色の記憶﹄いいかな﹂
﹁えぇぇ、ミッドナイトシリーズの方が、より耽美で素敵ですよね
!﹂
友理ちゃんはチョット不満そうに声あげる。ここはファンの間で
も意がかなり別れるところである。
﹁いやいや﹃ハテノ ハテ﹄でしょ! あの容赦ないまで冷酷さは
もう萌えますよ!﹂
ロングヘアー女の子が見た目と口調に似あわない感じでそんな事
いってきた。
あれ? 月野夜の作品は退廃的で幻想的が魅力 の作家だけどそ
れと同時にかなり淫靡で陰惨な所がある。それをこんな女の子が読
89
んでも大丈夫なのかな? と思う。
﹁私も夢三部作の方が﹂
眼鏡の女の子もぽつり主張してきて、それを聞いた店長が苦笑す
る。
﹁それ言ったら話がややこしくなるからねぇー﹂
こういう会話は、もう決着がつかないものである。
﹁こんな風に私達が一生懸命売っているのを見たら、夜野先生喜ん
で頂けるかな∼﹂
ロングヘアーの大人しそうな女の子が、ハアと乙女チックにため
息をつく。好きな作家の本だから、こうして愛をもって勝手に宣伝
したいたようだ。
﹁見に来て下さらないかな∼月野先生﹂
﹁どんな方なんだろ、きっと長い黒髪の色白の美少女!﹂
﹁嫌々、真っ赤な唇と黒目がちの瞳の美青年!﹂
なんか俺なんか関係なく三人は盛り上がってきたので、あえて口
をはさまず離れる事にする。普通に考えてもうデビューして二十年
以上経つ作家、青年でも少女でもないのは分かると思うのだが。し
かも俺の立場は余計な事を言えない。
そして本屋の中をのんびりと歩く。そして気になる本を手にとり
パラパラと見ていく。
﹃客の心を掴むエントランス﹄﹃つい入りたくなる店のボード・メ
ニューブック﹄﹃ケチではなく倹約の店舗経営﹄﹃繁盛店の学ぶべ
きポイント﹄⋮⋮
ふと、自分が手にとっている本のラインアップを振り返りハッと
する。今自分の頭の中にある事、気になっている事が分かり易く見
えてしまった気がした。就職試験の時は散々企業研究で手にしてい
たとはいえ、インテリア関係の本でも、旅行関係、ホテルサービス
についての本、珈琲関係といった棚に行ってみようという気持ちす
ら抱いていなかった。すぐ近くに喫茶店経営の本もあったというの
に、そちらはまったく手に取っていなかった。そして今考えている
90
のは、黒猫をどうしていくか? という事だけだった。あのお店が、
この商店街がどうしようもなく好きだったという事に気が付き、好
きな女の子への気落ちを気が付いたときのようにソワソワしてしま
う。手にしていた本を慌てて本箱に直し深呼吸する。落ち着いてき
たけど、胸がスッキリして、同時にワクワクしてきているのを感じ
た。時計を見ると思ったよりも本屋に長居してしまっていた事に気
が付く。
﹁こんな時間だ、帰るか!﹂
結局この時は何も本を買わずにまだ作業している友里ちゃんらに
挨拶してお店を後にする。黒猫までの道を歩きながら、いつも以上
に﹃帰る﹄って言葉が自分の中でシックリしている事にも気がつい
た。根小山ビルヂングに到着し、階段を降り黒猫に入ると、杜さん
と澄さんが作業していたけれど、俺が入ってきたのを見て手を止め
笑顔を向けてくる。
﹁お帰り! ユキちゃん﹂
澄さんの言葉に、俺も笑顔になる。
﹁ただいま。戻りました﹂
いつも以上に無邪気な笑みを返している自分を実感する。
91
章乃さんに助けて頂きました。
求める場所と帰る場所︵後書き︶
こちらの話を書く際、大矢
ありがとうございました。
92
決意表明したのは良いけれど
お客様も捌け、残ってくれていた学生バンドの面々も送り出し、
三人の時間に戻る。集計作業、衛生作業、在庫管理などを終わると、
お店には独自なお祭り後のようなまったりとした空気が漂う。
売上の入った手持ちの金庫を手に﹃じゃあ、帰ろうか﹄杜さんが
俺と澄さんに話しかける。いつもなら俺は頷いて鍵を手に杜さんの
後に続き戸締りをして一緒にエレベーターに乗るのだが、俺はそん
な二人を呼び止める。
﹁すいません。お二人にちょっとお話したい事がありまして﹂
改めてそう切り出すと、二人の表情がこわばり、杜さんが澄さん
をそっと抱き寄せる。俺以上に緊張されてしまうと俺も言いづらく
なる。
﹁上で話そうか。まずは落ち着いて﹂
三人で不自然に無言のままエレベーターに乗り、居住階に到着す
る。
﹁お茶いれてくるわ!﹂
ソファーで改めて話そうとしたら、澄さんはそういってオープン
キッチンの方へと離れていってしまう。仕方がなく杜さんとソファ
ユキ
ーに向き合って座る。
﹁あの透くん、澄にとって、いや俺にとっても君は﹂
なんか凄く空気が重く気不味いので、俺は遮るように口を開く。
﹁俺にとっても、かけがえのない家族ですよ! ずっとお二人は俺
の成長を見守ってくださいました。それこそ親以上に可愛がってく
れて、抱きしめてくれて、どれだけ助けて頂いたか﹂
お茶ポットをもった澄さんが怖ず怖ずとソファーの所に戻ってく
る。ポットからカップにお茶を注いでいるとまた不自然な沈黙が降
りる。
﹁俺、ここに暮らすようになって色々気がついたんです。それまで
93
の俺って、親の顔色を窺って、空気を読んで友達と程よい距離感を
務め、周りが求める自分とは何かをまず考えて生きていた﹂
﹁それは透ちゃんが優しいから、でもシッカリとした自分をもった
子で﹂
澄さんがそう口を挟んでくる。俺はそんな澄さんに﹃ありがとう
ございます﹄と答えてから言葉を続ける事にする。
﹁周りがそう強いてきた訳でもなく、俺が勝手にそう動き、周りに
合わせる事で自分の場所を作って安心してきていた。俺の狡さで、
色々理由をつけることで居場所を作り逃げてきていた﹂
意外と自分の気持ちを表現するのって難しい。流されてではなく
進路を決定したことを表現したいだけなのに、二人の表情がどんど
ん暗くなっていく。キチンと自分の気持ちを伝えるのって思いの外
難しい。先に結論を言う事にする。
﹁それで、今回自分でその居場所を決めなければならないという状
況になって、考えたんです。自分が無難に生きていける場所ではな
くて、いたい場所はどこなのかって? そしたらそれは此所で、こ
の商店街なんだと分かったんです。杜さんに誘って頂いたときも、
他の内定をもらった時とは比べものにならない程ドキドキとして嬉
しかった﹂
二人が驚いたように目を見開き俺の顔を真っ直ぐ見つめてくる。
﹁それって⋮⋮﹂
同時に同じ言葉を言ってくる所は流石夫婦たと思う。俺は頷く。
﹁ここで、お二人と一緒に頑張らせて頂きたくて⋮⋮その事⋮⋮﹂
とまで告げた時に、澄さんの瞳から涙が流れ慌てる。サイドテー
ブルにあったティッシュボックスをもち近付くといきなり抱き付か
れそのまま抱き締められてしまった。ティッシュボックスが手から
離れ床に落ちる。
﹁良かった、透ちゃんが離れていってしまうのが怖かったの﹂
そんな澄さんの声が聞こえる。俺はそっと澄さんの背中に手をま
わし優しく抱き締め返す。
94
﹁そんな俺は、何処にもいかないですよ。大丈夫です。
たとえ別の会社選んでいたとしても、澄さんと杜さんは俺のもう
一組の両親。ここに変わらず顔出しに来てますよ﹂
そうして二人で抱き合っていると、背後からガシッと激しく暖か
いものに包まれる。杜さんが俺と澄さんをさらに抱き締めてきたよ
うだ。
﹁嬉しいよ、俺達を選んでくれて﹂
その言葉に若干の違和感を覚える。取り敢えずこの体勢もどうか
と二人の顔を見るため、思うので澄さんを離し、杜さんから離れる。
﹁あの、杜さん! 俺は身内だからと甘える為に、杜さんの元で働
く事にしたのではなくて、一緒にここで頑張りたいから選んだんで
す。ここや商店街が好きだから!﹂
俺の言葉にククと杜さんは笑う。
﹁分かっているって。俺も身内だからあんな事いったんじゃない。
透くんだからだ。透くんが欲しかったんだ﹂
﹁そうよ! それにユキくんがいれば百人力! 私達も今まで以上
に頑張れるから、これ以上ないくらい心強いわ﹂
⋮⋮家族としての付き合いは付き合い、ビジネスとしての付き合
い付き合いとして分けて考えていたのだが、この二人にはソコの境
目がないようだ。俺がシッカリせねば心を引き締める。二人は俺に
とてつもなく甘いし、しかも脳天気だ。俺まで暢気に仕事するわけ
にはいかない。
﹁あの、俺やるといったからには本気で全力でやるつもりなので、
仕事に関しては甘やかさないで下さいね﹂
俺の決意表明の言葉を二人はニコニコと緊迫感のない顔で聞き頷
いた。
﹁透くんの何でもやりたいようにやればいい。君にはその資格があ
る。全て任せるから﹂
ソウソウと澄さんはその言葉に頷く。俺の決定をここまで喜んで
くれることは嬉しいけれど、なんか全てを丸投げされたような感じ
95
もあり俺は唖然としていしまう。後悔はしていないものの、一番面
倒な道を選択してしまったのかな? っとも思った。
﹁ねえ、飲まない? お祝いに、そう透ちゃんの就職祝いに!﹂
澄さんがはしゃぎながらそんな事いってくる。
﹁いいね、じゃあ俺、ワインもってくるよ﹂そう言いワインセラー
方へイソイソ杜さんは言ってしまい、﹃おつまみ、おつまみ♪﹄と
言いながら澄さんはキッチンの方へと走っていく。
呆気にとられている俺をよそに、飲み会の準備が進んでいく。そ
のままよく分からない祝いの宴が始まり、やたらテンションの高い
二人に囲まれ注がれるままにお酒を飲みつづけ、そのまま酔っ払い
潰れ、気がつけば朝になっていた。
﹁お寝坊さん♪ 朝よ∼﹂
明るい声と澄さんのキスで目が覚める。新しい一日がよく分から
ないうちに始まったようだ。窓の外を見ると、そこには雲一つない
青い空が広がっていた。
96
この街に⋮
Barなん
若干二日酔いと寝不足気味の身体に朝食と濃い目の珈琲を流し込
んでビルディング清掃作業に出ることにする。やはり
て経営しているだけあって、杜さんと澄さんは何気にザルで、俺よ
りも体力があるのではないかというくらい朝から元気だった。澄さ
んは、お店で出す料理のレシピの整理と新メニューの開発を鼻歌交
じりで行っており、杜さんは契約書を作り、俺の名詞も作るんだと
張り切っていた。杜さんそんな事をしている余裕はない筈なのに⋮
⋮。
俺もまだまだ若いし、これから本格的に働くというからには今日か
ら頑張らねばと気合を入れてから業務に集中することにする。
いつもより念入りにやった為か、これからの事を色々考えてしまっ
た為か、いつもより若干遅めのお昼をとる事にする。昨晩のお酒の
事もあり、サッパリしたものを身体が欲していたので﹃とうてつ﹄
でとることにする。
ユキ
お店にはいると、籐子女将と華やか過ぎる笑顔で迎えられた。
﹁透くん、いらっしゃい!﹂
空いている席に案内してなおもニコニコと俺を見ている籐子女将
に俺は報告せねばならない事があった事を思い出す。
﹁籐子さん、あの色々ご相談に乗って頂きありがとうございました。
それで俺、このまま此処で働く事に決めました。だからこれから
も引き続きお世話になることになりましたが宜しくお願いします﹂
そう頭を下げる。
﹁そうなんですってね、これからは、もっと可愛く甘えてね。
そうそう澄ママ、朝電話で大喜びしていたわ﹂
そういえば、この街は情報の伝達は異様に早かった事を忘れてい
た。
97
﹁今後は甘やかすだけではなくて、厳しく色々指導してください﹂
籐子女将はクスクスと笑う。
﹁相変わらず真面目なんだから。そこが透くんの良い所ね﹂
﹁同じ商店街で商売する仲間だ! これからも色々頑張っていこう
な﹂
会話している籐子さんの後ろから徹也さんもそう声かけてきてく
れたので俺は頭を下げる。
﹁そうそう、澄ママともお話していたんだけど、今夜﹃とうてつ﹄
と﹃黒猫﹄合同でお祝いしようって。で裏庭でバーベキューする事
になったの! だから貴方は絶対参加なので心に留めといてね﹂
俺は恐縮して頭を下げる。そして席に座わり、冷たいお茶を一口
飲んでから、お昼を注文するのを忘れていた事を思い出す。メニュ
ーを改めて見て、料理の乗ったお盆をもって厨房の方から歩いてく
る籐子さんに焼き魚定食を頼もうとしたら、ガタンとその料理が俺
の前に置かれる。
鉢に入った煮魚とお刺身が両方のってそれにサラダ小鉢が二品と
豚汁に、なんと温泉玉子まで乗った豪華な定食。
﹁あの、まだ俺頼んでいないのですが⋮⋮﹂
籐子女将はニッコリ笑う。
﹁コレ、就職祝い!﹂
﹁そんなの、申し訳ないですよ!﹂
籐子女将は目を細めて俺を見つめてくる。しかし一品サービスと
いうならともかく、ここまで一セット丸々だと申し訳なさすぎる。
﹃うわ∼美味しそう! ありがとう∼♪﹄と貰えない。
﹁コレ無料って訳ではないから﹂
その言葉に少しホッとする。
﹁今後、商店街の仕事をいっぱいしてもらうつもりだから!! 身
体でシッカリ返してもらいますからね。だから遠慮する必要はない
わよ﹂
身体で返す⋮⋮。まあそのつもりでいるので俺は頷く
98
﹁⋮⋮はい。頑張ります。
コレ有り難くいただかせて頂きます﹂
籐子さんにニッコリと笑う。
﹁そういう﹃有り難い﹄って気持ちは大切ね! じゃ﹂
そう言って離れてった。
※ ※ ※
その日、閉店処理後、料理とワインを何本か持って﹃とうてつ﹄
へ向かう。二人とも慣れているのか閉店している店から入る店の奥
からというより、裏庭の方から何やら人の気配がする。
﹁そうだ! 戸締りしないと﹂
澄さんが持っていた荷物を俺が両手で抱えていた箱の上に載せ、
入口に戻ったので。荷物が増えたので杜さんが俺を先に裏へいくよ
うに促すのでそのまま裏庭へ先に行くことにする。
パチパチパチ
裏庭に行った途端に、弾けるような音で迎えられビックリする。
すると籐子さん徹也さんだけでなく酒屋の篠宮一家、トムトムさん
とこの富田一家、肉屋の繁盛一家ら、商店街の皆がそろっていて、
拍手で俺を迎えてくれた。
﹁就職おめでと∼!﹂ ﹁オメエは最良の選択できるヤツだと分かっていたせ!﹂
口ぐちにお祝の言葉を言われ、俺は恐縮しながらお礼を返す。
﹁主役は中央に﹂
太郎くんと次郎くんが俺の手から荷物をとりテーブルへと運んで
いき。紬さんが俺の背中を押して裏庭の中央へと連れてかれる。皆
の視線が集まり緊張する。グラスを持たされ乾杯の挨拶を求められ
俺は背筋を伸ばす。
﹁あ、あの。ここで、皆さんと一緒に商店街でやっていく事にいた
しました! 今後ともご指導ご鞭撻を賜りますようお願い申し上げ
ます。
99
これからも宜しくお願いします﹂
そう挨拶すると、拍手が起こる。
﹁宜しくもなんも、オメエがここに来たときからそのつもりよ! 俺達は家族なんだ。皆でオメエと立派な男にしてやるから!﹂
燗さんの言葉に皆がウンウンと頷いている。
﹁そうよ、だから今後はこの商店街で変な遠慮とかしたら、許さな
いからね﹂
籐子さんがそう言葉を続ける。俺は皆の言葉が嬉しくて、﹃はい、
そのように努力します﹄と頭を下げるが、皆に﹃堅い! もっとフ
ランクに!﹄と怒られた。
﹁そうそう盛り上がる為にシャンパンも持ってきたんだ﹂
杜さんがそう言い、スペードのついた箱を取り出す。これは十万
近くするシャンパンである。
﹁チョット、杜さんアルマン・ド・ブリニャック・ブラン・ド・ブ
ランじゃないですか! そういうのは誰かの結婚記念日とか相応し
いお祝いに使って下さいよ!﹂
俺がそういうと。
﹁だからこうして目出度い時に飲むんだ! 旨い酒だから、それが
美味しく感じる人と飲む! お酒ってそういうものだよユキくん﹂
﹁杜は、酒がなんたるかは分かってんな∼﹂
燗さんが嬉しそうに、杜さんの言葉を受ける。
﹁それで、経営能力があれば良かったのに﹂
杜さんフフと笑う。
﹁それを俺に求めるなよ! でも燗、これからは透くんがいるから
お前が色々教えてやってよ! そういう事を俺はわかんないからそ
ういうの教えてあげれない﹂
その様子をみてなるほどと思う。何故呑気な根小山夫妻が無事生
きてこられたのか? こうして商店街の人達に見守られてきたから
だ。
﹁あたぼうよ! ユキ坊の教育お前だけに任せられねえ! 俺が商
100
売ってなんたるかを、教えてやるよ! お前と違って良い弟子にな
りそうだしな﹂
そしてこの商店街で過ごすようになってから、俺もそうして見守ら
れてきたんだと今更のように気が付く。
それだけ様々な事を学ばせてくれたこの場所とこの人達。今度は
俺が一緒に頑張る事でその恩を返していかないといけない。俺はこ
の宴会でそういう意志を固める。
いていい場所ではなくて、俺の場所というのを見つけた心地よさ
に気持ちよく酔い、この場を楽しんだ。そしてそれぞれ皆と話なが
ら思いっきり笑っている自分に気が付く、俺ってこんな風に笑える
人物だったようだ。思いっきりはしゃぎ、皆と騒ぎ宴会は食べ物と
飲み物が尽きるまで続き散会となり、商店街にいつもの夜が戻った。
違うのは正真正銘俺がここの住人となった事だろう。
俺は次の日に父に電話して、将来を決めた旨を伝え、住民票をこ
の街にと移動させた。
101
この街に⋮︵後書き︶
これにて一章は終わりです。
二章からは、この街にどんどん染まっていく透くんを見守っていた
だけると嬉しいです。
その後の風景は、コチラの作品のスピンオフ﹃黒猫のスキャット﹄
さまの﹃希望が丘駅前商店街 ︱姉さん。篠宮酒
の方で黒猫のバイトくんの視点から楽しむ事もできます。
また、篠宮 楓
店は、今日も平常運転です。︱﹄にてこの後の燗さんと雪さんが素
敵な会話を交わす物語が描かれています。是非そちらを読まれてホ
ロリしていて下さい。
102
クウネルトコロニ スムトコロ
商店街には、家族で経営している方が多い。それゆえに仕事とい
うものの中に家族があり、家族という中に家の稼業がある。篠宮さ
んや、富田さんや、繁盛さんの所のように家族関係を積み上げなが
ら仕事をしていっているお店ばかりである。そういった事情は良く
分かる。しかし⋮⋮。
きちんと杜さんと澄さんと大人として向き合っていくためにも、
二人に自立し成長したところを見せるためにも、近くにアパートを
探そうとしていた。それに今現在いるのは、杜さんの家の客室を使
っている。ベッドだけでなく、簡単に洋服を収納するクローゼット、
テーブルセットもあるためにこの生活するには困りはしない。今ま
では就職するまでということで実家の部屋そのままで季節ごとに実
家に荷物を取りに帰り、必要最低限の荷物で生活していた。
﹃就職したなら、もう大人だな。キッチリと家を出ろ。一か月以内
にウチにあるお前の荷物を整理して捨てるなり持っていくなりどう
かしろ!﹄
両親に言われたこともあり、本格的にこの場所で生活する為に下
宿先を探していたら、何故か滅茶苦茶二人から反対されてしまった。
﹁今の部屋が狭いからか? 確かに今後の事考えると狭いかもな。
六階を改装して君の部屋にしよう! どうせ倉庫中心に使っていた
しな﹂
﹁そうね、あの空間だったらユキくんの良い部屋になるわ! ベッ
トルームだけじゃなくて、ちゃんとバスルームも必要ね。そしてユ
キくん用の書斎とあったら素敵♪ 簡易キッチンをもっとキチンと
したものにしたら彼女とか出来ても楽しく過ごせそう♪﹂
二人が勝手に盛り上がっていっている。あの、部屋の話していま
したよね? 書斎とかリビングとか、そういった話まで広がってい
103
る。
Bar﹃黒猫﹄のある第一根小山ビルヂングは、一階から三階ま
ではテナントになっているがそれより上は根小山夫婦のプライベー
ト空間になっている。四階には広いアイランドキッチンのあるリビ
ングライニングとワインセラー、杜さんの仕事部屋、客室。五階に
は二人の寝室と、書斎と、澄さんの趣味室と、プレイルーム等があ
り、六階には倉庫と、温室と屋上庭園がある。
この空間のどこまでに人を招かれるかで二人のそのお客様への心
の距離が分かる。銀行や保険の担当員といった人はリビングもしく
は家にすら入れずに地下のBarで対応し、商店街の人は四階全体
を解放され、紬さんや籐子さん雪さんとかいった澄さんと仲良くし
ている人は屋上庭園でお茶会していたりするようだ。杜さんは燗さ
んとプレイルームで将棋打ったり、酒飲んだりしているのを見たこ
とがある。そして俺は身内で子供時代からよく遊びにきていた事も
あり、唯一全ての空間に入り込んでも嫌がられない。彼らにとって
は、俺はいつまでたっても、小さい子供に見えている所もあるのか
もしれない。
﹁あの、そんな勿体ない事しなくて良いですから﹂
﹁いやいや、コレは就職祝いだから!﹂
慌てて突っ走ろうとしている二人を止めようとするが、そんな言
葉を返してくる。
﹁もうお二人からもう散々色々頂いたじゃないですか! それにそ
んな無駄使いしないで下さい﹂
改装費用がどれくらいかかるのかと考えると怖くなる。こだわり
屋の二人には中途半端とか適当という文字はない。
﹁無駄使いではない、我々にとって重要な投資だ﹂
俺言いましたよね? あまり甘やかさない
つまりは、将来的には、その空間を下宿としても使うつもりなの
⋮⋮投資って⋮⋮
だろうか?
﹁
でくださいって﹂
104
杜さんは険しい顔になる。
﹁籐子さんからも言われただろ、人にちゃんと甘える事を覚えろっ
て!
それにコレは甘やかしているのではない! 強い愛情をもって接
しているだけだ!﹂
そんな事を言われて、唖然とした意味で言い返せなくなる。籐子
⋮⋮。
さんの言う﹃甘えなさい﹄というのはこういう事ではないと思うの
だが
﹁確かに俺と君は雇用主と社員だ、しかしそれ以前に親子なんだ。
外ではそうでも、プライベートな空間では家族として楽しむ事を最
優先に考えたら良い。そうだろ?
それにコレは雇用主として、社員の住居を用意するのは当然な事
だ﹂
公私は別だと言いながらゴッチャに考えているように思えるのは
俺だけなのだろうか? 結局暴走する二人を俺が止める事は不可能で、二人の住まいを二
人の資産で改装するという事を止める権限は今の俺にはなかった。
出来た事は雇用契約を見直して家賃と光熱費を毎月支払うように
変更した事だけ。二人は不満そうだったが、世間一般の家族は就職
したら、そうして親に家賃を払うのが普通で、それこそが健全な大
人の家族関係だと説得してなんとかそこで折り合いをつけることに
なった。
しかしあの超現実主義で就職決まったら即家から放り出す両親と、
どこまでも甘く優しく子供扱いで接してくる根小山夫妻。俺は二組
みの両極端な両親を持ってしまったようだ。
六階の改装工事も着々と進む中、杜さんと澄さんは実家から送ら
れてきた俺の荷物を楽し気に開けている。二人が今見ているのは俺
の子供時代からの成績表、文集等の学生時代に作成した作品の数々。
親はなんでそんなモノをシッカリ残していたのか⋮⋮捨ててくれて
も良かったのに。幼稚園時代の前衛的とも思える動物の絵とか、青
105
臭い事を言っている文集なんて後でみても恥ずかしいだけだ。
﹁あの、それは開けなくても。もう完全に必要ないし、捨てるだけ
ので⋮⋮﹂
ユキ
そう声かけると、二人は同時に顔を上げキッと俺を睨む。
﹁何言っているの! コレは透くんの大事な歴史の一ページなのよ
! 大切にしないとダメ! 透くんがいらないというならば、私達
がもらうから!﹂
そういって、俺の黒というか青く恥ずかしい過去の遺物を取り上
げられてしまった。この二人はコレをどうするつもりなのか? と
も思う。
後日それが店とかリビングに額装されて飾られているのを見て、
俺は仰け反る事になるなんて知るはずもなかった。
106
クウネルトコロニ スムトコロ︵後書き︶
<i117870|1603>
107
黒猫の気まぐれサービス
かなり遡って黒猫の会計状況を調べてみて分かった事がある。赤
字を出してきた大きな要因は、二人が気分で仕入れする事だ。杜さ
んのかなり趣味に走ったお酒の仕入れのチョイスは、最近では逆に
それをこの店の売りに出来ていることから大丈夫なのだが、問題は
料理の方。
﹃シェフの気まぐれ○○﹄という料理はよくあるが、黒猫におい
ては全てがママの気紛れ料理。気分で材料を集め気分で料理作って
いるから無駄が多い。新しい料理覚えたらすぐそれを試してみたく
なるのは分かるが、それらの料理同士の材料の繋がりがなく非効率
的だった。
それに美味しい料理なのに、方向性がバラバラで何が売りなのか
見えづらいことも問題にも思えた。お酒のこともそうだったが、料
理の良さもお客様にあまり伝わっていない。色んな意味で勿体ない。
﹁そこで、一週間ごと、もしくは一月ごとにテーマを決めてメニュ
ーを組み立てたいと思うんです。そうした上で澄さんの料理もアピ
ールしていたらお酒飲めない人にも敷居低くこのお店を楽しんでも
らえるのではないかと思って﹂
こういう切り口で二人に提案することにした。二人は気を悪くする
こともなくニコニコと俺の意見を聞いている。
ユキ
﹁そうすることで材料も効率的に使えますしね﹂
﹁流石だ、透くんそこに目をつけるとは﹂
そう杜さんはウンウンと頷きながら言うが、杜さんはこんな素人
の俺でも気が付くような所、気が付いていたと思う。しかし二人に
とってこのお店は趣味、楽しくやることが重要な為、気にしていな
いのが現状なのだろう。そして今、三人での店を経営という状況を
大いに楽しんでいるようだ。今まで酒は杜さん、料理は澄さんが気
ままに担当しており、そこでの簡単に相談はあっても打ち合わせは
108
なかった。俺が社員になることでこうした経営会議も行われるよう
になったのだが、その時の二人の楽しそうな顔を見ていると会議に
思えない。
もう二十年くらいこの商売しているのに、﹃透くんのお陰で根小
山さんたち漸く商売やる気になって良かった﹄って言われる二人っ
て⋮⋮。
﹁そこで五月も半分過ぎましたが来週のメニューから考えてみよう
かと﹂
澄さんのお手書きのレシピブックに俺なりのプランをプレゼン
する為に付箋を付けたモノに視線を向ける。そして口を開くが...
...。
イカって今旬でしたっけ?﹂
﹁そんなのイカしかないじゃない♪ 今月のテーマ食材と言ったら
!﹂
﹁イカ?
そんな俺に杜さんは頷く。
テーマといったのに何故単体食材でくるのだろうか? 魚介系で
なくイカ?
﹁色んな意味で旬だな、食材としても、存在としても﹂
そして二人の口から、最近婚約した重光幸太郎先生の馴れ初めを
聞かされる。そのため皆でお祝いの意味も込めてイカ様フェアーを
しようと話しているらしい。幸太郎先生は国会議員の為にお祝いは
出来ないので、そうして皆で喜んでいる姿を見せる事で祝いの気持
ちを伝える事にしたらしい。
この商店街の情報網がスゴいのは知っていたものの、何故幸太郎
先生が恋人である女性と二人っきりのときに起こったであろう出来
事が外部に漏れているのだろうか? それが商店街の中に知られて
弄られているのってご当人にしてみたらどうなのだろうか?
考えてみたら最近﹁とうてつ﹂の嗣治さんが桃香さんと結婚した
時には季節関係なく桃スイーツが商店街で大流行していた。この商
店街でのお祝いってこういうノリになるものらしい。ここで恋愛し
結婚するという事は商店街皆のオモチャ、いや熱すぎるお祝いムー
109
ドに当事者の皆さん大変だな∼と少し同情する。
結局黒猫もイカ様フェアー参加ショップとなった。
毎日風味の異なるイカマリネをお通しにして、イカな料理がメニ
ューにズラリと並ぶ。そしてその意味を知る人も知らない人も楽し
んで貰えているから良かったと言うべきだろう。
カラン
黒猫の扉が開きソチラを見るとロングヘアーの柔らかい可愛らし
さを持った女性が立っていた。幸太郎先生の婚約者の沙織さんであ
る。俺が声かけるとフワリと笑い﹃二人でなのですが﹄と答える。
確かに結婚前の女性が一人で飲むなんて事ないだろう、友達かそれ
かデートという事になる。どちらにしてもユックリ会話を楽しみた
いだろうと思い奥の半個室になったソファー席に案内する。
﹁この度はおめでとうございます﹂
俺がメニューを渡しながらお祝いの言葉を言うと、顔を少し赤ら
めて照れながらお礼を言う。その笑みがいつもより綺麗に感じるの
は、幸せの絶頂にあるからだろう。
﹁梅酵素ジュースあります? あれ美味しくて♪﹂
澄さんのお手製の梅酵素シロップを使ったジュースは女性に密か
に人気のソフトドリンク。その他澄さんお手製の果樹酒も黒猫の売
りといったら売り。お手製の為在庫がなくなったら終わりなのが残
念な所。
﹁ご用意出来ますよ。すぐにお持ちしますね﹂
そう答えると沙織さんは嬉しそうに笑った。俺が離れると澄さん
が擦れ違いにお通しのイカのマリネや、イカのラタトゥーユなどす
ぐに出せるイカ料理を持って沙織さんの方へとウキウキした感じで
近づいて行っている。お祝いを言いに行ったのだろうが、注文せず
に出てくるイカ尽くしの料理に流石に顔をひきつらせていた。
ドリンクを作りテーブルに戻ると、沙織さんは料理をパクリと食
べて幸せそうにニコリと笑って、別の料理を食べてまた嬉しそうに
笑っている。良かった美味しかったようだ。俺の視線に気が付き畏
110
まった顔に戻す。
﹁なんか、今商店街中大騒ぎして大変でしょ?﹂
そう言うと沙織さんはフフフと笑う。
﹁でもその様子で分かったんです。幸太郎さんがいかに商店街の方
に愛されているか﹂
俺は頷く。
﹁確かにそうですね。
でも先生だけでないですよ。沙織さんのことも大好きだから、皆
さん喜んでいるんだと思いますが﹂
沙織さんの顔がパッと明るくなる。
﹁だったら私たち、両想いなんですね!﹂
何故か背中に寒さを感じる。振り返ると幸太郎先生が立ってい
た。三十代半ば、政治家としては若手だが、早くも頭角を現してい
るだけに間近で見るとオーラが半端ない。というかいつもより迫力
を感じる。これが愛する女性を見事手にした出来る男というものな
のだろう。流石だなと思う。
﹁先生いらっしゃいませ﹂
俺の挨拶に男臭い笑みを返す。
﹁透くんだったかな、こんばんは。
......二人で何を楽しそうに話していたのかな?﹂
沙織さんは、婚約者が来たのが嬉しかったのだろうニコニコいて
いる。今のやり取りを沙織さんが説明すると幸太郎先生はフッと笑
う。笑うと優しい雰囲気になり男の俺が見てもカッコイイ。
﹁確かに、この愛があるから俺も頑張れるという感じだな﹂
そんな幸太郎先生を最も愛しているであろう沙織さんがジッと見
上げている。早くも二人のシッカリした夫婦の絆を感じなんか微笑
ましい気持ちになり心和んだ。
﹁という事で俺からのラブレターを受け取って欲しいな。先生婚約
おめでとうございます﹂
気が付くと杜さんも近くに来ていて何やら紙を幸太郎先生に渡す。
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先生はそれを見て驚いた顔をするがニヤリと笑う。
﹁コレがいいな、あとこちらは家で楽しみたいからテイクアウトし
て良いかな。あと合う食べ物適当に﹂
杜さんに何やら注文しているようだ。となると店員二人もここに
はいらない。俺は頭下げその場を離れる事にする。その後二人はワ
インとイカ料理を楽しみ素敵な一時を過ごされたようだ。
後で杜さんのそのラブレターの中身を知ったのだが、杜さん特選
のワインリストだった。かなりレアで入手困難なモノに、それに沙
織さんの生まれ年に製造されたワインまでもあり、それが店で飲む
としたら安すぎる価格で並んでいる。国会議員相手だけに金品等渡
してお祝い出来ない。だからこそサービスとしで出来る精一杯のお
祝いの気持ち。本当の意味で最高なラブレターである。
このイカ祭りも最初はどうかと思っていたけど、商店街と先生た
ち。そこに確かに通じ合っている絆があるから良いのかもしれない
と心底思った。
とはいえ、このイカ様フェアーがまさか年に幾度も騒がれるお祭
りになるとは思わなかった。流石にそれはやりすぎと思うのはまた
後の事になるが、それもこの商店街らしいと言えるかもしれない。
112
マスゴミはゴミ箱に
重光幸太郎先生の婚約を祝うイカ様フェアーで盛り上った五月と
はうって変わって六月の商店街は殺伐とした空気が漂っていた。商
店街の住民が皆ピリピリして、鋭い視線を商店街の通りを見ている。
こんな嫌な空気の商店街が初めてである。来たばかりの璃青さん
も戸惑うようにそんな商店街を見つめている。
﹁重光幸太郎先生って、この商店街においては国会議員というより、
昔からこの街で暮らしている仲間で家族なんだ。
だから、マスコミが幸太郎先生の婚約の事面白おかしくこうして
騒ぎ立てている事に不快感を覚えているし、幸太郎先生や沙織さん
Mallowの店先から、通りで商店街のお客様にギ
をこうして追い掛け回している事を腹立てているんです﹂
Blue
ラギラと我が物顔で取材している記者を見て、璃青さんは顔をしか
める。
﹁それにこの状況は異様ですよね⋮⋮﹂
俺は頷く。いくら今をときめく若手議員の幸太郎先生だとはいえ、
その相手は一般人ここまで追い掛け回すのは異常である。
﹁何を聞かれも璃青さんは、分からないと惚ければ良いですから﹂
璃青さんは頷き、そしてニコリと笑う。
﹁どのみち、私来たばかりで本当に何も知りませんから!﹂
その明るい笑顔に俺もつられて笑ってしまう。なんかここで一緒
に笑って少し気が楽になった。その後二人で他愛ない話をしてから
黒猫に戻る。そこでまた鬱屈した現実を思い出す。
陽気な澄さんはずっと眉間に皺が寄ったまま。そして杜さんは、
やくざ
ごくどう
マスコミが商店街で騒ぎだすようになってからずっとその対策に係
りっきり。ずっと弁護士の矢草さんと、探偵の極堂さんと共に何や
ら話し合っているようだ。
113
何を話し合っているかというと無断駐車問題。現在押し掛けてい
るTV関係者は機材がある為、雑誌や新聞関係者は活動拠点とする
為と車でくる人が多い。このあたりは駅も近く観光地でもないので
街自体にコインパーキングは少ない。駅前にある百貨店についてい
るモノが一番近いだろうが安くはないし夜は使えない。
そこでヤツラが目をつけたのがウチの駐車場。一つは重光幸太郎
先生の事務所の前だけに都合良かったようだ。勝手に駐車していく。
その駐車スペースは全て契約者がいるのに関わらず。勿論、杜さん
所有の駐車場に勝手に車を停める事は違法行為であるが、奴らは取
材という大義名分で許されると愚かにも思っているのと、それプラ
ス分かっているのだあいつらは。私有地においての無断駐車警察は
不介入で民事の問題となる。彼らが今回の件でいかに迷惑をかけて
も警察が出来る事は注意だけなので、のらりくらりと逃げる事が出
来る。
勿論彼らに罪がまったくない訳ではない。
﹃契約者意外の立ち入りを固く禁じます。
契約者以外の駐車は禁止です。
違反者はナンバー確認の上、警察に通報し、法的な対応を取らせ
ていただきます。﹄
という警告文を書いた看板も設置している事から、彼らのしている
事は不法侵入及び営業妨害という犯罪に抵触する。しかし彼らにそ
の罪を着せるには、土地の所有者が告訴しないといけない。民事で
訴えるにしても土地所有者が車の所有者を特定した上で相手に訴訟
を起こすという事になり、かなり面倒な作業が必要になる。だから
大抵の被害者はフロントガラスに警告文を貼り付け終わりとする。
そして彼らは今回あくまでも取材の為にこの場所にいる。という事
は今だけ我慢すれば彼らはいなくなる。となるとムカついても我慢
してしまうのが今までの状況だったのだろう。
114
しかし杜さんはここでスルーする気がないようだ。自分が被害に
あっているからでなく、重光先生や商店街の仲間を困らせてきてい
るマスコミが許せないからだ。キッチリ証拠を固めて民事・刑事双
方で争う気でいる。今までの彼らが取材でしでかしてきた事も調べ
上げそこで被害を受けてきた人たちをも巻き込んで戦うつもりなの
だ。
今回のマスコミが騒ぎだしてから杜さんは通常の張り紙とか口頭
注意をするとともに、そのやり取りを写真およびボイスレコーダー
で記録。それに加え元々あった防犯カメラに加え、駐車場内が最近
物騒という理由でしかけた盗聴器の記録といった証拠として集めた
ようだ。直接聞いたわけではないがリビングで話し合っている彼ら
の会話からなんとなく察した。
逆に俺が今できる事は、黒猫およびビルの仕事を杜さんの分まで
頑張る事だけである。バンドの大学生にも手伝ってもらって、店の
方をなんとか切り盛りをしていた。
そんな時だった携帯に安住さんから電話がかかってきたのは。
﹁俺だよ、俺。安住だ。一号って今日はヒマか?﹂
暇という訳ではないけど、今は手が空き電話する余裕くらいはあ
る。
﹁今は開店前なので手は空いてますけど、何かありましたか?﹂
﹃そか!﹄と元気な声が聞こえる。何でだろうか? 嫌な予感が
する。
﹁パトロールしないか? なんか商店街が騒がしいからさ、ここは
正義の味方のキーボ君の出番だぞっと﹂
出番って、何言っているのだろうか?
﹁いつのまにキーボ君が正義の味方になったんですか﹂
まさか、マスコミ相手に大立回りする気ではないかと心配になる。
﹁正義の味方が嫌なら悪の手先でもいいけどな﹂
この人、やはり何かやる気だ! と不安が確信に変わる。
115
﹁そういう問題じゃなくて﹂
止めなければ。と言葉を続けようとすると安住さんが遮るように
喋ってくる。
﹁とにかく準備していつもの倉庫で待ち合わせな﹂
プチ
電話の通話はそこで切れる。態と切ったのだろう。
﹁どうしたの?﹂
澄さんが心配そうに声かけてくるので、状況を説明する。
﹁まあ、恭ちゃんが助け求めるなんてよっぽどよ、行ってあげて!
お店は皆がいるから大丈夫﹂
安住さんが助け求めに電話してきたとは思えない。でもキーボく
ん一号でと指名してきた事から、安住さんは二号で待機しているの
だろう。となると、何か仕出かす前に、止めなきゃいけない。俺は
溜め息をついて、キーボくんに着替える為に三階に向かうことにし
た。
キーボくんに着替えてから、ビルの裏から駐車場に出た時、急い
で来た為携帯をマナーモードにするのを忘れていた事に気が付いた。
キーボくん内にある内ポケットに入れ携帯を取り出し、ふと正面を
見るとそこにも憎き記者がいた。車の所に戻ってきたようでフロン
トガラスのワイパーの所につけられた警告文を手に取りニヤニヤ笑
いソレを丸め地面に捨てる。俺は流石にムカついて彼らに近づくと、
彼らはギョッとした顔になる。
﹁不法侵入のうえに、ゴミの投棄までされているのですか?﹂
カシャッ
毅然と言ってみたつもりだが、俺がそう言った後、キーボくん内
116
部からシャッター音が聞こえる。うっかり持っていた携帯のカメラ
のシャッター押してしまっていたようだ。
男達にもカシャッって音が聞こえたのだろう。キーボくんの目を
ジッと怯えたように見てくる。そこはカメラのレンズになっている
訳ないのに。親指がまだシャッターボタンの上にあるようでカシャ
ッツカシャッツと更にシャッター音をさせてしまった。男たちは慌
てだし車に乗り駐車場から出ていった。よくない事をしている分か
っている所に、シャッター音させながら迫ってくるゆるキャラって
あまり気持ちの良いものではなかったのだろう。ヤレヤレと携帯を
ポケットにしまい後ろのチャックを開け放置されたままのゴミを拾
い内部フックにかけてあるゴミ袋に入れる。チャックをキッチリ閉
めて、気持ちを引き締め駐車場をあとにすることにした、
117
マスゴミはゴミ箱に︵後書き︶
長くなったので二話に分けさせて頂きました。次話は20頃公開い
たします♪
118
杜さんの特別裏メニュー
待ち合わせ場所にいくとキーボくん二号さんが篠宮酒店の倉庫か
ら飛び出してきて、ピョンピョン飛び跳ねながら両手をブンブン手
振るという感じでテンション高く出迎えてくれた。
﹁おーい兄貴∼早くしろよ∼﹂
こっちの心配と不安の気持ちを全く気にしてないであろう能天気
な様子に少しムカつく。
﹁兄貴いわないで下さい﹂
二号さんは顔をよせ首を傾げる感じでカワイイポーズをする。
﹁でも兄貴なんだろ?﹂
﹁そんなに違わないでしょう、俺と二号さんは﹂
一つしか変わらないので、社会でてしまえば変わらないと思う。
キーボくんとして考えると同じ年である。
﹁学年が違えば十分に兄貴だよ。年功序列﹂
安住さんは、かなりこの弟設定を気に入っているようだ。リアル
に兄がいるというのに。
﹁あ、それで思い出しました。足の具合はどうなんですか? もう
痛まないんですか?﹂
﹁ああ。もう大丈夫だぞ、この通り﹂
一番気になる事を聞いてみたら、目の前でピョンピョンと反復横
飛びな動きを披露する。こんだけ動けるならば元気なのだろう。
﹁それでパトロールって何するんですか?﹂
単なるパトロールであることを願いつつ確認してみる。二号さん
はウーンと何やら考えるような様子を見せた後、サッと動き道の角
から上半身だけ乗り出して通りの様子をそっと伺う。動きだけみる
と、映画に出てくる優秀な刑事とかスパイのようだが、キーボくん
の恰好でされると、恰好良さも半減である。そして手をクイクイと
動かし、俺を手招きして一緒に通りを見るように促す。
119
﹁単なるパトルールだと面白くないからさ、あのカメラにどっちが
たくさん映ることが出来るか競争しながら、交番までの道のりを行
かないか?﹂
商店街の表通りのあちらこちでTVクルーがカメラを向け、誰コ
レ構わずインタビューしている様子か見える。
﹁⋮⋮それパトロールですか?﹂
妨害工作なだけである。
﹁パトロールだぞ? ちゃんと商店街に怪しい連中がいないか回る
んだからな。もちろん怪しい奴は即通報する前にのしてやれば問題
ない﹂
﹃のしてやれ﹄? やはりアブナイ事しようとしている。
﹁⋮⋮むちゃくちゃだ﹂
﹁あいつらの方がよっぽどむちゃくちゃだろ。勝った方がトムトム
のミックスジュースをおごってもらえるってことで。じゃあスター
ト!﹂
そう言うと俺の制止も聞かず走り出す。
﹁ちょっと!﹂
キーボォォォオオオオオ∼
二号さんは、奇声上げながら取材中の記者の所に突進していく。
なんでこの動きにくく、視界の悪い格好で上手く人と人の間をすり
抜けられるのか分からない。同じコースで追い掛けても追い付かな
い。商店街の方やお客様は二号の疾走に慣れているのか、避けて道
を作ってくれるから良いが、二号さんを必死で避けた記者やレポー
ターは逆に俺のコースを塞ぐように動くためにことごとくぶつかる。
結果、奇声をあげて通りすぎる二号の青い風のあとに﹃ダメですよ
! 皆さんの迷惑ですよ!﹄と叫びながらレポーターを画面から追
い出しアップで画面を青く染め上げる一号というパターンが出来上
がる。夕方のニュースで生中継していた所もあり、最悪のお騒がせ
120
マスコットとしての姿を世間に晒してしまったようだ。
俺が疲労でバッタリ動けなくなることでその事態は収束する。喫
茶店トムトムに曳づるように連れていかれ、俺は専用の椅子でグッ
タリしていた。そして二号さんは何をもって勝利としたのか不明の
まま、﹃ミックスジュース二人分よろしく! 一号のおごりでね﹄
と勝手にジュースを注文する。二号さんの身体からズズズズズゥゥ
ゥーと大きな音がして﹃クワァァ∼♪﹄と満足げな声が漏れる。俺
はまだ飲まずにミックスジュースの入った水筒の冷たさを楽しむ。
﹁お前、体力無いよな∼⋮⋮これぐらいのことでバテるなよ﹂
ジュースを飲んで一息ついたのか、チラッと二号さんがこちらを
見てそんな事言ってくる。着ぐるみ着て三十分以上全力疾走したの
だからバテて当然だと思う。
﹁そっちが元気すぎるんですよ、そっちと一緒にしないで下さい﹂
自衛隊で毎日鍛えている人基準で考える事からして間違えている。
﹁そうか? 俺はまだまだ元気だ。まあ暑くて汗はかいたが、気持
ちいいぞ!﹂
二号さんは後ろのチャックから空の水筒を次郎さんに手渡してか
ら、こちらに近づいてくる。
﹁俺は身体中べとべとで気持ち悪いです。俺にはもう無理ですよ、
二号さんの体力の限界に付き合っていたら壊れます﹂
二号さんが俺の隣に椅子に座り、俺をツンツンとつつく。
﹁情けないなあ。そんなんじゃ俺と一緒に楽しいこと出来ないぞ﹂
顔を近づけてそんな事を言ってくるけれど、俺からしてみたら暑
苦しい。
﹁出来なくていいです、激しすぎるのは勘弁してください。俺は穏
やかに楽しみたいんです﹂
﹁手加減してたら意味ないだろー。なんなら、もう一発いってみる
か?﹂
そんな俺たちの会話を、後ろの女性たちが爛々とした表情で聞い
ているなんて知らなかった。そして彼女達が﹃コレはコレであり?﹄
121
﹃ありよ! 寧ろおおあり! 俺様強引弟攻め! イイ!﹄と謎の
会話をしていたなんて気が付くはずもない。
﹁仕事があるので、そろそろ行きますね﹂
俺はミックスジュースを一気に飲み干して、ご馳走様のポーズを
して器を後ろのチャックから返却する。その時紬さんから何故か良
い子メダルをもらったので俺はお辞儀してからトムトムをあとにし
た。
黒猫に戻ると、杜さんが久しぶりにお店でマスターの仕事をして
いて、俺を上機嫌で迎える。
﹁ユキくん、ニュース見たよ最高だった!! 録画しておいたらか
ら君をあの勇姿、是非みるとよいよ。これでユキくんのステキな動
画が増えた﹂
杜さんは、あんな形でも俺がTVで出ていると大喜びしているよ
うだ。俺はハハハと元気のない笑みを返す事しかできなかった。
肉体的にも精神的にも疲れを感じながらも仕事を頑張っていると、
重光幸太郎先生の公設秘書の杉下さんと倉島さんが疲れた表情でや
ってくる。カウンターに座り杜さんに挨拶する。いつもは颯爽とし
た出来る人という感じの二人だが、この騒動で疲弊しているのだろ
う、いつも覇気がない。杜さんは通しとおしぼりを渡す。
﹁疲れてるね、そんな二人にソレも吹っ飛ぶようないいモンあるよ﹂
杜さん手書きのメニューが二人に手渡される。超常連のみが手に
出来るという黒猫の裏メニュー。杜さんお薦めの酒リスト、ウィス
キーバージョンのようだ。それを見て二人の顔が輝く。二人はその
中から一つ注文する。そして乾杯して一口飲みハァと満足そうにた
め息をつく。流石杜さん厳選のお酒。二人が一気に元気になった。
こうして、ちゃんと味が分かってくれる相手だからこそ杜さんもお
薦めし甲斐があるのだろう。そんな二人を見て優しく嬉しそうに目
を細める。
﹁そう言えば彼らを訴えたと聞きましたが?
122
根小山さんのことですから負けることはないと思いますが、裁判
を起こしてもそちらが損するだけでは?
勝ったとしてもそれほど慰謝料を取れるというわけでもありませ
んし﹂
そういう杉下さんの言葉に杜さんはニッコリと笑う。
﹁まあ、奴らに単に嫌がらせしたいだけですから、俺の個人的趣味
というか楽しみ?﹂
杜さんの言葉に二人が苦笑する。
﹁そして、この騒ぎも今週限りですよ。来週か彼らそれどころでは
なくなりますから﹂
俺はこの時の杜さんの言葉は、無断駐車しているマスコミ関係者
が訴えられた事で撤退する事だと考えていた。 しかし次の週、情報番組を放送しているメジャーの三つのTV局
において、重大なスキャンダルが色々発覚して大騒ぎとなる。その
為マスコミが一気に商店街から消える。それぞれの会社はその対応
に追われ、この商店街で呑気に取材なんてしている場合ではなくな
ったからだ。
謝罪を繰り返すTVの番組を見て、杜さんが嬉しそうに笑いなが
ら眺め、ワインで弁護士の矢草さん、探偵の極堂さんと乾杯してい
るのをみて、まさかねと思う。
そして商店街には、まだ若干の雑誌記者が残るものの平和な空気
が戻ってくる。残っているのは重光幸太郎事務所の近くで車を停め
中でカメラを構えてスクープを狙っているような輩。商店街の人が
たち
交代で声をかけ移動を促すのだが、またそこに戻ってくるという感
じで性質が悪い。しかも運転手がいて停車しているから駐車違反で
も取り締まれない。そんな不毛な戦いをすること三日目、ガシャー
ンと不快な音が街に鳴り響いた。
駆けつけてみると、そのスクープ狙う記者の車が事故っていた。
杜さんの車を相手に。相手の記者は杜さんの車がベンツである事に、
123
オロオロと車から出てくる。
﹁いきなり飛び出してきて、何なんですか!﹂
降りてきた強面の杜さんの風貌にも相手はビビる。
駆けつけてきた交番の真田さんに、目撃者を名乗る男が、﹃記者
の男がいきなり車を急発進させそのまま杜さんの車にぶつかった﹄
と証言する。その男に俺は見覚えがあった。数日前に黒猫のカウン
ターに座り杜さんと会話していたからだ。集まってきた集団も商店
街の人である事で完全アウェイの中、男は連行されていった。盗撮
といった犯罪に抵触した行為をしてきただけに余罪もこのあと色々
問われる事だろう。
後日、鼻歌歌いながら決して安くないベンツの修理代を請求する
書類を作っている杜さんを見つめ聞いてみる。どこまでが杜さんが
企んだ事なのかと。
杜さんは心配そうな俺を見て優しく笑う。
﹁いいか、ユキくん、男は愛する者、大切な者の為には、とことん
戦うものなんだよ!﹂
まったく否定しないんだ⋮⋮。と呆れつつも納得している自分も
いた。杜さんってこういう面もある人だったというのを改めて思い
出す。
﹁とことんまでされるのはいいですが、もう危ない事はしないでく
ださいよ。澄さんが悲しみますよ﹂
杜さんは俺の頭をガシガシと撫でる。
﹁心配しなくても大丈夫。今回も万全の準備をして臨んだし、何も
問題はない。俺たちが危ない事は何もしていない﹂
⋮⋮杜さんが、なんか幸せそうだし、結果平和が戻ってきたので
コレでよしとすることにした。
124
黒猫は人がつむいで生まれ変わる
実際この仕事をし始めると勉強すべき事が多く時間がいくらあっ
ても足りない。
それに俺もとっておいた方が良い資格も多い。試験は苦手ではな
いもののそっちに時間とられて仕事ができなくなるというのも本末
転倒。一つずつこなしてスキルアップしていくしかない。
﹃時間はあるんだ、急ぐ必要はない。それに仕事しながら学ぶ事多
いだろう﹄
杜さんのそういう言葉の通り、この商店街には学ぶべき所が多い。
近い所では杜さんからは人に合ったお酒を見極める感覚。澄さんか
らはお客さんへ対するホスピタリティ。篠宮酒店からはお酒の世界
の深さと酒愛。とうてつさんや神神飯店からは
それぞれのお店の店舗経営方針から見えてくる商売人魂、そしてト
ムトムさんからは⋮⋮。
﹁本当に良い子なの。それだけでなく黒猫ピッタリでいい感じにな
ると思うの。このダイスケくん♪﹂
最近の客さんも増えてきたことで、学生バンドの子に手伝って貰
っていた。それも申し訳ないと思っていたところ、トムトムさんか
ら、バイトを雇ってみないかという話をされた。元々トムトムさん
の所で募集してきた子なのだが何故かダイスケという名前の子が集
中してしまい、その為に泣く泣く雇うのを諦めたらしい。トムトム
さんは名前でバイトくんを呼びあっており、既ににダイスケくんが
二人いてややこしい所に、更にダイスケくんを増やす訳にはいかな
いからだ。
そして紹介された小野大輔くんは、紬さんが一目見て﹃黒猫にピ
ッタリ!﹄と思った人材らしい。履歴書は几帳面さを感じる字で書
かれ、クールな感じの青年の写真が張り付けてあった。
125
﹁あら、カワイイ♪﹂
澄さんの弾んだ声に紬さんがニッコリ答える。
﹁でしょ♪ とってもカワイイの! ホンワカユキくんと並べると
またいい感じにになりそうでしょ? きっと良いユニットになると
思うの♪﹂
このくらいの女性のいう﹃カワイイ﹄は﹃イケメンな若者﹄とい
う意味になる。トムトムのバイトくんは格好良い人が多い。これは
紬さんが選んでいたからかと理解した。でもユニットって?
いやん、いいじゃない。さすが紬さん﹂
﹁そこで、衣装も考えたの!﹂
﹁どんなの?
なんか話が、変な方向に進みだしている。杜さんは黙ったまま二
人の様子を楽しげに見ているだけ。
﹁ベストを黒のホルターネックっぽいタイプにしてみたの。それに
黒い細身のパンツと白のボタンダウンのシャツ着てもらって、ボル
ドーのソムリエエプロン﹂
デザイン画を見せて説明していく紬さんに嬉しげに頷く澄さん。
二人でどんどん盛り上がっていく。
﹁チョコレート色でも良いわね﹂
﹁それでね、エプロンにはこんな感じで黒猫の刺繍つけて﹂
見た感じ、普通のバーの制服っぽい感じであるのはいいが、この
まま二人を暴走させて良いものなのだろうか?
﹁あの、制服は黒猫には⋮⋮まだ﹂
そう言うと、紬さんにハッタと睨まれる。
﹁今の黒猫だからいるんじゃない!
今までは、優しいマスターとママのいう家庭的なジャズバーだっ
たけど、そこにユキくんという要素が加わり状況が変わってきたの。
柔和ではにかんだ笑顔がキュートなウェイターがいるってことで、
若い女の子も行くようになって、黒猫も転換期を迎えているの!﹂
⋮⋮はにかんだ笑顔がキュートなウェイターって誰ですか?
﹁そこに、クール系な美青年を加えることで、ここは魅惑な空間に
126
進化するの!﹂
熱く語られて、俺は呆気に取られる。
﹁⋮⋮黒猫は、ジャズバーだし、杜さんと澄さんが⋮⋮﹂
紬さんはカウンターをパタンと叩く。
﹁いい? 喫茶店もバーも同じ! お客様は単に飲み物や料理を楽
しみに来ている訳ではないの! そんなんだったら家で楽しめばい
い。態々喫茶店やバーで飲む理由ってなに? その空間で飲むこと
に価値があるからよ。だからこそ、お店はお客様が楽しんでもらえ
るように色々努力すべきなの! 分かる?
貴方は誠意をもって笑顔でお客様に接するのもその為でしょ?﹂
分かってはいたつもりの事だったけど、改めて言われるとサービ
ス業について本当に分かっていたつもりだけだっことをに気付かさ
れた。
﹁お酒だけでなく、黒猫全体の魅力でお客様を酔わせてあげないと。
制服はその演出の一部。分かる?﹂
杜さんがフフと笑う。
﹁その点、紬さんは名プロデューサーだからな。ユキくんここは紬
さんにのるべきだろう﹂
単なる勢いとお遊びで制服の話を持ってきたと考えていた自分が
恥かしくしくなる。
﹁はい、制服の件はお任せします。あとお店運営についてこれから
も色々ご指導下さい﹂
そう頭を下げる俺に紬さんは満足そうに華やかに笑う。
お蔭で俺の黒猫という店の見方が少し変わった。どうしたいか?
というのに加え常にお客様から見たらどう見えているのか? と
いうのを考えるようになった。そうすることで今まで以上にお客様
が見えるようになったと思う。
127
黒猫は人がつむいで生まれ変わる︵後書き︶
しまった小野くんが出てきません。小野くんの物語を読まれたい方
は、黒猫のスキャットを読まれてください。そちらで小野君視点の
黒猫および商店街を楽しむ事が出来ます。
128
青い春がくるらしい
都心でのソムリエの講習会を終えて希望が丘駅に到着し
ッと息を吐く。
俺はホ
講義でずっと集中していたこともあるが、なんか駅に着いた途端
に﹃帰ってきた﹄という安堵感に包まれた。気が付けば実家のある
場所よりもホームという感じがする場所になっていた。
よく分からないヤル気を胸に、ホームの階段へと向かおうとする
と、青い色が目の端に映る。視線を向けると駅のベンチのところに
エスニックな青い花が散ったワンピースを着た女性が座っている。
りお
その目は虚ろ。愁いているというより途方に暮れているという感じ。
﹁璃青さん?﹂
声かけるというか、ついその女性の名が口から出てしまった。
ユキ
璃青さんはハッとその顔を上げ、驚いたように目を丸くする。
﹁透さん、⋮⋮⋮じゃなくてユキくん?﹂
別に﹃さん﹄でも﹃くん﹄でも呼びやすい方で良いのに几帳面に
呼び直した。そういう真面目な所が璃青さんらしくて自分の口が綻
ぶのを感じる。
﹁どうかしたんですか?﹂
そう訊ねると、璃青さんは困ったように視線を動かす。何かあっ
という感じで会話をスタートすべきだっ
たを前提にした聞き方が悪かったのかもしれない。﹃こんにちは、
こんな所で奇遇ですね﹄
たと反省する。最初に泣いている姿見てしまったからか、なんか璃
青さんと話す時、こんな風に調子狂う事が多い。黒猫で泣いていた
後に会った時も、笑顔で普通に挨拶してきた彼女にいきなり﹃やは
り璃青さんは笑顔がステキです﹄と言ってしまって固まらせてしま
った。かなり痛いか、軽いかと思われていそうである。
﹁問屋にアクセサリーの材料買い出しに行った帰りなんですけど、
少し買いすぎてしまって⋮⋮﹂
129
少しはにかんだような顔をして足下の重そうな荷物に視線を落と
す。そこには中身のつまった大きめエコバックが二つあった。なん
か重そうだ。
﹁ユキさ⋮⋮くんは?﹂
璃青さんは顔を上げてそう聞いてくる。
今更挨拶からやり直すのも変なのでそのまま会話を続ける事にす
る。
﹁ソムリエの資格取るために講習会行ってたんですよ⋮⋮良かった
ら荷物持ちましょうか?﹂
なんでだろうか、唐突にそんな申し出をしてしまった。璃青さん
。
はビックリしたように背筋をピンと伸ばし、そのあとブルブルと頭
を横に振る
とんでもないです。これ、ものすごーく重い
! それも半端なく!﹂
﹁いえいえいえっ!
んです
年上の女性には失礼だと思う存けど、一生懸命な様子が何か可愛
い。しかし俺って重い荷物持てないくらいひ弱に思われているのだ
ろうか?
﹁だったら、余計に璃青さんに持たせられませんよ。俺も頼りなく
見えるかもしれないけど男なんですよ﹂
そう言って彼女の足下の大きい方野荷物を持ち上げる。本当に重
い想定していたよりも。璃青さんが申し訳なさそうに俺を見上げる。
よくこんな重い荷物をもってここまできたものである。細そうに見
える腕を見てしまう。瑠璃さんは何故かオロオロして俺を見ている。
もう一つの荷物も持とうとすると、璃青さんは慌ててその袋を手に
とり抱え込む。
﹁ウチの商品なんですから、わたしにも持つ義務がありますよ!ユ
キさ⋮⋮じゃなくてユキくんにそれ以上重たい思いなんてさせられ
ません⋮⋮っ﹂
。俺は必死な彼女に頷き﹃分かりました﹄
そう言い張る。勝手に買い物に付き合わせ、荷物を全部俺に持た
せる姉と大違いである
130
と返事をする。でないとこのまま無意味な平行線になりそうだ。そ
してある事を思いだしたので、一旦持っていた荷物をベンチに置く
そして璃青さんの膝の上の荷物も受け取りベンチに並べる。そして
リュックからキルティングで作られたチューブ状のものを二つ取り
だし、マジックテープを外し荷物の取っ手に巻き付け、マジックテ
ープをまた止めてチューブ状況に戻す。
﹁コレで少し楽になるはずだから﹂
璃青さんは、それを不思議そうに見つめている。
﹁澄さんお手製の、取っ手カバーなんだ。こうして取っ手を包むだ
けで指にかかる力が分散して痛みもかなり軽減されるんだ﹂
澄さんが、買い出し担当の俺の為に持たせてもらったを入れっぱ
なしにしていて良かった。重めの方を俺が持ち二人で帰ることにす
る。
﹁わぁ、すごいです。このカバー効果抜群ですね!本当にこれ、い
いですよ。楽になります。手が全然痛くないです!あー、これは知
らないともったいないなぁ。皆に広めたいなぁ⋮⋮⋮﹂
璃青さんが荷物を持ち上げて“ね?”と明るく笑うのを見て、俺
も嬉しくなる。二人で並んでニコニコと夕暮れの商店街を歩く。
﹁でも澄さん、もう商店街の仲良しな人には配ってしまっているし
ね﹂
澄さんは趣味でこういうモノを作るのが好きで、また作ったもの
をすぐ人に配ってしまう。
﹁とはいえ、仲良しな方以外の商店街の皆さんや、よそから来るお
客様は知らないですよね?これ、和柄とかあったりしたら絶対売れ
ますよ。澄さんに作ってもらえないかしら?うちのお店で紹介した
いなぁ⋮⋮﹂
璃青さんは、商売を始めたばかりだとはいえ、こういう風に発想
をもっていくところが早くも商売人となっているという事なのだろ
う。
131
﹁澄さんに聞いてみるよ。ただ澄さんって商売気がないからどうな
るか分からないけど﹂
ん∼と何やら考える顔をしていた璃青さんは、こっちを見てニッ
コリ笑う。
﹁私からお話ししてみます。澄さんもお仕事されているので無理さ
せられませんし、作り方教えてもらって私が作るという手もありま
すし﹂
やはり、こうして単に突っ走るのではなく、ちゃんと色々考えて
いる所に感心する。俺の視線を何か誤解したようにハッとした顔を
して黙ってしまう。
﹁あぁっ!ごめんなさい、わたし今なんかすごく図々しい事言って
ましたよね?﹂
俺は慌てて首を横にふる。
﹁いや、璃青さんすごいなと思って。俺はマニュアル人間だから勉
強してそれを実践するのが精いっぱいで﹂
﹁そんな。ユキ⋮⋮くんはすごくシッカリしてますよ!わたし、い
つもすごいな、って思ってるんですよ。それにイッパイイッパイな
のはわたしの方!本当に情けなくて。お店を始めたばかりとはいえ、
もっとちゃんとしなきゃ、って⋮⋮﹂
璃青さんは立ち止まり俺の方を見上げそんな事を言ってくる。
﹁いや、情けないのは俺の方で、商店街の方に助けていただいてや
っと﹂
俺の言葉に、さらに一歩前に近づき、ブルブルと頭を横にふる。
﹁ユキくん、はシッカリしています。情けないのはわたしの方です
!﹂
﹁いや、俺の⋮⋮﹂
そう言いかけて、なんか笑ってしまった。何を俺たち競っている
のだろうかと。璃青さんもフフフと笑いだす。
﹁でも、ユキくん、の方が商売人としては先輩なんですよ?﹂
そう言う璃青さんに俺は首を横にふる。
132
﹁俺が黒猫に就職したのは先月ですよ。だから同期になるのかな?﹂
璃青さんはキョトンとした顔をする。
﹁えっ、仕事ぶりを見てる限りではそんな風には全然見えないんで
すけど⋮⋮﹂
﹁ありがとう。それより前はバイトで黒猫にいたからね。そして黒
猫とこの商店街が好きになってしまって、ここで頑張る事にしたん
です﹂
俺を見て璃青さんが優しく笑う。
﹁なんか分かります、この商店街って元気になりますよね。頑張ろ
うって気持ちになります﹂
﹁だね﹂
璃青さんの笑顔につられニッコリ笑ってしまう。そして二人で再
び歩き出し盛繁ミートのメンチカツが美味しいとか、櫻花庵のわら
Mallowに無事到着し、カウンターに荷物を置く
び餅が絶品らしいとかいう話を楽しんだ。
Blue
と、重かった事もあったのか軽い達成感を感じる。
﹁本当に今日はありがとうございました! とっても助かりました﹂
お礼を言う璃青さんに俺はいやいやと首を横にふる。
﹁あのさ、こういう重いモノ持つときとか男手が必要な時は無理し
ないで、近所を頼ってよ。うちなんて隣だから気軽に声かけてくれ
れば良いから。それにビルメンテの仕事もしているから、ちょっと
した水道のトラブルとかも俺対応できるし﹂
考えてみたら、彼女はここで一人暮らしである、何かあった時で
も連絡をとれるようにしておいた方が良いかもしれない。俺は名刺
を出して渡す。
﹁あら? この名刺のムーンナイトエージェンシーって?﹂
俺は間違えた名刺を渡した事に気が付きギクリとしてその名刺を
奪い返してしまう。
﹁え、あ、ソレ、杜さんの仕事やビル管理とか不動産や含めての企
業名がソレなんだ。ごめんこっちの名刺で﹂
133
そういって黒猫の方の名刺を渡す。黒猫の絵がついて可愛い名刺
を嬉しそうに璃青さんは見つめる。やはり澄さんデザインだけあり
女性の受けが良い。
﹁ありがとうございます。そうだ!使うことがあるかどうかはわか
らないですけど、一応わたしの連絡先も教えておきますね﹂
璃青さんが携帯を出した事でアドレスを赤外線通信で交換する流
れになる。そして俺は仕事があるので璃青さんと別れ、一旦部屋に
戻って着替えてから黒猫に出勤する。
﹁すいません、少し遅くなりました﹂
そう挨拶すると、杜さんがニコニコと俺の方を見つめてくる。
﹁いいんだよ、いいんだよ!! 青春は楽しむべきだから!﹂
妙に上機嫌で俺の肩を叩いてくる。
﹁あの、澄さん、杜さんどうしたの?﹂
俺は杜さんが離れていったのを見送ってそっと澄さんに訊ねてみ
る。
﹁さっき燗さんから電話があってからあんな感じなの。﹃春がくる
ぞ!﹄って何なのかしらね?﹂
澄さんと俺は二人で首を傾げた。
134
青い春がくるらしい︵後書き︶
たかはし 葵さまと一緒に作りました。
葵さん、色々ありがとうございました。
璃青ちゃんからの視点で楽しまれたい方は、︻Blue Mall
owへようこそ∼希望が丘駅前商店街︼をご覧ください。
135
BLって人をブルーにする恋愛の事
バイトの小野くんは、紬さんが見極めただけあり本当に良い子だ
った。切れ長の目でシャープな印象をうける青年で一見取っ付き難
そうに見えるけど、話してみると素直で真面目。法学部で勉強して
いるだけあり、真面目で頭が良い。お勉強ができるというだけの意
味でなく、回りがよく見えていて動ける。お陰で仕事がかなり楽に
なった。しかも紬さんお手製の制服が似合う事。制服効果で格好良
さがさらにアップして男の俺が見ても、バーが素敵な感じになった
気がした。 クールに見える顔がお客様と接する時に少し柔らか笑
顔になるのを、OLさんなどがホワンと頬を赤らめているのをみて、
夢を売る店という意味を改めて分かった気がした。そしてサラリー
マンらは、マスターやママとの会話を楽しみ一時の癒しと解放感を
楽しむ。黒猫で飲むというのはそう言う事なのだろう。
俺は小野くんのように格好良くなるわけではないものの、制服を身
に着けることで気が引き締まる気がして、よりこのbarでの仕事
というものに集中できる気がした。制服の効能というのも改めて実
感する。制服導入と新たなメンバーが加わった事で黒猫はパワーア
ップしより活性化し面白いものになった。
た、商店街のほうの仕事も積極的に参加するようになった。若
手中心で管理するキーボくんブログも開設し、商店街の方もより盛
り上がっていっているように思う。
本気出して何かに打ち込むというのがこれほど面白いのかと実感
しながら充実した毎日を過ごしていた。しかしそんな俺のやる気に
塩をかけるような事態が発生する。
それは、キーボくんのファンという形で商店街事業部に届けられ
た数冊の本。厚みは五ミリもにもので、表紙には﹃青い兄弟商店街
136
で燃えて⋮⋮﹄﹃限りなくピュアでブルーな愛﹄﹃深く青く⋮⋮﹄
とある。
﹁最近の若い子は、大好きな漫画やアニメのキャラクターを使って、
自分たちでも漫画とか小説を書くのが流行しているんだ。キーボく
んも、そんな人気キャラクターの仲間入りだね﹂
﹃Book‘s大矢﹄の浅野さんがそんな事言ってくれたので、
俺は照れつつくも、喜びを感じる。そして黒猫に戻り中を見て仰天
する。
何故かキーボくん一号と二号がキスをしたり抱き合ったりしてい
る。それもフレンチキスとかハグとか優しいレベルではない感じで。
この作者はキーボくんが両方男の子ってわかっていないのだろうか
? それにあの顔で女の子だったら可哀想である。
﹃に、二号さん、俺達兄弟ですよ! それに男同士﹄
﹃細けえこと気にすんだなよ! 俺は溜まらなくお前が好きなんだ
よ!! お前だって同じなんだろ? だから良いだろ?﹄
分かっていて書いているようだ⋮⋮良くないです! 気にして下
さい! キーボくんの中の人の俺としては良くないです。
しかも何気に、二号さんの言葉使いと、うっかりつられてしゃべっ
てしまっている俺の会話が再現されている所が恐怖と衝撃をさらに
深めている。俺は震える手で携帯を取り出し、安住さん﹃大変です
! キーボくんが一大事です!﹄を呼び出した。
しかし何故か安住さんにはこの恐ろしい状況が伝わらず、本を読
みながら大爆笑する。
﹁んなもん、気にする事ないだろ! 作っている奴らもすぐ飽きる
だろうし、ほっとけば?﹂
なんて言い出す始末。そして危機感を共有と恐怖を共有すること
も出来ず去っていく安住さんの背中を見送ることにしかできなかっ
た。
﹁あのユキさん、キーボくんニ体が恋人関係だって見ている人なん
て、世界で本当に一握りの人だけですよ。
137
ほとんどの人が、カワイイ恍けたマスコットと思って愛してくれ
ていますから﹂
会話を聞いていた小野くんの慰めの言葉を聞きながら、俺は頷く
しかなかった。そして安住さんは本業の為に商店街を離れることに
なったので、少しは沈静化するかなと思っていた。週刊誌か? と
いうペースで送られてくるソレは本当にファンの手によるものなの
かも怪しく思えてくる。もはや嫌がらせに近いが、とんでもない内
容にしてもこんなにも熱く漫画を描き続けるというのは、愛ではあ
るのだろう。そして内容はさらにエスカレートしていく。
小野くんは、台車でキーボくん一号の送り迎えをしていた関係も
あり、送られてくる本において、明らかに小野くんがモデルと思わ
れるイケメンバーデンダーが登場し一号を二号と取り合うような展
開を迎えてきた。
うっかりソレを見てしまった小野くんが震えながら読んでいるの
を見て、俺は恐る恐る声をかける。こんな事で優秀なバイトを失い
たくない。
﹁小野くん、大丈夫? ⋮⋮あの、ごめんね、俺達の問題に巻き込
んで﹂
そう言うと、小野君は非常に困った顔で笑う。それもそうだろう、
俺とか安住さんはまだキーボくんとしての登場だけど、小野君はほ
ぼ本人である。衝撃の大きさもくらべものにならないのかもしれな
い。彼のショックな気持ちは分かるし、同時にこういう反応を示す
のが普通なんだろうなと思った。安住さんは、やはり様々な訓練を
している事もあり、肉体的に精神的なタフさが違うのかもしれない、
﹁いえ、ユキさんは何も悪くないですから⋮⋮しかし、まさか⋮⋮﹂
そして、自分もショックを受けていると思うのに﹃ユキさんこそ、
大丈夫ですか?﹄と気をかけてくれるとことを見て、本当に良い奴
だなと思った。
その日の小野くんの笑みはどこか虚ろで影があった。しかしそれ
138
はそれで、お店にくる女の子には魅力的なようで、いつも以上に構
われている所をみると、小野くんってすごいなと思った。イケメン
ってどういう状態でも絵になるものらしい。
不思議な事で、この出来事が小野くんと俺の絆を深めたようだ。バ
イト初めて二か月弱だというのにお店での事はアイコンタクトで大
概のことは通じるようになった。
所用があり出かけていた事もあり、夕方お店に行くと小野くんが
グラスを磨いている。一見いつものようにクールな感じだが、なん
か小野くんが嬉しそうなのが分かった。
﹁あれ? 何か良い事あった?﹂
挨拶の後にそう聞いてみると、小野くんは驚いた顔をするが、何
故か人の悪い顔でニヤリと笑う。
﹁ええ、まあ。 煩わしい問題がちょっとだけ解決したという状態
ですかね﹂
﹁もしかして、何か悩んでいたの?﹂
小野くんはハッとした顔をして、慌てて首を横にふる。
﹁いえいえいえ、大したことないですので。でも、なんかスッキリ
したというか﹂
小野くんは、そう言って笑う顔が本当に嬉しそうだった。
﹁だったら祝杯でもあげる? バイト終わったあとに何か飲ませて
あげる﹂
俺の言葉に小野くんの顔がさらに明るくなる。
﹁うれしいです! 今日は得にユキさんと祝いたいなとも思ってい
たので﹂
すごい可愛い事を言ってくれる。顔に似合わず、こういう所があ
るので小野くんってすごく可愛がりたくなる。俺ってこういう感じ
で慕ってくれる後輩とか弟がいないから余計にそう感じるのかもし
れない。
139
﹁なら何か用意しておくよ﹂
そう言って俺は小野くんから離れ事務所兼倉庫に向かい違和感を
覚える。そして倉庫の隅に積まれていたあの本がない事に気が付く。
首を傾げていると部屋に入ってきた杜さんが、﹃安住くんが読みた
いだろうって、さっき小野くんが昌胤寺さんに持って行ったよ﹄と
教えてくれた。確かに安住さん楽しそうに読んでいたので、彼なら
面白く受け入れられるのだろうな、と納得した。
140
安住さんの言う通り、あんなに激しく届いていたキーボくんの
言葉はなくても
漫画はピタリと来なくなった。もう大概の所まできていたので、ネ
タも尽きたのかもしれない。
就職決めて俺、俺が仕事以外で始めた事が一つある。それは朝のラ
ンニング。キーボくんをやっていくには体力が必要である。お蔭で
二号さんのように
体力もつき、前ほどキーボくんで転ばなくなった。キーボくんを着
ての活動も以前より楽になったように感じる。
全力疾走は無理でも、かなり軽快な動きも出来るようになった気が
する。
とはいえ、着ぐるみでの仕事はそんなに甘くない。というのは季
節が冬から春そして夏に。着ぐるみにとって大きな試練を感じる時
期になってきた。二月の状態でも着ぐるみの中はかなりの暑さで汗
をかいたが、夏となるとそれどころでなく、滝のような汗というの
を俺は初めて体験することになった。冷えピタしていても汗で冷え
ピタが落ちてしまう状態で、以前キーボくんの足元から冷えピタが
落ちるという恥ずかしい事をしてしまった。そこで頭に巻くタイプ
のアイスノンを巻きその上からタオルを頭に巻く。キーボくんの中
にはコールドドリンクと、汗拭きようのタオルを多めに用意して挑
んでいる。それでも結構キツい。
駅前でのイベントの仕事を終え、俺は最後の気力を振り絞り喫茶
店トムトムの扉を開る。紬さんは慣れたものでキーボくんのアイス
コーヒー注文のハンドサインに頷き、最も冷房を感じられるクーラ
ーの前のキーボくん専用シートに案内してくれる。一機にキーボく
んの熱を表面から奪ってくれるクーラーの風に、文明の素晴らしさ
を実感する。そして少しましになってきたことで、ふと視線を外の
141
世界を気にすると、目の前に人がいた。その人物はコチラを困った
ように見つめている。
﹃璃青さん、奇遇ですね。ところで、お店は?﹄
もしかして、俺にめちゃくちゃ寛ぎすぎて、璃青さんが声をかけ
ていたのに無視していたのだろうか? そう思いポケットから携帯
を取り出しメールを出す。彼女は一人でお店を切り盛りしている為
に、昼のお休み以外の営業時間に外を歩いているのは珍しい。メー
ルを受け取ったらしい璃青さんは何故か背筋を伸ばし,キョロキョ
ロと顔を動かす。
そうしていると、キーボくんの背後をポンポンと叩く音がして、
チャック開き水筒に入ったアイスコーヒーが差しれられる。俺は頭
を下げ紬さんにお礼を言う。
﹁璃青ちゃんのオーダーは?﹂
﹁は、あの、いえ、店番に母を置いてきてしまっているので、わた
し、すぐに戻らないと⋮⋮⋮﹂
璃青さんと紬さんのそんなやり取りが聞こえる。なるほど、オー
プンには、お祖母さんのご病気でこれなかったというお母さんが来
られているのかと納得する。だからこの数日お昼時にランチでみか
けなかったのだろう。瑠璃さんとはお昼をとるタイミングが同じな
ようで、よく一緒にお昼を食べていたからだ。
﹃お母さんがいらっしゃったんですね。ならば安心ですね﹄
そうメールを送ると、また璃青さんはギョッとした顔になる。
あら? もしかして、気づいていない? 俺は通じるように前
に座っている璃青さんに手をふってみる。おずおずと手を振り返し
てくる。その時に俺の携帯が何か受信する。瑠璃さんからで。
﹃ユキくん、どこにいるの?﹄
そして目の前の璃青さんは、コチラをハッとした顔でみてくる。
良かった気付いてもらえたようだ。
﹁ま、まさか⋮⋮⋮。ええぇぇっっ?!!﹂
そう叫ぶ様子がまた面白くてつい笑ってしまう。良かったキーボ
142
くん着ていたから、こっちのつい笑ってしまった表情は分かってい
ないだろう。
﹃ごめんなさい、璃青さん知っているとばかりに。実はキーボくん
の中身って俺なんです。あ、この青いの、“キーボくん”っていっ
て、ここの商店街のマスコットなんだ﹄
﹃そうだったの⋮⋮。大声出してごめんなさい﹄
璃青さんは、もう普通にしゃべっても大丈夫なのに、そうメールで
返してきた。
﹃いやいや、知らなかったら驚いて当然なので﹄
﹃ユキくんは、どうしてここに?﹄
考えてみたら、メールでなかったら彼女の独り言になる。メール
で正しかったのかもしれない。
﹃駅前のイベントの帰り。暑くて倒れそうだったから避難してきた。
ここはよく水分補給に利用させて貰ってるんだ。そして今もここの
美味しいアイスコーヒー飲んでいる所です。さっき入れてもらった
のがソレなんだ﹄
﹃そうなのね。ねぇ、わたしもそのファスナー開けてみてもいい?﹄
その言葉に、ギョッとする。ハッキリいって今の俺はかなり見苦
しい。頭にタオル巻いているし、汗で色の変わったTシャツとチノ
パン。
﹃ここで、ガバーと開けられると、困るかな﹄
そう返しておく。
﹃璃青さんはどうして、ここに?休憩?﹄
そして話題を変えることにした。
﹃ううん。実は、キーボくんを追いかけてきて⋮⋮⋮﹄
なぜ!
﹃俺を?どうして﹄
﹃ごめんなさい、そうとは知らず好奇心で付いてきてしまいました
⋮⋮﹄
責めているわけでもないのに。謝られてしまった。
143
﹃別に謝らなくても﹄
﹃ユキくんは、お店のお仕事の他に、そういうお仕事もしていたの
ね。大変そう﹄
真っ直ぐな瞳でコチラを見つめてくる璃青さん。そんな表情でこう
言われるとなんか照れる。
﹃まぁ、流れでね。初めは仕方なくだったけど、今ではそれなりに
楽しんでるよ。ちなみに他にあと一体いるんだけど、そっちは動き
が激しいし、たまに声を出していることがあるんだ。見た目も少し
違うけど、それが簡単に見分ける方法。そして出現率は俺より低め﹄
なんか、余計な事まで書いているような気がする。
﹁はい、アイスティー﹂
紬さんの声がする。
﹁ありがとうございます。⋮⋮⋮あっ、ユキ⋮⋮⋮じゃなくてキー
ボくん、お代わりいる?まだ喉が渇いてるんじゃない?﹂
確かに飲み切ってしまったのでもうアイスコーヒーはない。俺は
ハンドサインでお代わりを請求する事にした。
﹁もしかして、中の人の正体、分かっちゃった?﹂
﹁はい。携帯のメールで教えて頂きました﹂
﹁うふふ。ふたりはもう携帯のアドレスを交換してたのね﹂
紬さんと璃青さんとの楽しそうな会話が聞こえる。スッカリ彼女
もこの商店街に溶け込んでいる様子なのが嬉しかった。
そして二人でいつものランチタイムの時のように会話を楽しむ。
ただしメールを介して表面上は無言で。でもそのコソコソと会話す
るのがまた楽しくいつも以上にその時間が面白く感じた。そんな事
していると小野くんのお迎えが来る。俺は黒猫の仕事をするために
帰る事にした。
144
︻商店街夏祭り企画︼死角だらけのキーボくん︵前書き︶
︻商店街夏祭り企画︼参加の話です。
まずは、花火大会編二話をお送りしたいと思います。
コチラの物語は、たかはし葵さんと一緒に作りました。
﹃Blue Mallowへようこそ∼希望が丘駅前商店街﹄にて
璃青さん視点のエピソードも一緒にお楽しみください。
145
︻商店街夏祭り企画︼死角だらけのキーボくん
この商店街は、四季折々のイベントを楽しみ盛り上がる所がある
が、夏の花火大会と夏祭りは他のイベントとは別格の扱いであるよ
うだ。準備の段階で皆の意気込みの違いを感じた。その二日間は﹃
浴衣の夏﹄というテーマで商店街の住民はみな浴衣でお客さんを出
迎え、浴衣でくる人は割引といったサービスも用意しているらしい。
黒猫も店頭でビールとカクテルの販売を行う。そして俺は澄さんに
作ってもらった浴衣を着用し挑むつもりだ。夕方だけはキーボくん
で、商店街中央広場にて行われるイベントの手伝いをする予定。昼
間にキーボくんで仕事は危険という事で、日中は舞台の上で二号さ
んの着ぐるみだけが浴衣を着て椅子に腰かけイベントを見守り、一
号は夕方に商店街で行われた浴衣美人コンテストの入賞者へ商品の
受け渡しのお手伝いがということになった。商店街だけでなく地域
あげてのお祭りとなり警察の警備の人も必要なくらい集まってくる。
商店街に来ている人の人数も違った。俺は浴衣でキメたキーボくん
を着た状態で、いつも以上に賑わっている商店街を、お祭りのイベ
ント本部となっている篠宮酒店の倉庫から上半身だけ出して観察し
ていた。
﹁スゴイ人ですね∼﹂
そう思わず呟く俺。
﹁まあ、花火見たい奴もワンさとくるから、この日は特別だな∼﹂
燗さんはそう答えてくる。
ここから中央広場の舞台までは数十メートル。初めてキーボくん
を見る人もいるだろうから、﹃よりキーボくんとこの商店街の素晴
らしさを知ってもらうために頑張るぞ﹄と歩き出す。しかし一歩歩
く毎に、だんだん戸惑いを深める。人が多すぎるのだ。なんとか半
分まで来たときに何か足元に絡みついてくる。この感触は子供。良
かったうっかり踏まないで済んだ。
146
﹁キーボくんだ∼﹂
ドン
背後下方からも声が聞こえ、衝撃が軽くおこる。これは抱きつか
れたらしい。
﹁キャー何、コレ、超ウケる∼カワイイー﹂
浴衣のワリにシットリ感ゼロの高校生がコッチに携帯を手に近づい
てくるのが見えた。横からも衝撃。どうやらさっきの高校生が横か
ら抱きついてきたようだ。前には携帯カメラでコチラを撮影してい
るその友達が見えた。
﹁スッゴクカワイイんだけど、コレ∼﹂
次々と衝動が起こり、俺は倒れないように踏ん張るしかに。皆好
き勝手に突進してきているようだ。
﹁何々、こっから外みているの?﹂
キーボくんの正面に立っていた女の子が顔を近づけてくる。
そんな近づくと視界が!! お願いだから目の部分を塞がないで、
外がまったく見えない。周囲に人に囲まれている気配だけがしてま
ったく動けない。動いたら確実に人をなぎ倒す。そういう状況で俺
は立ち尽くすしかなかった。そっと手を引き抜き、ポケットの携帯
中央広場東側でキーボくんの姿でいたら囲まれて
を取り出す。小野くんにメールをだす。
﹃助けて!!!
身動きできない!!﹄
大丈夫ですか?﹂
今黒猫前で仕事しているからすぐ来てもらえると思う。
﹁ーーさん!!
小野くんが俺を呼ぶ声が聞こえる。その声が囲まれ揺さぶられて
いる俺にとってどれほど心強いものに思えたか。明らかに感情のま
ま動いている衝撃とは違うガシッつとした振動が中に伝わる。小野
キーボくん大変な事になっているから!
くんがキーボくんを守るように抱きしめてくれたのだろう。
﹁みなさん少し離れて!
ちょっと道開けて! キーボさん、いいですか移動しますよ﹂
︵ありがとう、小野くん。君は命の恩人だよ︶
147
俺は言葉にならない感謝の気持ちを心の中で呟く。小野くんが誘
導してくれることで移動する事ができるようになった。連れていか
れたのは、黒猫の前だったようだ。俺の姿を見て杜さん澄さん、そ
してお隣の璃青さんと璃青さんのお母さんが目をまるくして俺を見
ている。
大丈夫? スゴい事になってるよ⋮⋮﹂
﹁まあ、一号ちゃん、あられもない恰好になって﹂
﹁ユキくん
﹁旅館に泊まった寝相の悪い奴みたいですユキさん﹂
四人が笑い出す。俺は相当ヒドイことになっていたようで恥ずか
しい。杜さん澄さんや小野くんいいけど、璃青さんやお母さんにど
えらい姿見せたようなのが気にかかる。マスコットが襲われるって、
どんな商店街だ! って思われてないだろうか。
澄さんが近づき、浴衣の着付けを治してくれたから元通りにはな
ったようだ。しかしこの人混みで再びイベント広場を目指すのは怖
い。ジッと根小山ビルヂングの引っ込んだ所から中央広場を伺う。
コンテストも佳境に差し掛かっているそろそろ、終わりそうだ。そ
れまでに行かないといけない。俺は振り返り、小野くんの方を見て
協力を仰ごうとする。
﹁璃青さん、アテンダーお願いできないかかな? キーボくんこの
ままだとまたもみくちゃにされるから﹂
杜さんの声に﹃え?﹄って声を出してしまう。そんな、彼女はお
店もある。申し訳ない。
﹁小野くんさっき、チョッと口調とかキツかったから。そういうに
のは女性が優しく言った方が良いのかなと﹂
﹁すいません。でも、もう好き勝手されていたんで⋮⋮﹂
小野くんが少し表情を暗くして謝る。
﹁謝らないでよ! 小野くんが来てくれて本当助かったから。本当
にありがとう!﹂
俺は小野くんの手をとって改めて感謝の意を伝える。
﹁璃青! 今度はあんたがキーボくんを守る番よ!この商店街で散
148
々皆さんにお世話になってるんだから、今こそ恩を返すチャンスじ
ゃないの!﹂
小野くんが何か言葉を返す前に璃青さんのお母さんがそう力説し
てくる。小野くんから手を放しお母さんの方に向き直る。
どういう論理なのだろう? 同じように呆然とした璃青さんだっ
たが、ニッコリ笑う。
﹁もう、お母さんたら⋮⋮。分かったわ。それじゃ、ユ、キーボく
ん、行きましょう。逆にわたしじゃ心配かもしれないけど⋮⋮⋮﹂
そう言ってキーボくんの手をとってくる。そしてそのまま二人で
歩き出す。
﹁ごめんね∼、キーボくんこれからお仕事なんだー。
そこチョッと通してくれるかな∼?﹂
確かに小野くんよりもソフトに誘導してくれている。俺はそんな
璃青さんにただ大人しく導かれるだけ。
以前二号さんと手を繋いで歩いたけれど、その時にはなかった照
れ臭さを覚える。なんか俺は保護された迷子の子供みたいだ。
無事舞台まで到着し、無邪気なマスコットを演じるのを、璃青さ
。逆に今顔が見えて
んが残って見守っているのが見えた。目があったら、璃青さんが小
さく手をふってくる。なんかスゴく照れ臭い
なくて良かったと思った。プレゼンターという仕事を終えた、二人
でまた手を繋いで帰る。正体バレないように一旦小道から裏通りに
回りと、遠回りのルートを二人で手を繋いだまま黙って歩く。チラ
。俺の視線を感じたのか、
リと璃青さんを見ると、何故かニコニコと楽しそうだ。浴衣という
のもあるのか、いつもより大人に見える
コチラを見つめ返す。そしてフワリと優しい笑みを浮かべてくる。
、どうかした?もしかして具合悪い?﹂
その表情の美しさにドキリとして足を止めてしまう。
﹁キーボくん
璃青さんは動きを止めた俺を不思議そうに見つめ顔を近づけてく
る。
﹁璃青さんが、あまりにも綺麗だったので﹂
149
ポロリと思ったままの言葉を言って後悔する。璃青さんも呆気に
とられている。
ップ
どうしようかと考えていると、璃青さんが吹き出し笑い始める。
﹁その顔でキザな台詞って!!⋮⋮⋮くっ、ダメだごめん、腹筋壊
れる⋮⋮⋮っ!あはははははっ﹂
笑いだしたら止まらなかったのか繋いでいた手を放し、お腹抱え
て笑い続ける。キザに聞こえる言葉を言ってしまった事と、それを
間抜け顔のキーボくんで放ってしまったという事、二重の意味で恥
ずかしくなり、頭抱えたくなる。そんな泣くほど笑わなくても⋮⋮。
﹁ありがとう、キーボくん。涙が出るほど嬉しいよ!﹂
そう言ってナデナデされるのもどうなんだろうと思う。キーボく
ん着てなくても、彼女にとっては弟みたいな扱いなのだろう。俺は
キーボくんの中で溜め息をつく。
根小山ビルヂング裏口に無事到着して、俺はペコリと璃青さんや
お母さんにお辞儀して、杜さんには着替えてくる旨をジェスチャー
で伝え部屋に戻る事にした。
キーボくんを脱いでベランダに吊るし、風呂場に行き、汗だくに
なった衣類を脱ぎ捨てシャワーを浴びる。汗を流しコロン着けて浴
衣に着替える。サッパリしたのと、和装になったことで少し気分が
切り替わる。俺はもう一度深呼吸してから下に戻る事にした。
150
︻商店街夏祭り企画︼死角だらけのキーボくん︵後書き︶
次話は一時間後の10日23時に公開させていただきます。
151
︻商店街夏祭り企画︼花火と浴衣、そして金魚︵前書き︶
︻商店街夏祭り企画︼参加の話です。
まずは、花火大会編後編です!
たかはし葵さんとの楽しい共同作業の産物です!
152
︻商店街夏祭り企画︼花火と浴衣、そして金魚
下に降りると、Blue Mallowの出店はもう終了してい
て、杜さん、澄さん、小野くんに加え、なぜか璃青さんのお母さん
が黒猫の出店で仕事をしていた。四人でというか、澄さんとお母さ
ん二人は楽しそうに売り子をしていて、それを杜さんはニコニコと
見守り、小野くんは女性の会話に入れないのだろう少し引いて、仕
事に専念している。
﹁どうも、お母さんまでお手伝いしてくださり申し訳ありません﹂
そう璃青さんのお母さんに挨拶するとお母さんはコロコロと笑い
出す。
﹁あら、やだ、可愛い子にお母さんなんて呼ばれると照れちゃうわ
∼!﹂
ちょっと馴れ馴れしいかったかも、と反省する。澤山さんと呼ぶ
べきだったのだろうか? と今になって思う。そうなると璃青さん
と区別つかないから悩ましい。
﹁璃青さんは? どちらに?﹂
なんかお母さん、少しお酒を飲まれたのだろうか? ものすごく
元気というかテンションが高く、笑顔が弾けている。
﹁娘は、今閉店処理しているんですよ﹂
なるほどと、頷く。
﹁まあ、花火始まってしまったら商店街には人減るので、俺達も閉
店だ。澤山さん、ウチのベランダから花火が結構見えるんですよ。
良かったらご一緒にみませんか﹂
﹁まあ、素敵。いいんですか? 何だか図々しくありません?﹂
杜さんは、お母さんに話しかけている。今日一日隣でお仕事して
スッカリ仲良くなったようだ。
そうしていると璃青さんが戻ってくる。
153
﹁璃青さん、皆でウチの庭で花火見ようという話になっているんだ。
璃青さ⋮⋮﹂
﹁そう言えば璃青さんはここの花火大会は初めてだよな。だったら
是非河川敷で、近くで見るのをお薦めするよ!
ユキくん案内してあげたら?﹂
杜さんが珍しく俺の言葉を遮るようにそんな事言ってくる。
結構根小山ビルヂングから見ても充分綺麗なのだが、そう言われ
てしまうと、続けられなくなる。
﹁でしたら澤山のお母さんも一緒に行かれますか?﹂
そう聞いてみると、お母さんはブルブルと頭を横にふる。
﹁この歳になると人混みが辛いのよね。二人で行ってらっしゃい﹂
ここには小野くんもいるのになぜ、二人限定なのだろうか? 小
野くんを見ると目が合う。
﹁お、俺は友人と約束あるので﹂
そうなのかと頷き、璃青さんを見る。彼女も約束がある可能性も
ある。するとお母さんと視線を合わせ、他人には分からない母子の
無言の会話をしていた。
﹁璃青さん、約束があるのでしたら、きにせずそちらを優先してく
ださい﹂
そう言うと、璃青さんは慌てたように顔を横にふる。
﹁ううん。約束なんてないよ。ただユキくんに無理に付き合っても
らうみたいで悪いかな、って﹂
﹁そんな事ないですよ。このあと商店街ブラブラするか、部屋でノ
、フフと笑う。
ンビリ花火見るかという感じで、これと言った予定ないですので﹂
そう返すと
﹁だったら、ご一緒してもいい?﹂
俺は笑みを返して頷く。
﹁澤山さん、璃青さんは俺が責任っもってエスコートしますので﹂
お母さんは俺の言葉にニコニコと笑う。
﹁この子、昔からちょっと抜けてる所があるのよねぇ。でも、ユキ
154
くんみたいにしっかりした男性と一緒なら安心ね。お任せしちゃっ
て申し訳ないけど、よろしくね!﹂
何をもって俺がシッカリしているとしたのか謎だが、お母さんに
そう任されてしまった。
二人は浴衣姿で河原ませの道を歩く。少しずつ辺り暗くなってい
くのに、人は増えていく。俺や璃青さんに他の人の身体あ容赦なく
ぶつかってくる。ウッカリするとはぐれそうだ。俺は手を伸ばし璃
青さんの手を握る。さっきとは逆に、今度は俺が璃青さんをエスコ
ートする。会場が近づくにつれ人も増え、璃青さんの手が離れない
ようにと、握る力が強くなる。直に感じる肌の暖かさと軟らかさが
心地良い。
﹁この辺りって、こうなっていたのね! 引っ越してきてからずっ
と駅周辺だけで過ごしていたから、実は河川敷に来るのも今日が初
めてなのよ♪﹂
風に髪を靡かせながら璃青さんが呟く。
﹁ここ、結構良いところなんだよ。時間によって全然違う味わい見
せるし。朝は特にオススメかな? 走ってて気持ち良い﹂
璃青さんはヘエと相槌を打つ。
﹁そうなんだ。ユキくんはよく来るの? ここ﹂
威勢のよい声で客を呼んでいる屋台が並ぶ前を二人で歩く
﹁ランニングコースですからね﹂
﹁えぇっ﹂
璃青さんは目を丸くしてコチラをみてくる。そんなに俺がランニ
ングするのって意外なのだろうか?
﹁ユキくん、身体鍛えてるんだぁ⋮⋮﹂
﹁⋮⋮鍛えているわけではないけど、少しは体力つけねいと思って。
キーボくんをちゃんとする為にも﹂
何故かキーボくんの名前を出したら納得してくれる。確かに俺は
軟弱に見える体系と顔なのでスポーツとほど遠い印象があるので仕
155
方がないのかもしれない。
﹁キーボくんの為かぁ。エライエライ﹂
璃青さんの言葉になんかガックリする。
﹁⋮⋮ところで、お腹空いてませんか? 何か食べます?﹂
先ほどから興味ありげに屋台を見ていた璃青さんは、途端に目を
輝かせ頷く。そして小走りでたこ焼きの屋台へと走り並び、コチラ
を見てニッコリ笑う。
﹁なんかね、大タコいいなぁ、って。ここ、美味しそうよね。ここ
でもいいかな?﹂
ただボーと屋台を見ていた俺とは異なり、璃青さんはちゃんとチ
ェックしていたようだ。確かにそこの屋台は他の所よりも並んでい
る人が多い。
並んでやっと入手できたたこ焼きは確かに中がアツアツトロトロ
で美味しかった。また二人でつつきながら楽しく食べた時間が楽し
かったのもあるのかもれない。そのまま花火までの時間を、面白そ
うなものを次々楽しむ。屋台といったらテキ屋な感じの人がやって
いるイメージが強かったが、シェフ帽子かぶって串ステーキを売っ
ている人、簡易カフェスタンドがあったり、ケバブやタコライスと
いう感じでのを外国人が売っていたりと、かなり変わってきている
ようだ。
﹁最近の屋台って、見たことないのとか面白いものがいっぱいある
のね﹂
璃青さんはそう言いながら、雪花氷という台湾風かき氷を口に入
れて幸せそうに笑う。そして視線を金魚釣りの屋台に視線を向ける。
﹁そういえば、わたし、子供の時から金魚釣りさせてもらえなかっ
たのよね。釣るのが下手だったのもあるんだけど、親にその後のお
世話大変でしょって言われちゃって﹂
俺の家は、こういう所すら連れていってもらえなかった。
﹁ウチは、危ないからって行かせてももらえなかった。そして杜さ
んに初めて連れていってもらった時は嬉しかったな﹂
156
フフフと璃青さんが笑う。
﹁子供時代のユキくんって、きっともっと可愛かったんだろうな⋮
⋮⋮﹂
カワイイ⋮⋮。俺をずっと悩ましてきた言葉。小学校まではよく
女の子と間違われていた。
﹁璃青さん、金魚すくいしてみませんか?﹂
話をそらすために、金魚の屋台へ誘う。
﹁あっ﹂
俺が二匹目の金魚を洗面器に入れたときに、璃青さんのホイが破
れてしまう。一匹も取れずに穴の開いたホイを恨めし気に見つめる。
そんな璃青さんに気を取られていたために、自分の手元に視線を戻
すと俺のホイも破れていた。二匹の金魚の入ったビニールを下げて
歩いていると、璃青さんはまだ凹んでいるようだ。そして今度はヨ
ーヨー釣りの屋台に視線をやり、俺をみてニヤリと笑う。その目は
やる気に満ちている、意外と開けず嫌いなようだ。今回はうまく濡
らさずに水ヨーヨーを釣ることができだようで、璃青さんの顔がパ
ァと明るくなる。そして見事ゲットしたヨーヨーをもってコチラを
いて嬉しそうに笑った。
流石に来るのが遅かった事もあり桟敷席の後ろから立ったままで
の花火鑑賞となる。そして最初の花火があがった瞬間に自分の中の
何かも弾けた気がした。
杜さんのいうように近いだけに、花火の音も直に胸に振動として
伝わってくる感じでドキドキする。最初の打ち上げが終わった後二
人で顔を見合わせて笑う。璃青さんの上気し少し頬を赤らめた顔、
キラキラした瞳が俺と同じように興奮しているのが分かった。
﹃わぁ﹄、とか、﹃ほぉ﹄とかいう言葉しかなく、二人で夢中で
花火を見つめる。迫力ある音に少しビビったように璃青さんが腕に
157
ギュッとしがみつき、音がする度にビクリと震える。しかし表情を
見ると、楽しんでいるようでその瞳はまっすぐ空を見上げていて、
その目の中でも花火が弾けている。俺の視線に気が付いたのか、コ
チラに視線を動かす。そして微笑む。
﹁すごい綺麗!まるで花火が降ってくるみたい。わたし、こんな近
くで花火を見るの、初めてなの﹂
その通りだったので、俺も頷き二人で再び艶やかな空を見上げる。
興奮も冷める間もなく、花火は打ち上がり続け、二時間もあっとい
う間だった。最後の花火が終わったのを見終わって二人で﹃はぁ﹄
と同時にため息をつく。そして顔を見合せると、璃青さんは何故か
ギョッとしたような顔をして抱きついていた手を離し距離をとる。
そのあと、何故か不自然な感じで黙ったまま帰路につくことにな
る。行きとは違い、全員が駅方面に移動する為に若干混乱している。
璃青さんは人に押され辛そうにしている。俺はその細い肩に手を回
し守る為に抱き寄せた。璃青さんはビクリと身体を震わせたけど、
人込みで他の人にぶつかっれまくりどうしようもなくなっていた事
で、俺にしがみつき耐える。
人込みを避けるために、裏道へと逃げ二人でホッとする。スペー
スが出来た事で二十センチくらいの距離をとり家に向かう事にする
が、璃青さんが少し足を引きずっているのに気が付いた。
﹁どうしたの? もしかして足痛めました﹂
俺の言葉に、璃青さんは困ったように笑う。
﹁ううん。足は大丈夫なんだけど、どうやら草履の鼻緒がとれかか
っているみたいなの﹂
怪我をした訳ではない事にホッとする。
﹁大丈夫?﹂
璃青さんはこっちに気を使うように笑い頷く。
﹁ん、多分大丈夫。家まではなんとかもつと思う﹂
俺は手を璃青さんに差し伸べる。
﹁じゃあ無理せずゆっくり歩きますか﹂
158
璃青さんは少し戸惑う仕儀を見せるけれどその手をとりそのまま
二人で手を繋いで帰った。
﹁この花火大会、こんなに人がいるなんてビックリした! 結構人
気のある花火大会だったのね﹂
璃青さんは根小山ビルヂングの下についたとき、そう言いながら、
手をすっと恥ずかしそうにひっこめる。
﹁俺も驚きました﹂
若干距離をとった璃青さんのこと気になったけど、あえて普通に
言葉を返した。
何故だろうか? 璃青さんの顔が悲しげに見える。
﹁迷惑かけてごめんなさい。今日はエスコート、どうもありがとう﹂
﹁迷惑だなんて。俺は楽しかったですよ、璃青さんと花火見れて。
⋮⋮そうだ、良かったらこの金魚、貰ってくれませんか?﹂
ふと手で下げていた金魚を思いだしそういってみる。
﹁ユキくんがせっかく取ったのに。貰っちゃっていいの?﹂
﹁俺の?というか二人で一緒にとった金魚ですよね。それに璃青さ
んすごく必死になって金魚狙っていたから。欲しかったんですよね
?﹂
金魚の群を真剣な表情で見つね狙っていた姿を思い出す。
﹁うん、そうね。欲しかった、かな。嬉しいよ。ありがとう、大事
に飼うね。明日、早速水槽とこの子たちのご飯を買いに行ってくる﹂
その言葉に、金魚飼うのには、色々用意すものがある事に今更だ
が気が付く。
﹁そういえばそういったモノも必要でしたね!だったら明日買いに
行きましょうか﹂
すると、璃青さんは慌てる。
﹁えっ?ど、どうかな。そんなに大きい水槽でなければ。だって二
匹だし⋮⋮⋮﹂
もしかして俺、煙たがれている?
﹁いや、水槽とかそういったのって軽くないですよ!そもそも荷物
159
持ちとか、俺を色々頼ってくれっていいましたよね?﹂
俺でも荷物持ちにはなれる
﹁や、いいよいいよ、さすがに悪いよ!これは飼い主になったわた
しの責任でもあるんだから。気にしないで?﹂
そう言われると若干、意地になっている自分を感じる。
﹁釣ったのは俺だから、俺にも義務があります!﹂
役立たずと思われるのも悲しい。そこで無駄な押し問答になる。
﹁ダメだよそんなの。わたしも行くよ﹂
なんか必死なった自分と、一生懸命な自分がオカシクなる。
﹁璃青さん、意外と頑固ですね﹂
﹁そ、そっちこそ﹂
二人で笑ってしまうと、空気がんとも穏やかになる。
﹁⋮⋮⋮⋮俺って、璃青さんからみて、そんなに頼りないですか?﹂
ついでだから、気になる事を聞いてみる。
﹁え?﹂
キョトンとして、すぐに璃青さんは首を横に振る。﹃そんな事全
くないよ∼むしろ逆で⋮⋮﹄モゴモゴと恥ずかしそうそう言いコチ
ラを見上げてくる。その言い方から遠慮していうだけなのが分かっ
た。
﹁明日、朝から商店街の皆で片付けがあるから、それが終わったら
一緒に行きましょう﹂
また、一人で無理しないように、そう言い切る事にした。
﹁⋮⋮わかったわ。じゃあ、よろしくお願いします﹂
ヤレヤレという感じましそう言って瑠璃青さんは溜め息をつく。
少し呆れられたよいだけど、金魚を渡してしまっただけに、それが
璃青さんの負担にならないようにしたかった。
﹁お休みなさい。今日は一日お疲れ様でした、ゆっくり休んでくだ
さいね﹂
そう挨拶すると、何故か璃青さんは面白そうに笑う。
﹁ユキくんもお疲れ様でした。⋮⋮お休みなさい﹂
160
俺は璃青さんがお店に入る気配をかんじながらビルの階段登る。
手元から今まで持っていた金魚がいなくなったのと、一人になった
のとで少し寂しく感じた。
翌日、中央広場の舞台の撤去と花火大会客が置いていった大量の
ゴミの掃除のため商店街皆で協力して作業のお片付けをする。時た
ま、違う作業をしている璃青さんに目があってしまう。するとニッ
コリ笑ってコチラに手を振ってくれるのを見て、昨日強引過ぎて気
を悪くされた感じはない事にホッとして俺も手を振り返す。
そして作業が終わり、二人で一旦家に戻り着替えてから、駅前デパ
ートにあるペットショップを訪れた。
たかだか金魚二匹とはいえ、水槽と、中に敷く砂利、ブクブクし
ながら酸素を送るエアレーション、汚れたお水をろ過する循環ポン
プ、水道水のカルキ抜き、バクテリア、水質安定剤、水槽内の苔の
お掃除をしてくれるヤマトヌマエビ、そして餌と水草と、結構用意
すべきものが多いのに呆然とする。
店員さんと楽し気に話をしていた璃青さんがお金を普通に払おう
とするのを見て俺は慌てる
﹁釣ったのは俺ですよ﹂
﹁飼い主はわたしよ?﹂
﹁だからって、こんなに沢山買って頂くわけにはいきませんよ﹂
そんな言いあいになってしまい、レジの人も困っているが、ここ
は譲れない。しかし、璃青さんは一歩も引かない。
﹁⋮⋮じゃあね、エビさんと餌と水草だけお願いしてもいい?﹂
なんか妥協で一部だけを俺に渡して、さっさとカードで支払をお
願いしてしまった。
﹁わかりました、今日のところは妥協します。その代わり、養育費
として餌は俺がずっと買ってもいいですよね。あと、要るものがま
た出てきたら、その都度買いに来ますから﹂
このままだと、俺は勝手に金魚押し付けた、無責任の人になって
161
しまう。
﹁⋮⋮わかったわ﹂
帰りはせめてと水槽や、エアレーション、汚れたお水をろ過する
循環ポンプ、砂利といった重い荷物を俺が持って帰る。Blue Mallowに戻り、二人で準備することにする。
﹁水槽はお店に置こうと思うの。インテリアにもなるし、ユキくん
も、いつでもこの子たちに会いに来れるでしょう?﹂
お店の中の棚に、瑠璃さんの指示し場所に水槽を置く。その様子
を満足そうに見守り、瑠璃さんは俺にニッコリと笑う。なんかその
言葉が無性に嬉しかった。
﹁そうですね。きっと見に来ますよ。餌のこともありますし。では
早速水槽をセットして、金魚を移してあげましょう﹂
二人でセットした水槽に、二匹の金魚が元気に泳ぎだしたのを見
てホッとして二人で顔を見合わせて笑う。動物って実は、まったく
飼った事なかったけど、この金魚の面倒を見ているうちに凄く可愛
く思えてきた。水槽の中を気ままに泳ぐ金魚の姿を飽きることもな
く見つめ続けてしまい、瑠璃さんに呆れられた。
162
︻商店街夏祭り企画︼花火と浴衣、そして金魚︵後書き︶
﹃Blue Mallowへようこそ∼希望が丘駅前商店街﹄にて
璃青さん視点だとエピソードがかなり違った雰囲気になっているの
で、一緒に読まれるとさらに楽しいと思います。
コチラの物語は、たかはし葵さんと一緒に作り楽しかったです!
葵さん、色々ご相談に乗っていただきありがとうございました。
163
︻商店街夏祭り企画︼夏祭り前に⋮⋮︵前書き︶
︻商店街夏祭り企画︼参加作品です。
商店街の花火大会と夏祭り、その時の東明透くんの様子を描いてい
ます。
164
︻商店街夏祭り企画︼夏祭り前に⋮⋮
花火大会を終えたものの。まだ商店街は夏祭りというイベントを
控えている。そのために月読神社の提灯が飾られなんとも目出度い
雰囲気になっていて、良い意味で熱い空気が漂っている。俺は根小
山ビルヂングでのお仕事を終えて、黒猫の食材の買い出しに行く前
にお隣のBlue Mallowへと立ち寄る。
カラン
音に反応した璃青さんとお母さんがニッコリ俺を見て笑いかけて
くる。心地よいクーラーの風が俺を包む。
﹁こんにちは! 澤山さん﹂
﹁ユキくん、こ⋮⋮﹂﹁あら、ユキくん♪ こんにちは∼﹂
璃青さんの言葉を遮るようにお母さんが挨拶してくる。そんな母
親を軽く睨み、睨まれたお母さんは肩を竦める。
﹁今日も暑いですね﹂
二人の間に流れるなんか不思議な空気を気付かない振りをして、
俺は当たり障りのない話題をする。
﹁だね∼どうしたの?﹂
璃青さんは首を傾げるように俺を見上げる。
﹁いえ、金魚の様子が気になりまして。元気かな? ご飯ちゃんと
食べられているかなと⋮⋮﹂
視線を水槽の方に向けると、二匹の金魚が優雅で堂々とした様子
で泳いでいてホッとする。やはり丸くてフワフワと泳ぐその姿は可
愛くて癒される。そしてついその様子に見入ってしまう。
﹁この通り元気よ! ご飯上げるときなんてもう元気すぎるくらい
!﹂
同じように隣に来て水槽を除く璃青さんがそういってフフフと笑
う。ご飯を食べている、コイツらもカワイイんだろうな∼と思うと、
璃青さんが少し羨ましくなる。
165
﹁暑かったでしょ、どうぞ!﹂
お母さんが冷えた麦茶の入ったコップを差し出してくる。少しだ
け立ち寄るだけのつもりだったのに、気を使わさせてしまったよう
だ。
﹁申し訳ありません。頂きます﹂
お礼を言いそのコップを受けとる。
﹁では、ごゆっくり∼﹂
そう言ってお母さんはお店の奥へとお盆もって見えなくなる。ご
ゆっくりって、そんな長居したら邪魔なだけでは?
﹁今日は、金魚見に?﹂
俺は、その言葉に頷いてから、ハッともう一つ大事な用事がある
のを思い出した。
﹁いえ、それだけではなくて、商店街の夏祭りの日の事で来たんで
すよ﹂
そして商店街から俺と璃青さんに依頼された重要な仕事がある事
を説明する事にした。
夏祭りには、月の透かしの入った和紙に願い事を書いて、それを
月の形に折り月読神社に奉納するという風習がある。しかし商店街
の人は忙しくて当日神社に行く暇がない。そこで代表者がその紙を
集め奉納する事になっているらしい。その今年の代表者に俺と璃青
さんが選ばれたのである。
﹁え、そんなこの商店街に来たばかりの私にそんな大役を?﹂
驚く璃青さんに俺は静かに頷く。そしてニッコリと笑う。
﹁逆にだからなんですよ。俺と璃青さんはこの商店街に来たばかり。
だからこそ商店街の皆とこれを機会に交流を深めて貰おうという皆
さんの心遣いのようなんですよ﹂
璃青さんも﹃あぁ∼﹄と納得したように頷く。
﹁もちろん、その間のお店の方がウチでもフォローします﹂
﹁でも、私なんかで大丈夫かしら?﹂
不安げにそういう瑠璃さんに、俺は頷き安心させるように笑う。
166
﹁俺の方が少し早めに商店街に来ていますし、町内会での仕事もし
ているので、璃青さんに当日皆さんを紹介できると思うのでそんな
不安になる事はないですから﹂
それでも戸惑っている璃青さん。
﹁お店の方なら、私が見ているわよ! それにこういう機会は大事
にするべきでしょ! 商店街あってのこのお店でもあるのだから﹂
璃青さんのお母さんが突然奥から出てきてそんな事を言ってくる。
こないだも似た事いっていたように、この方なりに娘がこの商店街
で立派にやっていけるように心配しているんだろう。
﹁璃青さんはもう、すっかりこの商店街の一員といて皆に愛されて
いるから、楽しく挨拶するだけで終わりそうですけどね。
瑠璃さんの事皆いつも俺と話すときに誉めてくるんですよ。﹃あ
んな素敵なお嬢さんはなかなかいない﹄とか﹃お嫁さんお勧めだよ
ね﹄とか。皆璃青さんの事大好きなんですね﹂
お母さんを安心させる為に本当の事言ったのだが、お母さんは何
故かフフフと苦笑して、璃青さんはアワワとしてブルブルと顔を横
にふる。
﹁そんな風に商店街の人から愛されている璃青さんの事俺も好きで
す﹂
俺の想いが通じたのか、お母さんは嬉しそうにニカ∼と笑い、璃
青さんは何故か視線をあちらこちらに動かし不思議な動きをする。
﹁家の叔父と叔母も当日コチラのお店の事もフォローします。瑠璃
さんも俺がしっかりエスコートしますから安心してくださいね﹂
お母さんは俺の手を両手で熱く握ってくる。
﹁ユキくんがいれば、安心よ! 娘を任せたわよ!﹂
そのようにお母さんに言ってもらえたのが嬉しくて俺はニッコリ
と笑い頷く。﹁任せてください!﹂ 俺はそうハッキリと答えると、
お母さんは安心したのか、ウンウンと頷きお母さんと二人でしばら
く真面目な顔で見つめあってしまう。そんな俺たちを見て璃青さん
は﹃はぁ﹄とため息をつく。
167
﹁一緒に商店街を回るだけなので、璃青さんそんな心配するような
事ありませんから。そんな顔しないでください。何かあっても俺が
助けますので﹂
璃青さんに少しでも安心してもらえるようにそう告げる。璃青さ
んは、まだまだここに来たばかりで不安な事も多いのだろう。俺が
守って助けてあげないと! 戸惑っているような璃青さんを見てそ
ういう気持ちが沸き起こる。ようやいつもの笑みを取り戻した璃青
さんに俺も少しホッとしてBlue Mallowを後にした。
168
︻商店街夏祭り企画︼夏祭り前に⋮⋮︵後書き︶
コチラの作品 たかはし葵さまと二人で話し合いながら作った物語
です。﹃Blue Mallowへようこそ∼希望が丘駅前商店街﹄
にて同時に同じエピソードを描いていますので、そちらで璃青さん
視点でもお楽しみになることができます!
そしたらも合わせてお楽しみ下さい。
169
︻商店街夏祭り企画︼浴衣美人
夏祭りの日、黒猫で早めに来てくれた小野くんと、出店用の準備
をしたり、キーボくんの恰好で小野くんに付き合ってもらいビラを
配ったりという事をしていた。そして一旦二人で俺の部屋でシャワ
ーを浴びて汗流して浴衣に着替えようかとしていたら、先に浴衣に
着替えていた杜さんがやってきた。
﹁やあ、二人とも今日だけどさ、折角だから祭りらしく華やかな恰
好にしてみないか?﹂
杜さんの言葉に二人で首を傾げる。そして四階に連れていかれる
と、リビングのテーブルに畳まれた男ものの浴衣が並んでいた。
﹁前は花火大会だから花火が主人公だったが、祭りは人間が主役だ
! だったら男ももっと派手な浴衣きてもいいと思わないか?﹂
杜さんはそう言って、並んだ浴衣に視線を向ける。そこには、確
かに大胆な柄の浴衣が並んでいる。
﹁これは俺の浴衣なんだが、二人もこういう感じのも着てみたいと
思わないか? 今年二人に用意した浴衣は、最初ということもあっ
て無難なモノだったから。でも若いんだから、こういう感じのも着
せてみたいなと思ってな。来年の二人の浴衣の参考もあるしな﹂
小野くんは楽し気に浴衣を見つめていた顔を﹃えっ﹄と顔で杜さ
んを見つめる。
﹁俺、一着いただいたからそれで十分ですよ!﹂
そう言う小野くんに、杜さんはニコニコと﹃そこは気にすること
ないよ、ここの商店街の伝統だから﹄と流してしまった。
﹁小野くんは、こんなやつ似合うと思うぞ! 背面に大胆に鯉の図
案を中心に足元、胸のところにも鯉の図案が散っていてそれがまた
いい感じなんだ﹂
そう言って紫黒に豪快に鯉があしらわれた浴衣を勧める。確かに
切れ長の瞳の小野くんだったらそういう浴衣も似合いそうだ。そし
170
えびいろ
て杜さんはそれに葡萄色の帯を合わせて小野君に﹃どうだ?﹄と聞
いている。小野くんもその粋な浴衣のセットに魅かれているようで、
いつになくワクワクした顔をしている。
とりのこいろ
﹁ユキくんは、そうだな、コレなんてどうだ﹂
俺に勧めてきたのは鳥の子色の地に、水墨画っぽい竹の絵が描か
れた浴衣。
﹁コレだったら、ユキくんの持っている銀の帯との相性もいいし﹂
女性でなくても、こういうお洒落ってテンションが上がるものだ。
俺と小野くんは借りた浴衣を着て悦に入り、互いを誉めあい照れあ
い、先に出店で仕事をしていた杜さんと澄さんの所へと向かった。
花火大会の時同様、澄さんは隣の璃青さんと璃青さんのお母さん
らと話しながら楽しそうに仕事をしているようだ。お隣さんの姿は
見えないけれど声からそう判断できた。俺は先にコチラに気が付い
た杜さんに頭を下げ、それに気が付いた澄さんが振り向き顔を輝か
せた。
﹁キャー二人ともカッコいいわ! 杜さんとはまた違った恰好よさ
になって素敵よ∼﹂
そういって近づき、俺たちをベタ誉めする。そういう澄さんも花
火大会と異なる薔薇柄の浴衣でより華やかさを増している。帯の色
も変え髪も少し洋風なアップスタイルに変えている。さすがオシャ
レな澄さんである。いつも以上に華やいで見える。
﹁澄ママも、今日の姿も素敵です﹂
小野くんも同じように思ったのだろう。そういう小野くんの言葉
に澄さんはコロコロと笑う。杜さんは当然という感じで笑い澄さん
の肩に手をあり抱き寄せる。
ふと視線を感じ、その方向をみると璃青さんが目を丸くして見つ
めてきていた。俺はその表情よりも璃青さんの姿に目を奪われる。
171
おみなえし
うすこうばい
花火大会の時とは違っていて、女郎花色の地に、涼やかな竹の絵の
描かれた浴衣を身に着けていた。若緑の帯に薄紅梅の帯飾りとの組
み合わせがまた絶妙で清楚な美しさを醸し出していた。そして今日
は髪の毛を結い上げている事もあり、いつも以上に大人の女性の魅
力を増していた。それでいて目を丸くしてコチラを見上げてくる子
供っぽいあどけない表情が璃青さんらしく可愛らしい。
﹁ユ、ユキくん⋮その浴衣⋮﹂
﹁素敵です! 璃青さん。その浴衣、とても似合っています﹂
思わず出てしまった言葉に、璃青さんなますます目を丸くした。
そこまで変な事言ったつもりはないのだが、璃青さんは微妙な顔を
したまま目を逸らした。周りの皆も何故か苦笑している。俺は首を
傾げつつも仕事を始めることにした。
172
︻商店街夏祭り企画︼何かが生まれる音︵前書き︶
︻商店街夏祭り企画︼参加作品です。
商店街の花火大会と夏祭り、その時の東明透くんたちはどうすごし
たのか? それを楽しんでいただけたら嬉しいです。
173
︻商店街夏祭り企画︼何かが生まれる音
夕方になり、俺は予め町内会から渡されていた手提げ式の願い箱
を持って璃青さんと町内会の各店舗を回る事にした。先ずは神神飯
店方面と北へ進み南下して中央広場から左右と裏通りの店舗を回り、
残りの南のメインストリートという順番で回る事にする。コチラの
風習は、願いを書いてその紙を折るために、七夕とは異なり心に秘
めた願い事をする事と、月読神社にキチンと奉納するという事で、
商店街の人にとっては意味も大きい神聖なイベントのようである。
だからこそ、こういう檜で作られた小さいポストのような箱をもっ
て各店舗を周り、皆それに恭しく月の形に折った願い紙を入れて手
を合わせる。俺と璃青さんもそれに合わせてお辞儀するという感じ
でそれを受ける事になる。
とはいえ儀式さえ終わると皆いつものご近所さんに戻り世間話と
なる。
桜木茶舗のご隠居夫婦は儀式が終わるといつものニコニコとした
笑みを俺たちに向けた。
。
重いのに﹂
﹁神社といえば、昔縁日に言った時に桜子さん、鼻緒を切ってしま
った事覚えているかい?﹂
重治さんは穏やかな眼差しで妻へと移す
﹁重治さんが私の事を自宅まで運んでくれたのね?
見つめあう二人には、俺達の存在とかももう見えてないようだ。
﹁桜子さんは羽のように軽かったよ﹂
﹁まあイヤだ、そんなこと﹂
二人にとってそういった事すべては思い出なんて過去の事ではな
く今なおも二人の中でキラキラ輝いている宝物なのだろう。仲の良
い二人の会話は見ていて心温まるものがあった。
そのまま︻櫻花庵︼を周り中央広場周辺のお店を回る。
174
︻篠宮酒店︼に行ったら、燗さんが何故か俺たちの姿を見てニヤ
ニヤしだす。
﹁なんでぇ。おめえらもやるなぁ、ペアルックなんてよ∼!﹂
そう指摘されて、俺は初めて二人で同じ竹の絵柄で似たような色
の地の浴衣を着ていた事に気が付く。
﹁いえいえ。コレはあくまでも偶然で!﹂
真っ赤になってしまった璃青さんの横で俺は、そう説明をするが
燗さんは尚もニヤニヤしていて信用してくれていないようである。
﹁でも、いいわね、ペアの浴衣を楽しむって﹂
雪さんまでがそう言ってニコニコ笑いかけてくる。
﹁俺らも来年やってみるか! 絵柄は何が良いかな? 雪お前だっ
たらどんな柄の浴衣着ても綺麗なんだが、俺にも似合うとなると難
しいな﹂
﹁あら、あなただって、どんな浴衣も恰好よく着こなせるわ﹂
この年齢で、ペアルックを着ようなんて、本当にここの夫婦も仲
が良い。今尚も熱い二人の愛の風景を璃青さんもニコニコと楽しそ
うに眺めていた。
篠宮酒店を離れても璃青さんは余程楽しかったのかフフと笑う。
﹁この商店街って本当に素敵なご夫婦多いわね﹂
璃青さんの言葉に、俺もずっとそう思っていたので頷く。
﹁ですよね。俺もいずれは結婚して、商店街の皆さんのような素敵
な家族を作れたら幸せだなと思います﹂
璃青さんはこちらを静かな瞳で見上げそしてフッと笑う。
﹁うん、なれるよ。ユキくんなら絶対優しくて素敵な旦那様になる
と思う﹂
俺はそう言われ、擽ったい気持ちになる。
﹁そうですか? その為にも精進して男を磨かないといけませんね﹂
そういうと、璃青さんは何故かだまったままコチラをジッと見上
げてくる。そしてプッと笑い出す。
﹁本当にユキくんって真面目よね。そこがいいところなんだけど。
175
なんといっても紳士だし、素敵な旦那様になる事はわたしが保障す
るから、大丈夫!﹂
笑いながら言われても、説得力がない。俺は曖昧な笑みだけを返
しておいた。視線を外し次のお店へと二人で向かうことにした。
願い紙を集め終わり、二人で月読神社を訪れると、何故か本殿に
通された。璃青さんと俺はそこで二人きりにされ顔を見合わせる。
外ではお祭りの最中で賑やかなはずなのに、本殿の中はどこか神秘
的で不思議な静寂感に包まれている。空気も違っていて、森林の中
にいるような清涼感のある空気が漂っている。そこで和装で姿璃青
さんと一緒にいると、なんとも不思議な気分になる。
二人で並んで室内に施された装飾をだた静かに眺めていても、不
思議と気まずさはなく二人きりというこの空間がてとも心地よいも
のに感じた。
後ろの戸が開く音がして、振り返るとそこに宮司の月ヶ瀬さんが
立っていた。俺と璃青さんがお辞儀すると、神職服の月ヶ瀬さんは
厳かに頭を下げる。こんなに堂々とした感じで頭を下げられる人っ
てあまりいないのかもしれない。
月ヶ瀬さんは俺達二人に改めて視線を戻し、﹃ほう、面白い﹄と
言って目を細める。
﹁あの、願い紙の奉納に参りました﹂
俺がそう告げると、月ヶ瀬さんは顔を少しやわらげ祭壇の前へと
俺たちを促す。奉納って箱を渡して終わりだと思っていたら違った
ようで、俺の手から箱を受け取り、それを祭壇の前にある台に恭し
く置く。
ごへい
﹁奉納の儀を執り行わせていただきます﹂
月ヶ瀬さんは御幣を手にお辞儀をしてきたので、俺たちは指示さ
れるままに手を合わせ、頭を下げる。目を閉じることで俺の耳に祝
詞の声とシャラシャラとした音がだけが響く。隣で璃青さんの気配
176
を強く感じながら。
祝詞の音も御幣もいつしか遠さがっていき。暑さも寒さといった
感覚も消えていく。そしてただ隣の璃青さんの存在の息遣いと体温
を近くに感じ、心の奥がホワンと温かくなってくるのを感じた。暑
くもなく冷たくもなくとてつもなく不思議な何かが体中に広がって
いくのを感じた。
﹁もう結構です、お直り下さい﹂
月ヶ瀬さんのその声に、俺はハッと目を開け現実に戻る。少し放
心したような感覚でポカンと月ヶ瀬さんの顔に視線を向け、そして
隣の璃青さんの方へと顔を動かす。すると同じタイミングで璃青さ
んは俺の方に顔を動かしていた。
カチリ
目が合った途端に何かが噛み合わさったような音がしたように感
じたのは気のせいだったのだろうか?
奉納の儀を終えて、宮司の月ヶ瀬さんに挨拶をし本殿を出る。不
思議な高揚感を持て余したまま璃青さんとの会話も出来なかった。
人々の声のする雑踏へと戻りなんかホッとする。璃青さんのハァと
小さい吐息の音に顔を見合わせてなんか微笑みあってしまう。どち
らからというのもなく手を出し繋ぎそのまま歩き出した。
さっき儀式で感じた感覚は何なのか? そう思うものの、その事
を璃青さんと話す事に躊躇いを感じる。タブー感というよりも、言
葉にする事で二人の大切な何かを剥き出しにし、もう元通りに出来
なくなってしまうような気がしたから。そして繋いだ手の感覚をよ
り感じたくて、より強く握ってしまう。璃青さんの小さい手が俺の
手から逃げるのではなく、ギュッと握り返してくることにどうしよ
うもなく悦びを感じた。
177
︻商店街夏祭り企画︼何かが生まれる音︵後書き︶
コチラの作品も たかはし葵さまと二人で話し合いあって作った物
語です。﹃Blue Mallowへようこそ∼希望が丘駅前商店
街﹄にて同時に同じエピソードを描いていますので、そちらで璃青
さん視点でもお楽しみになることができます!
そしたらも合わせてお楽しみ下さい。
また、二人が立ち寄らせて頂いたお店での会話に関して一緒に考え
て下さった鏡野悠宇さま、篠宮楓さま、お世話になりました。
178
︻商店街夏祭り企画︼予期せぬ出来事
杜さんに奉納を終わった事を携帯電話で報告すると﹃御苦労様、
お店の方は隣も含めて大丈夫。神社にいるんだから二人で夏祭り楽
しんできたら?﹄と言われてしまう。
﹁せっかくですから花火大会で見られなかった屋台でも見て回りま
しょうか﹂
奉納という大役を終えた開放感もありそう璃青さんに話かける。
﹁うん、そうね﹂
どうしてだろうか? その後二人の間でいつものように言葉が続
かない。
気まずいというのではないけど、思考がどこかホワンホワンとし
ている感じで、酔っているような躁状態。繋いでいる手の温かさを
必要以上に感じてドキドキしている。
﹁ーーねぇユキくん。ユキくんって射的がすごく上手いイメージが
あるんだけど﹂
俺の手を少し引っ張ってそんな事言ってくる。上目づかいのその
表情にドキリとする。恥ずかしくて目を逸らしてしまう。
﹁どんなイメージですか。いいですよ、自信はそれほどないですけ
ど、やってみましょうか﹂
射的ってやったことないけど、大きいモノの方が狙い安いだろう
と思う。同じように射的の的を見つめる璃青さんの視線の先にある
モノを察する。人ごみで声が聞こえにくそうだったので少しかがみ
顔を近付ける。
﹁⋮⋮狙うのはあのぬいぐるみでいいですか?﹂
璃青さんの瞳が俺を見て細められる。
﹁ふふ。うん、お願いします﹂
その真っ直ぐな視線を感じ、俺は軽い高揚感と緊張を覚えながら
銃を構える。落ち着くために深呼吸を一回して狙う縫いぐるみを見
179
つめると、何故か背後から縫いぐるみに向かう風を感じた。発射さ
れた弾はそのままうさぎの縫いぐるみの下腹部にあたり弛い動きで
その身体が後ろに倒れていく。
当たって縫いぐるみが取れた事を自慢したくて璃青さんの方に視
線を向けると、俺の方を切なそうに見つめている眼差しにぶつかる。
声をかけるのも戸惑ってしまう。淡いピンクの口紅に彩られた璃青
さんの唇が動くのをただ見つめる事しか出来なかった。ドキドキと
発せられるその言葉を待つ俺がいる。
﹁⋮⋮人形焼き⋮⋮﹂
⋮⋮人形焼き? え?! どういう事? 想定外過ぎる瑠璃さん
の言葉に悩む。
﹁ーー人形焼がどうかしました?﹂
お腹空いていて、切なそうな表情していたのだろうか?
﹁きゃあっ!あ、あの、何でもないの!﹂
手を前で振りよく分からない取り消しをしてくる。慌てている様
子が、何ていうかカワイイ。大人っぽい浴衣着ているのに幼い仕草
が何とも面白い。バタバタしているその姿も愛しく感じた。
。
﹁そうですか?⋮⋮はい、ウサギのぬいぐるみ、どうぞ﹂
余り突っ込むと可哀想なのでスルーすることにした
﹁ホントに取ってくれたんだ。さすがユキくん。ありがとう、大事
にするね!﹂
うさぎを渡すと、目を輝かせ受け取りそれを抱き締める。
﹁ふふ、璃青さんて、無邪気というか、ほんと可愛いですよね﹂
コロコロと変わる表情に魅せられしまう。どの顔も素敵で美しい
と思う。
﹁え⋮⋮⋮⋮﹂
顔が真っ赤になる。少し潤んだ瞳で、俺をポカンと見上げてくる
無防備な表情に、俺も逆に慌ててしまう。
﹁に、人形焼き買いに行きましょうか!﹂
恥ずかしくて璃青さんの手を引き人形焼きの屋台に移動すること
180
にした。
お祭り効果だろうか? 俺だけでなく璃青さんも高いテンション
で屋台が並ぶ境内を回る。そして少し疲れたので二人でベンチに並
んで座っていると、璃青さんが足元を気にしているのに気がついた。
俺が視線で問うと璃青さんは何でもないという感じで笑う。
再び歩き出しても、璃青さんは足元を気にしている。
﹁どうしました? また鼻緒が取れそうなんですか?﹂
困ったように眉を寄せていたのに、璃青さんは笑顔を作り、首を
横に振る。
﹁ううん、違うよ。今日は草履が新品だからそれは大丈夫﹂
大丈夫という顔ではない。
﹁⋮⋮もしかして、足を痛めた?﹂
﹁ん、ちょっとだけ﹂
悪戯が見つかった子供のように俯く。
﹁そうですか⋮⋮。ここは混んでいるし、足に負担がかかりますか
ら裏道に抜けて、そろそろ帰りましょう﹂
なんで、こういう事黙っているのだろうか? 少し寂しくなる。
うさぎの縫いぐるみを俺が持ち、手を引き商店街の方へと促す。
﹁ごめんね、迷惑かけて﹂
﹁迷惑なんかじゃないですよ。もう充分楽しみましたから﹂
何でもっと早く足の異常に気付いてやれなかったのか。ずっと隣
にいながら。俺はそんな自分を情けなく感じ、繋いでいる手をギュ
ッと握り歩き出した。
雑踏を二人で抜け、人混みを少しでも避ける為に駐車場から根
小山ビルヂングへと入る。そこまでたどり着きホッとする。璃青さ
んは何も言わないけれど歩みも遅く引き摺って歩く様子かなり痛い
のだろう。表情からも笑顔がスッカリ消えている。折角楽しかった
時間が苦痛で終わってしまったのが残念でたまらない。
﹁あのさ⋮⋮ウチ寄っていかない?﹂
181
そう声かけると璃青さんはキョトンとする。真っ直ぐ見上げられ
る表情に内心焦る。
!って心の中で自分にツッ
﹁いや、変な意味でなくて、足手当てした方が良いかなと。澄さん
もいるだろうから﹂
﹃変な意味﹄ってどういう意味だよ
コム。
﹁え、このくらい自分で出来るのに。それに⋮⋮⋮ご迷惑じゃない
?﹂
そうオズオズという彼女に、俺は笑って﹃大丈夫﹄と答える。ま
さかその直後に後悔する羽目になるなんて思わずに⋮⋮。
そのまま璃青さんを気遣うように手をひきエレベータに誘う。そ
して四階についた時なんか違和感を覚える。
俺は首を傾げ、何故か転けたままのアジアンタムの鉢を元に戻す。
そしてふと視線を動かした先に何か落ちているのに気がつく。澄さ
んの髪についていた櫛である。
いつもと違って少し曲がったドアのwelcomeボード。
⋮⋮この状況から推測される事を考えてみる。玄関であの二人が
こういった乱れを戻す事もなく入っていったことの意味。過去の経
験からも一つだけ。
今ここで入ったら、とんでもない場面に行き当たる可能性を考え
て焦る。俺一人ならば二人がラブラブしている所にバッタリ行き合
わせても、二人も気にしないし俺もスルー出来るけど⋮⋮。璃青さ
んは流石にヤバイ。
﹁⋮⋮あっ、ゴメン忘れてた、杜さん達今、留守で籘子さん達と呑
んでいるんだった!!﹂
我ながら怪しい言い訳であるが、仕方がない。いくら璃青さんが
大人だとはいえお隣さんのラブシーンを見せる訳にはいかない。
そして再び手をとりポカンとしている璃青さんをエレベータにの
せ六階いき玄関の鍵を開けリビングまで璃青さんを連れてきてホッ
する。
182
183
︻商店街夏祭り企画︼心を落ち着かなくする声︵前書き︶
︻商店街夏祭り企画︼参加作品です。
商店街の花火大会と夏祭り、夏は東明透くんたちを狂わせる?
184
︻商店街夏祭り企画︼心を落ち着かなくする声
璃青さんはスモーキーブルーの壁とマホガニーの床で構成された
リビングを見渡し首を傾げている。
﹁ここは⋮⋮⋮?なんだかすごくお洒落なお部屋。まるで海か宇宙
の中にいるみたい⋮⋮⋮⋮﹂
澄さんと杜さんの住居部分もそうだが、根小山ビルヂングのプラ
イベートエリアは実は物凄くお洒落なヨーロピアンスタイル。下の
リビングもグリーンの壁にレンガがあしらわれていてまた違った味
わいがある。
という感じのお洒落な空間に仕上がっていた。家具はマホ
そしてこの六階部分も改装を二人の好きなように任せたら、地中
海か?
ガニーでと統一されてういるので少女趣味ではなく落ち着いた感じ
に仕上がっているので過ごしやすいのは良い。しかしこの妥協を許
さないインテリア、改装費、家具代がどのくらいかかったのか怖く
て聞けない。
﹃良い家具というのは一生使えるので、安物何度も買うより安上が
りなんだよ﹄
とは言ってたが⋮。﹃これからユキくんが自分で楽しめるように、
必要最低限の家具にしておいたから﹄となっているのがまだ救いで
ある。
﹁俺の部屋。
⋮⋮流石に二人の留守中に部屋に入れるのもどうかと思って﹂
俺の言葉に璃青さんは目を丸くする。いきなり強引に部屋に連れ
込んだなんて思ってないだろうか?
﹁⋮座ってて、薬箱もってくるから!﹂
感じる必要もない気恥ずかしさもあり、笑顔をなんとか作りそう
声かけて、うさぎの縫いぐるみを璃青さんに返してから離れる事に
する。そして杜さん夫妻のエリアに繋がる階段から降りて五階に行
185
くと、二人の寝室の方から人の気配がする。少し開いた寝室のドア
の所に大きな濃紺に白いバラの花の散った布が挟まっている。
澄さんが着ていた浴衣⋮⋮。
部屋の向こうから伝わってくる艶かしい気配に顔が少し赤くなる
のを感じるが、同時にリビングで繰り広げられていなくて良かった
とホッとする。身内でも、モロその現場に行き当たったら恥ずかし
い。さらに四階まで降りる。
そして四階のリビングに澄さんの緑の帯と桃色の帯止め散るよう
に落ちているのに溜め息をつく。それを拾い上げたたみテーブルに
置き、先程玄関前で拾った櫛をのせておく。そして薬箱を手にして
音を立てないように六階に戻る事にする。
クラシカルな西洋的な鮮やかな色合いの部屋に、浴衣姿という和
の美を纏う女性、その一見アンバランスな要素が不思議な調和を見
せ、そこには映画の一シーンのような光景を作り出し一瞬見とれて
しまった。
﹁⋮⋮⋮おかえりなさい﹂
璃青さんは俺にむかって笑いかける。その笑顔にもドキリとする。
そんな俺に気が付き璃青さんが不思議そうな顔をする。
﹁どうしたの?﹂
俺は冷静になるため、小さく深呼吸する。
﹁ただいま﹂
そう返した言葉がくすぐったい。二人でちょっとの時間見つめあ
ってしまう。璃青さんが突然吹き出す。
﹁ふふ、なんか変なの。私が﹃おかえり﹄って言って、ユキくんは
﹃ただいま﹄って⋮⋮⋮﹂
二人で笑ったことで空気が緩み、少し気持ちが軽くなる。それで
俺は自分が緊張していた事に気がつく。
﹁手当てしないと﹂
186
テーブルに薬箱を置き璃青さんの足をみると、草履により出来た
。土の上とか歩いたし﹂
靴擦れは皮膚もずる剥けかなり痛そうになっていて思わず顔をしか
めてしまう。
﹁ゴメン足汚いよね
。風呂場まで
恥ずかしそうに呟く璃青さんの言葉に、手当てするのにまずは洗
浄した方が良い事に気がつく。
﹁確かに手当ての前に、汚れは流した方が良いかも
歩ける?﹂
そう聞くと、何故か璃青さんは慌てる。風呂場に案内すると自分
で洗えるから一人で入っていったので、脱衣場にタオルだけ置いて
リビングで待つことにする。そしてリビングでシャワーの音を聞き
ながら待っていると、なんか恥ずかしくなってくる。璃青さんは足
洗っているだけなのに、俺は何考えているのだろうか? そして先
程下の階で聞いた息遣いや音を思い出し、慌てて頭を横にふる。
気分を切り換える為に、薬箱から必要なものを取りだし事にする。
コットン、消毒液、ピンセット⋮⋮こないだ俺がキーボくんでスッ
転けて激しく怪我した関係で、様々な救急バンド充実していて良か
った。
おずおずとリビングに戻ってくる璃青さんを再びソファーに座ら
せて、俺は彼女の足元に跪き手当をすることにする。あまり男の俺
に足に触られるのも嫌だろうから、できる限り事務的にそして触ら
ないように行う事にする。消毒液をコットンに含ませてできるかだ
けそっと傷口を消毒していく。
﹁⋮⋮⋮⋮⋮ぁ﹂
璃青さんの足がピクリと動き、唇からそんな声が漏れたので、俺
は見上げてその表情を確認する。璃青さんは少し緊張したような面
持ちで耐えるように俺の手元を見つめている。
﹁ごめんなさい、痛かった? でも少しだけ我慢して﹂
璃青さんは眉を少し寄せ、小さく頷き笑みを作る。
187
﹁ん、大丈夫。だから⋮⋮⋮そのまま、お願い⋮⋮⋮っ﹂
俺は頷き、作業を再開することにする。
﹁⋮⋮⋮⋮んんっ﹂
耐えるような、瑠璃さんの言葉と息遣いがなんか色っぽくも聞こ
えて、俺は変な気分になってくる。下の階でああいう音を聞いた後
なのがいけないのだろう。いつもとは異なり下から上目づかいで瑠
璃さんの様子を伺うと、痛みの為か少し瞳を潤ませていてジッと俺
の方を見ていた。手当されているという事が恥ずかしいのだろう、
少し顔を赤らめていることもあり余計に色っぽく見え、俺の身体に
ゾワゾワとした何かが走るのを感じた。
﹁ごめんなさい、すぐ終わらせるので﹂
俺は慌てて視線を怪我に戻し、傷にできるだけ丁寧に傷パットを
張り付ける。そして改めて目の前の足が、女性特有の柔らかくて可
愛い足であることに気が付き、ドキリとしてしまう。なんか変態に
なった気分だ。
フー
深呼吸して、俺は平常心を装い、顔を上げニッコリ笑ってみせる。
﹁これで、とりあえずは大丈夫だと思う。しばらく靴履くのもつら
いと思うけど⋮⋮﹂
﹁あ、ありがとう! 本当に助かった!﹂
俺が言葉を続けようとすると璃青さんはそう遮るように言葉を放
ち、いきなり立ち上がろうとする。しかし足を保護するために足元
に置いておいたタオルに滑って転けそうになり、俺は慌てて立ち上
がり彼女を支える。転倒を阻止できたのは良いが⋮⋮俺は支える為、
璃青さんは立ち上がった俺にすがった為に何故か抱きしめ合う形に
なってしまった。
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︻商店街夏祭り企画︼心を落ち着かなくする声︵後書き︶
コチラの作品も たかはし葵さまと二人で話し合いあって作った物
語です。﹃Blue Mallowへようこそ∼希望が丘駅前商店
街﹄にて同時に同じエピソードを描いていますので、そちらで璃青
さん視点でもお楽しみになることができます!
そしたらも合わせてお楽しみ下さい。
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︻商店街夏祭り企画︼その感情の名前︵前書き︶
︻商店街夏祭り企画︼参加作品です。
商店街の花火大会と夏祭り、夏にはアクシデントがよく似合う?
190
︻商店街夏祭り企画︼その感情の名前
咄嗟のことで、ギュウと強く抱きあった状態のまま固まってしま
った二人。
﹁⋮⋮﹂﹁⋮⋮﹂
腕の中にある、柔らかくて良い香りのする存在。密着してしまっ
ている胸。互いの心臓の鼓動が伝わる。璃青さんのドキドキが伝わ
ってくるのも恥ずかしいし、俺のドクドクした心臓のリズムが伝わ
るはもっと恥ずかしい。これはさすがヤバい。俺は抱きしめた形に
なっていた腕をそっと広げる。おずおずと離れてき、真っ赤な顔で
俺を見上げてくる。
﹁あ、あの⋮⋮ごめんなさい﹂
﹁い、いえ⋮⋮璃青さんが怪我しなくて良かったです﹂
二人そのまま言葉を続けることができずに、ただ見つめあってし
まう。さて、このあとどうすれば良いのだろうか?
手を伸ばしその滑らかそうな頬を撫でる? 再び抱き寄せキスを
する? って俺は何を考えているのだろうか? 今日の俺は少しオ
カシイ。この気分を払わないといけない。
﹁手当も終わったので、珈琲でも飲んで落ち着きませんか?﹂
一番落ち着く必要のあるのは俺なのだが、そんな俺の内面が璃青
さんにバレたら、絶対ひかれるし、嫌われてしまう。俺は璃青さん
が小さく頷いたのを確認してから彼女から離れアイランド式になっ
ているキッチンに向かう。ケトルに水を入れコンロにかける。ドリ
ッパーにフィルターと珈琲の粉をセットする。そっと璃青さんを伺
うと、コチラに背を向け座っているために表情はみえないけれど、
浴衣姿で髪をアップにしているために、その姿が何ていうか美しい
というか艶めかしい。いつもは見えない白いうなじが色っぽい。俺
は深呼吸して邪念を振り払う事にする。そして湧いたお湯を粉に落
としていく。珈琲の深いアロマが広がる事で、俺の気持ちも少し落
191
ち着いてくる。
﹁どうぞ!﹂
二つのマグカップに入れる、二人ともいつも何もいれないで飲ん
でいるのでそのまま持っていき、璃青さんの前一つ置く。そのマグ
カップを両手で持って、その香りをかぎ璃青さんはフワリと笑う。
その様子が可愛いと思ったがすぐに申し訳ないという気持ちになる。
年下の男にそんな事思われていると思うと気を悪くするだろう。け
っして子供っぽいという訳ではない。璃青さんは女性らしい柔らか
さと可愛らしさを持っている人。身近では澄さんとか、櫻花庵の花
子おばあちゃんとか、大人になっても女性らしい可愛らしさを持ち
続けている人がいる。最近そういう女性っていいなと思えてしまう
自分がいた。身内である母や姉があまりにもそういうタイプからほ
ど遠い事もあったのかもしれない。そして少し離れたスツールに俺
は腰かけた。なんか恥ずかしくて近づけない。
﹁⋮⋮⋮ユキくん、珈琲淹れるのも上手なんだね。すごく美味しい
!﹂
その言葉が異様にうれしくて照れる。璃青さんの笑顔が嬉しくて、
こういう言葉が俺の心を温かくしてくれる。そう考えていると、さ
っきとは別の意味でムズムズした気持ちになってくる。
﹁お店でも出しているからね。バーに珈琲楽しみくる人も結構いて。
⋮⋮珈琲というのも勉強してみると面白くて﹂
﹁そういうの、突き詰めてみると結構奥が深いものね﹂
そう静かに言葉を受けてくれる。
自分の中のこの妙な気持ちを誤魔化す為に、俺は必死で珈琲につ
いての話を熱く璃青さんに語ってしまう。璃青さんはこんな話なん
て面白くもないと思うのに、なぜか大真面目な様子で聞いて、元気
な相槌までくれて受けてくれた。よく分からない盛り上がりを見せ
た二人の会話も、珈琲を飲み終わる事で終わる事になる。手当をす
る、珈琲を飲む。そしてもう十時をはるかに超えてしまった時間。
これ以上璃青さんがこの部屋にいる理由はないし、引き留める事も
192
できない。同時に壁にかかった時計に目をやり終わりの時間がくる
のを二人で察する。
﹁え⋮⋮⋮と、そろそろ帰る、ね。母もまだ起きて待ってるかもし
れないし﹂
﹁家まで送ります。それに草履つらいですよね。つっかけお貸しま
すからそれで今日は帰って﹂
隣なのだから送る必要もないのだろうが、心配だからという理由
で俺は一緒に玄関を出る。当たり前だが、すぐに彼女のお店の前に
つく。
﹁お﹂﹁今日はありがとう!﹂
同時に声を出してしまったので俺はすぐに言葉を続けるのをやめ
る。
﹁いえいえ、もっと俺が気遣っていたら、璃青さんそんなに足ひど
く痛める事もなかったのに﹂
﹁ユキくんは何も悪くないよ。草履、おろしたてだったし、普段履
き慣れないものを履いたから、不可抗力なのよ。わたしの足がヤワ
なのもいけないの。⋮⋮⋮だから、もう気にしちゃダメよ?﹂
璃青さんは優しく笑って、少し背伸びして俺の頭をなでる。そう
される事にちょっとした嬉しさと、物足りなさを覚える。
﹁もう、無理しないでくださいよ﹂
﹁わかりました、もう無理しません。⋮⋮⋮じゃあ、お休みなさい﹂
ニッコリ笑うってそう答えるけど、瑠青さんは絶対これからもそ
うやって、大丈夫といって無理してくんだろうなと思う。
﹁お休みなさい。良い夢を見てくださいね﹂
フフ璃青さんは何故かそう笑い俺に手を振ってお店の中に入って
いった。俺はしばらく店の前で璃青さんの消えたドアをボゥ眺めつ
つけてしまう。そして一旦多く深呼吸してからから空を見上げる。
その視線の先で流れ星が流れていった。その時にふと一つの願いが
頭をよぎる。そしてそう思った自分が恥ずかしくなり首を横に振っ
193
た。
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︻商店街夏祭り企画︼その感情の名前︵後書き︶
コチラの作品も たかはし葵さまと二人で話し合いあって作った物
語です。﹃Blue Mallowへようこそ∼希望が丘駅前商店
街﹄にて同時に同じエピソードを描いていますので、そちらで璃青
さん視点だと違っていて切ない色となっています。キュンとしたい
方はどうぞ葵さんの方を読まれてください。
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月への約束
璃青さんのお見送りをして部屋に戻ろうとしたら、小野くんの姿
に気が付いた。何でだろうか? 俺に挨拶してくる表情がなんか曇
っている。
彼らしくなく惑った様子で、迷子の子供のような顔をしていた。
ついほっとけなくて部屋に呼んでしまう。ウィスキーを飲みなが
ら小野くんが少しずつ離し始める友人との関係の悩み。どんな事も
つか
冷静に見つめこなしていくように見えた小野くんが、そんな年相応
の悩みを抱えているのを知り、より親近感を覚えてしまう。
俺は大したアドバイスをできた訳でもないけど、人に心の支えを
漏らした事で楽になったのだろう。それに頭の良い小野くんの事だ
から悩みの答えも彼の中にちゃんとあったのだろう話しているうち
にいつもの小野君に戻っていくのを感じてホッとする。そのまま彼
のサークルの話など聞きながら、飲み明かすことになる。末っ子と
いうこともあり、こうやって頼ってくれる事がなんか嬉しい。
俺はふとずっと手を添えたままになっているウサギのぬいぐるみ
の存在に意識を移す。璃青さんの忘れ物である。欲しいと請われて
手に入れたこのぬいぐるみ。嬉しそうに抱きしめている璃青さんの
表情が蘇る。頼られたというのと少し違うけれど、お願いされてそ
れに応えるその状況が俺には嬉しかった。射的でこのぬいぐるみに
見事命中させた事よりも、璃青さんの期待応えられた事が嬉しかっ
た。
俺が少し物思いに耽っていると、小野くんがウツラウツラとして
いた。眠気と酔いもあるのか少し目がトロンとしている。彼のよう
なイケメンならば、このように酔っぱらってもカッコいいようだ。
むしろ色気が出て羨ましい。
﹁もう二時か、そろそろ寝る?﹂
思考が少し低下しているのだろう、そんなトロンとした顔で素直
196
に頷く様子も可愛らしい。
俺はウサギのぬいぐるみを手にベッドルームに行き、ぬいぐるみ
をサイドテーブルに置きシーツとタオルケットを手にリビングに戻
ると、小野くんは一人がけのソファーに座ったまま目を閉じて眠っ
ている。
さっきまで俺が座っていたソファーの背を倒し、ベッド状態にし
てシーツをかけクッションを枕のようにセットする。
﹁小野くん、そんな姿勢だと身体痛くなるよ、ベッド作ったからコ
ッチで寝な!﹂
小野くんを起こして、ベッドで寝かせタオルケットをかけてあげ
てから電気を消して、リビングを後にした。
寝室に戻ったら、サイドボードのウサギのぬいぐるみがどうして
も目にいた。濃い青の壁にブルー系のファブリックで纏められた寝
室で真っ白のウサギは明らか浮いている。黒いクリッとした目が、
ジーと俺を見ている気がした。コイツとしても、良い年した男の俺
の所よりも、優しく可愛らしい女性である璃青さんの所にいる方が
良いのだろう。悲しげに何か訴えるように俺を見上げているように
も見える。
少し酔
﹁明日、ちゃんと璃青さんの所連れて行ってあげるから!﹂
そう声かけウサギの頭を撫で、なんか恥ずかしくなる。
っ払っているのかもしれない。
次の日小野くんに朝食を作りご馳走してから送り出した後、そっ
と下に降りてみる。四階では杜さんだけがキッチンに立っていて上
機嫌にフライパン動かし朝食を作っている。
﹁やあ、おはよう、ユキくんも食べるか?﹂
俺は上で小野くんと食べた事を伝えると意外そうな顔をするが、
視線リビングテーブルの上畳まれた帯に向けフフ笑う。
﹁小野くん何か言ってたか?﹂
197
ちょく
悪びれもなくそう言う杜さんに溜め息をつく。
・
﹁小野くんは直で俺の部屋に来て貰ったからいいですけど﹂
﹁小野くんは?﹂
ニヤニヤと杜さんは笑う。そこで俺は四階の玄関前で気が付いて
怪我した璃青さんを六階に連れて言った事を白状すると杜さんが笑
いだす。こっちは笑う所もなかったというのに。
﹁まあまあ、ユキくんも男なんだから分かるだろ! 愛している女
が、とてつもなく艶やかな最高に素敵な格好で目の前にいる。欲し
くなるのは仕方がないだろ?﹂
杜さんらしい発言だと思い、笑ってしまうが、同時に脳裏に昨日
の璃青さんの浴衣姿が浮かぶ。そして少しの間だけではあるが腕の
中で感じた柔らかい感触。俺は怪訝そうにコチラを見つめているの
で誤魔化し笑いを返す。
﹁今日の祭りの後片づけ、澄さんはお休みにしますか?﹂
俺がそう言うと、杜さんは苦笑する。
﹁あのな、俺だって加減は分かっている。それにそこまでやったら、
澄が怒ってしばらく口聞いてくれなくなる﹂
流石の杜さんも澄さんには敵わないようだ。
お盆にカリカリのベーコンと良い感じの半熟の目玉焼きの皿と、
かごに焼いたクロワッサン、サラダとカットしたフルーツ、そして
ジュースのグラスという感じの二人分の朝食を載せ、杜さんはイソ
イソと五階に上がっていった。町内会の仕事もあるし、まさかこの
まま、また、って事はないだろう。
俺は先に下に降りて、ビルの周りを掃除することにした。お隣さ
Ma
んを見ると、ドアが閉まっていて、璃青さんの姿はまだ見えない。
あの怪我をした足だと掃除も大変かもしれないと、Blue
llowの前もついでに掃除しておいた。そんな事をしているうち
に集合時間になり、中央広場に向かうことにする。籐子さんとお話
しをしていると、杜さんと澄さんそして、璃青さんもやってくる。
足が痛いのか少し庇って歩いているのか、歩き方が少し不自然であ
198
る。
﹁杜さん、澄さん、おはようございます!お祭りの間、母がお世話
になりました、って。とっても楽しかったみたいですよ。ありがと
うございました﹂
杜さん達と話しているので近づくと、璃青さんはコッチを見てや
けにニッコリ笑いかけてくる。
﹁ユキくん、おはよう。昨夜はどうもありがとう﹂
その笑顔に戸惑い、一瞬返しが遅れる。﹃お疲れさまでした﹄﹃
足は大丈夫?﹄色々言いたい言葉は頭の中でグルグルする。
﹁璃青さ⋮⋮⋮⋮⋮﹂
声かけようとしたら、璃青さんの注意は俺から後ろの籐子女将に移
っていたようだ。
﹁あっ、籐子さんおはようございまーす!
⋮⋮ん?ユキくん何か言った?﹂
﹁いえ、おはようございます﹂
そう返すと気合をいれた感じで歩き出し離れていく璃青さん。急
に動いたせいか転びそうになったので、腕をつい掴んで支える。
﹁璃青さん、昨夜は無理させてしまってすみませんでした。身体は
大丈夫ですか?片付け、張り切りすぎないで下さいね﹂
つい心配からそういうと。璃青さんは非常に困った顔になり顔少
し逸らす。
﹁あ、うん、ちゃんと手当てしてもらったからもう大丈夫。それよ
り、その言い方、ちょっと⋮⋮⋮﹂
ちょっと上から目線みたいで、生意気に聞こえたのだろうか?
﹁言い方?﹂
馬鹿みたいにオウム返ししてしまう俺。何故か気まずい。
﹁あ、璃青さんの忘れ物のウサギ、片付けが終わったら届けに行っ
ていいですか?﹂
璃青さんは何故か俯く。
﹁はい⋮⋮﹂
199
俯くとどういう表情しているのか見えなくて、つい覗きこもうと
すると、いきなり璃青は顔を上げる。
﹁ねぇ、ユキくん。昨日までのお礼がしたいな。今度の十五夜、一
緒にお月見しませんか?その時に、渡したいものがあるの﹂
お礼なんてされるような事、何もしていないのに?
﹁お月見ですか、いいですね。今年の十五夜というと⋮⋮?﹂
とはいえ、二人で月見なんて楽しそうで、少しテンションが上が
る。
﹁九月八日。まだ暑いかもしれないけど、真夏の夜よりは涼しいと
思うんだ。あの花火の河原で、会いましょう﹂
何故河原で? 隣なのだから一緒にいってもよいと思う。
﹁ここで待ち合わせではないんですか?﹂
璃青さんが、また妙に気合のはいった笑顔でニッコリ笑う。
﹁うん。時間はまだ未定。わたしからメールするね﹂
何かその日、璃青さんは用事があるのだろうか?
﹁そうですか。はい、わかりました。メール、お待ちしてますね﹂
町内会でのお仕事中にそんなにおしゃべりしている訳もいかずに、
そこでその話は終わらう。俺は力を使う屋台の解体の手伝いで、璃
青さんらは女性陣で集まって商店街の通りのお掃除と別作業に勤し
む為に離れて作業することに。そして午前中いっぱい町内会の仕事
をそれぞれで頑張った。
200
月への約束︵後書き︶
コチラの作品も たかはし葵さまと二人で話し合いあって作った物
語です。﹃Blue Mallowへようこそ∼希望が丘駅前商店
街﹄にて同時に同じエピソードを描かれています。璃青さん視点だ
と違っていて切ない色を楽しまれて下さい。
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要因があってこの状況
町内会の仕事が終わった時は女性陣の作業は終わっていたようで、
璃青さんはもういなかった。一旦部屋に戻り杜さんと澄さん三人で
昼食を食べる。
﹁璃青ちゃんの所いくのよね? コレ持っていってくれない?﹂
会話を聞いていたらしい澄さんが、そう言ってジャムの瓶とタッ
パーに入った料理をスッと差し出してきた。澄さん特性のラタント
ゥユだ。先日黒猫で璃青さんが嬉しそうに食べていたからだろう。
俺は頷きそれを小さい風呂敷包んで一旦六階へ上がった。
顔を洗いサッパリしてから髪を簡単整え、ウサギを連れて六階の玄
関をからでてエレベーターに乗ったら、四階で麻のジャケットを着
た杜さんとバッタリと会う。仕事の打合せで都内の方にコレから出
かけるようだ。確か十四時に新宿のホテルの喫茶店で待ち合わせだ
った筈。今からだと若干間に合わない気がする。いや確実に間に合
わない。その事を指摘すると杜さんはニヤリと笑う。
﹁小松崎に電話しておいて、少し遅れるかもしれないと﹂
俺は溜め息をつき根小山ビルヂングの下で杜さんを見送ってから、
小松崎氏に携帯で謝りながら杜さんが遅れる事を連絡しておいた。
小松崎氏は杜さんといつも組んで仕事をしている方で、小柄でヨレ
ヨレのスーツで大きな鞄を抱えている。本当はかなり怖い人らしい
が、杜さんに関してはその睨みが効かないようで、いつも振り回さ
れ走り回っている。杜さんも態とやっている所もあり、小松崎さん
が可哀想になる。
愛情深い杜さんだけに気に入った相手はトコトン可愛がる所があ
るのに、小松崎氏の事は虐めて可愛がる。今度黒猫に来たときは、
元気になるようなものを出して上げようと思い隣へ向かう事にした。
Blue Mallowのお店にてウサギを渡すと、璃青さんは
202
何故か少し泣きそうな顔で受け取りそれを抱き締める
。何でこん
な哀し気な表情なのだろうか? また何かあったのか気になるが、
それが俺が踏み込んで良い問題なのかと考えると聞き辛い、俺から
何故か視線を逸らすように下を向いている璃青さんを、戸惑い見つ
めるしか出来ない。
そういう状況だからつい視線を店の中で、視線を泳がしてしまう。
そして一部でボワっと明るい空間に目がいく。金魚の水槽だ。先日
見た時と変わらず、元気に金魚が二匹泳ぎまくっている。
﹁元気にやっていたか? 何か困った事はないか?﹂
金魚にそう話しかけてしまう。金魚は俺の声に反応することもな
く、口をパクパクさせて呑気に泳いでいる。水槽に指を付けゆっく
り動かすと、金魚は餌と勘違いしたのか、指を追いかけ移動してく
る。なんか可愛くて笑ってしまう。
すると横から璃青さんの視線を感じる。そちらに目をやると思い
つめたような表情にぶつかる。声をかけようとすると、また顔を逸
らされる。怒っているという感じではないから、もしかして子供っ
ぽく金魚で遊んでいるのを呆れたのだろうか?
﹁金魚元気そうですね﹂
俺の言葉に、璃青さんは小さく﹃うん﹄と答える。
﹁餌は足りてますか?﹂
うつろな口調で﹃うん﹄とまた帰ってくる。
﹁璃青さんどうかされましたか?﹂
するとハッとした感じで璃青さんはブルブルと顔を横にふる。
﹁え?、ううん、何でもないよ﹂
明らかに何でもない感じでもない。しかしそれを無理やり聞きだ
してもよいものか?
視線そらした台の上に風呂敷を見つけ、忘れていた澄さんからの
お届け物を思い出す。
﹁あ、コレ澄さんから、ゴーヤジャムと、ラタントゥユです。どち
らも夏に美味しく元気になるモノなので、良かったら食べて下さい
203
ね﹂
﹁ありがとう、澄さんによろしくね!﹂
璃青さんの顔はニッコリ笑顔になるが、やはりいつもの元気がな
かった。昨日のお祭りと、午前流の作業で疲れもあるのだろう。そ
れに俺がいたら休めないだろうから早々にお暇することにした。
そして午後は澄さんの焼いたアップルパイを香り高い紅茶と共に
二人で楽しみながらまったりとした時間を過ごす。ベランダでは、
昨日使われた浴衣が洗濯され吊るされて、それが風に揺れ味わいの
ある風景を作りだしていた。
澄さんとお話しして、今日璃青さんのお母さんが帰ってしまって
いたのかいなかったこ事に気がつく。もしかして寂しかったのだろ
うか? だったらこの澄さんとのお茶会に誘えば良かったとも思っ
てしまう。
しかしそんな穏やかな時間を吹き飛ばす電話がかかってきたこと
で、呼んでなくて良かったと思うことになる。
﹁あら? コマッちゃん、お久しぶり! お元気?﹂
リビングに二つある電話の右側の電話がなり、澄さんが取りそう
明るく答える。相手は小松崎氏のようだ。しかし、なんで? 小松
崎さんから? 杜さんともう打ち合わせして終わっているくらいの
時間の筈である。まさかまだ杜さんが到着してないって事はないよ
ね? 俺は壁の時計をみると四時ちょっと前をさしている。
﹁え? 杜さんを、監禁したい?﹂
俺は不穏な単語にも気になり、そっと近づきスピーカーにする。
﹁先生に仕事してもらわないと、私死ぬしかない状態なんです!!
ですから私の命を助けると思って!!﹂
スピーカーから必死な小松崎氏の声が響く。後ろから杜さんが﹃
ひっ迫した状況何ですか?﹂
おい! なーー﹄小松崎氏を止めている声がする。
﹁そんなに
俺が言葉を挟むと、小松崎氏が堰切ったかのように、杜さんが仕
204
事遅らせていたことで、周囲から責め立てられたり、﹃早くしろ殺
す!﹄といった脅迫状が届いたりと大変な事になっているようだ。
何でそんなに作業が遅れたのか理由はすぐ分かる。重光先生の婚
約でマスコミが騒動起こした時に、杜さんは黒猫の仕事すらも放り
出していた⋮⋮。ましてや澄さんの目届かないコッチの仕事は、全
放棄していたに違いない。
﹁今は東明さんもいるので、黒猫の方は奥様とお二人でも大丈夫で
すよね!﹂
そう必死に杜さんを一週間程程借りたいと訴えてくる。
﹁まあ、コマッちゃんそんな可哀想な事になってたのね∼﹂
、大丈夫よ! 杜が頑張るから、すぐ解決す
澄さんの声に杜さんが慌てる気配が電話の向こうからする。
﹁でもコマッちゃん
るわよ♪
杜さん、ダメじゃない! いつもお世話になってるコマッちゃん
をこれ以上困らせたら!﹂
小松崎氏も見た目こそはヨレヨレ親父だが、切れ者で通っている、
業界でも有名な方だけある。杜さんの何処を攻めれば動かせるか把
握しているのだろう。泣きついて澄さんを味方にしたら、杜さんが
逆らえなくなるのを分かっていて仕組んだ事と俺は察する。
﹁コッチはユキくんもいるから、大丈夫♪ だから杜さんはソチラ
でお仕事を集中して頑張ってね♪﹂
澄さんは笑顔で、愛する夫を小松崎氏に一週間貸し出してしまっ
た。スピーカーの向こうで、杜さんの低い唸り声が響いてくる。
杜さんが若干可哀想ではあるものの、コレも杜さんが引き起こし
た事態仕方がない。俺はため息をつき、来週一週間をどう乗り切る
か? その事を考える事にした。
205
良い子は勿論、良い大人もマネしては⋮⋮
杜さんの不在をどう埋めるか? 一番に頭に浮かんだのは小野く
んだった。幸いだったのは、今が夏休み期間だったという事。小野
くんは二つ返事で毎日しかも早め出勤を名乗り出てくれた。これで
かなり解決したようなものである。そしてお店で演奏に来いる学生
のバンドのメンバーに電話したら、丁度イベント中だったようで、
いつも来てくれている他のバンドも一緒だった。彼らの中で調整し
て手伝いに来てくれる事となった。また別のバンドの子からも電話
が来て心配する言葉を頂いた。お陰で見た目俺と澄さんと小野くん
と手伝いに来てくれた子四人で回しているようで、心配して客とし
て来てくれた別のバンドの子がフォローに動いてくれるという万全
の体制となった。そしてそういった彼らのやり取りか軽快で、通常
の黒猫にはない若々しい空気が漂っており、コレはコレで楽しかっ
た。そんなに年齢変わらない筈なのに学生の彼らは若々しく輝いて
見える。そう思ってしまうなんて俺も老け込んだって事だろうか?
とはいえ杜さんの一大事となると、駆け付け協力してくれる。い
かに杜さんと澄さんが皆か愛されているのか分かる。そこの部分に
感動していたものの、その団結して頑張っているこの現状で一番面
倒な作業を増やして邪魔しているのは杜さんだった。
﹃枕が合わなくて疲れ取れないから、家の持ってきて欲しい﹄と
次の日に文句垂れてきて、﹃ホテルのご飯飽きた! 澄の料理食べ
たい﹄二日目には我が儘言ってきている。
お陰で都内のホテルまで、澄さんの手料理持って毎日往復という
仕事まで増える。澄さんが﹃じゃあ私が運びましょうか?﹄と最初
名乗り出たのだが、黒猫の料理を作っている澄さんまで抜けられる
のは困る事と、﹃奥様と会いたいという想いをモチベーションに頑
張って貰いたいので、今は心を鬼にして下さい﹄と言われて、俺が
206
運ぶ事になった。小松崎氏の部下が運ぶとも言ってくれたのだが、
自分が澄さんに会えないのに、ソイツは澄さんと楽しく会話するの
が許せないと、ゴネて俺が動く事になのだ。
そして俺は澄さんと小野くんに開店準備を任せ、移動中にまだ覚
えてないカクテルのレシピの勉強を必死でして注文に備えて、不機
嫌で仕事している杜さんを宥めすかし応援し、急いで帰って合流し
黒猫をオープンさせる。そんな生活が続く。
閉店後は、四階で澄さんとノンビリお茶お酒飲みながら話をする
という流れが出来ていた。澄さんも寂しいのか、杜さんの話ばかり
している。昨日したのは杜さんとの馴れ初め話。友達の付き合いで
行ったジャズバーの舞台でギターを弾いていた杜さんがいたらしい。
最初その歌声に惹かれ振り向くと、舞台の上の杜さんも澄さんを見
つめていてドキリとしたようだ。その時の杜さんが最高に格好良か
ったのと、その眼が印象的で、ただウットリと見詰め返すだけしか
出来なかったと、澄さんは目を潤ませて語る。そんな映画みたいに、
﹃一目合ったその瞬間に﹄という恋があるんだと驚くばかりだ。そ
の後お店を二人で抜け出して、非常階段の所で座ってお話して、キ
スをして⋮⋮。恋愛のテンポがかなり早い気がする。﹃杜さんの肩
。記憶の中にそのシーンが蘇っ
越しの空に、大きな満月があったのを覚えているわ∼♪﹄そう言い
澄さんは﹃ホゥ﹄とため息をつく
ているのだろう。
出会った頃と変わらない熱量で同じ人を愛し続ける二人がなんか
羨ましい。
そして今日の話題はスッカリ拗ねていつになく我儘になってしま
った杜さん最近の態度について、俺が愚痴っていた。澄さんと強制
的に離されて、かなりご機嫌斜め。しかし澄さんはそんな俺の言葉
をニコニコと嬉しそうに聞いている。澄さんは逆にこの状況を楽し
207
んでいるようだ。離れている事の気ままさというより、引き離され
てしまった愛し合う二人が、その困難にも負けず頑張るといったシ
チュエーションに萌えそれを満喫しているとか。それで差し入れに
何を作ろうかとか、何持って行ったら喜んで貰えるのか? とか毎
日別のやりがいを感じているようだ。
﹁杜さんも、すっかり甘えちゃっているのね、コマッちゃんとユキ
くんに﹂
いざな
俺は首を傾げてしまう。甘えているというのと少し違う気がする。
﹁杜さんにとって、コマッちゃんって。あの道に自分を誘ってくれ
て、しかもずっと見守ってくれているお父さんのような存在なのよ
ね。だから、珍しく杜さんが子供っぽく接する事の出来る相手なの。
お父さんを早くに亡くされてるし、それだけに気張って生きてきた
から甘えるの下手なの。
私も最初コマッちゃんに嫉妬したもの。私には絶対見せてくれな
い顔をコッチには見せるんだって。
私の前だと、大人っぽく余裕のある態度ばかり見せているのによ
!﹂
確かに子供の時から、杜さんって静かで落ち着いていて、カッコ
いい大人だった。でも澄さんの前では俺には子供っぽく甘えている
ようにも見える。その事を言うと澄さんはフフと笑う。
﹁それがあの人優しさなのね。夫であると同時に息子を演じてくれ
ているのよ。私の為にね﹂
澄さんが今言うことの﹃息子﹄という単語の意味する事に、俺は
一瞬動きを止めてしまう。しかし澄さんの表情に昔のような危うさ
とか哀しさといった色がない事に安堵して、俺は笑みを作り返す。
﹁いや、結構地じゃないですか? アレ﹂
俺がそう言うと、澄さんがクスクスと笑う。
﹁猫被りというか、恰好つけというか、あの人って気取り屋だから、
本当に地を見せたがらない。昔から少しワルを気取るというの? 本当は優しくては正義感強くて、どうしようもなくお人好しなのに。
208
素直にそう見せるのが恥ずかしくて、何も言わなかったり、余計な
言葉加えたり⋮⋮。
でも最近は流石に一緒に暮らしているユキくんにも甘えて、そう
いう被り物やめてきているようね。
我儘言っても、﹃しょうがないな∼﹄といいながらも自分の為に
動いてくれるのが嬉しくて、迷惑なのは分かっているのにやってる
のよ。
黒猫の仕事も時々態とサボって怒られたりしてるでしょ? それ
も同じ。
コマッちゃんやユキくんにああいう態度をとっていても、仕事を
愛しているものシッカリ取り組むにやり遂げるわよ!
⋮⋮でも、私なんてそういう甘えられる対象にしてもらうのに、
随分月日かかったけど、ユキちゃんは、いいわね! もう認められ
て﹂
そう言われると、杜さんの困った所も嬉しく感じるのが不思議で
ある。俺は照れくさくて少し目を逸らす。
﹁いやいや二十五年かかりましたけど! それで早いでしょうかね
?﹂
澄さんは目を丸くして、俺を見上げる。
﹁そうよね。ユキちゃんもうすっかり大人の男なのよね﹂
そういわれると、逆にガックリとする。
﹁澄さんに、一人前に見られるようになるほうが、難しそう﹂
澄さんはと慌てて顔を横に降る。
﹁いやいや、ユキちゃんは立派な大人よ! ただ、思っちゃうのよ
ね。あの私を見上げて頼って甘えてくれている可愛いユキちゃんの
ままでいて欲しいって。その願望が、ユキちゃんを小さくさせてる
の。私の中で﹂
腕を組み、真面目くさった顔頷きながらそう力説する様子が何故
か可愛らしく見えるのが澄さんである。
﹁いえいえ、子供の時から見守られている澄さんと杜さんの前だと、
209
どうしても甘えてしまうし、頼ってしまいますよ﹂
そう言うと澄さんはパァ∼と顔を明るくする。
﹁本当に? 私を頼ってる? これからも甘えてくれる?﹂
俺が頷くと、澄さんは顔を近づけ俺をジーと見つめてくる。
﹁だったら、約束よ! これからは一人で悩まないでね。 恋の事、
人生の事、相談しても役に立たないかもしれないけど、聞いてあげ
ることはできるから! 一緒に悩んであげるから﹂
﹁頼りにしています﹂
俺は素直に頷いた。澄さんは俺のグラスにワインを注ぎながら、
何故かワクワクしている。
﹁ユキちゃん、今悩みない? 恋の事とか! 人間関係とか!﹂
そう言われ、何故か璃青さんの顔が浮かんだ。
今週に入って忙しくなり璃青さんと全く会えていない。もう元気に
なったのだろうか?
﹁そう言えば、澄さん!
。
お隣璃青さんなのですが、土曜日会った時、お母さんが帰っしま
った事もあるのか、なんか元気なかったんですよ
だから、澄さんも気をかけて下さいませんか? 澄さんは女同士
だし色々話しやすいでしょうし﹂
澄さんは俺の言葉を聞きニッコリ笑い頷く。
﹁勿論よ!
璃青ちゃんのお母様にも頼まれるまでもなく、大切なお友達であ
り仲間ですもの♪
明日、美味しくて元気出るもの持っていってみるわ﹂
澄さんの言葉にホッとする。取り合えず澄さんに任せておいたら
安心だ。
杜さんが戻ってきたら俺も様子見に行こう。そう強く思った。そ
してささやか澄さんとの夜の語りの時間も終わり、その夜も翌日備
えてそれぞれの部屋で休む事にした。
210
澄さんの言う通り、杜さんは一週間もかけずに金曜日の夜に仕事
をやり遂げて戻ってきた。流石に疲労の色は隠せず、若干やつれ目
のクマもスゴイ状態だったが、晴れ晴れとした表情をしていた。か
なり疲れているのだろうがすぐに着替えてきて、いつものバーテン
エリアへと入仕事を始める。やはりそこに杜さんがいるだけで、黒
猫の空気が閉まるというか落ち着く。
杜さんはそこで幸せそうに店内の様子を見ながらお酒を飲んでい
た。
そこには数日俺も立って仕事していたけれど、見えている世界は
まったく違うのだろう。夢を叶え、愛する女性も迷う事一切なく動
き、手にした杜さんである。その見つめる世界を覗いて見たくなっ
た。
俺はソッとそんな杜さんに近付く。空になった杜さんのグラスに
俺はバーボンを注ぎ、もう一つグラスをとってそちらにも注ぐ。そ
して視線を合わせ二人だけで乾杯して杜さんと一緒に店内を見渡す。
﹁本当にすまなかった! ユキくんには特に迷惑かけた﹂
俺はその言葉に顔を横にふる。
﹁大変でしたけど、楽しかったですよ。色々勉強になりましたし﹂
杜さんがその言葉に何やらニヤリとするのを見て、俺は目を細め
軽く睨む。
﹁だからといって、こういう事、ちょっちゅう起こされても困りま
す。俺も今後は小松崎氏とこまめに連絡とってそうなる前に何だか
の働きがけさせてもらますので﹂
杜さんは大げさにため息をついて見せる。
﹁お前も、仕事している男の顔するようなったな。頼もしい反面、
寂しいよ。
まあ、俺もこういう事態はゴメンだ! だからちゃんと管理はし
ていくさ﹂
﹁お願いします﹂
そういって、二人で笑いあった。杜さんが、再びグラスにバーボ
211
ンを注ぐ。
﹁今度、男と男として二人で酒飲むか?
色々教えてやるぞ! 女の落とし方とか、悦ばせ方とか
﹂
杜さんの言葉に頷きかけて、後半の言葉に飲んでいた酒を吹き出
そうになる。杜さんの顔に、ナプキンが投げつけられる。澄さんが
投げたようだ。
﹁ユキちゃんダメよ、折角ここまで真っ直ぐ育ったのに! 杜さん
、ユキちゃんを不良の道に誘うの止めてね!﹂
の真似したら!!
杜さん
この年齢で不良もなにもないだろう。しかし、こう言う茶目っ気
出した杜さんを、澄さんがメッと叱る。いつもの光景がなんか嬉し
かった。澄さんから色々な話を聞いただけに、こう言う状況が以前
以上に微笑ましく暖かいモノに感じる。
こうして人生共に寄り添える相手が自分にも欲しい、そうとも思
った。
212
良い子は勿論、良い大人もマネしては⋮⋮︵後書き︶
ユキくん、杜さんと澄さんとまったりしている場合ではないです。
すぐ近くで、とんでもない事で悩んでいる男性がいますよ!! 話
聞いて誤解解いてあげて∼!!
213
memento
mori
九月に入るとスイッチで切り替わったかのように涼しくなった。
季節だけでなく時間は人に様々な変化をもたらせていたようだ。
一昨日、とうてつの籐子さんが、子供ができたと皆に発表してきた。
しかも実は哲也さんと結婚していたという驚きの真実も明かされる。
皆一様にその事を喜び驚いていたが、俺も同様の驚きと祝福の気
持ちを抱きつつも気にしたのは身重で仕事続けている籐子さん以上
に澄さんの事だった。しかし澄さんは明るく表情を弾けさせ籐子さ
んに抱きつかんばかりに話しかけ喜んでいたことに少しホッとする。
その瞳には確かな喜の表情があり、昔のような危うさや虚ろさはな
かった。
朝のランニングをしていて、ふと思い立って昌胤寺を訪れる。安
住さんの実家でもあるこのお寺、俺は今まで商店街の中で何となく
避けていた場所でもある。
俺は入り口でお辞儀して入り、根小山家のお墓へと向かう。一応
お墓の入り口にあった墓掃除道具を持って目的のお墓を探す。しか
し見つけたそのお墓は綺麗で何もする事ない状態だった。そして恐
らく供えられたばかりであろう花と子供が好きそうなお菓子が置か
れていた。澄さんが来ていたのだろう。
目の前にあるお墓は、俺の従兄弟で根小山夫妻の息子さんが眠っ
ている。
子供時代、何故澄さんが俺の事を﹃ユキ﹄でなく﹃ユウキ﹄と呼
ぶのか分からなかった。しかしそれを訂正しては駄目だというのは
子供心に察する事が出来た。だから俺はしばらくの間、杜さん夫妻
の前では﹃ユウキ﹄くんだった。 根小山優樹。享年一歳で、乳幼児突然死だったらしい。らしいと
214
いうのは、俺が産まれる前の話だからだ。そしてその死の一年後俺
が産まれた。
根小山夫妻が東明一族から距離置かれているのは、杜さんの職業
だけでなく澄さんが俺に行った奇行にもある。赤ん坊だった俺を家
コッソリ連れ帰るという誘拐紛いの事をしてしまい、さらに俺を自
分の子供だと主張し続けた。俺を息子の生まれ変わりと信じ込んで
の行動だったようだ。身内同士での出来事だけに事件とはならなか
ず内内で収められたものの親戚にはその事実は広まってしまった。
その後俺の両親とどういう話し合いが行われたのか分からない。共
稼ぎで忙しい俺の両親の育児に杜さん澄さんという要素が加わるよ
うになっていた。親とは異なり思いっきり抱きしめてくれて、甘や
かしてくれる二人を俺も大好きになった。﹃ユウキ﹄と呼ばれるこ
とに違和感があったとしても。
俺が幼稚園に通いだした辺りから、二人は俺を﹃ユキ﹄と呼んで
くれるようになる。考えたら黒猫をオープンさせたのもそのあたり
からだったかもしれない。
それ以後も忙しい両親に代わって幼稚園、小学校のイベント等に
は来てくれて、夏休みには旅行に連れて行ってくれたりもした。そ
の為、両親とよりも思い出の写真が多いくらいである。そうやって
俺は無邪気に根小山夫妻の愛情を受け続けていた。従兄弟の優樹く
んの存在を知るまで⋮⋮。知った時に感じたのはショックというよ
り優樹くんに申し訳ない気持。彼が受ける筈だった﹁愛﹂﹁そして
それを受ける喜び﹂それを俺が横取りしてしまっているように感じ
たからだ。
何故か優樹君の墓参りに根小山夫妻は俺を付きあわせることもな
かったので、俺はこのお墓を見て見ぬふりをして過ごしてきたが、
今日ついここに来てしまった。しかしここで何をすべきか分からな
い。
勢いで来てしまった為に手ぶら。お花なりお菓子などのお供え物
もってくるべきだったとも後悔する。
215
ユキ
﹁おや、透くん珍しい﹂
とりあえずお線香を買いお墓に向かって手を合わせお参りしてい
ると後ろから声がかかる。このお寺の住職安住秀平さんだ。俺は挨
拶するために立ち上がる。如何にもお坊さんという感じで落ち着い
た空気を纏っている。穏やかな柔らかな雰囲気でいながら何処か威
厳も感じさせるそんな方である。あのキーボくんの二号さんに入っ
ている安住さんと雰囲気は全く異なるのに、改めて見ると顔立ちは
似ている事が不思議で面白い。そしてコレが親子であるというのを
実感する。
﹁おはようございます。ちょっと優樹君のお墓参りに、今まで従兄
弟なのに全くここに来ていなかったので﹂
かなり薄情なことをしてきた事が疚しく感じ目を伏せるが、秀平
さんは目を細める。
﹁良い事だね﹂
その言葉に俺は顔を横にふる。
結局は優樹くんの為でなく自分の為に来たことも見透かされた気
がして恥ずかしくなる。そんな俺をみて、秀平さんは穏やかに笑う。
﹁人は人との関わりの中、自分を見出していくものだ﹂
俺はどう言葉を返すか悩み、静かに視線を返す。
﹁相手が生者であれ死者であれ、その相手と向き合うと言うことは、
己と今居る場所を改めて見つめ直すということ。
未来へ進む為にも今の自分の場所を時々確認するのは大切なこと
だよ。何処かに行くのに地図が必要なように、人生にも座標は必要
だからね﹂
その言葉にハッとする。ただ今の俺にはその座標が見えてもそれ
同士をどう繋げるべきか分からない。秀平さんはお寺のお仕事があ
るのだろう、挨拶して去っていった。
俺はその背中を見送ってから、改めて自分と優樹くん、そして根
小山夫妻との関係を考える。優樹くんが今も生きていたら、俺は此
処に今こうしている事もないだろう。
216
そしてこんなにも根小山夫妻に甘える事も出来なかったと思う。
俺は自分に両親もいながら、根小山夫妻にも甘えるというズルい生
き方をしてきたようにも思える。
俺は大きく深呼吸して昌胤寺を後にした。
根小山ビルヂング前に戻ってきたら、澄さんが朝刊を取りに降り
てきていた所だった。俺がいつも取って上がっていたのだが、お墓
参りしていたこともあり遅かったから、自分で取りに来たのだろう。
俺の顔を見て嬉しそうに澄さんは笑う。
﹁お帰りなさい。透くん﹂
俺は﹃ただいま﹄と言いながら、その言葉に何か切なくなる。
﹁今日は遅かったわね。
ん? どうかしたの?﹂
俺は口角を上げ、笑みを作る。
﹁⋮⋮昌胤寺に行っていたので﹂
俺の言葉に目を丸くして驚いた顔をする。しかしすぐにいつもの
優しい笑みを浮かべる。
﹁ありがとう! 優樹も喜ぶわ、透くんが会いに行ってくれたから﹂
俺はその言葉にどう答えたら良いか分からず曖昧な笑みを浮かべ
る。澄さんはそんな俺に﹃汗流してらっしゃい。朝食一緒に食べま
しょう!﹄
そう言って俺を促してエレベーターに一緒に乗せる。
自分の部屋に一旦帰りシャワーを浴びて着替えてから四階に行く
と、澄さんがキッチンで朝食を作っているところだった。俺はちょ
うど来たタイミングで沸いたケトルの火を止め、カウンタにセット
してあったドリッパーにお湯を落と珈琲を淹れる。ここに来てもう
すぐ二年。会話なくても自然にこういった役割分担ができるように
なっている。
﹁杜さんは?﹂
俺が聞くと、澄さんはフフフと笑う。
217
﹁寝ているわ。仕事していて寝たのも明け方だったみたいだから﹂
俺は頷き二杯分の分量でお湯を注ぐのを止めた。そして二人での
朝食の時間がスタートする。季節の事とか、商店街の事とか他愛な
い会話を楽しんでいたけれど、ふとした拍子に二人の会話が止まっ
てしまう。俺はその沈黙に耐え切れず口を開こうとしたら、澄さん
が俺の事をジッと見つめているのに気が付き言葉を発するのを止め
てしまい、二人で不自然に見つめあってしまう。
﹁あっ。す﹂
﹁ユキくん﹂
同時に声をかけてしまったので、俺は澄さんに譲り再び口を閉じ
る。
﹁ずっと、透くんに言いたかった事があるの﹂
﹁⋮⋮え?﹂
澄さんは手に持っていたマグカップをテーブルに置く。
﹁貴方の優しさにずっと甘えてしまってゴメンナサイ﹂
俺は慌てて顔を横に振る。
﹁そんなこと、俺こそ⋮⋮﹂
﹁私は貴方を身勝手な感情で傷つけ続けていた。でもそんな私を貴
方が受け入れ続けてくれたから、私は救われた﹂
俺はただ﹃イヤイヤ﹄と言って否定することしか出来ない。
﹁私は貴方を優樹として扱い、貴方を否定し続けていた﹂
その事を理解していたものの、流石に面と向かって言われると傷
つく。しかし同時に自分も同じだと思う。二人が俺を息子代わりに
しているのを知っていてそれを利用し甘えてきた。そして優樹くん
の存在を俺で塗りつぶしてしまった。
﹁それは、俺も﹂
澄さんは、困ったように顔を横にふる。
﹁兄さんは、私達夫婦の事を、貴方にどう話していたの?﹂
俺はそう言われ困る。父も母も何も言わなかった。ただ普通に俺
の叔父さんと叔母さんとして話をしていた。
218
﹁実はずっと貴方を養子に求めていたの。でもベビーシッターとし
て私達を利用するだけで応じてくれないその事に不満を感じていた
わ。でもある時、逆に兄さんに凄く怒られちゃったわ、私達﹂
父は静かに人を諭す事はあっても怒るという事はしてこない人で
ある。それに澄さんには優しい。それだけにその言葉に驚く。
﹁私達が貴方を﹃親同然で可愛がってくれると思うから預けていた
が、透の人格を否定して、優樹である事を押し付けるようならば、
もう任せられない﹄と。﹃そうしてこれかもそうして接するつもり
ならば二度と貴方を預けない﹄とも言われたわ。それで自分がどれ
だけ酷い事を貴方にしていたのか気が付かされたの﹂
父と根小山夫妻の間でそんな会話がされていたなんて知らなかっ
た。
﹁それで、目が覚めたの。貴方は優樹ではなく、透なんだって﹂
澄さんは俺に向かって微笑む。
﹁どちらも私達にとってかけがえもない愛しい存在なのに。それな
のに私達自身がその二人を否定してしまっていたんだと﹂
俺は違うと顔を横にふる。
﹁お二人にとって、俺なんかが優樹くんの代わりが務まるなんて思
っていません。優樹くんはそれ程、澄さん達にとって特別な存在だ
から。そして俺こそ澄さん達に優しさにずっと甘えてしまってきて
いた﹂
澄さんは顔を傾け、少しだけ哀しそうに笑う。
﹁優樹は確かに私が唯一この世で生む事が出来た子供。それだけに
愛しいし大切な子供。でも貴方は私を生き返らせてくれた子供。貴
方が私達を受け入れ愛してくれたから救われた﹂
澄さんは立ち上がり、テーブルを回りこみ俺に近づいてくる。そ
して俺を抱きしめる。
﹁だから、ずっと言いたかったの、アリガトウって。そして優樹の
代わりなんかじゃなく、貴方を、透くんを愛しているってちゃんと
伝えたかったの﹂
219
俺はその言葉にホッとするのと同時に喜びを感じる。
﹁俺も澄さんの事、杜さんの事を愛してますよ。俺の成長を親と共
に見守ってきてくれたお二人を﹂
澄さんは俺がそう言うとフフフフフと笑い﹃それは、知ってる﹄
と悪戯っぽく応える。
﹁でも、透くんには、私達の気持ち通じてなかった気がしたから。
ダメね大切な事って口にちゃんとしなければ。透くんだから好き
なの。貴方だから可愛いの!﹂
二人で顔を見合わせて笑う。そして澄さんは再び俺を優しく抱き
しめてくる。
﹁だからさ、もう私達に遠慮なんてしないで、思う存分甘えて! 我儘言って。私達の可愛い子供でもあるのだから﹂
我儘を言いたいかというと、首を傾げてしまうけど、俺は﹃はい﹄
と答え澄さんを抱きしめ返した。俺も二人が甘やかしてくれるから
好きなのではなくて、二人だから大好きなんだ。
二人で抱き合っていると、階段を降りてくる音がする。
﹁おはよう、って。二人で何してるんだ?﹂
寝不足らしい赤い目で杜さんが挨拶してくる。澄さんは俺から離
れ嬉しそうに杜さんに近づいていく。
﹁おはよう♪ 透くんと愛を確かめ合い、より親睦を深めていたの
♪﹂
澄さんがえらく適当な説明をする。杜さんは澄さんのキスを受け
ながら、ムッとした顔を返す。
﹁澄、ズルいぞ、そんな面白そうな事するのに俺を呼ばないなんて﹂
澄さんはフフフフフと笑う。
﹁お寝坊さんしているのが悪いのでしょ? 早起きは三文の得って
いうじゃない﹂
杜さんは納得いかないという感じで俺をチラリと見てくる。この
まま拗ねるとかなり面倒くさくなるので近付くと、澄さんと共にガ
シッと抱きしめられる。
220
それで満足したのか、﹃腹減った﹄と澄さんに甘えた声を出し、
俺をチラリと見てニヤリと笑う。
﹁珈琲飲みたいな、濃いやつ﹂
俺は頷いて杜さんの為にも、珈琲を煎れることにした。
この朝から具体的に根小山夫妻との付き合い方が変わったか? というとそうでもない。相変わらずこういった、他人から見れば馬
鹿に見えるやり取りを楽しみ、笑いあっている。でも違いは、俺が
自信を持って二人を大好きだと言えて、二人の俺への言葉を素直に
受け取れるようになった事だけ。しかし俺にとって大きな意味のあ
る朝だった。
221
memento
mori︵後書き︶
コチラの物語を書く際、鏡野悠宇さん、饕餮さんにご協力していた
だきました。
内容だけでなくサブタイトルについても相談に乗っていただきあり
がとうございました。
222
月の引力
空を見ると夏とは明らかに違う淡いブルーで少し遠くに見える。
もう秋になったことを改めて感じさせくれた。
璃青さんも、秋らしいダークブラウンとベージュがチェックにな
っている丈の長いシャツブラウス、紺のデニム地のふんわりとした
ロングスカート姿で、おそらく彼女お手製のブルーの石を使った素
朴な味わいのあるネックレスを胸に垂らしていた。シンプルでいて、
然り気無くアクセサリーを使いお洒落を楽しむ。それが璃青さんの
スタイル。自らお手製のアクセサリー使って見せることでお客様に
アピールしているという意図もあるのだろうが、そのナチュラルな
雰囲気は、璃青さんによく似合っていた。いつの間にか日課のよう
に隣を訪れるようになっていた俺は、彼女の向かい側に座り金魚を
眺めながら、今受けようとしているワインエキスパート試験につい
て話をしている。本当はソムリエの方を受験したいのだが業務経験
日数が規定に満たない為に、二十歳以上であれば受験可能のコチラ
をチャレンジすることにしたのだ。璃青さんは、そんな俺の言葉を
穏やかに笑いながら聞いてくれている。
璃青さんが人の話を聴くのが上手いのか、いつになく多弁になっ
ている自分を感じた。受けようとしている試験の事、黒猫でやって
みたい事。俺は何故こんなに彼女に夢中で話しているのだろうか?
俺は璃青さんの側に居る事に例えようのない居心地のよさを感じ
ながら、他愛なくも平和な毎日を過ごしていた。
﹃明後日の夜、七時にあの花火の河原で待っています。 澤山 璃青﹄
九月も二週目に入ろうと言う時期に、そんなメールが璃青さんか
223
届く。何か考えるよりも前に自分がニヤついているのを感じた。ど
うしようもなく嬉しい。バレンタインやクリスマスに誘われるより
も、月見に誘われる、ということが特別に感じるのは俺だけだろう
か?
﹃あの花火の河原﹄というフレーズも胸が熱くなるような感情を
沸き起こす。空に咲く大輪の花、浴衣姿の璃青さんの姿、腕にしが
みついてくる柔らかく暖かい感触、香りが蘇り俺をドキドキさせる。
朝、その河原をランニングしていても、いつも以上にテンション
が上がり、空を見上げては当日の天気を気にしていた。
その想いが通じたのか朝から天気もよく雲もない絶好の月見日和
となった。
約束の時間よりもかなり早く到着してしまったのに、彼女はもう
なんて事を考え、それはな
河原に佇んでいた。内心驚きつつも、もしかして璃青さんも楽しみ
で待ちきれなくて早めに来てくれた?
いかと⋮⋮と否定する。
軽い挨拶をして、璃青さんの促す声で、二人で河原をゆっくりと
歩く。夏の時と異なり、少し冷たい風が気持ち良い。秋の虫と自生
のススキが月見を素敵に演出していた。
﹁綺麗ね﹂
﹁そうですね、⋮⋮⋮本当に綺麗だ⋮⋮⋮﹂
静かに会話しながら歩いた。前を行く璃青さんの細く少しクセの
ある、柔らかそうな髪からシャボンを感じさせる爽やかな香りが漂
い鼻腔を擽る。冴えわたった空にはポッカリと丸くて大きな月が浮
かぶ。
俺は小さく深呼吸して、この今の空間を五感で楽しんだ。
気が付くと辺りも暗くなっていて、風景を闇色に染めて周囲の存
在を消していく。今の俺が感じるのは、夜空で耀く月と、少し前を
歩く璃青さんと、二人を包む風と、控え目に秋を謳う虫の聲だけ。
224
﹁ぁっ!﹂
﹁璃青さん!﹂
暗くて足元が不安定だったのだろう、璃青さんが転びそうになる
のを慌てて両手で支える。
すると胸に引き寄せたような格好になり、思いがけず密着してし
まった。すぐにそっと手を離したけれど、動揺と恥ずかしさからか
俯いて小さい声で﹁あ、ありがとう﹂と呟く璃青さんがなんか可愛
い。
﹁いえ。璃青さんが無事で良かったです﹂
年上なのに、何処か可愛くて守ってあげたくなる。そう言ったら
気を悪くするだろうし、そんなに守らなきゃならんしような弱く頼
りない女性でもない。自分の足でシッカリ立ち歩いている大人の女
性。
﹁手、繋いでもいいですか?心配なので﹂
手を既に取ってしまってからこの言葉もないなと、自分に笑って
しまう。けれど、今はこの手を放したくなくて、俺は返事も待たず
に歩き出す。璃青さんは、そんな俺に小さく溜め息をつき、何も言
わずにそのまま歩いてくれる。何でもない会話をしながら、“璃青
さんから見て俺ってどういう存在なのだろう?” と思う。“単な
るお隣さん”? “弟みたいな子”? それとも⋮⋮⋮。
﹁ねぇ、ユキくん﹂
﹁はい﹂
突然、名を呼ばれドキリとする。と同時に彼女の方から、繋いで
いた手をそっと離された。温もりを失った手が寂しいと思ったその
時、俺の手のひらには代わりに何か小さな布の袋がのせられていた。
﹁この間言ってたお礼。はい、これどうぞ﹂
軽く握ると中に石のような硬いモノが入っている感触がする。
﹁これは?﹂
225
﹁天然石で、お守りを作ってみたの。でも、こんなの貰っても重い
よね。ごめんね。あの、お気に召さなかったら処分してくれてもい
いの﹂
俺の為に? その言葉に胸が熱くなる。一体どんな気持ちでこれ
を作ってくれたのか⋮⋮。
﹁そんなことしませんよ!⋮⋮⋮どうししようもなく嬉しいです!
ありがとうございます。大事にしますね!﹂
もっとスマートにお礼を言いたかったのに、少し支離滅裂で情け
ない。
﹁うん、どういたしまして﹂
そんな俺に璃青さんは目を細めて笑う。
﹁忙しいのに出てきてくれてありがとう。遅くならないうちに帰り
ましょう?﹂
貰った御守りを握り締めその手触りを楽しんでいると、璃青さん
はこの時間の終わりを静かに宣言してくる。
﹁もう少し、月、見ていきませんか?﹂
まだ終わらせたくなくて首を横に振り、そう返してしまう。
﹁⋮⋮⋮⋮え﹂
﹁折角の中秋の名月ですよ。こんなに綺麗なんだからもっと見てい
たい。
⋮⋮⋮⋮璃青さんと﹂
戸惑っている感じの璃青さんに俺はさらにそう言葉を続ける。若
干駄々をこねた感じになったのが恥ずかしいのもあり月に視線を戻
す。
﹁月って神秘的な力を持っているんですよね。ただ空にあるだけで、
海を持ち上げ、地球にいる生物に影響を与える﹂
二人の間に降りた沈黙で生まれた間を埋める為にそんな話題を始
める。
﹁そうね。満月の夜は、子供が産まれやすいって言うものね﹂
そう受けてくれた事で、彼女が帰ることを思い留まってくれたこ
226
とを感じた。でもヤレヤレと諦め仕方ないという顔しているのかも
しれない。でも怖くて月から視線を動かせず確認出来なかった。
﹁実はね、俺も満月に呼ばれて、予定より早めに産まれてしまった
子なんです。そのせいで色々スケジュールが狂って大変だった、っ
て母から未だに文句を言われる事がありますよ﹂
間が怖いので、俺は何故どうでも良い会話を続ける。
﹁そうなんだ。じゃあ、ユキくんは月の子なのね﹂
その言葉に思わず彼女を見つめていた。真っ直ぐ俺を見ているそ
。璃青さ
の視線に息を呑む。その白い頬に手を伸ばし、風に煽られて揺れて
いた髪を指先で梳いてしまったのは本当に無意識だった
んがビクリと固まり、我に返る。
﹁すいません、少し乱れていたので﹂
俯いて頬を染め、小さく﹃ありがとう﹄という璃青さんに若干の
疚しさを感じる。同時に胸の鼓動が激しく動き出す。
﹁人間、いや、地球にいる生物全てが月の子なのでしょうね。月に
こうして力を貰って生きている。満月を見ていると、何故か元気に
なりませんか?﹂
一見真面目に聞こえるけど、意味のないどうでも良い話題を続け
た。これ以上不用意に触れてしまわないように、そして心の乱れを
誤魔化すように。
﹁⋮⋮⋮⋮そうだね﹂
璃青さんは頷き、明るくニッコリと笑顔を俺に返す。先程の俺の
行動をまるで気にしていないかのようなその表情にホッとする反面、
寂しいとも思う。彼女の中では男とすら意識されてない自分を実感
してしまったから。そこまで考え自分の想いに気が付く。俺が璃青
さんを気にしていたのは、お隣さんだから、とか、か弱い女性だか
らではない。璃青さんだから。俺は左手で握ったままの御守りをギ
ュウと握りしめる。優しく俺に笑いかけている璃青さんに、俺もニ
ッコリ笑顔を返し、再び視線を月に戻した。そのまま二人で黙った
まま、ただ月を見つめ続ける。
227
クシュン
璃青さんのくしゃみの音がその沈黙を破った。
﹁流石に冷えて来ましたね。戻りましょうか?﹂
今度は断りなく璃青さんの手をとると、その手は柔らかいけれど、
夜の冷気ですっかり冷たくなっていた。
﹁すいません、寒かったのでは? こんなに冷えて﹂
﹁やだ、気にしないで。誘ったのはわたしなのよ? まだ九月だし
そんなに寒くないと思ってたけど、夜は湿度も下がるのかな。もう、
ちゃんと秋なのね﹂
ぁ⋮⋮﹄と、一瞬戸惑いを見せた。俺は気
そう言いながらまた離れようとするその手を包み込むように握り
直すと、璃青さんは﹃
付かない振りをしてそのまま歩き出す。璃青さんがその手を引っ込
める事も、離してと言う事もないのを良いことに⋮⋮。そして冷た
かった璃青さんの手が、俺の体温を移して少しずつ温まっていく事
に幽かな喜びを感じていた。
228
月の引力︵後書き︶
コチラの作品も たかはし葵さまと二人で話し合いあって作った物
語です。﹃Blue Mallowへようこそ∼希望が丘駅前商店
街﹄にて既に同じエピソードを描かれています。同じエピソードで
すが視点変えると意味が若干異なって見える様子を楽しんで頂けた
ら嬉しいです。
229
その縁︵えにし︶の名前
昨日の夜から、俺は貰った御守りを何度も袋から取り出しては眺
めていた。まるでサンタクロースからのプレゼントを喜ぶ子供のよ
うに。
璃青さんから貰った御守りは黒く光る石とグリーンの縞の入った
石を繋いで輪になったものに革の紐がついたもの。それぞれの石が
互いに引き立てあったクールなデザインで、見ていると心落ち着く
というか引き締まる感じ。同時に気持ちが高揚してくるのは御守り
の効果ではなく、俺が単純に喜んでいるだけなのだと思う。
この御守り青い石が一つだけ入っているのも印象的だった。この
御守りを見ていると、夜空の下まだ緑の色を帯びたすすきの生い茂
った土手に佇む璃青さんの姿が目に浮かぶ。黒い石が夜の空で、緑
のストライプの石がすすきの土手、そして青い石が璃青さん。俺は
その青い石をソッと指で撫でる。
こういう手作りの御守りをどういう意味でくれたのだろうか? 俺が試験の話とかし過ぎたからなのか? それとも⋮⋮少しは好意
をもっての事なのか?
俺はその御守りを袋に戻し胸ポケットに入れて上から手で押さえ
た。
下の階と繋ぐスピーカーから澄さんの声が聞こえる。遅めの朝食
への誘いだったが、もう俺は一人で先に食べていたので珈琲だけ頂
く事にした。
相変わらず仲の良い二人の様子を微笑ましく見つめながら、俺は
会話を楽しみつつ珈琲を飲む。ポケットに御守りの重さを感じなが
ら。
﹁そう言えば昨晩の璃青さんとの月見デートはどうだったんだ?﹂
杜さんの言葉に、俺は珈琲を噎せる。
230
﹁あら、デートだったの!?﹂
澄さんが真顔でそんな事聞いてくるのに俺は首を横にふる。
﹁そんな、ちっ違いますよ! 璃青さんが俺なんかそんな風に見て
くれている筈もないじゃないですか!﹂
澄さんが﹃あら?﹄と謎の合いの手を入れて、首を傾げ杜さんに
視線を向ける。杜さんは人の悪い顔でニヤリと笑い肩を竦める。そ
れに澄さんがニッコリ嬉しそうに笑う。何となく内容は察する。夫
婦の視線だけの会話止めて欲しい。下手にツッこんだらやぶ蛇にな
りそうだから何も言わない事にする。
﹁あら、私がもう少しだけ、若かったらユキくんに恋に落ちて夢中
になりそうよ! こんなキュートで、そして優しい男の子♪ 素敵
過ぎるもの。ねえ杜さんが女の子だったら惚れちゃうわよね?﹂
杜さんは苦笑するが頷く。
かん
﹁確かにね。しかも恋のライバルだったら最強に厄介だ、澄の可愛
にい
さと優しさに、寛さんの冷静さと頭の良さも併せ持ってるなんて﹂
杜さんは目を細め俺に視線を向ける。
﹁最近ふとした拍子にユキくんの口から義兄さんのような言葉出て
きてドキリとする時がある。ズバリとした言葉で俺を叱ってきた時
とか?﹂
最初燗さんの話をしていたのかと思ったけれど、違ったようだ。
まさか、ここで父の名前が出てくるとは思わず驚く。パーツは父と
似ているものの、線が細くどちらかというと、叔母である澄さんに
性格も顔もソックリと言われ続けてきた。父とは印象が真逆なよう
だ。
﹁確かにビシリ! って言う時のユキくんお兄さんにも似てるかも。
杜さん、頭上がらない人増えちゃったわね∼﹂
そうからかう澄さんに、杜さんは頭を掻く。
﹁まあ、嬉しいんだけどな、ユキくんに怒られるのは。
好きな人達に叱られるのって嫌いじゃないみたいだ、寧ろ嬉しい﹂
﹁何言っているんですか。良い年して俺に叱られたいなんて。シッ
231
カリしてください!
でも杜さん父のこと苦手ですか?﹂
あえて勢いで聞いてみる。杜さんは、困ったように笑う。
﹁彼の妹をたぶらかすし、君を⋮⋮いや⋮⋮。
それこそ叱られる事しかしてきてないから。
でも好きな相手だから頭上がらないというのかもしれない。寛さ
んは根っからの教育者だ。向こうから見たら俺は指導しがいのある
相手で、俺からしたら見透かされている分、素のままぶつかれる相
手だしな。
俺の仕事も見てくれていて、チェックしてくれて、これがまた鋭
い事言ってくるんだよな⋮⋮、
全て正論だからグウの音もでない。君と違って俺は彼にとって世
話のかかる家族なんだろ。呆れながらも見守ってくれて感謝してい
るよ﹂
杜さんの言葉が嬉しくて微笑む。杜さんが父の事を穏やかに嬉し
そうに話す事に安堵したからだ。昔、真夜中に杜さんと父が激しく
ぶつかっていたのを偶然聞いた事があっただけに、杜さんには父の
事、父には杜さんの事を話しにくかった。
歯に衣着せぬ感じでいつもキッパリと言葉を投げ掛けてくる父。
その言葉は優しくなく厳しかった。俺が子供だった頃から容赦なく
傷ついたことも多かった。凹む事の方があまりにも多く苦手意識も
多少あるが愛している。
情熱的で想いのまま行動する杜さん。ここまで真っ直ぐで熱い愛
を注ぎ続けてくれた人はいない。二人とも違う意味で、俺が尊敬す
る大人で俺にとって大切な存在。しかしその二人は俺と澄さんがい
ることで関わらざるをえないという複雑な関係になっていた。その
二人が知らないうちにメールで色々対話していたのは驚きである。
﹁そう言えば兄さんからのメールに年末近くで学会の集まりあると
言ってたわ、その時ここにも来てもらえば? 偶にはユキくん親子
水入らずで話をしたいでしょ?﹂
232
澄さんがそう話を挟んでくる。﹃どうせなら四人で呑みましょう﹄
と言おうとして止め、俺は素直に頷く。父親とも色々落ち着いて話
したくなったから。気が付けば俺がこのメンバーで、一番父と対話
していなかった事にも気が付いたのもある。
﹁メールで思い出したわ! 璃青さんのお母さんから教えて貰った
んだけど、明日って璃青さん誕生日なのね!﹂
しみじみと父と杜さんの事考えていたが、澄さんのその言葉で二
人の事が頭から吹っ飛ぶ。
﹁え?! 明日?!﹂
そう聞くとなんか居てもたってもいられなくなる。俺は持って居
たカップ中に残っていた珈琲を飲みほして、二人にご馳走様の挨拶
をして外に飛び出した。
璃青さんのプレゼントを買うために駅前のデパートに到着したも
のの、途方にくれる。先ずはアクセサリー売場等を巡るが、アクセ
サリー製作している人に、アクセサリーを贈るというのもどうなの
か? とも思う。しかも雑貨店を経営している人だけに、何か雑貨
を贈るというのもマヌケな気がする。璃青さんに何を贈ったら喜ん
で貰えるのか? お酒は弱いし、だったら紅茶や珈琲? しかし、
それだと誕生日プレゼントぽくないように思う。秋から使えるスト
ールとか? 考えれば考える程、何を選べばよいか分からなくなる。
一旦頭を冷やす為に駅ビルのカフェで休憩する事にした。その喫
茶店は壁面が大きな水槽となっていて、その中で優雅に泳ぐ魚を楽
むようになっていた。俺は珈琲を飲みながらその水槽をぼんやりと
眺め和む。その水槽を眺めていると︻Blue Mallow︼に
ある金魚の水槽が頭に浮かぶ。今は下に砂利が敷かれているものの、
あるのは水草だけ。美しくアクセサリー等でディスプレイされてい
る水槽を見ていると、あの水槽もこういう感じで遊びを入れてみた
ら、あのお店の雰囲気ももっと素敵になるのではないか? とも思
233
う。そう考えると楽しくなってきた。珈琲も飲み終わったので、カ
フェを飛び出しそのまま、以前二人で訪れたペットショップへと向
かう。そこで色々吟味した結果、落ち着いた色で、金魚も空いた穴
をくぐって遊べそうな感じの遺跡をイメージした水槽アクセサリー
にそれに合った岩のアイテムを加え、それだけだと寂しいのでいつ
もより高級な金魚の餌も一緒に購入してセットしてもらいプレゼン
トラッピングをしてもらった。
喜んでもらえるだろうか? そんなドキドキを胸に手プレゼントを
手に提げ商店街に戻っていった。
234
BlueMoonを君に
日が変わり、璃青さんの誕生日になった。平日なので午前中はビ
ル管理の仕事をして、午後に花屋で花束を作ってもらいそれと一緒
にプレゼントを渡しにいこうと考えていた。しかしこういう時に限
って、根小山ビルヂングを出た瞬間に璃青さんと出会ってしまう。
こういう時はどう挨拶すれば良いのだろうか?
﹁ユキくんおはよう﹂
そう挨拶されてしまうと、﹃おはようございます﹄と素直に返す
しかない。ここで部屋にプレゼントを取りに戻るのも不自然に思え
るし、出来たらスマートに渡したい。それに誕生日だというのにあ
まりにも、いつもと変わらない璃青さんの様子から、余計に話題を
出しにくかった。
御守りのお礼言い今も身に付けている事を伝えると、璃青さん何故
か照れる。でも今お礼よりももっと伝えたい言葉がある。でもなん
かタイミング逃した気がする。
﹁どうしたの?﹂
首を傾げそう問いかけてくる璃青さんに俺は、一つの疑問をぶつ
ける。
﹁璃青さんは、今夜何か予定ありますか?﹂
平日だから璃青さんも仕事休めるわけもない。しかし夜はお友達
とかとお祝いとかするのだろうか?
しかし璃青さんは困ったように笑い首を横に振る。
﹁別に何もないけどうして?﹂
そう答える璃青さんに、悪戯心が沸き起こる。
﹁でしたら黒猫来られませんか?﹂
璃青さんは首傾げる。
﹁え?﹂
﹁新メニュー試して頂きたくて﹂
235
璃青さんは目を見開く。﹃わたしが?﹄とその表情が言っている。
こういう感情が素直出てくる所が可愛らしい。
﹁わたしなんかで良いの?﹂
そう返してくる璃青さん俺ニッコリ笑い頷く。
﹁璃青さんだからこそ、お願いしたいんです。駄目ですか?﹂
璃青さんは困ったように俯くが、何か覚悟を決めたようだ。顔上
げてフワッと微笑んできた。
﹁分かったわ、わたしでお役にたてるかは謎だけど、お手伝いさせ
ていただくわ!﹂
その笑顔に少しドギマギしながら俺は璃青さんに笑い返す。
﹁助かります﹂
璃青さんと約束取り付けて別れ、第二ビルヂングに向かう途中、
澄さん携帯で連絡する。俺の計画を話すと、大はしゃぎでその計画
に一緒に乗ってくれることになった。
俺は張り切って清掃の仕事を済ませ、そのままデパートに行き、
澄さんからきたメールに入っていたお買い物リストを購入して、商
店街に戻り花屋さんエスポワールコリーヌへと向かう。ここは黒猫
で飾るお花とかいつもお世話になっているお店で、色々相談しやす
い。店長の真田芽衣さんは、贈り物の花束というと、何故か嬉しそ
うに﹃え、それって女性にですよね? どんなタイプの人? そう
! 誕生日用! 色はカワイイ感じがいい? 大人っぽい感じ?﹄
と色々聞いてくる。いつもはホンワカした感じの方なのに、今日は
何故かパワフルである。
今の季節お勧めだという淡いピンクの八重咲きのマムという花を
中心に薔薇やカーネーションといった花で淡いピンクからパープル
で品よく纏めたラウンドブーケを作ってもらう。ピンクのラッピン
グがなんとも可愛らしくて素敵だった。璃青さんには喜んで貰える
だろうか?その花束を繁々と見つめていると芽衣さんが顔を寄せて
くる。
236
﹁そのマムってお花の花言葉知っています?
﹃貴方を愛しています﹄なのよ!﹂
その言葉にドキっとして顔が赤くなるのを感じた。そんな俺を見
て芽衣さんはニコリと笑う。
﹁えっそうなんですか、ありがとうございます﹂
流石プロである、お客さんの想いにピッタリの花束を作り上げて
くる。そこに感動する。
﹁そういう感じの花束になっちゃっているけど、大丈夫かしら?﹂
そう俺の顔をジッとみて聞いてくるので俺は照れたまま頷く。
﹁はい、それで大丈夫です! 嬉しいです! ありがとうございま
す。そんな素敵な花束作って頂いて﹂
俺の言葉に芽衣さんはフンワリと笑い﹃頑張ってね!﹄と応援し
てくれた。なんかその笑顔でもパワーが湧いてくる気がした。俺は
頷き﹃頑張ります﹄と言ってお店を後にした。最高な花束を作って
もらい今日の俺のサプライズは間違いなく上手く行きそうな気がし
た。
家に戻ると、澄さんと杜さんが待ち構えていた。そしてこういう
プレートを用意したら良いのではないか? こういうカクテルを作
ってみたらどうだ? とアイデアをくれる。
今日思いついた事と仕事しながらという事もあり出来る事は限られ
ている。そこで通常メニューにアレンジを加え可愛く見せる事にした
そして俺が考えたのはポテトサラダで作った親猫の回りに鶉の玉
子で作った仔猫を寄り添わせたものをお通しとして出して、メイン
ディッシュはワンプレートで様々料理を楽しんでもらうことにする。
本日のキッシュを一つだけハートの小さい型で作ってもらい、同
じ皿に薔薇のように盛り付けたスモークサーモンに、葉っぱのよう
に型どったホウレン草のムース、シェルパスタをクリームソースで
和えたモノに型抜きした色とりどり野菜を散らしたものを用意して、
237
Birthdayの文字をチョコペンで入れる。
デザートは猫の型で作ったチョコムースにアイスクリームを添えた
お皿にHappy
それを見て璃青さんは驚くだろうか? 喜んでもらえるだろうか
? でも璃青さんが生まれたという記念を何がなんでもお祝いした
かった。
夜になり璃青さんはやってきて、杜さんと澄さんに挨拶する。そ
して俺は奥のソファー席に彼女を案内した。喉も乾いているだろう
から、さっぱりした味のノンアルコールのサマーデイライトを最初
にだし、料理を持って行く。
最初のお通しを見た瞬間に璃青さんの顔がパッと明るくなる。
﹁か、カワイイ! 食べるのがもったいないくらい!﹂
ジーと猫のポテトサラダを見つめている。
﹁ハロウィンの時は、カボチャサラダにして、トラ猫っぽくしても
良いかなと思っているんですよ﹂
ニコニコと俺を見上げてくる。
﹁いいと思う!! そうか、このサラダで黒猫は難しいものね。で
もカボチャ色の猫さんでもハロウィンぽくていいかも﹂
嬉しそうに話す璃青さんの顔に俺もニコニコしてしまう。そして、
メインディッシュを出すと、それに対し一生懸命味や盛り付けにつ
いてコメントして、試食という仕事を真面目に果たそうとしている
ところを感じ少し心が痛む。
満足げにメインディッシュプレートを終えた璃青さんの前にそっ
とデザートディッシュを置くと、璃青さんの目は見開き丸くなる。
ジッとお皿に書かれた﹃HappyBirthday﹄の文字を見
つめ、そして俺の方をそっと見上げてくる。その唇が﹃どうして⋮
⋮﹄と動くが声はない。
﹁誕生日おめでとうございます﹂
﹁ぇっ﹂
238
﹁そしてコチラもどうぞ! カクテル、ブルームーンと言って九月
の誕生石カクテルなんですよ﹂
俺は淡いパープルのカクテルをそっとテーブルに置く。九月の誕
生石カクテルも月の名をもつなんて。なんて素敵な偶然なんだろう
かと思った。しかもこのカクテルの元になったブルームーンは数年
に一度しか起こらない珍しい現象。その為﹁見た人を幸せにする月﹂
とされ、転じて幸運の象徴になっているらしい。そんな想いを籠め
て俺が作った。
薄紫のカクテルを璃青さんは潤んだ瞳で見つめる。もしかして泣
いてしまう? 俺はドキリとする。
﹁ありがとう。びっくりしたけど、すごく嬉しい。でも、どうして
今日がわたしの誕生日だって⋮⋮﹂
﹁貴女のお母さんが澄さんにその話をしていたので。それで騙して
きてもらっちゃいました。ごめんなさい﹂
俺は、騙した形になった事を謝ることにした。そして用意してい
たプレゼントと花束を渡す。璃青さんはその花束に驚いた顔をする
が受け取り、そっと抱きしめる。
﹁本当にありがとう。でも、もう祝ってもらうような年じゃないの
よ?﹂
﹁そんな事ないです! 貴方が生まれた日をどうしてもお祝いした
かった﹂
璃青さんが驚いたように顔を上げたので、俺も慌ててしまう。
﹁澄さんも杜さんも、同じ気持ちですよ! 商店街の仲間である貴
方のお祝いをしたくて⋮⋮﹂
恥ずかしくて目を逸らしてしまう。
﹁後で杜さんと澄さんにもお礼を言わなくちゃね。お蔭で最高の誕
生日になったわ。 ユキくん、ありがとう⋮⋮⋮﹂
涙の溢れそうな潤んだ目のまま、そうお礼を言う璃青さんに俺は、
モゴモゴとした言葉を返す事しかできなかった。璃青さんにとって
楽しい誕生日にする事はできたようで良かった。そして彼女の記念
239
すべきこの日をこうして共に過ごせた事で幸せを噛みしめていた。
240
BlueMoonを君に︵後書き︶
コチラの物語、たかはし葵さんと楽しく作っていて楽しかったで
す。葵さん毎日遅くまで打ち合わせに付き合って下さりありがとう
ございます。
﹃Blue Mallowへようこそ∼希望が丘駅前商店街﹄、﹃
BlueMoonを君に﹄にて璃青さんは、この誕生日をどう過ご
したか描かれています。そちらもあわせてお楽しみに下さい。
また芽衣さんの描写において、鏡野悠宇さんにご協力頂きました。
ありがとうございました。
そして饕餮さんに、カクテルの事で助けて頂きました。この物語に
ピッタリなカクテルをチョイスしてくださり感謝しております。あ
りがとうございます。
241
最強なアドバイザー
第二ビルヂングの仕事を終え、菜の花ベーカリーで黒猫用のパン
を買ってメインストリートに入ろうとしたら花屋のエスポワールコ
リーヌから芽衣さんか重そうな箱もって店から出てくる所だった。
華奢な女性だけに大変そうだ。俺は慌てて近付き手にしていた荷物
を一旦床に置きその箱を持つ。
﹁あら? ユキくん?﹂
持ってみたはいいけど、その箱はズッシリ重い。芽衣さんはビッ
クリしたように、そんな声を上げる。
﹁ったく、こんな重いもの何無理しているんですか? 何処置けば
良いですか?﹂
﹁ありがとう♪ そっちのテーブルの上に﹂
助かったわ﹂
俺は指示の通りその箱を、テーブルに乗せる。
﹁ありがとう♪
芽衣さんは、能天気にそんなこと言ってくる。花屋さんは端から
見ている程優雅な商売ではなく、重労働であるのは分かっているも
大丈夫♪ 娘に比べたら軽いわよ
のの、芽衣さん特に無茶なモノの持ち方している事が多く、見てら
れなくて手伝ってしまう。
俺が、注意しても﹃大丈夫♪
∼﹄と大らかに笑う。
運んだ箱を見ると、様々なサイズの南瓜がイッパイ入っていた。
﹁芽衣さん、相変わらず無茶を
⋮⋮この南瓜だって最初に箱をここにセットして後で南瓜入れたら
楽だったのでは?﹂
俺がそう言うと、﹃確かにね∼でも面倒で﹄のニッコリと笑う。
﹁そうそう先日はありがとうございました﹂
そう言うと、ハッとして興味ありげに顔を輝かせる。
﹁どう? 上手くいった?﹂
242
﹁喜んで貰えました。とても﹂
芽衣さんは、﹃やった∼♪ お姉さんは嬉しいわ!﹄と抱きつい
てくる。そして離れて、店の花に視線を巡らせる。
﹁となると、次はプロポーズの花束よね∼! 何が良いかしら?﹂
﹁いえいえ、告白してませんから⋮⋮﹂
俺の言葉に途端に芽衣さんはガッカリした顔になる。
﹁なんで、しないの! 誕生日に花束贈って、﹃君がこの世に生ま
れてきてくれた事が、俺にとって最大の幸運だ。貴女を愛してます﹄
とか言って抱き締める! それくらいしてよ∼! 誕生日よ! 最
高なチャンスなのに⋮⋮こうなったら、クリスマスに再チャレンジ
するしかないわね!﹂
何故か物凄く責められているようだ。でも俺が告白しても、璃青
さん困るだけではないだろうか?
﹁お母さんはね∼そんなヘタレに貴方を育てたつもりはないわよ﹂
﹁はあ⋮⋮
ところでこの南瓜ってハロウィン用ですか?﹂
いつの間にかお姉さんがお母さんになっている? このまま話を
し続けるのも恥ずかしので、話を変える事にする。
﹁そうなのよ! 今からこれでランタン作って飾ったら楽しいかな
と思って!﹂
そう言って、俺の手を引いてお店の中に連れていかれる。すると
そこには作りたてのカボチャランタンがテーブルに置かれていた。
﹁見てみてから、カワイイでしょ?﹂
また口が切り抜かれてないとはいえ、ニッカリと笑った目がイイ
感じである。
﹁へえ素敵です。コレって手作りで出来るんですか?﹂
芽衣さんはニコニコしながら頷く。
﹁簡単よ。ほらまずこうして、サインペンで顔を書いて、その後お
尻をナイフでこうして外して、中をスプーンでくり抜く。そして顔
をこうやって作っていくだけなの﹂
243
面白そうである。黒猫のディスプレイにしたら面白そうである。
しかもハロウィンの時はちょっとした仮装してお迎えするのも楽し
そうだ。
﹁もし、これ黒猫で使うことになったら、いくつかカボチャ買わせ
ていただいて良いですか?﹂
芽衣さんはカボチャランタンを手にしたまま、顔を傾ける。
﹁ランタンではなくて、カボチャの方?﹂
俺が頷くと、少し何かを考えている様子だった。
﹁だったら、直接農家の方に連絡しましょうか? その方が安く手
にはいるでしょ?﹂
その言葉に俺は慌てる。
﹁それだと、エスポワールさんが損するだけじゃないですか﹂
芽衣さんは顔を横にふってフンワリ笑う。
﹁個人で楽しむならともかく、業務用で使うならそういう所は抑え
なと!
それに黒猫さんにはいつもお世話になっているだけでなく、根小
山夫妻にも贔屓にしてもらっているから、それにここで恩売ってお
くと、ユキくんも個人的にウチを贔屓してくれるでしょ! 将来的
に良いお客様になりそうな人には媚びておくの!﹂
そのどこか恍けた言い方に俺は笑ってしまった。
﹁でしたら、杜さん達と相談して作ることになったら、またご相談
に乗ってくださいね!﹂
﹁任せておいて!
⋮⋮あと、恋の相談にも乗るわよ! コレでもそれなりに経験積
んできた大人の女性だから!﹂
二人でフフと笑ってしまう。芽衣さんはこういう場をなんとも明
るくしてしまうそんな魅力をもった人である。自分の姉がこういう
タイプだったらどんなに幸せだっただろうか? とつくづく思う。
﹁ありがとうございます! 是非色々ご相談に乗って下さい﹂
俺の言葉に芽衣さんは胸を張って﹃任せなさい!﹄と返してくれ
244
た。俺はその後他愛ない世間話をしてから挨拶をしてエスポワール
コリーヌを後にすることにした。
245
カボチャの顔
雲一つない青空の下で俺はミニクーパーを走らせる。後部座席に
箱が振動により時たまガタガタと揺れる。俺は杜さんおすすめのジ
ャズのナンバーを、聞きながら駅方面へと車を走らせる。希望か丘
駅前商店街近辺はビルもあり、住宅街もありと賑わっているものの、
少し離れると畑が広がる長閑な光景になるのも面白い。今日は、秋
晴れだけにこうして窓開けて車走らせていると気持ち良い。ランニ
ングコースにこちらまで足伸ばして見るのも楽しいかもしれない。
河原沿いの道を走らせていると土手の上にモスグリーンのスカー
トにラベンダー色のカーディガンを羽織った女性が歩いている。何
でだろうか、人差し指くらいのサイズにしか見えない時から、その
女性が璃青さんだと察する事が出来た。彼女を認識してしまうと、
なんか嬉しくなる。まるで恋を知ったばかりの中学生みたいだ。
後続の車が一切ない事を確認して、璃青さんの横を少し通り過ぎ
てから車を停めクラクションを鳴らし、空いている窓から顔を出す。
璃青さんは、音に反応してコチラを見て驚いた顔をする。
﹁ユキくん?﹂
﹁こんにちは! 良い天気ですね﹂
ニコリと柔らかい笑みで挨拶を返してくれた。そんな何気ない事
が嬉しく心に響く。
商店街で会うならともかく、こんな所で会うなんて、スゴい偶然
のように思う。
﹁良かったら乗って行かれます? 送りますよ﹂
何故か戸惑う璃青さんを、俺は﹃同じ方向ですし﹄と更に言葉を
重ねて誘う。璃青さんが加わっただけで、ますます景色の色が深ま
ったように感じた。空はますます深く透明感を増し、風に乗った金
木犀の香りはますます甘く感じる。
246
﹁ユキくん、運転するんだ。しかもこんな車もってたんだね。初め
て乗ったよ、こんな車﹂
璃青さんの言葉に俺は頷く。 ﹁免許持っていた方が何かと便利ですしね。
あっこの車は澄さんのものなんですよ。近所走る時はこの車の方
が走らせやすくて﹂
杜さんの車はやや大きくて小回りが利かないので、コチラを借り
ることが多い。璃青さんはシゲシゲとミニクーパーの内装を眺めて
いる。
﹁左ハンドルって、難しくない?﹂
﹁慣れですよ﹂
納得したような声を出しながら、璃青さんは、落ち着かない様子
で周りを見ているようだ。
﹁カボチャ?﹂
後部座席にある箱の中を見たらしい璃青さんからそんな声が聞こ
える。
﹁ああ、ハロウィン用のディスプレイに農家の方から直接買ってき
たんですよ。
ほら駅前のエスポワールコリーヌの芽衣さんから紹介してもらっ
て﹂
﹁エスポワール⋮⋮﹂
信号で止まった時だったので隣を見ると、璃青さんは眉を寄せそ
う呟く。
璃青さんはまだ、ここに来て日が浅いからエスポワールコリーヌ
を知らないのだろう。
﹁駅前の派出所前の花屋さん。素敵なお店なんですよ。店長の芽衣
さんもまた可愛らしくて素敵な方で、いつも色々相談にのってもら
ってお世話になっているんです。
良かったら今度紹介しますよ﹂
年齢も近いし仲良くなれそうな気がしてそう俺は続ける。しかし
247
璃青さんに困った顔をされてしまった。確かに余計なお世話なのか
もしれない。
﹁そうだ! 璃青さんはお店ハロウィン何かディスプレイするんで
すか? 良かったらこのカボチャ使いませんか?﹂
話題を変えることにした。なんか今日の璃青さん少し元気ない。
﹁俺、今から澄さんとこのカボチャをランタンにするんですが、一
緒に作りませんか? 楽しいですよ﹂
璃青さんは悩んでいる顔をしたけど、その顔のまま頷いた。
根小山ビルヂング戻り、下を汚しても掃除しやすいという事で黒
猫でランタン作りをすることにした。底をくり抜くという力のいる
作業を俺と杜さんが行い、四人で中をセッセとくり抜く作業をする。
手作業するというのが気が紛れたのか、澄さんと楽しそうな笑顔を
見せ出し、話をしながらカボチャに顔のアタリの書いている璃青さ
んを見て少しホッとする。
そして四人でそれぞれ担当のカボチャにナイフを入れくり抜いて
ランタンを作っていく。四人で作った為か、みるみる可愛いカボチ
ャのランタンが出来上がっていく。面白いもので、それぞれが同じ
ようにカボチャに顔書いてランタンを作ったのに、どれを誰が作っ
たのかすぐに分かる。
なんとも柔らかくカワイイ笑みを浮かべるのが澄さんの作ったも
ので、ニヤリと笑い怖い感じに仕上がっているのが杜さんの作った
もの。そして恍けた顔のが俺の作ったランタン。そして璃青さんの
作ったのは何故かどれも哀しそうな顔をしていた。
﹁お蔭で素敵なディスプレイアイテムできました!﹂
そう笑顔で言う璃青さんの顔も、そのランタンのように何故か哀
し気に見えた。
248
十三夜を君と
璃青さんの事が気にかかってしょうがない。何故璃青さんは最近
あんなに哀しそうな顔をしているのだろうか?
誕生日の時はとても楽しそうだった。でも思えば、そのあと見掛
ける璃青さんは寂し気に見えた。何かあったのだろうか? もしか
して元彼と何かあったとか? 俺は大きく息を吐く。
﹁どうしたの? ユキくんため息ついて﹂
芽衣さんが俺に不思議そうに話しかけてくる。ハロウィンディス
プレイ用に、松ぼっくりといった小物を買いにエスポワールコリー
ヌに来ていた。澄さんの曰く﹃松ぼっくりだったらクリスマスにも
使えていいから!﹄ということらしい。
﹁芽衣さんは、元気ないときどうしてもらったら元気でますか?﹂
そう聞くと、芽衣さんは何故かスゴク嬉しそうにニッコリと笑う。
﹁何々? 若人よ! 早速恋の相談ですか∼?﹂
恋の相談というべきなのだろうか? でもただ好きな人に元気に
なってもらいたいだけなのだが⋮⋮。
﹁いや、だから、まだそういうのではなくて﹂
俺がそう言っても、芽衣さんはニコニコしている。
﹁でも、好きなんでしょ? その元気になってもらいたい相手の事
が!﹂
その言葉に頷くしかない。そう気が付けば好きになっていた。あ
の彼女が泣いていたあの後からなんか気になり、隣を気にして、何
かあったら役に立ちたいと思っているうちにそこにばかり目がいっ
ていた。夏祭りの浴衣姿にドキドキして、月見に誘ってもらってワ
クワクして⋮⋮。そこで気になってくるのは璃青さんから俺ってど
う見えているんだろうか? という事。
﹁ところで芽衣さん、女性が月見を一緒にしようって人を誘う心情
って何なんでしょうね﹂
249
芽衣さんは俺の言葉にキョトンとする。
﹁それって新しいわね。夏祭りとか花火とかクリスマスとか初詣を
誘うのは分かるけど。
でもそれってあからさますぎるようになるか⋮⋮
そうね∼少なくとも好意をまったく持ってない人は絶対誘わない
イベントだと思うわ﹂
好意⋮⋮ご近所さんで友達程度の感情はもたれているのは分かる。
﹁月見といったら、十三夜がもうすぐね∼﹂
俺は初めて聞くその言葉に首を傾げる。
﹁うーん、十五夜の次に美しいと言われているのが十三夜なの。そ
して十五夜をお祝したなら、十三夜も同じようにお祝しないと﹃方
月見﹄と言って忌まわれるとか。それでセットで考えられているイ
ベントなの﹂
知らなかった、そんな風習があるなんて。
﹁それってどういう感じでお祝するものなんですか?﹂
ついつい聞いてしまう。
﹁ん? 基本は十五夜と同じ。ススキか秋の七草を飾り十三個の月
見団子と秋の果物をお供えして月を楽しむという感じかな?﹂
月見か、いいかもしれない。月って人を癒す力があるし璃青さん
に何かパワーを与えてくれそうだ。俺はそんな事を考え初めていた。
﹁ありがとうございます! 素敵な情報教えていただいて!﹂
芽衣さんは何故かそう言った俺の言葉を可笑しそうに笑う。
﹁そんな、大したこと言ってないじゃない。
でもさ、そうやって季節の一つ一つを大切な人と楽しむのってい
いわよね! そういう事を積み重ねていける関係って素敵だと思う﹂
﹁はい﹂
芽衣さんの言葉に頷いた。これから璃青さんとそういう感じで思
い出を重ねていけるのだろうか? 分からない。でも今のこの関係
を大事にしていけたらいいなと思う。綺麗な月を見たら、璃青さん
は元気になってくれるのだろうか? 俺はそんな事を考えながらデ
250
ィスプレイアイテムを持ちながら黒猫へと戻っていった。
※ ※ ※
十三夜を調べていると十五夜と同じ場所で行うものと書かれてい
る。となるとあの河原? しかし色々考える前に、肝心の璃青さん
を誘わないと意味がない事に気が付き俺はBlue Mallow
を訪ねる事にした。璃青さんは﹃いらっしゃい﹄と笑顔で迎えてく
れるもののフッその表情に悲しそうな色を滲ませる。
﹁金魚の様子を見に来てくれたの? ほら、この通り元気よ﹂
まあここに来ればいつも金魚を眺めている事多いからそう言われ
てしまうとのは仕方がないけど、となると金魚を見るしかなくなっ
てしまう。俺は金魚を眺める。金魚は元気そうで悩みとかもまった
くなさそうに呑気に泳いでいる。
﹁はい。金魚は元気そうで何よりです。
ーー璃青さんは?﹂
水槽から顔を向けると璃青さんは、ビックリしたように固まる。
﹁え﹂
﹁最近元気ないですよね? 悩まれているというか何か思いつめて
いるというか﹂
月見に誘いにくるつもりが、そうつい直球で聞いてしまっていた。
﹁そんなことないよ?﹂
そう言いながら、苦し気に顔を歪ませる。
﹁じゃあどうしてこの間から、⋮⋮ほら、そうやってすぐ哀しそう
な顔をして、﹂
そう言うとますます、璃青さんは顔色をなくしていく。オカシイ
元気になってもらいたいのに、なんか追いつめているみたいだ。
﹁透くんには関係ない。わたしは元気よ﹂
そのまま俯いてしまう。そんな様子を見るとそれ以上何も言えな
くなってしまった。
251
﹁璃青さん、十三夜のお月見をしませんか?⋮⋮二人で。
あっ、ほらっ! 月見ると何か元気でませんか? 悩みが吹っ飛
ぶというか﹂
そう言ったら璃青さんは顔をスッとあげてくる。その動きの激し
さで怒ったのかと思ったけど璃青さんは何故か泣きそうな顔をして
いた。
﹁璃青さん?﹂
何故か璃青さんの顔はニッコリという感じの笑みを浮かべる。そ
してまた俯いてしまう。
﹁そんなの、彼女と行ったらいいじゃない。いくらお隣さんだから
って、ちょっと元気がないくらいでそこまで気を使うことないわよ。
少し疲れているだけよ﹂
月見なんて行きたくないという遠まわしの断りの言葉?
﹁彼女⋮⋮⋮? そんなのいませんよ﹂
そういうと顔をキッとあげてくる。今度は本当に怒ったような顔
をしている。
﹁嘘。お花屋さんのあの人が透くんの彼女なんでしょう? わたし
知ってるんだから。あの人と行けばいいのよ﹂
何故、こんなに怒られているのだろうか? そして花屋さんって、
芽衣さんの事?
﹁え⋮⋮あの、何の話をしてるんですか?﹂
﹁彼女と一緒にいる所を見たの。いい感じじゃなぃ⋮⋮﹂
俺の言葉にすかさずそう言葉を返してくる。しかしその言葉も尻
すぼみに小さくなっていった。俺は混乱してしまう。もしかして彼
女がいるのに、他の女の人にチヤホヤしている人に思われたのだろ
うか?
﹁それ、本気で言ってますか?﹂
そう聞くと、璃青さんはビクリと身体を震わせる。誤解を早く解
きたくて璃青さんに近づく。
﹁え⋮⋮だって﹂
252
﹁芽衣さんのことですよね? 彼女のことは素敵だと思いますよ。
⋮⋮でも、俺の好きなのは、﹂
﹁ほら、やっ⋮﹂
﹁璃青さん、聞いて﹂
俺の言葉を遮るように何か言ってくるので、俺はそう言って抱き
しめてしまう。璃青さんが迷子になっている小さい子供のように見
えたから。そしてその背中をそっと叩いてあげる。
﹁何をどう誤解されているのか分かりませんが、芽衣さんって結婚
されてますよ!
ほら、お店の前にある派出所にいる真田さん、あの方が旦那さん
です。
あと⋮⋮そもそも、芽衣さんの事そんな風に思った事もないです。
⋮⋮俺が好きなのは璃青さん、貴女です!﹂
そう言ってしまってから俺は内心慌てていた。しかもこんな風に
抱きしめたままの体勢だから、璃青さんの表情が見えないから余計
に怖い。
﹁年下の俺は頼りないだろうし、俺じゃ釣り合わないかもしれませ
んが。
⋮⋮⋮本気です。貴女が好きなんです﹂
こうなると、もう後戻りできない。俺はさらに想いを載せた言葉
を重ねる。
﹁そんなの嘘。絶対ウソよ⋮⋮⋮﹂
璃青さんが身体を震わせ首を横にブルブル振っている。この言葉
と、この身体の震えはどういう意味なのだろうか? 答えが見えな
い。
﹁もっと頑張って璃青さんに似合う大人の男になります。だからも
し、俺のことを少しでもそういう対象として見てくれるなら。⋮⋮
⋮一緒に月見をして下さい﹂
俺はそう言って璃青さんの小さい身体をギュッと抱きしめた。月
見の意味が随分変わってしまったけれど俺も必死だった。
253
﹁あの⋮⋮⋮“そういう対象”って、つまりその、“お付き合いし
たい”ってことですか?﹂
璃青さんが腕をすこし突っ張って俺から離れ俺の方を見上げてそ
う聞いてくる。頬が気持ちが高揚しているのか少し赤い。目のふち
も赤くて少し色っぽくてドキリとする。
﹁は、はい。できればその方向で⋮⋮﹂
もしかして、好きって意味通じていなかったのだろうか? 俺は
そう補足してからなんか恥ずかしくなる。同じ告白するにも、こん
な行き当たりばったりでなくてもっとスマートに男らしく見える方
法もあった筈なのに⋮⋮格好悪い。そういう自分にも落ち込む。
一人で慌てていると、璃青さんがいきなりクスクスと笑いだす。
﹁璃青さん?﹂
笑みを浮かべているものの、俺を見つめている瞳は潤んでいた。
その瞳にドキドキする。
﹁透くん、ありがとう。嬉しい⋮⋮⋮﹂
﹃嬉しい﹄その言葉にトクトクと心臓が鼓動早くなり、体温が上
がる。回してた手に力が少し入る。しかし璃青さんは腕をつかって
やんわり身体を離そうとする。
﹁でも。ーーーー少し、考えさせてください﹂
しかし璃青さんの表情から笑みが消え、冷静な瞳でそう言われ心
が竦む。腰に回していた手もひいてしまった。
﹁分かりました。⋮⋮⋮ゆっくり考えて下さい。⋮⋮⋮俺達のこと
を﹂
往生際悪いと思うけど、そう俺はすがるようにその言葉を返した。
どちらかというとサッサと答えをもらった方がスッキリすると思う
のだが、その答えを聞くのも怖いので俺は逃げるようにBlue Mallowを後にした。
254
十三夜を君と︵後書き︶
今回の物語も、たかはし葵さんと一緒に相談しながら執筆させてい
ただいております。
その為、たかはし葵さんの物語、﹃Blue Mallowへよう
こそ∼希望が丘駅前商店街﹄とリンクしており璃青さん視点のコチ
ラの物語を楽しむ事が出来ますので是非併せてお楽しみください。
また芽衣さんの描写において、鏡野悠宇さんにご協力頂きました。
ありがとうございました。
255
見上げた先にある月は?
俺はビル管理の仕事しながら何度目か分からない溜息をつく。
何で告白してしまったのだろうか? 後悔が激しく押し寄せる。
言ってしまった事で、璃青さんを、ただ困らせてしまっただけ。
それでなくても、何かに悩んでいた様子だったのに、悩みを増や
してどうするんだろうか?
第二ビルヂングから駅方面に向かい菜の花ベーカリーでバケット
を買い、盛繁ミートでベーコンブロック等商店街で買い第一ビルヂ
ングへ向かう。ビルに入る前に隣が気になり視線を向けるけど、お
客様が品物見ているのは見えたけど、璃青さんの姿まで見えなかっ
た。その事にガッカリとすると同時にホッとする。
四階に行くと、澄さんが笑顔でお帰りなさいの挨拶をくれ、電話
をかけている杜さんは手をあげニヤリと笑う。
俺はお店用の冷蔵庫に買ってきた物をしまっていると、杜さんの
電話が終ったようだ。
﹁ユキくん、ハロウィンイベント面白い事になりそうだぞ!﹂
俺はチラリと澄さんに視線で聞くけどニコニコしている。
﹁Kenjiが奥さんと演奏してくれるらしい﹂
﹁はぁ⋮⋮そうなんですか﹂
Kenjiさんとは、杜さんの大学時代の後輩のjazzピアニ
スト。結構jazz界では有名な方で最近アメリカでカーネギーホ
ールでのライブも大成功させた。そして最近美貌のjazzシンガ
ーのイリーナと結婚した事でも話題となった。つまりは、黒猫に世
界的スター二人が共演するというスゴい状況が出来上がる事となる。
しかしその事実に感情がついていかない。
﹁どうした? ユキくん﹂
﹁いえ、驚きすぎて⋮⋮﹂
256
なんとか誤魔化してみたものの、二人には不審そうな顔で見られ
てしまった。俺は無理やり笑顔を作って仕事モードに切り替えるこ
とにした。Kenjiさんは元々時々サプライズ的に黒猫で演奏し
てくれていたところがあるが、今あまりにもホット過ぎる二人の状
況の為に、シークレットで﹃世界を熱狂させている、アノ人がやっ
て来る♪ この凱旋ギグは外せない﹄くらいの宣伝で抑えることに
した。杜さんの見解では、これでも分かる人には伝わりコアなファ
ンは察して来られるだろうから、コレくらいが丁度良いという事だ
った。それプラスハロウィンの日に仮装で来てくれた方にはサービ
スがある。その感じでブログに掲載し、ビラを作り十月中は客様に
宣伝することにした。そしてお店も先日作ったカボチャのランタン
を飾り、お通しは猫の形のカボチャサラダを提供する事になった。
仕事をシッカリしなければと思うものの、カボチャランタンを飾
る際璃青さんの作ったランタンを見るとつい手を止めてしまい、猫
サラダを見るとポテサラで作った白猫を喜んでいた璃青さんを思い
出す。そして璃青さんがどうしているのかがスゴく気になってしま
う。我慢できず次の日そっと様子を見に行こうとしたら、Blue
Mallowの扉は閉まっていた。
︽誠に勝手ながら、三日間休業致します 店主・澤山︾
そしてそんな張り紙が貼ってあって俺は呆然とする。お店を閉め
る程追いつめてしまったのだろうか? 俺は更に後悔してしまう。
かなり動揺しながら黒猫に戻ると澄さんが実家に帰ったのだと教え
てくれた。気力でBarでの仕事をなんとかこなし、閉店後看板を
片づけにいって空を見上げると、そこには満月というには少し細い
月が輝いていた。綺麗だけど、あの時璃青さんと見た月に比べたら
何か物足りない! それは月の丸さだけでない事は嫌という程理解
している。携帯を取り出して月を見ながら入力する。
257
﹃璃青さん、お元気ですか? 今、俺は月を眺めています。綺麗で
すよ。
あの時の月には負けますが、とても綺麗です。ご実家に帰られて
いると澄さんから聞きました。なんか色々すいません。ますます璃
青さんを悩ませてしまったようで申し訳ないです。
ご家族の所で羽伸ばしてゆっくり楽しんで下さい。
商店街にお戻りになるのお待ちしています﹄
どこかセンチなメールを璃青さんに送ってしまう。そしてしばら
くそのまま月を見ていたら携帯が光りメールの着信を知らせる
﹃今晩は。今回の帰省、透くんに黙って出てきたみたいになってご
めんなさい。でも、必ず答えを出すので待っていて下さい。今夜の
月、まだ痩せているけど、とても綺麗です。
今、同じ時間の月を見ていること、何故かとても嬉しく感じてい
ます。
また連絡します。﹄
璃青さんからそんなメールが返ってくる。俺はその文面に出てい
る璃青さんの優しい言葉になんとも言えない喜びが込み上げる。そ
れに今、璃青さんも月を眺めている? そう思うと寂しさも少しだ
け紛れた。俺は深呼吸をしてから、もう一度空を見上げる。璃青さ
んも見ているであろう、満月というには少しだけ痩せた月を見る為
に。
258
見上げた先にある月は?︵後書き︶
今回も、たかはし葵さんの﹃Blue Mallowへようこそ∼
希望が丘駅前商店街﹄と同時公開です。璃青さんは直接は登場しま
せんが、たかはし葵さんの作品でこの頃彼女がどう過ごしているの
かを楽しむ事が出来ます。併せて読まれるとさらに楽しめると思い
ますよ!
259
醸す愛
閉店前、演奏も終了し学生バンドも談笑しながら舞台で後片付け
をしており、店にはCDから奏でられスウィングジャズが流れる。
なんともまったりとした時間が流れる黒猫。この時間帯はホッとす
ると同時に寂しさを感じる。カウンターでグラスを洗いつつ、つい
つい考えてしまうのは璃青さんの事。元気にしているのだろうか?
笑ってくれているのだろうか? 俺が心配する事でもないことを
考えてしまう。
カララン
軽やかに響く鐘の音にドアを見ると篠宮酒店の醸さんが入ってき
た。俺と目が合うとその瞳を優しく細めてくる。
﹁いらっしゃ⋮⋮あ、醸さん。こんばんは﹂
醸さんは、商店街でも仕事的に接する事も多いだけでなく、なん
か波長もあうので、仲良くさせてもらっている人だ。穏やかな人な
ので話していて何処かホッとする。
﹁こんばんは、ユキくん﹂
俺の挨拶に醸さんは、真っ直ぐコチラにきて俺の前のカウンター
に座るのでおしぼりを出す。
﹁いつもので﹂
少しはにかんだような醸さんらしい笑みを浮かべそう注文して
くる。カクテルを作る前に、お通しを出すと、醸さんはフワリと笑
う。良かった今月はカボチャサラダを猫の形にしていたのだが、そ
れを男性の醸さんにどうかとも思ったものの、楽しんでもらえたよ
うだ。
醸さんのお気に入りのカクテル、クラレットティを作る間、店内
をゆっくりと見渡す瞳がいつもより哀しげで寂しそうに見えた。
260
﹁醸さん、何かありました?﹂
醸さんはカクテルグラスに口をつけて、⋮⋮そのまま一口も飲み
込まず口に付けた所で、動きを止めグラスをテーブルに戻す。
あっ、醸さんがカクテルを楽しむのを余計な一言で邪魔してしま
ったと後悔する。
﹁えー、と。あー。分かる、かな﹂
醸さんが困ったような、照れたような笑みを浮かべる。
そして何か話し出しそうとして、周りをキョロキョロと見渡す。
﹁今日、小野くんは?﹂
小野くんは今日シフトに入っていない。
﹁お休みですよ。彼に用ですか?﹂
﹁あ、いや⋮⋮﹂
醸さんは慌てたように、首を横に振りハハと笑う。醸さんと小野
くん何かあったのだろうか?
﹁あ⋮⋮あのさ、その、透くんの意見を⋮⋮いや、違うな。その⋮
⋮話、聞いてもらえるかな﹂
もし、ウチの小野くんが醸さんに何か迷惑かけているとなると大
変である。俺はユックリ頷く。
﹁醸さん?﹂
﹁多分俺、まともに話せないと思うから、その⋮⋮断片でも、聞い
てくれると嬉しいんだけど﹂
なんか、醸さんはひどく言いにくそうにモゴモゴそんな感じで話
し出し、ハッと周りを見渡す。
﹁あ、でも仕事の邪魔だろうし、今度、今度時間を作ってもらえれ
ば⋮⋮!﹂
﹁大丈夫ですよ、もう落ち着いていますから。
呼ばれたら席を外すかもしれませんが、それでもいいですか? もう皆さんノンビリモードなのでなさそうですが﹂
そう言うと醸さんは、落ち着きなく視線を動かし、小さく溜息を
つき﹃ゴメン﹄と俯く。そして、そのまま黙り込んでしまう。
261
﹁醸さん?﹂
そう声かけると、ハッとした顔でコチラを見返してきてからポツ
リポツリと話しかける。
﹁その、恥ずかしい話⋮⋮なんだけど⋮⋮﹂
醸さんも、今恋愛に悩んでいる事を知らされる。個人名は言わな
かったけど、醸さんが、商店街の幼馴染みの女の子誰かへの愛に最
近気が付いたようだ。
﹁そう、ですか。好きな相手に、もうお付き合いされている方がい
るかもしれないんですね﹂
相手の男性は誰とは言わなかったけど、今日の醸さんの話の感じ
から相手は小野くんなのだろう。知らなかった小野くんが商店街の
人とおつきあいしていたとは⋮⋮。今は面倒くさいから恋愛する気
になれないとか寂しい事言っていただけにその部分は意外だったけ
ど、そう言う相手が出来ていて事は喜ばしいと思った。
﹁確定に近いんだけどね。その⋮⋮実は、彼女への気持ちに気付い
たのがつい最近過ぎて、気付いてすぐ失恋確定だったわけで⋮⋮。
その、気持ちの持っていきようがないというか﹂
状況はやや違うものの、好きになった相手に想いを応えてもらえ
ない。そういう意味では俺と同じ。つい気持ちは醸さんに入ってい
く。
グラスが空になっているのでそっとお代わりのクラレットティを
作って差し出す。元気に、なってもらいたくて少しだけブランデー
を濃い目にしておいた。
そのカクテルを一口呑んで、哀しそうに微笑む。
﹁彼女の幸せを願い、俺はこの想いを捨てるべきなんだろうね﹂
そう言う醸さんに、俺の気持ちが違うと叫ぶ。
﹁別に、気持ちを消すことはないと思います﹂
﹁ユキくん?﹂
ポカンとした表情で醸くんは俺を見る。
﹁人の気持ちは、変えようと思って変えられるものではないですか
262
ら﹂
﹁で、も⋮⋮。情けないだろ?﹂
人を真剣に想う事が、格好悪い筈がない。
﹁いいえ﹂
つい声を大きくなってしまったので、小さく深呼吸して心落ち着
ける。
﹁醸さんがその方の事をとても大切に思っているんだなって、凄く
伝わってきましたよ。そんな醸さんだから、感情のままにその方を
傷つけるなんてことはありえないと思いますし⋮⋮。
だから、無理に忘れようとしなくてもいいと思います﹂
というか、想いを消そうなんて悲しい事言わないで欲しかった。
それにそんな事出来る訳ない。俺もふられたからって、璃青さんへ
の想いをなかった事にするなんて出来ない。
俺の気持ちが、通じたのか醸さんはフワリと笑う。いつもの優し
い醸さんらしい笑顔。少し哀の色帯びているけれど、店に来た時の
ような迷いがない。そこに少し安堵する。﹃ありがとう、またね﹄
そう言って去って行く醸さんに俺は心の中でエールを送りつつ、俺
も同じように頑張ろうと思う。
俺が醸さんと話し込んでいたことで、お客様はすっかりいなくな
っていた。澄さんもおらず気が付けば杜さんと二人。杜さんがショ
ットグラス二個とブランデーの瓶をもって近づいてくる。
﹁ユキくんお疲れさん﹂
俺は注がれたクラスをとり、杜さんと軽く掲げてからそれを呑む。
﹁相談受けるようになったならば、バーテンダーとしても成長した
な﹂
そんな事言われ俺は頭を横にふる。
﹁醸さんは、お客様という以前に、友達ですから、そんな話しをし
てくれたんだと思います﹂
杜さんはフフフと笑う。
263
﹁まあ、今日のアドバイスは悪くはなかった。
でも、俺の意見は少し違うかな﹂
杜さんの言葉に俺は顔を上げる。間違えたアドバイスしてしまっ
たのだろうか? 不安になる。空になった俺のグラスにお代わりを
注がれる。
﹁俺なら、そんな諦められるような相手ならば。さっさと忘れろ。
諦められないなら、どんな手を使ってでもモノにしろ!
そう言うかな﹂
⋮⋮杜さんらしい。俺はグラスを煽る。
﹁⋮⋮でも、他の人といた方が幸せってこともありますよね?﹂
そう返すと、杜さんはニヤリと笑い、三杯目のお代わりが注ぐ。
﹁何故、一番愉しい所を他のヤツに譲る?
てめえが一番に幸せにしたら良いだろ! そう思わないか?
他のヤツに笑いかけている顔なんて見続けたくないだろ?
その笑顔も何も全部自分のモノにしてやりたいと思うのが男だろ
?﹂
醸さん向きではないようなアドバイスだったけど、その言葉はお
酒とともに俺の心に沁みていき、酔いに似た熱をもっていく。会話
というより、杜さんの話を聞いているうちに、二人で一本空けてし
まっていた。
﹁ユキくんは良い子過ぎる。でも、たまには我が儘になれ! 本能
のまま行動してみろよ﹂
少し酔いボワンとしていると、杜さんが近づき耳元でそう囁いて
くる。
アレ? 醸さんの相談事の話だったはずだけど、とボンヤリと考
えながらも俺は頷く。杜さんはニヤリと笑い俺の肩を叩く。
﹁じゃあそろそろ帰るか。部屋に戻ろう﹂
その言葉で、ささやかな飲み会は終わりを告げる。グラスを洗い
片付けてから部屋に戻り溜息をつく。
264
酔いを醒ます為に、ベランダに出ると少し冷たい外気が俺の頬を
撫でる。見上げると、ほぼ満月という感じの月が見える。明日が十
三夜。璃青さんはどういう答えをしてくるのだろうか? そう思っ
ていたらポケットの携帯電話が震える。
ディスプレイにある名前にドキリとする。璃青さんからメールだ。
﹃今日、マムという花の花言葉を知りました。透くん分かっていて
選んだの? そうだったらいいな、と思っている私がいます。
ここに来て、今までで一番あなたの事を考えています。答えはも
う、私の中で出ているのかもしれません。
今日の月、昨日よりまた少し丸いかな
明日は晴れますように、おやすみなさい﹄
この文章、俺の事を想ってくれているように読めるのは俺だけな
のだろうか? 体温が上昇してドキドキしてくる。
﹃今日の月は、さらに輝きを増して綺麗ですね。
マムの花言葉ですが、お花屋さんで教えてもらったので知ってい
ます。
愛する人に贈る為の花を買いに来たことバレバレだったみたいで
す。
俺は今だけでなくずっと璃青さんの事を考えています。商店街を
歩いていても、仕事していても心が璃青さんを探してしまっていま
す。
明日戻ってくるのを待っています。
お休みなさい。良い夢をお楽しみください﹂
俺はすぐにそう言う言葉を返す。本心を言うと、﹃待つ﹄なんて
優しい言葉ではなく、璃青さんを求めている。心も体も、璃青さん
265
を欲している。
﹃その笑顔も何も全部自分のモノにしてやりたいと思うのが男だろ
?﹄
杜さんの言葉が脳裏に蘇る。
フー
俺は大きく息を吐く。そして月を見上げた。
266
醸す愛︵後書き︶
今回の物語は、篠宮楓さん、たかはし葵さんと同時公開です。
醸くんとの会話は篠宮さんと、璃青さんとの会話はたかはしさんと
相談して創作しています。
醸くんの様子は﹃希望が丘駅前商店街 ︱姉さん。篠宮酒店は、今
日も平常運転です。︱﹄にて、
璃青さんの様子は﹃Blue Mallowへようこそ∼希望が丘
駅前商店街﹄にて楽しむ事が出来ますので、ぜひ一緒に楽しまれて
ください!
同じ日にそれぞれが何を思っていたか? というのを楽しむ事が出
来ます
267
月に還る
璃青さんに告白してから、夜あまり眠れなくなっていた。最初
は後悔の想いから、そして昨晩は異様に感情が高ぶりすぎて。そし
て何度も昨晩届いたメールを読み直す。コレはどう考えても告白に
応えてくれたと読み取れると思うものの、俺の願望がそう思わせて
いるのではないかとも考える。とはいえ今日は十三夜、俺は朝から
準備を始しめることにする。部屋を念入りに掃除して、エスポワー
ルコリーヌに行く。ススキを求めると芽衣さんはニッコリ笑いから
かってきた。そしてお供え用にどうぞとイガのついた栗もオマケで
つけて、﹃頑張って♪﹄と言ってきた。何を頑張るのか⋮⋮。そし
て櫻花庵で買った月見団子と共にリビングのテーブルにディスプレ
イしたら、それなりにお月見らしい状況が出来上がる。そこで一息
いれていると、携帯が震える。
それが私の答えです。
﹃三日間、ずっと考えていました。
今夜同じ月を見てくれますか?
透くんに会いたい﹄
そのメールに心が躍り、俺は居ても立ってもいられなくなる。そ
してすぐに家を飛び出し駅に向かう。
まだ璃青さんは家を出たか電車に乗ったばかりなので、もう来る
筈もないのに改札の前まで来てしまっていた。一時間弱そこで待っ
た時、駅の奥から璃青さんの姿が見えた。人込みに紛れていても見
間違えようがない。淡いグレーのふんわりとした柔らかい生地のワ
ンピースに秋色のストールを巻き旅行鞄を持ってコチラに向かって
くる。俺は凭れていた柱から背を離し前へと足を進める。そうして
いる間にも璃青さんとの距離は縮まっていく。
改札を出た璃青さんは俺の姿を見て驚いたように目を丸くする。
268
﹁璃青さん、お帰りなさい﹂
﹁ただいま。駅で待ってるなんて思わなかった⋮⋮⋮﹂
そう言いながらも微笑む璃青さんを抱きしめていた。俺の腕の中
で璃青さんの香りが広がる。どうしようもない安堵感と、熱すぎる
喜びの感情が湧きおこってくる。
﹁おかえり﹂
もう一度挨拶をして、璃青さんの髪にキスをする。そしてさらに
強く抱きしめる。鼻腔を擽るシャンプーとシャボンの良いその香り
を楽しむ。
﹁透くん、ここ、駅⋮⋮!!﹂
その声で我に返る。俺は片手で璃青さんの荷物を持ち、片手で璃
青さんの手を握りながら二人で商店街に戻ることにする。璃青さん
がいると、商店街に色が戻ってきて、世界が華やかさを増す。楽し
かった為か根小山ビルヂングまでアッという間に到着する。ニッコ
リ笑いBlue Mallowへと帰ろうとする璃青さん俺は繋い
だままの手を軽く引っ張る。
﹁璃青さん、うちで月見をしませんか?﹂
繋いでいる手が離せない。
﹁え⋮⋮⋮﹂
﹁まだ、月登っていませんが。⋮⋮離れたくない﹂
そう言うと、璃青さんは柔らかく笑う。
﹁うん、わたしも一緒にいたい﹂
璃青さんの優しい声が耳に心地良かった。
部屋に入りテーブルに飾られたススキと、栗を見て璃青さんはフ
フフと笑った。
月見までの時間を、お茶とクッキーを飲みながら二人で他愛ない
話を楽しむ。他愛ない話がとてつもなく愉しい。帰省中に友達とし
た楽しい会話とか、家族の事とか。そうしている間に外はどんどん
暗くなる。そしてついに空にポッカリとした月が登る。二人で月見
団子を盛り付けてベランダのテーブルにお月見セットを飾り付ける。
269
そして二人で空を見上げる。ひと月前と違って風が少し冷たい。俺
は月を静かに眺めている璃青さんに籐のソファーを勧めてからそっ
と離れて、何か温かい飲み物を作りにいくことにした。
﹁この間のお祭りの時は見られなかったけど、ここ、さすが六階よ
ね。景色がすごく綺麗なのね。月もまん丸で綺麗⋮⋮⋮﹂
﹁綺麗なのは璃青さんですよ﹂
俺がそう言うと何故か璃青さんが顔を真っ赤にして慌てる。俺は
手にもっていたココアのマグカップを璃青さんに渡す。そして俺も
璃青さんの隣に座り、そっとその肩に手を回す。璃青さんの体温が
心地よかった。璃青さんは嬉しそうにココアをフーフーと少し覚ま
してから一口飲み笑う。しばらく二人でココアと月見を楽しむ。
﹁璃青さん、嬉しいです。
その⋮⋮﹂
月をみていた璃青さんが俺に視線を動かしたのを感じてドキドキ
する。
﹁その、応えてくれて⋮⋮俺の告白に⋮⋮﹂
チラリと横を見ると、璃青さんは柔らかく笑い首を横にふる。
﹁私の方こそありがとう。こんな私を好きだと言ってくれて﹂
その言い方になんか悲しくなる。
他の人にそんな気持ちにならない。ここまで人を好きになった
﹁璃青さんだから、好きになって。璃青さんだから告白したんです
!
のって初めてで。だから⋮⋮﹂
上手く言葉にならず、身体の方が先に動きその身体を抱きしめる。
﹁俺を見て欲しかった﹂
璃青さんは俺の背中に手を回してくる。
﹁見てたよ。気付いたら透くんだけを見てたの。わたしはずっとド
キドキしてたよ。透くんが、好きよ﹂
その言葉に俺の心が満たされていくのを感じた。
﹁ありがとうございます。⋮⋮璃青さん﹂
俺は腕の中の愛しいその存在を優しくでも強くさらに抱きしめた。
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﹁璃青さん⋮⋮⋮﹂
抱きしめていた腕を少し緩め、俺は身体を起こし璃青さんを見つめ
る。頬を少し赤らめ、瞳を潤ませた璃青さんがなんとも色っぽく見
えた
﹁なぁに?﹂
﹁愛してます﹂
俺はそう言って璃青さんの柔らかそうな唇にキスをする。突然の
行動にその唇はビクと震えるが拒む事なく俺を受け入れてくれた。
唇を軽く甘噛みをしてそのままゆっくりと舌を絡めより深く熱く二
人で交わっていく。先ほど少し身体を離した事で離れてしまってい
た璃青さんの腕が俺の首に回され抱きしめられる。
﹁ンン﹂
璃青さんの声で、一旦キスを止め少しだけ離れる。すぐ俺の目の
前に、少し息を荒くし顔を火照らせた璃青さんの顔がある。お酒に
酔ったように蕩け熱っぽい眼差しが俺の姿を映す。
﹁甘いですね﹂
俺がそう言うと璃青さんの顔がますます赤くなる。
﹁ココア飲んだ後だから!!﹂
必死な感じでそう答える様子がまたカワイイ。
﹁ええ、ココアのように甘くて美味しいです﹂
そう言って俺はその味を再び味わいたくて、璃青さんにキスをす
る。そうしている内にキスだけでは止まらなくなり、やわらかな頬
を撫で身体に沿わせていく、唇もゆっくりと頬、耳たぶへと移動さ
せていく。
﹁璃青さん、すいません気持ちが抑えられない﹂
耳元でささやくと、璃青さんの少し熱くなった身体がビクリと震
え、唇から小さい声が漏れる。 ふと璃青さんの吐息が俺の耳にか
かる。そして俺の耳にやわらかく温かいものが当たる。璃青さんの
唇が俺の耳を軽く挟むようについばむように動き、﹃イイヨ﹄とい
う言葉を囁いてくる。そこの言葉で最後の理性が飛び俺は璃青さん
271
に覆いかぶさりその温かく柔らかい身体を慈しんだ。
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ふと夜中に擽ったくて目が覚める。腕の中に抱いていた璃青さん
が動きその髪が俺の胸を擽ったようだ。素肌で直に感じる璃青さん
の身体の温かさが俺をホッとさせる。璃青さんは起きていたようで
目があってしまう。青い寝具に包まれていることで璃青さんの素肌
が薄暗い部屋でも浮かびあがって神秘的な雰囲気もあり見蕩れてし
まう。
﹁璃青さん⋮⋮?﹂
間抜けな寝顔を見られたのだろうか、少し恥ずかしい。
﹁あ、起こしちゃってごめんなさい﹂
あのまま、二人でベランダのソファーで抱き合い、ベッドに移動
して愛し合いそのまま寝てしまったようだ。
﹁いえ、寝るつもりはなかったんですけど、安心したらつい⋮⋮⋮﹂
﹁安心?﹂
少し身体を起こし俺を見つめ首を傾げる
﹁璃青さんが側にいる。って﹂
﹁わたしのせい?﹂
少し唇を突き出しそう聞いてくる。
﹁そうですよ。もう戻ってこなかったらどうしようかと思ってまし
た﹂
なんか今は甘えたくて、璃青さんを抱き寄せる。すると真っ赤に
なり慌てたような顔をする。
﹁お店を放置するわけないでしょ!!﹂
身体をよじって逃げようとする身体を、少し強引に抱きしめたま
ま、空いている方の手でその頬を撫でる。
﹁そうですね。まぁ、その時は迎えに行こうかとも考えていました
けど。⋮⋮で、今まで何をそんなに悩んでいたんですか?﹂
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﹁悩んで⋮⋮っていうか、わたし、29歳になっちゃったし﹂
上目使いでポツリポツリとそう言葉をつぶやきだす。
﹁はい﹂
﹁6つも年上だし﹂
﹁ええ、まあ﹂
なんでそんな事、気にするんだろう?
﹁あなたにはもっと相応しい人がいるんじゃないかな、って﹂
俺はそんな事を言う璃青さんの唇をキスでふさぐ。
﹁⋮⋮⋮や、んっ、苦しいよ﹂
拗ねたように見上げてくる璃青さんを、俺は少し睨む。
﹁それ以上言ったら怒りますよ。俺はそんなに頼りないですか? ⋮⋮年下だから﹂
﹁そんな事ない⋮⋮⋮﹂
そうおずおずと答える。
﹁ならば、俺の璃青さんへの気持ち疑っているんですか?﹂
璃青さんはブルブルと顔を横にふる。
﹁璃青さん以上に人を好きになった事ありません。そしてこれから
もそんな人に会うなんて考えられない。もし璃青さんが俺に不安に
なるようだったら。俺はもっと璃青さんに相応しい男になるように
努力します。だから俺を受け入れて﹂
そう真剣に話しているのに、璃青さんは不安げに俺を見つめる。
﹁そんなの嘘⋮⋮﹂
﹁嘘じゃないですよ。
⋮⋮⋮璃青さん、どうしたら信じてくれますか? もっともっと愛
したらいいですか?﹂
そう真面目に言ったのに、璃青さんはキョロキョロして逃げよう
とする。
﹁ええと。朝帰りは何かと不都合が⋮⋮なんて。だからそろそろ帰
ろうと思って、ダメ?﹂
﹁やはり信じてないんですね。俺の気持ち﹂
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起き上がりベッドから出ようとする璃青さんを背後から抱き寄せ
戻す。
﹁え、違、ちょっと待っ⋮⋮﹂
﹁璃青さんだけを愛しています。今もこれからも﹂
逃げようとする璃青さんの背中にキスを落とす。
﹁うぅ⋮⋮はい、わたしも透くんだけが好きです﹂
そんな風にあまりにも嬉しい言葉を返してくれる璃青さんが愛し
くてたまらない。俺は顔を赤らめる俯く璃青さんに背後から抱えた
まま項や肩にキスをしていく。身体の力が抜けていく璃青さんをベ
ッドに横たえ俺は微笑みかけ璃青さんに深いキスをした。
﹁ユキ⋮⋮くん﹂
唇が離れると、途切れ掠れた声で璃青さんが俺の名前を呼ぶ。そ
の声が俺の身体をさらに熱くした。その眼差しも声も身体も俺を夢
中にさせる。俺は深く強くその存在を感じたくて、璃青さんと共に
シーツの海を潜っていった。窓からボンヤリ入る十三夜の月の光の
中で。
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月に還る︵後書き︶
今回もたかはし葵さんと同時刻更新しています。
﹃Blue Mallowへようこそ∼希望が丘駅前商店街﹄を読
んでいただけると、璃青さん視点のこの物語を楽しむ事が出来ます
!
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n5993cb/
希望が丘駅前商店街∼透明人間の憂鬱∼
2014年11月13日03時20分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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