会長に就任して 遊楽部学園 自治会 学 園 に在 籍して 安井秀子 遊 楽 部 学園 が 開 講 四 十 周年 を 迎 え る 荒 田 耕 三 式 典 に 参 加 出 来 ま し た事 に 嬉 し く 思 っ て 居 りま す。 月 日 の 経 つ の は 早 い 物で 私 は 平 成 五 年 か ら 入 会 して二 十 年 を 迎 え る事 が 出 来ました。学 園に在籍して以来、色々 な 事 が あ り ま し た が、 全 く 経 験 の 無 い 会 計 を 六 年 間 と 、 開 講 三 十周 年 記 念 式 典 に は 司 会 を 頼 ま れ 私と し て は 大 変 な 重 荷 に な り ま した が 良 い 勉 強 にな り ま し た 。 当 時 の 河 原 会 長さ ん は じ め 、 四 月 二 十 七 日 平 成 二 十 四 年 度 開 学 園 の 皆 様 に は迷 惑 を お か け した 事 と 講 式・ 自治 会 総会 ・ 四十 周 年記 念式 典 思 い ま す 、 有 り 難 う ご ざ いま す 。 ・ 祝 賀 会 が 無 事 終 わ り 、 新年 度 が ス タ ート しま し た。 五 月 七 日 第 一回 の 役 員 会 を 開催 し 、 今 年 の 事 業 始 め の 緒 に付 い た 。 今 年 度 は 学 園 と 自 治 会の 事 業 を 合 わ せる と 三 十 五 回 あ り 一 ヶ 月 平 均 三 回と な る 。 他 に 各 サ ー ク ル に 入って い る 人 は 結 構出 る ので か な り 忙 し い で し ょ う 。 学 園 生 の 皆 さ ん は 学園 生 心 得 に も あ る 通 り 、 皆 勤 を目 指 して 頑 張 りま し ょ う 。班長 さ ん方 に は会 報や写 真の 配 布 、 色 々 な 連 絡 等 で 忙 し い 目 に 遭 うこ と に な り ま す が 、 何 と ぞ よ ろ しく ご 協 力 お 願 い 致 し ま す 。 会 の運 営 に 対 し た ご 意 見 が あ り ま し た ら 班 長 さ んや 役 員 に 言 って 下 さ い 。 出 来 る もの は 出 来 る 、 出 来 な い も の は 出来 な い と 判 断 させ て 戴 き 回 答 致 し ま す 。 人 生は 遊 び 心 が 必 要で す 。 車 も ハン ド ル と ブ レ ーキ に 遊 びがあるから安全運転ができるので す。 あ ま り 四 角 張ら な い で 参 加 し ま しょ う 。 No 3 8 平成 24 年5月25 日(金) (1)八 雲 町高 齢者学級遊楽部学園 今 に な って 二 十 年 の 間に 体 調 を 崩 し 思い ま す。 学 園で 保 健 師さ ん に 学 ん だ 運動 を 想 て 入 院 し た り 、主 人 の 死 別 と 色々 あ り ま し た が 学 園 の 皆 様 に 励 まさ れ 、 会 計 い 出 して 心 に 入 れ て 頑 張 りま す 。 学 園 と い う 立 場 も あ って割 と 早 く 立ち 直る の 皆 様 こ れ か ら も 宜 し く お 願 い し ま こ と が 出 来 ま し た 。 健 康 が如 何 に 大 切 す 。 終 わ り に な り ま し たが 四 十 周 年 実 施 に は 役 員 の 皆 様 有り 難 う ご ざ い ま かと 痛切 に 思い ま す。 在 籍し て い るお 陰で 施 設 見 学、 飲 料 し た 。 学 園 のこれ か ら も 末 永 く続 く 事 工 場 、 紙 工 場 、 気 象 庁、 放 送 局 と 目 新 を念 じ 筆を 止 めま す。 し い 事 を 沢 山 学ば さ せて 戴 き 、知 識 を 得 る事 が出 来 、幸 せに 思 って 居り ま す 。 平成二十四年度 自 治 会 役 員 こ の 頃 は 脳 の 老 化 から 体 力 も 一 年 ご 会 長 と に 衰 え 、 腰 膝 が 痛 く 、 長く 続 け た 舞 副会長 踊 サ ー ク ル も 出 来 か ね、 休む 事 に して 心 寂 し く 感 じて居 り ま す 。 養 生して 少 しで も 長 く 学 園 に 在 籍 出来 る 様 に 努 力 会 計 して 大 先 輩 に 恥じ な い よ う 頑 張る つ も りです 。 監 査 幸 い 私 は 家 族 と 同 居な ので 炊 事で 作 る 事 が 出 来 る う ち は 頑 張 って 手 伝 う 努 力 す る つ も りで す が 、健 康 が 一 番 だ と 荒 田耕三 堂七武之 庄司文子 林冨美子 秋葉愛子 秋山勝江 荒川祐子 一班 班 長 安井秀子 副班長 長谷川幸枝 二班 班 長 伊藤須美子 副班長 武田哲子 三班 班 長 工藤道子 副班長 早川タミ 四班 班 長 山野内和 副班長 本杉邦子 五班 班 長 小畑精三 副班長 林冨美子 六班 班 長 高見貞子 副班長 山本寿江 賀行事を挙行しており、尚今回のこ の行事に会わせて、些少ながら金員 を寄付したことに対して現第十代自 治会長兼記念事業実行委員長山田輝 雄氏より感謝状の贈呈があり拝受し ました。 その際受 賞者九 名に 代わ っ て謝辞を述べて居ります。 さてここで此の学園の四十年の経 緯を、私の調査した平成十四年以前 は一応学園開講三十周記念誌に掲載 しておりますので、それ以降二十三 年三月までの十年間を書き留める事 にします。 十四年五月に私は学園自治会長を 永井正秋氏に申し送って顧問に推 公 民 館 花 壇 予 定 薦されており、十七年五月からは ● 花壇耕起 一・二班 那須 栄氏が自治会長になり、同 六月五日︵火︶午後一時半∼ 年 八月 から会 員相 互の 親睦を 図る ● 花苗植え 三・四班 一助にと、偶々該当者の出現もあ 六月八日︵金︶午後一時半∼ って 米寿 、傘 寿の祝 賀会 が挙行 さ ● 花壇後片付け 五・六四班 れ るこ と にな り まし た 。 十月十二日︵金︶午後一時半∼ 十九年五月からは小畑精三氏 が、二十一年五月からは山田輝雄 氏がそれぞれ自治会長を勤めまし た。 山田氏が会長になってから 彼独自のパソコ ン技を駆使して 編 集 か ら 印 字 迄 、カ ラ ー 写 真 入 り﹁ 学 園だより﹂を二十一年十月に第一 号を発刊して 以来二十四年四月迄 に A四版 紙両 面に学 園関 連写 真を 入れて三十七号になりました。こ れは学園生相互の理解を深 めるの に大いに貢献したものと思われま す。 尚ここで特記すべきは、開 八雲墓地花壇花苗植え 講以来不在だった学園長に二十二 六月十五日︵金︶午後一時半∼ 年五月に清水久雄教育長に就任し て戴いたことで 、漸くにして名実 花 い っ ぱ い 運 動 駅前花壇維持管理協力 共に学園としての体面を保つ事が出 来ました。 ● 花 壇耕起 そしてここに意義有る学園開講四 五月二十七日︵日︶午前九時∼ 十 周 年 記 念 祝 賀 会 を 二 十 四 年 四 月 二 ● 花苗植え 十七日に遊楽亭で挙行することが出 六月二日︵土︶午前九時∼ 来ました。 ● 草取り・ゴミ拾い 午前八時半∼ 遊 楽 部 学 園 の 名 称 に は 所 在 、組 織 、 六月九日︵土︶ 活動内容など活字を見ただけでは早 七 月七日︵土︶ 速には解明出来ない欠点があるだけ 八月四日︵土︶ に、私は公民館講座の中での高齢者 九月一日︵土︶ 向け生涯学習団体に相応しい名称に 九月二十九日︵土︶ 改 称 す べ き だ と 大 部 以 前 か ら 提 案 し ● 後片付け ている処です。 十月二十八日︵日︶ 次号へ続く 毎週月曜日 午前10時∼ 6/25 8/6 3班 7/2 8/13 4班 7/9 8/20 5班 7/16 8/27 6班 7/23 9/3 1班 7/30 9/10 2班 ※ 雨天等で都合の悪い時 はそれぞれの班で調整し 日程を変更して下さい。 サークル代表 舞踊 広瀬テツ 竹中ヨツエ 第二火曜日 ダンス 竹田哲子 長谷川幸枝 第二・第四土曜日 カラオケ 小畑精三 工藤道子 第二木曜日 パークゴルフ 小畑精三 第一・第二・第四水曜日 遊楽部学園 開講四十周年に想う 河 原 忠 義 昭和四十八年五月、八雲町教育委員 会社会教育課の主唱で開講した高齢 者学級が途中平成八年五月に名称の 高齢者を嫌って、遊楽部学園と改称 して居りますが、名実に何の改変も なく、唯思いつきで改称したようで す 。 私の入講は平成四年ですので 、 以来二十年を経て居り、本学園では 去る五月 二十七日 の開講 式に 会わせ て、ささやか乍ら町長、教育長の臨 席のもと開講四十周年の記念式典と 祝賀会を、遊楽亭で学園生四十一名 参列して挙行致しました。 来賓十名の来駕もあり、歴代自治 会長などの功労者に感謝状を贈呈す るなど一応型通りの行事を厳粛に行 いました。 私はこの席で六代目自治会長とし て、平成十四年に開講三十周記念祝 公民館花壇管理日程 38 No 平成24年5月25(金) (2)八雲 町高齢者学級遊楽部学園
© Copyright 2024 ExpyDoc