No38

会長に就任して
遊楽部学園
自治会
学 園 に在 籍して
安井秀子
遊 楽 部 学園 が 開 講 四 十 周年 を 迎 え る
荒 田 耕 三
式 典 に 参 加 出 来 ま し た事 に 嬉 し く 思 っ
て 居 りま す。
月 日 の 経 つ の は 早 い 物で 私 は 平 成 五
年 か ら 入 会 して二 十 年 を 迎 え る事 が 出
来ました。学 園に在籍して以来、色々
な 事 が あ り ま し た が、 全 く 経 験 の 無 い
会 計 を 六 年 間 と 、 開 講 三 十周 年 記 念 式
典 に は 司 会 を 頼 ま れ 私と し て は 大 変 な
重 荷 に な り ま した が 良 い 勉 強 にな り ま
し た 。 当 時 の 河 原 会 長さ ん は じ め 、
四 月 二 十 七 日 平 成 二 十 四 年 度 開 学 園 の 皆 様 に は迷 惑 を お か け した 事 と
講 式・ 自治 会 総会 ・ 四十 周 年記 念式 典 思 い ま す 、 有 り 難 う ご ざ いま す 。
・ 祝 賀 会 が 無 事 終 わ り 、 新年 度 が ス タ
ート しま し た。
五 月 七 日 第 一回 の 役 員 会 を 開催 し 、
今 年 の 事 業 始 め の 緒 に付 い た 。 今 年 度
は 学 園 と 自 治 会の 事 業 を 合 わ せる と 三
十 五 回 あ り 一 ヶ 月 平 均 三 回と な る 。 他
に 各 サ ー ク ル に 入って い る 人 は 結 構出
る ので か な り 忙 し い で し ょ う 。
学 園 生 の 皆 さ ん は 学園 生 心 得 に も あ
る 通 り 、 皆 勤 を目 指 して 頑 張 りま し ょ
う 。班長 さ ん方 に は会 報や写 真の 配 布 、
色 々 な 連 絡 等 で 忙 し い 目 に 遭 うこ と に
な り ま す が 、 何 と ぞ よ ろ しく ご 協 力 お
願 い 致 し ま す 。 会 の運 営 に 対 し た ご 意
見 が あ り ま し た ら 班 長 さ んや 役 員 に 言
って 下 さ い 。 出 来 る もの は 出 来 る 、 出
来 な い も の は 出来 な い と 判 断 させ て 戴
き 回 答 致 し ま す 。 人 生は 遊 び 心 が 必
要で す 。 車 も ハン ド ル と ブ レ ーキ に 遊
びがあるから安全運転ができるので
す。
あ ま り 四 角 張ら な い で 参 加 し
ま しょ う 。
No 3 8
平成 24 年5月25 日(金)
(1)八 雲 町高 齢者学級遊楽部学園
今 に な って 二 十 年 の 間に 体 調 を 崩 し 思い ま す。
学 園で 保 健 師さ ん に 学 ん だ 運動 を 想
て 入 院 し た り 、主 人 の 死 別 と 色々 あ り
ま し た が 学 園 の 皆 様 に 励 まさ れ 、 会 計 い 出 して 心 に 入 れ て 頑 張 りま す 。 学 園
と い う 立 場 も あ って割 と 早 く 立ち 直る の 皆 様 こ れ か ら も 宜 し く お 願 い し ま
こ と が 出 来 ま し た 。 健 康 が如 何 に 大 切 す 。 終 わ り に な り ま し たが 四 十 周 年
実 施 に は 役 員 の 皆 様 有り 難 う ご ざ い ま
かと 痛切 に 思い ま す。
在 籍し て い るお 陰で 施 設 見 学、 飲 料 し た 。 学 園 のこれ か ら も 末 永 く続 く 事
工 場 、 紙 工 場 、 気 象 庁、 放 送 局 と 目 新 を念 じ 筆を 止 めま す。
し い 事 を 沢 山 学ば さ せて 戴 き 、知 識 を
得 る事 が出 来 、幸 せに 思 って 居り ま す 。 平成二十四年度 自 治 会 役 員
こ の 頃 は 脳 の 老 化 から 体 力 も 一 年 ご 会 長
と に 衰 え 、 腰 膝 が 痛 く 、 長く 続 け た 舞
副会長
踊 サ ー ク ル も 出 来 か ね、 休む 事 に して
心 寂 し く 感 じて居 り ま す 。 養 生して 少
しで も 長 く 学 園 に 在 籍 出来 る 様 に 努 力 会 計
して 大 先 輩 に 恥じ な い よ う 頑 張る つ も
りです 。
監 査
幸 い 私 は 家 族 と 同 居な ので 炊 事で 作
る 事 が 出 来 る う ち は 頑 張 って 手 伝 う 努
力 す る つ も りで す が 、健 康 が 一 番 だ と
荒 田耕三
堂七武之
庄司文子
林冨美子
秋葉愛子
秋山勝江
荒川祐子
一班
班 長
安井秀子
副班長 長谷川幸枝
二班
班 長 伊藤須美子
副班長
武田哲子
三班
班 長
工藤道子
副班長
早川タミ
四班
班 長
山野内和
副班長
本杉邦子
五班
班 長
小畑精三
副班長
林冨美子
六班
班 長
高見貞子
副班長
山本寿江
賀行事を挙行しており、尚今回のこ
の行事に会わせて、些少ながら金員
を寄付したことに対して現第十代自
治会長兼記念事業実行委員長山田輝
雄氏より感謝状の贈呈があり拝受し
ました。 その際受 賞者九 名に 代わ っ
て謝辞を述べて居ります。
さてここで此の学園の四十年の経
緯を、私の調査した平成十四年以前
は一応学園開講三十周記念誌に掲載
しておりますので、それ以降二十三
年三月までの十年間を書き留める事
にします。
十四年五月に私は学園自治会長を
永井正秋氏に申し送って顧問に推 公 民 館 花 壇 予 定
薦されており、十七年五月からは
●
花壇耕起
一・二班
那須 栄氏が自治会長になり、同
六月五日︵火︶午後一時半∼
年 八月 から会 員相 互の 親睦を 図る ● 花苗植え
三・四班
一助にと、偶々該当者の出現もあ
六月八日︵金︶午後一時半∼
って 米寿 、傘 寿の祝 賀会 が挙行 さ ● 花壇後片付け 五・六四班
れ るこ と にな り まし た 。
十月十二日︵金︶午後一時半∼
十九年五月からは小畑精三氏
が、二十一年五月からは山田輝雄
氏がそれぞれ自治会長を勤めまし
た。 山田氏が会長になってから
彼独自のパソコ ン技を駆使して 編
集 か ら 印 字 迄 、カ ラ ー 写 真 入 り﹁ 学
園だより﹂を二十一年十月に第一
号を発刊して 以来二十四年四月迄
に A四版 紙両 面に学 園関 連写 真を
入れて三十七号になりました。こ
れは学園生相互の理解を深 めるの
に大いに貢献したものと思われま
す。 尚ここで特記すべきは、開
八雲墓地花壇花苗植え
講以来不在だった学園長に二十二
六月十五日︵金︶午後一時半∼
年五月に清水久雄教育長に就任し
て戴いたことで 、漸くにして名実 花 い っ ぱ い 運 動
駅前花壇維持管理協力
共に学園としての体面を保つ事が出
来ました。
●
花
壇耕起
そしてここに意義有る学園開講四
五月二十七日︵日︶午前九時∼
十 周 年 記 念 祝 賀 会 を 二 十 四 年 四 月 二 ● 花苗植え
十七日に遊楽亭で挙行することが出
六月二日︵土︶午前九時∼
来ました。
● 草取り・ゴミ拾い 午前八時半∼
遊 楽 部 学 園 の 名 称 に は 所 在 、組 織 、
六月九日︵土︶
活動内容など活字を見ただけでは早
七
月七日︵土︶
速には解明出来ない欠点があるだけ
八月四日︵土︶
に、私は公民館講座の中での高齢者
九月一日︵土︶
向け生涯学習団体に相応しい名称に
九月二十九日︵土︶
改 称 す べ き だ と 大 部 以 前 か ら 提 案 し ● 後片付け
ている処です。
十月二十八日︵日︶
次号へ続く
毎週月曜日 午前10時∼
6/25
8/6
3班
7/2
8/13
4班
7/9
8/20
5班
7/16
8/27
6班
7/23
9/3
1班
7/30
9/10
2班
※ 雨天等で都合の悪い時
はそれぞれの班で調整し
日程を変更して下さい。
サークル代表
舞踊
広瀬テツ
竹中ヨツエ
第二火曜日
ダンス
竹田哲子
長谷川幸枝
第二・第四土曜日
カラオケ
小畑精三
工藤道子
第二木曜日
パークゴルフ
小畑精三
第一・第二・第四水曜日
遊楽部学園
開講四十周年に想う
河 原 忠 義
昭和四十八年五月、八雲町教育委員
会社会教育課の主唱で開講した高齢
者学級が途中平成八年五月に名称の
高齢者を嫌って、遊楽部学園と改称
して居りますが、名実に何の改変も
なく、唯思いつきで改称したようで
す 。 私の入講は平成四年ですので 、
以来二十年を経て居り、本学園では
去る五月 二十七日 の開講 式に 会わせ
て、ささやか乍ら町長、教育長の臨
席のもと開講四十周年の記念式典と
祝賀会を、遊楽亭で学園生四十一名
参列して挙行致しました。
来賓十名の来駕もあり、歴代自治
会長などの功労者に感謝状を贈呈す
るなど一応型通りの行事を厳粛に行
いました。
私はこの席で六代目自治会長とし
て、平成十四年に開講三十周記念祝
公民館花壇管理日程
38
No
平成24年5月25(金)
(2)八雲 町高齢者学級遊楽部学園