小説同人誌評 - 大阪文学学校

 遊雅仁「千代之介」(『雑記囃子』第6号)
ゆ う が ひとし
てこそ、文学の樹は育ち、花を咲かせ、実を
も見舞われたが、それを埋めてくれたのは川
良二は定年退職して解放感と共に空虚感に
れた白猫やテント生活をする太鼓腹の大男と
辺の散歩だった。途上で千代之介と名づけら
結 ぶ の で は な い か。 視 え ざ る 処、 そ の 影 の
エールを贈るべきである。採算云々だけでそ
領域に暖かい眼差を向けて書き手を発掘し、
の部分を見捨ててはならない。
「私」は自分の不倫が原因で離婚、不倫相
奥野忠昭「頼まれ故郷」(『せる』第 号)
奪われた金を奪い返した。ところが、不良グ
代は野球で鳴らしたという。彼はブルーシー
も馴染みとなった。男は源三と言い、高校時
ループは源三への報復のためテントに火を点
トの住人を襲った不良グループと渡り合って
け、千代之介を火中に投げこんでしまう。源
手にも逃げられ、市民講座のカメラクラブに
の小倉洋介から顔写真を預り、代りに故郷を
世の豊かさに背を向けて、社会に束縛されな
三 は 心 臓 発 作 を 起 こ し て 死 ぬ が、 聞 け ば 彼
い自由と精神の解放を獲得したのだ……。
訪ねてもらって思い出せる事を聞き出してほ
た。彼女にも村人たちにも洋介の顔写真を見
しいし、南京ハゼのある風景をカメラに収め
てもらったが、要領を得ない反応ばかりだっ
力的な人物を配すること、いや造型するのは
主人公は源三という人物だろう。作中に魅
し孤独と戦いながらも正義感の強い男だった。
た。ただ村で駆落ち事件があったというその
は「NPO淀川」に属していた。妻子を亡く
何事によらず物事には明と暗が付き纏い、
相手は小倉ではないかと勘繰った。その中年
てきてくれないかと頼まれる。「私」は彼の
陽と陰とが鬩ぎ合う。例えば同人雑誌は後者
れた猫が母猫になっていたというプロットも
勘処のひとつである。最後に、死んだと思わ
せめ
に属するわけだが、同人雑誌評が次第に消え
女性が「落とし物を拾いに来た」と洩らした
ろう。自分の魂を落とすと禍に遭うというの
この作品のキーフレーズは沖縄人の言葉だ
線で実家のある広へ立ち寄ることにした。列
戚の結婚式があり、その前日、久しぶりに呉
「わたし」は定年退職の身だが、広島で遠
小西九嶺「純子先生」(『あるかいど』第 号)
まぶい
ていく現状をどう見るか。これは一種の切り
ことから、沖縄人の「魂をどこかに落として
だが、主人公も訳ありのホームレスもどこか
車に乗れば、広島弁の懐しさと共に故郷を喪
ふところ
で魂を落としてきた、つまり魂を落とし、大
失しつつある根無し草のわが身が殊更に意識
も珠玉は眠っている。
わけ
まぶい
立っているような趨勢があるにせよ、秀作は
今や同人雑誌の大半は中高年によって成り
切なものを喪失した人間という共通の負を背
されるのだった。ふと乗客の中で絡んでくる
まぶい
ひろ
負っていたことになる。ホームレスにとって
まぶい
同人雑誌は文学樹林帯の根っ子、いわば文
魂の象徴とは南京ハゼの樹ではなかったかと。
産み出されているのであり、その影の領域に
を施さないでどうするのか。地下に根を張っ
利いている。
捨てだが、マスコミ界において見識や度量と
故 郷 に 赴 き、 同 じ バ ス 停 で 中 年 女 性 も 降 り
入った。近くの公園で知り合ったホームレス
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きた」という言葉を想い起こし……。
佐 々 木 国 広
いう面で懐が狭くなったことを示している。
影の領域への
眼差を
学樹根である。そこにマスコミが水分や肥料
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小説同人誌評 25
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たし」が小学生の頃、図書室に勤めていた浜
げて上京し、異性関係で荒れるが、妻子ある
究しようとする。「私」は男友達に別れを告
後の件で、弟子たちが師匠の遺骨をかじる場
師匠の魅力をもっと前面に出せばどうか。最
落語家の世界を面白く描いているのだが、
や謎掛けに興じた挙句、花札をやろうと言い
田純子先生だった。……四年生になって図書
男と不倫に陥った際、男の娘が洩らした言葉
面などやりすぎの感がなきにしもあらずだが、
だし……。
室に通い始めたが、司書として入ってきた純
に衝撃を受けて……邦子の訃報がもたらされ
泣き笑いの味が滲み出ている。
の仕掛けた犯行だと勝手に推理し、邦子を追
子先生と出合う。先生の優しい眼差や気配り
帰郷してみると、男友達から意外な事実を知
老女の視線が気になった。やはり彼女は「わ
に心惹かれるようになり、読書という新しい
らされる……。
目撃し……。
或る時、先生が大学生と密会している現場を
な気持になるという未知の世界が加わった。
いう設定にやや抵抗があるものの、この作品
作りの技倆を評価したい。元妻と縒を戻すと
品に仕立ててあり、謎解きもとり入れた読物
復縁と娘たちの離反を基にして推理風の作
れがちだったが、堂本部長に庇われ、彼に魅
先輩格の女子事務員らに何かと白い眼で見ら
一人息子は夫に連れ去られたので一人暮らし。
越して二年、某銀行の関連会社に就職した。
三十八歳の「私」は夫と別れアパートに引
長瀬葉子「ゆくえも知らぬ」(
『とぽす』第 号)
れ、ファッションホテルへも行ったが、愛の
が蘇ってくる……「私」の三歳の頃、嫁姑問
写った古い写真を見つけ、封印してきた記憶
「私」は上京して五回目の引越時に実母の
書いた作品が舞台にかけられ、落語家ともつ
クールに通い、新作落語を手がけた。初めて
と、演芸台本の書き方を教えるカルチャース
嫌になった。もう少し創造的な仕事をしたい
の地位を得たが、毎日ノルマに追われるのが
「私」はあっさりと断わり、思わず笑いがこ
パのまま追いかけてきて誘いかけられたが、
事を終えて帰宅しかけたところ、彼がスリッ
になり、彼の専属秘書と化した。或る日、仕
きて様相は一変、女首領の如く君臨するよう
堂本部長と顔馴染みの松谷美香子が入社して
言葉はなかった。その内に「私」と同年齢で、
題で両親は離婚したため、父は見合で再婚し
き合うようになった。若手の桂林亭 笑 若 門
じゃくわか
しょうじゃく
て妹が出来、四人で平穏に暮らしていた。と
下で一番弟子は大若、二番弟子は若若、三番
結局は別れるという筋書きは今や類型化した
離婚した女が新たな男と不倫関係に陥り、
より
ころが、年経て父は元の妻邦子と縒を戻そう
弟子は小若だった。笑若師匠は四十代後半だ
み上げてきて……。
としてしばしば彼女が現れるようになり、こ
が既に人気にかげりが見え始めていた。その
を「ただの女好きでちょっと淋しい愛すべき
観がある。ただし、主人公は相手の男のこと
おおわか
の家庭も崩壊していった。別れ話に姉妹は義
日、三人の弟子たちは師匠宅に押しかけよう
中年男」とみなし、ジメジメした下降線を辿
パターン
母についていきたいと父にも実母にも猛反発
ということになったが、博打はやらないでお
こわか
し、女同士の諍いにまで発展する。義母は実
こうと申し合わせた。ところが師匠は三題噺
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くだり
体験に、先生に会えば胸がうづき詰まるよう
初恋小説。手堅い筆致で清新な雰囲気が滲
から「産みの親より育ての親」とか、思い込
力を覚えるようになった。やがて飲食に誘わ
より
み出ている。これも人生の一齣であるにちが
みの恐さも読みとれるし、父の「本当に好き
ひとこま
いなく、筆者も女先生に憧れ、彼女がピアノ
な女と一緒になる」という台詞は重い。
さとう裕「骨かじる」
(『いかなご』第4号)
せりふ
を弾いている音楽室へひとり忍び入った日の
ことを思い出した。
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家へ車で向かう途中、ガードレールを突き破
号) 「俺」は機械製造会社で働く内やっと主任
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り転落死 してしまう。「私」はてっきり邦子
金川沙和子「燐火」(『たまゆら』第 ・
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ロメートルの遠泳で合格者には一級が貰えた。
一九五〇年代、さとしが中学生の時、十キ
高月治朗
「遠泳──消えた海」(
『八月の群れ』
第 号)
後、自宅近くの里山で野島の遺体が発見され
彼を引き抜こうとしたことが判明した。その
相手の会社は東欧系でヘッドハンティングで
された。三津恵が依頼した探偵社の報告でも、
話があり、それは外資系の商社らしいと聞か
い。不倫小説も作者がこの本能の部分にまで
会的装置で、どちらが歪つになっても壊れ易
ている。結婚は一面、二大本能を慰撫する社
て男を云々とあるけれども、どこか口実めい
女なのではないか。絵画のための刺激剤とし
だが、雛子というのは男にとって魅力ある
るという終わり方をしていない点が救われる。
その年の一回目に、さとしの好きだった美津
たと……。
がり」とか「意気地なし」と言われてからか
大 会 に 挑 ん だ …… さ と し は 小 学 生 の 頃、「 怖
のが自殺原因とされている。筆者は真面目で
ルツハイマーで父親も同じ病いだったという
れる事例である。この作品の場合、若年性ア
病気を苦に自殺という悲劇はしばしば見ら
た。ウッド・ベースの菅沼の家へ案内され、
陽介はギター演奏で初めてステージに立っ
宇治田充
「ジャンゴの歌」(『森時計』第6号)
踏みこまなければ十全とはいえないのではな
われた。泳ぎ好きだったが、近所の餓鬼大将
慎重な人物に思いもよらぬ、もっと他の秘密
いび
子が合格していたこともあり、二回目の遠泳
に子猫の処刑を命じられ、突堤から投げ捨て
の夫婦で話し合うことになった。雛子は「私」
る。この不倫のもつれを精算するため、二組
「私」の夫は津嶋の妻雛子と愛人関係にあ
伊藤千佳子「雛子」(『樹林』第 号)
女がついているらしいが不明のままだ。或る
に毒されたメモリー、彼は何で食っているか、
され日本に帰国したとか。アル中で薬物中毒
ジャンゴ・ラインハルトに入門を乞うも拒絶
聞かされた。メモリーはニューヨークへ行き、
た。 菅 沼 か ら ギ タ リ ス ト の メ モ リ ー の 話 を
恥辱感で体が火照ったもののいい経験になっ
「お前のギターは歌っていない」と評される。
みつる
かろうか。
たことがある……それがため、水泳中に何者
が隠されていたというプロットを予想してい
とら
かに足を引っ張り込まれるような恐怖心に囚
たのだが……。
の夫のことが好きで、二人で死のうと思った
あの美しい海はどうなっているかと訪ねてみ
ら、美しい海が消滅したことへの挽歌となっ
遠泳で合格証を得た過去の記憶を辿りなが
ことさえあると打ち明ける。津嶋は雛子に対
ティックを奪い取りシンバルを叩いた。止め
ン」で酒に酔ったメモリーはドラマーからス
一撃して……。
に入った陽介の頭をメモリーはギターの腹で
時、地下のジャズクラブ「グリーン・ドルフィ
それは狂気に近いものだと津嶋は語る。また、
音楽小説で、それもジャズ・クラブを舞台
し、別れるのか、それとも駆落ちするのかと
彼女は「私」の夫を九人目の芸術の犠牲者に
高橋惇「うつろな闇」(『法螺』第 号)
た。ところが野島は同期会に欠席したばかり
したのだと。結局、当事者同志は別れること
ろうか、ジャズを文字化するみたいな試みに
にした小説は珍しい。感覚的文体というのだ
迫る。雛子は絵画の修業をしていて、男と関
か会社も無断欠勤しているとのこと。高畑は
に帰着した。「私」の夫はあの修羅場で「私」
係をもった後、集中して制作活動に入れる、
不審に思い、彼の勤め先の研究所や野島の妻
が堂々としていたことを誇りに思うととりな
互いに気心が合い、山登りにも行った仲だっ
美津恵にも事情を聞きに訪ねていった。ある
そうとしたが……。
新味がある。ただ、メモリーがアル中に転落
いは業務表彰者の対象から外された一件でト
高畑と野島は製薬会社への同期入社で、お
れば……。
ている。子供時代は浄化されて回想されるも
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のだが、かつての海はもはや戻ってこない。
ひなこ
われた。……それは今から五十年前のこと、
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ラブルでもあったのか。野島に若い女から電
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していった経緯とか女との絡みにもっと紙幅
「私」は私生児で母は自殺、遠縁の養父母
よこやまさよ「灯篭流し」(『星座盤』創刊号)
方にまで口を出す彼女の態度が癇にさわり、
の家に勝手に飛び込んできた上、他人の生き
てやるのだとかいきまく。「わたし」は他人
れないか、ストライキを起こして思い知らせ
とか散々愚痴をこぼす。挙句は今夜泊めてく
うか、この煮え切らない態度が気にかかる。
だろうか。古臭い考えに囚われているのかど
は自らこの閉塞状況から脱しようとしないの
お手伝いさんのような立場にある。なぜ彼女
この主人公は体よく専業主婦にさせられた
感を感じてしまうのだった……。
たされないまま、この父子に近寄り難い疎外
のこと別れてほしいと願うのだが、入籍も果
に育てられたが、種々の虐待を受けた。養父
独り芝居の長広舌にうんざりする。あれから
南奈乃「ボンと歩けば」
(『てくる』第3号)
さんざん
か、家の中に他人が入ってきたらおしまいだ
の性的暴行は十五歳まで続き、生まれた赤子
二年、山田たかのことが気になって訪ねてみ
を割いてほしかった。
は 間 も な く 死 亡 し た。「 日 本 じ ゃ、 眠 れ な い
ると、その後彼女は荒れ狂った末、施設へ収
級友の「言いたい放題、やりたい放題の生涯」
認知症の悲劇を描いた作品だが、主人公は
と よ く 散 歩 を す る。 ハ ン デ ィ を 背 負 っ た コ
りついた。交通事故で片足を失くした雑種犬
近くの借家に移住、雑貨屋のパート仕事にあ
の浄火に救いがあるけれども、帰国すればど
な灯篭流しの場面が印象鮮やかである。一点
うい女を描いている。悲哀を浄めるかのよう
生の実感を性によってしか得られない、危
の日、「わたし」を迎えにきてくれて同棲す
くし、中学生の悠太と暮らしていたが、震災
た。信吾と知り合って二年、彼は妻を癌で亡
震災に遭い、店は壊滅したものの負傷は免れ
「わたし」は神戸で喫茶店を開いていて大
堀井りの「トライアングル」(
『酩酊船』第 集)
誤解され二重の災難に遭う話。憶測だけで事
男と別れ、自立しょうとした処、男絡みで
言われ唖然とする。その話の裏には……。
大家さんから犬を飼うなら出ていってくれと
レから衣類など送り返してきたが、彼には新
てもらったこともある。一年経って、モトカ
級友山田たかが訪ねてきた。そして嘆くには、
だのではないかと疑ったりする。その上、い
難癖をつけたり、母親のルビーの指輪を盗ん
で、その点いささかもどかしい。
像とか、なぜ破産に至ったのかわからないの
とつにしてある。ただ、この別れた男の人間
る現象だが、その錯誤を作品のポイントのひ
実誤認されるのは世間でしばしば見受けられ
息子夫婦と孫までがグルになって自分を養老
たし」の粗忽さが禍しているのなら、いっそ
つのまにか信吾は糖尿病に 罹っていて、「わ
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てい
から。お金なくなるまでここにいるよ」とタ
だけじゃなくて、うまく息する事もできない
をしていても、実感がない。私は徐々にバラ
を羨ましいとの感慨を吐露している。本人は
た。「 私 」 は マ ン シ ョ ン か ら 逃 げ 出 し、 実 家
ンスを崩している」として好きな匂いのする
そうかもしれないけれども、周囲を巻き込む
「私」と同棲していた男が借金まみれとなっ
男を求めて、奔放な性関係にのめりこむ。男
知りとなり、雨の日など彼の車で家まで送っ
リー犬と出会い、白髪まじりの飼主とも顔見
容されたと……
の玩具にされているような虚妄の日々。蓮の
処に救いがたさ、やりきれなさが拭いきれな
イ に 滞 在、 娼 婦 と も 接 す る よ う に な る。「 何
花の灯篭を川に流す行事の夜、一人の少女が
い。やはり級友も哀れなのではないか。
うなるのか。この愛情飢餓に冒された主人公
るようになった。新米主婦となった「わたし」
な
囁きかけて……。
に光明が射すのはいつの日か。
は食事と弁当作りに苦労した。悠太は弁当に
たな女が出来ていて妊っているとか。或る時、
島原民子「来訪者」(『文藝軌道』第8号)
院へ送り込もうとしていると。更に、息子も
かか
結婚してから別の生き物になったみたいだと
おか
或る日「わたし」の自宅へ旧制高校時代の
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