作 品 解 説

第17回
平成27年2月10日
作 品 解 説
①「奇術」
立川談志の楽屋噺
アダチ龍光
池袋演芸場の「立川談志独演会」出た時の思い出。
吉慶堂李彩
先代李彩の芸を継承して。中国奇術正統派二代目。
明治四十二年生まれ。この道七十年を越える長距離ランナー。
今は埼玉県浦和で悠々自適の生活。
なかなか舞台では見ることが出来なくなった名人芸。
②「漫才四組」より
コロンビアトップ・ライト
春日三球・照代
松鶴家千代若・千代菊
Wけんじ(東けんじ・宮城けんじ)
③村田英雄「浪曲入り王将」
NHK蔵出し「ふたりのビッグショウ」より
村田「夫婦春秋」
、北島「なみだ船」
村田「浪曲入り・王将」
村田・北島「皆の衆」
④「演芸四題」より
(柳家紫文・春風亭美由紀・三遊亭小円歌・太田家元九郎)より、
今回は三遊亭小円歌・太田家元九郎の二人。
三遊亭小円歌
(出囃子)古今亭志ん生[一丁入り]
、林家三平、
三遊亭圓歌、
「両国風景」
太田家元九郎
日本代表で世界を回る。韓国「アリラン」、
英国「ビートルズ。」米国「カーペンターズ。」
津軽三味線「津軽の四季(春夏秋冬)
」
名 人 列 伝
柳谷三亀公(やなぎや・みきまつ)
音曲師。明治34年生まれ。昭和43年没。66歳。本名・伊藤亀太郎。色気にあ
ふれる芸風で、戦前はたびたびレコード発禁処分を受ける。三味線一本着流し姿の
艶笑漫談で。昭和期を通じて長く人気を保った。投網とヒロポンと犬の仲をこよな
く愛したという。
「御存知三亀松」と一枚看板に書かれた柳家三亀松は「天下御免の我が儘、」であった。
「我が儘」と書いたのは談志(わかし)もまだ若く、その傲慢の裏に同輩はともかく先輩、
後輩達にどれほど気を配ったか、三亀松流の配慮の仕方に気がついていなかったためだ。
逆にいうと、あれ程人気があり、気を配っていたら、威張ってないとおかしい。不自然
になる。ということを三亀松こと、「池の端の御大。」は身体で知っていたのだろう、きっ
と……。家元(わたし)の知る三亀松は戦後であり、全盛は過ぎていたから、もはや仕事
の処理としか思えない高座にさほどの魅力はなかったし、その舞台に全盛をオーバーラッ
プする気も起きなかった。
都々逸に、さのさ。坂妻、大河内、金語楼などの顔面模写や形態模写、その間に入る「艶
っぽいこと無二」といわれた女の発声。だが、もう古かった。けど昔を懐かしむ客を含め
て場内に爆笑はあった。けど、三亀松の芸のテンションはもはや切れていたのかも知れナ
イ……。
「柳家三亀松」
、チャキチャキの汀戸っ子、職業は「川並み j という木場のイカダ師だ。
本名伊藤亀太郎。若い頃からのモテ方も半端じゃない、のは自伝、他伝、とエピソードは
山の如く書かれているが、談志(わたし)はその中で長谷川幸延が書いた『法善寺の人々』
の中の三亀松がいい。つまりシャイなのだ。
その頃の悪口というか、仇名は「チャラ亀」とは上手い。目に浮かぶ。生来の美声が三
味線を覚え、新内語り、それも新内流しだから、当然声色が入る。後にあの大看板の柳家
三亀松となるのだから、そんなこたァ、茶の子サイサイ(懐かしい言葉だろ)。やがて高座
に誘われ、大正の爆笑王柳家三語楼の一門となり、柳家三亀松。あっという間の売出しは、
吉本のドル箱となり、同じ三語楼門下の兄弟子の金語楼には「兄貴」と呼んだが、エンタ
ツ・アチャコも、川田義雄も、石田一松も下に置いていた。
「オイ、藤木」とアチャコを呼んだ。くどいが、その陰にある配慮は充分すぎていた。
家元のすきな三亀松のエピソードに、北支だか中支だか、かの「わらわし隊」だか、慰問
にいったとナ。列車は匪賊襲来というのでいつ動くかも判らず、荒野に止まったままだ。
列車といっても貨車に積み込まれた兵隊達、明日の命も判らずに、ただ綿の如くに疲れ疲
れて貨車の中だ。
「オイ、藤木、こい」三亀松は愛用の三味線を持つと線路づたいに、貨車の横を。“流し”
で歩いたという。兵士にとってどれほどの感動だったか、明日の生命も定かでない大陸の
荒野の貨車の中、そこに聞こえた新内の流し。
「えー、兵隊さん、、三亀松です。アチャコも一緒にいます」この情熱、この粋さ、それ
らが全てひっくるめてのあの三亀松の横暴というか、三亀松像として語られてきた。
また、三亀松の金遣いの凄さの逸話も多い。何しろこの師匠が東京駅に着くと、赤帽が
全部勢揃いをして「送り、迎えた」とかいう。その金は吉本興行の銭維から、「平気で持ち
出しかた」とか。勿論それが全部借金となり、吉本に縛られる結果となろのだが、三亀松
そんな事屁でもない。
昭和の佳き年代、やがて戦争、いやその前からも、三亀松には誰ぁれも逆らえなかった。
それは芸と、三亀松の江戸っ子の了見か、それが相手に文句をいわせなかったのであろう。
~弱虫が、たった一言、小っちゃな声で
“捨てちゃ嫌よ”といえた晩
三亀松愛唱の一っ節である。
『談志百選』より