藤沢聖マルコ教会 月報「きずな」巻頭言 2012 年 9 月号 ごらん、野の花を・・・ 司祭 宇津山 武志 九月、時候のあいさつでは「残暑の候」を過ぎ、 「初 ム聖心女子大の学長に任命され、困難に直面して逃 秋の候」、「清涼」、「爽秋」など、夏を過ぎたさわや げ出したいとさえ思っていたときに宣教師からいた かな言葉にかわりましたが、まだまだ暑い日が続い だいた英詩の一節、”Bloom where God has planted you.” ています。この夏、礼拝音楽研修会に出席のため、 から取られたもの。とても美しい言葉ですね。 「いた 久しぶりに清里に行ってきました。清里の朝夕は夏 だいた詩は、 『置かれたところで咲きなさい』の後に でも寒い印象があって、どんな服装をしていこうか 続けて、こう書かれていました。 『咲くということは、 と悩みましたが、 「涼しい」程度でした。同室の村上 仕方ないと諦めることではありません。それは自分 司祭さんが窓に目をやり、 「蛾が少なくなりましたね が笑顔で幸せに生き、周囲の人々も幸せにすること え」とおっしゃいました。そういえば、以前は日が によって、神が、あなたをここにお植えになったの 沈むと網戸には部屋の明りに群がる蛾でびっしりと は間違いではなかったと、証明することなのです。』」 いう感じでしたが、これも温暖化と何か関係でもあ と、著者は記しています。先ほどの「探す」でいえ るんでしょうか。 「今年も暑いですね」が毎年のこと ば、 「どうしてこんな場所に植えられてしまったの?」 になり、今の子供たちにはこれが当たり前のことに という思いから自分を自由にすることでしょう。 なってしまうのかなと、不安な気持ちに囚われます。 「ごらん、野の花を…」と、イエスが見つめられた さて先日、車で移動中にラジオから聞こえてきた「探 花が心に浮かびます。その花はイエスさまに見てい し物」という言葉をきっかけに運転席でイメージが ただける、イエスさまがわたしを用いてみ言葉を語 膨らんでいきました。キリスト教の文脈で「探す・ ってくださると思ってそこに花を咲かせたわけでは たずねる」と言えば、神さまのみ心を探し求める黙 ありません。もしかしたら花を咲かせる直前に誰か 想や祈りが思い浮かびます。でも、普段の生活では に踏みつけられてしまっていたかもしれません。で 「鍵がない」だの「財布がない」だの「手帳がない」 も、彼女はそこに咲いたのです。そしてイエスさま だの、探し物ばかりしている自分を思い出してなん はその花をご覧になりました。このみ言葉にそれか だかがっかり…。でも、毎日の生活の中で本当に探 らどれほど多くの人が慰められ、癒され、温められ し求めたいのは「感謝」であり、 「良いこと」であり、 てことでしょう。 「恵み」であり、暗い中にも神さまが供えてくださ 「なぜ」、「どうして」と、思い通りにならないこと ったともしび、一筋の光明です。「不平」、「不満」は ばかりを探 探さなくてもいくらでも湧いてくるのですが…、な し、それを んて言わずに、いや、だからこそ本当に探すべきも 数え上げる の、求めるべきもの、たずねるべきものにわたした ことからわ ちの注意を向けなければならないのだと思います。 たしの心を またこれを示してくださることを求めることが一つ 解き放って の祈りなのだと思います。 くださいと 先日の誕生愛餐会で、K さんがご紹介くださった、 祈りましょ シスター渡辺和子さんの最近の著作、 『置かれた場所 う。そして で咲きなさい』は一般書店でも平積みになっていて 一輪の花と キリスト教関係では珍しいベストセラーです。一つ して咲くこ ひとつのテーマが数ページにやさしくまとめられて とが出来ま います。タイトルは著者が三十台半ばでノートルダ すように。
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