雑賦福岡銀行

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本騰編灘面癖
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日 本憲法 と 亙 瓦 ⑪
空文化しゆく主権在民
り きへ きききき ミきさきミも
目的のために手段を選ばず である。こ答弁が願いたい 熊本で講習会を開く、だか
︵憲法第九九条天二又は ら出肺してよく間いてくれ
ということはあり得ないは
すです。もし、そんなこと 摂政及び国務大臣、国会 という通知を受けておりま
があづたら、それは教育の 議員、裁判官その他の公 す。そういうわけでこざい
務員は、この憲法を増重 ますので、それに対する私
の考えは、ここではさし控
否定です。
えさしていただきますが、
日も早く、久留米の教育を
は私の琿想を申したんでこ
ざいます。そういう姿に一
り、管理行政は裏であるの
がほんとうの姿だと、それ
導行政がおもて看板であ
〆
私の手許にまいっておりま ないと、かような考えを持
示されています。
くとも方法をあやまってい も骨が折れるでしょうが、
ここでお専ねいたしたい ては達成は困難であると思 あなたは、憲法第九九条で せん。ただ咋日九州地区に っております。 ︵拍手︶そ
のは、自主的粘神に満ちた いますか、教育の場には、 義務づけられている公務員 ついては八月九日と十日に れから昨日申しあげました
私の教育行政について、指
国民を教有するには、自主
的粘神に満ちた精霊でなけ
れば目的は溢しられないと
思うのですが、教育長はど
う考えられるのか。
また昨日、あなたは現在 激基法前文には〃真帆と し擁護する義務を負ふ︶
また、教育法前文、同第一
は藁蕎行政が表で、指導行 平和を希求する人間を育成
らないという占嚇です。
法律の定めるところにより
福岡市渡辺通二丁目一街区82号
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福岡市上川端町12番18月
雑賦福岡銀行
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政が裏になっているから、
しなければならない”と明 条、第二条、第三条、第四 しかし、個人的に考えまし 早くもっていきたいという
条、第十条をあげて教育の てこれだけは言えると思い 念願に燃えております。又
これを反対にしなければな 示してあります。
それに刻して私は努力する
らないといわれたが、その ここで私は二つのことを 正常化について論じ、最後 ます。
表になる指導行政とは、教 質問したい。前議会で不十 に憲法前文の精神を説き、 義務教育は国民全体の教 つもりでこざいます。それ
師の自主性を伸ばすことを 分たったユネスコの勧告文 更に第二六条①すへて国 育である。したがって、も から正常な教育は何かと、
らかにきれたい。
何故なのかということも明 発的精神を養わなければな
含んだ発言たったのか、そ の中にある、①学問の自由 民は、法律の定めるところ ちろん教育名は専門職とし 非常にあいまいでないかと
してまた、表襲さかさまに に基づく教師の専門職の問 により、その能力に応じて て、これに重大なる関心を いうことでございますが、
なっているのは、いったい 題と、②第二条にいう、自 ひとしく教育をうける権利 持ち、重大な影響を持つけ これは既にケース・バイ・
を有する。②すべて国民は れども、そればかりが教育 ケースで考えねばならない
を、日本の教育を持つのだ ので、これは、正常である
⋮ − L◎について ⋮
纏難鞘購蕪縫磁灘響離蕪
F犠蕎.、嶽礁購雛諾する霜 ⋮
委雛ゼ熔蒲鍵澱撫隆雛磐舞霧⋮ 新指導要領を突き
⋮ 欝 離 籍 縞醗補離礁灘欄瀬 雌 蕊 草野小粒校事件に言及
その保護する子女は普通教 という考え方は、それは行 とか、これは不正常である
次に、教育の目的は正し
育を受けさせる筑務を負ふ き過ぎでなかろうか、全国 とか、概括的に言えないと
義務教育はこれを無償とす 民のすべての入が、これに いうことを、昨日、ああい
と、教育をうける権利、 関心を持って、これに対し う表現で申しあげましたわ
教育の義務について論及し て訂正をするものは訂正を けでございますので、御了
法が無視きれたり、改変さ する。そこで決まったもの 承願いたいと思います。
ノ
れようとしつつあるのに対 は、私たちは従わねばなら
し教育長はこれらの事象を
去る五月三一日、文部省 関連記事や、京都府教委 いかに把握しているのか、
京都府教育委員会
現われているとみた。府教
教育指導要領を批判
が発表した小学校新学習指 のことなどを引例して、
その心構えを聞かしてもら
湛要領案について、問題点 ﹁平和教育﹂を国防教育 いたいと追及した。
を指摘しますれば、①基本 という、全く反対の﹁戦 教育長 お答えします。
的入権の経視、②主権在民 争教育﹂に塗りかえよう 文部大臣に対する質閥のよ
から天皇百工へ、復古調が としているときめつけて うな凍雲でこざいまして、
七月十日西日本新聞は、
憲法と教育基本法を基礎に 市教育長の答弁はどうだ。
して行政を進める府教委の 決定した事項には従うのが
に押し出されて問題か多い それにひきかえ、久留米
する。また国家意識が前面 敢な行為に心から拍手する
月末発表した小学校教育指 こなわないために、毅然と
導要領案は﹃個人の尊厳を して文部大臣に書面を送っ
重んじ、真理や平和を追究 たことに、風雪新聞は敬謙
する教育基本法の粘神に反 な気持ちで京都府教委の勇
はなはだ急になってきた。 質聞はつづけられた。
﹃基本法の精神に反する。 委としては戦後最大の教育
︵真剣にやれと呼ぶものあ
政府自身が“憲法、教育 豊島議員 文部省のしり り︶そこで真剣にそのよう 教育指導要領を批判﹄とい 上の危機とみて、あえて、
基本法”をゆがめようとし 馬に乗って明治時代で思考 に申しておるわけでござい う標題で京都府教育委員会 政府に、抜本的再検討を要
ている。各新聞の論調も教 が止っている無知な人々か ますか、例えば教有課程の の態度を報道した。
望した。”
〃京都府教委︵山田忠男委 京都府教育委員会の憂し
ら専門職である教師に対し 問題⋮::学習指導要領の
てク皇太子御夫裏を出迎え 改定の問題につきましては 員長︶は九日、文部省が五 な態度と、教育の正常をそ
して指摘し、新指導要領案
育の基木にかかわる問題と
に賛意を表していない。
もせん者は朝鮮人か中共人 私は新聞ではよく読んでお
第二点、学問の自由があ だ外国に行って教えてもら ります。内容についてまた
り、その土台の上に真理追 おう。熱すぐ自決せよ4な検討は文部省としても、こ
及は発展する。真哩追及は どと脅迫的な暴言を浴せら れは与論を聞いて、これは
人間の天性であるが、学聞 れた教師たちが久留米にい 案であると、いろんな与論
の自由が保障されないと、
ることを教育長は考えるべ を聞いて決足するんだとい
きだと思う。こんな環境か うことで、案として私は読
果して正常な教育環境と言 んだたけでこぎいますが、
えるのか、そしてそんなこ 四五年までに新しい与論を 教育理念に反し、指導技術 当然であるというのみで、
とが草野で起ったのを、咋 旬いて、新しい教科書を編 上かなりの困難がある﹄と 抱負は片りんも発表しな
日教育長は、単なる教師と さんし検定し、それを採択 の公式見解を出した。七月 い。唯々諾々、中央の指示
にもっていくと、そして四 中旬予定されている官報告 にきん然として忠勤をはげ
むことを決意しているよう
父母との不信感によるもの
るよう灘尾文相あて文書で な諸勢、まことに対照的で
示を前に根本的検討を加え
ある。この二つの事象は次
要望した。
山田委員長の話 数回に 代を背負う者に、いかに影
響するか、国民の重大関心
わたる教育委員の検討で、
日本の教育に大きな変革が 事である。
澱
響
■
㎜その後難緯決せず三八年の羅国会でも慧李と萱農党の燃
⋮ 薯 代 議 吉 総 評 岩井霧星・の欝欝定の妥協黍成 芒 、 い わ ゆ ・ ㎜
榊藷誰蟹㎜矯紹縫雑灘叢叢隷雛蒔翫雛欝麓㎜
⋮総懸三九瀦六旦倉石修正案も自民党は否定した た 勝 つ い に 廉 ⋮
鱒≧華華警護ミ華多ミーミーー華詩華ミ華華⋮ミξ⋮
示してあります。
つべきものであることを明
根本において教育の力に待
には、憲法粘神の実現は、
ており、教育基本法の前文
が国民にあることを官損し
﹁りません。憲法前文は主権
豊島幹生議員 教育長は
久留米市に於ける教骨の権
はなにかという中味を明ら
威者として〃正しい教育と
かにすへきだと思います。
じ
に対する再教育は、教育長 まだ具体的に公文書として
考えられている久留米市の ついてお尋ね致します。教 ていると思います。
ぬ教師には自発性は求め得 と三九番議員に答弁された 六年から全学年これを実施
〃教育及ひ教育行政”はそ 育が正常か、正常でないか そして、その国民とは、
べくもないのみか、逆に自 がそんな考え方でよいかど するんだと、その間に四四
の基本において問題がある の尺度は、中庸とか中正と 教育基本法第一条に言う、 発性をなくなして行こうと うか、よくよく教育長に教 年と四五年は移行拙筆とし
えてもらいたい。過去の皇 て研究するという。それで
と思うので質問したわけで かいう言葉では納得できま 自主性に充ちた心身ともに する方向である。
せん。そこには厳然とした 健全な国民であり、その育 豊島議員はここで朝日、
国史観の教育をうけた人々 私は新聞で読みましたが、
私は前議会で、あなたの 本日は、基本的な聞題に
つき、ILOの教師の地 位すなわち、よりよき文化 それは完成されない。しか
に関する勧告の件に触れて 福祉国家をつくるには、主 しながら、この学習指導要
質問したわけですが、時間 格名である国民の一人一人 領案では国家基準性か更に
不足で十分解明ができなか が良くならなければ、憲法
一段と強化されています。
ったのは残念でした。
が保障している琿想の実現 指導要領の基準に合わせ
は因難であることを指摘し ようと気をつかわねばなら
豊島議員三三問題追及
久留円米市⊥欝欝一議A云
(1)
描、
爵齪
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あります。久留米市教育委
毎日、西日本紙の社説や
評
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風
腱義義蝸)
第46号
員会が考えている教師観に 基本、基準がなからねばな 成が教育の目的であると明
、 ’.
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脚健
毎月20日発行
昭和43年7月20日
〆
驚 繍職鎮 一離畑講 、
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ノ 、
南街農村を行
裁判所
﹁坂田さんはこれまで無
利な事件は一度も持ち込ん
だことはないので信用して
口頭弁論も開かなかったの
く
樹
重役会議
こうなると村井一流のタ
芝が枯れる﹂と、咳いてい
ら
ンカが機関銃のようにポン
るものがある。ふりかえる
ポン出てくる。相手が、そ
と監督判事がスリソバばき ﹁おい! どうした﹂
で、心配そうにただずんで 他の三人も村井の左右と背 の言葉に眩惑︵げんわく︶
いた。さすがに、ここらが 後を固めてにらみ合った。 きれている間に、吉田と、
いる重役たちの顔は、彼の
﹂
、/.
佐賀県経済農業
協同組合連合会
っこうさし支えばないが、 目には冬瓜がころがってる
情をむきだしにしても、い
こんなときこそワンマンの ぐらいにしか写らなかっ
右手にマイト、左手にライ を持ってるかもしれない﹂ ﹁こんなときこそ日頃の
ターを掲って居丈高に彼ら 一同は、すりかり失念し 御恩に報いるため、ひと働
を脾睨︵へいげい︶してい ていたことを思いついたよ きいたさねばならないと考
るので、さしも、暴力団の うな顔つきをして、眼色で えます。]
引きあげた。村井と吉田が
もが、しおれきっていわれ うでしょう。こんな問題に ﹁そこで一。一
るままにぞろぞろと三所に かけちゃ、彼はベテランで と兵頭は、いちだん声を
はないですか。どんな名案 ひくめて、
できない。
あるので反ばくはもちみん
には思いあたる節が可なり
深刻化する。だが、その話
阿藤氏の屑間が加速度に
した。
う︶手段にしていると説明
用のたたき壊しを常套︵と
政府共産主義者で、問答無
村井らはもっとも過激な無
会主義の恐るべき点を説い
た。そして、そのうちでも
そんな素振りはおくびにも
出さないで、彼は三々と社
心すこぶる満足であるが、
実力を発揮して独断専行す た。問題が思う壷にはまっ
べきである。それでこそ御 てゆくような気がして、内
兵のおさめどきであると考 さきほどとは態勢が入れ も一人が、彼らの背後に回 無理御もつともの教条が、
ってしまった。そして、村下まで浸透するのであるが
えた。組合員も十分堪能し 替って、村井らが人事係り
たようだ。警察が出動する と称する炭鉱の暴力団を追 井と、も一人遅右と左に別 平常時にはワンマンの鼻息
いつめている。村井が吉田 れて立った。丁度その場所 をうかがい、非常時には社
前に引上げるのが上策であ
分に保たれる。
細迫弁護士も東山村まで
晒目木
輿韓
いよいよ気がかりになって
家元みたいな顔をしている 賛意を表した。阿藤氏もよ ﹁うン、うンー﹂
アンちゃんたちもすっかり いところに気がついたとい 阿藤氏は幾度もうなずき
う面持ちをして早速電話す ながら、体をのり出して傾
なりをひそめてしまった
聴した。 ’
﹁策が二つあると思いま
るように命じた。
兵頭は大太郎といって、
副会長
常務理事
佐賀市赤松町農業会館
〃 3 − 4604・
佐賀413−11︵大代︶
夜間413125
労働組合
佐賀県 総評議会
佐賀市千代町労働会館内
TEL四−三〇二五
長靴 崎
事務局長 邸刊 口 日日 麟似
三光株式会社
電話代表②6351
久留米市通町3の88
福岡市明治町3丁目58 電QD2525
ら
鳥
る。私は画讃から風邪の気 にマイトとライターを渡し は、最初の一棟を配り終っ 長の耳に入れないで措置し
味で熱発してるのを押して た。そこで吉田がヌッと て前進し、村井がホット一 なければならないというこ
五、六歩前進すると、相手 息して立った四辻である。 とになると、これは、よほ
ぜて、どうなり所要の額面 気負い立った組合員がその 来ている。喧騒している聞
はなだれをうって十二、三 元のバクチ場にこれらを追 どの力量がなければつとま
を整えて、大急ぎに久留米 付近に密集した。忠たんは は肉体の加減より、興奮に
歩も後退した。
らない。だから、専務以下
いこもうという寸法。
裁判所に行き供託しようと もう頭からポソポと水蒸気 よる熱の方がはるかに上回
っていて、体温のことはま
﹁
こ
い
つ
ら
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﹂
のお歴々は沈黙を守りてる
相
手
方
は
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ル
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したら、なんと”なんと一− を 発 散 さ し て い る 。
ったく感じないでいたが、 吉田が突入しようとするの 各自携えているけれども、
しか策の施しようがない。
勧業債券は不可とのことで 弁護士室には坂田弁護士
が静かにイスに寄りかかっ いったん停戦のことを考え を村井が制止して、上衣を 強烈な火薬とボクトウでは その憂うつをつつましや
ある。
ミサイルと竹竿の弱抗のよ かに破ったのは、阿藤氏の
も
うに優劣の差があった。四 甥の若きエンジニアだった
人に叱陀されて荒くれ男ど ﹁兵頭を呼んでみてはど
頭にたつのは余人にあらず
例によって忠たんである
罵倒する要領も堂に入っ
るとなぜか、警察のことが
た。こんなとき、家ず、先 行ってくれるという。
早々に引きあげを決意す
けて、弁護士室を包囲し
引きあげて来るのを待ちう
は、坂田弁護士が法廷から
だが、はやまりだった﹂
このとき、ああ一。
ていた。他の弁護士たちも ると、まったく、体がだる おもむろに脱いだ。見ると
沈痛な顔をして判事はそ 体内のエネルギーが音をた 異様な雰囲気に圧倒されて くなって、額に手をあてる 彼の胴には布製の弾帯のよ
う言った。相手にこのよう てて消滅するような感じで 緊張しているようだった。 と相当の熱である。
に純情に出られると、折角 あった。中尾が債券を包ん 裁判がどの程度に進行し 引きあげよう一。
躍ーーーーーミー川
思いつめた意気ごみが急に できた風呂敷を片手にぶら たのかぜんぜん記憶がない 天の時は41、今なら地の理
が、とにもかくにも組合員 を得ている。このまま無事
に引さあげれば人の和は十
委縮する。そこで私は組合 さげたまま呆然としている
員の生活内容を数字で説明 その失望落胆した顔色を見
し、小作料が高すぎること ると、滅入ってなどはいら
を指摘した。判事を殴って れない。処置をあやまると
刑務所行きを志して乗り込 私は裏切り者の絡印を押さ
んできたが、判事のまじめ れかねない。中尾を促して
な態度に接触して、仮処分 監督判事の室へ一。
の取り消しを要請するしか 安藤判事は、監督判事の
たまらなかった。
ことをしたら、わしの炭鉱
この界隈きっての大ボスで す。その第一は彼らをたた
あるが、普通のヤクザとは き潰す。﹂
﹁そりアいかン。そんな
少々趣きを異にしている。
彼は大の野心家で政治家等
にも要領よくとり入ってい どうなる一。﹂
る。それだけ時世に対する 先般、暴動の際炭鉱経営
者は、軍隊の援護のおかげ
見透しも頭のキレがよく、
弁舌もなかなか巧みであっ で、労働者に対して、いっ
た。要するに暴力団らしか たん約束した条件をほこに
ていたマイトのことが一番
阿藤氏は村井が体につけ
西騒潔群群銀行
らぬ兵頭の感覚が、周囲か している。その精神的ひけ
ら好感を得て、ことに、炭 目が、今の、阿藤社長には
鉱経営者には信頼されてい 大きな重圧となっている。
る。理知的で、不敵なつら ﹁なんとか別便にすます
魂が、群小暴力団を威圧し 方法はないのか一﹂
ていた。
ヨ
その彼が、阿藤社長のお
召しによりまかり越したの きびが悪かった。あいつら
は、それから三十分ばかり は命がけであると思うと寒
経って、お歴々が手もちぶ 気をおぼえる。ダイナマイ
た。彼らを手厳しくやつ付
稔
’
重
そのあいだに、ビラ配り
言葉使いも烈しくできなく 面目などあらばこそ、いた ている。自分の言葉に自分
の二入は悠々と納屋︵坑夫
なってしまった。判事はこ み入って平謝りに、自分の 自身がまず煽動せられると 夜は、中尾家に集って、
長屋︶の全部に配布した。
ちらの顔色をうかがうよう 粗忽を詫びた。結局、法は いう激情家、その南島忠吉 細追の話を聞きながら昼間
に遠慮しながら、十分考慮 まげられず、この場合同情 の名調子により火蓋がきら の⋮興奮を再現して、全員の
意気がすさまじく高揚した
会社の重役になれるほど
するけれど、一応、保証金
の
しすぎがかえって仇とな れると、あとは怒濤の逆巻
この渦巻きの外に私一人
の人物は、お上品を装うこ
ったわけである。こうなる くがごとく、独立家屋の弁
は積んでくれと言う。
とと、威張ることと、遊ぶ
〃やすとういま”なかなか と、安藤判事に文句は言え 護士室をとり囲み、かねて どうしてはなれていられよ
う。中尾家の人たちが寝て
ことのほかは、断然、能力
誠意がある。さだめし名判 ない。
内包している、恨み、つら
〃ミ、ミミミミミ、ミミミミミ〃
の出し惜しみをする種族で
決を下してくれるだろうと 善良なる〃ヤスとう芋” みの罵署至適︵ばりざんぼ いるようにというのをおし
あるということを、阿藤社
想像して愉快になり、勇気 が、一生懸命に善後策につ う︶芝生を踏み荒らして狂 きりて、氷のうを二つもっ
長は、この期に臨んで満喫
った。細迫弁護士が、4もけて座につらなった。
が腹の底に充満した。
き頭を悩ましている。だが
うなものにマイトを入れて
私が今日もなお、不可解
しなければならなかった。
勧業債券を認めてもらえ ここまで追いつめられては うこのくらいでよかろう〃
一本ことに導火線をつけて
であるのは、このときめ久
﹁かりそめにも社長自ら
るなら、保証金つくりに大 名案が浮かんで来ようはず と幾度も言うけれどもせっ
おそらく十五、六本はある
留米署である。当時の警察
こんな問題に.頭を痛めなけ
いに助かるがと、言ったら がない。結局、勧業債券を かく、もりあがってきた情
だろ。こんな場面は村井の
判事は即座にそれを承知し 公債と交換してなんとか金 熱だ。かねておとなしい農 は柄のないところに柄をす 独壇上である。稗は二入の ればならないほどなら、専
た。公債証書は利用するこ 策する。口頭弁論を急速に 民が、こうまで激高するこ げて、われわれを引っぱる 同志にも一個つつ与え、ラ 務や支配人は必要ない﹂
とができることは知ってい 開くということで意見を統 とはめつたに見られない。 ことに専念していた。それ イターもちゃんと用意して 〃月給どろぼう、禄盗人、
一して、私の前言が裏書き 葱愚︵ふんまん︶を存分に にもかかわらず、あれほど いた。村井はこの瀬戸ぎわ 昔だったらさしずめ切腹も
たが、勧業債券は前例を知
発散させてやりたいので細 の騒ぎに警察はちらりとも までマイトのことについて のだぞ”口に出しては召わ
らぬ。しかし、政府発行の されることになった。
は、同志には一切秘密にし ないが、剰長の額に痢痕筋
ていた。こんなことを前以 が一本、あざやかに脹れあ
八三実
東平雄
、・設備と機能で
さたで待ちあぐねていると トの偉力がわかっているだ
ころへ、悠揚としては入っ けに村井恐怖症におちいっ
て来た。
阿藤社長は、彼に、挨拶 けて、かえって彼らを自暴
ない。それても、氏は社長
自
棄に陥れ、坑内で自爆で
の
暇
も
与
え
な
い
で
直
ち
に
用
である。実力社長はワン・ 件をもち出した。兵頭は、
もされたらと想像がたくま
マンである。ワン・マンは 総務部長の報告を聞きなが しくなるのである。
ひとりよがりのドグマであ ら絶えずにこやかな表情を
る。はばかるところなく感 くずさない。ズラリ並んで
て話すと同志が緊張しすぎ がった。物性に腹がたつけ
て、はやまったことをしで れども、そう考える氏にも
かす恐れがあるのを深慮し しからば御思集はと伺われ
たら、何も浮んで来そうに
石
江
A本
議
(42)
迫の提言には応じないでい しなかった。裁判所との距
債券だからと思って言って
離は何分というほぜもない
第一回口頭弁論には、細 た。
見たら認めてくれた。
ただ、裁判所と久留米警 近い所であるのに。
勧業債券は額面が小さく 迫弁護士がやって来た。、
察署はひとまたぎの地点、 その頃になると鳥栖の方
還元が早く、クジつきなの 時に大正十四年六月末か ヒ
よもや警察が、この騒ぎを の雲行きはもっと険悪で、
で農民は、わずかつつでは 七月始め頃であった。
中堀立
。兵庫
●愛媛
■大阪
’,’,,’,ノ’ノノ〃」りγ,’”,〃ノ〃ノ’ノ’〃’”ノ’〃班’ノ〃’ノ’ノ’,,ノ,,ノ■,ノノ’ノ,,ノ
長
●広島
●岡山
口利
(15)
’
F
居
あるがどこの家でも買って 支部組合員を総同員し、 見逃しはしないだろ。いつ 期せずして山門、三瀦は私 て内緒にしていたのである
一人目受持ちになってしま だから、あっと驚いたのは
いた。気をよくして東山村 さらに山門郡大和村︵現在 警官隊が殺倒して来るか、
に帰り報告すると、欝欝も 大和町︶三三郡三又村︵現 そのことに気をもみながら い、気がかりながらそし 味方も敵と同時であった。
藤吉茂市︵モイしゃんとい 大川市︶の支部からも応援 狂う組合員を見守︵ている て、久留米まで来ても顔を しかし言語に絶したのは敵
う愛称で呼ばれていた︶も に押しよせ、当時、裁判所 と、うしろで小さな声で、 出すゆとりがなく東山村に
﹁おい1 逃げようたっ
﹁こんなに踏み荒らすと 立ち帰ったのである。
の前庭には芝生があったが てi。﹂
’
●山口
,”ノ,,’,,’ノー,,,,ノノZ’,’ノノノ,’,ノ,,’’”」「,,,,,’,”ノ,’’”,’ノ,”,ノ’”,”
(2)
昭和43年7月20日
喜び、公債と債券を入れま
馬
まへ・・
の皆さ
噌
雪
、
’
、
〆
同年九月下旬−争議真 官憲弾圧糾断演説会を鳥栖町と佐賀
酬一 灘騨 曹
﹁正金耀互銀行1 襯岡市大名二丁目12瓢1号 竃晶⑭4431∼9
一鳥栖青果講式会社 勤務所E鳥栖市鎗田町 、 寵話鳥栖2310 ﹁ 社長坂井哲夫 ト 一
,鵜綿業 一
⋮⋮ーー翻A鋼議朋久原忠夫
株式会社松本組社長、松本治一郎後継者 松露英 一 ■
ナ
、
窪,藝.垂¶,⋮.,垂2 ,,,,,詔4 6‘=一. ーー画1一 ヶ マ ﹁ − て
⋮ の M
代欝欝 東 立ち会え、 但し、 一石炭のカロリーは、 ’
@ @ @ @ 、 弁護士、久留米市の大石
的に宣伝された大争議を戦 これ迄の批
土地仮処分公判前
その外に佐賀市の松下みます﹂と言うだけだった
風
(第三種郵便物認可)
46号
(3)
鳴
、
、
雪
と
増築無視
という意味ではない・繋止である・私の場食今年の
久富市議と憲法
ばならぬ。・でないとせっか
その程度ならやむを得まい るのは居住権の侵害であ
と考え、月末、要求通りの る。いわんや当方建築の九
金を持参させたが、田中は 坪一合二勺に拙いてをや
ラ た。
千三百円しか受けとらなカ
と言って即答をさけたが
たら千三百円の値うちもな 断で買収し、登記がすむと
いようになってただろ。﹂ すぐ、子供を入れねばなら
ぬから立ち退いてくれと迫
たからこそで、放っておい 拠を鳥居には、まったく無
当方が金をかけて手入れし
﹁一万円以上の値うちは 民法第二一条 各人ノ生
あるだろ、しかし、それは 活ノ本拠ヲ以テ共任所トス
と、あるが、その生活の本
た。四千円にしてくれと言 建具類その他を撤去したら
って、〃そのぐらいの値う床面積十六坪の建造物は一
ちありまっしょうもん”と 家としての形状を止めるこ
とができなくなるだろう。
いうのである。
ところで私が、田中の要 く解体しても家として利用
請に応じないので、今度は することができない。そし
家賃の値上げを要求してき て、私が増築した部分と、
の故にである。
宮〃になっているのは、そ
坪が〃実測二十五坪一合二 元来、建築物を移転する
には、まず敷地がなからね
室を新築した。床面銘惧十山ハ 分虫のよい男である。
追悼北口栄君
県連合会を再建し、五寸の
私たち風雪の会は作られた 組合員を擁して農地改革、
り
米ん
留
久け
い
22㈲29㈲
21㈲28㈲
e O
月
0 ②
20出27㈹
代表理事 島
新 治
電話③3202
久留米市国分町八三五
読者会事務所
﹃今騒のソ連邦﹄
雑誌、図書類の紹介 ノ
経済,文化,学術の由父流
電話⑯6631・⑯466一
福岡市天神町12の1福岡ビル内
西日本鉄道株式会社
屋根瓦のさし替え、天井張
、﹁知りまっせんもん﹂と
り、畳の表替え、等々一切 言ったことで、本問題は解
合切当方でしており、こと 決ずみとでも考えているの
に昭和三十一年には新しく であろうか、さりとは、随
の取り付け、建具の新調、
あとにも、さきにも、たっ 確認を迫ってきたが、その
た一度だけ家主が金をかけ 両度とも私の権利について
てくれた。それ以来は水道 は一言半句も触れていない
あけ上しの請求に来た当初
、
つた。
田中敬治は、再三、家のあ
ところがある時、戸籍二本 んだけは鳥井ですなどと、
拶である。
それから四十年六月二十
まったく、だしぬけだっ をもらいに行ったら、お宅 へ理屈はならべられない。 け渡しを要求した。
たので相当のショソクだっ は東町だから訂正してくれ 台帳が井になっているから が、しかし、この家は、 五日と本年五月十四日、内
一度は居と書きながら、そ引き越してきた当座、塀が 容辻明郵便で調停の期限が
た。ことに大みそかの夕刻 という。そんなばかなこと
り
だ。こん畜性がと思ったが があるか。と言って、やか れを消して井に訂正するま 大風に吹きとばされたとき 切れたらあけ渡してくれと
どなりつけるわけにもいか ましく言ったが、結局要領 でには瞬間ではあっても、
﹃天皇は、この憲法の定め は入権侵害である。その人 たといった。公務員の給与 て、世にいう鹿鳴館時代を
る国事に関する行為のみを 権侵害を合法的であると主 が税金であることは元より 現出した。伊藤祷文を始め
行い、国政に関す権能を有 張したのか六月二十日の議 自明の輝、しかしそれは労 維新の元勲たちまで踊り狂
ない。﹁人が二十数年も住 を得ないままひきとった。 何秒間かの時間はあったは
んでいる家を、よくも無断 爾来、本籍東町二三九番地 ずである。その間、台帳に
こま、そんなことはどこに 九月十七日が十年目である で買いあがった﹂と考えて 現住所天神町二一二九番地と 対する疑義を感じなかった
も面と向ってやかましく言 同一の家であるにもかかわ のは業務不熱心のそしりは
﹁よし! じゃ、異議の も書いてないから、期限が だから家あけ渡しの論争は
らず、経歴書などには本籍 免れがたい。 ・
うわけにはいかない。
申し立てを今すぐしよう﹂ きても、あけ渡しの件につ それ以降というわけである
翌日念のために、市役所 と現注所をしたためなけれ それにしても登記簿面は
と言うと。広瀬書記は〃判 いては改めて聞題を提起し 客観的状勢がどうあろう
に行って帳箔を閲覧すると ばならない。これなどまっ 天神町三丁目六四番地であ
事に会って下さい〃と、急 なければならない。だから と、法は規定の範囲以外は
る。まさか所有者がかわる
〃更新〃を押入しても、し まったく顧みない。それが 売り主は、栗原飾子︵治作 たく市当局の誤りだから、
に丁寧になつだ。つまり、
の娘︶、昭和三十四年十二 まことサービス精神がある たびに番地が変更するわけ
異議申し立てと言えば私が なくとも、結果的には大し 法の原則である。あけ渡す
べしと書いてないから、そ 月十九日売却、そして、登 なら、謝って訂正するのが ではないだろう。いったい
引きさがるとでも考えて、 た相違はないですよL
記簿は天神町三丁目六四番 当然である。ついでに最近 いつ、こんな具合に変化し
バッタリをかけたらしいの 判事はただ、調停書のも れから先は当事名田の話し
ていったのか、鳥居はこの
の誤謬をも一つ。
地になっている。
つ柘限を正当に説明しただ 合いによって決めらるべき
だが、かえって藪蛇になっ
昭和十年十二月二十五日 参院選挙投票所入場券の 家に三十三年間居住してい
たので狼狽したわけである けであると思うが、私はこ もの、妥結しなければ、そ
この家に引き越してきたと ことだが娘の券だけが鳥井 るけれども番地は二三九番
判事は書記のようなおっち のとき法の非常さをつくづ の時点において訴訟をおこ
きは、たしかに東町二三九 になっている。しかも、居 地で一貫しており、戸籍騰
ょこちょいではなかった。 く感じた。そして法にはぬ せばよいではないかという
番地だった。
を消して井に訂正してある 本も二三九番地である。
﹁法は借家人を擁耀して け穴があるということも。 結論のようにうけとった。
ところが東町の区域が広 のが歴然としている。世帯 実に復雑怪奇、あやまち
いるから、更新することが 法律的知識のない者はこ
すぎるということで西鉱久 主の重樹が三〇で三四まで が次から次に重ねられてい
本来の趣旨である。ただし んな場合、十年経ったらあ これが昭和三十三年十月
留米駅の東側を分離して天 つづいている。その三四の るが、いったい責任は誰が
賃貸借契約には期間を定め け渡してもらえると即断す 二十四日のことである。
娘だけが井になっている。 負わねばならないのか、無
ねばならない。今まで全然 るだろう。しかし、調書は それから昭和三十四年十 神町と名づけた。だから、
市役所から来る書類は選挙 選管に電話したら台帳がそ 責任では迷惑するのは市民
そんな契約書がなかったの 賃貸借の期間を定めただけ 二月三十一日夕。
の投票所入場券から市民税 うなってるからだとのこと ばかりということになる。
で、一応、期限を定めただ で、あけ渡しのことには一 栗原治作が田中敬治とい
、ノ
や国保の令書に至るまで天 たった。だが、この場合は
けであって、家をあけ撫せ ・切ノー・タソチということ う印刷屋を伴って訪れてき
それからいくばくもなく
た。いわゆる新旧家主の挨 神町でくるようになった。 戸籍騰本があるから、娘さ一
無断買収
(二)
ったが、目的とするところ
働に対する報酬で、遊んで
しない﹄と規定している。 会発言だった。
鳥 居 重 樹
﹁日本人のそぼくな気持ち いてもらう金とは性質が違 は欧米文化の吸収であった
君主再割時代にはこんなこ
とをいうと直ちに不敬罪に をふみにじって教育をやる う。ミソもクソもいっしょ わが国の繁栄の土台とな
六月ご十日久留米市議会 こんなせりふは憲法前書、 とわれた。だから君主専制 ならソ連なり中共に行け﹂ に論ずるとお脳が弱くはな っているものは、その頃の
﹃政府の行為によって再び 政体から脱皮のできない人 と言ったと説明していたが いかと心配するお節介屋も はつらつとした進取的気象 風雪二十年の言葉から
が、老兵私たちの仲間には 税金斗争等に歴史的な役割
既に三十年から四十年を越 を果し、初代福岡県農地委
える旧同志がある。去る六 員会長を勤めた。 ・
月二十日心不全に依り急逝 農民組合が農地改革完了
した今は亡き北口二君はそ を期として凋落するや、北
うした長い交友の一人であ ロ君は郷里柳川市に帰り市
った。それだけに哀悼また 農業委員会長や市議数期に
故矢野君等と共に日農福岡
◎
圃
の久富議員の質問は、肝心
暴力の極限である。
発売開始12時
/
、
7
’
である。文明、文化とはこ
の要旨をそれて草野小学校 戦争の惨禍が起ることのな には、主権在民の琿念は極 そぼくとは皇室を着画する 出てくるから御用心。
でした演説の釈明に終始し いようにすることを決意し 左思想のように感じられる 志か。この場合は皇太子歓 又、氏は日本的と強張さ のようなもので、外来思想
迎に挙って行かなかったこ れるが、それは右翼の殺し を排撃していては民族の向
ここに主権が国民に存ずる かもしれない。
た。もちろん、その直前、
豊島議員が〃朋治時代で知 ことを宣言し、この憲法を 昭和二十一年十一月三日 とを指してるのであろう。 文句で戦争中は彼らの錦の 上はあり得ない。彼の長を
とり自らの短を補ってきた
﹁教員は色がつきすぎてい 御旗であった。
能の発達のとまりた人”と 確定する﹄に、抵触する。 憲法発布当時の首相吉田茂
福ツたのか、カチンときた 明治の君主専制時代で知 は、しばしば臣茂というこ る。自分は決して暴言をは しからば、日本固有のも ところに民族の繁栄があっ
のかもしれない。それにし 能の発達が止っている人の とを言ったが、臣という字 いてはいない。またホスで のとは、いったいなにを指 た。封建時代の遺物をこの
ても久富氏の論旨には明治 感覚には、主権在民は肌障 は辞書にはあるけれども、 もない。われわれは日本民 していうのか。日本道徳の 上もない宝物のように誤認
生れの記者にも騨解が全然 りのよくない文字かも知ら 社会的には通用しない文字 ・族である。日本人としての
共産王義、社会党なら結構
できない点が沢山あった。
ぬが、久富氏の表現しかた である。その吉田茂は議会 つ
久富氏の話を聞いてると はまさしく憲法違反に該当 で不逞の輩よばわりしたり しかし外国から輸入された
同人の意見に賛成しない者 する。そしてさらに、残念 新聞記者に水をぶっかけた 主義なら北鮮か中共に行け
は、日本国民の権利を喪失 なことに、憲法第一条は
りした。だから、久留米市 と言った﹂と、釈明し更に
\
高校教師の大量処分がそ 福佐連合会の書記長として 住所柳川市筑紫町五四九
遣下妻みよのさんと一女
のことを裏書きしている。 活躍した。
福岡県教委の態度は合法的 戦後は稲富、斉藤、岩田 二男がある。
’
、
バックボーンは儒学である して、その上にあぐらをか
一入堪えがたいものがあ 任した。但し大方の農民運
いて憲法を否認しようとす る。
動家と同じく、赤貧と不遇
が、儒学は中国から伝わっ
る独善的行為は、戦後二十 故北口君は水郷柳川市の に甘しつつ、当初の信念を
た学問、いわゆる孔、孟、
余年教育の薄門職が積みあ 産。若くして農民運動に提 貫き通し常に%働者、農民
老、荘の教えである。
そもそも文字じたいが中 げてきた既得権を奪う魂胆 身し、特に四・一六事件後 と共にあった。今や忽然と
としか見うけられない。
の最も困難な時期に、全農 して逝く。臆F
!
げ
ρ
(4)
昭和43年7月20日
(第三種郵便物認可)
第46号
﹃天皇は、日本国の象徴で の一角で、明治郷愁の競演 ﹁皇室は国民の税金によっ 国から受け入れたもの。
するらしい。
﹁日本に国籍のある日本 あり日本三民統合の象徴で が行われても、あえて不思 て生活していると言った人 また、明治十六、七年頃
人の先生がこにゃいかん。
あって、この地位は、主権 議ではないかもしれない。 もあるそうだが、そういう 時の外務卿井上馨は外国貴
ノ
さ
今の教育は主権在民を強く の存する日本国民の総意に しかし、それにしても久富 人も給与をもらりている。 賓の接待と上流社会の社交
出しすぎる﹂と言りてるが 基く﹄と明示、第四条には 氏らの草野小学校での発言 それは税金である﹂と言っ の場として鹿鳴館を建設し
!
、
尋・
、
風
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