冊子 自 録作成の 中か ら

“ワイマール共和国時代文献コレクシ。ン”
冊子目録作成の中から
山
片
淳
学においては大変革の時期で,技術面での発展が
はじめに
大衆の生活のレベルにまで及びはじめた時期でも
ワイマール時代という場合,第一次世界大戦の
あり,新たな世紀にかける創造の活力があり,社
終結した後に成立した共和国時代,つまり,1918
会全般に新しい実験の波がうねっていたともいえ
年ベルリンで発せられた共和国宣言から1933年ナ
る。
チスによる政権の掌握までを指すが,ワイマール
二十世紀初頭のこのような動きに対して,黄金
文化として呼び習わされている場合は,政治史の
の1920年忌における文化的特徴としては,1918年
区分に10年程先行し,1900年代半ばからと考えら
に近代社会の終焉を告知したロシア革命の影響を
れるのが常である。1)従って,二十世紀初頭の文
無視することはできない。
化的特徴とされる表現主義2)の芸術運動もこの文
世界で最初に成功を収めた社会主義革命であり,
化のモダニズムとしての運動を特徴づけていると
近代社会の行き着かざるを得なかった一到達点と
考えられる。
してのロシア帝政を崩壊させ,ソヴィエト社会を
モダニズムという言葉は,我が国では近代主義
建設したことは,文化人はもとより世界の労働者
と紹介されてきたが,この近代という言葉の意味
階級,民衆に大きな影響力をもった。ドイツ革命
するものは一つの概念として捉えきることの難し
によるワイマール共和国の成立も,ロシア革命が
いものとなってしまっている。
引き金となったといえ,それまで自我の問題に熱
1905∼1914年の間にヨーロッパ各地で起こった
情を注いできた文化人たちの意識の中に,政治や
文化的伝統に対する大きな断絶は,文学において
社会そして平和の問題が現出してくる。近代的自
フオ ピズム キユにピズム
は表現主義,絵画においては野獣派や立体派,芸
我と社会意識,文化(精神)と政治,芸術と現実
術全般にわたる未来派宣言,そしてダダイズム等
等の葛藤の中から,それらの多少とも調和のとれ
の言葉で示されるアヴァンギャルド芸術の台頭に
た共存を可能とならしめる枠組を見出すことにお
ムむゆ
おいて顕著である。3)
いて,ワイマール文化は1920年代に文化の黄金
ユロじ ユ
ふつう芸術の目的といえば,耽美趣味に迎合す
時代として開花したのではなかったろうか。
ることではなく,最も根源的な,宗教的・個人的
1930年代に入ってヨーロッパ全土に吹き荒れる
・社会的経験に表現を与えることにあるとされる。
ファシズムの嵐を念頭においてみると,ワイマー
表現主義者は,それをさらに進め,真の美は悩め
ル文化の華やかさは一際輝きを増すが,経済的基
る個人の恐怖のなかに,均衡と釣合いの喪失のな
盤の崩壊とともについえてゆく脆さが同時に思い
かにあると考えた。表現主義の用語は,いつまで
だされもする。
たっても,絶叫,苦痛,奈落,暗黒,愛,同胞,
二十世紀初頭からファシズムまでの文化を概観
魂,人類,善意等の言葉でうづめられていたとい
してみたが,モダニズムの芸術運動に関して興味
う。4)アルフレッド・デープリンは,この運動を
深い点をもう一つあげてみたい。
「方向なき醸酵」と呼び特徴づけている。恰も,
それは,運動の中心がベルリン,ウィーン,チ
世紀末を体験した後の淀んだ流れの中に煙くナイ
ュー
フといったイメージを醸している。
である。世紀末の芸術家コロニー(フォーゲラー,
しかしながら,この時期は,社会科学や自然科
モーダーゾーン等のヴォルプスヴェーデ等)が都
66
潟q等の都市を中心にしたものであったこと
大学図書館研究XXII(1983.5)
市のなかに形をかえて現出したことである。文学
カフェ,芸術キャバレーが芸術家たちの活動の拠
セセッション
を思わせるような強靱な意志をもつに至った。」8)
(傍点筆者)
点となっていたのである。ウィーン分離派の“ヘ
ワイマール共和国時代は,芸術のアヴァンギャ
レンホープ,ベルリンの表現主義者の“カフェ・
ルドの時代であり,過去からの断絶,価値の変換
デス・ヴェステソス”,ベルリンダダイストの“ロ
あるいは解体が果敢に試みられた時代であった。
マーニッシェス・カフェー”,チューリッヒダダイ
本コレクションは,昭和56年度大型コレクショ
ストの“キャバレー・ヴォルテール”等々数多い。
ンとして購入していただいたもので,このような
こういつた放浪芸術家の溜り場で,歌が歌われ,
時代の文献群として貴重な資料となっている。
詩の朗読がなされ,舞踏があり,絵画の展示等も
以下,冊子目録作成の中で知り得たことを,図
行なわれた。5)“カフェ・グレーセンヴァーン(誇
書館員としての観点からまとめ,コレクションの
大妄想カフェ)”等と一般の市民から白眼視され
概略を素描してみたい。
たりしたが,現代芸術の実験室として非常に重要
な位置を占めていたのであった。
ヴァルター・ベンセミソは「こうした都市が開
幕して見せるのは,われわれが最終的に中断した
ものとぽかり思っていた遊歩(フラヌリー)の見通しもで
きぬ芝居である。ところがいま,その芝居がいま
だかつて全盛をきわめたことがなかったここベル
リンにおいて飼えるというのであろうか?」6)(傍
点筆者)と,この時期国際都市となったベルリン
の雰囲気を書いている。
ホルへ・ルイス・ボルヘスは,この時期にこれ
らの諸都市で文化の息吹きを吸ったわけだが,
「この街を見ているのはわたしだけだ わたしが
目をそらせぽ街は消え失せるだろう」7)とうたい,
眼差しによって生成・消滅する都市空間の詩学
一見えない都市の詩一を展開している。
時空を超えて現代まで通聴しているこの時代の
特徴を,ステユワート・ヒューズは次のように記
述している。
1. 書誌的エスキス
二度の世界大戦に見舞われたヨーロッパの(特
にドイツ)のこの時期の文献は散逸しているとい
われ,研究上の要望は高く,本コレクションは貴
重な文献コレクションとなっている。コレクショ
ンの中心には,当時の文化・社会の状況の中で革
新的運動を形成していたもの,特に,革命ロシア,
社会主義運動に関するものがある。文学・芸術の
分野でもこの運動にかかわって様々の試作が行な
われており,それらが含まれていることは,本コ
レクションを特徴づけている。
コレクションの成立については詳細なところは
明らかになっていないが,次のような背景をもっ
ているようだ。
コレクターは不詳。ファシズム時代に地下壕に
埋まっていた資料が掘り出される。反ナチス,反
ファシズムの観点に貫かれている。ドイツ及びア
メリカの書店の手を経る中で,関連文献の追加が
行なわれた。
「1920年代のドイツは一見かけ上は繁栄と安
当初のコレクターの意図は推測する他ないが,
定のうちにあったが一ヨーロッパ社会思想が過
反ナチス,反ファシズムの観点で収集されたもの
去半世紀になにをなしとげてきたかについての経
であることは一目瞭然であり,ナチスの検閲によ
過報告をする最後の努力に恰好の舞台であった。
る収集か,レジスタンスがナチスの焚書に抗して
ヨーロッパ史上,これほど教育高く,文化的に目
集めたものか判然とはしないものの,当時の文化
覚めた国民はなかった。諸種のイデオロギーの葛
藤がこんなに激しかったこともなかった。ワイマ
・社会の状況を知る上で貴重な文献が多数含まれ
ている。
の ロ コ ロ ロ コ ロ コ
ール体制のドイツは,すべての価値が検討に付さ
当時の文化・社会の特徴を表現している作品
サ コ ロ ロ ロ ロ リ コ ロ ロ コ
れ, “これまで人類の思想がその養分を吸い取っ
(著作)が,a.文学・芸術関係, b.社会・政治・
コ コ ロ ロ ロ ロ コ ロ コ コ ロ コ てきた”生きた嘩根が掘り出されだ状況を観察
思想関係,c.革命ロシア文学関係, d.英米・フラ
するのに,まず理想的な実験室的条件をそなえ.て
ンス文学関係,各々の分野で以下のような著者の
いた。断崖の縁に立って,ドイツ知識人の中でも
ものが( )で示している点数で収められてい
感覚鋭い人びとは,世にいう死に臨んでの透察力
る。
67
“ワイマール共和国時代文献コレクション”冊子目録作成の申から
欝欝 雛慧翻
蒸器
a.文学・芸術関係
権下の弾圧から亡命を余儀なくされていった人
示してある),更に政治とは一線を画していた人
*Brecht, B. (43)
Brentano, B. (5)
勿
く
・ 勿
関係でも反ファシズムの立場の人が殆んどである
がすでに物故していた人のものが多いといえる。
別に,本コレクションに多数の著作が収録され
ており,コレクションの核とみなせるものとして,
ダダイズムの同人誌“Neue Jugend”の発行から
活動を開始し,後にドイツにおける左翼文学とソ
ヴィエト文学の最も有力な販売センターとなった
の
E
紛
ユ コ
9耐 8
︶ ︶ ︵
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蛤
糟
一V㎞
㈲
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ユ ︵
︵R
翫盤
するものであったと位置づけうる。主なものとし
て次のような作家のものが紹介されている。
c.革命ロシア(ソヴィエト)文学関係
Ehrenburg, 1. (31)
Gorki, Maxim (23)
Tolstoi, Lev (12)
Figner, Vera (6)
Seifullina (5)
Babel (4)
Kollontai (4)
その他,
Fedin, Fadeev, Maiakouski等の作
品も紹介されている。
又,同じく英米・フランスの左翼文学関係の紹
介もなされており,特に,Sinclair, Upton Beall
の
︵
沁
㏄ち
く 測
係㎞
ち
h
翫輔
KU鴬
K 節 剛防 K
㎝㎞ 旭
術関係では亡命者が多数おり,社会・政治・思想
マリク出版の紹介してきたものがある。特に,革
一 −o ⑦ 一
E
d
ゆ
貢
⑯
⑩
励畿滋藤
り *
㏄
N d so 叫
支持する側に立った文学者Hans Johst, Ernst
Jttngerの作品も含まれている。概ね,文学・芸
命の成功がヨーロッパ社会にもたらした影響の一
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*
* * * * * *
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*
* * 痛
感
面
曲
いたといえるが,逆に,右翼作家としてナチスを
つとして文化人をはじめ労働者階級の活力を刺激
E
G
ロ
(Mann, Thomas)等が区別できる。このような
人々は,ファシズムに対して抵抗の姿勢をもって
命ロシア(ソヴィエト)文学の紹介は,ロシア革
澱階
H 訂虎 恥 M 《 D
ユ
D
︵ 但α
(*で示してある),強制的に追放された人(**で
Be皿, Gottfried(5)
Ball, Hugo (3)
㎞認㎞豊
Barthel, Max (6)
*Becher, J. R. (15)
ω
の作品は63冊にも及び,社会主義の実践家として
の彼の態度を,左翼文学の一典型とみなしている
ような趣きさえうかがわれる。
d.英米・フランス文学関係
Sinclair, U. B. (63) Barbusse, Henri (7)
Radek, Karl (5)
Rathenau, W. (11)
Rolland, Romain (5) Dos Pasos, J. (4)
Schmitt, Carl (2)
Schweitzer, A. (7)
マリク出版社の活動の全容は明らかではないが,
Spengler, O. (7)
Stresemann, G. (1)
1967年東独のAkademie der KUnsteが開催した
Trotzki, Lev (11)
Weber, Max (3)
同出版社の活動に関する展示カタログ9)に拾われ
Zetkin, Clara (4)
ているもの317点のうち約80%にあたる244点が本
a,bであげた70名の中で,ナチス政権との関わ
コレクションに含まれており,そのうち約90%は
りを眺めてみると,ナチスの弾圧が始まる頃には
初版本で収められており,概ねの活動について文
物故していた人(下線を付してある),ナチス政
献に直接に触れながら展望することができるとい
68
大学図書館研究XXII(1983.5)
うことは,このコレクションを価値あるものとし
やがて,1930年代に入ると,左翼的精神の高揚
ている。
としての共和国演劇は,時代精神の右旋回の中で
初版本といえぽ,Sinclairに次いで収録点数が
財政的破綻等の理由から衰退してゆく。
多く,アヴァンギャルド演劇の旗手であり,
さて,本コレクション1,566冊中,雑誌を除い
ソ ばじ の ロロ のぼ 異化効果10)と呼ばれる手法で演劇史の一時代
た1,407冊について主題別におおまかに分類を行
を画したBrechtのものは,ほとんどが初版本で
い,どのような構成になっているかを見てみると
網羅されており興味深いところでもあろう。
表1のようである。
ドイツの演劇の黄金時代は1890年代にはじまる
表1より,コレクション中61%が文学で占めら
とされるが,本コレクションの中でそれ以降の演
れており,その内訳を詳細に見てみれぽ表2のよ
劇史を作品を通して辿ることもできる。ワイマー
うになる。ドイツ文学が全体の45.6%を占めてお
ル共和国初期の演劇の中心人物として,Kaiser,
り,コレクションのタイトルでもある「文献の鏡
Georg(7), Sternheim, Carl(10),1919年以降
に映し出されたワイマール共和国」“Die Wei−
に登場してくるプロレタリアート演劇の劇作家た
mar Republik im Spiegel der Literature”12)を
ちとして,Piscator(1), Brecht(43), Toller
数字的にも裏付けている。
(10),Wolff, F(1), Zuckmayer(8), Plivier(4),
表2文
Bronnen(2)等が顔を見せている。
ピスカトールの政治劇のために,ブレヒトやヴ
ォルフやトラーは執筆し,ダダイストとして知ら
れるゲオルグ・グロッスやジョン・ハートフィー
ルドが舞台設計をし,ベルリンの最も有望な数人
学
」点釧 比
英米 文学
ドイツ文学
フランス文学
76
観
16
5. 4
45. 6
1.1
ロシア文学
108
の若手俳優が出演したという。11)映写技術などを
その他 ポーランド
活かしたり,舞台装置に新機軸を打ち出した実験
1
12
0.1
チ ェ コ
0. 1
演劇が展開されたが,その影響は熱狂的なプロの
東洋(中国,日本)
1
2
古典ギリシャ
7. 7
0.9
0.1
仲間うちに限られ大衆的支持を得たものではなか
一方,コレクションを出版年代別に集計してみ
った。
ると,表3のようになるが,ワイマール共和国時
代(1918−1933)に出版されたものは958点約
題
表1分類別構成
化
倫
論理学史学治
.教
哲宗心肉欲政
学
文・理会
主
理
語
一
律済島育学術工学記
法経人教物芸言文総
心
ものは,ほとんどがワイマール共和国についての
87
6.2
8
2
0.6
0.2
54
45
272
(社会主義関係)
68.4%であることがわかる。又,1960年代以降の
点釧 比
(83)
13
17
3. 8
の復刻版となっている。表3は出版年代別の構成
を点数のみ示したものである。
3.2
19. 3
( 5. 9)
O.9
12
1
9
1
0. 1
0.6
0.1
so
2.1
1
0.1
858
61.O
9
O. 6
1, 407
研究書であるか,あるいは,当時出版されたもの
100
(注).,eの集計は,冊子目録に分類を施さなかった
めで,基本カードをもとにBlissの分類表に
基づいて分類を行い集計したものである。
2. 冊子目録編纂の過程
冊子目録作成までの整理のプロセスは,以下の
ような内容及び日程で進んだ。
2−1 作業のプロセス
①著者名典拠カードの作成(1982.3)
②ワイマールコレクション連絡会(1982.3)
③編集方針の確定(1982.4)
④整理:基本カード作成
複製枚数の指示(1982.4∼1982.8)
⑤著者名の典拠調査(1982.9)
⑥索引の作成(1982.9∼1982.10)
69
“ワイマール共和国時代文献コレクション”冊子目録作成の中から
表3年代走構成
W9
X0
X0
X0
X0
X0
X0
X1
X1
1 X1
*1927
63(22)
12
*1928
69 (24)
1915
13
*1929
95(18)
1916
12
*19so
94(28)
1917
18( 2)
*1931
64(13)
*1918
31( 2)
*19sa
57(eo’)
*1919
51
*1933
36( 5)
*1920
44(11)
1934
36( 2)
*1921
53(14)
19ss
so( 5)
*1922
53(24)
1936
so (11)
*1923
40(10)
1937
19( 4)
*1924
68(33)
1938
21( 8)
*1925
82 (29)
1939
11( 1)
*1926
58(20)
1940
10
表注 1.*ワイマール共和国時代
2・ ()マリク出版の出版点数
⑦冊子目録の原稿作成(1982.11)
⑧印刷・校正(1983.1∼1983.3)
⑨冊子目録の刊行(1983.3)
整理作業に入る前に,ワイマール文化関係のサ
ブリーダー数冊13)に眼を通し,その中に索引づけ
がされていた人名を参照しながら,本コレクショ
ンの著者名典拠カードを作成した。その際に典拠
1
た。
1955
1956
1957
1958
1960
1961
1962
1963
1964
1965
1966
1967
1968
1969
21114ウ一3
W9
6
1914
83933344243234
W9
1913
6
2
315
114
999466335
錫
1翻
1書
1軸
1豊
1楽
1讃
11111111
1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 1 QQoo
W9
11111212313189
72348236789012
年代i点数年代点数睡代点数1年代点数1年代個数1年代t点数
1970
1972
1974
1975
1976
1977
1978
1910?
2
1920?
2( 2)
1930?
3( 2)
1950?
1
Tota1
1, 401
これまでの書誌で使われた主題分類が,専門的
知識に基づいた使い易いものとなっているかどう
か,疑問を投げかけられた形となった。更に,研
究者からは「分類に気を配るよりはむしろ索引を
充実してほしい」との要望が強く,書誌作成の意
味を再考させられる思いがした。
としたのは,とりあえず次の二点に限って調査し
ちなみに,当館の分類は創立(明治30年)以来
た。
の伝統的体系であるが,新館のオープンに合わせ
。岩波西洋人名辞典 1981.
て,現在,分類体系の変更を検討中である。
。Webster’s biographical dictionary 1976.
以上のような経過から本冊子目録の構成は,目
この作業は,同時にワイマール文化全般の概略
録の本体は雑誌のみを別立てとし,分類は施さず,
をつかみ,冊子目録における分類に何を使用する
著者基本記入方式で採用された記入のアルファベ
かという問題に対する準備ともなった。
ット順排列とすることとなった。索引としては,
2−2 分類を巡って一編集方針一
著者(人名・団体名・会議名)及び書名(書名・
分類表(体系)としては,BlissのBibliographic
双書名)について作成することとなった。ともに,
Classi丘cationを採用する方向で検討していたが,
基本カードに記述されたものを対象とした。記述
連絡会で研究者の意見を聞き参考にすることとな
は,ISBDの句読法を採用し,書誌事項の中で出
った。
版関係のものについて詳細な記述を行うこととし
研究者からは,「図書館の一般的な知識(学問)
た。14)索引のうち,著者については,書名からの
分類では,目録自体がかえって見にくくなる」と
記入となるものについては記述中の人名を拾い,
いう声があり,特殊な専門領域の主題の分類と図
しかも,内容細目についても出て来る人名を対象
書館が行う分類との相異点が指摘された。そこで,
とし作成した。そして,付録として出版社のリス
ワイマール文化に特殊な分類体系を採用すること
トを作成することとなった。このリストは,出版
ガレイドスコ プ
も考えられたが,万華鏡としてのワイマール文
社(者)名・出版地・コレクションの中から抽出で
化を体系づけることは困難だと思われたこともあ
ぎる出版活動期間・コレクションの中の出版点数
って,分類による編成は行なわないことと決まっ
で構成した。
70
大学図書館研究XXII(1983.5)
2−3典拠調査
ペンネーム等の確定であった。参考にできる資料
基本カードの作成が終わった段階で,人名に関
を探したが,適当なものがなく,詳細な調査がで
して,先に作成しておいた著者名典拠カード及び
きなかった。特に,無名の労働者,社会主義者の
基本カード作成時に参考にした書誌National U・
書いた文章(作品)は,作り手(書き手)の拡が
nion Catalog(NUC)pre・1956 imprintsでも確
りを思わせ,参考資料の中では見出せないものが
定できなかったものについて調査を行った。使用
多かった。
したツールは最後にまとめてリスト化してあるの
また,革命ロシア文学関係の人名についても
(書名の場合もそうだったが)調査が難しい場合
でそれを参照されたい。
NUCによる著者標目の確定はスムーズに進ん
があった。特に,ロシア語からドイツ語の表記法
だ。British Museum. General catalogue of
への翻字が行なわれており,中には翻字された形
printed books.に比べてヨーロッパには弱いとさ
で通用している場合もあり,その際の確定がはか
れるNUCだが,それは19世紀以前についてで
れず,多くは標題紙あるいは本文中に記された形
あり,20世紀初頭から第二次大戦にかけてのコレ
のまま採用せざるを得なかった。その場合,索引
クションだけに,戦後Library of Congressが行
語には*印をつけて確定がはかれなかったことを
った欧州視察による散逸した資料の収集(約80万
π:した。
冊を集めた)もあってか,コレクション中の文献
索引は,基本カードを複製したものの中で該当
に関する情報のかなりの部分の確定ができた。世
するものに下線を引き,索引番号(文献番号)を
界書誌としてのNUCの充実した内容が再確認で
付し,それらを排列してコピーすることで原稿と
きた。
した。
人名の典拠調査の中で問題だったのは,略称・
40
::k,
ケー二・・ベルクrl”
・)
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コ
ン
ラ
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純Cマール共和国時代のドイツ
12雷二二クション中のsasmにお‘’
1945年以降の出版点数(コレクション中〉に
且
Kiirschners Gelehrten Kalender1949年版に出
てくる出版物の出版地別点数を加えたもの
図1 コレクション中に見られる主要都市での出版点数
71
“ワイマール共和国時代文献コレクション”冊子目録作成の中から
った)こともあり,冊子目録には付けることがで
3.編纂を終えて
きなかった。時間的に余裕があれぽ充分な資料が
冊子目録はここまでに述べてきたような構成で
できたのであるが少々残念に思っている。
まとめられた。本論考のまとめにあたって,整理
更に,コレクション中の一冊一冊の資料の中に
の作業の過程の中で作成した資料について簡単に
印されてあった蔵書者を示すと思われる固有名
紹介しておきたい。
(何らかの形でその人の手を経たという意味で)
先ず,出版社リスト作成の中から,出版湧別の
を拾いリストを作成した。このリストは,蔵書票
出版点数についてリスト化を計った。1945年を境
(Ex Libris)に記されていたもの,蔵書印として
として,本コレクション中の文献について,出版
残っていたもの,サインの形で印されていたもの,
地引に出版点数をまとめてみたのがそれである。
栞として挾まれていたもの等から判読し得た固有
(図1参照)
名を対象としたものである。全く付録的な意味し
1945年以前では,出版点数の多さから見れば次
かないが,コレクションの由来を明かすような鍵
のような順序となっている。Berlin(102),Leipzig
がひとつでも拾い出されるならぽと思ったがどの
(53), Wien (28), Mttnchen (27), Ztirich (18),
ようなものであろうか。 (ここで示した三種の資
Stuttgart (9).
料は紙数の都合もあり掲載できませんでした。)
1945年以降のものは点数が少なくあまり参考と
最後に,本冊子目録編纂を通じて感じた問題点
ならないため,1949年度版のKtirschners Deut・
をあげて本稿のまとめとしたい。
schen Gelehrten Kalender trこ出てくる出版物の
第一点は,書誌編纂にコンピュータを使うとい
出版地乗点数を加えて比較してみると以下のよう
う点での検討である。整理を担当した属名(山田,
な順序となる。Berlin(97), Mtinchen(44),
村上,片山)にしてみれば,コンピュータに詳し
Stuttgart (43), Wien (40), Hamburg (40),
いとまでゆかず,具体的な設計が困難であったこ
Ztirich (29), Leipzig (21), Frankfurt am Main
ともあり,今回は従来の手作業方式で行ったので
(19)o
あるが,機械編纂では,入力さえ確実であればシ
特徴といえるほどのものはないが,Stuttgart
ステマティックに書誌を出力できるという点での
Hamburgで戦後の出版が急激に増大しているこ
魅力は大きい。もちろん,入力データの確定は人
とは見てとれる。
的に調査する他ないが……。この点今後の課題と
次に,本コレクションの特徴として,左翼・革
して方法を検討してみたいところだ。
命文学関係のマリク出版のものが一つの核といえ
次に問題と思われるのは,典拠調査のための参
ることは先述した。およそ80%のものが収められ
考資料に関することである。本目録作成上使用し
ており,うち90%が初版本であることは,この出
た参考書誌については最後にリストとして付けた
版社の活動を展望してみるのに不足のある数字で
が,この時代の書誌情報を確定するための有効な
はない。研究者から「コレクション中マリク出版
資料にあたれなかったことである。特に人名関係
のものだけは別立てにして一覧性をもたせてほし
では,1910年頃までのものはあってもそれ以後と
い」という要望があり,それに基づいて,文献そ
なると確定が困難となったりした。特に,擬名,
のものが書架上一覧できるように,マリク出版の
略名の調査は手がかりさえ得られなかった。
ものだけをひとまとめにし,つけ加えて,この出
SheehyやWalfordの参考書誌案内(末尾の参
版社のものだけの出版年代別リストを作成するこ
考書誌リスト10)で使えそうな書誌を調べ,所在
ととした。’ワイマールM”という形で請求記号
を確認し,現物にあたってみることとしたが,所
とし,冊子目録でも文献の請求記号(〔〕で示
蔵してないものが多く解決がつかなかった。
してある)に(M)と記し注意を喚起することと
とはいっても,三種の世界書誌National Union
した。リストは冊子目録の付録とする予定であっ
Catalog (NUC), British Museum. General ca−
たが,出来あがつたものの記述の中で出版年に関
talogue of printed books (BM), Bibliotheque
する事項で研究者の要求が充たせなかった(文献
nationale. Catalogue general libre imprim6e
の初刷の年が充分に調査できず記載されていなか
(BN)及びContemporary Authors(CA),Index
72
大学図書館研究XXII(1983.5)
Bio−bibliographicus Notorum Hominum (IBN)
等で確定できたものは多かった。中でもIBNは
ドイツの人名の調査に極めて有効であった。しか
しながら,現在継続刊行中であり,A及びBで始
まる人名について調査できたにすぎない。同じこ
とは,Neue Deutsche Biographie(NDB)につ
いてもいえ,ともに完結が待たれる。
ともかく,特殊な一時期の,特殊な主題に関す
る書誌が,解題,使用法,所在までを含めた形で,
4. ドイ ツ文学
Grundriss zur Geschichte der deutschen Dichtung
aus denΩuellen.(In progress)
__Neue Folge.1955一(In progress)
*Der Tascheng㏄deke.1924. Repr.1961.
*KUrschners deutscher Literatur・Kalender.
*KUrschners deutscher Gelehrten・Kalender.
5. ドイツ人物書誌
*Allgemeine deutsche Biographie,
Biographisches W6rterbuch zur deutschen Ge・
その分野の体系に即してリスト化されていればと
schichte.1952.
いう願望を捨てることができなかった。
Deutsches biographisches Jahrbuch (continues
以上,冊子目録作成の中での経験を書いてきた
Biographisches Jahrbuch und deutscher Nekrolog,
が,筆者の勉強不足もあり充分な調査ができたか
1896−1913).
どうか不安である。読者諸兄姉の忌揮のない御意
Die grossen Deutschen:deutsche Biographie.1957
見,御批判,御教示をおきかせ願えれば幸いであ
−58.
る。
おわりにあたって,冊子目録の編纂の作業が始
まってから,この論稿を書き終えるまで様々の形
で励ましをいただき,快く協力してくださった京
都大学附属図書館整理課の諸氏に,紙上をお借り
して,心から御礼を申し上げたい。
*Index Bio・bibliographicus Notorum Hominum.
(ln progress)
*Neue deutsche Biographie.(In progress)
*Wer ist Wer.
6. ソヴィエト文学
*lstoriia russkoi Iiteratury kontsa XIX nachala XX
veka.(Bibliogra丘cheskii ukazatel’).1963.
Khudozhestvennaia literatura, russkaia i perevod。
参考書誌
naia i bibliografiia,1917/25−1938/53.1926−59.
文献情報の確定のために次のような書誌が使えると思
Russian literature, theatre and art,1900−1945/
われるが,所蔵していないものもあり,*印で示した資
Amrei Ettlinger and Joan M. Gladstone.
料を使用して整理を進めた。
1.全 国 書 誌
’National Union Catalog. (NUC)
*British Museum. General Catalogue of Printed
Soviet Russian literature,1917−1950/Gleb Strube.
7.虚名・略 名
The bibliographical history of anonyma and pSeu・
donyma/A. Taylor and F. J. Mosher.1951.
Books. (BM)
Deutsches Anonymen・Lexikon/M. Holzmann and
*Bibliotheque nationale. Catalogue general libre
H.Bohatta.
imprim6e. (BN)
Deutsches Pseudonymen−Lexikon/M. Holzmann
2.出 版 書 誌
and]E【. Bohatta,
*Deutscher Gesamtverzeichnis 1911−1965. (GV)
Handbook of pseudonyms and personal nicknames/
*Hinrichs’ Katalog (1851−1912) der in deutschen
comp. by H, S. Sharp.1972.
Buchhandel erschienenen Bttcher, Zeitschriften,
The Hawthorn dictionary of pseudonyms/comp.
Landkarten, usw.
by A. Bauer.1971.
*Hinrichs’ Halb6jahrs−Katalog (Halbsjahresverze−
*Initials and pseudonyms:adictionary of literary
ichnis der Neuerscheinungen des deutschen Bu−
disguises/William Cushing.1886−1889.
chhandels mit Voranzeigen, Verlags一 und Preis−
Lexicon pseudonymorum/Emil Weller.1886. Repr.
anderungen, Stich一 und Schlagwortregister, 1797
1963.
−1944).
8. 雑誌目録・記事索引
Knizhnaia Letopis. 1907−1964.
Bibliographie der deutschen Zeitschriftenliteratur,
3.個人著作書誌
mit Einschluss von Sammelwerken_1896−1964.
*Contemporary Authors. (CA)
(IBZ. Abt. A)
73
“ワイマール共和国時代文献コレクション”冊子目録作成の中から
6
︶
Bibliographie der germanistischen Zeitschriften/
ヴァルター・ペンヤミン「遊民の回帰」晶文社(ベ
Carl Hermann Diesch. 1927.
7
︶
Monatliches Verzeichnis von AufsEtzen aus de−
utschen Zeitungen in sachlich−alphabetischer
8
︶
Anordnung, mit Jahres−Gesamt−Sach−und−Ver−
︶
9
狂」散索
スチュアート・ヒューズ「意識と社会」みすず書房
fasser−Register. 1909−1944.
9・そ の 他
ンヤミン著作集13)p.83.
ホルへ・ルイス・ボルヘス「ブエノスアイレスの熱
1965 p.284.
Der Malik−Verlag 1916−1sc7: Ausstellungskata−
*Deutsche sozialistische Literatur 1918−1945: Bib−
logi’hrsg. von der Deutschen Akademie der
liographie der Buchver6ffentlichungen/Brigitte
Kttnste zu Berlin. Berlin: Aufbau−Verlag, 1967.
Melzwig. 1975.
10)Verfremdungs Effekt.ブレヒトは叙事的演劇形式
*lllustrierte Geschichte der deutschen Revolution.
を創始したが,それは筋を物語って観客を観察者と
1929,
して筋に対決させ,観客の批判を喚起することを目
“lndices zu “Die Literarische Welt” 1925−1933,’
指したものであった。その中で,手法として記録の
Manfred H. Burschka. 1976.
映写やプラカードやラウドスピーカーなどを使った
10.書誌の書誌
り,俳優や歌手に筋の一部を説明させたり,劇中に
*Guide to reference books. 9. ed. E. P. Sheehy
歌を挿入したりして観客の注意を促した。異化効果
(ed.).
とは,そういった様々の方法によって,状況を異化
*Guide to reference materials. 4. ed. A. W.
させ,感情移入を排し,驚きを呼び醒まさせ,観客
Walford (ed.).
自らが状況を再発見することによる効果を指してい
る。
1) ウォルター・ラカー 「ワイマール文化を生きた人
11)
ウォルター・ラカー 前掲書p.178.
々」ミネルヴァ書房 1982p.135
12)書店からのリストの中での本コレクシ。ンの表現で
2) この用語は,ドイツでは文学における当時の新しい
あり,冊子目録のタイトルでもある。
運動に対して,ヴィルヘルム・ヴtリンガーが1911
13)ウォルター・ラカー 「ワイマール文化を生きた人
年に呼称したのが最初だとされている。1905年に表
々」1980。エルンスト・ヨハン,ホルへ・コ・ンカー
現主義運動は,先づ絵画において始まる。この年,
「ドイツ文化史」サイマール出版会 1975。ピータ
ドレースデンに表現主義芸術家集団“Brticke(橋)”
一・ゲイ「ワイマーール文化」みすず書房 1975。平
が設立され,同時に,フォービズムの第一回展覧会
井正「ベルリン 1918−1922」せりか書房 1980。
が開催されている。
等々。
3) “Brticke(橋)”の第一回展覧会は1906年,1908年に
14)著者基本記入方式(AACR1を基にした)で目録
は“Braue Reiter(青騎士)”宣言,1909年にはク
を作成し,出版に関わる項目,版次,発行地,発行者,
ルト・ヒラーを中心に文芸集団“新クラブ”の設立,
発行年,発行部数の表示等について詳細な記述を行
等々様々の開花がある。
っている。
4) ウォルター・ラカー 前掲書p.134−224,
5) ウォルター・ラカー 前掲書。菊盛英夫「文学カフ
〈58.2.10受理 かたやま・じゅん
ェ」中公新書 1980,等に触れられている。
京都大学附属図書館 整理課洋書目録掛〉
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