中村 宏樹 - 分子科学研究所

レターズ
分子研レターズの新しい出発に
当たり
中村 宏樹
[分子科学研究所長]
分子研レターズは、「所内外の研究
基礎科学あるいは基礎的な学術研究が
者からの手紙や情報を交換する場」を
疎かにされる傾向にあることです。ま
目指して昭和 51 年に創刊され、現在、
た、説明責任と言う名の下に分かりや
第 53 号までが出版されています。分
すくて一般受けする研究のみがもては
子科学研究所創設以来の 30 年の間に、
やされる危険性があります。研究者の
独自の人事政策に基づく活発な人事流
自由な発想に基づく基礎科学研究を推
世の中の良くない風潮を、むしろ逆に、
動と共に、総研大学生や客員教員を含
進する分子科学研究所の様な研究機関
我々の研究に対する飢餓感に転化して、
む多くの短期滞在型の研究者の流れに
にとっては、極めて重大な状況にあり
新しい分子科学の流れを創り出すこと
より、大変多くのいわゆる分子研 OB
ます。我々は学問の原点に戻って、新
を目指そうではありませんか。
の方々が生まれています。分子研レ
しい文化を創出し将来の新しい技術を
このためには、我々が分子研の中に
ターズが、これら多くの分子研の活動
生み出しうる源泉としての基礎科学の
閉じこもっていてはいけません。分子
に貢献してくださった方々との十分な
重要性を訴えていかなくてはなりませ
科学研究所は、周知の通り、大学共同
情報交換の場になっておらず、どちら
ん。これこそが、知の世紀と言われて
利用機関であり、その存在はコミュニ
かと言うと、所内向けの読み物になっ
いる 21 世紀にとって如何に重要なこ
ティーの支えの上に成り立っています。
てしまっているのではないか、と言う
とであるかを。一方、それと同時に、
上述した通りの法人化に伴う「閉鎖性」
反省をこめた指摘が、最近、「系・施
税金を使って研究を行っていることの
が起こらないように、分子科学コミュ
設のあり方等」を検討する所内委員会
責任を我々自身が真摯に受け止めるこ
ニティーの皆さんとの連携・交流を改
において行われました。一方、OB に
とも肝要です。そのためには、ただ自
めて深める努力をしていく必要があり
限らず広く分子科学コミュニティーの
分の好きな基礎的研究をやっていれば
ます。運営面でも、また、研究の面で
方々との連携・交流が、法人化後益々
良いと言う自己満足ではなく、自分の
も、叱咤激励を受けながら進歩して行
重要になって来ています。そこで、運
研究の意味を深く考え、どこに真のオ
くことが重要です。その様な交流・討
営会議でも議論して頂き、今回新しい
リジナリティーがあるのか、如何なる
論を通してこそ新しい分野の創成が期
企画で再出発することとなりました。
新しい概念を生み出しうるのかを常に
待されるのです。
法人化によって運営上の自由度が増
自問自答しなくてはいけません。何時
今回の新企画では、
「OB の今」や「総
したという良い点があるのは事実です
も言っていることですが、20 世紀初
研大」等のコラムが設けられ、連携・
が(厳しい財政の下ではこの良さも半
頭の量子力学の誕生から 100 年が経ち、
交流の場を拡げる努力がなされていま
減している)、逆に、大きな 2 つの問
21 世紀には新しい科学の誕生・創造
す。この新しい分子研レターズが所内
題点が浮き彫りになっています。その
が期待されています。本邦初公開と
外の分子科学研究者が語り合う有益な
第一は、各大学等がややもすると閉鎖
言ったような研究ではなく、新しい現
場となることを願っています。所外の
的になり、人事交流などに障害が出
象を見出すこと、画期的実験技法を開
研究者の方々の積極的な参加を大いに
る可能性があることです。各大学等が
発すること、新しい概念を生み出すこ
期待致します。
自己の評価と都合のみを考え、日本全
と、新理論を構築すること、等々の新
体の学問の発展等に目が向かなくなる
機軸・新分野の開拓を目指して日々研
なかむら・ひろき
虞れがあります。もう一つの深刻な問
鑽に励まねばなりません。そのために
題は、社会還元や出口論と言った技術
は、しっかりとした独自の哲学を持つ
的イノベーションにのみ重点が置か
と共に、「美」を追求する心構えが必
れ、真の意味での「革新」をもたらす
要です。基礎科学、基礎学術に対する
1965 年 東 京 大 学 数 物 科 学 研 究 科 修 士 課 程 修
了。同年同大学工学部物理工学科助手、1971
∼ 1973 年アメリカ合衆国博士研究員、1974
年東京大学講師、1979 年東京農工大学助教授、
1981 年分子科学研究所教授、2004 年より現職。
工学博士。
4
分子研レターズ 54 August 2006