宮古ボランティアNewsLetter No.5 - 札幌司教区

大震災復興支援
札幌教区宮古ベースの活動をお届けする
宮古ボランティア NEWS LETTER No.5
発行
札幌教区サポ―トセンター
2012 年 3 月 10 日号
2011年3月11日に起きた東日本大震災から 1 年が訪れようとしております。札幌教区サポー
トセンターが岩手県宮古市を中心に行っている支援活動は 11 ヶ月が経過しました。この間、札幌教区
の皆様に支えていただきながら、現地で必要とされている様々な活動を行っておりますが、その実施
内容をご報告致します。
ボランティア派遣は、今年も必要とされる限り期限を区切らず、続行します!!
◆ 宮古ベース活動報告
1 月6日(金)の近内仮設住宅の移動カフェから今年の活動は開始しました。心労やトラウマを語っ
てくださる方や会社再建の思いを語ってくださる方もいました。また土・日の重茂仮設住宅では、漬
物や煮物を持ち寄っての〝新年会〟が行われました。集会室の水道凍結で仮設住民からもらい水をし
た日にNHKの取材があり、住民が冬物衣類を手にする様子が〝一番の冷え込み"というニュースの中
で全国放映されました。
昨年 9 月に始まった高浜仮設住宅での絵葉書作り支援は順調に続いています。
そして、手仕事紹介 2 つ目の企画はフィリピンの養護施設イースターヴィレッジ支援の一環としての
アクリルタワシづくりです。出来上がり次第、買い上げる話がまとまりました。今後は「仕事作り」
に重点を置く取り組み(を行う活動←カット)に力をいれていきたいと思っています。
また、今年に入ってから「自治会長の会」発足の動きがあり、若い自治会長 O 氏が仮設を回り、集
会を呼びかけているようです。地元の若い方の動きは力強く、彼らと連帯できるのは幸いです。
専門スタッフによる音楽療法支援、バレンタインチョコ作り、ひな人形作りや手芸が好評でした。
特に毛糸編みは人気で、毛糸が集まっているボランティアグループに橋渡しをし、調達して頂きまし
た。盛岡市社協の川合ベースより提供のオムツ、老眼鏡、生理用品を配りましたが、まだまだ需要が
多いです。住民や近隣の方が数か月に及ぶ要望活動の結果、1 月末からオープンとなった板屋仮設では
被災者ではない近隣住民が積極的に関わり、皆をリードしながら手芸、小物作りをした様子。社協と
カリタスの訪問に頼らない住民主催の集会が始まってきたのが伺えます。また 耳が遠く、呼びかけが
分からない方々にドアチャイムの設置も行っています。今後も、宮古ベースでは、宮古教会の信者の
方と協力しつつ、公的支援が行き届かない方々へ支援していきたいと思います。
◆ 「大槌ベース開所」
昨年 12 月 13 日、長崎教会管区(高見三明長崎教区大司教)がボランティア拠点として準備を進めてき
た「大槌ベース」(岩手県上閉伊郡大槌町)の開所式が行われました。湾に面した大槌町中心部は、建
物の多くが津波で全壊。現在はわずかな建物が点在する中で 4 階建ての大槌ベースは遠方からでも見
つけることができます。大槌ベースは信徒が所有するホテルで、復興支援に使ってほしいと提供され
たもので約 40 人が宿泊できます。ベース 2 階で行われたミサで、「東日本大震災復興仙台教区復興支
援」の長崎教会管区責任者の浜口末男司教は「人間は困難な中で神を見失いがちだが、そこが“神様
と出会う場になれば”“被災地と管区をつなぐパイプになれば”」と語っておられます。また、大槌ベ
ース責任者の古木眞理一神父(長崎教区事務局次長)によると「大槌では仮設住宅の 2000 世帯、4700
人の支援が不足している状況。菊地司教様が言っていたように火(支援への思い)を消さないようにし
たい。人を通して地域に解け込んでいくベースにしたい。
」と語っておられます。
(カトリック新聞よ
り抜粋) 札幌サポートセンターは、今後は長崎教会管区とも連携をとりながら進めていきます。
◆ ボランティア感想文
「各仮設のニーズに応えた支援を」
1月5日から12日まで4箇所の仮設住宅に「移動カフェ」ボランティアとして行かせていただき
ました。各仮設の被災者の方々に 3.11 当日のお話をお聞きし、そのあまりの悲惨さに語られた情景が
夢に出てきて眠るのが辛いほどでした。
現地に行ってはじめて分かったことは仮設住宅によって必要とされているものが異なるということ
です。ある仮設では駐車場がないことが一番の問題とおっしゃっていましたし、ある仮設では靴下や
下着が無くて困っているという現状がありました。集会所がない仮設もある一方、お風呂まで付いて
いる集会所を持つ仮設もありました。また、被害の精神的な後遺症に苦しんでいる方がたくさんおら
れました。仮設住宅一軒一軒に「移動カフェ」のお知らせをして歩くと、集会所に来られる方々の向
こうに戸を固く閉じた人々がいることも感じられました。心の傷は深く、まだまだ人の集まりの中に
出ていける心境ではない方々への支援はいったいどうしたら良いのだろうと考えさせられました。
救援物資のなかには古い物が多く、毛玉だらけのセーターや穴の空いたトレーナーを手渡す時に躊
躇したことがありました。自分には不要であるけれど、それを活用してくれるなら良いのではないか
という考え方もあります。しかし、辛い日々を送っている被災者の方達へ自分が不要とする古い物を
送るのはいかがなものかと感じました。自分にも必要だけれど、それを我慢して相手に差し出すこと
がキリスト者としてのあり方ではないでしょうか。それが、自分にとっての時間やお金や物だからこ
そ、相手にその心が伝わるのではないかと思うのです。そうであるなら、わずかなお金や物であって
も構わないのです。おそるおそる古い靴下を差し出した時、小学校5年生の女の子は「ありがとうご
ざいます。使います。」と小さな声で言って持っていきました。
2月11日の朝、有線放送で市長が震災で亡くなられた方々への追悼と復興への呼びかけをしてい
ました。あれから1年が来ようとしていますが、今後の支援はより細かく、より心を込めて、そして
引くことなく継続していく必要を感じました。
(富岡教会
森
朝美さん)
「 宮古弁学習記 」
「おはやごぜんす」「おち゛ゃっこ、おあげんせ」
聞いたとおり言ってみても、周りから笑いがおきる。どうも、アクセントが違うらしい。
1月17日から24日まで、2日間の移動日を除き、6箇所の仮設住宅を周りました。9月、11
月、そして今回と3度目の参加ですが、その都度かわされる宮古弁に?マークが点滅します。
現在、宮古では63箇所ある仮設住宅のうち、自治会が整っているのは12箇所。その中のひとつ、
磯鶏にある可南という仮設住宅の、集会室にお邪魔したときのこと。
移動カフェのチラシを配布するまでもなく、次々と人が集まって来てくれました。土曜日というこ
ともあり、子どもを含め30数名になりました。何でも、
「米やさんの車(札幌カリタスのマークが米
の字に似ている)が来たよ~」と、誰かが声をかけてくれた模様。こちらでは、それで通っているら
しい。
持ち込んだ無料提供の冬物衣料などは、平等にわたるようにと入札方式がとられ、1点に何人か集
中した時には、じゃんけんで決めるなど、自治会の存在の大きさを知りました。
私が所属している教会が支援している、フィリピンの児童養護施設イースタービレッジに持ってい
くアクリル毛糸タワシの製作も、この仮設住宅で引き受けて下さいました。手仕事のきっかけのひと
つになってもらえれば、と願うところです。
ばっとう(甘い煮小豆に小麦粉で作ったうどん状のものを入れた郷土料理)をごちそうになり、
「ほ
に
まだ
アでした。
みやごに
おでんせ~」と声をかけられ、被災者は自分でないのかと錯覚するボランティ
(小野幌教会
梅原玲子さん)
◆ 「宮古市内の様子」(2012年1月)
宮古教会(右は司祭館)
壊れた船
札幌カリタス車
土台だけが残りました
錆びた車の山
破壊された1階部分
◆ 「東日本大震災を受けて祈りをともに」
2011年10月15日、キリスト教学校教育同盟とカトリック学校連合会が共同してお祈りを作
成し、10万枚が全国のキリスト教の学校の児童生徒(小・中・高)に配布されました。
このお祈りは、全国のキリスト教教育(カトリックとプロテスタントの学校教育)を受けている子ども
たちの間で祈り続けられています。
・中学・高校学校版
この世界を造り、わたしたちを守ってくださる神様、わたしたちが自然の中で生き、自然と
共に生かされていることを感謝します。
東日本大震災によって苦しむ人々のために、あなたからの助けと励ましを与えてください。
そして、わたしたちと自然が共にあなたによって造られたものであることを、忘れることが
ないようにしてください。
あなたはどのような時にもわたしたちから離れることなく、喜びや悲しみや苦しみを共にし
てくださいます。
神さま、傷ついている人々のために、行動を起こす決意をわたしたちに与えてください。
神さまがわたしたちに何を望んでおられるのか、日々の学びの中から知ることができましよ
うに。主イエス・キリストのみ名によって。アーメン
・小学校版
神さま、地震や津波にあって、今も苦しんでいる人々をお助けください。
家族をなくした人々、家や仕事を失くして困っている人々、悲しみや苦しみのために心の力
をなくしている人々に、勇気と希望をお与えください。
そして、わたしたちも、この人々のことをいつも思い出し、助け合う心をもつことができま
すように。イエスさまのみ名によって。アーメン
◆ この一年を振り返り、そして次の一年へ向かう
(教区の活動経過の報告は各教会に配布されている「札幌教区ニューズ 18 号-2012.1.1 発行」 に
詳しく、また「札幌カリタス通信 13 号-2012.2 発行」 にも載っていますので、お読みください)
長い地震で昼寝から覚め、テレビをつけた。震源は宮城県沖、震度 7。大津波警報発令。や
がて押し寄せる津波に逃げ惑う車や人々を、空から俯瞰して写される映像が流れ始めた。まるで映画
を見ているように眺めている自分に気づいた。教会の一室にいる自分の身の安全を確かめていた。東
北は国か、自衛隊か、県か、災害に備えている誰かが助けているだろう、という考えに逃げそうにな
る。傍観している自分に気づき、祈りの言葉が心にのぼった。動きますから、教えてください。誰か
がではなく、私も動かなければならない。そう説教台から言ってきたはずだった。仙台教区の教会は、
同級生はどうなっているか。電話がつながらない。毎日報道にくぎ付けになった。雪降る寒さの中、
凍える人々。食料、油、薬がなく死に直面し震える人々。SOSの声があふれている。危機に瀕した
人々の姿はこんなに近くにあって手に取るようだけれども、現実の距離のなんと遠いことだろう。ど
うしたら手を差し出すことができるのか。
仙台教区への緊急送金、各教会への募金口開設のお知らせ、家を失った被災者ために緊急避難
施設として教会・修道院に受け入れ可能な数を取りまとめて道庁へ申し入れるなど、仲間から提案さ
れる支援策に取り組んだ。支援団体名を「札幌カリタス」とした。これは災害時には宗教団体が敬遠
されるため。司教館の加藤師、佐藤次長、札幌地区長の勝谷師、数人で小回りの利くチームを組み、
顧問や地区長にも急ぎ電話で了解をとる。また札幌教区管理者でありカリタスジャパンの責任者菊地
司教と連絡を取りながら支援活動が始まった。1 週間たったころ阪神淡路大震災の時の支援活動に行っ
た司祭から「次はボランティアだ」との声があがって、次の方向が決まった。仙台に仙台教区全体を
助けるカリタスのサポートセンターができたことを教えてもらい「何ができますか」と電話する。す
ぐに「現場に入りボランティアのまとめができ、行政にレポートを出せる人をすぐに送ってくれ」と
の依頼を聞いた。ちょうど司祭召命を感じて準備の生活を始めていた青年を、4 日後に派遣(出身の伊
達教会でも同じころ彼の派遣を決めていた)。ガソリン、食料を車に積んで仙台に入った彼は、次の日
には新しい拠点を開設の指示を受けて、石巻市に出発した。
仙台SC(サポートセンター)はメンバーの多くが自から被災している中、教会や司祭、カトリック諸
施設の被害をつかみ全国に配信、また災害支援の拠点を塩釜、石巻、釜石などに立ち上げながら、全国
からの問い合わせ、見舞い、ボランティアなどの来訪、電話・Fax に対応に翻弄されていた。統一した
指示など無理、やれるところからやってくれ、という叫びが聞こえてくるようだった。長期間、北海
道から支援に入るならば、大きな被災地の最北に位置する宮古市に活動拠点を置けないか。山田町、
大槌町も視野に入る。資金も人も活動拠点もすべて自己完結で行うので、仙台本部との連携の中での
拠点を開設させて頂きたい、と許可を願った。仙台に伺いを立て、1 週間待った。てんてこ舞いの中、
大阪教区から支援に入っていた同期の友人が仲介してくれていて、OK が出た。
3/28 宮古市へ行って、見た。主任司祭は長期休暇中で不在も、信者さんに会えた。その方は
帰宅できない近くの学校の子供数十人を自分の家に抱えていらした。盛岡から担いで行った食料に「有
難う」と感謝された、避難している子らのためへの感謝だった。2週間どうやって食べ物を工面して
いたのか、
「今日の糧を与えてください」と祈ったであろう。次の週、帰国する主任に会いに再度、宮
古へ行った。教会、司祭館の利用を快諾してくださった、ありがたい。聖堂は 10 人以上の宿泊も大丈
夫。毎朝この聖堂から、主キリストによって遣わされていくのだと思った。ボランティア募集要項を
全道に配信し、受付から説明会、送り出し、車の購入(信者さんのお世話になる)、フェリー予約など
あっという間の 4 週間。 4/11 から 6 人のボランティアと活動開始。教会隣の幼稚園長は、菊地司教
様と同期の卒園生で幼馴染だと聞いた。園長さんの家も流され避難所暮らしで、被災者のニーヅや思
いを的確に伝えてくれていた。
「前を向こう、頑張れと言わないでほしい。これ以上何をがんばればい
いのか…。有難い、でも、そってしておいてほしい人もいる」
「この人明るくしてるけど、米が足りて
ない」など、囁くように教えてくださった。
ニーヅ(要望、必要とされていること)と地元の信頼がなければ、ボランティアに行っても役に
立たず、長く続かない。行政(窓口は社会福祉協議会=社協 が市から委託されている)に伺いを立て
ながら慎重に進める。信頼関係ができて初めて依頼を受けることもできるし、こちらの提案も受けて
もらえる。当初、宮古市は県外者への警戒が強く、平日はボランティアを受け付けてくれないことが
わかり、車で一時間の山田町へ行って瓦礫片付け、側溝掃除など「泥かき」仕事が始まった。道路は
寸断され使える道は限られ、緊急支援車やがれき運びのトラックがあふれている。
「県外ナンバー車が
渋滞を作る」と言われ、肩身が狭かった。確かにそうなのだ、カリタス号は札幌ナンバーだった。被
災地の記録を、とカメラを向けた私たちは「新聞テレビで十分だろう」と非難された。宗教団体は自
分のためにやってんだろうとキツイ言葉も。反論はできなかった、それぞれの声から学ぶことが多か
った。助けに来たのだから感謝されて当たり前という思いが、自分の内にあることを知らされた。
べースのまとめ役は、1 週間交代で来るボランティアの継続性、市社協から仕事を受けること、
置き去りになりがちな方々のニーヅの拾い上げ、仙台や札幌との連絡調整など、その役割は重い。石
巻ベースで働いた S 君は、5月から宮古に移ってくれて 3 か月間。仙台やカリタス J との連携を強め、
多くの支援策をまとめた。8 月は、4 月から長期に活動してくださり自他共に宮古市民だと言われる T
氏を中心に輪番制で。9 月からはもう 6 か月目に入る W 氏が勤めてくださっている。宮古教会の信者さ
んも、ボランティアが少ない時には自主的に補ってくれて、宮古教会と協働しているのが特徴。本当
の拠点のまとめ役は、司祭館にいて我々を笑顔で迎え、送り出し、一緒に祈り、食べてくださる主任
のマルコ神父様かもしれない。
●今後の課題や展望について
仮設訪問が今、社協から我々「カリタスさん」に頼まれている仕事の中心になっている。カリタ
スは、週 5 人前後の細々とした団体であっても、50 週間途切れなく続け、さらに一年を超えて続ける
意志を持った、あてになる存在として認知されている。訪問の際には衣類、小間物、食料も運んでい
るが、要は引きこもらないで、いかに集会室に来てくださるかに目的を置く。人と会い、住民同士が
互いに知り合って仲間となってくれたら困窮の中にあっても道が開かれるのではと期待している。阪
神淡路の大震災の教訓として 10 か月たった頃から自死が多くなると言われるが、救済一時金が底をつ
き、失業手当が打ち切られる時期と重なる時であり、その兆しは東北にもみられる。仮設の人達から
も「一年たっても忘れないでください」という言葉が聞かれる。
「教養がない、教育がない」という言
葉も目にした。
「きょう行く所がない、今日、用がない」という、生き甲斐がない状態と、与えられて
いるだけの生活は嫌だという思いを伝えたい言葉ではなかろうか。
集会室に集まり手芸、手仕事などを教えあったり、カラオケなど集まって楽しむレクを考えたりと、
仮設に暮らす方々と一緒に考えたり、行事を立ち上げたりすることが目下の主たる活動内容です。
また 3 分の 2 の集落で自治会を組織できず、必要な要求を住民がまとめて発言できない状態である
ので、訪問した先で自治会の立ち上げを後押しすることも大切にしている。こうした中から生まれた、
ある若い自治会長さんが我々に同行して呼びかけをしている。彼はまた、地元若い仲間で仮設回りし、
営繕の仕事をするボランティアグループを作り、資材費をカリタスに要望してくれた(100 万円ほど)。
募金の使い道について ― 2012 年 1 月末までに 3674 万円の募金が寄せられた。ある教会は、
毎日曜日のミサ献金の多くをこれに当て、ある教会では去年の 5 月の総会で、100 万円の募金を教会か
ら支出を決めるなど、多く方々の善意に感謝しつつ、その意向を被災者に届けるようと、札幌サポー
トセンターでは考え実行している。支出は 1449 万円で、内訳は、教区ニュースに詳細が載っているが、
人=ボランティア活動(交通費援助含む)に 410 万、物=支援物資などに 770 万、他の団体の支援活動
に 117 万(盛岡ゆいっこ、むすびば、札響メンバーのコンサート)などである。他 NPO 団体に協働する
のは、仮設の被災者からの要望に対して、同じ内容の支援を考えていても実行する人員がカリタスに
なく、他団体は人がいても資金が無い場合である。ニーヅを聞いたなら何とかコラボでも実現を図る
よう努めたい。これまでも札幌サポセンとして数百万単位の計画を立てたが、宮古市に申し出たとこ
ろ県がやることになった企画(仮設風除室)、カリタス J 本体が3県のみなし仮設全部に暖房器具を設
置した企画などがあり、結果として支出は抑えられた。
まだ執行していない約 2 千万円の使途の今後の見通しとしては、この活動が今後1年以上継続され
ることから、今後の活動に必要な規模の財源であると思われる。また、これまで考えられたアイデア
(お米券、灯油券などの形で速やかに被災者に支給する)ことは、悩みながらも見送ってきた。理由
としては、来年以降、仮設から復興住宅へ移る時に、被災者は十分な資金を持たず大きな支援が必要
となることを考慮し、今は使い切らない方が良いと判断したこと。なお、大船渡ベースを開設した大
阪管区は、土地を買いセンターを建設したが、阪神淡路の経験から 10 年間のスパンで支援活動を考え
ていると思われる。
長崎管区との連携 ― 10 か月がたち、岩手沿岸の 4 拠点(宮古、大槌、釜石、大船渡)の連
絡会議が 1 月に立ち上がった。司教団が決定したオールジャパン体制での岩手沿岸担当は長崎教会管
区。8 月から宮古を長崎で受け持つか否かの可能性を打診してきたが、大槌ベース開所に 4 か月を要し
たことからも難しく、長崎からの派遣がたいへんなのが実情である。現段階では大槌ベースが安定す
るまでは当面、宮古は札幌教区が担当という方向が仙台での会議で確認された。それまでは釜石(ボ
ランティア多数)が人員を派遣し支え、宮古ベースからも余力がある時には大槌に向かうようにして
いる。宮古の宿泊数に制限があることにもよる。(以上 文責:宮古ボランティア担当
上杉神父)
◆ お知らせ
(1) 宮古でのボランティア活動内容が一部拡大されることになります。長崎教会管区による大槌ベ
ースが活動開始しておりますが、大槌町ではまだ瓦礫撤去など体力を必要とする活動が必要と
されています。今後、大槌ベースと連携しますので、瓦礫片付け仕事のボランティアも募集中。
(2) ボランティア参加の皆様への補助内容が変更になります。12月より北海道内から宮古市まで
の交通費全額補助をしておりましたが、この度、諸般の事情により交通費補助に関しまして、
10,000 円までを自己負担して頂き、10,000 円を超える金額に関しまして、教区サポートセン
ターから補助することに致します。ご了承ください。また食材費も、各自負担でお願いする方
向です。詳細につきましては、札幌教区からの募集要項をご覧下さい。→4 月 1 日変更予定、
各教会へ通知します。教区 H.P にもアップします。
(3) 被災者の心のケアに役立てようと、手織り「さをり織り」広める取組みが宮古市の NPO により
進んでいます。今後、サポートセンターとしても参加し、支援することを検討しております。
(4) 来る4月15日、宮古教会にて、第6回分かち合いマーケットが開かれます。皆さまのご協力
をお願い致します。支援物資内容については、食品以外は未定ですので、確定しましたら、ご
案内いたします。
(5) 3月11日(日)17時より、北26条教会にて、宮古教会主任司祭のマルコ・アントニオ神
父様を囲む会が開かれます。札幌教区サポートセンターの活動拠点として、昨年4月11日か
ら、司祭館・聖堂を使わせていただいております。
◆ ボランティアのご協力
移動カフェと常設サロンを継続的に関わるために、少なくとも週5名のボランティアを確保できた
らと希望しています。皆様のご参加をお待ちしております。ボランティアの年齢制限はありません。
(今
まで 82 歳の女性の参加がありました)また、宮古での宿泊・食事代(ただし、共同炊事)の負担は 3
月中はありません。交通機関は、12月~3月上旬までは、教区ワゴン車ではなく、個人での移動と
なり、JR・フェリー等の往復となります。そのため今までのような木曜日の夜の札幌出発はなくな
り、ご希望日の移動が可能となりました。ボランティアの申込みは、参加される 1 週間前(ボランテ
ィア保険加入等のため)にはご登録されますようお願いします。
札幌教区サポートセンター
《 申込・お問い合わせ先 》
(Fax:011-221-3668
E-mail:[email protected]
Tel: 011-241-2785)