雨降花 - タテ書き小説ネット

雨降花
桜木 琉歌
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︻小説タイトル︼
雨降花
︻Nコード︼
N3826BR
琉歌
︻作者名︼
桜木
︻あらすじ︼
古都には雨がよく似合う。嫌われ者の梅雨だって、見方を変えれ
ば、楽しみ方を見つければ、とっても素敵な時間に変わる。
私には、多くの人が見て当たり前の素敵なものを、楽しむことがで
きません。でもそれで十分なんです。今は、あなたの声を通してあ
なたを見ることができるから。
あなたに、私は聞こえますか?見えますか?
1
︵前書き︶
︻雨降花︼︵あめふりばな︶
ツリガネソウ、ホタルブクロのこと。
摘み取ると雨が降ると言われている。
2
﹁梅雨は嫌い﹂
立ち往生した橋の上で、そう言った、彼女の声が聞こえた気がした。
後にはこんな言葉が続く。
﹁どうして?﹂
﹁じめじめして鬱陶しいから。それに、太陽が出ていないのに暑い
のも許せへん。窓枠に水溜まりができるのが最悪やない?﹂
﹁そういうものかな?﹂
﹁そーゆーもんなんよ﹂
古い木の家に、水は天敵だ。6月になると、多くの家の窓や廊下に
手ぬぐいが敷かれる事になる。子供の頃から、私はうっかり踏んで、
足を滑らせていたものだ。梅雨は嫌われものだ。とくに女性は、洗
濯ができないなどと嫌う人が多い。
﹁少し、出かけないか﹂
﹁何処に﹂
突然の誘いに、彼女は肯定も否定もせず尋ねた。
﹁散歩﹂
﹁雨なのに?﹂
﹁雨だからだよ﹂
正確にはまだ雨は降っていない。だが、あと半刻もすれば傘が必要
になるだろう。湿気を含んで重みのある空気が辺りに流れていた。
3
私は玄関で長屋の女将に傘を借り、振り向いて小さく手招きをした。
﹁行こう﹂
彼女の住む長屋からから離れて、私達は嵐山にやってきた。住宅街
を抜けて、観光地とされるところまで歩いて10分ほどだ。桜や紅
葉ばかり有名になったが、緑の生い茂る時期もまた、捨て難い。風
の通る音がするからだ。私はその音を聞きながら、この嵐山の麓に
ある木造の橋に立つのが殊更好きだった。
﹁ここに来るなら、夜やろ﹂
少しあきれたような口調で彼女が言った。
﹁どうして﹂
﹁どうして、って。月の渡る橋やのに。月なら夜やろ﹂
﹁いいや、昼でも月は見える事があるんだよ。見上げてごらん﹂
﹁ほんまに?﹂
﹁うん﹂
隣で微かに衣擦れの音がする。見上げて確認しているのだろう。今
日はちょうど白い月が見える日だ。私は彼女の反応を予想しながら、
そっと離れて歩きだした。
﹁あった!﹂
少しだけ離れたところで、背後から明るい声がする。
﹁あっ、楠さん、一人で危ないやんか﹂
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慌てたように近づいてきた足音に、私は頬を緩ませる。彼女は私の
腕を強く掴んで声を荒立てた。
﹁あかん。また落ちたらどないするの。雨やのに。足滑らせて﹂
﹁また君が助けてくれるかな﹂
﹁そう何度も都合よくはいかん﹂
つんと言い放つ彼女に、私は小さく吹き出した。
﹁きっと助けてくれる﹂
﹁だーからっ﹂
繰り返そうとする彼女を手で制して、空を仰いだ。
﹁雨だ﹂
ぽつりと顔を濡らす雫に、腕に提げた傘をとる。
﹁女将に借りたから﹂
﹁貸して﹂
ゆったり開こうとする私の手から傘を奪い、彼女が急いでばさばさ
と広げる音がした。
﹁あっ﹂
﹁ん?﹂
﹁これ、穴だらけやで﹂
﹁おやおや﹂
紙でできた番傘は穴が空きやすい。女将はそれと知らずに貸してく
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れたろうから怨みはしないが、私達は急いで屋根のあるところへ駆
け込まねばならなくなった。
﹁楠木さん、こっち﹂
彼女が私の手を引いて、小走りで移動する。
﹁どないして帰ろうか﹂
﹁梅雨だからなあ﹂
﹁梅雨が何?﹂
﹁寒くないから、濡れて歩くのも悪くない﹂
﹁このまま行くん?﹂
﹁どう?﹂
﹁楠さんがええなら﹂
﹁僕も、君がいいなら﹂
﹁ほな、行こ﹂
少し冷えた手が私の手の中に滑りこんできて、きゅっと握る。私は
総てを彼女に預けて、ゆっくりと歩きだした。少しは変わるかもと
開かれた番傘の、間から落ちてくる雫で着物は徐々に重みを増して
いく。橋の上には、雨をよけて走る音も楽しんで歩く音もあふれて
いた。
﹁楠木さん、はよ着替えな﹂
﹁うん﹂
﹁その手ぬぐい、もうびしょびしょやで﹂
﹁あれ?﹂
﹁ほら、貸して﹂
長屋に戻ると、彼女はテキパキと濡れたものを片付けて、総て竿に
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干してしまった。しかも、私が着替えている間に女将に傘を返して、
穴が空いていたと冗談めかして文句まで言いに言っていたのだから、
しっかり者である。
﹁京都は本当に心地好いな﹂
﹁せやね。あたしも好き﹂
戻ってきて茶を煎れた彼女は、湯呑みを私に持たせて同意した。詳
しくは知らないが、彼女も余所から京都へ来た人である。しかし言
葉から察するに、そう遠くでもないはずだ。
そんな事を考えている間に、すっかり夜になったらしい。今夜の彼
女はいつもより口数が少なく、ぼんやりしているようだった。
﹁・・・あかん、ちょっとぼーっとする﹂
ふいにそう言って立ち上がろうとする彼女の腕を捕らえて、膝の上
に座らせた。でこに手を当てるまでもなく、彼女の体が必要以上に
ほてっているのがわかる。
﹁いけない、医者に・・・﹂
﹁かまんかまん。寝れば治る﹂
﹁すまない、僕が濡れて帰ろうなんて言ったから・・・﹂
﹁それは関係ない。最近ちょっと調子悪かったんや﹂
﹁それならなおさら﹂
濡れたのは今回が初めてではない。数日前、自分のせいで彼女が川
に飛び込まねばならなかった事もあって私は大変慌てた。
﹁いいから﹂
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彼女は私にわかるように肩をぽんぽんと叩いて離れた。布団を敷く
音がする。
﹁・・・女将さんに、何か作ってもらえるよう頼んでおくよ﹂
﹁んー﹂
怠そうな声を背に受けて、私は部屋を出た。女将の部屋は廊下の突
き当たりだ。私は壁伝いに歩いて、その襖を小さく叩いた。
﹁はい﹂
﹁あの﹂
そして用件を告げようとしたが、よく考えたら私は彼女の名前をま
だ知らないのだった。
﹁はいはい﹂
そんな私を見て、初老の女将は総てを察したように声をあげると、
後でお粥でも運ぶからと快く了承してくれた。こうなるともう私は
することがない。すこし悩んでから、今度は穴のない傘を女将に借
りて、私は夜の嵐山に繰り出した。教えてもらった病院までの道の
りを思いだしながら、渡月橋の上で彼女と知り合った日を思い出す。
まだ数日ほど前の話だ。
あの日、梅雨の割に雨足が強く、私は細かい音が聞こえずに困って
いた。後からわかったのだが、あの場所は渡月橋の端で、下を流れ
る桂川は増水して轟音を立てていたらしい。当日は霧が立ちこめて、
地元民でも方角が怪しいような気候だったらしい。
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だからといって、雨に打たれて立ち止まったままでは何も変わらな
いので、右も左も解らぬと途方に暮れながらも足を踏み出すと、そ
こには何もなかった。つまり私は川に落ちたのである。足場を失い、
今度は左右だけでなく上も下も解らなくなった。ただ、必死にもが
いて空気を求める。どれくらい時間が経ったか分からないまま、激
流に押され、もう腕も動かないと思った頃、近くで大きな水音がし
た。誰かが飛び込んだのか、何かが川に落ちただけか、その声が聞
こえるまでは私に区別はつかなかった。
﹁お兄さん!﹂
ざぶざぶと水音が近づき、そして直ぐに腕に温かみを感じた。誰か
体を立てて流れないようにしてくれているらしい。
﹁あり、が・・・げほっ、ごほ、っは﹂
﹁あかん。水飲んでしもうとる﹂
声の主は暫く私の背中をさすっていたが、ある程度咳込むのが収ま
ったら今度は何処か遠くに向かって声を張り上げた。
﹁誰かァ!!男の人が水に落ちててん、助けて!!﹂
﹁なに!?大丈夫か、今あげるからな!!﹂
すぐに返事があり、私と声の主は無事川から救出されたのだった。
﹁兄はん、大丈夫かぁ﹂
助けてくれたのはこの辺りで人力車を引く男衆で、皆が心配そうに
声をかけてくれた。しばらくして、私の命に別状がないと解ると気
ぃつけやーと頼もしい声を残し、散り散りになって帰っていった。
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﹁ありがとう、貴女のおかげで・・・﹂
すっかり静かになってから、私はまだ残っているはずの声の主に向
かって頭を下げた。
﹁!!・・・お兄さん、もしかして、目、﹂
しかし思っていた方向と少しズレたところから声が帰ってくる。
﹁・・・見えないんか?﹂
彼女の声に、余分な詮索の響きはなかった。
﹁すみません、ご迷惑おかけして﹂
私は遠回しに肯定して、声の方に体の向きを修正する。
﹁気にせんといて。なんでそんな人が一人でこんなとこ﹂
﹁道に迷いまして・・・﹂
﹁見たとこ旅行者やな。宿、何処﹂
私が宿を告げると、彼女は迷いなく私の手をとって言った。
﹁あたしの長屋の近くやから送ったる。今度は落ちんない﹂
その言葉に驚きながら、私は心底うれしくなって笑顔を作った。
﹁・・・ありがとう﹂
﹁どういたしまして﹂
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想像するに、すこし気の強い彼女は、ぶっきらぼうに言ってそれで
も優しく手を引いてゆっくり歩いてくれた。
そこ、段差やから。石があるから気ぃつけや。ここ、滑るで。あ、
そっちちゃうから。
細かい指示のおかげで、今度は何事もなく宿まで辿りつく。
﹁本当にありがとう﹂
﹁かまんかまん。長屋はすぐそこやし﹂
﹁この街は素敵だ。見ず知らずの僕を、沢山の人が助けてくれた﹂
﹁あんな状況になったら当たり前やろ。なに言うとん﹂
彼女は呆れた声を出した。どんな表情をしているかはわからない
が、声の表情がよく変わる人だと思う。話したのは少しの間だった
が、それは私を惹きつけるのには十分な時間だった。
﹁・・・そうだね﹂
出てきた町を思い出しながら、上の空で相づちを打つ。京都より東
の﹃大都会﹄。音は多いし、人が多いし、流れる時間は早く、耳に
頼って生活せざるを得ない私には、殊に苦痛な場所だった。目が見
えないと分かればわざとぶつかって土下座して謝れなどという輩も
居る。思い出すだけで鳥肌が立った。私は逃げてきたのだ、古都、
京都に。
﹁お兄さん、ってば﹂
いつから呼んでいたのか、彼女は私の肩を揺すって話しかけていた。
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﹁すみません、何でしょう﹂
くすのきゆう
﹁お兄さん、名前は?﹂
﹁・・・楠木、侑と言います﹂
い﹂
﹁楠木さんでええ?﹂
﹁は
﹁ほな、また会うたら案内したるから言いね﹂
目の前でばさばさと傘を開く音がする。次いで、カラカラと戸を開
く音も流れてきた。
﹁さいなら、楠さん﹂
私の返事を聞かずに人の気配が去って、遠ざかる足音と入れ替わり
・・
に静けさがやってきたのだった。耳に残った声を反芻する。あの翌
日、私たちは 偶然 宿の前で再会した。茶屋に案内して貰ったり、
川で船に乗せて貰ったり、宣言通りに彼女はざまざまなところへ案
内してくれる。私は奇妙な偶然を甘んじて喜びながら、こうしてい
ることが何か彼女に迷惑をかけているのではないかと心配に思って
いたのだった。
考え事をしながら歩いたため、私は長屋を出て、角を何回曲がった
かを忘れてしまっていた。杖で探ったところで道が分かるわけでも
ない。
﹁こまったな・・・﹂
流石に夜だと人も通らない。尋ねる相手も見つからず、私は手探り
で小さな岩を見つけてその上に座り込んだ。ついでに手をふさぐ厄
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介な傘は畳んでしまう。雨の中でも徐々に変わっていく音だけが、
時間の経過を教えてくれていた。そうして何時間も経った頃、私は
耳に小さな声を捕らえてゆっくりと歩きだした。
﹁うぐいすの鳴き声か﹂
まだ雨は降っていたが、鳴くときは鳴くらしい。私は、はじめてよ
く聞いた声に、酔いしれた。カラカラと下駄を鳴らしながら、音を
感じて道をゆく。と、あるところで足元の音がはっきりと変わった。
水音がする。水量からして、このあたりで一番大きい川であること
は間違いなかった。桂川だ。きっと、前に渡月橋がある。
﹁戻ってしまったかな﹂
病院を目指していたのに、失敗だ。
彼女は、無事休めただろうか?医者は呼べなかったが、とりあえず
いったん戻らないと・・・私が案じながら一歩踏み出そうとした時
﹁危ない!!﹂
人で外に出るの
まさに想っていた声が飛び、私は思わず足を引き戻した。そのまま
後ろに倒れるほど強く引っぱられる。
﹁なっ・・・﹂
﹁楠木さん!どないしてここにおるん!なんで一
!?﹂
﹁ぼ、僕は・・・﹂
﹁ちょっと熱下がって起きたらどこにもおらんし、女将さん聞いた
ら病院やって言わはるし、やけど病院で聞いても誰も来とらん言わ
れたし!宿にもおらんし、﹂
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そこで彼女は小さくしゃくりあげて言葉を切った。
﹁また川に落ちてたらって思うたらあたし・・・﹂
その声のする方に手を伸ばし、宥めるように頭をぽんぽんと撫でる。
頬は熱のせいか、まだ熱かった。
﹁ごめん﹂
﹁何処にもいかんといて﹂
﹁うん﹂
﹁医者は要らんて言うたやろ﹂
﹁ごめんね﹂
しずかに謝罪し続ける私に、彼女は言葉を切って責めるのをやめた。
足音が近づいて、手を載せていた頭が肩に押し付けられる。私は初
めて彼女の身長を感じた。
﹁あたし、目になる。楠木さんが居る間だけでも、楠木さんの目に
なるから﹂
囁かれた声が、湿っていて熱い。
﹁ありがとう﹂
髪を撫でながら返すと、すっと熱が離れたのを感じた。目の前に残
った温もりを、惜しく思いながら微笑む。
﹁熱は﹂
﹁楠木さんのせいで上がった﹂
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﹁うっ・・・﹂
﹁でも許したる﹂
﹁え?﹂
﹁無事だったから許したる﹂
﹁・・・ありがとう・・・﹂
照れ隠しのような響きに、身体の奥がむず痒くなる。
﹁ほな、帰ろ﹂
有無を言わせず、半ば強引に手を握られて、彼女の傘の中に引きず
り込まれた。いつかと同じように足元に細かい指示を出しながら、
彼女が呟く。
﹁あたし、梅雨は嫌いや﹂
﹁どうして﹂
あまりに突然だったので、私は深く考えもせずに聞き返した。
﹁じめじめして鬱陶しいから。それに、太陽が出ていないのに暑い
のも許せへん。窓枠に水溜まりができるのが最悪やろ﹂
割と最近聞いたばかりのフレーズが並べ立てられ、思わず苦笑した。
﹁それに、楠木さんが2回も死にかけたから﹂
﹁・・・それは、1回じゃ﹂
﹁やかましィ﹂
﹁ごめんなさい・・・﹂
﹁それから、楠木さんがいなくなっちゃったから﹂
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手が徐々に減速していく。そのまま2、3歩歩いて彼女は完全に立
ち止まった。
﹁でも、だからこそ君に会えた。僕は好きだよ、梅雨﹂
いるであろう場所に向かって微笑む。さっき身長がわかったから、
大きく間違えてはいないはずだ。止まったままの手を引き寄せて、
私は今更ながら聞いてみた。
﹁まだ君の名前を知らない。聞いても?﹂
﹁・・・さや﹂
彼女は私の掌に、指で文字を書いた。
﹁お紗夜さん﹂
﹁紗夜でええよ﹂
﹁紗夜﹂
﹁そう﹂
ぶっきらぼうに言って、紗夜が歩きだそうとする。離れそうになっ
た熱を捕まえて、今度はしっかりと抱きしめた。
そうして初めて、私は自分の気持ちに気がついた。怖かったのだ。
一人で川に来て、不安だったのだ。そして、彼女が近くにいると安
心するという事実も発見した。
﹁見つけてくれてありがとう﹂
﹁楠木さん・・・?﹂
明らかに動揺した空気を感じる。
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﹁川の音がして、紗夜の事を想ってたんだ﹂
﹁あたし?﹂
﹁いてくれたら、安心して通れるのになって﹂
﹁楠木さん、それズルいわぁ﹂
﹁え?﹂
彼女の言葉に驚いて、私はそっと拘束していた腕を解いた。
﹁前言撤回さして。楠木さんが居る間だけでも、楠木さんの目にな
るって言うたけど﹂
﹁うん﹂
﹁ずっと、がいい﹂
﹁うん?﹂
﹁ずっと、楠木さんの目でいたい﹂
彼女の声は、彼女らしくないほど小さく震えていた。
﹁それって・・・﹂
﹁好きなん。あたし、楠木さんが好きや﹂
初めて向けられた好意に、今度は私が呆けて固まる。
﹁でも﹂
﹁何﹂
﹁知り合ったばかりだ﹂
﹁そんなん、こういう事には関係ないんやで﹂
今度は彼女らしい口調が返ってきた。
﹁・・・そうかもね﹂
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強気な様子に私までそんな気がしてくる。もちろん、本気で早いと
思っているわけではない。これ以上ない幸せな申し出だからこそ、
確証がほしかったのだ。私だけではなく、彼女もそう思ってくれる
という確証が。沈黙を噛み締めたところで、私はある事に気が付い
た。
﹁紗夜﹂
﹁なに﹂
今までよりずっと声が柔らかい気がする。
﹁僕は、やっぱり梅雨が好きだ﹂
﹁・・・また、会えたからって言うん﹂
﹁うん。だけどそれだけじゃなくて﹂
私は傘の下を抜け出して、橋の上へ出た。川の方だったらしく、紗
夜が息を呑む音がしたが、一歩で止めたので安心したらしい。何も
言われなかった。雨に濡れながら紗夜の方を向く。
﹁わかるんだ﹂
﹁え?﹂
﹁紗夜がいるところ﹂
﹁なんやそれ﹂
﹁よく聞いて﹂
話すのを止めると同時に様々な音が耳に飛び込んでくる。私は、見
えない分様々な音に敏感だ。中でも一際大きく聞こえる音に、耳を
傾ける。
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﹁・・・ごめん、楠木さん。全然わからへん﹂
彼女がお手上げ、というような声を上げて傘にいれてくれた。
﹁雨だよ、紗夜﹂
﹁雨?﹂
﹁普段は下駄の足音でしか居場所がわからないけど、雨がふると、
もっとはっきり居場所がわかるんだ﹂
﹁そうなん?﹂
まだ理解できていない様子の紗夜から傘を奪い取って歩き出す。彼
女は不思議そうなまま、手をつないで少し先を歩きだした。
﹁傘は、きっと雨音を聴くための道具だね﹂
﹁あっ﹂
ようやく分かったらしい、晴れやかな声が前方から聞こえてきた。
﹁ほなら、もっと雨降ったらええね﹂
﹁梅雨は嫌いじゃなかった?﹂
﹁楠木さんが嬉しいなら、降った方がええ﹂
﹁はは﹂
﹁雨、降らせる方法あらへんかなぁ﹂
﹁そりゃ、大変だ。そうだな。それなら、ツリガネソウを摘み取れ
ばいい﹂
﹁ツリガネソウ?﹂
﹁摘み取ると、雨が降ると言われる草だよ﹂
﹁楠木さんてば、相変わらず物知りやなぁ。それって、どんなんな
ん?﹂
﹁うーん・・・それだけは、僕に聞かれても﹂
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﹁あ﹂
やらかした、という響きの声がする。私は紗夜の手を探って伸ばし
た。それに合わせて彼女が手を重ねてくる。
﹁大丈夫。君が探して、どんな花かを教えてくれればいい﹂
﹁せやな。そうする﹂
﹁うん。まだ知らないことばっかりだけど﹂
﹁あたしがその分、沢山見て教えるからね﹂
﹁君のこともね﹂
﹁あたし?﹂
﹁紗夜のことも知っていけたらいい﹂
﹁うん・・・あたしも、楠木さんのこと、もっと知りたい﹂
はっきりと明るくなった声に、私は今彼女がどんな表情をしている
のか、想像して楽しんだ。そういえば、まだ言っていないことがあ
る。
﹁紗夜﹂
﹁なに﹂
﹁僕も﹂
﹁え?﹂
﹁僕も、君が好きだ﹂
心地好い沈黙が、雨の音だけを運んでは消える。
次の瞬間、唇に触れた温かな感触と、消えそうなくらい小さな小さ
なつぶやき。
私の脳裏にはその時確かに温かな情景が浮かんだのだった。
ありがと、侑。大好き
20
you
︵後書き︶
Can
hear
me?という曲にヒントを得て。
蒲公英先生の﹃かたつむり企画﹄に捧ぐ。
行ったことのない方に少しだけ解説。
渡月橋に立ち、
上流に向かって左。
松の木の生える小さな広場のような場所があります。
そこに迷い込むと、柵がないので気を抜けばあっという間にばっし
ゃーーーん。です。橋を渡り切ったところは、旅館街ですね。
そして、同じく向かって右。こちらは橋を渡り切って、上へ登って
いったところで屋形船に乗ることができます。
そしてこちら側、
松の方より大きな旅館街です。古くからある料亭も立ち並び、華や
かな印象があります。人力車も何台か見かけることができます。そ
してこちらの川の様子ですが、
歩道から柵はなく、水路があるのみです。
この水路もしばらく歩けばなくなって、同じく気を抜けばどぼん、
の構造になっております。
彼らは何処にいたんでしょう。その場に行けば、雨宿りした場所な
どがより鮮明に想像できる描写になっております。3Dで楽しむチ
ャンスがあればお試しください。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n3826br/
雨降花
2013年6月26日23時00分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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