side 水嶋 温 - タテ書き小説ネット

side 水嶋 温
壬生一葉
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︻小説タイトル︼
side 水嶋 温
︻Nコード︼
N5110J
︻作者名︼
壬生一葉
︻あらすじ︼
sideとなっていますが、︻今日も明日も。︼の続編です。視
点︵あたし↓俺︶に変わっていますが、是非、キョウアスをお読み
の上、こちらを読んで頂けると大変有り難いです。
1
︻1︼
みずしま はる
のぞむ
俺、水嶋温は、”望”に出逢い、恋に落ち自分の性的嗜好を認識し
た。
望の死によって全てが終わって、心には穴が空いた。それもポッカ
リと・・・。
宇宙空間くらい、俺の心は空虚になった。
寂しさから、何人かの男とも寝た。
でも途中で急に、病気とかが怖くなってそれを止めた。
虚しかったのもある。
だ
ふと、本当に俺は”ゲイ”なのか?と思い立ち、女とも久しぶりに
寝た。
普通に目の前の裸体に勃起し、挿れて、射精した。
苦痛でも無ければ、達成感も無かった。
相変わらず、心は空っぽだった。
その空っぽの空間を埋めたのが﹁絶対的な穂積智志﹂の存在。
ところがそれを押し遣る様に現れたのが、青山奏だった。
彼女は、﹁ピース﹂だった。
俺の心の穴を四隅から固めて、着実に確実に1ピースずつ空白を埋
めていく。
それはもう完成間近だったんだ。
2
︻1︼︵後書き︶
壬生です。
今日も明日も。を書いていて、水嶋ベースで書きたくなりました。
書いてしまいました。又、お付き合い頂ければと思います。
宜しくお願い致します。
3
︻2︼
﹁あたし、頑張った!﹂
﹁・・・うん。﹂
﹁貫いたよ?﹂
﹁・・・送ってく。﹂
その申し出を断って、青山奏は首を横に振る。
﹁一人で歩けます。﹂
涙を堪えてる訳でも、無理をしてる訳でもなく、俺に向けられたそ
の表情は
本当に輝くほどの笑顔だったのが俺の記憶に残った。
﹁コーヒーで良いの?﹂
﹁あぁ。﹂
俺は穂積にブラックコーヒーを、自分にはカフェオレを用意し、テ
ーブルに置く。
目の前に座る穂積は酷く落ち込んでいる様には見えなかった。
﹁あれから・・・青山さんと話したの?﹂
﹁あぁ。昨日、会社終わってから会って話したよ。﹂
別れ話だった事は間違いない。
だが突っ込んで聞くのは躊躇われて、俺は黙ってしまった。
﹁何か色々して貰ったのに悪かったな、水嶋。﹂
﹁いや・・・別に。﹂
俺はマグカップに口を付ける。倣うように穂積もコーヒーを啜った。
﹁青山がさ、美帆子に会えて良かったって言うんだよ、俺じゃなく
て。﹂
穂積がちょっと笑う。
4
その後真面目な顔をしてこう言った。
﹁何が出来た訳でも無いけど、穂積さんの口から子供の事は聞いて
おきたかった
とも言われた・・・。そう言われた時、俺青山を愛してるなんて
言って
本当は、子供の事を何にも知らない女に逃げたかっただけなのか
なって思っちゃったよ。﹂
﹁それは・・・無いだろ。﹂
﹁はは、そうだよな。・・・青山は特別な女だ。﹂
穂積は、20歳の女の子を”女”と呼んだ。
愛したからこそ、そう呼ぶのだろう・・・。
﹁仕事、やりにくくない?﹂
﹁うーん、大丈夫だと思う。青山も仕事はちゃんとしたいって。
アレだな、女の方がやっぱり強いな。﹂
穂積の左袖から覗く時計がクリスマスの頃から替わったのには気付
いていた。
恐らく、彼女と揃えた時計だ。
テーブルの上の煙草に添えられているライターは、彼女からのプレ
ゼントに違いない。
男の方が、想いを引き摺るんだな・・・。
じゃぁ俺は何だ?
目の前に居る穂積よりも、彼女が今どんな思いで居るのか気になる
俺は・・・−。
5
︻3︼
オフィスビルの6階で仕事をする営業開発部は、事務用品を取りに
行くか
お客が来客した時にしか、7階の総務部に上がる事は殆ど無い。
﹁部長、はいゲルインキのボールペンです。﹂
営業事務員の吉岡が事務用品の補充をしてくれた。
﹁え?あ。どうも。﹂
﹁部長、ゲルじゃないと駄目なんですねぇ。﹂
さっきから吉岡の顔がイラっとする程、ニヤついている。
吉岡が体を縮め、俺に小声で言った。
﹁青山さんが言ってました。﹂
・・・そうか、吉岡は俺と彼女が付き合ってると思ってるのか。
勘違いを正さないまま来てしまった。
まぁ今更訂正するのも面倒・・・。
﹁ははは。﹂
俺は薄く笑っておく。
穂積と青山奏の関係が上司と部下に戻った事で俺自身、彼女と口を
聞く事が
めっきり少なくなった。
EVやロビーで会えば、挨拶はする。
ついこの間迄、穂積との恋愛に苦しんでいたとは微塵も感じさせな
かった。
そんな姿が又、俺の中に彼女を印象づかせる。
これまで俺は穂積の為に動いていたと言っても過言では無かった。
6
憧れ、友達以上の感情を抱いていた事が根底に在った。
ところが、彼女の穂積に対する誠実な迄の行動が俺の気持ちを揺さ
ぶった。
俺、穂積の事好きなんじゃなかったっけ・・・?
﹁いらっしゃい、温が来るなんて久しぶりだね。﹂
小さなバーのカウンターで、充さんがグラスを拭いていた。
テーブルの席では二人の男が顔を近づけ、何やら話しこみ
カウンターの端では、一人の男がもう一人の男の腰に手を回し談笑
している。
﹁今日は何の相談かな。﹂
充さんは、望と学年トップを争う程の頭脳明晰な人物だった。
俺の前にウィスキーが差し出される。
﹁・・・充さんは女とヤッた事ある?﹂
﹁あるよ?温だってあるよね?﹂
俺は酒に口をつけて頷く。
﹁もしかして自分がゲイか疑心してる?﹂
・・・流石、客商売の人だ。
﹁女で気になる人が居るんだ?﹂
﹁うん・・・穂積が好きでちょっと前迄付き合ってた女の子。﹂
﹁穂積って、温が望に似てるって言ってた人だよね?﹂
﹁そう。﹂
出されたピーナッツを二つに割る。
親指についた塩を舌で舐めた。
7
俺は、彼女の赤らめたあの顔を思い出す。
8
︻4︼
﹁穂積さんの次は、水嶋さんと仲が良いんだなと思って。﹂
俺の名前が聞こえて、俺は振り返る。
総務部の女二人が、彼女に相対していた。
彼女が必死に怒りを堪えてるのが見て取れる。
俺はその女達が横を擦り抜けるのを辛辣な視線で見送った。
俺が、穂積の心配事を増やさない為にも耐えてくれと彼女に言った
のだ。
それを忠実に彼女は守ろうと、唇に血を滲ませる程この場を耐え忍
ぶ。
俺は親指で彼女の唇をなぞり、彼女の血を舌で舐め上げた。
﹁そろそろフリーのお客さんが来るから、その気がないならもう帰
った方が良いよ。﹂
充さんの声に俺は顔を上げる。
促されるように、支払いを済ませ席を立つ。
﹁温。迷う位なら止める事。これは僕のモットー。﹂
充さんの言葉を何度も反復して、家に帰った。
”迷う”
9
何を迷う?
俺がゲイじゃないかもしれない事を?
穂積の女だった彼女を気に留める事を?
青山奏を、好きになる事を?
春。
営業開発部に新人は配属されなかったが、隣の部署の情報システム
部に
一人男性社員が入って来た。
関西出身らしく、独特の方言がやたら耳についた。
田中と名乗ったこの男が、彼女を気に入ってるらしいと言う噂が
穂積や俺の耳にも直ぐに届いた。
﹁お疲れ様です。﹂
6階の入り口で彼女が一礼して、こっちに向かって来た。
﹁水嶋さん、小口の精算分です。﹂
﹁あぁ、ありがとう。﹂
俺は受領印を押す。
次に広報、情シスに小口精算金を手渡しに移動する。
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﹁青山さん、ありがとうございます。あ、田中です。覚えてます?﹂
イントネーションもそうだが、やたら声のデカイ男だな・・・と俺
は、視線をくべた。
彼女は少し引き気味に小さく会釈した。
﹁青山さんて未だ2年目なんやてなぁ。幾つ?21?俺、浪人して
今24やねんけど。﹂
田中の相槌をしつつ、近くにいる社員の受領印をいそいそと貰う彼
女。
﹁何処に住んでる?俺は・・・。﹂
﹁青山さん!﹂
彼女が、名前を呼んだ吉岡の方を向く。
田中に”失礼します”と言って、開発の方に戻ってきた。
﹁はい、何ですか?﹂
﹁あ、良いの良いの。もう上に上がりな?﹂
﹁あ。すみません、有難うございます。じゃぁ失礼します。﹂
彼女が6階から居なくなると、吉岡が俺に
﹁部長、顔がこんな事になってましたよ?﹂
と、指で自分の両目を吊り上げて言った。
11
︻5︼
風呂上がりのビールを飲みながら、部屋の片隅のクリスマスツリー
を眺める。
もう5月だって言うのに、季節外れもいいとこだ・・・。
﹁心が安らぐ﹂
と言った。
穂積と云う完璧な程の男と居ると、自分を常に上げていないといけ
ない気がする。
現に俺は、穂積と居る時に”しっかり者”を演じている。
駄目な奴だと思われたくない。
肩を並べて歩きたい。
俺がそう彼女に告白した時に、彼女も言った。
﹁解る気がする﹂と。
彼女も同じ様に、穂積に弱い部分を見せる事が出来なかったし、
同等で居ようと、役に立ちたいと思ってた。
桐生に、体を差し出した彼女。
穂積を守りたいと云う気持ちは、羞恥心や罪悪感に苛まされた挙句、
酒に溺れた。
この頃から、俺の中での優先順位が変わってきていた。
12
14時、cafe gardenに彼女とは待ち合わせていたが、
俺は穂積をそれより
30分早い時間に呼び出した。
穂積は着くなり煙草を吸い始めた。
俺はランチのコーヒーに砂糖を入れて飲む。
﹁俺の話を聞いて貰いたい。大事な話だ。それから条件がある。
この話を聞かなかった事にして欲しい。﹂
勝手な話だったが、穂積は頷いた。
﹁・・・嘘だろ。﹂
俺の話を聞いた後の穂積の第一声だった。
友達の桐生がそんな事をした事が”嘘だろ”なのか、
愛する女が犯されそうになった事が”嘘だろ”なのか、俺には判ら
なかった。
どちらにしても彼女が苦しんでる事を穂積は1ナノも気付いていな
かったと言う事だ。
俺は店員に手を挙げ、テーブルの上のカップを片付けてもらい、灰
皿を新しい物に変えさせた。
そして新しいコーヒーをオーダーする。
﹁もう直ぐ14時だ。﹂
彼女がひどく気が回る事を俺はこの数ヶ月で学んだ。
﹁すみません、遅くなって・・・。﹂
彼女が14時丁度に店に訪れた時、俺達の前には、湯気の立つカッ
プが置かれていた。
13
﹁穂積さん。﹂
彼女が穂積に目を向ける。
﹁あの・・・もう直ぐクリスマスでしょ。穂積さんに何かプレゼン
トしたいって思ったんだけど・・・
思いつかなくて、水嶋さんに相談して・・・。﹂
﹁そーゆー事だよ、穂積。﹂
俺は煙草を口に咥えて火を点ける。
﹁・・・そっか・・・プレゼントなんて良かったのに・・・。﹂
穂積の笑顔の奥に暗い影が落ちていた。
そんな穂積を見たい訳じゃなかった。
14
︻6︼
﹁吉岡さん、又これ見せて貰って良いですか?﹂
﹁勿論、どうぞどうぞ。﹂
俺が営業先から戻ってくると彼女がキャビネットから家具カタログを
引っ張り出していた。
﹁・・・何してるの?この前も居なかった?﹂
﹁あ水嶋さん、お疲れ様です。﹂
﹁あぁお疲れ。﹂
﹁あの、まぁちょっと興味があって。﹂
歯切れの悪い返答だったが、まぁインテリア商社に勤める人間が家
具に
興味があるのはおかしくない話。
﹁あー青山さん!今日飲みに行きません?﹂
田中が又デカイ声で彼女を誘う。
﹁え、あ、うーすみません、今日はちょっと・・・。﹂
﹁ほな何時なら空いてる?﹂
﹁あーちょっと今は判んないです・・・。﹂
﹁青山。﹂
穂積が珍しく6階に顔を出す。
﹁あ、はい。﹂
﹁資料室の鍵、持ってる?﹂
﹁あっ。すみません、持ってます。﹂
彼女は小走りで穂積に近付く。
彼女が鍵を渡そうと手を伸ばすが、穂積は受け取らずに彼女の背中に
手をあてがい同行を求める。
それが自然で、俺は目を伏せたくなった。
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未だ、想い合ってる。
穂積と彼女は。
手に入れた筈の幸せは、頑張りすぎた事で良い子で居過ぎる事で終
わってしまっただけだ。
ダーツバーで俺は久しぶりに穂積と飲んでいた。
ダーツで穂積に負けた事は無かったのだが今日は既に何敗かしてい
る。
﹁邪念だな、水嶋っ。﹂
基本”負ける”事が嫌いな穂積は上機嫌だった。
﹁・・・駄目だ。田中のせいだ!﹂
﹁は?﹂
穂積はスタンドテーブルの上に両肘を乗せ、ジンライムを煽る。
﹁アイツ、青山さん青山さん、まぢで煩いんだよ。﹂
﹁田中?あぁ関西弁のな?青山狙ってるって本当なんだ、西野達が
又例の如く
給湯室とかで喋ってたのちょっと聞いたけど。﹂
﹁関西弁なのが又、鼻につくんだよなぁ何か。差別か?﹂
﹁まぁ相手にすんなよ、てか青山が相手にしないだろ?﹂
﹁余裕の発言って感じだな。﹂
﹁はは何だよソレ、余裕って。別れてもう結構経つのに。﹂
﹁でもお前の中では終わってないんだろ?穂積?﹂
俺はバーカウンターでウィスキーをオーダーする。
﹁何だぁ?水嶋酔ってる?﹂
16
俺はウィスキーを片手にテーブルに戻り、穂積の肩に手を乗せる。
﹁穂積ぃ。﹂
穂積の開きかけた口に俺は唇を覆い被せた。
17
︻7︼
彼女に言った。
”穂積とヤろうと思った事は無い”って。
だけど、確認だよ。これは確認作業。
唇を離して、穂積の顔を見たら鳩が豆鉄砲喰らった顔って奴をして
た。
俺は吹き出して笑ってしまった。
﹁っっみ、水嶋ぁぁ!!﹂
穂積の大声を初めて聞いた気がする。
俺はウィスキーを胃に流し込む。
体が一瞬で熱くなる。
不思議と心は、客観的に作業の報告を行う。
望と初めてキスをした時の様な感情は湧き上がってこない。
夏。
﹁青山さん、悪いんだけど、これから来客があるからお茶出して貰
って良い?﹂
俺は内線で青山さんに連絡をする。
﹁はい、かしこまりました。何時にお約束ですか?﹂
﹁14時なんで、宜しくです。﹂
18
あいみつ
真夏日で、お客は汗を掻きながらやって来た。
﹁今日は暑いですねぇ。﹂
このお客はうちを含め何社かの相見積を取っていて何処まで
下げれるかの交渉で訪れていた。
俺達が7階のミーティングルームに入ると、彼女が早々に冷たい麦
茶と
冷えたおしぼりをテーブルに出す。
彼女が退室すると、お客は
﹁これは有難い。﹂
そう言い、お客がおしぼりで首の後ろを一拭きした。
打合せは予定の1時間を超えた。
ミーティングルームのドアがノックされる。
﹁はい?﹂
俺が返事をし、振り返ると彼女が笑顔で入室してきた。
﹁失礼致します。﹂
来た時に出された麦茶のグラスとおしぼりを下げ、温かい緑茶を二つ
テーブルに置いた。
﹁素晴らしいですな、水嶋さん。﹂
﹁はい?﹂
﹁私がこちらへ来た時は麦茶だけではなく、おしぼりも用意し、又
今は
冷房で冷え切った体に温かい緑茶を差し出してくれる。
よく出来た女性社員がいらっしゃるようで羨ましい限りです。﹂
お客がにこやかに言う。
確かに体は冷えていたし、麦茶のグラスは既に空だった。
その翌日、このお客から今度の発注はうちにすると言う連絡が有っ
た。
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︻8︼
総務部は”梅雨明け宣言”がされたその日に納涼会をやるのが恒例
らしく、
今年は本部︵6、7階︶全体がそれに便乗する形で飲み会が開かれ
た。
・・・と言うか、それに乗っかりたかったのが情シスの田中だ。
総勢25名で、座敷二間を陣取っての納涼会になり、座席もくじ引
きで
決められた。
﹁青山さん、何番?﹂
﹁11番。﹂
﹁俺の隣やわ。﹂
彼女と田中のやり取りが耳に届いた。
くじを引く為に順番待ちをしている俺と吉岡は
﹁イカサマ臭いですね。﹂
﹁だな。﹂
と話をしていた。
﹁お疲れ。﹂
俺は肩を叩かれて振り返る。穂積だった。
﹁今日はお前酔うなよ?!﹂
・・・顔がまぢ過ぎる。
﹁ごめん初めてだった?﹂
俺が笑いながら言うと、吉岡が
﹁えぇ?初めてって何ですか?!﹂
と会話に加わって来た。
﹁・・・俺の名誉の為に聞かないで、吉岡さん。﹂
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穂積が眉をしかめた。
粗方くじを引き終わり、各々で座布団に腰を下ろす。
俺は、彼女の左隣。彼女の目の前が穂積、穂積の右隣が吉岡だった。
﹁青山さんは何飲む?﹂
﹁あたしはウーロン茶で。﹂
﹁えぇ?飲まれへんの?﹂
﹁うん、ちょっと今、断酒?﹂
﹁え?何で?願掛けとか?﹂
彼女がちょっと笑う。その後も田中がそれに食いついていたが、彼
女が
それに答える気配は無かった。
嫌でも田中の猛攻撃が、俺達3人には聞こえてきた。
﹁大阪行った事ある?﹂
﹁行ってみたいんだけど、未だ無いです。﹂
﹁ほな俺案内するし、一緒に行かへん?﹂
﹁はははははー。あ、穂積さん、それレモン絞って良いですか?﹂
﹁あぁうん。﹂
﹁水嶋さんと青山さんて、付き合うてるてホンマですか?﹂
田中の間髪入れない攻撃に持ち堪えていた彼女だったが、
流石に此処は直ぐにかわせなかった。
俺は、吉岡を見た。
この話の情報源はコイツしか居ないからだ。
すると手で口元を隠して肩を竦め”てへ?”みたいな顔をして見せ
た。
それに加え、穂積が俺の顔を見て目で何かを訴えている。
穂積には、吉岡に誤解されている事を未だ話していなかった。
21
凄い面倒な状況が巻き起こってしまった。
22
︻9︼
﹁田中、お前何しに会社来てるの?﹂
そう言ったのは穂積だった。
﹁仕事ですよ?仕事はちゃんとやってます。今はプライベートの質
問ですよ。﹂
穂積の一喝も田中には効いていない。
本来なら俺が此処で、付き合ってるけど何か?と言えば、この状況
を打開出来る。
だけど俺は、迷った。
付き合ったと言えば、彼女を助ける術になるけれど、穂積を傷つけ
るかもしれない。
付き合ってないと言えば、彼女は田中から逃れる事に足掻かなけれ
ばならない。
俺が言葉に迷っていると、彼女が口を開きかけた。
俺は。
彼女が何と言うのかを聞きたくて、沈黙を守った。
﹁お付き合いしてません。・・・今は、彼氏とかそういうの良いん
です。﹂
納涼会が終わると彼女は早々と駅に向かった。
田中は幹事だと云うのに、振られたショックなのかベッロベロに酔
っ払って
誰かに介抱されている。
吉岡が酒の回った紅潮した顔で、俺に指を指す。
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﹁何であんな事、青山さんの口から言わせるんですかっ?!﹂
﹁だ、だって本当に付き合ってないし・・・。﹂
﹁じゃぁ何で二人でイヴイヴに仲良く買い物なんてしてるんですか
?!﹂
﹁だからそれは・・・。﹂
言い掛けて、事の成り行きを見守っている穂積を横眼で見る。
﹁あれはたまたまあそこで会ったの!﹂
うわー俺すげー苦しい言い訳。
﹁・・・にしても、部長見損ないました。例え本当に付き合ってな
かったとしても
あそこは俺の女だから、ちょっかい出すな位の釘を田中に刺して
おくべきだったと
あたしは思います。青山さんだって、何時も困ってるじゃないで
すかっ!﹂
吉岡が二次会に流れた後、俺は穂積と無言なまま池袋の街を歩いて
いた。
﹁・・・吉岡の言う事は尤もだと俺は思う。もしかして水嶋、俺に
遠慮したの?﹂
﹁遠慮も何も・・・付き合ってねぇーし。﹂
穂積は”はいはい”って顔をする。
﹁”今はそういうの良いんです”か・・・。﹂
穂積が口にした、彼女の言葉。
胸が痛かった。
24
︻10︼
土曜日に客先に足を運ぶ為訪れた阿佐ヶ谷で、俺は思いついて
木下の会社に顔を出す事にした。
アイツの事だから休日返上で会社に居ると思ったからだった。
白い外壁の2階建てビル。
1階は大きな硝子張りで質の良いスツールがディスプレイされてい
た。
思った通り、灯りが灯っている。
ドアを引くと、話し声が聞こえた。
﹁凄い優しい方でした。﹂
﹁女には特にね。﹂
木下の特徴的な低音の声。
あれ、どっかで聞いた事のある声・・・。
﹁木下?﹂
俺は勝手に奥に足を進めた。
大判のパネルの向こうに、木下と彼女が居た。
﹁水嶋さんっ!﹂
﹁あれ何で・・・。﹂
﹁どうしたの急に?﹂
木下が椅子から立ち上がり、俺の方に向かって歩いてきた。
﹁や未だ、事務所見た事無かったし、たまたま近く来たから・・・
何で青山さんが?﹂
﹁彼女、家具に興味があるみたいであたしが情報提供とかしてる、
そんな仲だけど?何か問題ある?﹂
家具。
彼女の指は分厚いカタログのページを捲りかけていた。
25
﹁あ、水嶋、車持ってるよね?青山さん、茨城のアンティークショ
ップ
水嶋に連れて行って貰ったら?﹂
﹁え?!駄目ですよ、そんな大丈夫です、何とか電車で行きます。﹂
﹁良いじゃない、どうせ暇なんでしょ?土曜日にあたしの所に来る
ような男なんだし。﹂
木下が笑う。
本当にコイツ変わってない。
﹁吉岡からメール来たよ、水嶋を見損なったって。﹂
俺は頭を抱える。
吉岡は木下崇拝者だった・・・。
彼女には今の会話は理解出来ていなかった様だった。
﹁行きます。茨城行きます。﹂
﹁て事よ。水嶋が行くって言うんだから遠慮しないで色々見てくる
と良いわ。
店長が知り合いだから一本連絡しとく。で、明日で良いの?﹂
木下の行動力は益々磨きをかけていて、俺は彼女と明日、茨城迄
遠出する事になった。
中央線に乗り込み、俺達は隣り合って座る。
﹁何か・・・すみません本当に明日良いんですか?﹂
﹁うん良いの。﹂
彼女が声を立てて笑う。
﹁木下さんの前だと、子犬ですね。﹂
彼女の笑顔に癒される自分が居る事に気付く。
26
︻11︼
﹁あのさ、この前さ。ごめんね、俺がちゃんと田中に釘刺すべきだ
った。﹂
﹁えー良いんですよ。あたしこそ何か水嶋さんに迷惑かけちゃって。
穂積さんと気まずい雰囲気になってないですか?﹂
彼女は、俺が穂積に恋愛感情を抱いているのを知っている。
自分が無防備になるのを理解した上で俺の為に、田中にあの情報が
嘘だと言ったのだ。
俺の心配をしていた。
俺は、自分を恥じる。
穂積を傷つけるかもしれないからと俺は口を噤んだ。
結局俺は自己防衛したんだと思う。
一瞬でも穂積を傷つけて、そんな穂積を見るのが辛いから
俺は田中に、何も言えなかった。
”付き合ってない”と言えば、彼女が苦しむだろうとも思った。
そんなのは驕りにしか過ぎなかった。
俺が、俺の口から”彼女と付き合ってない”と言い切るのを避けた
かった。
ただ、それだけだ。
彼女との僅かながらの繋がりを断ち切りたくなかった。
27
﹁水嶋さん?﹂
﹁あ・・・うん、大丈夫。﹂
﹁飴食べます?﹂
バッグの中から、ごそごそと何個かの飴を取り出す彼女。
無邪気な笑顔で
﹁好きなの、どうぞ。﹂
と言う。
小さな掌に数種類の飴が転がる。
思わず俺は彼女の掌ごと、包み込んだ。
﹁・・・みず・・まさん・・・?﹂
﹁全部。﹂
俺は笑って飴を一粒残らず、手中に収めた。
又、彼女が笑う。
彼女の笑った顔が大好きだ。
ダーツバーで穂積にキスをしたあの夜、俺は携帯の待受画面を何年
振りかで変更した。
穂積の腕時計を映した写真の待受。
解る人にしか解らない。
彼女には、解ってしまったのだけれど。
俺は、ソファに座りながら灯りの灯らないクリスマスツリーを携帯
のカメラで写した。
28
﹁センスの欠片もねぇー。﹂
29
︻12︼
日曜日は雲がかかっていて幾分、過ごし易かった。
池袋の駅で俺は彼女をピックアップして、茨城に向かった。
この事は、穂積には言わなかった。
知られたくないと思った。
穂積を傷つけるかもしれない、そんな優しい気持ちじゃない。
俺が今日の彼女を独占したいと、本心でそう思ったからだった。
休日の彼女を。
﹁やっぱり、私服だと感じ変わるね、青山さん。﹂
﹁水嶋さんも、32歳には見えないですよ?﹂
﹁やな感じぃー。﹂
途中、高速のサービスエリアで休憩に入る。
﹁トイレ行ってきます。すみません。﹂
﹁じゃぁ自販の所に居るから。﹂
﹁はい。﹂
彼女が小走りで去った後、俺は彼女の部屋で見た、穂積との隠し撮
りされた
写真の映像を思い返す。
穂積の左手と彼女の右手が繋がっている背後から撮った写真だった。
サービスエリアじゃなくて、高速乗る前にコンビニに入るべきだっ
たと俺は後悔した。
場所は違えど、嫌な思い出が彼女の脳裏に過って無ければ良いんだ
けど・・・。
30
﹁水嶋さん、買わないんですか?﹂
何時の間にか俺の右隣に居る青山さんに驚いた。
﹁おわっ、か買うけど?﹂
﹁おわって・・・。水嶋さん、どうせコレでしょ、カフェオレでし
ょ?﹂
﹁・・・違いまーす。﹂
そう言い俺はペットボトル入りのお茶を買う。
﹁えぇお茶とか飲むんですか?!﹂
﹁飲むだろ。青山さんは?キールは無いけど。﹂
彼女が又、笑ってる。
﹁良く覚えてましたね!あたしはミルクティー。﹂
彼女の細く白い指がボタンを押す。
缶を取り上げる時に彼女が屈み、不可抗力で胸元が目に入ってしま
った。
身体が一気に熱を持つのが自分で解る。
彼女の体に欲情したのはこれが初めてじゃない。
俺は無意味に咳払いをし、車に戻ろうとする。
すると彼女がちょこちょこと俺の右隣に移動してきた。
﹁?﹂
彼女は周りの景色を見ていて、俺の視線には気付いていなかった。
車が走り出すとドリンクホルダーに置いたペットボトルの蓋を彼女
が何も言わずに開封する。
自然なまでの彼女の気遣いが俺の心をくすぐる。
その反面、穂積の車でもそうしたんだろうと邪心が頭をもたげる。
31
︻13︼
大きな駐車場に車を停め、ショップ内に入るとヒンヤリとした。
店自体は、だだっ広かった。
﹁アンティークとか扱ってるから空調とか気をつけてるんですかね
?﹂
彼女は興味のある物全てに直に触れ、多くの商品を記憶に留めよう
としている様に見えた。
俺はただ黙って彼女の後ろを歩く。
時折、バッグの中から取り出したメモ帳らしき物に書き込みをする。
﹁何メモってんの?﹂
﹁・・・何時か買えたら良いなリスト。﹂
彼女は恥ずかしそうにちょっと笑った。
彼女がメモを取ったテーブルのプライスカードを見ると45万と書
かれていた。
・・・流石、アンティークショップ・プライス・・・。
傍目に使い古した感たっぷりのオーク材のテーブルだった。
しかも、サイドについている引き出しの取っ手は木が削れている。
俺は、彼女が満足するまで付いて回った。
彼女が俺を気遣ったのは、此処に来て3時間近く経つ頃だった。
﹁うわっ水嶋さん!﹂
﹁うわって・・・さっきから居ますけど、俺。﹂
﹁お腹空きました?てかもう帰りたいですよね?﹂
﹁お腹は空きましたけど。別に帰りたいとは思ってないです。﹂
彼女が携帯で時間を確認する。
﹁13時38分です、水嶋さん。﹂
﹁解ってます。﹂
﹁・・・もうちょっと待って貰って良いですか。コレあげますから。
32
﹂
彼女は俺に、一口サイズのチョコレートを何個か手渡す。
﹁良いよ、好きなだけ。ちょっと外行って煙草吸ってくる。﹂
﹁ありがとうございます!﹂
彼女は子供みたいに、又店内をウロウロと見て回り始めた。
俺は車のドアを開けた。モワッとした空気が吐き出される。
サイドブレーキの横の煙草を手に取る。
彼女の飲みかけのミルクティーの缶が目に入った。
俺は無意識にその飲み口に指を滑らせる。
携帯が急に震えて俺は慌てて手を引っ込める。
携帯会社からの配信メールだった。
俺は車に寄り掛かり、チョコレートを口に放り込んだ。
俺の中の熱でそれは直ぐに融けた。
33
︻13︼︵後書き︶
いつもお読み頂き、有難うございます。
この作品の前身であります﹁今日も明日も。﹂が総PV:5万アク
セスを超えました。
本当に本当に感動・感謝の気持ちでいっぱいです。
これからも宜しくお願い致します。
*** 壬生 ***
34
︻14︼
﹁これもし良かったら。﹂
喫煙所で煙草を揉み消していた時に、彼女はやって来た。
彼女が俺に手渡したのは、シルバーのダイスがついたキーホルダー
だった。
﹁車のキーにどうかと思って。﹂
﹁キーホルダーなんて売ってたの?﹂
﹁キャッシャーの近くにオイルライターとか、アクセとかが置いて
あって。﹂
﹁・・ありがとう、・・・。﹂
ありがとう、青山さん
はば
のぞむ
名前を呼ぶのも憚かれた。
この癖は元々、望のものだった。
はる
望の声で﹁おいで、温。﹂そう言われたら、心も身体も疼いた。
それが少しでも穂積に伝わらないか、そんな淡い期待で俺は穂積の
名を呼び続けた。
届いたか否かは解らないが、穂積にその癖が伝染した。
そして、彼女の心がそれにくすぐられたのだ。
﹁お腹空きましたよね、長々とお付き合いして頂いてありがとうご
ざいます。﹂
﹁近くに何かお店あるか探そうか。﹂
俺は携帯を取り出す。
﹁来る途中のコンビニでもあたしは良いですけど、手っ取り早く。﹂
﹁・・・コンビニ・・・って。﹂
35
結局、彼女の言うままイートインスペースのあるコンビニで遅い昼
食を取る事になった。
﹁いただきます。﹂
彼女は今、買ったばかりのサンドイッチを口に頬張った。
本当に美味そうに食うよな・・・。
俺は、おにぎりのフィルムを剥がす。
﹁・・・水嶋さん、おにぎりにカフェオレって・・・。﹂
﹁俺は全然イケますけど。﹂
﹁やーイケませんよ、それは。お米に甘い物って・・・。﹂
﹁おはぎが邪道と言うのか。﹂
﹁それは言いませんけど・・・。てか水嶋さんって本当に面白い人
ですね。﹂
俺はカップの中から暖かい唐揚げを爪楊枝ですくい上げる。
﹁サンドイッチのサイドメニューが、みたらし団子もどうなんです
か?﹂
﹁サイドじゃありません、デザートです。﹂
﹁力説しないでよ、青山さん。﹂
あ、言っちゃった。
﹁あー水嶋さんのそれ、久々に聞いたー。何々だよ、青山さん。﹂
﹁・・・そうかぁ?﹂
﹁・・・水嶋さん、あたしより、あたしと穂積さんとの事引き摺っ
てません?﹂
﹁君は?・・・君は引き摺って無いの?﹂
彼女は、2個目のサンドイッチを手にした。
36
﹁今、穂積さんにあの時と同じ様に恋をするかって聞かれたら、き
っとしないって
答えます。あたしの中の穂積さんへの恋は完結したから。﹂
37
︻15︼
彼女はそうはっきりと言った。
ここらへんが女の方が強いと言われる所以だろうか・・・。
穂積の気持ちは未だ終わってない事を俺は知っている。
それを知ってもなお、彼女は今の台詞を言うのだろうか。
﹁本当に、大丈夫なんです。泣きましたよ?泣きました。・・・苦
しい気持ちを誤魔化せないなら、
自分で乗り越えるしかないんだって思ったんです。﹂
伏し目がちにそういう彼女。
決して簡単に”完結”した訳ではないのだ。
そうしようと彼女が前進したんだ。
俺はとことんズルイ男だな。
彼女のその気持ちを確認して、前に進もうとする。
高速に乗り、彼女を中板橋のアパートまで送り届ける。
彼女がシートベルトを外しながら、
﹁お茶でも飲んで行きます?﹂
笑顔で言う。
俺は少し呆れ顔で答える。
﹁だから男にそういう事を簡単に言うなって。﹂
﹁男って・・・。﹂
彼女がちょっと笑いながらそう言って、口を閉じた後俺から視線を
逸らした。
38
彼女の中で、俺は男ではない。
﹁まぁ俺だから、良いけど。﹂
ただのズルイ男だ。
﹁気をつけます。今日は本当にありがとうございました。﹂
彼女は車を降りた。
秋。
﹁あれー水嶋さん?!﹂
﹁タマちゃん!﹂
吉祥寺駅に向かう途中、俺は彼女の友達と偶然の再会をした。
﹁今日も仕事ですかぁ?﹂
﹁今日はちょっとお客さんのお店がオープンの日で顔出しに。﹂
﹁へぇー・・あ。優衣、この人が奏んとこの水嶋さん。前に話した
よね?﹂
﹁こんにちわ。﹂
彼女ともタマちゃんとも少し雰囲気の違うユイちゃん。
性同一性障害だったと聞いている。
﹁こんにちわ。青山さんは一緒じゃないの?﹂
﹁奏は今日は試験って言ってたよね?﹂
タマちゃんがユイちゃんに同意を求める。
﹁試験?﹂
﹁あれ何だっけ?インテリア・・・。﹂
﹁インテリアコーディネーターでしょ?﹂
39
﹁うん、そうそれそれ。﹂
俺は寝耳に水といったとこだった。
40
︻16︼
立ち話も何だねって事になり、俺達は近くのコーヒーショップに立
ち寄った。
﹁青山さんが資格取得するなんて初耳だったなぁ。﹂
﹁・・・穂積さんと別れた後に勉強始めたみたい。﹂
タマちゃんがカップに口をつける。
﹁水嶋さん・・・あたし前に、奏が倒れた時に水嶋さんを責めるよ
うな事
言っちゃって・・・優衣に言ったら”それは違うんじゃない?”
って
諭されちゃったよ・・・。あの時はすみませんでした。お門違い
でしたよね。﹂
穂積に用事があり7階に行くと、彼女はパソコンの画面を目の前に
静止していた。
瞬きも呼吸も忘れている様にさえ見えた。
﹁青山さん?﹂
肩に手を置くと彼女が振り返った。
余りの顔面蒼白振りに思わず俺の方がたじろいだ。
その時、彼女は素早くマウスを動かした。目の端でデスクトップが
動くのを捉える。
﹁は、はい。何ですか。﹂
﹁穂積は?﹂
﹁え?﹂
41
彼女は左斜め前の席に目をやった。
﹁あ・・・すみません、ちょっと判らないです・・・。﹂
﹁・・・そっか。てか顔色悪いけど?﹂
彼女は右手で顔を隠すようにし下を向く。
指が震えてるのが見て取れた。
﹁・・・青山さん?﹂
﹁だ大丈夫です。﹂
彼女は俺を避けるように席を立った。
その背中が見えなくなるまで見送ると、俺は躊躇いながらも彼女が
触れていた
マウスに手を乗せた。
最小化されたものをクリックすると、画面いっぱいにメール受信画
面が開かれた。
そこには、穂積が子供の命日で休みを取ると云う情報が書かれてい
た。
俺はメールを閉じる。削除した。
彼女は知ってしまった。
穂積が話したくなかった過去を彼女は知ってしまった。
桐生の手によって・・・。
その時、廊下の方から誰かの声がした。
﹁誰か!青山さんがトイレで倒れてるの!!﹂
俺はその至近距離を走り、彼女を抱え上げるとビル内のクリニック
に運び込んだ。
待つ間に、総務の女性に彼女の帰り支度をさせ、タマちゃんに連絡
42
を取り、診察が終わると
俺は穂積に知られない内に彼女を営業車に乗せ中板まで送った。
倒したシートの上で、意識の無い筈の彼女の瞳から一筋の涙が頬を
伝っていた。
43
︻17︼
彼女のバッグから鍵を探し出し、解錠する。
ソファに寝かせた。
俺は彼女の涙の痕を、親指で静かに撫でた。
部屋のドアノブがガチャリと音を立てる。
﹁・・・み、水嶋さん、奏は?!﹂
タマちゃんは息を切らし、彼女の容態を伝えると、安堵の表情を見
せた。
タマちゃんは制服の彼女を適当な服に着替えさせる。
アイツ
俺はその彼女を背負うとロフトへと上り、布団へと寝かせた。
暫くそこを動けなかった。
桐生に対する激昂も否めない。
けど、此処まで追いつめていたのは桐生だけか?
俺もその一人じゃないのか?
そんな思いが頭を渦巻く。
俺が重い足取りでロフトの階段を下りると、タマちゃんがテレビ下
のキャビネット
から何かを取り出していた。
﹁・・・奏に何があったの?!﹂
余りの声量に俺は驚いた。
﹁た、タマちゃん、青山さんが起きちゃうから・・・。﹂
タマちゃんは立ち上がり、俺にその何かをぶつけた。
44
写真だった。
﹁奏を何だと思ってるの?!﹂
フローリングの上に散らばった写真に目を落とす。
何時しか見た事のある穂積と彼女の写真だけでは無いようだった。
”奏を何だと思ってるの”
こた
彼女なら、越えられると?
穂積の愛に、彼女なら堪えきれると?
﹁あたしは、穂積さんが奏を守ってくれると思ってた。水嶋さんも、
自分の気持ち
差し置いても”駒”になるって言ってくれてた位だから、奏の力
になってるんだと思ってた。﹂
気付くと手の中のカップは空になっていた。
﹁それなのに、奏は一人で辛い事、気持ち全部抱えてた。・・・結
局、浮気の女はそんな位置づけ
なのかなって・・・悔しかったし、穂積さんも水嶋さんも口だけ
かと思った。﹂
﹁穂積は、彼女を浮気相手だなんて思ってない・・・。﹂
45
口の中が乾燥しきってカラカラだ。
46
︻18︼
優衣ちゃんがタマちゃんの話を引き継ぐ。
﹁言えば、穂積さんも水嶋さんも苦しむのが解ってる。だから 二
人には絶対言わなかったし、
覚らせなかった。そういう子なんです。何も言ってくれなくても
どかしい思いをした事もあったけど、
それでもやっぱりあたし達が居てくれるって奏は信じてるから、
自分の意思を必ず通して来た。
本当に耐えられなくなった時に、傍に居たら奏は救われる。﹂
21歳になるかならない女の子が言う言葉だろうか。
20年しか生きていない女の子が、一回りも上の大人の男を気遣え
るものなんだろうか。
﹁だから水嶋さん達はいっこも悪くない。だからあたしが水嶋さん
を責めた事ゴメンナサイ。﹂
タマちゃんが頭を下げる。
頭を下げるのこっちの方だ。
店を出て、タマちゃん達は買い物の続きで俺とは反対方向に歩きだ
そうとする。
優衣ちゃんが振り返って、俺に言った。
﹁勝手な事言ってるの解ってます。でも言っておきます。奏を見て
て下さい。﹂
﹁え・・・。﹂
優衣ちゃんが少し困った様に微笑む。
47
﹁・・・違ったかな。あたし結構、鋭い感性持ってるんですけど。﹂
俺は二人の背中を見送った。
手を振っていた左手を力なく落とした。
違ってない。
違ってないんだ。
俺の中にあった筈の空間は、彼女でいっぱいなんだよ。
﹁部長、これ何掛けで見積もり出しますか?﹂
吉岡が紙をペラペラとさせながら、訊ねてきた。
﹁量産は特値貰ってそれに1円プラス。タイルはうーん・・・厳し
いな。﹂
俺はメーカーから届いた見積書に目をやる。
﹁水嶋さん。﹂
独特のイントネーション。
電卓を叩く指を止めて、情シスの方を見た。
﹁今日、青山さんと飲みに行くんですけど、一緒にどうですか?﹂
﹁あたし!あたし行きたい!田中と青山さん以外、誰来るの?﹂
吉岡がグンと左手を上に挙げた。
﹁穂積部長。﹂
﹁え?!何でその二人の中に田中なのよっ!﹂
﹁やぁー聞いて下さいよ。ランチん時に青山さん誘いに行ったら、
穂積部長も傍に居て、
”あ俺も行く”って・・・俺、駄目やねん、部長のあの眼が。め
48
っちゃ頷いてしもたわ。﹂
﹁じゃー、水嶋さんも行きましょうよ。穂積さんも一緒なんだし。﹂
﹁あーうーん、そうだねぇ。﹂
心中穏やかでは無い。
それでも俺は平静を装う。それくらいの技術は身についてる。
49
︻19︼
﹁カンパーイ!﹂
田中が末席で場を盛り上げようとしていた。
その隣は少し小さくなってる彼女。そして吉岡。
﹁未だ願掛けしてんのん?﹂
﹁うん。﹂
彼女はウーロン茶に口をつけた。
何で彼女も、田中の誘いをきっぱり断らないのかな。
やっぱり寄り掛かる誰かが欲しいのか・・・。
﹁田中はどう半年経ったけど、仕事慣れた?﹂
穂積が煙草に火を点けながら聞いた。
箱の上に置かれたライターは、彼女からのプレゼントだ。
俺は目を疑った。
彼女にソレを見せるか?普通。
彼女はそれに気付いてる。気付いてない訳ないんだ。
﹁はぁぼちぼちですかね。慣れて自分がやるべき事を理解出来てき
たって感じです。﹂
﹁そうか。青山は?﹂
﹁1年の流れは掴めました。なので後はどれだけ山本さんのサポー
トを自分から出来るかなぁ
って最近は思ってます。﹂
﹁立派ー!あたしが1年半の時どうだったかなぁ。﹂
吉岡がスティックサラダにディップをたっぷりと付けている。
﹁吉岡さんも立派だったよ、木下の下だったし、そう成らざるを得
50
なかった。ね?﹂
﹁ははー木下主任は仕事は見て覚えろって言う人ですから!﹂
彼女が田中に小さい声で”木下”についてレクチャーしている。
田中は彼女の声が届く距離に身を寄せている。
﹁厳しい人の下で働くと育つんですかねぇ?﹂
﹁俺、優しいよ?ね?青山。﹂
﹁え・あ・・あ。ハイ。﹂
微妙な生々しい雰囲気だった。
俺は店員に生ビールを注文する。
﹁4つ。﹂
ドンッとテーブルの上に運ばれてきたビールグラスを彼女がそれぞ
れに配った。
俺の前のビールは、俺の左側、取っ手も左側に置かれた。
自然に左手でそれを掴む。
彼女の顔を見た。
彼女が俺にちょっと笑う。
彼女は、俺が左利きなのを知っている。
何処まで人に気遣いして生きていくんだろう。
51
︻20︼
田中は穂積のペースに呑まれてか饒舌になり、グラスもどんどん空
けていた。
﹁おい、こいつの介抱、誰がすんだよ??﹂
﹁タクシーに乗せちゃえば良いじゃん。﹂
穂積はシレっとしてる。
こいつなりの彼女に纏わりつく田中への鉄槌か・・・?
﹁青山さぁぁん、俺、ホンマに・・・。﹂
そう言い田中は、次の瞬間、彼女の身体に腕を回し抱きついていた。
﹁ちょっ!!﹂
﹁や・・いやっ!!こわ・・っっ!!﹂
彼女が力の限り、田中を押し退けた。
田中の体が、引力に導かれるまま床へと落ちた。
脱兎の如く、彼女は店を後にした。
俺は追いかけたい衝動を、穂積へ向ける視線で消滅させた。
穂積は立ち上がり、落ちた田中の頬に軽い平手を張った。
﹁やり過ぎんな。﹂
そして、彼女の後を追った。
吉岡が穂積から俺に視線を移して言った。
﹁・・・何で穂積さんが。﹂
﹁上司でしょ、青山さんの。﹂
52
俺は田中の上体を起こす。
﹁田中ー。﹂
田中は夢の中だった。
﹁会計しよっか。俺コイツ背負ってタクシー乗せるから。立て替え
てくれる?吉岡。﹂
﹁あ、はい・・・。﹂
タクシーに何とか田中を乗せ、駅に歩こうとする俺の手に何かが握
らされる。
﹁青山さんの携帯。下に落ちてたんで、水嶋さんが返して下さい。﹂
﹁何で・・・。﹂
﹁じゃぁ渡しました。お疲れ様です。﹂
吉岡が踵を返す。
俺は街を歩きだした。
穂積の携帯を鳴らすのは躊躇われる。
二人の間に何が起きてるのか・・・それを考えたら、簡単にボタン
は押せなかった。
手の中の彼女の携帯。
俺は携帯を両手で強く、強く握った。
彼女は、穂積への想いを断ち切ろうとしてるんだろ・・・。
二人っきりにして、どうすんだよっ!!
53
﹁・・っ!くそっ!!﹂
上着のポケットから携帯を取り出し、リダイヤルから穂積の番号を
押す。
54
︻21︼
二人は会社の前の大道路に面するガードのパイプに座っていた。
二人の距離、1メートル強。
﹁携帯、忘れてたよ、青山さん。﹂
﹁・・・ありがとうございます・・。﹂
鼻をすする音がした。
﹁田中さん・・・あの・・・帰りました?﹂
こんな状況でも田中を心配する所が彼女らしいと思った。
﹁うん、タクシーに乗せたよ、吉岡も電車で帰ったから。﹂
﹁そうですか・・・。怪我してないと良いんですけど・・・。﹂
何処かのクラクションが、救急車のサイレンが、ネオンが夜の池袋
を演出している。
﹁押ボタン式の信号あるでしょ?あれ、二人はどうする?﹂
穂積が唐突に脈略の無い事を言い出した。
﹁俺は、速攻押すけど、青山は?﹂
﹁え・・あたしは流れが切れないかちょっと待ってから、やっぱり
押すかな・・・。﹂
﹁水嶋は?﹂
﹁え?俺・・・。﹂
﹁水嶋は、流れが切れるのを何時までも待つタイプだろ。﹂
﹁何、急に、穂積。﹂
55
俺は穂積の発言の意図を探ろうとしていた。
﹁俺は押すよ、自分の為に、自分の意思で。水嶋。﹂
彼女の視線が穂積と俺の顔を何度も行き来していた。
彼女にも穂積の言わんとする事が理解出来ないのだろう。
﹁お前は車の流れを切るのが申し訳ないから、押ボタンを押さない
んだろ?
でも、こんだけ大きな流れが切れるのは、もっと朝方になってか
らだ。
お前は向こうに渡る為に、どれだけの時間を無駄にするの?﹂
俺の理解が深まる前に、穂積は歩き出した。
﹁じゃぁ、ちゃんと青山、駅まで送って。﹂
すれ違いざまに穂積は俺の肩を叩いた。
﹁どうしたんですかね・・・穂積さん、急に。﹂
﹁あ・・うん。何だろう・・・。﹂
俺達は並んで、駅まで歩いた。
俺の右側を歩く彼女の手に触れたいと、俺の右手の神経がピクリと
何度も動く。
それは果たせないまま、駅へと着く。
自分の意気地の無さを呪いながら、一縷の望みを辿る。
﹁・・・アパートの前まで送りたいんだけど。﹂
﹁あ、アパート?・・・線、違いますよ?﹂
﹁知ってますよ。東武東上線でしょ?﹂
﹁水嶋さん、隣の駅じゃないですか・・・大丈夫ですよ?あたし。﹂
56
﹁東上線、何処だっけ。﹂
彼女にきっぱりと断られない様に、俺は切符売り場を足早に探す。
57
︻22︼
電車に乗り、二人分の座席を確保した。
﹁珠紀と優衣に会ったとか。﹂
﹁え?あ、タマちゃんに聞いた?﹂
﹁・・・資格の話も聞きましたよね?﹂
﹁うん全然知らなくて、木下の影響?﹂
俺の右腕に彼女の腕が触れているのが、スーツ越しにも伝わってき
た。
﹁それもありますけど。落ちたら恥ずかしいから、会社の人には内
緒に
してたのに・・・珠紀、本当にお喋りで・・・。﹂
彼女は軽く握った右手を笑う口の前に当てた。
﹁勉強しようって思う自体、凄いと俺は思うよ?仕事して、自分の
家の事もやって、
その合間で時間作って勉強するんでしょ?落ちても恥ずかしくな
んかないよ。﹂
彼女を見ると、彼女が優しく笑う。
﹁・・・水嶋さん、ありがとう。前々から思ってたんですけど、水
嶋さんって
あたしが欲しい言葉知ってるみたいに、それをくれる人なんです
よね。﹂
﹁そうかぁ?﹂
﹁そうなんですー。あたしの心が読まれてるのかと疑いました。﹂
58
俺のオドケタ口調に彼女も便乗する。
俺は口約通り、彼女をアパート迄送り届けた。
﹁・・・青山さん、あれ・・・何か。﹂
﹁燃えてますね・・・。﹂
﹁ですね・・・。﹂
﹁はい危ないですから近寄らないで下さいっ!!﹂
﹁あの・・・あたしこのアパートの202号室に住んでる者なんで
すが。﹂
俺達の前を遮った消防士の男が、目を見開き、
﹁大家さん!!住居者の方、いらっしゃいますっ!!﹂
と大声で叫んだ。
オオヤさんと呼ばれた恰幅の良いオジサンが額いっぱいに汗を掻き
ながら
こちらへ近寄ってきた。
﹁青山さん!!401号の高瀬さん所から出火してねー、402も
もう駄目みたいなんだよねぇ。﹂
﹁怪我人はいらっしゃらないですか?!﹂
﹁高瀬さんがさっき病院に運ばれたけど命は大丈夫そうなんだって
よぉ。あぁあぁ・・・。
火災・・・ローン・・・保険・・・何て事だぁぁ。﹂
木造二階建ての彼女のアパートは火災によって半壊状態だった。
59
︻23︼
彼女の部屋は幸い無事だったが、アパート全体は見るも無残な状態
でとても寝泊まりなど不可能。
﹁青山さん、鎮火はしたんだけど、これから何か色々調べたりする
らしくてねぇ、
明日の朝には連絡するから、今日はその人とどっか泊まってねぇ
ぇ。﹂
オオヤさんは慌ただしく、オロオロしていた。
﹁その人とって・・・。﹂
﹁その人とって・・・。﹂
彼女と俺の言葉が重なり、俺達は顔を見合わせた。
﹁・・・取り敢えず、俺んち泊まれば?青山さん。﹂
躊躇う彼女を俺は説き伏せ、俺のマンションへと呼び寄せた。
入室直後、彼女は直ぐにツリーに駆け寄る。
﹁わーコレ飾りっぱなしなんですかぁ??﹂
﹁・・・うん、何か部屋に緑が無かったから・・・水やりとかしな
くて良いし
目の保養になるかと思って。﹂
俺はスーツからスウェット上下に着替えて、キッチンでお湯を沸か
し始めた。
60
﹁何か食べる?﹂
﹁・・・もう25時ですが。﹂
﹁腹減ったし。﹂
簡単に炒飯を作り、テーブルに二つ皿を並べた。
﹁いただきます。﹂
彼女が俺より早く、手を合わせる。
﹁食うんじゃん。﹂
﹁美味しぃぃー!﹂
彼女に作った炒飯を、彼女が美味そうに食べた。
暖かい時間だと、俺は思った。
﹁それにしても、新しい部屋探さないとだー。﹂
彼女が食べ終わった皿を2枚、キッチンへの流しに持って行きなが
ら、ぼやく。
﹁此処に居て良いよ、見つかるまで。﹂
﹁えっ、そ、それはとんでもないですっ。取り敢えず今日は避難さ
せて頂きましたがっ。﹂
﹁だって二次試験の勉強もしたいんでしょ?﹂
何かを言い返そうとする口を噤む。
﹁・・・なるべく早く出て行くようにしますから。﹂
彼女と共有の時間、共同の生活が始まった。
61
︻24︼
その夜、二人でDVDを観た。
ソファに寝ると言う俺を、彼女が承知する訳もない。
結果、二人でソファに並んで座りテレビ画面に視線を向けていた。
一本観終わると、気まずい空気が流れた。
﹁・・・ベッドで寝なよ、青山さん。﹂
﹁本当に此処で大丈夫ですから!水嶋さんこそお疲れでしょうから
どうぞ休んで下さい・・・。﹂
﹁おっさん扱いですか?﹂
﹁ちっちがっ・・・。﹂
﹁じゃあ一緒に寝よっか、ベッドで。﹂
彼女の動きが止まって、見る見るうちに顔が赤く染まった。
﹁は。はは・・ははは・・・やー駄目ですよーあたし、水嶋さん
蹴ったり、布団取ったりしますからーっ・・はははー。﹂
彼女の視線は宙を泳いで、思考回路のピッチは細く遅くなっている。
俺は左手で口元を隠し、少し口角を上げてしまった。
﹁俺、風呂入ってくるから適当にしてて。﹂
俺はソファを立ち、サニタリールームに足を踏み入れた。
彼女の小さな溜め息が聞こえた。
暫くしてリビングに戻ると、彼女はソファで寝息をたてていた。
62
抱え上げた彼女の体は、以前にも増して軽くなった気がする。
クィーンサイズのベッドで彼女が横たわる。
彼女が此処で眠るのは3回目だ。
ひざまず
俺は、床に跪き彼女の肢体に布団を静かにかける。
想う人の寝顔は、心を締め付ける。
届かないと想うから痛みだと思うんだ、きっと・・・。
伸ばし掛けた手を、俺は強く握り締める。
立ち上がり、ベッドルームの常夜灯を消す。
ほんの少し彼女の体温が残るソファに腰を落ち着かせた。
昨年12月23日。
ひと
俺は大切な穂積の彼女に、罪を犯した。
63
︻25︼
何かの音と、良い匂いが漂ってきて俺は重い瞼を瞬かせる。
身体を起こし、キッチンを見ると彼女が料理をしている様だった。
﹁おはよ・・・。﹂
﹁あ水嶋さん、おはようございます。今、目玉焼き作ってるんで
顔洗っちゃって下さいねー。﹂
﹁あ、はい。﹂
俺は半分寝ている頭を冷たい水で強引に起こす。
横で洗濯機が音を立てている。
少し開いたバスルームのドアから、石鹸の香りがした。
﹁水嶋さん、ソース無いの?﹂
俺がテーブルに付くと彼女が冷蔵庫を開けながら聞いてきた。
﹁無いけど、何で?﹂
﹁あたし目玉焼きソースなんですよねー。ケチャップで我慢するか・
・・。﹂
﹁うわぁ・・・ケチャップって・・・ソースって・・・。﹂
彼女はコーヒーカップを二つとケチャップをテーブルに置く。
﹁え、水嶋さん何派ですか?醤油?﹂
﹁塩だよ塩っ!﹂
﹁ふーん。﹂
﹁・・・何ですか、そのどうでも良いみたいなレスポンスは。﹂
彼女は笑って、牛乳と塩も追加して持ってきた。
﹁半熟加減が上手い。﹂
﹁へへー極めました。﹂
64
彼女の作った朝ご飯を食べる。至福以外の何物でもない。
それは決して永遠では無いのだろう。
彼女の携帯にアパートの大家から、取り壊す事が決定したとの事で
荷物をこの土日で運び出して欲しいと電話が有った。
大した荷物も無い彼女の引っ越しは俺の車一台で事足りた。
殆ど使う事のないゲストルームが彼女の仮住まいの居室へと変わっ
た。
しかし彼女は段ボールを殆ど開けようとしなかった。
長居はしないと決めているのだろう。
65
︻26︼
﹁お茶にしようか、青山さん。﹂
﹁あ、はい、あたしやります。﹂
﹁良いよ座ってて。﹂
彼女の前にカフェオレを差し出す。
﹁ありがとうございます。あの・・・お世話になる間の宿泊料って
言うか・・・。﹂
俺は口に流したカフェオレを吹き出しそうになる。
﹁ごほっ・・しゅ・・宿泊料って・・・。要らないよ金なんて。﹂
﹁あの・・・それじゃぁあたしの気が済まないので・・・。だって、
電気だって
水道だって使うし・・・。﹂
確かに・・・彼女の気は済まないだろうなぁ・・・。
俺は考えた末にこう提案した。
﹁じゃぁ青山さんが此処に居る間は、なるべく青山さんがご飯作る
ってのはどう?
夜も飲みに行くとか言ってくれたら俺も適当にやるし、俺が遅く
なる時は必ず連絡するし。﹂
﹁じゃぁ食費半分と炊事、頑張ります。﹂
彼女は笑顔で答える。
こうして又、俺は甘い痛みを知る事になる。
66
彼女の携帯が机の上で震えた。
﹁あ、珠紀だ。もしもし?メール見た?﹂
彼女は困った顔でタマちゃんの話に耳を傾けている。
﹁やっぱり・・・だよね・・優衣は?あ、優衣?え・・・うーん遠
いけど・・・。
そう・・・か、うん解ったぁ。え?今?水嶋さん居るよ?え?え
?﹂
彼女が俺の方を向く。
﹁あの・・・珠紀と優衣が今日、此処に来たいって言ってるんです
けど・・・。﹂
﹁え?あ、別に良いよ?おいでよ。青山さんのアパート半壊残念会
でもしようよ。﹂
﹁・・・ちょっと面白そうに言いましたね?﹂
俺は”まさか!”って顔をする。
そして夜、タマちゃんと優衣ちゃんが遊びに来た。
お酒とケーキを持って・・・。
宅配のピザを注文して待つ間、俺と彼女で簡単につまめる物を用意
する。
﹁後片付けは、珠紀とあたしでやりますから。﹂
優衣ちゃんが”青山さんの部屋”から顔を出して言う。
﹁寮に居た時、そういう分担だったんです。﹂
﹁ふーん、お母さんなんだねぇ。﹂
﹁・・・褒めました?今?﹂
俺は二度三度頷いて見せた。
彼女の笑った顔を見て、この子はやっぱり良く笑う子なんだと思う。
67
︻27︼
﹁奏ぇ?このCD貰って良い?﹂
タマちゃんの声が聞こえた。
﹁こっちの方は大体終わったから、部屋行っておいで?﹂
﹁あ、はい。ありがとう、水嶋さん。﹂
”青山さんの部屋”に彼女が戻っていく。
タマちゃんの大きな笑い声が聞こえる。
﹁ちょっと優衣、見て!このカクテル本!これ幸成の影響でハマっ
ちゃったんだよね!
ウケル!奏、直ぐに勉強すんだもん。挙句、幸成より知識上、行
ってたしね。﹂
﹁もぉそれ言わないでよ・・・反省してるんだから。﹂
﹁幸成にさ”俺もうカクテル呑まないし”とか拗ねられてたよね、
あれもウケタ!
ちっせーっ!幸成ちっせーよっ!って思ったもん。﹂
うん、ちっせーなユキナリ・・・。
って何でこんな状況下で俺は彼女の過去の恋愛を聞いてるんだ・・・
。
インターホンが鳴り、ピザ屋のお兄ちゃんの来訪を告げる。
ピザを彼女が受け取り、俺は代金を払った。
﹁帰り、運転気をつけてねーご苦労様ー。﹂
鍵を掛け振り返ると、彼女が又微笑んでいた。
﹁珠紀、優衣、ピザ来たよー。食べよー。﹂
彼女の部屋を覗くと、カーペットの上にCDやDVDが散乱してい
68
た。
﹁お腹空いたー!奏、あたしビール。﹂
﹁はいはい。って此処、水嶋さんちだからっ!ちょっと遠慮してよ
!!﹂
﹁ははは良いよ、もうタマちゃんも俺の友達でもある訳でしょ?座
ってて、俺出すよ。﹂
そういう俺の傍に優衣ちゃんが立っていた。
﹁手伝います。﹂
﹁ありがとう。﹂
俺は冷蔵庫からビールとチューハイとお茶のペットボトルを取り出
した。
缶を受け取った優衣ちゃんが小さな声で言う。
﹁奏がお世話になります。あたしか珠紀の所に来たいって言ってた
んですけど、珠紀は
彼氏と同棲中だし、あたしは川崎に引っ越しちゃってちょっと遠
いから・・・。﹂
﹁うん、良いんだよ、俺は。﹂
先を歩き出した優衣ちゃんの背中に、俺はこう続けた。
﹁君の感性は、間違ってないんだ。﹂
優衣ちゃんは振り返って静かに頷いた。
69
︻28︼
お酒に強くない優衣ちゃんはチューハイを2本呑んだ所で眠ってし
まい
タマちゃんも豪快にビールを空け、テーブルに突っ伏した。
﹁す・・すみません・・・あたしの方に運んで貰って良いですか・・
・。﹂
﹁良いよ、ベッドに二人とも運んじゃうから。﹂
﹁え。それじゃ水嶋さん、寝れないじゃないですか。﹂
﹁もうソファで寝るのも慣れた。﹂
俺は彼女の提案を退け、二人をベッドに運んだ。
彼女はその間、テーブルの残骸を片付けていた。
﹁洗い物は食洗機に入れちゃおう、青山さん。﹂
﹁あ、ハイ。便利ですねー。﹂
﹁普段は食器なんてあんまり使わないから要らないけどねぇ。﹂
俺は自嘲的に笑う。
粗方片付けが終了して、彼女に促されシャワーを浴びる。
出てくると彼女は、クリスマスツリーに明かりを灯していた。
点けては消して、点けては消して・・・それを繰り返す。
俺の気配に気付いて言う。
﹁一年って早いですねぇ。﹂
クリスマスはもう直ぐだ。
70
冬。
﹁部長、今日皆で飲みに行こうって言ってるんですけど、一緒にど
うですか?﹂
18時を回り、パソコンの電源を落としていると吉岡が声を掛けて
きた。
﹁あ。うんゴメン。用事あるんだ。又な。﹂
俺は彼女の待つマンションへと急ぎ足で帰る。
鍵を回さずともドアは開き、中からはほのかに甘い香りと湯気。
包丁がリズミカルな音を響かせる。
﹁ただいま。﹂
﹁おかえりなさい。﹂
彼女が真新しいスリッパの音を立て俺を出迎えた。
宛ら”新婚の二人”だろう。
﹁今日、肉じゃが?﹂
﹁あ鼻良いーっ。牛肉の代わりに厚揚げを入れた畑の肉じゃがです
けど。﹂
﹁へぇ美味そう。﹂
彼女の料理は少し濃いめで、お袋の味と似ていた。
71
︻29︼
夕飯が終わると彼女は試験勉強を、俺はリビングのソファで雑誌を
読む。
﹁水嶋さん、論文こんな感じでどうですかねぇ?﹂
彼女が声を掛ける。
﹁理系の俺に聞く?﹂
そう言いながら立ち上がり、彼女の前に腰を下ろす。
﹁もう藁をも掴む状況ですから。﹂
﹁俺は藁なのか?﹂
﹁・・・カフェオレ淹れましょうか?﹂
﹁そうしてくれたまへ。﹂
彼女の書く字はいかにも女の子が書く可愛らしい字で、なのに中身
はよく纏まった
堅い文章でそのギャップに思わず俺は微笑ましい気持ちになった。
﹁どうですか?﹂
彼女がカフェオレを差し出し聞く。
﹁俺は良いと思うけど。木下に見せたら?﹂
彼女が首を横に振る。
﹁木下さんに見せたら、凄い校正入れられそうで・・・。﹂
﹁ははは、そうかも。・・・受かると良いね。﹂
﹁うん。﹂
朝、目が覚めるとコーヒーの香りがする。
俺はベッドの上で身体を起こし、この現実を噛み締めた。
正直、自分がこういう﹁普通﹂な毎日を送れるとは思ってなかった。
72
のぞむ
女ではなく男に恋焦がれて、望を失うと”手に入れる事”が怖くな
った。
だから穂積を想ってもその先に進もうという気さえ、湧き上がらな
かった。
女を好きになるなんて思いもよらなかった。
﹁水嶋さーん、朝ですよー。あたし先、行きますからねー。﹂
彼女の声でベッドを下り、ドアの向こうには温かい朝食が用意され
ている。
これは現実なんだろうか。
﹁最近、外ランチ行かないんですねぇ?前はよく穂積部長と行って
たのに。﹂
斜め前の席の吉岡が割り箸片手に不思議そうな面持ちで聞いてきた。
﹁え?そうかぁ?﹂
俺はコンビニのおにぎりのフィルムを剥がす手を止めた。
﹁うわっ海苔破けたっ!﹂
正直・・・穂積と関わるのが怖い。
この幸せを奪われるのが、怖いんだ。
73
︻30︼
彼女が俺のマンションに来てから二週間が経ち、インテリアコーデ
ィネーターの
二次試験が昨日行われた。一次試験合格者しか受験出来ない二次だ。
彼女はプレゼン試験で間違いなく落ちてる・・・と言っていたが、
緊張するのは
当然だし、それが何処まで採点に響くかは判定員次第だろう。
俺の机の電話が内線の音を知らせていた。
﹁はい、水嶋。﹂
﹃穂積だ。今夜空けておいて、話があるから。﹄
それで会話は切れた。
棘の有る口調に、俺は思い当たる節がある。
彼女の携帯に今夜遅くなる旨のメールを入れ、会社を後にした。
何時もの居酒屋で俺達は対面して座っていた。
ビールが来る迄の間も、穂積は忙しなく煙草を吸い続ける。
﹁何時から?﹂
俺は、煙草に伸ばし掛けた手を止めた。
﹁何時から、一緒に住んでるの?﹂
﹁2週間前位だけど・・・住んでるっても部屋貸してるだけだから。
﹂
﹁同じ事じゃないの?﹂
74
﹁・・・言うべきだと思ったけど、青山さんも試験とか近かったから
動揺させたくなかったし。﹂
﹁コーディネーターの?お前は知ってたんだ。﹂
穂積は正面で腕を組み、背凭れに凭れ俺に冷ややかな視線を送った。
﹁知ってたっていうか・・・彼女の友達からたまたま聞いたんだ。
ほら、あの・・前に一緒に飲んだタマちゃんって子に・・・。﹂
﹁木下が、昼間電話してきたんだ。青山が二次受かってたら、うち
の会社に頂戴って。﹂
一瞬、息が詰まった。
﹁その時に資格試験の事も、今お前のマンションに居る事も聞いた。
自分の情けなさに吃驚したね、まったく!﹂
穂積がテーブルに置かれたビールを半分以上一気に喉に流し込んだ。
﹁青山が戻ってくれば良いって・・・未練たらしく青山からのライ
ターを持ち歩いて・・・。﹂
75
︻31︼
﹁俺、前にお前や庄司君に嫉妬したって言ったよね?﹂
淡々と本心を語る穂積に俺は内心焦っていた。
﹁お前が俺から青山を奪っていくんじゃないかって不安に思うから
嫉妬したと思ってる。﹂
俺は気を落ち着かせようと煙草に火を点ける。
﹁お前が青山を好きにならないなんて確証は一つも無いからだ。﹂
﹁・・・何が言いたいの、穂積。﹂
﹁俺に、遠慮はしないで欲しい。﹂
﹁だから何が。﹂
﹁青山の事、好きなんだろ?﹂
決定的な一言を穂積から言われた。
否定の言葉が見当たらない。
俺は頭を振る。
﹁・・・まさか。﹂
自嘲気味に笑う。
﹁何年お前と一緒に居ると思ってる。﹂
穂積の目は澱みなく、それでいてこちら側を見透かすそんな眼力が
在った。
目を逸らすだけが俺の精一杯だった。
やっぱり穂積は、彼女が自分の元へと戻る事を願ってた、祈ってた。
76
ずっと想い続けていた。
きっと彼女も・・・。
穂積は俺に対して、言葉を畳み掛けた。
﹁お前は、俺の事を考えて青山には行かないんだろ?﹂
﹁は。自惚れんなよ、穂積。本気で人、好きになったら迷いなく行
きますよ、俺は。﹂
俺はやっとの事で反論する。
﹁・・・青山の事を女としては見てないって事なんだな?﹂
言えない。言える訳が無い。
俺も彼女が好きなんだと、彼女を離したくないのだと。
俺は煙草を灰皿に押し付けた。
﹁見てない。見た事も無い。﹂
﹁じゃぁ早く、お前の家から追い出してくれよ。﹂
﹁・・・。﹂
﹁お前と青山が一つ屋根の下に居るのかと思うと、気が狂いそうな
んだよ。﹂
﹁・・・。﹂
﹁俺に返してよ、青山を。﹂
カエシテヨ
その言葉の強力さに、射抜く程の視線に、俺の弱い心は簡単に砕か
れてしまう。
77
﹁誰かを傷つけても欲しいと思ったのは、青山だけなんだ。﹂
穂積は会計票を手にし、俺の前から立ち去った。
78
︻32︼
﹁返してよ・・・かぁ・・・。﹂
彼女の心が、穂積のモノだとは思わない。
思わないけれど、穂積の傍に彼女の心が在ったのは間違いの無い事
実で
穂積の心も又、彼女の傍に在った。
”誰かを傷つけても”
美帆子さんと別れる気持ちも在ったのか、穂積の中には。
それだけの覚悟を固めていたって事か。
敵わないな、到底・・・。
足枷を嵌められたみたいに俺の足は重くなって、どこをどう歩いて
家に辿りついたのか、既に彼女の部屋のドアは閉じられ眠っている
様だった。
キッチンに立つ。彼女が使用した痕跡。
ダイニングテーブルの上には一輪挿しが、リビングには一緒に観よ
うと
話していたDVDが置いてあった。
彼女との思い出だけが、このマンションに残る。
俺はソファに座り、両手で顔を覆った。
込み上げる感情をコントロール出来ない。
79
溢れ出す涙を堰き止める事が出来ない。
簡単じゃない。
大きくなりすぎた想いを諦めるのは、簡単な事じゃない。
部屋のドアが開く音がして、俺は顔を上げる。
﹁・・・水嶋さん?・・遅かったですね?﹂
彼女は目を擦りながら、俺の傍にやってきた。
俺は流れる涙を拭おうともせず、彼女を引き寄せると腰に手を回し
彼女に顔を埋めた。
彼女が何をどう読み取ったのか解らないが、突っぱねたりせず、た
だ俺の頭を撫で
片方の手では背中をゆっくりと擦ってくれた。
鼻腔が彼女の匂いでいっぱいになった。
彼女を折れるほど抱き締めて、声に出来ない想いを嗚咽の中に溶か
した。
翌日、俺は彼女よりも先に部屋を出た。
何時もより早くに出社した俺に吉岡が驚きの声を上げる。
﹁部長・・・どうしたんですか・・・。﹂
﹁やり掛けの見積りがあったんだ。﹂
俺は電卓を適当に叩いた。
そうそう適当、適当。
80
今迄だってそうしてきた、のらりくらりシンドイ事からは逃げて来
たんだ。
想いを告げたところで、叶わぬ恋なのだから・・・。
81
︻33︼
その日の昼、穂積が彼女を連れ立って会社を出て行くのを見掛けた。
歩道の信号が青になると二人は歩き始めた。
俺は、会社の前でその二人をただ見送っていた。
穂積が唐突に言いだした押ボタン式信号の意味が今なら解る気がし
た。
そうだな、俺は何時まで経っても、向こうの道に渡れそうにもない。
午後、携帯に彼女からのメールが届く。
お疲れ様です。
お昼休み、穂積さんと近くの不動産屋さんに行きました。
木下さんから、私が水嶋さんの所でお世話になってるって
聞いたっておっしゃってたんですが・・・水嶋さん、
穂積さんと何か気まずくなってますか?
ご迷惑お掛けしてすみません。
”問題無いよ”
そう素早く入力し返信する。すると彼女からも返信が直ぐに届いた。
昨夜の事もあったので・・・気になったんで・・・。
”昨夜の事は君には関係ない事。じゃぁ今、忙しいから”
82
俺は営業車の中で、缶コーヒーを片手に携帯を閉じた。
その夜、彼女が居るあのマンションに帰る気にはなれず、俺は充さ
んの店に顔を出していた。
﹁いらっしゃい。何、又悩み事?﹂
今日は時間も早いせいか、客が誰も居なかった。
﹁暇ですね。潰れません?﹂
﹁・・・今日高いお酒、入れて良いですか?お客様?﹂
﹁良いよ、幾らでも。カードも大丈夫でしょ?﹂
俺は、煙草に火を点けた。
まるで昨日の穂積みたいに、俺は少し苛立っていた。
﹁僕も飲んでいい?﹂
俺は掌を見せた。
充さんは何時ものウィスキーをコースターの上に置いた。
﹁何があったの?﹂
﹁何も無い。勝手に膨らんで勝手に萎んだって感じ。﹂
﹁本気じゃなかったって事じゃないの?それ。﹂
そうかもしれないな・・・。
そう思った方が、楽だな。
83
︻34︼
どんなに好きになっても、失えば一瞬で終わる。
それは痛いほど知ってる。
はる
﹁今日ピッチ早いんじゃないの、温?﹂
﹁・・・飲みたいの。酔ったら充さんとこ泊めてくれない?﹂
さっきから飲んでるつもりだが、全然酔えないでいた。
充さんが俺の目をじっと見ている。
﹁そんな事僕に言うなんて、お前も相当だな。﹂
﹁・・・。﹂
ただ黙ってグラスを空ける。
想うのは彼女の事ばかりだ。
﹁・・・すみません。帰ります。﹂
﹁送ってくよ。もう今日は店閉めるから。﹂
充さんに付き添われ帰宅したマンション。
俺はドアのハンドルを握り、少し力を入れる。
その状態のまま動けなかった。
この先を考えると胸が苦しくなった。
彼女の存在、彼女の匂い。彼女の中の穂積。穂積の中の彼女。
84
俺はハンドルから手を放し、ドアに背を向けた。
するとパタパタと足音が室内から聞こえ、ドアが開け放たれた。
﹁水嶋さんっ?!﹂
救って欲しくて、誰かに縋りたくて、目の前の充さんのジャケット
を掴んだ。
今俺ハ、彼女ノ目ニドンナ風ニ映ッテルンダロウ
俺は充さんに唇を重ねる。
唇を離すと俺は少しだけ、彼女に振り返る。
﹁何?﹂
声を絞り出す。
次の瞬間、小さな衝撃を受けて俺は充さんに身体をぶつける。
俺の目の前には、小さくなる彼女の後ろ姿だけ・・・−。
充さんの手を振り解き、壁に凭れる。
﹁・・・笑っちゃうよなぁ・・・。﹂
﹁今のが、前に言ってた気になる女だね?一体どういう進展なの?﹂
﹁言ったでしょ。何も無いって。﹂
﹁温の心にも、何も無いって事なのかな、それは。﹂
85
彼女は、俺の心の傍に無い。
俺の物にはならない。
﹁お前は良いな。﹂
顔を上げると充さんが、俺を嘲る様に見ていた。
のぞむ
﹁”望”って言う逃げ道があって。シンドクなったら、望に逃げ込
めば良いんだろ?﹂
86
︻35︼
﹁失くすのが怖いから手に入れない。手に入れようともしない。
想いは持つけど、そこからは進まない。そうやってお前はこの先
を生きて行くんだろ?
・・・お気楽で結構な事だ。﹂
充さんに声を荒げられ、何万にも砕けた心の欠片を踏み潰された思
いがした。
﹁偽善は、欺瞞だよ、温!﹂
真っ先に、穂積の顔が浮かぶ。
﹁望とした恋愛は、失っただけか?得るものも感じるものも無い無
味なものか?!﹂
穂積は”誰かを傷つけても欲しい”と言い、
彼女は”乗り越えるしかない”と言った。
俺は、立ち止まった。
そして、目を伏せた。
充さんの言う通り、傷つくのが怖くて気楽にやってきたんだ。
﹁追いかけなくて良いのか。彼女、軽装だったよ。﹂
﹁・・・充さん、すみません。﹂
87
そこら中を走るも彼女の姿は見る影も無い。
財布だって持ってないし、土地勘も無い筈だ。
﹁青山さんっ!!﹂
無駄だと解っていても彼女の名を呼ばずには居られなかった。
道路に行き交う車のライトが酷く眩しかった。
走って走って祈りは通じた。
道路の向こうに彼女を見つけた。
﹁青山さんっ!!﹂
何度も何度も呼んだ。
家路を急ぐタクシーや夜を楽しむ車の往来が激しく、彼女に俺の声
は届かない。
青信号に変わる気配の無い押ボタン式の信号に駆け寄り
俺は自分の為に、自分の意思で、そのボタンを押した。
意味も無く何回も強く押し込んだ。
数秒かかって信号は変わり、俺は駆け出す。
﹁青山さんっ!!﹂
俺の声に彼女は立ち止り、振り返る。
﹁み・・。﹂
俺の名を言葉にしかけて、彼女は口を噤む。
88
車のヘッドライトが、涙を流した痕跡を彼女の頬にくっきりと浮か
び上がらせる。
89
︻36︼
俺は彼女にスーツの上着を羽織らせて手を引き、マンションへと続
く道を歩いていた。
﹁・・・ごめんなさい・・・。﹂
少し後ろから彼女のか細い声が聞こえる。
俺は聞こえない振りをした。彼女が謝る理由は何処にも無いんだ。
マンションに戻ると、彼女が俺と一緒に食べようと用意してくれて
いた料理が
テーブルに並んでいた。
何度となく震えた俺の携帯は、彼女からのメールや着信を今でも知
らせている。
ソファに座る彼女の目の前に俺は膝を突き、彼女の冷え切った手を
両手で包む。
﹁連絡しなくて・・・ごめんね。﹂
彼女が頷く。
﹁・・・あたし・・さっきの見て、裏切られた気がしたんです。悔
しかった・・・。
何でそんな風に思ったんだろうってずっと歩きながら考えてた。﹂
﹁うん。﹂
﹁水嶋さんは穂積さんを想ってて・・・ずっと想ってて欲しいって、
頭の中で勝手に
思ってたんだなって。﹂
彼女の肩が小さく震えて俺の手に涙が落ちた。
90
﹁自分が完結させた想いをただ受け継いで欲しかっただけなんだな
って・・・。
水嶋さんが幸せになれば良いなんて、穂積さんの傍に居る事が水
嶋さんの幸せだなんて
あたしの思い上がりですよね。﹂
俺は首を振る。
﹁そう思ってたんだよ。届かなくても傍に居られれば良いと本気で
ひと
思ってたんだよ、青山さん。﹂
﹁でも・・・今は素敵な男性を見つけたんですね?﹂
彼女が充さんの事を言ってるのは明らかだった。
俺はそれに対して否定はしなかった。
彼女に告げる前に、俺にはしなければならない事があるからだ。
翌日、会社に着くなり俺は7階に上がる。
案の定、総務には穂積一人だけだった。
﹁早いな、水嶋。﹂
穂積は、手を広げ眼鏡を押し上げる。
俺は彼女の椅子を引き腰を下ろした。
音を立てた椅子の上に浅く座りアーム部分に手を掛ける。
一つ咳払いをして﹁青山さんを物扱いする気はないけど。﹂と前置
きする。
91
︻37︼
﹁彼女が、欲しい。﹂
まさぐ
自分の投げ出した足先を見つめて言う。
穂積の書類を弄る音が聞こえる。
﹁え?・・・開発にって事?今はちょっと無理だよ。木下の所に行
かせる気も無い。﹂
穂積は解っていて、その返答を俺によこす。
﹁開発にじゃない。俺に、だ。﹂
﹁・・・。﹂
俺はこちらを見た穂積に視線を返す。
﹁青山さん。俺にくれよ、穂積。﹂
穂積は手にしていた書類をデスクの上に放り投げる。
﹁どういう了見だ。﹂
﹁言葉の通りだ。﹂
穂積が大きく溜め息を吐く。
﹁お前が今でも彼女を愛してるとしても、彼女が今でもお前を愛し
てるとしても
必要とする手がお前だったとしても、俺が。俺が彼女の隣に居た
い。﹂
﹁覚悟があるんだな、水嶋?﹂
92
−傷ツク可能性− −失ウ可能性−
俺は頭を振る。
﹁覚悟とかそんな事考える余裕もない程、彼女が好きだ。その事に
気付いたんだ。﹂
苦痛な程の沈黙を過ごして、穂積が口を開く。
﹁あげるも何も俺はとっくに振られてる、知ってるだろ?今は彼女
が幸せに笑ってれば
良いと思ってるよ。﹂
﹁でも返してって・・。﹂
声を上げて穂積が笑う。
﹁挑発しただけです。あれだけ”スキスキ”オーラ出しといて、女
として見た事ねぇーとか
言うから。﹂
﹁・す、スキスキオーラ?﹂
俺は初めて聞いたオーラ名に目を丸くする。
﹁気付いてないの?青山、見るお前の表情とか。誰に聞いても一目
瞭然だぞ。﹂
体中の血が沸点に達する。
自分では気付く事の無いところで他人に心を読まれている事程、恥
ずかしい事は無い。
﹁当の本人には伝わってないと思うけどね。肝心な所は鈍いみたい
だから、青山。﹂
俺はこくこくと頷く。
93
﹁二人で幸せになってよ。﹂
穂積の笑顔に、俺は救われた。何度、救われたのかな。
94
︻38︼
夜、マンションへと帰ると彼女が﹁おかえりなさい﹂と言った。
リビングのローテーブルで見ていた”何か”を纏める。
﹁ただいま。﹂
﹁今日、近くの魚屋さんで真鯛が安かったんで、カルパッチョ風に
して
みましたー。ワインでも飲んじゃいます?あたしもお酒解禁した
し。﹂
﹁うん、白、冷えてたよね。﹂
彼女が冷蔵庫からワインを用意する間に、俺はローテーブルに目を
向ける。
﹁・・・あ、この前行った不動産屋さんに勧められた物件で・・・。
﹂
﹁後で見せて?これでも物件、見る目は君より肥えてると思うから。
﹂
彼女の頬がほんのりと染まり、それを愛おしいと想う。
この確固たる想いは、俺の口から彼女へと伝えられるのを待ってい
る。
﹁あぁちょっと塩味足りなかったですね、このリゾット。﹂
﹁粉チーズかけてみる?あるよ。﹂
﹁あ、そうですねぇ。﹂
正直・・・料理の味もワインの味も良く判らなかった・・・。
95
当たり前のように彼女が片付けをし始めたので、俺は残ったワイン
を片手に
リビングのソファへと腰を下ろし、物件資料に目を通す。
元々住んでいた中板が多かったが、他にも有楽町線や西武池袋線の
物件もあった。
彼女はカーペットの上に膝を抱えて座る。
俺が一度見てローテーブルに置いた資料に手を伸ばす。
﹁一番にこだわる点は、何?﹂
﹁駅から5分前後、かなぁ。次は会社までドアトゥドアで1時間以
内の事。﹂
﹁そうだねぇ。他は?﹂
﹁家賃が7万以内。他は贅沢言えないかなぁ。中板のこの物件どう
ですかね?﹂
﹁・・・駅から10分以内で、会社迄30分で、家賃は格安、2L
DK築10年、
バストイレ別の物件があるんだけど、どう思う?﹂
﹁・・・ん?そんな魅力的な物件ありましたっけ?﹂
彼女が資料を数回確認する。
俺は資料を全てテーブルに置く。
﹁引っ越すの止めない?﹂
め
彼女の瞳を真っ直ぐに見つめ、そう伝えた。
96
︻39︼
﹁俺と一緒に暮らさない?﹂
﹁え・・・あ、あの・・・え?﹂
彼女の混乱も尤もだと思う。
グラスの中の僅かなワインを喉に落とし、俺はもう一度彼女を見る。
﹁困るよね、急に・・・。望を忘れられないって言ったり、穂積を
想ってる
って言ったり、どっかの男とキスしたりする様な男にこんな事言
われて。﹂
彼女は視線も泳ぎ、右手で髪や耳、頬に触れ、何か言葉を発しよう
と試みているようだ。
﹁君が好きだ。﹂
彼女の息を飲む音が聞こえる程の静寂。
﹁・・・俺の言った事、理解出来てる?﹂
﹁暮らす?・・・困る?・・・好き?君が?・・・?え?﹂
俺の言った言葉を反復する彼女。
﹁俺が好きなのは穂積でも誰でも無い。青山さんが好きなんだ。﹂
想いが彼女の心に届いた様で、呼吸が少し乱れているのが服越しに
も見て取れた。
97
﹁体中に想いを巡らせて考えて答えを出して欲しい。どんな答えで
も俺は受け入れるから。﹂
最後は微笑んだつもりだが、正直上手く笑えていたかどうか判らな
い。
俺はワイングラスを流しに置き、自分の部屋のドアを閉じた。
手の甲で額や頬を抑える。
顔は熱いし、鼓動も速かった。
口を開けて呼吸を繰り返す。
ドアに凭れていた背中は、力を失くして下へと落ちて行く。
こういうのを”賽は投げられた”と言うのだろう。
翌朝、彼女は何時もと同様に
﹁先に行きますね。﹂
と一声掛けて、マンションを出て行った。
それから俺は、ベッドルームを出てリビングに顔を出す。
テーブルには簡単な朝食と新聞が置かれている。
俺は新聞の上にメモ紙を見つけた。
考えます。 青山
98
彼女の可愛らしい文字がそこには有った。思わず俺は目を細める。
昨夜俺は彼女の何らかの返事も聞かずに自室に閉じこもってしまっ
た。
だから律儀にも彼女は俺の告白にこの返事を寄こしたのだろう。
99
︻40︼
営業の為、外に出ようとEVを待っていると穂積が声を掛けて来た。
﹁今日何処行くの?﹂
﹁上野。穂積は?﹂
﹁西東京。逆だな残念、乗せて貰おうかと思ったのに。・・・お前、
青山に言った?﹂
﹁!﹂
物凄い勢いで穂積の顔を見た。
﹁・・・何デ判ッタノ?って顔だね。お前ら解り易いなぁ・・・。﹂
穂積がくっと笑う。
﹁青山が朝から珍しい計算ミスとか、ぼぉーとしてるから、何かあ
ったのかと思って。﹂
﹁・・・ごめん。﹂
EVに乗り込んでも、二人だけだったので話は続く。
﹁あぁでもその後は顔引き締めて仕事してたから心配はしてないけ
ど。で?何て言ったの?﹂
﹁・・・聞くの?32歳の男の告白話を?﹂
﹁だって水嶋の恋の話なんか、聞いた事無いじゃない。﹂
﹁・・・聞きたいの?お前の好きな人に、告白した話を?﹂
﹁俺には最後まで見届ける義務がある。違う、水嶋?﹂
EVのディスプレイが﹁1﹂を映し出す。扉が開き、俺はぼそっと
答える。
﹁一緒に暮らさない?って・・・。﹂
ビルのエントランスに向かって歩き出す俺の横に、穂積は居なかっ
た。
俺は吃驚して後ろを振り返る。
100
穂積の端正な顔立ちが、先日︵俺がチューした時︶の”豆鉄砲”顔
になっていた。
﹁穂積・・・。﹂
慌てて穂積が俺に肩を並べて、言った。
﹁プロポーズかよっ?!﹂
﹁プっ・・ちがっ!﹂
大きな声を出しそうになって俺は左手で自分の口を覆った。
﹁・・・その後にちゃんと気持ち普通に言ったし・・・彼女もそん
な風には
受け止めてないと思うから・・・。﹂
﹁・・・あ、そう。いやー俺今、息すんの忘れたよ・・・。俺、電
車だから。﹂
﹁おう。﹂
プロポーズ・・・なつもりは無かったけど・・・。
俺は軽い眩暈を起こしつつ、駐車場へと向かった。
101
︻41︼
夜になりマンションへ帰ると、彼女が待っている。
﹁・・・水嶋さん・・・お話があります。﹂
﹁・・・ん。﹂
俺は彼女の後に続き、リビングのソファへと腰掛ける。
彼女が好きなラジオ番組が流れている。
﹁あたし、水嶋さんとこのまま一緒には暮らせません。﹂
僅かながら淡い期待を抱いていた俺は落胆の色を隠せなかった。
それがどれ程感情として表れたのか、彼女は慌てて弁明した。
﹁ち違うんです!・・・考えたいんです、ちゃんと。・・・だから
今のこの状況は・・・駄目なんです・・・。﹂
もた
その言葉で少し、安堵の溜め息を漏らすものの、彼女の中では本当は
答えが出ているのではないかと、不安が擡げる。
﹁・・・今度の祝日に引っ越します。部屋も明日、物件を見て決め
ようと思ってます。﹂
クリスマスイヴ前日。
クリスマスを一緒には過ごせないという事は・・・もう決定的なん
じゃないか・・・。
﹁うん、そうか。解った。・・・じゃぁ俺、先にシャワー浴びるか
ら。﹂
102
﹁・・・はい。﹂
彼女の表情を確かめるのが怖くて、俺は俯きながら立ち上がる。
風呂場で、温水が吐き出される様を俺はじっと見ていた。
浴室内の鏡に映し出される顔は、情けないものだった。
”どんな答えでも受け入れる”
とか言ってこのザマか・・・。
穂積の高潔さも、彼女の気丈さも、俺は持ち合わせていない様だ・・
・。
翌日の夜、少し遅く帰って来た彼女は﹁此処に決めました﹂と資料
を広げた。
前と同様、中板の物件だった。
﹁少し駅から遠いんですけど、家賃が安かったので。水嶋さん、ご
飯もう食べました?﹂
﹁うん、済ませたよ。・・・疲れたでしょ?何か作ろうか?﹂
﹁大丈夫です。冷凍したご飯があるんで、それとレトルトのお味噌
汁飲みますから。﹂
彼女が片手に持ったカップを振った。
当たり前の様に傍に居る彼女が、もう直ぐ居なくなるのかと思うと、
笑顔を作るのも億劫だった。
103
︻42︼
彼女は一人で色んな事を決めて実行していた。
来た時は俺の車で済んだのに、わざわざ引越屋に見積りを取って発
注をし
タマちゃんや優衣ちゃんにも手伝いを依頼し、穂積にも木下にも引
っ越しの
報告をしている。
流石の穂積も
﹁・・・まぁ・・・あの、解る気はする、青山の考え付く事が。﹂
とフォロー気味な台詞を吐く。
俺は営業車の中で、シートをリクライニングにし目を瞑る。
浮かんでくるのは想うのは、彼女の事だけだ。
胸は痛い。泣きたいほど痛い。
穂積と彼女が別れを決断した時の痛みに比べれば、大した事じゃな
いのかも
しれないけど、俺にとっては今スレスレの限界に居る様なそんな気
分だった。
﹁部長、はい資料室の鍵です。﹂
﹁あ、悪いね、ありがとう。﹂
資料室の鍵は7階の総務部に置いてある為、俺は吉岡にパシらせた。
言うまでもなく青山に顔を合わせづらいからだった。
104
﹁部長、顔色悪くないですかぁ?﹂
吉岡が俺の顔を覗きこむ。
﹁ちょっと寝不足なんだよね。寝れば治ると思うけど。﹂
﹁大事にして下さいねぇ。﹂
然程心配な口調では無い辺り、希薄な関係だなぁとか今考えなくて
も良い事を考える。
昼下がりの陽射しがブラインドの隙間から微かに入り込み、少し温
かい資料室。
資料室では思ったより早く、探し物の注文書が見つかった。
俺は”ちょっとだけ”と、入口から死角の隅に座り足を投げ出し目
を閉じる。
ウトウトとしかけた時だった。
﹁吉岡さん?あれ、居ないですね。﹂
聞き間違える訳もなく、彼女の声がした。
俺は慌てて入口に目を向ける。
キャビネットで、何も見えなかった。
﹁じゃぁ青山はそっちの棚から見てって。﹂
﹁あ、ハイ。﹂
彼女と一緒にやってきたのは、穂積だった。
105
︻43︼
どうやら二人で探し物をしている様だった。
﹁こっちに一昨年の元帳あったよ。3年前のそっちにある?﹂
﹁あ、多分これだと思います。﹂
俺が少し顔を出すと、穂積が保存箱を高い棚から下ろしているのが
半分位見えた。
慌てて体を引っ込める。
俺から見えたって事は、穂積からも見えてしまうかもしれない・・・
。
﹁引っ越すの23日だっけ?﹂
﹁あ、ハイ。﹂
﹁どれ位水嶋んとこ居たの?﹂
﹁1ヶ月位でしょうか・・・色々お世話になってしまって・・・。﹂
二人は話しながら、保存箱から探し物を取り出し、又箱をキャビネ
ットに戻している。
﹁ねぇ前に押ボタン式の信号の話、したの覚えてる?﹂
﹁あ、ハイ。﹂
だれか
﹁青山はさぁ、流れが途切れるかちょっと待ってみてからボタン押
すって言ってたよね?﹂
﹁はい。﹂
だれか
﹁・・・待つって、どのタイミングを待ってるの?俺がボタンを押
すのを?
それとも一緒に渡ってくれる水嶋を待ってるの?﹂
﹁・・・じ、自分のタイミングで・・・。﹂
106
﹁今の青山を見てると、とてもボタンを押す様には見えない。 今、
無理して渡らなくても
良いって判断してるみたいだな。﹂
貸出のノートを広げる音がする。パイプ椅子の軋み具合から穂積が
椅子に腰を掛けたのだろう。
﹁正直に言おうか。・・・俺とやり直す気はない?﹂
俺の心臓がドクリと跳ねる。
﹁・・・あた、し・・・穂積さんと・・は・・・。﹂
﹁うん。・・・解ってる。だから言いたいんだ。早くボタンを押し
て向こうに渡って欲しい。
ここ
早く誰かと幸せになって欲しい。﹂
﹁・・・あたし会社に居ない方が良いですか?﹂
又パイプ椅子が軋む。穂積が姿勢を変えたのか・・・。
﹁居てくれて助かる。居てくれなきゃ困る。木下の元にも行って欲
しくない。
だけど一人で居て貰いたくない。﹂
穂積の優しい声と口調が俺の心にも届いた。
﹁俺の最大の我儘だと思ってよ。﹂
107
︻44︼
暫くの沈黙の後、彼女は穂積に資料を持たされ資料室を後にした。
穂積は記帳をしている様だ。
ノートが閉じられる音と、椅子が床を擦れる音がする。
そしてドアノブが回される。
それと同時に穂積の声。
﹁鍵、ちゃんと閉めとけよ。﹂
﹁あぁ・・・。って!!﹂
俺は、勢い良く立ち上がり、入口に向かって足を進める。
ドアは既に閉められていた。
﹁気付いてたのかよ・・・。﹂
俺は、キャビネットに両手を掛けて自分の体を支えた。
あの信号の話はちょっと胸に来るんだよな。
性格がモロに出てる気がする。
彼女は今、色んな事を考えてる。だからボタンを押す事が出来ない
のだと
俺でも理解出来る。
俺が、穂積と彼女の駒であった事、穂積を想っていた事、穂積と俺
が友人である事。
これを無視して、俺の事を考える事は出来ないのだから。
108
明後日、彼女は俺のマンションを出て行く。
祝日を翌日に控え、定時も間近社員は多かれ少なかれ浮かれている
様子だ。
反対に俺は若干の悪寒を感じていた。
ヤバイ。風邪引きそうな雰囲気が体に漂ってる。
引っ越す日に熱出しましたとかは勘弁だから、今日は早く帰ろうと
思った矢先だった。
一本の電話を取った海藤主任が大きい声を上げた。
﹁え?あ、ハイ、直ぐ確認致しまして直ぐ折り返しますんで!ハイ
申し訳ありません。﹂
携帯を閉じると、凄い剣幕で佐々木を怒鳴り始めた。
﹁佐々木!お前、GREENREAFの現場の床の発注、間違えて
るぞっ!!﹂
﹁え?!﹂
海藤主任の怒鳴り声に、フロア全体が静まり返った。
109
︻45︼
﹁どうしたんですか?主任。﹂
俺は静かにゆっくりと言う。
﹁今、スカイテックの社長から電話があって注文した床材、違うも
んが届いてるって・・・
これじゃ納期に間に合わないって!﹂
﹁落ち着いて。今此処で問答しても始まらないでしょ。正しい品番、
聞きました?
吉岡、それメーカーに在庫確認して。現場恵比寿だっけ?﹂
俺は顔面蒼白の佐々木に声を掛ける。
﹁は、はい。新しいビルの1Fの現場です﹂
﹁吉岡、在庫どう?﹂
吉岡が電話を保留にして、報告をする。
﹁在庫が5ケース位しか足立には無いそうです。残りの15ケース
は鶴ヶ島のセンターに
なるって言ってますけど。﹂
﹁海藤主任は足立のあるだけ取りに行って。佐々木と俺は鶴ヶ島に
引き取りに行く。﹂
海藤主任はいきり立ち、反論してきた。
﹁5ケースなんか持って行ったって仕方ないでしょう!﹂
﹁誠意の問題です。それ持って、現場で頭を下げて下さい。それか
ら間違ったタイルの
回収をして下さい。浅川、悪いけどお前も一緒に30ケース引き
上げて来て。﹂
﹁何でそれを俺がやらないといけないんですかっ!間違えたのは佐
々木ですよっ!﹂
俺は一度、吉岡に向き直し伝える。
110
﹁吉岡、足立にある分を取りに行く。残りのケースは鶴ヶ島に引き
取りだ。営業時間
過ぎるようなら外出しにして貰って。それで向こうが何だかんだ
言うなら、責任は
全部こっちで取るって言って。﹂
﹁部長・・・赤帽、動かせば良いんじゃないですか?﹂
﹁駄目だ。赤帽使ったら、足が出る。うちもこの現場は利益ギリギ
リのとこだからな。
時間が無い。早く用意させて。﹂
﹁はい。もしもし、でわ・・・。﹂
111
︻45︼︵後書き︶
今日、お友達から﹁水嶋さんの毎日読んでるよ!﹂とメールが。。。
アクセス数、お気に入り登録・・・励みになります!
ありがとうございます。
もうsideも終盤の終盤です。
今暫しお付き合い下さいませ。。。
*** 壬生 ***
112
︻46︼
俺は席を立ち、主任の前に立った。主任も又、立ち上がる。
﹁間違えたのが佐々木でも、このミスは開発全体の問題です。部下
のミスに頭を下げるのも
部下を育てるのも上司の役目です。・・・それからスカイテック
さんから、海藤主任だから
この現場をうちにくれたと伺っています。ですから、佐々木や私
が行くよりも適任かと思い、
お願いしたつもりです。﹂
海藤主任は、鋭い眼差しを他へと向け、大きく息を吐いた後
﹁解りました。俺が行きます。浅川、車、前に回して。俺は社長に
電話入れてから下りるから。﹂
﹁有難うございます。お願いします。佐々木、行くぞ!﹂
﹁部長!運転は佐々木君がするんですよね?﹂
吉岡が、変な事を聞いてきた。
﹁顔色良くないですよ?無理しないで下さいね?事故とか洒落にな
らないし。﹂
俺は口元を緩ませる。希薄では無い様だ。
﹁了解。行ってきます。﹂
メーカーの鶴ヶ島センターに行く道中、佐々木は運転しながら凄く
悔しそうに
謝ってきた。
”前と同じ物を”と電話口で注文を受け、納品書を調べた結果、直
近でその商品を
113
使用していた為、確認も取らずそのまま発注したのがミスの原因だ
った。
﹁すみませんでした。﹂
﹁お客にも床職の人にも謝って。あぁ後、主任にもね。・・・これ
で佐々木も同じミス
はしないだろう?職人ってさ、結構アバウトじゃない?パテとか
もさ”いつものね”とか
って言うしさ・・・。開発は営業所と違って、こういう客少ない
けど・・・。﹂
俺は咳を一つする。
喉がやたら乾く。ドリンクホルダーの水を喉に流し込んだ。
﹁・・・部長、本当に大丈夫ですか?何か・・・本当に顔色悪いで
すよ。﹂
﹁寝不足なんだって・・・。﹂
今相当、寒い・・・。
車内のエアコンはガンガン当たってるのに、俺は寒気を感じずには
いられなかった。
114
︻47︼
センターに着いても俺は思うように体が動かず、佐々木が殆ど積み
込みをした。
﹁悪いな・・・じゃぁ恵比寿行くぞ。﹂
﹁俺、池袋で部長、下ろしますよ!顔まぢでヤバイっスよ。﹂
﹁良いから!・・・今は客の事だけ考えろ、恵比寿だ。﹂
恵比寿に着いた事は覚えてない。
気付いたら、自分のベッドに居た。
右手に違和感を感じて、首を少し回す。
彼女の右手が俺の右手に添えられていた。
俺は左手で上体を起こし、彼女を凝視した。
小さな寝息が聞こえてきた。
繋がれた右手を解くのも名残惜しく、俺は又ベッドに横たわった。
サイドテーブルの上の置時計に手をやる。
デジタルの時計が、今が12月23日午前5時だと示している。
誰が此処に連れて来たのかな・・・。
誰にしろ・・・彼女が、俺のマンションに居ると言う事が噂される
のか・・・。
今日、出て行くのに・・・。
俺は身体を90度反転する。ベッドの上で彼女と対峙してる状態だ。
115
睫毛長いよな・・・一年前も思ったけど。
一年前。穂積と彼女と俺の三人でクリスマスパーティを開いた。
お酒に強い彼女が珍しく酔っていた。
千鳥足の彼女を俺が支え、穂積が﹁寝かせる?﹂と聞いてきた。
俺はそれに同意し、支えたついでと言った感じで彼女を俺のベッド
へ運んだ。
穂積が﹁煙草が切れたから買ってくる。﹂とマンションを出た。
俺の腕の中で彼女は、穂積に抱かれていると勘違いしていた様で俺
の首に腕を回してきた。
その頃、彼女は桐生の嫌がらせに耐えていて、そんな穏やかで無防
備な顔を見せたのは
久しぶりの事だった。
俺の胸に顔を擦りつけてきたその仕草が愛おしいと思った。
出来心と言われればそれまでだが、俺は彼女にキスをした。
俺を穂積と思っている彼女にしてみれば、存外な行為だろう。
それでも俺は自分の欲求に抗えず、彼女に求めたんだ。
俺は左手の人差し指で、彼女の少し乾いた唇をなぞった。
116
︻48︼
俺はその左手を握り額に乗せた。身体も天井に向き直した。
未だ少し、体が熱い様な気がした。
俺は彼女の右手から静かに擦り抜けると、ベッドから下りる。
冷蔵庫の中のペットボトルを取り出し、その水を喉を鳴らして飲ん
だ。
ベッドのぬくもりが身体から消え、急激に寒さを覚えた俺はベッド
ルームへと
引き返す。
布団を捲り、彼女に背を向け寝転がる。
これが健常なら眠れない状況だけど、今はそれどころじゃない。
少しでも眠らないと、今日の彼女の引っ越しを手伝えそうにない。
目を瞑った所で、俺の額に小さな感触があった。
俺は目を開ける。
﹁熱、未だありますね。﹂
俺が彼女の方に向き直ると、彼女の顔が見えた。
﹁起きてたの?﹂
﹁さっき起きました。苦しくないですか?﹂
﹁・・・うん大分良いよ。﹂
﹁此処に帰って来た時、相当酷かったんですよ。﹂
﹁・・・誰が連れて来たの?﹂
117
﹁吉岡さんと、佐々木さんが。﹂
﹁・・・そっか、知られちゃったな。ごめんね。﹂
俺の首元に彼女の甲が触れる。
﹁冷えピタ持ってきましょうか?﹂
そう言い、この場から立ち去ろうとする彼女を呼び止めた。
﹁此処に居て?﹂
彼女は返事をする代わりにさっきと同じ様に俺の隣に身体を横たえ
る。
小さな彼女が俺に寄り添うようにして、俺は彼女の額に唇を押し当
てる。
彼女の腕を支柱にして俺の左手は彼女の背中の方へと放り出される。
﹁昨夜は大変だったみたいですね。吉岡さんが凄い絶賛して帰って
行きましたよ。﹂
彼女がちょっと笑う。
﹁絶賛って・・・。﹂
そんな吉岡の姿を想像して俺も苦笑いする。
﹁佐々木さんも、水嶋さんみたいな人になりたいって。﹂
﹁・・・俺じゃ駄目だな。穂積とかじゃないと。﹂
彼女が俺の胸の中で、顔を上げる。
彼女の手が俺の左頬を撫でた。
﹁水嶋さんは素敵な人ですよ?﹂
至近距離で俺は彼女と見つめ合った。
その瞳に吸いこまれそうで、少し怖くなった俺は左手で彼女の後頭
部を抑え、
又胸の中に仕舞い込んでしまった。
118
119
︻49︼
ちょっとだけ力を入れて彼女を抱き締めた後、俺は彼女を解いた。
﹁引っ越しの準備とかするよね。行って良いよ。﹂
俺は彼女に背を向ける。わざとらしく咳をする。
シーツが擦れる音がして、彼女のぬくもりがベッドから消えたのを
感じる。
次はドアの音がする筈だったが、彼女は俺の目の前にしゃがみ込ん
でいた。
﹁あたし、水嶋さん好きです、きっと・・・前から。﹂
真っ直ぐな彼女。
強力な言葉。
俺は左手を支えに身体を起こした。すると彼女が立ち上がる。
そして彼女の両手が俺の頬を包んだ。
﹁水嶋さんの優しい所も面白い所も、実はネガティブな所も・・・
望さんが大切だった事も穂積さんを10年以上も想い続けた事も、
穂積さんとあたしの恋を応援してくれてた事も、知ってる。﹂
俺・・・未だ、熱に浮かされてる?
﹁あたし水嶋さんが本当に幸せになれば良いと思ってた。望さん位
好きになれる人が
120
現れればって思ってた。でもそれは有り得ない。誰も望さんの代
わりにはなれない。﹂
彼女は俺の首に手を回して、俺を抱き締めた。
﹁あたしとこの先の道を歩いてくれませんか?﹂
不本意ながら俺の目から生温かい液体が零れ、頬を伝った事に気付
く。
俺の身体から離れようとする彼女を必死に引き留める。
こんな顔見られたくない。
﹁・・・そういうとこも、好きなんですよ?﹂
男の癖に女の前で2回も泣いてる俺って・・・。
俺は既に抵抗を止め、彼女の細い指が俺の涙を拭っていた。
﹁キス、して良いですか?﹂
愛くるしい瞳を携えて彼女は俺に質問する。
返事をするまでも無い。
俺は彼女に口づけると、そのままベッドに押し倒した。
﹁ん・・・み、水嶋さんっ・・んん、ね・・熱が・・・。﹂
﹁ぶっ飛んだ。﹂
121
︻49︼︵後書き︶
明日︻50話︼目でside∼、完結となります。
ですが、どうしても最終話が長くなってしまい不本意ながら
2話に別れてしまいました。読みづらくなってすみません。
明日は、︻50−1︼︻50−2︼として2話分をアップさせて頂
きます。
最後までお付き合い頂ければ幸いです。
*** 壬生 ***
122
︻50−1︼ −最終話−
﹁あー!又あたしのチョコ食べたでしょー、温ちゃん!﹂
彼女がお菓子の貯蔵庫を覗きこんで、声を上げる。
言葉の後に、名前を呼ぶ癖。
その癖が心に残るんじゃない。愛する人が自分の名前を呼ぶ。それ
が至福。
あの後、彼女は引っ越しを取り消し、契約を無効とした。勿論違約
金は払った。
穂積には二人で、話をした。
﹁幸せになってよ。﹂
と咥えた煙草に火を点けるライターは、ごついジッポに変わってい
た。
吉岡は
﹁あの日、青山さんから”水嶋さんが帰って来ない”って泣きそう
な声で
電話があった時は、ナンダヤッパリ!って思いましたよ。﹂
と物知り顔で答えた。
彼女はインテリアコーディネーターの二次には落ちていた。
それを彼女が木下に報告すると
﹁二次受かったら、うちに来てちょうだい。使えそうな営業が一緒
なら尚、良いわ。﹂
と吐き捨てた。
恐らく俺の事だろう。
123
”使えそう”って・・・どうなんだ?
望と夢見た永遠はもうない。
永遠なんて無くたって良い。未来永劫でなくて良い。彼女となら、
そう思える。
この先の道が無いのなら切り開けば良い。
上へ昇る階段が無いのなら作れば良い。
どんなに時間がかかったとしても、決して遠回りじゃない。
彼女と居る自分が、生涯で一番好きだ。
望と居る時は、ただただ焦がれて後を追うことばかり、
穂積の時は理由を付けては、指を咥え立ち止まった。
彼女、奏は、揺れ動く事無く俺の中に存在した。
奏となら共に歩き、手を差し出す事も差し伸べられる事も出来る。
124
︻50−2︼ −最終話−
胸がいっぱいになる程の想いを教えてくれた。
奏が誠実である故に、誠実であろうとする自分が居る。
望の代わりには誰もなれないと、奏は言った。
その彼女が俺の空虚な心の穴を埋めたのは事実だ。
着実に確実に、俺の心は青山奏で満たされた。
﹁奏。﹂
﹁もぉーコージーのプリンも無いっ!﹂
﹁俺の事、好き?﹂
冷蔵庫を閉めながら振り返る彼女の顔は真っ赤だった。
俺は奏を背中から抱き締める。奏のシャンプーの香りが鼻に届く。
もう一度、右耳に声を注いだ。
﹁好き?﹂
﹁な・・温ちゃん、それキャラっぽくないっ。﹂
﹁これも俺ですけど?で、どうなの?﹂
﹁ま前に言いました。﹂
﹁もう一回。﹂
彼女は俺の手から逃れようと小さくもがいている。
﹁ずるいよ!何であたしだけっ。﹂
﹁ええ?昨夜、ベッドの中であれほど言ったのに?﹂
奏の天辺から湯気が上る様にさえ見えた。
耳を塞ぎ、奏は無意味に大声を上げている。
125
﹁わぁーわぁーきゃーきゃー!!﹂
俺達は良い”コンビ”だと思う。
126
︻50−2︼ −最終話−︵後書き︶
長い間お読み頂きまして有難うございました。
キョウアス↓side これにて完結となります。
読んで頂いた方、お気に入り登録して頂いた方、評価くださった方
本当に感謝です。励みになりました。
又、キョウアスは現在、PV:65000アクセス、ユニーク:8
700人
sideも、PV:11000アクセス、ユニーク:3100人 を超えました。
本当に有難うございます。
次回作は既に構想中ですが、一度短い小説をアップしてから
長編に入りたいなーと考えております。
その際は又、読んで頂ければ幸いです。
*** 壬生 ***
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n5110j/
side 水嶋 温
2012年10月18日13時38分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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