追放された少年 誰か タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト http://pdfnovels.net/ 注意事項 このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。 この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範 囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。 ︻小説タイトル︼ 追放された少年 ︻Nコード︼ N5019BK ︻作者名︼ 誰か ︻あらすじ︼ ある日少年はいきなり家を追放された、理由は魔法の名家に生ま れながら全く魔法が使えなかったからであった。 その後成長した青年の物語︱︱だけではなく、この世界で生きる人 たちの物語。元奴隷の彼に元貴族の彼女。親と喧嘩別れした冒険者。 竜でありながら人間に従う者。ゴミみたいな世界。そんな、この世 界が嫌いな、実は壊れた彼らの物語。 第三部で終わる予定。 青年期からは主人公がたまに変わります。 1 前半と後半で書き方が違いすぎて、自分でも何やってんだレベル。 前半の文章酷すぎ。 後半の方が文章はマシ。ストーリーは前半の方がマシ。 語り手が途中から変わったのはこっちの方がいいかなーと思ったか らで、正直一話から書き直したい。 戦争編第二部から、文体違いすぎるだろ⋮。 ハーレムもファンタジーもない。ただの人殺しの話。考えるのめん どくさいから専門用語も皆無に近いレベル。 2 ∼プロローグ∼少女の呟き︵前書き︶ 何となくプロローグとか書いてみただけだったり 今後気分次第でこれが一話になるかも 多少修正しますた 3 ∼プロローグ∼少女の呟き ある日、いつもは話しかけてこない父上に﹁食事が終わったら私 の書斎に来なさい﹂と言われた。 僕は何事かと思いながらも内心怯えていた。 父上はあの日以来全く話しかけてこない。話しかけてきたとして も僕を罵倒する時くらいのものだ。時には暴力も振るわれた。 なので今回書斎に呼ばれたのも、罵倒するためなのだろうと思い 憂鬱になる。 ︱︱︱逃げ出してしまいたい。 そんな感情を抑えながら、最早歩くのが億劫になるほど無駄に広 い廊下に出て書斎へと向かう。書斎は、紅い絨毯が敷き詰められた 廊下の突き当たりにある。 書斎へと向かう途中、突然後ろから長い袖を引っ張られた。 何事かと振り向いてみると、僕を上目使いでみる6歳になったば かりの妹がいた。 兄である僕の目から見てもとても可愛く聡明な妹。僕と違って才 能溢れる妹。 妹は心配そうな目で﹁おにいちゃんちちうえのしょさいにいくの ?﹂と僕に聞いてくる。 僕が罵倒され暴力を振るわれる姿をよくみている妹からすれば、 またそうならないかと心配なのだろう。 心優しい妹の言葉を聞き、なんて素晴らしい妹なんだろうと思い ながらも、だからこそ心配をかけるわけにはいかないと思う。 ﹁大丈夫、少し話しをしてくるだけだからね。ちちうえを待たせる わけにはいかないからもういかないと﹂ 大分柔らかく、僕はそう言った。表情から怯えの色をかき消して。 妹はまだ何か言いたげだったが、僕は妹に背を向け書斎へと歩き だした。 4 ﹁なにか嫌な予感がする⋮どこか遠くへ行ってしまうような⋮﹂ そんな少女の少女らしからぬ呟きを聞いた者は居なかった。 5 第一話︵前書き︶ 後々2話になるかもしれません こういう名字って前と後ろどっちに付ければいいんですかね? 6 第一話 部屋の真ん中には豪奢な作りの机と椅子。壁際には本棚が並べら れ、ぐるりと机を囲むように配置されている。 椅子に腰かける堂々とした父上。風格すら感じさせる。初めての 来訪者であれば萎縮してしまうだろう。何十回と来ている僕ですら 萎縮してしまいそうになるのだ。 僕はこの雰囲気が苦手でしょうがなかった。息苦しいというか、 胸が締めつけられるというか、何とも居心地の悪さを感じてしまう。 それは、僕がここで受けてきたことに起因するものなのかもしれ ない。ここで僕が居る時行われるのは只一つ、罵倒だけだ。 憂鬱な気分で目の前に座る父上に視線を向ける。 父上は首を擡げ、冷めた眼をしながら僕を見つめていた。 ﹁クロノ、お前は我がユースティア家には相応しくない、今すぐ出 て行け﹂ 書斎について早々、父上にそんな事を言われた。 何を言われてるのか理解が追いつかない。 出て行く? どこを? 頭の中では数え切れぬほどの疑問符が浮かび上がる。 混乱する僕を尻目に父上は続ける。 ﹁一応多少の路銀くらいは持たせてやろう。今から部屋に戻って準 備してきなさい﹂ ようやく事態を理解出来た僕は、必死に父上に食い下がる。 ﹁ま、待ってください、なっ、何でもしますからこの家にどうか居 7 させてください﹂ しかし父上はフンと鼻で笑った後、こう言い放った。 ﹁ならん、これはユースティア家当主としての命令だ、逆らう事は 許されない、とっとと支度せんか!!﹂ 当主からの命令はこの家に居る限り逆らう事は出来ない。当主が 出て行けと言うのだから出て行くしかないのだ。 父上は現状を理解し呆然と立ち尽くす僕に対し ﹁分かったら早く出て支度してこんか! 終わったら私の元に来な さい。早くせんとその身一つで放り出すぞ!!﹂ と、声を荒げて不快そうに怒気を露にした。 そしてそのまま、書斎から退出させられた。 8 第二話︵前書き︶ 魔惻の方法を追加しますた。 9 第二話 書斎から放りだされた僕は、未だに現状を把握しきれていなかっ た。未だ、朝、夢から覚めたような感覚だ。しかし、頬を抓ったと ころ痛かったので、これは現実なのだろう。 父上の言葉を思い出し、ふらふらとした足取りで自分の部屋へ戻 った。 僕に与えられた部屋は狭く、兄上の部屋の三分の一程度しかない。 それでも、一般庶民よりは大分優遇されている。 まあ、今しがた追い出されたわけだが。 言われるがまま、自室で必要そうなものを茶色いカバンにまとめ ていると、次第にどういうことなのかを把握した。同時に涙が出て きて止まらなかった。 ドウシテコウナッタノ? ボクガナニヲシタノ? 自問自答を繰り返す。 何度も 何度も しかし、疑問という迷宮の行きつく先はいつも同じ ﹁落ちこぼれだから﹂ 解答はこれしかなかった それ以外の解答はなかった。 ではどうして﹁おちこぼれ﹂なのか? 僕は自然と自分の今までの人生を思い出していた。 十年前 レオンハルト王国の名門貴族ユースティア家の次男として生まれ た。 レオンハルト王国は、フィファル大陸の中心部に位置する大国で 10 ある。 二百年前には魔物大侵攻を受け混乱の最中王都が壊滅する等甚大 な被害を受けたものの、一人の勇者の活躍によってなんとか持ちこ たえた。 今ではすっかり持ち直しており、フィファル大陸での中では最も 繁栄している国である。問題点としては、海に面していないことだ が、小さな小競り合いはあれど、ここ数十年フィファル大陸は安定 しているので、隣国を経由しての貿易も可能である。 ユースティア家は、そんな王国の中でも魔法の名門としてその名 を轟かせていた。二百年ほど前は今ほどの権力はなく、中堅貴族と いった位置にあったが、王都が壊滅した際、最もいち早く復興に尽 したことで地位が上がり、今の位置につけることとなった。 僕の上には三つ上の姉と一つ上の兄がいた。昔は、三人でよく遊 んでいたのを憶えている。 最初の転機が訪れたのは姉が六歳になった時だった。 この国では六歳になると魔力測定︵魔惻︶をほぼ全員が受けるこ とになる。 魔測というのはその名の通り魔力を測る儀式である。儀式と言っ ても只教会にいって測るだけなのだが。 方法は色見水晶と呼ばれる水晶に触れ、その色の濃さで測るとい うもの。 色は各属性によって変わる。光なら黄色、水なら青といった具合 だ。属性は地、水、火、風、光に分類される。 姉はその年でもっとも高い魔力を記録した。 周囲は皆称賛し、将来を期待した。 魔力というのは生まれた時から一定で、成長する事はないと言わ れている。 それゆえに、魔法は才能の世界と呼ばれている。 世の魔術師がする修業というのは、魔力の制御法であったり オ リジナリティのある魔力の使い方であったりする。 11 魔力を上げようとする者もいたがそのすべてがことごとく失敗し、 成功した者はいない。 魔力量が多いというのは魔術師にもっとも必要な才能とされてい る。 そのような事情もあって、姉は国でも有名になった。 その二年後。 今度は兄が魔惻を受けることになった。 結果はその年の二位。兄は不服そうだったが、姉の時のように皆 称賛した。 その頃から、奇跡のユースティア姉弟と呼ばれるようになり、国 中にその名は轟いた。 僕はそんな姉と兄を尊敬していた。 二人ほど魔力があれば、おとぎ話に出てくる二百年前の魔物大侵 攻を一人で止めた勇者や、不老不死となった賢者のようになれると 思っていた。 そして一年後。 僕が魔惻を受ける時が来た。 周囲は皆期待した あの二人の弟なのだから彼もすごい魔力を持 っているのだろう。 僕は信じていた 姉や兄のようにぼくもすごい魔力があるはずだ と。 そして結果がでた。 魔力無し。水晶は何の色も示さなかった。 現実は残酷だった。 全員が何かの間違いだと思った。 しかし、何度やっても結果は同じ 周囲の期待は侮蔑へと変わり、僕の希望は絶望へと変わった。 その日以来何もかもが変わった。 父上は全く話しかけてこなくなり 暴力をふるうようになった。 12 母上は侮蔑の視線を向けてくるようになった。 姉は視線すら合わせてくれなくなった。 兄は魔法で僕を痛ぶるようになった。時には死んでしまうんじゃ ないかと思うほどの魔法も放ってきた。 僕の怪我を見る度、兄は首をかしげていたが、どういう事か僕に は分からなかった。 唯一二歳の妹は変わらず接してくれたが、それも時間の問題だと 思った。 それでも僕は諦めなかった。諦められなかった 家の書庫に行き魔法に関する知識を片っ端から覚えていった。 魔力を上げる方法もすべて試した。 周囲の侮蔑は嘲笑へと変わった。 それでも僕は努力し続けた。 誰になんと言われようとも魔法を使えるようになりたかった。 しかし、何も変わらなかった。 そしてつい先日妹が魔惻を受けた。 結果、歴代最高を記録した。 ユースティアの三兄妹として今まで以上に有名になった。 そして僕はいつの間にか、世間的に居なかったことにされていた。 僕は妹を妬んだ。羨んだ。 同時に妹がもうこれまでのように接してくれないのかと思うと悲 しくなった。 魔惻が終わった後妹との接触を避けた。怖かったのだ。妹にまで 蔑まれることが。 ある日廊下で妹とすれ違ってしまった。僕は覚悟していた。妹か ら侮蔑の視線を向けられる事を。 しかし、妹は変わらず接してくれた。それがどうしようもなく嬉 しかった。 13 これがクロノ・ユースティアとしての十年間の人生のすべて。 14 第三話 自分の過去を思い返し、溢れでる涙をこらえながら、準備を済ま せた僕は書斎へと向かった。 ﹁失礼します、クロノです﹂ ノックしてそう告げると ﹁入れ﹂ と扉の向こうから聞こえてきたので、茶色く重厚感のある扉を開 け入室した。 そのときにはもう後戻りはできないのだと覚悟を決め、落ち着き を取り戻していた。 書斎へと入ると父上の周りに見たことのない武装した二人組の男 がいた。 格好を見る限り冒険者だろうか。 冒険者とはギルドに登録している人たちのことで、当然、冒険と ついているので冒険もするのであろうが、雑用もこなす。端的に言 えば便利屋のような存在だ。 なにやら、こちらを見る目に憐みの視線がこもっているのをみる と、大方僕の事を父上が話したのだろう。 憐みの視線を向けられるのも慣れていたので、さして気にもせず 父上の言葉を待つ。 ﹁思ったより早かったな、もう少しかかるものだと思っていたが﹂ それは父上が早くしろと言ったからではないかと、内心毒づくが 15 表情には出さない。余計なことを言って、路銀すら持たせてもらえ なくなったとすれば面倒だ。 ﹁まあいい、早く厄介者がいなくなるのはいいことだからな﹂ 実の息子に向ける言葉としては、幾分相応しくない言葉を吐く。 この手の言葉は言われ慣れているので、気にせず疑問に思ってい たことを質問した。 ﹁父上、これから私はどこへと追い出されるのでしょうか?﹂ 当然の疑問だった、今僕が居るのは王都のユースティア本邸であ る。 このまま王都へと放りだせば何かの拍子にばれる可能性が高い。 たとえ、僕が黙っていたとしてもだ。 世間的に居なかった事にされたとはいえ、六歳までは他の貴族の 家にも遊びに行っていたので僕の顔を知っている者はいる。 そして僕を追放した事が露見すれば、他の貴族がそれを利用し弱 みにつけこんでくるだろう。実の子を追放したユースティア家は評 判が悪くなり多少なりとも家格に傷がつくのは明白だ。ただ、その 証拠となる僕がいなくなれば話は別だ。 そう考えると、そのまま王都に放り出される可能性は低いと僕は 読んでいた。 ﹁おまえはこの冒険者共と一緒に東のレミリア地方の街へと行って もらう。そこから先は自由に生きるがいい﹂ レミリア地方 国の東に位置する、魔物が多く治安が悪いことで有名だ。 隣国には接しておらず、変わりに迷いの森と呼ばれる危険な魔物 16 がたくさん棲む森が近くにある。 迷いの森自体は領土内というわけではない。まったくそこを領土 にするメリットがないので、どこの国にも属していないという異常 地帯だ。 なるほど、治安が悪く、そこなら僕の顔を知っている者はいない。 万が一野垂れ死にしても、治安が悪いところならばよくあること なのだから、騒ぎにはならない。というより、野垂れ死にしてもら った方が都合がよいのだろう。 僕を捨てるにはいい場所だ。 さしづめ周りにいる冒険者達は、そこまでの監視役なのだろう。 行くフリをして王都に戻ってきたなんて事の無いように、表向き は案内人として。 ﹁自由に生きろとは言ったが、これからユースティアの名前を出す ことは絶対に許さん﹂ ﹁わかりました﹂ これも予想していたことだ、追い出されるのだから当たり前であ る。 どこかでそんなことを吹聴しようものなら、真っ先に抹殺しに来 るだろう。逆に、追い出すという選択肢が甘くさえ思えた。追い出 すというのはある意味、父上の最後の父性の表れなのかもしれない。 ﹁これで貴様に話すことは以上だ、後のことは冒険者に聞くがいい。 それと、出ていく時は裏口から出ていけ﹂ それ以上父上はなにもしゃべらず、目線で早く出ていけと促すの で、最後に一礼して冒険者達と一緒に書斎を後にした。 17 歩き慣れた廊下。 高そうな深紅のカーペットが敷かれ、廊下のあちらこちらには絵 画や甲冑などさまざまな調度品が並べられている。これらだけで、 一般市民百人が一生暮らしていけるだろう額はする。 そのどれもが、僕がここから出ていくことを喜んでいるように思 えた。 そのまま屋敷の裏口へと出て家に向かって一礼をした後、用意さ れていた荷台を白い幌で覆った馬車へ乗りこんだ。 もう、この家に戻ることはないのだと自分に言い聞かせながら。 こうして僕は家を追い出された。 少年は知らない。 自分に降りかかる出来事に、これからなにが待っているのかも。 18 第四話︵前書き︶ ちょっとバグって途中切れた感じで掲載してしまいました いまは修正しました 19 第四話 冒険者の一人は御者台へと向かい、もう一人は僕と一緒に馬車の 内部へと乗り込んだ。 馬車の中は特に何も無く無駄に広かった。白い幌で覆われ、床は 堅く茶色い木の板でできている。 豪華でもなく特別目立つわけでもない、良く言えば質素、悪く言 えば粗末な馬車。前方には御者台が見え、その先には部屋から見慣 れていた王都の景色が広がっていた。 僕が久方ぶりの外出で興味深そうに、わずかに見える景色を眺め ていると、突如声が聞こえた。 ﹁オウ、災難だったな坊主﹂ 同じ馬車の中に居た褐色の肌をした冒険者のものだ。髪はなく、 スキンヘッド。ついでに強面で、言い方は悪いが悪人面。光景的に 人攫いにすら見えてしまいそうだ。年は三十代後半だろうか。 あまり褐色の肌をした人を見た事がない僕は、年齢を測りかねて いた。 その間に馬車は、馬の嘶きと共に走り出す。 悪人面の男は顔に似合わない同情したような声で言った。 ﹁ったく、ユースティア家の旦那も薄情だよなぁ。こんな小さな子 供を追い出すなんてよ﹂ 20 カタカタと車輪から伝わる振動で馬車がわずかに揺れるが、王都 内は綺麗に舗装されているので、これでも馬車の揺れはマシな方だ ろう。王都から出てからはこれの比ではない。 寝るときなどはどうすればいいのか。動かないにしろ、こんな堅 い床の上では寝れそうにない。 若干これからの揺れに頭を抱えながら、顔には出さず悪人面の男 に言葉を返す。 ﹁それはしょうがないことなんです。僕が落ちこぼれだから﹂ ユースティア家の旦那とは父上︱︱元父上の事だろう。 元父上の判断は確実に正しい、こんな落ちこぼれを家族としてい ては評判が落ちる。 なまじ、他の兄妹が優秀なだけにだ。 僕の言葉を聞き、悪人面の男は大きく溜め息を吐いた。 ﹁はぁー、貴族の坊ちゃんってみんなこんなに冷静なのかね? 普 通の子供だったらわんわん泣きだしそうなもんだが。まあ、これか ら少しの間だがよろしくな。俺の名前はユリウスってんだ。で、今 馬を引いてんのがマルスだ﹂ ﹁僕はクロノ・ユー⋮いや、只のクロノです﹂ ユリウスさんが自己紹介してきたので、僕も頭を下げ名乗った。 あちらは名前を知っているのだろうが、礼儀として名乗らねばなら ないと思ってのことだ。 間違えてユースティアと言いかけて思い直す。もう僕はあの家の 人間ではないのだ。こういう些細なところから訓練していかなけれ ば、ちょっとしたことで喋ってしまうかもしれない。 21 ユリウスさんは呆れたといった様子で、やれやれと小さく首を振 った。 ﹁ホント落ち着いてんな。それと、これからの予定だがバグラスへ と向かう。大体一週間もあれば着くだろ。そこでお前を降ろすよう にとのお達しだ﹂ バグラスという地名は聞いたことがない。 家の書庫にあったのは魔法についての書物ばかりで、国のことは 大雑把に地方分けされたものしか見たことがなかった。 僕は知らない土地に多少の興味を持った。どうやら、そこで僕の 新しい人生が始まるらしい。 僕が未開の地に思いを馳せていると、何やらユリウスさんがじゃ らっとした音の鳴る袋を目の前に置いた。 ﹁あーそうだ、ホレっこれがお前の金だ、ざっと見十万コルってと こか﹂ 渡されたのは粗末な布袋に入った貨幣だった。そういえば父上が 路銀を渡してくれると言っていたことを思い出す。 10万コルといえば、どれくらいだろうか。イマイチよくわから ない。 コルとは、フィファル大陸での共通したお金の単位である。 大陸共通で金を回せているということは、比較的大陸内は安定し ているということらしい。 早速中身を確認しようとすると、ユリウスさんが言葉を発した。 22 ﹁あんま、人に見せんなよそれ。盗人に狙われるから。只でさえ珍 しい金髪青眼なんだから﹂ 東ではこの髪と眼は珍しいらしい。王都内ではそこまで珍しくな いのだが、地域によってそういった肌や眼、髪が違うのも無理はな いか。 東に行ったら、この髪を隠す手段も考えなければいけないな。下 手に目立つのはよくない。 頭の中に注意事項をメモしながら突如襲いかかってくる眠気に抗 うが、その抵抗も空しく、ついには眠りに落ちてしまった。 ⇔ ︵寝ちまったな、追い出された事で疲れてたのか?︶ ユリウスは、目の前に眠る金髪青眼の少年を見ながら、彼の今後 を案じる。 始まりは、ギルドから内密に託された不思議な依頼だった。 通常、ギルドでの仕事というのは掲示板に紙と共に内容が張られ、 そこから好きなものをとっていくというスタイルなのだが、今回は ギルド自体から自分たちにだけ依頼されたものだった。 内容すら知らされず、受けるかどうか聞かれ、二つ返事で受ける といった結果がこれだ。 内密だったのは、捨てるということを知られたくなかったという ことらしい。 クロノ・ユースティアが存在したということ自体を抹消する気ら しい。 23 先ほど話してる時は、大人びていて自分の置かれた境遇も理解し ている年齢不相応なガキだと思ったが、可愛らしい寝顔を見ている とやはりまだ十歳なのだと思う。 依頼人の話だと、落ちこぼれでどうしようもなく使えないから追 い出すとの事だったが、ユリウスにはそう思えなかった。 おそらく彼は聡明であり、精神力もなかなかに強い少年である。 自分と話しているときでも、何か考えているようであった。それに、 家を追い出されたその日は大体の人間がショックでどうにかなって しまいそうなものだが、目の前の少年にそんな素振りは見えなかっ た。 魔法が使えないというだけで、理不尽な迫害を受けてきたのだろ う。 魔法が使えないというのはそこまで珍しいことではない。人間全 体に約一割ほどはいるとされている。 それに、使える人間の中でも、戦闘で使えるレベルの人間はその 半分ほどしかいない。 昔の自分を思い出す。親に捨てられ、スラム街でゴミ溜めのよう に生きていた自分。 周りには味方などほとんど居なかった。日々の食糧を盗みでしか 得られなかったあの頃。 マルスとはその頃からの付き合いである。 今でこそ冒険者をしているが、運が悪ければあそこで死んでいた であろう。 ましてやこの子は元貴族である。スラム街での生活に耐えられる とは到底思えない。 ユリウスは自分でこの子を育てたいと考えた。 賢ければ戦えずとも、なんらかの役には立つだろう︱︱。 24 というのは、自分でも言い訳だと分かっている。単純に不幸な少 年に昔の自分を重ね合わせただけだ。こういった打算的な思考をし なければ、自分の何かが納得しなかっただけなのだ。 今までも、スラム街を通って思うことはあった。ただ、機会と金 がなかっただけ。 機会。それは今だろう。今、正に一人の少年が捨てられている。 金。昔は金がなかった。二人でやっていくのが精一杯だった。し かし、今は違う。ある程度の収入は得られるし、今回の依頼で入る 金は相手が貴族なだけあって莫大だ。報酬の中には、口止め料も入 っているのだろう。 だが、これは依頼だ。バグラスの街へ届けた後、依頼人に報告し に戻らねばならない。 その間一人で置く? あの街に? バグラスはお世辞にも治安が良いとは言えない街である。そんな 街に一人で置くとどうなるかは想像に難くなかった。 自分かマルス、どちらかを置いていきたいところだが、なぜか今 回の依頼は二人で戻って来いと契約書に書かれていた。 ︵俺が王都に行ってる間誰かに任せるしかないな⋮︶ まあそれもこれも、パートナーであるマルスの返答次第だが。 ユリウスはクロノが完全に寝たのを確認した後、御者台にいるマ ルスに自分の意思を伝えた。 マルスは案外簡単に了承してくれた、どうやらマルスも捨てられ た少年には同情していたらしい。 マルスも昔の自分と重ねていたのだろう。 25 王都を出てガタガタと波うつように揺れる車内で、二人は話し合 う。これからを。 そのままマルスと話していると、夜になった。辺りはすっかり日 が暮れ、2m先も見えない始末。これ以上進むことは難しそうだ。 馬車を止め、野宿する事に決めた。少年は寝っぱなしである。 二人は少年を起こさないよう慎重に、野宿の準備を始めていった。 こうして、夜は更けていく。 26 第五話︵前書き︶ お気に入り登録して下さった方ありがとうございます そういえばユースティアの人間全く名前出さずに家でちゃった べっ、別に名前考えるのが面倒だったわけじゃないんだからね 27 第五話 目を覚ますと、突如背中が痛くなった。なぜだろうか、と思いつ つ身体を起こす。 そして、床を見て現状を思い出した。 ︵そういえば、追い出されたんだっけ︶ 今僕が寝ているのは、いつも寝ていたようなやわらかいシーツの ひかれたベッドではなく、茶色く堅い木の板の上だった。 当然シーツなどなく、そのまま寝てしまうと夜冷える事は確実。 しかしそこまで考えた所で思い出す、今まで僕は確かに寝ていた のだこの床で。 自分の身体の順応力に感心しつつ、ぼやけた記憶を探ってみる。 確かユリウスさんの話を聞いてる途中で、眠たくなって寝てしま ったんだった。心なしかお腹も空いた気がする。 ︵今は何時くらいだろう?︶ 気になった僕は幌から顔を出して外を見た。 瞬間、とても眩しい太陽が目に入ってきて眩みそうになる。直射 日光は正面からみるものじゃない。 次第に目が慣れてきて、視界がはっきりしてきた。太陽の位置を 見る限り朝方のようだ。 視線を下に戻すと、右の方にユリウスさんとマルスさん? だっ たかが、煤けた大地を中心に座っていた。煤けている大地を見るに、 夕べは焚き火でもしていたのだろう。 僕の視線に気づいたユリウスさんがこちらに顔を向け話しかけて きた。 28 ﹁オウ、起きたか坊主。昨日はぐっすり寝てたなぁ﹂ 眼の下にはくっきりと黒い隈が浮かんでおり、なんとも眠たそう だ。 夜通し見張っていてくれたのだろうか? 王都を出て一日なので、 そんなに王都とは離れていない。 王都の周りは国内でも治安が良い方なので、まだそこまで夜のこ とを心配する必要はないはずなのだが。 案外心配症なのか。 そう思い僕は気にしないことにした。 ﹁ええ、おはようございますユリウスさん﹂ 僕は馬車から降り、無難に挨拶をした。そしてその向かいに居る 人へと視線を向けた。 この人も隈ができている。 ﹁おお、そうだ昨日はまだお互い話してなかったな。こっちが昨日 話してたマルスだ﹂ マルスと呼ばれた茶髪で痩せ形の男は、こちらを向くと消え入り そうな声で言った。 ﹁よ、よ⋮ろしくです⋮﹂ ﹁クロノです。こちらこそ短い間ですがよろしくお願いしますね﹂ 恥ずかしがりや。 それが第一印象だった。茶髪で、見た目は二十代前半くらいだろ 29 う。痩せ型というより、どこか頼りなさを感じさせる。 僕がマルスさんをそう値踏みしていると、ユリウスさんが豪快に 笑った。 ﹁がははっ、こいつは恥ずかしがり屋でな。今みたく声が聞こえづ らいこともあるだろうが勘弁してやってくれや﹂ ﹁す、すいません⋮⋮﹂ ﹁いえいえ、私の耳にはちゃんと聞こえますし、そんなに謝らない でください﹂ その話を聞き、自分の第一印象が間違っていなかった事を確信す る。 今も頭を下げオドオドとしているマルスさんを見て、ふと疑問が 湧いてくる。 この人は冒険者なのだろうか? と。 僕の持つ冒険者のイメージは荒くれ者が多く腕っぷしの強い者 それこそユリウスさんのような豪快で筋肉質のような人だ。 しかし、目の前にいるのは痩せていて気弱そうな豪快とは程遠い ような男。 僕は彼がどれくらいの強さなのか知りたくなった。悪意などない 純粋な好奇心からだ。 だが、どれくらい強いのかなどと馬鹿正直に聞けば失礼だろうし、 これからわざわざ魔物を倒して下さいなどというのも論外だ。 そこで僕は思いついた。自分の疑問を解消してくれる方法を。 僕はすぐさまそれを実行に移した。 30 ﹁ところでお二人とも強そうですがギルドランクはどれくらいなの ですか?﹂ そう、ギルドランクを聞けばよかったのだ。 冒険者である以上ほぼ間違いなくギルドに登録しているだろう。 冒険者ギルドは各国にあり、国とは独立した体制をとっている。 ギルドランクというのは、ギルドが定める冒険者の階級でF∼S SSまである。 単純にギルドランクが高ければそれだけ強いという事になる。 Cランクで一人前。Bランクで一流。Aランクともなれば国の一 大戦力として扱われる。 Sランクより上は最早人智を超えた超越者とされているが、こち らは現在いるかどうかすら怪しい。 ﹁ハッ、坊主も世辞がうめぇな。俺はともかく、マルスを見た目で 強そうなんて言うやつはいねぇぞ?﹂ ﹁そんなことはありません。マルスさんは腕の立つ魔術師なのでし ょう?﹂ ﹁ほう、そこまで分かってるたぁーな 俺もマルスもBランクだよ﹂ こちらの考えを見抜かれていた事に内心慌てたが、予定通りの解 答をして事なきを得た。 どう考えても戦闘が出来るように見えなくても魔術師であれば、 そこまで筋力を鍛える必要はない。 一般的に冒険者の中でも、戦い方によって名前が分かれる。剣士 であったり、射手であったり。 それぞれ基本的には、最低限の魔力が必要で、魔法を補助として 31 使い、剣で斬りかかったりするのである。 しかし、魔術師は、魔法だけ。それをメインとして戦うのである。 余程、自分の魔法に自信がないと出来ない。 予想していたことだ。僕には一生縁の無い名前だが。 そしてユリウスさんのBランクという言葉。 Bランクといえば世間一般では一流と呼べるクラスだ。 あの気弱そうなマルスさんも、戦闘となれば力を発揮するのだろ う。まったくもって想像できないが。 何はともあれ自分の疑問を解消出来て満足した僕は、もうあれこ れ考えずにユリウスさんと会話していた。 ︵結局マルスとガキについて話し込んで朝になっちまった⋮︶ まあ、もう少し東の方にいけば寝ずに見張りをするつもりだった のでそこまで苦ではないのだが。 太陽が見えてきてしばらくすると、馬車からあのクロノが顔を出 してきた。 挨拶した後、マルスの方に顔を向けて居るのをみて昨日二人は話 してなかった事を思い出し、マルスを紹介した。 その後、クロノは自分たちのギルドランクを聞いてきた。 大方、マルスがどれくらい強いのか気になったのだろう。聞く時 にさりげなくお世辞を混ぜてくるあたりなかなか賢い。 あえてお世辞の場所を指摘したが、するりとかわされてしまった。 同時に人を見る目もあるようだと思った。大抵の人間はマルスをユ リウスの従者だと思う。 しかし、一発で魔術師と見破るとは。本格的にクロノを育ててみ 32 たくなった。 ︵とても面白い拾いものをしたもんだ︶ 只、夜マルスに言われたことが気がかりだった。 ﹁ユリウスは顔が怖いから、子育てには向かないと思うよ?﹂ ︵俺ってそんなに強面か?︶ 褐色の肌をした男は知らない。自分のスキンヘッドがどれだけ自 分の顔と相まって相手に威圧感を与えるかを。 それから六日後。 大した問題もなく馬車はバグラスへと到着した。 33 第六話︵前書き︶ ユリウス達の出番はこの後しばらくありません 多分 青年期まで出てこないと思われ 34 第六話 大通りでは人がそこそこ賑わっているが、路地を一本入ればまる で別世界のように静まり返っている。それに賑わっているといって も、規模は小さく、王都とは比べ物にならない。 王都のように貴族街はなく、代わりにスラム街と呼ばれる所が多 々ある。 スラム街では盗人や孤児は当たり前。奴隷商人もたくさんおり、 人攫いも日常茶飯事らしい。 ユリウスさんからそう説明を受けた僕は、このバグラスという街 でどう生きていくかを考えていた。 手元には十万コル。 宿屋が大体一泊三千コルらしいので約一カ月は宿屋に泊まれるが、 その後の予定も立っていないのにいきなりそれだけお金を使うのは まずいだろう。 今現在僕に出来ることは算術くらいのものだ。 一応元貴族であったので算術も出来るし、字も読める。 この国の識字率は低くはないが、この街であれば出来る者は限ら れてくるだろう。 算術と読み書き両方を生かせる職業としては商人があるが、たと え十万コルを元手にしたとしても子供の商人など舐められるのがオ チだ。 まだついたばかりであるわけだから、そこまで慌てる必要もない か。じっくりと生きる道を探っていけばいい。 僕がそんなことを考えていると、目の前を歩くユリウスさんから 声をかけられた。 35 ﹁オイ、クロノお前行くあてはあんのか?﹂ 最初は坊主としか呼んでくれなかったが、一週間のうちにクロノ と呼ばれようになっていた。 今、僕たちはバグラスの街を歩いている。ユリウスさんが街を案 内してくれると言ったからだ。 行くあてと言われても、初めてきた街でそんなものがあったら苦 労はしない。 ﹁いえ、全くありません初めて訪れた場所ですし﹂ ﹁そうか。だったら、これから二週間ほど待ってくれればいい所を 紹介してやる﹂ ﹁ほ、ほんとですか!?﹂ 衝撃的な提案に声が裏返ってしまった。 二週間というのが気になるが、渡りに船である。 僕はこの一週間でユリウスさんを信用していた。マルスさんの方 は目を逸らされてしまうので、嫌われているのではないかと思った が、ユリウスさん曰く人付き合いが苦手なだけらしい。 この人であれば奴隷商人に売り飛ばされるようなことはないだろ う。 ﹁ああ、一応ユースティアの旦那にもいわれてるしな﹂ 素直に驚いた。 父上︱︱︱いや、元父上がそんなことを言っていたとは。あの父 上の態度からはおおよそ考えられない。 36 正直違和感が拭えないが、ご厚意に甘えさせてもらうとしよう。 同時にあまり期待しすぎるのもよくないとも思う。期待しすぎて も裏切られるだけだ。 これは僕がクロノ・ユースティアとして生きた十年で身にしみて わかった事だ。期待が大きいと、裏切られたときのショックは増す。 世の中そう、旨い話は転がってはいないものなのだ。 なので、一応その話がダメになった時のことも考えておかなけれ ば。 ﹁二週間は宿に泊まるといいだろう。俺とマルスは一度王都に戻ら にゃならんしな﹂ なるほど、二週間というのはユリウスさん達が王都を往復する時 間か。 ﹁その間信頼できる宿屋も紹介してやる。ほれあそこだ﹂ ユリウスさんが目線を向けた方向には、旅人の宿とかかれた看板 がたっていた。 三階建ての一目で宿屋だとわかるような外観。 この街でもトップクラスで綺麗な宿であろう事が想像できた。外 観から、他の黒ずんだ建物と一線を画す綺麗さ。三階建て自体、こ の街に入ってきて初めてみた。 ユリウスさんの後に続き宿へ入っていく。 中はこじんまりとしているが清潔そうで、下級貴族の家といって も通用しそうだった。 中を眺めている間に、ユリウスさんは受付を済ませお金を払って いた。前金が必要なのだろう。 37 慌ててお金をだそうとするが、ユリウスさんに手で制せられてし まう。 ﹁いいんだよ、ユースティアの旦那から金貰ってんだ﹂ そこまで元父上がして下さったとは。 疑問が湧きあがるがそれよりも感謝が止まらなかった。追い出さ れる身としては、もう少しまずい状況を想定していたのだが。 受付を済ませ鍵を貰った僕たちは部屋と向かった。 部屋は白いベッドと粗末ではないテーブル。円形のテーブルはな んとも、まあ、普通だ。普通のテーブルというやつというのを想像 したらこんな具合になるだろうと思う程度には。 そして鏡台まであった。鏡は希少価値が高いので、この部屋は宿 の中でも相当に高い部類だろう。 部屋に入り、ユリウスさんから宿屋の説明を受けた。 三食付き。食べる時は食堂へ。とてもシンプルだ。 その他の事は大体僕でも知っていたので大した問題はなかった。 ﹁それと、あまり街中にはでるなよ。大通りならまだしもスラム街 になんて入っちまったら危険だからな﹂ ﹁分かりました。二週間ここで待っていた方がいいわけですね?﹂ ﹁ああそうだ。まあ、完全にここから出るなとまでは言わねーがな。 どーせ完全にでるなっつてもでるんだろう?﹂ ﹁ええ、多少はこの街の事も知らないといけないですしね﹂ ﹁お前が好奇心旺盛なガキだっつーのは、一週間で分かってるから 38 な﹂ クククっと笑う。こうしてみると悪人にしか見えない。本人にそ んな気はないのだろうが。 それに僕はそこまで落ち着きがなかっただろうか? と考え込む が、あまり思い当たらない。 ﹁とりあえずこれで説明は終わりだ。俺とマルスはこれからすぐ王 都に行くから、二週間いい子で待ってろよ?﹂ ﹁はいありがとうございます。道中お気をつけて﹂ ﹁おう、んじゃあな﹂ そう言ってユリウスさんは部屋から出て行った。 一人で使うには広すぎる部屋。人が一人居なくなっただけで物足 りなく感じた。 同時に僕は見知らぬ土地での新生活に、少々心が躍ってしまうの だった。 十日後 ユリウスとマルスはバグラスへ戻ってきた。 王都の往復を急いできたのだ。あの少年をあまり待たせるわけに はいかないと思い。 39 しかし、少年は忽然と姿を消していた。 ユリウスと別れてから四日たったある日、クロノは路地裏へと出 かけていた。 街の実情を知るためだ。なにより、はやる好奇心を抑えられなか った。 この二日で大通りはもうまわり尽くしたので、今日は路地裏に行 こうと考えていた。 宿の人に聞くと道一本入ったくらいなら大丈夫だろうとのこと。 そこは大通りと違い静かで、大通り側の建物のせいであまり陽が 入ってこない。まさに大通りとは隔絶された世界のように思えた。 ここに居る人も、皆死んだ魚の様な目をしていて、大通りに居る 人とは違う生物のようだ。死人といってもいいほどに。まるで死ね ないゾンビのようだ。特に顔面を真っ白くクリームで塗りたくった ような、丸く赤鼻の男など最早何がなんなのか分からない。 僕が暗くジメッとした路地裏を歩いていると、もっと奥に続く道 から何人かの屈強そうな男が出てきた。 慌てて路地の端に避け、目立たないようにやり過ごそうとする。 男たちは円を作り、何かを囲むように歩いている。 その集団を端から観察していると、真ん中にいた男と目があった。 真ん中にいた男は周りに居る者とは違い、高そうな服をきている 40 がぶくぶくに太っており、似合わないことこの上ない。格好だけな ら、まるで貴族や大商人のようだが、もう少し痩せた方がいい。 おそらく周りはその太った男の護衛なのだろう。護衛をつけられ る位には金を持っていそうだ。なぜ、こんな危険な場所にいるのか は疑問だが。 真ん中にいた男は僕を見て、気持ちの悪い笑みを浮かべたかと思 うと、何事かを周りの男に耳打ちし始めた。 突如、周りにいた男たちが僕に向かって走り出した。走ってくる 男の目を見て昔の恐怖がよみがえる。 怖い 怖い 怖い 怖い 怖い あれは兄と同じ目だ。いい玩具を見つけたと言わんばかりの。 僕を見るたび魔法で僕を痛めつけてきた兄。何度死に掛けたか分 からない。 そんな兄と同じ目をした男たちに捕まっていい筈がない。 全速力で大通りへと逃げだした。すぐそこの角を曲がれば大通り だ。 そう思った時︱︱︱突如後ろから強い衝撃を受けて、僕は意識を 暗い路地に落とした。 41 第七話 強い衝撃が体を襲う。痛みで意識が覚醒してくる。 ︵どうしたんだっけ?︶ ぼんやりと頭の中で思考をまとめようとするが上手くまとまらな い。 ﹁⋮い、おい﹂ 何かが聞こえてくる。 ﹁おい、起きろって﹂ ︵オキル? ダレガ?︶ 聞き覚えのない声。 はっきりとしない意識は、再び襲った衝撃によって突如覚醒した。 目を覚ますと、同い年くらいの茶髪の腕白そうな少年が、僕の頬 を引っ張っている。 どうやら引っ張られたことで、意識が覚醒したらしい。 寝ながらあたりを見渡すと、同い年か少し幼いくらいの少年少女 が十数人居た。鉄製の檻の中に。 自分の位置をみると僕も檻の中に入れられていた。 檻の外は窓もなく、窮屈な空間。檻の外には見覚えのある男が二 人ほどいるが、舟を漕いでいる。 42 ︵どこだろうここは?︶ どうしてこうなったか思い出してみる。 ︵確か⋮路地裏で追いかけられて、角を曲がろうとしたところで首 筋に衝撃が走りそのまま気絶したのか?︶ なるほど、誰かに捕まったわけだ。 このときの僕は思いのほか冷静だった。というより、追い出され たという現実が未だに僕を夢の中にいさせたのかもしれない。 何はともあれ情報を集めないことには始まらない。 未だに僕の頬を引っ張っている少年を引きはがし、事情を聞くこ とにした。 ﹁ここは、どこなんだろう?﹂ ﹁なんだ。お前も攫われてきた口か。ここは奴隷商人グラムの奴隷 保管庫だよ。子供専用のな﹂ 割とあっさりと喋ってくれた。子供しかいないというのも、そう いうことらしい。 ということは、あのぶくぶくに太った男がグラムで路地裏にいた 僕を捕まえるように指示したのだろう。 ついでに、目の前の少年も僕と同じように攫われたらしい。 ﹁僕は路地裏に居ただけなんだけどね﹂ 不思議そうに尋ねる僕に、少年は呆れたように言った。 ﹁きったねえ路地裏にお前みたいな金髪の子供がいたら、目立つに 43 決まってんだろ。大方グラムのやつが珍しいと思って、捕まえるよ う手下どもに言ったんだろうさ﹂ 思い当たる節はある。自分も、捕まる直前にはそんな気はしてい た。 そういえば東の方では僕の髪と眼は珍しいんだった。フードでも 被るべきだったと己の失態を恥じた。 少年は僕に向けて手を差し出す。 ﹁オレはヘンリー。お前の名前は?﹂ ﹁クロノだよ。よろしくねヘンリー﹂ 聞くと、茶髪の少年︱︱ヘンリーもスラム街にいた所を攫われて きたらしい。 奴隷商人が奴隷を手に入れる方法は主に三つある。 一つは親などが子供を身売りする場合。 おそらくこれが一番多いだろう。手っ取り早く金を得られる。子 沢山の農村の方では多いというのを、聞いたことはある。 もう一つが犯罪者。 犯罪を犯した者は刑によっては奴隷にされる。実質的には終身刑 に近い。 最後が人攫いだ。 人攫いは当然公には認められていないが、奴隷商の中には平然と 行う輩も多い。 たとえ奴隷が売られる時に真実を言ったところでそれが本当か分 からないし、もし攫われていないのだとすればそれは奴隷になりた くない為の嘘であり、奴隷であるのは当然だからだ。 それに奴隷を買う側からすれば、今買いたい奴隷が攫われた者だ 44 とすれば買えなくなるのでそのような訴えをしても無視されるのが 通例だ。 よって、人攫い自体は暗黙の了解と化している。 そして買われた奴隷には隷属の首輪というものを付けられる。 これは主人の命令に絶対逆らえなくなる首輪で、一度付けたら主 人の許可なくは外せない代物だ。 主人とは最初に首輪をつけた人物を指す。 買われてから付けられるというのは、隷属の首輪のルールとして 生涯に一度しか付けられない為だ。 だから奴隷商人は隷属の首輪を付けられない。それでも厳重な警 備のもと保管されているので逃げることはできないのだが。 つまり、一度捕まったら抜け出せない。 まさか、僕がこんなことになるとは。一ヶ月前には想像もしてい なかった。 そんな事実に危機感を覚えながらも、僕は一縷の希望︱︱抜け出 すために情報収集を続ける。 ﹁つまりここは、大通りから大きくはずれた路地裏にある商店の地 下なんだね﹂ ﹁ああ、お前と違ってオレはここに運ばれてくる時意識があったか らな﹂ フフンと誇らしげに胸を張るヘンリー。結局攫われたという点で は変わらないというのに、なぜそこまで誇らしげなのか。 なにか負けた気がしながらも、質問を続けた。 ﹁ヘンリーはここに来てどれくらい?﹂ 45 ﹁多分二週間ってとこだな。なにしろここは外が見えねーから、ど れくらい経ったか正確にはわかんねーんだ﹂ ここは地下で窓はない。陽も差し込まず、多くのランプがなんと か照らしているだけ。 二週間も何もせずこんなところにいるかと思うと、僕だったら気 が狂いそうだ。少しヘンリーを尊敬した。 二週間もこんなところに居るということは、買われていないとい うことだ。 ヘンリーが言うにはこの二週間一人も客は来ていないという。 ︵ここは売り場じゃないのか?︶ 僕の疑問に丁度良くヘンリーが答えてくれた。 ﹁見張りどもの話を聞く限り、五日後に大規模な奴隷オークション があって、それように人を集めてるらしい﹂ 僕はヘンリーの評価を上方修正する。 なかなか目ざとい。 五日後に奴隷オークションがあるということは、抜け出すなら期 間は五日しかないということだ。 買われて隷属の首輪を付けられてからはもう逃げられない。 しかし、この檻を抜け出せるかと聞かれれば否だ。 子供の力でこの檻は抜けられないし、目の前には見張りもいる。 チャンスがありそうなのは食事を運ばれる時だが、話だとその時 は見張りが増えるらしい。それくらいは相手も予想しているのだろ う。 それ以前に、見張りを倒すような力を持っていない僕には不可能 だと言わざるを得ない。 46 そう考えると、五日後奴隷オークションに連れていかれる時が一 番現実的だろう。 警備体制がわからないのが懸念材料だが、一番抜け出すチャンス があるはずだ。 それまでは、食事の時チャンスがないか伺うにとどめておこう。 心にそう決め、他の子供たちにも話しかけ情報収集をし続けた。 五日後。 ついにその日がやってきた。 檻から出され、列を組んで湿っぽく急で狭い階段を進む。歩くだ けで軋む古ぼけた階段。 前後には見張りがいる。 ︵まだだ、まだだ︶ 今すぐ抜け出したい気持ちを抑え、指示に従う。 この一週間で信頼できる二人を見つけ計画を練った。 一人はヘンリー。 ヘンリーは少し炎系の魔法を使えるのだ。 殺傷能力は低いが火を付ける分には十分だろう。 もう一人はメリー。 ピンク色の髪をした。八歳の少女だ。 メリーも攫われてここに来たらしい。 抜け出したいという願望が人一倍強そうだったので仲間に誘った。 人は多い方がいい。バラバラに逃げる時に生存確率が高まる。勿 論全員逃げ出せるに越したことはないが、現実はそう甘くない。 47 しかし、人をむやみには増やせなかった。 多いと密告者がでてご破算してしまう為だ。 計画といっても、僕が合図したらヘンリーが近くにある木材に火 を放ち、騒ぎに乗じて逃げるというお粗末な作戦だったが。 それでもやるしかなかった。 地下から上に上がり外に出ると開放的になった。 何日か振りの日光。久々に浴びると眩しくて暖かい。 そんな余韻に浸りつつ、すぐさま周りを見渡す。 幸い雨は降っていなかった。 何を燃やすかを思案する。 近くの家? 近くにある木? こうして考えている間も時間は迫ってくる そこで僕は思い付く。視線の先には馬車。 おそらくこれに乗って連れていかれるのだろう。 白い幌で覆われた馬車。おそらく床は木の板 ここにくる時に乗ってきた馬車と同じタイプだが、こちらの方が 幾分か大きくぼろい。 これしかないと思った。 列の前の方に居たヘンリーが、馬車に乗り込もうという時に手を たたいた。 その音は大きくはなかったがヘンリーはこちらをむいた。僕の視 線の先にある物を見て理解したようだ。 ヘンリーが馬車の中に入って少しして、灯りが灯る車内。 火がついた馬車。パニックになって馬車からでてくる子供と見張 り。 後ろにいた見張りも、大慌てで水を持ってくるために店に入って いった。 ここまでは成功。 ヘンリーが出てきたのを確認してから、僕は再び手をたたいた。 48 さあ、脱走の始まりだ。 49 第八話︵前書き︶ ようやくメインキャストが少しだけ登場します 色々以前の話も加筆修正していたり 50 第八話 走る 奔る 趨る 手をたたいた後、僕たちはバラバラに散って逃げていた。 子供の足でいくら走ったところで大人には敵わない。 最初に見張りが動き出す前にどれだけ距離を稼げるかが勝負だっ た。 二分程走ったところで怒声が聞こえてくる。 脱走がばれたのだろう。ここからは追いかけっこだ。 最初の二分で稼いだアドバンテージが尽きる前にどこかへ逃げな ければ。 無我夢中で走り続けた。 周りの景色がどんどん後ろへ流れてゆく。風を感じる暇も無い。 僕を見る通行人の視線も無視して、僕は走る。 知らない道を右に左に。自分でも信じられない速度で逃げ続けた。 それからどれくらい走っただろうか、街の外へ出ていた。 辺り一面絨毯のように草が敷かれた草原。 ここまでくれば大丈夫かと思い後ろを振り向く。 そして僕は自分の考えが甘いことを思い知る。そこにはもうあと 少しまで男が迫ってきていた。 自分の考えが甘かったことを恥じながら、再び走り出した。 か弱い小動物と獰猛な肉食獣の追いかけっこ 遮蔽物も無い直線の道を 逃げる 逃げる 逃げる その間にもどんどん距離を詰められる。直線では街中よりも距離 が縮むのは自明の理。 息が苦しい。それでも走ることをやめなかった。 止まったらもう逃げられない。 51 草原を抜け木々がうっそうと生い茂る森へと入っていく。 もう体力は限界に近い。肩で息をしている状態だ。 たいして男は疲れは多少見えるもののまだ余裕を感じられた。 そして、後一歩手を伸ばされたら捕まると思った時・・・・・ 茶髪の少年は逃げていた。 後ろから迫ってくる男の手から。 住み慣れたこの街で撒けないわけがない。人一倍この街の事を知 っているという自負があった。 しかし、どんどん追手は増えてくる。 ︵こりゃー、ちっとまずいな。見張りは確か八人いたはず⋮。俺の 後ろには三人か⋮メリーはもう捕まったみたいだし、俺とクロノで 二手に別れたとしてももう一人増えんのかよ。っち︶ 舌打ちをしながら、頭の中で考える。 ︵どこに、いきゃーいいんだ?︶ いくらこのまま追いかけっこを続けたとしても先にへばるのはヘ ンリーだ。 追手を撒くにはある程度距離を離さねばならない。 だが、所詮十歳の子供に過ぎないヘンリーにそんなことは不可能 だった。 追っ手が一人であれば、撒く自信はあったのだが。 ︵こんなことなら、危険を承知で大通りに逃げるんだったか?︶ 大通りに逃げなかったのは、追手が来た時見ず知らずのやつが敵 になるのを防ぐためだった。 奴隷が脱走したといえば持ち主が追いかけるのは当然だからだ。 52 街の中で目撃情報を集められて終わりだろう。 攫った奴隷というところを隠せばだが。 こうして考えている間も逃げ続ける。 そして次の角を曲がろうとした時︱︱誰かにぶつかった。 ﹁がッ⋮⋮! ってえなあ⋮⋮!?﹂ それは見覚えのある男。先ほどまで、自分の後ろにいた男だった。 男は見るなり下碑た笑みを浮かべる。 ﹁よ∼やく見つけたぜぇ∼﹂ ︵先回りしてやがったのか!?︶ 見張りの男に両腕を捕まれる。 外そうと身を捩るが、子供の力では逃げられない。 あっさりと抵抗を諦めた。 ﹁そうだ。お前もう一人の男のガキの行き先知らねぇか? 先に捕 まえたガキにも聞いたんだがどうやっても吐かねぇからよ?﹂ ヘンリーは唾を吐きながら、イラついた声でそれに答える。 ﹁知らねーよ、俺たちはバラバラに逃げたからな。それより⋮お前 メリーに何しやがった。﹂ ﹁あー?全く吐かねぇからちょっと体に聞いただけだぜ?キヒヒヒ ッ﹂ ﹁てめぇ!!!﹂ 53 醜悪な男に強い嫌悪感を覚えながらも、もう一人の身を案じる。 ︵あーあ、捕まっちまったか、後はクロノだけ。お前だけは頑張っ て逃げろよ︶ 結局クロノは檻に戻っては来なかった。 逃げられたのかどうかは定かではない。 その日のオークション行きは中止になった。 ヘンリーは明日から始まるであろう拷問の日々に覚悟をしながら、 長い長い一日の幕を閉じた。 翌日、とある奴隷組織が二人の冒険者につぶされるのだが、それ はまた別のお話。 楽勝だと思った。 脱走したガキをたかだか一人捕まえるだけの簡単な仕事。 どうして馬車に火がついたのかは分からないが、その時逃げ出し たガキなど簡単に捕まるだろう。 どうやら三方向に散ったようで、それぞれ仲間とは別々に追いか けた。 路地を走っていると金髪のガキが走っているのを視界の端に捉え た。 スラム街には似つかわしくない整えられた金髪 グラムの旦那もあれは高く売れるだろうと言っていたのを憶えて いる。 54 自分の幸運に内心ほくそ笑みながらもガキを追った。 すぐ追いつくであろうと踏んでいたが、少しづつしか距離が詰ま らない。 俺が遅いのではない、あのガキが速いのだ。 それでも徐々に距離は詰まっている。 やがて、街の外に出ていた。 ガキは一瞬立ち止まり俺の方を見た、と思ったらすぐさままた走 り出す。 一瞬立ち止まってくれたおかげで距離は大分縮まった。 夢中で走っていると、後少しで手を伸ばせばガキを捕まえられる という近さまで接近していた。 俺は手を伸ばし捕まえようとした。 そして︱︱俺は意識を失った。 あと一歩手を伸ばされたら捕まると覚悟を決めた時︱︱クロノは 目を閉じていた。 しかし、いつまでたっても捕まった感覚がしない。 ﹁⋮⋮?⋮⋮﹂ 55 恐る恐る後ろを振り向いてみるとそこには︱︱頭部だけが切り取 られた先ほどの男と思われる死体があった。 それはまるで何かに齧られたようで、がっぱりと頭だけが抜け落 ちた死体。血が首だったところから溢れ、滴っている。 立っていたその死体は、ゆっくりと地面に倒れこむ。 混乱した。目の前であり得ない現象が起こっていた。 ︵なんだこれは。なんだこれは︶ 頭のなかで同じ言葉を繰り返す。 呆然としていると、近くで唸り声が聞こえた。 その声だけで殺気を感じられる。 ﹁グルルルル・・﹂ 声のした方へ顔を向ける。そこには黒く獰猛そうな狼がいた。 目が合った瞬間殺されると思った。 これは魔物だ。 あの男を噛みちぎったのもこいつだろう。 目に宿る獰猛さはそこらへんのごろつきの比ではない。 あれからみればぼくは虫みたいな存在だろう。 ﹁ガァァァッッッ!!﹂ 雄たけびをあげ飛びかかってくる狼 これは死んだと思った。動くことすら許されなかった。それほど のプレッシャー。 僕は本日二度目となる覚悟を決め、目を閉じる。 グシャリという音が聞こえ、これは自分の身体が無くなった音だ と思う。 56 不思議と痛みを感じなかった。 ︵死んだのか僕は︶ しかし、身体には感覚があった。 目を開けるとそこには︱︱真っ二つに斬られ動かなくなった黒い オオカミが居た。 脳内は混乱を極める。最早ここは現実ではないといわれても信じ そうだった。 本日二度目となる未知との遭遇︱︱只最初と違ったのは ﹁キミ、大丈夫?﹂ 混乱を打ち破るように声をかけられた事だった。 これが彼の人生を変える出会い。 全てはここから。 57 第九話︵前書き︶ 朱美さんの頭の中は割とお花畑です クロノを拾ったのも実は可愛かったからというだけだったり 58 第九話 ﹁あっ、あの、大丈夫でしゅ﹂ 突然話しかけられたので噛んでしまった。 僕は恥ずかしさを抑えながらも状況を整理していた。 ピクリとも動かなくなった黒いオオカミ。先ほどまで僕を襲いに 来ていた。 そして、それを切ったと思われる目の前に立つ女性みると、見た 事のない黒髪黒眼で手には細く奇妙な形をした剣? を握っている。 髪は長く束ねているようだ。歳は二十代前半くらいだと思う。 あんな剣みたいなものであのオオカミを斬ったのだろうか? 斬ったのだとしたら相当の使い手だろう。あんな細い剣で斬るな んて、僕もこんな風に強くなりたいと思った。 そんな僕をしり目に女性はこちらに顔を向けようとしない。なに やら木に顔を向け、手で木を叩きながら何かを言っている。 ﹁・・でしゅって、可愛すぎだろ・・・・・・﹂ 小声過ぎてよく聞き取れなかった。 目線を女性に向けていると、こちらに気づいたのか顔を向けてき た。 ﹁そ、そう大丈夫ならよかったけど﹂ お腹に手をあてながら何かをこらえるようにそう答えてきた。お 腹が痛いのだろうか? 不思議に思いながらも、お礼を告げる。 59 ﹁助けていただいてありがとうございます。お強いんですね﹂ ﹁まあねーあんなのに負けないし 今回は魔物が騒がしかったから さー、気になって来てみたらこんな場面に遭遇しただけよ。それは そうと、キミはなんでこんなところに居たの? 遊びで来るような ところじゃないわよ﹂ 手を離した所を見ると、どうやらお腹が痛いのは治まったようだ。 良かった良かった。 僕は自分が奴隷商人に攫われたことを話した。追手から逃げるた めにここまできたことを。 ﹁ふーん、じゃーあそこにある死体はその下衆なやつの死体ってわ けだ。 よかったーそんな下衆なら死んでも心が痛まないわ。キミの親とか だったら、もうちょっと早くくればよかったーって罪悪感に苛まれ ただろうけど﹂ そういって笑いながら女性は頭部が無くなった男の死体を見た。 僕もそれに合わせて死体へと眼を向ける。 不意に吐き気がした。 先ほどは混乱していたため大丈夫だったが、落ち着いてみると凄 惨な死体だ。頭部はごっそりと抜け落ち、そこから首の骨が露出し ている。見るだけで吐き気がしてくる。 そんな僕の状態を察したのだろうか、女性は違う問いを投げかけ てきた。 ﹁まあキミはこんな場所に長く居るべきじゃないわ、森を出るまで はついてってあげるから早く親の元へ帰りなさい。両親も心配して いるでしょう?﹂ 60 ﹁いえ僕に両親はいません、捨てられたんです﹂ ふと、こんな言葉が出てしまった。 女性は不味い事を言ったと思ったのか、うつむいてしまう。先ほ どあのオオカミを斬った人とは思えないような仕草だった。 ﹁お気になさらないでください、僕が悪いんですし﹂ ﹁キミが悪いってどういうこと? なにか悪い事でもしたの?﹂ 女性はうつむいた顔をあげ僕に聞いてくる。 ﹁僕が魔力を持ってなかったから、いけないんです。他の兄妹はみ んな持ってたのに 僕が落ちこぼれだから﹂ 一瞬嘘をつこうかと考えたが、不思議と本当のことを喋っていた。 同時に僕は蔑まれることを覚悟していた。今までこの話をした途 端皆僕のことを蔑んだからだ。今まで仲良く遊んでくれた友達も家 族も。まるで別人のように。唯一冒険者のユリウスさんとマルスさ んは違ったがあれは依頼だからだろう。 しかし、女性の返答は全く違うものだった。 ﹁はあー? そんなことでこんな可愛い子を捨てるなんて最低な親 だね。その親は今すぐ死んだ方がいいよ間違いなく﹂ この話をした後も女性の態度は変わらなかった。 それどころか、僕を捨てた親を貶し始めた。 僕はなぜだか涙が出てきた。自分の存在を初めて認められたよう な気がして。 61 ﹁どっ、どうしたの? やっぱり怖かった?﹂ 女性は慌てていた。斬った人物と同じには見えない。 僕は思った。 この人のようになりたいと。 この人みたく強くなりたいと。 ﹁どうやったら、あなたみたく強くなれますか?﹂ いつものように考えて出した言葉ではない。 自然とそんな言葉が口から出ていた。 女性は何事か考えたあと僕に問いかけてきた。 ﹁キミは強くなりたいの?﹂ ﹁はい!!﹂ まただまた反射的に言葉が出てしまう。 だが、同時に疑問はあった。剣士にしろ格闘家にしろ多少なりと も魔力を使う。魔力の無い僕がつよくなれるのだろうかと。 そんな僕を見透かしたかのように女性は言った。 ﹁別に魔力がないからって強くなれないわけじゃないわ。なくたっ て強くなれる。さっきのブラックレイ・ウルフくらいなら倒せるく らいには﹂ ブラックレイ・ウルフとはあの黒いオオカミの事だろう。 僕はその言葉に希望を持った。彼女が嘘をついてるようにも思え なかったのだ。 62 ﹁それに、キミに魔力がないっていうのも怪しいしねー。あなたは きっと魔術師の素質もあるわよ﹂ ﹁ど、どうしてそう思うんですか?﹂ ﹁女の勘よ﹂ ビシッと言われてしまった。 その言葉に少し落胆したが、僕の気持ちは変わらなかった。 ﹁よしっ、そこまで強くなりたいなら私が鍛えてあげるわ﹂ ﹁本当ですか?!﹂ 嬉しさのあまり声が裏返ってしまった。 ﹁ええ、この年になって初めての弟子を持つなんてねー。そういえ ば名前を言ってなかったわね。景浦じゃなかった・・・朱美景浦よ﹂ ﹁クロノです﹂ ﹁あーそういえば、くそ親に捨てられたんだったわね﹂ そういうと、アケミさんは考え込んでしまった。 何やら呟いている。 ﹁・・師匠とお母さんどっちに・・・﹂ やがて、なにかをおもいついたように顔をあげこちらを見てきた。 63 ﹁わかった、これからあなたはクロノ・景浦よ。そして私のことは これからお母さんと呼ぶように。私たちはこれから親子よ。﹂ ﹁お、おかあさん?﹂ これからお母さん? つまりアケミさんが母上になるということ だ。 なぜだか嬉しくなった。もう一人じゃないのだと。 アケミさんの方をみると ﹁お母さん、お母さん、私がふふふふ・・・・﹂ などと呟いていて一抹の不安を覚えたが。 この日クロノとしての人生は終わった。 これからはクロノ・カゲウラとして新たな人生が始まる。 64 65 第九話︵後書き︶ 幼年期はこれで終了です 次回からは少年期が始まるかも 66 簡単幼年期キャラ紹介 クロノ 一応主人公です 容姿は金髪青眼で可愛い。 朱美談 魔法の才能が全くないからとユースティア家を追い出されました。 性格はネガティブですが行動力はあり。 家では敵ばかりだったので年の割にかなり考えて行動します。 本ばかり読んでいたので魔法についての知識はあるようです。 幼年期では十歳 ユリウス 褐色の肌でスキンヘッド 更に強面 本人に犯罪者面している自覚はありません。 スラム街出身のようです。 見た目に似合わず心優しかったり。 冒険者ランクはB 実はマルスと同い年です。 見た目は某S〇Oのエ〇ルを強面にした感じ? 青年期まで出番ありません。 マルス 茶髪で痩身 不健康そうな若者 知らない人にはオドオドして話すのが特徴です。 ですが仲のいい人とははっきり喋れます。 夜中ユリウスと話していた時ははっきり喋ってましたね。 冒険者ランクはB 67 魔術師としてはなかなか強かったり。 こちらも青年期まで出番ありません。 ヘンリー 茶髪で髪が逆立ってます。 性格は見た目通り腕白 十歳です。 スラム街にいたところを捕まってしまいました。 炎系の魔法に適正があるようです。 青年期に出番あるかな? メリー ピンク色の髪ということ以外に特徴が思いつきません。 八歳です。 青年期にヘンリーに出番があれば一緒に出てくるかも。 景浦朱美 はいテラチートさんですマジ朱美さんチート 少年期でのメインキャストです。 年齢は・・・ 言ったら死ぬので答えられません。 顔は整っているようです。 髪は長く束ねています。 黒髪黒眼 クロノ妹 名前考えてません。 割と重要なモブキャラです。 68 嘘です。 青年期のメインキャストになる予定です。 容姿は可愛いらしいです。 クロノ父 名前考えてません。 特に重要じゃないモブ 割とホントです。 青年期に出番あるかな? その他 基本的に奴隷商の誰かさんとか、見張りの人とかモブ過ぎて私でも よく覚えてません。 再登場の予定はありません。 69 ∼プロローグ∼とある勇者の思惑︵前書き︶ ちょっとしたフラグ建てときます 一応幼年期に建てたフラグとかともリンクしてたり 70 ∼プロローグ∼とある勇者の思惑 可愛い可愛い可愛い可愛い可愛すぎでしょう。 思い浮かべるのは愛しい我が息子。 凛凛しく勇敢であどけなさの残る息子。 何度手を出そうと思ったか分からない。 その度に理性で抑えつけてきた。 この世界でこの年になって息子が出来るとは思ってなかった。 拾った時のことを思い出す。 ブラックレイ・ウルフに襲われていた金髪青眼の少年。 一目で可愛いと思った。 連れて帰りたいと思った。 だが冷静になり、親の元へ帰るように諭すと親に捨てられたという。 こんな可愛い子を捨てるなんて信じられなかった。 見た事のない少年の親に強い殺意を覚えた。 強くなりたいと言われた時には戸惑ったものだが、今では私には及 ばないものの間違いなく最強に近い。 あれから三年。 年々強くカッコよくなる息子。 どうしようか思案する。 私には時間がない。 最後の最後になにか思い出を作りたかった。 なにかを残したかった。 そこで思い付いたのは旅行だ。 そうだ旅に出よう。 そうだ京都に行こうの様なノリで考える。 私には色々な国との繋がりがある。 悠久の時を生きる中で手に入れたものだ。 71 私にとっては息子以外何もいらないので、無用の長物だが。 息子にとっては国との繋がりは重要だろう。 私が居なくなった後の為に。 各国を回って私の息子だと言えば、たとえ私が居なくなったとして も無碍にはできないだろう。 私の日常を奪い去ったこの大嫌いな世界で唯一出来た大切な者。 彼の身を案じながら私は眠りにつく。 私に残された時間で精いっぱいのことをしてあげよう。 72 第十話︵前書き︶ 少年期スタトです クロノは成長して比較的喋るようになりました 性格も明るくなったようです いつの間にか黒髪に!? 73 第十話 うっそうと木が生い茂る森の中に彼はいた。 目の前には金棒を持った赤いオーガ。二本の角が生えており、眼 光は鋭い。醜く涎を垂らしながらもあふれ出る殺気。 普通の人間であれば逃げ出してしまうであろうが、黒髪の少年は 殺気に臆することなくオーガと対峙していた。 オーガは少年目がけて金棒を振り下ろす。風切り音と共に少年に 死が迫ってくる。 強い衝撃が辺り一面に広がる。地面に金棒が突き刺さり、跡には 巨大な穴が出現した。 しかし、そこに少年の姿は無かった。 ﹁遅すぎ﹂ そう呟いた少年クロノ・カゲウラは既にオーガの首を斬りおとして いた。 ﹁おーい、かーさん言われた通りオーガキング狩ってきたよ﹂ 空が夕日に染められた頃。木々の間から零れる陽に眼が眩みそう だ。 住み慣れた家のドアを開ける。ギィッという音とともに木ででき た扉は住人を迎える。 森の中にポツンとたった小さな山小屋。簡素で雑な作り。その前 には四角い畑があり、野菜の芽が顔を出していた。 74 そんな山小屋が彼らの住処。 ﹁はっやーい、流石は我が息子ねー。いい子いい子してあげる∼﹂ ﹁いや、遠慮させてもらいます﹂ ﹁急に敬語!? これが反抗期というやつなのかしら?﹂ 他愛もない会話。こんなやり取りは日常茶飯事だった。 ﹁でー、どうだった? オーガキング苦戦したー? 見た感じそん な風にはみえないけど﹂ ﹁いや全然弱かったよ、遅すぎてお話しにならない﹂ この会話を聞けば多くの冒険者は卒倒するだろう。 オーガキングとはオーガの最上位種でSSランクの魔物だ。金棒 を目にも止まらぬスピードで振り下ろす凶悪な魔物。その一撃は地 面にクレーターを作る。 それを弱いという少年。 ﹁だよねー。もうこの迷いの森には、オーガキングより強い魔物は いないしなー﹂ 迷いの森。そこが彼らの山小屋がある場所。 これまた普通の人間であれば耳を疑うであろう場所。 凶悪な魔物がたくさん棲むといわれる迷いの森。 最低でもBランクの魔物が棲み、決して人が住めるような場所では ない。 しかし彼らは住んでいた。若い女性と、今まさに成長期を迎える 75 かという少年の二人で。 ﹁正直かーさんと戦った方が何十倍も強いね﹂ ﹁そんなわけないじゃない、何億倍の間違いよ﹂ ﹁はぁ、いつになったらかーさんに勝てるんだか⋮﹂ ﹁まあ、お母さんに勝とうなんて二百年早いわよ﹂ 木でできた椅子に寄りかかりながら、かーさんはそういってあは はーと笑う。この人には本当に勝てる気がしない。 かーさんに拾われてから三年。僕は確実に強くなっていた。 あの日からずっと迷いの森で生活している。 かーさんはもともとここで隠居生活を送っていたらしく、森の中 にある山小屋で生活している。 最初こそ何度も死にかけたが、その度にかーさんに助けて貰った 人は何度も死の恐怖に直面すると成長するもので、特にあれが使 えるようになってからは徐々に敵を倒すのも楽になってきた。 ﹁でも、私以外ならあなたはなんにだって勝てるわ。流石は我が愛 しの息子ね﹂ ﹁母親を越えられない息子っていったい⋮﹂ ﹁しょうがないじゃない、私はこの世界で一番強いんだから﹂ 76 かーさんの口癖だ。 確かにかーさんは最強と自分で豪語するだけあって強い。 剣は超一流だし、魔法も規格外だ。世界最強かどうかは分からな いが。 ﹁で? これからどうするの? また別の狩ってきた方がいい?﹂ ﹁うーん、今日はなななんちゃって重大発表があるからもう休んで ていいわよー﹂ そういうと、かーさんは椅子から立ち上がりキッチンへと向かった。 ︵休んでてと言われてもなぁ︶ 寝るにはまだ早い。 この三年かーさんにスパルタな稽古を付けてもらっていた僕とし ては、なにかしていないと落ち着かない。 ︵勉強でもするか︶ かーさんに教えてもらったのは戦闘の仕方だけではなく、世界の 事についてや魔法学果ては料理まで。おかげで家事も出来るように なった。 机の引き出しからノートとペンをとりだす。 家の本棚でめぼしい本をみつけ勉強を開始する。今日は野菜につ いてだ。 この家には畑があり野菜を育てている。自給自足というわけだ。 パラパラとページを捲り内容を頭に入れながら、必要な場所をノー トに写していく。 ︵うーん、今度このやり方も試してみるか︶ 色々な栽培方法があることに感心しつつ、書き写していく。 77 気づくと、窓の外は暗くなっており、キッチンからかーさんがこ ちらに向かってきていた。 ﹁あらー、こんなときでも勉強なんて勤勉ねー﹂ ﹁家の野菜の勉強だよ、もっと効率のいい栽培方法があるはずだか らね﹂ かーさんの手には鍋。 中には色々な野菜や肉が切られた状態でお湯の中に散りばめられ ており、湯気が立ち込めている。 確かしゃぶしゃぶというかーさんの国の料理だったはず。 一度椅子を立ち、手元にあった本を本棚へ戻してから、ペンとノ ートをしまい再び椅子に座った。 ﹁今日はしゃぶしゃぶよ。クロノ頑張ったからねー﹂ 陽気にそういうとかーさんは鍋をテーブル置き、キッチンから黒 っぽい液体を持ってきた。 ︵これにつけて食べるんだったな︶ かーさんも椅子につき ﹁﹁いただきます﹂﹂ といってから食べる。 かーさんの国の風習らしい。これがこの家のルールの一つだ。 食事中は今日のオーガキングについて談笑したが、よく考えれば 78 そこまで話すほど戦っていなかったので、徐々に話は横道に逸れ、 終いには好みの女性の話にまで発展していった。 食事を終え食器を片づける。ご飯を作っていない方が食器を洗う のがこの家のルールだ。 食器を洗い終え、テーブルへと向かうとかーさんが手招きしてい る。何とも怪しい。 不思議に思いながらも、椅子に座りかーさんの言葉を待つ。 頬杖をつきながらなにか考えているようだ。 ﹁クロノ。もうこの森にいてもあなたは強くなれないし、旅にでる わよ﹂ ﹁旅?﹂ 思わず聞き返してしまう。確かにこの森にもう僕の敵はいない。 しかし、目的がそれだけのように思えなかった。 ﹁そう旅よ、親子水入らずで旅行なんて素敵じゃない﹂ ﹁かーさんがこの森を出たいだけなんじゃぁ⋮﹂ ﹁断じて違うっ! 別に森の中の生活に飽きてきたとかじゃないか ら!﹂ やっぱりそっちが本音か。 自分の失言に気づいたのか顔を赤くしてうつむいてしまった。 可愛い。 正直かーさんは美人だ、世の男どもがみればこの姿にやられてし 79 まうだろう。 ﹁とっとにかく、旅にでるわよ﹂ ﹁僕に異論はないけど? かーさんと旅にでるのも面白そうだしね。 で、いつ出発するの?﹂ ﹁今から﹂ ﹁はやっ!﹂ 椅子から立ち上がりそう宣言する。 かーさんはいつでも即断即決。ついでに僕に拒否権はないのだ。 ﹁荷物まとめてくるからちょっと待っててよ﹂ ﹁分かったわ、終わったら私のとこに来てね﹂ なぜだろう、昔誰かと同じやり取りをした気がするが、あの時と は違う気もする。 支度を終え、かーさんのもとへ向かう。三年住んだこの家に名残 惜しさをかんじながらも。 こうして僕は家を出ることになった。 80 ﹁ところでかーさんはどうして僕の手を握ってるの?﹂ ﹁テレポートするからに決まってるじゃない﹂ ﹁え⋮それって旅って言わないよね?﹂ 81 第十一話 ︵えーっと、どうしてこんなことになったんだっけ?︶ 目の前には剣が何本も向けられている。 騎士風の男たちが殺気立ちながら僕とかーさんを取り囲んでいる のだ。 大きい広間。白を基調とした豪華な作りの部屋。 部屋の中には小さな階段がありその上には、赤い絨毯が敷かれて いる。 目線を上へ向けると階段を上がったところには、見た事もないよ うな豪華な作りをした椅子に座った初老の男性が佇んでいた。 とあるところを除けば厳格そうな只のおじさんだった。 テレポート 金の王冠を頭に被っていることを除けばだが。 少し前。 僕らはかーさんの転移魔法でどこかへと跳んだ。 テレポートとはかーさん専用の転移魔法で、普通なら何人もの魔 術師が居ないとできない術式転移魔法であるが、かーさんは一人で やってのけてしまう。 炎水土風闇光。 属性とは一人一つにしか適性がないとされている。 この全ての属性に適正があるかーさんは本当に規格外だ。 そんなかーさんのテレポートで跳んだ先がここだったわけだ。 登場するなりいきなり騎士風の男たちに剣を向けられた。 テレポートは本人が行ったところにしか転移出来ないらしい。 82 つまりかーさんはここに来たことがあるわけだ。 この王城のようなところに。 まあ、なにか解決策があるのだろうと思い、かーさんの行動を待 った。 ﹁おーい、クライス。私にこんな兵を向けるとはどういう了見なの かしらー?﹂ 間の抜けた声が広い部屋に響く。 瞬間騎士風の男たちに緊張が走ったのがみえた。 ﹁き、貴様、陛下を呼び捨てにするとは!!﹂ ﹁はぁー? クライスのぼーやを呼び捨てにして何が悪いの?﹂ 騎士のリーダーらしき男が声を荒げた。 やはりここはどこかの王城のようだ。 かーさんは本当に何者なのだろう? ﹁大体さぁー、あんたらも何私と可愛い息子に剣向けてるわけ?﹂ いや、王城に突然あらわれた僕たちが剣をむけられるのは当然で す。 かーさんに内心つっこみをいれる。口にはださない。 ここで突っ込むのはあまりにも場違いだろう。 ﹁不審者に剣を向けるのは当然であろう!! 者どもこやつらを引 っ捕らえい!!﹂ リーダーらしき男が指示すると取り囲んでいた男たちは一斉に斬 83 りかかってきた。 剣を抜こうとしたその時 ﹁やめんか!!﹂ 声が突如上から降ってきた。 威厳のある重苦しい声だ。 ﹁しかし陛下!!﹂ ﹁その者たちは私の客人だ﹂ 斬りかかってきた男たちはいまだに剣を構えながらも、じりじり と後ずさりして離れていった。 ︵ったく最初からやりなさいよ、相変わらずのろまね︶ ︵しょうがないじゃろう、突然現れたお主が悪い︶ 頭に声が響く。 かーさんの専用魔法テレパシーだ。 おそらく王様と話しているのだろう。 僕まで繋げている意味はよくわからないが。 ︵ほーんと爺くさくなったわねぇー、昔はあんなにちっちゃかった のに︶ ︵そういうお主は変わらんな あの頃から全く変わっておらん︶ それはまるで旧友同士のような会話だった。 84 王様は四十代後半くらいか。ますますかーさんの年齢が気になる。 前一度訪ねた事があったが、寝床に連れていかれてからの記憶が ない。それ以来タブーだと思い聞いていなかった。 ︵まあいいわ、許してあげる。今回は息子を紹介しにきただけよ︶ ︵ほう、お主の息子とな。︶ ︵とっても可愛いでしょ?︶ ︵そうじゃのお主に似ず素直そうじゃ。それに大層整った顔立ちじ ゃの︶ ︵なーにかいったかしら? 十二歳までおねしょしてたクライスく ーん?︶ ︵い、いや 素直そうないい子じゃな︶ 残念王様。僕に聞こえている。 ︵よろしい。それと今晩泊めてもらいたいんだけど︶ ︵それくらいなら大丈夫じゃよ︶ ︵んじゃ頼むわねー︶ テレパシーを終えたかーさんのほうを見ると、ニンマリとこっち をみていた。 王様の秘密を喋ったのは確信犯か 哀れな王様に同情する。 85 ﹁私の客人たちを客室にご案内せい﹂ 皆戸惑っている。 それもそのはず、黙っていたかと思えば、いきなりこのようなこと を言い出すのだ。無理もないだろう。 ﹁へ、陛下しかしこのような怪し﹂ ﹁いいから案内せい!﹂ ちょび髭を生やした大臣だか宰相? のような男の言葉を遮って 命じた。 その言葉には先ほどかーさんと話していたような、親しみはなく どこまでも厳格で威厳のある声だった。 その言葉にようやく動き出した使用人たちに案内され、僕たちは 客間へと向かった。 広い廊下を歩く。 これまた白を基調とした綺麗な廊下だ。 目の前では、黒いタキシードを着た若い使用人が僕たちを先導し ていた。 歩きながら隣を歩くかーさんにさっきのことを小声で問いただす。 ﹁あれわざとやったでしょ?﹂ あれとは王様の秘密のことだ。 かーさんは悪びれた様子もない。 86 ﹁なんのことかにゃー?﹂ ﹁はぁ、それにいきなり王城が転移先なんて⋮﹂ ﹁おっ、流石我が息子王城だって気づいたかー﹂ そりゃあ陛下なんて言ってれば気づくよ。 ﹁それに王城とかにも慣れとかないと、これから私の知り合いの王 家の国全部回る予定なんだから﹂ ﹁ええっっ!?﹂ かーさんにはまだ王家の知り合いが居るのか。 これからの事を考えると溜息しか出なかった。 87 第十二話︵前書き︶ ギルフォードのランクはBクラスくらいです 88 第十二話 ﹁クーロノ今日は街でも回りましょー﹂ そんなかーさんの言葉で城から出て街に来ているのだが、両手に は荷物荷物荷物。 昨日いきなり王城に跳んだ僕たちは客間に通されそこで一夜を過 ごした。 出かけてすぐ人の多さに圧倒される。流石は王都というべきなの だろうか。 色んな店が軒を連ねている。 昔は別の国の王都に住んでいたが、あまり外には出た事がなかっ た。 僕自身迷いの森に入って以来、人の居るところには行ったことが なかったのでわくわくしていたのだが ︵こんなに買うとは⋮うわ、まだ買ってる︶ 僕よりもかーさんがはしゃいでいるようで、次から次へと物を買 っている。 荷物は全て僕持ちだ。 こうして元気に買い物をしている姿をみると無邪気にはしゃぐ子 供のようだ。 かーさん曰く ﹁女の買い物は長いのよ、男は大体荷物持ちって相場はきまってる の。﹂ との事らしい。 世の男性の不幸を嘆きつつ視線を集めていることに気づく。 僕とかーさんは黒髪という珍しい特徴を持っているからだろう。 89 僕は元々黒髪ではないのだが、かーさんの息子になってからすぐ に息子の証として黒髪にしてもらった。 僕にとっては過去との決別の象徴である。 ﹁クロノも欲しいのがあったら何でも言ってねー﹂ ジャラジャラとお金の音がする財布を叩く。 どこでお金を手にいれたのだろう? ずっと一緒に迷いの森に居 たはずだが。 いや、よく考えればたまにいなくなる時があったか。 ﹁今のところはないかなー﹂ ﹁ふーん、まあいっか。さて、後はもう一周したら終わりにしまし ょうかねー﹂ ﹁もう一周するの!?﹂ 夕暮れまで黒髪の親子は街を回っていた。 翌日、黒髪で美人と美少年な姉弟がいたと、街で噂になることを 彼らは知らない。 翌日 最初に転移した場所︱︱謁見の間に僕たちは呼びだされていた。 相変わらず騎士たちの目からは殺気が出ていた。 90 ﹁来てもらったのは他でもない、お主に剣の手ほどきをしてもらい たいのじゃ﹂ ﹁いやよ、めんどくさい﹂ ばっさり。王様の言葉は一刀両断された。騎士たちにどよめきが 広がる。 ︵で、なーにを企んでるのかなクライス?︶ 以前のように頭に声が響く。 王様には王様の事情があるのだろう。 それをかーさんが察してテレパシーを使ったわけだ。 ︵すまんな、あれからお主たちの事を臣下たちに聞かれてな。つい 剣術指南の為に呼んだ剣士じゃと答えてしまったのじゃよ︶ ︵なーにがついだ。絶対アンタは前の王の血を継いでるわね。断言 してもいいレベル。腹黒いとこがそっくりだもの︶ ︵さて何のことやら? まあ、そんなわけじゃから、一試合だけで もいいからしてくれんかの?︶ ︵はー、しょうがないわね。私の息子にやらせるわ。私だったら相 手殺しちゃいそうだし︶ ︵そうしてくれ。お主が本気だすと国が焦土と化すからな︶ えっ、僕ですか。 勝手な約束をして会話を切った二人は話を合わせる。 91 ﹁まあ、わたしはやらないけど息子ならいいわよ﹂ ﹁ほう、そなたの息子なら期待できるじゃろう﹂ ﹁お待ち下さい陛下!! こんな子供に教われと仰るのですか?﹂ 一際大仰な鎧を着た騎士団長らしき男が口を挟む。年は三十代前 半くらいか。 頼むから頑張ってくれ騎士団長。僕はずっと迷いの森にいたので 人の力量がわからない。 母さんは僕を強いと言うが、騎士というからにはそこそこ強いの だろう。 そんな人たちと試合などしたくなかった。 ﹁へー、私の息子よりあんたの方が強いと思ってるの? そんなわ けないじゃない。あんたなんか一太刀も浴びせられないわよ? な んなら試合してみる?﹂ あからさまな挑発。騎士団長の顔はみるみる赤くなっていた。こ れは避けられない。 ﹁いいだろう。そこまでいうなら、試合しようじゃないか﹂ ﹁うむ、話はまとまったようじゃな。場所は第一修練場にするとす るかの。異論はないな?﹂ ﹁ないわ﹂ ﹁ありません!!﹂ 92 元気よく返事するかーさん いや、当事者は僕なんですけど。 第一修練場 下は土の地面。正方形に広がっている土。森とは違って足場は大 層安定しそうだ。 僕は目の前に立つ騎士団長を見つめた。 がっしりとした体つき。全身を覆う銀色の鎧。手にはキラリと光 るロングソード。どちらもが光沢が凄まじい。まさに騎士。 対して僕は腰に二本の剣を差したこと以外はまるっきり一般人の 服装だ。 周りには騎士やら王様やら大臣やらが僕をみつめていた。 ちらりとかーさんのほうをみると、なにやらやっちゃいなさいと 言っている。 相手の力量も分からないのにそれはないだろうと思いながらも、 始まりの時を待つ。 騎士たちからは﹁団長やっちゃえー﹂などと聞こえてくる。ちょ っと軽すぎないか? 始まりは王様の合図。 剣も構えずにその時を待つ。 王様の声が響く。 ﹁はじめっ﹂ 93 はじまった瞬間騎士団長がこちらに剣を構え向かってきた。たい して僕は丸腰。 その時騎士たちは確信していた。 団長の勝ちだと。 団長ギルフォードのもっとも優れている点はスピード 圧倒的スピードで相手との距離を詰める。 今現在丸腰で突っ立っている少年に対応できるわけがないと。 騎士たちの懸念はどうやって殺さずに試合を終わらせるかという ことだけだった。 その騎士たちの考えはすぐさま打ち砕かれる。まだあどけなさの 残る少年によって。 第一印象は ︵遅いな∼︶ だった。 ︵こんなのオーガキングどころかブラックレイ・ウルフより遅いぞ︶ そもそも、Aランクのなかでも最も素早いブラックレイ・ウルフ と、SSランクのオーガキングの二体と比べれば、人間など遅いの は当たり前であり、比べることから間違っているのだが、そのこと をクロノは知らない。 こんなものどうにでもなる。 瞬時にそう判断する。問題はどう仕留めるかだ。 正直こんなのに舐められていたかと思うと、イライラしてきたので ︵そうだ鎧と刀全部粉々に砕こう︶ と憂さ晴らしを込めて行動に移すのであった。 94 ギルフォードはなにが起こったのか理解できなかった。 確かに先ほどまでは前に少年はいた。丸腰の少年。 早すぎて自分のスピードについてこれないのだろうと思っていた。 剣を振り下ろし頭の前で止めてやれば降参するだろう。 そう思っていた。 しかし現実は、鎧は砕け、剣はいつ食らったか分からない一撃で はじかれ、今はもう剣も砕かれていた。 ︵なにがおきた?︶ 理解出来ない。男はその場に呆然と立ち尽くしていた。唐突に首 筋に剣を当てられる。 そこには、消えたはずの少年がいた。 皆が静まり返った中少年はいい放った。 ﹁まだ、つづける?﹂ 95 第十三話︵前書き︶ 朱美さんの口調が定まらないのは仕様です この世界の文字は英語ではないですが雰囲気の為に使わせていただ きました まあ橙子さんがアクセサリー屋に作らせたんですけど 96 第十三話 修練場を静寂が支配していた。 普段であれば兵士たちが訓練し活気ある声が響いているであろう 空間。 声を出せない。出したら目の前の現実を認めてしまうような気が して。 そんな重苦しい雰囲気を打ち破ったのは間の抜けた声だった。 ﹁さっすがー。クロノなら殺さずに嬲ってくれるって信じてたわよ﹂ ﹁かーさん⋮嬲ったとか人聞きの悪いこと言わないでよ⋮﹂ 親子二人の物騒な会話が修練場に響き渡る。 その言葉を聞いてその親子以外の全員は状況を理解した。 幼い子供に騎士団長ギルフォードが負けるという信じられない事 態を。 ︵あー、疲れた︶ クロノはあれから二時間後ようやく修練場から出ることができた。 ︵全員と試合するとか聞いてないよ。︶ 騎士団長を倒した後全員から試合を申しこまれたのだ。 律儀にその全員を相手にした疲労感でいっぱいだった。 ただ、この疲労は疲れは疲れでも精神的なものである。 97 ︵手加減しながら戦うのはもう勘弁だね︶ そう、殺さないようにセーブして戦ったがゆえの疲れ それでも全員分の鎧と剣を砕いたのだ。 クロノと騎士たちの間にはそれほどの力量差があった。 ︵あっ、全員まとめて試合すればよかったんじゃ⋮︶ そんなことを考えながら歩いていると客室についた。 綺麗な作りをした黒い木製の扉をあける。 ﹁あークロノお帰りー、疲れた顔してるねー?﹂ かーさんは騎士団と僕が試合している間に修練場を出て行ってい た。 おそらく飽きたのだろう。 ﹁あの後騎士団全員と試合したからね﹂ ﹁騎士団長との試合みて力量差分かんなかったのかな? 私の息子 が負けるわけないじゃん﹂ 椅子に座り、誇らしげに胸を張りながら僕を出迎える。 かーさんは全く悪びれた様子もない。 ﹁もとはといえば、かーさんがやる仕事だったのに⋮﹂ 思わず不満が口に出てしまった。 98 ﹁あらー? 私がやったら彼らは死んでたわよ? 主に私とクロノ に剣を向けた罪で﹂ かーさんの目は本気だ。それで済めばいいとさえ思う。 僕はそれ以上の追撃を諦め、ベッドへと倒れこむ。迷いの森にあ ったものとは、寝転んだだけで質が違うと分かるような高級感の漂 うベッド。 ﹁そーだクロノ、明日この国を出るわよ。まだまだ、回らなくちゃ いけないところは山ほどあるんだから﹂ ︵そういえば国を回るって言ってたっけ︶ ﹁わかった﹂ 二つ返事で了解する。 どちらにせよ僕に選択権などないのだ。 ﹁出発は明日の昼前にしましょうか、寄るところもあるしね﹂ かーさんの寄るところというのが気になったが、疲れていた僕は そのまま眠りについた。 99 翌日 僕たちは王城を出て街に来ていた。 一昨日回った人の多い通りではなくひっそりとした通り。今日は 注目を集めることはなさそうだ。 ﹁さてここに入るわよ﹂ そういって入ったのは、色々なアクセサリーが置かれているこじ んまりとした店だった。 アクセサリー店だろうか? かーさんにそんな趣味があったとは。僕はにわかに驚きつつ、か ーさんの跡をおって入っていく。 狭いカウンターには店員らしき若い女性が立っている。 かーさんは店に入ると真っ直ぐにカウンターへと向かって行った。 なにやらかーさんが店員と話している。なんであろうか。 少し会話した後店員さんは奥に引っ込んでしまった。 その間僕は店内を興味深く見て回る。色鮮やかなアクセサリーに 日光が反射して、店内は色んな光に照らされている。 しばらくすると店員が奥からなにか持ってきた。 ﹁ご注文の品はこちらでございます﹂ ﹁うっわー、超素敵ー﹂ kageuraと彫られ そこには朱色と黒で装飾された指輪が二つ。 よく目を凝らして見るとkurono ていた。 ﹁ありがとう、いい店ね﹂ 100 裏にはake そう言ってかーさんはその指輪を受け取り店を出て行った。 僕もその後を追う。 ﹁ほいっ、クロノプレゼント﹂ 店を出てすぐかーさんに指輪を渡された。 kageura kageuraと彫ってあった。 よく見ると表にはkurono mi 意味を聞くとかーさんの国の言葉で表が僕の名前。裏がかーさん の名前らしい。 それはとても綺麗で神秘的な輝きを放っていた。 なによりかーさんからのプレゼントだ。 一生大事にしよう。 ﹁これで私とお揃いね、二人で一つずつのものよ。﹂ ﹁ありがとうかーさん。﹂ とてもうれしかった。 かーさんとの絆が強くなったような気がして。 早速右手にはめようとすると、かーさんに止められた。 ﹁はめるなら、左手の薬指にしなさい。﹂ ﹁なにか意味があるの?﹂ ﹁私の国の風習でね、大切な人との指輪は左手の薬指につけること になってるの﹂ 101 かーさんに言われるがまま、僕は左手の薬指に指輪をはめた。 大きさは丁度よく、反射する紅い光は炎のようにすら見える。 それからすぐ僕たちはテレポートで次の目的地へ跳んだ。 お互いの左手に光る指輪をはめながら。 102 第十三話︵後書き︶ 指輪が朱色と黒色なのはとても単純な話です 103 第十四話︵前書き︶ ど、どうしてこうなった 五日でお気に入りが百件を突破しとる︵驚愕︶ ただただ感謝です 少年期終了かな? 小説投稿がハイスピード過ぎて腰がぁぁ・・ 更新ペース落ちるかも 104 第十四話 一ヶ月間僕たちは色々な国を回っていた。 かーさんが本当に何者なのか不思議なくらい。 ︵レオンハルト王 国には行かなかったが︶ 行く先々で王とは知り合いだし。 そのどれもが、頭が上がらないようで。 受ける待遇も国賓のような扱いになる。 只一つ問題なのは・・・ 毎回テレポート先が謁見の間ということだ。 テレポートすると毎度毎度その国の騎士団に剣を向けられてしまう。 もう慣れて動じなくなったが。 そして大抵試合をすることになる。 僕が。 試合をするのは、どれもが腕に覚えのある騎士団長や部隊長のよう で皆僕の見た目をみて舐めきっている。 しかし、迷いの森にでる魔物以下の実力しかない彼らなど敵ではな かった。 毎回のように剣と鎧を砕き首筋に剣を当てる。 もはやそこまでがお決まりの動作で慣れてしまった。 使うのはいつも一本の剣だ。 もう一つ腰に差している方は使わない。 二本ともかーさんから譲り受けた剣だ、いつも使っている方はエク スうんたらとかいうらしい。 105 名称が曖昧なのはかーさんから聞かされたのがエクスうんたらであ るからだ。 かーさんは全く名前を覚えていなかった。 たまに悪魔だなんだと言われることがあったが、そこは王様の一言 ですぐに沈静化する 賢明な判断だ。 僕はともかく、そんなことを言われた時のかーさんの目には漏れな く本気の殺意が宿っていたからだ 下手したら国を滅ぼしかねない。 ここまでの旅路で分かった事は僕がかなり強いということだ。 かーさん曰く ﹁だーから、クロノは今世界で二番目に強いのよ?クリアした後に 出てくる隠しダンジョンのような迷いの森で私が鍛えたあなたが負 けるわけないでしょ 一番はもちろん私だけど。﹂ クリアやら隠しダンジョンやら、意味不明な言葉が聞こえたが僕は かなり強いというかーさんの言葉は嘘ではないようだ。 世界で二番目かどうかは置いておいて。 ﹁じゃあどうやったらかーさんに勝てるのさ?﹂ ﹁うーん私はクロノの十倍くらい強いからー、クロノが十人いれば 危ないかもね。﹂ ﹁十倍って・・・・まだまだ僕は弱いね。﹂ ﹁そんなことはないわ、普通の人間が私を倒すのには何兆でもたり ないのよ? それを十人で済むクロノは間違いなく最強よ。私を除 けば。﹂ 106 長い黒髪を揺らしながら答える。 本当に規格外すぎる・・ 横に立つかーさんは縫い目もなく腰のあたりで布を巻いた不思議な 服を着ている。 ワフクというらしいこれまたかーさんの国の物だ。 お気に入りのようで三日に二日はこの服で過ごす。 流石に街に出る時はかなり目立つので着て行かないが、確実に似合 っている。 近くに男がいれば百人中九十九人が振り返るであろう美しさ。 しかし、ここには男どころか人間が居ない。 なぜなら 目の前には黄色い瞳をもった緑色のドラゴンが横たわっていたから だ。 一ヶ月色々な国を回った後 ﹁さて、そろそろ真面目に旅でも始めましょうかねー﹂ ﹁今までは真面目じゃなかったんだ・・﹂ ﹁そりゃーね、顔合わせみたいなもんだし。﹂ かーさんはけらけらと笑いながら続ける。 ﹁こっからは、テレポート使わずに歩いて世界を回るとしましょう 107 かね。﹂ ﹁へぇ?目的地とかあるの?﹂ ﹁うーん特に無いわよ、とりあえずこの国の東の方にドラゴンがい るらしいから、ちょっと行ってみましょう?﹂ ﹁いきなり!?﹂ 驚きながらも一周間かけ、東方にあるやけにでかい洞窟へと向かっ た。 中は不自然に広く明らかに自然に出来たものではない。 奥へと進んでいくと、緑色のなにかが蠢いていた。 それは紛れもなくドラゴン ドラゴンとは魔物に分類され、魔物の中でも最上位の強さを誇って いる。 最下級のドラゴンでもSランク相当という、他の魔物とはレベルが 違う。 ドラゴンがこちらをちらりとみる。 ﹁グォォォォォォッッ!!!﹂ 咆哮が洞窟の中に響き渡る。 敵として認識されたらしい。 剣を構えようとしたら そこには横たわるドラゴンがいた 108 ﹁ふぅー、ドラゴン相手とかひっさびさー まあ命までは奪ってな いけどさー。﹂ 先ほどとは打って変わって緊張感の無い声が洞窟に響く。 下には声にはそぐわない凄まじい光景が広がっている。 規格外のかーさんの強さを、改めて見せつけられた僕は呆然と立ち 尽くすことしかできなかった・・・ ︵さーて、これからどうしましょうかね?︶ 長い黒髪を揺らしながら、黒髪の女性景浦朱美は考える。 この一ヶ月で各国に対するアピールは終わった。 行く先々で名前を告げると王様の態度が変わる。 それが何を意味するのかをクロノは知らない。 元々予定であればこれからはクロノと、ある材料を集めながらクロ ノの見聞を広めるために旅を予定するつもりだったのだが・・ ︵ここまで私に依存しているとはねー 嬉しいっちゃ嬉しいんだけ ど、私がいなくなった時の事を考えるとこのままじゃ駄目ね。︶ この一ヶ月常に後ろをついてきたクロノ それは自意識が足りないんじゃないかと思えるほどだった。 ︵迷いの森に居た時はそんな事なかったのにねぇ。︶ 自分から離れさせなければならない。 ︵ちょっと悲しいけど親離れも必要よね。︶ そう考えると、クロノにはこれから一人で旅してもらった方がいい だろう。 だがクロノは三年も迷いの森で生活していたのだ、世間の事をあま り知らないがゆえになにかまずい事に巻き込まれるかもしれない。 そこらへんの人間にクロノをどうにかできるとは思えないが、一応 案内人のような者を付けておきたかった。ここら辺が朱美が親ばか 109 たる所以だったりするのだが、本人は気付かない。 そんな折、最後に訪問した王様の言葉を思い出す。 ﹁この国の東方に緑色の巨大なドラゴンが棲みついてしまっていて な、良ければ倒していってくれんか?﹂ その時は面倒くさいからバッサリと断ってやったが、これは使える かもしれない。 ドラゴンの中には知能があり喋れる種もおり、何より長生きで人間 を長く見てきたであろうから案内人としてはうってつけだ。そして、 ドラゴンには強者に従うという掟がある。 自分が倒してクロノの案内人になるように言えばいいのではないか? 万が一喋れない種だったとしても、王様に恩を売れる。 早速、意気揚々とクロノを連れ東方へ向かった。 実はドラゴンは人を好まず世間の事など知っているわけはないのだ が、そこまで朱美の考えは回らなかった。 ﹁∼は間違いなく最強よ。私を除けば。﹂ ヒーリング 規格外なかーさんはそう告げた後なにやら呟いている。 手が青白く光っている、光属性の治癒術だ 110 僕も最初はあれにお世話になったものだ。 今の戦闘で怪我でもしたのだろうか?そうはみえないが・・・ すると突如ドラゴンが起き上がった。 再び剣を身構えたが襲いかかってくる気配はない。 ﹁そうねー、あなたになら任せられるかも。﹂ ﹁ふぅむ、貴様がいっていたのはあの子供のことか?﹂ ﹁そーなの、とっても可愛いでしょー?﹂ ﹁儂には人間と同じような美的感覚はないのだが・・﹂ ﹁可 愛 い い で し ょ ? ﹂ ﹁う、うむそうだな﹂ ドラゴンが喋った? 必死に頭の中の記憶を引っ張りだす。 ︵そういえば上位のドラゴンには喋れる知性を持ったやつがいたな・ ・︶ かーさんとなにやら会話している。 ﹁クロノー、これからこの子をあなたに預けるわ これからはこの 子と旅しなさい。﹂ は? いきなり何を言っているのだろう? 111 ﹁そんなわけでよろしくねードラちゃん。﹂ ﹁ドラちゃんとは儂の名前か?敗者に口を出す権利はないが・・﹂ ﹁そうよークロノをよろしく頼むわ、あなたより強いけど。﹂ ここまで話すかーさんとドラゴンの会話を聞いて状況を整理する。 ﹁えっ?かーさんはどうするの?﹂ ﹁私はやることがあってね、二年後また会いに来るわ。﹂ ﹁二年って・・・・僕も行くよ!!﹂ この三年いつも近くにかーさんがいた。 今の僕にはかーさんがいない生活が考えられなかった。 ﹁だーめ、あなたはこれから自分の世界を見て回らないとね 大丈 夫あなたならだれにも負けないわ 子離れ親離れの時期がきたのよ。 詳しい事はドラちゃんに話して あるから。﹂ ﹁そんな、そんなのって・・﹂ 涙が止まらない 今まで僕にとってかーさんは唯一の家族であり。 一番大切な人だ。 その人がどこかへ行ってしまう。 ﹁男の子なんだから泣かないの ね? それにもう会えないわけじ 112 ゃない、二年後絶対会いに来るからね。 じゃあ﹂ そういって左手をあげ消えたかーさん。 テレポートを使ったのだろう。 消える直前左手には朱と黒の指輪がとても美しく光って見えた・・・ ・・ 少年の泣き声が洞窟内に木霊する。 その声はいつまで経っても止みそうになかった・・・ 113 簡単少年期キャラ紹介︵前書き︶ えーと、なにがあったんですかね? 帰ってきたら凄い数でお気に入りが増えてて驚きました 日間九位だと!? ありがとうございます 114 簡単少年期キャラ紹介 クロノ・カゲウラ まあ主人公ですね 基本的に彼視点で進みます 性格は幼年期に比べ明るくなりました 見た目は黒髪青眼という珍しい容姿です 美少年らしいです 使用武器は腰に差した二つの剣 一本はエクスなんたらというらしい 景浦朱美 チートさんです はいチートすぎて書くことがありません 年齢?喋ったら殺されます どうやら各国の王族とお知り合いのようです その気になったら国ひとつ焦土にするくらいは楽勝らしい クロノを溺愛しすぎて親ばかと化してます クライス???? まあとある王国の王様ですね クロノに秘密を知られた可哀そうな王様です 後ろが???になっているのは特にいみはありません そこには国の名前が入ります レオンハルトではありません まだ考えてないとかそういうわけじゃありません 115 ええ、違いますとも 威厳や風格を感じさせる王様のようです しかし朱美さんには頭が上がりません 青年期には出番ありそうです 再登場したら本名が出てくるでしょう ドラちゃん 本名は・・・ とても長いので割愛します 考えてない?そんなわけないじゃないですか、やだなーー ドラゴンのなかでも最上位種で知能もあり人間の言葉を喋れます 魔物としてのランクはSSSランクです 自分で穴掘った洞窟に棲んでいたところクロノ達がやってきた為襲 おうとしたようです 朱美さんに目にも止まらぬ速さで斬り伏せられましたが ドラゴンには強者に従う掟があるらしいので橙子さんを主と認めま した 実際は別の思惑もあるらしいです 小さくなったりできるようです ちなみに人間の姿にもなれます そこらへんの姿は青年期にて 名前の由来なんて言うまでもありません 朱美さんのネーミングセンスは残︵ry いえなんでもありません ギルフォード クライスの国の騎士団長です 素早さに自信があり、強さはBランクくらいです 116 がたいの良いおっさんです はっきり言ってモブです クライスが再登場したら出番があるかもしれません 117 ∼プロローグ∼嫌悪する少女︵前書き︶ 短いです。一応フラグ。この設定は最初から決めてたり。 118 ∼プロローグ∼嫌悪する少女 憎い 憎い 憎い あの男が憎くてしょうがない。視界に入れる事すらも嫌でしょう がない。 私の日常を奪ったあの男。私が最期に目に焼き付けたあの男。 うだるような暑い日の夏。突如現れて全てを奪っていったあの男。 ﹁・・・げろ。・・・!!﹂ 今でも脳裏に浮かんでくる兄の最期の声。どうしてあの時私は、 ドアの外をしっかりと確認しなかったのか。 確認さえしていればあんな事にはならなかったはずなのに。 いくら考えても時間は戻らない。 あの事を忘れようと決め、ここで精一杯生きていこうとしたはず なのに。 またしても、あの男が私の前に立ちはだかる。そんな自分の運命 を呪った。 何度殺してやろうかと思ったか分からない。だが自分にはそんな 力なんてなかった。 いくら天才だなんだと言われても、あの男には届かない。 絶対的な力の差。自分の無力さに歯噛みする。ああ、どうして私 にはこんなにも力が足りないのだ。 あの男がここにやって来た瞬間一目で分かった。見紛うはずもな い。 たとえどれほどの時間が経とうとも、絶対に忘れようがないあの 顔。 吐き気がした。普通に話しかけてくるあの男に嫌悪感しか感じら れなかった。 ここに来てあの男はとても大人しくしていたが、それでも私には あの男に対する嫌悪感を捨てきれない。いつか必ず何かしでかすと、 119 確信を持っていえる。 これ以上家族を失いたくない。 今でも、私はあの男が嫌いだ。 あの男を殺すために、今日も私はあの男について回る。 120 ∼プロローグ∼愚かなる愚者の選択︵前書き︶ ちょっと書くの早い気もしましたが、思いついた時に書かないとね。 200年前とかキーワードだったり 121 ∼プロローグ∼愚かなる愚者の選択 ︵まだかまだか⋮⋮︶ レオンハルト王国国王ディック・レオンハルトは焦っていた。 しかし彼には、成功の報せを待つ事しか出来ない。 国王の座に着いてから早十年これといってなにかしたわけでもない。 国内は安定しているし、他国とは先代が平和条約を結んでおり平和。 そもそも彼の代でやるべき事が残っていないのだ。 先代は稀代の名君と呼ばれ国民にも愛された。 父の功績は末代まで語られる事だろう。 それに対し自分は、これといって特徴の無い凡庸な王。 王となった時から父と比べられ続けてきた。 どんな政策をやろうと父を超える事は出来なかった。 このままでは自分が歴史に埋もれてしまう。 何とかして自分を歴史に残したかった。 そうならない為に彼は思いついた。 自分が歴史に名を残す方法を。 勇者召喚。 どの国も成し遂げる事が出来ない、この国が圧倒的な力を持つ事が できる魔法。 先代でもなし得なかった偉業。 失われたとされる魔法。 ついに自分の代で復活させる事が出来た。 王家にだけ伝わる昔話。 200年前の過ちは繰り返さない。その為の術も用意してある。 やがて幾ばくかの時が経ち、側近が成功の報せを持ってきた。 彼は安堵すると同時に優越感に浸る。 これで、自分も歴史に名を残す事が出来る。 この大国を絶対的なものとした名君として。 122 勇者さえいればこの国はより絶対的なものになる。 そう思うと笑いが止まらなかった。 ディック・レオンハルトはこの後歴史に名を残す事となる。 表向きは悲劇の国王として。 愚者とは自らの愚かさに気づかないゆえに愚者なのだ。 123 第十五話︵前書き︶ ええ、青年期スタトです。 クロノの出番がない? そんな馬鹿な。 一応青年期では苦戦する相手も出す予定です。 124 第十五話 殺風景な荒野。 茶色く削り取られたような切り立った崖がいくつも見える。草木 は生えておらず、ただ無機質な茶色い地面だけが広がっていた。そ こで鳴り響くのは木枯らしの風の音だけ︱︱のはずだった。普段で あれば生物の気配すらも感じられない、正に死の世界と呼ぶにふさ わしい程に静まり返っているであろう。 しかし今日は、違った。辺りに響きわたる怒声と剣戟の音。 そこには、2mはあろうかという青い蠍の群れと男女数名の人間 の姿があった。 ﹁くそがっ!! いくらやっても減ってる気がしねーぞおい。﹂ がたいの良い赤い髪をした男が声を荒げる。 手にはとても大きい大剣。それを乱暴に振り回し、敵をなぎ払う。 ﹁泣き事言ってる暇があったら、その分手を動かしてほしいね⋮っ と﹂ そんな男の言葉に茶髪の細身の長い剣を持った男が、襲い来る針 をよけながら答える。 ﹁あんたらねぇ、こんな時まで喧嘩してる場合じゃないでしょう! ?﹂ 125 そう二人を咎める青い髪をした女性の手は青白く光っている。 その前には、やられたのか横たわっている二人組がいた。 ﹁こっちは暫くかかりそうだから、その間持ちこたえてね﹂ ﹁そんな奴ら放っときゃいいんだよ﹂ ﹁分かったよ、何とか持ちこたえてみよう﹂ 正反対の回答をする二人。 その間にも青い蠍は襲ってくる。それを息のあったコンビネーシ ョンで斬り捨てていく。 ﹁そういうわけにはいかないでしょうが、この馬鹿!!!﹂ 顔だけを向けながら赤い髪の男に対して、怒声を上げる。 ﹁誰が馬鹿だ誰が﹂ こちらは顔を向けずに答える。しかし、手を止めることはない。 ﹁あんた以外いないでしょう?﹂ この二人のやり取りを聞いていた茶髪の男は、心で溜息をつきな がら目の前の敵を斬っていく。 徐々に蠍たちも無闇に襲ってくる回数が減っていった。目の前に いる人間たちが自分たちの手には負えないと判断したのだろう。 ついには、一匹が北へと逃げ出して行った。それを皮きりにどん どん同じ方向へと逃げて行く。追うことはせず、過ぎ去った脅威に 人間たちは安堵した。 126 只一人の馬鹿を除いてだが。 ﹁はぁー? なんでキラースコーピオンの後を追わねぇんだよ。い まなら連中も怯えてるし一掃するチャンスだっただろうが﹂ ﹁こっちには二人の怪我人がいる。深追いして彼らを危険に晒す気 ?﹂ 赤い髪をした男の問いにさらりと答える青い髪の女性。 ﹁なら俺とメギドだけで行けば済・・・﹂ ﹁俺はパーティリーダーの意見に従うさ﹂ メギドと呼ばれた茶髪の男は言葉を遮ってそう告げた。 ﹁リーダーとして、勝算のない所へパーティーメンバーを向かわせ るわけにはいかないわ﹂ ﹁っち、わーったよ。深追いはしねぇ﹂ 渋々ながらも頷く赤髪の男。 ﹁んじゃあ、これからどーすんだ? ソフィア﹂ 青い髪の女性ソフィアは凛とした声で言った。 ﹁とりあえず、エテジアの村に戻ります。二人の治療もしなければ いけないしね﹂ 127 ちらりと横たわっている二人の方を見る。意識のない幼い少年た ち。二人とも所々服が破けており、激しい戦闘の跡を色濃く残して いた。 ﹁ザイウスとメギドは二人を背負って行ってね、村に戻れば早く良 くなるでしょう﹂ めんどくさそうに背負うザイウスと淡々と背負うメギド。 三人は荒野から北の方に向かいエテジアの村を目指す。 三時間後 辺りは夕陽に照らされていた。そんな中歩き続ける三つの影 未だに殺風景な荒野が続いていたが、もうエテジアの村は近い。 ︵まあ後一時間ってとこかしらね︶ そう思った時、地面からズドドドという轟音が聞こえてくる。嫌 な予感がする。音はどんどん近付いてきていた。 ﹁みんな!! 今すぐ足元から離れてっ!!!﹂ そう叫んだ瞬間︱︱大地が割れた。 声にいち早く反応したザイウスとメギドは、人を背負いながら間 一髪で逃げることができた。 その様子をみてほっとしたのも束の間、地面からなにかが出てき た。 ﹁ジャイアント・ワーム・・・﹂ 10mをゆうに超える巨大なミミズのような生物がこちらを見る。 獲物をみつけた目だ。 ︱︱ジャイアント・ワーム SSランクに指定される強大な魔物だ。 今日戦ったBランクのキラースコーピオン等とは比べ物にならな 128 い。 討伐には最低でもAランクの冒険者が四人は必要といわれる。 ソフィアとザイウス、メギドは全員がBランクの冒険者。圧倒的 に戦力が足りなかった。 そもそもこんなところにジャイアント・ワームなどいるわけがな いのだ。そんな事までは想定していない。 しかし、やらなければ殺される。 ちらりとザイウスとメギドの二人をみる。二人とも既に背負って いた人を地面に置き剣を抜いていた。どうやら同じ考えのようだ。 私も杖を構え臨戦態勢に入る。 しかし、どうしても震えてしまう。レベルが違う。そう本能が叫 んでいるようだった。 そうしていると、大きな影がこちらへと信じられないスピードへ 向かってきた。 ジャイアント・ワームがこちらに突っ込んできたのだ。 ︵速っっ!!︶ 咄嗟に光の防御壁を張る。そのまま突っ込んでくるジャイアント・ ワーム 防御壁の先端がジャイアント・ワームとぶつかった。 衝撃で防御壁が跡形も無く砕けた。 ︵そんなっ!?︶ 敵は意にも介さず突っ込んでくる。 もうこの距離では逃げられない。 死んだ。そう思った。 次の瞬間目の前にジャイアント・ワームの死骸が見えるまでは。 ﹁大丈夫か?﹂ 死骸の上にはフードを被り奇妙な細い剣を携えた男? が目の前 に立っていた。 129 第十六話︵前書き︶ クロノの一人称が俺に!? クロノの能力ははっきりいって地味です。 この話を書くにあたり二話の魔惻のやり方について追加修正しまし た。 後先考えずに書くからですね。 正直幼年期一話 少年期一話 青年期二話くらいで多分まとめられ るんですけど、今更めんどくさいのが本音です。 130 第十六話 ﹁一人で先にいってしもうたのぉ・・・・﹂ エテジアの村の前で緑髪の少年はそう呆れたように呟いた。 思い出すのは、自分の主である一人の青年。 強い魔物の気配がする事を少年が告げると、もの凄いスピードで出 て行ってしまった。 ﹁儂は元の姿に戻らんと追いつけんし・・・まあ、あやつが負ける ことはないじゃろう。﹂ 少年とは思えぬ口調で喋る。 その声はどこか確信したようで。 ﹁さて、言われた通り儂は宿でも取っておくとしようかの。﹂ そう言って、村へと戻って行った。 青年は文字通り目にも止まらぬスピードで荒野を駆けていた。 ︵ドラは、強い魔物の気配と言った。ならば獲物の可能性が高いな。 ︶ 荒野を走る青年クロノはそう考える。黒い外套に身を包みながら。 そもそも、こんな辺境な地に来たのは依頼の為だ。ジャイアント・ ワーム討伐という。 ︵ジャイアント・ワームは餌があるところでしか地面から顔を出さ ない、エテジアの村に辿りつく前に潰す。︶ そう考えていると、向かっている方角からズドドドという轟音が聞 131 こえてくる。 ︵あそこに餌でもあったのか?︶ ジャイアント・ワームは基本的に人間しか食べない。 顔を出したという事は、そこに人間がいたということだ。 ︵このペースで走ってたら間に合わないな。︶ 歯噛みしながらも、足は止めない。 ︵レベルを上げるか。最高速なら間に合うはずだ。︶ ﹁パワーレべル5﹂ 言葉を発した次の瞬間青年の姿は消えていた・・・・ 目の前には死骸となったジャイアント・ワーム。 よく見ると二つに裂けており、中からはビチャビチャと内臓のよう なものが噴き出している。 はっきりいって気持ち悪い。 しかし、その上には不釣り合いな黒い外套に身を包んだ人間らしき ものが立っている。 ﹁大丈夫か?﹂ と、低く若そうな声から察するに男性だろう。 ︵敵ではない・・?︶ 即座に思考を落ち着かせ、判断を下す。 ﹁ええ・・大丈夫です。ありがとうございました。﹂ とりあえずフードの男にお礼を言う。 横目でザイウスとメギドを見ると、未だに固まっている。 混乱しているのだろう、どこから現れたかも分からない男に。 無理もない。私も未だに混乱しているのだから。 ﹁そうか、なら良かった。﹂ 132 ジャイアント・ワームを一人で倒したと思われるフードの男は安心 したようにそう告げた。 ﹁あなたがジャイアント・ワームを斬ったんですか?﹂ 疑問を口にする。 状況的にみるとそうとしか考えられないが、信じられなかった。 魔法を使った形跡もない、手に持った細い剣だけで斬ったというの は想像ができない。 ﹁一応な・・・﹂ 不明瞭な声で告げる男に疑念を持ったが、助かったことは事実だ。 あのまま戦えば全滅の可能性が高かっただろう。 ﹁本当に助けていただいて、ありがとうございましたっ!!﹂ 再度お礼を言う。 男の表情を窺い知ることは出来ない︱︱︱︱ ﹁レべル5﹂ 俺はそう呟く。 瞬間体に魔力が漲ってくる。 地面を蹴ると、景色が凄いスピードで流れて行く。 これが俺の魔法。どの属性にも属さない専用魔法。 かーさん曰く無属性というらしい。かーさんも同じ力を持っていた。 そもそも、魔惻では色の濃さを測るものである。 それぞれの属性に合った色が出る。 しかし、無属性には合った色というものが存在しない。 いくら魔力を込めようとも、水晶には色がでないのだ。 俺がこの力に目覚めたのは迷いの森に入って一ヶ月程した時。 ダディ・スネークという大蛇のような魔物から逃げていたら、体が 軽かった。自分でも信じられない程に。 133 その事をかーさんに話すと、無属性だろうと言われたのがこの力の 始まりだ。 一般的には認知されていない力。命名はかーさんらしい。 それから暫く無属性についての説明と使用法について学んだ。 他の属性との大きな違いとして、何かを出すのではなく魔力を纏う。 純粋なる身体強化それが無属性の特徴。 逆にいえばそれしかできない。 炎を出したり、光の壁を作ったりは出来ないのだ。 使い方を学んでからは飛躍的に成長した。 動体視力も上がり相手の動きを見極めることができるようになった。 無意識の内に常時纏えるようになる頃には、一人でブラックレイ・ ウルフを狩れるようになっていた。 普段の状態をレベル1とし、1段階ごとに徐々に力が上がっていく。 今使っているのはレベル5。 5段階あるうちの最上位。 使ってから瞬く間にジャイアント・ワームの元に着いた。 人間は五人。今まさに、一人がジャイアント・ワームに襲いかから れるというところ。 すぐさま剣を抜き、ジャイアント・ワームへと斬りかかる。 こちらに気づいた様子もなく、そのままニホントーで斬り裂いた。 スパッとそんな音が聞こえてきそうな程に、あっさりと︱︱︱︱︱︱ 134 135 第十七話︵前書き︶ 前話にまとめればよかった⋮ 136 第十七話 お礼を言われた男はそれに答えることなく話題を変える。 ﹁とりあえず、怪我人が居る状態でここに留まるのは危険だ。少し 歩いたところにエテジアという村があるから、そこに向かうといい。 ﹂ 無愛想に男は指を指し告げる。 ﹁ええ、私たちもその村に向かう予定だったんです。﹂ その言葉に青髪の女ソフィアは賛同する。 ソフィア達からすれば元々その予定であったので、特に異論はない。 未だに懐疑的な視線を男に向けているザイウスとメギドに怪我人を 運ぶように指示する。 渋々といった表情で二人を背負うザイウスとメギド。 ﹁もう魔物が出てくるような事はないだろうが、一応俺も付いてい こう。その状態で襲われたりしたら危ないだろうしな。﹂ 男からの魅力的な提案。確かにまた人を背負ったまま襲われたりし たら、たとえ格下相手でも厳しいだろう。村に近いこの場所ではそ んな事は無い筈だが、先ほどのように万が一ということもある。 ﹁でも、これ以上あなたに頼るのは⋮﹂ 遠慮がちに答える。これは本音だが全てではない。パーティーメン バー程ではないが、警戒はしている。敵ではないと判断を下したが、 その判断が正しいという確証もないのだ。 ﹁なに、俺もエテジアの村に連れを置いてきてるんでな、どちらに せよ戻らなきゃならないんだ。﹂ 目の前の男を測りかねているソフィアに気づいた様子もなく答える。 とりあえずこれ以上頼るという事に関しては、目的地が同じという 事で負い目に感じる必要はなくなった。一つの問題が解決したこと で、頭が冴えてくる。 ︵大体この男が敵だったからどうするの?ジャイアント・ワームを 137 倒しちゃうような男に私たちは勝てないじゃない。あれほどの実力 があるなら今この場で殺すことも可能なはずだし⋮⋮︶ ここまで考えて一つの結論を出す。 ︵敵だったらどちらにせよ勝ち目なんてないし、罠だったら諦めま しょう。︶ と思考を放棄したのだった。 ﹁じゃあお願いします。﹂ 軽く頭を下げ礼をするソフィア。 クロノにしてみればエテジアの村まで帰り道が一緒なので、一緒に 行くのは大した問題ではない。 本当についでであった。ジャイアント・ワーム討伐という依頼も達 成したわけだし、これ以上やる事などほぼない。あるとしても、ラ ンクが高すぎて討伐証明の部位が定められていないジャイアント・ ワームの死骸を最寄りのギルドの職員に確認してもらうだけだ。 すっかり暗くなった荒野を歩く四人と背負われた二人。 四十分ほど歩いたところで木でできた粗末な門が見えてくる。 エテジアの村の門だ。門だからといって守衛が立っているわけでは なく、只形だけの門。 一応村全体に魔物避けの結界が張ってあるらしく、Bランクくらい の魔物であれば入る事はできない。 門を潜り村の中に入る。背負われていた二人の為にすぐさま教会へ と向かう三人の冒険者たちを見送りながら、クロノはドラのいる宿 屋を探した。 宿で既に白いベッドへと寝ころんでいた少年は見知った気配を不意 に感じる。 ﹁どうやら帰ってきたようじゃの⋮⋮﹂ 呟くとドアが開き黒い外套を被った男が部屋に入ってくる。 138 とても怪しげなその風貌。黒を身に纏い不審者と思われてもしょう がない。 ﹁ドラがとった宿探すのに村の中探し回ったよ。﹂ 聞こえてくるのは外見に似合わないとても通る声。先ほどソフィア 達と話していた時からは想像できない程に親しみのある声だった。 ﹁勝手に宿とっといて、なんて言うお主が悪い。﹂ ベッドに寝ながら主に答える。 ﹁そう言われると反論できないね。﹂ ﹁大体この村に一軒しかない宿屋をどうして探し回るのじゃ?﹂ エテジアの村は目立った特産品もなく、旅人が寄る事も少ないため 宿屋は一軒しかない。 ﹁もう外は暗くてさ、村の人に聞こうにも誰もいなかったんだよ。﹂ 肩を竦めながら困ったように呟く。 そんな主の姿を見て追撃する事はせずに、話題を変える。 ﹁で?どうじゃった?今度は逃げられるようなことは無かったか?﹂ ここ一周間アレの討伐の為に各地を回っていたのだ。何度か近くま で迫ったことはあったが、その度に危険を察知したのか地面に潜ら れ仕留め損ねていた。 ﹁ちゃんと仕留めたさ、討伐証明の為の部位が決められていなくて よかった。あんな気持ち悪いもの持って帰るなんてまっぴらごめん だね。﹂ やれやれといった様子のクロノ。その脳裏には斬った時にでてきた 内臓等が映し出されているのだが、ドラにはそんな事知る由もない。 ﹁まあ、それはギルド職員に確認に行ってもらうとして、もう一つ 問題が発生したんだよね。﹂ ﹁問題?﹂ ドラには想像できなかった。目の前の主が解決できないような問題 を。 ﹁ジャイアント・ワームを倒した時に襲われてた人たちが居て、道 中に素性とか聞かれて村に行ってからまた明日にでも話そう、とか 139 言っちゃったんだ。﹂ クロノは冒険者を始めてから五年程経つがその間他人との接触をな るべく避けてきた。 クロノは今や一人しかいないSSSランクの冒険者である。世間的 には存在するとだけ言われているSSSランク。そうだとばれれば 何か厄介事に巻き込まれるのは明白。知っているのは各国の重鎮や ギルドの受付と数少ない知り合いくらいのものだ。 ﹁なんでそんな事を言ってしまうのかのぉ⋮﹂ ドラは微妙にどこか些細なミスをする自分の主に呆れる。 ﹁まあ、名前くらいなら大丈夫だろうし、ギルドランクとか聞かれ たら適当に言っておくけど。﹂ ︵ならば最初から大した問題ではないだろうに。︶ そんなドラの考えにクロノは気付いた様子もなくベッドへと倒れこ む。すぐに寝息が聞こえてくる。 外套を着たまま眠りに落ちる主を見つめながら、ドラも深い眠りへ と落ちていった︱︱ 同時刻 三人のパーティーは教会内部にいた。キラースコーピオンにやられ た二人を治療するために。 一応ソフィアが応急処置は施したが完全に回復するには教会で毒抜 きをしてもらうしかない。 そもそもこの二人は仲間でも何でもなく、キラースコーピオン討伐 に行くとそこで倒れていた。 二人とも茶髪で顔は似ている。背格好からして十代前半で兄弟のよ うに見える。全員が二十台前半の自分たちのパーティーに比べて若 い。服は粗末で貧しい家庭であろうことが見てとれた。どうしてあ んな所で倒れていたのかは分からなかったが、子供を見捨てる選択 肢は無かった。 現在神父に治療を受けている茶髪の兄弟。二人の顔は意識がないな 140 がらも苦痛に歪んでいる。 それを痛ましく感じながら、身を案じる。 ﹁おそらく、明日の朝までは目を覚まさないでしょう。﹂ 神父がそう告げる。 ﹁それは明日の朝には良くなるということですか?﹂ 聞かずには居られなかった。 ﹁ええ、毒はもう抜きましたので。﹂ 神父の心強い言葉。見ると顔色は徐々に良くなっていた。 ﹁今日一晩はこちらに預けて、また明日の朝おこしになって下さい。 ﹂ ﹁そうさせていただきます。ありがとうございました。﹂ 神父に礼を言い教会を後にした。 教会をでてから昨日も泊まった宿屋へと向かう。 小さな村であるエテジアには宿屋が一つしかない。 途中でザイウスがこれからについて問うてくる。 ﹁あのガキどもどーすんだ?教会に対する寄付金も俺らが払ったし よ。﹂ 教会での治療もタダではない。寄付金を払わなければならなかった。 ﹁そうね。明日あたりにでもあんな所でどうして倒れてたか聞かな いと。﹂ ﹁金はどーすんだって聞いてんだよ。キラースコーピオンも討伐し ねぇといけねぇし。﹂ ザイウスは現実主義だ。金にがめついわけではないが、顔の割に管 理には厳しい。仕事に対しても受けたら確実にこなそうとする。 ﹁あんたねぇ、あの服装からしてお金なんか貰えると思う?それに もし貰えたとしても断るわ。勝手に助けたのは私たちなんだし。﹂ 少々失礼な言い方だが事実だ。貧しそうな服装からして礼など期待 していない。そもそも見返りを求めて助けたわけじゃない。ザイウ スはその言葉に納得したのか何も言い返してこない。 ﹁では、キラースコーピオン討伐の方はどうする?﹂ 141 ここまで二人の会話を黙って聞いていたメギドが口を開いた。 ﹁それは予定通り続行ね。今日戦った感じとして、苦戦はしたけど 明日は私もでるから大丈夫でしょう。﹂ 今日はソフィアが二人を治療していたので戦いに出られなかったが 明日は違う。 二人をサポートすれば殲滅できるだろう。 気になるのは今日自分たちを助けてくれた、黒いフードの男。 明日にでも話そうと言い、分かれた。あの男に対する疑問は尽きな いが明日になれば話す機会はある。 茶髪の少年たちからも話しを聞かないといけない。 そう明日の予定を立て宿へと戻った⋮⋮ 142 第十八話︵前書き︶ 暫く忙しくて更新ストップしてましたすいません 143 第十八話 暖かな朝日が差しこんでくる。柔らかな光。 ︵うーん⋮もう朝か︶ ベッドから体を起こそうとするが、なかなか起き上れない。 体の節々が軋むように痛い。懐かしく感じる痛み。 ︵久々だなこの痛みも。ドラと戦ったとき以来かな?︶ 昔を思い出し思わず苦笑してしまう。 ︵あれからレベル5なんて使ってなかったし、しょうがないか。︶ 倦怠感に包まれる体をベッドから無理やり起こし、立ち上がる。 ベッド二つとテーブルだけでいっぱいになっている狭い室内。 部屋を見渡すが、緑髪の少年の姿は見当たらない。 ︵ご飯でも食べに行ったのか?︶ そこまで考えてからふと自分の空腹感に気づく。 ︵あー、昨日は疲れててそのまま寝たから夜食べてないんだった⋮。 ︶ 自分の格好をみると黒い外套を羽織ったままだ。 ︵とりあえず朝食でも食べに行くか。︶ 次の行動を決め部屋から出て、木造の階段を降り一階にある食堂へ と向かう。 食堂に入ろうとすると、入り口で一人の客と鉢合わせる。 ﹁﹁あ﹂﹂ 重なる声。見覚えのある出で立ち。そこには、こちらを指さす青い 髪の女性が立っていた。 ﹁本当に昨日はありがとうございました。﹂ 頭を下げ礼を述べる女性。食堂の入口で出会ってから、こんな調子 でお礼を言われ続けている。 クロノの座るテーブルには粗末なパンとスープ。手を伸ばせば届き 144 そうな位置にあるのに口に入れる事は出来ない。礼を言っている人 を無視して食事をするなど、失礼もいいところだ。 しかし腹は食べ物を欲し、空腹感を容赦なくクロノに与え続ける。 ︵食べたいのに食べれない⋮⋮どうにか、この人の話を終わらせな いと。︶ 必死にこの状況を抜け出す術を考える。離れた席に座るドラを横目 で見るが、我れ関せずといった感じで黙々と朝食を食べている。ド ラには頼れない事を悟り再び頭を回転させる。 ﹁本当についでだから気にしないでくれ、そういえば昨日の子供た ちはどうした?﹂ とりあえず話題を変え突破口を探りにいく。 ﹁教会に連れて行って毒抜きをしてもらいました。今日の朝には良 くなっているはずです。﹂ その言葉を聞き安堵しながらも、糸口を見つけたと思いそこを突く。 ﹁だったら、今から会いにいってやればいいんじゃないか?﹂ ﹁ええ、これから向かおうと思っていたところなんです。あなたも 一緒にどうですか?﹂ 予想外の返答。行っても良いのだが、朝食を食べたい。この提案に 乗るわけにはいかなかった。 ﹁いや、あの子たちを助けたのは俺じゃないからな。今すぐ行って やれ。﹂ 事実である。実質クロノは何もしていない。只討伐対象を狩ったに すぎないのだ。 ﹁でも、あそこでジャイアント・ワームを倒していただけなかった ら⋮﹂ ﹁それに俺は子供が苦手なんでな。﹂ 言葉を遮り一言付け加える。嘘だ。別に子供が苦手なわけではない。 ﹁そうですか⋮。じゃあ私はパーティーメンバーと子供たちに会い に行ってきますね。﹂ そう言うと、女性は残念そうにしながら再び一礼をして慌ただしく 145 食堂を出て行った。 出て行ったのを確認し待ちに待った食事に手を付ける。 空腹は最高の調味料とはよくいったもので、パサパサのパンが驚く ほど美味しく感じられる。 そんな不思議な食事を堪能していると、すでに食べ終わっているド ラが向かいに座る。 ﹁なかなかの演技じゃったぞ。主の演技力も年々上がっているのう。 ﹂ からからと笑いながら、イタズラっ子のような笑みを浮かべている。 人前でクロノは口調を変えて話す。それは人にあまり近づかれない ようにする為であり、冒険者を始めてからつくったものである。今 ではクロノが素で話すのはドラを含め数人しかいない。 ﹁まあ、5年もやってれば成長するさ。﹂ 咀嚼していたパンをゴクンと飲み込んでから、ドラに答える。 ﹁儂からすればたかが5年じゃがの。﹂ ﹁ドラ基準で考えたらそうだろうけどね。人間からすれば長い時間 なんだよ。﹂ 話している間にスープに手を伸ばす。 ドラゴンは種にもよるが大体三百年程生きるとされている。そんな ドラゴンからすれば5年など大した時間ではないのだ。ドラが何歳 なのかクロノは知らないが、相当長い時を生きているのだろう。 ﹁そうじゃのう。﹂ それっきりドラは黙ってしまった。 暫くしてからクロノはスープを飲み干し腹から来る空腹感にようや く勝利して、食堂を出る。 その後を追うようにドラも席を立ち食堂から出て行った︱︱ クロノと別れたソフィアはまだ眠たそうなザイウスと、それとは対 照的にきっちりしているメギドと共に教会へ向かっていた。 ﹁ふぁぁー。なにもこんな時間に行かなくてもいいだろうがよ。﹂ 146 欠伸をして文句を垂れるザイウス。ソフィアにいきなり起こされ朝 食も食べていない。 ﹁こんな時間って、冒険者なら普通に起きてなきゃいけない時間で しょうが。﹂ もうすでに太陽は東の空の上まで来ており、朝というには少々遅い。 ﹁そうだな、さっきまでいびきをかいて寝ていたお前が悪い。﹂ メギドもソフィアに続いて追撃を加える。 ﹁ったく、とっとと宿屋に戻って朝飯を食いてーもんだぜ。﹂ 諦めたように呟きそれ以降口を開く事は無かった。 教会へと着くと神父がこちらに笑顔で挨拶してくる。 ﹁お待ちしておりましたよ。子供たちは今し方目覚めたところでし てね。﹂ ﹁そうですか、それはよかったです。﹂ ﹁ただ⋮⋮﹂ 神父が言い淀む。何か後遺症でも残ってしまったのだろうか。そん な想像をしていたソフィアに予想外の言葉が告げられる。 ﹁食べざかり過ぎましてね。このままだと教会の食糧が無くなって しまいそうですので、その分の寄付金も払っていただかないと。﹂ と、シビアな要求をしてくる神父であった。 教会内 客室には昨日毒にやられていた少年たちがばくばくと食べ物を食い 漁っていた。 木のテーブルに椅子が四つ。テーブルの上には山のように盛られた 食材。 もの凄いスピードで用意されていたパンや果物が消えていく。 その光景を見て我慢できなくなったのか、ザイウスは部屋に入るな り﹁うおー!!﹂などと叫びその輪に加わっていった。 ﹁だっ、誰?﹂ ﹁なんだよおっさん!?これは俺たちの食事だぞ。﹂ 147 ﹁俺も腹が減ってんだ!!少しくらい寄越せや!﹂ 突然の掠奪者の登場に驚く少年たち。 ︵アイツが食べた分も払わないといけないのか⋮︶ 財布の心配を割と真面目にしつつ、どうしたものかと思案する。 ︵はぁ、食事が終わるまで話を聞くのは無理そうね。︶ いつ終わるとも分からない食事に半分呆れながらも待つことにした。 ﹁あ∼食った食った。﹂ 腹をおさえながら満足げに呟く兄らしき少年。 弟らしき少年も満足したように半分夢の中だ。 ザイウスはというとすっかり寝入っている。 ︵寝てる馬鹿は放置しましょう。︶ ﹁ねぇ、君たちどうしてあんなところで倒れてたの?﹂ 食事を終えすっかり落ち着いた少年に話しかけてみる。 倒れていたのはこの村から離れただだっ広い荒野。どう考えても不 自然である。 周囲には人が住んでそうな気配もなかったし、あそこには採取する ような薬草もない。 魔物も比較的強力なものが多く、子供だけで遊びにいくには危険な 地域だ。 少年の返答を待つ。 兄のような少年はいきなり話しかけられた事に驚いたのか、キョト ンとした瞳でこちらを見つめてくる。 ﹁おばさん誰だよ?﹂ ︵おばさんだと⋮⋮!?私はまだ22だっつーの!!︶ 内心憤慨しながらも、思考を必死に落ち着ける。 ︵おばさんおばさんおばさん⋮⋮。ってちがーう、そこじゃなくて ⋮そういえば昨日は意識なかったから私たちのこと知らないのも当 たり前か。とりあえず自己紹介からかしら。︶ 未だに頭の中でとあるワードが巡っているが、冷静に判断を下す。 148 ﹁私はソフィアっていうの、そこの馬鹿はザイウス。私の隣にいる のはメギドよ。冒険者をしているの。﹂ ﹁ふーん、俺はレイリーだ。で、そっちが弟のスーラー。﹂ 顔を半分寝ている少年に向け目線でそちらを指す。 話を聞く限り兄弟であるという見立ては間違っていなかったようだ。 自己紹介を終え本題に入る。 ﹁昨日キラースコーピオンの群れに襲われて倒れてたみたいだけど、 どうしてあんな所にいたの?私たちが通りがからなかったら危なか ったわよ。﹂ ﹁あーえーっと、とりあえずここは教会でシュヴァイツ帝国内じゃ ないよな?﹂ 確かめるように訪ねてくる。質問を質問で返されるとは思っていな かったが、答えないと先に進まない。 ﹁ええ、ギール王国の南、エテジアの村だけど。﹂ ﹁ふぅーよかったよかった。なんとか国を出れたか。﹂ 安堵した声を漏らすレイリー。しかしソフィアにはさっぱり分から ない。 シュヴァイツ帝国といえばフィファル大陸内でも、有力な国で王も 良政を敷いている有名な国だ。 北はギール王国、南ではレオンハルト王国と接している。 特にレオンハルト王国とは友好な関係を築いており、大陸内ではレ オンハルトに次いで大国である。 ソフィアたちも何度か行った事があり、他の国と比べての治安の良 さに驚いたものだ。加えて人柄も良く国民は皆フレンドリーだった。 レイリーの口ぶりからして、シュヴァイツ帝国から逃げてきたので あろうが、あの国がこんな子供を追いまわすものだろうか? ︵盗賊に追われたとしても衛兵に言えばあそこの国なら助けてくれ るだろうし⋮︶ 他の要因も考えてみるがどれもイマイチピンとこない。 今代の王は民の事もよく考えていて、賢帝と名高い。そんな王が何 149 かするとは思えない。 ︵なにか、国内で大きな事件があったとか?あの国に何かするよう な輩がいるとは思えないけど。︶ 結局いくら考えても埒が明かない。 ︵って、当事者に聞けばいい話じゃない。私のばーか。︶ 少し自己嫌悪に陥りつつも、質問を切り出す。﹁で、どうしてあん なところにいたの?﹂ 今日何度目だろうか分からない質問。これが聞きたかっただけなの に随分時間がかかったものだ。 レイリーは少し困惑しながらも口を開く。 ﹁まぁどこから話せばいいんだか、俺たちはシュヴァイツ帝国から 逃げてきてキラースコーピオンに襲われた。そこでお前ら、いやあ なたたちに助けてもらったわけだ。まずは礼を言う。助けてくれて ありがとう。﹂ 椅子から立ち上がりこちらに頭を下げる。その所作は、ところどこ ろ服が破けた貧しそうな服装からは想像できない程にちゃんとした ものだった。敬語も使わない生意気なガキだと思っていたレイリー の評価を少し上方修正する。 ﹁お礼はいいわ。倒れてる人を助けるのは当然の事よ。それより逃 げてきたってどういう事?﹂ 頭を下げるレイリーに一番の疑問をぶつける。 最初はなにか考えている様子であったが、やがて諦めたように喋り 始めた。 ﹁シュヴァイツ帝国は今戦争を仕掛けられている。もうすぐ帝都も 陥落するだろう。レオンハルト王国によって。﹂ と余りにも信じられない内容を⋮⋮ 150 第十九話︵前書き︶ あー後から大幅修正する気がする。文が多分一番酷い。 2話辺りとか割と大陸についてとか編集していたり。最初に比べれ ばですが。 151 第十九話 レオンハルト王国は三年前異世界から勇者を召喚したと発表した。 勇者といっても特になにかやったわけではない。 それなのに勇者と呼ばれるのにはわけがある。 代々異世界から呼ばれた者は並はずれた力を持ち、国にとっての重 要な戦力となるのだ。 二百年前の魔物の大侵攻を止めた勇者も異世界人だったと言われて いる。 遥か昔は各国が異世界から勇者を召喚し、争っていたとの記述も残 っているが約千年前を境に勇者の名前は出てこなくなっている。勇 者召喚の方法もその時に失われた。 しかし、二百年前レオンハルト王国が異世界からの勇者に成功した、 とされている。 その後王都が壊滅し結局うやむやになって消えてしまったが。 三年前の知らせには大陸中が驚いたものだ。 レオンハルト王国が勇者の召喚を発表したのは軍事的アピールだと 当時は言われていた。 勇者という戦力を持っているというアピール。 しかし召喚から三年が経った今でも勇者らしき者は一切人前に出て くる事なく、今ではあれは嘘だったというのが一般の見解だ。 勇者召喚が嘘だったとしてもレオンハルト王国が大陸内でトップの 大国である事には変わらない。 それゆえに勇者の召喚に成功したなど嘘をつく理由がなかった。 この点だけが各国の首脳陣の間で議論されたが結論は出なかった。 結局三年前の勇者召喚は大国の力を誇示するための嘘だった。 と、誰しもが思っていた。レオンハルト王国の民ですらも。 ﹁レオンハルト王国の勇者が軍隊を率いて攻めてきたんだ。﹂ 152 それゆえにこの言葉を聞いた時ソフィアは信じられなかった。 今まで存在から否定されていた勇者が居た事に。 言葉を失うソフィアにレイリーは続ける。 ﹁いきなり宣戦布告してきた勇者軍は瞬く間にシュヴァイツ領内を 制圧し始めた。俺たちの親はそんな現状に危機感を覚えて、俺たち を逃がしたんだ。自分たちはここに残って最後まで戦うとか言って ね。﹂ レイリーはどこか冷めたような目をしながら、寝てしまったスーラ ーの方を見る。 その目にどんな感情が込められていたのかソフィアには分からない。 ︵これ以上身の上話を聞くのは良くないかな⋮。︶ ﹁話は大体分かったけど、友好国のレオンハルト王国がなんで攻め てきたの?それに勇者なんて信じられないわ。﹂ 心中で考えている事とは別の事が口に出てしまう。話題を変える事 には成功したが、こんな言い方では不味いだろう。 ︵ていうか、こんな質問した所で子供に分かるわけないじゃない。︶ 口に出してから己の失態を恥じる。 あまり返答には期待していなかったが、予想に反しレイリーは答え 始める。 ﹁レオンハルト王国が攻めてきた理由までは分からないけど、勇者 がいる事は間違いないって父さんが言ってたよ。﹂ ﹁間違いないってどういう事?﹂ ﹁勇者軍と戦った兵士が勇者を名乗る強くて三属性以上の魔法を使 う奴を見たって言ってたらしいよ、基本的に一属性しか扱えないは ずの魔法を使うなんて無理でしょ?勇者以外は。﹂ 伝え聞きの話が多いらしい。 正直そんな事を知っているレイリーたちの親が気になるが、身の上 話には突っ込まない。 ﹁それだけで断定するのは早いと思うけど?只の兵士の見間違いで 強いってだけかも。﹂ 153 ﹁でも事実として攻め込まれてる。そいつを主力にね。実際勇者か どうかなんて関係ないんだ。国がいきなり攻められて落とされそう になってる。それが現実だよ。﹂ ﹁そうね⋮。﹂ まただ、またレイリーは冷たい目でどこか思いを馳せるように遠く を見つめている。 年齢には似合わない表情。 ︵この子たちは何者なんだろう?やたら国の状況にも詳しいし。︶ 気にはなるが触れることはしない。 ︵これ以上聞く事は無いかな。︶ 引き上げようとザイウスの方を見るといびきはかいていないものの、 涎を垂らしながらアホ面を晒して寝ている。いびきをかくのは時間 の問題だろう。 ︵はぁー、この馬鹿は⋮︶ 右手で頭を抱えあからさまに呆れる。 ﹁じゃあ、とりあえず今日の所は帰らせてもらうわ。﹂ 体制を整え手を振って別れを告げる。 寝ているザイウスの頭に拳骨を落とし部屋を後にした。 ﹁どうしてこうなった⋮。﹂ 呟くソフィアの手元にはすっかり軽くなった袋のような財布。 ほんの少し前まではずっしりと重みがあったはずの財布。 ﹁こんな貧乏なわけないのにーー!!。﹂ 思わず人目を憚らず叫んでしまう。普段は冷静なはずのソフィアが 怒っていた。 教会から出て宿屋へと向かう途中。 村人は一斉にこちらを見るがよそ者だと分かるとすぐに視線を外す。 ﹁あー、うっせーなピーピー喚くなや。﹂ こんな状況を作り出した元凶が話しかけてきた。 この瞬間一人の怒りは横を歩く馬鹿に向けられる。 154 ﹁大体あんたが居なければあんなに払う必要はなかったのよ!?。﹂ 教会を出る直前、神父に呼び止められ多額の寄付金を請求された。 それ自体は前もって言われていた事なのでよいのだが、問題は金額。 請求額85000コル。 普通の村人であれば1ヶ月分に相当する。Bランクのパーティーで あるソフィアたちにとっても大金。 最初はぼられているのだろうと突っぱねたが、神父はしっかりと明 細まで持ってきた。 どれもが正当な金額で不審な点も見当たらない。そして神父は一言 付け加える。 ﹁そちらの赤い髪の方が食べた分が半分程ですがね。﹂ この言葉で諦め全額支払ったのだった。 ﹁食っちまったもんはしょーがねーだろ?﹂ 悪びれた様子のないザイウス。 この態度がより一層怒りを加速させる。 ﹁あんたはホントいっつもそうね!!他人の金使いには厳しいくせ に!!メルト村の時も⋮﹂ 長々と昔の事を列挙していくソフィア。他人から見れば只の夫婦喧 嘩にしか見えない。 ︵そろそろ止めるべきか?村人の注目も集まってきたようだしな。︶ いつの間にか周囲は大声で言いあっている男女の方を見つめていた。 ︵というか、あの二人もそろそろ気づくべきだろうに。︶ 収まる気のしない口喧嘩。視線に気づいた様子の無いメンバーを見 て内心呆れる。 形勢を見るにソフィアの方が優勢か。ここからは一方的な展開だろ う。 メンバーになってから何回も見てきた光景。 メギドはこんな状況に慣れてしまった自分にうんざりしながらも、 止めに入る。 155 ﹁二人ともそろそろ宿屋に向かわないと、こんなペースでは日が暮 れてしまうぞ。﹂ ﹁﹁あれ?メギドいたの︵かよ︶?﹂﹂ 見事にハモリながら言葉が返ってくる。 これがこのパーティーの日常。 ﹁今日はどうするんじゃ?﹂ 狭い部屋の中に少年の声が響く。 部屋の中に人影は二つ。両方ともベッドの上に寝そべっている。 ﹁うーん、今日は体が痛いから動きたくないんだよなぁ⋮。﹂ 黒い髪をした青年は気怠るそうに答える。 そんな青年にジトッとした視線を送る少年。 ﹁年よりくさいのぅ。若者がそんな事ではいかんぞ。﹂ ﹁ドラにその言葉をそっくりそのまま返すよ。それこそ、少年の姿 でそんな口調してるドラには言われたくないね。﹂ 顔も向けようとしない青年。 ﹁むぅ、そう言われると反論できんな。﹂ 感心したようにうなずくドラ。その仕草は外見通りの年齢に見える。 ﹁クロノよ、じゃあ今日もこの村に滞在か?﹂ ベッドから起きあがり背筋をピンと伸ばし座るドラ。 ﹁まあそういう事になるかな。﹂ クロノは依然寝そべったままだ。 会話が途切れる。陽の光以外照らす物のない暗い室内を静寂が支配 する。 ﹁あ﹂ そんな状況がいくらか続いた時クロノが不意に声を上げた。 ﹁なんじゃいきなり?﹂ ドラはその言葉に驚いたのかベッドに倒れる。 ﹁そういえば昨日の人から話聞いてない⋮。﹂ クロノの脳裏に浮かぶのは朝の出来事。食事をしたかったから話も 156 聞かずに子供たちの元へと向かわせた青い長髪の女性。 ﹁ああ、朝の人間の事か。そんな気にする必要もないと思うがの。﹂ ドラも思いだしたようで、話に加わる。 ﹁一応子供たちの事情とかも聞いておかないとね。倒れてた場所が 場所だし。﹂ 聞くとキラースコーピオンに襲われて倒れていたらしい少年たち。 ﹁昔の自分と重なるか?﹂ からかうように聞いてくるドラ。本当にこの姿だけ見ると年相応の 少年にしか見えない。 ﹁重ねていないといえば嘘になるかもね。でも、それだけじゃない よ。あそこは国境に近い、シュヴァイツ帝国から逃げてきた可能性 もある。良国で知られているあの国から逃げてきたとすれば、何か あったって事だ。その情報をクライス王に伝えて報酬を得るのも悪 くない選択肢だろう?﹂ クロノは普段通りの口調で自分の考えをドラに伝える。 確かにクロノはそこまで考えてはいた。頭のほんの片隅でだが。 しかしドラはそんなクロノの言葉をバッサリと斬り捨てる。 ﹁嘘じゃな。お主は自分の気持ちに合理的な理由を付けただけじゃ。 本心ではそんな事考えておらん。﹂ やれやれといった調子のドラ。 ﹁儂に嘘をつく必要は無いじゃろうに、お主はまだまだ子供じゃの。 ﹂ その言葉は子供を諭す老人のようで、知らない人から見れば違和感 を感じるだろう。 ﹁ドラには勝てる気がしないね、はぁ⋮。﹂ 大きく息を吐き諦めたように呟くクロノ。 ﹁そりゃあそうじゃろ、儂が何年生きてると思ってるんじゃ?﹂ ﹁さてね、想像もつかないよ。﹂ ﹁教えとらんからの。﹂ カラカラと笑う得意げなドラ。 157 ﹁ドラに嘘をつくなんて無駄だったね。昔の自分と重ねるっていう のが本当の理由さ。﹂ ﹁それでいいんじゃよ、たまには人間素直にならんとな。﹂ 相変わらず楽しそうに笑う。五年間見てきた変わらない相棒の姿を 見て、すっかり落ち着いたクロノは次へと思考を切り替える。 ﹁さて、そうすると話を聞きに行かなきゃね。同じ宿に泊まってる みたいだし食堂にいけば会えるかな?﹂ ﹁そうそうその意気じゃよ。若者がこんな狭い部屋に籠もっていて はいかんしな。﹂ ﹁ドラはどうする?何なら先に王都に戻っててもいいけど?﹂ ﹁そうじゃのう⋮。王都に戻ってもやることなどないし、主に付い ていくかの。﹂ ﹁じゃあ、食堂でも行こうか。﹂ 話を一通りまとめ終えドラへと手を差し伸べる。 ﹁んじゃいくかの。﹂ そういって手を握ったドラとクロノは狭い部屋を出ていった︱︱ 158 第二十話 商人は行商が終わり帰路に着く途中だった。 塩の販売が上手くいき、出た利益に顔が綻んでしまう。 この金を何に使おうかと期待に胸を膨らませていた。 青い絵の具をぶちまけたように雲ひとつない青い空。 天候も自分を祝福してくれているように思えた。 意気揚々と馬車を進めていると、突如突風が吹き辺りが暗くなる。 みると自分の周りだけが暗くなっており、一定のラインを越えると 変わらず陽の光が差し込んでいる。 雨雲でも上に来たのかと思い少し憂鬱になりながら上を見上げた。 そこには︱︱ 巨大な緑色のドラゴンが圧倒的な存在感を持って通り過ぎて行った。 ﹁身体が痛いのに王都に戻らないと行けないなんて大変だなぁ・・・ 。﹂ 黒い外套に身を包み青い空とは裏腹にどんよりとした調子のクロノ。 ﹁いや、お主は今なんもしとらんじゃろ。﹂ とても低く重い声が青い空に響く。 ﹁分かってないなぁ、結構ドラの背中に座りながら移動するのって 難しいんだよ?﹂ 今クロノが居るのはドラゴンの状態になったドラの背中。 早送りのように景色が流れていく程のスピードで空を駆けるドラの 背中の上は常人であれば耐えきれないであろう暴風が吹きつけてい る。 159 ﹁全然難しそうに見えんがの。﹂ 平然と背中の上に座るクロノ。全く苦しそうな素振りなど見えない。 ﹁あっ、人らしきものが見えるけど大丈夫?﹂ 不意に指を指し声を上げた。 ﹁むっ、どこじゃ?村などがある道は避けて通ってる筈じゃが。﹂ 基本的にドラゴンになって移動する時は人の居る所を避けて移動す る。 それはドラの姿を見られて余計な噂が立たないようにするためであ る。 かなり上空を飛んでいるため見られても一瞬だが、念には念を入れ てだ。 ﹁言ってる間に通り過ぎちゃったよ。多分行商人かな?馬車も見え たし。﹂ 視力はかなり良い方だとクロノは自負している。無属性の身体強化 が無意識に発動しているからである。 ﹁あっちから見えたとしても一瞬じゃろう。そこまで気にする事で もないかの。それより、あの事をどうクライスに伝えるつもりじゃ ?﹂ ﹁とりあえずはそのまま伝えるさ。﹂ 今現在クロノ達はエテジアの村をでて王都へと向かっていた。 ソフィアから伝え聞いた少年たちの話をクライス王に伝えるためだ。 少年たちはソフィアたちが暫く面倒を見るとの事。ザイウスとかい う男の怪訝な表情が気になったが。 今クロノの脳内を占めるのは一つの事。 レオンハルト王国の勇者が軍を率いて国を攻めに来たというにわか には信じがたい話。 聞いた時は内心動揺したが、ソフィアたちの前でそんな顔は出来な かった。 クロノも2年前の勇者召喚は知っている。あの日、入れ替わるよう にやってきたとされる勇者。 160 しかしこの2年全く音沙汰がなく居なかったとされた勇者。 大多数の見解どおり嘘だったと思っていた。今になって何故?それ とも今回も偽物? 近年のレオンハルト王国の情勢を知らないクロノには判断が下せな い。 情勢をしらないどころか、八年間あの国に踏み入れた事すらもなか った。 別にあの国を恨んでいる訳ではない。自分を捨てたあの判断は今で も正しかったのだろうと理解できるし、あんな事がなければ今の自 分は居ない。だからといって特別思い入れがあるわけでもないが。 今まで色んな依頼を見てきて、あの国でする仕事もあった。しかし、 なぜかその依頼を受ける気にならなかった。他に金払いの良い依頼 はいくらでもあったし、同じ金額の依頼でも近場の依頼の方が効率 が良い。今まであの国に行かなかったのは行く機会がなかっただけ だとクロノは思っている。 しかし、クロノは気付かない自分が無意識の内に理由をつけてあの 国に行くのを避けていた事を。 ﹁問題は伝えたあとじゃな。事実だとしたら主はどうする?﹂ ﹁どうって・・どうもしないさ。成り行きを見守るだけだよ。﹂ 国に仕えている訳でもないクロノにはわざわざ王に報告する必要は ない。 それでも伝えるのは、情報を売って報酬を貰うという考えもあるが 比較的懇意にしているクライス王に警告しておこうという思いから だ。昔巡った国の大半はカゲウラの名だけで過剰な程に自分を恐れ ているのがありありと見てとれた。それに対してこの国の王は自分 を恐れる事はしない。試合を見た下級兵の中には未だに恐れる者も いるが、多少は薄れてきているように感じる。 クロノはそんなこの国に対して好意を持っていた。一番の理由は昔 母に貰った指輪の思いでがあるからだが。 161 ﹁そうじゃの質問を変えよう。もし戦争になったらどうする?﹂ ﹁雇われたら戦うけど、自分から戦うことはないね。﹂ 即答だった。以前の子供たちの時のように迷うことはなかった。 あくまで自分は冒険者であって、この国の兵士などではないのだ。 そのスタンスは崩さない。 ﹁そうか。それを聞いて安心したぞ。﹂ 安堵したようなドラ。 ﹁あれ、ドラは俺がどこかの国の味方をするとでも思ってたの?﹂ からかうように聞いてみる。 ﹁最近この国でばかり活動しておったからの。主も案外この国が嫌 いではないようじゃったしな。﹂ 言い返せない、確かに半年程この国に拠点を置いて活動していたし 国も嫌いではないのだ。 ﹁ほれ、もう着くぞ。﹂ 話している間に王都の近くまできたようだ。 王都から少し離れた所に降り立ちドラは少年の姿に変わる。 ここからは歩いて王都まで向かう。 空は相変わらず快晴だったが、南のシュヴァイツ帝国の方には暗雲 が立ち込めていた︱︱ 痛いほどの雨が降っていた。 降りしきる雨は止む事を知らないかのように勢いを増している。 土砂降りの中で人々は怒声や怒号を上げており、悲鳴のような女子 供の声も聞こえる。 そんな雑音を聞きながら敷かれた陣の中で男は佇んでいた。 外とは別世界のように人の声すらもしない。 ﹁申し上げます。ようやく王城が陥落致しました。﹂ 162 静寂を打ち破って入って来たのは騎士風の若い金髪の男。ところど ころ泥が付いている。 ﹁そうか、御苦労。﹂ 佇んでいた男は威厳のある声でそれだけ告げると再び黙り込んでし まった。 ﹁つきましてはまず王への報告を行おうと思うのですが・・・﹂ 遠慮がちに聞いてくる騎士風の男。 ﹁いや、王は今病に伏せっておられる。御身体に障ってしまうかも しれん。﹂ それを手で制す男。 ﹁はっ、ではこれから勝鬨を上げてもらいたのですがよろしいです か?今日は体調が悪いとお聞きしておりますが。﹂ ﹁ああ、大丈夫だ。だがやることがあるからな、先に行っていてく れ。﹂ そういって男は部下を送り出す。 一礼をして出て行った部下の姿を見送ってから、男は簡素な椅子に 腰かけ全く別の口調で喋り始めた。 ﹁あ゛ーくっそ雨のせいで出られなかったな。誰も殺せないとかつ まんねぇー。﹂ 先ほどとは全く違う口調。獰猛な獣のような声。 ﹁っつーか、体調が悪いわけねぇーじゃん。ただ泥に塗れるのが嫌 いだっただけだっつーの。﹂ 高らかに笑う男。完全に先ほどの面影はない。 ﹁それにしても王様ねぇ⋮⋮。﹂ 首に手を当てニィッと歪んだ笑みを浮かべる男が何を思ったのか知 るものはいない。 男以外には⋮⋮ 163 第二十一話︵前書き︶ カジノパート長すぎました。はい。 あれ?妹がメインキャストになる気がしない。 早くギール王国から出たいのに出られないよーー そろそろ物語を進めないといけませんね汗 朱美外伝とかも書きたいのにー ポーカーのルールはテキサスホールデム仕様です。 ドラ視点を追加した方が良いかな。 164 第二十一話 王都の前には門番が立っており目的と名前を告げないと入れない。 何度も繰り返した行為。半年程ここを拠点にしていたので、門番と も顔見知りになりフリーパスだ。 ﹁一週間振りくらいですか、今回は少々長かったですねクロノ殿。﹂ 少し年のいった門番の一人が話しかけてくる。これもお決まりの事。 ﹁ええ、少し依頼が長引いたものですから。﹂ 世間話の様なものだ。無難に受け答えしておく。 この門を通る時は大体この門番に話しかけられる。 ﹁ドラ君も久しぶりだね。﹂ 横にいるドラの方を向き子供に話しかけるような口調だ。 ﹁うん!!久しぶりですね、マイクさん。﹂ 対するドラは笑顔で無邪気な子供のようだ。 いつも俺と話す時とは違い、年相応の子供にしか見えない。 ここまでの演技が出来るのは俺も見習わなければいけないと思う。 ﹁はっはっドラ君は相変わらず元気だね。﹂ この場を見る者が見れば孫と祖父に見えるだろう微笑ましい光景。 ﹁それにしても、クロノ殿はその年で冒険者として生活しているな んて凄いですなぁ。うちの息子にも見習ってもらいたいもんですわ。 ﹂ この話は3回目くらいだった気がする。空を仰ぎ息子の不出来を嘆 く父。 ﹁いえいえ、私なんて新米ですから。﹂ 手を振りながら謙遜し答える。この人に俺のランク等は教えていな い。教えても面倒な事になるだけだ。 ﹁いや本当にすごいですよ。こんな小さな弟と二人でなんて。﹂ いい加減うんざりしてきた。このペースにはまると中々抜け出せな い。 165 ﹁さて、私は行く所があるのでこれで。﹂ 少し言い方がストレート過ぎたかと思うが大丈夫だろう。 ﹁おっと、引きとめてすいませんでしたな、では。﹂ そう言って手を振り彼は再び門番の仕事に戻って行った。 ﹁ふぅー、ようやく抜け出せた。﹂ 門から少し離れた所で溜息をつく。 ﹁主はあやつが本当に駄目じゃのぅ。﹂ 呆れたといった調子のドラ。 ﹁嫌いではないんだけどね。なんかあのペースに呑まれるんだよな ぁ。﹂ いつもあそこを通る時はあの人が居る時間帯を避けて通っていたの だが、今日は急いできて失念してしまっていた。毎回あの人に会う と余計な時間を喰ってしまう。 ﹁いつも思うけど、あんなに話していて門番の仕事大丈夫なのか?﹂ 酷い時は昼に着いて夕方まで話し込んでいる事すらある。 ﹁あやつ以外にも門番はおるから大丈夫じゃろ。それよりこれから どうするんじゃ?﹂ 心底どうでもいいといった調子で話題を変える。 ﹁とりあえずギルドでも行くかな。正面からクライス王に会いに行 くのはめんどくさいし、いつも通り夜行く予定。﹂ エテジアの村を出たのは昼頃だがドラに乗って来たのでまだ日は明 るい。 色々あって昼間にクライス王に会いに行くわけにもいかない。 ﹁つまり夜まで暇じゃという事か?﹂ ﹁まあそうだね。﹂ なにか言いたい事があるのか、急にドラがそわそわし始めた。理由 は大体想像つくが。 ﹁じゃ、じゃったら行きたい所があるから夜まで別行動で構わんか の?﹂ 166 ﹁いいけど、あんまり無駄遣いしないようにね。﹂ 行き先を察し釘を刺しておく。 ﹁儂が負けるわけないじゃろ?﹂ えっへんと胸を張るドラ。この答えでドラがもう行く先は一か所し かない。 ﹁じゃあ時間になったら迎えにいくから。﹂ 手を振ってドラと別れる。 路地裏に消えていく姿を見送り、ギルドへと向かった。 木製のドアを開けると中には厳つい顔した荒くれ者共がギルド内に ちらほらと見える。 内部自体の造りは豪華な事もあり、荒くれ者共の存在が異質を放っ ているがいつもの事だ。 冒険者の多くはこうした男たちばかりである。肉体労働が多いため 女性の冒険者は圧倒的に少ない。 俺自体黒い外套に黒いフードを被り、なんとも怪しい格好をしてい るので人の事は言えないが。 ギルド内を進み受付カウンターに行く。そこには門番と同じくまた しても見た事のある顔があった。 ﹁あれー?クロノちゃんじゃない。今日はどしたの?﹂ 明るい調子の女性。 ﹁依頼の達成報告に来ましたシェリーさん。﹂ ﹁この前受けてたあれかー。流石ね。﹂ 彼女とは新人の時からの付き合いだ。最初かーさんと別れた時に初 めて依頼を受けたのがここだった。 その時の俺はまだ新米冒険者で出会って以来ちゃんづけで呼ばれて いる。 ﹁討伐は達成したんですが、討伐証明部位が明記されていなかった ので放置してきました。ですからギルドで確認していただきたいの ですが。﹂ 167 ﹁うーん⋮。今人手が足りないのよねぇ⋮。でもジャイアント・ワ ームクラスの討伐はでかいし⋮⋮。﹂ 人指し指を口に当てなにやら考えているようだ。話している間に背 中に痛い程の視線が突き刺さっているのが感じられる。正体は分か っている他の冒険者からの視線だ。 毎度毎度感じるこの視線。不思議に思って以前当の本人に聞いてみ たこともある。 曰く﹁私はギルドのアイドルなのよ。﹂との事らしい。 男たちの呪殺されそうな視線を背中に受けていると、シェリーさん はなにか思いついたように手を叩いた。 ﹁そうだ、あの依頼は依頼主がアレだったじゃない。﹂ シェリーさんがいうアレは何となく察しがつく。 俺が依頼を受けた時は依頼主が明記されていなかった。 基本的にギルドは依頼主が依頼を持ってくるのが一般的で、依頼書 には依頼を達成した後の未払いを防ぐため依頼主の名前が明記され ている。 増えすぎた魔物討伐等はギルドが判断して依頼を出す事もあるが、 その場合はギルド依頼と明記される。 依頼主の名前が載っていない依頼など本来ギルドが載せるはずがな いのだ。 それでもあの依頼が貼られていた理由は ﹁依頼主が国なんですね。﹂ ギルドとは国営ではなく各国に配置されており、国とは本来なんの つながりもない。 それでも各国が国内に配置するのは面倒な事をこなしてくれ、人も 集まるからである。 王都にギルドがあるのは一種のステータスであり、国の力を見せる ためにギルドの豪華さを競っていたりさえする。国は基本的に依頼 等には不干渉で、国から依頼を出す事もない。 168 国から依頼を出すとそこが国の弱い所だと思われてしまうからだ。 しかし例外はある。それは戦争の時と手に負えない魔物が現れた時 だ。 戦争の時は確かにいくら人手があっても足りないので当然であろう。 この時は大々的に国の名前を出し人を集める。戦争時に人手を募集 するのは別に恥でも何でもない。 ではもう一つ、手に負えない魔物の時はどうか。 魔物一つ倒せない貧弱な国家だと思われてしまうのだ。 どの国もAランクくらいの魔物であれば倒せるが、それより上とな るとなかなか厳しい。 そもそもそんなに強い魔物は人里には来ない。魔物同士の生存競争 に敗れでもしない限りは。 昨日のジャイアント・ワームだって人間がいれば人間を優先的に食 べるが普段は未開の奥地にいるとされている。 そのため各国が想定していないのだ。そこまでの強敵の登場を。 だがごく稀に現れることもある。国ではどうしようもない、冒険者 ギルドに依頼せざる負えない。 しかし国の名前は出せない。そんな時に国のギルドの責任者と話し 合って名前を出さずに依頼するのだ。 ちなみにこの事実知っているのはギルドの職員とクロノや一部冒険 者くらいのものだ。 大体国が手に負えないという事はSランク以上の魔物であり、そん な魔物を討伐できるのは今現在はクロノくらいしかいない。Sラン クくらいならAランクパーティーが討伐に行く事もあるが成功率は あまり高くない。まあそんな事を多くの冒険者に知られては無記名 の意味が無くなるので、多くのパーティーが受けるよりも少ない少 数精鋭でこなしてもらうのが一番なのだが。 ﹁さーて、そろそろドラでも迎えにいきますか。﹂ 背伸びをし宿を出る。 169 空はすっかり暗くなっており星の明かりがちらほらと見える。 あれから結局国に伝えて国の兵士に確認させようという事になり、 その後の事をシェリーさんに任せてギルドを出た。その後は宿を取 り夜になるまでベッドでずっと寝ころんでいた。 朝と違い身体の痛みも徐々に取れてきている。 流石王都というべきか、街はこの時間帯でも人が多く人々が酒等を 楽しんでいた。 そんな喧騒を離れ路地裏へと進む。一気に暗くなった道を暫く歩く と一軒の酒場が見えてくる。 アノニマスとかかれた看板。俺の目的地はここだ。 安っぽい扉を開け中に入るとそこは一見場末の酒場。内装はお世辞 にも綺麗とはいえない。 人はあまり入っていない筈なのにどこかから歓声が聞こえてくる。 奥にある階段を下りて行くとそこには 眩しい程に照らされた煌びやかなステージ。その上で踊る踊り子た ち。 ルーレットの出目に一喜一憂する女性。難しい顔してトランプを握 る老人。 人々が人生を賭け勝負する。そんな娯楽や欲望が詰め込まれている ここはカジノ。 ギール王国が誇る最大級のギャンブル場だ。 ギール王国ではギャンブルは特に禁止されていないが、子供の教育 に悪いからとひっそり路地裏に造られている。国営カジノでありギ ール王国はここの収入で潤っているとかいないとか。 ポーカーにブラックジャックやバカラ、ルーレット等の賭けごとだ けではなく、ステージショーも毎日行っており連日人が押し寄せる 大人気観光地である。 地下とは思えない程に広いホール内。 170 人でごった返すホール内を抜けとあるテーブルへ向かう。 三つほど置かれたテーブルの内にギャラリーが多いテーブルがあっ た。 ﹁まーたドラ君の一人勝ちかよ。﹂ 歓声が上がる。ギャラリーの多いテーブルにはチップが山積みにな っているドラの姿。 ﹁そろそろ時間みたいですね。﹂ ドラもこちらに気づいたようだ。こちらを向き子供らしい口調で周 囲に聞こえるように言った。 ギャラリーからは﹁もう終わりかよ。﹂﹁ドラちゃん次はいつ来る の?﹂等の声が聞こえる。 ドラはここの人気者だ。以前ドラと街を見物していてここを見つけ、 試しにポーカーを少しやってみた。 数回俺がやっているのを見てルールを覚えたらしく、ドラは勝ちま くった。 以来ポーカーにはまった様子で暇になるとここに来ては連戦連勝で ある。 人の心を読むのが上手いようで、運が強いわけではないのだが不思 議と損はしない。 大体資金を三倍にして帰ってくるのだ。 正直子供がこんな所に一人で居たら目立つので、最初は止めてほし かったのだがドラにとっての唯一の娯楽を奪うのも忍びなく放置し ておいたらいつの間にかカジノの人気者になっていた。 ドラが席から立ち上がりその場から離れようとした時 ﹁なぁ少年。俺と勝負しねぇか?﹂ 別のテーブルから声が聞こえてきた。 ﹁すいません。そろそろお兄ちゃんとの約束があるので。﹂ 丁重に断ろうとするドラ。 ﹁おいおい逃げんのかよ?﹂ あからさまな挑発。ギャラリーは一斉に男へ非難の視線を向ける。 171 これに対しドラは目線で俺にやってもいいかと聞いてくる。 ドラにもギャンブラーとしてのプライドがあるようだ。ドラゴンが ギャンブラーのプライドを持つのはどうかと思うが、ここでやらせ ないと今日一日中愚痴られるだろう。 仕方なく無言でうなずく。 ﹁いいじゃ⋮。いいですよ、じゃあやりましょうか。﹂ ﹁オッケーそうじゃなくっちゃな。﹂ ギャラリーから歓声が上がる。 男はテーブルを移動しドラのいるテーブルに座る。年は20代前半 くらいか、格好いい部類に入る程には顔立ちが整っている。背は俺 と同じくらいだろう。 ﹁さーて、上限はなしで構わないか?﹂ ﹁ええ、構いませんよ。見たところあなたのチップも私と同額くら いのようですし。﹂ 二人の持つチップは確かに同じくらいだ。金額に直すと70万コル 程か。 ﹁んじゃあ適当に誰か座ってくれや。二人だけっつうのも味気ねぇ しな。﹂ 座るようにギャラリーに促す。周りに押されるように四人がテーブ ルに着く。 ここで座るとは中々の勇者だ。 ディーラーが2枚のカードを各プレイヤーに配りゲームスタート。 カジノのポーカーは通常とは違いプレイヤーには2枚の手札しか配 られない。 自分の手札と後から公開される共通のカードで役を作るのだ。 最初から手札を見てゲームから降りる事も可能である。 とはいっても最初の2枚を見ただけで判断するなどあまり出来る事 ではないが。 ゲームは進む。一戦目は見知らぬオッサンが勝った。手札はフルハ ウスなので運だろう。 172 ドラは一戦目は相手を見る試合と割り切っている節があるので、大 体早めに降りる。 今回も一巡目ですぐさま降りたので損失はかなり少ない。 一方の男は最後まで残っていたのでドラより損失は多い。 賭け金自体が低かったので損失はそれほどでもないが。 ゲームは全く滞りなく進む。人々の欲望を渦巻いて。 二戦目も大きく動いた様子はなく、どこかの貴族かと思うほどに豪 華なドレスに着られているおばさんが勝った。その様は正にドレス に着られているという表現がぴったりだ。 両者は依然動かず。今回は互いに最初からゲームに乗らなかった。 静か過ぎて不気味なくらいだ。 じっと戦況を見つめていると ﹁あの∼∼﹂ 間延びした声が背後から聞こえてくる。声質から察するに女性か。 別の人を呼んでいるのだろうと思い無視するが、声は止まない。 ﹁もしも∼し﹂ 今度は右肩に手を置かれた。ここまでされては無視出来ない。俺を 呼んでいるのは決定的だ。 背後を振り向くと柔和な笑みを浮かべた女性が立っていた。銀色の 髪を腰まで伸ばしており、先ほど勝ったおばさんのドレスをこの人 に着せたら貴族に見えるのではないか?と思う程には美しい。 ﹁何か用か?﹂ 不愛想に答える。頭の中で記憶を探るが思い当たる節は無い。 ﹁えっと∼∼、あの子のお兄さんなんですよね∼∼?周りの人が言 ってました∼∼﹂ 女性が指さした方向には淡々とポーカーに臨むドラ。 ﹁そうだが。﹂ ここのカジノでは何度か足を踏み入れているので俺がドラの兄だと 知る者は多い。実際は違うが。 ﹁用事があったみたいなのに∼うちの人が引き留めちゃってすいま 173 せん∼∼。﹂ 丁寧なお辞儀。うちの人とはあの男の事だろうか。妻なのか? 失礼だがあの男とこのおっとりした女性が似合うようには見えない。 ﹁話しに乗ったアイツも悪いんだから気にするな。﹂ やれやれと首を振って見せる。 ﹁私アンナと言います∼∼あっちがアレクです∼∼。﹂ ゆっくりとした動作で指をドラからそらし男へと向ける。 ﹁俺はクロノだ。あそこに座ってるのがドラ。﹂ 相も変わらず不愛想に首でドラの方を向き答える。 ﹁ドラ君っていうんですか∼∼、あの人が勝負を挑むなんて相当強 いんでしょうね∼∼。﹂ どうもペースが掴みにくい喋り方だ。 ﹁どういう事だ?﹂ ﹁﹁人生はギャンブルだ﹂なんて言うほどあの人はギャンブルが好 きなんですよ∼∼。﹂ こちらの問いに答えになっていない答えを返すアンナ。 人の話を聞かないのか?と疑う俺を気にした様子もなく続ける。 ﹁自分の好きなギャンブルで∼∼強い人を見ると毎回ああやって挑 むんです∼∼。最近はなかったんですけど∼∼ドラ君に挑んでるっ て事はあの子も相当強いんだろうな∼∼。﹂ ここまで話し終わるのに1ゲームは終わってる気がする。 なぜだか、マイクさんと同じ気配を感じる。 話し始めたら終わらないタイプか。 そんな俺の考えを大きく首を縦に振り肯定するかのように、アンナ は喋り続ける。 ﹁あの人は∼∼⋮⋮﹂﹁あの人が∼∼⋮⋮﹂ 出てくる言葉はアレクの性格に関する事ばかり、他人からすれば惚 気にしか聞こえない。 心底うんざりしながらも、適当に相槌を打っておく。 いつ終わるとも分からない無間地獄に陥ってしまった俺を救ったの 174 は観客の空気の変化だった。 騒いでいたギャラリーが静まり返る。アンナも気づいたようで話し を止めテーブルに視線を向けていた。 俺もテーブルを見ると既に4人の姿はなくドラとアレクしかテーブ ルには残っていない。 2人のチップは始める前に比べて明らかに増えており、他の4人が 既に消えている事から早々に負けて消えていったのであろう。 ﹁さーてあっという間に一騎打ちだなぁおい。﹂ アレクは楽しそうにケラケラと笑う。それに答えることなくドラは 手札を見つめている。 何戦目かは分からないが、共通カードは1枚も表になっていないた めまだ開始前だろう。 両者とも無言で何事か考えているようだ。 ポーカーでは言葉で相手を惑わすのも戦術とされているが、ドラは そういう事を一切しない。 ドラ曰く言葉で揺さぶるのは二流だそうだ。そんなものに屈しはし ない。 アレクのベッドラウンドがやってくる。 ﹁んじゃあ俺の番か、全チップオールイン。﹂ ふざけた様子もなく冷静に全てのチップをベッドした。 観客からどよめきが聞こえる。 アレクの現在のチップ数開始前と比べて30万コル程増えている。 金額にして100万コル。 中々ポンと出せる金額ではない。 ﹁でもあの男さっきも20万コルかけてたけど、手札は2ペアだっ たぜ。金額にビビって他のプレイヤーが降りて勝っただけだし。﹂ ﹁共通が見えない状態でオールインとか正気じゃねぇ。俺だったら オールインは出来ねぇな。﹂﹁俺が見た感じアイツの強気はブラフ だな。アイツの今日最高2ペアだぜ?ここで勝負賭けてきたんだろ うよ。﹂﹁いや何か絶対的自信があるのかもしれませんよ。﹂ 175 観客から様々な見解が聞こえてくる。 対するドラは落ち着き払って何事か考えている様子だ。 ここでオールインは正攻法ならばありえない。 素人の俺でも分かる簡単なことだ。 勝つかどうかなど全く分からない危険な賭け。 単純に考えれば勝つ確立は2分の1なので乗っても悪くはない。 テーブルにはオープンされていない3枚のカード。 あのカードたちに命運を賭けたのか。 アレクの方を見ると目を瞑りじっと決着の時を待ち望んでいるよう だ。 ドラは考えていた。全チップオールインした理由が分からない。 今のところ対決はほぼ互角。最初はお互い様子見して大きな勝負は しない。ここまではセオリー通り。 男の癖を考える。ここまでのゲームで見た相手の手札はAとKのツ ーペアと2のワンペア、他は全てブタだった。最後のショーダウン まで行かなければ手札を見せる必要はないので全ての手札を見たわ けではないが、見た感じ運は良いとは思えない。最後の最後まで強 気でいき相手を降ろさせるタイプ。 堅実に勝てる勝負をレイズで少しづつ上げ取りにいく自分とは正反 対。 通常であれば乗っても良い賭け。だが不思議と乗る気にはなれない。 手はじっとりと汗ばんでいた。手札はQとK。比較的強いカードな ので勝算はある。 テーブルにはまだオープンされていない3枚のカード。 瞬間悪寒を感じる。死が待ち構えているような感覚。何度か戦闘で 経験した事がある。 それは攻撃が来る時と同じ。避けなければ死んでしまうそんな感覚。 視線を再び手元のカードに移すと絵札が恐ろしく小さく見えた︱︱ 176 ﹁⋮⋮降ります。﹂ 短く小さく消えるような声だったが、それははっきりと聞こえた。 オリル?ダレガ?観客は理解が追いつかないようで静まり返ってい る。 ドラがチップを片づけ席から立ち上がったところで、徐々に観客か ら声が聞こえてくる。 俺の元にドラが着くころには状況を理解したようで、大きなどよめ きが上がった。 ﹁行くぞクロノよ。﹂ そういうドラの眼は獲物を仕留め損ねた猛獣のように見える。 盛大などよめき声を背に俺たちはカジノを後にした︱︱︱ どよめきの収まったポーカーテーブルでアレクは思う。 ︵あそこで降りるとかよく読めてんじゃねぇか。︶ 場に残された3枚のカードをめくる。 ハートのAダイヤのJハートのJ アレクの手元には残されたクラブとクローバーのJ ︵あーあ勝つ時以外は手札伏せて運無いように見せかけてたんだが な。︶ 実際アレクは手札を公開せずにゲームを終わらせる事が多かった。 全員に公開した手札は最強で2ペアだが、途中で降りなければフル ハウスもあった。 そこまでして隠し通したのは最後の一勝負までドラを油断させる為 である。 ︵最後のは完全に運の流れが俺向きだったんだが、あのガキにそこ まで見透かされるとはなぁ。︶ カードが配られた時に確信した、これは最強の手札だと。 ポーカーには流れというものが存在するとアレクは思っている。 それは何千何万とギャンブルをしてきて何度も感じた事だ。 背中がぞわっとするような感覚。それは得てして勝負を決める時で 177 ある事が多い。 ︵これだからギャンブルは止めらんねぇーな。カードの切り方一つ こんなにも変わるんだからよ。︶ 思わず笑みがこぼれてしまう。 ﹁ねぇ∼∼終わった∼∼?早く仕事いこ∼∼よ∼∼。﹂ 雰囲気をブチ壊しにするような間延びした声が聞こえる。 もう何年も聞いてきた声。 ﹁わーったよ。なんかやるやつはあんのか?﹂ ﹁え∼∼っとね∼∼、シュガー神聖国行きの商隊護衛かな∼∼。﹂ ﹁んじゃあ、それにすっか。﹂ いつもこの調子の相方に呆れながらアレクはカジノを立ち去った⋮⋮ 178 第二十二話︵前書き︶ そろそろ別の国に歩みを進めましょうかね。 一旦ギール王国は終わりです。 ドラが国王と口調被ってる・・ 見返すとカジノ編の出来の悪さに絶望 179 第二十二話 カジノを出ると一気に冷気を感じる。それもそのはず外はもうすっ かり日が落ちているのだ。 ﹁あれどうして降りたの?﹂ 隣を歩くドラにカジノでの一件を聞いてみる。 あの降り方は不自然だった。ドラには何か考えがあったのだろうが、 俺には理解できない。 ﹁うん?主には何も感じなかったのか?﹂ むしろ何故分からないのかといった調子で聞き返された。 ﹁いや全然分かんなかったんだけど⋮。﹂ ﹁はぁー、主もまだまだじゃの。﹂ 何故だろう馬鹿にされている気がするのは。 ﹁ギャンブルというのはな、腕も必要じゃが瞬時の直感も必要なん じゃ。あの時儂は確かに感じた、それこそ死んでしまうような感覚 をな。戦闘でも直感というのは重要じゃろ?﹂ 確かに戦闘で直感が重要なのは分かる。今までも直感に助けられた 事はある。最近はめっきりそんなことは減ったが。 だがギャンブルに必要というのはイマイチ理解できない。 ﹁理解出来ておらんようじゃの。そんな事ではギャンブラーとは呼 べんぞ。﹂ ﹁いや俺はギャンブラーじゃないから。﹂ ドラゴンにギャンブラーとしての道を説かれるとはこれ如何に。 何だか納得がいかないが気にしないでおこう。 ﹁そんな事よりもこれからクライス王に会いに行くよ。﹂ ﹁そういえばそんな目的もあったの。﹂ すっかり忘れてるな。この調子では真面目にカジノ出禁も考えねば ならないか。 ﹁冗談じゃ。いつも通り入るんじゃろ?﹂ 180 俺の考えを見透かしたかのように告げるドラ。 いやあれは確実に忘れてただろ。 ﹁まあそうだね。﹂ カジノを出て大通りを通り王城へ。 大通りは未だに人が絶えず活気を感じさせる。 喧騒を抜け街の中心部へ向かう。 王城は街の中心部に位置し外から来たものにすぐ見える街の造りに なっている。 ﹁ここら辺でいいか。﹂ 王城の少し手前まで来たところで歩みを止める。大通りのような活 気はなく猫の足音が聞こえてきそうな程静まり返っている。 普通であればここから少し行った所にある正門から入るのだが、そ んな事はしない。 ﹁じゃあドラ乗って。﹂ 道路にしゃがみこみドラに背中を向ける。 ﹁何度やっても主に背負われるというのは慣れんの。﹂ 渋々ながら手慣れた様子で俺に乗るドラ。傍からみれば兄弟にみえ るだろうが、これからするのは凶悪犯と呼ばれてもしょうがない行 為。毎回王城に入る時はこのパターンだ。 ﹁行くよ。しっかり掴まっといてね。レベル3﹂ ドラをおんぶしながら、無属性で身体強化する。 地面を蹴りひとっ飛びで王城の門を飛び越え駆け抜ける。 景色がもの凄いスピードで後ろに流れてゆく。 普段であれば心地よい風を感じるのだが、今は夜、それに加え寒期 の為冷気が身体に突き刺さる。 王城内に入り見慣れた道を駆け抜ける。白を基調とした清潔感漂う 城内。しかし今は明かりが消されており暗闇が支配していた。最初 の頃は何度も道に迷ったものだ。 突き当りを右にその奥の階段を上がり左へ。2つ目の十字路を右へ。 迷路のように入り組んだ王城内を頭の中でルートを思い浮かべなが 181 ら駆け抜ける。 十字路を曲がってすぐの左の階段を上がり右に直進。 一際豪華な扉が見えてくる。ここが目的地。 ブレーキをかけ扉の前で立ち止まる。ドラを降ろし部屋をノックす る。 ﹁クロノだ。﹂ 暫くの間静寂が支配する廊下。 ﹁入っていいぞ。﹂ 扉の向こうから威厳のある声が聞こえてきた。 入室の許可を取り豪華な扉を開け中に入ると、就寝前らしきギール 王国の国王であるギール・クライスが佇んでいた。 ﹁久しぶりじゃなクロノそれにドラ殿もな。﹂ ﹁うむ久しぶりじゃのクライス王。﹂ 尊大な口調で答えるドラ。見る者が見れば不敬罪に問われてしまい そうだ。 ﹁夜分遅く申しわけないが急ぎの用件でな。﹂ 俺の言い方も大概だが。 ﹁よいよい、この時間に訪ねてくるのにも慣れたしな。﹂ 俺は基本夜にしかクライス王に会いに来ない。 元々しっかりとした形で王に会っていたのだが、一々面会許可を取 らなければならず謁見の間では大臣やら宰相の目が厳しく、めんど くさくなって用がある時はこの時間に城内に忍びこむのがお決まり になっていた。 ﹁毎回侵入を許す城の警備に苦言を呈したくはなるが、お主が相手 では仕方あるまい。﹂ クライス王は笑う。それはどこか諦めたようで少し申し訳なくなる。 ﹁して今日は何用じゃ?﹂ ﹁まずはジャイアント・ワーム討伐に関してだ。ギルドから連絡が いってるだろうが出来れば早めに金を用意願いたい。明日にはここ を発つ予定だからな。﹂ 182 とりあえず軽い話題から振っておく重要な話題を話してからでは俺 が忘れる可能性がある。 ﹁そうかアレを討伐したのはやはりお主じゃったか、金ならここに あるから持っていくがよい。儂のへそくりじゃがな。﹂ 机の中から袋を取り出し俺の前に置く。見た感じ報酬としては申し 分ないだろう。 ﹁討伐の確認はしなくてもいいのか?﹂ ﹁お主が嘘をつくとは思えんしいいじゃろ。その程度には信頼して おるぞ。﹂ 確かにこれまで何体か討伐しているが、信頼しすぎじゃないか? だがまあ貰えるならありがたく貰っておこう。 ﹁そうかならば貰っておくとしよう。﹂ 袋に手を伸ばし受け取る。国王のへそくりは何に使う予定だったの か気になるがそれよりも重要な事があるので気にしない。 ﹁さて次が本題なんだが、2年前の勇者召喚は知っているか?﹂ ﹁知っているがそれがなんじゃ。﹂ まあ各国の首脳陣ならば知ってて当然なのか。 ﹁あの時呼ばれた勇者が今になって現れた。﹂ ﹁ふむそれで?軍事力の話しであればお主が忠告はしに来ないじゃ ろ?﹂ 動じた様子もなく凛とした態度で早く本題を話せと促す。 この言葉で動揺しないのは王の器というべきだろう。 ﹁今その勇者は軍を率いてシュヴァイツ王国を攻めている、と言っ たら信じるか?﹂ ﹁お主が言うのなら事実なのじゃろうな。どこで聞いてきたんじゃ ?﹂ いやそこまで俺を信用していいのか。悪い気はしないが、信用し過 ぎるのは問題だろう。 ﹁シュヴァイツ王国から逃げて来たらしい兄弟からだ。﹂ 正確には伝え聞いたのだが、そこは伏せておく。 183 ﹁事実だとしたら由々しき事態じゃろう。勇者は一人で一国を滅ぼ せる戦力じゃしの、お主の母がそうであったようにな。﹂ 昔に思いを馳せるように呟く。2年前のあの日かーさんはこの世界 から消えた。左手の指輪を見て思いだす。あの最後の日を。未だに 感覚が残っているあの日の出来事。 ﹁すまんな、思い出したようじゃの。﹂ この言葉で、現実に引き戻される。どうやら表情にでていたらしい。 ﹁真偽はどうあれ頭の中に引き留めておこう。にわかには信じがた いがの。﹂ 最後に一言付け加えて言葉を締めくくった。 ﹁そうだな余り鵜呑みにするのも良くはない。頭の片隅にでも置い ておいてくれ。﹂ 表情を取り繕い言葉に答える。 ﹁用件はそれだけだ。じゃあな。﹂ クライス王に手を振り別れを告げ、再びドラを背負い俺は部屋を出 ていった⋮⋮ 門の上を通る時に眠た目の門番に見つかりそうになったが、まあ問 題ないだろう。 クライス王はクロノが出ていった後思案する。 考えるのは先ほど聞いた信じがたい情報。 ︵鵜呑みにするのは良くないが、クロノが嘘をつくとは思えない。︶ 別にクライス王はクロノを完全に信頼しているわけではないが、ク ロノには嘘をつく理由が無い。 考えられるとしたら、クロノが聞いた子供たちが嘘をついている可 能性だ。 ︵そんな所から疑っていては、何も進まんか。確かめるのが先決じ ゃな。明日にでも諜報隊にでも調べて貰うとしよう。︶ そう決め寝床に着く。 184 翌日クライス王の考えがガラリと変わるニュースが飛び込んで来る のだが、今の彼はそんな事を知るよしも無い︱︱ 185 第二十三話︵前書き︶ 今回は名前とかがフラグだったりします。 シュガーとか適当に付けたわけじゃないんですよ。 すいません嘘です。適当に付けました。 186 第二十三話 ﹁明日ここを発つと言っておったが、どこに行くんじゃ?﹂ 宿屋に戻り、ベッドに寝そべっているドラが顔も向けずに聞いてく る。 ﹁とりあえずシュガー神聖国に行く予定﹂ ﹁ああ、あそこか﹂ 何度も行っているので、その先まですぐ思い当たったようだ。 ﹁昨日斬ったジャイアント・ワームの体液が気になるんだよ。最近 紅朱音の手入れもしてなかったし、丁度いい機会だと思ってね﹂ 紅朱音とは普段使っている愛刀の名前だ。譲り受けた時にかーさん が命名した。 とても細身だが切れ味は抜群で、柄と鍔が鮮やかな朱色で彩られて いる。 ﹁あれの体液がついて気持ち悪く感じるのは分からんでもないな⋮﹂ 納得いったという様子で、うんうんと頷くドラ。実際にはこの国に 長居し過ぎたというのと、ドラをギャンブルから離れさせるという 目的もあるのだが。 ﹁まあそういう事だから、明日の朝には出発する予定かな﹂ 187 ﹁移動はどうする?﹂ ﹁ドラおねがい﹂ 即答する。徒歩だと一週間はかかるが、ドラに乗って行けば一日と かからず着くだろう。何より歩くのがめんどくさい。 ﹁儂は乗り物じゃないんじゃが﹂ ﹁着いたらアイスクリーム沢山食べさせてあげるよ﹂ アイスクリームとはシュガー神聖国の名物で、口にいれるとヒンヤ リとした冷たさにとろけるような甘みが口いっぱいに広がる不思議 なお菓子である。ドラの大好物だ。 ﹁よし、早速行くぞ﹂ ﹁いや明日の朝出発でいいから﹂ 変わり身の早過ぎる相方の姿を微笑ましく思いながら、寝床に着い た。 翌朝 朝日を悠長に感じる暇もなくドラに叩き起こされた。余程アイスク リームを食べたいのだろう。 眠たい目をこすりながらそうそうに食堂で朝飯を食べて、王都の門 から出る。 この時間帯ならばマイクさんはいない。朝に出発するといったのは それが理由だ。 昨日とは違う方角へある程度進んでから、歩みを止める。 188 ﹁ここら辺でいっか﹂ ﹁そうじゃの﹂ 辺りに人が居ない事を確認し、ドラゴンになったドラへ乗り込む。 圧倒的な存在感を放つ巨大なドラゴン。全身が深い緑で覆われてお り見る者に威圧感を与える。 何度みてもドラの姿は普段から想像できない程に雄々しく美しいと 思う。 ﹁いくぞ﹂ 瞬間、大地が一気に遠くなる。自分でジャンプするのとはまた違っ た浮遊感。 風と舞うような感覚。正直いつでもこんな感覚を味わえるドラが少 しうらやましい。 もう既に雲の上まできたようだ。白い雲が下に見える。顔を照らす 朝陽が眩しい。 突き刺さるような冷気さえ気にならない程の爽快感。 ﹁そろそろスピードを上げるかの﹂ そういうと只でさえ速いスピードが加速する。 もう景色が流れるとかいう次元ではない。景色を見る事すらかなわ ない、それ程のスピード。 俺でさえ掴まるのもやっとだ。スピードを上げ楽しそうに空を駆け るドラ。 俺はひたすら背中に掴まりながら目的地に着くのを待ち望む事しか 出来なかった︱︱ ﹁うー、凄い頭がぐわんぐわんしてる﹂ 頭の中が回りに回って、視界も揺れている。 ﹁あれくらいで酔うとはだらしないのぉ﹂ ようやく目的地に着いたのは良いのだが、非常に気持ち悪い。 ドラの背中に掴まっている時に酔ってしまったようだ。あれだけ左 右に揺さぶられて酔うなという方が無茶な注文だろう。いくら飛ん 189 でもこの感覚には慣れない。 ﹁とりあえず工房に行かないと⋮﹂ 現在いるのはシュガー神聖国首都アースの下町。 この国は神聖などと名乗っているくせにどこの宗教にも属していな い不思議な国だ。 領土も広いとは言えず、観光に力を入れているわけでもない。 中立を謳い軍隊すら保有していない。 そんなフィアファル大陸でも小国に位置する国だが、歴史は古く建 国から約千年と大陸内で最も古いとされている。この規模の小国で あれば歴史上何国かあったが、どれも百年と持たずに消滅していっ た事を考えるとこの国が生き残っているのはフィファル大陸最大の 奇跡と呼ぶにふさわしい。 街並みは多種多様な文化が混在し、個性に溢れまくっている。 他国からの移民も積極的に受け入れ、様々な国からの移住者が後を 絶たない。というより、勝手に移民として入ってきており、国自体 が彼らを認識しているかどうかすら怪しい。今、横を通り過ぎた、 白いクリームで顔面を塗りたくり、丸く赤鼻の人間など、怪しさM AXである。ギールの王都に入ろうとしたら、間違いなく止められ るだろう。 勿論、移民を受け入れるのは、不審者がよく入ってくるというデ メリットだけではなく、様々な文化が入ってくるということでもあ る。 この国の名物であるアイスクリームも、遠い他国の文化であるら しい。 ﹁早くアイスが食べたいのぅ﹂ 子供か、と内心ツッコミを入れる。自分の好きなものごとにはやた ら子供らしい。 刺青屋、セントー、他の国ではお目にかかれないような不思議な店 を通り過ぎていく。 190 入り組んだ路地を進むと不意に行き止まりに突き当る。そこには古 めかしい店が何店か軒を連ねている。 目的地はここだ。知る人ぞ知る老舗の名店街。どれもが創業から何 百年も続くとされる各分野のスペシャリスト達が集う店ばかりだ。 酒場センターフィールド。宿屋ビッグマウンテン。その内の一つウ ッドブック工房と書かれた店に入る。 店内は外観からは想像出来ない程整理されており、色々な武器や防 具が並べられていた。 一つ一つが素晴らしい輝きを誇っており、一流の物である事が感じ られる。 綺麗に陳列されている棚を通り過ぎ奥へと進む。 奥のカウンターには店番らしき少年が立っていた。頭には作業帽に ゴーグルを付けている。 最初は眠たそうな目だったが、こちらを見るなり目を見開く。 ﹁あれっ、クロノの兄貴じゃないッスか。お久しぶりッスね﹂ ハキハキとした口調で喋る少年。 ﹁久しぶりだねカイ﹂ 馴染みの少年に言葉を返す。ここでは本来の口調で喋る。隠す意味 もない。 ﹁今日はどういった御用件で?﹂ ﹁紅朱音の手入れを頼みたいんだ。最近ここ来てなかったしね﹂ そう言って腰から紅朱音を取り出しカウンターに置く。 じっくりと品定めするように観察するカイ。 ﹁うーん、やっぱり刃こぼれはしてないッスね。目立った損傷も見 受けられないッス。それでもやりますか?﹂ ﹁あー⋮⋮。まあ、一応やっといて﹂ 最後にこの国に来たのが半年前だから、半年間手入れしてない事に なる。 ﹁了解ッス。急ぐようであれば今から速攻でやりますけど⋮﹂ ﹁急いでないからゆっくりでもいいよ﹂ 191 何よりこの店を刀の手入れの為に空けてもらうのは申し訳ない。 ここにはカイしか居ないのだ。 ﹁じゃあ明日には終わらせておくんで、明日取りに来てくださいッ ス﹂ ﹁分かった﹂ ﹁代わりの剣ッスけど好きなの⋮って兄貴はもう一つ持ってたッス ね﹂ カイの視線は俺の腰にあるもう一つの剣エクス何とかに向けられる。 こちらの剣は最近使っていないので手入れして貰う必要はない。 ﹁そうだね。こっちあるから大丈夫だ。じゃ明日取りに来るよ﹂ カイに背を向け手を振って店を後にした。 ﹁今⋮⋮⋮が⋮⋮⋮ッスよ﹂ 扉を閉める時に何か聞こえた気もするが、良く聞き取れなかった。 192 第二十四話︵前書き︶ 回想長いです。 そろそろ新キャララッシュは打ち止めにしますかねー。 次回で一旦クロノ視点は終わらせる予定。 主要キャラの過去とか一応全部考えていたり。 193 第二十四話 ﹁はぁー行っちゃったッスね。最後の忠告聞こえたかなぁ?﹂ 誰もいない店内で呟く。店内には色とりどりに散りばめられた商品 たち。 1年半前亡くなった親父の作品も含まれているが、武具の製作者は 基本的に俺だ。 自分の作品たちに囲まれて商売が出来るなんて、職人冥利に尽きる と思う。 ﹁まあ、今この街にはアイツがいるなんて忠告した所で兄貴が逃げ 切れる気もしないッスけど。﹂ 頭の中で見つかった時の事を考えて思わず苦笑してしまう。 ﹁剣は生き物と同じなんだよ。﹂ 死んだ親父の口癖。言われた時には全く理解できなかった言葉。 幼いころ捨てられていた俺を拾ってくれた親父の言葉。 1年半前親父が死んだ時この工房は危機に瀕していた。 元々この工房は親父一人でもっていたようなもので、親父以外の職 人の俺も職人と呼べるレベルではなかった。昔は何人もの職人が居 たらしいが職人の高齢化で次々に辞めていき残ったのは俺と親父だ け。 親父が死んでから客は次々と離れていき、いつ閉店してもおかしく ないような状況まで追い込まれた。 ウッドブック工房の親方は代々世襲制で、才能を受け継いできたら しい。 しかし、親父に妻はおらず子供も捨て子だった俺だけ。 才能も経験も無い、若造しか居ない工房。 そんなこの工房を見捨てずに、通ってくれたのがクロノの兄貴だっ た。 ニホントーとやらの手入れは他の店では出来ないらしく、毎回この 194 店に来ては注文を出してくれた。 最初は父の見よう見まねでやったが所詮見ただけではモノにはなら ない。 手入れすら満足に出来ず何度も平謝り。これでは別の店に行かれて もしょうがないと思った。 しかし、彼は﹁失敗は誰にでもあるから。﹂と何度も依頼しに来て くれた。 その言葉がどうしようもなく嬉しくて、と同時に申し訳なくも感じ て。 何度も何度も失敗を繰り返した。失敗を繰り返す内何となく剣を理 解できるようになっていた。 剣は生き物と同じだと言っていた親父の気持ちが今なら分かる気が する。 手元にある紅朱音に視線を移す。 自分に剣を教えてくれたのはこの剣だ。 ここの昔の職人が作ったとされる名剣。鍔から柄にかけて綺麗だが 無駄のない朱色で飾られた剣。 普通の剣と違い細身でニホントーというらしい。 今まで数多の剣を触ってきたがこれを超える一品には出会った事が ない。 いつかこれを超える物を造るのが目標だ。 ﹁さーて、どうせだれもこないんだし早めに終わらせるッスかね。﹂ カウンターに呼び鈴を置き工房へと赴く。 自分の恩人に答えるために︱︱ ﹁あっれー?クロノが居る気がしたんだけどなー?﹂ 主を失った店内に間の抜けた声が響き渡る。 店内を見渡すがお目当ての人物は見当たらない。 ﹁うーん、気のせいか。﹂ そう言って、武具等には目もくれず出ていった︱︱ 195 ﹁ふぁいかわりゃずふみゃいの。﹂ ﹁いや、食べてから喋んないと何言ってるか分かんないから⋮。﹂ 目の前のテーブルには山積みにされた空の容器。 ﹁そんなに食べると腹壊すよ?﹂ 隣に座る相方に忠告するが食べるペースが衰える事は無い。 呆れながらも、子供らしいドラに不思議と顔がほころんでしまう。 アイスクリーム屋にやってきて、ドラは手を止めることなく食べ続 けている。 余程楽しみだったのか来るなり﹁100個下さい。﹂と店員に元気 よく注文していた。 最初は目を丸くして驚いていた店員だったが、俺が金を出すと快く 応じてくれた。 実際Sランククラスの依頼となれば報酬も中々のものでお金には困 っていない。 それでも予想外の出費である事は否めないが。 ﹁ふぅー、旨かったのぅ。﹂ いつの間にやら100個のアイスは消えており、山積みにされた容 器だけが残っている。 ﹁よくあんだけ食べて頭とか痛くならないね⋮⋮。﹂ ﹁儂はドラゴンじゃぞ?そんな事になるわけがないじゃろう。﹂ さも当然のように言うが、そもそもドラゴンがアイスクリームを食 べるってどうなんだ? ﹁まあいいや。これから行きたい所とかある?﹂ ﹁珍しいの、儂に行き先を聞いてくるとは。﹂ ﹁たまには、ね。﹂ 実際の所この街は何回か来ていてもう見る所もなく、まだ日も高く 宿屋に行くのも早いのでそれまでの時間潰しなのだが。 ﹁儂は特に無いな。﹂ 迷った様子も無く即答された。その返答が一番困る。 196 ﹁そう?じゃあ宿でも取りに行こうか。﹂ 仕方がないので、宿屋に行く事にした。 ﹁そうじゃの。﹂ 席を立ちアイスクリーム屋から出て、通りへと出る。 通りには相変わらず風変わりな店が多く並んでおり、個性に溢れて いる。 人通りは多くも少なくもなくといったところか。 昼ちょっと前なのでそろそろ多くなるだろう。 統一感の無い街並み。ここには他国のように中央にばかでかい城が そびえ立っていたりはしない。 そもそもこの国には王城というものは存在しないのだ。 領主の館というのは存在するが少しでかい家といった感じで、国の 主らしからぬ住まいだ。 領主自体もこの国では治安維持くらいしかしておらず、表に出てく る事は稀だ。 他国と外交をしているわけでもないのに不思議と国が攻められる事 は無い。 税も他国と比べると5分の1になっており、内乱もおこらない。 本当に不思議な国だ。 そんな不思議な国の街並みをぼんやりと眺めながら歩いていると、 後ろからタッタッタと走る音が聞こえてきた。軽い足音から察する に大人の男ではない。普通に考えれば子供が遊んでいるのかと思う のだが。なぜだろう、悪寒を感じる。足音は徐々に迫ってくる。悪 寒は止まないどころか増してくる。 悪寒の正体を確かめるべく後ろを振り向くとそこには⋮⋮ ﹁クーーロノみーつけた。﹂ こちらに飛び込んでくる見慣れた少女の姿があった。 振り向き様に飛び付かれ倒れこんでしまう。 同時にガンっと石で舗装された道に頭をぶつけた、かなり痛い。 頭をさすりながら起き上ろうとするが、馬乗りにされているので起 197 き上れない。 ﹁大丈夫クロノ?﹂ 心配するような声が聞こえる。こんな状況を作り出した元凶からだ。 ﹁ああ、大丈夫だ。﹂ ﹁良かった∼。﹂ 安心したように溜息をつく少女。 ﹁それはそうと、とりあえず避けてくれ。﹂ ﹁ごっ、ごめん⋮。﹂ 慌てたように俺の上から避ける少女。 堅い石の道から起き上り、目の前の少女を改めてみる。 髪も眼も燃えるような赤。服装は旅人の体だ。 ﹁で、リルは何で俺に飛びついて来たんだ?﹂ ﹁うう、久しぶりにクロノを見てつい⋮。﹂ ばつが悪そうに俯く。 ﹁久しぶりにみたら飛び付くのかお前は⋮。﹂ リルは答えない。唇をギュッと結んで俯いたままだ。 ﹁まあいいや、とりあえず宿とりに行かないとな。じゃあ。﹂ 人通りが多くはないとはいえ、通行人の注目もこちらに向いて来た のでその場を離れようとするが呼び止められる。 ﹁待って。ビッグマウンテンに泊まるんだよね?私もそこだから一 緒に行くー。﹂ どうやら付いてくるつもりのようだ。 リルとこの街に来た事もあるので泊まる宿まで見抜かれているらし い。 そのまま無言で歩きだすと俺の右横を腕に絡みながら付いてくる。 正直歩きづらい。 リルとはドラの次に付き合いが長く、かれこれ4年になる。 最初に出会ったのは初めてギルドに行った時。 当時の俺ですら十三歳でギルドに行くのは早すぎる年齢だったのに、 198 リルは九歳でギルド内に冒険者登録に来ていた。俺とリルにはギル ド側も驚いたようで、冒険者登録する前に冒険者とは何なのかとい う事を一つの部屋で一緒に延々と聞かされた。その時のギルド職員 がシェリーさんである。 俺はそんな話を聞かされようが、気持ちが揺らぐわけはなかったの だがリルは迷っていたようだった。 結局俺はその場で登録を済ませ、リルはその日には決められず﹁ま た来ます⋮⋮。﹂と言ってどこかへと消えた。その後ろ姿が気にな らなかったといえば嘘になるが、冒険者は危険な仕事なので彼女の 為にも止めておいて正解だろうと思い気に留めなかった。 それから一週間、俺は順調に依頼をこなしDランクに上がる目前ま で来ていた。 正直簡単な依頼ばかりで辟易していた頃。 この日は依頼を受けずにドラと街中でも探索しようかと思い、いつ もは通らない路地裏を歩いていた。 表通りとは違い、がらんとした路地裏。人は全く見受けられず、表 通りと同じ街かと疑ってしまう。 そんな静かすぎる空間でガサッと微かだか物音が聞こえてきた。 物音のした方に目を向けると、何やら布が蠢いている。 猫か何かだと思い好奇心で布をめくるとそこには、顔を赤くしあか らさまに衰弱している少女が居た。 間違いない、一週間前のあの子だ。額に手を当て熱を測ると、人の 体温かと思うほどに熱い。息遣いも荒く危険な状態なのは明白だっ た。 そこからはもう無我夢中で、すぐさま医者に連れていき治療しても らった。 ﹁もう、大丈夫だよ僕。風邪がかなり悪化していたみたいだけど、 危険な状態になる一歩手前で連れてきてくれたからね。﹂ 老齢の医者の言葉を聞き、俺は安堵した。自分が助けた人に死なれ るのは寝覚めが悪い。 199 ﹁それにしても、お兄ちゃんかい?こんな小さな体で妹を背負って くるなんて偉いねぇ。﹂ 妹。この言葉が心に刺さった。確かに俺にはいた。実の妹が、俺な んかよりも良くできた妹が。 思えばこの子と妹は同い年。今もあそこにいればアイツもあれくら い大きくなっているのか。 そう考えるとなぜか悲しくなった。自分でもよくわからない。 あれから三年。家の事などとうに忘れたはずだったのに。 ﹁大丈夫か?﹂ どうやら表情に出ていたようで、心配したようにドラがひっそりと 聞いてきた。 ﹁いや特に何もないよ。それより、あの子の事を聞かないとね。﹂ 表情を必死に取り繕い誤魔化すように小声で答える。 ﹁今から、話したいんですが大丈夫ですか?﹂ ﹁いや、今日は目を覚まさないだろう。明日また来なさい。それに しても出来たお兄ちゃんだね。﹂ 相変わらず老齢の医者は勘違いしたままだ。 兄妹と思われた方が都合が良いので間違いは正さない。 ﹁分かりました。では、よろしくお願いします。﹂ その日は頭を下げ、医者の家を出て宿屋へと戻った。 翌日言われた通り、会いに行くとベッドに横たわるリルがいた。 昨日とは違い顔色は良い。 ﹁大丈夫?﹂ ﹁あなたは⋮この前の⋮。﹂ ベッドから体を起こし答える。どうやら、忘れられてはいなかった らしい。 ﹁路地裏で倒れてたのを見つけてここまで運んで来たんだけど、何 があったのか詳しく聞かせて貰えないかな?﹂ ﹁⋮⋮そのまま放っておいてくれればよかったのに⋮。﹂ 消えるようなか細い声でそう呟いたリル。 200 その目はどこか遠くを見つめているようで、悲しげに見えた。 ﹁どういうこと?﹂ 今思えばここまでストレートに聞くのは軽率だったと思う。 しばらく黙っていたリルだったが、やがて俺の視線に耐えかねたの か堰を切ったように喋りだした。 ﹁私なんてあそこで死んじゃえばよかったの!!こんな冒険者にな る度胸も無い臆病者なんて、生きてても意味無いよ。﹂ 泣きじゃくるリル。 ﹁そんな事親が聞いたら悲しむよ?﹂ ﹁親なんていない⋮。私孤児だもん。﹂ 失言だったか、慰める為に言ったつもりなのにこれでは逆効果だ。 ﹁孤児院はお金が足りないって先生が夜に話してたから、私一人い なくなればその分お金が浮くだろうと思って出てきたのに⋮。﹂ 成程孤児院を出て冒険者になろうとしたが、話を聞いて怖気づいて しまったわけだ。 冒険者になれず孤児院にも戻れない。孤児院に帰すのがベストなの だろうが、この子はそんな事を受け入れはしないだろう。それくら いならば死を選んでしまいそうだった。 今の俺であればあんな事は言わなかっただろう。 冷静に孤児院なりなんなりに力づくで置いてきたかもしれない。 あの時の俺はまだ幼かった。 どうしてあんな事を言ったのだろう、自分でも分からない。 孤児というのを自分と重ねてしまったのか、同い年の妹と重ねてい たのか境遇に同情でもしたのか。 ﹁じゃあ一緒に来るかい?﹂ 気づけば俺はリルに手を差し伸べていた⋮⋮ それから暫くの間はリルと一緒にパーティーを組み依頼をこなして 行った。 ドラからは﹁こんな事で人を拾っていては、瞬く間に溢れ返るぞ。 201 旅の前に言うたじゃろうが。﹂ と小言を言われたが。 元々魔力の素養はあったようで、リルは瞬く間に成長していった。 性格は明るくなり出会ったころのような暗さはなくなった。 俺としては妹のような存在のリルが成長する様を見て、昔の兄だっ た頃に戻れたような気がしていた。 一年ほどでCランク程度には強くなったリルは俺がいなくても依頼 を楽々こなせるようになり、依頼に付いていくことも無くなった。 この頃からお金にも余裕が出来たらしく孤児院に寄付しているよう だ。 それからはギルドや街でたまに会うくらいになっていたのだが⋮ つい2、3カ月前くらいからか、会うたびにいきなり飛びついてく る。 俺としては街中で飛び付かれると人の注目を集めてしまうので避け ていたのだが、なぜか毎回見つかってしまう。リル曰く﹁何となく 気配で分かる。﹂らしい。 ギール王国を出て暫く会う事はないと思っていたのだが、この街で 遭遇するとは。 苦手ではないが最近は会う事を避けたい人物だ。 突き放してしまえば付いてこなくなるだろうが、妹のようなリルを 無碍に扱う気にはなれない。 ﹁はぁ。﹂ つくづく自分の甘さに呆れてしまうクロノだった︱︱ 202 第二十五話︵前書き︶ クロノ視点終わんなかったorz 新キャラ登場は一旦メイで終わらせたい⋮ 203 第二十五話 ﹁やっぱりクロノの兄貴、リルに見つかったんッスね。相変わらず 仲がよろしい事で。﹂ 紅朱音を取りにウッドブック工房に入ると、俺の姿を見たカイが楽 しそうに聞いてくる。 ﹁やっぱりって⋮、お前リルがこの街にいる事知ってたのか⋮。﹂ 未だに俺の腕にはリルが絡みついている。 昨日宿屋で別れ一旦離れたのはいいのだが、朝会うなりまたこれだ。 ﹁いやー昨日ちゃんと忠告しようとしたんスけど、その前に出て行 っちゃいましたし。﹂ カイは依然楽しそうにニヤニヤしている。なぜだろう、見てると何 となく殴りたくなってくる。 ﹁相手がアレじゃー、リルも大変ッスね。﹂ ﹁本当じゃのぅ。﹂ ﹁だいじょーぶ頑張るから。﹂ ﹁お前らは何の話をしてるの?﹂ ︵アレが大変って魔物で討伐しづらいのでも、出たのか?リルでも 討伐出来ないとなるとA以上か?︶ 頭の中で考えを巡らせるが答えは出ない。 そんな俺の様子を見て三人は ﹁﹁﹁はぁー。﹂﹂﹂ と大きな溜息をつくが、俺には全く意味が分からなかった。 ﹁ほいッス。言われてた紅朱音の手入れは終わったッスよ。﹂ ポンとカウンターに置かれた紅朱音。 店の灯りに照らされて妖しく光るその光沢は、手入れ前よりも増し ているように思える。 ﹁ありがとう。それにしても前に比べたら本当上達したね。﹂ 204 ﹁そっ、そういってもらえると嬉しいッス。﹂ 照れくさそうに答えるカイ。 ﹁代金はこれで足りるはず。﹂ 王様から貰った袋をヒョイッと投げる。 ﹁いつも言ってるッスけど、こんなにいらないッスから。﹂ ﹁まあそういうなよ、これはここでしか手入れ出来ないんだしね。﹂ 袋の中は確か30万コルくらいか、いつもやってもらっている感謝 料込で妥当な金額だろう。 それに一年半前先代が倒れてからはここの経営も厳しいらしいし、 潰れてもらっては困る。 ﹁あくまでこれは預かっておくッス。この店が完全に復活したら返 しますので。﹂ ﹁ははは、楽しみにしてるよ。﹂ いつも大体こんなやり取りで支払いは終わる。 カイの腕も前に比べてかなり上がってきているので、客足は次第に 戻ってくることだろう。 ﹁じゃあ行くか。リルは頼んでる武器とかあるか?﹂ ﹁あるけどー、後数日はかかるって。﹂ リルのメインは無数の短剣、そんなに手入れに時間がかかるように は思えない。 ﹁何頼んでるんだ?﹂ ﹁うーんっとね、秘密。カイが作る新武器だってー。﹂ カイの方をちらりと見るが、目をそらされた。どうやら答える気は ないらしい。 少し怪しいが、答えたくないなら無理に聞く必要もないだろう。 ﹁まあいいか。んじゃあね。﹂ 昨日と同じように手を振って店を出ていった︱︱ ﹁これから予定はあるのかの?﹂ ﹁いや、特には。﹂ 205 工房から出て大通りをぶらぶらと歩く。天気は快晴。こう天気が良 いと働くのが馬鹿らしくなってくる。 ﹁リルは依頼でこの街に?﹂ ﹁うん!魔物討伐に来たんだ。﹂ 無邪気な笑顔で答えるリル。口から出てきたのは笑顔とは合わない 物騒な言葉だったが。 こういう風になってしまったのも、俺の責任か。 ﹁そうか、今日はこれから予定とかある?﹂ ﹁うーんとね、クロノと街を回りたいなー。﹂ 予想外の返答。断るのもなんだか悪い気がしてくる。突然の不意打 ちに戸惑っていると ﹁そういうことなら儂は別行動にさせて貰おうかの。﹂ 思わぬ所からの追撃を喰らった。そそくさとどこかへと消えていく ドラ。 これでもう逃げ道はない。今日一日リルに付き合う事確定だ。 ﹁行こ?﹂ 謎の連携プレーによって逃げ道を塞がれてしまった俺は、上目遣い で聞いてくるリルに誘われるがままなす術なく街を回る羽目になっ たのだった︱︱ ﹁ああ何か久しぶりに、ドラと会った気がするよ⋮。﹂ 心の底から疲れた声を漏らす。 ﹁たわけ、同じ部屋なんじゃから毎日顔合わせとるじゃろうが。﹂ 宿屋の食堂で向かい合って座るドラと俺。 あれから三日間毎日リルと街を回っていた。 無邪気に街中を回る背中を見て微笑ましく思うと同時に、疲労感が 募っていった。 妹の様なリルに慕われるのは悪い気はしないが、あそこまでくっつ かれると色々と周囲の目に気を使う。毎日逃げ道を模索したのだが、 一昨日はドラ昨日はカイに絶妙な言い回しでまたも塞がれてしまっ 206 た。それこそコイツらわざとやっているんじゃないかと思うほどに。 断る事が出来ない俺にも問題はあるが。 しかし、今日リルはいない。 カイの新武器とやらが完成したらしく、試し撃ちをしに行った。 試し撃ちというのが少々気になるが、久々に手に入れた自由を逃す わけにはいかない。 椅子から立ち上がり、背伸びをすると骨が少しボキボキと鳴ってい るのがわかる。 ここ数日依頼を受けていないせいか体が鈍っているようだ。 ︵体動かさないと⋮。︶ この宿の名物である魚を刺し身にして小さいご飯の上に盛られたス シを食べ終え、今日の予定を決定する。 ﹁ギルドにでも行くかな。﹂ ﹁そうか、儂もここ数日退屈しておったし付いて行くぞ。﹂ ﹁退屈だったなら、一緒に街回ればよかっただろうに。﹂ ﹁これだから主は⋮。﹂ やれやれと首を振って呆れるドラ。ここ数日のドラとカイにはなぜ か馬鹿にされている気がしてならない。聞いても答えてくれなさそ うなので聞く事はしないが。 ﹁なんか気になるけどまあいいや。んじゃ行こうか。﹂ 数日の滞在ですっかり慣れた食堂を出て、ギルドへと向かった︱︱ ギルドへ向かう道の途中には市場があり、色とりどりの果実やら珍 しい魚が並んでいる。 ここは街で最も活気に溢れいつも人でごった返す。 昔森で栽培していた野菜なども多く見受けられる。 思いでに浸りながら興味深く市場を観察していると、何やら店の前 で揉めているのが一人。 ﹁だーから、高すぎやろこれは。後50コルは負けてもらわんと買 わへんで。﹂ 207 ﹁しかしですね⋮。これ以上の値下げは⋮。﹂ 俺は一人だけ知っている。こんな特徴的な喋り方をする人間を。 関わるべきではない。本能がそう告げる。 そそくさとドラの手を引いてその場を離れようとする。 背を向けて小走りで、ギルドへと向かう。 背後の声からすれば未だ揉めているようだ。 ﹁ふぅ。﹂ 市場から離れギルドの前に着き小さく息をつく。 ここまでくれば問題ないだろう。 危機を回避した自分を自画自賛しながら、豪華とはいえないギルド の扉を開ける。 ギィッと軋むような音をたてる扉を抜けるとそこには︱︱ ﹁おーやっぱクロノやったか。久しぶりやの。﹂ 先ほど店で揉めていた筈のシュガー神聖国領主メイ・シュガーが満 面の笑みで立っていた︱︱ 208 第二十六話︵前書き︶ 久々の戦闘?パートです。 一話長いかも。 この二人メインに小説書きたいレベルだったり。 珍しく残酷描写ありますね。 最近ダッシュ依存症な気がしてくる今日この頃。 209 第二十六話 ﹁まあゆっくりしていってやー。﹂ 細かく網目状に張られた床。草で出来ておりタタミというらしい。 独特の香りがするタタミ。 部屋を仕切るのはスライドさせる事によって開くフスマ。ドアとい うには少し軽すぎる。 何度見ても不思議な部屋だと思う。 なぜか先回りされていたメイに招かれやってきた領主の館。 外観は一国の主の館としては似つかわしくない、少しでかい家とい った印象。 誘われるまま中に入ると、このワシツに案内された。 ﹁もう下がってええよ﹂ 使用人らしき女性から変わったコップを受け取り、下がるように伝 えるメイ。 ﹁ほいっ。熱いからきーつけてな。﹂ 目の前に差しだされたコップに触れるが熱い。 鉄のように堅い円く黒いコップ。中は深い緑色の液体が渦巻いてい る。 変わったコップを無言でドラに渡す。 ﹁あれ?ドラ君の分が足らへんかったか。もう一回呼ばなあかんな。 ﹂ その姿を見て、スッと立ちあがって使用人を呼ぼうとするメイ。 ﹁いや、いい⋮。﹂ 慌てて手で制す。 実際の所俺はあの飲み物が苦手だ。 初めて飲んだ時、苦すぎて口に含んだ瞬間吐きだしてしまいそうに なった。 以来悟られぬ様にそれとなく避けている。 210 メイはそれ以上何かを勧めてくる事は無かった。 再び部屋の中を見渡す。足元には柔らかいクッション。 足を折り曲げその上に座っている。 最初に来た時はこの姿勢が辛かったものだ。 昔かーさんと各国を回っている最中この国にも寄った。 他の国と違い軍隊を持たず、中立を貫く国。 その時点でかなり驚いたのだが、最も驚いたのはかーさんの態度。 他の国のように敵対心むき出しで接するのではなく、極めて友好的。 特にこの部屋に来た時は子供のようにはしゃいでいた。 どれくらいの時間がたっただろう。 昔を懐かしみながら、部屋を見渡しているとふと思う。 ︵あれ?どうしてここに呼ばれたんだっけ?︶ ギルドで会ってから、問答無用でこの部屋に連れてかれた。 そういえば何も聞いていない。 メイもドラもあの苦い液体を平然と飲みながら和んでいる。 部屋の中は時が止まったかのような静寂。 この空間を壊すのは憚れるが、何か言わないと先に進まない。 ﹁で、用は何だ?﹂ ぼけーとした表情で和んでいたメイがハッとして顔をこちらに向け る。 ﹁ん?用が無かったら呼んじゃあかんの?﹂ イタズラっ子のように意地の悪そうな笑みで答えるメイ。 しかしそんな笑みにはもう騙されない。 ﹁はぐらかすな、用もないのにここには呼ばないだろう。﹂ コイツが俺をここに呼ぶ時は大抵なにか面倒くさい事がある時だ。 今までも、呼ばれては盗賊団壊滅の依頼やらSSSランクの討伐な ど面倒くさいことばかりだった。 ﹁うー、昔のクロノはもうちょっと可愛げがあったんやけどなぁ。﹂ 口を尖らせ残念そうにつぶやく。 ﹁まあええわ。ほな、本題にはいろか。いうても難しい話やないけ 211 どな。単純な依頼や。﹂ こちらを真っ直ぐに見据え喋り始めるメイ。 ﹁この近くに盗賊団が拠点作ったらしくてな、そこの壊滅を頼みた いんや。﹂ ﹁場所と規模は?﹂ ﹁大体20人ってとこらしい。場所はここから西にちょっといった 所の洞窟。元々ギルドに依頼出してたんやけど、情報が入ってな。 元Aランクの冒険者崩れがいるから、クロノに頼もうと思ったんや。 ﹂ ﹁元Aランク冒険者か。分かった、依頼は受けよう。﹂ 立ち上がって、依頼に向かおうとするがメイに止められる。 ﹁只、問題があってな。﹂ ﹁問題?﹂ 次の言葉を真剣に待つ。なにか重要な問題があるのか? ﹁いやー、元Aランク冒険者って情報が来たのがついさっきやから、 まだ依頼下げとらんのよ。ちなみに依頼ランクはCな。もう他の冒 険者に依頼持ってかれてるかもしれんわ。﹂ 頭をかき笑いながら告げる。元Aランクが居るとなると依頼もAラ ンク相当だろう。 ﹁それを早く言え⋮。﹂ そう言って俺は、未だに和んでいるドラを引き連れ部屋を出ていっ た︱︱ ︵これで早期壊滅は確実っと。︶ 誰も居なくなった和室で、お茶をすすりながら案件の解決を確信す る。 ︵依頼はさっきギルドに出したばっかりだし、解決が早いっていい ことよね。︶ 盗賊団の情報が届いたのは今朝方。その時既に元Aランク冒険者が 居る事は分かっていた。 212 あえてクロノに伝えなかったのは、その方が急いで解決してくれる だろうと思ったからだ。 ︵クロノには悪いけど利用させてもらいましょう、ふふふ。︶ ここまで考えついた自分を自画自賛しながら、物思いにふけってい ると ﹁メイ様、至急御耳に入れたい事が⋮。﹂ 後ろの襖が開き突如声が聞こえてきた。 ﹁何や?﹂ ︵あー、びっくりしたぁ。諜報のこの登場の仕方はどうにかならな いのかしら。︶ 振り向く事もせず凛とした声で答える。 内心動揺したが、何とか取り繕わなければ。部下の前でだらしない 姿は見せられない。 ﹁昨日シュヴァイツ帝国が勇者軍に占拠されました。﹂ 内心に気づいた様子もなく、状況報告する部下。 ﹁さよか、もう下がってええよ。これからも監視は続けといてや。﹂ ﹁はっ、失礼します。﹂ スッと襖を閉め部下が出ていったのを確認して、新たな案件に頭を 悩ませる。 ︵今回のは随分と国に素直に従ってるみたいだけど⋮。︶ 再び一人になった室内。気づけば湯のみのお茶は無くなっていた。 ︵昔の過ちから本当に学ばないのねあの国は。あーめんどくさい。︶ 大国の間抜けさに呆れてしまう。 何度同じ事を繰り返せば気が済むのか。 ︵やんなっちゃう。普通に平穏な暮らしを送りたいな。︶ その願いは叶わないものだと思っても、望んでしまう。 領主の家系に生まれ、幼少の頃から領主になるように教育されてき た。 祖先に習って良くわからない作法やら、人前ではあんな喋り方をす るようにと。 213 本当に無駄な慣習だ。 お茶だって最初は大嫌いだった。途中で勉強や習いごとを止めると 親に叱られた。 全部掟だからと、自分に言い聞かせ覚えた。 普通に遊ぶ子供を見て何度羨ましいと思った事か。 慣習、伝統、掟、こんなものに縛られて生きなければならない自分 に嫌気がさす。 大体この国が神聖なんて名乗っているのも、可笑しな話だ。 先祖が﹁神聖って名乗ったら、どこからも攻撃されないやろ?﹂と 言ったのが発端らしい。 全くお花畑な頭してる先祖だ。 そんな奴のおかげで、自分がこんな窮屈な生活を送らなければなら ないかと思うと嘆かずにはいられない。 ︵本当に嫌になるなー。まあ嘆いてもしょうがないんだけど。︶ 嘆いたところで変わる事の無い現実。 ︵さてと、店連中にも連絡しとかないとね。ウッドブックは除外っ と。︶ 頭の中で思考を切り替え次の行動へと移す。 ︵万が一に備えておきましょうかね。今度はあの人みたいにならな いようにしないと⋮。︶ 頭の中に思い浮かべる一人の人間。 ある決意を固め一国の領主は部屋を出ていった︱︱ 一方ギルドへと向かったクロノは依頼板の前で目当ての依頼を探し ていた。 ︵これじゃないし⋮。これも違う⋮。︶ 木の板に無数に貼られた依頼の紙をかき分け、一心不乱に探す。 ︵おっ、あれか。︶ ようやく見つけた紙に手を伸ばすと 214 ﹁﹁ん?﹂﹂ 横から伸びてきた手と声が重なった。 手が伸びてきた方をみると、細身だが筋肉質の腕がみえる見覚えの ある男が立っていた。 頭の中で検索するが、なかなか名前が出てこない。 ﹁あ∼∼∼、クロノさんじゃないですか∼∼。﹂ 男の後ろからとても間の抜けた声が聞こえてくる。 こんな喋り方をするのは、あの人しかいない。 その声に答えようとするが ﹁久しぶりですね。﹂ ドラに先を越されてしまった。 敵意剥き出しで男をじっと見つめるドラ。眼が完全に野生の眼だ。 ﹁おーおー、あの時の少年じゃねぇか。﹂ 対する男は視線に怯むことなくサラリと受け流す。 両者の間からピリピリとした空気が伝わってくる。 ﹁アレク∼∼∼、こっちがクロノさんだよ∼∼。﹂ そんな空気をものともせずに、相変わらずマイペースな声。 ﹁確かこいつの兄貴だったか?﹂ ﹁うん∼∼∼。﹂ 俺の事をアンナさんが話したのだろう。アレクは品定めするように 俺を見る。 ﹁コイツの兄貴ねぇ、そうは見えねぇが。﹂ ︵まあそりゃ、兄弟じゃないしな。︶ ﹁つーか、んなことはどうでもいい。今の問題はこれだ。﹂ そう言って視線を依頼板に貼られた一つの紙へと向ける。 そこには﹁盗賊団壊滅依頼﹂と書かれている。 依頼人の名前はローラ・クロイツ。どうせ偽名だろう。 ランクは言われたとおりC。 ﹁何が問題なんだ?お前がこちらに譲ればいい話だろう?﹂ 少し挑発するようにアレクに言ってみる。 215 依頼内容は実際にはAランク相当。Aランク以上の冒険者などそう そう居るものではない。 もしこの依頼のランクを見て受ける気になったのなら、早急に止め てもらうべきだ。 ﹁あ?どうして俺が譲らなきゃなんねぇんだ?﹂ 喰いかかるようにこちらをみるアレク。 どうやら挑発に乗ったらしい。 頭に血が上ってしまえばこちらのものだ。後は冷静に対処するだけ⋮ そう思ったのだが ﹁じゃ∼∼∼。一緒に受けましょ∼∼よ∼∼。﹂ という全く空気を読まない言葉によって、俺の計画は完全に崩れ去 ったのだった、 木々が生い茂り、地面を草の絨毯が覆い尽くす山道を進む馬車。 この山道は不自然な程狭く明らかに一般的なものではない。 ガシャガシャと車輪が回る音が聞こえる。 中はガタンガタン揺れており路面状況は最悪。 そんな馬車の中には3人の冒険者と一匹のドラゴン。 あれから、断ろうとしてもマイペースに一緒に依頼を受ける方向で 進めるアンナに流され結局パーティーを組んで受ける事となってし まった。 まあ危なくなったら、自分がどうにかすればいいのだからと自分に 言い聞かせて。 馬車の中は無言で言葉を出すのも憚れる程重い空気。 原因は会った瞬間から睨み続けているドラとアレク。 両者の間には依然張りつめた空気が流れている。 御者台にはアンナが、幌の中にはクロノとドラ、反対側にアレクと いう絶妙な配置。 クロノとしてはアレクが御者台に行って欲しかったのだが、なぜか アンナが御者台へ。 216 地図を確認すると目的の洞窟まで、10分というところか。 後10分もこんな重い空気が流れているのかと思うとげんなりする。 ﹁おいアンナ!!そろそろ迂回してくれ。﹂ 不意にアレクが声を上げる。 ﹁分かった∼∼。﹂ 間の抜けた声で返事をするアンナ。 そういうと、いきなり右方向に山道を外れ道無き道を進み始める。 ﹁うぉっ。﹂ 路面状況は最悪からさらに下降。 もう何かに掴まっていないと、振り落とされてしまいそうだ。 ﹁何をするんだ!﹂ 声を荒げアレクへと言葉をぶつける。 ﹁あん?洞窟の方に向かってるだけだろうが。﹂ 何を当たり前の事を聞いているんだ?と言わんばかりの顔。 ﹁洞窟はあのまま真っ直ぐだろう。﹂ ﹁ハッ、お前は馬鹿か。誰が正面からなんて行くかよ。まずは偵察 からだ。﹂ 鼻で笑うアレク。そうしてる間にも馬車は進む。 ︵そういえばリル以外とパーティーを組んだ事は無かったな。普通 は偵察からか。︶ 今まで何度か壊滅依頼を受けた事はあったが、全部正面から乗り込 み潰していた。 偵察などやった事は無い。というか必要が無かった。 クロノには敵がどれだけ武装していようが相手にならないからだ。 ︵今回は従うとするかな。普通のパーティーがどうやってるか見て みたいし。︶ これも経験だと思い反論はしない。 ﹁おらよ、もう着くぞ。﹂ 徐々に揺れは収まり、木々も薄くなってきた。 木々を抜けると視界が一気に晴れ青空が見える。 217 ﹁着きましたよ∼∼。﹂ 馬車は足を止め山の中でぽっかりと少し開けた場所で停車する。 幌から降り馬を見ると、明らかに疲労の色が見える。道無き道を無 理やり進んだので当然か。 ﹁ここはどこらへんだ?﹂ ﹁地図を見ろ、指定された洞窟の上にちょっと小さい点があるだろ。 ﹂ 地図を開くと確かにここだけ、少し空いている。 よく見ないと分からない程に小さい点。 ︵ここまで見てたのか。︶ 挑発に乗りやすい熱い奴かと思っていたが、案外注意深く観察して いるようだ。 ﹁とりあえず下の方を見て、見張りの有無を確認しないとな。﹂ 木の間から下を覗き込むアレク。その後ろを馬車から降りたドラが トテトテと追う。 ﹁っち、よく見えねぇな。木が邪魔すぎる。﹂ ﹁見張り3人ってところかの、左から順に弓と短剣、槍と剣、剣一 本じゃな。﹂ すらすらと持っている武器を上げていくドラ。 ドラの眼は身体強化したクロノ程では無いが、かなり良い。 ﹁へぇ、眼いいんだな少年?あと口調もな。﹂ ドラはハッとして口に手を当てるがもう遅い。 ﹁追及はしねぇよ。誰にだって知られたくない事はあんだろ。﹂ どこか自虐的な笑みを浮かべる。 ﹁見張りが問題だな、どうするか。﹂ 笑みをフッと消しすぐさま、目の前の問題を考えるアレク。 ﹁見張りくらいなら何とかしてやる。それ以外はどうにかできるの か?﹂ ﹁ほー、自信ある見てぇだな。洞窟にいる連中は楽勝だ。﹂ ︵洞窟の方が人数多いんだが大丈夫か?︶ 218 アレクの自信の程が気になるが、そこまでいうなら何か策があるの だろう。 ﹁なら、そっちは任せる。タイミングはいつがいい?﹂ ﹁ハッ、分かりやすい合図してやるよ。﹂ 早速アレク達と別れ見張りの方へと向かおうとすると、背後から声 が聞こえる。 ﹁そうだ、洞窟からは離れておけよ。巻き込まれてもしらねぇーぞ。 ﹂ ﹁了解した。﹂ 振り向かず返事をして配置へと向かう。 見つからないように忍ぶように木々をかき分け進む。 ﹁主だけでやってしまってもよかったじゃろうに。﹂ ドラから不満そうな声が漏れる。 未だにあの男が気に食わないのか、先ほどの失態のやつあたりか。 ﹁これも経験だよ。今まで他のパーティーと組んだ事なかったしね。 ﹂ ドラを諭し配置にひっそりと着く。木々の隙間から相手を微かに視 認できる。 ここならいつでも見張りを狙えるだろう。 後は合図を待つだけだ。 息を殺しじっとその時を待つ。鳥や葉が揺れる音がはっきりと聞こ える程に静かな森の中。 時折吹く風が心地いい。自然に身をゆだね、森と同化したかのよう に流れる時間。 やがてその時はやってきた。 ゴゴゴゴゴと大きく派手すぎる崩落音によって︱︱ ﹁さーて、もう離れてくれたかね。﹂ クロノ達を見送って、少しの時間が経った。 これだけ時間があれば配置には着いた事だろう。 219 ﹁こっちもだいじょ∼∼ぶだよ∼∼。﹂ アンナは自らを光らせ魔力を込めている。 ﹁そんじゃあ、始めましょうか!!﹂ 一息ついてから、地面に手を当て集中し始める。 ︵かてぇな、多分ここだろ。︶ 当たりを付け魔力を最大限地面に込め、一気に貫く。 ガラガラと地面から音が聞こえ何かが蠢いたかと思うと、グラグラ と足元が崩れだす。 崩れ去る地面。このまま落ちれば死は免れない。土砂の中に生き埋 めになるだろう。 ﹁当たりだな。後は頼むわ。﹂ ﹁は∼∼∼い。﹂ アンナの輝きはどんどん増しており、目が眩む程だ。 ﹁行くよ∼∼。﹂ 瞬間光が放たれたかと思うと、アンナとアレクそして馬車の周りに は長方形の光の壁が展開された。 落下は止まらない。山の一部が音を立て崩れていく。上から身長の 2倍はあろうかという岩が転がり落ちてくる。しかし光の壁に守ら れた二人に、ダメージは与えられない。 急スピードで落下していく中、アレクはもう一組を案じる。 ︵あっちはどうなってるか⋮。最悪俺たちが3人相手することも考 えなけゃな。もう俺魔力無いんだがなぁ。︶ その心配が杞憂だという事を彼はまだ知らない︱︱ もの凄いスピードで崩れ去る洞窟。 遠目に見てもあの中の人間は助からない程凄惨な状況であろう事が 容易に想像出来た。 ﹁あれは⋮。ひどいもんじゃの。﹂ さしものドラも同情したのか、小さな声で呟く。 ﹁洞窟ごと壊滅は考えてなかったよ。﹂ 220 視線を洞窟の前にいる見張りに移すが、見張りも2人土砂の下敷き になっている。 残ったのは剣を一本持った奴だけだ。 必死の形相で、洞窟から離れこちらに向かっている。 標的が減るのは良いことだ。 茂みの間からでて、男の前に立つ。 ﹁う!?うわぁーー!?﹂ 男は混乱したのか奇声を上げ襲いかかってくる。 ︵なんか可哀そうだな。︶ 若干憐憫の目でみつめ、握られた剣を素手で奪い取る。 この程度なら身体強化を使うまでもない。 ﹁????﹂ 男は何が起こったのか理解出来ていないようで、その場にヘタリと 座り込んでしまった。 ﹁抵抗はするな。抵抗すれば殺す。﹂ 背後に回り剣の先を首筋に当て、そう脅すと男はコクコクと人形の ように首を振り気絶した。 ﹁本当にこやつは盗賊か?﹂ 呆れた様子のドラ。 ﹁一応そう⋮なんじゃない?﹂ やった事を振りかえるとこちらが悪役に見えてしょうがないが。 男を放置し洞窟へと向かう。振動は収まっており、洞窟は完全に埋 もれてしまった。 入り口だった当たりに人の腕が出ており、かなり生々しい。 ︵これ、あの二人も死んでるんじゃないか?︶ 身を案じていると ﹁よう、そっちはどうだったよ。﹂ 土砂の中から、光の壁に囲まれたアレクとアンナが出てきた。 ﹁一人はとりあえず気絶させた。後の二人は崩落に飲まれて死んだ よ。﹂ 221 ﹁そーか、なら依頼完了だな。﹂ 洞窟崩落の真相を知りたかったが、今は聞かないでおこう。 後処理と報告をどうするかなどと考えていると、ガラッと土砂の中 から音が聞こえる。 目を向けると、水が溢れ岩が変色していた。水は徐々に勢いを増し ている。 この近辺に川は無かった、考えられるのは二つ、洞窟の中に水源が あった。 それならば問題は無い。そしてもう一つは、水属性の奴が居るとい う事。 水が噴水のように一気に土砂の間から放たれたかと思うと、そこか ら一つの人影が現れた。 全身を水で濡らし、不精髭を蓄えたゴツイ男。 ﹁くそがッ、てめぇらの仕業か!!﹂ こちらを見るなり、憎しみのこもった声で咆哮を上げる。 おそらくあれが元Aランク冒険者だろう。 ﹁へぇ、よく生き残ったな。﹂ ﹁音がしたから、おかしいと思ったんだよ!時間が無くて自分以外 に壁は作れなかったがな。﹂ 水の膜を自分の周りに作り、クッションにしたのだろう。 ﹁無茶苦茶にしてくれやがって、ぶっ殺してやる!!﹂ 大鉈を取り出し、再度声を上げる。その様は大きな熊のようだ。 男の周りには、水が蠢いている。 ︵大鉈を振り上げて、かわした先に水属性の魔法ってとこかな。そ れとも他に使い道あるのか?︶ クロノは頭の中で考えるが、答えは出ない。 男は向かってくる、ドラの方へ。どうやら子供を第一ターゲットに したらしい。 他人の戦闘を見て死にそうだと思う事はある。傍から見ても死が迫 る恐怖を感じられるのだ。 222 今回もそんな予感がする。ドラにでは無く、向かう男の方に。 このまま放置しても良いのだが、アレク達にドラの真の姿を見せる わけにはいかない。 ﹁レベル4﹂ 小さくそう呟いた瞬間、クロノの姿は男の背後にあった。 ﹁動くな。動いたら殺す。﹂ 首筋に切っ先を当て低いトーンで命令する。 右手にはいつ抜いたのか分からない愛刀。 ﹁!?﹂ 男は大変驚いたようで、微動だにしない。 ︵流石にさっきのようにはいかないか。︶ ﹁武器を置け、魔法も止めろ。﹂ 男の首に少し血が出るくらい、剣を喰いこませ高圧的に命じる。 血が微かに滴る紅朱音。紅い刀身に別種の赤が滴りなんとも言えな い色合いを醸し出している。 ﹁っち。﹂ 大きく舌打ちをして、しゃがみ大鉈を足元に置こうとする男。 従った事にクロノは安堵し剣を首筋から離したが ﹁んなわけねーだろうが!!﹂ しゃがんだ状態からグルリと回り振り向き様に大鉈を振り回す。 風を切る音が聞こえる程のスピード。人がいれば真っ二つにされて しまうだろう。 しかしそこにクロノの姿は無かった。 ﹁え?﹂ これが最後の言葉。 ﹁言ったはずだ。動いたら殺すと。﹂ 男は不思議そうに自分の胸を見る。 そこには、深紅の変わった剣に貫かれた自分の心臓があった︱︱ ここはどこだろう? 223 身体を動かそうとするが、思うように動かない。 黒で塗りつぶしたように黒い世界。 わずかな浮遊感。 やがて音が聞こえてくる。ザァザァと雨の音のようだ。 視界が徐々に晴れてくる。ぼやけた視界で見えるのは、真っ赤に染 まった自分の手。 この血は自分のものではない。不思議とそう確信できる。 目の前には優しげな笑顔。外は土砂降り。 ああ、間違い無い。あの日の出来事か。 泣き崩れる自分に優しい笑顔のかーさん。 ﹁⋮⋮⋮ら、⋮が⋮⋮⋮。﹂ 光がかーさんを包みこむ。 俺は何かを叫ぶ。必死に光へと手を伸ばしたが、届かない。 眩しすぎる光はどんどん小さくなっていく。 そして光の消えた後には何も残ってはいなかった。 ﹁痛っ﹂ ガタンガタンと揺れる馬車。 木の板に頭をぶつけて、もやが晴れるように意識が覚醒する。 ﹁大丈夫か?うなされておったようじゃが⋮。﹂ 目を開けるとドラが心配そうに顔を覗き込んでいた。 ﹁ん、大丈夫﹂ ︵夢か⋮。︶ ﹁ならいいが﹂ どうやら寝てしまっていたらしい。 外は夕陽が辺り一面を金色に染めている。盗賊団を壊滅させた後、 街に戻る道中。 崩れた洞窟などはそのまま放置してきている。 あれから事後処理や報告の事を考えて、ギルドに丸投げしようとい う結論に至ったのだ。 224 反対方向に座るアレクをみると、豪快にいびきをかいて寝ている。 自分の手を握り、感覚を確かめる。 手に残るのは殺したという感覚。 だが冒険者である以上は必要なのだ、と自分に言い聞かせる。 あの時に比べればなんて事はない。無力感に苛まれるよりは何倍も マシだ。 迷う時はもう過ぎたのだから。 しかしリルにはこうなってほしくないとも思う。 自分勝手な願望に苦悩しつつも、そう願ってやまないクロノだった。 225 第二十六話︵後書き︶ 今回はクロノが人を殺すって事を書きたかったんですはい。 226 第二十七話︵前書き︶ 属性についての説明とか3話でしたと思ったらしてなかった⋮ 属性の説明は出るたびでいっかな 無理やり説明入れた感がヤバい 次回からはソフィア達中心でクロノは暫く正月休みに入りそう 227 第二十七話 街に着くころには、すっかり日が暮れており少し肌寒く感じる。 ﹁ぁー、腰が痛いったらありゃしねぇ。﹂ 馬車から降りたアレクは背伸びをし、身体をほぐす。 ﹁それは∼∼こっちのセリフだよ∼∼。﹂ アンナがのんびりとした調子で後に続く。 確かに行きも帰りも御者を務めていたのだから、疲労は人一倍だろ う。 ﹁それもそうだな。悪ぃ、悪ぃ。﹂ 軽い調子で謝罪するアレク。 ﹁じゃあ、ギルドでも行きますか。報酬の話は後でいいよな?﹂ ちらりとクロノの方を見て同意を求める。 ﹁いや、今回俺たちは何もしていないからな。報酬はいい。﹂ ﹁不気味な程謙虚だなおい。実際お前らが居なけりゃ、最後のは少 しやばかったぞ。﹂ 最後のというのは、元Aランクの冒険者のことだろう。 クロノとしては、あんな奴よりも20人とやる方が遥かにめんどく さかったので自分は全く働いていないという認識がある。それに報 酬はメイから別で貰えるであろうから、特に問題は無い。 ﹁あんなのはどうにでもなるさ。それよりも、洞窟の崩落をどうや ったのか気になるな。﹂ 盗賊団壊滅の要因となった洞窟の崩落。今後の為に聞いておいて損 はないだろう。 ﹁それなら代わりに、お前の移動速度も教えて貰いたいもんだが⋮。 ﹂ グッ、答えづらい質問をぶつけられる。 ﹁まあ、喋りたくねぇなら喋らなくてもいいさ。誰にだって知られ たくないことはあるだろうしな。﹂ 228 押し黙るクロノを見て、何かを察したのかそれ以上追及してくる事 はなかった。 聞きたい事が聞けなくて少し残念なクロノだったが、しょうがない と自分を納得させる。 ﹁そうだな報酬の代わりにってなら、話してもいいが。﹂ 予想外の提案。クロノはすぐに飛び乗った。元々報酬などいらない のだ。 ﹁それで構わない。﹂ ﹁って、冗談だったんだが⋮。どんだけ、報酬がいらないんだお前 は⋮。﹂ 半ば呆れるアレク。 ﹁つっても単純な話だがな。俺が地属性ってだけ。洞窟の上に陣取 ったのも、上から岩盤をちょいと貫くためだ。﹂ ﹁成程。これで得心がいった。﹂ 疑問が解消されたことに満足する。 地属性はその名の通り地を操作するのがメインの属性だ。 土を色々な形状に変化させ、攻撃にも防御にも使う。 利点としてはある程度距離が離れていても対象が地面に近ければ攻 撃できる事。 上位の使い手となると、地面の土壌ごと変えられたりする。 森に住んでいた頃の畑もかーさんが土壌改良して作ったものだ。 ﹁あ∼∼私は光です∼∼。﹂ アンナが会話に入ってくる。 光属性は応用性が最も高い属性として知られている。 メインは物質化。 壁を作ったり剣を作ったり、時には目眩ましとその範囲は広い。 最大の特徴は治癒だ。全属性で唯一の回復能力。 反面魔力を最も使用するので、一番才能の差が如実に現れる。 ﹁本当にこんなんでいいのかよ⋮。じゃあ俺たちはギルドに行くか らな。﹂ 229 ﹁ああ、じゃあな。﹂ 手を振ってギルドへと向かうアレクたちとは反対方向の宿屋へと向 かった︱︱ 少々時は遡り三日前 クロノとリルがアースの街を周っていた頃。 レオンハルト王城内では盛大に祝勝パーティーが行われていた。 城内は歓喜に沸き、すっかりお祭り騒ぎ。 しかしそこに主役の姿は無かった。 ﹁勇者殿はどこへ?﹂ ある大臣が問い尋ねるが、誰しもが酒に酔って答えられるものはい なかった。 大臣も周りに勧められるまま酒を飲み、疑問は頭からするりと消え ていった︱︱ ﹁よー、おーさま?元気してるー?﹂ 部屋の中に響き渡る、ふざけた調子の声。 ﹁今さーなんか戦勝祝いだかでパーティーやってんだよねー。おー さまも、来ないかい?﹂ 室内には無駄な程豪華に装飾された天蓋付きのベッドがポツンと一 つ。 そこには見るからに不健康そうな、白髪の老人が首までシーツで覆 い横たわっている。 眼からは生気を感じられない。 ﹁何か喋ってくんないとつまんないんだけどー。﹂ 一向に答える気配のない王様を気にせず言葉を続ける。 ﹁ていうか皆馬鹿だよねー。いくら王様の署名があるからって、戦 争するとか馬鹿過ぎて笑える。﹂ 室内に響く笑い声。 ﹁疑うって事を知らないんだねー。まあ、不審に思ってるやつもち 230 ょっとはいるみたいだけど。﹂ 男はベッドへの距離を徐々に詰め、老人のシーツに手を掛ける。 ﹁まさかこんな事になってるなんて思わないよなー。﹂ 男がシーツを捲った、王様の身体が露わになる。 そこに隠されていたのはおおよそ王様とは思えない身体。 腕も足もやせ細り、歩く事すらもままならないであろう。 そして一番特筆すべきは首に付けられた首輪。 明らかに王がつけるべき物ではない無骨な首輪。 ﹁奴隷の気分はどう?オレにこんな物付けてたんだもんひっどいよ なー。﹂ 首輪に手を掛け、笑う笑う。無音の部屋には笑い声だけが木霊する。 ﹁あーあもう飽きちゃったから、行くわ。グッバイおーさま。﹂ ひとしきり笑ったところで、首輪から手を離し、背を向けドアへと 歩きだす。 ﹁何度も言ってるけど食事を届けに来る従者以外とは話したらだめ だぜ。それも最低限の扉越しの会話だけ。じゃあ後は健康にお気を 付けてー。﹂ そう言って部屋を出ていった。 部屋の中には虚ろな眼をした老人が一人残されただけ︱︱ 231 ∼外伝∼奴隷少年と貴族少女︵前書き︶ このストーリーは裏設定のままにしとこうかと思いましたが、何と なく書いてみました。やっぱり恋愛とか書ける気がしない。 朱美外伝はストーリーが進んでからじゃないと書けないし⋮ 隷属の首輪を2話連続使用とか珍しい。 やっぱりこの二人が主人公な気がして来た。 232 ∼外伝∼奴隷少年と貴族少女 とある農村で次男として生まれた少年がいた。 5人家族の家は生活が苦しかったが少年は不満など持っていなかっ た。 少年が六歳の頃不作でますます生活は苦しくなった。 少年はある日奴隷になった。 生活苦の為売り飛ばされたのだ。 家族と離れるのは少々寂しかったが家族のためならと受け入れた。 奴隷商に売られて少し経ったある日、貴族風の男と同い年くらいの 少女がやってきた。 少女用の奴隷を買いに来たらしい。 檻に囚われた奴隷を見て回る少女。 少年は少女とふと目があった。 純真そうな眼差しで少年をじっと見つめる少女。 暫く見つめあった少年は檻から出され少女の手によって奴隷の証で ある首輪を付けられた。 何が気に入ったのか少年には分からなかったが、こうして少年は彼 女の奴隷となった。 立派な豪邸に連れていかれ、奴隷用の部屋へ通された。 部屋には他にも数名の奴隷が居たがどれもが生気を失った眼をして いた。 その日から雑用に少女の話相手、時には館の主人である少女の父親 からストレスの捌け口として拷問を受けた。そんな中で少年の精神 は徐々に壊れ始めていた。 そんな少年の心を最後まで持たせていたのは、自分の主である少女 だった。 少女には同年代の友人が居ないらしく、初めて話す時は大分緊張し ていたが徐々に心を開くようになっていた。少女と話す時間はこの 233 生活のなかで唯一の安らぎであった。 次第に少年は少女の事を好きになっていた。そして少女も。 同時にここから抜け出したいという思いが芽生え始めていた。 しかし自分は売られた身、抜け出すのは重罪だ。 何より万が一家族に知られたら危害が及んでしまうかもしれない。 そして少年は少女とある約束を交わす。 やがて少年は青年へと成長し、少女は美しい女性へと成長した。 この頃になると昔のように話相手をする事はめっきり減り、青年は 彼女の父親に付く事が多くなった。 彼女の父親はギャンブル好きで頻繁にカジノに入り浸っていた。 ギャンブルの腕は中々のもので、次々と勝ち星を積み上げていく。 青年は付き人としてその姿をじっと見ていた。 そんな日が続いたある日、館の主である男は奴隷たちにこう言った。 ﹁儂にギャンブルで勝てれば、解放してやっても良いぞ?﹂ 暇つぶしのつもりだったのだろう。 しかし、この提案に乗る奴隷はいなかった。 誰しもが生気を失い気力を失っていたからだ。 そんな事は主である男が一番分かっている筈なのに。 反応の薄い奴隷の中で青年が只一人名乗りを上げた。 すると男はニヤリと笑い、青年を挑戦者として認めた。 男には唯一生気を失っていない青年に少しの希望を与え、それを奪 ってやった後の青年がどんな風に絶望してくれるかという楽しみが あった。こんな提案をしたのもそのためだ。 負けるなどとはゆめゆめ思わないが、男には万が一負けても逃がさ ないという自信があった。 ゲームはポーカー。男が最も好むゲームだ。テーブルに並べられた カード。 青年は冷静にゲームを進めていった。 チップは動く、男の方にではなく青年の方へ。 青年は男をいつものように見続ける。ただ冷静にじっと。手の動き、 234 息遣い、表情、血管、眼の動き。 男のギャンブルする様を一番近くで見続けた青年にはそれだけで自 信があるのか強いのか弱いのか分かってしまう。結果は青年の圧勝。 ゲームが終わり青年は安堵し握られた自分の手を見る。手の中はじ っとりと汗ばんでいた。 安堵する青年を尻目に男は言った。 ﹁フン、儂の奴隷からは解放してやるが、貴様の首輪は娘が付けた ものだからな。娘しか外せんよ。つまり貴様は一生奴隷のままだ。 フハハハハ﹂ 勝ち誇った高笑いをする男。男は勝負には負けたが、娘があの首輪 を外さなければ青年は奴隷のままだ。 ﹁娘に泣いて懇願でもしてみるか?連れてきてやっても良いぞ?﹂ 男は絶望に染まった青年の顔が見たくて青年の顔を覗き込む。 そこにあったのは絶望に染まる青年の顔⋮ではなく、いつもと変わ らない冷静な青年の顔だった。 ﹁ではそうしてみる事にしましょう。﹂ この言葉が男を苛立たせた。同時にどうしても青年の絶望した表情 がみたくなった。 ﹁貴様の言葉で娘が首輪を外すとでも?ならば見せてもらおうでは ないか。﹂ そう言って、男は別の奴隷に娘を連れてくるように命じた。 暫くしてギィっとドアを開け、娘が入ってくる。 ﹁ほれ、泣きついて懇願するがいい。﹂ 男は青年に促す。 青年はスッと立ち上がり凛とした透き通る声でこう言った。 ﹁私は旦那様とのギャンブルで自らの奴隷解放を賭け、勝ちました。 この首輪を外して頂けませんか?﹂ 泣きつくことなくはっきりと。 娘は父親の方をちらりと見るが、彼は沈黙したままだ。 無言を肯定と受け取ったのか、父親から視線を外し青年を真っ直ぐ 235 見つめる。 男は娘が断る瞬間を今か今かと待ちわびていた。 青年の顔が絶望に染まるその瞬間を。 しかしその時は永遠に訪れる事は無かった。 娘は青年の首へと手を伸ばし⋮そして首輪を外したのだ。 何が起こったのか男には理解できない。 ﹁あばよクソジジイ。﹂ 男が呆気にとられている内に娘と青年は部屋から出ていった。 その様を男は見ている事しかできなかった︱︱ ﹁遅いよ∼∼。何年待ったと思ってるの∼∼?﹂ ﹁うっせ、中々難しかったんだよ。﹂ 二人は走りながら、街を駆け抜ける。 背後には何人もの追手。 ﹁﹁俺がちゃんとした形で奴隷から抜け出せたら、お前の事迎えに 行くよ。だからそれまで待っててくれ。﹂って∼∼、今思うと臭過 ぎるよ∼∼。﹂ ﹁そういう事言うな、俺が恥ずかしくなる。どうしてあんな事言っ ちまったんだ俺は⋮﹂ 思い出すのは幼い日の約束。 ﹁でもまぁ、結局叶ったんだからいいじゃねぇーか。﹂ ﹁そうだけど∼∼。﹂ 夜の街を只ひたすらに外を目指し抜けていく二人。 背後には未だに追いすがる追手。 ﹁この分だとこの街⋮いや国には居られねぇな。あのジジイの追手 がきつい。﹂ ﹁ど∼∼こ行くの∼∼?﹂ ﹁どこでもいいだろお前となら、とっととレオンハルト王国は抜け ねぇとな。﹂ 二人は走り続ける。どこまでも︱︱ 236 第二十八話︵前書き︶ ここからソフィア視点でちょっと進みます。 治癒から物質化までとか光チートすぎ。 メギドさんはいつになったら魔法使うんですかね? 237 第二十八話 茶色い焦げたような色の大地に剣戟の音が木霊する。 ﹁今日は思う存分やれるなぁ、蠍共!!﹂ ザイウスが吠える。 ﹁近くで騒がないでもらえるかな。﹂ ﹁うっさいわよ馬鹿。﹂ 仲間からの容赦ないツッコミ。 彼らは前日と同じくキラースコーピオンの討伐に来ていた。 四方を10数匹に囲まれているが焦った素振りは無い。 ﹁それにしてもめんどくさいわね、これ一体ずつ狩らないと駄目な んて。﹂ 空中に無数の光の剣を発生させながら、ソフィアは溜息をつく。 ﹁そういうな、これも依頼だ。﹂ それに答えるメギドは剣を振るいながら、次々と蠍たちを倒してい く。 倒した蠍には漏れなく光の剣が刺さっている。 ﹁アイツが使えればいいんだけど⋮。﹂ ﹁無理な期待をしてもしょうがないだろう。﹂ 二人の視線の先には大剣を軽々と振り回すザイウスの姿。 ﹁あん?魔法ならいつでもぶっ放せんぞ?﹂ ﹁アンタのは私たちも巻き込む上に、討伐証明の部位すら灰にする でしょうが!!﹂ ソフィアは少しイラつきながらも、次々と蠍に剣を突き刺していく。 ﹁加減は苦手なんだよ。﹂ ザイウスの属性は火。 普通の術者であれば火の加減くらいは当然のようにできるのだが、 ザイウスはそれが出来なかった。 発動に時間がかかる上に魔力の消費が荒い。 238 代わりに威力はなかなかのものだが、討伐証明のためには適さない のだ。 ﹁その加減を覚えてもらいたいね⋮っと。﹂ 迫りくるハサミと毒針の二重攻撃を軽やかに避けながら、メギドは 蠍へと斬りかかる。 光の剣で蠍を足止めするソフィアに、ひたすら大剣を振るうザイウ ス。 軽口を叩きながらもそのペースは衰えない。 いつしか四方を囲んでいた群れは跡形も無くなり、死骸だけが無造 作に転がっていた。 ﹁終わったわね⋮。早速毒針の回収始めるわよ。﹂ ﹁やれやれ、休む暇もないね。﹂ ﹁めんどくせぇなぁ⋮。﹂ 文句を言いながらも、討伐証明の為に手早く毒針を切り取っていく 三人。 集めた毒針は慎重に扱い袋へと詰める。 ﹁ふう、さてと村に戻りましょうか。あの子たちを待たせるのも悪 いしね。﹂ 一息ついてから、村に置いてきた子供たちを思い出す。 ﹁そうだな。﹂ ﹁どうでもいいから早く帰ろうぜ。﹂ 微妙に方向性の違う二人だったが、帰るというのは一致したようだ。 茶色い大地に背を向けて彼らはエテジアの村へと戻っていった︱︱ ﹁これからどうすんだよ?﹂ 村に戻るとザイウスが疑問を投げかけてくる。 ﹁どうって⋮、ギルドに毒針を持っていくけど?﹂ 何当然の事を聞いてくるのだこの馬鹿は。 ﹁ちっげぇーよ、あのガキ共の事だよ。適当に受け入れちまったが、 アイツに任せた方が良かったんじゃねぇの?﹂ 239 アイツとはクロノさんの事だろう。思えばザイウスは受け入れに好 意的な感情は持っていなかった。 ﹁元はと言えば私たちが拾ったんだし、最後まで責任を持つのが筋 だと思うけど。﹂ ﹁そうだな。見ず知らずの人にあれ以上頼るのは良くないだろう。﹂ 私の言葉に続いてメギドからの援護が入る。 いつもならここでザイウスが引き下がるのだが、今日は違った。 ﹁じゃあこっからあのガキ共を連れて仕事しろと?金だってそんな ないだろ。﹂ いや、今金がないのは半分お前のせいだ。そう叫んでやりたかった が、言葉を呑み込む。 ザイウスの指摘は私も考えていた所だった。 金に余裕のあるパーティーではないし、時には野宿をするような危 険で不安定な生活をさせるのは決して良い生活とは言えない。 クロノさんにどうするのかと聞かれた時は責任感で引き受けてしま ったが、ここに来て少し自分の浅はかさに嫌気が差してしまう。か と言ってここで見放すなんていうのは無責任にも程がある。 ﹁良い引き取り先が見つかるまでは、そうなるわね。﹂ 問題を一先ず先送りにする事で事態の収束を図る。 ザイウスはまだ何か言いたげだったが、それ以上追及して来る事は 無かった。 何だかんだ言ってアイツも、本気で少年たちを見捨てようとしてい るわけではないのだ。 宿屋へ戻り少年たちの居る部屋に入る。 部屋には木製の堅そうな椅子に座り、置物のようにジッと座り眠る 弟をみつめているレイリーの姿があった。 ﹁調子はどう?﹂ ﹁体調に問題はないよ。﹂ 愛想を感じさせない受け答えをするレイリー。 ﹁弟さんは⋮眠ってるのね。﹂ 240 視線の先にはスヤスヤと寝息を立てるスーラーの姿。少し涎を垂ら しながら子供らしくスヤスヤと寝入っている。 ﹁アイツはまだ子供だからね。逃げてきた時の疲れが溜まってるん だ。﹂ そう答える彼の眼は何かを思い出しているように見えた。 ﹁そう⋮。寝てる所悪いけど、今日中にここを発ちたいから起こし てくれる?﹂ ﹁どうして俺たちがアンタらに付いていく事になってるんだ?﹂ ﹁じゃあ逆に聞くけど行く宛はあるの?﹂ レイリーは何も答えない。 ﹁だからって⋮、それにこれ以上世話になるわけには⋮。﹂ 意外な所で礼儀正しい奴だ。 年齢的にはもうちょっと甘えてもいいと思うのだが、そこらへんは 出自が何か関係しているのか。 ﹁じゃあこうするわ。あなたたちが使った食事代や宿代の代わりに 私たちについてくる事。﹂ 自分でも少々無理やりだと思ったが、これなら付いてこざるをえな いだろう。 渋々といった表情のレイリーだったが諦めたのか、ベッドに駆け寄 り弟を起こし始めた。 ﹁んぁ?お兄ちゃん⋮もうあさぁ?﹂ ﹁何寝ぼけてんだ。ほら顔洗ってこい。﹂ 眠たい眼をこすりながら、私たちに気づいた様子なくスーラーは部 屋を出ていった。 ﹁で、どこにいくの?シュヴァイツ国内とかなら絶対に行かないよ。 ﹂ こちらに向き直り相変わらず不機嫌そうに聞いてくる。 ﹁とりあえずこの国の王都に行くわ。﹂ 行き先を告げるとレイリーは興味なさげにただ﹁わかったよ。﹂と 言った。 241 本来王都に行く予定は無かったのだが、彼らの受け入れ先を探すに はあそこが最適だろう。 田舎よりも裕福な家庭が多いし、治安も比較的良い。 ﹁王都か、歩いて行くと二日はかかるかな。﹂ ﹁めんどくせぇな。﹂ 行き先を王都に決めた私たちは、スーラーが戻って来てからすぐに エテジアの村を旅立った︱︱ 242 第二十九話︵前書き︶ 2年前付近の回想は後で纏めてやらないとなー 243 第二十九話 すっかり夜の帳が下りた空。 地面にはうっすらと草が生えているが微々たるものだ。 エテジアの村を旅立って以降私たちの旅は順調とは言い難い。 メギドは二日で着くと言ったが、子供二人の体力を考えれば一日プ ラスしなければならないだろう。 今日も予定であればもうとっくに中継地の街に着いていた筈なのだ が、所々休憩を入れているので当初の予定の3分の2程度しか進ん でいない。 こういう時馬車を買っておけばよかったと内心歯噛みする。 ︵今度まとまった金が手に入ったら馬車買おう⋮。︶ 今までは値段の高さに足踏みしていたが、心に強くそう決めた。 ﹁すぅすぅ⋮。﹂ ザイウスの背中で寝ているスーラーから穏やかな寝息が聞こえてく る。 ザイウスの歩き方を見るにあまり揺らさないように気を遣って歩い ているのがありありと見てとれた。 何だかんだ言ってちゃんと気遣いは出来る男だ。 兄のレイリーは黙々と歩き続けているが、顔には疲労の色が見える。 ︵早めに休憩を取ったほうがいいわね。︶ ここで休憩を取ると今日は時間的にもう動けないだろう。 こんな所で子供たちを野宿させるわけにはいかない。 今日中に中継地の街に行くのは諦め、歩きながら地図を広げる。 ︵えーっと、今ここら辺だから⋮。︶ 指で地図をなぞり泊まれそうな場所を探す。 ︵お、あったー。ちょっと右にずれるけどここなら近いわね。︶ 本来の進行とは少しずれるが仕方ない。 ﹁みんな、右に曲がって。もう少しで村があるから。今日はそこで 244 泊まるわ。﹂ 後ろを歩くパーティーメンバーに告げる。 疲れが溜まっているのか返事は返ってこなかったが、皆無言で右に 進路変更をした。 少し歩くと灯りがほんの少し見えてくる。 あまり大きな村ではないようで、門を潜り村の中に入っても人の姿 は見受けられない。 時間帯も普通の農村であれば家に帰っている時間なのでしょうがな いことか。 人の気配を感じられない村の中で宿屋を探していると、ようやくそ れらしき家を見つける事できた。 普通の民家のようだったが、確かに宿屋の看板がかかっている。 民家にしか見えない木製の扉を開け中に入る。 扉を開けると鈴の音がチリンチリンと鳴った。 ﹁んん?お客さんかい?珍しいねぇ。﹂ 受付で大きな欠伸をしながら退屈そうに喋る中年女性。 ﹁今日ここに泊まりたいんですけど大丈夫ですか?﹂ ﹁数は?﹂ ﹁5人です。﹂ ﹁全員同じ部屋で良いならあるよ。﹂ ﹁大丈夫です。﹂ ﹁そこの部屋自由に使っておくれ。朝はこっちで用意するから。﹂ 指さした先にはドアが開けっぱなしにされた大部屋があった。 というか客室らしきものがそこしかなかった。 普通宿屋での客室といえば2階が主となるのだが、2階自体存在し ていないようだ。 ﹁こんな時間に来るなんてアンタ達冒険者かい?﹂ 金を払い部屋へと向かおうとすると女性に呼び止められた。 宿屋で素性の詮索とは珍しい。 ﹁はい。そうですよ。﹂ 245 ﹁そうかい。あの人が来て以来だから2年ぶりだね、冒険者が来る のは。そういえばあの人も幼い子供を連れていたねぇ⋮。﹂ どこかなつかしむように女性は呟く。その眼には色々な感情がこも っているように思えた。 それはお母さんのように優しい眼でもあり、同時に悲しそうな眼。 ﹁おっと、すまないねぇ呼びとめてしまって。疲れているんだろう ?早く休みな。﹂ ハッとした表情で女性は顔を上げる。 せかされるまま私たちは、部屋へと入って行った︱︱ 決して綺麗とは言えずベッドが4つあるだけの殺風景な室内。 ﹁よっと。﹂ ザイウスが起こさないよう慎重にスーラーをベッドに寝かせる。 寝息をたてスヤスヤと眠っている彼に毛布を掛け、ザイウスは部屋 の隅へと座り込んだ。 ﹁じゃあ俺はもう寝るからな。﹂ そう言って眼を閉じ寝に入る。 ベッドは4つしかないので誰かが必ず外れてしまう。 これはアイツなりの優しさなのだろう。 ﹁俺がそこで⋮。﹂ レイリーが口に出そうとした言葉をメギドが手で制す。 ﹁アイツがそこでいいといってるんだからいいんだよあれで。筋肉 馬鹿にベッドはもったいない。﹂ ﹁そうね。あの馬鹿にベッドはもったいないわ。﹂ メギドに続き私も援護する。本心では無く、こうでもしないとレイ リーはベッドで寝てくれないだろう。 こんな子供を床で寝かせて自分たちはベッドで寝るなんて事は許さ れない。 ザイウスは寝たフリを決め込む。少しこめかみの当たりに血管が浮 いている気がするが。 246 未だ納得していないようだったが、俯きながらも無言でレイリーは ベッドへと入ってくれた。 ホッとしながら、メギドの方を向くと視線が合う。彼も同じ気持ち のようだ。 ザイウスからは怨嗟の念のような視線が飛んできたが気にしない。 安堵した私たちはそれから言葉を交わす事無く、それぞれ眠りへと 落ちていった︱︱ カーテンの隙間から零れる朝陽によって目を覚ました。 ベッドから足を出し立ち上がる。 少し肌寒い。室内を見渡すとまだ誰も起きていない。 ︵起きるの早すぎたかな?︶ 馬鹿のいびきが気になったが、子供たちが目を覚ます気配はなかっ た。 ﹁んーー﹂ 背伸びをしながら身体を左右に回す。準備運動のようなものだ。 手を何度か握り完全に身体が起きたのを確認する。 ︵しばらく誰も起きそうにないし、散歩でもしてこようかな。昨日 は暗くて村の様子見れなかったし。︶ 肌寒い室内を抜け受付へと向かう。受付に女性の姿は無い。 朝食でも作っているのだろう。 宿屋を出て外に出ると、室内よりも圧倒的な寒さを感じられた。 ︵もっと暖かい服着てくればよかった⋮。︶ 機能性重視で薄い服しか持ってこなかった自分の失態を恥じる。 寒さに身を震わせながら、歩きだす。 村の中は昨日と同様に人の気配を感じられない。 ︵朝早いから⋮?︶ 頭の中で疑問符を並べながら村を探索する。 昨日は暗くてよく見えなかったが広さはエテジアの村と同程度か。 どこをどう歩いても人の気配は無い。 247 はっきり言ってここまで人の気配が無いのは異常だ。 民家はあるのだが明らかに人が住んでいない家がいくつもあった。 村の奥の方に進むとようやく人影が見える。どうやら一か所に三十 人程が集まっているようだ。 ソフィアは早足で人影へと近づく。 ソフィアがたどり着いたそこは︱︱︱墓地だった。 無数の墓標が建てられた墓地。明らかに集まった人よりも多い。 手を合わせ祈りをささげる村人らしき人たち。その中には宿屋の女 性もいた。 目を閉じ無心で祈っている。ソフィアは声をかけられずただ呆然と 目の前の光景を眺める事しか出来なかった。 やがて村人らしき人たちは祈りを止め、各々別の方向へと去ってい く。 ﹁こんな所で突っ立って何やってるんだい?﹂ 呆然と眺めていたソフィアだったがこの言葉で現実に引き戻される。 それは宿屋の女性の声だった。 意識がまだ半分上の空で言葉が出ない。 ﹁大丈夫かいアンタ?﹂ 心配するような女性の声。 ﹁だ、大丈夫です⋮。﹂ ようやく落ち着いてきたソフィアは何とか言葉を口に出す。 ﹁そうかい?ならいいけど⋮。﹂ ﹁皆さんはここで何をされてたんですか?﹂ 疑問に思った事をぶつけてみた。朝からあんなに多くの人が集まっ て墓に祈るなど明らかにおかしい。 ﹁毎朝村人全員で死者を弔う為にお祈りしてるのさ。﹂ ︵村人全員?あれで?︶ 先ほどの光景を思い返すが、多く見積もってもせいぜい二、三十人 程度。 村の規模からいってそれの倍以上は居てもいいはずだ。 248 毎朝のお祈りというのも気になる、普通の村であればそんな事はし ない。 ﹁どうしてそんな事をしてるんですか?。﹂ ﹁そうさねぇ⋮、どこから話せばいいのやら⋮。﹂ 一呼吸置き女性は喋り始める。 ﹁元々この村には今の倍近い村人が居たんだよ。私も娘と平和に暮 らしてた。それが2年半くらい前になるかねぇ、この近辺に盗賊が 棲みつくようになったんだ。﹂ ﹁盗賊⋮。﹂ ﹁最初は何とか村人が頑張って、追い返したりしてたんだ。しかし ある時、耐えかねた村の若い衆が意気込んで盗賊を追い払いに行っ た。誰一人として帰っては来なかったがね。﹂ ﹁⋮⋮。﹂ ﹁そっからは酷い有様だよ。村の防衛を担ってた若者がみーんな、 いなくなったんだから。防衛を失った村は盗賊にやりたい放題。何 人もが殺されたり、捕まって売られたりで村の人口は激減さね。﹂ ﹁ギルドに依頼とかはしなかったんですか?﹂ ﹁したさ、最初の内は何組か来てくれた。でも相手にかなりの手練 れが居たらしくてね、帰ってこない奴もいたし帰ってきて逃げてい った奴もいた。何組か失敗した後は評判が広まったのか、誰も来な くなったよ。﹂ ﹁⋮⋮。﹂ 言葉が出せない。もし冒険者が自分だったら?と考えると同じ行動 を取っていたに違いないからだ。 故に逃げていった彼らを責める事は出来ない。敵わない敵と遭遇し たら逃げる、というのは冒険者の間では常識だ。自ら命を捨てる事 程愚かな事はない。しかし同時に村人の気持ちを考えると胸が痛く なった。 ﹁そして盗賊が来て半年くらい経ったある日一人の冒険者がやって きた。小さな子供を連れ、黒いフードを身に纏った怪しげな男だっ 249 たよ。村人はもう期待していなかったがね。私もまた失敗だろうと 諦めてたさ。また同じだろうと。﹂ 女性は言葉を続ける。 ﹁でも、あの人は違った。瞬く間に盗賊団を制圧して、全員を縛り 上げ村に連れてきた。村人はそりゃあ湧いたね。私も娘も浮かれた さ。そして⋮⋮﹂ そこまで言葉を続けてから女性の顔が一瞬曇る。昨日見た時と同じ 眼。 ﹁と、まあこんな事があって毎朝村人全員であの半年で亡くなった 人を弔おうってやってるわけ。﹂ 最後は明るい笑顔で言葉を締めくくった女性。その顔は無理をして いるように見えた。 ﹁さてさて辛気臭い話はもう終わりだよ。今日は久々に腕によりを かけて作るからね。﹂ パンッと手を叩き宿屋へと戻って行く女性。 女性の後ろ姿を追いかけ、ソフィアも宿屋へと向かった。 戻ってから出来上がった朝食は女性の言う通り豪華で珍しい郷土料 理等が並べられていた。 どれも芋中心の料理で、量も相当なものだ。 目を覚ましたザイウスの前には跡形も残らなかったが。 女性に手を振り私たちは王都へと旅立った︱︱ ﹁久々だったねぇ、お客さんなんて。﹂ 冒険者を見送り、しんみりと呟いた。家から花瓶を取り出し、足を 墓地へと向け歩きだす。 やがて着いたのは一つの名前が刻まれた墓の前。 刻まれているのは娘の名前だ。 ﹁何の因果かねぇ、アンタが死んでから初めての客は冒険者だった よ。﹂ 物言わぬ墓に喋りかける。 250 墓の前には自らが置いた花とこの近辺では見られない赤い花が供え られている。 手を伸ばし赤い花を手に取る。 赤い花は少ししおれ、元気が無いように見えた。 ﹁アンタは恨んでるかい?あの人を。﹂ 2年前を思い出す。突如現れこの村を救ってくれたあの人。 そして娘を殺したあの人。 ﹁元から恨んでないって?ははは、アンタはあの人好きだったから ね。﹂ 娘に喋り続ける。 ﹁私はまだ恨んでる。あの人の事を。でも⋮﹂ 娘が死んだと聞いた時は、何も言えなかったあの時。 短い声で謝り続けるあの人の声も響いては来なかった。 村についてお礼すらも言わなかった、言う気にもなれなかった。 本当は知っている。あの人が殺したんじゃない。 それでもあの頃の私は現実を理解出来なくて、つい彼にあたってし まった。 ﹁今度あったらお礼を言わないといけないねぇ⋮。﹂ しおれた花を見て、そう呟いた。随分前から水を吸っていないので しおれてしまった花。 この近辺では見られない花。去年今年と娘の命日に置かれていた。 誰が置いたのかは定かではないが、その日は何故か村で黒いフード の男が一瞬だけ見られるらしい。 しおれた花を持ってきた花瓶に入れ墓の前に置く。 ﹁じゃあね。また明日会いに来るからね。﹂ 宿屋の女性は娘に別れを告げ墓の前を立ち去る。 後に残されたのは赤い花と花瓶。 その花は美しく、久しぶりの水を吸って元気になったように見えた。 251 第三十話︵前書き︶ 見返すと誤字が酷い⋮ まだ気づいてないところもあるかも 252 第三十話 ﹁おっ、ようやく見えてきたな﹂ ザイウスが声を上げる。 エテジアを旅立って三日目ようやく王都に辿り着いた。道中、立 ち寄った街で商人がドラゴンを見たなどという眉唾な情報もあった が、旅は滞りなく進んだ。 ﹁うーん、あれを見ると帰ってきたって感じがするわ﹂ ﹁そうだな。何故か懐かしく感じる﹂ 見つめる先には、立派な門がそびえ立っていた。街をグルリと囲 む無骨な門。その前には門番が立っている。この門は戦争時などに 街を守る城壁として作られたらしい。街の中にもいざという時の為 に地下道があるという噂だ。建国以来目立った争いは起きていない ので活かされたことはないが。 門番の前は人の群れがこれでもかと言うほどに並んでいた。三列 程作られた、門番の前に並ぶ人の列に加わり順番を待つ。 ﹁この時間帯だと、混んでるわね﹂ ﹁ここは混みそうだから俺は別の列に行く﹂ メギドはそう言って別の列に行った。大して変わらないだろうに。 時刻は昼を少し過ぎた辺りか、暗くなる前のこの時間は人が多い。 ﹁これは⋮?﹂ 253 ここまで黙っていたレイリーが口を開く。他国の人からすれば、 王都に入るのに検問があるというのは不思議な事なのだろう。 ﹁王都に入るには検問があるの。ちゃんとした目的が無いと門番に 止められる﹂ ﹁じゃあ、俺たちは⋮﹂ ﹁大丈夫、実際目的なんて観光とか言っとけばフリーパスだから﹂ 自分でそこまで言ってからふと気付く。あれ? この制度意味無 いんじゃ。 首を傾げていると、思いの外早く順番が回ってきた。促されるま ま前へと進むと、見知った顔が見える。 ﹁次ーって、お前らか﹂ ﹁マイクの爺さんじゃねぇか﹂ ﹁誰が爺さんだ。せめておっさんと呼べ﹂ ﹁おっさんはいいんだ⋮﹂ ザイウスと言い合いをする老兵士。白い口ひげを蓄えた60手前 のお爺さん。 彼は、門番一筋40年という凄いんだか凄くないんだかよく分か らない経歴を持つマイクさんだ。 この街で育った私たち三人にとっては、なじみ深い人である。 昔はよくザイウスが暴れて叱られたものだ。 ﹁おう、お前らなら勝手に入れや。お前らに検問なんてするだけ時 間の無駄だしな﹂ 254 本当にこの国の検問の存在意義が無い気がしてきた。呆れながら も門を抜けようとするが、 ﹁ちょっと待て﹂ という言葉によって止められる。 ﹁んだよ。さっきは通っていいっつっただろ﹂ ﹁その子供たちは誰だ?﹂ 指さした方向にはレイリーとスーラーがいた。 ﹁お前らだけなら通ってもいいが、その子たちは?﹂ ﹁観光です﹂ ﹁そうか観光か。って、そんなわけないだろ。明らかにお前らの後 をついてってるだろうが﹂ この言葉で通してくれないとは⋮、どうやら真面目に仕事してい たらしい。検問の存在意義を少しだけ確認した気がする。 ﹁まさか⋮お前らの子供か!?﹂ ﹁んなわけあるか!!﹂ 思わず声を上げ反論してしまった。後ろに並んでる人の視線が痛 い。 255 ﹁じゃあなんだ? 生き別れた弟か?﹂ ﹁ボケるのも大概にしろよクソジジィ﹂ ザイウスが私の思っている事を代弁してくれた。ありがとう馬鹿 と心の中で言っておく。 別に嘘をつく必要もないだろう。一息つき事情を説明する。重要 な所は伏せて。 ﹁彼らは行く宛がないというので一時的に引き取った子供なんです﹂ ﹁どっかに預ける宛はあるのか? お前らだって四六時中連れてく わけにいかないだろ?﹂ ﹁ええ、だからこれから王都で預け先を探そうかと﹂ ﹁それならほれ﹂ そう言って小さく丸められた紙を渡された。 ﹁これは?﹂ ﹁王都からちょっと離れた所に孤児院があってな、それの地図だ。 預け先が見つからなかったらそこに行け。あそこならちゃんとして るしな﹂ 孤児院に預ける気はないのだが一応貰っておこう。 ﹁なんで爺さんがそんなもん持ってんだよ﹂ 256 ﹁門番の仕事は検問だけじゃないんだぞ。検問が終わって、道を聞 かれた時教えられるように大体の地図はもってんだよ﹂ 知らなかった。どうやら門番はしっかり検問以外にも仕事をして いるようだ。 ﹁それにしても子供連れっていったら、あの人を思い出すな﹂ ﹁あの人?﹂ ﹁よく王都に来る人なんだがな。ちっせぇ弟連れて冒険者してんだ よ。﹂ ﹁へぇ⋮﹂ 弟を連れて冒険者とは珍しい。中々出来ることじゃない。 ﹁本当お前らと違って礼儀正しいし出来た人だ﹂ ﹁王都に来た人には敬語が門番のルールなのに、俺たちにタメ口で 話してる爺さんに言えた義理かよ﹂ ﹁うっせぇ。お前らは昔から知ってるからいいんだよ﹂ ザイウスと言い合うその様は親子のようだ。 ﹁じゃあ、私たちは行きますね。地図ありがとうございました﹂ ﹁気にすんな。じゃあな、たまには親御さんの所にも顔出してやれ よ﹂ 257 マイクさんから受けとった地図をしまい、お礼を言って私たち4 人は門の前を立ち去った。 あれ? 何か忘れている気がする⋮? ﹁俺の並んでる列だけ進まないんだが⋮﹂ メギドは一人遅々として進まない列の中で呟いた。 258 第三十一話︵前書き︶ 更新久々です 259 第三十一話 王都住宅街 ︵見通しが甘かった⋮。︶ ソフィアは心の中でそう呟いた。 引き取り先を探して早三日、一向に見つかる気配はない。 どの家でも丁重に断られる。 今日も今日とて、何軒訪問したか分からない。 正直もう半分諦めようかと思ってさえきた。 空を見上げるとすっかり陽が落ちており、真っ赤な夕焼けが空を支 配している。 ﹁今日はここまでにしましょう。﹂ ソフィアに続いてザイウスが面倒くさそうに言う。 ﹁そうだな、早く帰って飯を食いたいもんだ。﹂ なんだかかんだ文句を言いながらも、三日間ザイウスは色々な家を 回っていた。 金にシビアといっても、無責任にそこら辺に放り出すような事は出 来ない男なのだ。付き合いの長いソフィアはその事を十分理解して いる。 宿屋へと帰る途中別ルートで回っていたメギドと合流し、状況を聞 くが良い情報は得られない。 もうこの街は殆ど回り尽くし、いよいよ持って行き詰まってきた。 ︵あーあ、もういっその事連れて行った方が楽かな⋮。︶ 頭の中でそんな考えが浮かぶが、すぐさま首を振って否定する。 ︵いや、やっぱり私たちみたいな危険な仕事に連れて行くわけには いかないし、あの子たちのためにも普通の生活をさせなきゃ。︶ こんな時、親がいればと思ってしまう自分がいた。 ︵もう、あんな事言って家出てこなければなぁ⋮。︶ 260 頭の中で先日聞いたマイクの言葉がよぎる。 ﹁たまには親御さんとこにも顔出しといてやれよ。﹂ ︵それが出来たら苦労しないって。︶ マイクからすれば親子仲を心配しての事だったのだろうが、生憎ソ フィアに会う気は無い。 冒険者になるのを反対した親から家出同然で出てきて以来一度も家 に帰った事は無い。 この街に立ち寄っても、絶対に会わないよう徹底してきた。 ︵考えてても仕方ないか。︶ ソフィアは頭の中でよぎった親に頼るという考えをかき消し、宿へ と戻った。 翌日 王都にある宿屋内 引き取り先探しも今日で四日目、これ以上ここで探すのは無理だと 判断したソフィアは決断を下す。 ﹁今日はザイウスとメギドで街を回って。私は行く所があるから。﹂ それに対しザイウスがメギドを指さし不満そうに言う。 ﹁なんでコイツと回んなきゃなんねぇんだよ。﹂ ﹁あんたが交渉とか出来ないからでしょ。他に誰かいないとお話し にならないのよ。﹂ 言い返す事の出来ないザイウス。 黙っていたメギドが口を開く。 ﹁ソフィアはどこに行くんだ?﹂ ﹁この前マイクさんから貰った地図のところよ。﹂ ソフィアはそう言ってポケットから紙切れを取り出す。 ﹁ここに行く予定だから夜まで帰ってこないと思う。﹂ 少し残念そうにメギドは尋ねる。 ﹁そうか⋮。あの子たちはそこに預ける事にしたのか?﹂ ﹁いや、とりあえず下見ってだけ。色々可能性は探っておかないと 261 ね。﹂ ﹁わかった。こちらはこの馬鹿と回っておく。いくぞ。﹂ メギドはザイウスを引っ張り、街へと歩きだす。 ﹁誰が馬鹿だ!﹂ ﹁﹁お前だよ!!﹂﹂ 見事にハモった声が宿屋内に鳴り響く。 その声は周囲の人間の注目を集め、いたたまれなくなった三人はそ そくさと宿屋を出ていった。 王都北西 ソフィアは地図の通りに孤児院に向かっていた。 見事に草を避け舗装された道。歩きやすいよう平坦に均されている。 ここまで綺麗に整備された道はあまりない。 そんな道にソフィアは違和感を覚えた。 ︵王都の近くだからって、こんなに整備されているものかしら⋮。︶ ここの孤児院の話は昔王都に住んでいた時にも聞いていたが、財政 は芳しくないという話だった。 そもそも孤児院は無償でやるものであり収入は寄付金くらいのもの だ。 どこもかしこも、経営は厳しい。 だからこそ、子供たちを預けるのを躊躇っていた 舗装された道を進むと見えてきたのは、色とりどりの花が植えられ た美しい庭。 ︵え?︶ 思わず言葉を失った。 美しい庭に⋮ではなく、その先にそびえ立つものに。 ︵何これ?︶ 庭の先には貴族の屋敷かと見まがうほどに立派な建物。 慌てて地図を確認するが、どうみてもこの屋敷を指している。 262 屋敷の前では子供たちが楽しそうにはしゃぎまわっている。 ただ立ち尽くすソフィアの元に、一人の少女が近づく。 ピンク髪の少女はソフィアを不思議そうに見つめながら尋ねる。 ﹁あのー、なにかこちらに御用ですか?﹂ ハッと、少女の接近に気付かなかったソフィアは少女の顔を見る。 遊んでいる子供たちよりは年齢が高そうだ。 ﹁え、⋮ええ、ちょっと用事がありまして。﹂ ﹁そうですか。でしたら中にご案内します。﹂ 手を屋敷の方へと向けるピンク髪の少女。 ︵この子がここを経営してるの?︶ 悪いがどうもそうは見えない。 ﹁どうかされたんですか?﹂ 立ち止まって考えるソフィアを不思議そうにみつめる少女。 ﹁いや⋮、なんでもないです。﹂ ︵気になりはするけど、行ってみれば分かるか⋮︶ 頭の中でそう結論づけ、深く考えない事にした。 ﹁どうぞこちらです。﹂ 少女に言われるがまま屋敷の中へと入る。 外観もそうだったが内装もかなりのものだ。 階段が左右に螺旋状についており、3階まで続いている。 床も綺麗なカーペットが敷かれており、見れば見るほど貴族の屋敷 ではないかと思ってしまう。 子供たちも来訪者は珍しいのか、ソフィアに視線が釘付けになって いる。 少女はその視線を気にも留めずソフィアを一つの部屋へと案内した。 ﹁この部屋で腰かけて少々お待ち下さい。﹂ 丁寧なお辞儀をして部屋を出ていく少女。 言われるがままソファーに腰掛けじっくりと室内を見渡す。 案内されたのは来客用なのだろうか?ソファーが二つ机を挟んで向 かい合って配置された部屋。 263 ただ、この部屋は貴族の屋敷という感じはしない。 機能的に物が置かれているだけでこじんまりとした部屋だ。 少しするとドアの向こうから幼い喋り声が聞こえてきた。 ﹁おにいちゃんあそぼうよー。﹂ ﹁きょうはおにごっこがいいな。﹂ ﹁だめだよ、おにいちゃんはきょうわたしたちとあそぶの。﹂ 駄々をこねる子供たち。 続いて若い男の声が聞こえる。 ﹁あーもう、うっせぇお前ら!俺はこれから客を出迎えなきゃいけ ないから、ちょっと静かにしとけ。話終わったら好きなだけ遊んで やる。﹂ 口調は乱暴だが、そこには思いやりが感じられる。 ﹁うー、やくそくだよ?﹂ ﹁わかったー﹂ 子供たちは約束に満足したのか、それ以上しゃべる事はなかった。 男はこどもたちを引き離し扉へと手をかける。 部屋の中で聞き耳をたてていたソフィアは、慌ててソファーに座り 男の入室を待った。 キィッと扉を開け部屋に入ってきたのは声の印象どおり若い男。 年齢は先ほどのピンク髪の少女よりも少し上くらいか。 ﹁どうも、私はヘンリーといいます。﹂ 頭を下げ礼儀正しく挨拶するヘンリー。 ﹁ソフィアです。﹂ 立ち上がって挨拶するソフィア。 ヘンリーはソファーの向かいに座り、じっとソフィアを見つめる。 ﹁さてソフィアさん、今日は当院にどういったご用件ですかな?﹂ ﹁いえいえ、大した用事ではありません。少し見学させていただけ ないかと。﹂ 意外そうな顔をするヘンリー。 ﹁ほう?見学?差し支えなければ理由をお尋ねしてもよろしいです 264 か?﹂ ヘンリーはこちらを探りに来ている。ソフィアにはそう感じられた。 ﹁子供を預けようと思ったんですが、その前にここの施設を見てお こうと思いましてね。﹂ ﹁あなたが親というのなら、引き取ることはできませんが。﹂ 歓迎はされていないようだ。むしろ威圧的な口調になった気がする。 ﹁依頼の途中で拾った子供なんです。私みたいな危険な仕事に連れ て行くわけにもいかないですし。﹂ ﹁依頼?ああ⋮冒険者ですか。﹂ ヘンリーの視線はソフィアの服装に向く。 動きやすそうな軽装。腰のあたりには刃物がチラリと見える。 ﹁そうです。﹂ ﹁そういうことなら、どうぞ見ていってください。もう一人が案内 しましょう。﹂ ﹁ありがとうございます。﹂ ﹁少々お待ちください。﹂ そう言ってヘンリーは部屋を出て行った。 再び一人取り残された室内で、ソフィアは考える。先の会話からな にやら探られていると感じた。 何かした覚えはないが、積極的にこちらの事情を聞き出しにきてい るような違和感。 話し方も非常に事務的で孤児院らしくない。 扉の向こうから聞こえてきた子供たちとの会話が無ければ、見学す るのもためらったかもしれない。 そんな事を考えているとドアが開いた。 入ってきたのは最初に案内してくれたピンク髪の少女。 緊張した様子でおどおどしている。 ﹁えっと⋮、これからご案内いたしますね。﹂ ﹁お願いします。﹂ 頭を下げると、少女は慌てて手を振る。 265 ﹁あっ、あの⋮頭を下げないでください。これが私の仕事なんです から。﹂ 少女は、そう言って部屋を出る。 ソフィアも後を追うように着いていく。 部屋を出て廊下を歩いていると、あちこちから子供たちの声が聞こ えてくる。 それは笑い声であったり泣き声であったり様々で、ソフィアの気持 ちは預けるという方向に傾く。 ﹁いつもこんな感じなんですか?﹂ ﹁ええ、ここの子供たちは家族のように育てられていますから。﹂ その言葉に嘘があるようには思えない。 どうやらここは相当設備の良い孤児院のようだ。 あのヘンリーとか言う男の態度は気になるが。 ﹁あの、ヘンリー君の事悪く思わないで下さいね。﹂ ソフィアの心中を見透かしたかのように言う少女。 ﹁?﹂ ﹁最近はここのうわさを聞きつけて子供を預けに来る親が多いんで す。子供には親がいたほうがいいのに⋮。﹂ ﹁どうしてそう思うの?﹂ ﹁私もヘンリー君も、孤児でした。親がいない事の大変さはよくわ かっています。だから親が進んで子供を預けに来るのを許せないん です。あなたは違うみたいでしたけど。﹂ ﹁⋮﹂ ﹁っと⋮、余計なお話をしてしまいましたね。次はこちらです。﹂ 誤魔化すように部屋を進む少女。 それから色々な部屋を案内されたが、まったく頭には入ってこなか った。 少女の親という言葉がどうにも引っかかってしまって。 ︵親か⋮。親がいるのに私ってやつは⋮。︶ 266 夕方 ﹁今日はどうもありがとうございました。﹂ ﹁いえいえ、その気になったらいつでもいらして下さいね。﹂ ソフィアは少女にお礼を言って、屋敷の外に出る。 ︵んー。もうこんな時間か。︶ 空は夕陽が辺り一面を照らしていた。 今回だけで預けるとは決められないが大分そちらに傾いたのも事実 だ。 あそこなら安心して任せられるかもしれない。 ︵どうするか、早いうちに決めておかないとね。︶ 真っ赤に染まった庭を歩きながらそんな事を考えていると、向かい から人影が。 二人組みの男。片方はスキンヘッドのいかにもごろつきといった感 じで、明らかに堅気の人間ではない。 もう一人は痩せ型で隣の男と並んで歩いているのが不自然なくらい だ。 庭を出たところで男たちとすれ違う。 スキンヘッドの男はちらりとこちらを見たが、すぐに視線をはずし 孤児院へと向かう。 その眼にはどこか見覚えがあった。 痩せ型の男は視線を合わせることなく通り過ぎていった。 ︵何⋮あれ⋮?︶ ソフィアは男たちが完全に通りすぎた後で孤児院の方に向き直る。 男たちの姿は赤い庭に紛れ既に見えなくなっていた︱︱ 267 第三十二話︵前書き︶ ミスったーーー 268 第三十二話 王都 ソフィアが王都へと戻る頃には、空は暗く王都の光が際立って見え た。 賑わう通りを抜け宿屋へと戻る。 宿屋の食堂では先に戻っていたザイウスとメギドが食事をとってい る。 ﹁ごめん遅くなった。﹂ ﹁いや俺たちも、今来たところだ。﹂ 手を休めそう答えるメギド。 対するザイウスは手を止めることなく、ばくばくと食事を飲み込ん でいく。 ﹁そっちはどうだった?﹂ ﹁そうだな、あまり収穫は得られなかった。ソフィアの方は?﹂ ﹁そこそこ収穫はあったけど、なーんか最後のが引っかかるのよ。﹂ ソフィアが思い出すのは孤児院の去り際に見た二人組みの男。 不思議と危険な気はしなかったが明らかに堅気ではなかった。 そして見覚えがある。どこだかは思い出せないが確実に知っている はずなのだ。 269 ﹁あの二人どっかで⋮。﹂ ﹁あの二人?﹂ ソフィアの疑問にメギドが反応するがソフィアは気づかない。 ︵思い出せない⋮。︶ ﹁おいソフィア。﹂ ︵誰だっけ?繋がりはないけど、どこかで見た気がする⋮。︶ ﹁ソフィア!!﹂ ﹁へぇっ!?な⋮なに?﹂ 一人物思いにふけっていたソフィアをメギドが現実へと引き戻す。 ﹁大丈夫か?何か考えごとをしていたみたいだが。﹂ ﹁ちょっとね⋮。﹂ ﹁疲れてるのなら休んだほうがいいぞ。﹂ ﹁そういうわけじゃないけど。﹂ そこまで言ってからソフィアは思いつく。 ︵私が見覚えあるって事は、もしかしたらメギドも知ってるかも。︶ 270 ﹁ねぇ、褐色の肌にスキンヘッドの男って見たことない?﹂ ﹁褐色の肌にスキンヘッド?どこかで見たような⋮。﹂ ﹁どこで見たか思い出して。﹂ ﹁うーん⋮⋮。﹂ 首を傾げ思考をめぐらせるメギド。 ﹁悪いが思い出せないな。見たことはあるはずなんだが。﹂ ﹁やっぱりか、私も思い出せないのよ。﹂ ﹁で、そいつがどうかしたのか?﹂ ﹁いや、ちょっと見かけたから気になっただけ。気にしないで。﹂ ザイウスの方を見るが、相変わらず食べることに夢中で答えてくれ そうにもない。 ︵明日もう一回孤児院に行けばいいか。︶ あの二人組みの正体は気になるが、大した問題はないかなと思い疑 問を頭から消し去りその日は床についた。 翌日 王都北西 ソフィアたち三人は王都北西の孤児院に向かっていた。 271 パーティーの実質的なリーダーはソフィアだが、子供たちを預ける ことに関しては他のメンバーの意見も聞いておきたかったからだ。 どうにも預けるかどうかの決心がソフィア一人ではつかない。 主に意見を聞きたいのはメギドからでザイウスには微塵も期待して いないが。 整備された道を抜けると、見事に手入れされた庭が3人を出迎える。 ﹁⋮⋮、どうなってるんだこれは。﹂ 思わずメギドが驚愕の声を漏らす。 一方のザイウスはというと、眠たそうな眼をこすりながら何とか意 識を保っている状態だ。 美しい庭の先には大層立派な屋敷という言葉がふさわしい建物。 一度見たソフィアからしてみればそこまで驚く光景では無いが、は じめて見る人にとっては驚きだろう。 ﹁なあ、これは地図の場所を間違えてるんじゃないのか?﹂ ﹁私も最初そう思ったけど、ここであってるのよ。さあ、行きまし ょう。﹂ 孤児院の中に躊躇いなく入るソフィア、そしてザイウスを引き連れ メギドは中へ。 中へと入った三人の眼に飛び込んできたのは、元気に遊ぶ子供たち ︱︱︱と人相の悪い褐色の肌をした男。 ﹁あん?ここに何か用か?﹂ そこらへんのチンピラなんじゃないかと思うほどぶっきらぼうな男 の言葉。 272 信じられない事だが、この男は今現在子供たちと楽しそうに遊んで いた。 こんなに悪い顔をしているのに不思議と子供から嫌われていない。 ﹁あっ、ソフィアさんじゃないですか。﹂ 奥の部屋からメリーの声が聞こえ、ピンク髪の少女が顔を出す。 ﹁知り合いか?﹂ ﹁昨日見学しにいらっしゃったんですよ。﹂ 男と普通に話すメリー。 ﹁今日はどういったご用件ですか?﹂ ﹁えっ、ええ、他のパーティーメンバーにも見学してもらいたくて。 ﹂ ﹁そうでしたか、どうもはじめましてメリーです。﹂ ザイウスとメギドに自己紹介をするメリー。 ﹁俺はメギドです。で、こっちがザイウス。﹂ ﹁ってぇな!!引っ張んじゃねぇよ!﹂ 耳を引っ張ってメギドがザイウスを起こす。 ﹁そちらの方は?﹂ 273 自己紹介を終えたところでソフィアが人相の悪い男について尋ねる。 ﹁こちらは当院の院長であります、ユリウスさんです。﹂ ﹁ま、大体はメリーとヘンリーに任せてるけどな。﹂ ソフィアの第一印象は信じられないだった。 失礼な話だがこの男が孤児院など似合わないにもほどがある。 メギドも驚いているようで言葉が出ない。 ﹁ユリウスさんは冒険者もやられているんですよ?﹂ ﹁冒険者?﹂ ソフィアの頭の中で、記憶が再生される。 冒険者 ギルド スキンヘッド︱︱︱ 頭の中でキーワードを並べ一つずつ当てはめていく。 そして、ついに記憶が完全に合致した。 ﹁⋮Aランク冒険者のユリウスさん?﹂ ﹁おう、よく分かったな。﹂ 肯定するユリウス。 ﹁そうだ、そうだ、何度か王都のギルドで見たことある。﹂ 274 ﹁最近はそこまで活動してないけどな。﹂ メギドも思い出したようだ。 世界でも一握りしかいないAランク冒険者の一人。 一時期王都でも噂になったことはあった。 二人組みのAランク冒険者。 AランクからBランクの壁はとても厚いとされてる。 現在BランクのソフィアたちでもAランク到達には遥か及ばない。 こんなところで孤児院を経営しているとは、ソフィアは思いもしな かった。 ﹁ではご案内しますね。私についてきてください。﹂ メリーがソフィアたち三人を奥へと案内する。 左右に螺旋状についた階段。敷かれたカーペット。昨日とまるで変 わらない室内。 子供たちがはしゃぐ空間。 ﹁質問があれば何なりと言って下さい。﹂ ﹁ここの経営はどうなっているんですか?﹂ ソフィアが疑問に思っていたことを投げかける。 ﹁今はユリウスさんとマルスさんからの援助、それとそれ以前にこ こにいた子供からの寄付金で成り立っています。﹂ マルスというのは二人組みの内のもう一人だろう。 彼もAランク冒険者だった覚えがある。 275 ﹁それ以前?﹂ ﹁ユリウスさんとマルスさんがここを買い取る前ですね。買い取っ たのが丁度2年ほど前になります。それ以前のここは経営が厳しく、 ここを出て行く人が後をたたなかったそうです。その内の一人が今 でも寄付をしてくれてるんです。彼女も冒険者ですので、お会いし たことがあるかもしれませんね。﹂ 彼女ということは女性なのだろうか?頭の中で検索するが思い当た る節はない。 メリーは広い廊下を進みながら一部屋ずつ丁寧に案内していく。 食堂、寝室、学習部屋、ソフィアには昨日も見た場所ばかりだった が初めてみるメギドにはどれも驚きのようで、事あるごとに感嘆の 声を漏らしていた。 とある馬鹿はどうも無関心だったが。 一通り施設の紹介を終え、通されたのは昨日と同じ質素な造りの部 屋。 どうみてもここだけ手を抜いているというか、他の部屋とは雰囲気 が違うように感じる。 メリー曰く ﹁この部屋は客室専用なんですよ、ユリウスさんが﹁客室豪華にす るくらいならその分子供の方に金使えよ。﹂っておっしゃったので、 他の部屋に比べて質素なんです。﹂ との事だ。確かにその分子供たちの為の設備を整えた方が遥かにい いだろう。 どうやらここは子供のことを第一に考えているらしい。 しかし、ソフィアはいまいち決めきれない。 276 ﹁メギドはどうだった?﹂ ﹁そうだな、確かにここなら安心といえば安心だな。﹂ ﹁私もそう思う。﹂ ﹁ただここに丸投げするというのも無責任な気がする。﹂ ﹁⋮⋮そうね。﹂ ソフィアが迷っていたのはそこだった。 自分たちが引き取った子供たちをここに丸投げするというのは、無 責任な気がしてならなかった。 確かにここなら安心して預けられるだろう。 しかし気持ち的な問題として、どうも納得出来なかった。 もやもやとした感情を抱えながらソフィアは悩む。 ﹁悩んでおられるようですが、どうかしたんですか?﹂ メリーから心配そうな声をかけられる。 どうやら顔に出ていたらしい。 ﹁少しだけ⋮ですね。﹂ ﹁じっくり考えて結論を出して下さい。子供の事を第一に考えて。﹂ ﹁子供の事を第一に考えて⋮⋮。﹂ その言葉がソフィアの頭の中で何度も再生される。 自分は彼らの事を第一に考えているのだろうか? 277 何があの子たちにとって一番良いのか? 考えたときに出てきたのは、何を迷っていたのかというほど単純な 解答だった。 どうみてもここに預けた方がいいのは明白。 ︵結局私が迷ってたのは、無責任だとか自分の事ばかりじゃない。︶ 責任だなんだと自分に言い聞かせて、彼らのことを考えていなかっ た。 そう思うと心のもやが晴れたような気になった。 宿屋内 数時間後 ﹁分かりました。俺たちはそこに行きましょう。﹂ ソフィアたちは王都の宿屋内にいた。 孤児院を見た後でも、その場で決めることはできない。 彼らの意見を聞かないと、本人たちが嫌がるのであれば預けはしな い。 その為に一度孤児院を見てもらう必要があった。 しかしレイリーは見る迄もないと言わんばかりにあっさりと快諾し た。 慌ててそれでいいのかと確認するが、気持ちは変わらないようだ。 ﹁ただ、少しお願いがあるのですが⋮。﹂ ﹁なに?﹂ ﹁これをとある人に渡してきてほしいんです。﹂ 278 そう言って差し出したのは格式ばった封筒。 ﹁とある人?﹂ ﹁シュガー神聖国の領主メイ・シュガーさんです︱︱︱﹂ レオンハルト王国内 王のいない会議場はにわかに賑わっていた。 それは先日の大勝の影響もあるが、別の理由もあった。 この日集められたのは国の重鎮ばかり。 会議場は待っていた、主役の登場を今か今かと。 バンッと乱雑に扉は開けられた。 それを合図に会議場の空気が一転して重苦しいものに変わる。 入ってきた男は周囲を見渡す。 ﹁今日皆様に集まってもらったのは他でもない。王から新たな勅命 が下った。﹂ 男は高らかに告げる。 ﹁王は言った。我らこそがこの大陸を支配するにふさわしいと!!﹂ 会議場の中では驚きの声が漏れる。 ﹁しかし王は今病床に臥せっておられる。そこで、私が代理として 279 選ばれた。これがその署名だ。﹂ 手に持った書類を掲げる男。 ﹁異論があるものはいるか?﹂ 誰も声を上げようとはしない。 男が完全に空気を支配していた。 ﹁これよりわが国はフィファル大陸を制覇する!!﹂ 喝采が沸く。誰も何も疑問に思うことすらも無かった。 ︵ちょろいな。ちょろすぎる。︶ 勇者である男に羨望の眼が向けられる。 羨望だけではなく嫉妬の眼も見て取れた。 そんな中、男は気づく、自分を射抜く鋭い視線に。 ︵あいつは⋮。気づいてるな⋮。だが、それだけじゃない。︶ その眼には見覚えがあった。 記憶を探るが思い当たる節はない。 ︵あの眼は⋮憎悪⋮か?まだ、恨まれるようなことはした覚えねェ んだがな。︶ それは何度も見た感情の篭った眼。殺される直前の眼。 ︵一応注意しておくに越したことはないか。今から信用を失ったら 計画がパーだからな。︶ 男は自分の快楽の為に動く。 気の向くままに。 ようやくアイツが本性を表した。 私はアイツを絶対に許さない。 280 今回のことも絶対にアイツが仕組んだに違いないのだ。 ああ、どうして私にはこんなにも力が足りないのだろう。 だが、チャンスはあるはずなんだ。 絶対に私がアイツを殺す。 それぞれの思いを渦巻いてこれより時代は戦乱へと傾く。 始まるのは歴史に名を残す最悪の戦乱。 その行方はまだ誰も知らない。 281 ∼プロローグ∼消えた囚人︵前書き︶ 投稿間違えたーー 282 ∼プロローグ∼消えた囚人 少年には怨みだとか憎しみだとかそんなものはなかった。ゲーム と現実の区別はつくし、死んだら人が生き返らないことも知ってい る。ただ、やってみたかっただけ。 少年の家庭は恵まれたと十二分に言える家庭だった。優しい両親 は言えば何でも買ってくれた。しっかりといけない事をしたら叱り もした。 全く問題無く彼は成長していた︱︱端からみれば。 はじまりは好奇心からだった。見かけたのは道路を這う蟻。親に 踏まれ、潰れた蟻を見て少年は何となく真似をした。 少年は次に蜘蛛を見つけた。家に入ってきた蜘蛛は母が大騒ぎし、 父が潰してからティッシュにくるんでゴミ箱にすてた。少年も同じ ように真似をした。 そんな事を繰り返してるうちにいつしか少年は虫を殺すのが趣味 になっていた。 初めは蟻、蜘蛛、トンボ、蝶、バッタ。 次第に虫では飽き足らず動物を殺すようになった。ねずみ、鳥、 犬、猫。 近所では野良犬や野良猫が減ったと少し問題になったが、少年の 名があがることは無かった。 少年はそれがいけない事だと気づいていたし、見つかれば問題に なることも分かっていた。その為ばれないように入念に処理をして いた。 悪いことをやっているという背徳感と、わずかに芽生える罪悪感 が癖になりやめられなくなっていた。 少年が小学校六年生の夏休み、たまたま歩いていた交差点になぜ か人が突然現れた。その人間は現実を無視するかのように、瞬く間 に朽ちていき、最後には骨だけと成り果てた。 283 それを見てふと思った。 ︱︱人を殺したらどんな感覚を味わえるのだろう。 この頃の少年は動物にも飽きてきており、何か別の事はないかと 考えていた。 少年はある意味で好奇心旺盛だった。早速やるために計画を立て た。 選んだのは隣の家。両親と、同じクラスの男の子が一人に妹が一 人の4人家族だ。 確実に殺したかった。狙うのは相手の親がいなくなった日。少年 はわくわくしながら機を待った。 その日は夏休みの中でも特に暑く、気温は35度を越え猛暑と呼 ぶにふさわしかった。 少年が部屋から確認した限りだと、親だけ昼ごろに出かけたよう にみえた。少年は親に遊びに行ってくると告げ家を出た。ポケット に出刃包丁を差し込んで。 隣の家のインターホンを鳴らすと少女の声が聞こえた。兄の友達 であると告げると少女は簡単に信じてくれた。 ドアが開くまでの間は興奮しすぎてポケットに隠していた筈の包 丁を出し、知らず知らずの内に握り締めていた。これから平和な家 は戦場へと変わる。 やがてドアが開く。茶色い靴棚。その上には赤い花が活けられた 花瓶。 姿を現したのは幼い少女。少女の眼は陽に照らされたまばゆく光 る包丁に向く。 悲鳴を上げようとする少女の口を少年はすばやく押さえる。 そしてそのまま、無我夢中で腹に刃を突き立てた。 肉をえぐる感触。泣きながら玄関に倒れる少女。深く赤い血溜ま りが広がる。 少年は左手で家の鍵を閉め、逃げ場を消した。 284 少女は呼吸することすらも困難だがまだ息があった。止めを刺そ うと包丁を振り上げた。 そのとき部屋の奥から少女の兄でもあるクラスメイトが、不審に 思ったのか部屋の奥から顔を出した。 兄は見つけるなり怒声を上げながら突撃してくる。見事に少年は 飛ばされ包丁は靴棚の下へと消えた。 妹へと駆け寄る兄。 彼は気がつかなかった。倒れた少年に背を向けた。いや向けてし まった。 駆け寄った瞬間に一瞬だけ向けたその後姿を少年は見逃さない。 ゴンと鈍い音が響く。その音は少女の耳にもはっきりと聞こえた。 兄を襲ったのは花瓶だった。中の水が玄関に飛び散りポツポツと 玄関に水玉模様を作りだす。 少年は倒れこむ兄にもう一度花瓶で追撃を加える。完全に玄関に 倒れる兄。それでも息はあるようで、必死にもがき少女に逃げるよ うにと叫ぶ。 兄に少年は最後の一撃を加える。そのときの少年の顔はこれ以上 無いくらいの笑顔で、少女の眼には悪魔にすら見えた。 少女はピクリとも動かなくなった兄を見て悲鳴を上げた。家の中 に甲高い悲鳴が響き渡るがその声は誰にも届かない。必死に少女は 逃げようとするが身体が動かなかった。 やがて少女にも終わりのときが訪れる。 下に潜り込んだ包丁を取り出した少年は動けない少女の上に馬乗 りになる。 少年は恍惚とした表情で、少女は憎しみと恐怖の眼でお互いを見 つめた。 少年はついに凶器を振りかざす。 一撃で心臓を貫いた刃は黒と赤が混ざり合い別種の美しい色合い をかもし出した。 血が滴る刃。 285 やり終えた少年は笑っていた。知らず知らずの内に。それは歪ん だ笑み。 ︱︱ああ、最高に嬉しくて楽しい。 湧き上がる達成感と微かな罪悪感が心地よい。 ︱︱最高だよ最高。もっと俺にこの感覚を味あわせてくれ!! 少年は既に息の無い少女に何度も刃を突き立てる。フォークでケ ーキを崩していくように。グチャリグチャリと歪な音を立て原型が 消えていく。 もうなんだったか分からないほどに崩れたところで、少年はその 家を出た。 興奮が収まらない。頭の中では整理がつかず、ここが現実ではな いかのようだ。 家に帰ると母が包丁を探していたので刺した。書斎に篭っていた 父がこちらに背を向けていたので刺した。殺しという快楽を覚えた 少年はたがが外れたかのように刺した。 刺した 刺した 刺した 刺した 刺した 殺すのに大した理由などいらなかった。殺したかったから殺した。 ただそれだけ。 彼らがどんな顔をしていたのか少年は覚えていない。覚えている のは圧倒的快感。 少年は金品を持って家を出た。少年は逃げ続けた。捕まりたくは なかった。捕まったらあの感覚を二度と味わえない。 逃げながらも少年は殺し続けた。射殺、刺殺、絞殺、毒殺、斬殺、 撲殺、焼殺、扼殺、圧殺、轢殺、爆殺、色んな方法を試した。 罪悪感は完全に消え、呼吸をするようにごく自然に殺し続けた。 やがて少年は青年に青年から大人になった。 彼はついに警察に捕まった。自分から。何かが満たされない。普 通に殺すのでは彼の心は満たされなくなっていた。 何をしても、どうやっても、昔のような快楽は得られなかった。 彼に下された判決は死刑。囚人となった彼は無気力に日々を過ご 286 した。最期のときになど興味は無かった。 そして死刑執行一週間前、彼は突如として姿を消した。その後の 彼の行方は誰も知らない。 287 第三十三話︵前書き︶ かなり適当になったorz 多忙で死ねる 288 第三十三話 ﹁うおっ、うおぉぉぉーー!!誰かー助けてほしいッスーー!!﹂ カイの絶叫が空に響く。 ﹁だから止めとけって言ったのに⋮。﹂ ﹁だらしないのう。﹂ ﹁アハハハハ!!やっぱドラ君の背中サイコーーーー!!﹂ カイとは対照的にはしゃぐリル。 クロノたち四人は今ドラの背中に乗ってあるところへ移動している。 事の始まりは数時間前に遡る。 ︱︱数時間前 ウッドブック工房内 店内にはクロノとリルにドラ、店主であるカイがいた。 ﹁今日は三人でお出かけッスか?﹂ ﹁ちょっと久々にリルと依頼でも受けようかとね。﹂ 思えばクロノはここ暫くリルと依頼を受けていなかった。 朝方に宿屋で話し合って、とある依頼を受けることにしたのだ。 ﹁珍しいッスね。内容はどんな?﹂ 289 ﹁海に魔物が巣食って船がだせないから、それの討伐。﹂ ﹁海!?もしや、ベイポートの近くッスか!?﹂ カイがものすごい勢いで食いつく。カウンターから身を乗り出して いる。 ﹁近くっていうかまんまそこだけど、何かあるの?﹂ ﹁ちょうどベイポートの近くに鉱山があって、俺が武器の材料とか を頼んでるのもそこッス。﹂ ﹁へぇー、結構賑わってそうだね。﹂ ﹁そりゃあもう!別の大陸からの貿易地でもありますし、前親父に 連れてって貰った時も凄かったッスよ。﹂ 身を乗り出しながら力説するカイ。 ﹁今回はそんなにのんびりするつもりはないけどね。日帰りで行く 予定。﹂ クロノの言葉にカイは驚く。 ﹁日帰り!?こっから丸一日はかかるッスよ?﹂ ﹁ドラに乗ってけば1時間くらいで着くから大丈夫。﹂ ﹁ドラ君の上ってスッゴイ気持ちいいんだよ。﹂ 290 クロノの言葉に続いてリルがそう答えた。 ﹁そうなんスか?乗ったこと無いから分かんないッス。﹂ ﹁うん、本当に風になったみたい。﹂ ﹁一回乗ってみたいッスね。﹂ ちらりとドラの方を見るカイ。 ﹁乗せてやってもよいが、死ぬでないぞ?﹂ ﹁あんまり、おススメは出来ないね⋮。死にたくないなら。﹂ クロノはあまり乗り気ではないらしい。 ﹁死って⋮、クロノの兄貴も大げさッスよ。﹂ ﹁そうだよー、あんなに気持ちいいのに。﹂ ﹁まあ、ドラが良いならいいけどさ。カイはベイポートで行きたい ところとかあるの?﹂ ﹁丁度材料の交渉に行きたかったんスよ。﹂ キラキラした眼で語るカイ。 おもちゃをほしがる子供のようだ。 そんな彼の姿を見てクロノは止めることを諦めベイポートに連れて 行くことにした。 291 ベイポート近郊の上空 風を切って進むドラ。景色が早送りで後ろに流れてゆく。 ﹁死ぬ死ぬ死ぬぅぅーーーー!!﹂ カイはドラの背中に捕まりながら叫び続ける。 ﹁これでもMAXスピードには程遠いんだけどなぁ⋮。﹂ 平然とドラの上に座るクロノがぼそりと呟いた。 カイは知らないことだが、これでもドラは全力ではない。 最大限配慮して低速で飛行しているのだ。 それでも常人には耐え難い速度であることに変わりは無いが。 ﹁そろそろかの。﹂ ドラがそういうと次第に減速し始める。 ﹁えーもう終わりー?﹂ リルが残念そうに呟く。 速度が落ちてきたことで安堵したカイを見てクロノが言った。 ﹁本当に危ないのはここからなんだ。﹂ ﹁え?﹂ カイは聞き返した次の瞬間天地が逆転したかのような錯覚を覚えた。 292 地面が頭の上に。もちろんそれは地面が上にきたのではなく、頭が 地面へと向けられたのだ。 急激に下がる高度。真っ逆さまに落下していく。 襲いくる風。みるみる内に地面が頭へと迫っていく。 地面にぶつかる!!と思った瞬間カイは意識を失った。 ﹁やっぱり耐えられなかったか。﹂ ドラから降りたクロノが気絶したカイをみつめる。 ﹁気絶するとは情けない。﹂ ﹁いや、これが普通だから。﹂ 常人にあれを耐えろというほうが無理だろう。 真っ逆さまに落下する時はクロノですら危ない。 ﹁今回はカイがいるから急降下止めといてっていったのにさ。﹂ 実際はもっと楽に降下出来るのだが、ドラはあえてそれをしない。 急降下したほうが気持ち良いらしい。 ﹁あの方が慣れるじゃろうて。それに今回はリルもおったしの。﹂ ﹁私が調節しといたからだいじょーぶだよ。﹂ ニッと無邪気な笑みを向けるリル。 293 ﹁怪我してないからいいけど。リルがいてよかった。﹂ クロノはリルの頭を左手で撫でた後、地図を広げる。 ﹁今ここだから⋮、二十分も歩けば着くかな。﹂ 指を差しながら現在地を確認しベイポートへの所要時間をはじき出 す。 ﹁で、こやつはどうするんじゃ?﹂ ドラの視線の先には気絶したカイ。 ﹁俺がおんぶしてくよ。﹂ ﹁私もおんぶしてほしいな。﹂ ﹁リルは自分で歩きなさい。﹂ ぶぅーと頬を膨らませ不満そうなリルを尻目にクロノはカイをおん ぶする。 ﹁じゃあ行こうか。﹂ クロノたちは4人は着陸した地点からベイポートを目指して歩き出 した。 294 第三十四話︵前書き︶ 次回は久々の戦闘パートです そろそろドラの戦闘も書かないと、まともな描写ない 鉱山の話で一話くらいカイが主役になりそう 誤字ったー 295 第三十四話 ベイポート近郊 ゆらゆらと揺れる意識の中でカイはまどろんでいた。 夢見心地な頭はイマイチはっきりと意識を覚醒させてはくれない。 夢と現実を行ったり来たりする意識。 その間にもゆらゆらと揺れる身体。 ︵身体?︶ 頭の中で疑問符を浮かべる。 意識ではなく、実際に身体が揺れている。 カイは身体を動かしていない。 そう思うと意識が覚醒していく︱︱ ﹁あれ?ここは⋮。﹂ 目を覚ましたとき見えたのは、黒い布。 わずかに暖かさを感じる。 ﹁起きた?﹂ ﹁もしかして、俺寝てました?﹂ ﹁うん、それはもうぐっすりと。﹂ ﹁も、申し訳ないッス⋮。﹂ 296 ﹁まあいいさ。カイは悪くないんだから。ドラが乱暴すぎるんだよ。 ﹂ ﹁知らんな、儂に乗るんじゃからあれくらいは当然であろう。﹂ ドラは不満げに正当性を主張する。 二人の掛け合いを見ていたカイだったが不意に後ろから悪寒を感じ る。 ﹁で、カイはいつまでそこに居るつもりなのかな?﹂ 恐る恐る振り向くとそこには、気持ち悪いくらいの笑顔なリルの姿。 顔は笑っているが、眼が笑っていない。 ジトッとした眼でカイを見つめている。 視線に突き刺されたどころの騒ぎではない。 身体をぶっとい刃物で貫いてから、何度も傷口をなぞるように出し 入れされているようだ。 ︵リルの眼が怖いッス⋮⋮。︶ カイは改めて自分の状況を確認し、理解する。 自分の身が危ないことも。 これ以上クロノの背中にいると死ぬ。 主にリルの嫉妬的な意味で。 ﹁あっ、俺はもう起きたんで大丈夫ッスから下ろして欲しいッス。﹂ ﹁起きたばっかだけど大丈夫?何なら暫くこのままでもいいけど。﹂ ﹁いや、本当に本当に大丈夫ッスから!﹂ 297 ︵早く下りないと視線だけで死ぬぅぅ!!︶ ︵ふむ、理由はどうあれ、リルめなかなかの殺気じゃの。クロノは 気づいておるのか?︶ ﹁そう?なら、はい。﹂ ︵なんかリルが殺気立ってる⋮。それだけ今日の依頼やる気ってこ とかな。︶ 三者三様の心の声。 当のクロノはどこか勘違いをしながらも、ベイポートへの道を進む。 ベイポート ベイポートはシュガー神聖国の東に位置する貿易の拠点である。 別の大陸からの交易品が流れ込み、人々が賑わう。 近くに鉱山もありそこからは良質の金属が採れる。 物が 人が 行き交う港と市場。 シュガー神聖国の貿易の中心地と呼ぶに相応しい。 それがベイポートという街。 ﹁俺は仕入れがあるので、これで。﹂ ベイポートの入り口付近でカイはそう告げた。 カイは何やら仕入れがあるらしく、一旦別行動をしてから集まるこ とにしたのだ。 ﹁帰りは夕方に港で。﹂ 298 ﹁了解ッス。﹂ ﹁儂もカイについて行こうかの。﹂ ﹁ええっ!?﹂ ﹁そうだね、何があるか分からないし、護衛の意味も含めてね。﹂ ﹁いやいや大丈夫⋮もがっ。﹂ 言いかけたカイの口をドラが強引に塞ぎ小声で話しかける。 ﹁少しは頭を使え、今のリルといたらいつ背後から刺されるか分か ったもんじゃない。只でさえ、さっきのお主の件でストレスが溜ま っておるんじゃぞ。﹂ ︵まあそんな事はないじゃろうが。儂が依頼に付いていってもやる ことはないじゃろうし、こいつに付いて行った方が面白いじゃろう て。︶ ﹁うう、すまないッス。﹂ ﹁?﹂ 何を話しているのかさっぱりなクロノは首を傾げている。 ﹁じゃあ、儂らは行くかの。﹂ ﹁了解ッス⋮。﹂ 299 ﹁よくわかんないけどじゃあね。﹂ ドラに引きずられていくカイをクロノは晴れやかに見送った。 ﹁さて、俺たちも早速行こうか。﹂ ﹁ええ∼、ちょっとここら辺を見て回りたいな。クロノと。﹂ ﹁先に依頼を終わらせてからね。﹂ ﹁う∼。じゃあ、早く終わらせよう!﹂ ﹁はいはい。﹂ クロノは子供らしい駄々をこねるリルを少し微笑ましく思いながら、 依頼で指定された場所へと向かった。 ベイポート市場 明るい日差しに照らされた市場。 選り取りみどりといっていいほどに、さまざまな物が並べられてい る。 客寄せの声が飛び交い、それに耳を傾ける客。 カイとドラはそんな喧騒の中を歩いていた。 ドラは初めて見るものを興味深そうに眺めている。 ﹁これはなんじゃ?﹂ 300 ﹁ダマスカス鋼ッスね。ここら辺の鉱山で採掘される鉱石を加工し たものッス。ポピュラーな刀剣の素材ッスよ。でもちょっと量が少 ないッスね。それにめっちゃ高いッス。﹂ ﹁こっちは?﹂ ﹁おっ、玉鋼とは珍しいッスね。遥か東の大陸で使われているもの ッス。兄貴の紅朱音にも使われてるッスよ。おっちゃんこれ全部お 願いするッス。﹂ ﹁全部!?ま、毎度ありー!﹂ 驚いた様子の店主。 無理も無いだろう、店の目玉商品を若い青年が全て買っていったの だから。 ﹁ところで、市場に出回っているものが少ない気がするんスけど何 かあったんスか?﹂ カイは不思議そうに尋ねる。 傍から見れば十分な量が市場には並んでいるのだが、何度も足を運 んでいるカイは僅かな違和感を感じ取っていた。 ﹁ああ、最近海に魔物が巣食っちまって船が出せなくてな。何とか 在庫を倉庫から引っ張りだしてやってる状態さ。お蔭でストックし てた玉鋼まで出さなきゃいけない始末だ。まったく、早く船が出せ るようになってもらわないと、俺みたいな輸入販売の店は商売あが ったりだぜ。品物が尽きちまう。﹂ 両手を上げやれやれと困り顔の店主。 301 しかし、カイはその話を聞いて心配はないと言わんばかりの顔では っきりと告げる。 ﹁ああ、それならもう大丈夫ッスよ。今日中には船が出せるように なっているはずッスから。それじゃあ。﹂ ﹁おっ、おいそれはどういう⋮。﹂ 店主がカイを呼び止めようとするが、その声は賑わう人の波にかき 消された。 ﹁あっちはもう終わってるかも知れないッスね。﹂ ベイポート港 商船の乗組員カルロスは苛立っていた。 そもそもの原因は海に巣食う魔物。 突如として現れたそれは、通る船を一隻ずつ着実に沈めていった。 そのせいで、今は船を出すこともままならない。 だが、彼の苛立ちの原因は他にもあった。 それは今、目の前にいる二人の冒険者の存在。 片方は黒いフードに身を包み怪しい事この上ない。 もう片方に至っては年端もいかない少女だ。 これまで何人もの屈強な冒険者が挑戦していったが、誰もが死に、 或いは逃げていった。 その度に船は沈み、何人もの同業者が死んだ。 魔物がいる地点までは遠く、船で行くしかない。 今度冒険者が来たら連れて行くのはカルロスと決まっていた。 302 覚悟は決めていた。しょうがないと自分に言い聞かせていた。 しかし、今回来たのは屈強な男などではなく怪しげな男と幼い少女。 はっきり言って見込みがあるようには思えない。 ふざけるな、と叫びたくなった。 これでは確実に死にに行くようなものじゃないかと。 1%の確立すらないように思えた。 苛立ちを隠せずに足を何度も地面に向けて踏み鳴らす。 ﹁で、問題の場所はどこだ?﹂ 黒いフードの男はカルロスの苛立ちを無視して尋ねる。 声からして、まだ若いことが容易に想像出来た。 その事実がカルロスを更に苛立たせる。 ﹁こっから沖に結構行ったあたりだよ!﹂ 声を荒げながら、沖を指さして告げた。 はっきり言ってやつあたりだ。 しかし、カルロスはそれを隠そうともしない。 ﹁相手はどんなやつだ?﹂ ﹁馬鹿デッケェな、そこらへんの船よりも一回りも二回りもデカイ。 普段は海の中にいて船が上を通ると姿を現しやがる。﹂ ﹁そうか、それだけ分かれば十分だ。﹂ 短くそう告げると男は港の端、沖の方へと歩き出した。 ﹁おっ、おい逃げんのかよ!﹂ 303 ﹁何を言ってるんだ?これから退治しに行く。行くぞリル。﹂ ﹁はーい。﹂ 男と少女は港の端へと歩み続ける。 訳が分からないまま、カルロスはその姿を見つめる。 そして、二人が港の端へとたどり着いた。 ﹁じゃあね、おじさん。大船に乗った気でいてもだいじょーぶだよ。 ﹂ 少女が振り向きカルロスに手を振る。 そして、二人は、港の端から足を一歩踏み出した。 その先は海。 二人の姿がカルロスの視界から消える。 海へ転落した、そう思った。 その時、一陣の風がカルロスを襲う。 咄嗟に眼をつぶった。 波風とも違う不思議な風。 吹き荒れる風の中で眼を開けるとそこには︱︱︱︱ ﹁は?﹂ 宙に浮く二人の姿があった。 二人は進む、沖の方へ風に乗って。 カルロスはその姿を呆然と見ることしか出来なかった。 304 海上 青い海に快晴の空、海鳥たちが飛び交う。 そんな中、鳥ではなく飛ぶ影が二つ。 ﹁リル風の操作上手くなったね。前だったら、もうちょっと揺れて たのに。﹂ ﹁えへへ∼、かなり練習したもん。﹂ そんなやり取りをしながら二人は進む。 二人が飛んでいるとき、クロノは何もしていない。 リルが自らの魔力で風を操っているのだ。 リルの属性は風。 昔クロノと出会った頃は、力を扱いきれずに何度も暴走したものだ。 クロノはリルの成長に感心しながらも、魔物への対処方を考える。 ︵船が上を通ったら顔を出すって事は、普段は海の中なんだよなぁ ⋮。このまま飛んでいても顔出してはくれないだろうし⋮。︶ 策が無いことはないが、あまりやりたい事ではない。 悩みながらも二人は飛び続ける。 更に少し飛んだ所で海を見るといくつもの木片がぷかぷかと浮かん でいる。 既に港が米粒ほどの大きさに見える地点まで達していた。 ﹁リル一旦止めて。多分ここらへんかな。﹂ 上空で停止し、ジッと海を見つめる。 305 深い深い青をたたえた海。 水面に揺れる木片。 恐ろしいほどに静かで、時が止まったかのような錯覚を覚える。 ﹁いるねこれ。﹂ 意外にも声を上げたのはリルだった。 海の奥になにかを感じ取っていた。 それは得体の知れないなにか。 クロノは少し思案した後、溜息を吐いた。 ﹁俺が行くしかないか。リル、俺の風を解除して。それと悪いけど、 これ持っててくれる?﹂ クロノは二振りの剣をリルに差し出す。 ﹁良いけど、クロノは?﹂ ﹁ちょっと、引きずり出してくる。﹂ リルは少し不安になったが、言われたとおり風を解除する。 纏っていた風が解除されると、クロノの身体は落下を始める。 ちかづく海。落下途中に見えたのはわずかに光る黄色い眼。 獰猛な獲物を見つけた眼。クロノは臆さない、受け慣れた視線だ。 ドボンと音を立て身体が海へと着水する。 暗い暗い海へのダイブ。 無属性を予めレベル3に設定しておいたので、痛みは気にならない。 海の中を見たクロノは思わず苦笑いを浮かべる。 そこにいたのは、巨大な触手を何本も生やした赤黒い魔物︱︱︱ 306 ︵ある程度は予想してたけど、まったく、熱烈な歓迎だな。︶ が、10体以上の群れとなって獲物を待ち構えていた。 307 第三十五話︵前書き︶ クロノ力技で何とかしすぎだろ⋮ あれ?刀持ってたら沈むだけじゃね?と思ったので前話少し修正し ときました。 次回はカイメインになりそうです。 次々回から、本格的に戦争編かなー 308 第三十五話 海に潜む魔物の眼が一斉にクロノに向けられる。 どうやら獲物として認識されたらしい。 一体の触手が物凄いスピードでクロノに迫る。 ︵避けられない⋮な。このまま捕まって海上に顔を出してくれるな ら好都合だけど、海中に引きずり込まれるよなぁ⋮。こんなことな ら船で来ておびきだすんだったか?︶ クロノが船で来なかったのには理由がある。 リルの成長を見るためというのもあるが、実際は巻き込まないよう にするためだ。 船でくれば海底から攻められて、一撃で沈没する可能性は高い。 それでもリルやクロノはどうにかなるが、船の乗組員は危ない。 二人とも航海ができないので、乗組員が必要になるのだ。 頭の中で、自分の選択は間違えていないと言い聞かせる。 船よりも大きな魔物の触手がもうそこまで迫っている。 触手ですらも家の柱かと思うほどに太い。 ︵クラーケンは確か眼と眼の間が弱点って聞いたけど、この状況じ ゃ無理だし。ひとまずレベル4にしておくか。︶ 襲い来る触手をかわすこともままならず、あっさりと捕まってしま った。 水中で身体が通常よりも力が出ないのだ、無理やりレベル4で強化 はしているがそれでも通常より力は出ない。 ギュウッと締め付けられる身体。 巻きつく触手は更に力を強める。 309 しかしクロノは顔色一つ変えることは無い。 両手の力だけで、クラーケンに抗っているのだ。 それでも徐々に海の底へと引きずりこまれていく。 ︵⋮さすがにキツイなこれは⋮。一気にやってしまおう。︶ 心の中でそう決め魔力を全身に行き渡らせる。 神経の隅々まで意識を行き渡らせ、完全に心を落ち着かせて、ある 言葉を心の中で静かに発した。 ︵レベル5︱︱︶ 海上 ﹁クロノ遅いなー。﹂ 暢気にリルはそう呟いた。 その言葉には何も心配の色はない。 ただ、遅いことを疑問に思うだけの声だった。 リルはクロノが負けるわけないと信じている。 恐らく本人よりも。 クロノが引きずり出してくると言ったのだから、それをただ信じて 待つだけ。 ﹁?﹂ 何か音が聞こえる、海から。 ボコボコという音。 310 海上に現れたのは気泡。 ﹁クロノ?﹂ 泡の数は次第に増えていく。 不思議に思いながら海を見ていると、突然︱︱︱︱海が真っ黒に染 まった。 青い海は突如として、暗黒の世界に変わる。 そして一つの影が姿を現す。 ﹁リル!俺を引き上げてくれ!﹂ 姿を現したのはクロノだった。 海に入る前に被っていたフードは完全になくなり、上半身が露にな っている。 言われるがままクロノを風で引き上げると、タッチの差でクロノが いたところに赤く黒い触手が顔を出した。 ﹁危ない危ない。ようやく顔を出してくれた。﹂ リルはクロノを自分のいる地点まで上昇させる。 ﹁助かったよリル。﹂ ﹁何があったの?上の服も無くなってるし⋮。﹂ ﹁一回捕まっちゃったんだけど、レベル5にしてクラーケンの触手 を振りほどいて逃げてきたんだ。服は浮上するのに邪魔だったから 捨ててきた。﹂ 311 平然とクロノは振りほどいたなどと言うが、普通ではありえない。 自分の何倍もあろうかというものを、力の制限される海中でやって のけたのだ。 しかし、リルはその事実に驚くことはしない。 クロノならそれくらい当然だと思っている。 海の上ではクラーケンが丸い頭を海上に出し、黄色い眼で二人を見 つめる。 ﹁これで戦える。リル、剣を⋮。﹂ クロノの言葉にリルは答えない。 ﹁リル?﹂ ﹁⋮いいよ、クロノは休んでて、ここからは私がやるから。﹂ リルの眼が変わる。 子供の眼ではなく、狩りをする眼へと。 クラーケンと交錯する視線。 リルはゆっくりと眼を閉じてイメージを固める。 一撃で仕留めるために膨大な魔力を具現化させる。 風が、吹き荒れる。 イメージするは刃。切り裂く敵はすぐそこに。 そして、リルは、眼を、ゆっくりと、見開き、刃を、放った。 風の刃はまっすぐに進む、敵にめがけ。 次の瞬間︱︱ 顔を出していたクラーケンは頭から真っ二つに分かれていた。 312 仲間の異変に気づいたのか、海の底から何匹ものクラーケンが顔を 出す。 彼らは気づけない、仲間を襲ったそれに。 顔を出したことが命取りになるということにも。 風の刃が襲い来る、そのどれもが寸分の狂いなくクラーケンの身体 を切り裂いていった。 スパッ そんな擬音が聞こえてきそうなほどにあっさりと。 数分後︱︱ 海上はクラーケンの出すスミ、いや出したスミによって黒く変色し ていた。 黒く変色した海は先ほどとは打って変わって、静寂が辺りを包む。 黒い海を飛び行く二人の姿。 ﹁リル魔力大丈夫?﹂ クロノが声をかける。 ﹁港まで行くくらいはあるよ。﹂ リルはいつもと変わらない調子でそう答えた。 あれから、リルは次々とクラーケンを倒していったが、最後の3匹 はリルの魔力を考えてクロノが相手をした。 313 それ以上やらせると魔力が尽きそうだったからだ。 ﹁私の﹁かまいたち﹂どうだった?﹂ 今度はリルがクロノに尋ねる。 ﹁凄い良くなってたよ、昔とは比べ物にならないくらいに。﹂ ﹁かまいたち﹂とは、クラーケンを切り裂いた風の刃のことだ。 元々はクロノの育ての親である朱美が使っていたのを、クロノがリ ルに教えたのだ。 教えたクロノもイメージだけ伝えて、ここまで出来るものだとは思 っていなかったが。 ﹁ホント!?やったー!﹂ クロノにほめられたリルは心底うれしそうにはしゃぐ。 そうこうしてる内に港が近づいてきた。 ﹁ねえねえ、早く終わったら一緒に街を見て回るって約束だったよ ね?﹂ ﹁そうだったね。﹂ ﹁今日は、一日中付き合ってもらうから。﹂ 時刻はまだ昼を少し過ぎたあたりで、日が高い。 クロノはやれやれと肩をすくめた。 ﹁分かったよ。今日はリル頑張ったし、好きなだけ付き合ってあげ 314 る。﹂ ﹁やったー!﹂ 無邪気に笑うリルに先ほどのような眼の光は無く、歳よりも少し幼 い少女に見えた。 ︵本当うれしそうな顔するなぁ、リルは。いいことだけど。︶ リルの姿に温かい気持ちになりながら、港へと降り立った。 久々の地面。しっかりと踏みしめる。 まだ明るい港。港から市場へ向かう人々も何人かいる。 市場の方を見てふとクロノは思う。 ︵カイとドラは何やってるんだろう?︶ 315 第三十六話︵前書き︶ 今までで、一番長いです。 一話の区切りテキトーすぎるな。 名探偵ドラ爆誕ッッ! あれ、そんな話だっけ? 316 第三十六話 ベイポート市場 クロノたちがクラーケンと戦っている頃、カイとドラはひたすらに 市場を回っていた。 ﹁うーん、これも捨てがたいッスねぇ⋮アレを買う金も残さないと いけないッスし⋮﹂ ﹁まだ買うのか⋮?﹂ 半分呆れ顔でドラが尋ねる。 既にカイの両手には、これでもかというほどの袋。 全て市場で買ったものだ。 カイの姿は道行く人の注目を集めている。 ﹁まだまだッスよ。ベイポートにはまだまだ、あれやこれや色々な ものがいっぱいあるんスから!﹂ ﹁クロノといる時はこんな事なかったんじゃが、人間とはこういう ものなのか⋮﹂ ﹁ほらほら次行くッスよー。﹂ ﹁こっ、これ、引っ張るでない。﹂ カイに引っ張られるドラ。 さまざまな物が並べられている市場を、縦横無尽に突き進む。 317 市場を奥へ奥へと進むとカイがある店を見て立ち止まった。 店頭に並べられているのはドラが見たこと無いものばかり。 どうやら、東の大陸のものを専門に扱う店のようだ。 ﹁よっしゃー!ようやく見つけたッス。この前ので足りなくなった んスよね。﹂ 並べられた品物の一つを見てカイが叫ぶ。 ﹁なんじゃそれは?﹂ ﹁ふふふ、これは教えられないッスねぇ。これがないと、新武器が 使えないんスよ。﹂ ﹁勿体振らず教えんか!﹂ ガブッとドラがカイに噛み付いた。 ﹁痛い、痛いッス!!うう、しょうがないッスね⋮﹂ ﹁初めから教えんからこうなるんじゃ。﹂ ﹁兄貴には秘密ッスよ?驚かせたいんスから。これは︱︱﹂ ﹁︱︱ふうむ、そんなものがあるとはのう。﹂ ﹁東の大陸では大分前から使われてたみたいッスけど、こっちに入 ってきたのは最近ッスよ。﹂ 318 ﹁こんな小さいのが、そうなるとは想像がつかんな。﹂ ﹁加工は必要ッスけどね。さて、そろそろ買い物は終わりにするッ スかね。﹂ ﹁ようやくか⋮、この後はどうするんじゃ?﹂ ﹁こっからは仕入れッスね。﹂ ﹁まだ買うのか!?﹂ ﹁今までのは、大体個人的な興味本位の買い物ッスよ?こっからは、 安定して工房に物を届けてくれる仕入先を見て回るッス。さー、行 くッスよー。﹂ ︵付いてこなければ良かったかの⋮︶ 意気揚々と進むカイを見て若干後悔するドラであった。 ベイポート市街 カイはとある店の中にいた。 店と言っても通常の店の中ではなく、交渉の場としてわざわざ造ら れたであろう室内だ。 椅子に腰掛け向かい合うのは老齢の商人。 頭は完全に白く侵食されているが、雰囲気は若々しい。 319 ﹁じゃあ、今後ともよろしくお願いするッス。﹂ 頭を深々と下げるカイ。 ﹁いえいえ、こちらこそ。ウッドブック工房とは長い付き合いです からな。﹂ 老齢の商人は笑いながらそう告げる。 ﹁それでは﹂ ﹁ええ、またいらしてください。﹂ 顔馴染みの商人にもう一度頭を下げ、カイは店を出た。 ﹁で、どうじゃった?﹂ 店を出ると、外で腕組をして待っていたドラが話しかけてくる。 ﹁仕入れはいつも通り変わらずってとこッスね。さり気なく値下げ 交渉しましたけど、余裕でかわされちゃったッス。﹂ 商人とのやりとりを思い出し、苦笑する。 交渉などと言ってはみたものの、実際のところ交渉の舞台にすら立 てなかったという方が相応しい。 頭の中でシュミレートを何度も繰り返してみるが、どうやっても値 下げして貰う未来が見えない。 それだけ商人とは経験が違うということだ。 ︵うーん、親父はあんなのと交渉して値下げとかしてもらってたん 320 スねぇ⋮︶ 今は亡き父親に少し尊敬の念を覚える。 ﹁次はどこだったッスかね。﹂ ポケットから、仕入先が書かれたリストを取り出しチェックをつけ る。 行っていない仕入先は後一つ。 ようやく終わりが見えてきた。 市場で買ったずっしりと重い袋を持ち上げる。 カイは鍛冶仕事をしているので比較的力はある方なのだが、それで も重いものは重い。 ﹁さーて次でラストッスから、張り切って行くッスよー。﹂ ﹁どこからそんな元気が出てくるんじゃ⋮﹂ ﹁そりゃあ、武具のためならいくらでも元気になれるッス。さあさ あ、ラストの鉱山へゴーッス。﹂ 眼をキラキラと輝かせるカイに何か言うことも出来ず、ドラは言わ れるがまま付いていくことしか出来なかった。 鉱山手前製錬所 むせかえるほどに暑い熱気。 荒れ果てた大地。 321 鉱山でやることは主に三つ。 採掘、選鉱、製錬、である。 採掘は鉱山から鉱石を探すこと。 選鉱は採取してきた鉱石を使えるものと使えないものに分ける。 そして最後に行われるのが製錬だ。 鉱石を使えるように、色々なものに変える。 それは鉄であったり鋼であったりする。 今、カイとドラがいるのは三つ目の製錬をする製錬所だ。 鉱山から少し離れており、人影は多くない。 仕事の関係上熱を使うので、酷く暑い。 それもただ暑いだけでなく、蒸し暑いのだ。 だが、カイはそんな暑さも気にならないくらいに別のことに思考の 大部分が占められていた。 ﹁ええっ!?じゃあ、暫くは鉄鋼の仕入れは出来ないってことッス か!?﹂ ﹁悪いな、なぜか選鉱組の方から少ししか回ってこねぇんだ。﹂ 頭を掻きながら答える男。 ﹁原因は何なんですか?﹂ ドラが子供らしい口調で男に尋ねる。 ﹁さあなぁ、選鉱組が言うには採掘組の方から殆ど回ってこねぇら しいんだが、採掘組とはあんまり仲良くねぇから分かんねぇんだ。﹂ 仲が良くないから分からないとはふざけてるな、とドラは心の中で 322 吐き捨てた。 ﹁それはいつくらいからですか?﹂ ﹁めっきり量が減ったのは一週間くらい前だな。﹂ ﹁俺採掘組の方に文句言ってくるッス。﹂ ﹁おっ、おい待たんか。﹂ 静かな怒りに燃えるカイを止めることはかなわない。 カイの意外な一面を見て、少し驚くドラ。 二人は蒸し暑い製錬所を出て、採掘現場へと向かった。 鉱山前採掘組休憩所 製錬所を抜けて少し歩くと、鉱山の入り口がようやく見えてくる。 大きな岩山にぽっかりと開いた黒い穴。 その前にはお世辞にも綺麗とは言えない、粗末な住居が軒を連ねて いる。 ﹁ここッスねー。﹂ 住居を一度見渡し、鉱山の入り口へと進む。 ︵ふむ、なにやら臭うな⋮これは⋮⋮血⋮か?︶ 鼻につくわずかな臭い。 323 普通の人間には感じ取れないほどごくごく微量なものだったが、ド ラにははっきりと感じられた。 住居の間を歩いていると、人の列が一軒の家の前に出来ている。 ︵臭いはあそこからじゃな。︶ ﹁ほれ、あっちに行くぞ。﹂ カイを引っ張って進路を無理やり変える。 ﹁えっ、何かあったんスか?﹂ ﹁いいから、こっちじゃ。﹂ ドラに連れられ、向かった先でカイがみたものは︱︱︱ 何人もの男が血だらけで、一軒の家の前に並ぶ姿だった。 大抵は軽傷のようだが、血を見慣れていないカイにとっては中々に おぞましい光景だ。 ぼんやりとその姿を見ていると、鉱山の入り口からまた一人の男が 担がれ飛び出してきた。 素人目から見ても重傷だとすぐ分かる。血で顔が見えないほどに出 血している。 担がれた男は列を無視して一目散に、奥の住居へと入っていった。 ﹁何スか⋮⋮これ?﹂ ﹁さあ⋮な、良くないことが起こっているのは確かじゃろ。﹂ 324 暫しの間その光景を眺めていた二人だったが、一向に列が収まる気 配は無い。 ﹁今日はもう突入中止だ!中止!先生の魔力が尽きる!!﹂ 列を作っている家から一人の男が出てきてそう叫んだ。 並んでいる男たちから、不満が漏れる。 ﹁俺たちはどうなるんだ!﹂ ﹁このまま放置か!?﹂ ﹁ふざけんな!!﹂ もはや列の男たちは半分暴動の状態だ。 怪我をしているのによくそこまで声を上げられるなと、カイは感心 してしまうほどだ。 ﹁待ってください!﹂ 凛と通る声が響き渡る。 家から出てきたのは、白い服を身に纏った女性だった。 白いのは服だけではない、肌も透き通るように白く美しい。 男だらけのこの場所には似つかわしくない。 手はところどころ血が付いており、眼の下には深い隈が出来ている。 ﹁今ここに並んでいる人たちは皆ちゃんと治療いたしますので、も う暫く待っていてください!﹂ そう言い放ち女性は家へと戻っていった。 325 場は一気に静まりかえり、誰もが口を噤んだ。 ﹁なんか⋮凄いッスね⋮。﹂ ﹁⋮⋮⋮﹂ ドラはなぜか家の方を見つめて、視線を外そうとしない。 ﹁どうかしたッスか?﹂ ﹁⋮⋮いや、なんでもない⋮ほれ、とっとと行くぞ。﹂ ﹁ええっ?どこにッスか?﹂ ﹁決まっておろう、鉱山の中じゃよ。﹂ さも当然のように言うドラ。 ﹁や、やばい予感しかしないんスけど⋮﹂ ﹁儂がおるのじゃぞ?危険などあるわけがなかろう。﹂ ﹁せめて、何があるのか話を聞いてから⋮って、もう入り口に行っ てる!?待って欲しいッス。﹂ 自信満々なドラを相手に嫌ですとは言えずに、トボトボと鉱山の入 り口へと歩き出すカイ。 入り口の前には一人の若い男が立っていた。 眼の下には深い隈。 326 格好から想像するに採掘組の人間だろう。 男を無視して、黒い穴へと進もうとするドラ。 ﹁お、おいちょっと待てよ!﹂ 横に立っていた男は無視されるとは思っていなかったのか、慌てて 止めに入る。 ﹁何ですか?﹂ ﹁何ですか?じゃないだろ。さっきの中止の声聞こえなかったのか ?﹂ ﹁申し訳ないッス、俺たちここに来たばかりでよくわかんないんス よ。﹂ すかさずカイがフォローを入れる。 ﹁新入りか?だったらここに近づくのは止めとけ、今ここは魔物の 巣窟だからな。﹂ ﹁魔物の巣窟?ここは鉱山ですよね?﹂ ﹁ほんの一週間前まではな、朝起きたらいきなり魔物が巣食ってた んだとよ。俺もその日ここに来たばかりだから詳しいことは知らね えけど。で、今は皆でそれを討伐中ってとこだ。﹂ ﹁ギルドに依頼とかはしないんですか?﹂ ﹁出てるのも大して強くないゴブリンだしな、鉱山で鍛えた男たち 327 が負けるわけねぇってことで頼む気はないらしい。実際死者を出さ ずにゴブリンの数は着実に減ってる。油断したらさっき運ばれたや つみたいに大怪我することもある。先生がいなかったら、戦況は怪 しかっただろうがな。﹂ ﹁先生?﹂ ﹁おう、俺たちは皆そう呼んでる。あそこに人の列があんだろ?﹂ 指さした先には先ほどの人の列。 少しずつだが人は減っている。 ﹁傷ついた奴はみんなあそこに並んで、先生の魔法で治してもらっ てるんだ。しかも、救ってくれたお礼です、って無償で直してくれ るしな。まったく、先生様々だぜ。﹂ ︵やっぱり、凄い人だったんスね。︶ ︵⋮⋮先生か⋮お笑いじゃな⋮︶ ﹁加えてあの美貌だろ?男共はみんな狙ってる。かくいう俺も⋮、 ってんな話はどうでもいいじゃねぇか!﹂ ﹁いや、そこまで聞いてないッスよ⋮﹂ 勝手に自爆した男にカイは冷静に突っ込む。 ﹁先生はいつからここに?﹂ ﹁ゴブリンが来る少し前らしいな、この近くで行き倒れてたらしい。 328 新入りだから、その時の状況はしらねえな。﹂ それっきりドラは口に手を当て黙ってしまった。 ﹁ゴブリンのお蔭で新入りの俺なんかここの見張りしかやらせても らえねえし。見張りなんて夜通しで俺だけ。ったく、早く消えて欲 しいもんだぜ。俺は鉱山に働きに来てんだよ。﹂ ﹁大変ッスね⋮ってことは、暫く鉱石も採れないっと⋮はぁ⋮﹂ 残念そうにため息を吐くカイ。 ﹁だな、鉱山に入ったやつも、魔物が棲みついてから全員鉱石なん ざ一かけらも採ってきちゃいねえ。そこまで余裕ないからな。そう いうわけだから、お前らを通すわけには行かないんだ。ほら、行っ た行った。﹂ 男は二人をシッシと手で払う。 ﹁ほら、戻るッスよ。﹂ ドラを引っ張るカイ。 対して、ドラは動こうとしない。 ﹁鉱山の中がどうなってるか分かります?﹂ ﹁知らねえな、俺はここに来て一度も鉱山に入ったことないからな。 ﹂ ︵⋮⋮なるほどな⋮しかし、ゴブリンをどうやっておるのかが分か 329 らん⋮︶ ﹁失礼したッスー。﹂ ドラはカイに引きずられ男の前から退場していった。 ﹁うーん、原因は分かったッスし、帰りましょうかね。聞けばそろ そろ、ゴブリンは殲滅できるらしいッスし。﹂ ﹁何を言っておる、とっとと殲滅してくるぞ。﹂ 入り口から少し離れた場所で、二人は話し合う。 住居からも離れており、人目につくことはない。 ﹁あの人がいる限り、中には入れないッスよ?﹂ ﹁なーにどかすのは、簡単じゃよ。﹂ ﹁出来れば騒ぎにならない方法でお願いするッス。﹂ ﹁なんじゃ、止めはしないんじゃな。﹂ ﹁止めても無駄なのは分かってるッスよ。それに、早く再開できる に越したことは無いッスしね。﹂ ﹁では、始めるとするかの。﹂ ドラは意地の悪い笑みを浮かべ、早速行動へと移す。 330 一つの確信を得ながら︱︱ 見張りの男は退屈そうに鉱山の入り口前で突っ立ていた。 ここに来てから三日間ずっと見張りしかやっていない。 見張りと言ってもゴブリンは鉱山の中から出てくることはないので、 気楽なものだ。 退屈すぎてもう辞めてしまおうかとすらも、考えている。 ﹁よう。﹂ 野太い声。 筋骨隆々の男、記憶が正しければ同じ採掘組の先輩だったはずだ。 ﹁何か用ですか?﹂ にこにこしながら、近づいてくる。 正直男のにやけ顔は気持ち悪い。 何だろうか? 少し心の中がざわめき立つ。 ﹁これから先生の家で、飯を食わないかって話になったんだがお前 もこないか?ちなみに手料理らしいぞ。﹂ ﹁マジですか!?喜んで行かせてもらいます。﹂ すぐさま、提案に飛び乗った見張りの男は一目散に入り口の前を放 棄し飛び出していった。 331 ﹁やれやれ、こんな感じでよかったのか?﹂ ﹁うん!ありがとう。﹂ 見張りのいなくなった穴の前で、男とドラは仲よさそうに談笑して いた。 ﹁ったく、子供のいたずらにしちゃあ内容が酷いな﹂ ﹁えへへ∼﹂ ﹁まっ、いいけどよ。アイツも先生を狙ってるって事が分かったわ けだし。これでいきなり部屋に入って嫌われるがいいさ。ハハハ﹂ 勝ちを確信した顔で男は笑う。 ﹁じゃあな、こんなところで遊んでないでとっとと家帰れよ。﹂ ﹁ありがとう、お兄ちゃん。またね。﹂ ﹁おう、じゃあな。﹂ 332 ﹁こんなに上手くいくとは思わなかったッスね。﹂ ﹁人間の雄は嫉妬深いということじゃの。﹂ 男を見送り誰もいなくなった入り口の前で二人は作戦の成功を喜ん だ。 ドラがやったことは特に説明する必要もないくらいに単純なことだ。 先生に対し好意を持っている人間に、ドラが門番の男にいたずらを したいと持ちかける。 子供だからそこまで警戒心はもたれないだろう。 内容は先生に関すること。 そして成功したら、先生に嫌われそうなこと。 それさえ満たせば内容は何でもよかったのだ。 ﹁さて、行くとしよう。﹂ ﹁⋮あまり行きたくないんスけど、しょうがないッスね。﹂ 覚悟を決めた顔でカイは諦めたように、言葉を発した。 ドラは意気揚々と、カイは少し怯えながら暗い暗い鉱山の中へと入 っていった。 鉱山内部 中に入ると、一気に視界が狭まる。 たいまつの炎があちこちに付いているものの、やはり外と比べると 暗い。 ゆらゆらと揺らめく炎。人口的に造られた細い坑道。 奥からはゴブリンのものと思われるうめき声が、不気味に鳴り響く。 333 ﹁ああ、もう帰りたくなってきたッス⋮﹂ 不安そうなカイはとても弱気で、逃げ腰になりながらドラの後を付 いて歩く。 ﹁こっちじゃな。﹂ 鉱山の中は幾つかの分かれ道があり、どの道を通るかはドラが決め る。 そうして、二つほど分かれ道を過ぎた。 未だにカイは恐ろしいのか、足取りが重い。 その時 ベチャ という歪な音が前を歩く、ドラの足元から聞こえてきた。 カイの位置からは暗くてよくみえない。 気にした様子も無く通り過ぎるドラ。 カイもドラが歩いた場所を通りすぎようとする。 ベチャ やはり、同じ音が響く。 恐怖心を必死にこらえながら足元に眼をやるとそこには︱︱ 顔が潰れたゴブリンの凄惨な死体が転がっていた。 ﹁うぎゃああああああああ!!!﹂ 334 男とは思えないほどに高い声が、洞窟に響く。 その声は反響してより一層遠くまで響いた。 激しい嫌悪と吐き気に襲われる。 ﹁なーにやっとるんじゃ。﹂ ﹁いやいやいやいや、これは驚いてもしょうがないッスよぉ!!﹂ ﹁こんなもの、この先に行ったら嫌でも見ることになるぞ?﹂ ﹁⋮俺もう、帰っていいッスか?﹂ ﹁ここから無事にゴブリンに会わず抜けだせるというならな。﹂ カイはこの言葉に身を震え上がらせる。 戦闘などまるでしたことがないカイには、恐怖しかない。 ﹁ま、大丈夫じゃよ。ゴブリンなんぞ所詮Fクラスの雑魚中の雑魚 じゃ。ばったり遭遇しても余程運が悪くない限り死なんさ。﹂ 安心させる為に言ったドラだったが、今のカイには逆効果で、運が 悪かったら死ぬということだけがインプットされてしまう。 ﹁⋮もう、会わないで帰ろう⋮﹂ ﹁それは無理じゃな。﹂ ドラが断言する。 意味が分からず首を傾げていたカイだったが、異変はそこまで迫っ 335 ていた。 ドドドと雑な足音が近づいてくる。それは坑道の奥から。 その音は段々近づいてきており、距離を詰められている。 ﹁お出ましじゃな。﹂ 目の前に現れたのは醜く、見るものに嫌悪感をあたえるような緑色 のゴブリンだった。 耳は尖っており、大きさは人間より少し小さい。 首には不釣合いな首輪をつけている。 ︵⋮あれは⋮そういうことか⋮︶ ﹁出たああああああ!!﹂ 絶叫のカイ。恐怖心を抑えることが出来ず半分パニック状態だ。 ﹁キィィィィッ!!﹂ 声とも悲鳴ともとれる不気味な声を上げるゴブリン。 それすらもカイの恐怖を倍増させた。 ﹁早く、早く、倒しちゃって欲しいッスううう!!﹂ ﹁うーむ。﹂ 悠長に上を見上げ何かを確認するドラ。 ﹁何してんスか!?﹂ 336 ﹁⋮それがのう、ここが狭すぎて龍化出来んのじゃよ。龍化したら ここが崩れてしまう。﹂ ばつの悪そうな顔で、カイに振り向く。 ﹁えええええええええええ!!?﹂ ﹁すまんがやっといてくれ、荷物くらいなら持ってやるぞ。﹂ カイから重そうな荷物を受け取り、というより奪い後ろに下がるド ラ。 ゴブリンが一歩一歩距離を詰めてくる。 数は二匹。手には粗末な棍棒らしきもの。 パニック状態になってしまった脳みそはハイテンションを維持し続 ける。 ﹁無理だろうううううううううう!!﹂ テンションメーターを振り切って制御不能になってしまったカイに は、最早何も考えることは出来ない。 しっかりと、ゴブリンを見ることすらも出来なかった。 ﹁ほれ、そろそろしびれを切らして飛び掛ってくるぞ。﹂ ﹁なーに暢気なこと言ってんスかああああああ!!!って、来たあ あああああああああ!!﹂ 襲い来るゴブリン。 混乱する頭で解決策を考えるが答えがでない。 337 ﹁うわああああああああああああああああ!!!!!﹂ この日一番の絶叫を上げる。 解決策が見出せない。 すぐそこまで迫ったゴブリン。 カイは無我夢中で、なにかを手に取る。 なにを手に取ったのかすらも分からないまま、眼を瞑りながら必死 にそれを振り回した。 何発か手に当たった感触があるが、それでもひたすらに振り回し続 けた。 ﹁ギィィイッッ!!﹂ その声は悲鳴。 ゴブリンの叫びではなく悲鳴。 耳障りな声。 その声にもカイは気づかない。 手が疲れる。腕が痛い。 どれくらい回しただろうか。 ﹁上出来じゃな。﹂ 後ろから聞こえて来たのはドラの声。 その声で現実へと舞い戻る。 もう、ゴブリンの鳴き声は聞こえない。 意を決して眼を開けてみると、既に目の前にはゴブリンなどいなか った。 ﹁⋮あれ?⋮﹂ 338 頭も急速に冷え、視界が開ける。 視界の中にゴブリンは見当たらない。 ﹁ゴブリンなら逃げて行ったぞ。﹂ 疑問に答えるかのようにドラの声が坑道に響く。 先ほどまで振り回していたものに眼をやると、それは坑道を照らす 炎が灯されたたいまつ。 揺れる炎が輝きを放っていた。 ﹁どうなってんスか?﹂ ﹁お主に恐れをなして逃げて行ったんじゃよ。﹂ ﹁⋮え?⋮﹂ 信じられないといった顔で聞き返す。 やったことといえば、たいまつをがむしゃらに振り回しただけに過 ぎない。 ﹁言うたじゃろ?ゴブリンなんて所詮雑魚中の雑魚なんじゃよ。﹂ ﹁あれ?でも採掘組の人は怪我してたッスよ?﹂ ﹁集団のゴブリンに襲われたらな、今みたいな一匹やら二匹程度な ら楽勝じゃ。﹂ ﹁へぇー、そうなんスか⋮﹂ ﹁ほれ、先に進むぞ。まだまだ先は長いんじゃ。﹂ 339 カイの横を通り過ぎ前へと進むドラ。 その後を少し遅れながらカイは付いていく。 二人は奥へ奥へと進む︱︱ ゴブリンに遭遇してから数分。 あれから、ゴブリンは見かけない。 幾つかの死体は転がっていたが。 カイは少し落ち着きを取り戻していた。 先ほど自分で撃退したのが、多少なりとも自信を持たせていたのだ。 足取りは相変わらず重いのは変わらなかったが。 暗く深い坑道内。 ゴブリンの影どころか声すらも聞こえない。 ﹁もう、いないんスかねえ。﹂ ﹁そんなわけないじゃろ。﹂ 坑道を進むと、見えたのは光。 暗い坑道よりも断然明るい。 カイは光を目指していち早く走り出す。 ﹁ようやく、光が見えてきたッスよー。﹂ ﹁こっ、これ待たんか﹂ ドラを追い越し、明るい部屋へと駆け込んだ。 その先に見えたのは︱︱ 340 ﹁⋮⋮⋮スイマセン、マチガエマシタ﹂ 眼を覆いたくなるほどの量のゴブリンが獲物を待ち構えていた。 ﹁ギァァッァァ!!﹂ ﹁ギィィィィッ!!﹂ ﹁ギゥゥゥゥァッ!!﹂ 耳に入れるのも嫌になるほどにうるさい鳴き声。 似たような声の耳障りな合唱。 ﹁大丈夫、俺はやれるッス⋮俺はやれる俺はやれる⋮﹂ 自分に言い聞かせ、足が震えるのを抑える。 思い出すのは先ほどの撃退したイメージ。 ﹁よしっ、来るッス!!﹂ 近くにあったたいまつを手に取り、覚悟を決めた。 直線的に襲い来るゴブリンから少し横にずれ、攻撃をかわそうとす る︱︱ が、部屋を埋め尽くすゴブリンの群れをよけきれるはずもない。 かわした先にもゴブリンが、逃げた先にもゴブリンが、攻撃の暇を 与えない。 ﹁どうすれば⋮うわっ!!﹂ 341 腹に鈍い衝撃が走る。 足元には醜い顔のゴブリンがニタァと笑っていた。 ﹁しまっ⋮﹂ 続けざまに襲い来る衝撃。 迫り来るゴブリンの群れからよけなければ、という考えを実行に移 すことは出来ずカイは意識を失った。 ﹁ふむ、ちょっとスパルタ過ぎたかの⋮﹂ 左手にカイを持ちながら、ドラは呟いた。 ゴブリンの群れは何が起きたのか分からず、右往左往している。 意識のないカイ。出血は見られない。 蠢くゴブリンの群れは、大きく丸い眼をギョロリとドラに向け照準 を合わせる。 しかし、ドラはその視線を意にも介さない。 まるで、彼らなど存在しないかのように。 ﹁まあ、自分から向かって行ったのは成長と言って良いか。﹂ あくまでのんびりと、ドラは独り言を呟く。 ﹁さて、そろそろ始めるとしよう。﹂ ゴブリンがドラの眼を見つめる。 黄色く冷たい眼。 動けない、足が震える。 342 本能的にゴブリンは感じ取る。 目の前にいる人間が人間などではないことを。 眼を見たが最後、底知れぬ何かに触れてしまったように、動くこと を許さない。 ﹁来るがいい憐れな下郎共。なに、臆するでない、貴様らの命は儂 が残らず刈り取ってやろう。﹂ そう静かに、だが重く通る声で、ゴブリンに告げた。 今ここに最強の龍としての圧倒的な力が顕現する。 ベイポート市街 クロノとリルは食事をとっていた。 異国の料理が並ぶテーブル。 リルは眼を輝かせながら、頬張る。 ﹁おいしーーー!﹂ ﹁あんまり、一気に食べるもんじゃないよ。﹂ ﹁だってー美味しいんだもん。﹂ 忠告も聞かず皿の上の料理を次々と飲み込んでいく。 ﹁お腹壊しても知らないよ?﹂ 343 ﹁だいじょーぶ、これくらい腹ごなしだよ。﹂ 笑顔でそう答えるリル。 ﹁ドラといい、リルといいよくそんなに食べられるね。俺だったら、 戦闘時にそんなにお腹に残ってたら動けなくなりそうだよ。﹂ ﹁食べられるだけで幸せだもん。﹂ ︵地雷を踏んじゃったかな⋮︶ リルは食べられない苦しさをよく知っている。 孤児院にいたときも、孤児院を出た後も満足に物を食べられなかっ たのだろう。 クロノは昔を思い出すようなことを言ってしまった自分の失態を恥 じる。 当のリルは気にした様子なく食事を進めていく。 ﹁そういえば、ドラ君が戦ってるところってみたことないなー﹂ ﹁ドラは目立つから、あんまり戦闘しないしね。どっちの姿でも。﹂ ﹁ドラ君ってドラゴンなんだけど、強いの?﹂ 純粋な好奇心でリルは尋ねる。 ﹁強いよ、かなり。﹂ 力強く答えるクロノ。 344 ﹁じゃあ、クロノとドラ君はどっち強い?勿論クロノだよね!﹂ 聞いておきながら自分で答えを出すリル。 ﹁そうだね、一対一なら俺の方が上かな。ただ⋮﹂ ﹁ただ?﹂ 勿体ぶるように一度間を置いてから、その先の言葉を続ける。 ﹁多対一ならドラの方がずっと上だよ。俺よりもずっとね。﹂ 鉱山内 それは、戦闘などではなかった。 それは、戦闘と呼ぶにはあまりにも一方的で、理不尽なものだった。 それは、圧倒的暴力であり、圧倒的虐殺。 散らばるゴブリンの死体。 あるものは首から上が吹き飛び、あるものは足も腕もなくし、ただ 死を待つだけとなっている。 その中心にいるのは一人の緑髪の少年。 手はゴブリンの緑色の血に塗れ、髪とは違った汚い緑との差を如実 に表している。 ﹁本当に憐れじゃの。﹂ 足元で呻いていたゴブリンを踏み潰し、一人ドラは呟いた。 345 視線の先にはゴブリンに付けられた首輪。 ここで行われたのは至極単純な話。 ゴブリンを素手で全て殺した。それだけのこと。 魔法も何も使わずに、純粋なる力だけで。 ﹁まだまだ残っておるな。﹂ 鼻で臭いを確認し、鉱山内の獲物の数を確認する。 それはドラ以外には感じられないほどの微量な臭い。 ﹁さすがに全部回るのは骨じゃな。まとめて仕留めるとしよう。﹂ そういうとゆっくりと眼を閉じた。 身体を一時的に龍と同化させ、完全に力を引き出すために。 眼を閉じたままカイの眠る細い坑道へと歩みを進める。 そしてカイを追い越し、後ろへと追いやる。 ﹁これで終わり、じゃな⋮﹂ 憐れみながらそう呟き、眼を見開く。 そして、龍としての力の一端を口から灼熱の焔に変えて放った。 その焔は通常の炎ではなく、最強の龍としての焔。 それは坑道内をありえない軌道で、ありえないスピードで、瞬く間 に満たす。 一瞬で煌く焔が坑道を支配する。 迫る焔に、全てのゴブリンは反応することも許されない。 ゴブリンを燃やし尽くす業火。 魔力の込められた焔は燃え残ることも無く、煌きを残して消えた。 後に残ったのは、ゴブリンの燃えカスだけ。 完全に消し去ったのを確認してから、ドラはカイを背負いゴブリン 346 の死体から首輪を引き抜いた。 ﹁さて、まだ最後にやることがのこっとるんじゃったか。﹂ 鉱山から離れた草原 ︵全部消されたな。まあ多少は稼げたから悪くはないか。︶ 魔力の繋がりが消えたことで、ゴブリンの全滅を知った。 心の中でほくそ笑む。 手元には大量の金。 全て今回のことで稼いだ金だ。 ︵しかし、全て消されるとは⋮もう少し粘れると思ったんだが⋮︶ 計画では後三日は持つ計算であった。 しかし、現実として今日全てのゴブリンが消されてしまった。 金はあまりかかっていないが、手間を考えると今回のことは成功と は言えない。 その事実に少し苛立つ。 ︵今度はもう少し強いので試すことにしよう。また別の場所でな⋮︶ 人気の無い草原を一人歩く。 すると、突如背中に悪寒を感じた。 危険な死の予感。 振り向いてみると、そこには見知ったと呼べるほどには深くない付 き合いの顔があった。 347 ﹁久しぶり!とは言えないかな?さっき会ったばっかだしね、見張 りのお兄さん?﹂ ﹁おお、さっきの坊主じゃねぇか。どうしたんだこんなところで。﹂ ﹁お兄さんこそ、どうしてこんなところに?先生の家には行った?﹂ ドラはあくまでも子供らしい口調で、男に尋ねる。 ﹁何でお前がんなこと知ってんだ?行ったけど、すぐさま追い出さ れちまったよ。ハハハ﹂ 豪快に見張りの男は笑う。 ﹁ふーん残念だったね。で、どうしてこんなところに?﹂ ﹁見張りしかやらせてもらえない現状に嫌気が差してな、仕事辞め ちまったんだよ。﹂ 平静を装い冷静に答える男。 ドラは興味がないかのようにふーんと言うだけだ。 ﹁もう行っていいか?新しく仕事探さなきゃ行けないんでな。﹂ ﹁そうそう、最後にお兄さんに聞きたいことがあったんだよ。﹂ ﹁聞きたいこと?﹂ ﹁そう、とっても重要なことなんだー﹂ 348 そう言ってドラがポケットから取り出したのは、首輪。 普通の人が見れば普通の首輪だが、あるものにとっては特別な意味 を持つ。 取り出した瞬間、男の眼が鋭くなる。 両者の間にはピリピリとした緊張感が走る。 ﹁それは⋮首輪か?﹂ ﹁そうだね、付け加えると隷属の首輪だよ。お兄さんの⋮ね。﹂ とぼけようとする男にドラは淡々と事実を告げる。 ﹁⋮⋮どこで知った?﹂ ﹁存外潔いの、もう少しとぼけるもんじゃと思うとったんじゃが。﹂ 男の空気の変化に合わせてドラも口調を変える。 さきほどいた、見張りの男と少年ではなく二人とも別の何かへと顔 が変わった。 ﹁ここでとぼけるほど馬鹿じゃないさ。もう、全部知ってるって顔 だ。﹂ ﹁最初におかしいと思ったのはお主の臭いじゃよ。﹂ ﹁臭い?﹂ ﹁儂の鼻は人間よりも敏感でな。お主はこう言うた、一度も鉱山内 には入っておらんと。それなのに、お主からは魔物の臭いがプンプ 349 ン臭った。まずそれが一つ。﹂ ﹁他には?﹂ ﹁魔物が出てきてからは、鉱石を採ってきたものはいない、と言う た事じゃ。儂はあそこに行く前に、製錬所にも行ったんじゃ。少し しか鉱石が回ってきていないと言うとった。しかし、採ってきたも のはおらんのじゃから、少しも何もあるわけがなかろう。そこで思 った。誰かが採掘組が機能しているように見せかけるために、夜な 夜な入って少しずつ採って選鉱組に回しておるんじゃないかとな。 その時点ではどんな手段で魔物を操っておるか分からんかったがな。 まさか、全てのゴブリンに隷属の首輪を付けてるとは思わなかった がの。﹂ ﹁ゴブリンは捕獲が楽だからな。一体に付けちまえば、あとは仲間 の振りしたそいつに任せるだけで群れ全てにつけられる。その首輪 も一応魔物用に改良してるんだぜ?主人と魔力でのやりとりを可能 にしたりな。﹂ 男は誇りながら笑う。 そこに見張りの男としての面影はない。 ﹁目的は金じゃな?鉱石を貴重なものにして、別のルートに流す。 通りで市場の鋼の値段が高いわけじゃ。﹂ ﹁まあそれもあるが、実験がメインさ。魔物用の首輪のな。﹂ 男も自分のポケットから首輪を取り出し、指で弄ぶ。 ﹁実用化すれば、良い商品になる。それが今回の目的。﹂ 350 ﹁下衆じゃな。ゴブリン以下じゃ。﹂ 視線でやりとりを交わす二人。 その間にはなんともいえない緊張感。 草原の上で向かい合う。 ﹁さて、お前にはとりあえず死んで貰うとするか。悪いな。﹂ ﹁そう簡単に死にたくはないんじゃがな。﹂ ﹁まあそういうな。抵抗しなければ楽に殺してやるさ。﹂ 軽く笑いながら喋る男。 男は手を高く掲げ、話している最中に溜めていた魔力を風に変えて 解き放つ。 ﹁あばよ。﹂ 突如として出現する風の渦。 吹き荒れる風は小さな竜巻となって標的を飲み込む。 ドラは膨大な風に包まれ、渦の中へと消えた。 男は最後までそれを見ることなく、背を向ける。 やがて背中で風が収まったのを感じた。 ﹁お前なら、助手に欲しかったかもしれねえな。﹂ そう呟いて立ち去ろうと、歩きだしたとき ﹁そうか、儂は死んでも勘弁じゃな。﹂ 351 と、声がした。 それは、殺したはずの人間の声。 しかし、確実に聞こえた。 驚きながら振り向くと、そこには︱︱ 自分が作りだした風の渦よりも大きい、巨大なドラゴンが圧倒的プ レッシャーを持って君臨していた。 ﹁温いな、リルの足元にも及ばんぞ?﹂ 先ほどとは違う、少年の声ではなく凛とした低い声が草原に響く。 一目で分かる、これは勝てない。 確実と言っていいほどに。 本能が戦うことを拒絶していた。 だが、それ以上に男は別の感情に支配されていた。 それは、喜び。これこそが、自分の求めたものだと。 これを支配してこそ、首輪は完成するのだと。 湧き上がる感情を抑えきれずに男は笑っていた。 ﹁これで終いじゃ。﹂ その声も男の耳には届かない。 そして、ドラは鋭く光る爪を勢いよく振り下ろした。 陽に照らされ、光る爪を男が視界に捉えられたのかは分からない。 ただ、男は引き裂かれるその瞬間まで笑っていた。 爪が振り下ろされた草原には、鋭い爪痕と原型をなくした男の死体 が残るだけ︱︱︱ 352 ベイポート近郊 ﹁⋮う、うん?﹂ カイが眼を覚ましたのは既に陽が紅く染まり、陽も落ちかけた夕暮 れだった。 身体を動かしていないのに身体が揺れている感覚。 本日二度目となる感覚だ。 ただ最初と違ったのは、背負われているのが自分より小さな子供だ ということ。 自分を背負いながら、両手にはこれでもかというほどの荷物を抱え ている。 ﹁起きたかの?﹂ ﹁あれ⋮俺はどうしたんスかね?﹂ ぼんやりと記憶を探るが答えは出ない。 ﹁覚えとらんのか、ゴブリンの群れに襲われて気絶しておったんじ ゃよ。﹂ ﹁⋮あっ、そういえば⋮﹂ ﹁ま、目立った傷はないとのことじゃ。﹂ ﹁誰かに診てもらったんスか?﹂ ﹁まあ、ちょっとした古い知り合いに⋮な。ほれ、急ぐぞ、そろそ 353 ろ待ち合わせの時間じゃ。﹂ 数十分前 先生の家 治療を終え、列を消化した彼女は一人家の中で佇んでいた。 最低限のものしか置かれていない室内。 しかし、それすらも彼女にとっては不要なものだった。 今彼女の頭を占めるのは、ある一つのこと。 血の臭いの中でわずかに感じた、懐かしい匂い。 ここにいるはずもないのに、なぜかそう感じた。 キィッ 不意に家のドアが静かに開いた音がした。 誰だろうか?昼間みたいな、勘違い男だったらどうしようか?など と考え、ドアへと向かう。 ﹁久しぶり⋮じゃの。白龍スノウ。﹂ その声に聞き覚えはない。しかし、確実に知っている。 ドアの先にいたのは緑髪の少年だった。 それに、自分よりも大きな青年を背負っている。 ﹁今日はこやつを診てもらいに来たんじゃから、先生と呼ばせても らおうかの?﹂ そういうと、少年はずかずかと中に入り込み背負っていた青年を下 ろした。 354 とりあえず青年の診察をしてみると何てことはない、目立った外傷 もない気絶だった。 聞けばゴブリンに襲われたのだという。 魔物の臭いがする、気絶した青年よりも目の前にいる少年から。 それは彼が本来持つ匂いと混ざり合い、異様な臭いを放っていた。 ﹁ふん、人間に先生などと龍であるお主が言われるとはお笑いじゃ の。﹂ ﹁⋮⋮貴方はどうしてここに?﹂ ﹁ちょっと野暮用があってな。お主も気づいてはおったのじゃろう ?﹂ いたずらっぽく笑う少年。 確かに気づいてはいた。異変の原因に。そして、誰がやったのかも。 ﹁⋮貴方のことですから彼を殺したのでしょうね。﹂ ﹁まあな。﹂ ﹁私は人を殺すということがしたくなかっただけです。あのペース であれば、もう少しでゴブリンは殲滅出来ました。そうすれば彼も、 諦めて去って行ったでしょうに。﹂ ﹁それまで、何人もが傷ついてもか?﹂ ﹁⋮⋮そうです。傷ついたなら、私が全て治せばいい。傷はいくら でも治せますが、死んでは治すことが出来ませんから。﹂ 355 少年は嘲笑う。それは皮肉げに。 まさしく嘲笑と呼ぶものだった。 ﹁本当に、そんなので先生とはお笑いじゃな。目の前にもっと良い 術があるというのに、あえてそれをしないとは。﹂ ﹁私は貴方のようなやり方が、正しいとは思いません。人の命は尊 いのですから、悪人であっても。﹂ ﹁分からんな、やはりお主とは相容れん。昔からな。﹂ ﹁そうですね、私もそう思いますよ。﹂ 視線を交錯させる二人の龍。 冷え切った視線。 ﹁私からすれば、貴方がそんな姿でいることの方が驚きですよ。人 間好きの私とは違って、人間を下等種族として見下していた貴方が ね。﹂ ﹁⋮なーに、掟というやつじゃ。﹂ ﹁掟?そんなもの今となってはあって無き様なものでしょう?﹂ ﹁⋮⋮﹂ 少年は答えない。 ﹁まあ、いいです。私には関係のない話ですから。﹂ 356 彼女はそう言って話を切った。 二人の間には気まずい沈黙が流れる。 ﹁では、儂はもう行くとしようか。主を待たせておるのでな。﹂ ﹁ええ、ではまた。また会うことがあるかどうか怪しいですがね。﹂ 少年は青年を背負って家を出て行く。 その姿を少し、名残惜しく感じながらも留めることはしない。 ﹁⋮貴方は昔よりも楽しそうに笑ってましたよ。﹂ 完全に姿が見えなくなった後で、そう呟いた。 空はどこまでも紅く、とても綺麗な夕暮れ。 陽の奥へと消えていったその姿を彼女はいつまでも、見つめていた。 357 第三十七話︵前書き︶ あれ?朱美さんのテレポートって何属性だよって考えた結果がこの 様ですよ。 これで異世界召喚も術式魔法で説明出来るぞ。 やったね、たえちゃん 後付とか聞こえない。 358 第三十七話 酒場センターフィールド ﹁︱︱へえー、そんな事があったんだ。﹂ クロノが興味深そうに声を上げた。 向かいの席には、ドラがつまみを齧りながら座っている。 ベイポートから日帰りで戻ってきた二人は、疲れて寝てしまったカ イを工房に置き、酒場へと来ていた。 一緒に来ていたリルは途中で、満足したように宿屋へと戻った。 ﹁ほれ、これが例のものじゃ。﹂ ポケットから首輪を取り出し、クロノへと放り投げる。 ﹁確かに隷属の首輪だけど、魔物にも効くなんて初耳だ。﹂ ﹁儂もじゃよ、あやつが言うには改良されとるらしいがな。﹂ 既に顔すらも思い出せなくなった人間の言葉を思い出す。 じっくりと手に取り観察するクロノ。 ﹁あー、よくみると確かに少し違うかな。﹂ ﹁どこら辺じゃ?﹂ ﹁ほら、この内側の術式の辺り。﹂ 359 指さしたのは首輪の内側。 そこにはびっしりと普通の文字とは違った文字が描かれていた。 幾何学的な紋様。いくつもの線が複雑に混ざり合っている。 ﹁術式?﹂ 思わず聞き返す。 ドラには術式という単語の意味が分からない。 ﹁術式っていうのは、魔力を属性に頼らず別のものに変えられるも のだよ。魔力で特定の文字を刻むことで、効力を発揮する。﹂ ﹁そんなものがあるとは初耳じゃの。﹂ ﹁まあ、隷属の首輪の原理なんて普通の人は知らないだろうけど。﹂ ﹁むしろ、なぜお主が知っとるんじゃ?﹂ ﹁昔は本を読んで必死に魔法のことを調べてたからね。こういうこ とには詳しいんだよ。﹂ 自嘲気味にクロノは笑う。 もう、遥か昔とも思える記憶。 どうにか魔法が使えるようにならないかと、必死にいくつもの本を 読み漁っていた幼い自分を思い出す。 少し懐かしく感じさえする。 今となっては、無駄な努力だったのだが。 ﹁そんな便利なものがあるなら、もっと広まってるはずじゃないの か?﹂ 360 ドラからすれば、術式なんて単語は初耳だ。 話を聞く限り、術式があれば何でも出来る気さえする。 人の世を何年も回っているはずなのに、術式なんてものは見たこと がない。 ロストマジック ﹁今となっては、首輪の術式以外は失われた魔法になってる。千年 くらい前を境に消え去ったらしいよ。原因は不明だけどね。﹂ クロノはそう言ってから、テーブルの上のコップから水を喉へと流 し込む。 ロストマジック ﹁それに術式だって完璧じゃあない。それ相応の魔力だって必要だ。 かーさんが使ってたテレポートも、失われた魔法に入るけど、本に よれば何人もの魔力を集めなきゃ出来なかったらしいし。﹂ 一通り説明した後、再びクロノは首輪をじっと眺める。 記憶にある首輪の術式とはやはり少し違う。 恐らく、この違いが魔物を使役するのに必要なのだろうと推測する。 ﹁ふむ、人間の考えることは難しくてよう分からんな。﹂ どうでもよくなったのか、興味がないといわんばかりにドラが小さ く呟いた。 静かになった二人とは対照的に、店内はにわかにざわめき出す。 ランプに照らされオレンジ色に光る店内。 普段は静かなはずの店内では、怒声が飛び交っている。 361 ﹁アア!!?ざけんじゃねぇぞ、テメェ!!﹂ ﹁ざけてんのはそっちのほうだろうが!!﹂ どうやら、喧嘩しているらしい。 どちらも筋骨隆々の男だ。 最初は口で争うだけだったが、徐々にものが飛び交い始める。 無視していた客も、次第に囃し立てるように輪に加わる。 店内の客は三つに分かれる。 参加する者、店を出て行く者、変わらず食事をつづける者。 食事を続けるのは、クロノ含め常連である僅かな数人だけ。 彼らは知っている。この騒ぎがすぐ収まることを。故に彼らは動こ うとしない。 男たちはヒートアップし、無関係な観客を巻き込んで殴り合いを始 める。 店内は一種の暴動状態とした。 ヒートアップする男たちを見て、常連たちは密かに祈りを捧げる。 それは男たちへの追悼。終わった、という確信。 殴り合いを始めた二人の男たち。 暴動の中心にいる彼らに近づこうとする一人の青年。 その風貌は優男といって差し支えない。 不思議と邪魔されることなく、暴動の中心へと青年は歩みを進める。 ﹁お客様?あまり、店内を荒らされては困ります。﹂ 片方の男の肩に手をかけ、糸目の青年は優しく話しかけた。 ﹁アア!?邪魔だテメェ!!﹂ 男は青年の顔面を思いっきり殴りつけた。 362 鈍い衝撃が青年の頬に響く。 これで、常連は完全に確信する。この騒ぎの終結を。 殴られた青年はさして気にした様子も無い。 笑顔のまま、再び男の肩に手をかける。 ﹁そうですか、静かにしていただけないのなら︱︱﹂ 青年はどこまでも笑顔だ。 一点の曇りも無いほど晴れやかに、その先の言葉を紡ぐ。 ﹁お引取り願いましょう。強制的にね。﹂ 数分後 ﹁肩にかけた手で一人目を投げ飛ばし、飛んだ先に行って顔面に一 発、足でみぞおちを貫いてから腹に四連打。今度は二人目のところ に行き、足払いで転ばせた後馬乗りになって後頭部に一発、最後は 思いっきり上から踏み潰しでおしまいかな。﹂ ﹁残念じゃの、四じゃなくて五じゃ。﹂ ﹁あれっ?見落としたか。﹂ ﹁まだまだじゃの主も。というわけで、つまみ追加じゃ。﹂ ﹁しょうがないなぁ、そういう約束だし。﹂ 二人の視線の先には、完全に眼が明後日の方向を向いた二人の男。 そして、それを引きずる青年の姿があった。 363 ﹁どうも、お騒がせ致しました。皆様ごゆるりとお楽しみください。 ﹂ 深々と頭を下げた青年は、変わらぬ笑顔のままで店の奥へと消える。 店内は一変して静まり返った。 参加していた観客も蜘蛛の子を散らすようにばらけていく。 ﹁ちゃんと見てたつもりなんだけどなー。どこで見逃したんだ?﹂ ︵そりゃあ、実際は四発じゃったからな。見逃しとらんさ。これも つまみのためじゃ。︶ ドラの嘘に気づくことなく首を傾げるクロノ。 先ほどの青年の戦いを思い返すが、どうみても青年の拳は四発しか 届いていなかった気がする。 二人が行っていたのはちょっとしたゲーム。 青年がどうやって男たちを倒したかというのを当てるだけの他愛も ないゲームだ。 動体視力に自信のあるクロノからすれば楽勝だったはずなのだが、 見事に外してしまった。 ドラが頼んだ料理がテーブルへと運ばれる。 ﹁ふむ、それにしても相変わらず馬鹿は絶えんもんじゃな。この店 で暴れようとは。﹂ あまり深く考えこまれても困るドラは話題を変える。 ﹁知らなかったんじゃない?ここ初めてとかさ。﹂ 酒場センターフィールドで喧嘩をするなんてことは自殺行為に等し 364 い。 それはこの店に何度も足を踏み入れている客であれば、誰でも知っ ている常識。 絶対に犯してはならないタブー。 それを破ればさきほどの男たちのようになってしまう。 行うのは一人の青年。常に笑顔を浮かべたここの店主、ユウ・セン ターフィールドが行う制裁。 爽やかな笑顔とは裏腹に店に迷惑をかける者には決して容赦しない。 その事を常連は皆知っているため、ここでの喧嘩はスルーが推奨さ れる。 ﹁相変わらず強いなぁ、あの人。﹂ ﹁引きずられていった男たちはどうなるんじゃろうな⋮﹂ ﹁一応殺さない程度に教育した後、外に放り出すらしいよ。﹂ 教育という言葉にどの様な意味が込められているかは本人以外誰も 知らない。 ただ確かなのは、教育された人間は後日店の前で廃人状態で見つか るということだけだ。 ﹁正直あのスピードは尋常じゃない。もしかしたら無意識の無属性 かなーって考えたこともあったけど、魔法で火をつけてるの見ちゃ ったし。純粋なる鍛錬だと思うけど、何かなぁ。﹂ ﹁鍛錬と言ってもあそこまで強くなれる気がしないと?﹂ ﹁まあ、そういうこと。今度本人に聞いてみようかな。﹂ 365 ユウの強さについて語る二人。 鍛錬といっても、細身の身体のどこにも鍛えた形跡はない。 その事実がクロノの思考を邪魔する。 ︵あれが無属性だとしたら、複数属性持ちになるな⋮ありえないか。 ︶ この世界の人間である限り、複数属性持ちはありえない。 クロノは過去に一人知っているが、あれは例外中の例外だ。 結局いくら考えようとも答えは出ない。 頭の隅へと疑問を追いやろうとしたとき︱︱ ﹁そりゃあ、強いにきまっとるやん。ユウはこの国の優秀な兵士な んやで?﹂ 後ろから声がした。 聞き間違えるはずもない特徴的な口調。 ﹁⋮何の用だ⋮﹂ 振り向くこともせずに、声の主へと言葉を返す。 ﹁つれへんなぁ、まあええけど。﹂ ケラケラと笑うメイ。 人の多い店内では彼女の存在に気づいたものはいない。 ﹁なーに、ちょっとした依頼や依頼。保護を頼むだけやって。﹂ ﹁⋮保護?そんなこと、自慢の諜報部隊にでも任せればいいだろう。 366 ﹂ ﹁残念ながら、そないうわけにもいかへんねん。﹂ メイはテーブルの上で手を組みながら神妙な顔で、大きく溜め息を つく。 ﹁今のレオンハルト王国の状況を知っとるか?﹂ ﹁?シュヴァイツを滅ぼしたことしか知らないが?﹂ クロノがシュヴァイツ壊滅の情報を聞いてから、既に一週間以上過 ぎており、その話は世間一般に広まっている。そんな話をわざわざ 確認したのか?と、言葉を続けようとするが先んじてメイが言葉を 発する。 ﹁世間一般的にはそうなっとるねんけど、実際はもっと進んどる。﹂ ﹁どういうことだ?﹂ ﹁レオンハルトに隣接していた国は、みな滅ぼされた。﹂ ﹁馬鹿な!?攻撃を始めてから、まだ一週間くらいしか経ってない ぞ!?﹂ クロノが驚くのも無理はない。 隣接する国は四つ、それらが全て滅ぼされたのだ。 僅か、一週間の内に。 ﹁残念ながら事実や。ほんで次の標的はギール王国や。﹂ 367 メイは静かに、そして淡々と事実を告げる。 ﹁⋮⋮それで、保護対象がギールにいるから俺に保護してこいと。 戦時下で、万が一重要な部下が巻き込まれたりしたら困るから、使 い捨て出来る俺に頼むってことか。﹂ 見透かしたようにクロノが皮肉気に呟く。 ﹁そういうこっちゃ。戦争自体はまだ、始まってへんけど。﹂ 皮肉を意にも介さず、あっさりと肯定するメイ。 ﹁ああ、それと保護さえしてくれれば後は戦争に参加しても構わへ んよ。丁度あっちでは傭兵募集しとるみたいやし。﹂ ﹁嫌だといったら?﹂ ﹁言わへんやろ?﹂ 笑みを浮かべながら、メイは言葉を直球で返す。 その言葉にクロノは反論することが出来ない。 ﹁ほな、頼んだで∼。﹂ 小さな紙をクロノのテーブルに置いて、ヒラヒラと手を振り、店を メイは店を出て行く。 クロノがその姿を見送ることはなかった。 368 領主の館 暗い部屋の中でメイは佇んでいた。 手にはやたら格式ばった封筒。 中の手紙にはシュヴァイツ王国の紋章。 それは保護を依頼する手紙だった。 ︵なーんの、接点もない私の国に助けを求めるなんて相当焦ってた みたいね。︶ 思い浮かべるのはシュヴァイツ王国の国王。 今となっては、碌に顔を思い出せない。 ︵それとも、この国が一番安全って判断かしら。千年間難攻不落っ て言っても、今回はヤバイかもなのにねぇ。︶ 思わず苦笑してしまう。 そう考えると、先祖様たちは皆優秀だったのかもしれない。 この入れ替わりの激しい大陸で千年もこの国を維持してきたのだか ら。 ︵保護した後シュヴァイツの実権を握れると思えば悪くないけど、 どちらにせよ勇者様を倒さないと意味無いしなぁ⋮そこら辺はクロ ノに期待しようか。︶ 保護したとしても、勇者を止められずこの国が滅ぼされたら意味は 無い。 ︵さって、そろそろ私たちも前線に出る準備しないと⋮︶ 369 シュガー神聖国はあくまで中立。 どこかから攻められたときにしか、攻撃はしない。 そのやり方で千年間、国を維持してきた。 逆にいえば攻められれば攻撃をするということ。 軍隊を持たないこの国が千年間平静を保ってきた理由。 それを、知る者は今となってはごく一部だ。 ︵万が一に備えて、店の連中も集めておきましょう。︶ 暗闇の中でメイは一人、これからの展望を考えるのであった。 クロノが負けるという最悪のシナリオすらも、頭に入れながら。 370 第三十八話︵前書き︶ 戦闘の前にそろそろ回想が入りそうです。 朱美さんの外伝とか入るかも。 371 第三十八話 エテジアの村近郊 月夜が悲しげに照らす荒野。草木は全くと言っていいほどに生えて いない。 シュヴァイツ王国と隣接する東の地域に存在する荒野だ。 風の音に紛れ聞こえる足音。 荒野の中で蠢く集団。 彼らの格好は騎士、というよりも兵士といった方が的確であろう身 軽なものだ。 そんな集団の中で一際目立つ、白いマントのようなものを羽織った 男。 彼は先頭に立ち、集団を率いている。 暗闇を進むと見えてきたのは、ほんの僅かな光。 その光は今回の目印であり、目的地を示すものだ。 始まるのは戦争という名の蹂躙。 平凡な村はこれより、一夜限りの戦場と化す。 教会内 外から隔絶された教会内。 いつもはこの時間になると、静まりかえっているのだが今日は違う。 村人の悲鳴がわずかに聞こえる。それは教会の外から。 神父は祈っていた。自らの神に。 今、この村に起こっている異変を知りながら。 ﹁神よ⋮どうか、この村をお救いください。﹂ 372 神父には祈ることしか出来ない。 この騒ぎの終結を。 神父は信じている。神は必ず救ってくださるのだと。 一日たりとも礼拝を欠かしたこともなく、常に神への尊敬の念を内 に秘めた神父。 まさに模範と呼ぶに相応しい神父。 しかし、無常にもその祈りは彼の信じる神に届くことはない。 教会の扉がゆっくりと開けられる。 ﹁⋮ああ、ここなら見られることはねェな⋮﹂ 入ってきたのは白いマントを羽織った男だった。 男は入るなり、扉を閉め密室を作り出す。 その姿を見た神父は悟ったように、降伏のポーズとして手を上げた。 ︵私も奴隷になるということか⋮︶ 戦争といっても、無差別な殺戮はまず行わない。 相手の国としても、殺すより労働力が欲しいためだ。 民を捕まえ奴隷にするのが、一般的なやり方となっている。 ︵だが、奴隷となっても希望を忘れていけない。そして、神への祈 りも。そうすれば、いつかは救われるのだから。︶ ﹁さあ、どこへでも連れて行ってください。私は抵抗いたしません。 ﹂ これからの自分を想像し、神父は覚悟を決めた顔でそう言った。 ﹁⋮⋮﹂ 373 しかし、男は眠たそうな眼で一向にこちらに向かっては来ない。 だらしなく頭を掻き上げながら、男は左手で短剣を神父へと放り投 げる。 ﹁?﹂ カランと乾いた音が、教会内に響き渡る。 わずかに差し込む月明かりによって、銀色に鋭く光る短剣。 男の意図が分からない神父は首を傾げる。 やがて、男がめんどくさそうに言葉を発した。 ﹁降伏は無駄だ。抵抗をしろ。﹂ ﹁⋮なに⋮?﹂ ﹁聞こえなかったのか?降伏しても無駄だから、抵抗しろといった んだ。その短剣でな。﹂ 男が指さした先には放り投げた短剣。 神父は言葉の意味を理解出来ない。 頭が混乱する。回る思考。 そんな神父に男は追い討ちをかける。 ﹁もう一度だけ言ってやる。降伏は無駄だ、抵抗しろ。でなければ 今すぐ殺すぞ。﹂ 神父は理解する、言葉の意味を。 いや、本当はとっくに理解していた。 ただ、目を背けていただけ。 374 頭が弾き出した答えは、どう進んでも袋小路のデッドエンド。 生き残る術はわずかに一つ。 それは奇しくも、男の短剣を使わなければ出来ない。 神父は混乱しながらも、短剣を手に取った。 生き残るには男を殺すしかない。 既に神父の頭は正常ではなかった。 ﹁うっ、うわぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!﹂ 獣のような叫びを上げて男に飛び掛る神父。 自分でもこれほどまでのスピードで動けたのかと思うほどの速度だ った。 しかし、それは神父からすればの話。 男はなんなくその一撃をかわす。 ﹁ごくろーさん﹂ そんな声が神父の耳に届いたときには、身体はなにかによって貫か れていた。 それが剣だと分かる頃にはもう立ち上がれなくなっていた。 溢れ出る血。男はゆっくりと剣を神父の身体から引き抜く。 ﹁神よ⋮なぜ⋮私⋮を⋮見捨⋮てた⋮ので⋮すか⋮⋮﹂ それが神父の最後の言葉。 倒れながら、虚ろな眼でそう呟いた。 375 手に残る人を殺したという感触。 男はその余韻に浸っていた。 ︵神様ねェ⋮⋮︶ 息の無くなった神父を足元に見据えながら、憐れむような視線を送 る。 ︵神様っていうのは、きっとお前らが思ってるような救いの神様な んかじゃあない。それこそ、どうしようもなく気まぐれで理不尽な 存在なんだろうぜ。︶ ︵じゃなきゃ、オレみたいなのがこの世界にやってくるなんてこと はないからなァ︶ 男は笑う。嘲るように。 足で神父の頭を弄びながら。 ︵さて、とっとと死体の処理しねェとな。︶ そこまで考えてからふと気づく。 ︵って、何やってんだオレは。ここはあっちの世界じゃねェんだか ら、一々バラバラにする必要もねェだろうが。︶ 思わず昔を思い出す。 元の世界にいたときは身体をバラバラにし、内臓をミキサーにかけ 下水に流したものだ。 しかし、この世界ではそんな必要はない。 閉じていた教会の扉が開かれる。 376 入ってきたのは金髪の若い部下だった。 若いといっても自分に次いで地位は高いし、戦闘能力も高い優秀な 部下だ。 ﹁こちらにおられたのですか⋮その死体は?﹂ 指さす先には神父の死体。 ﹁抵抗しないと思ったらいきなり短剣で斬りつけてきたからな。ま ったく、とんだ不良神父だ。﹂ 白々しい嘘を吐きながら、神父の手から短剣をこれみよがしに引き 抜く。 ﹁本当ですね。抵抗しなければ、生き残れたというのに⋮﹂ ﹁そっちの状況は?﹂ ﹁こちらはほぼ制圧完了しました。大した抵抗もなく順調です。﹂ ﹁そうか、今日はここまでだな。進軍は明日にしよう。﹂ ﹁了解しました。﹂ 去っていく部下を見送ることはせずに男はおもむろに地図を取り出 す。 ギール王国の地図だ。 現在地を指でなぞり王都へのルートを確認する。 ︵次は⋮この村か、やたら小せェな。名前もねェのか?︶ 377 村の名前が書かれていない。それほどにちいさな村。 エテジアの村から少し離れた村だ。 次の標的を見つめながら男は笑みを浮かべるのだった。 378 379 第三十九話︵前書き︶ 久々の更新です。 正直リルのところは何で書いたんだろうレベル。 追放少年にこういう要素いらない気がしてならない。 多分次々話から回想になると思います。 380 第三十九話 翌朝 宿屋ビッグマウンテン ﹁⋮代金ここ置いとくぞ﹂ クロノは袋から金を取り出し、カウンターで眼が半開きになって寝 ている少女の前に置く。 ﹁ん∼∼∼???ね、ねみゅい⋮⋮誰だっけ?⋮うう、頭痛い⋮﹂ 眼をしばたかせ意識を覚醒させる少女。 かわいらしく右手で頭をさすっている。 あどけなさの残っていそうな少女だ。 しかし、その印象は吐息から漏れる酒臭い息によって瞬く間に瓦解 する。 ﹁クロノだ。とりあえずここまでの代金な。﹂ ﹁ああ∼∼⋮??誰だっけ?﹂ ﹁いい加減にしろよ、酔っ払い。﹂ ﹁冗談だよう。怒らないでよう﹂ 眼を潤ませながら、上目遣いで少女は顔を見上げる。 知らない人が見れば幼い少女を苛めているように見えるだろう光景 だ。 381 実際はそんなこともなく、眼が潤んでいるのは事前にしたあくびの お蔭なのだが。 ﹁いい年して何やってるんだか⋮﹂ 呆れたようにクロノが呟く。 彼女宿屋店主ユイ・ビッグマウンテンの実年齢を知っているクロノ からすれば、ユイの言動は痛いだけだ。 その発言にユイの眉がピクリと動く。 ﹁なーにか言った?﹂ 声のトーンが一段階下がる。 笑顔で不思議な威圧感を纏うユイ。 不思議な威圧感に一瞬たじろいでしまう。 ﹁⋮⋮まあ、いい。じゃあな﹂ これ以上首を突っ込むのは得策ではないと判断したクロノは早々に 話題を切って、宿屋を後にした。 その姿を遠くから見る影が一つ。 ﹁あれ?クロノどこか行くのかな?﹂ アース近郊 クロノは街から少し離れた林道を歩いていた。 碌に整備されておらず、歩くたびに足を草にとられそうな悪路。 天気は生憎の曇り。大陸全域を黒い暗雲が支配していた。 382 林道は暗く若干の不気味さを感じさせる。 林道を進むと少し開けた場所へとたどり着く。 そこの切り株にポツンと座るのは見慣れた緑髪の少年。 ﹁ようやく来たか、待ちくたびれたぞ。﹂ ﹁ちょっと無駄話しててね。﹂ 軽く問いに答えるクロノ。 メイからギールの状況を聞いたクロノはその日の内に行こうとした のだが、その時は既に外が暗く、戦争もまだ始まっていないとの事 だったので翌朝にしたのだった。 ﹁ところで、後ろにいるのはどうするつもりじゃ?﹂ ドラが鼻をひくつかせながら尋ねる。 ﹁?何のこと?﹂ ﹁気づいとらんのか⋮我が主ながら呆れるな⋮⋮ほれ、出て来んか﹂ 首で誰もいない森に出て来いと合図を送るドラ。 草木が揺れ影が姿を現した。 ﹁リル!?﹂ ﹁あっれー?結構自信あったのに⋮﹂ ﹁舐めるでない、儂からすれば丸分かりよ。どっかのマヌケは気づ かんかったようじゃがな。﹂ 383 ﹁いや、本当に気づかなかった。﹂ ﹁まあ、殺気は出しておらんかったから気づかんのは無理もないが。 ﹂ ﹁私がクロノに殺気なんて向けるわけないよ!﹂ 語気を強めるリル。 その姿を見てクロノは内心頭を抱えていた。 そもそも、朝にしたのはリルに見つからないようにするためだ。 恐らく、これから言うことはクロノでも容易に予想出来る。 ﹁クロノこれからどこ行くの?﹂ 予想通り。予想通り過ぎて怖いくらいだ。 そして、自分がこの先何を言ってもどんな返答が返ってくるかさえ 分かってしまう。 自分の予想が外れることを祈りながら、クロノは答えを返す。 ﹁ちょっと仕事でギールの方にね。﹂ ﹁私も行く!﹂ 駄目だ、もう駄目だ。予想通り過ぎて頭が痛い。 たとえどう嘘をついたとしても、同じ返答だっただろう。 再び深く頭を抱えてしまう。 リルだけはギールにどうしても連れて行きたくなかった。 これから戦争が始まる国になど、連れて行きたくなかったのだ。 クロノが戦争に参加すると言ったら、終わるまで一緒について回る 384 ことになるだろう。 通常のモンスター討伐依頼であればそれでも構わないのだが、今回 は戦争だ。 どこかで、必ず人が殺されることを見ることになる。 リルにそんなものを見せたくはなかった。 そんな現実を知るにはリルは幼すぎる。 これまでも、最大限配慮はしてきた。 リルには盗賊の討伐など人相手の依頼は受けないように言いつけて いるし、一緒のときもそういう依頼を受けることは避けてきた。 願わくば、永遠にそんなことを知らないまま育ってほしいとさえ思 う。 いつかは冒険者なんて辞めて、戦いなんてものから離れてほしかっ た。 それに、リルの身を危険に晒すことにもなる。 結果的にこんな世界に引きずり込んだのは自分なのだ。 身勝手だとは自分でも分かっているが、どうしてもそんな現実を見 せたくはなかった。 ﹁絶対に連れていかないから。﹂ ﹁じゃあ、私は絶対に付いていくから。﹂ 意地でも付いていこうとするリル。 こうなったらリルは意地でも付いていく構えだ。 普段であればここで引き下がるクロノだが、今日は抵抗を試みる。 ﹁本当に連れてかないから。﹂ ﹁いいよ、私は絶対に付いてくから。﹂ 385 かみ合わない会話。 ﹁早く行こうかドラ。﹂ ︵うーむ、珍しくクロノが食いさがっとるのう⋮︶ ﹁ドラ君は私を乗せてくれる よ・ね?﹂ リルは標的を変え、眼が笑っていない笑顔でドラに話しかける。 ︵この殺気⋮⋮クロノはとんでもない怪物を育てんじゃんなかろう か⋮︶ ﹁乗せなくていいからいくよドラ。﹂ リルを無視して、出発しようとするクロノ。 板ばさみになったドラは苦笑いを浮かべている。 ﹁んもう!!!どうして、連れてってくれないの!?﹂ ﹁どうしてもだ。﹂ 激昂するリルに冷静に言葉を返すクロノ。 普段であれば絶対に見られない光景だ。 ﹁だからどうして!?﹂ クロノは大きく溜め息をつく。 ﹁はぁ⋮、リルはギール王国がどうなってるか知らないんだよ。あ 386 そこはすぐにでも戦争が始まる。そんな危ないところに連れて行く わけにはいかないんだ。﹂ ﹁私だって、戦えるよ!クロノの足手まといにもならないから!!﹂ リルは諦めない。 その様子を見てクロノは再び大きく溜め息をついた。 そしてゆっくりとリルに近づき、優しく抱きしめた。 ﹁⋮⋮クロノ⋮?﹂ ﹁分かってくれ⋮⋮リルにあんなものを見せたくないんだ。戦争は 人が死ぬ。人が死ぬ光景になんて慣れたら駄目なんだよ。﹂ クロノの手は震えていた。 頭の中でフラッシュバックするのは、始めて人を殺した記憶。 あの人を殺した感情も感触も鮮明に思い出せる。 ﹁あんなものに慣れたら人を殺せるようになってしまう。リルは俺 みたいな最低な人間になっちゃいけないんだ。﹂ 手の震えが止まらない。 悲しくなるほどに、その言葉は自分自身に突き刺さった。 過去の記憶と重なって、リルの顔が目の前で血に染まったところを 浮かべてしまう。 重ねたのは過去の自分で、その眼はどこまでも虚ろに遠くを見つめ ている。 浴びているのは、自分の血ではなく返り血だ。 紅く染まった顔で、過去の自分はゆっくりと口を開く。 オ マ エ ガ コ ロ 387 シ タ 思わず眼を背ける。 何度も見た幻覚。 あの日からこんな幻覚を何度も何度も何度も繰り返し見た。 クロノは思う。 リルにそんなものを見せてはいけないんだ。 罪悪感に苛まれる人生を送らせてはいけないんだと。 ﹁⋮⋮違うよ⋮クロノは最低な人間なんかじゃない⋮﹂ リルが小さな声で囁いた。 ﹁クロノはいつだって私を助けてくれたから、初めて会った時も、 それからも、いーっぱい助けてくれたから⋮⋮最低なんかじゃない !!﹂ 声を上げるリル。 ﹁顔上げて?﹂ ﹁リル⋮⋮﹂ ﹁クロノは私にとって、王子様みたいな存在なんだよ。いつまでも、 俯いてるなんてらしくない。だから⋮ね?元気だして。﹂ 華奢な身体でリルが精一杯クロノを強く抱きしめる。 その手は温かくて、あの日を思い出す。 388 ﹁⋮ありがとう、リル。﹂ 視界から血まみれの自分が消え、現れたのは笑顔のリルだった。 顔を上げ、リルを見据える。 自然と手の震えは治まっていた。 ﹁うん、私の大好きなクロノの顔だ。大好きだよクロノ。﹂ ﹁ああ、俺もだリル。﹂ ︵儂がいること忘れとるじゃろ⋮⋮絶対あの二人、好きの意味がか み合っとらんの⋮⋮︶ 実に冷静に二人の状況を分析するドラ。 完全に一人取り残された格好だ。 ﹁だから、リルは今回連れて行けない。分かってくれ。﹂ ﹁うん、今回は付いていかないよ。クロノが私のこと大切に思って くれてるって分かったから。﹂ ﹁ただし、絶対無事で帰ってきてね。約束だよ?﹂ ﹁ああ、約束だ。﹂ リルは背の高いクロノを上目遣いで見上げながら、安心したように 笑顔を浮かべる。 その笑顔はとても無邪気でクロノには眩しく見えた。 再度抱擁を交わした後、どちらともなく手を離す。 二人の様子を見て、自分の主に呆れつつドラは龍へと姿を変える。 389 鮮やかな緑で、神々しささえ感じさせる龍。 その姿に臆することなくクロノは上に飛び乗った。 ﹁じゃあ、行って来るよ。﹂ ﹁うん、無事で帰ってきてね。﹂ ドラが大きな翼を羽ばたかせ、ゆっくりと飛び立つ。 森に強風が吹き荒れる。ざわめく木々。 強風の中でもリルは揺らぐことなく、飛び去っていく二人を見つめ ていた。 ﹁そういえば、そもそものギールに行く目的は保護じゃった気がす るんじゃがどうするんじゃ?﹂ ﹁メイから貰った紙に全部書いてあるよ。﹂ そう言って、クロノは強風が吹き荒れるドラの上でポケットをまさ ぐる。 ポケットから小さな正方形の白い紙を取り出す。 昨日メイから渡された紙だ。 それを右手に持ち目の前に持ってくる。 その時ドラの身体が若干揺れた。 ﹁えっーと、うおっ⋮あっ⋮⋮あーーーーーーーーーーーーーー! !﹂ 390 揺れた拍子に紙が手から離れ、空へと飛んでいく。 瞬く間に、揺れながら視界から消えてしまった。 ﹁どうしたんじゃ?﹂ ﹁紙が飛んでった⋮⋮ま、いっか。内容は昨日見て全部覚えてるし。 ﹂ ︵あああああああ、クロノが好きって言ってくれたよ!!夢じゃな いよね?夢じゃないよね?︶ 二人が過ぎ去った後で、リルは答えの出ない自問自答を繰り返して いた。 頭が熱くなって何度もさきほどの映像が再生される。 そんな、夢見心地のリルの前に迫る白い物体。 白い物体は徐々に速度を緩め、目の前の地面へと着地する。 着地したのを見てみると、どうやら紙らしい。 ︵なんだろう?これ?︶ 好奇心で拾い上げてみるとそこに書かれていたのは、依頼らしき内 容。 特徴的な語尾から見て、書いたのがアース神聖国の領主メイ・シュ ガーであろう事が容易に想像できた。 内容からして特定の人物の保護らしい。 391 ︵どうみてもクロノの⋮だよね⋮︶ 周囲を見渡すが人の気配を感じられない。 落としたのはクロノで間違いないだろうと確信を持つ。 ︵うーん届けに行った方がいいのかな?でも、ついてくるなって言 われたし⋮︶ ︵いや、これがなくてクロノが困ってるかも知れない⋮⋮ちょっと 行って帰ってくるだけならだいじょ−ぶだよね?だいじょーぶだい じょーぶ。よし、行こう。それに、この場所なら私が役に立つかも しれないし。︶ 領主の館 独特の匂いがする特徴的な部屋。 見るものが見ればすぐに和室だとすぐに分かる部屋だ。 そこに座布団を敷いて正座するのはこの街でも有名な三人。 ﹁︱︱︱なーんで、この二人に囲まれるとウチが最年長に見えるん や⋮﹂ ﹁そんな事ありませんよ、メイさんはいつでも若々しいじゃないで すか。﹂ ﹁若々しいんやなくて一番若いんやけどな⋮﹂ 392 ﹁しょうがないよう。私は永遠の12歳だし、ユウ君は永遠の18 歳だからー﹂ ﹁つまり、実年齢22歳のウチが一番老けとるっちゅうことか⋮⋮ くっそう!世の中はどうしてこんな理不尽なんや!﹂ バンバンと畳を叩きながら理不尽を嘆くメイ。 その様子を見ながら丁寧な持ち方でお茶をすするユウ。 ニヤニヤと笑っているユイ。 コントのようなやり取り。 ひとしきり畳に理不尽な怒りをぶつけたところでメイは顔を上げる。 ﹁まあ、おふざけはこれくらいにして﹂ ﹁それにしては熱心に叩いていた気がしますが⋮﹂ ﹁で?結局何の用なのかなあ?予想はついてるけどう。﹂ 場の空気が変わる。 ユウも大体は察しがついているようだ。 メイは二人の顔を確認してから、ゆっくりと本題を切り出した︱︱ 名も無き村 宿屋の店主である女性は朝の追悼が終わった後も、娘の墓の前にい た。 既に他の村人はいなく、墓場には彼女一人だ。 墓場には浅い霧がかかっており不気味に見える。 393 ﹁今日は雨が降りそうだねえ。﹂ 物言わぬ娘に話しかける女性。 空は生憎の曇り空。今すぐにでも雨が降ってきそうだ。 ﹁この花もすっかり元気になって⋮﹂ 墓の前には花瓶に添えられた赤い花。 つい、先日までしおれていたのが嘘のように咲き誇っている。 ﹁じゃあ、また明日。﹂ 一度墓石を撫でて娘に別れを告げる。 そして家に戻ろうと振り向いたその時︱︱ ﹁誰もいないよなァ⋮﹂ 声が聞こえた。 それは男の声。 村人は全員知っているが、誰も当てはまらないその声。 徐々に霧に隠れていた男の輪郭がはっきりとしてくる。 ﹁ここなら、殺しても見つからねェな﹂ 物騒な言葉を当然のように言い放つ。 その言葉の矛先が誰に向いているか、女性は本能的に察知した。 男はじりじりと近づいてくる。 ﹁悪ィけど、昨日みたく遊んでる暇はねェんだ。じゃあな﹂ 394 高く掲げた剣。特別な装飾が施されたその剣はとても眩く光って見 えた。 あっさりと、死刑宣告を告げた男は剣を振り下ろす。 次の瞬間 鮮血が 飛び 散った 395 第四十話︵前書き︶ 書いてみたら次が回想になりませんでした クロノの兄の名前初登場 396 第四十話 領主の館 ﹁︱︱にゃーるほどねー。どおりでクリョニョンがあんな早くに出 てったわけだー﹂ ﹁まっ、そういうこっちゃ。うちらとしても、あっちで止めて貰い たいんやけどそう簡単にはいかんやろうしな。﹂ ﹁そうですねえ⋮⋮あっちから来た方々は、魔力が並外れてますか らね。私たちも人の事は言えませんが。﹂ 顎に手を当てながら、柔和な笑みを浮かべるユウ。 ﹁はっははは、せやなぁ﹂ それにつられるようにメイも軽く笑い声を上げた。 ユイはまじまじと、ユウの顔を見つめている。 ﹁うーん、やっぱりユウ君ってイケメンだねー。結婚しない?﹂ ﹁丁重にお断りさせていただきますよ。ユイさん。﹂ 話は道筋を誤ったかのように脱線していく。 ﹁つれにゃーいなー﹂ ﹁貴女にはもっと良い男性が見つかりますよ、きっと。私は家庭を 397 作る気がありませんからね。﹂ ﹁そう考えるとウッドブックのじーさんは上手く抜けたよねー。実 子を作らずに養子とはね。﹂ ﹁領主のウチとしては抜けてもらうと困るんやけどなぁ。今となっ ては三人だけやろ?﹂ 小さく溜め息をついてわざとらしく落胆したように見せるメイ。 ﹁ですね。千年前に比べたら大分減りました。﹂ ﹁遺伝しない可能性もあるわけだから減るのもしょーがないよ。﹂ ﹁⋮ウチとしては遺伝しない方がうれしかったんやけどな⋮﹂ ぼそりとメイが呟いた。 それは三人の本心でもある。 しかし、普段それを表に出すことはない。 無駄だと分かっているからだ。 三人の空気が少し沈む。 自分のせいで、空気が沈んでしまったと思ったメイはすかさず建て 直しを図る。 ﹁ま、まあええわ。ほな、そういうことで準備はしといてや∼﹂ ﹁分かりました。では失礼します。﹂ ﹁じゃーねーー﹂ 398 丁寧なお辞儀をして部屋を出て行くユウと、背をむけたまま手を振 って出て行くユイ。 対照的な二人を見送るメイ。 客のいなくなった室内は静まり返る。 二人を完全に見送った後、メイは巻かれた紙を取り出して目の前の 広げた。 その紙に記されているのは家系図。 普通の人間には読めない言語で記されている。 指でその紙をゆっくりなぞっていく。 そして、ある文字のところで指を止めた。 書かれているのは﹁佐藤 芽衣﹂という文字。 じっくりと眺め、憂鬱な溜め息を吐く。 その文字を、人差し指に力を溜め思いっきり弾いた。 記された自分の名前を恨めしく思いながら。 館を出た帰り道、ユウとユイの二人は同じ方向へと歩いていた。 ﹁でー、実際どうなのよユウ君はー?﹂ ﹁どうと言いますと?﹂ ﹁またまたー、とぼけちゃってえ、こんな家に生まれたこと後悔し てるかなってこと﹂ 丸で世間話かのように尋ねるユイ。 対するユウはさして気に留めた様子もなく淡々と告げる。 399 ﹁今更そんな事後悔するような年齢じゃないですよ。既に諦めまし た。そういう貴女はどうなんです?﹂ ﹁それこそ、答えるまでもないかなー、分かってるでしょ?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁でも、メイちゃんはまだ諦めてないみたいだね。若いっていいね。 ﹂ ﹁永遠の12歳じゃなかったんですか?﹂ ﹁むっ、そこでそういうこと言うのは野暮ってやつだよう?﹂ ﹁これは失礼。﹂ ﹁ま、何にせよ、諦めた私たちとは違う選択をして欲しいなってこ とさ。﹂ どこか遠くを見つめながら、皮肉気にユイが呟く。 ﹁この国は上手く維持出来てるようで、その実無理が出てきてる。 現に今ですら人手が足りない。最初は大勢いたから良かったんだろ うけど、近い将来にも今回みたいなことが起きたら、その時には存 続できないだろうね。﹂ ﹁そうですね。力は必ず受け継ぐわけじゃないですし、いずれ、私 たちのような力を持った人間もいなくなります。﹂ ﹁その原因は子孫を残そうとしない私たちが加速させているわけだ 400 けども、結局の所、遅いか早いかの違いでしかない。国を一から作 り直さないと、いつか瓦解してしまう。そろそろ本格的に軍隊でも 作らないといけないかもね。﹂ ﹁﹁本家﹂筋の方がそれを許してはくれないでしょうけどね。あち らは規律やら伝統が大好きですから。﹂ ﹁そこら辺は未来ある若者に期待だよう。﹂ ﹁年寄りくさいですよ、言い回しが。﹂ ﹁ユウ君には言われたくないなー、同い年でしょ私たち。﹂ ﹁はて?私は18ですが?お嬢さんはまだ12でしょう?﹂ ﹁こういう時だけ、そういうこと言って誤魔化すの昔から変わって ないね。﹂ ﹁ホントですね、昔から何も変わらない⋮⋮何もね⋮⋮﹂ ウッドブック工房地下 401 ﹁リルこないッスねえ⋮﹂ 鎧や剣などが壁際に立てかけられた地下。 下は土の地面になっており、外と変わらない硬さだ。 店のカウンター奥から入れるこの場所は、主に武器の試し斬りなど に使われる。 ﹁今日は朝からこれの調整って言ったはずなんスけど⋮﹂ カイの手元には不思議な形をした小型の鉄の塊。 先が少し長く伸びており、真ん中には丸い穴がぽっかりと空いてい る。 これはカイの製作したものだが、発想自体は工房にあった設計図か らだ。 どうやら初代が書いたものらしく、所々字が掠れていて長らく放置 していたが、足りない部分は自分で試行錯誤して作り上げたのだ。 ﹁先に始めとくッスかね﹂ リルが来るのを諦め、自分で調整を始めようと構えた。 両手でしっかりと握り、壁めがけ引き金を引く。 パァンと、乾いた音と共に手を鋭い衝撃が襲った。 衝撃で眼を閉じてしまう。 地下には若干の煙が立ち込め、鼻腔をくすぐる独特の臭いが充満す る。 とてもじゃないが、良い臭いとはいえない。 眼を開けて放った方向を見ると壁に穴が空いてはいたが、カイにと ってはやや不満だった。 狙った場所からは大分離れていたからだ。 402 ﹁うーん、やっぱ調整が必要ッスね﹂ 痺れた手をぶらぶらと振りながら、放った後の武器を見つめる。 損傷はない。だが、やはり命中と衝撃が問題だ。 一旦工房に引き上げて微調整を行おうとした時︱︱ ﹁へぇ⋮、面白そうな武器持ってるな。ちょっと、見せてくれない か?﹂ 声がした。誰もいないはずの地下で。 男の声。強盗か何かかと、カイは身構える。 しかし、その構えはあっさりと崩される。 間の抜けた声によって。 ﹁駄目だよ∼∼∼∼、勝手に奥に入っちゃ∼∼∼﹂ 名もなき村 レオンハルト王国第一騎士団団長ディルグ・ユースティアは、苛立 っていた。 その理由はいつもどこかへと消える勇者。 戦闘が始まるとどこかへと消え、凄まじい戦果を上げてくる。 一々、報告するために探すのは骨だ。 そして何よりも、ぽっと出の勇者が軍を仕切っているのが彼を苛立 たせていた。 403 王の信頼も厚く、なまじ戦果を上げてくるため降ろすことも出来な い。 本来であれば軍を率いるのは隊長である自分の役目だったはずだ。 それを、貴族でも何でもない勇者が先頭に立っているのは屈辱とい う他ない。 だが、今の彼には策があった。 最近多発している敵国民間人の殺害。 軍では労働力となる敵国民間人の無差別な殺害を許可していない。 その責任を勇者の監督不行き届きでなすりつけてしまおうと考えて いた。 だからこそ、今すぐにでも見つけてしまいたかった。勇者をその座 から引き摺り降ろすために。 制圧を終え、軍の人間でごった返す道を掻き分ける。 そんな中で一際、人がいる場所の中心に勇者の後ろ姿を見つけた。 人の群れは勇者を中心に輪を作っているが、何故か勇者と軍の人間 とは少し距離を空けている。 ようやく人の群れを抜け、勇者の前に出る。 視界が一気に開けた。 そこでディルグは知る。なぜ、勇者を取り囲むようにして輪が出来 ていたのかを。 視界の先にあったのは血に塗れた勇者︱︱︱と同じ軍の兵士だと思 われる服を着た首のない人間の死体だった。 目の前の状況に理解が追いつかず、固まるディルグ。 よく見ると、勇者は左手に何かを持っている。 眼を凝らして見ると、それは男の首だった。 おそらく足元にある兵士のものだろう。 だらしなく眼が開かれており、同じ人間のようには見えない。 勇者はというと、ディルグを見つけたようでこちらに視線を向ける。 その眼を見た瞬間に背中がざわつく、圧倒的悪寒。 404 怖い、というのがディルグの正直な感想だった。 汗が頬を伝う。身体が縫い付けられたかのように動かない。 狂気に染まった眼。口元が少し楽しげに笑っているように見え、一 層恐怖感を植えつける。 ﹁⋮何をやってるんだ?⋮﹂ 勇者が口を開いた。 同時に眼から狂気の相が消えたように見えた。 ﹁⋮勇者様に最近の軍内における、民間人の殺害について意見を伺 おうと思いまして。﹂ ディルグは軽く勇者を探るために、攻撃を加える。 ここでそれすらも知らないというのであれば、監督不足を糾弾出来 る。 さきほどの悪寒は気になったが、それよりも自身のプライドが勝っ た。 ﹁それなら、たった今解決したところだ。﹂ そう言って、左手に持った生首を差し出す。 事態が飲み込めないディルグには、只の気持ち悪い生首だ。 ディルグの疑問に答えるように勇者は言葉を続ける。 ﹁こいつがその犯人だ。そして、私が処罰した。﹂ その言葉にディルグは歯噛みする事しか出来なかった。 405 ︵ったく、この世界の人間共は無菌室で培養された良い子ちゃんば っかですかァ?︶ 一人陣へと戻った勇者は心中で吐き捨てた。 気づいてはいた。軍の中で民間人の殺害が問題になっていたことは。 犯人探しなどされてはたまったものではない。 行っているのは自分だったからだ。積み上げてきた信頼が瓦解して しまう。 そこで思いついたのが罪を一般の兵士になすりつけ、見せしめとし て皆の前で処罰することだった。 幸い彼には信頼があった。疑うものはいない。 同時に己の欲求を満たせて一石二鳥だ。 ︵⋮しっかし、まあ、危ないところだったな。思わずアイツを殺し たくなっちまった。︶ 先ほどの部下とのやりとりを思い出す。 人を殺した事で何ともいえない高揚感に包まれ、思わず部下を殺し たくなってしまった。 殺せ コロセ コロセ と頭の中で脳が狂喜していた。 まだ時期は早いと、必死に自身に言い聞かせ自制したのだった。 恐らく、あの時の顔はこの世界に来てから取り繕っている顔ではな く、本来の殺人鬼としての自分だっただろう。 ︵まだまだ、じっくりと行かねェとな⋮ケーキの苺は最後まで⋮な︶ 406 407 第四十話︵後書き︶ シュガー↓砂糖↓佐藤とかいう適当さ あの三人の話はそのまま放置するかもしれません 時間あったら書くかもですが 408 第四十一話︵前書き︶ ようやく次回から過去編 朱美さんにはクズ親っぷりを発揮してもらいましょうかね そして妹の名前初出 クロノ君の豆腐メンタル化はっじまるよーー 409 第四十一話 首都アース大通り 日に日に人が増す大通り。一週間前と比べたら倍以上だ。 その理由としては、大陸の情勢が不安定な中でこの国が安全だと いう話が広まっているからという考えがあった。 千年間持ったこの国ならば今回も安全であろうという考え。 そんな人々の考えなど露しらずアンナとアレクは通りを歩いてい た。 ﹁も∼∼∼∼う、お店の人困ってたよ∼∼∼∼?﹂ 隣を歩くアンナから咎める声が聞こえるが、イマイチ言い方のせ いか咎めているようには聞こえない。 アレクは答えるのもめんどくさいといった様子で答えようとはし ない。 ﹁ね∼∼∼∼∼え∼∼∼∼∼﹂ 諦めずに声を上げるアンナ。 それでも無視し続ける。 ﹁お∼∼∼い∼∼∼? 聞いてる∼∼∼﹂ ﹁はいはい反省してますよっと﹂ 流石に三回目となるとアレクが諦め、めんどくさそうに声を返した これ以上無視すると泣きかねない。 410 ﹁そ∼∼∼そ∼∼∼しっかり謝らないとね∼∼∼﹂ 両手を腰にあて、透き通るような銀髪の長い髪を揺らし、えっへ んと誇らしげに大きな胸を張るアンナ。 その様を見て、大通りの男が数人振り向く。 アンナは見た目だけなら貴族の出だけあって妖艶で美しい。男た ちが振り向くのも無理は無い。 見慣れたアレクからすればまったく理解出来ないことだが。 ﹁いや、謝られるべきは無断で入られた店のあのガキだろ⋮﹂ 残念な思考の相方に溜め息を吐く。当の本人は気にした様子など ない。 慣れたことだが、マイペースな相方に呆れ、もう一度深い溜め息 を吐いた。 ﹁ったく⋮⋮暢気だなお前は⋮⋮今現在の情勢、結構俺たちにとっ てはヤバイ状況なんだぜ?﹂ ﹁ど∼∼いうこと∼∼∼∼?﹂ ﹁あの国が今各国を攻めて回ってる。正直、他の国とは軍事力に差 ジョーカー がありすぎだ。おそらくどの国も止められないだろう。元々4カー ブタ ドくらいの戦力だったのに勇者が加わって更に強くなった。それに 比べりゃ、他なんて役無しみたいなもんだ。今はまだ詳しい状況は 入ってこないが、既に何カ国か落とされてる可能性もある。この国 だって絶対安全と呼ばれてるがそれだって怪しい。﹂ 411 ︵いや⋮実際は4カードか⋮⋮一枚は抜いたからな⋮⋮︶ ﹁でだ、現状安全と呼べる国は一つしかない。今ノリに乗っている 国、レオンハルトしかな。だが、俺たちはあそこのお偉いさんに追 われているから逃げ込めない。つまり、この国がやられたら俺たち も自動的にアウトってわけだ﹂ ﹁ん∼∼∼、よくわかんない∼∼∼∼∼∼﹂ 既に途中から理解することを諦めていたアンナは頬に指を当て首 を傾げる。 分かっていたことだが、予想通りの反応をする相方に呆れてしま う。 ﹁⋮⋮分かんねえなら、それでいいさ。お前は一緒にいてくれるだ けでいい﹂ ︵絶対にお前をあそこには帰さない。その為に使えるものは何でも カード 使うさ。逃げる準備も、戦う準備もしておかないとな。あの武器も その内の一つになりえるかもしれない。俺に足りない才能を補うも のに⋮⋮︶ 幼き日の誓い。己の無力。彼は誓う、どんな手を使ってでも彼女 を守り抜くのだと。 どれほど自分の手が汚れようとも、彼女の手は汚させない。 ﹁さて、とりあえずセントーでも行くか。何かこの国特有のもので、 山の熱を使ってるとかいう﹂ 412 ﹁さんせ∼∼∼∼∼∼﹂ ギール東方陣内 勇者は一人張られた陣の中にいた。 白い幕が張られ、外から中の様子を伺うことは出来ないつくりと なっている。 中では会談用のテーブルや椅子が配置されている。 そこで彼は待っていた、戦勝の報を。だらしなく椅子に寄りかか り上を見上げながら。 勇者は本来矢面に立って指揮することは少ない。 先陣を切っていくのは決まって小規模の村ばかりだ。 始めの頃はその事で腰抜け勇者などと揶揄されたものだが、今そ ういったことを口にするものはいない。 誰もが見ているからだ。勇者の圧倒的力を。 そもそも、指揮官が先陣を切るなどという方が異常なのだ。 軍内ではそんな事もあって、勇者への信頼は厚い。 だが彼にはまったく別の理由として、小さな村でしか先陣を切ら ない理由があった。 それこそが、彼の本来の目的である。 それは︱︱︱殺人の隠蔽。 大きな街や村では人が多く、見られる可能性が高い。殺人の瞬間 を。 小さな村では人目につかない所が多く、殺りやすい。 もし、見つかりでもすれば軍の人間を含め全員殺さなければなら ない。 いずれは全員殺す気ではあるが、まだ時期が早い。 そうならない為にも、先陣を切って誰よりも早く村へと入る必要 413 があった。 彼にとって殺人は食欲にも似た自然な欲求。抑えきれぬ溢れだす 衝動。 表情には出さずとも、彼の心はひたすらに快楽を求めて叫ぶ。 ︵ア゛ア゛ア゛殺してェェェェェ!!︶ 実際殺すのは簡単だ。この世界に来てから手に入れた力であれば 一分とかからずに、軍の人間も敵国の人間もまとめて殲滅できる。 だが彼はあえてそれをしない。それでは殺したという実感を得ら れないからだ。 自分の手で直接殺さないと意味がない。 よって今の彼はそれが出来ずに暇を持て余していた。 ︵何か暇つぶしになるようなことねーかな⋮︶ 不意に白い幕の端が揺れた。 ﹁入れ﹂ 慌てて表情を取り繕う。 入って来たのは騎士風の男だが、普段見ている第一騎士団団長で はない。 記憶が正しければその更に下の男だった気がする。 いわゆる部下の部下だ。 男は一礼した後、勇者の前に瓶を置いた。 瓶は硝子製で緑色の瓶の中に液体がゆらゆらと揺れている。 見たところ酒の様だ。 ﹁こちらは今回の戦利品です。どうぞ。﹂ 414 ﹁そんな物を寄越せと言った覚えはないが?﹂ ﹁勇者様もお疲れになっているだろうと思いまして、独断で持って 参りました。﹂ 思考を逡巡させる。色々と思い当たる節はあった。 おそらくこの男は嘘をついているだろう。そう確信を持った。 ﹁⋮⋮いや、ありがたく貰っておこう。﹂ ﹁では、私はこれで。﹂ 再び一礼をして、陣の中から男は出て行く。 次いで勇者も男がいなくなった後で、酒を持ってどこかへと向か った。 向かったのは名もなき村︱︱だったところ。 そんな中で視界に飛びこんできたのは一匹の猫。 汚い身なりで毛はぼろぼろだ。 勇者は猫の前に行き、思いっきり酒を猫の前にぶちまけた。 乾いていた地面は瞬く間に水分を吸って変色する。 猫は変色した地面の前に近づいてペロッと小さな舌を出し地面を 舐める。 すると、途端に猫はもがきだし、仕舞いには動かなくなってしま った。 その様子を愛おしそうに見つめながら勇者は呟く。 ﹁ハッ、ホントこりねェなアイツも。﹂ ギール王国王都 415 王都内は平穏を保っていた。 民衆は気づかない。既に戦乱の渦に自分たちが巻き込まれている ことを。 明日も今日と変わらぬ一日がやってくるものだと信じきっている。 気づいているのは王や兵士だけだ。 変わらぬ王都内を抜けてクロノとドラは一直線に城内へと向かう。 ギール城内 城内は王都とは打って変わって慌しくなっていた。 果てしなく広い城内をせわしなく駆ける人々。 普段では考えられないほどの慌てっぷりだ。 その群れに混じりクロノたちが向かうのは、軍議室。 派手に飾られた扉を開け中へと入る。 長方形のテーブルが並べられ、周りを囲むように椅子が置かれて いる。 中にいたのは王であるクライス、騎士団団長ギルフォード、それに 加え数人の重鎮らしき人間が会議をしていた。 突然の闖入者に一同は目を丸くしたが、その姿を見ると一様に視 線を外す。 ここにいる全員はクロノを知っているからだ。強さを含め。 ﹁丁度いいところに来てくれたのクロノ﹂ ﹁⋮仕事でこの国に来ていただけだ。たまたま、レオンハルトから 攻撃を受けるという噂を聞いたからここに来たまで﹂ ﹁ほう? まだその情報は一般には出回ってないはずじゃがな⋮﹂ 416 顎に手をあて意地らしい笑みを浮かべるクライス。 どうやら、嘘だと見抜かれているらしい。 若干嫌な顔をするクロノ。 ﹁⋮ふん⋮﹂ ﹁あえて聞くのは止めておくとしようかの。﹂ クライスもこれ以上追求するのは得策ではないと判断したのか、 それ以上追撃することはない。 ﹁状況はどうなっているんだ⋮﹂ ﹁そうじゃの好ましい状況とは言えんな。﹂ ﹁はっきり言え⋮﹂ 非常に無礼極まりない物言いだ。 王に対しての口調ではないが、咎める者はこの場にはいなかった。 ﹁現在既にあちらの攻撃は始まっておる。東の方からな。﹂ ﹁東⋮!?﹂ 明らかに同様を見せるクロノ。 普段であれば見られない表情だ。 ﹁何を驚く必要がある。シュヴァイツとの隣接地じゃ、当然敵もそ ちらから攻めてくるじゃろ。﹂ 417 ﹁!!!﹂ 机をバンッと叩く。後ろにいたドラも思わずたじろいだ。 軍議室をなんともいえない緊張感が包み込む。 不用意な発言をすれば、この国が危ないということを肌で感じ取っ ていたからだ。 クロノがいなければ今回の戦争は敗色濃厚だ。 ここで機嫌を損ねでもしたら、参加してくれないかもしれない。 ﹁軍の状況は?﹂ 当のクロノはその雰囲気に気づかず、やや焦りながら尋ねる。 その声に内心怯えながらおずおずとギルフォードが手を挙げた。 ﹁それについては、準備が済んでいます。﹂ ﹁なら、今すぐにでも⋮﹂ 言いかけたクロノをクライスが制す。 ﹁それはならん﹂ 威厳のある声が軍議室に響く。 ﹁敵は王都近郊で迎え撃つ。東に兵は向けん。﹂ それは事実上、東は捨てるという意味に他ならない。 クロノはクライスへと近づき胸倉を掴んだ。 ﹁どういうことだ!?﹂ 418 冷静なはずのクロノが感情をむき出しにする。 掴まれたクライスは、怯むことなくまっすぐにクロノを見据える。 その眼はどこまでも冷静で、逆に恐ろしささえ感じる。 ﹁離せ、これ以上は許さんぞ﹂ ﹁お前は!! 自分の国民を見捨てるのか!!!﹂ クロノは視線を外さない。 掴む手に、より一層力が入る。 クライスは動じることなくクロノを鼻で笑う。 ﹁青いな⋮青すぎる⋮﹂ ﹁何がだ!!それでも国王か!!﹂ ヒートアップしたクロノは更にボルテージを上げていく。 そんな様を見るクライスの眼は冷ややかだ。 ﹁それでも国王か?違うな、これが国王じゃ。﹂ クロノの手を握り返す。 力で負けるはずはないというのに、振りほどけない。 ﹁大を救うために小を切り捨てる。考えれば分かることじゃ。攻め られている東に慌てて兵を向けるよりも、ここで準備して迎え撃っ た方が強い。感情論だけで国は動かせん。﹂ それは王としての決断。何年も何十年もこの国の王として治めてき 419 た王としての。 軍議の雰囲気は変わる。クライスの言葉で怯えていた雰囲気は消え、 恐怖は王への信頼へと変わる。 クロノは言い返せない。冷静に考えればクライスの言っていること は正しい。 その事実がクロノの思考を更に加速させる。 ﹁⋮⋮!!﹂ 最早言葉に出来ないほどに思考は混乱を極めていた。 言葉では納得出来ても、心が納得出来ない。 手からは自然と力が抜け、クライスが離れる。 ﹁⋮⋮クソッッ!!!﹂ ずかずかとクライスから離れ、扉へ向け歩き出す。 ﹁どこへ行く?勝手な行動は許さんぞ?﹂ ﹁⋮俺はお前の部下でもなんでもない。お前の命令を受ける義理も ない。﹂ それだけ言い残してクロノは軍議室を出て行ってしまった。 嵐が過ぎ去った軍議室は、重苦しい雰囲気が支配していた。 各々の心中にあるのはクロノが出ていってしまった絶望。 戦力を考えると、どうやっても必要な人材だ。 皆が頭を抱えていた、とある二人を除いては。 ﹁ど、どうなさるおつもりですか?彼がいなくては⋮﹂ 420 ﹁戻ってくるじゃろう。いずれな⋮そうじゃろ?﹂ クライスはいつの間にか椅子へと腰掛けていたドラに視線を向ける。 ﹁さてな﹂ 顔をこちらに向けることなく短い言葉で返すドラ。 ﹁追わなくてよいのか?﹂ ﹁必要ないじゃろ。今回に関しては主の方が正しい。王としては当 然の判断じゃ。クロノもその事は分かっておるはず。﹂ ﹁存外冷静じゃな。てっきりクロノの肩を持つものじゃと思うとっ たがの﹂ ﹁見縊るでない人間の王よ。どちらが正しいかくらいは判断がつく さ。王であればなおのことな﹂ ドラは不敵に笑う。何かを思い出すように。 ﹁彼奴も本心でそれは分かっているのじゃよ。ただ、割り切れない だけじゃよ。東は少々特別でな﹂ 黄色い眼光で鋭く宙を射抜くドラ。 ﹁⋮出来ればお主にも、戦力として加わって貰いたいんじゃがな。﹂ その言葉にドラの眉がピクリと動いた。 テーブルの上に乗り、クライスへと近づいていく。目の前にたど 421 り着いたところで顔を近づける。二人の距離は10cmも無い。 ﹁勘違いするなよ人間の王。儂に命令していいのは主であるクロノ だけじゃ。主の敵になるというのであれば、儂は容赦せん。その事 を努々忘れるな﹂ ﹁⋮肝に銘じておこう﹂ 威圧するドラに動じず、淡々と返すクライス。 ドラは顔を離しテーブルから飛び降りる。そしてそのまま振り返 ることなく、部屋を出て行った。 ギール王国東方 侵攻を続ける軍内。 その中心に立つのは一人の少女。 少女の周りには常に風が吹き荒れている。 一族の中でも最高の天才と呼ばれる少女は十三歳という若さで、一 つの隊を任せられている。 少女は何の滞りもなく東地区を制圧していく。 言われた事を淡々と。まるで機械のようにこなしていた。今の所は。 侵攻を進める少女の隊の先頭を行く人間が倒れた。 先頭は少女からは遠く敵の姿は見当たらない。 次いでその隣の人間が、そして今度はその二人の後ろにいた人間が 倒れる。 次々とドミノ倒しのように崩れていく人々。 422 少女はそれを見て脅威だと判断し、魔力を一点に集中させイメージ を始める。 イメージは何ものも切り裂く刃。 ドミノの波は中心にいる少女に刻一刻と迫ってくる。 少女は溜めに溜めた魔力を眼に視えぬ脅威へと風の刃へ変え放つ。 放ったときに見えたのは、眼の前に迫る見覚えのある刀と自分と同 じ青い眼だった。 どうやら魔力を溜めている間に眼前に迫られていたらしい。 だが、あの距離ではよけられない。 そう、思った。 しかし、風の刃が過ぎ去った後に見えたのは抉られた大地だけだっ た。 ﹁遅い。﹂ ﹁⋮⋮ッッ!!?﹂ 耳元で声がした。咄嗟に魔力を練り上げ空へと浮遊する。 下を見ると自分がいた場所に立つ人影。 それは黒いフードを被りこの世界には存在しないはずの日本刀を携 えた男だった。 クロノが王城を出て向かったのは、ギール東方。 最初からレベル5に能力を設定し東方へと駆ける。 ドラの最高速すらも越えるスピード。 風を切り圧倒的スピードでギールの大地を駆け抜ける。 目指すは名前もないほどの小さな村。 クロノにとってはある意味特別な意味を持つ場所だ。 423 東方へ向かい、見えてきたのは敵の軍勢。 ざっと見たところ千人いくかいかないか程度の大軍勢だ。 出来るだけ出会うことを避けてきたのだが、ここだけは抜けないと 目的地へはたどり着けない。 鞘から紅朱音を抜く。 この程度の軍勢など相手にはならない。 クロノは覚悟を決めた。邪魔をするのであれば容赦はしない。 一人また一人と斬り捨てていく。 殺そうが殺さまいがどうでもよかった。 今回の目的は名も無き村へとたどり着くこと。 別に殺す必要は無い。戦闘できない程度に痛めつけてしまえばいい。 そうして、隊の半分まで行ったところでいきなり飛んできたのは見 覚えのある風の刃。 それは紛れも無く﹁かまいたち﹂だった。レベル5でなかったらよ けられなかったであろう一撃。 放ったのは一人の少女。服装はそこら辺に転がっている兵士とは一 線を模す。 質素に見えるが上質な布を使っているであろうことが、素人のクロ ノでもわかった。 ﹁かまいたち﹂を放ったことだけでも驚きだったが、もっと驚いた のはその容姿。 金髪で青眼。見覚えのある顔立ち。見紛うはずはなかった。 その姿は紛れも無く、自分の妹ユーリ・ユースティアのものだった。 だから、なのだろうか。 妹だと分かった瞬間に刀を向ける気が急激に失せた。 実際、斬ろうと思えばいくらでも出来た。 空へと飛び上がることすらも許さずに。 だが、事実として刃は止まった。 クロノは空へと飛び上がったユーリを見上げる。 おそらく彼女は、今の自分には気づかない。あるいは既に忘れてい 424 るかもしれない。 それでいい。これから始まるのは戦争なのだから︱︱ 空へと浮き上がった少女ユーリ・ユースティアは思考を巡らせてい た。 突如として現れた正体不明の敵。 自分の隊の半分を一人で潰した男。 一目見ただけで分かる。おそらく自分はあの男には勝てない。 そうなればとるべき行動は一つ。 ﹁⋮⋮全軍撤退⋮⋮﹂ その言葉は決して大きくはなかったが、その言葉で残りの半分の隊 は理解する。 目の前で起きたことが現実であるのだと。武器を持っていた者たち は我先にと後ろへと後退していく。 ﹁⋮⋮やるなら、相手になるけど⋮⋮?﹂ 日本刀を持った男へと言葉を投げかける。 殿を務めるつもりだった。自分で無ければ殿にすらならないであろ うことは明白だった。 ﹁⋮いや、いい今日は殲滅しに来たわけじゃない。通り道でお前ら が邪魔してたから避けてもらっただけだ。自分から退くのであれば 深追いはしない。﹂ 予想外の返答。刀を納めたところを見るとそれは真実なのだろう。 425 ﹁⋮そう⋮⋮ここから先に行くのはおススメしない⋮⋮今小さな村 から、陣を移したばかりだから⋮⋮﹂ 男の表情が少し変わったように見えた。 実際にはフードの下の顔はうかがい知れないのだが。 ﹁!!⋮⋮そうか、それでも行くけどな。﹂ ﹁⋮⋮なら、私から言うことは無い⋮⋮⋮⋮﹂ 今日は殲滅しに来たわけじゃないということは彼は敵なのだろう。 彼ならばあの男を倒せるかもしれない。なぜだかそう思った。 そんな淡い期待を抱きながら、ユーリは男の前から立ち去った。 ﹁⋮⋮期待してる⋮⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮そうで、⋮ったよ。﹂ ユーリが男に聞こえないほど小さな声で呟く。 去り際に男が何か行ったように聞こえたが、ユーリの耳に届くこと はなかった。 ﹁元気そうで、良かったよ。﹂ ユーリが暗雲立ち込める空へと消えていくのを見送りながらそう呟 いた。 あの様子では気づいていないだろう。自分が誰なのか。 426 その方が好都合だ。次会った時は敵同士なのだ。 余計な感情は捨てた方がいい。 思わぬ形で妹と再会したクロノは再び加速を始める。 目指すのは名も無き村。 クロノにとって苦い記憶が残るあの村へ。 名も無き村 クロノがたどり着いたときその村はもう村ではなかった。 村の入り口に張られていた柵は跡形も無く、原型を保ってはいなか った。 村にあった家は形こそ、そのまま残ってはいたが中には誰もおらず 室内は荒らされていた。 分かってはいた。こうなっているだろうことは。 目を背けたくなる。村唯一の宿屋も中には誰も何も無くなっていた。 クロノは無人の村を奥へと進む。 目指したのは村の最奥地にある墓地。 少し歩いて見えたのは、紛れも無く墓地だった。 特に破壊された様子は見受けられない。 その事実に少し安堵する。 空を覆っていた暗雲からはついに雨がポツリポツリと雨が降り始め た。 水滴が落ちる度に変色する地面の上をクロノは進む。 やがて見えてきたのは、一つの墓。 その墓を見た瞬間にクロノの中で何かが音を立てて崩れ去った。 酷く景色が色褪せて見えた。 墓には自分が供えた赤い花。そしてそれに覆いかぶさるように、死 んでいる宿屋の女性。 頬を一筋の水滴が伝った。それは雨か涙か。 雨に濡れた赤い花は俯き、悲し気に咲き誇る。 427 クロノはその光景を、雨に濡れながらただただ呆然と見つめること しか出来なかった。 428 第四十二話︵前書き︶ 農業編スタート 嘘です これからちょっとだけ農業しますけど そういえば森で畑やってましたね すっかり忘れてました 429 第四十二話 ここで一度時間は巻き戻る。クロノにとっての苦い記憶。 始まりは名も無き村。 これはクロノが今のクロノになったお話。 二年前 名も無き村 特別と言っていいほどに工業も農業もない寂れた村。 寂れたといっても普段から寂れていたわけではない。 少し前までは、裕福とは呼べないまでもそれなりに幸福な村だっ た。 そうでなくなったのは半年前にやって来た盗賊のせいだ。 村の若者を集めて討伐しに行くも失敗。ギルドに依頼を出すも冒 険者はことごとく失敗。 それに気を良くしたのか盗賊の攻撃も日に日に増していた。 逃げ出す村人も続出し人口の減少に歯止めがかからない。 ただ、滅びるのを待つだけ。それがこの村だった。 宿屋の少女メアリーは漠然と日々を過ごしていた。 彼女の家は宿屋を経営していたが、観光名所などないこの村に客 などやってくるわけはなかった。 それでも以前は月に片手の指で足りる程度ではあったが、客は来 ていた。 客足が一気に減ったのは近くに住み着いた盗賊のせいだ。村の人 間も日に日に減っていく。 430 メアリー自身は生まれ育ったこの村が好きだったので出て行く気 はなかったが、このまま宿屋を続けても先は見えそうに無いのは火 を見るより明らかだ。 最近客が来ないのならば自給自足しようと裏庭で始めた農業もな ぜか作物が上手く育たない。 今日も今日とて客の来ない宿屋のカウンターの椅子に座って午前 の時間を無意義に過ごす。 日々に希望が見えない毎日にうんざりしていた。 ﹁あー、うだうだしててもしょうがないよね、うん。﹂ 長時間座っていた椅子からすっくと立ち上がる。両手を組みなが ら上に掲げ、大きく背伸びをした。腰の痺れが解消され、身体が軽 くなる。 そのまま客のこない宿屋を放置し、裏庭へと向かった。 茶色い紅茶をぶちまけたような色の土にはいくつもの葉が顔を出 していた。 しかし、葉に統一性は見られず、形がそれぞれ違う。 それもその筈で、とりあえず使えそうな野菜の種を植えてみただ けで統一性も何もあったものではない。 裏庭というよりも荒地と言った方がふさわしいかも知れないが、 それでも改善したつもりだ。 最初はでこぼこで雑草がところどころにポツンと生えているまさ に荒地だった。それを平坦に均し、雑草を丁寧に全部引っこ抜いて 作ったのがこの裏庭だ。 大きさは一般的な畑よりも少し狭いくらいで、手入れする側とし てはまだ簡単な方だろう。 いずれ、しっかりと育ってくれるだろうと思っている。 畑に関してはまったくの素人なのだから、根拠の無い自信だ。 431 膝を折り顔を下へ向け土へと近づける。 土はところどころ小さい砂利が混じっていて、手に取るとそこが 手に当たって少し痛い。 茶色い土を手に取りながら、この先に期待を寄せた。 足をぐっと伸ばし、立ち上がる。 視線が急激に上がり、しっかりと裏庭全体を見渡すことが出来る ほどになった。 そうして裏庭全体を見渡してみると、いつもはない影が二つ。 一人は全身を黒に包んだ怪しいを通り越して、不気味な人影。 もう一人は緑色の髪をした幼い少年。眼は黄色くつぶらな瞳。 隣の怪しさ全開な人影とは不釣合いな少年。 いつの間にいたのだろうか?少なくとも来たときにはいなかった はずだ。 何をしているのかと見てみれば、先ほどの自分と同じように裏庭 の土を手に取り怪訝そうな表情をしている。 一瞬盗賊かと疑ったが、その疑念は隣の少年によってあっさりと 消え去る。 メアリーは一歩踏み出して声をかけてみることにした。 クロノとドラは依頼の為、名も無き村へと来ていた。 依頼の内容はありきたりな盗賊団壊滅。 最初にギルドでこの依頼を見かけたときはDランクの依頼で気に 留めることはなかったが、日に日に難易度が上がっていき現在はA ランクまでになっていた。 Aランクともなれば手を出すものは限られる。 そもそも、Aランク以上の冒険者の数が圧倒的に少ない。 両手の指で足りる程度しかいないのだ。 その分報酬が高いので、クロノとしては願ったり叶ったりだ。 432 そうして依頼の為に来たはいいが、まず住人の話を聞かないこと には始まらない。 場合によっては長引く可能性も考えられたので、先に宿を取ろう と中に入った。 木造でお世辞にも綺麗とはいえない宿屋内。 窓から差し込む光だけが照らす。歩くたびに木が軋む音がした。 元々活気のある村ではないようだし、こんなものかとクロノは思 ったがそれでも問題が一つ。 客を迎えるべきカウンターに誰もいなかったのだ。 ﹁どうしようかこれ?﹂ ﹁見たところ、無人というわけでは無かろう。一応掃除されとるみ たいじゃ。﹂ たしかに中自体は整理されている。綺麗と呼べないのはこの建物 自体が古いからだ。 ﹁ってことは、たまたま居ないってことか⋮。ならちょっと村見て 回ってからまた来ようかな。﹂ そう言って少し宿屋を見渡すと、窓以外から光が漏れている場所 が一つ。 それはカウンターの奥にある扉から。開けっ放しになっており、 光と共に風が流れ込む。 もしかしたら、宿屋の人間はあちらに行ったのかもしれない。 ﹁ちょっとあっち行ってみようか。﹂ 扉の奥へと抜けると、広がったのは畑?だった。 433 植物が生えてはいたがとても、畑と呼ぶにはふさわしくない荒れ 具合。 しかし、荒地と呼ぶには整えられ過ぎている。 そこには座り込む少女の姿があったが、クロノの視線は少女に向 けられずに土へと降り注ぐ。 土には所々砂利が混じっており小さい粒が無数に見える。 思わず土を手に取った。 じっくりと触りながら、何かを確かめるようにじっと眺める。 ﹁なーにやっとるんじゃ。﹂ クロノは答えない。自分の世界に入ったかのように手触りを確か めながら何事かを呟いている。 ﹁⋮⋮土質が悪いなぁ⋮ここ農業に向いてないぞ⋮植えられてるの も土に合ってないし⋮﹂ 土を触りながらクロノが思い出すのは森での生活。 そこでは野菜を育てていて、自給自足だった。 あの時農業について勉強したクロノから見ればこの畑は苦言を呈 さずにはいられなかった。 この畑がどうやったらよくなるかという考えばかりが渦巻く。 集中していたクロノは気づかなかった。 自分に迫る小さな影に。足音も聞こえていたはずなのに。 クロノに投げかけられる一つの声。 ﹁あの⋮ウチの庭で何やってるんですか?﹂ 434 第四十三話︵前書き︶ 短めです 忙しいので暫く短め投稿になりそう 435 第四十三話 ︵あれっ?いつの間に近づかれたんだ?︶ クロノは突如として掛けられた声に、顔に出すことはないが内心 驚いていた。 そんな主の様子を見てドラは小さく溜め息を吐く。 ︵阿呆が⋮⋮︶ 土塗れになった手を晒し、声のした方へと顔を向ける。 そこにいたのは栗色の短い髪をした同い年くらいの少女だった。 少女は懐疑的な視線でクロノを見つめている。 クロノは自分の格好と状況を客観的に考える。 全身黒で覆った怪しさ全開な服装。勝手に人の家の庭に侵入。こ の近辺には盗賊が住みついている。 ︵⋮⋮うん⋮⋮盗賊と間違われてもしょうがないね⋮︶ 少女の懐疑的な視線の理由をそう推測したクロノはどうしようか 考えを張り巡らせるのだった。 一方のメアリーはというと、若干盗賊ではないかと疑ってはいた が、その可能性は低いだろうと考えていた。 理由としては後ろにいる緑髪の少年の存在が大きい。 この村の子供ではないし、黒い人間と一緒に来たと考えるべきだ ろう。盗賊が幼い子供を連れて野菜泥棒なんてするわけはない。 つまるところメアリーから見て、今のところこの人間は野菜泥棒 をしに来た旅人という認識になっていた。 436 ︵まだ食べられるほど野菜なんて育ってないんだけどなあ⋮⋮︶ 畑からは葉が顔を出してはいるが、とても食べられる状態ではな い。 ︵そんな若葉まで食べないといけないほど生活に困ってるのかな⋮ ⋮だとしたら、ちょっとかわいそうかも⋮︶ どこか勘違いをしながら、状況の打開策を探る二人。 二人の間には気まずい沈黙が流れる。 ﹁こんにちは!お姉さん﹂ 沈黙を破ったのはクロノでもメアリーでもなく、ドラだった。 元気な声で子供らしさを演出しながら話しかける。 一方声をかけられたメアリーは一瞬ビクッとしたが、すぐに平静 を取り戻しドラへと顔を向ける。 緑色というよりも、更に綺麗なエメラルドグリーンと言った方が いい髪をしたドラ。 その髪に少し見惚れてしまう。 ︵綺麗⋮⋮⋮︶ メアリーの様子に気づかずにドラは言葉を続ける。 ﹁ここお姉さんの家の庭なの?﹂ ﹁え、ええ⋮﹂ 437 ﹁ごめんね。お兄ちゃんが勝手に入っちゃって。﹂ ドラはさらりと笑顔で元凶を指さす。 元凶はというと指さされたことに動揺を見せるが、ドラは何も間 違ったことは言っていない。 ︵えっ、俺のせい?⋮⋮⋮俺のせいか⋮︶ どう考えても自分が悪いことに気づきメアリーには見えないよう に唇を噛んだ。 ドラはそんなクロノを見て満足したのか、フンと鼻を鳴らして再 び少年を演じる。 ﹁さっき、そこの宿屋に泊まろうとしたんだけど誰もいなかったん だ。お姉ちゃんどこにいるか知らない?﹂ ﹁そこの宿?えっ、お客さん!?﹂ 信じられないといった様子で驚くメアリー。 突然の来訪者に慌てて頭を下げる。 ﹁あっ、すいません⋮⋮私が宿屋の受付です⋮⋮﹂ 俯きながら申し訳なさそうに頭を下げ謝る。 多少の罵倒も覚悟していたが、そんな言葉は飛んでこなかった。 代わりに飛んできたのは言葉︱︱ではなく矢。 突如として飛んできたその矢はドラの背後から、ドラの頭めがけ て一直線に襲い来る。 危ないと叫ぼうとしたけれど、声を出しても間に合わない速さで 438 迫る矢。 もう突き刺さろうかという近さに来たところで、メアリーは眼を 覆った。 その先の光景を見たくなくて。人の死から眼を背けた。 ただ、彼女の考えたとおりに物語は進まない。 悲鳴も、突き刺さった音も、聞こえてはこなかった。 不思議に思いおそるおそる眼を開けると、少年の姿は視界から消 えており、代わりに矢は自分の眼前へと迫っていた。 今度は意図してではなく反射的に眼を閉じた。自分の終わりを本 能で察知しながら。 しかし、またしても彼女の考えたとおりの光景になることはなか った。 パキン と、何かが折れた音が聞こえて ﹁⋮大丈夫か?﹂ 続けざまにそんな声が耳に響いた。 439 第四十四話︵前書き︶ 短めー こっからどうしよう 440 第四十四話 クロノが行ったのは至極単純なこと。矢を横から手刀で叩き折っ た。それだけのことだ。 振り下ろされた手刀はそのまま木製の矢を叩き折って、矢だった ものへと姿を強制的に変えさせた。茶色い畑に細かい木片が散らば る。 クロノは木片で怪我などしていないか少女へと声をかけるが、見 たところ外傷は見受けられない。 その事実に胸を撫で下ろし、ドラへと非難の視線を浴びせた。 ︵避けるんじゃなくて、そのまま叩き落としてよ⋮︶ ドラもクロノの非難に気づいたのか、視線をクロノへと向け返す。 ︵うっさいのう。儂みたいなか弱い少年がそんなことしたら色々と まずいじゃろうが。そんなことより、とっとと下手人を捕まえてこ んか。︶ 首を自分の背後へと向け、行ってこいと言わんばかりに首を振っ た。 ドラの背後は柵が設けられており、そこを越えるともう村の外だ。 その先には煤けた色の荒野が広がっている。 クロノは少し不満げな表情を見せながらも、即座に力をレベル4 に設定し、メアリーの前から姿を消した。 目の前で人が消えるという怪現象を目撃したメアリーはポカンと 口をあけている。 ﹁さっ、行こうかお姉ちゃん宿屋の受付しないとね。﹂ 441 ﹁えっ⋮?あの人は⋮⋮﹂ ﹁お兄ちゃんなら大丈夫だよ。あれが仕事なんだからさ。﹂ 笑顔で喋りかけるドラに何も言うことは出来ず、言われるがまま 二人は宿屋へと戻っていった。 弓矢を持った男はひたすらに逃げていた。 今回の仕事は単純で、侵入者が二人来たので始末しろとのことだ った。小さい少年に怪しい黒い男。見た感じ楽勝だと思った。弓矢 の命中精度には自信があったし、気配を殺すのも慣れてはいた。事 実ばれないように矢を放つことは出来た。確実に避けられない距離 まで迫っていたはずだ。 だが、あの少年は矢をみることすらもせずに信じられないスピー ドで矢を避けた。避けただけであれば、まだ納得は出来た。問題は その後。 その少年は確実に避けた後、こちらを一瞬見て笑みを浮かべたの だ。眼が合った瞬間に心臓が悲鳴を上げた。視線だけで、心臓をま さに握られていると思った。少年が矢を避けた先に﹁例の女﹂がい たことにも気づくことはなく、わき目も振らず男は逃げ出した。幸 い距離は離れていて、逃げ切るには十分だった。 岩がごろごろと転がる荒野を肩で息をするほど走ったところで、 足を止め後ろを振り返る。 気づくと村が指の間に入りそうなほど小さく見えるくらいのとこ ろまで来ていた。追ってきている人影は見当たらない。 442 男は大きく息を吐き安堵した。空を見上げると、快晴ではないも のの、太陽が顔を出していて自分が生きているという実感を得られ た。 しかし、その安堵感は瞬く間に崩壊してしまう。 ﹁さて、休憩が済んだなら少々お話を聞かせてもらおうか?﹂ といういつの間にか自分の前に突っ立っていた男によって。 ﹁あーあー、まったくー、帰ってくる気配がないなー。﹂ 盗賊に囲まれた﹁首領﹂は暢気に笑いながら呟いた。 指で小刻みにナイフをクルクルと回している。 ふざけていると、思われるかもしれない光景だったが、盗賊は誰 一人として意見することはしない。 彼らは知っている。笑顔の裏で﹁首領﹂の感情が爆発してしまい そうなことを。 ナイフの回転スピードは徐々に速くなっていく。 ﹁やーられちゃったかー?アイツがいなくなるのはいいんだけどー、 弓矢は割りと高いから置いてって欲しかったなー。ハハハッ。﹂ 銀色に光るナイフのスピードはmaxに達する。 そして﹁首領﹂はそのナイフを思いっきり上に放り投げた。 443 宙に舞うナイフは薄暗いその場で瞬く間に光を失い見えなくなっ た。 落下してくるそのナイフを見ることもせず﹁首領﹂は的確に手に 傷をつけることなく受け止める。 ﹁﹁情報員﹂からの報告はまだかなー?﹂ 一人の部下がその言葉におずおずと手を挙げた。 ﹁侵入者は緑髪の幼いガキ、それに黒い服を纏った怪しい男らしい です。﹂ その言葉を聞いた﹁首領﹂は興味なさそうにふーんと言った。 受け止めたナイフを地面に突き刺しおもむろに立ち上がる。 腰をほぐすような動きをして、準備運動のように首を左右に振っ た。 ﹁さって、準備でも始めようかなーっと。いつ来るかわっかんない けど。﹂ 子供のような笑みを浮かべながら﹁首領﹂はそう言って笑う。楽 しげに。 444 第四十五話 ﹁⋮邪魔するぞ⋮﹂ 不愛想な声で、質素な宿屋の扉をクロノは開けた。 木製の宿屋内は歩く度に軋むような音がして若干の不安を覚える。 返事が返ってくることは期待していなかったが、元気そうな声が 返ってきた。 ﹁お帰り!クロノさん!﹂ それはさきほど畑らしき場所で、座り込んでいた少女のものだっ た。 誰もいなかったはずのカウンターに立ち笑顔で顔を向けてくる。 ﹁⋮⋮?どうして、名前を知ってるんだ?﹂ ﹁ドラ君に教えてもらいました。﹂ 腰に手を当てお世辞にもあるとはいえない胸を張って元気よく答 える少女。 そんな少女を無視してクロノは宿屋の奥へと消えていく。 ﹁あっ、ちょっと無視しないでくださーい。おーい。行っちゃった ⋮。﹂ メアリーは不満そうに口を歪める。 ︵何よあれ⋮。ドラ君はいい子だったのに、兄弟っぽくないなぁ。 445 兄弟なんだから、私ともそんな年離れてないだろうし⋮。︶ ドラが素直な可愛い少年だったのに対し、クロノという男は気難 しいようだ。 黒いフードを被っていて年齢も分からない。 正直ドラがいなければ即座に盗賊と判断していたかもしれない。 ︵とりあえず営業スマイル営業スマイル。久しぶりのお客さんなん だから不快な思いはさせないようにしないと⋮。︶ 笑顔を何度も作りながら心の中で反復した。 ﹁どうじゃった?何か有力な情報は聞けたかの?﹂ 宿屋の客室に入るなり、ベッドに寝転がっていたドラが顔だけを 向け尋ねてきた。 どうやらこの宿屋はあまり客室が多くないらしく、大部屋と今い る小部屋しかないようだ。 ベッドが二つポツンと置いてあるだけの簡素な造り。 ﹁まあ、そこそこかな。アジトはここから東にそこそこ行った岩山。 人数は20人ちょっと。﹁首領﹂が使うのは土属性。﹂ ﹁で、アヤツはどこにやった?﹂ アヤツとは弓で襲ってきた男のことだろう。今までの情報もその 男から聞いたものだ。 446 クロノはその質問に口を噤んだ。 その様子をみたドラはまたかと、呆れたように溜め息を吐く。 ﹁まったく⋮そのまま解放して来たなお主⋮。﹂ ﹁聞くことは聞いたしね。それにたとえアジトに戻ってまた戦うこ とになっても相手にならないし。﹂ ﹁⋮いつか命取りになるぞ、その甘さは。せめて捕まえて来い。﹂ ﹁捕まえたところでこの村に牢屋なんてないだろ?だとしたら、潰 すまで逃げ出さないように一日中見張って置かなきゃいけなくなる。 そんなの時間と労力の無駄遣いだよ。﹂ もともと全員捕まえる気ではあったが、一々一人ずつ捕まえると 見張らなければならない。 壊滅が一日で終わらない可能性もあるので、捕まえた人間から目 を離さなければいけないときも来るだろう。特にアジトを潰すとき は村に置いていかなければならない。その間村人に任せるのは不安 だ。 それであれば、まとめて捕まえてその日のうちにギルドに連れて 行った方がいい。 ﹁⋮⋮そういうことにしておこう⋮。﹂ ドラはぼそっと暗い表情をして、小さく呟く。 その表情がクロノには気になったが、すぐさまドラは暗い表情を かき消し、今度はそこそこ大きな声で言葉を発した。 ﹁この村には牢屋あるらしいがの。﹂ 447 ﹁えっ?﹂ ﹁さっき、この宿屋のメアリーとかいう娘が言っておったわ。﹂ ﹁じゃあ、捕まえてくればよかった⋮。﹂ クロノは天井を仰ぎ自分の失態を悔やむ。首をだらしなく上に向 けうなだれる。 それと同時に宿屋の少女の名前も知った。 ︵後で、あの畑っぽいのについて聞いてみるかな⋮︶ その前に一度寝ようとクロノはベッドに入り、眠りへと落ちてい った。 ﹁⋮⋮捕まえる?もっと簡単な方法があるじゃろうが⋮⋮お主は殺 せないだけじゃないのか?⋮⋮人間を⋮⋮﹂ そう言ったドラの呟きはクロノに届くことはなかった。 ﹁あれっ?戻って来たよオイ。生きてたんだー?﹂ 448 ﹁首領﹂は入り口を開けて入ってきた男を笑いながら迎え入れる。 周囲には部下である盗賊たちが、ぐるりと取り囲むようにして座 っている。 異様な雰囲気に臆することなく戻ってきた男は、弁明を図った。 ﹁はい⋮暗殺は失敗しましたが、とりあえず捕まったときに流せと 言われていた情報は流してきました。﹂ ﹁へー、上出来じゃん。で?どうしてここにいんの?﹂ ﹁首領﹂は笑顔だ。変わらない笑顔で、軽い調子で、話しかける。 その顔が逆に男に恐怖を植え付けた。 ﹁なぜか俺から話を聞いた後、解放しやがりまして。﹂ ありのままを男は伝えた。下手なことを言うと首が飛びかねない。 緊張で呼吸が乱れる。生きた心地がしなかった。 ﹁首領﹂は笑顔のまま腕組をしてなにやら考えはじめる。 ﹁相手の攻撃に関してはー?それと武器。﹂ ﹁武器は奇妙な形をした剣みたいなものでした。攻撃に関しては分 かりません⋮。気づいたら、回り込まれてて⋮。﹂ 興味深そうにふむふむと、話を聞く﹁首領﹂。 やがて、何か思いついたのか手をパンと叩いた。ビクッとその動 作に男は怯える。薄暗い中に音が響き渡った。 ﹁あー、わかった。もういいよ。﹂ 449 もういいと手で伝える﹁首領﹂。 何とか自分の失態を咎められなかったかと、男は安堵した。 大きく一息ついた後、手を見ると男の手はじっとりと汗ばんでい た。 ﹁それではこれで⋮。﹂ ﹁じゃあねー。﹂ 頭を﹁首領﹂へと一度下げる。もう、呼吸は乱れていない。﹁首 領﹂も笑顔で手を振っていた。 そして﹁首領﹂に背を向け、この場を離れようとしたとき︱︱ ザシュッ という、何かが何かの肉?を貫く音が聞こえた。 なんだろうかこれは? 不思議と男の頭は冷静で、その音がした先をみることにした。そ の音がした自分の身体を。 見ると何かが自分のからだをつらぬいている。つらぬいている。 ナンダロウ?コレハナニ? ﹁ばーいばい。この世から退場しなよ。﹂ ナニヲイッテル?キミハダレ?ボクハダレ? ワカラナイワカラナイ 450 アレ?ネムタイゾ?コノママネル?オカアサンニオコラレナイカ ナ? モウネヨウ ソ ウ シ ヨ ウ オ ヤ ス ミ ナ サ イ ﹁ったく、戻ってくんなよ。うちのルールは弱肉強食だろ。弱者は いらねェんだよ。﹂ 足で物言わぬ死体となった男を弄くりながら、﹁首領﹂は呆れた ようにそう言った。 別の部下から声が聞こえる。 ﹁確認しましたが、どうやらつけられてはいないようです。﹂ ﹁首領﹂はその声にこたえない。相も変わらず死体へと話しかけ る。 ﹁つけられてる可能性も考えろ馬鹿が。それに弓までなくしやがっ て、アレはお前のゴミクズみたいな命よりも高いんだよ。死んでも あれだけは回収してこいよボケ。攻撃方法が分かんない?ザけんな よカスが、最悪それくらいの情報は持ってこいよ。そういうことも 出来ない頭の弱さも含めてお前は弱ェッつうんだよ。﹂ 散々罵声を投げかけた後、﹁首領﹂はその頭を力一杯蹴り上げた。 男だった死体は一瞬中に浮いた後、ガンッ!と音を立て転がった。 頭からは血が流れ出し始めたが、それもごっそり抉られた男の身体 451 から溢れ出る血に比べれば微々たるものだ。 そしてまたも子供のような笑みを浮かべ、わくわくした声で言う。 ﹁あー、スッキリした。とっとと、やってこないっかなー?その二 人。﹂ 452 第四十六話︵前書き︶ 回想編書くのメンドイ 一旦飛ばして戦争編行っちゃ駄目ですか?⋮ 駄目ですね、はいすいません 全体的に雑 453 第四十六話 陽は高く暖かな陽気。空を一日の始まりを告げるように鳥たちが 鳴きながら優雅に飛んでいる。そろそろ村人も活動を始めようかと いう時間。 宿屋の娘であるメアリーは母と共に久々に客用の料理を作り終え、 とある場所へと向かっていた。 ﹁よっ!どこ行くんだお前?﹂ 突然後ろから声を掛けられ、肩に手をポンと置かれた。 慣れたことなので、振り返ることもせずに手を払う。 毎回自分を見つけては行く先を聞いてくる。めんどくさいことこ のうえない。 ﹁別に⋮アナタこそこんな所で油売ってていいの?﹂ ﹁んー?まあ、どうせやることもないしな。はは。﹂ 男はそう言って軽薄な笑みを浮かべた。 メアリーはこの男トーリが嫌いだった。いや、正確には今の彼が。 元から嫌っていたわけではない。同い年で家も近く、昔は幼馴染 としてよく遊んだものだ。その頃のトーリはよくも悪くもガキ大将 で、面倒見もよく誠実で村の子供たちを引っ張っていた。 それが今はどうだ。仕事もせず村の中を一日中ブラブラして、人 の邪魔ばかりする。昼間っから酒を飲み、時にはメアリーの家に勝 手に上がって来ることもある。正直迷惑でしょうがない。 もちろん彼には彼の事情もある。 454 盗賊が現れたときに最初の犠牲者となったのは彼の父だった。見 つかったその死体は身体のど真ん中を何かに貫かれ、ごっそりとそ の部分の肉が抜け落ちていたのを覚えている。 それが原因かは定かではないが、彼の母は死体が見つかった数日 後に首を吊って自殺した。 その後からだ、彼がこんな風になったのは。 両親の死がどれほど彼に影響を与えたのかはわからない。 ただ、それを差し引いても今の彼は許容出来るものではなかった。 村の皆も、傷が癒えるまで暫く放っておこうという見解のようで、 咎める者はいない。 そんな対応が彼のこの態度と生活に拍車をかけているとメアリー は思う。 だからこそ、メアリーは毅然とした態度でトーリに接する。昔の 彼に戻って欲しいから。 ﹁じゃあ、私もう行くから。﹂ ﹁おっ、おい!待てよ!﹂ 呼び止める声を無視してメアリーは、スタスタと歩き出す。 ﹁絶対外出んなよ。危ねえから。﹂ これもいつものこと。毎回のように注意してくる。心配している のかも知れないが、お前はそんなことより働けと言ってやりたい。 ﹁別に⋮外に出るわけじゃないわ。珍しく客が来たから野菜とか貰 いにいくだけよ。﹂ 455 嘘だった。 今までは馬鹿正直に外に出るときは出ると言っていたのだが、そ の度に強引に引っ張られ行くことは出来なかった。これから行く場 所はトーリと出会わなかった日に何度か行っていて、危険な目にあ ったことはない。 だから今回は嘘をつくことにしたのだ。邪魔されないように。 大体トーリもブラブラと村の外に出て行くことがあるというのに。 一々彼に邪魔される筋合いはない。 ﹁客?ああ、あの二人組か。﹂ ﹁何でアンタが知ってるのよ?﹂ ﹁たまたま入ってくのをみたんだよ。なら、いいんだじゃあな。﹂ トーリはホッとしたように胸を撫で下ろし、背を向けて手を振り 歩き出す。 その姿を見送ることなどせず、メアリーは歩き出した。目的の場 所へと。 村の外には煤けたような荒野が広がっている。大地に亀裂が入り、 傍目には草木など見当たらない。 切り立った岩、硬い大地。 そんな荒れた地をメアリーは歩いていく。 やがて、一つの大きな岩の前で立ち止まった。 風化によってところどころ削られた岩。最初は綺麗な真四角だっ たのだろうが、端が削られギザギザになっている。真ん中に至って は綺麗な十字傷が刻まれていて、故意につけられたものではないか 456 と疑ってしまうほどだ。 その周りにも同じような岩が四つあり、何かを囲むように聳え立 っている。 この岩は同世代の間では割りと有名で、十字岩と呼ばれている。 幼少の頃に皆で発見したもので、大人たちは知らない。 十字岩をぐるりと回りその裏へと向かう。 次の瞬間メアリーの眼に飛び込んで来たのは、この地には似合わ ない草や花、そして小さく円状に広がる池だった。 草が生い茂る地に腰を下ろす。 ここは端的に言えばオアシス。五つの岩に囲まれた秘密の場所だ。 幼少の頃には秘密基地としてここでよく遊んだものだ。 メアリーは定期的にここを訪れる。特に深い意味はない。 ただ、何となく。昔を思い出すように。 あの頃の友人の大半はもう村にはいない。ある者は家族と共に村 を離れ、ある者は討伐に参加して死んでいった。 花の冠を作っていた彼女も、池に飛び込んでいた彼も、もういな い。 戻れないあの頃を思い出して感傷に浸る。 変わってしまった自分たちと、変わることのない場所。 花はあの頃の記憶と寸分違わず咲き誇っている。 いつかは自分の畑にもこんな綺麗な花を咲かせてみたいものだ。 新鮮な空気を吸いながらそう思った。 暖かな陽気に包まれ、思わずまどろんでしまう。ウトウトと舟を 漕ぎ、終いには夢の世界へと落ちてしまった。 同時刻宿屋内 クロノとドラは朝食を取り終え、自室で寛いでいた。 窓から差し込む光によって、室内は暖かい。 457 ﹁そうだドラ、メアリーって子の居場所分かる?﹂ ﹁なんじゃいきなり?はっ、まさかお主あの小娘に一目惚れしたの か!?﹂ からかうように聞いてくるドラ。 ﹁むしろ、ドラにそういう発想があった方が驚きだよ。ちょっと、 あの畑に関しては色々言っとかないと。あんなんじゃ野菜が可哀想 だよ。﹂ ﹁お主は農家か!大体、儂に聞かずともアヤツの母親に聞けばよい じゃろうが。﹂ ﹁いや、聞いたんだけど知らないってさ。畑もあの娘に一任してる らしいし。﹂ ﹁で、儂に鼻で追えと。﹂ ﹁そういうこと。﹂ ﹁じゃが、断る。儂は犬ではない。﹂ ﹁終わったらシュガー行ってアイス︱︱﹂ ﹁よし、行くぞ。早くせい。﹂ ︵犬よりも単純な気がするけど黙っておこう⋮⋮︶ 458 ﹁︱︱ん?あれ?寝てた?﹂ 柔らかい草の上からメアリーはゆっくりと身体を起こした。どう やら寝てしまっていたらしい。 眼を何度か瞬きさせ、身体の覚醒を促す。 視界には太陽の光が差し込む。 大きな欠伸をして、そろそろ帰ろうかと立ち上がる。 ﹁⋮⋮する?⋮や、確か⋮⋮駄目って⋮﹂ 声が聞こえた。気のせいではない。確かに声がする。 起きかけの脳内で声の主を探るが該当者はいない。 つまり、見知らぬ人間。そして、ここにいるということは盗賊の 可能性が高い。 背中がざわつく。頬には冷や汗が伝う。 間違いなく声の主は敵だ。声がするのは十字岩の向こう。 恐る恐る、岩の陰から顔を覗かせると︱︱ ﹁あ゛?﹂ 眼が合った。紛れもなく、それは人の眼だった。 一歩一歩後ずさる。 死ぬ。逃げなきゃ。逃げる?どこへ? 入り口は十字岩のあそこしかない。他の岩にも隙間はあるが、到 底抜けられるようなものではない。 袋小路に追い詰められていた。 459 死ぬ。死ぬ。死ぬ。覚悟した。自分の死を。 しかし、いつまでたっても入ってくる気配はない。 ﹁あ゛あ゛、めんどくさい。行くか。﹂ そう言うと、そのまま立ち去ってしまった。 緊張が解け、力が抜けたようにへたりと座り込む。 生きてるという実感。安堵。恐怖からの解放。 さまざまな感情が襲ってきて、頭がパンクしそうだ。 ぐにゃりと視界が揺れる。 そしてそのまま、意識を失ってしまった。 ︵襲わなかった?何かあったのか?︶ 訝しげな表情で、盗賊の消えた先をクロノは見つめる。 ドラの鼻を頼りに十字岩を見つけたまではよかったが、そこには 盗賊が二人待ち構えていた。 どうやら中にメアリーがいるらしく、そろそろ倒しにでも行こう かと思っていたのだが、予想に反して盗賊はそのまま立ち去ったの だ。 ︵おかしいな、何かが⋮︶ 微かな違和感を覚えながら、クロノは十字岩の裏へと向かった。 460 ﹁アレが例の女だろ?﹂ ﹁確かな。手出したら﹁首領﹂に殺されるわ。﹂ ﹁何であの女に固執するのかね?﹂ ﹁さあな。サッパリ分かんねえ。余計なこと考えてもしょうがない だろ。﹂ ﹁それも、そうか。ハハッ。﹂ 461 第四十七話︵前書き︶ 短め 462 第四十七話 暖かな光。眼を閉じていてもその熱を感じる。 気持ちのいい光の中でメアリーの意識は今まさに覚醒しようとし ていた。 しかし、何か眼を覚ますとこの気持ちよさを失ってしまいそうな 気がして中々眼を開ける気にならなかった。朝ベッドから起きて二 度寝したくなるのに似た感覚。 眼を開けずにもう一度寝てしまおうか。そんなことを考えている と突如として光が︱︱消えた。 何事かと驚き、一気に意識を覚醒させる。 開けたとき眼に映ったのは青い瞳に黒いフードからはみ出たこれ また黒い髪の青年だった。 その青年が自分の顔を覗き込んでいた。どうやら、彼が太陽を隠 したらしい。 ﹁⋮眼⋮覚ましたのか⋮。﹂ 無愛想な表情で尋ねる青年とは裏腹に、メアリーの頭は混乱して いた。 一度深呼吸をして、状況を整理する。 ︵よし、お、落ち着こう。ふう、私はクールだ。まず、私がいるの は十字岩の裏でOK?︶ 辺りを見渡すと確かに記憶の通り、十字岩の中にある秘密基地の 中だ。 ︵よし、間違えてない。で、盗賊が居て⋮。って、あれ?この人外 463 に盗賊がいるのにどうやってここに?というか誰?︶ メアリーからしてみればクロノは黒いフードの不気味な男という 印象しかないので、今目の前に居る青年がどうにも一致しない。 一方のクロノはというと︱︱ ︵うーん、何かまだ意識がはっきりしてないみたいだなあ。もう少 し寝ておいた方がいいんじゃないか?︶ などと、見当外れなことを考えており、彼女の混乱の原因が自分に あるとは思っていなかった。 メアリーは何とか現状を把握してみようと、緊張しながら声を出 す。 ﹁あっ、あのどちら様ですか⋮?﹂ そう言われたクロノは一瞬首を傾げ、相手に自分がどう映ってい るのかを考える。 ︵えっーと、上から覗き込んでるわけだから⋮なるほど、そういえ ば顔見せてなかったな。︶ 黒いフードを深めに被り直し顔を覆い再び喋りかける。 ﹁これで分かるか?﹂ ﹁あっ、あーー!クロノさん!?﹂ 指をさして大声で叫ぶメアリー。 464 ﹁⋮うるさい⋮あまり大声で叫ぶな⋮﹂ クロノにしては珍しく本音だった。 キーンと耳に甲高い声が残る。 口に手を当て、メアリーはばつの悪そうな顔をする。 ﹁す、すいません⋮﹂ ﹁まあ、いい⋮﹂ 覗き込んでいたクロノは顔を上げる。 遮るものがなくなった光が再びメアリーの目に降り注ぐ。 メアリーはゆっくりと草むらから身体を起こし、ハッと何かを思 い出したように言った。 ﹁そっ、そういえば盗賊は!?﹂ 腕組をしてクロノが疑問に答える。 ﹁⋮もういないぞ。よくは知らんが、どこかに消えていった。﹂ ﹁どういうことですか?﹂ ﹁知らん。そうとしか言いようがないんだ。それよりも︱︱﹂ クロノはズイッと顔を近づける。 驚いたようにメアリーはビクッとした。 ﹁お前に聞きたいことがいくつかあるんだが、いいか?﹂ 465 ﹁ひゃ、ひゃっい!?にゃんでしょう!?﹂﹂ 緊張のあまりどこか舌足らずになってしまう。 ︵うーん、俺がかーさんと会ったときもこんな感じだったのかな⋮︶ かーさんと出会った時の自分を思い出し、フードの下でクロノは 苦笑いを浮かべた。 恥ずかしそうに俯くメアリーを無視して、クロノは疑問を投げか ける。 ﹁まず、お前はどうしてこんなところにいる?今外が危ないことは 知っているはずだ。﹂ ﹁うう⋮特に理由はないです⋮。強いていうなら何となくここに来 るとスッキリするからです。﹂ またも言いずらそうに言うメアリー。 おそらく嘘はついていないのだろうとクロノは推測する。 確かにあの村に比べたらここは異質な空間で、見る者の心を奪い そうだ。リラックスするために来るというのは分からなくもない。 確証はないが、地下水脈が下にあり、土の質も他とは違うのだろ う。 ﹁⋮まあいい。二つ目だ。盗賊から避けられる理由で思い当たる節 はあるか?﹂ ﹁避けられる⋮?何を言ってるんですか?﹂ 466 キョトンとメアリーはクロノを見つめる。どうやら気づいていな いらしい。 先ほどの盗賊の行動はクロノの眼にはいささか奇怪に映った。狩 れるはずの獲物を狩らずに見逃した。話を聞く限りわざわざ見逃し てやろうなんて気のある連中ではない。自分の存在がばれていた可 能性も否定できないが、可能性は低い。 少しでも何かあればと思って聞いてみたが、無駄骨だったようだ。 ﹁⋮分からないならそれでいい⋮じゃあ、最後の質問だ︱︱﹂ 心の中で溜め息をついた。 一方のメアリーは相変わらず首をかしげている。 これ以上は無駄だと判断したクロノは最後の質問へと移った。 これこそがクロノにとって一番重要な質問。最早質問ではなく指 摘。 言葉を発することなく池で戯れていたドラも、気配を察したのか 準備をする。 息を大きく吸い込み溜め息を吐く準備を︱︱ ﹁あの畑はなんだ!?あれじゃあ、作物は育たないぞ!﹂ ﹁えっ?﹂ ﹁はぁぁーーーーーーー。﹂ その日一番の溜め息がドラの口からこぼれた。 467 468 第四十八話︵前書き︶ gdgd 農業編スタート 469 第四十八話 名も無き村 宿屋内 宿屋の店主である女性は昼食の準備に取り掛かっていた。 久々の客だ。張り切って作らないと失礼というものだ。 ︵それにしても、あの娘はどこ行ったんだか⋮︶ 本来娘であるメアリーにも手伝って貰おうと画策していたのだが、 見当たらない。 ︵これは帰ってきたら説教だね。︶ そう心に決め手元へと注意を向ける。 女性は慣れた手つきで料理をこなしていく。 そしてもうそろそろ出来上がろうかという頃︱︱キィッと宿屋の 扉が開いた音がした。 厨房にいても確かに聞こえたその音。 娘か客かと思い料理を切り上げ女性は、厨房を後にした。 入り口には外からの風が扉から差込みヒュウヒュウと音を立てて いる。 だが、女性はそんな風の音など耳には入っていなかった。目の前 の光景が風の音に気づかせることを許さなかった。 そこで女性が見たのは︱︱ ﹁えー?畑に行くんじゃないんですか?それといい加減下ろしてく ださい!﹂ 470 ﹁うるさい⋮とりあえず勉強からだ。まず基礎知識を覚えないと作 物は育たん。﹂ ギャーギャーと言い争いをしながらも、お姫様抱っこされている娘 の姿だった。 数分前 十字岩裏 ﹁えっ?作物⋮です⋮か⋮?﹂ 面食らったようにポカンと口を開けるメアリー。 クロノは大きくそうだと頷く。 ﹁まず、あの畑は改善しないと駄目だ。ほら、行くぞ。﹂ ﹁行くってどこに?﹂ ﹁宿屋だ。畑はあそこにあるのだから。それにここに長居するのも 危ない。﹂ イマイチ言ってることは理解出来なかったが、最後の長居するの は危ないというのには同意だ。 ﹁だから行くぞ。﹂ ﹁は⋮はい⋮﹂ 促されるまま、メアリーは立ち上がろうとするが︱︱ 471 ﹁⋮ッ!?⋮﹂ 足が上がらない。どうしても力が入らない。 へたりとその場に座り込んでしまう。 ﹁?どうした?﹂ ﹁いえ、あの⋮立ち上がれなくて。﹂ 何度も立ち上がろうとするが、その度に力が抜けて座り込んでし まう。 その様子をまじまじと見つめ小さくクロノは溜め息を吐いた。 ﹁腰が抜けてるな⋮まあ、俺が引きずっていけばいい話か。﹂ ﹁ひきずっ!?﹂ ﹁冗談だ。しょうがない、背負っていくか。﹂ 掴めと右手をメアリーへと差し出すクロノ。 おずおずとその手をメアリーは掴む。掴むと同時にグイッと一気 に引き上げられる。 ︵どこにそんな力が⋮︶ そこまで太くないクロノの腕を見て驚愕するメアリー。 引き上げたところでクロノは何かに気づいたのか一瞬動きが止ま った。 ︵あっ、今背中にエクスナンタラ背負ってるんだった⋮︶ 472 クロノの背中には大きな大剣。 このままではおんぶしたときに邪魔になってしまう。 ﹁⋮?⋮﹂ 固まったクロノを不思議そうにみつめるメアリー。 ︵どうしようか⋮あっ︶ 思考を張り巡らせていると、何かを思いついたかのようにクロノ は頷いた。 ︵背負わなきゃいいね。︶ 名も無き村 宿屋内 ﹁とりあえずここにでも座っておけ。﹂ 客室にある椅子にメアリーを座らせるクロノ。 座らせた後、メアリーの向かいに椅子を持ってきてそこに自分も 座る。 ドラはいつのまにかどこかへと消えており室内には二人だけだ。 流れに身を任せてここまでやって来たメアリーだがここで平静を 取り戻したのか抗議の声を上げる。 ﹁ちょ、ちょっと、何する気なんですか!?﹂ ﹁勉強だ。さっき言っただろう。﹂ 473 混乱するメアリーを尻目にクロノは続ける。 ﹁とりあえず聞いておこう。あの畑っぽいものには何を植えている ?﹂ ﹁えっと⋮人参とか、キャベツとか⋮﹂ ﹁なぜそれを植えている?﹂ ﹁色々料理に使えそうだからですけど⋮﹂ クロノは小さく呆れたように溜め息をついた。 ﹁それが駄目なんだ。ここの土壌にその作物は適さない。﹂ ﹁えっ、でも⋮ここら辺の農家さんは作ってますよ?﹂ ﹁それは客土してるんだろう。﹂ ﹁客土?﹂ ﹁他のところから、土を持ってくることだ。そうすれば土の質は変 わる。たとえ向いていない作物でも作ることが出来る。﹂ ﹁じゃあ、今植えてるものを作りたければそれをしろってことです か?﹂ ﹁そうだ。と言いたいが客土は一々他の場所から運搬しなきゃいけ ない。わざわざ遠いところからあてもなく見つけてお前が運べるか 474 ?﹂ メアリーは自分の腕を見つめる。細いというわけではないが、太 いというわけでもない。とても力があるようにはみえない。 がっかりしたような顔のメアリーをみて、クロノは違うと首をふ った。 ﹁だから、土を変えるんじゃない。植えるものを変えろ。﹂ ﹁植えるもの?﹂ ﹁こういう土地には芋が一番だ。あれなら大体どんな場所でも育つ。 そもそも芋というのは︱︱﹂ 長々と授業を始めるクロノ。 メアリーはその様子を見て顔には出さず心の中で笑った。 ︵フフッ、まるで別人みたい。︶ 第一印象では無愛想で無口な気難しい男という印象だったが、今 農業について力説する姿を見るとそんなことはなく、むしろこちら が彼の本来の姿なのではないかと思ってしまう。 ︵案外いい人なのかもね。︶ 頭の中でフードの下に見えた素顔を思い浮かべる。 黒髪青眼という特徴的な顔立ち。 思いだしてみると同い年くらいかもしれない。 ︵後で年齢も聞いてみようっと。︶ 475 そう心に決めた。 この後クロノの授業は5時間に渡って続き、頭がパンクしたメア リーの脳からそんな考えは消え去ってしまうのだが、まだ彼女はそ のことを知らない。 476 第四十九話︵前書き︶ 次から本気出す 多分うそ 物語は動かすけど 477 第四十九話 翌朝 宿屋内 ﹁アンタ、朝飯の手伝い⋮って、な、なんだいこりゃ!?﹂ 娘に手伝って貰おうと女性が部屋のドアを開けると、ベッドはぐ ちゃぐちゃ、髪はぼさぼさ、眼の下には大きな隈を作った娘が寝言 を言いながら豪快に寝ていた。 ﹁うう⋮、芋が⋮土地が⋮客土⋮﹂ ﹁⋮⋮⋮﹂ 娘の口から色々な単語が飛び交う。大方昨日の客との勉強のせい だろう。 昨日はいきなり客の男が娘を抱えて戻ってきたと思ったら、男と 娘はそのまま部屋へと消えていった。 気になって部屋を覗いてみると、理由はわからないが農業につい て熱心に講義する男とそれを聞く娘。 どうやらその講義は長く続いたらしい。娘も勉強などする方では ないので疲れたようだ。 起こすのも忍びないと思い、ぐちゃぐちゃになったベッドを整え 直し女性は部屋を後にした。 昼 宿屋裏 畑 478 昼食を食べ終えたクロノは宿屋の裏にある畑に来ていた。 宿屋から出てきた影を見つけて声をかける。 ︵来たね。︶ ﹁遅かったな。﹂ ﹁お、おはヨござまス。﹂ なぜかメアリーは片言気味だ。 よく見ると眼の下には大きな隈が出来ており、眼を何度もしばた かせ眠らないように必死になっている。 メアリーの頭は疲れから呂律が回っておらず、身体もふらふらで 今にも倒れてしまいそうだ。 それもそのはずで昨日は慣れない勉強を深夜遅くまでやっていた のだ。 クロノからすれば大した時間ではなかったが、彼女からすれば大 層な時間だったのだろう。己のミスに頭を掻いた。 ︵昨日一気に詰め込みすぎたなぁ⋮今日は無理だね。︶ ﹁⋮⋮今日は良いか⋮とりあえず帰って寝ろ⋮﹂ ﹁な、なんで⋮⋮す⋮⋮うっ⋮﹂ メアリーの身体はふらふらとよろめき茶色い地面へと落下してい く。 ﹁おっ、おい!﹂ 479 落下する直前でクロノが慌てて受け止める。 どうやら、寝不足で眠ってしまったらしい。 何度か起こそうと試みるが、スヤスヤと寝息を立てたままメアリ ーは起きようとしない。 ﹁とりあえず運ぼうか⋮﹂ 昨日のようにメアリーを抱きかかえたままクロノは宿屋へと入っ ていった。 宿屋内 眼が開きそうで開かない。視界が真っ暗だ。 ︵どこだろう⋮?︶ ﹁⋮⋮やりすぎたなぁ⋮﹂ ︵声?誰の?︶ ﹁後で謝っておこう⋮うん⋮﹂ 身体に感触が戻ってくる。身体が動く。手を何度か握って確かめ る。 そしてメアリーは眼を開けた。 見えたのは茶色い木の天井︱︱それと、椅子に座り俯くクロノの 姿だった。 黒いフードはしておらず、黒い髪が露出している。 慌ててベッドからメアリーは起き上がる。 480 ﹁な、にゃにやってるんですか!?﹂ 噛んだ。清々しいほどに。言った本人も噛んだことに気づいたの か顔を赤くして視線を逸らす。 ﹁あっ、眼覚ました?﹂ クロノに気にした様子はない。 だが、ここでメアリーは違和感を覚えた。 何だろうか?違和感の原因を探る。クロノとの今までの会話を思 い出す。 そして一つの壁に突き当たった。 ﹁あ、あのクロノさん⋮﹂ ﹁ん?なに?﹂ ﹁口調違くありません?﹂ ﹁⋮⋮⋮!﹂ 気づいていなかった。 虚を突かれたクロノはさきほどのメアリーと同じように顔を背け る。 その様子をみてメアリーは笑う。 ﹁プッ、ハハッ、ハハハ!﹂ ﹁はぁー⋮まーたドラに怒られるよ。﹂ 481 落ち込んだようにがっくりと肩を落とすクロノ。 それとは対照的にメアリーは楽しげに笑う。 ﹁なんだ、クロノさんそういう顔も出来るんじゃないですか。もっ と気難しい人だと思ってたのに。﹂ ﹁まあ、なんていうか色々あってね。普段はあんな感じじゃないと いけないんだ。﹂ やってしまったと、クロノは頭を掻く。 ﹁色々って⋮﹂ ﹁色々だよ、あんまり深く突っ込まないでくれ。それより身体は大 丈夫?﹂ これ以上聞かれても困るクロノは強引に話題を変える。 メアリーは現状の自分がいる場所を確認し、どうしてこんなとこ ろにいるのだろうと首を傾げた。 ﹁身体⋮?﹂ ﹁ああ、覚えてないのか。君は倒れたんだよ。寝不足でね。﹂ メアリーの脳裏におぼろげな記憶がよみがえる。 足元がふらついて、浮遊感に襲われたあの時。地面にぶつかると 思ったところで寝てしまったのだった。今この瞬間も若干眠く、油 断すると瞼を閉じてしまいそうだ。 ﹁そっか⋮私倒れたんだ⋮。﹂ 482 ここでメアリーはあることに気づく。 畑で倒れたはずの自分が今いるのは自分の部屋。当然自分で帰っ てきた覚えはない。 よく記憶を思い返せば、地面にぶつかるはずだった身体にも衝撃 はなかったし服も汚れていない。 つまり、運ばれたわけだ。昨日のように。 そう思うとなぜだか恥ずかしくなって、思わず俯いてしまう。 俯くメアリーにクロノは頭を下げて謝罪の言葉を口にする。 ﹁ごめんね。俺が昨日無理させすぎたみたいで。﹂ ﹁い、いえっ!そんなことは⋮むしろ感謝してるくらいですし⋮私 とか何も知識なくて。﹂ ﹁いや、昨日のは俺が悪いんだ。ごめん。﹂ 精一杯クロノは頭を下げる。申し訳なさそうに。 突如として怪しい男から謝罪されたメアリーはというと、途端に 手を大きく振って制止する。 ﹁本当に私が悪いんですよ。知識もないのに始めたりして。皆が沈 んでいるときに、暢気に村の人に聞くのも何だか、申し訳なくなっ て⋮⋮一人で何でもやってやるって⋮⋮私一人で出来るわけでもな いのに⋮本当馬鹿です⋮﹂ 話を進めるたびにどんよりとメアリーの顔は暗くなっていく。 今にも泣き出してしまいそうなメアリーの頭にクロノはポンと手 を置いた。 483 ﹁そんなことはないよ。君が行動していなかったら、俺は手を貸そ うとも思わなかった。君が行動したから、俺は君に教えようと思っ た。それだけでも、君の行動には意味があったんだ。あの畑もまだ まだこれからだ。時間はかかるだろうけどね。まあ、その前に盗賊 を潰してこないといけないんだけど。﹂ そう言ってクロノは笑顔をメアリーに向けた。 メアリーは不安そうにクロノへと言葉を投げかける。 ﹁危ないですよ⋮今まで盗賊と戦って帰ってきた人はいません。﹂ それは今までの経験からの言葉。二度と帰って来なかった彼らか ら学んでしまった恐怖の言葉だった。 本音を言えばもう誰も行って欲しくない。もう、誰かが死ぬのは 嫌だ。 しかし、クロノはメアリーの言葉に臆することはない。それどこ ろか、笑っているようにさえ見える。 彼は自分が負けるなどと微 塵も思ってはいない。 クロノは力強く言い放つ。メアリーを安心させるために。 ﹁大丈夫。絶対に帰ってくる。だから、待ってて。﹂ 己を信じているからこその言葉。 メアリーの根拠のない自信とは違う、別種の裏づけがある自信だ。 負けはしない。 今までの人間とは違う不思議な感覚をメアリーは感じ取る。 彼ならばいけるかも知れないという期待と不安。 期待してはいけない。期待してしまう。 相反する二つの感情が入り混じって、上手く言葉が出てこない。 何とかメアリーは言葉を捻り出す。 484 それはたった二文字の言葉で、とてもシンプルな言葉で、分かり やすい肯定の言葉。 ﹁はい。﹂ ﹁うん。じゃあ、行って来るね。夕飯までには戻ってくるから。﹂ メアリーの口から出たその言葉にクロノは頷く。 次の瞬間︱︱クロノの姿は部屋から忽然と消え失せ、部屋にはメ アリーただ一人が残された。 485 第五十話︵前書き︶ クロノ君は恒例の無双入ります まあ、今回のは前座です 盗賊の話はまだ終わりません 486 第五十話 ︵うーん、やっぱ怪しいよなぁ⋮どうするべきか⋮︶ 宿屋を出たクロノは盗賊のアジトへと向かっていた。 そのペースはとても急いでいるとは言えず、むしろゆっくりだ。 このペースでは、帰る頃には日が暮れてしまうだろう。 元からこんなペースだったわけではない。宿屋を出るときには、 しっかりと身体強化していた。 なぜそれを止めたかというと、原因はクロノの後ろを歩く、おど おどとした少年にある。 キョロキョロと周囲を見渡しながら、何かに怯えたように歩く少 年。 もちろんそれはドラではない。外見年齢は同じくらいだが、こち らはれっきとした少年だ。 話は十分ほど前に遡る。 十分ほど前 荒野 流れる風さえも追い越してクロノは荒野を駆けていた。身体に当 たる風が心地いい。 そんなクロノの眼に映ったのは、一つの人影。それは紛れも無く 人で、荒野にてポツンとうつぶせになりながら倒れていた。 体格からみておそらく子供。 ︵放置するわけにもいかないか⋮︶ 足を止めてみると服はボロボロで、ところどころ千切れている。 487 ﹁おい、起きろ。﹂ 無愛想な声で話しかけてみるが反応はない。 よく耳をこらして聞くと、小さな唸り声がする。 ﹁う⋮う⋮﹂ ゆっくりと人影を地面から抱き上げる。抱き上げてみるとそれは 汚い格好をした少年だった。 顔には土がついており、その汚さをより一層際立たせる。 クロノが土を拭っていると、少年の唸り声のパターンが変わり、 眼を覚ました。 ﹁う⋮あ⋮?あれ?﹂ どうやら、現状を把握出来ていないらしい。 眼を覚ました少年は、キョロキョロと周囲を見渡した後、クロノ へと顔を向けて悲鳴を上げた。 ﹁あ∼!!ごめんなさい!ごめんなさい!もう、逃げませんから!﹂ なにを勘違いしたのか、なぜかクロノへと謝罪の言葉を口にする 少年。 少年期特有の甲高い声がクロノの耳へとキーンと響き渡る。 思わずクロノの口から本音が零れる。 ﹁うるさい!﹂ ﹁すっ、すいません!反省してます!だから殴らないでください⋮﹂ 488 ビクッと少年の身体が動き、縮こまる。まるで小動物のようだ。 ﹁⋮何を勘違いしているのか知らんが、俺はお前を殴る気などない。 そもそもお前が誰なのかも知らん!﹂ いい加減めんどくさくなったクロノの語尾は自然と強くなる。 クロノは言った後で、強く言ってしまったことに気づき自分の失 態を恥じる。 ︵怯えてる子にそんな風に言ったら更に怯えるじゃないか、俺の馬 鹿⋮︶ しかし、少年の反応はそんなクロノの予想を見事に裏切るものだ った。 ﹁ってことは!僕は抜け出せたってこと!?﹂ 少年は大胆にガッツポーズしながら、感涙に咽ぶ。 ﹁お前は⋮なんだ⋮?﹂ クロノの問いに少年は涙を拭って答える。 ﹁ごっ、ごめんなさい⋮。﹂ ﹁なぜ謝る!?﹂ ﹁ごっ、ごめんなさい⋮。﹂ ︵無限ループな気がしてきた⋮︶ 489 ﹁ええい、謝ってないで答えろ!﹂ 少年はおどおどしながら何かに怯えるように答える。 ﹁ごっ、ごめんなさい⋮。ぼ、ぼくはチェ、チェスって言います⋮。 この先にある盗賊のアジトに捕えられていたんです⋮。﹂ 聞けばこのチェスという少年は、幼い頃︵今でも十分幼いが︶に 盗賊に攫われてからそこで奴隷として働かされていたらしい。 そして、今回兼ねてより計画していた脱走を試みたものの、ここ で力尽きて倒れていたとのことだ。 クロノとしては、一応安全のため、一回村に戻ってチェスを置い てこようと思ったのだが︱︱ ﹁盗賊のアジトに向かうんですか!?でっ、でしたら僕が案内しま す⋮。あそこ分かりづらいですし⋮﹂ と、チェスが言い出してしまい、断ることも出来ず現在に至る。 ︵怪しいよなあ⋮︶ ちらりと後ろを歩くチェスへと顔を向ける。眼が合うとチェスは 慌てて視線を逸らす。 クロノはまったくと言っていいほどに、チェスのことを信用など していなかった。 490 どう考えても、これは罠だ。 そもそも、ようやく抜け出した少年が、自らそこに戻ろうなんて ありえない。 服の状態を見るに盗賊内で奴隷のように使われていたのは嘘では ないのだろう、大方相手を油断させるために彼が選ばれたのだ。 力という恐怖に縛られたチェスが逃げられないということも予測 しているはずだ。 ︵どうしようか⋮︶ このままチェスの言うとおりに進めば罠にかかるのは明白。 かと言って、今から彼を脅して無理やりアジトの場所を吐かせる のは憚られる。 怯えて従っているに過ぎない少年を更に脅すなんてやり方はよろ しくない。 ︵あの弓兵にも嘘つかれたみたいだし⋮︶ 先日倒した弓兵から聞いたアジトの場所とチェスが指すアジトの 場所は一致している。 が、そんなものを信用するなどあまりにも馬鹿げている。 下手したらチェスを使うのは最初から予定していて、あの弓兵も わざと捕まって情報を吐いたのかも知れない。 まったく、無駄に手の込んだストーリーだ。肝心の役者がこれで は台無しだが。 ︵まっ、わざと罠にかかるのもありかな。どうせどんな罠にせよ、 最後には俺の死体を確認しに来るやつがいるだろう。︶ 適当に途中で思考を放棄したクロノは疑うことを止めた。 491 どんな罠であろうとどうせ自分が死ぬことはないのだから、始め からかかりに行けばいい。 自分にはそれだけの自信と実力があるのだから。 ﹁あっ、あのここです。この先にアジトが⋮あります⋮。﹂ 後ろを歩くチェスが指さしたその先には大きな岩山。 凸凹に穴が開いた岩山は確かに隠れるには持ってこいかもしれな い。 ﹁ぼ、ぼくはここまでで⋮。﹂ ﹁ああ、わかった。﹂ 相変わらずオドオドしながら、喋るチェス。 クロノは振り返ることもせずにチェスへと言葉を返し、その先へ と進んでいく。 ﹁ごっ、ごめんなさい!﹂ 声がしたと同時にトン、と軽い衝撃がクロノの背中を襲う。 それは、本来であればクロノが動くような衝撃ではなかったが、 その時クロノの身体を確かに動いた。 いや、クロノは意図的に自分の身体を動かした。罠にかかりにい くために。 少しバランスを崩したクロノの身体は衝撃に逆らうことなく、そ の先へと一歩踏み出す。 踏み出したその先はなんの変哲もない地面。 492 しかし、地面がクロノの重みを感じた瞬間呻きだす。 ピシッ!亀裂が入ったような音。 それを合図に瞬く間に崩れていく地面。 クロノはこれが何なのか即座に理解した。これは落とし穴。 地面を踏むことが叶わない。地面は崩れクロノの身体は落下を始 める。 宙に浮く自分の身体。空中ではどうすることもできない。 落下していく最中クロノが見たのは、泣きながら自分へと謝るチ ェスの姿。 チェスのいる場所はギリギリ落下範囲から離れており、確実に計 算されているであろうことがすぐにわかった。 やがて、クロノの身体は砂とともに底へと着地する。 そこは暗く、深い穴の中。自分以外の何も存在しない穴。 高さは到底普通の人間が上がれるようなものではない。下手した ら落下の衝撃で死んでしまうかもしれない。 だが、それはあくまで普通の人間であればという話。 風の音が上から響く。 上を見上げると穴の周りを、ガラの悪い弓を持った男たちが取り 囲んでいた。 深い穴から這い上がれない獲物を狙い打ちにする気なのだ。 一人の男の合図で一斉に盗賊たちは弓を構える。 そんな状況でも、クロノは慌てない。むしろ拍子抜けしていた。 こんなものかと。こんなもので自分を殺そうとしていたのかと。 ﹁アハッ、ハハハ!!﹂ そう思うと笑ってしまった。 493 クロノは冷静だ。あくまで冷静に一つの言葉を口にする。 それは終わりを告げる合図の言葉。 これより、狩る者と狩られる者は一変する。 盗賊たちは思い知る。どうあがいても越えられない力の差を。 ﹁レベル5﹂ 494 第五十一話︵前書き︶ 短め チェス君は多分10、11、歳くらいのイメージ 彼の過去も後で書くことになりそうです 495 第五十一話 ︵あ∼∼、こりゃあ無理だな。︶ ﹁首領﹂は暢気に目の前の惨状を見つめながら、そう心の中で呟 いた。 見つめる先には、何の抵抗も出来ずにバタバタと倒れていく部下 たちの姿。 お前らはただ突っ立っているだけの案山子か、と言ってやりたい 気分だが、相手がアレでは無理からぬことだろう。相手の実力を見 誤った自分にも責任はある。 自分の失態に唇を噛みながら、もういない部下の言葉を思い出す。 ﹁武器は奇妙な形をした剣みたいなものでした。攻撃に関しては分 かりません⋮。気づいたら、回り込まれてて⋮。﹂ そのときは属性も分からないままやられたのかと落胆したが、今 見れば理由が分かる。 ︵属性も分からなかったのはこういうわけか⋮。文字通り剣しか使 ってないし。︶ 目の前の男は剣しか使っていない。ただ、肉体のスペックに任せ た戦い。 にわかには信じがたいスピードとパワーで、部下たちをなぎ倒し ている。 思えば、最初から相手の行動はおかしかった。 絶対に這い上がれない穴の底へ落としたというのに、一っ飛びで 底から上がってきたのだ。 496 これではどうしようもない。 その行動に驚いた部下たちは、動揺を見せ瞬く間に隊列を崩した。 そこからはもう、無抵抗にやられるだけのサンドバッグと化し、 ご覧のありさまである。 ︵なっさけねェなオイ。まっ、この状況になってもオレに眼を向け ねェのは評価するけどよ。どうせ、オレも勝てねェし。︶ 部下たちの微々たる成長に内心感心した。ここで部下が助けを求 めるような眼でこちらをみれば、自分が﹁首領﹂だとバレてしまう。 その間にも﹁首領﹂以外の部下たちは次々と倒されていく。 だが、ここで﹁首領﹂はある違和感を覚えた。 ︵それにしても︱︱あの剣汚れねェな。︶ 眼をつけたのは男が振るう奇妙な剣。 細長い形をしたその剣は、夕陽に照らされ妖しく光る。 おかしい、何かが。 その疑問を解決させてくれたのは倒れる部下の姿だった。 部下の姿は汚れておらず、あまりにもキレイ過ぎた。 ︵血が出てない?⋮⋮ケッ、通りで、オレが殺気を感じないわけだ。 ︶ ﹁首領﹂は本来落とし穴なんてものを使う気はなかった。 あんなものは、素人の演技にだまされるアホに使うものなのだ。 本来の目的は油断させるため、というのが一点。後は、万が一部 下が負けたときの自分の保身が一点。 では、どうしてクロノに使ったのかというと、それはクロノが強 そうに見えずチェスに言われたとおりに道を進んだからである。 497 今までの人間は皆途中でチェスに詰め寄り、アジトの場所を吐か せようとした。 しかし、クロノはそれをあえてしなかった。 それに、更に付け加えるのであれば、クロノから殺気を感じなか ったということもある。 殺気とは文字通り殺す気のことだ。殺す気もない人間など、恐れ るに足りないと﹁首領﹂は判断したのだ。 ︵コイツには殺す気がないのか。⋮⋮ッチ、ザけてんのかよォ!︶ 手加減されてる。そう思うと、無性に腹が立った。 どうして、こんな奴に負けたのかと。 ムカつく頭を急速に冷やす。 ︵甘ェな、甘すぎだろ。⋮⋮まあ、それならそれで、打つ手はない わけじゃない。とりあえず大人しく従うのが吉か。︶ 最後の部下が倒れたところで、﹁首領﹂はクロノへと顔を向け、 表情を取り繕った。 これからは﹁首領﹂はまた、﹁首領﹂ではない別の誰かに成り代 わる。 オドオドとした表情で、﹁首領﹂︱︱︱︱︱いや、チェスはクロ ノへと謝罪の言葉を口にした。 ﹁ごっ、ごめんなさい!!ぼっ、僕、この人たちに︱︱﹂ 498 第五十二話︵前書き︶ チェス君黒杉 499 第五十二話 ︵一々探すのは骨だな⋮︶ クロノはめんどくさそうに頭を掻きながら、自分が作り出した惨 状を見つめる。 クロノを中心に円となって、うめき声を上げながら倒れる人々。 その様はまさに、死屍累々。正確には死人など出てはいないが。 クロノは呻いている盗賊の一人を持ち上げて、不機嫌そうな声色 で尋ねる。 ﹁おい、﹁首領﹂は誰だ?どこにいる?﹂ 妖しく光る紅朱音を首筋に当てながら、眼で早く答えろと威圧す る。 矛先を向けられた盗賊は怯えつつも、心の中で確かめる。 何度も教え込まれたはずだ。こういう時どうするかを。 今、目の前にいる男は確かに怖いが、役割を果たせなかった者が どうなるかは身を持って知っている。 そして、男は怯えた声で、震える指で、予定通りの、仮の﹁首領﹂ を指さした。 ﹁ア、アイツ⋮だよ⋮!アイツが、オレ達の﹁首領﹂だ⋮!﹂ 男が指さしたのは、穴だらけの岩山。ぼこぼこと不自然にいくつ もの穴が開いた岩山。 よく見ると男はその内の一つ、上段にある穴を指差している。 ゆらりと、穴の中から人影が現れる。 500 ﹁⋮アレか?﹂ ﹁あ、ああ、そうだよ⋮!﹂ 現れたのは頬に一筋の傷がついた年かさの男。首領は悠然と、ク ロノを見下ろす。 ﹁⋮⋮⋮﹂ 何か喋るわけでもなく、ただ見下ろすだけの首領。 クロノは盗賊の男を放り投げ、紅朱音を上へと掲げる。 ﹁お前の部下は全部潰した。後はお前だけだ。﹂ ﹁⋮⋮⋮﹂ 首領は答えない。 ﹁⋮言う事は無しか⋮まあ、いい⋮。今すぐ引き摺り下ろしてやる。 ﹂ そう言って、クロノはコキリと首を鳴らす。 首領はクロノを見下ろしたまま、また穴の中へと消えていく。 ︵なんだ⋮?アイツ⋮︶ 訝しみながら、グッと身体を動かし、準備を始める。 これはちょっとした準備運動だ。一度寝てしまった身体を起こす ための。 一通り身体を動かした後、足へと力を溜める。 501 目指すのは最上部。10m以上は確実にあろう。 地面を蹴る。蹴った勢いで地面が凹んだ。 一っ飛びで、空高く舞い上がったクロノは下段中段を軽々と飛び 越え、上段へと着地する。 ダン!と、強く足場を踏みしめると、その衝撃で脆い岩場はガラ ガラと音を立て一部が崩れた。 これ以上崩さないように、慎重に首領が消えた穴へと入って行く。 夕陽がわずかに差し込む暗い穴。陽があまり入らないためか、外 よりも若干寒い。思いの外深く、奥まで続いている。 少し歩いたところで、クロノは行き止まりに突き当たった。 そこで見たのは、おおよそクロノの予想を遥かに越えた光景。 ﹁なんだよ⋮これ⋮﹂ 行き止まりの先にあったのは、さきほどまで自分が探していた首 領︱︱︱の亡骸だった。 首領の﹁役﹂を任せられた男は内心ビクついていた。まさか、こ んな時が来るとはと。 当初﹁役﹂を任せられた時には、驚きと恐怖でどうにかなってし まいそうになったものだが、幾度となく侵入者を撃退するうちに、 安心していた。 だから、今置かれている自分の現状が、どうしようもなく恐ろし かった。 自分の役割は首領の代わり。下手したらそのまま殺されてしまう かもしれない。 だが、役割を果たせなければ、﹁首領﹂に殺されてしまう。 じんわりと汗が背中から噴出す。膝が笑う。 502 行かなければ。行きたくない。相反する二つの感情を抱えた男は バン!と自分の顔を叩き、開き直る。 行かなければ確実に死ぬのなら、行って死なない可能性にかける べきであろうと。 男は勇気を持って、夕陽が差し込む出口へと足を踏み出した。 ﹁お前の部下は全部潰した。後はお前だけだ。﹂ ﹁⋮⋮⋮﹂ 男は表情を変えない。変えてはいけないのだ。 毅然と、悠然と、相手を見下ろす。 首領を演じる条件。動揺を見せるな。自信たっぷりに相手を見下 せ。 それが、﹁首領﹂から任された自分の役割なのだから。 ﹁⋮言う事は無しか⋮まあ、いい⋮。今すぐ引き摺り下ろしてやる。 ﹂ 不敵を、不気味を、男は装う。 どうやら、相手は自分を首領だと認識したらしい。そこまで行け ばもう成功だ。後は多少の抵抗を見せて、演じるだけ。 この盗賊団は﹁首領﹂さえ捕まらなければ建てなおせるのだ。 男は時間を稼ぐため、穴の中へと戻っていく。これも、前から決 めていた﹁首領﹂の指示だ。 どのように多少の抵抗をしようかと、男は思案しながら奥へと入 っていく。 そして行き止まりに突き当たった。 ここで迎え撃つ。 覚悟を決めた男は静かにその時を待った。 503 しかし、男にその時が訪れることは永遠になかった。 グシャリ!! と、鈍い音が穴に響く。 なんだろうか?男は音がした場所を確かめる。 徐々に身体から力が抜けていく。 音がしたのは自分の身体。 そこにあったのは︱︱自分の身体を貫く不自然に飛び出た尖った 岩だった。 身体のど真ん中を貫いた岩。胸がぽっかりと開いた自分の身体。 男は知っている。これをやったのが誰なのか。 もう、眼が霞んでぼんやりにしかみえない。 声を出そうとしたけれど、言葉にならずに喉の奥へと吸い込まれ ていく。 立っていられない。 自分を貫いている岩に身体を任せ、何かを言おうとしたところで 男は永遠の眠りについた。 ︵⋮これで首領は死亡。︶ 岩山に手を当てながら、﹁首領﹂は不敵に笑う。 ︵悪いな、お前以外の奴には知らせてたんだよ。このシナリオもな。 後は自殺ってことで、口裏を合わせるだけだ。︶ 504 これで、自分は村へと入り込める。 ﹁首領﹂は笑う。密やかに。 505 第五十三話 ﹁大丈夫。絶対に帰ってくる。だから、待ってて。﹂ そう言って消えた彼の言葉を心の中で反芻する。 不思議な安心感を持った彼に対する期待。 と、同時になぜ止めなかったのかという後悔がメアリーの心中で 渦巻いていた。 窓を見ると、空は夕陽が落ちかけ、茜色に染まっている。 生温かいシーツを払い、メアリーは立ち上がる。 眩暈はしない。十分寝たことで体調は良好だ。 部屋の扉を開け、厨房へと歩き出す。 彼が帰ってきたときのために、夕食を作らねばならない。 厨房へと着くと、既に母が準備を始めており仄かに良い匂いが漂 っていた。 母はメアリーの姿を認めるなり、手伝えと指示を出す。 ﹁おっそいよ、アンタ!早く手伝いな!﹂ ﹁うん⋮﹂ メアリーは曖昧に頷き、母の隣へと入る。 慣れた手つきで野菜を切っていく母。今日は野菜中心の食事らし い。 指示された通りメアリーも切っていくが、イマイチ集中力にかけ、 自分の指を切ってしまう。 ﹁いた⋮っ!﹂ 506 血がじわりと人差し指から滲む。 見かねた母は呆れたように溜め息を吐いた。 ﹁もういいから休んでな。血のついた料理なんてお客さんに出すわ けにいかないからね。﹂ ﹁⋮ごめんなさい⋮﹂ ﹁集中出来てないね。あの人が気になるのかい?﹂ メアリーはその言葉に眼を丸くする。 母は彼がどこに行ったのか知るはずもないのに。 見透かしたように母は続ける。 ﹁そりゃあ、アンタの様子とあの人の仕事を知ってれば予想はつく さ。伊達にアンタを育ててきたわけじゃないんだよ。﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁元気ないねえ⋮﹂ 母はメアリーに近づき頬を引っ張る。 ﹁ほら、笑いな。私たちに今出来ることは、信じて待つことだけな んだよ。帰ってきたときに、そんな辛気臭い顔なんてみせてどうす るんだい。﹂ ﹁そう、だよね。﹂ 507 そうだ、自分に出来るのはそれしかない。 そう思うと自然に笑顔が出てきた。 ﹁ありがとうお母さん。﹂ ﹁分かったらとっとと止血してきな。﹂ ﹁うん!﹂ 母に礼を言ってメアリーは厨房を出ていった。 一度部屋に戻ろうと、メアリーが厨房を出て宿屋の入り口の前を 通りがかった時、ふと、音が聞こえた。 当然それは自分のものではない。 ズサッ、ズサッ、と地面と靴がぶつかる音。 足音は徐々に近づいてきている。その音は外から。 メアリーは立ち止まり、じっと待つ。 これが何なのかは、もう何となく気づいてはいたけれど、彼女は はやる気持ちを抑えながら、その時を待った。 ギギィッと立て付けの悪い扉から歪な音が響く。 開いた扉から茜色の光が差し込む。光の中心には一人の男。 メアリーは決めていたその言葉を、夕陽に負けない眩しい笑顔で、 彼へと吐き出した。 ﹁おかえりなさい!﹂ ﹁うん。ただいま。﹂ それは今まで誰にも言えなかった言葉。誰も帰っては来なかった という現実がなせる業。 508 他にも言いたいことはあったのだけど、それがなによりも一番で あった。 クロノはそれに優しい笑顔で答える。 続いてどんなことを言おうかと、メアリーは色々考えてはいたの だが、次に口から出てきたのはどの予定していた言葉とも違う言葉 だった。 ﹁その子は、誰、ですか⋮?﹂ 数十分前 目の前で首領が死んでいるという現実を見たクロノは、半分これ は夢なのではないかと、思っていた。 太く尖った岩に貫かれた首領。胸にはぽっかりと穴が開き、そこ から噴出した血が岩を赤く染めている。 触ってみると首領の身体はほのかに温かい。さきほどまで確かに 生きていたのだ。 何があったのか、クロノには理解出来なかった。 罠でもあるのかと思い、実のところ内心ワクワクしていたクロノ の少年のような好奇心は消え失せ、言い知れぬ喪失感が押し寄せる。 頭が急速に冷めていく。 もう、ここに居ても意味はない。そう判断したクロノは穴の中か ら飛び出した。 10mを優に超える岩山からの大ジャンプ。 平然と死ぬであろう高さから飛び降りたクロノは、ドスン!!と 地鳴りのような音を響かせ無事着地する。 その足で、真っ先にクロノは盗賊の生き残りの元へと向かい、胸 倉を掴んだ。 509 目の前でいきなり超人的な行為を見せつけられた男からすれば、 それは恐怖でしかない。 ﹁おい、お前らの首領が岩に貫かれて死んでたんだが。アレはどう いうことだ!?﹂ ﹁しっ、知らねぇよ!﹂ クロノは男を放り投げまた別の男に同じ質問を繰り返すが、同じ 回答が帰ってくるばかりだ。 そんな中一人の男が別のことを口にした。 ﹁あの人自殺したんだろ、それ。﹂ 素っ気ない口調で答える男。 ﹁な⋮に⋮!?﹂ ﹁どうやって死んでた?岩にでも貫かれてたんじゃないか?﹂ 男は冷静だ。とても胸倉を掴まれているとは思えないほどに。 しかし、男は内心怯えていた。 これが非常時の彼に与えられた役。 最初から死因を言い当てては信用されない。嘘がばれてしまう。 ある程度相手が聞きに回ったところで口を開く。いかにもそれら しい理由をつけて。 別に最初から彼と決まっていたわけではない。 たまたまある程度のところで、彼に回ってきただけのこと。 ﹁あ、ああ⋮﹂ 510 ﹁なら自殺だよ。あの人は負けるってことが嫌いだったからな。耐 え切れなかったんだろ、アンタに負けたことに。今までだってそう だよ。あの人は細心の注意を払って負けないようにしてた。そこの ガキを捕まえて、無理矢理恐怖で縛って奴隷にして作戦に組み込ん だりな。子供だったら誘いやすいだろ?まあ、結局つかえなかった けどなあ!ったく、テメェは使えねえ!﹂ 怒気を含ませながら苛立ったようにチェスを指さす男。 男はさり気なく、この作戦で一番重要な部分を会話の端に挟み込 む。 ﹁そこのガキを捕まえて、無理矢理恐怖で縛って奴隷にして作戦に 組み込んだりな。﹂ という、一文を。 これで男の役割は終了。 男に指さされたチェスは怯えたようにビクッと身体を震わせる。 ﹁なるほどな。お前らがゴミだってことはよく分かった。とりあえ ず、もう口を開くな。﹂ ドン!!とクロノは男の鳩尾に裏拳を叩き込む。 ﹁ガハ⋮ッ!﹂ 男は呻き声を一瞬上げ地面へと倒れていった。 クロノはチェスへと近づき、無愛想に言葉を投げかける。 ﹁⋮俺はお前を信用したわけじゃあない。脅されていたとはいえ、 511 今までも同じようなことをやっていたのだとすれば、それは許され ないことだ。﹂ 眼から涙をボロボロと零すチェス。 ﹁ごめんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい。﹂ ﹁だから、これからはしっかりと生きろ。いいな。﹂ チェスは泣きじゃくりその言葉に答えることはなかった。 それからは盗賊を全員見張りながら、村長の家にある鉄製の牢屋 に連れて行った。 村長は人の好い好々爺といった印象で終始笑顔でクロノに接し、 スムーズにことは運んだ。 牢屋は網目状になっている一般的なものではなく、閉じた黒い箱 らしきもので、扉を閉めると中からはどうやっても開けられない構 造になっており、抜け出せる気配はない。 そこに盗賊を纏めて放り込み、クロノは村長の家を後にした。 チェスはというと、盗賊と一緒に牢屋に放り込むのは憚られたの でクロノが一時的に引き取ることとなった。 クロノはこの時の事を、今でも後悔している。 なぜ、チェスを牢屋に放り込まなかったのかと。あるいはなぜ殺 さなかったのかと。 よく考えれば、奴隷として扱うのであれば隷属の首輪をつければ 済む話なのだ。 どうして、ついていないのかとこの時疑問に思わなかったのかと。 甘かった?油断していた?まさか、こんな少年が﹁首領﹂だと思 512 わなかった? 言い訳はいくらでも出来る。 だが、いくら悔やんでもこの時には戻れない。 人生とは取り返しがつかないものなのだから。 盗賊団壊滅の知らせは明日の朝には、村全体へと広まり、一躍村 は活気づくこととなる。 その活気の裏で何があったのか。 クロノにとって二度と忘れ得ない苦い記憶。 これからの一ヶ月をクロノは生涯忘れない。 絶 対 ニ 。 513 第五十四話︵前書き︶ 回想編のプロロ的ななにか 短め 514 第五十四話 青年はその日、父と村の外へと来ていた。 父の手伝いで、決して近くはない街に向かう途中。もう幾度とな く通った、荒れ果てた大地。 固い地面を歩くのは非常に疲れる。ところどころ、休憩を入れな がら進むのが常であった。 1時間ほど歩いたところで親子は立ち止まる。その日最初の休憩 地。 煤けたような色の岩に腰を降ろし、持ってきた水筒から水を喉へ と流し込む。疲れた喉を水が潤し、疲れていた身体が少し生き返っ たように感じた。 すると、座っていた父がふと、座っている岩より少し行ったとこ ろにある岩山を指差した。 ﹁あそこって⋮、あんなに穴空いてたか?﹂ 父が指さしたのは見慣れた大きな岩山。見ると不自然にいくつも の穴が空いている。 青年は記憶を探るが、元々多少は空いていたがあそこまで空いて いた記憶はない。 微妙な違和感に首を傾げる。 否定の意を示そうと、青年は隣に座る父の方を向く。 グシャリ!! 次の瞬間青年の眼に映ったのは父の姿︱︱︱ではなく、父だった ものの姿。 515 ﹁アレ?最初のお客さんは、お兄さんたちかな?︱︱︱って、言っ ても、今一人死んだけど。﹂ その日青年は出会った。出会ってしまった。一つの恐怖に。 ﹁ハハッ、丁度いいや。僕と取引しようよ。まあ、お兄さんに拒否 権はないんだけど。こっちが出すのは君の命だ。﹂ 持ち掛けられた一方的な取引。断れば死。 だが、不思議と青年は死ぬのが怖くなかった。もう、その恐怖に 出会った瞬間に死ぬと思ったから。 今自分が生きていることすらも不思議に思えた。 青年の頭を占めるのは別の感情。 それは、相手からしても予想外のものだった。 ﹁︱︱︱お願いがある。オレの命はどうでも良い。だから、別のこ とを約束してくれ。﹂ ﹁お前、条件なんて出せる立場だとでも⋮!?﹂ ﹁いいよ、聞くだけ聞いてあげるよ。﹂ ここで、したがったフリをして村に戻り、皆に知らせるという手 段もあったけれど、青年はそれをしなかった。 それをしても村の人間が勝てるとは思えなかったから。 だから、青年はある条件を出した。 青年は躊躇わない。その条件が誰かを守るために、どれほど村の 人間を裏切ることになろうとも。 間違ったやり方だとは知っていた。それでもやるしかなかった。 しょせん青年は脆くて弱くて無力な存在なのだから。 516 ﹁いいよ、約束してあげる。ただし、君が裏切った場合はその子に 死んでもらうから。﹂ 青年は堕ちていく、二度と這い上がれない奈落の底へと。 ﹁︱︱よかったんですかい?あんな簡単に信用しちゃって。﹂ ﹁良いんだよアレで。とりあえず、見張っとくように言っといたか らな。お互いに監視しといて貰もらわないとなー。﹂ ﹁そりゃあ、なんでまた?﹂ ﹁片方が裏切ったとしても、片方が知らせてくれるだろ?お互いに 相手がスパイだって知らないんだから。﹂ ﹁なるほど⋮。で?あの条件、守る気あるんですか?﹂ ﹁ハハッ、一応守ってあげるさ。オレ達の目的は別にあの村を壊滅 させることじゃーない。元々ある程度は生かす気だったんだ。ただ、 生かすのが一人決まっただけ。寄生するには働く人間がいないとな。 まあ、生かさず、殺さず、だよ。用済みになったら両方処分するけ ど。﹂ 517 第五十五話︵前書き︶ ドラもなかなかに人でなし まあ、人じゃないのだけど 翌朝ってのは五十三話のです 五十四話は結構前の話 518 第五十五話 翌朝 ﹁⋮祭り⋮?﹂ クロノは眠たい眼を擦りながら、ダラダラと食事をとっていた。 宿屋の食堂にはクロノ、ドラ、メアリー。 メアリーはハイテンション気味に薄い肌色のテーブルをバンバン と叩く。 ﹁そうですよ!祭りですよ!﹂ ﹁なんのさ?﹂ ﹁今回の盗賊団壊滅を記念してのみたいです!﹂ ﹁ふーん。﹂ ﹁ふーんって、そんな興味なさ気に言わないでください!﹂ ﹁それにしても、よくそんな余裕あるね。今回の件で村はかなり疲 弊してるだろうに。﹂ ﹁村長さんが主催になって、企画したみたいですよ。村を盛り上げ るために私財を投じて。﹂ クロノは村長の顔を思い出す。しわくちゃになった顔の好々爺。 そういえば、昨日は大変しつこくお礼を言われたか。 519 などと、クロノが適当に考えている中、メアリーは続ける。 ﹁それでですね。クロノさんにも出てもらいたいなーと。﹂ 暫し、クロノは思考を止める。そして苦笑いを浮かべた。 ﹁⋮え⋮?無理だよ無理。﹂ ﹁主役がいなくてどうするんですか!﹂ ﹁主役って⋮、俺は仕事しただけなんだけど⋮。それに、そういう 騒ぐのはガラじゃないしね。﹂ ﹁む∼∼。﹂ 唇を噛み、不満そうに頬を膨らませるメアリーに若干リルっぽさ を感じながら、食事を飲み込んでいく。 そこからは何気ない会話を続けるだけで、特に意味のあることは 話さなかった。 その間ドラは一言も喋ることはなかったが、気には止めない。よ くあることだ。 クロノがスープを飲み干したところで、食堂の堅い木製の扉が開 いた。 ギィッと年季の入った木の軋むような音がすると同時に、ドラは ピクリと鼻を動かす。 ﹁あっ、あの、追加でスープ持ってきました。﹂ 入ってきたのは、昨日とは違い、ちゃんとした服を着て、ある程 520 度身なりを整えたチェスだった。 相変わらずどこかオドオドしているのは変わらないが。 手には四角いお盆。その上には丸いカップに入った、湯気が立ち 込めるスープ。 ﹁どっ、どうぞ⋮﹂ 慣れない手つきで、クロノとドラの前にスープを置いていく。 単純な作業のはずなのにどこか危なっかしい。 ﹁でっ、では失礼しました⋮。﹂ ﹁なんとか﹂という表現が正しいように、なんとか無事配り終え たチェスはこれでもかというほど頭を深く下げ、食堂を後にした。 チェスがいなくなった後で、心配したようにメアリーは小さく溜 め息を吐いた。 ﹁チェス君ずっとあんな調子なんですよね⋮。﹂ 昨日、行く宛てがないチェスの処遇をどうするかという、問題が 発生したところに、メアリーが手を挙げ、ならばここで一時的に引 き取るという話しになったのだが、どうも他人行儀なチェスの態度 が気になるらしい。 ﹁まあ、しょうがないんじゃないかな。慣れるまではさ⋮。﹂ 詳しいチェスの事情はクロノにも分からない。 だが、自分も昔拾われた身であるクロノは多少なりとも、分かっ ているつもりだ。 大体の問題は時間が解決してくれる。 521 メアリーの方は未だ頭を悩ませているが、その内どうにかなるだ ろう。 気をとりなおして、熱いスープが入ったカップへと手をかけると、 それまで黙っていたドラが口を開いた。 ﹁それちょーだい。﹂ ﹁⋮?まあ、いいけど⋮。﹂ 予想していなかったドラのお願いに面食らったクロノは、少々の 疑問符を頭に浮かべつつもスープを差し出す。 ドラをそれを勢いよく飲み干し、プハーと満足気に息を吐いた。 ﹁おいしー!﹂ ﹁ホント!?もっと、欲しいならお母さんに言って貰ってこようか ?﹂ ﹁うん!お願い!﹂ 元気よくドラは返事をする。 ドラのその言葉に気を良くしたのかメアリーは、後ろ姿だけでも 判断出来るほどに心を躍らせながら、厨房にいるであろう母の元へ とスープを取りにいった。 メアリーが行ったのを確認してから、クロノは神妙な顔でドラに 尋ねる。 ﹁︱︱さて、わざわざ人払いまでして⋮何かあった?﹂ クロノの問いにドラは眼を上に泳がせ、幾ばくかの間、頭の中で 522 何かを逡巡させた後、笑った。 ﹁いや、なんでもない。人払いはお主の考えすぎじゃよ。﹂ ﹁⋮⋮ただ、美味しかったからっていうのか?言葉のとおり。﹂ ﹁そうじゃよ?何を疑心暗鬼になっておるんじゃ?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 確かに食べ物のことに関して、ドラは子供のようなところがある。 アイスなどその最たる例である。 しかし、どうにも納得がいかない。ドラの好みは今までの経験上、 甘い系統のものだ。今回のスープはどうみてもドラの琴線に触れる とは思えない。 何かが、おかしい。具体的に何かとはいえないが。曖昧に何かが、 引っかかる。 隠している?何を?分からない。それとも自分の考えすぎ? いくつもの思考が浮かんでは消えていく。 何かを隠しているのだとすれば、おそらくドラからこれ以上の情 報は得られない。 一度決めたら頑固な奴だからだ。 結局クロノはそれ以上聞き出すことは出来ず、その疑問を頭の片 隅に押し留めるしかなかった。 ︵ふむ⋮、主に隠し事をするのは少々心苦しいが、これも経験じゃ よ。一歩間違えれば主は死んでいた。︶ 523 ドラは心中で、今回の事を利用しようかと考えていた。 常日頃から思っていたことだが、クロノには危機察知能力が足り ない。 それはある意味で、クロノが強すぎる故のことでもある。 そんな能力などなくても、クロノは生き残れるのだ。そんな曖昧 なものに頼らずとも、見てからでも反応出来る。それだけの力がク ロノにはある。 生物はそれが必要ないと判断したものを、省くあるいは無くすと いう傾向にある。 言い換えればそれは退化だ。 土の中に棲むモグラは視力が退化し、這いずり回る蛇には足がな い。同じように人間にも尻尾はない。 これらは元々なかったわけではない。 ただ、必要がなかったから無くしただけである。 クロノにとっては危機察知能力が必要ないと判断されたのだ。勿 論、本人に自覚はない。 しかし、生きていく上でその能力は必要なものだ。 今回のように、ふとした、気づかないことで死ぬこともあるかも しれない。 ドラはクロノのスープを見た瞬間、確かに感じた。死の予感。 僅かなニオイよりも、強烈な予感でドラは即座に理解したのだ。 これは毒入りであると。悪意の篭った凶器だと。 幸いドラゴンである自分には効かない系統の毒であるとニオイで 分かっていたから、ばれる事はなかったが。 ︵誰がやったかは目星がついておるが⋮、今回はクロノ一人で見つ け出してもらうとしよう。︶ ここで自分が手を出さないことで、クロノが死にかけることもあ るかもしれない。 524 だが、死にかけならばそれでいい。自分が、死なせは絶対にしな い。 死にかけることでクロノの死に対する予感が、芽生えるかもしれ ない。 そう思って、ドラは手を出すことを止めた。 クロノが死にかける以前に無関係な人間も巻き込むこともだろう。 ︱︱︱︱どうでもいいことだ。 実際ドラにとって、人が死のうがどうでもいいのだ。 その過程で誰がどのくらい死のうとも、主であるクロノさえ生き 残ればいい。 願うのはクロノの成長だけ。それが臣下である自分の務めなのだ から。 525 第五十六話︵前書き︶ 短め 次回一気に名も無き村編終わらせたいなあ あくまで願望 少年二人黒杉 526 第五十六話 ザクッ、ザクッ、という音が地面から聞こえる。 その音は地面を擦るような足音︱︱などではない。 ﹁ふう∼、これくらいでいいかな。﹂ 額に滴る汗を右手で拭う。拭った手にはべったりと土がついてい た。 左手には濁ったような色の土に塗れた鍬を握っている。 鍬を一旦離し、腰に手を当て、自分が作り上げたそれを満足げに 眺める。 疲れながらも不思議な達成感があった。 ﹁まだ色々やることはあるけど、とりあえずこんなもんか。﹂ 目の前に広がるのは、少し黒ずんだ土で出来た畑。昨日も一昨日 もみた畑だ。 初日に見たときに比べれば、大分畑らしくなった。土自体も変わ り、赤茶けた土から黒ずんだ土へ。 手を当てている腰が、小さく悲鳴を上げる。痛い。 それもそのはずで、本来レベル5を使った次の日は休養をとらな ければならないのだ。 身体の限界を超えた無理な駆動で、全身の筋肉が悲鳴を上げる。 だけれども、今日は朝から手近な︵といっても普通に歩いて10 時間以上はかかる︶ところから、土を何往復もして運んできたのだ。 疲れるのも無理からぬことであろう。 午前中から始めて、今は陽が丁度真上に来ており、疲れたクロノ の身体を容赦なく照らす。 527 フラフラとよろめきながら、畑に背を向けて宿屋へと戻ると、廊 下でメアリーと出くわした。 びっくりしたようにクロノを見て、心配そうな声をかける。 ﹁だっ、大丈夫ですか!?そんな、泥まみれになって⋮。﹂ ﹁大丈夫大丈夫⋮。ちょっと、用があってね⋮。﹂ ﹁だいじょばないですよ!眼とか、死んでますって!﹂ ﹁死んでるって⋮、酷いなぁ⋮。﹂ ﹁あっ、スイマセン⋮﹂ ﹁冗談だよ、じょーだん。じゃあね。﹂ 後ろ手に手を振って、部屋へと戻ろうとするが、どうしてもよろ めいてしまう。 ﹁やっぱり、大丈夫じゃないでしょう!ちょっと待ってください。 部屋に戻るんですよね?私が連れてきます。﹂ ﹁いいって⋮。﹂ ﹁よくない!!﹂ ﹁⋮⋮⋮﹂ 凄まじい気迫で凄まれたクロノは、それ以上なにも言うことは出 528 来ない。 大の男が少女に肩を貸されながら、部屋に戻るという、なんとも 情けない自分に溜め息を吐くクロノだった。 一方その頃、ドラは宿屋内をはしゃぎまわっていた。 勿論、演技の一環ではあるが、それが主ではない。 ドラの本来の目的は別にある。 ︵あやつか⋮ちょっと探ってみるとしようかの。︶ 目的の人物を見つけたドラはトテトテと近づき、声をかけた。 ﹁ねえねえ。﹂ 声をかけられたチェスはビクッと身体を震わせながら、頭は冷静 に回転を始める。 ︵コイツは⋮⋮アイツの弟だったか⋮︶ ﹁なっ、なに?﹂ ︵反応が遅いのう⋮何か考えていたのか。それとも、単純に遅いだ けか⋮︶ ﹁何やってるの?﹂ ︵年は同じくらいか?とりあえずは、予定どおり演じておくか⋮︶ 529 ﹁いっ、今は掃除だよ。﹂ ﹁手伝おうか?﹂ ﹁いっ、いいよ。これが僕の仕事だから。﹂ ︵受け答えに不自然さはない⋮かの?喋り方はちょっと妙じゃが。︶ ここでドラは軽く仕掛ける。 ﹁終わったら遊ばない?僕暇なんだ∼。﹂ ︵これは⋮使えるか⋮?︶ 丁度いい。チェスはそう思った。 あの男の弟であれば、仲良くしておいて悪いことはない。弱みと して使える。 殺すとき大いに役に立つだろう。 ︵どうでるかの?はてさて。︶ 今、チェスを殺すのは簡単だ。 だが、ドラはあえてそれをしない。 チェスにはクロノを追い詰めて貰わねばならない。殺さない程度 に。 そして自分はそれを見張らねばならない。クロノが殺されないよ うに。 朝のように毒物を入れられては、今のクロノではどうしようもな いからだ。 530 二人の利害は一致した。表面上仲良くする、という点で。 ドラが最後に喋ってから、一秒にも満たない思考でそこまで考え た二人は、再び演技を始める。 ﹁うっ、うん!もう少しで終わるから待っててね。﹂ ﹁僕も手伝うよ。二人でやった方が早いでしょ?﹂ ﹁あっ、ありがとう⋮キミはいい人だね。﹂ ﹁僕はドラっていうんだ。よろしくね。キミは?﹂ ﹁僕はチェスだよ。僕こそよろしくね。﹂ その会話は傍から見れば微笑ましいものであったが、純粋さの欠 片もないほどに中身は真っ黒なものだ。 二人の少年は互いに演じあう。 心の中に、見た目からは想像も出来ないほど黒い感情を抱えなが ら。 ︵せいぜい利用させてもらうとしよう。アイツを殺すのに使えんな ら、何だって使ってやるさ。役に立ってくれよ?クソガキ︶ ︵好きなように動けばいい。だが、慎重に動けよ人間。あまり調子 に乗ると、貴様の命の灯火は瞬く間に消え去るぞ?︶ 531 第五十七話︵前書き︶ はい、名も無き村終わりませんでした じっ、次回から本気出す 後は少年の昔話書いて、クロノとメアリーの接近書いて、祭り当日 書いて、つなぎで日常っぽいの書いて終わり あれ?結構かかんじゃね? 532 第五十七話 ﹁よいしょっ⋮と⋮。﹂ メアリーはクロノをベッドへと、寝かせる。 ボスンと、柔らかいベッドが一時的に凹み、小さなクレーターを 作り出す。 ﹁ああ、ごめんね⋮。﹂ 疲れきった表情のクロノの声は、やはりどこか元気がないように 聞こえる。 クロノに毛布をかけたメアリー自身は椅子を持ってきて、ベッド の前に置き自分でそこに腰を下ろす。 そしてメアリーは疑問に思っていたことを口にした。 ﹁なにやってたんですか?そんな、泥塗れになって⋮。﹂ ﹁秘密ってことで、一つ頼むよ。どうせ、すぐばれるだろうけどね。 ﹂ はぐらかすクロノ。どうやら喋る気はないらしい。 追及しようかとも考えたが、今はそんな場合ではない。 ﹁む∼。まあ、それならそれでいいですけど。﹂ 不服そうな顔をするメアリーを見て、クロノは薄く笑う。 ﹁それにしても、昨日とは丸っきり逆ですよね。昨日は私が寝てる 533 側だったのに。﹂ ﹁そうだね。はぁー、こんなんでダウンとか自分が情けないよ。﹂ ﹁いいんですよ。今日は休めってことなんです。ただでさえ、昨日 は大変だったでしょうし⋮。﹂ ﹁大変⋮⋮?﹂ 頭に疑問符が浮かぶ。クロノからすれば、そこまで重労働だった わけではない。 実際のところ、今動けないのは八割方自分のせいだ。 レベル5など使わなくてもレベル4いや、レベル3で十分に昨日 のやつらなど片付けられた。 そうすれば、今日こんなに身体を痛めることはなかったのだ。ち ょっと調子に乗って、レベル5を使った自分のミスである。 気をつけよう、と自分を戒める。 そんなクロノの考えにメアリーは気づかない。 ﹁そういえば、クロノさんはどうして冒険者に?﹂ ﹁うーん、一番やりやすかったからかな。俺はかーさんに、世界を 見て来いっていわれてね。﹂ ﹁世界⋮ですか⋮。何かデカイですね⋮。﹂ ﹁まあ、かーさんはそういう人だから。もう2年近く会ってないか な。どこにいるのかも分からない。あっちも、色々回ってるんだろ うけど。﹂ 534 ﹁いいなぁ⋮。私なんて他の村になんて殆ど行ったことないですか ら、そうやって世界を回るっていうのに憧れます。﹂ 羨望の眼差しを向けるメアリーの言葉をクロノはバッサリと切り 捨てる。 ﹁そんな、いいもんじゃないさ。当然リスクもある。安全なのに越 したことはないよ。﹂ ﹁おかあさんは大丈夫なんですか?﹂ ﹁ははっ、心配なんてするだけ無駄さ。かーさんは俺よりも、誰よ りも強い。世界最強を名乗るくらいだからね。﹂ クロノからすれば真面目に言っているつもりなのだが、メアリー には冗談と受け取られたのか、フフッと軽く笑うメアリー。 思えば、同年代とこうして長く話をするのはヘンリー以来だ。 こういう雰囲気も悪くない。 クロノはこの安楽な雰囲気にしばし浸ろうかと思っていた︱︱︱ が、突然の来訪者の声によってその考えは打ち崩される。 ﹁おーい、いねえのか?おーい。﹂ 声が遠い。どこからだろうか? クロノが考えるよりも早くメアリーは確信を持って立ち上がる。 ﹁ちょっと、行ってきますね。﹂ 途端に不機嫌そうな表情になったメアリーは、そそくさとクロノ の部屋を後にした。 535 クロノの部屋を出たメアリーは表情のとおりイラついていた。 メアリーの方もあの空気に心地よさを感じており、それを崩され たのだ。 声を聞いた瞬間に、誰だかはすぐ分かった。 これが別の人間であればまだしも、今のアイツとはあまり話した くはない。 声がしたのは大きさからして入り口だろう。 メアリーが入り口へとたどり着くとそこには、予想を裏切らない 顔があった。 ﹁なんだ、いるじゃん。よう。﹂ ﹁一体なんの用?トーリ?﹂ 不機嫌さを隠そうともしないメアリー。 慣れているのかトーリは気にした様子はない。 ﹁別に今日はお前に用ってわけじゃあない。﹂ ﹁今日はじゃなくて、今日も用がないでしょう?用がないなら、帰 ってもらいたいんだけど?﹂ ﹁残念、そうしたいのはやまやまなんだが、今日は村長からの伝言 があってな。上がらせて貰うぞ。﹂ ﹁村長からの⋮?って、どこいくの!?﹂ 536 メアリーを押しのけてずかずかと中に入っていくトーリ。 遅れないようにメアリーも後をついていく。 何度も来たこの家をトーリは迷わずに目的の場所へと進む。 しかし、いきなりある所で立ち止まった。後ろを歩いていたメア リーはそれに気づかず、トーリの背中に顔をぶつけた。 ﹁いたっ⋮!なにいきなり⋮。﹂ トーリは止まったまま、どこかを見つめ動かない。 トーリの視線の先を見るとそこには、チェスの姿があった。 鬼ごっこか、かくれんぼでもしているのか、眼を両手で覆い数を 数えている。 数え終わったチェスは両手を眼から離し立ち上がった。 そこで一瞬、トーリとチェスの目線は交錯する。 その間はほんのわずかなもので、すぐさまチェスはどこかへと消 えていった。 トーリはチェスがいなくなった先を暫し見つめ、眼を鋭くしなが らいつもは見られない真剣そうな表情を見せる。 ﹁ねえ、何かあったの?﹂ ﹁いや⋮なんでもねえよ。﹂ 短くそう答えたトーリは、再び歩き出し、一つの部屋の前で立ち 止まる。 そこはクロノの泊まっている部屋だった。 ﹁どうせここだろ?昔っから、初めての客はここに案内するもんだ からな。﹂ 537 知り尽くしたこの宿屋の傾向。 メアリーの返答を待たずにトーリは無遠慮に扉を開けた。 そこにいたのは勿論クロノ。 ただ先ほどと違ってベッドに寝てはいない。 メアリーが座っていた椅子に座り、来訪者を待ち構えていた。お まけにフードまでつけて。 ﹁お前が、クロノか?﹂ ﹁⋮なにか、俺に用があるみたいだな⋮?﹂ ﹁なーに、大した用事じゃないさ。村を救った冒険者様の顔が見た くなっただけだ。﹂ 皮肉気にヘラリと笑うトーリ。 ﹁それと、村長から伝言だ。出来れば三日後の祭りに参加してくだ さいだとよ。じゃーな。﹂ ﹁⋮⋮考えておこう⋮﹂ 端的な会話を交わし、トーリは何をするわけでもなく部屋を出て 行く。 予想していたよりもアッサリした会話にメアリーは安堵し、トー リに続いて部屋を出て行った。 部屋から出たところで、メアリーはトーリに尋ねた。 ﹁ねえ、アンタに村長からの伝言って⋮どうなってるの?﹂ 538 ﹁さあな。しーらね。ジジイに聞けよ。﹂ 腕を頭の後ろで組みながら、答えるトーリ。 納得していないメアリーを適当にあしらって、トーリは宿屋を出 て行った。 メアリーはその後姿に違和感を覚える、と同時に落胆もしていた。 もしかしたら、盗賊が捕まったことで、彼も昔に戻ってくれるか もしれないという淡い期待をしていたのだ。 だが、あの様子ではまだ暫くかかるだろう。口では憎まれ口を叩 きながらも、本気で心配はしているのだ。 小さく溜め息を吐く。 そんなメアリーの心とは裏腹に、宿屋内には無邪気な少年たちの 声が響き渡る。 ﹁みーつけた!﹂ ﹁あー!みつかちゃった!さっき、目の前を通り過ぎたとおもった のにー!後ろからなんて卑怯だよ!﹂ ﹁卑怯じゃないよ!鬼っていうのは、どこにいるかわかんないもの なんだから!﹂ 539 540 第五十八話︵前書き︶ これ以上二人の関係は進みません 大分雑に進めた 物語中はクロノが誰かと結ばれることはないです 次話はチェス君の話かな 541 第五十八話 翌朝 少し肌寒く、薄い朝霧が村全体を包んでいた。 土はグズグズとぬかるんで、歩きづらいことこの上ない。 トーリの靴はおかげで泥まみれだ。 夜中に雨でも降ったのだろうか?思い出してみると、そういえば ザーザーと雨音がうるさかった気もする。 そんなことを思い出しながら、誰もまだ活動を始めていない村の 中を奥へ、奥へ。 霧の先に見えてくるのは木で出来た簡素な墓標たち。 今回の盗賊の件で急遽作られたそれらは、普通の村人から見ても どれが誰の墓なのか見分けがつかないほどに粗末なものだ。 トーリは迷わずに二つ連なった墓標の前に跪く。その拍子に膝に ぬかるんだ泥がこびりついた。 彼は毎日ここに来て、自分の両親に懺悔する。 いくら謝っても許されることではないと知っているけれど、それ でもこうしなければ気を保っていられそうになかった。 腐っている。自分の心が。実感はある。 きっと、あの﹁取引﹂をした日に自分はもう死んだのだ。 ︱︱︱︱しょうがないじゃないか。 自分にはそれしか出来なかったのだから。 自分に何度も何度も言い訳をして、彼は必至に正当化する。 もう、覚悟はしたはずだ。アイツを守るためにアイツに嫌われて も、絶対に守り抜くと。 昨日首領に会ったときに、首領は喋らなかったけれど、眼で言っ 542 た。 ︱︱︱コイツを殺してもいいのか? 今すぐにでも殺せるぞというアピール。 そこで、あの少年が首領だなどと言っても信用はされない。従う しかないのだ。 アイツを守るにはそれしかない。 青年は腐敗臭のする自分の心を自覚しながら、今日も死んだ心で 生きていく。 その先に何が待っているのかも知らぬまま。 食堂 ﹁ちょっと、チェス君と遊んでくるね!﹂ クロノの一日はそんな、ドラの元気良い言葉で始まった。 時刻は朝。早朝とは呼べずむしろ昼に近い。 ﹁そっ、そう⋮﹂ 虚をつかれたクロノは曖昧な返事を返した。 まさか、ドラがそんなことを言うとは思っていなかったのだ。 言ったほうのドラは、軽い足取りで食堂を出て行く。 ﹁珍しいな⋮﹂ ﹁昨日も二人で遊んでましたよ。ホントありがたいです。チェス君 543 も楽しそうでしたし。﹂ ﹁へえー。﹂ メアリーの言葉に頷き感心する。ドラがそんなことをしていたと は。 同時に暫く、ここに残ったほうがいいかもしれないとも思う。 チェスの遊び相手として機能しているのなら、今不安定なチェス から奪うのは気が引ける。 ある程度安定するまで、ここに居たほうがいいかもしれない。 それに︱︱ ︵畑も気になるし⋮。︶ 畑 朝の霧が嘘のように晴れた昼前。 照りつける陽には熱が篭っており、水を吸った畑から水分を奪う。 おかげで朝には湿っていた土も大分乾きだし、悪くないコンディ ションになっている。 土の感触を手触りで確かめる。 ﹁少し湿ってるけど⋮悪くないね。﹂ 冷静な感想を述べるクロノとは対照的に、メアリーは見覚えのな い光景に驚きの声を上げた。 ﹁⋮どうなってるんですか⋮これ⋮?﹂ 544 ﹁土を入れ替えただけだよ。多少は均したけど。﹂ ﹁いつの間に⋮!?﹂ ﹁昨日の朝かな。﹂ サラリとクロノは答えるが、いくら広くないとはいえ、畑の土を 丸々一日で入れ替えるなんてことが可能なのだろうか?とメアリー は当然の疑問を持つが、現実に起こっていることが、既に可能だと いうことを証明していた。 ﹁さて、色々やっていくとしよう。何を作る予定?﹂ ﹁えっ、えーっと⋮。人参とか?﹂ 戸惑うメアリーを見かねたクロノは先んじて結論を出す。 ﹁つまり、特に決まってないんだね。﹂ ﹁うう、スイマセン⋮。﹂ ﹁決まってないなら、畝はとりあえず20cmくらいか⋮。﹂ クロノはブツブツと何事かを呟き、持ってきたスコップと鍬をメ アリーに手渡した。 ﹁まずは、畝づくりからだね。君はそっち、俺はこっちからやると しよう。畝に関しては分かってるよね?﹂ 畝とは、作物を生育させるために土を盛り上げた所。 545 畝はしばしば苗や作物を風からの障害を防ぐ目的もあり、水はけ の悪い土地ではよく使われる︱︱らしい。 頭の中で、詰め込んだ授業内容を引っ張り出して反芻する。 わざわざ絵まで書いて説明されたものだ。 ﹁大丈夫⋮大丈夫⋮﹂ そう自分に言い聞かせ、二人は作業へと取り掛かった。 周りの土を囲むように掘り下げ、囲まれた土の上を盛っていく。 実に単純な作業の繰り返しだ。 久々にやる作業に充実感を感じながら、クロノは慣れた手つきで テキパキと進めていく。 一方のメアリーはというと︱︱︱慣れない作業に戸惑いながらも、 こなしてはいる。ペースとしてはクロノ二分の一ほどだが。 となれば、当然クロノの方が早く終わる。 自分の指定した範囲を終えたクロノは、チラリとメアリーの方を 見るが手伝いはしない。 あくまで、この畑はメアリーのものなのだ。自分で作ったほうが 実感も湧くし、自信もつく。 それからメアリーが作業を終えたのは、クロノから遅れて約15 分後のこと。 身体を地面へと放り投げ、倒れこむメアリーにクロノは労いの言 葉をかける。 ﹁お疲れ様。﹂ 普段から使わない筋肉でも使ったのか、体はかすかに悲鳴を上げ ていた。 546 ﹁すごいですね⋮。私なんてもうパンパンなのに⋮。﹂ ﹁慣れだよ、慣れ。昔はこういう生活もしてたからね。もう、疲れ ただろうし休憩でも入れようか。﹂ クロノが差し伸べた手にしっかりとつかまり、ゆっくりと立ち上 がる。 その途端に足がよろめくが、クロノが思いっきり引っ張ったため 地面の方へ身体が向くことはなく、逆にクロノの方へと抱き寄せら れる形となった。 ﹁おっと、大丈夫?﹂ 一瞬メアリーの思考がショートする。 ﹁⋮⋮⋮⋮へっ!?だ、だいじょうぶれふ!﹂ ショートした回路の復旧に伴い、乱れた音声が飛んだ。 目まぐるしく様々な感情が渦巻き、その熱が頬に赤として現れる。 クロノは心配したようにおでこに手を当てる。 ﹁熱でもあるの?﹂ ﹁えっ、えっ、あっ⋮﹂ 言葉が出ない。詰まる。顔が熱い。 クロノの顔が近づいてくる。それが更に思考を加速させた。 もう二人の距離は10cmもない。 メアリーは目を閉じる。何かを覚悟︱︱︱あるいは期待しながら。 衝撃がやってくる。それは額にだった。 547 ﹁うん、大丈夫じゃないかな?﹂ 額に額を合わせクロノは安心したように言った。 緊張が解ける。呼吸が正常に落ち着き、顔からも赤さが引いた。 頭は見事に冷却され、冷静に考えられるようになった。 そして、ほんの少し残念に思った自分に気づく。 ︱︱︱期待していた? 否定できない。自分の感情を。 なぜ?なぜ? 必至に否定しようとしても何かが邪魔をする。 本当は知っている。それが自分の正しい感情だということを。 ただ、気づかないようにしていただけだ。 きっと、叶わないと知っていたから。 だが、今はっきりとメアリーは自覚する。 自分の中にあるその感情に。 ﹁じゃあ、一旦戻ろう。﹂ ﹁はい⋮。﹂ 548 第五十九話︵前書き︶ 祭り前日のお話 次回は少年のお話と前夜 そして次々回で名も無き村編のラスト祭り当日かな 549 第五十九話 夜 宿屋内 歩くだけでギシギシと軋む廊下を抜けて、クロノとドラは部屋へ と戻っていた。 部屋に入るなりドラはベッドへとダイブする。替えたばかりであ ろう白いシーツが衝撃で舞う。 ﹁行儀悪いよ。﹂ ﹁うっさい、ちょっとは労わんか。﹂ 心底疲れたような様子のドラ。 何か疲れることでもやっていただろうか? クロノは考えてみたが、そもそも今日ドラが何をやっていたのか すら知らない。朝チェスと遊びに行くと言っていただけだ。 ﹁何をさ。﹂ ﹁わっぱと戯れるのは中々に重労働なんじゃよ。﹂ ﹁ああ、そういえばチェス君と遊んでたんだっけ。お疲れ様。﹂ ﹁まったく⋮午後一杯使って、かくれんぼと鬼ごっこの繰り返しじ ゃぞ?何が楽しいんじゃアレ⋮﹂ ﹁子供からしたら楽しいんだよ、きっと。﹂ 550 ブーブーと文句を垂れるドラを宥め、クロノ自身もベッドへと腰 を下ろした。 室内は、小さなランプがぼんやりと照らすだけで薄暗い。 窓へと眼をやると、生憎の曇り空で月の光すらも見えず、村全体 が暗闇に閉ざされている。 もしかしたら、今日の深夜か明日にでも雨が降るかもしれない。 そんなことを考えつつ、何気なくクロノは本題を切り出した。 ﹁⋮暫くここに留まろうと思うんだけど、どう?﹂ ﹁なぜじゃ?﹂ ﹁主にチェス君のことでかな。今彼は不安定だから、安定するまで、 遊び相手としてドラがいたほうがいいと思うんだ。﹂ ドラは鼻で笑う。 ﹁はっ、その主に以外には何が含まれておるのかの?そっちが本命 な気もするが?たとえば畑とかな。﹂ 図星。グサッと何かがクロノに突き刺さる。 ﹁⋮⋮⋮いっ、いやだなぁ∼。そんなわけ⋮﹂ ﹁たわけが⋮。主の様子を見てれば馬鹿でも分かるわ!眼がイキイ キしておったぞ。﹂ ﹁⋮⋮⋮とりあえず!それは、置いといてどう?﹂ ﹁⋮⋮儂は主に従うだけじゃよ。そうしたいならそうすればいい。﹂ 551 ﹁⋮意外だね。いつもなら、駄目っていうのに。﹂ ﹁そうかの?はてさて記憶にないな。﹂ はぐらかすように笑うドラ。 ドラの意外な返答に違和感を覚えたが、こういう時もあるかと思 い、クロノは気にしないことにした。 その後暫しの間、クロノは明日以降の畑の展望を考え、ぼんやり と小さな灯が灯るランプを消して眠りへとついた。 翌朝 ﹁今日は私が畑のこと全部やりますから、クロノさんは休んでて ください!!﹂ 朝のリラックスタイムにやってきたメアリーは開口一番そんなこ とを言った。 メアリーからすれば負担を減らして貰いたいということだったの だが、クロノにとってはそれが楽しみなので逆効果だ。 駄々をこねる子供のように不満を漏らす。 ﹁えー。どうしたのさ、いきなり。﹂ ﹁ここ、数日私クロノさんに頼りすぎなんですよ。﹂ ﹁うーん、そう?﹂ ﹁そうです!こんな調子じゃあ、クロノさんがいなくなった時に困 552 ります!﹂ それは少なからずクロノも思ってはいた。 だから昨日の畝作りもメアリーの分を手伝うことはしなかったの だが、何もやらないというのも不安だし暇だ。 食い下がろうとするクロノを抑え込みメアリーは力強く言い放つ。 ﹁だから、今日は絶対畑に来ないでくださいね!﹂ ﹁ええ∼﹂ ﹁い・い・で・す・ね・?﹂ ﹁はい⋮⋮﹂ メアリーのおかしな気迫の前に気圧される。 まるで脅されているようだと、クロノは思う。同時に女性は怖い なとも。 かーさんもたまにこういう謎の威圧感を放っていたことを思い出 す。 あれから2年。 今どこで何をしているのだろうか︱︱︱ とある洞窟内 一匹の鼠は不自然に洞窟の淵を彷徨っていた。 入り口はある︱︱︱はずだ。鼠は数日前までこの洞窟に棲んでい たのだから。 だが、入り口があることに気づけない。 553 そこが洞窟だと認識は出来るのに。中に入ることが出来ない。 入り口だけが切り取られたかのようだ。 外界から隔離された別種の空間のように、来るものを拒む。 そんな異形の空間の中には人間が一人。 異形の空間に佇む一人の人間は、満足そうに自分の描いたそれを 見て呟いた。 ﹁こんなもんか⋮。そっろそろ、クロノでも迎えに行くとしましょ うかねー。﹂ 昼 畑 クロノの手は借りないと宣言したメアリーは言葉通り、畑の製作 に取り掛かっていた。 次に行なうべきは種を植えることだ。 それも今まで通り適当に植えるのではなく、しっかりとここはこ の野菜とゾーンを決めて等間隔に植えなければならない。 そうしなければ栄養が分散され、育ちにくくなる︱︱らしい。 らしいという自信がない言葉になってしまうのは、あくまで本で 得た知識だからで自分が体験したわけはないからである。 畑の前に立ち、脇には大量の種。服は汚れてもいい使い古したみ ずぼらしい服。 準備は整った。 天気はどんよりとした曇り空。今すぐにでも雨が降ってきてもお かしくない。見るだけで気持ちまで曇ってしまいそうだ。 気合を入れるために両頬をバチン!と叩く。 ﹁よっし、やるぞーー!﹂ 554 両手を空へ掲げ、そう元気よく言葉を発し、メアリーは作業へと 没頭していった。 同時刻 宿屋内 ﹁暇だ⋮⋮﹂ 憂鬱そうに自分の部屋で机に突っ伏しながらクロノはそう呟いた。 やることがない。その事実が心の中を支配していく。 どうしようもないほどに憂鬱な気分だ。 いざ、暇になったとしても何をしていいのかわからない。 これが大規模な市場のある街であれば退屈はしない。 だが、今いるのは失礼な言い方ではあるが、寂れた小さな村であ る。 隠れた名店があるわけでもなく、新しい発見があるわけでもない。 よくいえば平凡、悪く言えば無個性な村。 唯一の話相手であるドラは、チェスとどこかへと消えてしまった。 心躍るものがない。 結果クロノはこうして怠惰に過ごしている。 このままではだらけているだけで、一日が過ぎてしまう。 その事に危機感を覚えたクロノはすっと立ち上がった。 ﹁身体でも動かしてきますか。﹂ 畑 種まきをしていたメアリーは︱︱ 555 ﹁こ、腰が⋮⋮﹂ 思いの外、苦戦していた。 私は年寄りか!というツッコミを自分に入れる元気すらもない。 舐めていた。というのが正直な感想だ。 こんなものさして時間もかからないだろうと思っていたが、それ が大きな間違いだったと今更気づかされる。 常に腰を曲げながらの種まきは、慣れない人間にとっては大変な 重労働だ。 一々距離を確認して、土を微調整して盛っていかなければならな い。 慣れてしまえば確認する必要もなく、感覚で大体分かるのだが、 生憎メアリーは素人だった。 手をつけていない場所は半分以上残っている。 クロノに頼ろうかなどという考えが、一瞬頭に浮かんだがすぐさ ま霧散する。 手を借りてはいけない。ずっと、ここにいて欲しいがそうもいか ないのだ。 自分の感情を知っていながら、何も行動できない自分のヘタレ具 合に嫌気が差す。 気持ちを切り替えて再び作業を再開しようとしたとき、小さな人 影がいつの間にか畑を見つめていた。 ﹁?こんなところで何やってるの︱︱﹂ 人影は食い入るように畑を見つめている。 ﹁チェス君?﹂ ﹁あっ、あの!僕にも手伝わせてください!﹂ 556 同時刻 名も無き村 チェスと一旦ドラは離れ、何かを探っていた。 ﹁⋮⋮たか?⋮⋮決行は⋮⋮だ。﹂ ︵なるほど、そういう筋書きか。︶ 全てを知り、ドラはほくそ笑む。 だが、全容を知りながら彼は何もしない。 ただ、笑みを浮かべるだけだ。 クロノの成長にさえ使えればどうでもいい。 他の人間がどうなろうとも、彼には関係ないのだから。 夕方 畑 相変わらずの曇り空だったが、懸念していた雨は降らなかった。 夕方だというのにどんよりと濁ったような色の空を見上げる。 ﹁やっと終わった⋮﹂ メアリーは大きく息を吐いて、疲れたような声を上げた。 そして脇にいるチェスへと言葉をかける。 ﹁ごめんね。手伝って貰っちゃって⋮﹂ ﹁いっ、いいんですよ⋮僕は居候の身なんですし⋮これくらいはや 557 らないと⋮﹂ 照れているのか恐縮しているのか分からない様子のチェス。 彼のお蔭で大分作業は捗った。 慣れているのか、それはもうメアリーが目を見張るくらいのスピ ードで着々とこなしていったのだ。 彼がいなければどれくらい時間がかかったのかを想像するだけで、 心が沈みそうだ。 ﹁それしても早かったね。どこかでやってたの?﹂ ﹁いちおう⋮﹂ 力ない返答。 よく考えれば自分は彼の事を何も知らない。 これから、この家で暮らしていくのだからある程度は彼の事を知 っておいたほうがいい。 そう判断し、チェスへと尋ねるが︱︱ ﹁あのさ、チェス君はどんなところで︱︱﹂ と言いかけたところで、手に何かが当たった。 見ると水滴が丸く掌に乗っている。 それを皮切りに今まで沈黙していた雲からは、堰を切ったように 大量の水滴が降り注ぐ。 雨は容赦なく二人を襲い、服をどんどんと滲ませていく。 慌てて二人は宿屋へと戻る。雨に濡れた地面はぬかるみ、歩くた びに泥が靴へとこびりついた。 何とか中へと入った二人は、タオルで身体を拭くがなかなか水気 がとれない。 558 ﹁大丈夫?﹂ ﹁大丈夫です⋮﹂ やはり力ない返答。 頭を拭き終わったメアリーはタオルをどこかへと放り投げる。 ﹁さっきの話の続きだけどさ、チェス君は盗賊に捕まる前どんな生 活をしてたの?﹂ ﹁⋮⋮⋮﹂ チェスの眼が変わった。気のせいではないと、不思議と確信が持 てる。 濁った眼。そんな表現がぴったりと来そうだ。 空気が変わったことを感じ取り、慌ててメアリーはフォローを入 れる。 ﹁あっ、べ、別に思い出したくないならそれでいいの。﹂ ﹁⋮⋮⋮﹂ チェスの眼は相変わらず濁ったまま、顔は俯いている。 ﹁ごめんね。もう、この話は終わり!﹂ この話題は終わらせようとしたとき、チェスがゆっくりと口を開 いた。 559 ﹁⋮⋮僕の村は⋮ここよりも、小さな農村でした。そこで僕は四人 家族の次男として生まれました。﹂ 見たことがない表情。今までの彼が全て嘘だったのではないかと 思うほどに、別人の顔になっていた。 ﹁農家として、家を継ぐことは次男の僕にはなかったけれど当然手 伝いはよくしていました。村は貧しくて、そうしなければ人手が足 りなかったというのもあります。それでも、僕は楽しかったです。 両親は優しかったですから。﹂ チェスは顔を伏せながら、淡々と自分の過去を語っていく。 ﹁そんなある日、盗賊が村を襲いにきました。お父さんは勇敢に戦 いに行ったけど、すぐに死んだみたいです。僕はお母さんに言われ、 家の中に隠れました。隠れている最中にお母さんとお兄ちゃんの悲 鳴が聞こえたけど、決して声を出してはいけないと言われていたの で、必死にこらえました。それでも、盗賊は僕を見逃しはしません でした。そして︱︱﹂ そこまで言いかけてチェスはハッとして顔を上げた。 自分は何を語っているのだろう?どうして適当に繕わなかったの か? いくら反省してもしきれない。 ただ、ここで一度冷静になったのはある意味幸運と言える。 ここから先の出来事は、今演じているチェスという少年像とはか け離れてしまうから。 チェスは嘘をつく。矛盾しないように、自然な嘘を織り込んだ。 ﹁盗賊に捕まって、今はここにいます⋮。﹂ 560 表情は暗くみせ、眼は沈んだように遠くを見つめる。 何とか、誤魔化せたかと心の中で安堵していると、急に視界が暗 闇に包まれた。 何かが当たっている。強い力でなかなか抜け出せない。 しかし、同時に何か懐かしさも感じる。 少し力が緩んだところで、上を見上げるとメアリーの姿。 どうやら抱きしめられているらしい。 ﹁ごめんね⋮思い出させちゃって⋮辛かったよね⋮﹂ 不思議と悪い気はしなかった。久々に人間というものにまともに 触れた気がする。 思えば、あれ以来まともに人と触れ合ったことがない。 ﹁もう⋮大丈夫だから⋮﹂ 人間の温もりを感じ、暫しこの余韻に浸るのも悪くない、と思う チェスだった。 561 第六十話︵前書き︶ 少年のお話 祭り前夜 次の当日で名も無き村ラストにしたい 完全に勢いで書いた少年のお話 562 第六十話 少年の村は貧しかった。人口は全員合わせても30人もいない。 主に農業で暮らしていた。 少年はそんな小さな村で、五人家族の三兄弟の三男として生まれ た。 少年が生まれた年は不作で、家は貧しくなりとても五人も養える ような環境ではなかった。 両親は悩んだ末、次男を売りとばした。 この時のことを少年は知らない。 まだ、少年は幼く物心つく前であったから、次男がいたという事 実すらも知らないのだ。 だから、少年は次男として育てられた。 少年は幼いころから才能があった。同年代の子よりも勉強は出来 たし、魔法についても多分村一番であった。 両親はそのことを大変喜び、その顔を見て少年は益々嬉しくなっ て励んだ。 褒められている自分をみる兄の顔が、嫉妬に染まっていたことを よく覚えている。 少年が5歳の頃、またも不作の年に見舞われ、家計は苦しくなっ た。 両親は悩んだ。子供を売り飛ばそうにも跡継ぎである長男は不可 能。 かといって、才能ある少年を売り飛ばすのももったいない。 非常に打算的な思考。両親にとって子供はその程度の道具でしか なかった。 ここで、両親は決断を下す。 両親が下した決断は新たに猟を始めることだった。 563 魔物の討伐は村でも急務であったから、父がそれを始めることで 家は窮地を脱した。 本来であればそんな簡単にいくものではなかったが、少年を連れ て行くことで面白いように仕事は捗った。 もう、少年の魔法は村でもトップであり、誰も敵うものはいなか ったのだ。 近辺の魔物でさえも少年には勝てなかった。 この頃には少年も、両親の愛情が歪んだ汚いものだと気づいては いたけれど、見放されるのが怖くてそれを口にすることはなかった。 しかし、少年には問題もあった。 それは︱︱︱︱生物を殺すことへの忌避感。 どうしても、殺せない。だから猟には父が必ずついて行った。ト ドメを刺すために。 父は殺せない少年を何度も叱ったけれど、それでも少年は殺せな かった。 ﹁生きたければ闘え。闘わねば生きられない。弱者は死ぬんだ。覚 悟を決めろ。強者は弱者を殺せ。それがこの世のルールだ﹂ 父の言葉で一番これが印象に残っている。弱肉強食。 言われたときは、弱い父が何を言っているのだと思ったものだ。 だが、少年は後で知る。これは紛れもない真実であると。 少年が9歳の頃、事件が起きた。村を盗賊が襲ったのだ。 真っ先に少年は父に呼ばれた。 少年は自分が一番この村で戦えると自覚していた。 そして、父と外へ出ると瞬間︱︱︱父が死んだ。 それはもう、一瞬の出来事で、声を上げることすらも出来なかっ た。 物言わぬ肉塊に成り果てた父を見て少年は思う。 564 ︱︱︱︱︱怖い 湧きあがる恐怖。 容易に自分がこうなると想像出来た。 自分が強いのはあくまで村の中での話。 世界から見れば、自分など雑魚もいいところだ。 少年は脇目も振らず駆け出した。 怖くなって、死にたくなくて、一心不乱に駆け抜けた。 確かにこの時の少年は弱かった。このまま戦えば、おそらく死は 免れなかった。 少年は気づけば、自分の家のベッドの下にいた。 暗く狭い空間。 外からは悲鳴が聞こえる。 自分を呼ぶ母の声も聞こえる。しかし、それはすぐに悲鳴へと変 わった。 兄の悲鳴も、友人の悲鳴も、断末魔として少年の耳に響く。 ここで勇気を出して戦っていれば、あるいは何人かは助かったか もしれない。 だが、少年は身を震わせベッドの下でその惨劇の音を聞くことし か出来なかった。 やがて、悲鳴の合唱は終わる。 ここからは盗賊本来の目的ある物色タイムだ。 少年の家にも、当然盗賊は侵入し、あらゆる箇所を探っていく。 少年は緊張しながら、暗闇の中で必死に息を殺す。 盗賊が近づいているのが、足音で分かった。 盗賊はベッドの周りを物色する。その間の少年は生きた心地がし ないほどに心臓が悲鳴を上げていた。 物色が終わったのか、盗賊がベッドの周りから離れた。 少年は安堵し、小さく息を漏らしてしまった。 565 その微かな音を盗賊は聞き逃さない。 ベッドの下まで伸びたシーツを持ちあげ、下を覗き込む。少年の 視界は一気に開けた。 安定した暗闇に射し込む絶望の光。 無理矢理に少年を引っ張り出し、盗賊は下卑た笑みを浮かべ、少 年に鋭利な血のついたナイフを突きつけた。 ﹁お前はどんな声で鳴いてくれるんだ?﹂ その言葉は少年の耳には届いてはいなかった。 盗賊は刃物を少年の腕に強く当てる。じんわりと、血が腕からあ ふれ出した。 ︱︱︱︱︱僕は死ぬ? 少年は思い出す。父の言葉を。 ﹁生きたければ闘え﹂ ︱︱︱︱︱そうだ。闘うしかない 盗賊は振り下ろす。少年の首にナイフを。死は目前に迫っていた。 ﹁死に、たく、ない⋮! まだ、僕は死にたくないィィ!!!﹂ 少年は咆哮を上げる。生きるために。それでもナイフは止まらな い。 それでも少年は叫ぶ。死にたくない。 ﹁ア゛゛ア゛゛ア゛アァァァァァァァァァ!!!!!!﹂ 566 ポテンシャル 人は追い詰められたときに真の力を発揮する。 いわゆる火事場の馬鹿力というやつだ。 普段の生活では無意識的に眠らせている潜在能力。 ほぼ全ての人間にはそれがある。 ポテンシャル だが、だからといってそれを発揮したとしても、全ての人間が生 き残れるわけはではない。 ポテンシャル そんなものであれば誰も死にはしないのだ。 結局のところ、潜在能力の差である。 たとえば、普段の力が3の人間が二人いたとしても、潜在能力が 50と100であれば、力を発揮したときには100の方が強い。 それはつまり才能の差であり、努力などではどうにもならない。 だから、少年には確かに才能があったといえるだろう。 きっかけがなかっただけで、少年はもっと強くなる可能性を秘め ていたのだ。 それが、今、追い詰められた状況で開花しただけの話。 少年は無我夢中だった。 何も考えずにひたすら、溢れ出る力を奮い続けた。 地を揺らしながら。 そして、気づくと、誰も、いなくなっていた。 手には汚らしい血の痕。それを見て少年は笑う。 正確には笑いしか出てこなかった。 ﹁アハッ、アハハハハハハハハアハハハハハハハハハハッハッハハ ハッハハハッハハッハハッハハッハハハッハッハハッハハッハハッ ハハハハハッハハッハハハッハハッハアハッハハハッハハッハハハ 567 ッハハアハ!!!!!!!!!!!!!﹂ 少年はもう狂っていた。 何も、誰も、いなくなった村だった場所には少年の笑いだけが、 響き続けた。 この後少年は盗賊の首領となる。狙うのは小さな農村ばかり。自 分の過去をなぞるように。 夜 名も無き村 ﹁明日は祭り、出てくださいね!﹂ ﹁気が向いたら行くよ﹂ ﹁明日どう転ぶかの? 楽しみじゃわい﹂ ﹁細工は流々。後は仕掛けをご覧じろってとこか⋮﹂ 568 ﹁決行は明日⋮﹂ ﹁皆の者! 明日の祭りの準備はいいか!?﹂ 様々な欲望を渦巻いて、夜は更けていく︱︱︱ 569 第六十一話︵前書き︶ 疲れた 今回の後半は大分テキトー 次回で終わらせられるかな⋮ 570 第六十一話 迎えた祭り当日。 天気は村人の活気を表すように燦然と輝き大地を照らす。 一方設営を任された村人たちは本番の夜に向けて忙しなく動いて いた。 ﹁いやーホントダルいべ⋮﹂ ﹁文句いいなや、ほれしっかり動かせ﹂ ﹁もう50のじさまだっちゅーのに﹂ ﹁しゃーないべや、村の若いもんはみーんな今回のことで死んじま ったんだから﹂ 愚痴を垂れながら、村を飾り付けていく。 家屋同士の上に紐をつなげ、そこに草木で出来た工芸品を掛ける。 行なっているのは決して若いとは言えない男ばかりだ。 そんな中一際目立つ若い男がいた。 ﹁おっ、ありゃあ村長んとこの小間使いじゃねーか。そういやぁ、 アイツは討伐に行かんかったな﹂ ﹁あん時は何で行かんのかと思うたが、今考えると行かんくて正解 だったか。あんなん命を捨てに行くようなもんだ﹂ 未だに村に残った傷跡は深い。若者は根こそぎ死、または出て行 ってしまった。 571 そう考えればあの若者が残ったのは、朗報といえるかもしれない。 しかしここで、一人の中年は一つの疑問にぶち当たる。 ﹁そういえば︱︱︱﹂ ﹁︱︱︱アイツはいつからこの村にいたっけか?﹂ ﹁⋮⋮⋮さあ?﹂ 宿屋内 ﹁おー、やってるやってる。あの飾りどうやって作ってんだろ?﹂ 朝、眼を覚ましたクロノは窓の外を見て嘆息の声を漏らした。 昨日まではよく見ていなかったからか、祭りの飾りが突如出現し たかのような錯覚を覚えた。 生暖かいベッドを出て、ドラの方を見るが︱︱︱ ﹁⋮あ⋮れ⋮?﹂ そこにドラの姿はなかった。あるのはぐちゃぐちゃに乱れたシー ツだけ。 首を傾げ、少々思案して出した結論は︱︱ ︱︱︱ドラのことだからどこに行っても心配はいらないか だった。 自分より早起きして朝食を食べに行ったのかもしれない。 572 何にせよ、特に何かあったとは考えなかった。 クロノが部屋を出て食堂へと向かう途中、厨房を覗き込むとドラ、 それとドラに背を向けているチェスの姿。 状況はよく分からないが、仲よくやっているそうなのでそのまま 食堂へと入っていった。 ﹁なにやってるの?﹂ 不意に後ろから聞こえた声にチェスは身を震わす。 声をかけられるとは思っていた。誰かが自分を見ていることには 気づいていた。 クロノ だから、声をかけられたことに驚いたわけではない。 ただ、その声が思っていた人物とは違った。それに加え、声が近 かった。 警戒はしていた。部屋の外からクロノの気配は感じた。 ︱︱︱だが、これはどういうことだ? 頭の中に浮かぶ疑問疑問。 ︱︱︱どうして︱︱︱︱ チェスは振り返る。 ︱︱︱このガキが真後ろにいて、オレに声をかけている? そこにいたのは、緑髪の少年。 573 ﹁ねえ?なにしてるの?﹂ 数分前 たまたま、クロノより早く起きたドラは宿屋の中を徘徊していた。 トテトテ、そんな表現が似合いそうな歩き方で。 歩いていると、良い匂いが鼻孔をくすぐった。 匂いからして朝食だろうと判断したドラが厨房へと向かうと、鍋 の前に立つチェスの姿。 ︵まーた、やっとるのか⋮懲りんのう⋮コヤツも⋮︶ 半ば呆れに近い感情を抱きつつも、気配を完全に殺してチェスに 接近していく。 ︵毒なんぞ入れても無意味じゃというのに⋮︶ 心の中で溜め息を吐く。 ︵主にはクロノをクロノが自覚出来る様に、追い詰めて貰わんとな ⋮⋮そんな毒で暗殺されては敵 わんわ⋮⋮しっかりとクロノと戦え。儂を人質として使い、戦いや すくするために近づいてきたんじゃろ?なら、その通りにするがい い⋮⋮︶ ドラはチェスの考えなど大体は見通していた。 そこまで考えてからドラはふと思う。 574 ︵⋮⋮待てよ⋮⋮儂が人質になった、からといって意味がない?︶ よく考えれば実力を知っているクロノが、自分が人質になったか らといってチェスの言うとおりにするだろうか? 答えは否。 なぜなら、自分はそんな状況に陥ったとしても一人で抜けられる からだ。 これが無力な一般人であればまだしも、自分であればクロノは黙 って静観を決め込むだろう。 大人しい他人のペットを盗んだと思ったら、手に負えない猛獣で、 それを知っている飼い主は慌てない。という何とも間抜けな構図が 出来上がってしまう。 焦る要素がない。そして、焦って貰わねば意味がない。 ︵⋮⋮⋮︶ 気づいた痛恨のミス。 己の未熟さに舌を噛む。 ︵⋮⋮しょうがない⋮⋮儂以外の人間を使わせることにしよう⋮と りあえず、儂が人質として使えんことを思い知らせておかんとな⋮︶ 気配を断ちチェスの真後ろへとたどり着く。 途中背後にクロノが来たが、どうやら覗き込んだだけらしい。 まだチェスはドラに気づいていない。 そして、ドラはゆったりとした口調で、チェスへと声を掛けた。 ﹁なにやってるの?﹂ 575 唐突に聞こえた声にチェスは驚きながらも、言葉は冷静だった。 ﹁ちょっと、おばさんに頼まれてここを見ててって言われたんだ。﹂ 嘘ではない。宿屋の主人は確かにそう言って出て行ったのだ。 朝方から食事の用意をしていたのだが、客が起きてくるのが思い の外遅かったらしい。 ドラの頭はそんなことどうでもいいと言わんばかりに、別の考え が占拠していた。 ﹁ふーん。で、その手に持ったものはなに?﹂ ﹁⋮⋮!﹂ 視線の先にはチェスの手に握られた鮮やかな色合いの花。なかな か珍しい紫色が印象的だ。 ﹁綺麗な花だね。どこにあったのそれ?﹂ 一歩一歩ゆっくりと、チェスに詰め寄っていく。 ﹁こっ、この前拾ったんだ!綺麗だったから。﹂ チェスは感じ取る、不気味なナニカを。後ずさろうとするが、背 後は鍋だ。 二人の距離はもうぶつかるほどに縮まった。 眼が合う。黄色を讃えた作り物のように澄んだ瞳。三白眼とはま るで正反対で、大部分が黄色に侵食されている。 576 しかし、チェスにとってそんなことはどうでもよかった。もっと、 別なナニカが自分を覗きこんでいるような気がしたから。 視線が外せない。外したらその瞬間に食い千切られてまうかのよ うな錯覚。 いや、もしかしたら錯覚ではないかもしれない。 この感覚を知っている。懐かしく苦々しい記憶。盗賊にベッドの 下から引きずりだされたあの時の恐怖。 だが、この感覚はそれ以上の恐怖。 警鐘を鳴らす本能。逃げることを許さない視線。息が詰まる。足 が竦む。手が震える。 突如として現れた少年から発せられるナニカに怯える。 いや、これは少年ではなく、別のナニカだ。 ナニカは言葉を発しようとはせず、ただ不敵な笑みを浮かべてい る。さっきまでと変わらない顔のはずなのに、別人のように見える。 時が凍りついたのかと思うほどに長く感じる時間。 チェスはただ、待った。凍った時が再び動き出すのを。正確には それしか出来なかった。 ナニカは笑みを浮かべたまま、チェスへと解凍の言葉をあっさり 投げかける。 同時にナニカは殺気を解いた。 ﹁ホントに綺麗だね! その花﹂ 瞬間チェスの悪寒が消えた。呼吸が出来る。 フッと、時間が動き出した。 ドラの方を見るとそこにいるのは紛れもなく少年で、さきほどの ような不気味なナニカではない。 無邪気そうな笑みの少年は、チェスの手に握られた紫の花を興味 深そうに見つめている。 チェスは乱れた呼吸を整えるように二三度深呼吸をして、心を落 577 ち着かせた。 その間にドラはチェスの手から、花を奪い取る。 ﹁こっれ欲しいなー!﹂ ﹁だっ、駄目だよ⋮それは⋮﹂ 言いかけてチェスはその先の言葉を呑み込んだ。 それは⋮の後に続く言葉は、到底言っていい言葉ではなかったか ら。 矛盾しないように、その先の言葉を再度捻り出す。 ﹁⋮僕が見つけたんだから⋮﹂ ﹁う∼﹂ 不満そうに口をすぼめつつ、花をチェスへと投げ返した。 ドラは知っている。この花こそが毒の元凶であると。よく覚えて いないが、名前はトリなんとか。一昨日の毒もこれだろう。 ︵目的は果たした⋮後は見張るだけか⋮⋮︶ 今回の目的は自分が人質として使えないと思い知らせること。 先ほどの殺気でそれくらいは理解出来ただろう。そんな事すらも 理解出来ていなければ、見込み違いだったということで、クロノで はなく自分が始末するだけだ。 後は手に持ったあの毒を混入させないこと。 見張っておけば、下手な真似は出来ないだろう。 ﹁そろそろ、ご飯運ぶから先に行ってて﹂ 578 チェスもドラがいると下手なことは出来ないと悟り、排除にかか る。 ﹁僕も運ぶよ! 君が盛ったものを持ってくから、早く盛って?﹂ 笑顔の表情を崩さず、余計なことはするなと急かすドラ。 綺麗な言葉の裏に仕込まれた本来の汚い目的。 チェスは内心舌打ちする。 ︵クソがッ! 早く行けや!!︶ ドラは動かない。このままずっとこうしていても埒が明かない。 そう判断したチェスは諦め、素直に皿に朝食を盛り、ドラへと手 渡した。 ﹁ありがとう! お兄ちゃんもう起きたかな∼?﹂ もう、お前の兄は起きてるよ。と言いかけたがチェスは言葉を止 めた。 鼻歌混じりに出て行くドラを見送り、大きく安堵の息を吐く。 思い出す先ほどの恐怖。 ︵なんだ⋮アレは⋮︶ いつの間にか背後にいた少年。殺気を放つナニカ。 ︵これは⋮ちょっと弱みとして使うのは考え直した方がいいかもな ⋮︶ 579 この時点で、チェスは余計なことをせず逃げ出せばよかった。 そうすれば少なくとも、これから起こるようなことにはならなか っただろう。 だが、彼のプライドがそれを許さなかった。 クロノに負けた。あんな甘い人間に負けたという事実。 つまらない意地を張ってしまった。 結局のところ彼はまだ幼い少年であったのだ。 食堂 ドラがプレートを持って、食堂に入るとそこにはクロノの姿。他 に人の気配は感じられない。 クロノはドラの姿を認めるなり眼を丸くする。 ﹁⋮なにやってるの?﹂ ﹁なんじゃ、悪いか?﹂ ﹁⋮いや⋮意外だなーって⋮﹂ ﹁たまにはこういうこともするさ﹂ プレートをクロノの前に置き、再び厨房へと戻っていく。 少しして、自分用の朝食を持ち再び入ってくると、今度はクロノ の隣に置き、そこにドラも座った。 ﹁食べるとするかの﹂ 580 ﹁いっただきまーす﹂ 普段は見られない、間延びした声を出すクロノ。ここら辺はまだ まだ子供だな、とドラは思う。 ﹁ドラは今日どうするの?﹂ ﹁ふむ、好き勝手やるさ﹂ ﹁⋮なにそれ⋮﹂ ﹁そういう主はどうする気じゃ?﹂ ﹁そうだね⋮午前中は畑かな⋮午後からは未定。気が向いたら村長 のところに行くけど﹂ ﹁はっ、本当に主は農家か。﹂ ﹁久しぶりにやってみると楽しいもんだよ。ドラも一度やってみる ?﹂ ﹁⋮遠慮しておこう⋮﹂ 引き気味に遠慮するドラ。こうしてみると、本当にクロノかと疑 ってしまう。 続く二人の他愛ない談笑。 気づくと、互いの手元にあった朝食は消えており、若干遅めの朝 食タイムは終わりを告げた。 581 畑 前日に雨が降ったため、土は未だに湿っており色も黒く変色して いる。 空から降り注ぐ太陽の光の影響か、若干ではあるが湿気が多いよ うに感じる。 ぬかるみ、まではいかないが、歩くたびに沈むような柔らかさ。 そんな畑を目の前に、クロノは腕組をしていた。 ﹁余ったな⋮﹂ 視線の先には、畑の中でも端の端。 長方形の畑なのだが、右上には不自然に飛び出した小さい正方形 がある。 聞くと、もっと広げようとして掘ったはいいが、途中でめんどく さくなって放置した結果らしい。 小さすぎて作物を育てるには適さないが、このまま放置というの も何かもったいない。 ﹁なにがいいかな⋮﹂ ﹁あーっ!!ようやく見つけましたよ!﹂ クロノがあれやこれやと思案していると、背後から声を掛けられ た。 メアリーの元気の良い声が耳を突き抜ける。 ﹁今日祭り出てくれますよねーー!?﹂ 582 ﹁気が向いたらね。ちょうどいいや。こっち来て﹂ ﹁えっ、えっ、ええ⋮﹂ 挙動不審に陥りながら、言われるがまま畑へと向かう。 ﹁どうしたんですか?﹂ クロノは畑の隅を指さして、メアリーに尋ねた。 ﹁あそこのさ、余った箇所どうする?﹂ ﹁あれって⋮何も植えないって言ってませんでしたっけ?﹂ ﹁野菜は無理だね﹂ ﹁じゃあなんで⋮﹂ ﹁野菜はであって、他のならなんとかなるよ。野菜だって植えられ ないわけじゃないけど、一つだけしか植えられなくて寂しいし。具 体的に言うと、一本でも映えるやつ。花⋮とか? あそこだけ何も ないっていうのは不自然だし、見栄えが悪いから。﹂ 完全に自分の世界に入り、陽気に語るクロノ。 ﹁花⋮ですか⋮﹂ ﹁出来れば﹂ メアリーは困ったように俯きながら、思考を張り巡らせる。 583 ︵花⋮何が良いんだろう?︶ いきなり言われてもなかなか思いつかない。 とりあえず、記憶を思い起こしてみることにした。 ︵花かぁ⋮十字岩のところとか綺麗⋮︶ 脳裏に浮かぶ十字岩の中にある秘密基地。まるで異空間のような 花畑。 ︵あんな風になれば⋮って言うのは無理だとして⋮︶ 願望を抑え、鮮明に記憶を思い出す。 ︵紫も、黄色も、綺麗だったなぁ⋮下は緑の絨毯で⋮︶ 記憶の中で思い出し悦に浸る。紫、黄色、緑、様々な色を思い出 していく。 ︵あっ⋮⋮そうだ⋮⋮︶ ここでふと、何かに気づき、無意識のまま口が動いた。 ﹁⋮⋮赤⋮⋮﹂ ﹁赤?﹂ いきなり発せられた言葉にクロノは思わず聞き返すが、聞こえて いないのかメアリーはその言葉に返答しない。 584 ﹁⋮赤⋮そうだ⋮赤がないんだ⋮﹂ うわ言のように呟くメアリー。心ここに在らず。 不思議に思ったクロノは、メアリーの両頬を手で包み、ズイっと 顔を近づけた。 ﹁とりあえず落ち着いてくれ⋮﹂ ﹁ひゃ⋮ひゃい⋮ッ⋮!?﹂ いきなり何が起こったのか理解できずおかしな声を上げてしまう。 だが、お蔭で現実世界に戻って来れた。 恥ずかしがりながらも自分の願望を口にする。 ﹁⋮赤い花がいいです⋮﹂ ﹁赤か⋮なんでまた?﹂ ﹁見たことないから⋮﹂ 記憶をいくら探っても赤い花の記憶が出てこない。十字岩の裏に もなく、この村のどこにもない。 口にしてから、メアリーはふと気づく。 ︵って⋮何見たいものを言ってるんだ私⋮︶ しかしクロノはあっさりとそれを肯定する。 ﹁いいね。それにしよう。この近く⋮あったかな⋮?﹂ 585 ﹁えっ、あの⋮無理ならそれで⋮﹂ ﹁品種の指定はある?﹂ ﹁いや⋮ない、ですけど⋮﹂ ﹁王都の近くにあったか⋮⋮うん! 明日辺り採ってくるか﹂ 混乱するメアリーを尻目にクロノは、何かを決意したのか手を叩 いた。 冷静に考えてもここから王都までは一日以上、往復で三日はかか る。 それでもやると言ったら、やれてしまいそうなのがクロノではあ るが。 クロノは何度かうんうんと頷き、おもむろに耕具を取り出すと、 楽しげに笑った。 ﹁じゃっ、とりあえず今日も始めようかな。畑の整備﹂ 586 第六十二話︵前書き︶ 終わる終わる詐欺 今回でも名も無き村編終わらん 次回ようやく夜に突入 ひっさびさの戦闘描写 587 第六十二話 ﹁こんにちは!﹂ ﹁おう、元気がいいな坊主﹂ 少年へと声を返した後、男は首を傾げる。 ︵あれ⋮? あんな子供この村にいたか⋮?︶ ﹁お、い⋮⋮?﹂ 疑問に思った男が少年に尋ねようとするが、既に緑髪の少年の姿 は消え失せていた。 男の横を通り過ぎたドラは、そのまま村を駆け抜け、外に出たと ころで立ち止まった。 振り返り、不敵に笑う。 ﹁誰じゃ? 尾けてきてるのは?﹂ 楽しむような声で無人の荒野へと問いかけるが、答えが帰ってく ることはない。 風の音だけが空しく響く。 ﹁出てくる気はなし⋮か⋮まあ、いい﹂ 588 依然として荒野には、ドラ以外の人影は見当たらない。 それでもドラは確信している。誰かがいると。姿は見えずとも。 同時に感じる危険な気配。 その誰かに声をかけてはみたが、どうやらこたえる気はないらし い。 ︵不気味じゃな⋮︶ 殺気を放ってはいるが、相手に動揺した様子は感じられない。 相手に敵意はない。おそらく。 ただ、そこにいるだけ。 不気味さを感じずにはいられない。 ︵不確定要素は排除しておくか⋮︶ ﹁出て来んなら、こちらから行かせてもらうか⋮のッ!!﹂ 地面を強く蹴り上げる。衝撃で煤けた大地が凹む。 少年の体躯からは想像も出来ない速度で、誰もいない荒野の中心 目がけて飛び掛る。 爪だけを龍のものへと変化させ、確信を持って見えない誰かを切 り裂いた。 ギィィッ!!! 爪が弾かれる。金属と金属が擦ったような耳障りな音。 ﹁ッッ⋮⋮!!?﹂ 何かがある。壁のような何かが。 即座にドラは距離をとり、臨戦態勢に入る。今までは牽制のつも 589 りだったが、こうなっては仕方ない。 ︱︱︱もう、舐めん⋮!!こやつはここで叩く⋮!! 鋭い野生の眼差しで、誰もいないように見える荒野を睨む。 油断は捨てた。慢心は無い。 呼吸を整え、狩るべき獲物をじっくりと見据える。 相当の相手。ざわつく背中。 眼に見えない敵にドラは躊躇うことなく、再び飛び掛る。 今度は切り裂く、ではなく砕きにかかる。壁を壊すイメージ。 龍へと変化した手に全身全霊を籠め、本気の一撃を叩き込んだ。 パリィン!! シンプルな音が響く。何かが割れた音。 比喩ではなく、現実として地が揺れた。衝撃で土煙が辺り一面を 覆う。 ドラは止まらず、中にいるであろう誰かへと続けざまに一撃を放 つ。 ︱︱︱これで⋮⋮ッ!!? 感触が違う。肉を抉る感触が、壁の中には存在しなかった。抉っ たのは煤けた大地だけ。 ︱︱︱いない⋮? 気配が消えていた。確実にいたはずなのに。痕跡すらも残っては いない。 590 まるで煙のように忽然と消え失せた誰か。 ﹁やってくれる⋮﹂ 仕留められなかったことにイラつき、もう一度爪を地面へと突き 刺す。 大地には深い爪痕が二つ出来上がる。 ドラは真剣な表情で抉った大地を見て、眉を顰めた。 ︱︱︱きな臭くなってきたの⋮ 昼 宿屋 ﹁今日は倒れなかったね﹂ ﹁なっ! そんな毎日倒れるわけないでしょう!﹂﹂ ﹁そう? 何か毎日倒れてるイメージがあったんだけど﹂ ﹁うう⋮否定できない⋮﹂ ﹁冗談だよじょーだん。よく頑張ってるよ﹂ そう言って頭をポンポンと撫でる。 ﹁すっごい子供扱いされてる気が⋮﹂ クロノとメアリーは畑仕事に一区切りを付け、一旦宿屋に戻って いた。 591 畑仕事は、馬鹿みたいにでかく、ウネウネと動くムカデとの遭遇 などのハプニングはあったが、比較的スムーズに進んだ。 ﹁そういえば⋮クロノさん頭よく撫でますよね?﹂ ﹁いやだった?﹂ ﹁嫌というか⋮︵嬉しいけど︶あんまり軽々しくそういうことはし ない方が⋮﹂ ﹁おっかしいな⋮リルは﹁こういうことされたら女の子は喜ぶから、 いっぱいして!﹂って言ってたのに⋮﹂ とあるギルド ﹁はっ! 何か私にとって大きな敵が出現したような⋮!?﹂ 宿屋 メアリーと別れたクロノは自室へと戻ろうと、薄茶色のドアを開 けた。 部屋の中は外よりは涼しいが、それでも暑さを感じてしまう。 汗で湿った上着を脱ぎ捨て、ベッドの上に放る。 そして嘆息を漏らした。 ﹁あっつ⋮⋮﹂ 592 手を団扇代わりにヒラヒラと顔に向けて煽ぎ、冷たくもない風を 送る。何もしないよりはマシだ。 陽の入る窓際を避け、ドアに近い日陰で涼もうとするが、陽で暖 められた部屋の中では微々たる抵抗に過ぎない。 天井の木目を何となく数えながら、予定を考えていると、ドアが 乾いた音を立てて開いた。 音に気づき、ドアへと眼を向けるとドラの姿。 ﹁⋮⋮⋮﹂ ﹁お帰り。今日暑くない?﹂ 同意を求める言葉を掛けるが、返ってくることはない。 それどころか、こちらに気づいていないように見える。 ︵⋮?何かあったのか?︶ ﹁何かあった?﹂ ようやくクロノの存在に気づいたのか、顔を向ける。 ﹁何でもない﹂ 通常時の顔に戻ったドラに、クロノは確信を持って言い放つ。 ﹁嘘だね。何かあった顔だ﹂ ﹁ほう? どうしてそう思う?﹂ ﹁そりゃあ2年も一緒にいれば分かるさ。表情で何を考えてるかく 593 らいはね。たとえば、ドラが嘘をつくときは左手を握り拳にして、 右頬が緊張してるのか微妙に上がるんだ。今もそう﹂ ドラは一瞬眼を丸くし、左手の握りこぶしを解き、途端にブスっ とした顔になる。 ﹁⋮ふん⋮今後は気をつけることにしよう﹂ ﹁話す気は?﹂ ﹁ないな﹂ 迷う間もないほどの即答。 追撃を予感し、次はどう答えようかとドラは考えていたのだが、 クロノは短く ﹁ならいいや﹂ とだけ言った。 ﹁さて、寝よう寝よう。畑仕事で疲れたし﹂ ﹁⋮待て⋮!﹂ ﹁なにさ?﹂ ﹁聞かんのか⋮!?﹂ ﹁話す気ないっていったのはそっちでしょ?﹂ 594 ﹁⋮⋮お主にとって何か良からぬことを企んでおるかもしれんぞ?﹂ 言ってからドラは後悔した。聞かないのであればそれでいいでは ないかと。なぜ、自分から傷を広げに行っているのだ。 ドラの問いにクロノは、呆れに近い感情を抱きながら答えた。 ﹁良からぬこと⋮ねえ⋮そうだなぁ⋮⋮もし、ドラがさ、俺を殺そ うとか考えてるなら、俺はもう諦めて死ぬよ? 寝込み襲われたら 勝てないし﹂ ﹁なっ⋮⋮!﹂ ﹁それくらい、俺はもうドラを信用しちゃってるんだよ。多分ドラ が俺を殺そうとした時には、ショックで動けないかも。ははっ﹂ ﹁⋮⋮⋮﹂ ﹁ドラが俺に黙ってるのも、何か考えがあってのことだろうし。だ から、俺は無理に聞きはしない﹂ 何も返す言葉がなかった。 ﹁信用﹂という言の葉が、いやにドラの心に残る。同時に湧き上 がる罪悪感。 はたして、自分はこれでいいのかと。この﹁信用﹂を裏切っても いいのかと。 揺らぐ、靡く、傾く、心が。 自分に言い訳をしてでもこのまま進めるべきなのか? いつから、罪悪感なんて感情を自分は抱いたのだろうか?それも ただの人間に。 クロノの視線が痛い。 595 どうしようもなく、居た堪れなくなって、ドラは部屋を飛び出し た。 後ろから、クロノの声が聞こえたけれど、それすらも無視してひ たすらに駆け抜けた。 気づくいた時には、村の外。広がる荒野。 ﹁︱︱︱︱︱︱︱﹂ そこで出会ったのは、勇者、或いは魔王。 蘇る記憶。 随分前と、多少前と、少し前の、記憶が重なった。 とある民家 ﹁俺はやれる⋮大丈夫だ⋮﹂ 宿屋 ︵予定変更だな⋮まっ、大筋は変わんねえけど︶ 596 村長の家 ﹁準備終わりました﹂ ﹁そうか、ご苦労ご苦労。後は休んどいてええぞ。夕方スタートの 祭りまでな﹂ ﹁⋮⋮はい⋮⋮﹂ 597 第六十三話 宿屋 空はすっかり夕暮れに染まり、真っ赤な陽が窓から差し込む。 そんな陽を顔に浴び、クロノは目を覚ました。 寝るときはしっかり陽を避けていたはずなのだが、沈むに従って 西側に設置されている簡素な窓の正面に来たらしい。お蔭で眼が眩 みそうだ。 差し込む夕陽に眼を細めながら、クロノは立ち上がる。 身体はある程度汗ばんでいるが、寝る前に水浴びをしたのでそこ まで不快感はない。 それでも水浴びでは少々物足りず、こういう時﹁セントーが普及 していればいいのに﹂と思ってしまう。 見渡してみると、部屋は夕陽が照らすだけでドラの姿はない。 ﹁出るか⋮﹂ 部屋を出ようとしたところで、上を着ていないことに気づき、慌 てて着替えてから部屋を出た。 部屋を出て宿屋の出口に向かうと、カウンターでメアリーが椅子 に座り舟を漕いでいた。 邪魔しては悪いと思い、忍び足で前を通り過ぎようとするが、脆 い床は歩くだけで軋み、耳障りな音を響かせる。 音がすると同時に、メアリーが目を覚ます。 598 寝ぼけているのか、語尾が一々たどたどしい。 ﹁⋮ん⋮あれぇ、くりょのしゃん⋮?﹂ ﹁おはよ。そんな時間じゃないけど﹂ クロノの言葉を聞き意識がはっきりとしたのか、半開きだった眼 を一度見開き、頭を起こすために首を二度三度と振った。 慌ててカウンターの下から櫛を取り出し、身だしなみを整える。 そんなメアリーにクロノは、自分の下唇の左端を指差して言った。 ﹁ここ、涎ついているよ﹂ ﹁へっ!?﹂ ﹁ほら、ここ﹂ 見かねたクロノは自分の服の袖で、メアリーの唇を拭いた。 この時点でボンと、何かが爆発したような幻聴がメアリーの耳を 突き抜けた。同時に身体が熱くなる。 ﹁す、す、す、すいません⋮!﹂ 混乱する頭から何とかメアリーは謝罪の言葉を捻りだすが相変わ らず、頭はショートしたままだ。 クロノはまったく気にした様子はなく、﹁いいよ﹂と言っただけ。 最近はないが、昔のリルにはよくあったことなので、扱いもなれ たものだ。 冷静なままのクロノを見て、メアリーの方も熱が急速に冷めてい く。 599 ︵異性として意識されてないんだろうなぁ⋮︶ そう思うとほんの少し悔しくなった。 クロノがそんな感情に気づくことはない。 ﹁そうだ。ドラ知らない?﹂ ﹁ドラ君ですか⋮見てないですね⋮探してるんですか?﹂ ﹁⋮いないならいいや。一人でいても大丈夫だし﹂ 普通であれば10歳やそこらの子供が、見知らぬ村で一人という のは心配しそうなものだ。 メアリーは不思議に思うが、考えても答えは出そうになかった。 クロノは一度欠伸をした後、背を向け出口の扉へと手をかける。 ﹁散歩でもして来ようかな﹂ 扉が開きかけ、眩しい夕陽がメアリーの視界を覆う。 そこでメアリーは思い出す。今何時で、これから何があるのかを。 ﹁何か予定あるんですか?﹂ ﹁いんや、ぶらつくだけ﹂ 心臓の鼓動が自覚できそうなほどの緊張。 実際はそこまで大層な話ではないはずなのだが、それでも緊張せ ずにはいられなかった。 600 余計なことを色々考える頭を抑え込み、勇気を振り絞る。 そして、ようやく口に出した。 ﹁あっ、あの、だったら、一緒に祭りいきません⋮?﹂ 村 中心部 家と家の間に紐が繋がれ、乾いた木で作られた星型の飾りが括ら れている。 村の近くに雑草などほぼ生えておらず、村にとって貴重な木材を 使ったこの飾りは十分なぜいたく品だ。 中心には木で組まれた台形のステージらしきものが置かれている。 空は夕陽が落ちかけ、地平線上の向こうへと沈んでいく。代わり に下弦の月がうっすらと出現しかけていた。 クロノは括られた飾りを手に取る。 ﹁凝ってるなぁ﹂ ﹁この村の自慢なんですよ。最近は作ってませんでしたけど﹂ 自慢げに語るメアリー。 星型の飾りはどれも同じに見えるほどに、均一化されており、一 つの乱れもないように見えた。 木目が上手い具合にグラデーションとなり、色彩を鮮やかに表す。 飾りから眼を離し、村を見渡すと飾りの多さもさることながら、 人の多さに驚いてしまう。 601 ﹁こんなに人いたのか⋮﹂ ﹁皆普段は出てこないんですよ。外に出ると危ないですし、そんな 元気もなかったんです⋮そんな雰囲気をクロノさんが変えてくれた んですよ!﹂ ここまで言われるとクロノも悪い気はしない。どころか、恥ずか しくなってまいそうだ。 暫しの間村人たちが浮かれる姿を見ていると、突如として中心に あるステージが光りだす。 気になって身体を下に傾け覗き込む。 ステージの下には大量のランプが並べられ、炎がユラユラと揺ら めいていた。 光ったステージの上には見覚えのある顔。それが村長であると認 識するには時間がかからなかった。 ﹁我々は長い間耐え忍んできた。それが! ようやく! むくわれ たのだ!﹂ ほんのり白く侵食されかけた頭からは、想像も出来ないほどに通 る声。 一つ一つの言葉の度に村民から歓声が上がる。 それは村民達の喜びを表していた。 ﹁今日は盗賊壊滅を祝って、祭りじゃ!﹂ そう拳を突き上げ高らかに宣言する様は、とても老人とは思えな い。 村長の宣言を合図にして、続いてステージに上がったのは楽器を 602 持った集団。 扇状にステージを占拠していく。 ﹁竪琴⋮と⋮オカリナ⋮かな?﹂ クロノの言葉を補足するようにメアリーが答えた。 ﹁そうですよ。いつも祭りで使うんですが⋮今回は祭りに向けて新 調したみたいです﹂ 言われて見れば確かに、どれも一目で新品と分かるほどに真新し く見える。 それでも、全部は新品に出来なかったのか、扇の端のものは少し 汚い。 クロノがステージの上を、どこかずれた感覚で観察していると、 演奏が始まった。 竪琴を抱えるように持ちながら、柔らかい手捌きでピンと張った 弦を弾くと、呼応するかのようにオカリナから高音が響きだす。 竪琴が音階を一つずつ下げると、合わせてオカリナも下がってい く。 クロノは眼を閉じてその音色に耳を澄ませる。 シンプルな一定の規則性を持ったリズム。民謡なのだろうか? クロノが聞き入っていると、不意に手を引かれた。 ﹁私たちも行きましょうか﹂ ﹁? どこに?﹂ ﹁あそこですよ、ほら﹂ 603 メアリーが指さした先はステージ。 いつの間にか楽団は退場しており、奥の方で演奏を続けている。 どうやら、クロノが眼を閉じている間に退いていたらしい。 代わりにそこにいたのは、先ほどまで歓声を上げていた村人たち。 照らされたステージの上で、村人たちはペアとなって音楽に合わ せ踊っている。 メアリーが言ったことがどういうことなのかを理解したクロノは、 気まずそうに苦笑いを浮かべた。 ﹁お、俺は遠慮しとくよ⋮﹂ ﹁え∼、行きましょうよ﹂ 上目使いでクロノを見るメアリーに思わず﹁いいよ﹂と言ってし まいそうになるが、寸でのところで思い止まった。 この見られ方に弱いという自覚はある。いつもなら、リルがやっ てきて押し負けてしまうのだが、今日は違う。 ︵踊れる自信がない⋮︶ クロノは貴族の出ではあるが、社交場に行く年齢になる前に出さ れたため、ダンスなどしたことがない。 そんな自分があそこに入って行っても、恥をかくだけ。 あまり、メアリーの前で格好悪い姿は見せたくない。 結局のところ、クロノも思春期の少年であったということなのだ。 そんな感情にメアリーは気づくことなく、強引に腕を引っ張る。 ﹁ほらほら行きますよ﹂ 604 ﹁えっ、ちょっ、まっ︱︱︱﹂ 二人は照らされたステージの上に紛れていった。 クロノの名誉の為に多くは語らないが、この後、クロノはダンス を学ぼうと決意したという。 数時間後 宴もたけなわを過ぎた頃、未だにうかれる村人たちとは離れた場 所で、クロノとメアリーは座り込んでいた。 手には途中で配られた果実酒が、一滴たりとも減らないまま残っ ていた。 空は下弦の月がはっきりと顔を出し、それを中心に細やかな星が、 黒い布のような夜空に散りばめられている。 ﹁うう⋮酷い目に遭った⋮自分が情けない⋮﹂ ﹁いやいや、そんなことは⋮﹂ ﹁みんな上手すぎ⋮﹂ ﹁祭りの度にやってますから﹂ ﹁そりゃ、俺が入る隙間なんてないわけだよ⋮とりあえず騒ぎにな らなくてよかった﹂ ﹁うかれてましたからね。一人くらい入っても分かんないでしょう﹂ 605 耳に残った微かな音が再生される。すぐにでも映像まで再生され そうだ。 クロノは空を見上げ呟いた。 ﹁やっぱ違うなあ⋮﹂ ﹁? 何がですか?﹂ ﹁星がさ。王都とかでリルとよく見るんだけど、こっちの方が綺麗 だね﹂ 王都でも十分よく見えるのだが、街が放つ光の差なのか、この村 の方がよくみえる。 しかし、それとはまったく別の事がメアリーには気になっていた。 ﹁あの⋮リルさん? って誰ですか?﹂ ﹁誰って聞かれても⋮﹂ ﹁単刀直入に聞きますけど、どういう関係なんですか?﹂ ﹁どういう⋮難しいな⋮。血はつながってないけど、妹⋮とか?﹂ メアリーはその言葉を聞いた自分が安堵していることに気づき恥 じる。 だが、同時に攻めるならここしかないとも思う。 クロノがいつまでこの村にいるか分からない。 この雰囲気。この場面。 606 これを逃したら、もうチャンスはない。 メアリーはこの日、二度目となる勇気を振り絞る。 自分の気持ちを素直に伝えるために。 ﹁あっ、あの︱︱︱︱︱﹂ しかし、その言葉は予想外の声によって遮られた。 ﹁クロノ様ですね? 村長がお呼びです。﹂ 若い男の声。それは村長の小間使いの男のものだった。 607 第六十四話︵前書き︶ 村編クライマックス 戦闘パートたるい 心の声は緊迫した場面︱︱︱で通常時︵︶にしようかな 608 第六十四話 村長の家 ﹁さあさあ、ごゆっくりとしていってください﹂ ﹁⋮⋮﹂ クロノは目の前に出された果実酒を不機嫌そうに眺める。 今いるのは村長の家。 他の民家と比べて、造りが新しく調度品も整っている。 並べられた家具の一つ一つは、おそらく一般の村人のものよりワ ンランク上だろう。 少し堅いソファーの上に腰をかけるクロノ。 テーブルを間に挟み、向かいの椅子に村長も腰を下ろした。 ﹁⋮用件はなんだ?﹂ ﹁用件と呼ぶほどに大層なものではありません。ただ、お礼として こちらにお呼びしただけです﹂ 柔和な笑みを浮かべ、慇懃な態度で語る村長。 ステージ上にいたときとは別人のように落ち着いた雰囲気。 首には紐に括られた牢屋の鍵がぶら下がっている。肌身離さずと いうことらしい。 ﹁⋮そんな礼よりも、もっと実のあるものが欲しいんだがな⋮﹂ ﹁勿論、依頼の報酬はしっかりと払いますよ﹂ 609 ﹁なら、いい⋮﹂ そうは言うが、クロノは一向に果実酒に手をつけようとはしない。 ﹁そちらはお飲みになられないのですか?﹂ 挑発するようにクロノは言った。 ﹁⋮貴様の皺くちゃの顔でも肴にして、飲めと?﹂ おなご ﹁これは失礼⋮何でしたら若い女子でも呼んできましょうか?﹂ これ以上何を言っても無駄だと判断したクロノ、は本当の理由を 口にする。 ﹁⋮酒は嗜まんのでな⋮﹂ ﹁そうでしたか⋮誰か、水を持ってきてくれ﹂ 村長が部屋の外に向けて叫ぶと、間もなく小間使いの男が水の入 った木製のコップを持ってきた。 クロノの前に置かれたコップは、置かれた衝撃で波を作り出す。 ﹁さて、そろそろ本題に入ってもらいたいものだな。﹂ ﹁なんのことです?﹂ ﹁今資源的にも経済的にも疲弊しているこの村で、報酬とは別に一 介の冒険者である俺をもてなすなど、金の無駄遣いだ。所詮一回限 610 りの関係だからな。まあ、つまり俺が言いたいのは︱︱︱﹂ コップの波が収まる。 ﹁早く話せよ。本題を。これ以上無駄な時間を浪費させるつもりな ら、俺はもう聞かんぞ?﹂ 村長は首を何度か振ると、困ったように溜息を吐いた。 ﹁⋮率直に申し上げますと、貴方にこの村に残っていただきたいの です。﹂ 村外れ ︵村長さんの話ってなんだろう⋮?︶ 若い男に連れられたクロノを見送ったメアリーは、中心部から少 し外れた人気のない場所に来ていた。 ︵あと少しだったのに⋮︶ 見計らったような最悪のタイミングで出て来た男に恨み言の一つ でも吐きたくなるが、村長の用であればしょうがない。 ︵大丈夫、まだチャンスはある⋮よね⋮?︶ 無理やり自分に言い聞かせ、何とか心の平静を保った。 中心部から外れたこの場所は、光といえば月以外に見当たらず、 611 暗闇に閉ざされている。 こんなところにずっと居てもしょうがない、と思い、家へと戻っ ていった。 家に戻ろうと、薄暗い民家を歩いていると、遠くに二つの人影が 見えた。暗く、誰なのかまでは判断できない。 今日はほぼ全ての村人が祭りに行っているはずだ。 気になって近づいてみると、丁度月明かりが人影を照らす。 そこに見えたのは両方知っている顔︱︱︱︱チェスとトーリであ った。 身長差のある二人は、チェスが背伸びをする格好でなにやら話し 込んでいるが、よくきこえない。 ︵⋮面識あったっけ⋮あの二人⋮︶ 聞き耳を立てようと、ひっそりと二人に近づいていく。足音を殺 し、一歩一歩。 他に目立った音のないここでは、足音ですらも目立ってしまうの だ。 メアリーが後少しまで来たところで、二人はどこかへと歩き出す。 その後を、気づかれないようにメアリーもついて行った。 村長の家 ﹁断る﹂ 612 迷いなく、簡潔にあっさりと即答するクロノ。その声には呆れと いった感情が込められていた。 ﹁即答ですか⋮お話だけでも聞いてもらいたいのですが⋮﹂ クロノは先を見越したように言った。 ﹁ハッ、時間の無駄だと思うがな? 大方この村の防衛が手薄であ るからとか、そういう理由だろう?﹂ 図星なのか村長はぐっと黙り込む。 ﹁今回のこれも接待というわけだ。言っておくが無駄だぞ? 大体 俺にメリットが無さすぎる﹂ ﹁ちゃんと報酬は︱︱︱﹂ ﹁払うか? いくらだ? 疲弊したこの村でいくら払えるというん だ? 一生ここに縛り付けておく気なら、最低でも俺の持ち金の1 0倍はもらわないとな? 約500億ほど﹂ ﹁それは⋮⋮﹂ ﹁無理だろう? 交渉の余地は無いんだ。﹂ 500億︱︱︱ギール帝国の国家予算が毎年50億ほど、それを 考えれば当然こんな村に払える額ではない。 自分でも、なかなかに酷い言い方だとクロノは思った。 だが、ここまで言わなければ、しつこくエスカレートしていくだ ろう。 613 だから、現実的な問題を村長に突きつけて諦めさせようとした。 村長は唇をわなわなと震わせている。 ようやく、諦めたかとクロノが思ったとき、ドタドタと足音が部 屋に近づいてきた。 部屋に入ってきたのは若い男。 ﹁村長⋮少々お話が﹂ ﹁今忙しいんだ、後にしてくれ﹂ 忙しくないだろ、とクロノは内心ツッコミを入れる。 ﹁しかしですね⋮﹂ 男は村長に何事かを耳打ちすると、ほんの数秒前のセリフを忘れ たのか、男と部屋から出て行った。 ﹁ここは⋮﹂ 二人の後をつけてきたメアリーの目の前に広がるのは、村の民家 の中でも一際大きい村長の家だった。 最近改修したらしく、真新しさが木造の壁にも匂いとなって現れ ている。 ︵こんなところに何の用なの⋮?︶ 614 今村長はクロノの相手をしているはずだ。 となれば、二人の目的は村長に会うことではない。 呼ばれもしないのにこんなところに来るのだろうか? メアリーがあれやこれやと考えているうちに、二人は村長の家へ と入っていった。 ﹁失礼野暮用がありまして﹂ 柔和な笑みを浮かべながら、村長がクロノの元へと戻ってきた。 その笑顔を見ていると、なぜだか不安になった。 クロノは好々爺という評価を下方修正する。 ﹁さて、どこまで話しましたかな﹂ ﹁貴様の下らん妄言を吐き捨てたところまでだな﹂ ﹁ああ、そうでしたな﹂ 村長の顔にはさきほどのような焦りは見られない。 何かが違う。さきほどまでとは。 違いは目に見える変化として現れていた。 ︱︱︱何が違う? 脳裏に浮かべるさっきと今の村長の姿。 頭、顔、手、腕、足、順を追って記憶と照らし合わせていく。 615 表情の筋肉の張り具合、右手の血管の浮き。 ︱︱︱違う! もっと分かりやすい何か 村長は暑いのか、服を胸元で何度も引っ張りながら、風を発生さ せていた。 ようやくクロノは思い当たる。違和感の正体に。 そこに在るべきものがないことに。 遅すぎた。気づくのが。 在るべきもの︱︱︱︱牢屋の鍵が無いことに。 確かめることもせず、クロノは部屋を飛び出した。 村長の家には離れがある。 何のことは無い。ごく普通の一般的な物置のようなものだ。 中は藁がこれでもかと並べられており、変わった様子は見られな い。 そんな物置だが、藁を全て避けると、突如として不気味な地下へ の入り口が出現する。 薄暗い地下を進むとその先には、黒く塗り固められた箱が二つ。 これが牢屋だ。 牢屋というよりもそれは黒い箱だ。 穴など開いておらず、外から中の全容を知ることは出来ない。音 すらも外には漏れない。 ブラックボックス 空気は上の僅かな隙間から入れ替えているようだ。 開けてはいけない黒箱のように置かれている。 616 ここの存在を知るものは村人でも僅かで、表向きは牢屋となって いるが、実際の用途を知るものとなれば片手の指で足りる数しかい ない。 ﹁⋮⋮!﹂ 途中若い男が増え、三人についてきたメアリーは、予想外の箱の 出現に思わず驚きの声を上げてしまいそうになった。 何か見てはいけないものを見てしまったような感覚。 三人がいる牢屋がある部屋のドアの裏にメアリーは隠れている。 幸いまだ気づかれてはいないようだ。 ここからでも三人の会話はよく聞こえない。 ひゅうひゅうと地下通路を吹き抜ける風の音が邪魔をする。 チェスがメアリーに聞こえる音量で声を上げた。 ﹁じゃあ、そろそろ開けようか! この︱︱︱﹂ ︵開ける? 何を?︶ 疑問符を浮かべるメアリーに解答を示すように、チェスは続けた。 ﹁盗賊が入った箱をね﹂ ﹁⋮⋮!?﹂ 考えるよりも先に、メアリーの身体はドアの裏を抜け出していた。 三人の前に姿を現すと、トーリは眼を丸くし、チェスは歪んだ笑 みを浮かべ、男は無表情のまま、メアリーへと眼をやった。 617 真っ先にトーリが声を上げ、それにチェスが答える。 ﹁お前⋮! なんでここに⋮﹂ ﹁ついて来てたさ、最初から。俺とお前の後を、へったくそな尾行 でな﹂ ﹁気づいてたなら⋮なんで⋮﹂ 愉快そうに笑いながら、チェスは人差し指をピンと立て、口元に 当てた。 ﹁それを教えるのはまだ先だ。﹂ ︱︱︱そろそろか? 喋りながらチェスは風を感じる。 まだ、流れに乱れは無い。 ﹁どういうこと⋮?﹂ ﹁そうだな。分かりやすーく、馬鹿でも分かるよーに、噛み砕いて 答えてあっげよーか?﹂ 心底ふざけた調子でチェスは語る。 ﹁かーんたんにいうと、しゅりょうがじつはぼくでしたーで、いま ろうやのかぎをもってここにきましたーってこと。OK? 理解し た?﹂ 618 ﹁⋮あれを、アナタがやったの⋮?﹂ 思い出す村人の死体。 事態をようやく理解したメアリーは、鬼のような形相でチェスを 睨み付ける。 ﹁そうだよ、そうそう。で、今ここに鍵があるわけだけど、止めて みる?﹂ 鍵を持った左手を見せ付けるようにチェスは振った。 ︱︱︱来いよ。早く チェスは待ちわびていた。 誰かの登場を。 もう、後少しだ。 その時地下通路の風が、流れを変えた。 わずかな違いではあったが、チェスはその微量な変化を見逃さな い。 ︱︱︱来た! 会話の途中に溜めていた魔力を土へと一気に流し込む。 ﹁まっ⋮!﹂ トーリが制止の声を上げるがもう遅い。 魔力は先の尖った一本の石柱へと変貌を遂げ、メアリーを襲う。 幾人もの命を奪った、石柱は止まることを知らないかのように、 619 ただ進んだ。 少女の身体が貫かれる様が、容易に想像出来た。 メアリーは恐怖から眼を背け、視界を閉ざす。 訪れる死の恐怖。 鈍く低い衝撃音が部屋の中を満たす。 舞う。 鮮血が︱︱︱ではなく、粉々に砕けた石の破片が。 パラパラと大小さまざまな形になった石が地面へと着地する。 衝撃がやってこないことを不思議に思ったメアリーが眼を開ける と、視界が黒く覆われていた。 知っている。これが誰のものなのか。 その誰かは振り返ることもせずに言った。 ﹁ごめん。遅くなった﹂ クロノの姿を認めたチェスの行動は早かった。 間髪入れず石柱を生成し、チェスとメアリーの間に出現したクロ ノへと放つ。 ︱︱︱こんなもの⋮! 620 当然のようにクロノはそれを剣の柄で砕き、再び欠片が宙を舞っ た。 まるで石柱が脆いクッキーのようだ。 チェスはクロノに一息つかせる暇を与えない。 三度石柱を放つ。 一瞬避けるという考えがクロノの脳裏に浮かんだが、すぐにかき 消した。 三度石柱を砕きにかかる。 その様を見てチェスはあざ笑う。 ﹁ほら、避けてみろよ。お前なら楽勝だろ?﹂ 子供らしからぬ歪んだ笑み。 クロノはここに至り、ようやく理解する。この少年が敵であるこ とに。 ﹁避けるまでもないだけだ⋮﹂ ﹁そうかい。じゃあ全部砕いてみろよ⋮!﹂ 言いながら砕くクロノと生成するチェス。 気丈に言ってはみるが、このままではいたちごっこにしかならな い。 チェスも同じことを思ったのか、石柱の生成ペースが上がる。 それに加え、これまで前からだけだったものが、四方八方から放 たれる。 しかし、そのどれも︱︱︱いや、ここまでのすべてがクロノを狙 ったものではなかった。 だからこそ、クロノは避けられない。 621 ﹁ほらほら、次々!﹂ チェスは更に生成のペースを上げる。 一つ一つ出てくるのに一秒とかかっていない。 右斜め下から出てきた石柱を柄で砕き、左斜め下には左手を叩き 込む。 両手を戻す間もなく、今度は中央から来た石柱を右足で蹴り飛ば す。 両手片足が上がったまま、残った左足と腰を使って、身体を無理 矢理後ろへと回転させた後、右足で地面を蹴りメアリーの背後へ。 そのまま、さきほどと同じような手順でまた前方へと戻り、正面 から来る石柱を砕く。 この繰り返し。 ここまで長々と手順を書き連ねたが、時間にしてわずか2秒ほど の出来事である。 常人にはクロノが分身しているようにすら見えるかもしれない。 回転の摩擦に耐え切れなくなった靴は溶け、地面には黒煙ととも に焼け焦げた痕がくっきりと残る。 そんなクロノに、平静を保ちながらチェスは挑発するように言っ た。 ﹁持久戦と行くかぁ?﹂ ﹁俺が先にくたばるとでも?﹂ 挑発を挑発で返すクロノ。 この間ですらも、互いに攻撃の手は緩めない。 ﹁そうだな、このペースだとこっちは持って5時間ってとこか。そ 622 れ以上耐え切れるならお前の勝ちだけど?﹂ 嘘だった。こんな異常なペースでは1時間どころか、30分持て ば良いほうだ。 対するクロノは、その言葉を鼻で笑う。 ﹁余裕だな。一日はいける﹂ こちらは嘘とも言えるし、嘘でないとも言える。 そもそも、レベル5の状態を5時間も維持したことはない。 一日1時間使うだけで、翌日は疲労でろくに動けないのだ。 それを5時間など、後日どんな後遺症があるか分かったものでは ない。 最悪使用中に動けなくなるかもしれない。 簡単に言えば未知数。 ︱︱︱ハア!? 一日とかざけてんじゃねぇぞ! ︱︱︱5時間か⋮厳しいね⋮ 互いに相手の実力を若干過大評価し、頬を引きつらせた。 どんな間も、二人は手を緩めない。 チェスがスピードを上げると、クロノは踊るような足捌きで全て を砕く。 時が進むに連れて、生成スピードの限界に達した石柱は下だけで はなく、上からも放たれる。 ﹁上だよ﹂ チェスがそう言うと石柱は真下からクロノを襲う。 623 そんな言葉に騙されること無く、クロノは冷静に対処する。 ﹁やっぱ騙されねーか。ったく、本当その身体はどーなってんだか !﹂ ﹁教える義理はないな﹂ 短くそう答え、右足で石柱を蹴り飛ばす。 攻め手が無い。 このままでは本当に持久戦になってしまう。 クロノとしては5時間もやり続けるのは不安がある。 だが、この現状を打破する術がない。 そしてそれはチェスも同じだった。 もう既に石柱の生成スピードは限界に達している。 地下で上にも土が存在し、奇襲できるという利点も、クロノには 通用しない。 これ以上は策がないことはないが、出来ればここで仕留めておき たかった。 埒が明かない現状に嫌気が差したチェスは、少し仕掛ける。 ﹁あーあ、やってらんねえ。その石柱さー、1秒の半分の半分のペ ースで作ってんだぜ? あー、秒って分かる? 俺の部下は全員知 らなかったけど。学ねーから﹂ 1秒の半分の半分︱︱︱0.25秒。 その事実にクロノはにわかに驚いた。 魔法の発動の基本工程は、イメージ、抽出、放出、の三要素。 まず、何をしたいかというイメージをする。 当然イメージすれば何でも出来るわけではなく、自分の属性、魔 624 力量にあったものでないと発動はしない。 魔法を使うとき何かを言う人間もいるが、それはイメージしやす くするためだ。 次に抽出。 自分の身体に眠る、必要な分の魔力を抽出する。 必要な魔力が多ければ多いほど、抽出に時間はかかり、複雑な技 であればあるど、必要な魔力は多くなる。 最後は放出。 抽出した魔力を放出し、世界に具現化する。 当然”例外”も存在はするが。 チェスの言葉通りであれば、この全工程をチェスは0.25秒以 内に全て行なっていることになる。 いくら単純な石柱の生成だけとはいえ、驚異的なペースである。 ﹁何が言いたい?﹂ ﹁お前のそれはどうなってんのか、っつう話だよ。普通の人間が生 身でついてこれるスピードじゃねえ﹂ 誤魔化すようにクロノは言う。 ﹁さてな⋮教える義理は無い⋮﹂ クロノのこのスピードは魔法によるものであるが、通常の魔法と は発動条件から異なっている。 さきほどの”例外”というのはまさにクロノが今使っている無属 性。 通常の魔法は何かをするために一々イメージから始めなければな らないが、無属性は一度発動したら自ら止めるまで、自動で持続し 625 続ける。 本来無属性は意識しなくても、勝手に身体を強化している。 クロノはそこにレベルを設定し、調整しているだけ。 この世界で魔力はよく、蛇口付きの樽に入った水に例えられる。 魔力は水。樽は人間だ。 樽が大きければ大きいほど、入る水は多くなる。 大きいというのは身長ではなく、魔力容量の差。才能の差だ。 魔法を使うために蛇口を捻り、水を出す。 蛇口が一度に出せる最大量も個人差があり、それはそのまま抽出 にかかる時間の差になる。 おそらく、チェスは蛇口から出せる容量が多いのだろう。 一方無属性はというと、通常に比べ欠陥品といえるかもしれない。 蛇口は壊れ、止めるという事が出来ない。おかげで水が垂れ流し になっている。 ただ、蛇口は止められないだけで、調整は出来る。 クロノは勝手に溢れる樽の水の量を、蛇口の捻り具合によって、 調整しているようなものだ。 チェスからすれば、話をしながらイメージの集中力を失って欲し いところだったが、イメージを必要としないクロノには意味が無い。 むしろ、喋ることによってチェス自身の集中力が危うい。 互いの手は止まらず、それ以降衝撃音だけが部屋の中を支配して いった。 トーリがうわ言のように呟いた。 626 ﹁なんだよ、これ⋮﹂ バトルフィールド 二人が作り出した戦闘空間は他者が入ることを許さない。 同じ部屋にいる三人はただ、その成り行きを見守るだけ。 もう何本目か分からない石柱を砕きながら、クロノは思う。 ︱︱︱確かに⋮偽ってはいなそうだ 0.25秒︱︱正確な時間は勿論計れないが、確かにそう思える ほどには速い。 最初はこのスピードに若干戸惑ったが、慣れてしまえば難しくは ない。 タイミングは掴んだ。 もう、負けは無い。 パラパラと舞う砂礫を見つめながら、チェスは眼を鋭く光らせる。 ︱︱︱そろそろ仕掛けるか 自分の最高速でも仕留められないことは、ある程度予想はしてい た。 だからこそ、無謀ともいえる持久戦をするフリをするしかなかっ た。 もう、時間は十分だろう。 627 クロノは相変わらず四方八方から来る、石柱を砕いていた。 右足を使い右手を使う。 破片が宙を舞い、視界が狭まる。 それでも、困ることは無い。 砂煙の中に影が見えれば十分。 慣れたタイミングで、残った左手を前へと拳にして突き出す。 スカッ そんな音が聞こえた気がした。 実際にはそんな音は響いていない。 感触がなかったことによる、擬音がクロノの中で鳴っただけ。 突き出したはずの、左手に感触がなかった。 チェスが行なったのは単純なこと。 力を抜いただけ。もっと言うと、石柱のスピードをわずかに下げ ただけだ。 最高速を続けたクロノが、慣れてくる頃。砂煙が舞い始め、視界 が狭まる頃。 クロノは見ずとも、感覚で対処するだろう。 だからこそ、ここでスピードを下げる。 最高速だと思って砕きにくるクロノのタイミングをずらした。 右足も右手も左手も使った。咄嗟に戻しても間に合わない。身体 を支える左足は使えない。 最初から最後まで狙い続けたのはここ。 628 ここ以外チャンスはない。 石柱は左手をするりと抜けて、心臓めがけ一直線に突き進む。 ︱︱︱! やめ⋮! クロノが”それ”に気づいたときにはもう遅い。 叫ぼうとするクロノの声は、声に鳴らずに喉の奥へと飲み込まれ ていった。 そして、赤い、生肉を、紅い、心臓を、尖った、石柱が、真っ直 ぐに、貫いた。 数分前 バトルフィールド 戦闘空間の中心に囚われたメアリーは、何が起こっているのかも わからないまま混乱の中にいた。 衝撃音ばかりが、耳に反響する。 姿さえもみることが出来ない。 それでも、これだけは分かった。 ︱︱︱私はあの人の邪魔になっている 狙われているのは自分だ。 自分を守っているからクロノは攻められない。 きっと、自分さえいなければクロノはもっと楽に勝てるだろう。 629 でも、しょうがない。自分には守る術が無いのだから。 思えば最初に会った時から、守られてばかりだ。 何度も、何度も。 クロノには何かをしてもらったことしかない。 ここで、メアリーの頭に何かが浮かんだ。 ︱︱︱なんだ、あるじゃない それは絶対に気づいてはいけない考え。 どうしようもないくらいに暗い考え。 ︱︱︱そうだよ簡単だ、私が 本日二度目となる勇気を限界まで搾り出す。 それは果たして、勇気か蛮勇か。 砂煙が多く舞い始めた地下。 不思議と怖くは無かった。 何が起こっているのかはわからない。 見えるのは石柱だけ。 それで十分。 ﹁ごめんね。止めなくて﹂ 遠くにいるトーリに一度小さく謝ってから、メアリーは一歩戦場 へと足を踏み出した。 ︱︱︱死ねばいいんだ 630 四人の眼に映ったのは鮮血、抉られた肉。 そして倒れる少女の姿だった。 631 第六十五話︵前書き︶ 葬儀屋アレク アレク君の魔力量はお察し 一番長いけど、後半は適当 チェスとアレクの関係はあんのか? 名も無き村編はあと、クロノが村出たら終わり 罵倒シーンスキップするかもだけど 632 第六十五話 一番早く声を上げたのは、意外にもトーリだった。 ﹁あ⋮あ⋮ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!﹂ 叫喚が地下を突き抜ける。 チェスも一瞬何が起こったのか理解出来ず、不思議そうに眼を丸 くした。 尖った石柱の先に突き刺さったメアリーの身体からは、血が滝の ように溢れだし、石柱を伝って地面に血の池を作りだした。 ︱︱︱なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで なんでなんで クロノの頭を﹁なんで﹂という言葉が埋め尽くし、身体が熱を帯 びていく。 熱い。身体が。意識が空気に溶けていく。 メアリーはもう、生きているのか判別がつかない。 胸にぽっかりと開いた穴が、生きていたとしても、長くないとい うことを如実に物語っていた。 その間にも、溢れ出る血は止まらない。 ︱︱︱余計なことしやがって 混乱の中でいち早く冷静さを取り戻したチェスが、再び攻撃を開 633 始する。 今度の標的は呆然と立ち尽くすクロノだ。 死人は人質として使えない。 虚ろな眼をしたままのクロノに死が迫る。 クロノは、一度チェスの方を向いたかと思うと、消えた。 比喩でもなんでもなく、忽然と姿を消した。 次いでチェスの耳に届く、消え入りそうな声。 ﹁⋮避けるだけならわけないんだ⋮わけないんだよ⋮!﹂ 眼を大きく見開いて、クロノはチェスの眼前に迫る。 眼は血走り、右手には血管が限界まで浮き上がっている。 チェスは必死に逃げ出そうと身をよじらせるが、クロノの前では 無意味な抵抗だ。 これまでの攻防がまるで、嘘だったかのようにあっさりと捕まっ てしまう。 土で出来た壁の端にチェスを追い込み、壁へと剣を突き刺した。 その拍子にチェスの頬を剣が掠め、一筋の血が流れ出す。 普通であれば、怯えてしまいそうなこの状況で、チェスは変わら ない調子で言った。 ﹁あーあ、俺の負けーっと。まっ、あの女が自分から死んだ時点で 負けだったなー﹂ 刺した剣が、徐々に壁へとめり込む。 クロノからは怒りの表情がありありと見てとれた。 それでも、チェスは臆さない。 それどころか、内心イラついていた。 634 ﹁何? 俺が憎い? じゃあ、殺せよ? どーせ、盗賊なんて生死 問わずなんだ。殺したって問題はないんだぞ?﹂ ﹁⋮⋮ッ!﹂ 言葉に出さない怒りがクロノの顔を歪めていく。 チェスはその態度に益々苛立ちを募らせるが、表情には出さない。 ﹁ほら、 殺 せ よ ﹂ 出来ない。 こいつ︵チェス︶を殺してもいいと知っているのに、憎いはずな のに、どうしても手が止まった。 理性が最後の最後でブレーキをかける。 理性を飛ばしたい、いっそのこと獣にでもなってしまった方が楽 だ。 しかし、それは叶わない。 クロノは無言で自分の頭を正面の壁に打ち付けた。 そこは丁度チェスの頭の上。 血が頭から滴り、視界に赤がまじる。 それでも、クロノは理性を失えなかった。 ﹁なんで⋮なんで⋮手が止まるんだよ! コイツは憎いんだ! 殺 してもいいんだよ! なんで俺の手は止まるんだよおおお!﹂ 自分自身に対する怒りで気が狂いそうになる。 それでも、狂わない。 635 その様を見てチェスは鼻で笑った。 ﹁はっ、クソ甘いなオイ。そんなんだから、メアリーとかいう女は 死んだんだよ﹂ 追い詰められているとは思えない笑い。 ﹁俺がお前に勝てる可能性は低かった。でも、俺はお前を殺そうと した。何でかわかるか? お前が甘いからだよ。甘いお前に負けて も最悪殺されないって分かってたからだ。どうして、そんな力を持 ちながら殺さない? 全てはお前の甘さが招いたんだ﹂ 皮肉気に笑うチェス。 完全に精神的立場は逆転していた。 何も答えないクロノをチェスはまっすぐに見つめて、苛立ちを一 気に言葉として言い放つ。 ﹁殺す覚悟もねえゴミが、俺の邪魔してんじゃねえぞ!﹂ それはわずかな人生経験からなるプライド。 こんな甘い人間に邪魔はされたくない。 鬼気迫る表情で言った年下の少年に、クロノはなぜか気圧された。 ﹁どけよ﹂ 言い返せないクロノをチェスは押しのける。 抵抗もせずあっさりと避けられたクロノの心には、自責の念が渦 巻いていた。 ︱︱︱俺のせい? オレノセイ オレノセイ? 636 ブラックボックス チェスは黒箱の前に立ち、そのまま懐から鍵を取り出すと、鍵穴 に差し込んだ。 黒く塗りつぶされた扉が、ゆっくりと開かれる。 中から出てきたのは、汚い格好をした盗賊たち。 クロノを見るなり、驚いた表情を浮かべる。 その内の一人が、チェスへと耳打ちする。 ﹁アイツ放っておくんですか?﹂ ﹁いんだよ。放っておいても問題ない。それに、興が冷めた﹂ ﹁そうですか⋮﹂ ブラックボックス そのまま立ち去ろうとする盗賊たちに何をするでもなく、クロノ はただ立ち尽くすことしか出来なかった。 帰り際、チェスが鍵をクロノへと放り投げ、もう一つの黒箱を指 さした。 ﹁そっちの中でも見て、人間の汚さを知ればいいさ﹂ 捨て台詞を吐き、盗賊たちは地下を後にした。 後に残されたのは、クロノと、メアリーの死体だけ。 村長の家 コンコンと木製の扉をノックする音が聞こえる。 637 村長が入っていいぞ、と言う前に、返事も聞かず無遠慮に扉が開 けられた。 ぞろぞろと入ってきたのは盗賊たち。 その先頭に立つチェスが声をかける。 ﹁よう村長。ご機嫌はどー?﹂ ﹁なかなかに悪い﹂ おおげさに驚いたフリをしてチェスは尋ねる。 ﹁そりゃまたどうして﹂ ﹁無駄な会話をして時間を引き延ばしていたからな。まったく⋮無 意味な時間だった﹂ 心底疲れたといった表情の村長。 ﹁しょうがねえだろ。”餌”が捕まえられなかったんだよ﹂ ”餌”とはメアリーの事である。 村長がクロノを屋敷に招いたのは、依頼の為でも何でもない。 メアリーが捕まるまでの単純な時間稼ぎだった。 わざわざ村長が牢屋の鍵を首にかけていたのも、無くなったらク ロノがすぐ気づき、地下に向かうようにさせるため。 気づかせるタイミングは小間使いとして働かせていた男が知らせ る。 それまで、村長はクロノをここに引き止める役。 チェスがトーリを連れていたのは、メアリーの興味を引くためだ。 638 トーリとメアリーは幼馴染なだけあって、親交も深い。 そんな彼が祭りの夜に面識のない少年といれば、気になって付い てくるだろう。 勿論トーリには本来の目的など知らせてはいない。 少々雑な作戦ではあるが、朝方ドラに威圧され急遽変更した作戦 なので、それを考慮すれば及第点だ。 村長は頬杖をつき、チェスを疑念の眼差しで見つめる。 ﹁で? 仕留められたのか?﹂ ﹁ここに俺が生存してるってことで、察しろよ﹂ 何を当然のことを聞いているんだと、言わんばかりの表情のチェ ス。 察したのか、村長はそれ以上何も聞こうとはしない。 代わりにチェスが皮肉気に笑った。 ﹁しっかし、ひっでえよなー。これでまた村は俺たちに怯えないと いけないわけだ。しかも、その手引きしたのが村長とかー﹂ ﹁黙れ⋮﹂ 村長がそう言うが、チェスは気にせずに続ける。 ﹁それにー、あんな変態だし。よっく村長なんてやってられるよな ー﹂ 639 ﹁黙れと言っている!﹂ テーブルに拳を勢いよく叩きつける村長。 衝撃でコップが床に落ち、中から零れた液体がじんわりと床に染 みを作った。 ﹁おー、こっわ。そんな怒るな、って。子供相手にさー。あ、もし かして俺まで狙ってる? あー怖い怖い﹂ おおげさに身を震わせるチェス。 村長は青筋を立て、苛立ちながら言った。 ﹁用が済んだならさっさと行け!﹂ ブラックボックス ﹁そーんな態度でいいのかな? アンタの性癖とか、その他もろも ろバラしちゃうよ?﹂ ︵まあ、もうバラしたけど︶ 地下 クロノは虚ろな眼をしながら、ふらふらと立ち上がった。 手にはチェスから渡された鍵。 目的も何も見失ったクロノは、言われるがまま鍵を力なく黒箱の 鍵穴へと差し込む。 一回鍵を回すと、カチャリと開いた音がした。 扉が開く。瞬間︱︱異臭が襲う。 その先を見てクロノは眼を覆った。 薄暗い部屋の中にいたのは、クロノどころか、ドラくらいの年齢 640 の少年少女たち。 全員服を着ていない。 換気が十分にされていないのか、蒸し暑く異臭が立ち込めている。 一瞬見ただけで、クロノは吐き気を催した。 ﹁う⋮う⋮おぇ⋮ッ﹂ 何をされていたのか、容易に想像が出来た。 全員が全員虚ろな眼をして、扉が開けられたことに気づいていな い。 見覚えがある。 この何もかもを諦めたような眼に。 そうだ。これは、奴隷商人に捕まった少年少女たちと同じ。 きっと、こうなったらもう元には戻れない。 だからあの時も、眼が死んでいない二人を選んだ。 ここに至っ て、クロノは思う。 自分はあの時、こんな子供たちを見捨てたんだと。 自分だけがのうのうと、あれから生き残った。 以前にも何度か、残された子供たちのことを考えることはあった けれど、その度に想像することを放棄した。 眼を背けてはいけない。そう、思いながら、それでも、眼を背け 続けた。 後悔は積もり、山となって大きくなっていく。 ここで、クロノが自分に言い訳できれば、まだよかった。 だが、クロノの心はそれを許さない。 弱さを言い訳に出来ない。 今思えば、逃げ出すときも、無属性の兆候はあった。 そこで戦えば、あるいは、違ったかもしれない。 そうでなくとも、朱美に奴隷商人のことを言えば何とかなったか 641 もしれない。 しかし、クロノが言ったのは、逃げてきたというだけ。 他の子供のことなど、喋りはしなかった。 もう、思い出したくなかったから。 自分勝手に子供たちを見捨てた。 扉が開いたことにようやく気づいた一人の少女が、クロノの姿を 見て擦り寄ってきた。 誰かと勘違いしているのか、クロノの足元を舐め始める。 言葉すらも喋れない様子だった。 次いで、他の子供たちも擦り寄ってくる。 クロノは止めろ! と言おうとしたけれど、声にならない。 ただ、空しくその光景を見つめるだけだった。 村長の家 部屋の中は緊張した空気が張り詰めていた。 青筋を立てる村長と、おどけた調子のチェス。 ﹁⋮私を脅しているつもりか?﹂ ﹁脅す? 人聞きが悪いなあ⋮ただ、契約条件を見直さないか、と いう話さ﹂ チェスは手を組み、ゆっくりと椅子に腰を降ろした。 ﹁見直す?﹂ ﹁今回の事は特に、な。お前は役目を果たせなかっただろ?﹂ 642 ﹁なっ⋮! ちゃんと⋮﹂ 言いかける村長にチェスは言葉を被せる。 ﹁ちゃんと、引き止めた⋮か? 本来のお前の仕事はそれ以前のは ずだけど? アジトについて偽の場所を教えて、そこに誘い込ませ るのと、戦闘方法を聞きだすのが仕事だったはずだ。お前がやって くれないから、部下一人死んじゃったしー。あー、一人無駄にした﹂ ︵やっべ、アイツの名前思い出せねえ⋮ま、いっか︶ 実際は見回りに行っていた弓使いが、クロノを殺せると思って勝 手に自爆しただけなのだが。 チェスはその事を口にはしない。 ﹁それは⋮相手が聞きに来なかったんだ。普通は村長である私の元 に来るのが筋であろうに⋮﹂ チェスは、ブツブツと言い訳を連ねる村長をバッサリと斬り捨て る。 ﹁受身じゃ駄目だっつうの。自分から行けよ、半年前みたいにさ﹂ 半年前 月明かりが仄かに顔を見せる夜。 チェスを含めた盗賊たちは、いつもどおり強盗に入っていた。 まず最初は、気づかれないように、その村で一番重要な拠点を潰 643 す。 その時選んだのは、村長の家だった。 他の家よりも一際大きく、人目を引く家。 村の有力者である村長を殺せば、本格的に襲ったときの村人の士 気も下がる。 士気というのはなかなか重要で、それ次第で戦況は大きく変わる ものだとチェスは考えている。 万が一にも負ける可能性は低くしておくべきだ。 チェスが家へと押し入ると、中は不気味なほど静かで、暗澹とし た空気だけが立ち込めていた。 内部構造を把握しないまま、勘だけで部屋を開けていくが、不思 議と誰の姿も見当たらない。 全ての部屋を物色してみたが、どこにも人影は存在しなかった。 ︱︱︱突入がバレた⋮? んな、わきゃあない⋮ 諦めて本格的に村の制圧に取り掛かろうか、という時、一つの小 屋が眼についた。 庭先にポツンと置かれた物置のような小屋。 気になって、中へ入ると、視界を邪魔する大量の藁。 ﹁うっとうしい﹂ 魔法で土を手のように扱い全て避ける。 ﹁⋮?﹂ 生成途中に僅かな違和感を感じた。 普通の平べったい土ではない。 644 ﹁なんだこりゃ⋮?﹂ 気になって藁を避けた場所を見ると、不自然な穴が開いていた。 人一人通れるくらいの小さな穴。というより、一人だけが通るよ うに掘られたようだった。 上も下も横も、四方全てが土で覆われた通路。 薄暗い通路を進み、見えてきたわずかな明かり。部屋らしきもの があるようだ。 壁に身体をグッと寄せ、ひっそりと部屋を覗く。 中にいたのは老人。 確か、アレが村長だったはずだ。 しかし、チェスの目線は村長には向かず、その奥にいる裸の少年 少女たちの元へ。 皆一様に死人のように、だらしない顔をしている。 チェスはすぐに思い当たる。ここで何が行なわれているのかを。 村長の歪んだ性癖を。 村長の家 ﹁そう、その後だよなー。俺を見つけて、盗賊だと知って、話を持 ちかけてきたのは﹂ 舌を出し、馬鹿にするようにチェスは続ける。 ﹁なんだっけ? ﹁私はロリコンでショタコンの救いようが無い村 長です﹂だっけ?﹂ 激昂する村長。 645 ﹁そんな事は言っとらん!﹂ 笑いながら、チェスは諌める。 ﹁怒んなって﹂ 半年前 ﹁安定した生活を提供してやろう﹂ 村長は盗賊たちにそんな事を言った。 盗賊だと分かった上で。 ﹁いつもでも根無し草の生活というのは、些か不安だろう?﹂ ﹁はっ、村民として永住しろとでも?﹂ 村長は手をヒラヒラと振って否定する。 ﹁いやいや、そういうわけじゃあない。君たちには、定期的に村民 を襲ってほしいんだよ﹂ ﹁⋮話が見えねえな﹂ ﹁君たちは、村を壊滅させない程度に襲い、金や食糧を奪えばいい。 そうすれば、人手は尽きない。人手が尽きなければまた、金も、食 糧も、人が生み出してくれるだろう? また、ある程度溜まったと ころで奪えばいい。一々村を滅ぼすよりも、ずっと一つの村に寄生 646 した方が効率的だ﹂ 悪魔のような提案。盗賊に囲まれた老人の言葉とは思えない。 ﹁⋮言いたいことはわかる。でも、それがお前を生かす理由にはな らないな﹂ ﹁私は村長だ。私の言葉一つで村民は動くし、村の情報はいやでも 入ってくる。村の情報を君たちに流すことも可能だ。奇襲作戦など が村で行なわれるときには、教えてやろう﹂ ﹁⋮お前にメリットがないな⋮何を企んでる⋮? 仮にもお前はこ の村の村長だろ?﹂ 村長は両手を広げ、視線をずっと遠くへ向けて言った。 ﹁私はな、こんな村の村長で終わる気はないんだよ。もっと、遠く の高みを目指すんだ。その為に必要なのが金。報酬は金、一部でい い。それに、君たちが暴れてくれた方があちらも都合がいい﹂ あちらというのは、地下のアレだろう。 チェスたちがいるとなれば、誘拐も盗賊のせいに出来る。 ︵変態め⋮︶ 村長に嫌悪感を抱きつつ、チェスは思案する。 提案に乗ってもいい。 安定した生活などに興味はないが、近頃のマンネリ化した破壊行 為にも飽き飽きしていたところだ。 ここらで一度、新しい風を吹き込ませるのも悪くない。 647 問題は、この男の言葉が信用出来るのか、ということ。 生きたいが為に嘘をついている可能性は拭えない。考えても、嘘 をついているかなど現段階で分かるわけもないが。 考えるべきは、これが嘘だったとして、奇襲をかけられ自分は死 ぬか? ということ。 所詮使い捨ての部下の心配など、微塵もしていない。 ︱︱︱死ぬかよばーか 答えは簡単だった。 ある程度の相手なら、チェスは死なない自信がある。 自惚れでも何でもなく、確固たる自信。 心は決まった。 ﹁⋮いいだろう。俺たちとしても、あんまりリスクの多い旅はした くないんだ。ただ、万が一にもお前が裏切る可能性もある。見張り として、お前の近辺に俺の部下を置かせてもらう。それが嫌ならご 破算だ﹂ ﹁それくらいなら構わん。小間使い、とでも村人には言っておこう﹂ 村長の頷きにチェスはあっさりとした返答を返した。 ﹁そうかい。なら、交渉成立だ。それと、あくまで交渉の主導権は こちらにあるってことを忘れんなよ﹂ 村を売った村長と、村を襲う盗賊が手を組んだ。 これから半年、小さなこの村は恐怖に怯えることとなる。 誰が引き金となったのか、村人は知らないまま。 648 村長の家 半年前を思い出し、チェスはケラケラと笑う。 ﹁ほーんと、自分から村を売りにきたんだからひっでぇ村長だこと﹂ 一通り村長をおちょくって満足したチェスは、部屋に並べられた 丁度品を見渡す。 ここに来るのは半年振りだが、あの時より格段に高級感が増して いる。 だらしなく椅子の背もたれに手をかけているチェスに、村長は会 話の軌道修正を図ろうと尋ねた。 ﹁条件の見直しとはなんだ?﹂ 何かを思いだしたようにこめかみを掌で打つチェス。 ﹁そうそう、それだけどな。見た感じ、金は大分集まっただろ? 物が無駄に高いのになってるし。だから、こっちから渡す金額の引 き下げかな﹂ ﹁⋮⋮!﹂ ﹁今の2割から1割に減額ってことで。嫌なら、ここで村潰すよ?﹂ それは交渉というよりも脅迫。 村長からすればこれくらいは、想定していたつもりだったが、い ざ言われてみるとなかなかに厳しい。 649 微々たる抵抗を試みてみるが、効果はないだろう。 盗賊たちはそもそも、割という単語の意味自体知らない者が多い ので、頭に疑問符を浮かべている。 ﹁せめて1.5割にして欲しいものだがな﹂ 無駄だとは分かっているが、もしかしたら、ということもある。 村長はこれ以上の交渉はしない。 下手に食い下がって機嫌でも損ねたら一大事だ。 一方のチェスはというと、椅子に凭れかかり、視線を天井へと仰 ぎ思考を逡巡させる。 ︵会話ダるい。もう十分おちょくったからいいや。これ以上はめん どくさ︶ すっと、だらしない体勢から立ち上がり、どうでもよさそうに言 った。 ﹁細かい金額設定はまた後ってことで。俺たちは一旦戻ろうか﹂ あっさりとしすぎた返答に村長は拍子抜けした。 問題が先送りになっただけだが、まだ交渉の余地はあるかもしれ ない。 踵を返し、去ろうとする盗賊たち。 盗賊の大半が出て行ったところで、最後尾のチェスが振り返った。 ﹁じゃーな変態﹂ 後ろ手に手を振りながら出て行く。 650 失礼極まりない言葉に村長は立ち上がろうとするが︱︱ ﹁え⋮?﹂ 村長が驚きの声を上げると共に、後ろ姿のチェスから声が聞こえ た。 重く低い、おおよそ少年とは思えない声が。 ﹁この世から消えろ﹂ 聞きなれない音が村長の耳に響いた。 音がしたのが、どこだかは分かっている。 だが、見てはいけない。見たと途端に自分の現状を把握してしま うから。 身体から力が抜けていく。 眠い。熱い。痛い。 視界が霞む。 もう、音すらも聞こえなくなりそうな耳にチェスの声が響く。 その声質から笑っていることが、思考を止めかけた脳でも分かっ た。 ﹁わっるいなー。残念ながら、クロノは殺せなかったのよ。アイツ 強過ぎ。となるとだ、俺たちはもうここにはいられない。お前を殺 すのは証拠隠滅⋮⋮アレ? 聞こえてる? おーい﹂ 村長の耳は既に、機能を停止していた。 最後に拾ったのは﹁殺す﹂という単語。 その言葉で完全に自覚してしまった。 胸の痛みの理由を。 自らの死を。 651 石柱が背後から椅子を貫通し、心臓を突き抜けていた。 血の気が引いていく。 指が動かない。足も、頭さえも、動くことを否定する。 視界が暗くなっていく。 終いには、椅子から崩れ落ち、床に倒れるようにして、息を引き 取った。 チェスは村長の亡骸を蹴っ飛ばし、部屋の中を見渡した。 ﹁さてと、邪魔者もいなくなったし、仕事でもすっか﹂ 数時間後 時刻は深夜を迎え、日付が変わりかけた頃。 月の明かりだけが照らす荒野を、盗賊たちはぞろぞろと歩いてい た。 村からはまだ、そう遠くはない。 というのも、つい先刻まで村長の家を物色していたからだ。 お蔭で、大幅に出発が遅れることとなったが、収入は大きい。 金の入った袋を揺らしながらチェスが歩いていると、背後の部下 から尋ねられた。 ﹁どうして、あのクロノとかいう奴殺さなかったんですか?﹂ ﹁気が向かなかった。それに、俺も大して魔力残ってなかったし。 万が一戦闘になったら俺が不利だ﹂ 相手の顔も見ずに返答すると、どうでもいいこと聞くなといわん ばかりに部下を手で払った。 652 その時、部下の顔を見るべきだったかもしれない。 だが、どうでもよかったチェスは見逃した。部下の笑みを。歪ん だ狂相を。 ﹁そうですか⋮なるほど、じゃあ︱︱死んでください﹂ 村長とは違い、チェスにとっては耳に聞きなれた音が、自分の身 体から聞こえた。 チェスは眼を見開いて、即座に後ろを振り返る。 そこにいたのは、シンプルなナイフを持った部下の姿。 刃先は下腹部へと突き刺さり、じんわりと服に赤い染みを作って いた。 他の部下も、視線はチェスへと向かっているが、誰一人凶行を止 めようとする者はいない。 部下という言い方も、この状況では語弊がありそうだ。 ナイフを持った男は、ずっと深くへナイフを押し込む。 ﹁どういうつもりだお前ら⋮?﹂ ﹁見ての通りですよ。お前には死んでもらう﹂ チェスが部下だった男たちを見渡すと、全員一致のことらしい。 ﹁前から議論はしてたんだ。お前みたいなガキが、首領でいいのか ってね。途中何人も仲間が処分された﹂ チェスもそれは知っていた。 だからこそ、子供だからと、舐められないように厳罰を課した。 ﹁それでも、俺たちはお前が強いから、我慢してついて行った。そ 653 れが、今回お前は負けた。この意味が分かるか?﹂ ﹁さあ? 僕は子供だからわからなーい﹂ ふざけて返すチェスの身体に、すっぽりとナイフが完全に入った。 ﹁お前の強さが崩れたんだよ! 強くないお前になんてついていく 意味はない!﹂ 男はもう一本のナイフを今度は肩に突き刺した。 チェスは一瞬痛みに顔を歪め、俯く。 ﹁お前が岩山で負けたときに、俺たちは全員お前を見限った﹂ 俯いたチェスの髪を引っ張り上げ、男は無理矢理顔を上げさせた。 絶望の表情を皆に晒すために。 しかし、男の思い通りになることはない。 顔を上げられたチェスは︱︱︱︱笑っていた。 ﹁はっ、は、ははは⋮﹂ 見覚えのある嘲笑。 この状況でなお、チェスは笑う。 ﹁気でも狂ったか﹂ ﹁いやいや、可笑しすぎてな。ついつい笑っちまった﹂ 愉快そうにチェスは笑い続ける。 654 ﹁それと、やっぱりお前らは馬鹿だなーってさ﹂ ﹁お前はもうほぼ魔法が使えない。不用意な発言は寿命を縮めるだ けだぞ?﹂ やれやれとチェスは呆れながら首を振った。 ﹁俺がお前らに、ホントの事なんか話すわけねーだろバーカ。お前 らは勘違いしてるなぁ。俺が誰かに負けたからって、お前らが強く なったわけじゃねぇんだ。俺とお前らの絶対的力の差は埋まらねぇ。 それと、殺すなら一撃で殺れよ。一刺しで殺せ。じゃないと、思わ ぬ反撃を喰らうぞ?﹂ ﹁⋮⋮ッ!﹂ 男が気づいた時には、チェスの準備は終わっていた。 ﹁まあ、馬鹿でも分かるように噛み砕いてわかりやーすく言うとだ ︱︱︱﹂ チェスは溜めに溜めた魔力を土に流し込む。 ﹁粋がってんじゃねぇぞゴミ共!﹂ 次の瞬間、大地が、揺れた。 655 ﹁ごめんね。止めなくて﹂ 最後にアイツはそう言った。 よく聞こえなかったけれど、口の動きだけで、分かってしまった。 そして、その言葉の意味も。 ああ、アイツは気づいてたんだ。 きっと、ずーっと前から俺がスパイだってことに。 俺は気づいたんだ。 知ってて、あえて見逃してくれてたってことに。 村の人間に言えば、間違いなく俺はリンチに遭って死んだだろう。 半年前、俺はスパイになった。 盗賊にアイツには手を出すなって言って、それと引き換えに。 アイツを守りたかった? いや、違うな。 きっと自分に酔ってたんだろ? 守るってことに酔ってたんだろ? なあ、俺? バッカみてえ。 本当に守られてたのは俺だったのによ。 親父も死んだ。母親も死んだ。アイツも死んだ。 結局俺は誰を守りたかったんだろうな? 俺か? わかんねえ。 ただ、一つ言えるのは、全部奪ってった奴がいるってこと。 なら、許すわけにいかないじゃないか。 ああ、人生間違えた。 勇気を出すタイミングってやつはもっと前にあったんだ。 俺は許さない。俺と、お前を。 許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。 許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。許さない。 656 許さない。許さ︱︱︱︱︱ 数十分後 ︵いってぇ⋮ざっくりイってやがる⋮︶ 盗賊たちを処分したチェスは自分の下腹部を見つめながら、痛み に顔を歪めた。 応急処置はしたものの、所詮素人なので適切とはいえない。 歩くたびに焼けるような痛みが、身体を突き抜ける。 ︵次の街はこのペースだと朝方か⋮厳しいな⋮クソがッ!︶ 苛立って地面を蹴り飛ばすと、痛みが増した。 無駄に身体を動かすことは控えた方がいいらしい。 ︵ちょっと休むか⋮︶ 岩に腰を下ろし休憩をとる。 痛みは最初よりは大分マシになっていた。 ︵商隊でも通れば潜り込めるんだがな⋮︶ そんな事を考えながら、ボーっと荒野を眺めていた。 だからこそだろうか、人の気配に気づかなかったのは。あるいは、 痛みによる疲労からか。 後ろから迫るその人影に気づいたのは、それから少しして、痛み が胸を襲ったときだった。 657 ﹁あ゛?﹂ 刃先が胸から、飛び出している。 それが意味するのは、ただ一つ。 死︱︱︱という一つの終わりだけ。 チェスは振り返る。 自分がもう助からないことは何となく分かっている。 ただ、自分を殺すのが誰なのかを見たくて。 振り返った先でチェスは呟いた。 ﹁やるじゃん⋮﹂ 振り返った先にいたのは、トーリだった。 刃物を握り、息を乱し、興奮した様子だ。 手は赤く染まり、震えている。 正気を失ったトーリは、拳を高く突き上げ、叫んだ。 ﹁ハァ⋮ハァ⋮やった⋮やったぞ⋮!﹂ チェスはその姿を見て憐れんだ。 最初からその勇気を出していれば、結果は違っただろうにと。 ︱︱︱俺も人の事言えねぇわ 賛辞の言葉と共に、ほとんど感覚を失った手で、賞賛の拍手を送 った。 ﹁おめでとう︱︱︱﹂ 658 遠のく意識の中、チェスは最後の言葉を呟いた。 ﹁お前も死ねよ﹂ 言うと同時にチェスの眼は光を失い、代わりに石柱がトーリを貫 いた。 寸分の狂いも無く、心臓を貫いた石柱はトーリの血を一気に噴出 させる。 興奮したトーリが自分の死に気づいたのは、死んだ後だった。 二人が死んだ後で、誰もいないはずの荒野に呑気な声が響いた。 ﹁同士討ちは読めなかったわねえ﹂ まるで、予想外の結末を迎えた映画を見た観客のような、感嘆の 声。 相変わらず荒野に人の姿は見えない。 また、別の声が上がる。 ﹁そろそろこれを解かんか。もう必要ないじゃろ﹂ ﹁ああ、忘れてた﹂ そう言うと、何かが割れたような音がし、突如として荒野に二つ の人影が出現する。 ﹁不思議なものじゃな﹂ 659 ﹁んー? 知りたい? でも教えてあーげない﹂ 聞かれてもいない事を否定する。 ドラは、自分の主のテンションに溜め息を吐いた。 ﹁聞いとらんわ。それより、これはどうするつもりじゃ?﹂ 二人の死体を指差す。 つい先刻まで生きていた死体。 まだ血が流れており、生々しさが残っている。 ﹁どうもしないけど? 一応クロノは依頼で受けてるから、死なな かったら私が殺すつもりだったけど、死んじゃったならこのまま放 置ね。食べるならどうぞ﹂ ﹁人間など食わんわ﹂ 不快さそうに、短い言葉で告げると、そっぽを向いた。 朱美は困った様子で口に手を当て、呟いた。 ﹁問題はクロノね。あの子の死で人を殺せるようにならないかなー、 って思ったけど⋮逆効果だったかしら?﹂ 怪訝そうな表情でドラは朱美を見つめる。 ﹁⋮主はここまで読んでおったのか? あの時から︱︱﹂ 昼間 荒野 660 部屋を飛び出したドラの前に現れたのは、朱美だった。 突然の遭遇にドラの額には汗が滲んでいた。 ﹁⋮先刻のはやはり主か⋮﹂ ついさっき荒野にて、姿を消した不明の敵。 間違いなく、確信を持って言ったドラの言葉を朱美はあっさりと 肯定する。 ﹁あっれ? 分かったかしら? バレないと思ってたのに⋮﹂ ﹁儂とあそこまで渡り合える奴など、そうそうおらんわ。それこそ、 主とクロノくらいじゃ﹂ 朱美は不敵に笑う。 ﹁どうかしらねえ? 案外いるものよ? 人間にも。私が知ってい るのでも二人いるわ。あっ、一人死んでた⋮今だとクラウンしかい ない⋮﹂ 自分で言っておきながら、勝手に沈んでみせる朱美。 正式な主とはいえ、クロノと違ってよく知らないドラはイマイチ このペースについていけない。 とりあえず、ずれた話題を強引に修正にかかる。 ﹁して、何用じゃ?﹂ ﹁そうだった、そうだった。いや、ドラちゃんが迷ってるみたいだ ったから、主として命令をね﹂ 661 ﹁命令⋮?﹂ 聞きなれない単語を思わず聞き返す。 思えば、クロノからはいつもお願いであって、強制力のあるもの ではなかった。 朱美は途端に真面目な表情になり、命令を告げた。 ﹁続けさせなさい。クロノに教えないで、このまま﹂ ドラも真剣な表情になり、分かりきっていながら言葉の意を尋ね た。 ﹁それは⋮このまま、アヤツらを黙って見過ごせ⋮と、そういうこ とか?﹂ ﹁そうよ。このまま⋮ね﹂ 嫌︱︱とは言えない。 主の命令だ。 それもクロノではなく、本来の主。 正直にいうと、少しドラの心は揺らいだ。 クロノに言ってしまおうかと。 だが、頭からその言葉をかき消した。 主の命令だと、自分に言い聞かせて。 現在 ﹁いや、私は単純にクロノが人を殺せるようにならないかなーって ね。あの子が死ぬまでは予想してなかったわ﹂ 662 そう言う、朱美の表情はどこまでも平坦で、人の死を語っている ようには見えなかった。 ﹁儂とは微妙に違うようじゃの⋮儂は危機に対する本能の目覚めを 期待しておったんじゃが⋮殺せない、というのは、奴の甘さが原因 じゃないのか?﹂ より一層、感情が読めない表情で朱美は言った。 ﹁それもある。けど、本来人間っていうの同族を殺すことに、本能 が忌避感を感じるものなのよ。頭の中で、﹁殺す﹂っていうことに ラインが引いてあるの。踏み越えてはいけないラインとしてね。そ こを踏み越えるにはキッカケが必要﹂ ﹁キッカケ⋮?﹂ ﹁たとえ、普段人を殺せないような人でも、戦場の兵士になったら 殺せるようになる。皆やってるからいいんだって集団心理と、やら なきゃ自分が死ぬっていう恐怖感。それと、上官から命令されたん だからしょうがない、という責任転嫁。全部言い訳。大義名分。自 分で分かってても、やっちゃうの。言い訳さえあれば、人はなんだ って出来る﹂ ﹁⋮⋮﹂ ドラにも思い当たる節はある。 自分は人間ではないけれど、ついさっきのも自分に対する言い訳 だったのだろう。 663 ﹁そうやって、一度ラインを踏み越えてしまえば、それ以降忌避感 は薄れていく。やったんだから、もう一回くらい、ってね。踏み越 え方は戦場以外にも、色々あるわ。怒りだったり、憎しみだったり。 さっきの少年は、そういった類ね。大切な人を失って理性を飛ばし た﹂ ずっと遠くを見据え、朱美は続ける。 ﹁いっちゃ悪いけど、クロノがあそこで理性を保ったのは、あの女 の子がクロノにとって、そこまで大切な人間ではなかったってこと。 まあ、過ごした期間が短いし、私やドラちゃんだったら或いは⋮だ ったかもね﹂ ﹁或いは⋮か⋮﹂ 呟くドラを見て、朱美は表情を笑顔へと変貌させ、肩を叩いた。 ﹁まっ、ドラちゃんはこの2年よくやってくれたわよ。お疲れ様。 一旦戻りましょうか﹂ ﹁お主はどうする? そのままクロノに姿を晒すのか?﹂ ﹁んー、村でのことが終わってからにするわ。色々やることもある し⋮﹂ ﹁そうか⋮﹂ ドラの言葉を聞いてすぐに、朱美はまた姿を消した。 一人取り残されたドラは、月を仰ぐ。 ずっと、昔から変わらない月。 664 ﹁⋮あの時のは、やはり⋮﹂ 翌朝 荒野は今日も快晴。照りつける日差しのせいで、空気が揺らめい て見える。 そんな荒野で一人の男は恨みがましく、それでいて言っても意味 のない言葉を叫んだ。 ﹁暑いわー! クソがァァ!﹂ 隣を歩く女性は、暢気としか言いようがない口調で、文句の言葉 を口にする。 ﹁やっぱり∼∼∼∼、馬車買お∼∼∼∼﹂ ﹁んな、金はない﹂ 非情な現実に男は溜め息を吐いた。 そんな調子で、ダラダラと文句を言い合いながら、二人は砂漠並 みに暑い荒野を進む。 暫くして、女性がへたりと座り込んだ。 ﹁も∼∼∼無理∼∼∼∼﹂ ﹁もやしっ子め⋮休憩にすっか﹂ 665 男が近場の座れる石に腰を下ろすと、石も熱く、座る気が失せた。 女の方は、気にせず座って水を飲んでいる。 幸い男はあまり疲れてはいなかったので、辺りを探索することに した。 ﹁ちょっと、散歩してくるわ﹂ ﹁迷子∼∼∼になったら駄目だからね∼∼∼∼∼?﹂ ﹁お前と一緒にすんな!﹂ 女と別れて数分、見渡す限り荒れた野が広がっている。目ぼしい ものがありそうには見えない。 日陰でもあればよいのだが、まったく見つかりそうになかった。 代わりに見つけたのは余計、としか言いようがないもの。 ﹁おっ⋮⋮ん、だよ死人か⋮﹂ 寝ているのかと思い、身体を起こしてみると、それは胸に刃物が 突き刺さった少年だった。 死後どれくらい経ったのか分からないが、血は赤黒く変色し、固 まっている。 近くには、不自然に飛び出した石柱に貫かれている青年? の死 体も放置されていた。 ﹁ひっでぇことすんな⋮﹂ 少年の胸に突き刺さった刃物を引き抜き、荒野に投げ捨てる。 そして、魔力で人が一人入るくらいの穴を掘り、そこに少年を仰 向けに置いた。 666 ﹁悪いけど、俺じゃ墓は作れねえんだ。これで勘弁してくれ﹂ 続いて青年も引き抜いて、穴を掘って同じように仰向けに置いた。 そこで、男は顔を顰めながら、気まずそうに呟く。 ﹁やべっ、魔力尽きた⋮﹂ 二人の身体に手で砂をかけ、完全に埋めた男は両手を合わせ、数 秒の黙祷を捧げた後、すっと立ち上がりその場を後にした。 ﹁じゃあな、次はまともな人生送れよ﹂ そんな言葉を残して。 男が戻ると、頬を膨らませ一目で拗ねているとわかる表情で、女 は男を見つめていた。 ﹁おそ∼∼∼∼い∼∼∼!﹂ ﹁悪ぃ、悪ぃ﹂ ﹁も∼∼、迷子になったかと思ったよ∼∼∼﹂ 咎める女の視線を受け流し、男は誤魔化すように言った。 ﹁はいはい、悪かった悪かった。とりあえず行くぞ。もたもたして ると追いつかれる﹂ 667 ﹁む∼∼∼∼⋮これからど∼∼∼するの∼∼?﹂ ﹁暫くは潜伏か⋮? 1年くらい行方を晦ませば諦めんだろ。お前 にはつまらんだろうが﹂ ﹁いいよ∼∼∼∼私は、アレクがいればど∼∼∼でもい∼∼∼もん﹂ ﹁んじゃ、行くとしますか﹂ 668 第六十六話︵前書き︶ 最後は適当 書き込むのめんどくさくてシンプルに行った クロノ君は変人にしか愛されないからしょうがない 669 第六十六話 ︵駄目じゃな⋮これは⋮︶ ドラは頭を悩ませていた。 原因は前を歩く、黒衣に身を包んだ主。 背後から見ていると、フラフラと千鳥足で歩き、危なっかしいこ とこの上ない。 酔っ払っているわけではないのだが、どうにも安定感がない。 前に回って顔を見ると、これまた不安になるような顔つきをして いる。 まず、眼の焦点が合っていない。無気力な眼つき。 下には黒ずんだ隈がくっきりと浮かんでおり、いつもの精悍な顔 つきは何処へと消えていた。 一見ただの寝不足のように思えるが、ドラの記憶では今までこん なことはなかったはずだ。 普段のクロノの性格とは似合わない黒も、今の雰囲気と合わせれ ば、むしろピッタリと言える。 見る人が見れば、病人と見紛うかもしれない。 ある意味でそれは正しいかもしれないが。 原因は分かっている。 どうみても、あの村での事件だ。 あの日、地下から戻ってきたクロノは、メアリーの死体を抱えな がら宿屋へと戻ってきた。 そして帰ってくると同時に、店主へと謝った。 何度も、何度も。 自分のせいだと言って。 母である店主が何を思ったのか、ドラには分からない。 一度ポカンと口を開けた後、一言﹁出て行って﹂と言った。 670 それが三日前の話。 現在はどこに向かっているのかも分からないまま、ふらつくクロ ノの後を追っているに過ぎない。 ここ、数日交わした会話といえば、﹁⋮うん⋮﹂﹁⋮そう⋮﹂だ けだ。 本来の主である朱美に至っては、荒野で別れてから一向に姿を現 さない。 詳しいことは何も言わずに消えてしまった。 ドラからすればどうにかクロノを普段に戻したいところだが、手 立てが見つからない。 結果、ただ付いていくことしか出来ないのが現状だった。 ドラは己の無力さに歯噛みしつつ、クロノの後を付いていく。 今二人がいるのは、頂上の見えない山のふもと。 荒野を一日で抜け、だだっ広い草原の先にある山だ クロノの後を付いては来たものの、行き先に意図というものがサ ッパリ見受けられない。 おそらく本人は何も考えてはいないのだろう。 茫然自失のまま、ふらふらとゾンビのように彷徨っているに過ぎ ないのだ。 ドラは天を仰ぐ。 陽がすっぽりと隠れた曇り空。 今にも泣き出してしまいそうだ。 ︵どこか、雨よけ出来る野宿場所を探さねばな⋮︶ 視線をクロノへと戻すと、視界が赤で覆われていた。 赤と言っても、一面真っ赤というわけではなく、見慣れない紋様 らしきものが、赤を基調として色彩豊かに布に刻まれている。 671 ドラは一瞬身構えるが、その声を聞いてすぐに構えを解いた。 ﹁⋮?⋮﹂ クロノは意味が分からなかった。 突如暗くなった視界。 夜にはまだ早い。 顔の神経から伝わる感覚によって、それが人の手だと知った。 大きさからしてドラのものではない。 手の主はというと、両手でクロノの眼を覆ったまま手触りを確か めるように顔を弄る。 そして、からかうような声を発した。 ﹁だーれだ?﹂ 二週間後 ﹁これはひどい⋮﹂ 朱美は頭を悩ませていた。 つい先日のドラとまったく同じように。 一向にクロノの症状は改善しない。 ﹁登場は完璧だったはず⋮!﹂ ﹁いや、全然完璧じゃなかったぞ﹂ 672 厳しいドラのツッコミに、朱美まで凹んでしまいそうになる。 ﹁おかしい⋮予定では再会した時、感極まったクロノに抱きついて もらう予定だったのに⋮﹂ ﹁前提から盛大に間違っておるな﹂ ﹁視線が痛い! そんな眼で私をみないで!﹂ おおげさに顔を隠しながら、嘘泣きをする朱美。 こんなやつに負けたのかと思うと、自分に腹が立ってきそうだ。 ドラはそんな気持ちを紛らわすために、真剣な表情をして朱美に 尋ねた。 ﹁⋮あの三日何をしておった?﹂ すると、朱美は不敵に笑い、曖昧な返答を返した。 ﹁色々よ。色々︱︱︱﹂ ︵実際は二日で来れたけど⋮︶ 二週間と三日前 地下 クロノが去った後の地下を朱美を見渡して、呆れとも侮蔑ともと ブラックボックス れる視線を、手に持った村長の死体に送った。 黒箱は開けっ放しで放置され、中では人間の言葉を発していない 673 子供たちが呻いている。 ﹁よくやるわね。このジジィも⋮⋮いっそ、去勢でもしてやった方 がよかったんじゃないかしら?﹂ クロノにこの子供たちをどうにかしろというのも、酷なことだ。 めんどくさそうに、村長の死体を地面に叩きつける。 ﹁あんまり、この世界に干渉はしたくないけど⋮しょうがないっか ⋮あの子を殺してしまったお詫びってことで﹂ 自分に言い聞かせるように言うと、手を地面に当てた。 同時に朱美の頭は高速回転を始める。 イメージするは、複雑怪奇な術式。 地面に全属性魔力を走らせる。 幾重にも術式を重ね、地下を覆うものから、村を覆うものまで、 大小さまざまな術式を刻んだ。 10秒足らずで術式を刻み終えた朱美は、再び全属性魔力を流し 込む。 こんどは刻んだ線に水を流すようなイメージ。 魔力で満たされた術式は起動を始める。 ﹁これで一つ完了∼﹂ 薄暗い地下を、一瞬青白い光が支配する。 光が消えると、また薄暗い地下へと逆戻りした。 傍目には何が変わったのか理解出来そうにない。 少年少女へと眼を向けると、皆意識を失っていた。 成功に満足した朱美は、村長の死体を一度見た後、もう一度作業 に取り掛かった。 674 ﹁⋮すり替えるとしましょうか⋮﹂ 翌日 その日は彼にとって、代わり映えのしない朝のはずだった。 妻を早くに亡くし、ひっそりと一人で暮らす中年男性。 目的もなく。惰性で生きている。 やることといえば朝、妻の墓標へ向かって黙祷を捧げることくら いだ。 今日も今日とて、何となく朝飯を作ろうと、台所へと向かおうと したとき︱︱ ﹁おい! 村長!﹂ ドアを乱暴に開け、入ってきた顔見知りの男。 見慣れた男が、聞きなれない言葉を持って、いきなり家に上がり こんできた。 何事かと聞いてみると、空家の地下から記憶を失った少年少女た ちが見つかったという。 それで、村長である自分に意見を求めてきたらしい。 ︱︱︱村長は⋮ああ、俺か⋮ 言われるがまま、村長は家を飛び出していく。 その時には、疑問も違和感も完全に消え去っていた。 675 ︵とりあえず成功っと︶ 不可視の結界の中で、村長となった男を見ていた朱美は、安堵と もに嘆息を漏らした。 朱美が行なったのは、少年少女の記憶消去と、村人全員の認識の すり替えだ。 どちらも初めてやる術式だったが、上手く成功してくれたらしい。 成功を確認した朱美は、また別の場所へと転移した。 名も無き村の墓地は、普段どおり過ぎるほどに閑散としていた。 墓標が並んではいるが、殺風景で雑に造られ、人もいない。 その中で朱美は、今朝方新たに出現した一つの墓標の前にいた。 名前も刻まれてはいない墓標。 そこに術式を刻み、起動させる。 何もない墓標が閃光に包まれたかと思うと、一人の少女が舞い降 りた。 ﹁アレ? どうしてここに⋮?﹂ 状況を飲み込めないメアリーは、自分の身体を見渡した。 確かに自分は死んだはずだ。 なのに、なぜか自分は生きている。死んだときのあの服装のまま。 周囲を見ると、ここが墓地であるらしいということは分かった。 676 ﹁はろー﹂ いきなり掛けられた声に身を震わす。 発したのは目の前にいる女性。 姿に見覚えも、声に聞き覚えもない。 ﹁貴女は誰⋮ですか⋮?﹂ 女性は困ったような表情を見せる。 ﹁誰⋮⋮うーん、名前言っても分かんないでしょう? せっかくだ から当ててみよう! レッツシンキングタ∼イム。いーち、にー﹂ 意味不明なことをハイテンションで言い切り、勝手に時間まで計 っている。 何とか答えを出そうと、メアリーは目の前の女性をじっくりと眺 めた。 顔立ちは、あまりここら辺ではみないようなもの。 何かこの国の人間ではない気がする。 髪に眼をやると、こちらも珍しい長髪黒髪。 混じりっ気のない綺麗な黒髪だ。 ︵黒髪⋮?︶ 黒髪といえば知っている人間は一人しかいない。 会話を思い出す。 そういえば、あの人には母がいると言っていたか。 メアリーは浮かんだ言葉をおそるおそる口に出した。 ﹁クロノさんの⋮お母さん⋮?﹂ 677 ﹁ピンポーン。金のふとし君でもあげようかしら?﹂ 相変わらず意味不明な言葉を連ねる女性。 メアリーはまじまじと見つめながら、驚愕していた。 ︵若い⋮︶ クロノの年齢を考えると、目の前の女性は若すぎた。 どうみても20代か、10代後半にしか見えない。 クロノと同い年といっても通用してしまいそうだ。 見つめるメアリーの目の前に、すっと人指し指が突き出してくる。 ﹁駄目駄目。年齢は秘密よ。クロノにも教えてないんだから。ある 程度、察してはいるでしょうけど﹂ クロノについて語る女性の表情は、なぜか嬉々として見えた。 母親と呼ぶには、疑問が残る表情。 その言葉でメアリーは我に返る。 自分が置かれている不可思議な現象について、尋ねずにはいられ なかった。 ﹁あの⋮私どうして、生きてるんですか?﹂ ﹁生きては、いないわ。酷いこというようだけど、アナタはあそこ で死んだ﹂ ﹁そう⋮ですか⋮﹂ 自分は死んだ。 678 言葉にしてみると、何とも恐ろしい。 実感が湧いてくる。 自分が死んだのだという実感が。 ﹁ごめんなさい⋮まずは謝っておくわ⋮﹂ 女性は頭をメアリーに深々と下げる。 ﹁アナタの死は止められた。それでも止めなかったのは私﹂ 何を言っているのか、詳しくは分からない。 ただ、彼女の表情からは、何も読み取れなかった。 無感情といってしまいたいほどに。 空恐ろしい不安だけが残る。 今、自分がどうしてここにいるのかも分からないのだ。 ﹁今のアナタには返す言葉がないの。いくらでも、罵倒してもらっ ても構わないわ⋮﹂ 表情は申し訳なさそうに、それでも、なぜか平然としているよう に感じずにはいられない。 感情が読み取れない。 思えば、感情が見て取れたのは、クロノのことを話す時だけだ。 震える声で、メアリーを恐れながら、疑問を口にした。 ﹁⋮貴女は⋮本当に⋮クロノさんのお母さんですか⋮?﹂ 女性はやはり、平然と、それでいて不気味に笑いながら尋ね返す。 ﹁どうして、そんな事を聞くの?﹂ 679 ﹁貴女の表情も、性格も、クロノさんとはまるで別人のものです。 表情は無理矢理作ったかのよう。それに、クロノさんを語るときの 表情も、何か、違う﹂ これ以上言っては失礼だと思ったが、どうせ自分は死んでいるの だから、怖いものなどないと、メアリーは自分に言い聞かせた。 ﹁母親のものじゃない。まるで⋮愛しい恋人をみるような⋮﹂ メアリーが言いかけたところで、女性は俯く。 一旦俯いたかと思うと、今度は笑い声を徐々に大きく上げながら、 恍惚とした表情を見せた。 ﹁ああぁ⋮そうよ、そう⋮。私はクロノを一人の男として愛してる わ﹂ ︱︱︱壊れてる メアリーはそう思った。 今までで、一番の感情を見せた女性。 あろうことか、それは息子に向けた歪んだ愛情だった。 しかし、メアリーはその感情を咎められない。 自分も、立場は違えど、クロノを好きになっていたのだから。 同時にメアリーは気恥ずかしくなった。 自分もここまでとはいかないまでも、表情に出ていたのかと。 ﹁勘違いして欲しくないのは、私とクロノの血は繋がってないって こと。私は捨て子を拾っただけよ。それにしても、よく分かったわ ね﹂ 680 ﹁⋮貴女の表情が、おかしかったんです。クロノさん以外はまるで 無感情。クロノさんの時だけ、感情が読み取れた。それも、母親と は違う⋮⋮クロノさんは知っているんですか? 貴女がそういう感 情を持っていることを⋮﹂ ﹁いや、多分知らない。あの子の前では隠してきたもの﹂ 深すぎる愛情。 何が、ここまでこの女性を駆り立てるのだろうか? 普通に過ごしていても、ここまではならないはずだ。 ﹁⋮どうして、そこまで⋮﹂ メアリーの問いに女性は、今までよりずっと遠い視線を空の彼方 へと飛ばす。 物憂げな表情。 その姿を見て、メアリーは素直に美しいと思った。 ﹁⋮アナタはさ⋮﹃運命﹄って信じる?﹂ ﹁﹃運命﹄⋮ですか⋮?﹂ ﹁私はその言葉が大嫌い。だって、自分の人生に起こった出来事全 部が﹃運命﹄っていう、ふざけた一言で片付けられるなんて馬鹿げ てる。そんな人生受け入れたくない﹂ 一瞬思うところがあるのか、険しい顔つきになるが、すぐに女性 は表情を戻した。 681 ﹁でもね。あるのよ。﹃運命﹄ってやつは。昨日二年ぶりにクロノ を見た時に、私は確信した。ああ、これが﹃運命﹄なんだなって。 人って本当に都合が良い生き物ね。大嫌いな言葉でも、一度良い方 に転べば簡単に信じちゃう﹂ 何を言っているのかは分からない。 分かるのはただ一つ、この女性の愛情が何よりも深いものだとい うこと。 それがいくら歪んだものだとしても。 そして、自分がそれには勝てないということを。 きっと、この女性はクロノの為なら何でもするのだろう。 自分は、クロノの為に助けられなかったのだろう。 だが、不思議と怒りは湧いてこなかった。 自分の死がクロノの為になったのならば、それでいい。 メアリーは悟る。 そう思える自分も、壊れているのだと。 ﹁⋮私はいつまで持ちますか⋮?﹂ ﹁その身体は、持って5分ってとこね。あくまで私の術式で一時的 に蘇生してるだけだから。私が殺したのなら、長いこと蘇生できる のだけど⋮﹂ ﹁⋮母に別れの言葉を伝えに行きたいんです⋮﹂ ﹁本当は混乱を招くから、見せたくないけど⋮お詫びも込めて、い いわよ。ただし、途中まで私の後を付いて来て貰うわ﹂ ﹁それでいいです! お願いします!﹂ 682 宿屋の店主はその日見た。その日聞いた 娘の最後の姿を。最後の言葉を。 光に包まれ、後光がさしたような娘の姿を。 ﹁今までありがとうお母さん﹂ 683 第六十七話︵前書き︶ 朱美帰還編スタト そんな長くない⋮はず またセリフパートは適当 684 第六十七話 首都アース市内 村での事件から三週間後。 ドラ、朱美、クロノの三人はアースへと来ていた。 クロノの状態が一向に改善されないのを見かねた朱美の提案であ る。 というのは、実際には建前で、朱美には目的があったのだが、他 の二人は知る由もない。 この時期丁度、首都アースでは盛大に仮装大会が行なわれており、 人々が普段よりも増して熱気を帯びている。 フィファル大陸の中でも、領内に港を持つこの国では、海を渡っ て参加するものもおり、バラエティに富んだ仮装が見られることで 有名である。 興行収入としても、なかなか馬鹿に出来ないものがあり、経済の 活性に一役買っている。 日程は約一週間。 その間は国籍人種問わず多くの人間が足を踏み入れていく。 メインは首都の中央にある噴水前ステージ。 一山当てようと大道芸人が、磨き上げた技を使って観客を楽しま せる。 この国一番のメインイベントだ。 ﹁見てみてクロノ!﹂ ﹁⋮うん⋮﹂ 685 はしゃぎながら朱美が声を上げるが、クロノはやはり力なく答え る。 祭りの熱気と逆行するような、沈んだ声。 ︵こんな表情もいいけど⋮やっぱり、駄目ね⋮︶ 自分の気持ちを諌めつつ、朱美はクロノの手を引く。 他の雑音がうるさい。 これでは、クロノの声が聞こえない。 朱美は、ここにいる全員の音を消してしまおうか、と考えた自分 の頭を軽く殴る。 二人は一旦、喧騒から離れ、中心部から外れた細い路地に入った。 度々中心部からの雑音が入っては来るが、抑えられてはいる。 朱美はそこで、一人の変わった格好をした人間と少女を見つけた。 その人間の容貌は仮装大会の中でも異質。 顔面を真っ白くこれでもかと化粧をし、一目で付け鼻と分かる丸 い赤鼻。髪も赤く、こちらもカツラであると一目で分かる。赤い髪 の上にはトンガリ帽子を被り、目元には白の上に青い線を入れてい る。 何も知らない人が見れば恐怖を感じそうだ。 ピエロ︱︱この世界では存在し得ないもの。 朱美は知っている。これが誰なのかを。 記憶が蘇る。古い記憶が脳内で再生される。 何をしているのかと見ると、目の前の少女に盛んに同じ手品を見 せている。どうやら少女は観客らしい。 魔法でも何でもなく、ただの手品。 在り来たりな、ハンカチを使い、結び目を解くもの。 少女はそんな陳腐な手品にも、笑顔を見せる。 たった一人のためのショー。 686 ﹁ん? 別のが見たいって? 分かった分かった﹂ ピエロは何も発してはいない少女を相手にそう言って、今度は指 を鳴らすと掌から花が飛び出す手品を披露し始めた。 ﹁そう急かさないでくれ。まだまだあるから﹂ それは、異常な光景だった。 何も発さない少女にピエロは度々独り言を言ったかと思うと、手 を変え品を変え、次々と新しい手品を披露していく。 まるで、話さない少女と会話しているかのようだ。 朱美は不気味さに、その場を飛び出した。 クロノも手を引っ張られ朱美についていく。 二人が消えた後で、ピエロは消えた先を見据え、呟いた。 ﹁どうせ、会いに来るだろう?﹂ 夜 領主の館 変わった建造物の多い、アース市内でも一際目立つ領主の館。 単独行動でアイスを食べていたドラを含め、三人はここに泊まっ ていた。 普段であればこんな事はしないのだが、祭りの時期となると宿屋 はどこも満室で、朱美がメイに頼み込んで、泊めてもらったのだ。 頼み込んだと言っても、その時の朱美の態度は﹁泊まるとかない 687 から泊めて∼。あっ、断っても無理矢理泊まるから﹂という、謙虚 さの欠片もないものだったが。 翌朝 ﹁今日は色々と行くところがあるから、大人しくしててね﹂ 朝方にそんなことをクロノに言って、朱美は領主の館を出た。 心ここに在らずなクロノが、到底一人でどこかにぶらつくとは思 えなかったが、念には念をだ。 朱美が館を出て、まず向かったのはウッドブック工房だった。 この国の創世記から存在したなどと、眉唾な話が残る工房。 勢いよく鈴付きのドアを開ける。同時に、鈴の音が店内に響いた。 ﹁はろー。って⋮ア、レ⋮?﹂ 朱美は戸惑いと共に首を傾げる。 店内にいたのは、朱美の想像とはまったく別人の姿。 ﹁いらっしゃいッス⋮﹂ 頭をぼさぼさにした、少年の姿だった。 年の頃はクロノより少し下だろうか。 少年は朱美のテンションに困惑した表情を見せる。 ﹁何か御用っすか⋮? 悪いッスけど店主のケイは暫く不在ッス⋮﹂ ﹁ケイが不在?﹂ 688 ﹁親方の知り合いッスか⋮今現在親方は病に伏せってるッス⋮﹂ それを聞き、朱美は心配した表情を見せるどころか、何か悪い考 えでも浮かんだように、意地の悪い笑みを浮かべた。 ﹁ケイはどこにいるの?﹂ コンコンと扉をノックする音が、ベッドで横になっていた男の耳 に聞こえた。 今日は来客の予定はあっただろうか? 思い出してみるものの、心当たりはない。 返答を決めかねていた男を無視して、扉が開く。 ﹁お届け物で∼す﹂ 間延びした声で、ずかずかと入ってくる闖入者。 男はベッドに寝たまま身体を扉の方へと向ける。 そこにいたのは見慣れた顔。既知の間柄。 闖入者は長い黒髪を靡かせ、いたずらっぽく笑った。 ﹁冥土の土産をお届けに参りました。お客様?﹂ ﹁なーんだ。病って⋮ただの老衰じゃない﹂ 寝たきりのケイに朱美は散々な言葉を投げつける。 689 ケイの顔はしわくちゃで、顎には無精髭を蓄えている。 頭はというと、完全に白く染まり、頭皮が露出していた。 傍からみれば、孫と祖父のような年の差に見える。 ﹁俺ももう年なんだよ﹂ ﹁私から見ればまだまだヒヨッコね﹂ ﹁テメェが異常なんだろうが﹂ ﹁ああ、怖い。いつからそんな言葉を使うようになっちゃったのか しら⋮? お姉さん悲しいわ﹂ 人を小ばかにしたような態度の朱美。 身体が元気であれば、今すぐにでも殴ってやりたい。 そんなことも出来ない自分が、少し情けなくなった。 ケイはふと、思い出したことを口にする。 ﹁そういえば、オメェの剣持ったガキが剣を整備してくれって、数 年前から来てんだがありゃなんだ?﹂ ﹁私の息子だけど?﹂ あっさりとした返答。 ケイはゴホッと大きく咳き込む。 これで水でも含んでいたら危なかったかもしれない。 ﹁オメェを嫁に貰う物好きなんかいたのか⋮﹂ ﹁老人はとっとと、冥土に送ってあげましょうねー﹂ 690 ﹁⋮スイマセンデシタ⋮﹂ ﹁寿命を縮める発言は控えなさい?﹂ 笑ってはいるが、朱美からは沸々と湧き上がる怒りが見て取れた。 冷や汗を掻きながら、ケイは苦笑いを浮かべる。 ﹁まあ、それはさておき⋮オメェに息子ねえ⋮﹂ ﹁拾い子だけどね﹂ ﹁ふん⋮最初あのガキが剣持ってきた時は驚いたな。何でも他の場 所で、断られたんだとよ﹂ ﹁ココ以外で、紅朱音の整備なんて無理よ。教えてもいないのに、 自力で見つけるなんて流石クロノね!﹂ ケイは自慢気に語る朱美を見て思う。 ︱︱︱親ばかだな⋮ ﹁大体オメェが、物好きなんだよ。あんなおかしな剣使うとかあり えねえ﹂ ﹁私だって、べっつにアレ実戦で使うつもりなかったのよ? なん かー、ここの2代前⋮だから、アナタのお爺ちゃんに、飾りでこう いう剣作ってーって軽い気持ちで言ったら、﹁剣を作る以上手は抜 けねェ﹂とか言って、気合入れて作ってくれちゃったのよ。しょう がないから、素材として龍の牙とか持ってったら、﹁んなもんで剣 691 が作れるかバーカ。金属で作った方が強いに決まってんだろうが﹂ って、見事に私の夢を打ち砕いてくれちゃってさー。RPG的に考 えて素材って必須なのに⋮⋮アレ、何の話だっけ?﹂ ﹁知るかボケ﹂ 後半から、まるで独り言のようになっていた朱美に冷静なツッコ ミを入れる。 一旦話を止められた朱美は、ようやく話の筋を戻す。 ﹁まあつまりー、アンタの先祖が暴走の末に作った代物なのよアレ﹂ ﹁何か違う気もするが⋮その割には長いこと大事にしてたな﹂ ﹁アレ持ってたら、何かこう、気分に浸れるのよ。渋いというか、 見た目的にもカッコイイし﹂ ﹁美的センスが分からん⋮実用性無視かよ⋮﹂ ﹁だって、私素手で戦ったほうが強いし。剣術なんて習ってないし ねー﹂ 意味不明な美的センスに呆れつつ、ケイは朱美を見つめた。 ケイが子供の頃から変わらないその容貌。 昔は憧れていた気もするが、遠い記憶だ。 ﹁今日は何の用だ? 無駄話しに来たわけじゃねえだろ?﹂ 空気が変わる。 無駄な世間話で和んだ空気に緊張が走る。 692 朱美は顔からフッと笑みを消し、冷たい視線でケイを見つめる。 ﹁⋮別れの挨拶にでも⋮と思ってね﹂ ﹁それは⋮俺が死ぬってことか? それとも⋮あっちか?﹂ ﹁両方⋮かな⋮アナタだって分かってるでしょ? 力を碌に受け継 がなかったアナタはもう限界。普通の人間より、ちょっと長い程度 の寿命しかない﹂ 単純に朱美はケイが死ぬと告げているのだ。 そんなことは分かっている。 今まではあえて、口にしなかっただけだ。 ケイは悟ったように言った。 ﹁まあな⋮﹂ ﹁私はね、もう、疲れたの。ようやく、帰る目途が立った﹂ 微かだが、朱美が遠い昔を思い出してるように、ケイの眼には映 った。 ﹁二百年は長かったわ。気が遠くなりそうなくらい﹂ ﹁⋮長生きも碌なことがねえな﹂ ﹁そうかもね⋮﹂ ﹁ユイと、ユウもこれからそんな人生を送るのか⋮?﹂ 693 ﹁私ほどじゃないにしても、あの二人は長く生きるでしょうね。あ の姿が物語ってるわ﹂ どれほど年をとっても、一向に衰えない容貌。 それは力を多く受け継いだものの共通点。 ﹁まあ、最後に忠告ぐらいしていってくれや。あの二人にはな﹂ ﹁ええ、そうするわ﹂ ﹁分かったら行ってくれ。これ以上お前といると、寿命が縮みそう なんでな﹂ 寝たまま、背を朱美に向け、早く行けと手で払う。 朱美はあっさりと、部屋を後にした。 ﹁じゃあね。もう、会うことはないのだけど﹂ 朱美がいなくなった部屋で、ケイは天井を仰ぐ。 馴れ親しんだ家の天井。 ﹁そっか、俺死ぬんだよな⋮ああ、怖い。こええなあ⋮ハハッ、死 ぬのってこんな怖いのか︱︱﹂ 自覚した。 目を背けていた自分の死から。 朱美のあの言葉によって。 死︱︱︱言葉にするとなんと恐ろしい言葉か。 694 だが、避けられない。 それが、人間であるということなのだから。 ケイはベッドから立ち上がる。 まだ、やり残したことがあるはずだ。 ﹁最後にカイの奴に色々教えなきゃな⋮﹂ 695 第六十八話︵前書き︶ 短め クラウンは後はちょい役でしか出てきません 出てくる映画は有名なピエロ映画の元話です 696 第六十八話 ピエロは、繁華街を歩かない。 人のいる場所に行くと、ただでさえ目立ってしまう︱︱というだ けではなく、人が多いところは性格的に好まないのだ。 本来サーカスでショーをするはずのピエロが、そんなことでいい のかと言われてしまいそうだが、生まれた時からの癖なので、これ ばかりはどうしようもない。 所詮、彼はプロの道化ではないのだから。 彼は粛々と、自分の与えられた役割を演じるだけ。 ﹃道化師の独白﹄ 一度自分を客観的に考えたことがある。 陳腐なマジックを少数の子供たちに見せるのが日課のピエロ。 言葉にしてみると中々に怪しい存在だな、と思わず苦笑してしま う。 いつか見た映画のピエロとそっくりだ。 あれは、いつごろの映画だったか。 人のよさそうなピエロが少年に近づき、性的暴行を加えて殺すと いうようなストーリーだった気がする。 このようにピエロというのは、時として狂気の象徴として描かれ ることがある。 あっちの世界ではピエロ恐怖症なんて言葉もあるくらいだ。 ピエロは今の自分にピッタリだ、と僕は思った。 今自分が生きていること自体が狂気的なのだろう。 もう、疲れた。 でも、死ぬわけにはいかない。 697 僕は自分を犠牲にする。名も知らない誰かのために。 きっとこれは、自分のエゴなのだろう。独善的な自分のエゴ。 僕が救えるのは所詮一人だけだけど。 もっと僕が厳しければ、不幸になる人を減らせるかもしれない。 でも、しょうがない。僕は甘い人間なんだから。 誰かを助けるために自分以外を縛り付けるなんて出来ない。 こんな能力無ければよかったんだ。 自分を殺したい。 そうすれば、もっと楽になれる。 でも、今更、止めるわけにはいかないんだよ。 自分にそう言い聞かせて、僕は今日も生き続ける。 可笑しな道化師として。 どうせ、この世界に来た時点で僕たちは道化なんだから。 アース市内 ピエロは、今日も人通りの少ない路地で、子供たちを相手に手品 を披露していた。 ﹁ほーら、次はこの帽子に注目してご覧﹂ どこから取り出したのか、黒いシルクハットを指さし、指をパチ ンと鳴らした。 すると、どこから湧き出てきたのか、鳩が黒い穴から飛び出す。 突然の出来事に子供たちは驚き、拍手と共に歓声を上げた。 しかし、そんな子供たちとは相反するツッコミが一つ、ピエロへ と入った。 698 ﹁それじゃ、ただのマジシャンね。道化さん?﹂ 数分後 少年少女たちに一通りマジックを見せ、いなくなったのを確認し てから、ピエロは端に積まれていた角材に腰を下ろした。 朱美はピエロの名を呼びながら、不快そうに言う。 ﹁人と話すときくらいはその化粧とったらどう? クラウン﹂ クラウンは臆することなく、それに答えた。 ﹁悪いね。一度とると、どんな化粧だったか忘れてしまうんだ﹂ 朱美はさして興味がないのか﹁まあ、いいわ﹂と言っただけで、 それ以上言うことはなかった。 クラウンは唐突に拍手を送る。 不可解な行動に朱美は眉をひそめた。 ﹁なんのつもり?﹂ ﹁いや、純粋なる賞賛だよ。帰る術を見つけたんだね﹂ 朱美は苦虫を噛み潰したように、顔を歪ませる。 ﹁⋮アナタには話していないはずだけど?﹂ ﹁僕も今知ったよ﹂ 699 ﹁⋮アナタはどうしてここに?﹂ ﹁歴史のターニングポイントに僕はいる。二百年前もそう。今回は 君がここいると聞いてね﹂ ﹁誰から聞いたの?﹂ ﹁彼、あるいは、彼女、子供でも、若者でも、中年でも、老人でも ない誰かにね﹂ おちょくるような返答だが、クラウンは嘘をついていない。カマ をかけたわけでもなく、本心でそう言っているのだ。 そのことが分かっている朱美でも、イラついてしまう。 ﹁アナタのそれはなんなの⋮!? 毎回毎回、人の心を見透かした ように言い当てる⋮! そんな術式はないはず⋮﹂ ﹁君が全ての術式を知っているとでも?﹂ 言い返せない。 全部など知っているわけがないからだ。 朱美は所詮、昔の術式を探し当て使っているに過ぎない。 当然まだ、見つけていないものもあるだろう。 そうだとしても、納得がいかない。 クラウンのこれは絶対に違う。不確かな予感がそう告げる。 ﹁⋮アナタの、それは、術式じゃない⋮?﹂ 朱美が疑問の中から、何とかひねり出した答えを聞き、クラウン 700 は薄く笑った。 道化のメイクが施された顔が、軽い笑みに染まる。 そこまで笑ってはいないのだが、メイクのせいでおおげさに笑っ ているように見える。 ﹁じゃあ、なんだと思う?﹂ 尋ねられた問いに、朱美は頭を働かせる。 ﹁⋮読心術⋮? いや、違う⋮他の何か⋮﹂ 色々な考えが浮かんでは消えていく。 実際には最初から頭を占めるものがあったけれど、あり得ないと 知性がそれを否定する。 ﹁言ってみればいいよ。その言葉を﹂ ︱︱また⋮! 見透かすように言うクラウンに、朱美は苛立ちを感じずにはいら れない。 意地でも言うかと、心に決める。 ﹁あらら、意地を張るのか。それにしても、君は感情が出るように なったね。昔は僕でさえ読めなかったのに。今だと表情で読めちゃ う。クロノ君のお蔭かな?﹂ ﹁⋮関係ないでしょ⋮﹂ ﹁うん、関係ない。僕にはまったく関係ないよ﹂ 701 何を言いたいのか、的を得ない物言い。 ﹁僕のコレも、君には関係ないだろう? 僕はただ、君に賛辞を贈 りたいだけだ。おめでとう。君は僕が知っている中で、初めて、自 ら帰る術を見つけた人間だ﹂ その言葉に朱美はピクリと眉を動かす。 ﹁⋮初めて⋮? 嘘ね。私以外にもいるでしょう?﹂ ﹁さて? 僕は君以外知らないけど? 僕の知らない人かな?﹂ 白々しい。 とぼけたふりだというのが、朱美には分かる。 どうして、こんなにもイラつくのか。 知っているからだ。まったく本心を喋っていないことを。 朱美は確信を持って言い放つ。 自分より先に見つけたであろう人間の名を。 道化を意味するその名を。 ﹁クラウン。それが、私よりも先に見つけた人間の名前よ。自分の 名前も忘れちゃったのかしら?﹂ クラウンは吟味していた。 どこまで話すべきかを。 ここまでたどり着いたのは朱美が初めてだ。 702 最後まで話すと、彼女は帰るのを躊躇してしまうかもしれない。 ただでさえ、彼女にはクロノという枷がいるのだ。 自分の言葉で、迷ってほしくはない。 彼女の決意は自分よりも重いのだから。 クラウンはゆっくりと、口を開く。 ﹁名前かぁ⋮そうだねぇ。もう、忘れちゃったよ。自分の名前なん てさ﹂ ﹁⋮アナタはいつからいるの⋮? この世界に﹂ ﹁僕は今、365回目。あっ、丁度一年の終わりだあああああああ あああああああああああああああああああああああああ!!﹂ 初めて見えたクラウンの本心は、どう見ても正常ではなく、視線 をどこかへと飛ばし、口元だけが笑っている。 ピエロの化粧も相まって狂気的に、それでいて哀しく見えた。 ﹁⋮そう、僕は今さ。大晦日の正午にいるんだ。アハッ、そう考え るとまだ一年も経っていないんだね﹂ 狂った眼で、狂った表情で、意味不明な言葉を羅列する。 ﹁君はまだ、一日の半分もこの世界にいないんだ﹂ ﹁何を⋮言って⋮﹂ 戸惑う朱美を無視して、クラウンは続ける。 703 ﹁それなのに君は今、死にに帰ろうとしている。僕には理解できな いね。君は光属性の治癒と、無属性の身体強化で身体を繕ってる。 僕とは違ってね。その身体で魔法のない世界に行くとどうなるか、 そんなことは誰だってわかるはずだ﹂ 朱美は知っている。それがどう意味なのかを。 それでも、自分はそのためだけに生きてきたのだから、迷いはし ない。 ここで目標を失ったら自分は死人同然だ。 ﹁君は迷わないんだね。僕は怖い! 死ぬのが! 僕が帰る術を見 つけたのは君よりも、幾分か年をとった時だった。遅すぎたんだよ。 僕たちは﹂ 生への執着。 クラウンはそれだけだった。 朱美はもう、冷静にクラウンを見ていた。 不思議と、クラウンの理由が分かったときから、心が冷めた。 なんだ、そんなことかと。 自分には、もっと思い続けた夢があるのだ。 生を諦めてでも、自分は帰るのだと。 それが無ければ自分はとっくに死んでいた。 果たさねば死ねない。 ﹁私はそれでも、帰るわ。絶対に﹂ そう言い残して、朱美は立ち去った。 704 ︱︱これでいいんだ。ピエロが一人サーカスを去る。そして、サー カスにはまた新たなピエロがやってくるんだ⋮ 705 第六十九話︵前書き︶ 勇者関係の昔話は自分でも忘れかけたレベル 自分で2話まで遡った 706 第六十九話 領主の館 夜 朱美が自分の部屋に戻り、色々と考えていると、突如部屋の扉が 開いた。 ノックすらもなかったことを些か不思議に思い、メイや、ユイ、 ユウ辺りであればどうイジってやろうかと、朱美は想像を膨らませ るが、朱美にとっては非情に残念なことに、その誰でもない者だっ た。 扉の先に立っていたのは、人間ですらなかった。 見た目は人間だが、まったく別の存在。 ﹁なにか用? ドラちゃん?﹂ 扉の先に立つドラは、普段は見せない神妙な面持ちで、静かにそ の問いに答えた。 ﹁少し⋮お主に聞きたいことがあってな⋮﹂ 室内へとドラを招き入れ、二人は向かい合わせで座る。 室内は蝋燭の僅かな灯りだけが照らし、互いの顔を確認するのが やっとだ。 ﹁何が聞きたいのかしら? ドラちゃん﹂ 707 ﹁まず一つ、お主はクロノをどうしたい? なぜ、そこまで人を殺 すことに拘る?﹂ なんだそんなことかと言わんばかりの表情で朱美は答える。 ﹁簡単なことよ。﹁殺さないといけない﹂必ずそういう場面が来る。 どれほど強くてもね。その時に躊躇ったら死ぬわ。今回もそう。最 初っから皆殺しちゃえばよかったの﹂ さらりと、恐ろしい発言をする朱美。 未だ納得していない表情のドラだったが、これ以上は無駄だと判 断し、次へと移行する。 ﹁その結果が、あのクロノじゃが⋮アレをどう治す?﹂ 朱美は口元に人指し指を当てた。 ﹁シーッ⋮それはドラちゃんには秘密。スパルタで行くわ。最低な やり方でね﹂ ﹁話す気はない⋮と⋮﹂ 誤魔化されているドラからすれば、いい気はしない。 何より、朱美の表情に不安を感じてしまう。 この先を聞くべきか迷うドラに先んじて、朱美が見透かすように 言った。 ﹁最後までどうぞ。他に⋮というか、一番聞きたいのがあるんでし ょ?﹂ 708 ﹁⋮ッ!﹂ ﹁言いなさい。これが最後かもしれないわよ?﹂ 一瞬ドラは心を読まれているのではないかと考えてしまう。 無論、朱美のはクラウンとは違い、特別な何かがあるわけでもな く、単純に表情から何となくそう思っただけだ。 見透かされたドラは、これ以上隠すのは無駄だと悟る。 息を呑む。覚悟を決める。目の前にいる人間の正体を知るために。 そして、最初から︱︱出逢った時からの疑問を、遠い記憶と共に 引っ張り出し、朱美へと投げつけた。 ﹁⋮二百年前の﹃勇者﹄は⋮お主、か⋮?﹂ その時、蝋燭の明かりがフッと消えた。 燭台に火を点けなおし、朱美は椅子へと腰を下ろした。 暗闇に染まった部屋に再び光が灯る。 ﹁さて、何の話だったっけ?﹂ ﹁とぼけるでない。覚えているじゃろう?﹂ ︵誤魔化しが聞かないわね。コレは⋮︶ 朱美は内心苦笑いを浮かべながら、目の前のドラを見つめる。 心中とは裏腹に、顔は平然としたままだ。 709 ﹁⋮どう答えて欲しい?﹂ ﹁真実を語れ﹂ 命令口調で言うドラ。 これでは主従が逆転している気もしたが、とりあえずその考えを 頭から消去する。 ﹁⋮私はその質問にYESともNoとも言える﹂ ﹁誤魔化すなよ⋮!﹂ いきり立つドラ。 ﹁誤魔化してはいないわ。二百年前、確かに私はそんな無駄な称号 を持ってた﹂ ﹁なら⋮!﹂ ﹁でも、アナタが聞きたいのは違うでしょ? あの﹃戦争﹄での、 ﹃勇者﹄のはずよ﹂ 戦争︱︱今では御伽噺として語られるほどの大戦。二百年前に行 なわれた最大規模の魔物との戦争。 御伽噺の中ではこう語られている。﹁王都壊滅の後、﹃勇者﹄に よって魔物側は滅せられた﹂と。 だが、これは後世の創作だ。真実は別にある。 ﹁⋮あの戦争は、言われるほど大きなものじゃなかった。ほーんと、 710 大した事もないくらいにね﹂ こちら ﹁魔物としては、大層な戦力じゃったがな⋮それでも⋮王都は落と せなかった⋮﹂ ﹁そうね。規模は大きかった。今に至ってもあんな量は見たことな いわ。天と地を覆いつくす大群。城内から見てた私でも、負けを確 信するほどだった。あの時にはドラゴンも多少いたみたいね。なの に、落とせなかったのは﹃勇者﹄なんてふざけた存在がいたから。 結局魔物側は実質一人によって壊滅した﹂ ドラはここで疑問を覚える。 ︱︱見てた? みたい? これではまるで当事者ではないかのようだ。 ﹁それが、お主じゃろ?﹂ ﹁﹃勇者﹄っていうのはね。文字通り勇ましい者なの。本来、異世 界の人間に無条件で与えられるようなものじゃない。あの頃の私に 勇気なんてなかった。怖くて震えるしかなかった。私は所詮お飾り だったの﹂ ﹁じゃあ、あの時の﹃勇者﹄は誰だと言うんだ⋮?﹂ ﹁あの時の﹃勇者﹄は私なんかとは違う、本物よ。己の無力を知っ て、絶望から這い上がった本物の﹃勇者﹄﹂ イマイチ理解出来ないドラは顔に疑問符を浮かべる。 711 ﹁順番が違うの。﹃勇者﹄は戦争の前からいたわけじゃない。戦争 で活躍した者が﹃勇者﹄と呼ばれた。戦争があったから﹃勇者﹄が 出てきたの。それ以前のは紛い物﹂ ﹁お主ではない⋮と?﹂ ﹁あの﹃戦争﹄のは⋮ね。私は⋮そう⋮魔王。人々を無慈悲に屠る 魔王。いや、魔王にも失礼か。酷い殺人鬼ね﹂ 自嘲気味に朱美は笑った。 ﹁じゃあ、王都の壊滅は⋮﹂ 朱美は何も答えない。 それでも、眼だけでドラは悟った。壊滅が誰の手によって行なわ れたのかを。 重苦しい空気が室内を包む。 重苦しい空気を打ち破ったのは朱美だった。 いつもと変わらない表情で、気さくに話しかける。 ﹁それにしても、アレにドラちゃんが参加してたとはね。よく生き 残ったわね﹂ ﹁⋮参加はしておらん。ただ、最後に聞きたかっただけじゃ。多く の同胞を葬った奴が誰なのかを﹂ 712 ﹁ゴメンね⋮﹃勇者﹄については私も思い出したくはないのよ﹂ ﹁もう、いい⋮﹂ 興味なさそうに言うドラに、朱美は半ば、独り言のように呟いた。 ﹁まあ、今度はそうも言っていられないのだけど︱︱﹂ ︱︱クロノのため、そして私のためにも⋮ね 713 ﹃魔王﹄︵前書き︶ 章間的な何か こういうの以外にもサブタイつけようかと一瞬考えたけどセンスな いから無理でした 714 ﹃魔王﹄ 私は最低だ。 二年ぶりに見たクロノで分かった。 私はクロノを、最愛の息子を、﹃代用品﹄として見てるんだって。 いや、最愛なんて言葉も誤魔化しだ。 何となく、気づいてはいたんだ。初めて会った時から。私が眼を 背けていただけ。 初めて会ったのは森の中だったか。 まだ、その時はうっすらとした予感だったかもしれない。 それが今は、確信出来る。 私にも語らないクロノの名前はもう、聞くまでもない。 つくづく神様ってやつは意地が悪い。私にあの子を会わせるんだ から。 神様死ね! と、声を大にして叫んでやろうか。 いや、死ぬべきは私か。 私の心の風景にはいつも、雨が降っている。 止まない黒煙の雨。眼前に広がる瓦礫。人の気配はない。 そこに私は立っている。 顔も、手も、足も、赤に染まる。表情はどんなものだったか、私 には思い出せない。 無我夢中だった気もする。 本当に﹃魔王﹄としか言いようがない。いや、RPGの﹃魔王﹄ でもここまでやらないか。 私が﹃魔王﹄だとするならば、それを倒す﹃勇者﹄は彼なんだろ う。 むしろ、彼以外にやられる気はないが。 私は彼に懺悔しよう。そんなことを、させようとしていることを。 彼と共に残された寿命をこちらで生きるという手もあったけれど、 715 私はそれを選ばない。 それを選んだら、今までの自分が否定されてしまうから。 ああ、自分勝手。ほんっと私って最低ね。 716 第七十話︵前書き︶ クラウンは一人で頑張る 717 第七十話 月明かりが、開いた障子の向こう︱︱日本庭園のような庭から差 し込む。今日は一際大きい満月の夜。幽玄の月が、和室を明るく照 らしていた。 ﹁ひっさしぶりやな∼﹂ ﹁ほんとなんだよう﹂ ﹁お久しぶりです﹂ 三者三様の声が、こじんまりとした和室に響く。声の主は、メイ、 ユイ、ユウの三人だ。 声を向けられた朱美は、にっこりと笑顔を作って言葉を返す。 ﹁ひさしぶり∼って、メイちゃんは昨日会ったでしょ﹂ 思わぬ口撃を受け、メイはなんとも微妙な表情を見せる。 ﹁な、なんのこっちゃ⋮さっぱりわからんわ∼﹂ 昨日の恐怖に身を震わせる。メイの脳裏に浮かぶのは、朱美のお 願いという名の脅迫。 そんなメイを見て、朱美はやりすぎたかと反省しかけたが、やっ てしまったものはしょうがないと、開き直ることにした。他の二人 も、あまり聞くべきではないと悟ったのか尋ねることはなかった。 空気を読んだユウがとりあえず、と前置きして三人に提案した。 718 ﹁立ち話もなんですから座りましょうか﹂ 和室らしく、畳の上には四角い紫色の座布団が積み重なって置か れている。その山から、ユウは四人分の座布団を引き抜き、全員の 足元に敷いた。 四人は目線と共に腰を下に下ろす。皆一様に正座だ。躾として慣 れている三人は、まったく乱れそうもない。︵聞こえは悪いが︶一 番汚い正座をしているのが、本来一番うまくあるべきの朱美という 有様だ。 朱美の場合はなぜか、赤い着物を着ており動きづらいというのもあ るが、それを考慮しても三人の整えられた姿勢には敵わない。 足が痺れる前に早めに話しを終わらせようと、朱美がいきなり本 題を切り出した。 ﹁今日はお別れを言いにきたの﹂ 先の言葉を待たず、三人はどういうことなのかを悟った。 メイとユイは口ごもる。喜びと戸惑いが入り混じった表情。 三人の中でいち早くユウが言葉を発した。 ﹁見つけたんですね、帰る術を﹂ 朱美は自分の頬に手を当て、短く肯定する。 ﹁ええ﹂ ﹁おめでとうございます﹂ ﹁ありがとう﹂ 719 二人だけで黙々と会話は進んでいく。 ここでようやく、メイが会話に混じった。 ﹁⋮いつ帰るつもりや⋮?﹂ ﹁明日にでも﹂ ﹁急な話ですね⋮﹂ ﹁色々あってね。これ以上こっちにいると、気持ちが靡いてしまい そうだったから﹂ 朱美は暗い微笑を浮かべ、月を仰ぐ。 ここまで黙っていたユイが尋ねた。 ﹁それは⋮クロノ君のこと?﹂ ﹁そうね。いなかったら、迷わなかったわ﹂ 後悔、迷い、その二つが朱美の心を埋めていく。 いっそ、クロノと出逢わなければ、と思いかけた脳に不快感を覚 えた。 一度暗くなる話を打ち切って、四人はユウが持ってきた酒をあお る。酒場の店主が選ぶだけあって、飲みやすく後味も悪くない。良 い酒ね、と朱美が褒めると、気恥ずかしそうにユウは頬を掻いた。 酒が入るとたちまち姿勢は崩れ、だらしなくなってしまう。変わ らないのはユウくらいのものだ。 メイはまだいい。姿勢を崩してはいるが、正気を保っている。朱 美も同様だ。 720 問題は一人酒瓶に絡みつき、ブツブツとうわ言を呟いている少女 ︵のような大人︶。 ﹁⋮⋮う⋮⋮う⋮にゃーーーーーーーー!!﹂ 突然猫のような叫びを上げたり、 ﹁にゅへへえへええへえへへえへえええ﹂ 笑っているのか、分からない声を漏らしたりしている。 ユイの酒癖の悪さは有名で、いきなり喜怒哀楽が激しくなったり、 意味不明な言葉をよく口走る。 ユウが、ユイに水を飲ませ背中をさする。前後不覚に陥ったユイ は立ち上がろうとしても、うまく立ち上がれない。見かねたユウは ユイをおぶってどこかへと消えていった。大方、吐かせにでもいっ たのだろう。いつもの光景だ。 そんな見慣れた光景を、朱美は微笑みながら見ていた。飽きるま でずっと。 空が白みかけた頃、ついにメイも酔いつぶれ、だらしなく和室に 寝転んでいた。 本来は小休止の予定だったのだが、いつの間にやら飲み比べへと 発展してしまった。 別段朱美は酒に強いわけではないが、あまり飲んでいなかったの で、幸い歩いて自室に帰れそうだ。 いびきもかかず、スウスウと寝息を立てるメイの横を通り和室を 出ると、ばったりとユウに出くわした。背中には、雄たけびのよう に大いびきをかくユイを背負っている。 ﹁大変そうね⋮﹂ 721 ユウにしては珍しく、うんざりといった表情で答える。 ﹁もう慣れましたよ⋮﹂ 青年の声色には諦めの色も混じっていた。 朱美は苦笑しつつ、ユウの横を通り過ぎる。 ﹁お帰りですか?﹂ ユウの言葉にメイを指さして、無言で宴の閉演を告げる。 ﹁ああ⋮メイさんもですか⋮﹂ 呟くユウに対し、つくづく苦労人だなと思う。子供の時から知っ ているが、ユウという男はいつも損な役回りにあって、それでも愚 痴一つ言わない。それが自分に対する諦めなのか、それとも別の何 かなのか、朱美には分からない。 朱美は真剣な口調で、ユウにこれからについて告げた。 ﹁⋮アナタたちは、これから何年も生きることになる。きっとね。 長く生きるっていうのは辛いものよ﹂ ユウはあっけらかんと、それに答える。 ﹁ええ、承知しています﹂ 本当に分かっているのか、疑問に思ってしまうほどにあっさりと した返答。 722 何といえばいいか、迷う朱美にユウは続ける。 ﹁承知した上で私とユイさんはここにいます。これから先、人間兵 ここ 器として、いくら悲しみを背負っても、いくら人を殺すことになっ ても、後悔はしません。もう、決めましたから。私たちはこの国で 生きていくと﹂ ケイの言葉を思い出す。忠告か⋮自分には出来そうもない。自分 よりずっと、この二人は強いのだ。悲観も何もしてはいない。幼か った少年と少女は、いつの間にか大人になったようだ。それも、そ うか。彼らの時間はもう進んだのだ。止まっているのは自分だけ。 朱美は一層深く苦笑を浮かべた。これでは、どちらが大人か分か らないじゃない、と。 朱美が部屋に戻ろうと薄暗い廊下を歩いていると、小さな人影を 見つけた。暗く、よく見えない廊下でも、すぐに誰だか分かるサイ ズの人影。それは正確には﹃人﹄影ではないのだが、些細なことだ。 近づいてみると、輪郭と共に緑とギリギリ判別できる髪が見えた。 言うまでもなく、それはドラだった。ドラは窓から外を眺め、怪訝 そうな表情を浮かべている。 朱美は少し驚かしてやろうかと、忍び足で影に迫っていくが、真 後ろに立ったところでドラの方から声をかけられた。 ﹁なにやっとるんじゃ⋮﹂ 振り返ることもせずにかけられた声に、朱美はどうしてバレてし まったのかを考える。正面を見ると、窓に自分の顔がくっきりと反 射していた。︵勿論ドラはそれで気づいたのではないが︶ 723 ﹁驚かせてみようかな∼って﹂ 間抜けな主に呆れるように溜め息を吐くドラ。 呆れられた主はムッとした顔を見せつつ、真面目な疑問を口にし た。 ﹁そっちこそ何やってたの?﹂ 一瞬ドラは口ごもるが、隠してどうにかなるものではないと思い、 言葉を返す。 ﹁外がな⋮騒がしい気がしたんじゃが⋮気のせいじゃったようじゃ﹂ ﹁外?﹂ 窓から外を眺めるが、白みかけた空が夜の終わりを告げるだけで、 別段変わった様子は見受けられない。どうやら本当に気のせいらし い。珍しいこともあるものだ。 朱美は暗い壁に寄りかかりながら、ここで出会ったのは丁度いい と思った。話すことが新たにあったのだ。 ﹁ドラちゃん、ここで今⋮アナタとの主従契約は切るわ﹂ ドラは眼を鋭く光らせ、射抜くような視線を朱美に送る。 ﹁理由は?﹂ ﹁私がこの世界から消えるから。クロノを仮の主として扱う命令も 解除するわ﹂ 724 主から告げられた一方的な契約の解除。ほとんど主として機能は していなかった気もするが。 ドラは一言、そうか、と言った。分かっていたことだ。 ﹁後は、ドラちゃんの好きに生きなさい﹂ それだけ告げて朱美は、ドラの前を去っていった。 同時刻 アース市外 雨が降っていた。痛いほどの大粒な雨が。白みかけた空など、ど こにも存在せず、暗雲が空を覆う。雨は土を浸食し、川に流れ込む。 クラウン 流れ込んだ川は下流で氾濫さえ起こしていた。雷鳴が轟き、その度 に動物たちは恐怖する。 そんな、土砂降りの中に道化師は立っていた。顔のメイクはこん な時でも、乱れることなく飄々と彼の狂気を演出している。周りに は誰もおらず、一人で雨に濡れていた。 クラウンはまるで誰かと会話しているように呟いた。 ﹁最後の夜くらいは静かに過ごさせてあげなよ。最後がこんな大荒 れの夜じゃ、駄目だろう?﹂ 当然周りには誰もいない。返答も帰ってはこない。 それでも、なお、クラウンは﹃会話﹄を続ける。 ﹁怒ってるのかい? まったく、こうなる前に邪魔すればよかった のに﹂ 諌めるように言うクラウン。依然として、誰の姿も見えはしない。 725 ﹁彼女は自力で見つけたんだ。僕は彼女の努力を否定させない﹂ 雨は強くなる。それでも、アースに降り注ぐことはなかった。雨 が何かに弾かれている。 ﹁ほら、怒るなら僕に八つ当たりするといい⋮うぉっ!﹂ 一閃。一筋の稲妻が、意思を持った生き物のようにクラウンに降 り注いだ。クラウンは避けることもできず、身体に電撃が直撃する。 鳴り響く轟音。クラウンがいた場所には、不自然な穴が空き、煙が 燻った。完全に死んだことは明白。 だが、クラウンはいつもと変わらないメイクで、姿で、依然そこ に両の足で立っていた。 ﹁ごめんね。僕は死なない。﹃死﹄っていう概念がないんだ﹂ 言ってから、クラウンは付け加えた。 ﹁本当に来るとは思わなかったけど⋮﹂ 道化師は整える。同胞の最後のショーを。 726 第七十一話︵前書き︶ くそ短い 最後のは回想編の最初にはさむんだった 次回から朱美さんスパルタというか虐待のような戦闘がありそう 727 第七十一話 朝 領主の館 人間、精神的に参っているときというのは、何も上手くいかない。 おそらく上手くいったとしても、脳が上手くいったと判断しないの だろう。 クロノも例外ではなく、その日は寝覚めが非常に悪かった。吐き 気がする。吐いてしまおうか。起きたくない。瞼を閉じてしまおう か。 憂鬱な朝を過ごしていたクロノに闖入者が飛び込んできたのは、 まだ誰も働いていないだろうというような時間帯。 ﹁おっはよおおおおおおお!! あっ⋮⋮ゲフッ⋮!﹂ ベッドに勢いよくダイブしてきた朱美を無言のままかわすと、そ のまま壁に激突し、何とも妙な声を漏らした。 侮蔑の視線を向けながら、無表情で小さくクロノは呟く。 ﹁うるさい⋮﹂ その視線にゾクゾクと湧き上がるものを感じかけた自分を抑えな がら、朱美は身体をクロノへと向けた。先ほどまでのふざけた色は どこにもない。 朱美の視線にクロノは異様な雰囲気を感じる。眼にはいつもの陽 気な朱美はなく、深く黒い眼がじっとクロノを見据えていた。 背中がざわつく。鳥肌がなぜか立っていた。 この異常をどう説明すべきか、嫌な予感? いや、予感なんて不 確かなものではない。確実に何かが起こる前触れ。 728 朱美は、今までクロノが見たことがないほどに真剣な表情でクロ ノに告げた。 ﹁久々に手合わせしましょうか﹂ 同時刻 アース市外 雨に濡れた髪を粗末なタオルで拭いながら、クラウンは晴れ渡る 空を仰いだ。つい数分前まで土砂降りだったのが夢だったかのよう な青空。暗雲の消え去った空には、唯一雨が降っていた証拠として アーチ状の虹がかかっている。 ﹁⋮メイクとれてないよね?﹂ 水溜りに映った自分の顔を確認してみると、そこには変わらず白 い化粧を施した道化の姿があった。何度か表情を作り、崩れがない のを確認した後、安堵の溜め息をつき、再びクラウンは空を仰ぐ。 ﹁止んだってことは⋮移動したか。僕も行くかな。一応最後まで見 届けるとしよう﹂ 虚空にそんな言葉を吐いた後、クラウンはその場から消失した。 アース市内 その日カイは不思議な金属音によって目を覚ました。工房から鳴 り響く金属音。この音の主が自分でないとすれば、答えは一つだ。 工房に入るとそこには予想を裏切らない人物︱︱ケイが、依然と 729 変わらない姿で剣を打っていた。腕をまくし上げ、額にはじんわり と汗が滴っている。露出した腕はカイの記憶よりも明確に細くなっ ており、若干のもの悲しさを感じさせる。 ケイはこちらを見るなり、無愛想に言った。 ﹁起きんのおせえんだよボケ﹂ ﹁何、やってんスか⋮アンタは﹂ ﹁見て分かんねえなら、今すぐ病院行ってこい﹂ 馬鹿にしたように言ったケイの言葉に唇を噛む。 ﹁んな事聞いたわけじゃない⋮アンタは今の自分の状況分かってる んスか!?﹂ ﹁お前よりは分かってるさ。俺の身体だ﹂ ﹁なら⋮﹂ ケイがカイの言葉を遮った。 ﹁もう俺は長くない。静養したって無駄だ。そうだろ?﹂ ﹁⋮⋮、﹂ ﹁知ってたさ。病気じゃねえってことくらいな。俺のはただの老衰。 絶対に避けられない死だ﹂ 医者から説明を受けてはいた。だからこそ、カイは言わないよう 730 にしていた。いや、カイ自身が怖かった。死を告げるということが。 それを口にしてしまうと、現実になってしまう気がして。 うろたえるカイにきっぱりとケイは言う。 ﹁お前にはまだ、死ぬ前に教えなきゃならんことが腐るほどある。 んな時に寝てる場合じゃねえんだよ﹂ ケイは自覚した。背けていた自分の死を。昨日の言葉で。同時に、 まだやる事があると。仮にも自分は父親なのだから。たとえ、残り わずかな命だとしても。 731 第七十二話︵前書き︶ 朱美さんの回想書かないと 732 第七十二話 そこは、端的に言えば洞窟だった。何の変哲もない。それほど深 くもなく、浅くもない。特徴がないことが特徴のような、そんな洞 窟。 何か特別なことを言うとしたら、これは自然に出来たものであり、 人為的ではないということくらいのものだ。 中に棲んでいたのは百足、蜘蛛といった節足動物に加え、小型の 蝙蝠であった。 であったというのは、もうこの洞窟内にそんな生物たちは存在し ないことを示す。彼らは死んだわけではない。簡単に言うと追い出 されたのだ。絶対的強者によって。 今洞窟の中にいるのは、男女、あるいは親子と表現される者たち。 クロノは訝しみながら、目の前にいる朱美を見つめた。黒く伸び た長髪が洞窟内の暗さと同化している。油断すると髪と洞窟の壁が 見分けがつかなくなりそうだ。 テレポート 早朝、いきなり起こされたと思ったら、有無を言う暇すら与えず 転移でこの洞窟に連れてこられた。 寝起き含め機嫌など色々とよろしくなかったクロノにしてみれば、 この状況はただ億劫なだけだ。 クロノは一度視線を外し、洞窟内へと眼を向ける。入り口から差 し込む光によってそれほど視界には困らない。結界の術式でも張っ ているのか、膜のようなものがうっすらと洞窟を覆っているのが見 える。 大体の構造を把握したクロノは再び朱美へと視線を向けると、視 線が合った。黒く深い吸い込まれそうな瞳。 慌てて視線を外し、朱美の格好を確認してみる。服は赤い着物と 733 いう服。赤といっても完全な赤ではなく、ところどころに花の絵が 描かれている。手にはハンデのつもりなのだろうか、クロノが初め て見る剣らしきものが握られていた。 らしきものとクロノが判断した理由は、その見た目にあった。形 は一般的な騎士が使うようなロングソードなのだが、肝心の刀身部 分が酷く錆びており、まったく剣として機能しそうになかったのだ。 おそらく、手合わせする際のハンデなのだろうが、生憎クロノに はやる気がない。適当に負けてしまおうとさえ考えていた。 そんなクロノの考えを知ってか知らずか、朱美は念を押すように 言った。 ﹁真面目にやらないと死ぬわよ?﹂ クロノがそれに答えることはない。どうせ、嘘だと知っている。 むしろ、いっその事死んだ方が楽かもしれない。 ﹁準備はいい?﹂ クロノは剣をとりあえず握る。やる気などなくても、一応やって いる体はみせようと。 二人は距離を空ける。 朱美は穏やかに告げる。手合わせという名の殺し合いの始まりを。 ﹁じゃあ、始め﹂ 開始と同時に二人の言葉が重なった。 ﹁レベル5﹂ 734 最初に仕掛けたのは朱美だった。というより、クロノに攻める気 がなかったのだが。 目の前にいたはずの朱美はいつのまにか姿を消し、クロノの眼前 に錆びついた切っ先が迫る。軌道からして、袈裟切りでもする気な のだろう。 右手で紅朱音を抜き、受け流すように刃先と刃先を合わせ、手首 のスナップを聞かせて刃を返す。人を不快にさせる耳障りな金属音 が響き、互いの剣を弾いた。朱美が一瞬よろめく。 この時点で有利なのはクロノだ。後は左手でもう一本を抜けばい い。 だが、やる気のないクロノはそれをしない。まあ、元より朱美に そんな単純な手が通用するとも思ってはいないが。 よろめいた朱美は弾かれた方向に身体を捻り、そのまま一回転し 再びクロノに斬りかかる。回転しただけで風が巻き起こる。それほ どのスピード。これではどちらにせよ左手の剣を抜いたところで無 理だっただろう。 右手の紅朱音で、横一文字に襲う錆びた剣を再び弾く。 ここ数年で色々な相手と戦ってみて思ったが、思いの外朱美の剣 捌きは拙い。剣捌きだけなら自分の方が上だと、クロノは確信を持 って言える。しかし、それでも倒せないという事実が朱美の強さを 示す。 二人は剣を交え続ける。攻めるのは依然として朱美だ。クロノは 相も変わらず最低限守るだけ。 ここでクロノを疑問を覚えた。それは自分を襲う錆びた剣に。砕 けない。全力とは行かないまでも、相当の負荷がかかっているはず であるというのに、その剣はまるで傷つく素振りすら見せない。最 初はハンデかと思っていたが、どうやら違うらしい。 二人による剣戟は続く。 735 止まない斬撃の雨に晒されていたクロノは、そろそろ負けてしま おうかと考えていた。 やればやるだけ空しさが積もるだけだ。ここまでやれば十分だろ う。 真下から振り上げられた剣に、さきほどまでと同じように剣を合 わせる。ほんの少し力を抜いて。 抜かれた力の分だけ、剣が押し負け、クロノの右手だけが上に弾 かれた。その拍子に紅朱音を握り零す。 普通であればここで、左でエクスなんたらを抜くのだが、今日は その抜くタイミングをわずかに遅らせる。どうせ終わらせるのが目 的だ。 弾かれた右手を見て、朱美は上に振り上げた剣を今度は振り下ろ し、まだしっかりと握っていないクロノのエクスなんたらを叩き落 す。衝撃と共に腕を電流を受けたような痺れが走った。 右手と左手ががら空きになったクロノに打つ手はもう、ほぼない。 朱美はそのまま、錆びた剣をクロノの喉元に突きつける。刃先が わずかに肌に届く。小さく傷を刻み微量の血を刃に滴らせる。クロ ノは両手を上げ降参の意を示した。 ﹁負けだよ⋮負け﹂ 目を伏せたまま朱美はクロノの前を避けようとしない。刃を下げ ることなく、喉元に突きつけたままだ。 クロノは朱美の返答を待った。 しかし、朱美から返答が返ってくることはなかった。 代わりに来たのは痛み。喉を裂くような鋭い痛み。 ︱︱な、に、が⋮ 736 クロノが考える間にも、痛みは強くなっていく。 原因は分かっている。だが、どうしてこうなっているのかが分か らない。 痛い。痛い。痛い。 喉元に刃がゆっくりと埋まっていく。 まだ、大丈夫。まだ、死なない。 朱美の表情は依然として見えない。 死の境界へと刃は迫る。 動かないクロノに朱美は淡々と冷静に現状を告げた。 ﹁死ぬわよ、避けないと﹂ その言葉でクロノは自覚する。死を。このままだと死ぬ。 突然の死に直面したクロノには、死んだ方が楽、などという考え は消え去っていた。 動物的本能が告げる。死にたくないと。 右手で刃を握り強引に引き抜く。朱美はそれに抵抗することもな く、あっさりと引き抜けた。左足で硬い地面を蹴る。後方へと飛び、 朱美と距離をとった。 喉から溢れる血は、微量よりも少し多いくらいで、致命的なもの ではない。ただ、あのままいると確実に殺されていただろうことは 本能的に理解出来た。 痛みに顔を歪めながら、信じられないといった顔で朱美を見つめ る。 当の朱美はというと、俯いていた顔を上げ平然とそこに立ってい た。 ﹁言ったでしょ。真面目にやらないと死ぬって﹂ 737 悪びれた様子もなく、さも当然のように錆びついた剣をクロノに 向ける。 眼が、雰囲気が、それが冗談でも何でもないことを物語っていた。 ︱︱怖い 率直にそう思った。 間違いない。間違いなく自分を殺す気だ。 理由? そんなものは知らない。むしろクロノ自身が聞きたいく らいだ。 気づくとクロノの身体は震えていた。 いつもの魔物や盗賊といった弱者からの殺意ではない。自分より も上の強者からの殺意。それも既知の人間からの。 思えば人間相手にここまでの恐怖を感じたことはないかもしれな い。自分が弱かった頃といえば、兄から度々痛めつけられてはいた が、さすがに死ぬほどではなかった。奴隷商人から逃げるときも、 相手の意識は殺すではなく捕まえるであった。 人間から初めて感じる死の恐怖が、身体に染み込んでいく。 震えるクロノに、朱美はやはり平坦と、平然とした表情で錆びた 剣を向けた。 ﹁私はアナタが嫌い。心底嫌い﹂ 唐突な拒絶の言葉。 クロノが疑問を挟む暇もなく、朱美は続ける。 ﹁アレを知ってたら! アナタなんて拾わなかったのに!﹂ 激昂と後悔が入り混じった声。 738 自分を見る朱美の視線に既視感を覚える。あの眼はいつだっただ ろうか。記憶の引き出しが開きかける。同時に開いてはいけないと 警鐘が鳴った。 ﹁ねえ? クロノ? アナタの生まれた家はどこ?﹂ この言葉で視線の正体をクロノは思い出す。 ああ、アレは侮蔑だ。絶対的嫌悪。蔑みの視線。自分がまだ、あ の家にいたときに散々向けられた視線。 朱美は告げる。捨てたはずの名前を。苦い記憶の引き出しが開い た。 ﹁言わないなら私が言ってあげましょうか。クロノ・ユースティア。 私の大嫌いなユースティア家の人間よ﹂ 739 第七十三話︵前書き︶ クロノの戦闘は肉弾戦しかないから地味 期間開いたのはさぼってただけです⋮すいません こっからは戦闘ばかり続きます 740 第七十三話 洞窟の外は、慌しく雨が降っていた。朝方の快晴が夢だったよう な驟雨。 結界に包まれた洞窟内に当然それが入ることはない。 外の動物たちは各々木陰に入り雨を凌いでいる。 そんな中、クラウンは雨を防ぐことなく洞窟の前に立っていた。 術式結界によって存在に気づけないように細工が施された洞窟の前 に。 顔も髪も酷く濡れているが、相変わらず白化粧はとれる気配がな い。 結界にクラウンは手を触れる。 ﹁認識錯誤の術式を光の結界の上に重ねがけしてるのかあ⋮﹂ ブツブツと独り言を呟きながら、最後にクラウンはいたずらっぽ く舌を出す。 ﹁まっ、僕には意味ないけど﹂ そういうと、クラウンの身体は結界の中へとすり抜けていった。 洞窟内 ﹁⋮⋮ぶな⋮⋮﹂ 俯きながら微かにクロノは声を発する。消え入りそうなか細い声。 顔を上げ、徐々に声を大にして叫んだ。 741 ﹁⋮呼ぶな⋮その名前で! その名前で呼ぶなぁぁぁ!!﹂ 額には汗が滴り、頬は力を入れているのかひくついている。普段 では見られない焦燥しきった表情。怒りと憎悪が入り混じった眼。 だが、この憎しみは朱美に向けられたものではなく、自分を捨て た家に対するものだ。頭では納得していながらも、やはりどこかで は捨てられたことに対する憎しみがあった。それが今、朱美に捨て たはずの名前で呼ばれたことで爆発しかけていた。 なおも、朱美が止めることはない。 ﹁なにを? アナタの本名を読んでいるだけでしょう?﹂ ﹁違う⋮! 俺は⋮!﹂ ﹁違わないわ。アナタはクロノ・ユースティアよ﹂ 朱美は淡々とクロノを追い詰めていく。 ﹁私が大嫌いなあの家の人間に変わりはないの﹂ 朱美がなぜ、あの家を嫌いなのかは分からない。ただ、あの家の せいで自分が今彼女に嫌われているのだとすれば、それはなんとも 理不尽なことだろうか。捨てられたはずの家が、未だに自分を縛る。 ふざけるなと叫びたい。クロノの心の中で家に対する憎しみが深く なっていく。 同時にそんな自分を育ててくれた朱美が、今自分を殺しに来てい るという現実がクロノを蝕んでいく。一番の理解者からの裏切り。 ﹁ほら、クロノ構えなさい。今度は本気で殺すわよ﹂ 742 クロノが落とした二振りの剣を放り投げ、朱美は笑った。恐ろし い笑み。笑み一つにすらクロノは恐怖を感じてしまう。 ︱︱止めろ、止めて クロノの心の叫びは朱美には届かない。 朱美は地面を蹴る。耳に響く地面が砕けた音。クロノは震えなが ら一歩後ずさった。 ﹁止めろおおおおおぉぉぉぉぉ!!!﹂ クロノの絶叫が洞窟内に響く。叫びながらクロノは逃げた。握っ た紅朱音を捨て、必死に。 だが、この洞窟内は朱美の結界の中。逃げることは許されない。 それでも、クロノは逃げ続けた。息を切らしながら。結界に覆われ た洞窟内を。 そんな無様としか言いようがないクロノを見て、朱美は呆れたよ うに溜め息を吐いた。 ﹁ああ、いい気味ほんとに、なっさけない姿﹂ 被虐的な笑みを浮かべ、朱美は手に持った錆びた剣を地面に投げ た。渇いた金属音が洞窟内に反響する。 クロノは怯えながら、朱美の方を見つめた。 ﹁そんなんじゃ、私が直接手を下すまでもないわね。この子たちで 十分﹂ 地面に手を付く。朱美の頭の中は言葉とは裏腹に冷静だ。記憶の 743 中にある術式を探り当て、魔力でそれを地面へと刻む。不自然な亀 裂が入る洞窟内。 ︵死の恐怖を植えつけるのは成功⋮⋮次のステップへ︶ 刻んだ術式に魔力を流し込む。起動を始める術式。 ぼこぼこと地面から湧き上がる土と石。うねりながら次第にそれ らは増えていき、輪郭をはっきりさせていく。結界内を埋め尽くす ほどの数。 出来上がったのは、人︱︱と呼ぶべきか判断に困るような者。身 体は泥のようなもので出来ているが、形は人間だ。細かい鼻も、眼 も、唇も、全てが泥で出来ている。人間をそのまま泥に置き換えた ら、こんな感じかもしれない。泥人形と呼ぶのがふさわしい。それ もとても、リアルな。一人一人若い女性だったり、年老いた老婆だ ったり、幼い少年だったり、個性が見え隠れする人形たちの大群。 ネクロドール ﹁さあ、行きなさい死霊人形﹂ 朱美の合図と共に、一斉に泥人形たちはクロノに襲い掛かる。 動き自体は非常に単調で鈍い。それ以前に、クロノからすれば大 概の生物は鈍いのだが。ただ、一直線に襲うだけのものだ。 普段のクロノであれば、相手にもならない雑魚の群れ。人間の姿 形をしていても、そういう魔物だと割り切ってしまえば楽な相手。 けれど、クロノの手は動かない。頭に何かが直接入ってくる。 ﹁イタイ⋮⋮イタイ⋮﹂ ﹁ウラヤマシイ⋮ニクガ⋮﹂ ﹁⋮カラ ダヲ⋮カラダヲ⋮⋮﹂ それは、声。紛れもなく人間の声だ。声の主はいうまでもない。 目の前の泥人形たちだ。 744 実際には洞窟内にはなんの言葉も飛び交ってはいない。しかし、 これが幻聴かといえばそうでもない。だとしたら、これはなんだ? クロノの疑問を見透かしたように朱美の声が響く。 ﹁聞こえる? この子たちの声が。頭に響くでしょ? それは彼ら の怨嗟の念よ。彼らはもう死んでるの。でも、死人でありながら肉 を求めてるのよ。生きてる人間が羨ましいってね。彼らは生者の肉 を得られれば生き返れるって本気で信じてる。ほーんと馬鹿。彼ら が生き返ることは未来永劫存在しないのに﹂ 愉快そうに朱美は笑った。 ﹁そんな、妄執に囚われたゴミ共なのよ。アナタを殺すにはふさわ しい相手だと思わない?﹂ 鳴り止まない亡者たちの怨嗟の念。吐き気がするほどにおぞまし い声がクロノの思考を邪魔する。 泥人形たちはクロノにゆっくりと近づいていく。視界が汚い泥で 覆われる。 それでもクロノは手を出す気にはなれなかった。先の話が本当だ とすれば、彼らは紛れもなく人間なのだ。それが元であっても。人 間の姿形をしていることが更にクロノを躊躇わせる。 一体の少女の形をした泥人形がクロノの懐に入った。同時に鈍い 痛みが左わき腹に走った。見ると、自分の腹を噛んでいるらしい。 口をパクパクと動かし、肉を抉っていく。幸いまだ出血までは行っ ていないが、このままでは噛み千切られるのも時間の問題だ。 ﹁ほら、早く殺しちゃいなさいアナタたち﹂ 朱美の冷徹な声が耳にいやに残る。完全に姿を捉えることは出来 745 なくなっていた。 ︱︱殺す? 死ぬ? 自覚するべきだ。このままでは死ぬと。何もしなければ死ぬ。躊 躇いを捨てようとクロノはもがいた。 殺さなければ死ぬというのであれば、相手を殺るしかないのだと。 自分の力さえあれば、こんな泥人形を殺すことは簡単だ。 ︱︱これは人間じゃない⋮人間じゃないんだ! 自分に必死に言い聞かせる。そうでもしなければ、戦えそうもな かった。 まずは懐に入り込んだやつからだ。エクスなんたらを抜いている 暇はない。未だに腹を齧っている少女の形をした泥人形に右肘を叩 き込む。 刹那︱︱少女が不意にこちらを見上げた。そばかすのある幼さの 残ったショートヘアの少女。見れば見るほどよく出来た泥人形だ。 少女の口がわずかに動く。同時に、頭にいくつも響く怨嗟の声の 中で一つの声をクロノの脳が拾った。 ﹁⋮⋮タスケテ⋮⋮﹂ それが、目の前の少女のものだったかは定かではない。だが、間 違いなく少女の口はそう動いたように見えた。 ﹁ッッ!!!!﹂ 歯を思いっきり食いしばって、振り下ろしかけた肘を止める。髪 に当たりかけたところで、肘は急ブレーキをかけ、寸でのところで 746 止まった。 すると、少女の顔は凶暴なものへと変貌し、再びクロノを齧り始 めた。 ﹁⋮ざっけ⋮んなああああああああ!!!!﹂ 絶叫。或いは獣のような咆哮ともとれる叫びを上げる。 これ以上好き勝手やらせると間違いなく死ぬ。 死ぬ。その言葉がいよいよ持って現実味を帯び始める。 ︱︱死ぬ。俺が死ぬ? 泥人形の大群はクロノに飛び掛りいたるところを齧っている。肉 を求めているのだ。出血もところどころ見られてきた。 死ぬ。そう考えたとき思ったのは案外シンプルで、理性なんかい らないんじゃないかと思うほどに、単純なことだった。 ︱︱死にたくない ではどうするか? 答えは簡単。 ︱︱殺すだけだ 心は冷静だ。冷静にクロノは身体を動かす。敵の殲滅に向けて。 迷いはしない。相手が人間であっても。そうでなければ、死ぬの だから。 朱美の頭には、声が鳴り響いていた。止まない怨嗟の念。 747 クロノと同じ程度かといえば、そうではない。クロノに聞こえる 声よりも、遥かに多く、遥かに大きい声。 クロノが聞いていたのはごく一部。どの声も実際はクロノに向け ネクロドール られたものなどではなく、全てが術者である朱美に向けられたもの だ。 そもそも死霊人形は、本来罪人に使わせるものであった。自分が 殺した人間たちの怨念を聞き、自分の罪と向き合うのが本来の用途 だ。人間の怨念というのは相当重いらしく、大概の人間は怨念の声 に耐え切れず精神を壊す羽目になる。ごく稀に耐え切って怨霊さえ 使役する者もいるが。 朱美も例に漏れず、自分に向けられた怨嗟の念を余すことなく耳 に響かせていた。クロノに聞こえていたのは単純に近くにいたとい うのと、量が多すぎて溢れてしまっていたというだけのこと。クロ ノに向けられていたのは精々1000分の1といったところだろう か。 朱美は、おそらくこの術式を使った人間の中で自分が一番怨念が 重いであろうということを自覚していた。 首都一つ分の人間の殺害。例をみない虐殺だ。 事実として、脳には狂いたくなるほどの声が響き続けている。 だが、朱美は狂わない。こんなもの、あの時の虚無感に比べれば どうってことはない。 ︱︱五月蝿い 朱美は心の中でそう言うと、目線をクロノを覆う泥人形の塊へと ネクロドール 移した。蠢く塊は醜悪と呼ぶのが適切そうだ。 わざわざ死霊人形を使ったのは、擬似的に人を殺すということを 体感して貰いたかったということが一つ。まずは何事も慣れからだ。 ここで死ぬような人間ではないと、朱美は信じている。 まだ二つほど理由はあるのだが、まずはあの泥人形共を全て消し 748 てからだ。 剣などいらない。こんな相手は素手で十分だった。 クロノが行動を起こすだけで、泥人形は脆いクッキーのように砕 けていく。 でたらめに身体を動かし、まとわりつく泥人形を砕く。そこには、 洗練された剣術など必要はなかった。必要なものは、獣のような獰 猛さだけ。 一体砕く度に、もう一体がその泥人形の残骸から湧き上がる。ま るで無限に湧いてきそうだ。 ︱︱それがどうした だったら、全てを砕きつくし続けるだけだ。 それから何体砕いただろうか。クロノの指が1000人分あって も足りないほど砕いたところで、泥人形の生成は止まった。 洞窟の中は、泥人形たちの残骸が残り、壁は穴だらけになってい た。 泥人形の残骸の中心で、クロノは虚空へと泥と血に塗れた拳を突 き上げた。 749 第七十四話︵前書き︶ 戦闘はちょっと休み 短め 今週中にもう一話上げます 750 第七十四話 肩で息をしながらクロノは何とか立ち続ける。襲う疲労感。気を 抜くと倒れてしまいそうだ。 レベル5といっても無限に続くわけではない。当然魔力による限 界はある。だが、大概の場合その前に肉体が限界を迎えるだけだ。 その点はクロノも自覚はしている。 肩で息をしつつ、捨てた紅朱音を拾う。 そんなクロノに朱美は唐突に拍手を送った。 ﹁おっめでとー。やっぱ、あの子たちじゃ力不足だったかー﹂ 軽薄ともとれる口調で、朱美は賞賛の拍手を送る。 ﹁お祝いに、クロノにはプレゼントでもあげましょうかねー﹂ ﹁プレゼント⋮?﹂ クロノは身構える。状況を考えて碌なものではないことは明白だ。 朱美は何とも脈絡のない話を語り始める。 ﹁昔、私がアナタを拾ったばかりの頃だったかしら? よく絵本読 んでたじゃない?﹂ 記憶を辿る。絵本? 確かに覚えはある。どんなものだっただろ うか? 朱美はどこから取り出したのか分からない絵本を、これ見よがし にクロノに見せつけた。 751 ﹁そうそう、これこれーっと﹂ 古ぼけた絵本。 遠い記憶を思い出す。古すぎる記憶だ。拾われる前からの憧れ。 国を救った勇者の話。 魔法が使えないと分かって諦めた夢物語。唯一朱美の家にあった 絵本でもある。 ﹁それは⋮﹂ ﹁そう、アナタの憧れた強さの象徴。それと、会わせてあげましょ うか?﹂ どういうことなのか。クロノには理解出来なかった。朱美がこん な提案をしてきたということに、ではない。 自分でもそこまで馬鹿じゃないとは思っている。朱美本人から聞 いたことはない。それでも、なんとなく知っている。そこに描かれ た﹃勇者﹄が誰なのか。 ﹁だって⋮それは⋮かーさんじゃ︱︱﹂ 言いかけたクロノの言葉を朱美は遮った。 ﹁ない。私じゃないわよ。ここに描かれているのはね﹂ はっきりとした否定。であれば、それは誰なのか? そして朱美 は何者なのか? クロノの疑問に朱美は答えない。 朱美は絵本を投げ捨て、中心を錆びた剣で突き刺した。 752 ﹁ここに描かれた﹃勇者﹄は私が殺したもの。今から、それを、見 せてあげましょう﹂ ネクロドール 絵本ごと錆びた剣を離し、既に刻んだ死霊人形の術式にありった けの魔力を注ぎ込む。 パーフェクト・ネクロドーバ ルージョン 術式が起動を始め、青白い閃光が洞窟内を照らし出す。 ﹁完成死霊人形vrルーク︱︱﹂ 眩い閃光は激しさを増し、渦を巻いて術式の中心を包んでいく。 同時に巻き起こる旋風。 ﹁ユースティア﹂ その最後の言葉をクロノは聞き取れなかった。 閃光が瞬き、クロノは眼を一瞬閉じる。視界を完全に覆う青白い 閃光。収まったのを確認してから、ゆっくりと眼を開ける。 そこにいたのは、先ほどの泥人形などとは比べ物にならないくら いに紛れもなく人間で、そしてどこか見覚えがあるような男だった。 ﹁金髪⋮青眼⋮⋮﹂ 朱美は一瞬躊躇った。彼を呼ぶのかと。もう、二度と会うことは ないと思っていた彼を。 だが、クロノの成長を考えると相手は彼が一番だった。同じ戦闘 スタイル。ある程度の力量。そしてクロノにとっての憧れの象徴。 余計な感情はないと、自分に言い聞かせて朱美は彼を蘇生する。 今度は泥人形などではなく、はっきりとした人間の形で。 753 自分が殺した彼を。 朱美の心に生まれた躊躇いを道化師は﹁聞き﹂逃さない。 道化師は不敵に笑いながら、成り行きを注視する。密やかに。 クロノは突如として現れた男を改めて確認してみる。 髪は綺麗な金髪。眼は深い青を讃えた青眼。視線をどこにやって いるのかはわからない。年は二十代前半くらいか? 服装に眼をや ると、鎧を着ており、それ自体は真新しく見えるのだが、鎧の型が 古い。それこそ、一昔前のポピュラーな一般兵士が着ているような ものだ。記憶の中で、まだあの家にいた頃、読み漁った国の歴史書 にこんな鎧があった気もする。別段特別な物ではなく、階級の低い 一般兵士に与えられるものだったか。 クロノが眺めていると、金髪の男が動き出した。 重そうな足取りで、久々の身体の感触を確かめるように一歩一歩 足を進め、絵本に突き刺さった錆びた剣を引き抜いた。その時見え た男の眼には、懐かしいといった感情が映っているように見えた。 ボロボロに錆びた剣をしっかりと握り、男はこちらに剣を向ける。 それに合わせてクロノも身構える。 男がゆっくりと口を開く。重く低い声で ﹁レベル5﹂ と。 瞬間︱︱男が視界から消えた。 754 第七十五話 視界から消えた男を次に捉えたのは、右眼の端︱︱ギリギリ視界 に入るか入らないかといった場所だった。 クロノがそちらへと視線を移す前に、またも男は消えた。そして 今度は左端へ。慌ててクロノが眼を向けると、今度は右端から剣が 振り下ろされた。朱美とは違い一直線に飛んではこない。 左に傾きかけた身体を強引に捻って、錆びた剣を右手で紅朱音を 抜き弾きにかかる。 が、 ︱︱重い⋮! 力負けしてしまう。ずっしりとした重みが剣を伝って手を痺れさ せる。 クロノは全力だ。先ほどのように、わざと負ける為に力を抜いた りはしていない。それでも、押し負ける。 それもそのはずで、クロノが使用している紅朱音は日本刀に近く、 間違っても弾くという行為には向いていない。斬るというのが本来 の用途だ。 一方男が使っているのは、錆びてはいるが俗に西洋剣のロングソ ードと呼ばれるもので、斬る︱︱というよりも、叩くや潰すといっ た使い方が正しい。 クロノが朱美の攻撃を弾けたのは朱美が斬りに来ていたからで、 叩きにきている男の剣を弾くのは互いの剣の性質上難しい。 これが普通の相手であれば力で押し切れるのだが、生憎目の前の 男は普通の相手ではなかった。 おまけに男は両手で振り下ろしており、片手のクロノが押し勝つ などということは万が一にもありえない。 755 上から潰された右手を見て、即座に左手でエクスなんたらを抜く。 幸い、右手で抵抗した分猶予は出来ており、身体に剣が届くより も先に抜くことが出来た。 なんとかエクスなんたらを錆びた剣に当てる。衝撃で耳障りな金 属音が散った。 エクスなんたらで耐えている内に右手の体制を立て直し、紅朱音 とエクスなんたらを交差させ、上からの重みに耐える。 均衡する現状。 暫し、そんな均衡が続くかと思われたのだが︱︱ ﹁あっ⋮がッ!!﹂ 思いの外早く状況は崩れ去る。クロノの全身に迸る痛みによって。 平気なはずがなかった。 最初の朱美との攻防。泥人形との戦闘とは呼びがたい戦闘。 これが、通常の状態であれば、まだクロノは戦えただろう。 だが、かたや今戦い始めた男と、ここまで戦い続けたクロノでは 疲労に差がありすぎた。それに加え、クロノの身体には夥しい数の 裂傷。 これではフルマラソンを走りきった選手と、準備運動を終えた選 手が100mを競うようなもの。 それでも、ここまで戦えたのは負けたくないという執念。死にた くないという執着。 しかし、現実は執念や執着だけでなんとかなるものではない。 埋めようのない差が、今クロノの身体に重くのしかかっていた。 疲労で力が抜けていく。痛みで力が抜けていく。 その隙を見逃す相手ではなかった。 756 男は剣にいっそうの力を込め、クロノの剣を地面に近づける。 クロノの敗北は時間の問題となっていた。 二人の戦いを冷ややかな眼で見つめていた朱美は、ある疑念を抱 いていた。 ︱︱おかしい、彼からは何も聞こえてこない。 死霊人形とは自分が今までに殺した人間の怨霊を強制的に引き戻 す術式。 その代わりに術者にはその怨霊たちの声が止むことなく聞こえる。 怨霊たちの声に耐え切れず術者が魂を持って逝かれることすらある 危険な代物だ。 千年前ですら禁術に指定されていたこの術式。 だというのに彼からは何もない。 先に作った人形から聞こえた、悲しみの嘆きも、自分を怨む怒り の声も、生への渇望もなく、ただ、ひたすらに無音。 ︱︱なぜだ、なぜだ。分からない。 疑問符で埋め尽くされる脳内。 彼とクロノの戦いは続いている。 本来であれば邪魔をしてはいけない。だけれども、聞かずにはい られない。 そして、彼女は彼へと声を掛けた。 それはお互いにとって二百年振りの会話で、二百年前と変わらな い姿で、二百年前と変わらない声で彼女は彼の名前を呼んだ。 757 身体が重い。身体が痛い。 このままでは死ぬ。今回は、殺そうと思えばとか、そんなんじゃ ない。避けられない死。 気持ちの持ちようでも、なんでもない。単なる肉体の限界だ。 身体が思うように動きそうにない。まるで鎖につながれているよ うだ。 であれば、どうすればいい? 簡単だ。 鎖を外してしまおう。 この鎖を。 何かが変わろうとしていた。 クロノの意識は限りなく曖昧で希薄。 それでも、何かを変えなければいけない。 クロノの意識は薄まっていく。 そして急速に濃くなっていく﹁なにか﹂ 越えてはいけないと、理性の先︱︱本能が叫ぶ。 それでも、クロノは境界を踏んだ。 意識と引き換えに、﹁なにか﹂へと足を踏み入れた。 クロノが境界を踏み越えたとき︱︱男がクロノを殺しにかかった とき︱︱朱美が名前を呼ぼうとしたとき︱︱誰よりも早く声を発し たのは、その誰でもない。何ともふざけた道化師の、何とも間の抜 けた声だった。 758 ﹁スト∼ップ﹂ 759 第七十六話︵前書き︶ 会話パートマジ苦手 戦闘描写も苦手だけど 得意なものないやんけ 760 第七十六話 言いかけた朱美の眼に見えたのは、道化師︱︱クラウンの姿、そ れと揺らめく摩訶不思議な2種類の光だった。 道化師を中心に広がった光の一つは、一瞬で朱美の結界をすっぽ りと覆い、もう一つは、結界の中で朱美とクラウンを包んだ。 クラウンは周囲をキョロキョロと見渡し、成功を確認した後、笑 顔で朱美へと向き直る。 ﹁やっ、久しぶり。でもないけど﹂ ﹁何の用⋮?﹂ ﹁まあ、色々﹂ 朱美は冷徹な視線でクラウンを射抜く。 ﹁邪魔しないでくれる? 今いいところなの。アナタ如きに邪魔さ れたくないわ﹂ ﹁そう熱り立たないでよ﹂ 冷たい視線をさらりと受け流しながら、肩を竦めるクラウン。 ﹁僕は別に邪魔しにきたーってわけじゃないんだからさ﹂ ﹁じゃあ、なに?﹂ 少々の間クラウンは顎に指を当てて考え込む。 761 ﹁うーん⋮⋮そうだねえ⋮⋮君風に言うなら冥土の土産ってやつ?﹂ つい先日ケイに言った朱美の言葉。 どうして知っているのか? という疑問に朱美が至ることはない。 こいつには常識が通用しないのだ。聞いたところで答えが返ってく るわけでもなし。 不機嫌な顔で、朱美はクラウンを睨む。 ﹁あっ、そう。じゃあ、悪いけど早くどいてくれる? 私はそんな ものいらないから。クロノも待ちくたびれてるでしょうし﹂ ﹁残念、まだそれは出来ないな。それに、彼は待ってなんていない よ﹂ ﹁どういうこと⋮?﹂ クラウンがクロノを指さす。 朱美が視線をそちらにやると、剣を落としかけたクロノがいた。 視線がこちらに向いておらず、口は開いたままだ。 というより、そのまま止まっていた。動いていない。まるでテレ ビの1シーンで停止ボタンを押したようだ。 ﹁ほらね。彼は止まってるんだ。まあ、僕が止めたんだけど﹂ 混乱する朱美にクラウンは続ける。 ﹁僕らの空間には今﹁時間﹂という概念がないんだ﹂ どういうことか、朱美が尋ねるより先にクラウンは話題を切る。 762 ﹁おっと、そんなどうでもいいことを話しに来たんじゃなかった﹂ 飄々とした態度のクラウン。 朱美はイマイチペースが掴めない。やはり、この男は苦手だ。 ﹁僕が今止めたのは、クロノ君? が、﹃上﹄に行っちゃいそうだ ったからっていうのが一つ。僕にとって彼はどうでもいいんだけど、 君は彼に死んで欲しくないだろう? あのままだと彼は﹃上﹄に行 って死んでた﹂ きょとんとした表情で朱美はクラウンを見つめる。 ﹁ああ、﹃上﹄も分かんないか。君も一度行ったことがあるはずだ けどね。まっ、説明はいいや﹂ 投げやりな態度で、急に説明を終わらせるクラウン。 ﹁それと、後一つは、君がこの世界から旅立つにあたって、精算し ておくことがあるだろうって話さ。君はクロノ君に過去と向き合わ せて、受け入れさせるつもりらしいけど、君自身が過去から目を逸 らしてちゃあねえ﹂ ﹁余計なお世話よ⋮アナタに何が分かるっていうの⋮!?﹂ イラつく朱美にクラウンはあっさりと答えを返す。 ﹁いや、何も? だって僕は君じゃないもの。これはただの余計な お世話さ﹂ 763 ﹁ああ言えばこういう⋮!﹂ ﹁ああ、そうそう、一応君が何を考えているかくらいはわかるけど ね﹂ ﹁不愉快! ほんっとに不愉快! ただこの世界で無駄に生きなが らえることしか出来ない臆病もののくせに!!﹂ ﹁言い方が酷いなあ⋮⋮間違ってないけど。僕に聞かなくても分か ってくるくせに。僕のこれがなんなのか﹂ しかし、朱美は答えない。 呆れたようにクラウンは溜め息を吐いた。 ﹁ほんと強情だね。知ってたけど。あえて僕から言うとだ。僕のこ れは﹁超能力﹂さ﹂ ﹁そんなものあるわけ⋮﹂ 朱美の言葉をクラウンは途中で遮る。 ﹁ない︱︱となぜ言い切れる? ただでさえ、僕らはこんなふざけ た世界にいるのにさ。まだ、あっちの世界では解明されてないだけ かもしれない。いや、そもそもあっちの世界とこの世界の時間軸は 同一じゃないから、まだって言い方もおかしいのかな? まあ、僕 も﹁超能力﹂なんて響きは好きじゃないけどね。人は多かれ少なか れ、人の表情で心を読んでる。それの発展版だと思えばいいさ。僕 のは読むじゃなくて、聞こえるって言った方が正しいけど﹂ と、ここまで喋ったところで、何かを思い出したように手を叩い 764 た。 ﹁あー、また話がずれた。僕は話すのが好きだねえ⋮⋮。これだか らパントマイム出来ないんだよ。要約するとだ。旅立つ前にやるこ とがあるだろって話だよ。彼との話し合いがね﹂ クラウンが指さした先には、クロノと同じように止まった男の姿。 クロノに止めを刺す途中なのだろうか? 剣を振り上げたところ で止まっている。 ﹁君に術式の支配権を移行しておいたから、君が望めば彼は動き出 すよ。この空間には時間がないから、いくら話したっていい。10 0年間話したって外では、一秒足りとも進まないし、この中で衰え ることもない。逆に話したくないっていうなら、今すぐこの術式を 解くといい。それは君の自由だ。クロノ君も、もう﹃上﹄に行くこ とはないしね。疲労と怪我は、なくしといたから。互いにフェアな 状態で戦闘を始められるだろう。じゃあね﹂ 手をひらひらと振ってクラウンは、結界の外へと出て行こうとす る。 そんなクラウンを朱美が呼び止めるが、クラウンは歩を止めない。 ﹁待って⋮⋮どうしてアナタはこんなことするの?﹂ ﹁⋮僕としては、後悔なく去って貰いたいんだよ。この世界から。 君は今までとは違う。正真正銘たった一人で、帰る術を見つけたん だからさ。僕﹁たち﹂が見つけたときとは違ってね。んじゃあ、さ よなら。脱出おめでとう﹂ ステージ 振り返ることもせず、道化師はそのまま結界から退場して行った。 765 766 第七十七話︵前書き︶ 朱美さんはヒステリー この二人のお話は外伝書こう みんな壊れろ 767 第七十七話 クラウンが去った結界の中で、朱美は考えていた。どうするべき かを。 あんな奴の言うとおりにするのは癪だ。 だが、これが彼と話す最後のタイミングでもある。ここを逃せば 二度と機会はない。このまま悔恨を残したままでよいのか。 天秤にかける。あんな奴の言うとおりにしたくないという自尊心 と、後悔を残したくないという悔恨の情を。 そして、天秤は大きく傾いた。 最初から論ずるまでもなかったのかもしれない。クラウンに対す る嫌悪も、実は無くなっていたのかもしれない。クラウンはきっと、 生への執着だけでこの世界に残っているのではないと、何となく知 っていた。それでも、天秤にかけなければ自分の気持ちが納得しな かっただけで。 つくづく自分という人間はめんどくさいものだと、朱美は苦笑し た。 朱美は自ら選んだ選択をここに今、実行する。 やり方はなぜか知っている。これがクラウンの言う支配権の移行 の効果なのだろう。 言うだけでいい。彼の名前を。 ﹁起きなさい。ルーク・ユースティア﹂ 止まっていた男が、何かが割れた音と共に動き出す。 男は振り返って朱美を見る。朱美を見るその眼は、記憶の中と何 も変わらない。青い切れ長の眼。 ﹁久しぶり⋮だな⋮﹂ 768 ﹁本当に⋮ね⋮﹂ 短い言葉を交わし、二人の視線が交錯する。 しかし、どちらともそれ以降言葉を発さない。気まずい沈黙が結 界を更に厚くしていく。 お互いに、頭の中で考えていることは同じだ。 ︱︱なんて声をかければいい? 何を話すべきか、決めかねる。 話したいことはいくらでもある。だが、それらを言っていいのか 二人には分かりそうもなかった。なまじ、あんな別れた方をしたか ら。 ﹁⋮何か喋りなさいよ⋮﹂ 沈黙を先に破ったのは朱美だった。 ﹁お前から喋ってくれ⋮﹂ ﹁嫌﹂ ルークは、困ったような呆れたような微妙な表情を浮かべながら、 何の解決にもならない言葉を発する。 ﹁お前⋮何も変わんないな⋮﹂ ﹁その話題はつまらないから却下。それにこれでも変わってます﹂ 769 ﹁性格は元から変わってるけどな﹂ ﹁余計なこと言わないでくれる?﹂ ﹁無茶振りするお前が悪い﹂ ﹁面白い話題の一つも提供出来ないような男が悪いと思うわ﹂ ﹁俺のせい?﹂ ﹁じゃあ、私のせい?﹂ 一度広がった会話の花は止まることをしらないまま、その範囲を 広げていく。 他愛ない会話をしている内に二人は気づく。 ︱︱なんだ。なにも変わらないじゃないか こんな下らない会話をあの頃、自分たちは何度もやっていたのだ。 気づくと二人からは笑みが零れていた。 その笑みは誤魔化しなのか、本心のものなのか二人には分からな い。 だが、互いにこれだけは分かる。こんな会話を続けても先には進 めない。 恐怖が渦巻く。これ以上深く入ってしまっては、何かが崩れてし まうのではないかと。 甘く心の中で囁く。崩れてしまうくらいなら、このままでいいの ではないかと。 互いに相手を傷つけることを恐れ、当たり障りの無い会話しか出 来ない。 770 ここで、二人は間違いに気づく。 あの頃とは、まったく違うのだと。こんなに気を使う関係ではな かった。これは違う。 ﹁そういやぁ、あの青年はどこの誰だ?﹂ ﹁クロノのこと? 私の息子よ。最愛のね﹂ 冗談めかした口調の朱美にルークは軽く切り込んでみる。 分かっている。このままでは良くないと。だからこそ、ここであ えて深くいく。朱美が何かを隠そうとしているここで。 ﹁それだけ、じゃないだろ⋮?﹂ 朱美は急に冷ややかな眼となり、視線を逸らした。 ﹁⋮⋮当ててみなさい⋮⋮﹂ 冷たい、感情の篭らない声。 ここでルークは知る。今の朱美は自分の知っている朱美ではない ことを。そして、朱美を変えてしまったのは自分であることを。 ﹁⋮俺の家︱︱ユースティア家の人間だな⋮?﹂ 朱美は答えない。ただ、俯くだけだ。 ﹁沈黙は肯定と受け取ろう。おそらく、弟の方の家系か⋮。あの時 は王都にいなかったからな﹂ 771 才能のある弟の顔を思い出しつつ、朱美に声をかける。 ﹁まあ、そんな事はどうでもいい。大方、捨てられたんだろうしな﹂ ﹁なんで⋮﹂ ﹁予想はつくさ。俺と同じ無属性。ってことは、俺みたいな人生を 送ったんだろうよ。幸い、俺は捨てられかけただけですんだがな。 いい時期に死んでくれた兄貴に感謝するよ﹂ 自嘲気味に語るルーク。 ﹁で、お前は俺にそんな息子を殺させるつもりか?﹂ ﹁そうよ﹂ あっさりと、自分の息子を殺させると言う朱美。 知っている。彼女をこうしてしまったのは自分だと。 それでも、ルークは尋ねる。今の彼女を知るために。こうでもし なければ、前には進めない。 ﹁⋮さっきの言葉は訂正しよう。お前は変わったよ。少なくとも、 俺の知っているお前は、そんなことを言う人間じゃなかった。殺す とか死ぬとか、そういったものを激しく嫌悪する人間だったよ﹂ 朱美は俯いていた顔を上げ、何かが壊れたように叫んだ。 ﹁変わった⋮? あああああああああああああ!!!! どの口が 言うの!?﹂ 772 右手で頭をかき乱しながら、狂乱を見せる朱美。 ﹁こうならなきゃ、私は生きていけなかったの!!! 壊れなきゃ、 生きていけなかったの!!! 誰のせいだか分かる!?﹂ ﹁俺だよ﹂ ﹁そうよ! ﹁あの日﹂アナタが私を殺しに来たときから!! あ っ、ぁぁぁぁぁ⋮⋮!!﹂ 壊れていく。ルークの中の朱美が。 眼を背けられない。こうしてしまったのは自分だと分かっている から。 涙を零しながら、縋るように朱美は尋ねる。 ﹁ねえ、。なんで? ねえ、。!? なんで﹁あの日﹂私を殺しに 来たの!? ねえ、。何がいけなかったの!? 答えてよ!!!!﹂ そこには﹃魔王﹄も﹃勇者﹄もなく、ボロボロになった一人の少 女がいた。 こうしてしまったのが自分のせいなのであれば、責任はとらなけ ればならない。 きっと、それは遅すぎることなのだけれど、それしか自分には出 来ないのだ。 ゆっくりとルークは朱美に近づく。狂乱した朱美は光剣を造りだ し、ルークに向かって刃を突き立てる。刃は鎧を貫くが、胸の中心 に刃が刺さった状態でなお、ルークは歩みを止めない。 朱美の脳裏には恐怖が蘇る。初めて、死が自分に迫った時の。 ﹁⋮やだ⋮来るな⋮⋮来るな⋮⋮⋮来んなあああああああああああ 773 ああああ!!!!!﹂ 叫びながら、刃を振り回す朱美。出鱈目に振るった刃はルークの 鎧を粉々に砕き、その下の身体を傷つけていく。 それでも、ルークは止まらない。いくら傷がつこうとも。 朱美は後ずさるが、結界の端に背をぶつけてしまう。焦燥しきっ た頭では、解除という単語が浮かんでは来なかった。 ようやくルークは朱美の元にたどり着く。そして優しく抱きしめ た。 ﹁落ち着けよ⋮⋮可愛い顔が台無しだろうが⋮⋮﹂ 髪を撫でながら、そう囁く。 ﹁⋮お前は何も悪くない。悪いのは俺だよ。ごめんな﹂ 懐かしい匂い。懐かしい声。記憶の中で重なっていく。 同時に﹁悪くない﹂という言葉が何度もリフレインされる。 ﹁あの日﹂自分が犯した罪が、ようやく許されたような気がして いた。 ﹁⋮ぁ⋮ぁあああ⋮ああああああ⋮⋮!!!!﹂ 朱美はひたすらに泣いた。おそらく、人生の中で今までにないく らいに。 朱美が泣き止むまで、ルークは何も語らずその場に居続けた。ず っと。 774 ﹁⋮落ち着いたか⋮?﹂ 泣き止んだのを確認してからルークが声をかける。 ﹁⋮うん⋮もう大丈夫だから離して﹂ ﹁へいへい﹂ あれからどれくらい泣いていたのか、朱美には分からない。ほん の数分だったかもしれないし、途轍もなく長い時間だったかもしれ ない。だが、この空間には時間というものが存在しないので、確か める術はない。 ﹁どうする? まだ俺とあの少年を戦わせるか?﹂ ルークの問いに朱美は迷わず答えた。 ﹁ええ。まだ、戦ってもらうわ﹂ ﹁いいのか⋮? このままだと俺はアイツを殺すぞ?﹂ 眉を顰めながらいぶかしむルークに、力強く朱美は笑う。 ﹁アナタなんかに、私の息子は負けないんだから﹂ ﹁なんかとはひっでぇ言われようだな。俺も舐められたもんだ﹂ ﹁アナタなんてそんなもんでしょう?﹂ 775 ﹁そうかよ。んじゃあ、今からお前の息子とやらと戦いに行きます か﹂ ﹁待って﹂ めんどくさそうに頭を掻きながら、背を向けてクロノの元に向か おうとするルークを、朱美は呼び止める。 ﹁なにか?﹂ ﹁その剣直してあげるわ﹂ 視線の先にはぼろぼろに錆び付いたロングソード。傍目から見れ ば今にも砕けてしまいそうだ。 ﹁あーこれか。お前どんな保存してたんだよ⋮。見た瞬間驚いて声 を上げかけたわ﹂ ﹁しょうがないでしょ。あれからなーんも手入れしないで、そこら 辺に放置してたんだから。それとも、あっちがいい?﹂ 朱美はクロノが落としかけているエクスなんたらを指さす。こち らはぼろぼろとは程遠く、しっかりと手入れされており、眩く光っ ているようにさえ見える。 ﹁いんや。使い慣れたこっちでいい。あれ使ったことないから、使 える気しねえわ。貰ってすぐ死んじまったし﹂ ﹁⋮そう、じゃあこっちにするわ。鎧は?﹂ 776 ﹁いらん。アレ重いんだよ﹂ ﹁騎士にあるまじき発言ね﹂ ﹁騎士になったのなんて最後だけだしな﹂ 言葉を交わしつつ、朱美は錆びた剣を奪い取り、地面に置く。 この剣の汚れは、大半が血によるものだ。長い年月を野ざらしで、 血も洗わず放置していたら、こんな見るも無惨な姿に成り果ててし まった。今回のために、一応壊れない程度の強化はしておいたが、 本人が使うとなれば、やはりあの当時の姿がよいだろう。 記憶の中から無数にある術式から、一つを引っ張り出し、剣に魔 力で刻む。刻んだ術式に魔力を流し、起動させる。 すると、みるみる内に汚れが消えていき、終いには傷一つなくな った。 ただ、直したところでごく普通の剣なので、戦闘力が格段に上が るわけではない。この剣自体一般兵士に渡されるものだ。 当の持ち主はというと、子供のように眼を輝かせながら、感嘆の 声を上げた。 ﹁すっげえええ!!﹂ ﹁あんまり声を上げない。洞窟だから響くのよ⋮﹂ 耳を塞ぎながら言う朱美から新品同様となった剣を受け取り、軽 い足取りでルークはクロノに向けて歩き出す。 しかし、それを朱美が再度呼び止めた。 777 ﹁待って⋮最後に一つ聞いていい?﹂ ﹁んだよ。まだなんかあんのか?﹂ この先を言うことを朱美は一瞬躊躇った。どんな言葉が自分に投 げられるだろうか。そこには恐怖しかない。 会話の端々に見えた生前への後悔。 考えてしまう。彼がエクスなんたらを一度でも使ったら、彼があ のまま騎士としての人生を歩んだら。 それでも朱美は、迷うなと、覚悟しろと、自分に言い聞かせてそ の先の問いを口にした。 ﹁⋮アナタは私が殺したこと怨んでる?﹂ 言った瞬間朱美は無意識で眼を閉じた。ほんの一瞬。それは恐怖 感から来るものだった。 ルークは振り返り、青く鋭い眼光で朱美を射抜く。朱美には彼の 眼に憎悪の炎が滾っているようにさえ見えた。 ﹁⋮⋮俺は、怨んでるよ⋮⋮﹂ 分かっていたことだ。自分を殺した相手を怨まないわけはない。 ネクロドール しかし、分かっていても、どうにも抑えられないほどの感情があ ふれ出しそうになる。彼からの怨念は、どの死霊人形の者よりも痛 く刺さった。 俯きながら必死にそれに耐える朱美に、ルークが次に言った言葉 は、そんな朱美の心を軽くするものだった。 ﹁でもな、それはお前じゃない﹂ 778 俯いていた顔をハッと上げる。 依然として、彼の眼には憎悪の炎が揺らめいていた。自分に向け られたものでないとすれば、その憎悪は誰へのものなのか。 朱美の疑問を見透かしたようにルークは言う。 ﹁俺が怨んでるのは、俺自身だよ。もっと言うなら、﹁あの日﹂お 前を殺せなかった俺の弱さに、だ﹂ ﹁⋮⋮﹂ うろたえる朱美にルークははっきりと続ける。 ﹁お前には悪いことをしたと思ってる。だけど、あの選択が間違っ ていたとも思ってはいない。あの頃のお前は、個人的感情を抜きに して考えると、戦力にならず、ひどく危うかった。いつ暴走するか 分からないくらいにな。暴走を危惧した上が、一番近い俺に殺害命 令を下したのもしょうがないことだ﹂ ルークは淡々と事実を並べていく。 ﹁だから、国として見たらあの選択は絶対に間違ってなかった。結 果は見ての通りだがな﹂ ルークは言い切った。間違っていなかったと。 朱美はもう、取り乱すことはなく、冷静に尋ねる。 ﹁⋮国よりも、私を優先することはなかった?﹂ ﹁そうだ⋮。俺は一人の人間である前に、一人の騎士だったからな﹂ 779 それ以上朱美が何も聞くことはない。きっと、これが彼の本心な のだ。最後に聞けてよかったとさえ思う。 これで、思い残すことは何もない。 ﹁じゃあ、そんな騎士さんに一つ命令﹂ 朱美の言葉に芝居がかった口調で答えるルーク。 ﹁なんでしょうか? ﹃勇者﹄様?﹂ ﹁あの子と⋮本気で戦ってきてね﹂ 口元を軽く緩ませて一人の騎士は答える。 ﹁仰せのままに﹂ 780 第七十八話︵前書き︶ 次回でルーク戦は終わり 戦闘しかしてない 戦闘書き込み少ない やっぱ戦闘描写って難しい 781 第七十八話 何があったのか。 クロノはまず、そう疑問を覚えた。 場所は変わっていない。薄暗い洞窟内。 自分に斬りかかっていたはずの男が消えた。そして今、その男は 自分に再び近づいてきている。距離は30m近くある。本当に何が 起きたのか分からない。移動というより消えたという表現が正しく 思う。それとも、今までのは全部幻で、実際には男は動いてなどい ないのか。 クロノがそれを確かめる暇もなく、男は先刻と同じように一瞬で 間合いを詰めに来る。その速度を見て、自分が見ていたのは幻でも なんでもないとようやく理解した。 慌てて握り零したエクスなんたらを握る。この時点で、クロノは 一旦紅朱音を捨てた。 基本的にクロノはエクスなんたらと紅朱音を同時に使うことはほ ぼ無い。これが両方とも日本刀なら二刀流という選択肢もあるが、 片方は西洋剣だ。西洋剣においての二刀流は短剣と組み合わせるも ので、間違っても大型の剣二本で使うものではなく、非常に効率が 悪い。 クロノは用途によってエクスなんたらと、紅朱音を使い分けるの が本来である。普段であれば気分によってどちらを選んでも良いの だが、それは相手との力量差がある為で、目の前の男には通用しな い。 だから今回紅朱音を捨てたのは、どちらが相性が良いかを考えた 結果、エクスなんたらが勝っただけだ。細身の紅朱音では最悪折れ てしまう。あわよくば鞘に収めたいところだったが、そんな暇はな い。 782 地面に投げられた紅朱音は、カランという渇いた音を何度か響か せ、転がり横たわる。それを見送ることなく、意識を男に集中させ る。先刻は無属性を使ってきたことに多少の混乱があったが、意識 すれば追えない速度ではない。 先刻と同じ、一瞬消えた位置まで男がたどり着く。ここまでは同 じ。 ︱︱冷静に見極めろ。どっちから来る? 右か左か? だが、ここからが違った。 男は右でも左でもなく、正面から一直線にクロノに向けて飛び上 がった。地面を蹴飛ばした後には穴が開く。 予想を外れた動きに僅かに戸惑うが、冷静にこれをチャンスとも 捉える。飛んでくる男を見て、自分への到達までを逆算する。 空中では方向転換は効かない、出来るのは身を傾けるくらいのも のだ。それにレベル5であれば空中に飛び上がるよりも、地上を移 動した方が遥かに速い。つまりここでやるべきは、背後に回り、後 ろから一撃を加えること。 瞬時にそう判断したクロノは、即座に移動を始める。 ﹁よう﹂ が、始める前に男が目の前にいた。クロノの考えよりも遥かに速 く。それはまるで、空中で加速したかのように。しかし、そんな事 はありえない。であれば。 ︱︱逆算を間違えた? だが、考えている暇はない。目の前にいる。それが現実だ。 783 考えるよりも早く、身体が自然と潰しに来る剣に反応する。この 感覚が久しい。この﹁自然と﹂という感覚が。その時には、先ほど まで感じていた身体の痛みも疲労も消え去っていた。 ︱︱一撃で決めるつもりだったけどな⋮ 内心の驚きを隠しつつ、ルークは剣を振るう。それに目の前の青 年は反応している。 ルークはクロノが考えた通り、加速した。それも空中で。 やり方はそこまで難しくはない。クロノに対し、横向きに飛ぶ、 そして途中で片方の足をもう片方の足で蹴るだけだ。蹴られた衝撃 が加算され、空中でスピードが増す。 この様に言うは易いが、行なうは難しだ。 短い滞空時間で、自分を蹴れるほどのスピード。そして、一気に 加速する衝撃を与えられるほどの、強い脚力がないと不可能である。 通常であれば反応しようとも、身体がついていかないのでこれで 終わるのだが、目の前の青年にそれは通用しない。 反応はされたが、虚はついた。優位性はこちらにある。 今のルークはいくらでも、好きなように剣を振れる。横からでも、 下からでも。そして、上からでも。 ルークは迷わない。上から全精力を持って叩き潰す。重力を加え ると、上からが一番重い一撃になる。これで力負けはない。このま ま押し切る。 互いに知っているはずだ。一撃でも通ったらその瞬間に終わると いうことを。 784 風切り音を伴った凄烈なる一撃が上からクロノを襲う。 考えるよりも早く、身体だけが動く。剣を横に持ち、掲げるよう にして上からの一撃を耐える。衝撃で火花が散ったような錯覚を覚 えた。 しかし、このままでは負ける。上からの一撃が重過ぎる。 早くも、押し切られるのは時間の問題と化していた。 ︱︱ん⋮? 押していたルークは僅かな違和感を覚えた。同時に悪寒が走る。 違和感を覚えたのは、感触だ。剣を握った手が何らかの異常を感 じ取る。この違和感は目覚めたばかりだからとか、そういったもの ではない。 衝突した瞬間に何かがあった。 知っているはずだ。この感覚を。しかし、なんだったか分からな い。いつのだったのか思い出せない。 ︱︱退いたほうがいい 直感ではなく、経験がそう告げる。だが、ここで退く選択肢が正 しいとも思えない。 理性と経験、どちらを信じるべきか心の中でせめぎ合う。 そして、下した決断は ︱︱一気に攻める これがどんな感覚であろうとも、このまま押し切れば勝てる。 785 一瞬、男からの圧力が止んだ。だが、それは相手が引いたわけで はなく、逆に、決めに来る為にもう一度振り上げただけ。上からの 一撃をもう一度加える為に。 避ける暇はない。上から来る前に叩く。 ルークは完全に振り上げる前に、その剣を止め、そこから振り下 ろす。一番上まで上げていては、クロノに先にやられてしまう。 だから、途中で振り下ろす。振り上げたのは誘いだ。守りから攻 めに転じたクロノを潰すための。 ピキリ ルークが振り下ろすと同時に、二人の耳に微かな音が響いた。 ﹁あっ﹂ ルークは音が聞こえたことで、悪寒の正体を思い出す。 だが、もう遅い。振り下ろした刃は止められない。 ︱︱そうだ⋮。思い出した⋮。この感覚は 二つの刃が衝突する。威力ではルークの方が上だ。 通常であれば、このままルークが押し切るはずだった。 しかし、そうなることはない。 なぜなら︱︱︱彼の刃は衝突と同時に粉々に砕けてしまったのだ 786 から。 ︱︱折れる直前のやつじゃん⋮ クロノは見た。衝突したと同時に亀裂が入り、それが全体に広が っていくのを。粉々に砕け散った銀色の刃の破片が宙に舞う。 破片が顔を掠め、いくつかの裂傷を刻むが気には留めない。 ︱︱ここで決める⋮! ︱︱って、なんで折れんの? ええええええ!? 折れる要素などなかった。そんな無理は強いていないはずだ。 完全に予想外の出来事に戸惑うが、相手は待ってなどくれない。 攻めと守りの立場が逆転したことを認識し、一旦退こうと左足で 地面を抉る。見事抉られた地面は跳ね上がり、クロノの眼に直撃し た。一瞬クロノが怯む。 その隙に何とか離れて体勢を立て直すも、剣がなければ圧倒的不 利には変わりない。 横目で恨みがましい視線を、朱美に送る。 ︱︱コレ、ドウイウコト? 視線に気づいた朱美は露骨に目を逸らし、唇を噛んでいる。どう やら、朱美にとっても想定外だったらしい。 787 事情を確かめることを諦めかけたルークの頭に朱美の声が響く。 ︵え、えーっと⋮それは⋮うーん︶ これはどういう原理なのか、と聞きたいがそれよりも重い問題を 優先する。 ︵その口ぶり⋮原因知ってるだろお前⋮︶ 言いながらルークはその場を離れる。離れてすぐにクロノの一撃 が今いた場所に届き、直径5mほどのクレーターを作り出した。 ︵いや、さっきね。その剣時間回帰したのよ。で、それは今アナタ が持ってた頃と変わらないわけ。私がかけてた術式も外れてるの。 それで、エクスなんたらが⋮えーっと⋮︶ ︵長くなりそうだ。分かりやすく頼む︶ ︵⋮簡単に言うと、剣自体の性能の差ってやつ?︶ 考えれば単純な話で、所詮一般兵士に渡されるような剣と、仮に も宝剣と呼ばれるような剣が同じ強さなわけもない。単純に強度が 違いすぎたというだけの話なのだ。 分かったところで現実が変わるわけでもなく、相変わらず不利で ある事に変わりはない。素手と剣持ちではリーチに差がありすぎる 上に、徒手空拳は専門ではない。 ︵この状況で俺にどうしろと!?︶ ︵ん⋮まあ⋮頑張って。私は手助けできないから︶ 788 ︵鬼! 悪魔!︶ ︵うっさいわね! 剣を折られるアンタが悪いのよ。仮にも勇者な んだから何とかしなさい︶ ︵それ本来俺じゃな⋮うおっ⋮と! あっぶねぇ!!︶ 頭の中で実にハイテンションな会話を繰り広げる二人だったが、 どちらも微塵も表情には出さず、ルークに至っては会話の途中もク ロノから逃げ続けている始末だ。 といっても余裕ではなく、そろそろ危なくなりそうなので朱美と の会話を一旦切って、真面目に現状を打破する術を考える。 ︱︱1、素手で戦う。2、白刃取りしてみる。3、死ぬ。うん、3 はないな。というかもう死んでるし。2、無理だな。出来たら苦労 しねえよ⋮。やっぱ1か? 頭の悪そうな考えが浮かんでは消えていく。これでも彼は真面目 だった。 一瞬眼前に迫る刃を見て﹁とれるかな⋮﹂などとやりかけたが、 寸でのところで自制した。大穴が開いた地面を見ると、間違いなく 粉微塵になっていただろう。 だが、ここでふと気づく。剣がないわけじゃないと。 ︱︱あるだろ⋮ ここまでの戦いを再生していく。答えは最初にあった。 789 気づいてからのルークの行動は早かった。真っ先にその場所へと 向かう。 クロノも後を追い、ルークが屈んだところで少し躊躇いつつも、 エクスなんたらを振り下ろした。この体勢では避けられないと確信 を持ちながら。 次の瞬間クロノの眼に映ったのは、弾かれた自分の刃。それと、 見慣れた朱色に彩られた奇怪な刀身︱︱紅朱音の姿だった。 ﹁さて、第二幕と行くか﹂ 790 ﹃勇者﹄︵前書き︶ 基本メンタルは皆弱いし、皆汚い 次でルーク戦終わりだ⋮多分 結局似たもの同士 791 ﹃勇者﹄ 俺は最低だ。 二百年振りにあったアイツとの会話で、あんな馬鹿な事言うんだ から。いや、それ以前の問題か。 アイツが好きだった。だったというのも語弊があるか。好きだ。 今でも。愛してるといってもいい。 だが、俺にそんな言葉を吐く資格はない。 そいつに嘘をついた。汚くて醜い嘘を。きっと、俺という人間自 体が醜くて汚いんだ。 初めて会ったのはアイツがこっちに来たときだったか。それで、 世話係を任されたのが始まりだ。 アイツの能力を知ったときは嫉妬に駆られた。神様ってやつを怨 んだな。どうして俺じゃないのかと。なんでこんな奴が俺よりも強 いんだと。神様死ね! と、声を大にして叫んでやったこともあっ たか。 もう既に醜い。神様は別にして、アイツには何の罪もないってい うのに。アイツは被害者なんだから。 今考えると、俺は死ぬべくして死んだんだ。 戦争が終わって、俺は﹃勇者﹄に祭り上げられた。同時に以前の ﹃勇者﹄は用済みになった。何の役にも立ってなかったしな。俺に とってはアイツがいなきゃ、無属性なんてものに気づきもしなかっ たが。 浮かれてた俺に下された暗殺指令。 今でも思い出す。豪雨の夜。静寂に包まれたアイツの部屋。アイ ツは寝息を立てている。 そんなアイツに刃を突き立てる俺。その時の俺はどんな表情だっ たか、思い出せない。 結果は見事返り討ちに合い、王都が丸ごと消えたが。 792 無様だな。無様としか言いようがない。 アイツには国を優先したなんて格好付けて言ったが、本当にそう か? そこまでの忠誠心が俺にあったか? 違うだろ? 俺は怖かっただけなんだ。 暗く深い穴から、一度陽のあたる地上に出てしまった俺は、その 光を失うことを恐れただけなんだろ? もう二度と戻りたくないと。 だから、あの命令を断らなかった。断ってアイツと逃げる選択肢 を選ばなかった。 こんな人間は死んで然るべきだ。﹃勇者﹄? 笑わせるな。﹃臆 病者﹄の間違いだろ? 俺は怨む。自分の心の弱さを。 俺は懺悔しよう。アイツを裏切ったことを。 もう一度やり直せれば、アイツと逃げる手を選ぼう。そんな機会 は永遠に訪れないけれど。 ああ、自分勝手。ほんっと俺って最低だ。 793 第七十九話︵前書き︶ エスカレーターは歩いたらだめですよ 後半は適当 次回は朱美戦 794 第七十九話 ︱︱なんだこりゃ? レイピアの亜種か? それが握ってみた最初の感想。刀身は奇妙に細長く、血に染まっ たような朱色。握りやすくはあるが、ひどく軽く、耐久性に関して は疑問が残る。 しかし、それでも無いよりはマシだ。レイピアであれば専門では ないが、使ったことがないわけではない。リーチの差に関してはこ れで埋められる。 ルークは半信半疑で、背後から襲う一撃に向けて、振り向きざま にその奇妙な剣を振るった。壊れなきゃいいな、と思いつつ。 クロノは知らなかった。紅朱音が見た目どおり細身で、速度を重 視したものであるとしか。持ち主のクロノでさえ、脆いと考えてい た。 だが、今考えればそれは間違いであったといえる。ここまで使っ た数年の中で、傷どころか刃こぼれした覚えすらもない。 ここに来てクロノはようやく知る。紅朱音の耐久性がエクスなん たらを遥かに凌ぐものであると。 朱美に紅朱音が折れた︱︱いや、傷がついたなどと言ったら、お そらく彼女はこう言うだろう。 ﹁あんの爺⋮⋮、最高傑作とか吹かしてたくせに⋮⋮。墓場から引 っ張り出してでも文句言ってやる!!﹂ 795 クロノのエクスなんたらを弾けたことにルークは驚いていた。苦 肉の策で、レイピアらしき剣を払うのに使ったが、まさか押し勝て るとは。 押し勝てた要因には、クロノが一瞬躊躇ったということもあるの だが、ルークはそんな事を知る由も無い。 ︱︱あれ? これレイピアじゃなくね? よくよく思い返せばこれで突かれた覚えはない。刺突がメインの レイピアだとすれば、そんなことはありえない。 ︱︱思い出せ。コイツはどう使ってた? どう、と考えてみたが、自分の剣を防いでいた印象しかなかった。 かといって、使い慣れたロングソード系統のものかと聞かれたら、 形状からしてそれはありえないだろう。叩くとか、潰すとか、そう いった事には向いていないように思えた。 結局の所、考えてみても分からなかったので ︱︱まっ、適当にやっか と、単純な思考に切り替えた。 右手ごと弾かれたクロノは、衝撃に耐え踏みとどまる。踏ん張っ た足で地面が削れる。 押し負けた原因は分かっている。自分に言い聞かせる。躊躇いを なくせ。目の前の男はもう死んでいる。殺さなければ自分が死ぬだ 796 けだと。 交錯する剣。一々衝突する度に5、60mは離れている朱美の元 まで風が吹き込む。風で長い黒髪を揺らしながら、戦況を眺める。 耳栓をしつつ。正直金属音がうるさい。 不快感は別にして、第三者の眼から見て現状は均衡しているよう に見えた。 単純な無属性のレベルは同じ。他に勝敗を分けるものがあるとす れば経験。単純な戦闘経験では、人生長い分、ルークの方が上だろ う。 だが、そのルークは使い慣れない紅朱音に苦戦中。クロノもルー クに勝っている点がないわけではないが、それ自体今は役に立って いない。結果、両者の現状は均衡している。 どちらかが何かを起こさなければ、この現状は崩れない。 そしてそれは、当人たちも痛いほど分かっていた。 ︱︱埒が明かん。この剣どう使うんだ? ︱︱考えろ。このままじゃ負ける⋮。考えろ。何かあるはずだ 先に現状を変えたのは、ルークだった。 ︱︱なーるほど。こんな感じか? 797 手首を返すだけで、手軽に剣の軌道が変わる。相手の剣をすり抜 けて、服を掠める。それだけでは終わらない。右手から左手に放り 投げ、同じように手首を返す。今度は刃先が身体まで届いたらしく、 僅かに左胸から血が飛び散った。 ︱︱小回りは利くな。斬るのがメインってわけだ 微妙に間違ってはいるが、ルークは確かに扱い方を掴みかけてい た。 一方のクロノは、未だ策を思いつきそうも無い。 両者の差は歴然と身体に現れる。僅かではあるが、裂傷を増やし ていくクロノ。対してルークには傷一つついてはいない。 ︱︱考えろ。考えろ。考えろ。考えろ 頭は警報を鳴らしながら高速で回転していく。 ︱︱まず認めろ。俺は弱いのだと。驕るな。俺は弱い 紛れもない現実を並べる。知る。己の弱さを。 ︱︱相手は強い。俺よりも 一瞬、男が消える前の、意識が溶けていくような感覚さえあれば、 と考えもしたが、本能がそれをしてはいけないと告げる。 ︱︱知っているはずだ。俺は無属性の敗北を。俺自身の敗北を 798 溺れそうなほどに激しい記憶の奔流を遡る。記憶の流れに逆らっ て、徐々に過去へと舞い戻っていく。 途中で蓋が出現した。大きく開きそうもない蓋が。 知っている。この蓋がなんの記憶を封じているのか。 ︱︱見たくない それでも、開けなければいけない。分かっている。 ︱︱眼を背けるな。現実を直視しろ 自分に言い聞かせて、強引に重い蓋を開け、中へと飛び込んだ。 ほんの数週間前の、あの出来事の中へ。 ﹁どけよ﹂﹁殺す覚悟もねえゴミが、俺の邪魔してんじゃねえぞ!﹂ ︱︱違う。もっと先だ ﹁あ⋮あ⋮ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!﹂ ︱︱まだだ 深く底に潜っていく。あと少しで、あの場所にたどり着く。 次々と再生されていく記憶。止め処なく溢れる記憶を抑え、クロ ノは更に奥へ。 そして、クロノはようやくたどり着く。 ﹃そして、赤い、生肉を、紅い、心臓を、尖った、石柱が、真っ直 ぐに、貫いた。﹄ 799 この場所に。自分が敗北したこの場所に。 叫びそうな自分がいる。その前には身体を貫かれたメアリーの姿。 あの日以来ようやく、思い返した。眼を背けていた現実。 負ける戦いではなかった。守れたはずだった。 後悔で自己嫌悪に陥りそうになる。だが、今はそんな場合ではな い。 ︱︱なぜ俺はこの時、間に合わなかった? 考える。弱者は考えるしかないのだ。 ﹃右足も右手も左手も使った。咄嗟に戻しても間に合わない。身体 を支える左足は使えない。﹄ ︱︱体勢が崩れていた? じゃあそれはなぜだ? 答えはシンプルだ。”タイミング”がずれた。それだけだ。それ だけのことで、自分は彼女を守れなかった。 だが、自分にチェスのような戦いは出来ない。 ︱︱自分に出来る事はなんだ? 自分はどうやったら勝てる? 緩急。加速。減速。初速。終速。タイミング。様々なキーワード が浮かび、やがて一つの答えを導きだす。 800 クロノは、無属性を覚えてから味わった、朱美以外との初めての 敗北を、ようやく受け入れる。後悔と共に。 後悔はしてもいい、立ち止まってもいい。だが、決してそれに囚 われてはいけない。いくら後ろを向いたところで、過去は変えられ ないのだから。 前を向いて歩き出すしかない。 ルークはほぼ、紅朱音の使い方を理解していた。普段使っている ものよりも数段軽く、速く振ることが出来る。単純な剣のスピード ではこちらの方が上だ。 切れ味という点でも勝っている。一撃が少々軽いというのが難点 だが、些細なことだった。相手の攻めをカウンターの要領で避けつ つ斬ればいい。それくらいの事は自分に出来る。 クロノの正面から振り下ろしたエクスなんたらの剣速を肌に感じ つつ、何でもない様子でルークはその一撃避けた。対象を失った一 撃は地面へと衝突し、地響きと共に直径1mほどのクレーターを刻 む。 避けられたと見るやいなや、クロノは即座に右へと地面を蹴ろう とする。 その動きをルークは見逃さない。クロノが蹴る直前に先に右へと 飛び、待ち構えた。 そして、クロノが地面を蹴る。ルークは自然と、クロノが自分の 801 ところに来るであろうタイミングで、紅朱音を振るった。着地と同 時に殺すために。 スカ そんな音が聞こえた気がした。 振り切った後で、ようやく、クロノが一撃を伴って目の前に現れ た。 ﹁終わりだよ﹂ 鋭く重い一撃が、無防備なルークの身体を襲った。 人は無意識の内に逆算する。この程度のスピードであれば、この タイミングが丁度いいだろうと。 例えば、動いているエスカレーター。あれも、知らないうちに、 どのタイミングで足を出せば踏み外さず昇れるかというのを、知ら ないうちに頭の中で逆算しているわけだ。わざわざ考えて歩く人間 はほとんどいないだろう。 しかし、速度を一瞬、ほんの一瞬だけわずかに遅くしてみる。す ると、昇ろうとする人間は踏み外す。ほんの少しの変化に人間はつ いていけない。 ルークの読みは間違えてはいなかった。確かに通常のクロノであ 802 れば、その場所にそのタイミングでたどり着いたはずだ。 だからこそ、クロノは一旦、地面を蹴る直前に、レベルを下げた。 5から3へと。 こうすることで、脚力は下がり、スピードも下がる。 クロノが自分の敗北の原因を考えたときに、気づいたのはタイミ ング、緩急の重要性だ。チェスに負けた根本的な原因もそれだ。 今まで考えたこともなかった。それは一重に、無属性を使った時 点で勝敗は決していた為。考える必要がなかったのだ。苦戦する相 手など、朱美以外には存在しなかった。 ルークもそれは同様で、工夫する必要がなかった。無属性を使っ て負けたのは、最後の朱美だけだ。 結果として、二人の勝敗を分けたのは無属性での敗北経験の差。 クロノが唯一ルークに勝っているその差が、明暗を分けた。 クロノが振るった一撃は、ルークの身体にめり込んでいく。手に 肉を抉る感触が伝わる。人間の命を奪っているのだと実感がある。 それら全てを受け入れて、クロノは更に力を込めた。 これで文字通り終わらせるために。 身体から感覚がなくなっていく中で、ルークはぼんやりと考えて いた。 ︱︱こりゃ、確かに勝てねえわ。ハッ、俺の子孫ってやつもやるねえ 原理は何となく分かった。自分が考えたことがないだけだ。もう 803 一戦やれば負けることはないだろう。 そんなことを言っても、負け惜しみにしかならないのだが。 ︱︱﹁あの日﹂、俺もこれが使えたらアイツを殺せたか⋮? 静寂に包まれた室内。天蓋つきのベッドに彼女は寝ている。そし て、その彼女に刃を向けている自分。 だが、いくら考えても、殺せるヴィジョンが浮かばなかった。 ︱︱んだよ。結局無理じゃねえか 力が足りなかったわけじゃない。寝ているその顔に、喉に、刃を 突き刺せばよかった。それが出来なかった。ただ、自分が躊躇った だけ。彼女を殺すことを。 ︱︱あーあ、結局俺は中途半端だったわけだ。そんなんで、国もア イツも守れるわけねえだろ もう感覚はほとんどない。身体がどうなっているのか、見なくて も分かる。 最後に、顔を背後にいる彼女に向ける。 ﹁ごめんな﹂ その言葉を最後に、ルーク・ユースティアの身体は霧散していっ た。 ﹁馬鹿⋮⋮﹂ 804 805 第八十話︵前書き︶ 水蒸気爆発ってこれで起きるんですかね? 誰か教えてくらはい 出来なかったら別のに変えるんで 朱美さんが本気出したらクロノに勝ち目なんてない 次回で朱美戦エンド 806 第八十話 消えた。比喩ではなく。今度は認識できる形として、クロノの目 の前から男の姿が消えた。 ふっと、煙のように男の身体が空気の中に霧散していった。不思 議と、これで完全に勝ったのだと確信出来る。 おそらく、元々消滅するときはこういった感じになっているのだ ろう。肉を抉ったときには、男から血は一滴も流れず、抉った先か ら消えていった。エクスなんたらの刀身もまったく汚れず、依然薄 暗い洞窟の中で堂々たる輝きを放っている。 男が落とした紅朱音を拾い上げ、エクスなんたらを背中に背負っ た鞘に収める。紅朱音を握った感触も、変わった様子はない。ただ、 あの男が使っていた証として、柄からは生温かさを感じてしまう。 クロノはその温かさで思い知る。自分が人間を殺したことを。あの 肉を抉る感触は本物であったのだと。 ゆっくりと、顔を朱美の方へと向けた。距離は遠いが、はっきり と顔が見える。出逢った頃から、まったく変わらないその顔。紅い 着物に彩られたその姿は、まるで血に染まっているように初めてク ロノは感じた。気のせいだろうか。それに瞳がかすかに光っている ようにも見えた。 クロノは朱美を見据え、落ち着いた調子で言った。 ﹁かーさん。もう、止めないか﹂ 朱美は一度瞳を軽く擦り、その言葉に答える。擦った後の瞳から は、光が消えていた。 ﹁今更、何を言ってるの?﹂ 807 ﹁かーさんは本気で俺を殺す気なんて、ほとんどなかっただろう。 最初から殺す気なら、こんなまどろっこしいやり方をしないで、問 答無用で殺せたはずなんだ﹂ 力の差をクロノは理解している。間違いなく、最初の時点で自分 を殺せたはずだと。 朱美は不敵に笑う。 ﹁⋮⋮私が貴方に絶望を味あわせて殺すため、というのは考えなか ったの?﹂ しかし、クロノは迷わずはっきりと答えた。 ﹁考えないね。だって、かーさんは俺を育ててくれた人だから。そ んなことは考えないよ﹂ 迷いのない言葉。 その言葉に朱美は揺らぎそうになる。一瞬、このままここで生き ていくのも悪くないと考えてしまう。 本来であれば嬉しいはずの信頼の言葉が痛い。 揺らぐ朱美の心中を、知ることもなくクロノは純粋な青い眼差し で尋ねる。 ﹁教えて欲しい。どうしてこんなことをしたのか。俺が悔やんでい たから? それとも︱︱﹂ 突き刺さる視線に不思議な痛みを感じながら、朱美は途端に冷た い表情となり、クロノの言葉を遮った。 808 ﹁聞きたいことがあるなら︱︱﹂ 朱美はどこまでも冷たい氷のような表情を貼り付けその先の言葉 を紡ぐ。 ﹁力づくで吐かせてみなさい﹂ クロノはこの言葉で理解する。議論の余地はないのだと。 朱美は自分の右手を前に突き出し、戦いの始まりを静かに告げた。 ひゃくはちじん ﹁﹃かまいたち﹄百八刃﹂ そんな短い言葉が聞こえたかと思うと、クロノの視界を無数の風 の刃が覆った。発生元は見るまでもない。高さは3mくらいだろう か。百八の風の刃は硬い地面を削りながら、一直線にクロノ目掛け 突き進む。通った後には一筋の線が刻まれていく。生身で受けたら 間違いなく真っ二つになるだろう。 避けたいところだが、避けるスペースがない。前方は全て風の刃。 後方に飛んだところで同じことだ。 身構え、乱れそうになる呼吸を整える。何度も見たこの刃。対処 方は知っている。 前面に集約された刃が自分を襲うのに合わせて、右足を前方へ踏 み込む。 ﹃かまいたち﹄の対処方は一つだ。ど真ん中から真っ二つに斬る。 左の腰に構えていた紅朱音を居合いの要領で引き抜く形で前に出 し、横一文字に風の刃を纏めて斬り裂いた。 斬り裂かれた風の刃は、二つに分かれ軌道が逸れ、見事にクロノ を通り過ぎていき結界の端に当たる前に消失した。 809 それを最後まで見送ることなく、クロノは朱美の元へ向かう。遠 距離戦ではどう足掻いても勝ち目はない。 60mほどの距離を三歩︱︱一秒足らずで詰める。朱美は表情も 変えず、更に言葉を紡ぐ。 すいそう ﹁水槍﹂ 言葉を発するだけで、それが現実に現れる。通常は必要なイメー ジする時間も、魔力を抽出する時間もほとんど必要はない。 クロノが魔術師と戦うときの鉄則は、イメージ抽出の段階で先に 叩くこと。しかし、朱美にはそれが出来ない。 朱美の元に現れた水の槍。それは槍というより、先が三叉に分か れており鉾︱︱トリアイナの様に見えた。 朱美はそのトリアイナを棒立ちのままクロノに向け突き出す。そ の動きは、まるで素人。そもそも、剣術自体も拙い朱美にそんなも のがまともに扱えるわけもない。 結果、突き出したトリアイナは、なんなくクロノの紅朱音に斬ら れてしまう。斬った感触はただの水。 水で出来たトリアイナは、形状を保てなくなり、ただの水に戻る。 飛散した水の多くがクロノの右肩にかかった。クロノはそのまま、 朱美の動きを止めようと紅朱音の峰で叩きにかかる。 ﹁∼∼∼∼ッ!!﹂ が、不意に感じた痛みによって紅朱音を振るうことは叶わなくな る。痛むのは右肩。振るう直前、右肩を突き刺すような痛みが奔っ た。 顔を歪めると同時に、紅朱音を振るうことを諦め、後方へと跳ん だ。途中で追撃も予期していたが、朱美が動きを見せることはなか った。 810 それ以前に、戦いが始まってから朱美は一歩も動いてはいなかっ た。 これが力の差だとクロノは痛感する。しかし、勝たなければいけ ない。 落ち着いたところで肩を見ると、水が、刺さっていた。それは、 それ以上に表現し難いくらいに、そのままの意味。何の変哲もない はずの水が、肩に刺さっていた。幸い、貫いてはいない。その水に 触れるやいなや、途端に水は地面に零れ落ちた。刺さるほど硬かっ たはずの水は、触るだけで崩れる。 今まで戦ったどの水属性の使い手でも、こんなことは出来ないだ ろう。今、目の前に起こった現象は本当に現実かと疑いたくなる。 そんなクロノに朱美は追い討ちをかける。 ﹁来ないならこっちから行くわよ。﹃水槍の豪雨﹄﹂ 豪雨という文字が示すように、それは上から降ってきた。さきほ どのトリアイナが、雨のようにクロノの頭上から無数に降り注ぐ。 一滴の雨粒でさえくらうわけにはいかない。少しでもかかれば先 ほどの二の舞だ。 しかし、クロノが水より遅いわけはない。風よりも速く、クロノ は朱美の視界から消えた。 消えたように見えたクロノの移動を朱美は見失うことなく、続け ざまに言葉を発した。 ホーミング ﹁追尾﹂ 真っ逆さまに降り注いだ水槍が落下の直前で急激に軌道を変え、 移動中のクロノへ向けて一斉掃射される。最早それは降り注ぐでは なく掃射。 811 クロノがどこに行こうとも、軌道を変え逃げることを許さない。 ならばと、クロノは洞窟の入り口︱︱結界の端に向かい、一度立 ち止まった。立ち止まった標的を見て水槍は更に加速し、一直線に 突き刺しにかかる。 穂先が鼻先に触れようかという瞬間︱︱クロノは真横へと地面を 蹴った。十分に引きつけられた水槍は、軌道を変える間もなく、そ のまま結界の端に衝突する前にただの水へと成り果て、地面に染み 込んでいった。 跳ねる水沫をかわし、攻めに転じようとするクロノ。近づかなけ れば勝機はない。 ようえん 朱美は矢継ぎ早に言葉を紡ぐ。 ﹁溶炎﹂ ぼこぼこと土から湧き上がる、マグマの様などろっとした液状の 炎。炎の中からは気泡が湧き上がっていた。 決して量は多くはないが、触れた瞬間に身体が消えてしまうであ ろうことは容易に想像できた。 その炎は地面を伝い、緩やかな速度でクロノに向けて地面を侵食 していく。その様はまるで水を地面に流したときのようだ。 跳ぶことは簡単だ。この炎も跳び越えることは出来る。40mほ ど先にいる朱美の周りには炎はない。そこまでたどり着く自信はあ る。 だが、跳んだところで、そこまでの大ジャンプ。空中で狙い撃ち にされるのは明白だ。間違いなく、跳ぶように誘導されている。 その間にも、地面を溶かしながら進む炎。結界の端までたどり着 くには、30秒くらいかかりそうだ。 猶予は30秒。わずかな時間で策を考えるしかない。生きるため 812 に。 ︱︱どこかにヒントはあるはずだ⋮。考えろ⋮ 記憶を辿っていく。この戦いの全てを思い返す。 しかし、無慈悲にも朱美の声が響いた。 ﹁暇なんて与えないわよ。﹃水槍の豪雨﹄﹂ その言葉で上を見る。出現した無数の水槍が、こちらを覗いてい た。一度思考を止め、避けようとクロノは落下の時に備えて身構え る。 水槍が降り注ぐ。クロノに︱︱︱ではなく、溶炎へと。全ての水 槍はどろっとした炎の中へダイブしていった。 すいばく ﹁﹃水爆﹄﹂ 直後、 ドガァァンン という爆発音が、衝撃を伴って洞窟内全てを満たした。 クロノを襲ったのはなんでもない。ただの、水蒸気爆発だ。 当然この世界にはまだ、そんな言葉は存在せず、クロノには何が 813 起きたのか理解できるわけもない。 洞窟内に充満する爆煙。1m先も見えそうにはない。 ﹁邪魔よ﹂ 朱美は自分だけを包んだ光の結界の中から風を操り、それらをか き消していく。地面を覆っていた溶炎は一旦、地下へと押し込んだ。 風で爆煙を結界の端に追いやっていく。 ようやく視界が開けそうだ。 その時、自分の意思にそぐわない一陣の風が吹き込んだ。何の変 哲もない自然の風。 ﹁⋮?﹂ 違和感を覚える。そんなものがなぜあるのか。結界で密閉された この空間内に。 ︱︱爆発で結界が壊れた? そんなはずは⋮ 自分にかけた方は壊れていない。強度的には、洞窟を包んでいる ものと大して変わらないはずだ。 完全に爆煙を消し去った後で、朱美は知る。何があったのかを。 ﹁⋮そういうわけね⋮﹂ 結界には確かに穴が開いていた。人一人通れるほどの小さな穴が。 814 第八十一話︵前書き︶ 後半めんどくさくなりました 後、エピローグ書いて回想終わり 815 第八十一話 爆煙を見る直前、クロノの頭はようやく、一つの解決策、或いは その場凌ぎと呼ばれるものを思いついていた。 前に行けないのなら、後ろに行けばいい。 単純な話だった。 だが、背後は結界の壁。朱美が本気で造ったのなら、到底自分の 力で割れるものだとは思わない。 しかし、ここでふと、思い返してみる。 思い返すのは先ほどの水槍。自分に向けて掃射された夥しい水の 群れ。そして、その最期。﹃結界の端に衝突する前にただの水へと 成り果て﹄ なぜ、ただの水へと成り果てたのか。なぜ、そうしたのか。 翼は空を飛ぶためにあるように、エラは水中で生きるためにある ように、全てには理由がある。 自分に当たらなかったから? それもあるだろう。 だが、クロノはこうも考えた。﹃当てたくなかった﹄のではない かと。結界に当てるのを嫌ったために、朱美はあえてただの水に戻 したのではないかと。 なぜ、当てるのを嫌ったのか。それは、結界が思いのほか脆く、 砕けてしまうことを懸念したのではないかと。水槍で壊れる、まで いかなくとも、ヒビが入るのであれば、自分の一撃なら確実に砕け る。 確証はない。不確定な賭けだ。それでも、それ以外の選択が思い 浮かばなかった。 結果としてその考えは正しく、爆煙が洞窟内を包む前に離れるこ とには成功した。 ⇔ 816 クロノは、降りしきる雨の中、泥に塗れながら必死に距離をとっ ていた。逃げたのではない。あくまで距離をとっただけだ。 森の中は、雨の音以外何も聞こえない。本当は何か聞こえるのか もしれないが、それすらも雨の音にかき消されているようだった。 地面は草が生えているというのに、沼のようにぬかるみ、足をとら れてしまいそうだ。 ﹁⋮⋮⋮ハァ⋮⋮ハァ⋮⋮﹂ 乱れる息を抑え、身体を泥の中に投げ出す。グチャリと、何とも 粘着性のありそうな音が聞こえ、身体を汚い泥のベッドが迎え、上 から降ってくる雨の毛布が包む。ひんやりとした冷たさが、熱くな っていた身体を急速に冷やしていく。 無傷ではない。右肩は依然、血を流し続けている。その上、爆発 からも逃げ切れたとは言い難く、余波を思い切り喰らってしまった。 それ以前の戦いの傷跡も疲労も癒えてなどいない。 ︱︱近づかなきゃ勝てない⋮。分かってる。でも、どうすれば⋮ 疲労と痛みが思考を邪魔する。本当に正常に思考できているのか、 自分でも分かりそうになかった。 べっとりと泥がついた身体を起こす。普段であれば、気持ち悪さ ですぐに水でも浴びたくなりそうだが、不思議とそんな考えは浮か ばなかった。 その時、紫の閃光が轟音と共に眼前を覆った。太陽の光でも、朱 美の光属性でもない。それらとはまた別種の光。今まで感じたこと がないような、圧力を感じる光。 光はけたたましい轟音を響かせ、ぐずぐずとした地面を貫いた。 地面に大穴を開け、ぷすぷすと焦げたような燻ったような匂いと音 817 を残して去っていった。 奪われた視界が回復したことを確認し、目の前の大穴を眺める。 草が焦げ、茶色く変色している。 この光の正体は、朱美からの攻撃でも何でもない。つくづく自分 は、神様ってやつに嫌われているのだと思う。 自分よりも速く、強大な力。何者も抗うことを許さない力。 クロノは恐る恐る上を見上げる。 天には暗雲が、第二撃を放とうと鎮座していた。 ﹁勘弁してよ⋮﹂ ⇔ クロノに第二撃が加えられている頃、クラウンは一人高い針葉樹 に登り、天に君臨する暗雲︱︱その先にいる相手に向かって子供を 諌めるように言った。 ﹁止めときなよ。今更そんなことをやったところで意味はないさ。 君は彼女を放置しすぎたんだよ。認めな。彼女が去ることを。大体、 君が今落としている相手は違う人だからね⋮? 誰かも分からない ほど耄碌したのかい? しかも外してるし﹂ 誰かに言ったその言葉は返ってくることはない。 代わりに雨は怒ったように更に激しさを増し、クラウンを冷たく 濡らしていく。眼も開けていられないほどの豪雨が、だだっ広い森 を黒く染め上げていく。 クラウンはこれ以上の﹃会話﹄を諦め、今度は本当の独り言を呟 いた。 818 ﹁結局、僕が認識錯誤張ることになるのか⋮。認識されたら駄目な んだよ、彼に邪魔される。はぁ⋮⋮だーから、結界破っちゃ駄目な のにさ。まっ、今回は餞別ってことでサービスしてあげるけど﹂ ⇔ ︱︱何かしたわね⋮クラウン⋮ 未だ洞窟の中にいた朱美は、自分の意にそぐわない何かが、姿も 見えない道化師によって行なわれたと感じ取っていた。 今までであれば、邪魔するなと言ってやりたいが、この後に及ん でそんなことはないだろう。あの道化師は、自分の知らないところ で、自分の知らない目的を持って何かをやっているのだ。そういう 奴だ。 ここで考えるべきはクロノのこと。近づかなければ戦いにもなら ないことは分かっているはずだ。さすがにこのまま逃げる気はない だろう。そんなこと許す気もないが。 しかし、クロノは傷を負っている。暫く身体を休めるということ はあるかもしれない。 が、そこまで考えて、朱美は意地の悪い笑みを浮かべた。 ﹁暇なんて与えないって言ったはずでしょ?﹂ ⇔ 轟く雷鳴と激しい閃光。降り注ぐ紫電。それはまるで怒りを示し ているようにクロノには思えた。 二撃目は背後に降り注ぎ、これまた大穴を開けた。よくこの至近 距離で当たらないものだと、自分の悪運に感心したくなる。 819 大穴を二つ見た後でようやく我に返り、ここにいては危険だと駆 け出した。なぜかはよく分からないが、あの場所は雷に狙われやす いということはなんとなく分かったからだ。 痛む身体を無理矢理動かしながら、がむしゃらに雷から逃げ続け た。どれほど泥に塗れようとも気にせず、ただ走った。 泥に足をとられそうになる。それでも、泥を払いのけて深い森の 中へ進んだ。 ようやく、背後での雷鳴が収まったところで立ち止まる。木々の 端に見える洞窟が視認すら厳しく、枝よりも細く小さく見えた。 両膝に手を置き、呼吸を整える。 すると、足がぬかるんだ泥に埋まった。ここは一段とぬかるんで いるらしい。 しょうがなく、この場も離れようと足を振り上げる。 が、上がらない。よほど上手く嵌ったのか。 何度も力を込め抜け出そうとするが、一向に抜け出せる気配はな い。それどころか、更に深く沈んでいく。まるで底なし沼だ。 そろそろ背中のエクスなんたらを棒代わりにして抜け出そうかと いう時、自然と悪寒がしてきた。 ふと、考えてしまったのだ。 これは、自然のものなどではないのかもしれないと。であれば、 これは拘束具のようなものではないかと。 そして、その予感は辛くも的中することとなる。 ﹁みーつけた﹂ 木々の端から出てきたのは、血のような紅を身に纏った最強の姿。 顔を引き攣らせ、苦笑いを浮かべながらクロノは尋ねる。そこに は恐怖の色がほんの少し宿っていた。 ﹁どうしてここが分かったの⋮? かーさん﹂ 820 ﹁んー? あら、知らなかった? 地属性の上位者はある程度の範 囲まで、意識すれば地面を歩く人の感触が分かるのよ。私は半径2 00kmちょいってとこかしらね﹂ 世間話のようにあっけらかんと答えながら泥の大地を踏みしめ、 一歩一歩クロノへと近づいていく。 あっさりと上位者などと言ったが、そんな者はこの世界の住人の わずか1%にも満たないだろう。今までの相手にそんなことを出来 た人間はいなかった。 呆れたようにクロノが呟いた。 ﹁簡単に言うね⋮ホント⋮﹂ ﹁だって事実だもの。さて、とーちゃっく﹂ このやりとりだけなら、暢気な母親との親子の会話に聞こえるか もしれない。 朱美は最後の一歩を飛び跳ねて、軽やかにクロノの元へとたどり 着く。 ﹁ああ、よく見える⋮﹂ 愛おしそうに朱美はクロノの頬へと手をかけ、雨に濡れた冷たい 頬を温かい右手で擦る。その眼には、狂気の色など映ってはおらず、 どこまでも優しい光が宿っているようにクロノには見えた。 微動だにせず、クロノは怪訝そうな表情で眺める。 何をしたいのか分からない、というのがクロノの本音だ。 だが、不思議と悪い気はしない。改めて、やはり自分はこの人を 嫌いになどなれないのだと実感させられる。 821 朱美はひとしきり弄った後、右手をクロノの心臓付近へと伸ばす。 ﹁どう死にたい? 希望があれば聞いてあげるけど?﹂ ﹁そうだね⋮。出来れば死なない方向で﹂ ﹁無理﹂ ばっさりと生きる希望を斬って捨てる朱美。なら聞くな、と言っ てやりたい衝動に駆られる。どちらにせよ自分に選択権がないこと は分かっているのだが。 朱美は会話を止め、眼を閉じて伸ばした右手に意識を集中させて いく。時を同じくして、クロノの胸の辺りには鋭い痛みが奔った。 ナイフでわざと傷を刻んでいるような感覚。 通常の人体ではありえない、ピシピシという、ヒビが入るような 音が身体から聞こえる。 ︱︱ヤバイ⋮ヤバイ⋮! これは何か知らないけどマズイ⋮! 瞬時にそう判断したクロノは、必死に沼から抜け出そうと足をば たつかせる。 すると、足に硬い何かが当たった。何かは分からない。前からあ ったのか。 確かめる暇もなく、それを足場に全脚力を持って跳び上がる。ま とわりつく泥をすり抜け、斜め後ろに跳びあがるクロノの身体。 泥の重みからだろうか、いつもよりは跳ばなかったが、今となっ てはそれも好都合だ。空中での時間は短い方がいい。 着地する直前、クロノは朱美を見た。赤みがかった口元がうっす らと動き、何事かを呟いたように見えた。 822 ﹁これで終わり⋮﹂ ⇔ 跳び上がったクロノを見て、朱美は驚くことなく、冷静に頭を働 かせていた。しっかりと自分が今さっき沼の中に用意した石を足場 に跳んだようだ。ここまでは完璧。 胸には隠蔽もかけ、こちらの準備は終わった。 ここに来るまで色々なことがあった。たくさんの人を殺した。少 ない友人を作った。一人の子供を拾った。 長かったと思う。この二百年以上に渡る人生がようやく終われる。 そう思うと、自然と口にでてしまう。 ﹁これで終わり⋮﹂ ︱︱私がね ⇔ クロノは自分の胸の辺りに手を当ててみるが、別段変わった感触 はない。泥の感触だけだ。血が出ているわけではなく、当然身体に ヒビが入っているわけでもない。 不思議がるクロノだが、考えたところで分かるわけもなく、そん な暇がないことは痛いほど分かっていた。 朱美は温かみのある微笑みを見せる。 ﹁あらあら、そのまま身体を砕いてあげようと思ったのに﹂ 優しいその顔からは想像もつかないほどに物騒な言葉を吐く。 823 背筋が寒い。視線が痛い。逃げ出したい。 彼女が最強だと知っている。だが、勝たなければ前には進めない ことも知っている。 ︱︱迷うな⋮視線を逸らすな⋮しっかりと相手を見据えろ⋮ 心の中で何度も反芻する。相手は最強だと。迷っていては勝てな いと。もっといえば︱︱ ︱︱殺す気で行く⋮! そして、クロノは柔らかい泥の地面を蹴った。 朱美は手に光剣を握り、静かに身構える。 今、考えると、この時点でおかしかったとクロノは思う。剣術で は勝てないと朱美は知っていたはずなのに。それでも、朱美は静か に剣を構えた。 必死だった。勝ちたかった。身体は痛みと疲労でもうそろそろ悲 鳴を上げかけ、猶予はなかった。 朱美は、眼前に迫るクロノに向けて、光剣を横薙ぎに振るった。 素人の振り。クロノは光剣を斬りにかかる。玄人の振り。 結果、光剣は紙でも斬ったかのように音もなく、あっさりと切断 された。 そのまま、紅朱音はスピードを殺すことなく、朱美に紅い刀身を 剥き出しにして襲いかかる。 これでも朱美ならば足りない。光剣を砕いた瞬間に次の魔法への 準備を始めている︱︱はずだった。少なくともクロノはそう、思っ ていた。 だからこそ、クロノは安心して殺す気で剣を振るえた。あくまで 824 ”気”だ。 殺す気だったからこそ、光剣を斬った上で、なおも紅朱音の剣速 は衰えない。 無抵抗に気づいた時にはもう遅い。直前で手首で軌道を変えよう ともがくが、刀身は主の意思とは無関係に突き進む。 鮮血が舞う。手に感触がやってくる。今度こそ、肉を抉り、生き ている人の命を奪ったと間違いなくいえる。 眼に映る鮮血。それらは水滴に混じって、地面へと降り注いでい った。 ﹁⋮これ⋮で⋮完⋮せ⋮い⋮﹂ 刹那、掠れるような声が聞こえ、クロノの視界は光で覆われた。 ⇔ クラウンはぼんやりと、どこかから二人を見つめていた。 白化粧の怪人はその顔に似合わない、哀しげな表情で肩を竦める。 ﹁わざわざあそこまでさせなくてもいいのにねぇ⋮。下手したらト ラウマもんだよ。まあでも、これで術式の起動に必要なものは揃っ たかな﹂ 言いながらクラウンは、何かに気づいたのか首を傾げた。 ﹁ん? アレ? あー、何か聞こえると思ったら今結界の外だった。 道理で君の声がするわけだ﹂ ペラペラと独り言を連ねる。傍から見たら怪しい人間である。元 からかもしれないが。 825 ﹁さあ? 少なくとも君には分からないだろうね。君、人間ドラマ とか嫌いだろ? お好みは戦争映画みたいだし﹂ この世界にはそぐわない例えを持ち出し、既知の相手との”会話 ”を続ける。 ﹁多分、彼女が”殺す”って言うのにこだわったのは、それがあの 日の引き金だと思ってるからだろうね。根本的な要因は君なんだけ ど﹂ 怨むような表情で、誰もいない天を睨む。天には雨雲が静かに鎮 座するだけだ。 己の暗さをかき消し、視線を二人へと戻す。 ﹁君はさ、勝手にどっかの世界から連れてくればいいけど、連れて こられた僕たちは自分の世界に戻らないと意味ないんだよ。自分の 世界を指定しないといけない。だから、君の術式とは大幅に違うし、 術式以外にも必要ものがあるんだ。座標指定のために、行きたい世 界の人間の血っていうものがね⋮。まっ、君にはそんなことどうで もいい話だろうけど﹂ 誰とも分からない相手との”会話”を締めくくった後で、最後に こう付け加えた。 ﹁なあ、世界?﹂ ⇔ 826 止め処なく溢れ出る血と光。光は円を描き、辺り一面を包む。 膝から崩れ落ちるようにしてその中心となった朱美は倒れこんだ。 クロノはなんとか、完全に地面に落ちる前にそれを受け止める。 その拍子に深紅の血がべっとりと手についた。手が震える。現実が 迫ってくる。自分が殺したのだという現実が。 クロノは震える声で、感情に任せて叫んだ。 ﹁なんで⋮なんで⋮避けなかったんだよ!! かーさんならどうに でもなったはずだろ⋮!?﹂ 自分に言い聞かせるように叫んだクロノの言葉。その間にも光は 収まらず、朱美の血も治まらない。 直前で軌道を変えようと足掻いたせいか、傷は即死するようなも のではないが、このままでは出血多量で死ぬことが用意に想像でき た。逆に言えば、即死できない分、痛みが長く続くとも言える。 それでも朱美ならば光属性で治癒が出来るはずだが、まったくそ んな素振りはない。 焦燥しきったクロノに、よく通る澄んだ声で優しく喋りかける。 ﹁⋮いいんだって⋮。ようやく⋮帰れる⋮﹂ ゆっくりと身体を起こし、ほとんど感覚がなくなった手でクロノ を引き寄せる。 そして耳元で囁いた。 ﹁ゴメンね⋮こんなことさせて⋮ゴメンね⋮ゴメンね⋮﹂ うわ言のように謝罪の言葉を連ねる朱美。なぜ、自分が謝られて いるのかクロノは理解できない。分かるのはこのままだと死ぬとい うことだけだ。 827 ﹁早く⋮早く治さないと!﹂ 狼狽えるクロノは必死に治す術を探すが、そんな術はどこにもあ りはしない。 ﹁いいの⋮どうせあっちの世界についたら自動的に死ぬんだから﹂ ﹁何を言って⋮﹂ ﹁貴方にもう、殺せない人間はいないわ⋮私を殺せるなら⋮誰だっ て殺せる⋮﹂ クロノには何を言っているのかは分からない。ただ、なんとなく、 これまでの全てが自分の弱さのせいなのだと悟った。きっと、村で のことも彼女は知っているのだろう。だからこそ、彼女は自分を殺 させたのだ。 光はより一層強くなる。光は範囲を狭め、確実に朱美の元へと収 束していく。 ﹁⋮この世界は理不尽だよ⋮殺さなきゃいけない時は必ず来るの⋮﹂ 自分に言い聞かせるように朱美はそう呟き、そっとクロノの頬を 撫でた。頬に当たったその手はまだ温かい。 ﹁ゴメンね⋮最低な母親で⋮こんなことさせて⋮﹂ 何度も何度も、自分を否定し、謝罪の言葉を口にする朱美。否定 の言葉でどんどんとクロノの中の朱美が染まっていく。強さの象徴、 太陽のように眩しかった朱美が地に堕ちていく。 828 ︱︱これが正しいのか。本当にそうか? ﹁⋮違う⋮⋮﹂ 小さくも力強く、クロノは声を上げた。降りしきる雨に負けぬよ うに、その声は徐々に大きくなっていく。 ﹁違う⋮! かーさんは最低なんかじゃない!! 最低なのは、か ーさんにこんなことさせた俺だ⋮﹂ ﹁ありがとう⋮優しいねクロノは⋮﹂ 他にも言いたいことはいくらでもある。が、ありすぎて言葉とし て上手く言えそうにはなかった。 円は範囲を狭め、中にいるのは二人だけとなった。 時間がない。 朱美は自分の左手の薬指から、朱く光る指輪を外し、クロノに差 し出した。 ﹁あげるわ。これ⋮私には相応しくないもの⋮。これはいつか、ク ロノが一番大事だと思える人に渡しなさい﹂ しかし、クロノはそれを押し返す。 ﹁なら、かーさんが持ってて﹂ ﹁駄ー目。私には合わないわ⋮﹂ 半ば強引に朱美は指輪をクロノに渡した。黒と朱で彩られた指輪 829 は光を浴び、より一層の輝きを見せていた。 円は既に範囲を朱美を包むだけに留めている。 朱美は最後に、クロノを思い切り抱きしめた。 ﹁これでさよならよ⋮ありがとう⋮クロノと会えて、ようやくこの 世界も悪くないかなて思えたわ⋮﹂ はにかんだ笑顔を見せる朱美。 クロノは泣きながら言葉にならない呻き声を上げ続けていた。 だが、光の円は待ってはくれない。朱美はクロノから身体を離す。 そして、閃光が瞬いた。 ﹁さよなら。ありがとう﹂ クロノは必死に光の中へと手を伸ばしたが、何も掴むことは出来 ず、消えていく朱美の姿をただ見送ることしか出来なかった。 後に残されたのは雨と血に塗れた独りの青年だけ。 830 ∼エピローグ∼ ﹃道化師と世界の話﹄ ﹁時間軸違うから、どの時代に跳んだかな⋮。原始時代とかじゃな きゃいいけど⋮﹂ ﹁さてさて、この世界の最低人数二人を割っちゃったけど、どうす る気だい? ︱︱って、聞くまでもないか。連れてくるだけ。また 新しい人間をね。これから少しして、或いは今、まるで偶然のよう に術式を出現させる。後は人間に任せておけば、勝手に起動してく れるからね。今だと召喚を研究してるのは、﹃偽りの王家﹄かな。 まーたあそこになるのか。十年ちょっと前の君の試みが失敗したの もあそこだったけ?﹂ ﹁あ、やっぱり? 図星だった? 後千年は、最低二人最高二人だ からね。一度に世界に居られるのは。その人数に意味があるのかな いのか、そもそもそのルールは誰が決めたのか、僕はしらないけど ね。少なくとも一枠は僕で埋まってる。そしてあの時は彼女がいた から、新たに人を呼べなくて君はイライラしてた。だから、試した。 死んだ別世界の人間を呼んだらそのルールに引っかかるかどうかを﹂ ﹁結果は、まあ、アレだ。成功はした。けど、異世界から連れてき た人間に与えられる力を得られなかった。ルール上あの子は、この 世界で生まれた人間として認知されたんだろう﹂ ﹁君は少なくとも神じゃない。全知全能でもなんでもない。戦争と か、戦乱とか、君はそういったものが大好きな何かだ。あえて名づ けるなら﹃ナイアーラトテップ﹄かな。どこぞの小説家たちが創り 831 だした怪物︱︱狂気と混乱を生み出すために暗躍するもの﹂ ﹁君は大きな戦争を起こす為に、大きな力を持った僕たちを呼ぶ。 そして、無意識に囁き唆す。殺せって。全部全部殺せって。まあ、 僕には聞こえるから効かないけど﹂ ﹁僕たちはピエロだ。君を楽しませるためだけに、ここに呼ばれた 哀れなピエロ。そして君は団長兼観客﹂ ﹁一人のピエロは地獄のサーカスから脱出した。怒った団長はまた 新たなピエロを連れてくる﹂ ﹁さようなら朱美。そして︱︱ようこそ、名も知らない誰か。この クソみたいな世界に﹂ ﹃灰色の地面﹄ 気づくと、彼女は立っていた。空は陽が高く昇り、容赦なく日光 が降り注ぐ。照りつけられた地面は通常の地面の何倍も熱く、空間 が歪んだかのように陽炎が点在していた。 周囲を見渡す。人間が歩いていた。緑の光が見えた。空に届きそ うな建物が見えた。白いワンピースの少女がいた。半袖半ズボンの 少年がいた。携帯を手に持った男性がいた。 ここがどこだか、ようやく彼女は知った。そして今、自分がどう なるかも。 道行く人々は、触らぬ神に祟りなしとでもいうかのように、突如 として現れた彼女を気に止めない。次々と、横を、前を、後ろを、 通り過ぎていく。 832 彼女は四方から伸びる白線の中心に立っていた。もう、痛みはな い。 溶けていく。自分が。空気の中に。指先から肉が消えていく。風 の中に肉が流れていく。 倒れる。その直前、彼女が見たのは少年の顔。幼い少年の何とも いえない、恍惚とした顔だった。 それを最後に、彼女は、灰色の地面に倒れこんだ。 ﹃化物﹄ 盗賊の男は逃げていた。肺が悲鳴を上げているが、そんなことで 立ち止まっている場合ではなかった。逃げなければ死ぬ。息がどれ ほど苦しくても逃げるしかない。 仲間は死んだ。一瞬で。目にも留まらぬ速さとはああいうことを 言うのだろう。まさか、瞬きしている間に死ぬとは、考えてもいな かった。血飛沫が顔にかかり、ようやく目の前の惨状を理解出来た。 残った男は、自分でもどの道を通っているのか分からないほどに 必死に逃げた。 が、目の前にそれは突如として現れた。 ﹁⋮化物⋮め⋮ぇえええええええ!!!﹂ 呻き声を上げ、無駄だと分かっていながら男は飛び掛った。 しかし、相手が短く ﹁死ね﹂ そう言うと、既に男の命はこの世界から消え去っていた。 833 ︱︱化物? ああ、いいよそれで。人として何も守れないくらいな ら、俺は化物でいい⋮ 834 第八十二話 部屋の中は多くの橙色のランプが照らしていた。窓は備え付けら れているのだが、どんよりと曇った空から日光が届くことはない。 内装はベッド二つに椅子が四つ、更に鏡台付き。鏡自体が高価な ので、この部屋は比較的格式の高い部屋といえるだろう。 ﹁⋮酷い天気じゃのう⋮﹂ 窓の外にへばりついた雨の雫を眺めながら、ドラは主の身を案じ る。どこに行ったかは分かっている。だからこそ、追う気にはなら ない。自分が行ったところでクロノに掛ける言葉などないからだ。 結局、クロノが自分で戻ってくるのを待つしかない。 そこまで分かっている自分を見て、つくづく変わったな、と思う。 どこぞの白龍に言われたこともあながち間違いではないらしい。 ふいに、備え付けられた木製の堅いドアが軋むような音を立てて 開いた。その先からはポタポタとした音が聞こえる。 ドラは視線を向けずに、来訪者に尋ねた。 ﹁ここにいるとよく分かったの?﹂ ﹁いつも通りこの宿屋だと思ったよ。店の人に聞いたら案の定﹂ そう答えたクロノの言葉に暗さはない。ドラは安堵しつつ、視線 をクロノへと向けた。雨中から帰ってきたクロノは当然のように濡 れており、髪や服からは水滴が垂れている。 ﹁して、どうする? 今回の戦争参加するのか?﹂ 835 ﹁⋮⋮分かってて訊いてるよね? するさ、ここまで来ておいて参 加しないなんてのは無しだよ﹂ 一瞬、クロノの言葉に鋭さが混じったが、ドラは気に留めない。 淡々とその先の言葉を吐き出す。 ﹁そうか。儂に関してはその間どうする?﹂ クロノは顔を天井へと向け暫し思考を逡巡させる。 ﹁んー、国の返答しだいだけど、基本的には参加しない方針で。戦 場にドラゴンが現れたら双方の兵士がパニックに陥るし、終わった 後も黒い噂が流れかねない﹂ ドラは小さく頷いて許諾の意を示すと、またも視線を外し白いベ ッドへとダイブした。 一方のクロノは、雨に濡れた服がなんとも着心地が悪かったので、 宿屋の一階にある水浴び場に行こうと、ドアを閉めて出ていった。 去った後で、ドラはあることを思い出す。 ︱︱あやつ、依頼のこと忘れとらんか⋮? ⇔ アース市内 領主の館 大仰というより異質な館の主は、机に並べられた目の前の報告書 の山に頬を引き攣らせながら内容を一つ一つ頭に詰め込んでいた。 山の上部の報告書の主な内容は海を越えた遠国との貿易関連。 この国は国という体をとってはいるが、別段領主が何かするわけ 836 でもなく、お飾りの権力である。法律も厳格には定められておらず、 よくいえば自主性に任せている。 と、されているが、実は領主の仕事は色々あるのだ。国内の自治 から商業、工業、公共施設の建設など多岐に渡る。そうでもしなけ れば、自主性に任せただけで国が安定することなど有り得ない。 あくまで秘密裏に、粛々と領主は働いているのだ。 ペラペラと報告書をめくり、頭を働かせる。 ︱︱うっわー。コルの価値が値崩れしてる⋮。この大陸が危険だか らか、コルの信用がなくなってるわね⋮。っていうか、海の向こう なのに戦争の情報得るの早っ! 他国の情報収拾能力の早さに舌を巻き、頭を抱えた。 ︱︱貿易関連はちょっとキビイわね⋮ 次に目に留まったのは、後一ヶ月と迫った仮装大会の﹃仮装大会 収益見込み﹄と書かれた書類。そこに記された数字に眩暈がしそう になる。 ︱︱いつもの三分の一⋮⋮。大陸が戦争状態にあるから、それを不 安視した海を渡って来る観光客の減少と、大陸内にいる人間自体も 遠出を控えるってとこか⋮。今年の財政きっびしいー! この前ま で海渡れなかったのも重なってるし⋮ 不幸のフルコースにもほどがある。歴史を振り返ってもここまで のはそうそうないだろう。 その後も様々な問題に直面し、冷静に原因を分析していくと、ど れもがある二文字の言葉にたどり着く。 837 ︱︱ああああ!! もう!! 死ね!! 勇者死ね!!! ヒステリックな叫びを心中に響かせ、苛立った様子でページを捲 っていく。どれもこれも、大半が戦争関連のことばかり。それが更 にメイの頭を苛立たせた。 報告書を破り捨てたくなる衝動を抑え、一旦落ち着こうと湯気が 立ち込める緑茶を啜った。喉に染み渡る温かさ。 ﹁ふぅ⋮﹂ 一度息を吐いたところで、部屋のドアがコンコンとノックされた。 落ち着いたところにやってきた、絶対吉報ではない報せに若干苦 笑いを浮かべるも、平静を保って告げた。心なしか声のトーンを下 げて。 ﹁ええよ﹂ 入ってきたのは黒装束に身を包んだ怪しげな部下。身体が全身黒 で塗り固められており、メイから見ても男性か女性か区別はつかな い。この怪しさはクロノの比ではない。 足音すら立てずに入ってきた部下は、深々と頭を下げ事務的な連 絡を伝えた。 ﹁﹃本家﹄からの回答。﹁まだ、冒険者の募集はかけるな。この国 が信用を失う。この国は絶対安全だと皆が信じておる。募集はクロ ノが敗北してからにしろ﹂とのことです﹂ 聞いたことをそのまま伝えただけなのだろう。言いたいことは山 ほどあったが、無駄だと分かっているのであえて口にはしない。 838 ﹁さよか﹂ 短くそう告げて部下を下がらせる。黒装束を身に纏った部下はや はり音もなく消えていった。 ︱︱後手に回ってからじゃ遅いっていうのに⋮。あーあ、クロノに 期待するしないか⋮。敗北する可能性結構高いけど⋮ しかし、ここまで考えてからふと思った。 ︱︱あれ? クロノ死んだら依頼は⋮⋮? ⇔ 夜 孤児院 夕食を済ませ、自分よりも幼い子供たちを寝かしつけたピンク髪 の少女︱︱メリーは、一人ソファーに佇んでいた。 部屋の周りには、壁を埋め尽くす本が並べられ、中央には長机が 四つほど置かれている。豪奢な作りとは言えないが機能的なこの部 屋は、非常に整理されており普段は子供たちの教育に使われる教室 である。 しみじみとここの孤児院の変貌を感じる。本当にユリウスとマル スには頭が下がる思いだ。 最初は奴隷商から救われここに預けられた。来て四年ほどは食う のにすら困る有様だったが、再びあの二人が来てここの惨状を見か ね、買い取ってからはそんなことはなくなった。そこからはトント ン拍子で事が運び、衣食住に渡るまでユリウスとマルスに援助して 839 貰っている次第である。ここから独り立ちした人の中にも、寄付し てくれる者がおり、お蔭で経営は安定している。 部屋についた窓に眼を向ける。窓の外は雨が止むことなく、むし ろ昼間よりも増している気さえした。 ︱︱明日も洗濯は部屋干しですかね と、実に家庭的なことを考えていると、ドンドンと強く扉を叩く 音が聞こえてきた。それは孤児院の入り口から。 来客の予定はあっただろうか、と記憶を探るがそんなものはない。 孤児院に預けに来たのかとも考えてみるが、今は夜、それに土砂降 りだ。わざわざこんな日に来る可能性は低い。 正体不明の来訪者。依然、叩く音は鳴り止まない。孤児院の入り 口には鍵をかけている。 とりあえず教室を出て、入り口へと向かう。途中でヘンリーと出 くわした。ヘンリーもこんな時間の来訪者は怪しいと思ったのだろ う。 声をかけようとしたメリーの口を慌てて塞ぎ、口に人指し指を当 てて小声で言った。 ﹁静かにしろ⋮敵だったらどうする⋮﹂ メリーはこくこくと無言のまま頷いた。 ﹁とりあえず俺が二階の窓から覗くから、お前は隠れてろ﹂ それだけ言うと足早に二階へと駆け上がるヘンリー。言われるが ままどこかに隠れようとすると、とある頭を光らせた悪人面の褐色 の人物が入り口へと欠伸をしながら向かっていくのが見えた。 慌てて制止しようとするが、声は上げられず、相手も寝ぼけてい 840 るのかメリーに気づいた様子はない。 そして、とある人物が鍵を開ける。カチャリと開いた音が聞こえ、 両開きの扉が開く。 次の瞬間聞こえてきたのは雨の音︱︱ではなく、それよりも大きい ﹁ぶえーーっくしょい!!﹂ という、女の子にあるまじきパワフルにもほどがあるくしゃみの音 だった。 その音を間近で聞いた人物は音で眼が覚めたのか、或いは自分に かかった飛沫物で眼が覚めたのか、寝ぼけ眼からはっきりと覚醒し、 こめかみに青筋を浮かばせながら、赤髪の女の子︱︱リルの侵入を 阻もうと真顔のままバタンと扉を閉めた。 閉めた人物はくるりとメリーの方を向き直り、言った。 ﹁何もなかった。誰もいなかった。だろ?﹂ ﹁⋮あっ、はい⋮﹂ 多分、今見たのは知り合いに似た何かだと、自分に言い聞かせる。 しかし、再びバンバンと扉を叩く音が絶叫と共に聞こえてきた。 ﹁開けてえええええええ!! 風邪引く!! 風邪引く!!﹂ ﹁大丈夫だ。馬鹿は風邪を引かねえ﹂ ﹁流石に開けてあげましょうよ⋮﹂ 841 暖炉の中は炎が揺らめき、薪を燃やしながらゆっくりと室内を暖 めていく。 ﹁う∼。寒寒さむーい!﹂ 毛布に包まったリルは暖炉のまん前に座り、冷えた身体を温めて いた。そしてリルを囲むように座るヘンリーを含めた四人。 あの後何とかリルを院に入れ、寒いというのでこの時期にはあま り使わない暖炉に火をつけたのだ。 ﹁最初は不審者か何かかと思ったわ﹂ ﹁何も閉めることないじゃん! 鬼! オーガ! ハゲ! ハゲ! ハゲ! ハゲ!﹂ ﹁オイコラ、途中からハゲしか言ってねえし、大体俺はハゲじゃな いって何度言えば分かんだよ!? これはスキンヘッドだ!!﹂ ﹁あの⋮あんまり大きな声は⋮﹂ メリーはおずおずと注意しようとするが、どうやら聞こえてはい ないらしい。 ﹁黙れよハゲ。子供が起きるだろうが﹂ ぎゃあぎゃあと喚く二人にヘンリーの容赦ない言葉が突き刺さる。 主に片方にだけ。突き刺された本人は子供のように体育座りをして そっぽを向いた。 そんな大きな子供は無視して、ヘンリーは気になっていた不可解 をリルに尋ねる。 842 ﹁大体、リルも何でこんな時間に来たんだよ﹂ 全員が気になっていたこと。なぜ、こんな土砂降りの夜に来たの か。そっぽを向いていたユリウスも顔をリルへと向け、返答を待っ た。 当の本人は空気の変化に気づいたのか気づいていないのか、いつ もと変わらぬ調子で答えた。 ﹁いや∼、”あの人”を追って空飛んできたのはいいんだけど、途 中で魔力尽きちゃってさ﹂ リルの会話の中でときたま出てくる”あの人”。どうやらその人 物はあまり人と関わりたくないらしく、リルは名前すら教えてはく れない。リルから話を聞いたところで、大分脚色されているであろ うから実情はサッパリである。 ﹁それでね、”あの人”がここに来るらしいから、ここに行けば会 えるかな∼って。来てない? 何か黒尽くめで、腰におかしな剣と、 大剣背負った怪しい人なんだけど﹂ 四人全員が頭に来客を思い浮かべるが、そんな怪しい人物は来て いない。来ていたら忘れるわけもなし。 ヘンリーはやや呆れたように言った。 ﹁不審過ぎるだろ⋮。そんな怪しい奴来てないぞ。お前どっから飛 んで来た?﹂ ﹁え、今日の朝”あの人”が出てすぐアースからだけど?﹂ 843 ﹁お前⋮、絶対それ追い越してるよ。一日でここまで着くわけない だろ⋮。お前も大概だけど﹂ ﹁おっかしいなあ⋮。絶対先に着いているはずなのに⋮。やっぱり 紙忘れて困ってるとか⋮?﹂ 不思議そうにリルは首を傾げるが、他の四人からすればヘンリー の正論に首を傾げる意味が分からない。 何やら考え込んでしまったリル。 そしてヘンリー達には新たな疑問が生まれる。リルの言う”あの 人”は何をしにここに来るのかという疑問。 皆の疑問を代弁するかのように先んじてユリウスが訊いた。 ﹁そいつは何しに来んだよ﹂ ﹁ん∼、何かとある人の保護だってさ﹂ ﹁保護ォ? ここだって孤児院なんだから、保護してると言えるん だが? んだよ、ウチじゃ信用ならねえってか?﹂ ﹁詳しいことは知らないけど⋮、一応王命だよ。ほら﹂ 不快さを隠そうともしないユリウスに、リルはポケットから取り 出した粗末な紙切れを渡す。ユリウスはそれを奪い取り、じっくり と眺める。少なくとも王命が書いてあるようには見えない。 ﹁えーっと、何々⋮。﹃孤児院にいるレイリー君とスーラー君保護 して連れて来てや∼﹄。⋮⋮⋮これのどこが王命だァ!!﹂ 大胆に紙切れを床に放り投げる。 844 ユリウスが読み上げた通り、それしか書いていないのだ。誰から のものか、誰に宛てたものか、それすらも分からない。とても公式 の文章とは思えない。まるでただの友人に宛てたメモだ。ある意味 でメイらしいと言えばらしいのだが。 ﹁嘘じゃないもん! メイさんはいっつもそんな感じだよ﹂ 自然に口にしたメイの名前に一瞬、ユリウスとマルスの表情が強 張る。残った二人は、メイという名前を聞いてもピンと来ない。シ ュガーという国の名前は知れ渡っているが、お飾り領主メイの一般 的知名度は低い。 やや真剣なトーンでユリウスは訊いた。 ﹁領主メイ・シュガーか?﹂ ﹁うん。そうだよ﹂ ユリウスはハイテンションだった脳みそを落ち着かせ、冷静に状 況を整理していく。自分だけが持っている情報を含めて。 そして、あることを思い出す。今回のことに関係ありそうで無さ そうなことを。 ﹁あ∼⋮﹂ 何とも素っ頓狂な声を漏らし、やってしまったという顔でマルス を見た。マルスは何のことか暫し分からない様子だったが、次第に 視線がユリウスを責めるものへと変わった。その内容は訊かなくて も分かる。﹃まだ話してなかったの?﹄だ。 気まずそうに下唇を噛み、視線を誰とも合わせないように宙に向 け、ユリウスは唐突に話し始めた。 845 ﹁えーっと、あれだ。なんつうか⋮、うん。お前らに話しておくこ とがある﹂ ﹁なんだよハゲ?﹂ 部外者の応対の時とは全く違って生意気なヘンリーと、おとなし いメリーの視線が一斉にユリウスに向く。 それを確認してから、ユリウスはまず第一に一番重要なことを言 い放った。 ﹁明日中に全員でここ出る準備しとけ﹂ 846 第八十三話︵前書き︶ 結構どうでもいい話 会話ぱーとめんどい 短め 847 第八十三話 ﹁⋮⋮どういう、こと、だよ、ハゲ?﹂ 表情は変わらないが、明らかに狼狽した口調でヘンリーは途切れ 途切れにそう訊いた。言葉を発していないメリーはそれよりも混乱 しており、頭の整理がついていない状況だ。 ユリウスは平然とその問いに答える。 ﹁そのまんまの意味だ。後ハゲじゃねえ﹂ 早くも冷静さを取り戻したヘンリーは事態の把握に努める。 ﹁そういうことを訊いてるんじゃない。理由を言えハゲ。何の理由 もなく、ってわけじゃないだろ﹂ ﹁話せばなっげえけど、それでもいいか? 後ハゲじゃねえ﹂ ﹁話さないと分かるわけないだろ。話せハゲ﹂ ぞんざいな物言いだが、ヘンリーの眼は真剣だ。 ユリウスは暖炉の手前にある黒いソファーにゆっくりと腰を降ろ し、手を組んで話し始めた。 ﹁そうだな。まず、第一にここの収入源の話からか。後ハゲじゃね え﹂ その先の言葉を待たずにヘンリーは捲くし立てる。 848 ﹁舐めてるのかよ? 財政管理してる俺の方がハゲより詳しいに決 まってるだろ。7割がハゲとマルスさんの収入。2割が独り立ちし たOBから、主にリルだが。最後が国からの補助金で1割。間違い があれば言ってみろ﹂ ﹁へえ、そんな内訳になってたのか。後ハゲじゃねえ﹂ ﹁逆になんで訊いたハゲ本人が知らないんだよ!?﹂ ﹁全部お前に任せてるからに決まってんだろ。後ハゲじゃねえ﹂ 二人の言い合いにリルが驚愕と共に割って入る。 ﹁私のアレで2割!? 二人の収入どうなってんの!?﹂ ﹁AランクとCランクの収入の差舐めんな。そこら辺の水溜りと湖 を比べるようなもんだ。むしろ、Cランクでそんな寄付できるお前 に驚くわ﹂ リルの寄付が多い理由はクロノとAランク以上の依頼を受けた分 も含まれているためなのだが、ここにいる全員そのことは知らない。 すっかり置いてけぼりにされたヘンリーは、ずれた話題を修正し にかかる。 ﹁で、それがどういうことなのか。しっかり話せハゲ﹂ ﹁ここで重要になってくるのは国からの補助金だ。1割って言うと 大した額じゃないように聞こえるが、結構な大金だぞ? 後ハゲじ ゃねえ﹂ 849 ﹁大金も何も、孤児院の補助金の額は一律でそうなってるって、前、 ハゲ自身が言ってただろ﹂ ﹁それ自体が嘘だ。ここの補助金は他の所より多い。そもそも、こ んな大金を全部の孤児院に渡してたら国が破綻するわ。まあ、これ だけ貰ってて維持出来なかった前任者の無能っぷりも問題だが。後 ハゲじゃねえ、って言うのも疲れてきたんだが止めていいか?﹂ 最後の言葉で真面目な話が台無しだが、ユリウスの顔を見るにこ れは嘘ではないのだろうとヘンリーは踏んでいた。珍しく真面目な 表情をしている。 そして、事実であればそれはなぜか。 ヘンリーの疑問に答えるようにユリウスは言った。 ﹁理由は、ここが国にとって重要な場所の一つだからだ。特に今み それなら王都より大分前で向かえ討つって聞い たいな状況下では、な。今のこの国の状況を知ってるか?﹂ ﹁今? 戦争か? たが﹂ 半信半疑で答えたヘンリーの言葉にユリウスは頷く。 ﹁それに関連してる話だ。お前だって、多分噂程度には知ってると 思うが⋮、聞いたことないか? 王都の地下道の話﹂ それは実しやかに囁かれてきたある噂。王都には建国当初から、 戦争が起きたときの為に地下道があるというものだ。王都で育った 者ならば大概は聞いたことがある噂話。 だが、建国以来目立った戦争も起きてはいないので、民がその存 在を確かめることはなかった。 850 そんな眉唾な話を持ち出して何の関係があるのか、ヘンリーには 分からない。 しかし、ユリウスは噂を現実に変える一言を言い放つ。 ﹁あるんだ。地下道は。ここの下に通じるやつがな﹂ そう言ってユリウスは厚いカーペットが敷かれた床を指さして続 ける。 ﹁補助金が多い理由は、地下道の管理費も含まれてるからだ。出口 であるここが廃墟になって、地下道ごと崩落したら困るわけだ﹂ ある程度、納得は出来る。確かに、ここの孤児院の補助金が多い 理由としてはありかもしれない。王都から少し離れたこの場所なら ば、秘密の地下道の出口としては適しているだろう。 しかし、ここでヘンリーはある疑問を覚えた。 ﹁おかしくないか、それは。俺の知る限り、ハゲとマルスさんが買 い取る前は本当に存続の危機だったぞ? そんなに重要な拠点なら、 国が意地でも存続させるだろ﹂ ユリウスは目を丸くし、驚いたというような表情を見せる。悪人 面も相まって、何とも奇妙な顔になっている。 ﹁なんだよ、その顔﹂ ﹁おっ、いやいや、あのクソガキが色々考えるようになったんだな と、感心してたところだ﹂ ﹁その顔ぶっ飛ばしてやろうか?﹂ 851 ﹁やれるもんなら⋮、と言いたいところだが、話が進まねえから止 めろ﹂ ヘンリーは露骨に舌打ちをして、右に握っていた拳を解いた。 ﹁どこまで話したっけか⋮﹂ ﹁重要拠点なら、意地でも存続させるだろ、ってとこまでだよ﹂ ﹁そうそう、それだったな。当時︱︱三年前か、孤児院の現状は国 の上の方にも伝わってた。当然議題にも挙がる。この国は建国以来 王都まで攻められたことはない。地下道も使ったことなんざないわ けだ。大半の奴らの見解はこうだった﹂ ﹁﹁もうそんなものはいらない﹂か⋮。使わないものに金をかけて なんかいられない﹂ 先読みして答えたヘンリーの言葉にユリウスは頷いた。 ﹁そうだ。唯一王だけは異論を唱えたが、結局増額もされず減額も されなかった。減額されなかっただけでも、マシといえばマシだが な。それで、見かねた俺たちが買ったわけだ﹂ ﹁今回出てけって言ったのは避難のとき、子供がいると邪魔になる からか﹂ ﹁まあ、そういうわけだ。負けたときのことも考えにゃなんねえし な。王様じきじきの命令だとよ﹂ 852 ﹁何時までに出てけと?﹂ ﹁明日の昼﹂ ユリウスはあっさりとそう言うが、どう考えても時間が足りない。 今から準備してもギリギリだろう。 そこまで聞いてから、ヘンリーはゆっくりと立ち上がった。そし てにこやかに笑いながら、一歩一歩ユリウスが座るソファーに近づ いていく。右手に拳を携えて。 ﹁そっか、そっか。で、お前は何時から知ってたのかなあああああ ああ!!?﹂ ユリウスはこれ以上喋ってはいけないと理解したのか、その問い に答えることはない。しかし、代わりにマルスが答えた。 ﹁⋮み⋮三日⋮前⋮⋮﹂ ﹁早く言えハゲがああああああああああああああ!!!﹂ ﹁てめっ、それ言うな⋮ブベッ!!﹂ ヘンリーの怒りの右ストレートが顔面にめり込んだ。奇妙な声を 漏らすと同時に、とある褐色の人物は気を失った。 853 第八十四話︵前書き︶ リルを一度ぶっ壊すか考え中 854 第八十四話 大嵐。 風が吹き荒れ、豪雨が降りしきり、大地が少しづつ形を変えてい た。この時期、雨は確かに降りやすいのだが、ここまでとなると稀 だ。こんな嵐が毎年あったとしたら、人間はここに王都など造らな い。 これは天災と言ってもいいかもしれない。それほどの規模の嵐。 普通であれば外に出るのも躊躇うような悪天候。 しかし、そんな中でも彼はいた。只一人で。白化粧の怪人はそこ にいた。雨に負けず。いや、雨と戦うということ自体がおかしな話 かもしれない。 彼が立っているのは、地面ではなく、暗雲に支配された空の下。 俗に言う空中だ。 彼はそこに平然と立っていた。欠伸をしながら。 ﹁こういう天候を見てると思い出すね。僕の敬愛する彼の小説も毎 回こんな感じで始まるんだ。﹃暗い嵐の夜だった﹄﹂ 懐かしむように誰とも分からない相手に喋ると、返事とばかりに 稲光が瞬き、轟音と共に降り注いだ。 だが、彼はそれでもなお、空中に立ち続ける。 ﹁大丈夫だって、特に邪魔はしないからさ。前みたくマントルまで 落とされるのは勘弁だからね﹂ 雨による凍てつくような寒さからではなく、体験に基づく恐怖か らわざとらしく身を震わせる。 一頻りふざけた後も、彼は会話を続ける。 855 ﹁そろそろ時期的にジャグリングの練習しないとなー。まあでも、 練習用の玉には困らないか。これ終わったら﹂ 暫しどうでもいいやりとりを交わしていたが、微かにそれ以外の 声が聞こえた。 ﹁あれ? 人の声が聞こえるな⋮﹂ 雨に濡れながら飄々と宙に立っていた道化師は足元に目を向けた。 ここからでは目視出来ないが、心の声が聞こえるということは人が いるということだ。 ﹁大変だね。こんな嵐の中、川で仕事とは﹂ 勤勉な労働者を憐れむように呟き、自由人兼道化師は暗い嵐の中 に姿を消した。 ⇔ ﹁⋮⋮痛い!﹂ ﹁何時まで寝てんだ。起きろボケ﹂ 声と共に軽めの衝撃が頭を襲う。彼女︱︱メリーの一日はそんな、 ぞんざいな起こされ方で始まった。眼を覚ました時見えたのは、装 飾の施された天井、それと幼少期の面影を微かに残す茶髪の青年︱ ︱ヘンリーの姿だった。 856 ﹁何も叩くことないじゃないですか⋮﹂ ﹁声を掛けたのに起きないお前が悪い﹂ 反論をばっさりと切り捨てられ、少々落ち込む。 ベッドから起き上がり窓の外を見ると、朝陽が地平線の向こうか ら顔を覗かせたばかりであった。幸い雨は降っていない。 朝陽が顔を覗かせたばかり、ということは起きるにはまだ早い。 陽が完全に地平線を脱出してからの方がいいくらいだ。それに昨日 は突然の来訪者のお蔭で寝るのが遅くなったので、未だに瞼を開け るのが億劫だ。 ﹁にゃんですか⋮もう少し寝かせて⋮⋮朝ごはんにはまだ早いです よ⋮﹂ 若干寝ぼけながら、もぞもぞとベッドの中に戻ろうとする。 そして襲い来る二撃目。今度はデコピンが額にクリーンヒット。 ﹁ぎゃうっ⋮!﹂ ﹁ぎゃうっ⋮って、お前は魔物か何かかよ⋮。それより起きろ。仕 事だ。仕事﹂ 強引にベッドから引き剥がすと共に、手を引っ張り部屋から連れ 出した。 連れ出された本人はというと、未だに夢の中。夢で見たひよこが 宙を飛んでいた。 長い廊下をよたよたと歩くメリー。 ﹁眠い⋮寝かせて⋮﹂ 857 ﹁いい加減起きろ! 荷造りすんぞ!﹂ ﹁煮作り? 今日は煮物じゃないですよ⋮﹂ ヘンリーは一向に眼を覚まそうとしないメリーに業を煮やし、引 っ張っていた手の力を強め、思い切り自分に引き寄せた。 そして、顔を近づける。 メリーは突如として近づいてきた意図が分からず、目まぐるしく 頭が回転し混迷を極めていた。 ﹁⋮へっ⋮あの⋮⋮え⋮!﹂ 次の瞬間、強烈な頭突きがメリーの額を襲った。 ﹁痛い! 痛いです!﹂ ﹁こうでもしないとお前起きないだろ﹂ 悪びれた様子もなく、さも当然のように言うヘンリー。メリーは 落胆の色を若干見せるも、それを口にはせず、痛む頭を必死にさす る。 だが、お蔭で眼は覚めた。ようやく頭が正常に働き始める。 ﹁起きたなら荷造りすんぞ﹂ その言葉で昨日の出来事を思い出す。今日の昼までにここを出な ければならないのだ。その準備をしなければいけない。 ﹁二階は終わった。一階の後半分だけだ。そっちはお前に任せる。 858 量に関して制限は特にない。ハゲが腐るほど馬車呼んだから、常識 的な量に収めさえすればいい。椅子とか机とかデカイのはあっちで 買えばいいから、そういうのはいらない。分かったら行ってくれ。 分かってると思うが、子供は起こすなよ﹂ ヘンリーはテキパキと指示を告げると、そのまま広い孤児院の中 に消えていった。 彼が去った後でメリーも我に返り、指示された場所の荷造りを始 めた。教科書から本、服、調理器具。様々なものを既に置かれてい た白い麻袋に詰めていく。 しかし、途中でふと疑問を覚えた。 ︱︱この麻袋とか、二階の荷造りとか何時の間に⋮? ⇔ ﹁終わった終わった⋮。あの野郎⋮俺を馬車馬の如く働かせやがっ て⋮﹂ 大きく息を吐き、そのまま床に倒れこんだのはユリウスだった。 昨日の夜、ヘンリーに殴られた後、眼を覚ますと殴った本人がそ こにいた。そして、彼はこう言ったのだ。 ﹁早く言わなかった罰だ。お前も寝ずに働け﹂ その時の彼の顔は、一点の曇りなく反論すら許さないような笑顔 であった。 怯えつつも、彼は成長したのだとしみじみ感じる。これが正しい 成長かどうかは別として。 859 頑張ってマルスを道連れにしようと足掻いたが、それも空しく終 わった。 結局、昨日深夜から二人で荷造りを始め、陽が見えかけたこの時 間帯にようやく終焉を迎えたのだった。 倒れこむユリウスに、階段の向こうから声が聞こえた。それは、 このまま寝てしまおうと思っていたユリウスの甘い考えを粉々に打 ち砕く声。 恐る恐る階段の向こうに眼を向けた。 ﹁おーい、ネテルヒマナンテナイゾ?﹂ そこには笑顔を携えた悪魔が立っていた。 その後数分に渡り、孤児院を舞台とした大の男二人による鬼ごっ こが繰り広げられるのだが、結果は語るまでもない。 ⇔ ︱︱めんどくさいなぁ⋮ 陽がこの日一番高く昇りかける手前。丁度正午くらいのこと。 この時間帯ともなれば、多くの人間は仕事に汗水を流し始める。 今、王都を歩いているクロノの眼にもそれがはっきりと分かる。 馴れ親しんだクロノから見ても、今のこの街に大した変化は見ら れない。いつもと変わらない一日に見えた。戦争なんて言葉はどこ にも見当たりそうにない。 クロノはというと、やはりいつも通り黒いフードつきの外套を身 に纏っており、やはりいつもと変わった様子はない。 変わったところと言えば、珍しく昼間から、それも正面から王城 860 に入ろうとしていることくらいのものだ。 何やら門番が話し合っている。大方自分の身元確認でもしている のだろうとクロノは推測する。 この時間がどうにも無駄に思えてしょうがない。だからこそ、普 段は夜まで待って忍び込むのだが、今日はそうもいかない。 なにしろ、昨日の段階で戦争について詳しいことは何も聞いてい ないのだ。敵が何時来るのか、どう来るのか、さっぱり分からない。 もう少しちゃんとあの場にいるべきだったと後悔するが後の祭りだ。 そろそろ無理矢理乗り込んでやろうかという頃、ようやく身元証 明が終わり、大仰な門が開いて中に入ることが出来た。 中に入ると、使用人である黒のタキシードに身を包んだ老人に付 いていくように指示された。同じ黒に身を包んではいるものの、怪 しさはどこにもなく、気品すら漂ってきそうだ。同時に自分の怪し さを再認識させられる。 人が20人横に広がって歩いても、なお余りそうな無駄に広い廊 下を老人の先導の元進む。途中、いくつもの部屋を通り過ぎるが、 何の部屋だか、部屋がありすぎてさっぱり分からない。 前を歩く老人は一度もこちらを振り向くことなく淡々と、迷路の ような城内を突き進む。 しかし、所詮老人のペース。いつものクロノからすれば遅すぎる。 それに加え、広い城内。 城内はある程度、この区画は会議室専用、この区画は客室専用、 といったように区切られている。今向かっているのは会議室の区画 だが、このペースでは三分はかかりそうだ。 ︱︱こんなことなら、昨日ちゃんと聞いとくんだった⋮ 本日二度目となる後悔をして、心中で溜め息を吐くクロノだった。 861 ⇔ ﹁そういえばお前どうすんだよ?﹂ 眼の下に大きな隈を作ったユリウスが階段の手すりに凭れかかり ながら、リルへとそう訊いた。 時刻は正午。孤児院の荷造りも大方終わり、後はユリウスが呼ん だ馬車の大群の到着を待つだけとなっていた。 階段に座り足をバタつかせながら顔も向けずリルは答えた。 ﹁んー、どうしよっかなー。依頼に書かれてた二人も連れてくんで しょ?﹂ ﹁一度預かったわけだしな。このままここに置いとくわけにもいか ねえ﹂ ﹁私はちょっと残ろうかな。多分”あの人”ここに来ると思うから。 その時に誰もいませんでしたーじゃ困っちゃいそうだし﹂ ﹁一応俺もここに残るぞ? 避難してきた人を誘導せにゃならんか らな﹂ ﹁負ける前提だよね。そういうのさ。負けなければいい話なのに﹂ リルの言葉に暗さが宿る。たまに見せる冷淡な表情。 実際の所、ユリウスはリルという少女についてよく知らない。こ こを買い取った頃には、既にリルはここを出た後であったし、ある 程度稼げるようになるまではここには顔すら出さなかったらしく、 その間どうやって生活していたのかも分からない。会話の中で出て くる”あの人”とやらも、素性はさっぱりである。一度、”あの人 862 ”とやらをこの眼で確かめてやろうと跡をつけていったこともあっ たが、途中で見知らぬ少年に話しかけられている間に見失ってしま った。 性格は裏表がなく、純粋そうに見えるが、時折︱︱特に”あの人 ”の事になると、別人の様な表情になる事がある。”あの人”につ いて語るときリルの眼に映るのは、憧れすらも越えた、崇拝に近い ものであるとユリウスは推測している。 だからといって、自分に何か出来るわけでもないのだが。 ﹁万が一のことも考えなきゃなんねえんだよ。特に王様ってやつは な﹂ ﹁よく分かんないや﹂ ﹁ガキだからな﹂ ﹁違うもん! もう大人だよ!﹂ 言葉とは裏腹に、実に子供らしく拗ねるリル。 そしてリルはすっと立ち上がり、階段の向こう︱︱窓に見える地 平線を眺めながら言った。 ﹁でもね。分かることもある。それはね︱︱”あの人”を信じれば いいってこと。そうすれば絶対に負けない﹂ どこまでも遠くを見据えて、透き通った水に一部の泥すら許さな いように、どこまでも純粋な顔でそう言ったリル。 逆にユリウスはその顔に言い知れぬ不安感すら感じてしまいそう になる。 863 ﹁おいリル⋮お前⋮﹂ ﹁あっ、馬車来たよ﹂ ユリウスへと振り返った時、そこにはいつものリルがいるだけだ った。 ⇔ 軍議室に着いたクロノはその異様な雰囲気に内心眉を顰めていた。 扉を開けた途端、敵意というものが室内を飛び交っているように思 えた。ただ、原因は自分ではないとも思う。 昨日と中に居る面々は変わっている。昨日は王や大臣、宰相、と いった相当に地位の高い人物たちばかりであったが、今日いるのは どこか眼をギラつかせた無骨な男たちばかりである。変わっていな いのはギルフォードくらいのものだ。おそらく、彼らは軍の関係者 なのだとクロノは推測する。 ただ、一人を除いては。 ﹁はいはい皆さーん。こっれにて終わり。もう解散でいいでっすよ ーっと﹂ 左手で机を叩くと共に空気の読めない軽薄な笑みを浮かべるのは、 入り口から一番遠くに陣取ったおおよそ軍人とは思えない、男か女 かすらも分からないような人間だ。 おおよそ軍人ではないとクロノが思ったのは、その容貌にある。 顔は長い茶色の髪によって覆われ、眼元が見えない。そしてなによ り、右腕と左足が無かった。座っている椅子に眼を向けると、両脇 に車輪がついており、それを回して進むのであろうことが何となく 864 読めた。 退役した兵士かもしれないが、それにしては若い。年の頃は推測 するにクロノと同じか、それより少し上くらいのものだ。ましてや 退役軍人だとしても、ここいる意味がよく分からなかった。 声は男と呼ぶには少々高く、女と呼ぶには低い。顔が見えないこ とには判別し難い。見えるのは口だけ。中性的、そんな言葉がしっ くりきそうだ。 そんな人間の横に座るギルフォードの顔は心なしか戦々恐々とし ているように見えた。 ﹁今入ってきたのはどなた?﹂ 確実にこの雰囲気の原因を作っている人物が気さくに声をかけて きた。一瞬、聞いたことがあるような気もしたが、こんな人物は記 憶には無い。 クロノはいつも通り無愛想に答えた。 ﹁⋮クロノだ⋮﹂ ﹁おおう、クロノさんですか。OK、OK、訊きたいことがあるな ら存分にどうぞ。はいっ、レッツシンキングターイム﹂ 実に空気の読めないハイテンションさである。空気という単語が 脳みそからすっぽり抜け落ちている。 それは別として、クロノは考える。どうやら、相手は自分のこと を知っているらしい。しかし、こんな人間に覚えはない。話したこ とがあれば、おそらく絶対に忘れないであろう。であれば、ギルフ ォード辺りが話したと考えるのが自然か。 素性を訪ねたい気にもなったが、そうなるとこのハイテンション な会話が延々と続きそうだったので、端的に重要なことだけを訊く 865 ことにした。 ﹁戦争に置ける俺の配置予定場所、開始予測日時、敵の配置予測、 俺の役割について﹂ ﹁成る程成る程。つまり、参加していただけるーってことで、よろ しいでしょうか?﹂ ﹁⋮一応はな⋮﹂ ﹁OK、協力感謝しまっーす。そうですね。開始すると思われるの は、今日の深夜、それか明日の朝ですかねー。配置予測に関しては、 何とも読めない摩訶不思議。ただ、三姉弟の妹、ユーリに関しては 出てこないかもしれません。昨日、彼女の隊は予想外の損害を受け たよーです﹂ ﹁⋮そうか⋮﹂ ﹁他の二人は問題なく出てくると思われーます。それっと、クロノ さんの配置予定場所は決めてません。どこに彼が来るか分かんない ですしー。ただ、役割は既にシナリオに追加してあります﹂ ﹁それは⋮?﹂ クロノの問いに、終始ハイテンションだった人間は、途端に顔を 下げ、その先︱︱最も重要な言葉を告げた。 ﹁﹃勇者﹄の撃破﹂ 866 第八十五話︵前書き︶ ドラの七変化 短め 867 第八十五話 慌しい城内。通常であれば静寂に包まれているはずなのだが、こ こ数日はドタバタと走りまわる音が聞こえる。それだけ忙しいとい うことなのだ。普段、すまし顔で仕事をしている使用人の顔にもそ れが見える。 そんな、ある意味で異常な音に耳を澄しながら、その人物は忙し い使用人や兵士たちを嘲笑うかのように、非常にゆっくりと動いて いた。鈍いというわけではないが、他の人間に比べれば今の現状を 理解しているのかと思うくらいには遅い。 かといって、その人物も好きでその速度で動いているわけではな い。出来ればもう少し速く動きたいが、それが出来ないのだ。 その人物が横を通り過ぎると、大体の人間は手を止め、その異常 な光景に一瞬見入ってしまう。 後ろにいる騎士団長の渋い顔も去ることながら、更に人目を引く のはその前にいる人物の容貌。顔は長い髪で隠れ、右腕と左足がな い。どうやって動いているのかと見れば、後ろの騎士団長が車輪の ついた椅子を押しているのだ。 使用人のやるような仕事を騎士団長がやっている。容貌を除いて も、これだけでその異常さを認識出来た。 しかし、そこはしっかりと礼儀を教え込まれた使用人たち、一瞬 見ただけで動揺すら見せず自分の仕事へと戻っていった。 一方、兵士たちはというと、その人物の容貌を見ると同時に何か を理解したのか、特に意識せず視線を外していった。 注目を集めている二人は、視線を受けながら、広い廊下を通常の ペースで進んでいく。進んでいくと言っても、椅子に座っている方 は何もしていないが。 椅子に座っている人物は楽しそうに、椅子を押している騎士団長 868 ︱︱ギルフォードへと声を掛けた。 ﹁いや∼、ヤバイわ∼。アンタをこんなにこき使えるとか最高ッ! 私優越感でのたうち回れそう!﹂ ﹁のたうち回って死んじまえ﹂ 不快感を隠そうともせずに言葉を返すと、続けざまに呆れたよう に言った。 ﹁お前さぁ、ああいうの止めろって⋮。肝が冷える⋮﹂ ﹁ん? どれどれ? 馬鹿共に馬鹿って言ったこと? それとも、 馬鹿共を黙らせたこと? いや、三十路迎えたアンタの頭に禿げる 兆候があるって、騎士団皆に言いふらしたことか﹂ ﹁そんなことやってたのお前!? 通りで最近やけに皆から、頭見 せてって言われるわけだよ! 大体眼見えないのに、どうやってそ んなこと判断してんだよ!?﹂ ﹁いや、なんとなく。性格的に?﹂ ギルフォードはとぼけたように首を傾げる目の前の人間に殺意さ え覚えてしまいそうになる。 だが、そんな下らない︵ギルフォードにとっては重要かもしれな い︶ことはどうでもいい。訊きたいの別のことだ。 ﹁ってちげえよ⋮訊きたいのは⋮﹂ ﹁ああ、クロノさんへの言葉遣いか∼。アンタ的には機嫌損ねない 869 か心配なんでしょ? 図星?﹂ 考えを見透かしたように言う相手にぐうの音も出ない。 ﹁大丈夫だって。あの人は、そーんな人じゃないって。きっと﹂ ﹁きっとかよ﹂ ﹁彼と初めて会った時は、今みたいな感じじゃなかったでしょ? あの時私もいたけどさ。普通の少年だったじゃん﹂ 初めて会った時︱︱四年程前の話だ。 突然謁見の間に現れたかと思えば、不躾な言葉を散々に投げつけ ていった親子。 当時は自分も若かったとギルフォードは思う。安い挑発に乗って クロノと試合をした。結果は語るまでもなく、負けたというより遊 ばれたと言ったほうが正しいくらいのものだった。 座ったままの人物は笑いながら、当時を語る。 ﹁ほんっと、あの時のアンタったらザマァないよね。見事にボロ負 けしちゃってさ∼。しかも終わった後﹁魔法が使えれば⋮﹂なんて 負け惜しみしちゃってさ﹂ あの日は剣術の試合であったので、魔法を使わなかったのは事実 である。使えたからといって、勝てたかと訊かれれば、それは否だ が。 ﹁うるさい。お前だって負けてただろうが﹂ 870 ﹁そりゃあね。あんなの勝てないって。剣術は大したことなかった けど、筋力が違いすぎたしー﹂ クロノが先ほど思った、聞いたことがある、というのはあながち 間違いではない。確かに聞いたことはあった。ギルフォードの後に 次々と向かってきた雑兵の一人の声として。ただ、その時は今のよ うな状態ではなかったが。 テンションを少し下げ、更に言葉を続ける。 ﹁結局さ。彼は普通の少年なんだ。今の彼はどこか無理してるよう に思うわけだよ﹂ ﹁知ったような風だな﹂ ﹁気づかないアンタたちが馬鹿なのさ﹂ 軽く言葉を受け流すと、一旦そこで会話は止まった。 依然、城内は騒がしく、耳障りな騒音を耳に響かせる。 座ったままの彼、或いは彼女は、独り言のように、それでいてギ ルフォードに聞こえるように呟いた。 ﹁⋮恥ずかしいね。そんな少年に頼らなければならない軍が⋮﹂ ⇔ ﹁来なーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ーーい!﹂ 近くにいるユリウスがよく息が切れないな、と感心するくらいに 871 声を伸ばしてリルはそう叫んだ。最早二人だけとなった孤児院にリ ルの高い声が響く。 子供たちがいなくなって二時間、孤児院の扉を開くものは現れな い。中に居るのはクロノの到着を待つリルと、避難する時の先導役 となるユリウスだけ。 リルの我慢もそろそろ限界に達しかけていた。先ほどからストレ ス発散なのか、院内を走りまわっている所からもそれが窺える。 見かねたユリウスが言った。 ﹁そろそろお前も避難しとけ﹂ ﹁いーやだーー! 絶対来るもーん﹂ ﹁避難の時邪魔なんだよ﹂ ﹁来るったら来るのーーー!﹂ 駄々をこねるリルの姿はユリウスからは見えない。声がよく響く のでそれだけで会話している状態だ。 こうなるとリルはテコでもここを動かないだろう。それくらいは ユリウスにも分かる。”あの人”とやらが来るのを待つしかない。 何時になるか分からないが。 しかし、逆にこれはチャンスかもしれないともユリウスは思う。 ”あの人”とやらの素性を知るチャンスだと。 そして、この日初めての来訪者が訪れる。 両開きの重そうなドアが開く。昨日の影響からか少し冷たい風が 吹き込む。 その先に立っていたのは、程度の差はあれど、両者とも見たこと がありそうでなさそうな人物。そして、リルの予想とは少々違う人 872 物だった。 その人物は、扉が開くのに反応してまん前に立っていたリルの姿 を見ると、やはりといった表情で言った。 ﹁⋮匂いで主じゃろうと思ったわ⋮﹂ 話は一時間ほど前に遡る。 ⇔ ドラは言い方は悪いが、だらけていた。普段どおりといえば普段 どおりではあるのだが。 やることがない。 昼前にクロノは王城へ行き、話し相手はいない。この街にいるの だからカジノにでも行きたいが、流石に今の現状でカジノに行くほ ど、ドラも空気が読めないわけではなかった。それ以前にやってい ない可能性も高い。 そういった事情もあって、宿屋内でベッドに寝転んでいた。それ しかやることがなかったのだ。 ドラがだらけていると、部屋のドアが開き、王城に行ったはずの クロノが焦った様子で入ってきた。 何かあったのかと訊いてみると、もう戦争に備え王城から軍が出 発するのだという。それについていくらしい。迎え撃つのは王都か ら20kmほど離れた見通しのいい平原だそうだ。 わざわざそんな事を自分に報告しに来なくてもいいのにとドラは 思う。臣下である自分のことなど気にかける必要はないのだ。終わ ったら勝手に探しに行くだけだ。 873 ﹁そういうわけだから、行ってくる﹂ そう言って立ち去ろうとするクロノを見て、ドラはふと思い出し た。 ﹁なあ、主よ。依頼のこと忘れとらんか?﹂ ﹁あー⋮⋮⋮﹂ やはり忘れていたらしい。冷や汗が滴っているのがはっきりと分 かる。 どうするつもりなのかと、ドラが主の言葉を待っていると、出て きたのは全く予想していなかった言葉だった。 ﹁ドラやっといて﹂ 勿論、最初は断ろうと思った。命令であろうと。 しかし、クロノは逆だった。 ﹁嫌ならいいけど。あくまでお願いだから⋮﹂ 逆にその言い方の方が卑怯だと思った。断りづらいだろうと。そ こまでクロノが計算しているのかは分からないが。 その後、子供の姿だから無理だろうと粘ったが、クロノの ﹁ドラ、大人にもなれるでしょ﹂ という一言によってそれも灰燼と化した。 よく覚えてるなと感心すると同時に、それ以上の抵抗を諦めたの だった。 874 875 第八十六話︵前書き︶ 車いすの人の話と騎士団の話はもうちょい後、ギル視点でサブタイ つける予定。ドラの個人的な話ももう少し後でサブタイつけてドラ 視点にする予定。 クラウンは前からどっかにいた。 876 第八十六話 ﹁ドラ君⋮かな⋮?﹂ 半信半疑でリルは首を傾げる。イマイチ信じ切れない。目の前の 人物が既知の人物であると。 なぜなら、リルが知っている彼とは少々出で立ちが異なっていた からである。 髪は深い緑、眼は鋭い猛獣のような黄色い眼光。喋り方もどこか 古臭い。そこまではいい。 違うのは︱︱少年の姿ではなく、大層な年をとった老人の姿であ ったということだけ。年をとったと言っても、死の間際のような生 気ない老人ではない。どちらかといえば、物語に出てくる賢者をイ メージ思わせる容貌だ。 疑念の入り混じった視線を向けられたドラは一度自分の姿を見直 して、何かを考えたように間を置いてから言った。 ﹁この姿じゃ分からんか﹂ 低くゆっくりとしたしわがれ声は、姿も相まって普段より口調に 合っている。 その言葉でリルは姿かたちは違えど、とりあえず目の前の人物は ドラであろうと確信する。 一方のドラはというと、リルが未だに混乱しているように見えた ので、しょうがなくいつもの姿︱︱少年へと姿を変えることにした。 無言のままドラが何事かを頭の中で考えると、見る見るうちに皺 がとれ、背が低くなり、身体が若返っていく。見るもの全員が目の 前で起こっている現象についていけない。 877 瞬く間に少年の姿へと成り変わったドラは、いつも通りの顔で口 調で、リルへと訊いた。 ﹁これでよいかの?﹂ まじまじと不可思議に変貌する様を見ていたリルは、ようやく現 実に引き戻される。 そして、今起こったことが現実だと理解し、子供らしい好奇心に 駆られた。 ﹁え、今の何!? お爺さんがドラ君でドラ君がお爺さん? それ ともお爺さんがお爺さん? アレ、あれ? 待って、その前になん で服まで大きさ変わってるの? ん? これは前から?﹂ 決壊したダムのようにまくしたてるが、言っている内容は支離滅 裂である。どうやら、今目の前に起きた現象が幼い少女の脳内キャ パシティをオーバーしてしまったらしい。 混乱する少女とは対照的に、ドラは冷静に、乱雑に並べられた質 問を消化していく。 ﹁儂以外の何かに見えるなら、すぐさま医者にでも行くとよいぞ﹂ ﹁あ⋮⋮うん⋮ドラ君だよね⋮⋮大丈夫大丈夫⋮⋮よし、私は冷静 だっ!﹂ ﹁そうか。ならいいが。それと、この衣は天衣の霊装といってな。 儂の意思一つで姿形から大きさまで変えられる優れものじゃ﹂ 見せびらかすように回ってみせる。縫い目すらないその服は、不 可思議と呼ぶにふさわしい。 878 そう言った次の瞬間、リルの眼が変わる。好奇心の眼から、物欲 ともとれる眼へと。ドラは、リルの眼が輝いているような錯覚を覚 えた。クロノの次に人間の中で付き合いの長いリルの眼が何を言っ ているのかすぐに理解出来た。 じとっとした眼でドラは言った。 ﹁やらんぞ﹂ ﹁ほ、欲しいなんて、いいいいい、言ってないし!﹂ ﹁これは龍の一族の王にしか与えられぬ貴重品じゃからな。おいそ れとやるわけにはいかん﹂ あからさまに欲しがるリルにドラはきっぱりと言い放つと、すぐ さま自分の発言を思い返し、何とも言えぬ気持ちに包まれた。 あわよくば聞き逃してもらいたいところだったが、何とも厄介な ことに、リルは正確にその部分を訊いてくる。 ﹁ってことは⋮⋮ドラ君って王様だったの!?﹂ 未だ脳内は混乱しているのか、リルはハイテンション気味だ。そ んな状態でもピンポイントでそこを突いてくるのは勘がいいという べきなのだろうか。 どう答えるか。クロノにも話していないことをリルに話すという のもおかしな話だ。 ドラは誤魔化すように自嘲気味に笑いながら言った。 ﹁いや⋮⋮⋮抜けるときに少々拝借してきただけのことよ﹂ ﹁泥棒だよねそれ!?﹂ 879 ﹁人聞きが悪いな。拝借じゃ﹂ こともなげに言ってのけたドラ。嘘は言っていない。実際、抜け るときに着ていたものをそのまま持ってきただけだ。本当は返還す る決まりだったが。 何はともあれ論点はずらすことが出来た。 その後、暫しの間、盗った盗らないの言い合いが続く。 かと、思われた。 だが、二人︱︱特にドラは忘れていた。この空間︱︱孤児院にい るのは二人だけではないということに。 その人物は、普段ドラの変身を見慣れているリルよりも、今さっ き起きた現象に対し混乱していて、声を出せなかった。 そして、ここに至りようやく、声を出すことが出来た。声を向け るのは確実に見たことがある少年。 ﹁お前⋮⋮あの時俺に話しかけてきたガキじゃねえか﹂ 階段の上から降り注ぐ第三者の声。 ドラには聞き覚えがあった。いつの記憶だっただろうか。記憶を 探ると、すぐさま引き出せた。ドラの人生からみれば、全く古くな い記憶。新鮮にもほどがある記憶。 階段を見上げる。 そこにいたのは、かつてリルの跡をつけてきていた怪しい人物。 ドラは姿を認めると同時に、自分が今やったことのまずさに、頬 を引き攣らせ苦笑いを浮かべた。 ︱︱妙なことになりそうじゃの⋮ 880 ⇔ ギール王城の右端には離れがある。やけに広く長い2階建ての石 造りの建造物だ。王城の中に造られたその建造物は、煌びやかに飾 られた城とは違い、何とも無骨で無機質。冷たく無愛想な印象を受 ける。これでは見る者に、ここは王城の中なのか? と疑われても しょうがない。 中にいるのは200人ほどの男たち。年齢は様々。10代後半か ら∼40代前半まで。別に年齢制限をかけているわけではない。肉 体のピークと衰えを考慮すると自然とこうなっただけだ。ピークを 迎えるのが10代後半から。ギリギリ衰えをカバーできるのが40 代前半。それだけの話。 彼らはここで一部を除いて寮生活を送っている。 衣食住付き。給料もそこそこ。家庭があるものは寮生活免除。外 出も比較的自由。 そう言えば待遇は良さそうに見えるが、これは改善された結果で ある。 以前はひどいものであった。満足に外出も許されず、実質ここに 軟禁されるような生活。だがしょうがない。彼らには才能がないの だ。才能がないのであれば、努力するしかないのだ。他人の何倍も。 所詮、ここにいる連中はその程度の存在である。 彼らの今の生活は、現在の彼らの上司による訴えの賜物だ。 だからこそ、彼らは目の前に起こっている現象が現実には見えな かった。信じたくなかったと言った方が正しいかもしれない。 入ってきたその上司を見て、一同が手を止めてしまった。 視線の先には、上司︱︱ギルフォードが渋い顔で、車椅子を押さ されていた。まるで使用人の様な仕事をしていたのだ。 恩人と言ってもいい上司がそんな仕事をしているのを見て、彼ら は頭に血が上り、噴火前の火山のように顔を赤くしたが、城の兵士 881 たちと同じように、押されている車椅子に座る人物を見ると、多く の人間は正常に戻る。 椅子に座る人物は髪で顔を隠しながら、何も隠すことがなく、晴 天の中に曇りすらもないような明るい声で、楽しく高らかに朗らか に告げた。 ﹁やあ、騎士団の皆! ひさしぶり! ︱︱でも、ないけどさ。私 はまた、ここに帰ってきたよ﹂ ⇔ クロノは王都を歩いていた。 人がごった返す大通り。昼方は特に変わらないように見えたが、 よく観察してみると、人々の顔には焦りが見えた。避難前の焦りだ ろうか。 ごった返す大通りの本質は、どうすればいいか右往左往している 民衆が行き場を無くした結果かもしれない。 あちこちから声が聞こえる。 ﹁ガザ地区の方はこちらへ﹂﹁メリアス地区はこちら∼﹂﹁外部の 方はこちら﹂ どうやら地区ごとに色々と避難ルートが違うらしい。交通整理の ように声が聞こえだすと、瞬く間に群衆は大移動を始める。太く長 い蛇のように動き回る民衆。 地下通路の話はさきほど使用人の男から説明を受けた。地図は流 石にくれなかったが、一度見せてくれただけで十分だ。自分でも記 憶力に自信はある。頭に思い浮かべる、血管のように張り巡らされ 882 た地下通路。出口も様々、多種多様であった。出口の方角的にいく つか使えない場所はあったが、逃がすのには十分な数の出口だろう。 しかし、そんなものを使わせる気は微塵もない。出口辺りで待機 している兵士には悪いが、彼らに仕事などさせはしない。待ちぼう けを喰らわせてやろう。 クロノは群衆の中をただ一人、王城へと歩く。通り過ぎていく人 の群れ。 必然、一人だけ、逆流するように歩くクロノは人とよくぶつかる。 その中でも、一際大きい衝撃がクロノの後頭部を襲った。だが、 すれ違いざまに自然とぶつかるのであれば、後頭部に衝撃が来るこ とはない。 つまり、その衝撃はわざとだ。 クロノは振り返る。敵ではないかと疑念を抱きながら。 そこにいたのは︱︱白いクリームで顔面を塗りたくり、奇怪なト ンガリ帽子を被った、赤い丸鼻の、奇妙な人間の姿。いや、人間か どうかすらも疑わしい。 間近で見ると、何とも不気味で、背筋がざわついた。そして、同 時に既視感を覚える。 ︱︱俺はコイツを見たことがある⋮⋮ もやがかかったような、不快な感覚に囚われる。一度ではない。 何度か見たことがある。最初に見たのはとても前な気がする。それ こそ、朱美と出会う前ではないかとも。 見るだけならいい。問題は今、この群衆の中で確実に、この怪人 は自分の足をわざと止めたということだ。 今は普通の状況ではない。その事実が殊更、クロノの中の警戒レ ベルを上げていく。 その奇妙な怪人は、クロノをじっと見つめると、即座に踵を軸に 883 くるりと回り、クロノに背を向けた。 ﹁頑張ってね∼﹂ それだけ言うと、怪人は歩き出す。 歩き出したのを見て、クロノが止めようとするが、群衆に紛れた その姿はクロノの心のもやを更に濃くしながら、霧のように消えて しまった。 884 第八十七話︵前書き︶ 戦記ものじゃないし、師団とか細かい戦術とかいらないや 次回の後にギル視点でナナシの話ぶっこんで戦争スタート ドラが王とかは、クライスとの会話辺りでちょっとそれっぽく書い た気もする。 885 第八十七話 騎士団詰所 ﹁クハハハハ! 私は遂に帰ってきたぞ! この汗臭い宿舎に!﹂ 騎士団を集めた宿舎内の特別修練所で、地味に失礼なことを言い つつ、テンションメーターを振り切ったように饒舌に語るその人間 の顔は見えない。むしろ、舌が本体なのではないかと疑いたくなる。 座ったまま騎士団の前にいるその人物の横には、頭を抱えたギル フォードの姿。 ﹁というわけで︱︱皆、ひっさしぶり、じゃないけど。ナナシのご 帰還だァ! 私の事忘れた奴いる? いないよね? いるわけない な。よし。いない。絶対だ。これは命令だ。逆らったらぶっ殺す﹂ 徐々に物騒な言葉に成り変っていく座ったままの人物︱︱ナナシ の言葉。騎士の面々も一部を除いては慣れたことなのでさらりと受 け流す。 ﹁皆元気? 私は元気。なぜって? そりゃあ、コイツをこき使う って初対面で言ったことを有言実行出来たからだよ。最高にハイさ !﹂ ギルフォードを指さし、ナナシは楽しげに笑う。これでは上司も 部下もあったものではない。騎士団の多くの面々は内心笑いながら その言葉を咎めなかった。 しかし、流石にここまで来るとギルフォードも黙ってはいない。 上と下の立場ははっきりさせねば組織が崩れる。このままでは王に 886 すらため口を聞きそうな勢いだ。 ﹁おい、ナナシ。お前いい加減に⋮⋮﹂ 言いかけたギルフォードに気づいたナナシは、声をその上に被せ る。 ﹁なんだよなんだよ。気分害しちゃった? 敬語使えって? でも 残念。私にはこれがある﹂ ナナシは懐から一枚の羊皮紙を取り出すと、見せびらかすように 前面に高く掲げた。その場にいた全員の注目が、掲げられた羊皮紙 に向く。 そこに描かれたのは、ギール王家の紋章。それだけでこれは公式 の文章であると分かる。文字は黒々とした濃いインクで見やすく刻 まれているが、言葉自体がやたら小難しい。 だが、解りやすい部分が一つ。それは、ギルフォードにとって一 番重要な部分。そして、信じがたい文面。 ﹃︱︱報酬として騎士団団長ギルフォード・アックスフォードを自 由にする権利を与える﹄ 見た瞬間、どういう意味なのか理解出来なかった。 その結果が次の言葉である。 ﹁⋮は⋮?﹂ 正確にはそれしか出てこなかった。今の彼の心情を語る上で最も シンプルな言葉。 887 ﹁そういうこと。いやー、陛下に﹁褒美は何がよい?﹂って訊かれ たからさ。﹁ギルフォードさんを自由にする権利で!﹂って言った ら通ってしまったZE!﹂ とりあえず、ナナシのハイテンションな耳に響く言葉でここは現 実であると理解出来た。ギルフォードにとっては夢の方が良かった かもしれないが。 混乱するギルフォードを尻目にナナシは声のトーンとテンション を少し下げ、騎士団の面々を見えない眼で見渡してから高らかに言 った。 ﹁この度、臨時作戦立案⋮⋮⋮なんだっけ? ⋮⋮まあ、なんかそ んなのに就任したナナシです。というわけで、改めて皆さんよろし く﹂ ぺこりと頭を下げると、顔を覆う長髪が遂に口元まで覆い、ただ でさえ怪しい風貌が殊更怪しくなった。 ギルフォードは言いたいことがいくつもあったが、ありすぎて未 だ整理がついていない状況だ。 その次に言葉を発したのはナナシ︱︱ではなく、意外にも入団し て二年目の新入団員だった。 ﹁⋮なんなんだよお前は⋮⋮この前も⋮﹂ 拳を握り締め、肩と声を震わせる。 ﹁いきなりやって来て何様のつもりだよ!﹂ 声を荒げ、怒気を露にする青年。見ると、他の若い新入団員も同 じような表情だ。最初の青年は彼らの心の代弁者のようであった。 888 それとは対照的に、ナナシは極めて暢気に首を傾げながら訊いた。 そういえばこの前、全員の声は聞 ﹁声に聞き覚えがないな⋮⋮私が知らないってことは、私がいない 二年の間に入った人たちかな? いてないっけ﹂ 自分の疑問を自己解決すると、どうでもよくなったのか、新入団 員たちを無視して、淡々と言葉を連ねていく。 その態度が更に彼らを苛立たせた。 ﹁さてさて、作戦説明でも始めようか。まーずは⋮﹂ ﹁質問に答えろ!﹂ 自分の言葉を遮られたナナシは、髪の下に不快さを隠しながら、 声は明るいままで言った。 ﹁なにさ? 言っただろ。今回の件で臨時に雇われた、臨時作戦立 案⋮⋮なんだかだよ。君たちより階級は上だ﹂ しっかりと重要な階級について言ってあげたというのに、青年は 未だ納得していないらしい。 ﹁気にいらねえんだよ! お前みたいなどこの誰とも分からないよ うなやつが、戦争の指揮をとるだと!? ふざけんな!﹂ ﹁そう言われてもねえ⋮⋮ちゃんと辞令もあるわけだし﹂ 困ったように言うナナシ。青年は更に語気を強め、思いのたけを 思い切り吐き出した。 889 ﹁それにだ! 王命だかなんだか知らないが、団長を馬鹿にしたそ の態度が気に喰わねえ! 王なんて関係ないんだよ! 俺たちの上 は団長だけだ!﹂ 場の空気が変わる。全てを凍らす吹雪のような空気。混乱してい たギルフォードでさえもその変化に気づいた。同調していた新入団 員たちも、一人、また一人と表情から怒りを消していった。 唯一、劈く声で言い切った青年は興奮状態で、その変化に気づか ない。 孤立したことに気づかない青年は、更に言葉を続けようとする。 ﹁お前の全てが⋮! っ!?﹂ が、その言葉は強制的に遮られる。首元に感じた違和感によって。 青年が自分の首元に眼を向けるとそこには、光属性であろう光の 短剣が、今まさに自分の首を斬ろうとしていた。 ナナシは青年に一言 ﹁五月蝿いな馬鹿が﹂ と、言った。 それは今までの会話からは想像もつかない、切れ味鋭い刃物のよ うな言葉。 首元のナイフよりも、その言葉が一層の恐怖を煽った。 青年の足が震える。相手は動けないはずなのに。 ﹁お前は今、自分が何言ったか分かってる? 私が気に入らないの はいいけどさあ、陛下を馬鹿にしたようなのは駄目に決まってるだ ろ? ここに入るとき誓ったはずだ。騎士団は王の所有物であると。 890 いかなる場合でも背くことは許されないんだよ馬鹿が﹂ その言葉で青年はようやく自分の失言に気づいた。振り返って見 ても、自分は何を言ってしまったのかという後悔が残る。 焦りから精神が削られていく青年にナナシは、猫が鼠を袋小路に 追い詰めるように言葉を続ける。 ﹁君さあ、油断してたよね? 私は眼が見えないし、動けもしない。 だから、何言っても大丈夫だってさ。高をくくってた。でもね、眼 が見えなくても、声でどこにいるかくらいは分かるんだよ馬鹿が﹂ 完全に顔が青ざめた青年にトドメの一言を告げた。 ﹁馬鹿に用はないよ。失せろ﹂ 冷徹で鋭利な言葉が青年を貫いた。 もう青年の脳内は憔悴し切り、冷静ではいられない。茫然自失に ゴミ 震えながらそこに立ち尽くす。 ﹁早く消えろよ塵が﹂ 容赦なく追い討ちをかけるナナシ。その言葉一つ一つが青年に深 く突き刺さった。 ついに青年は立つことすらままならず、その場に力なくへたり込 んでしまった。ナナシは誰かに命じてつまみだしてやろうかと考え 始める。 しかし、そんな青年を庇うようにして立つ人間がいた。 ﹁やりすぎだ。お前はコイツを潰す気か﹂ 891 聞こえた声で誰だか判断したナナシは、青年の時とは少し違う、 無機質な声で訊いた。 ﹁何のまねかな? 団長?﹂ ﹁ここを預かる人間としてこれ以上はやりすぎだと判断しただけだ﹂ ﹁逆らう気?﹂ ﹁陛下はこんなこと望んではいないだろ﹂ 髪の下に隠れた顔がどんな表情を浮かべたのかは定かではないが、 ナナシはその下に激情を抑えそっぽを向いたように見えた。 ﹁⋮甘いね。相変わらず﹂ ﹁なんとでも言え﹂ 短い言葉を交わすと、二人の間にあった張り詰めるような緊張感 は薄れ、暗澹とした空気が立ち込める。 青年は座りながら、縋るような顔でギルフォードを見つめた。 ﹁団長⋮⋮俺⋮⋮﹂ ﹁お前はとりあえず寝て頭冷やせ﹂ 言うが早いか、ギルフォードは青年のみぞおちを正確に右手で打 ち抜いた。 ﹁⋮ガ⋮ハッ⋮!﹂ 892 瞬間的に呼吸困難に陥った青年に、トドメとばかりに後頭部に一 撃を加える。 鈍い打撃音が青年の耳に響く。それが青年が最後に聞いた音。 ﹁おーい、コイツ運んでくれ﹂ 完全に気を失った青年を片手で持ち上げると、そのまま30代の ベテラン団員に放り投げた。 受け取った団員は、軽々と青年を担いで宿舎の奥へと消えていっ た。 一つの騒ぎが治まったのを耳に響く音で確認してから、ナナシは いつもと変わらない口調でギルフォードに訊いた。 ﹁気絶させたの?﹂ その声色に青年に恐怖を与えた人間の面影はない。 ﹁まあな。首にちょっとやっただけだ﹂ ﹁もうやめときなよ。首は最悪後遺症残るから﹂ ﹁⋮⋮マジで?﹂ ﹁マジで﹂ ﹁⋮⋮まっ、何度かやってるから大丈夫だろ⋮⋮うん大丈夫⋮だよ な⋮﹂ 893 最後は自分に言い聞かせるように言ったギルフォードの顔はどこ か不安げだ。 ナナシは一瞬、﹁最悪私みたいになるよ﹂と言いかけたが、途中 でやめることにした。そんなことを言えば、目の前の彼がどんな行 動をとるか容易に想像出来たからだ。 ︱︱もう謝り倒されるのは勘弁だからね ナナシは心中に秘めた淡く苦い記憶を封じてここに居続ける。こ れからも。 ﹁というか、お前も似合わないこと言うな。忠誠心薄いタイプだろ お前﹂ ﹁嘘も方便さ。役作りって重要だろ?﹂ ⇔ 孤児院内 まず、ドラは冷静に状況を整理した。 暫定状況︱︱リルがここにいる。階段の上にいる男はリルの知り 合いである。ついでに、以前リルの跡をつけてきた人物である。そ して、今しがた自分が老人から少年へと成り変わるという不可思議 な現象を目の当たりにしている。自分はクロノの代わりにここに子 供たちを引き取りにきたが、匂いからして視認出来る二人以外はこ 894 こにいない。 案件︱︱子供の確保。これは出来ない。いないのだから無理だ。 新案件︱︱男に自分のことをどう誤魔化すか。子供たちはどこに 消えたのか。なぜリルはここにいるのか。 優先順位︱︱壱、子供たちはどこに消えたのか。弐、男に自分の ことをどう誤魔化すか。参、なぜリルはここにいるのか。 まるで判断推理の問題のように頭で現在の状況を整理し、消して いくべき案件に順位をつけた。 そして、その通りに事を運ぼうとする。 男の存在を無視して、最初にリルに訊いた。 ﹁ここにクロノが保護する予定じゃった子供が二人おると聞いたん じゃが、知らんか?﹂ 一瞬、聞こえた固有名詞にユリウスの表情が強張る。 リルは口元に伸ばした人差し指を当てて問いに答えた。 ﹁んー。なんかね、戦争始まるからって皆避難したよ﹂ ﹁どこに行ったかは?﹂ ﹁えーっと、どこだっけ⋮?﹂ 知っているが覚えていないといった感じで可愛らしく首を傾げる リル。 どうやって思い出させようかとドラは考え始めるが、それよりも 早く、リルは確実に知っているであろう人物へと訊いた。 ﹁ねえー! 皆どこに行ったんだっけ?﹂ 895 階段の上にいるドラに存在を無視された男は、一段一段階段を降 りながらその問いに答えた。 ﹁シュガーだっつただろうが。一回で覚えろや、ばーか﹂ ﹁馬鹿って言うほうが馬鹿なんですー。ばーか﹂ 子供のような言い争いをする二人。これではどちらが子供だか分 からない。 ドラは唐突に出てきた国の名前に眉を寄せた。 ﹁⋮なぜそこにした⋮?﹂ その問いは確実にリルに向けられたものではなく、明らかにもう 一人に対してのものだ。 質問を投げかけられたその人間はドラへと向き直り、答えになら ない言葉を返す。 ﹁教えて欲しいなら、まずこっちの質問に答えることだ﹂ その言葉にドラは身構える。自分の正体を知った人間がどういっ た行動をとるか、経験からある程度想像できたからだ。一般的に見 れば自分は魔物なのだ。魔物の定義自体怪しいところはかなりある が、その事実に変わりはない。 ユリウスは身構えたドラを見て、慌てたように手を振った。 ﹁待て待て、身構えんなって。俺は別にお前に敵意を持ってるわけ じゃないし、ガキを殴る趣味もない﹂ 896 ﹁あったらドン引きだよ!﹂ ﹁お前は黙ってなさい﹂ ユリウスにペシリと頭を叩かれたリルの顔はどこか不満げだ。 ﹁ばーか。ばーか﹂などと言うリルを気にしていては話が進まない。 そう判断したユリウスは一旦リルを意識から外し、ドラだけを視界 に捉える。 ﹁答えたくないなら答えなくてもいいし、意図的に質問を飛ばして もいい。まず、お前は誰だ? なぜここに来た?﹂ ここでユリウスはあえて、何だ、ではなく、誰だ、と訊いた。老 人がいきなり少年になるなどという怪現象を目の当たりにすれば、 そもそも目の前の少年が人間ではないのではないかと疑ってしまい たくなるが、あえてそれは訊かない。身構えた少年を見て、何か訊 かれたくない事があるのはなんとなく分かった。それが、おそらく 彼自身の正体であろうことも。しかし、彼の正体︱︱もっといえば、 いきなり老人から少年になった理由など、今の現状では特に訊く必 要がない事柄であったからだ。 ユリウスの意図を汲み取ったか、或いは気づかないままか、ドラ は自分の仮の名前を告げようとする。フルネームならまだしも、名 前だけなら問題はない。 ﹁ドラ⋮とだけ言っておこう。主から少々使いを頼まれておってな、 ここに参上した次第じゃ﹂ さきほどのリルとの会話を聞く限り、ドラという名前は嘘ではな いらしいとユリウスは推測する。本名かどうかは置いておいて。 897 ﹁使いっていうのは、あの紙に書かれてたガキ共の保護か?﹂ ︱︱紙⋮? ⋮⋮そういえば、出発した辺りで飛ばしたんじゃった か⋮ ﹁まあ、そうじゃな﹂ ︱︱大方、リル辺りが拾ったか。そう考えればここにリルがいるこ とも不思議ではないな⋮ ドラはテキパキと予想を立て、今起こっていることを大体把握し た。リルがここにいるのは、保護を手伝うとか、そういった口実で クロノに会いに来るためであろう。 ﹁して、他に訊きたいことは?﹂ ﹁あの時、俺に話しかけてきたのはわざとか? それと、お前の主 について﹂ ﹁わざとじゃよ。不審な人間がリルの跡をつけてきておったからな。 撒くために少々、小細工をしただけのこと。主は不必要な人間との 接触を嫌うのでな。同じ理由で主についてはこれ以上喋る気はない ぞ﹂ ︱︱これ以上聞き出すのは無理臭いな ユリウスはそう判断する。この少年はただの少年ではない。身構 えたところから見ても、無理矢理聞き出そうとすれば、戦う気であ る。子供の姿をした彼と事を構える気はユリウスにはない。それに、 898 ”あの人”とやらが何かしたわけでもなく、無理矢理聞き出す正当 性などこちらにはない。 ユリウスからの質問が止んだのを確認してから、ドラは逆に訊い た。 ﹁そろそろこちらからも尋ねたいことがあるんじゃが? どうして その国にした?﹂ ドラは目の前の男の素性などに興味はない。ただ、リルよりも事 情を知っていそうだから訊いただけだ。 ﹁単純な話だ。こっちも、お前の主とやらが迎えに来ることはリル から聞いてた。どこからの依頼で来るのかもな。保護してくれるっ ていうなら逆にこっちから行けばいい。保護対象連れてけば、その 国で無碍な扱いは受けないだろ? 上手く行けばそこの上ともパイ プが出来る﹂ それは、言い方を変えれば、その二人を利用したとも言える話。 子供を利用した国内部への取り入り。 だが、ユリウスはその決断を下した時、微塵も悪い気はしなかっ た。そもそも、そんなことが上手く行くとはあまり思っていない。 あくまで雀の涙ほどの可能性の話だ。最悪、援助を断られても自分 たちの収入でなんとかなる。利用出来るものは利用するだけの話だ。 子供たちのために。 クロノに子供たちの保護を頼まれたドラとしては、どうすればよ いのかと考えさせられたが、よくよく考えてもクロノがやったこと にならなくても良いのではないだろうかとさえ思ってきていた。 誰がやろうが特に不都合はない。最終的に保護できればいいのだ。 899 クロノが困ることとすれば、報酬が入らないことくらいだ。幸い、 クロノは金になど困ってはおらず、その点は問題ない。 依頼主のメイも、誰がやろうが気には留めないだろう。依頼を破 棄したところで、クロノへの信用が揺らぐこともない。 ︱︱なんじゃ。何もやる必要がないではないか ドラはそう考え、与えられた暇を満喫することにした。 900 第八十七話︵後書き︶ 次回はー勤勉勇者とふざけた騎士団の話。 901 第八十八話︵前書き︶ 戦争編でパイク&ショットとか見たい人いないでしょ。なので出し ません 勇者様マジ歪んでる。書いてて一番楽だけど 902 第八十八話 騎士団詰所 ﹁さて、少々邪魔が入ったけれど、そろそろ作戦でも確認しようか﹂ 少し経ってから、ナナシはそんなことを言った。 ガヤガヤと騒いでいた騎士団全員が途端に口を閉じ、前方にいる ナナシを見つめる。ギルフォードも表情を堅くして同じようにナナ シを見つめた。 一転して、特別修練場が静寂に包まれる。一同がナナシの言葉を 待った。 そして、静まり返ったこの空間で、ナナシがまず最初に言ったの は、変えがたい現実で身も蓋もない事実で冷酷な真実だった。 ﹁ぶっちゃけ、私たちじゃ勝ち目なんてありません!﹂ その瞬間、ギルフォードはぼんやりと思った。 ああ、鳩が豆鉄砲食らったようとはこういうことをいうのだろう、 と。今まさに、自分はそんな顔をしているのだろう。 一同も、いきなりの敗北宣言に呆気にとられている。 ﹁︱︱って、おい。いきなり何言ってんだお前は!﹂ 何とか呆けた顔から脱却したギルフォードがそう叫ぶと、ナナシ は諭すように言った。 ﹁え∼? だって、無理だよ。無理無理無理。戦力差見よ? 国の ﹃最強﹄が実質使えないこっちと、三姉弟に加えて﹃勇者﹄までい 903 るあっち。それに一番重要な魔導隊の規模、戦勝続きである相手の 士気、資金力の差。中堅クラスの国に過ぎないこの国と、腐っても 大陸トップの大国。どっちが強いかなんて⋮⋮ねえ? 所詮この大 陸は、不戦条約なんて不確かなもので仮初の平穏を保っていただけ で、あの国がそれを破ったらそんな儚い夢は覚めちゃうのさ﹂ ﹁それでも何とかするのがお前の仕事だろうが﹂ ﹁私が出来ることと言えば、今からあっちに雷とか隕石とか降り注 いでください、って祈ることくらいだよ。天変地異でも起きてくれ ないとやってられないよ﹂ すらすらと悲観的な言葉ばかりを明るい顔で並べていくナナシ。 ﹁あっ、一応、こっちが勝ってることもあるよ﹂ 一瞬、これまでとは打って変わって希望のある言葉にギルフォー ドは期待する。 が、ナナシはそんな彼の淡い希望を粉々に打ち砕く。 ﹁不戦条約を破ったのはあっちだから、大義はこっちにある。まあ、 大陸全部支配されてそんな条約なかったことにされそうだけど﹂ ﹁結局意味ねえだろうが!﹂ どうしてコイツは、こんなにも人をおちょくれるのだろうか。そ ういった大会があれば間違いなくグランプリだ。 ギルフォードはそんなことを考えたが、いつものことだと思い直 すと、少し冷静になり、ふざけた調子のナナシに深く重い声で訊い た。 904 ﹁話せよ、そろそろ。お前がなんも考えてないわけねえだろ﹂ ナナシは長く顔を覆う髪の下で口元を少し緩める。 ペシミスト ﹁そりゃあね。マイナス情報を並べるだけじゃ、ただの悲観論者だ よ。そんなの誰だって出来るさ﹂ ﹁さっきまで自分が言ってたことを思い返してみろよ⋮⋮﹂ ﹁さっきまでは、単純な事実を改めてアンタたちに理解させようと しただけさ。こっからは本題だ﹂ ナナシは人指し指をピンと立て前に突き出すと、口元に笑みを浮 かべ、ゆっくりと本題を語りだす。 ﹁まず一つ、私たちの戦力じゃどう足掻いたって勝てない。これは 事実だ。それを理解しろ﹂ 騎士団たちは声を上げない。静かにナナシの言葉に聞き入る。 ﹁だが、これは戦争だ。戦力差を競うものじゃあない。基本的勝利 条件がいくつかある。一つには確かに敵の殲滅もあるだろう。しか し、もう少し簡単な手段がある。何だか分かる? はいギルフォー ド君﹂ 突如として解答を求められたギルフォードは、視線を宙に浮かし ながら考える。 ︱︱なんだ⋮? 敵の殲滅⋮⋮ 905 しかし、ここでタイムアップを示すふざけたブザーが鳴り響く。 ﹁ブッブー。時間切れー。正解は︱︱敵大将の撃破だよ。大将を消 せば戦争なんてのは勝ちだ。この場合、私たちの大将は言うまでも なく陛下。そして、あっちは﹃勇者﹄。それに勝てる可能性がある のは一人だ。まあ、クロノさんだね﹂ ここで、ギルフォードは僅かな違和感を覚えた。 いきなり、﹁クロノ﹂という名前が出てきたのに団員たちの表情 に変わった様子がない。クロノのことを知らない人間はいないが、 この戦争でいきなり部外者である彼を使うなどと言ったら、少しく らいどよめきか、動揺が浮かぶはずだ。しかし、見たところそんな 素振りは誰にも見受けられない。 それはまるで、その事を前から知っていたようにギルフォードの 眼に映った。 ﹁﹃勇者﹄は完全に彼に任せるしかない。情けないと思う? その 感情は間違ってない。でも、割り切れ。﹃勇者﹄は天災だと。嵐と か雷とか、そういった類のものだ。私たちじゃ無理。私たちに出来 るのは、クロノさんが﹃勇者﹄を倒すまで持ちこたえること。これ は戦争は戦争でも、防衛戦だ﹂ そう言い切ったナナシに対し、聞きながら考えていたギルフォー ドはこれまでを思い返していた。 一つ一つの発言を思い返していく。 青年は言った。﹁この前も⋮﹂ ギルフォードが知る限りでは、ナナシは今日、あの事件以来久し ぶりにここに来たはずだ。 ナナシは言った。﹁ひっさしぶり、じゃないけどさ﹂ 906 この言葉が事実だとすればおかしい。約二年間、ナナシはここに は来ていない。 そして、さきほど言った。﹁作戦でも確認しようか﹂ 説明ではなく、確認と言った。それに加え、クロノの名前が出て きても動揺していない。これらが示すことは何か。 ﹁お前⋮⋮俺の知らないところで、何かやってやがったな⋮?﹂ 疑念から吐き出したその問いに、ナナシが意地の悪い笑みを髪の 下に浮かべながら答える︱︱よりも前に、修練場の堅い扉が勢いよ く開けられた。 一同の視線がそちらへと向く。 入ってきたのは、つい先刻、ギルフォードとナナシがいた軍議室 で苦虫を噛み潰したような表情をしていた魔導隊総轄責任者だった。 表情はさきほどとは少々違い、顔に皺を浮かばせ、憤怒という感 情に染まっている。 そのまま、ずかずかと騎士団を掻き分け、ナナシの前に立つと、 その胸倉を掴み、椅子から引っ張り上げ怒気を露にした。 ﹁貴様ァ! 私の隊を勝手に動かしたな!?﹂ ナナシは怯むことなく、慇懃な口調で平然と答えた。 ﹁これはこれは、魔導隊の総轄者様が私の様な者に何か御用でしょ うか?﹂ ﹁惚けるな! 私の第三隊が全員、数日前に出発しておったと連絡 が来たわ! 貴様の仕業であろう!﹂ ﹁仕業とは人聞きの悪い。少々必要であったから動かしたまでのこ 907 と﹂ ﹁貴様に私の隊を動かす権限などないわ!﹂ ﹁お言葉ですが、私には今回の戦争に対する指揮権の一部を陛下か ら委託されております。ですので、越権行為には当たらないと思わ れますが﹂ 淡々と答えながら、懐からギルフォードに見せた紙とはまた違う 紙は取り出す。 ﹁しかし、気に入らないのであれば、これは貴方に渡しておきまし ょう。どうぞ、これで私の指揮権はなくなります﹂ 総轄者は奪い取るようにして左手でその紙を手に取ると、ナナシ を持った右手を更に上げようとした。ナナシの髪が揺れ、僅かにそ の下に隠れた顔が見えかける。 しかし、その右手を掴むものがいた。 ﹁それ以上は止めとけよ﹂ ギルフォードに掴まれた右手が自分の意思で動かない。それどこ ろか、無理矢理下に下げられている。筋力に差がありすぎるのだ。 ﹁騎士団風情が⋮⋮!﹂ 総轄者が忌々しそうな眼でみつめながら手を離すと、ナナシの身 体はトスンと何とも軽そうな音を立て無事着地した。 手を離した張本人は依然、怨むような顔だったが、その後は何も 言わず、露骨に一度舌打ちをした後、わざとらしく大きな足音を立 908 てて修練場を出て行った。 ﹁大丈夫か?﹂ ﹁まっ、助かった⋮かな。顔は見れたもんじゃないからね。って言 っても、私、眼見えないけど﹂ 自虐気味に笑うナナシ。その言葉にギルフォードは何も言わない。 いや、言えない。自分に何か言う資格などないと分かっているから だ。 ﹁︱︱で、何の話だっけ?﹂ ﹁もういい。お前が俺の知らないところで、下の奴らに色々話して たのは分かった。人の部隊を勝手に動かしたことも﹂ ﹁あっ、ばれた? 既に先遣隊は数日前に送ったし、皆にもある程 度は話しておいたんだ。いきなり当日言われて、はいやってくださ い、なんて無理だよ無理。事前にこういうことはやっとかないと﹂ ﹁なぜ、上には言わなかった?﹂ ﹁うちの国は、軍は議会の承認がないと大規模に動けない。それで 承認されたのは昨日。動けるのは実質今日からだ。前から分かって たけど、遅すぎる。それなら秘密裏に小規模に、上に伝えず動かそ うかなってね。陛下には許可とったけどさ。陛下は議会の保守派の お蔭で承認が遅れるのまで読んでたから、先に私に権限を与えて動 かさせたってわけ。実際はもっと早く大規模に軍を動かして、20 km地点なんて近いところじゃなくて、100km先くらいでやり たいくらいなんだよ? でも、今からじゃ間に合わない。これでも 909 妥協してるのさ﹂ ナナシはべらべらと新事実を語っていく。 ﹁何人か送った先遣隊はもう準備してる。まあ、昨日の嵐はちょっ と予想外だったけど。屋外だから大丈夫かな⋮﹂ ﹁お前⋮⋮せめて俺には言えよ⋮⋮﹂ ﹁いいんだよ。無能な上は担がれておけば。担がれるのも重要な仕 事だよ。後は有能な下が何とかすりゃいいのさ。まあ、私には担が れるなんて出来そうにないけど﹂ 直球に無能と呼ばれたギルフォードだが、昔からこういう奴なの で、これ以上言っても無駄だと判断し、何か言うことはない。 ︱︱私も有能とは呼べないか⋮⋮﹃勇者﹄相手に何も思いつかない んだからさ⋮⋮。 ナナシは長く伸びた髪の下に、どこか思いつめた表情を隠し、一 人自分の情けなさを嘆いた。 そして、密かに思う。一番﹃勇者﹄のことを天災と割り切れてい ないのは、自分ではないかと。 ⇔ ギール東方 誰かの憂鬱の原因となっていることも露知らず、﹃勇者﹄本人は 910 白い幌で覆われた陣内で一人、物静かに本を読んでいた。 読んでいるのはギールという国の歴史書だ。建国記から現在に至 るまでの出来事が年表となり、事細かに記されている。こうして見 ると、自分がいた世界のどこぞの国の歴史と重なりそうだ。読み物 としては中々に面白い。 現在ここには彼以外の人間は存在しない。読書の邪魔だからと人 払いさせたのだ。それは真実であり、全く他の意図はない。現在歴 史書を読んでいるのは、単純な知的好奇心からだ。 彼はある意味で勤勉な人間であった。色んな物事を知りたいと思 う知的好奇心と、それを実行する行動力を持ち合わせている。ただ、 その知的好奇心を向ける対象に制限がないだけだ。 初めて人を殺した時も、始まりは好奇心だった。その好奇心が、 人を殺したらどんな気持ちを味わえるのだろうか、という歪んだも のだっただけで。そして、やってみたその行為が快感だっただけ。 それだけだ。 そんな些細なことを除けば、彼は普通の人間と言えた。少なくと も、彼自身はそのことを些細だと思っている。殺す対象が、血を吸 う蚊か人か、その程度の違いだと。命に貴賎はないという、偽善者 が吐きそうな詭弁を借りれば違わないだろうと。命に貴賎はないな どというのは詭弁であると、自分でも分かってはいるが。 彼の好奇心の向く先が、少し、ほんの少し違えば、その貪欲な知 的好奇心が他者よりも素晴らしい結果を出したかもしれない。だが、 そんな仮定の話に意味はない。今まで彼が過ごした人生をやり直す ことなど出来はしないのだ。 彼は殺人には麻薬のような中毒成分でもあるのかもしれないと思 っている。一度殺すということを覚えると、歯止めが効かない。そ して、殺さないとイライラする。最初は感じていた罪悪感も次第に 麻痺していった。アルコール中毒という表現もしっくりきそうだっ たが、それはそれで何となく麻薬中毒より格好悪い気がして止めた。 911 どちらも格好悪いと言われればそれまでだが。 テレビで彼の殺人が取り上げられた時、ある軽薄なコメンテータ ーは彼を麻薬中毒ではなく、ゲームと勘違いしている子供だと言っ たことがある。 それをたまたま見ていた彼はその言葉に憤った。何て失礼な話だ ろう。ゲームと殺人を比べるなど、殺人に失礼だ。ゲームよりも楽 しく面白く気持ちよいというのに。そもそも、彼自身ゲームなど、 世界的に有名なモンスター育成ゲームしかやったことはない。何と も的外れな意見だ。 テレビを見ていて少々腹が立ったので、しょうがなく危険を冒し てそのコメンテーターの所に行き、﹁殺人はゲームより面白く気持 ちいい﹂というのを百回ほど朗読させてから、コメンテーターに自 身の家族を殺させて、その事実を味あわせてあげてから殺してあげ た。帰りは素晴らしいことを教えてあげたという達成感で気分がよ かった。 そのお蔭で一時期は、人に教えるという素晴らしさに気づき、教 員試験の勉強をしたこともあった。 小学校中退という自分の学歴を気にして、高校卒業認定試験を受 けようと考えたこともあったし、しっかりとその頃の自宅で勉強も した。よくよく考えて受けられないことに気づき、無駄な徒労とな りはしたが。 人体が気になって、医学書を片手に解剖をしてみたりもした。何 度かやる内にとても詳しくなり、同時に実習とは重要だと痛感させ られた。 この様に、なんだかんだ彼は勉強が嫌いではないのだ。こっちの 世界に来てからも勉強はしているし、あっちの世界で学んだことも 役に立っている。勉強は重要だ。 特に実感したのは、戦争を起こすに当たっての民衆の扇動。 貴族とやらは肩書きに弱く、御しやすいが、民衆はそうもいかな い。民衆の反対は国も無視出来ない。一人の貴族よりも、多くの民 912 衆に反対されるのが一番厄介である。 彼が民衆を味方につける為に参考にしたのは、稀代の独裁者とし て悪名高いアドルフ・ヒトラーであった。別段難しいことはしてい ない。昔、本で読んだヒトラーの演説方法を丸っきり真似してみた だけ。 ヒトラーの演説方法は後世の心理学から見ても理に適っているら しく、とても狡猾。世界が違うので、効くかどうか不安はあったが、 人間の習性は世界が違えど似通っているらしい。 演説を行なうのは、民衆の大半が仕事を終えた夜方。なぜなら、 民衆が仕事を終えた夜のほうが、疲れのせいで理性や思考力が低下 し、感情的、情緒的になって暗示にかかりやすいからだ。 他にも、国旗や音楽で愛国心や民族意識を煽り、聴衆の気分を高 揚させ、演説は語調激しく早口。人間は基本的に優越感に浸りたい 生き物であり、自分たちが優れた民族などと言われたら気分が高揚 するものだ。 彼は様々な手段を用い、民衆を一種の洗脳状態に陥れ、世論を戦 争へと傾けた。 ここまで上手く行くと逆に怖いくらいだ。 だが、彼は迷わない。全ては自分の目的の為に。強いては﹃夢﹄ の為に。あちらの世界では達成不可能だと知ってしまった﹃夢﹄を この世界でなら果たせるのだから。 彼が静かに歴史書を読みふけっていると、ふいに、幌で作られた 幕が揺れた。端から見えるブロンド。その先にいる人物に声を掛け ることなく、相手が誰なのか分かった。 彼は本を閉じて椅子の上に置くと、おもむろに立ち上がり、声を ﹃勇者﹄のものにして外にいる人物に聞こえるように言った。 ﹁そろそろ行軍を始めるか﹂ 913 第八十八話︵後書き︶ 次回はナナシとギルの話。多分タイトルは﹁正しい差配﹂になる 914 ﹃正しい差配﹄︵前書き︶ 騎士団の話 いらないっちゃいらない話 915 ﹃正しい差配﹄ 通常騎士団と言えば、他国では、格式高く地位も高い高貴なイメ ージがあるが、この国は最初違った。設立当初の騎士団は、騎士団 とは名ばかりの捨て駒だった。 ギールという国は比較的新興国で、建国は百五十年ほど前。騎士 団が出来たのはほんの三十年前。百二十年かかって、ようやく格式 にまで気を使う余裕が出来たので組織されただけ。国にとっては騎 士団を持つのが一種のステータスなのだ。 当初は名ばかりであるゆえに、騎士団はとりあえず人数を集めよ うと、選考基準が緩かったらしい。職にあぶれた浪人ばかりのごろ つき集団と化した。 そんな騎士団に重要な仕事など回ってくることはなく、徐々に捨 て駒としての扱いが増していった。 捨て駒としての扱いが増していくということは当然、死に易い。 徐々に人気はなくなっていった。 それが俺︱︱ギルフォード・アックスフォードの団長就任時期ま で続いていた。俺が22という若さで団長に就任したのも、前任が いきなり死んだからだ。貧乏くじを引かされたともいえた。 就任した頃は人が大幅に減り、30代まで生きていれば奇跡と呼 べるくらいの脅威の死亡率。 なぜ、俺がそんな所に入ったのかというと、別に好きで入ったわ けでもなく、若気の至りだ。 最初の俺の希望は魔導隊だった。 魔導隊はこの国で最も戦力になる、誉れ高い隊である。基本的に どの国にもあり、その魔導隊の実力で戦争の勝敗が大方決まるとさ れている重要な隊でもあった。そして給料も良い。 916 最初、俺はそこの試験を受けに行った。 魔導隊は一定レベルの魔法を使えるのが条件である。属性によっ て様々だが、たとえば風属性なら30秒間飛べれば合格といった感 じだ。飛ぶこと自体高等技術である。一般の人間は飛ぶほどの強い 風を発生させるほどの魔力など持っていない。 結果は、まあ、落ちた。魔法が使えないわけではなかったが、魔 力量が決定的に足りなかった。 それはどうしようもない才能の壁。努力の介在する余地のない世 界。 失意の中、試験会場を去ろうとした俺に、話しかけてくる人間が いた。 それは試験官を手伝っていた一般の兵士らしき人物だった。 ﹁国の為に騎士団になってみないか?﹂ これだ。この言葉が始まり。 おそらく、人員が足りなくなった騎士団の補充の為だったんだろ う。 当時の俺は安っぽい愛国心を持っていたし、他に行く宛てもなか った。 馬鹿だったと思う。若気の至りだ。この国を守るなんて言う、少 年時代抱いた幻想に魅せられてしまった。 こんな甘言に惑わされ、俺は騎士団に入った。 二年で同期の半分が死んだ。ゴミみたいな死に様だった。 四分の一は消えた。ぼろ雑巾のように使われる現状に耐えかねた 失踪だった。 俺を含めた同期数人は生き残った。 更に一年が経つと︱︱同期はいなくなっていた。 死んで逝ったヤツと俺に、そんな大した実力の差はなかったと思 う。単純に運がよかっただけだ。死ぬのはきっと誰でも良かったの 917 だ。 同期が全員いなくなってから、俺は怯えた。次に死ぬのは確実に 自分だと。もう、同期という身代わりはいない。 ここで俺は自分の浅ましさに気づいた。俺は同期を身代わりとし て見ていたのだと。 死にたくなかった。でも、逃げ出したところで行く宛てはない。 必死に強くなろうとした。 魔法が完全に使えないわけではないのだ。何かある筈だと、無い 脳みそを使って考えた。 そして一年後︱︱団長が死に、俺にその役目が回って来た。 地位などなく、先陣を切れと他の隊に言われる団長。所詮、他か ら見ればその程度の存在なのだった。 だが、チャンスはあった。むしろ、この地位にしかチャンスはな かった。 名ばかりの団長とは言え、一応、ある程度の会議には呼ばれる。 通常、そこでの発言は暗黙の了解として許されないが、そのタブー を破る。それも、陛下がいる、出席できる中で最も大きい会議で。 騎士団団長の会議での役割は嫌味を言われること。それが他の隊 の上にいる人間のストレス発散らしい。 それを利用した。 ﹁騎士団如きでは、私の隊の一番下の者にすら勝てないでしょうな あ﹂ ある会議で陛下以外の人間は笑った。 挑発に乗るだけなら、他の人間のでもよかったかもしれない。だ が、俺はあえて、かつて落ちた魔導隊の総轄者の言葉に噛み付いた。 ここら辺は本当に子供だった。きっとこれはつまらない意地だった のだろう。 ﹁では、やってみましょうか?﹂ 918 場の空気が変わるのを感じた。視線が俺に一極集中し、突き刺さ る。 まさか、こんな小型犬に噛み付かれるとは思っていなかったのだ ろう。ザマアみろ。 会議がぎゃあぎゃあと喚くうるさい大型犬の声で支配された。 その中で陛下は言った。 ﹁やってみればいいではないか﹂ 会議が静まった。内心、ありがとうございますと叫んだ。こうい う性格だからこそ、陛下のいる会議を選んだかいがある。 そこからはトントン拍子で事が運んだ。 城内の修練場での一騎打ち。当然魔法は有りだ。 相手は下っぱ︱︱ではなく、小隊長クラス。聞くところによると 最初は総轄者自身が出ようとしたらしいが、最初に下の者と最初に 発言した為それを陛下に止められ、しょうがなく小隊長の階級を一 時的に剥奪するという、何とも強引な手段を使ったらしい。 そして、一騎打ちが始まった。 始まると同時に俺は、始まる前から溜めていたありったけの魔力 を唯一出来ることに使った。俺の魔力はどうやっても、相手を攻撃 出来るほど強いものではなかった。勝つ手段は一つしかない。 俺が放ったのは、何でもない、単純な閃光。ただの光だった。正 確にはそれくらいしか出来ない。 目眩まし。 それに怯んだ相手。光の中、目を閉じながら相手の方向へ進んだ。 この日に備えて俺がやったことは、眼を閉じながら真っ直ぐ走る ということ。 光が止むよりも早く剣を抜き、顔であろう場所に向けて思いっき 919 り振ってやった。見えるようになってからでは遅い。当たった感触 はあった。 ようやく視界が戻ると騎士団の方から微かな歓声が沸いて、勝っ たことを実感した。 ﹁騙まし討ちだ﹂ ﹁子供騙しだ﹂ ﹁やり直せ﹂ なんて、敗者の戯言があちこちから聞こえたが、このルールを決 めたのはそっちだろう。刃ではなく、剣の表面を使ってやったのだ から感謝して欲しいくらいだ。 そんな言葉も陛下が一喝すると、途端に静まり返った。本当に頭 が下がる思いだ。 後に陛下に訊くと、最近魔導隊が調子に乗っていたので良い薬だ と笑っていた。 この一件以降、騎士団の地位は向上していった。特に陛下には重 用されるようになり、嫉妬の眼差しすら向けられるようになった。 待遇も良くなり、お蔭で新入団員にもそこまで困らない。捨て駒 として使われることもなくなった。 そんな事があった後、ソイツは現れた。 ﹁とっととアンタをそこから引きずり降ろして、扱き使ってやるん でよろしくお願いします!﹂ 六年前︱︱団員を集めた修練場内。新入団員に自己紹介しろと言 ったところ、やけに張り切って手を上げたソイツは、そんなふざけ た事を言う、女の様な顔をした馬鹿だった。言葉の向く先は言うま でもなく団長である俺。 920 張り切るのは悪いことじゃない。最近の若いのは覇気がないと嘆 いていたところだ。少々言葉過ぎるが、これくらい言う度胸は面白 いと思った。自己主張出来るというのは重要な資質だ。それが出来 る分、他のオドオドした新入団員よりは幾分か上等だろう。 野心があり、物怖じしない度胸もあるが、それに似合わない優男。 これが俺の、ナナシという人間に対する最初の印象。 当時の俺は、団長に就任して三年目。そこそこ真面目︱︱どころ か大分しっかりやっていたはずだ。 引きずり降ろすということは、俺の退任や殉職を待つのではなく、 そのまま降格させる気らしい。 ナナシは騎士団の中でも反発にあった。どうやら、団員は俺が行 なった業績を必要以上に尊敬しているらしく、そんな俺に引きずり 降ろすなんて言ったことが許せなかったらしい。 正直、俺自身もナナシの言葉に不快感は少し抱いていたので、特 に団員によるいじめを咎める気はなかった。俺は聖人ではないのだ。 だが、ある日気づくと、ナナシは完全に団員を掌握していた。何 があったのか、さっぱり分からなかった。今でも正直分からない。 ナナシは色々と飛び抜けていた。頭も良く、回転も速い。魔法だ って、魔導隊に入れるほどだった。今でも魔導隊の方が待遇が良い のは変わらない。 なぜここにコイツが来たのか不思議なくらいであった。 この頃になると、騎士団は魔法を補助にして、メインは剣で戦う という戦闘方法を確立していた。元々、魔導隊に入れなかったやつ が来る場所だ。魔法は補助にしか使えない。 魔法を放つには、イメージと抽出が必要で、特に抽出には時間か かる奴が多い。一撃目を意地でも交わして、抽出してる間に速攻で 潰す。それが基本的な騎士団の戦法。 921 しかし、それがコイツに必要なのか、甚だ疑問だった。 優秀なのは間違いない。ただ、上への態度にはいくつか問題があ った。 俺には ﹁アンタより絶対上手くやれるから、早く降りてくれません?﹂ と言ったり、他の部隊の奴には ﹁無能ですね﹂ ﹁早く退いた方が良いですよ﹂ ﹁下の︱︱︱さんにでも譲ったらどうですか?﹂ と、まあ言いたい放題である。その度、俺が謝る羽目になった。 こうやって騎士団を貶めて、俺を降ろす気なのかと訊いたら、真 っ向から否定された。 ﹁そんな事で降ろす気はないですって。少なくともアンタは軍の関 係者ではそこそこ有能な部類ですよ。ただ、私がアンタより有能過 ぎるだけで。アンタじゃ、騎士団はこれ以上、上には行けない﹂ 嫌味な言い方だが、これでもナナシには最大の賛辞らしい。 だが、流石にナナシの言動は目に余った。下の者に、とってつけ たような敬語でそこまで言われるのは俺の腹に据えかねた。 そして、二年前あの事件が起きた。 騎士団の仕事には、国の治安維持もある。 俺の元にやってきた仕事︱︱村に巣食った盗賊の討伐。 誰を派遣するか考えるまでもなく、そこには最初から団長である 922 俺の名前が指定されていた。相手はそこそこ強いらしく、騎士団の 中で一番強い俺に上が決めたらしい。魔導隊との混合で行くとのこ とだ。予定は一週間。 だが、俺はここで汚い考えを思いついた。 ナナシを行かせよう。 直接戦ったことはないが、おそらくアイツはまだ俺には及ばない。 ここら辺でちょっと強い敵と当てて身の程を知って貰おう。魔導隊 と一緒なら死にはしないだろうと。 色々手を回して、俺の代わりにナナシを派遣した。これであの生 意気な口が少し静かになればいい。そう思って。 ︱︱一週間後。アイツはまだ帰って来なかった。予定通りには行か なかったのだろう。 翌日。アイツはまだ帰ってこなかった。まあ、誤差の範囲だ。 翌日。アイツはまだ帰ってこなかった。まだ、誤差の範囲だ。 翌日。アイツはまだ帰ってこなかった。少し遅い。 翌日。アイツはまだ帰ってこなかった。四日過ぎた。流石に遅い。 翌日。アイツはまだ帰ってこなかった。五日目。魔導隊も帰って きてはいない。最悪の結末が少し過ぎった。 翌日。アイツはまだ帰ってこなかった。六日目。遅い。遅すぎる。 最悪の結末が現実味を帯びてくる。 翌日。アイツはまだ帰ってこなかった。翌日。アイツはまだ帰っ て来なかった。翌日。アイツはまだ翌日。翌日。翌日。翌日。翌日 ︱︱︱ 翌日。アイツは帰ってきた。予定より三十日遅れていた。帰って きたのはナナシ一人。 そしてナナシは︱︱女の様だった顔には惨たらしい傷跡を残し、 眼が二つ消え、鼻が潰れ、右腕と左足がなくなった状態だった。 923 話では、他の人間は全員死亡。ナナシは剣を杖代わりに歩いてい たところを商隊に保護されたらしい。 そして、それを行なったのは盗賊などではなく︱︱ドラゴンだっ た。突如として現れた黒龍は一瞬で全てを吹き飛ばし、為す術無く 人間は死んで逝ったらしい。 ナナシが言った現場には、巨大な爪痕がまざまざと残されていた。 俺は今でも後悔している。なぜ、あの時、ナナシを行かせたのだ ろうか。そのまま自分が行けば、ナナシはこんな事にならなかった はずだ。余計な事を考えなければよかった。 光属性の治癒は自然治癒力を高めるもので、失った腕は生えてこ ない。どう足掻いても、ナナシはこの先そのまま人生を歩むしかな いのだ。 帰ってきたナナシに、俺は全て話した。派遣は悪意によるものだ ったと。お前をそんな身体にしたのは、自分だと。 覚悟した。罵倒を。いくら罵られてもしょうがない。 だが、返ってきたのは︱︱賞賛だった。 ﹁間違ってないさ。アンタの判断は。アンタだったら死んでたよ。 私だから生き残ったんだ。他の誰でも駄目。私を行かせたのは正解 さ。失われる筈だった一つの命を守ったんだ。誇れ。どんな個人感 情が混ざっていようとも結果が全てだ。アンタ以外には下せない正 しい差配だった﹂ そんな事を言われた。それでも、俺は責任をとって辞めようとし た。こんな人間に組織の上に立つ資格はない。 しかし、アイツに止められた。 924 ﹁ふざけんな。アンタを引きずり降ろすのは私だ。それ以外での退 任は許さないよ。命さえありゃ、私はいくらでもやり直せる。そう だな⋮⋮三年だ。三年で、私はまたここに戻ってくる。それまで絶 対に辞めんな。私に悪いことしたと思ってんなら尚更な﹂ そして現在︱︱アイツは臨時ではあるが、二年で戻ってきた。 どうやったのか、訊いても答えてはくれないだろう。まあ、それ でもいい。アイツが戻ってきたという事実だけで十分だ。 925 ﹃正しい差配﹄︵後書き︶ ナナシは色々どうでもいい裏設定あるけど、書く機会はない 926 第八十九話︵前書き︶ ふざけた騎士団の話 事変とか名前適当 927 第八十九話 騎士団詰所 入り口前 ナナシが粗方の説明とも言えぬ説明を終えると、ほぼ全員がすぐ さま出立の準備をし始めた。準備と言っても大抵の武器は普段から 手入れしているので、さしてそれに時間はかからない。食糧は最低 限。もともと篭城戦ではないのだ。 それでも時間がかかるのは、死んだ時に家族などに宛てた最期の 手紙を書いていたりする為だ。最初から敗北を考えているわけでは ないが、命が無事という保障もない。それに、勝てたとしても、少 なからず死人は出る。それが誰であるかは分からない。 これはある意味でこの騎士団の伝統とも言える。昔は特に死人が 出易かった。その頃の名残である。 ナナシは耳の奥に聞こえる雑音でその様子を窺いながら、まった くそれをやる様子がない隣に突っ立っている男に声を掛けた。 ﹁アンタはやんないの?﹂ ﹁書かねえよ。今までいくら無駄に書いたと思ってんだ。今更新し く書く必要もねえだろ。今まで書いた分だけで一冊の本になるわ﹂ 騎士団の中で、最も多くの修羅場をくぐり抜けて来たであろう男 は、うんざりといった調子でそう言った。 ︱︱ちょっと読んでみたいかも⋮⋮。 内心そう思ったが、今はそんなことをしている場合ではないし、 928 言ったところで見せてはくれないだろう。書いた手紙自体、赤の他 人に見せるものではない。自分も騎士時代に書いた手紙を見せろと 言われたら︱︱ ︱︱いや、見せられるね。 よくよく考えれば真面目に書いた覚えがない。なぜなら、死ぬ気 などしなかったからだ。自惚れでもなんでもなく、客観的に見て自 分は強かった。だから、死ぬ前提で手紙など書いたことはない。 実際には、家族自体いなかったというのもあるかもしれないが、 ナナシはその事を理由から排除した。いたとしても多分書かなかっ たであろうし、結果は変わらないからだ。 一旦そこまで考えてから再び耳を澄ますが、未だ騎士団の準備が 終わる気配はない。 次はどんな話題を振っておちょくってやろうかと考えていると、 逆に向こうが口を開いた。 ﹁⋮⋮お前こそやる事ねえのかよ?﹂ ﹁それがぜーんぜんでさ。始まったら私がやる事ほぼないし。今回 の防衛戦だって、時間稼ぎってだけなら何もしなくても数時間は稼 げるからね。私はここにいるだけさ﹂ ﹁意外だな⋮⋮お前って何もしないって事が出来ないタイプだろ。 今回もその身体で、前線に出るとか言いそうだと思ってたが﹂ そんな風に自分は思われていたのか。 あながち間違いではないなと思いながら、しかしナナシはそれに 反論する。非常に残念そうに。 929 ﹁流石にこんな身体で出て行くほど私は馬鹿じゃあないさ。戦場で 荷物になるだけ。それに、軍にとって不利益なことをするなって陛 下に釘さされたし。あーあ、アンタで遊ぶのは戦争終わってからに なりそうだ﹂ ﹁たりめーだろ﹂ ﹁それにしても酷いと思わない? 任命書の注意書きにも書かれた からね? ﹃但し、国にとって重大な損失を与える過失を犯した場 合にはこれを剥奪する﹄ってさ。どんだけ信用ないんだって話だよ﹂ ナナシは納得していないという風に口を尖らせる。 実際それくらいの事は分かっているつもりだ。自分はどれだけ常 識がないと思われていたのだろうか。 しかし、どうせ彼の事だろうから﹁お前⋮⋮自分に常識あるなん て思ってたのか!?﹂なんて答えが返ってきそうだ。 ある程度予測しながら、ナナシはその先を待った。 だが、返ってきたのは言葉ですらなかった。 ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 沈黙。 それは時間にすれば、ほんの一瞬︱︱その程度のものだった。し かし、それでも確実に沈黙であった。 ナナシからギルフォードの顔は見えない。どんな表情なのか分か らない。故にナナシには、今、彼がなぜ沈黙したのかが分からなか った。 一拍置いて、ギルフォードが沈黙を破った。 930 ﹁お前⋮⋮自分に常識あるなんて思ってたのか!?﹂ 予想通りの回答。これだけならナナシは違和感を感じなかっただ ろう。しかし、一拍置いた事によってナナシの疑念は拭えないもの となっていた。 ギルフォードは言った後、どこかへと歩き出す。足音で自分から 離れていくのが分かった。 ﹁どこ行くのさ?﹂ ﹁久々に手紙でも書きに行こうかと思ってな﹂ ナナシの問いにギルフォードはそう答えると、そのままどこかへ と消えてしまった。 ⇔ 各々準備を終え、騎士団の面々は続々と集まってきていた。 団長とナナシの一部始終を見ていた彼らは、小声で目の前で起き た事について話し合う。 ︵⋮⋮珍しいなオイ⋮⋮︶ ︵団長が手紙⋮!?︶ ︵つーか、あの人家族いないじゃん︶ ︵何書くことあんだよ︶ ︵ていうか、ナナシっていう人、団長とどういう関係なんスか?︶ ︵俺も気になります︶ ︵あ、新入り共は知らねえのか︶ ︵この前来た時に訊けよ︶ ︵この前はいきなり現れて訊ける雰囲気じゃなかったし⋮︶ ︵なんていうか⋮⋮団長の痴話喧嘩相手⋮?︶ 931 ︵だな︶ ︵ですねー︶ ︵なんスかそれ⋮︶ ︵痴話喧嘩ってことはあの人女なんですか? それとも男?︶ ︵あの無乳が女に見えんのか?︶ ︵いやいや、そういう女性もいますよ︶ ︵うっわ、この女誑し、女だったら手出す気だよ︶ ︵誰もそんな事言ってないじゃないですか⋮⋮︶ ︵そういえば、魔導隊のやつもコイツに女寝取られたとか⋮︶ ︵最低だな︶ ︵引くわー︶ ︵同期だけど気を付けよう⋮︶ ︵⋮⋮⋮まあ⋮⋮そんな事はどうでもいいじゃないですか⋮⋮︶ ︵以前な、魔導隊の奴がナナシに向かって﹃美しいお嬢さんですね﹄ って言って次の日、アレが潰れて発見された事があってな⋮⋮︶ ︵あー、あったな⋮︶ ︵懐かしい︶ ︵⋮⋮⋮⋮︶ ︵それ以来ナナシの前で、そういう話題はタブーだ︶ ︵実は団長が独身なのは、そっちの気があって、その対象がナナシ だからとか⋮⋮︶ 新入りが深く頷き、眉唾な噂に苦笑した。と、同時に光剣が馬鹿 な話し合いをしていた彼らを襲った。 ﹁聞こえてんだよ馬鹿共がああああぁぁ!!﹂ 数分後。 ﹁なんでお前らそんな服ボロボロなんだ?﹂ 932 ﹁⋮ちょっと⋮⋮はりきって模擬戦やりすぎちゃって⋮⋮﹂ ﹁張り切るのはいいが、程ほどにしとけよ﹂ これでも彼らは騎士団だった。 ⇔ ギール東方陣内 ﹁ユーリの隊は出れないのか﹂ ﹁損害があまりにも酷く、今暫く出れないと。その分の戦力減少を 考えると、今回は少し厳しい戦いになるかもしれません﹂ ﹁なら、今回は俺が先頭に立って全部叩き潰すことにしよう。それ が確実だ﹂ ﹁しかし⋮⋮﹂ ﹁大丈夫だ。俺は死なない。信じろ﹂ ﹁⋮⋮⋮﹂ ﹁行くぞ。ギール王都攻略戦の始まりだ﹂ ⇔ ﹁どう転ぶっかなー。今回の対抗馬はクロノ君か。どっちが勝つん 933 だろうねえ﹂ ⇔ ブレイクタイム かくして、戦争前の僅かな小休止は終わりを告げる。 これより始まるのは、後世に名を残す騒乱。ギール王都事変は、 こうして幕を開けた。 934 第八十九話︵後書き︶ 次回から戦争スタト 935 第九十話︵前書き︶ 短め こっから戦闘しかありません 936 第九十話 ハイノ平原。 王都東方にある、東西に広がった平原だ。 平原の中央を北の山から流れる三つの川が遮り、下流ではそれら が合流し、また別の国の領土に三角州を形成している。この川がと きたま、些細な領土問題の種にもなるが、ここまで目立った問題は 起きていない。 北の山からはこの平原が一望出来る。そこからみて見ると、多く の人間が平原の奇妙な色合いに気づく。 西側︱︱王都側は瑞々しい草たちが、とても元気良く目一杯広が っており、その美しい緑はそこだけを切り取って額縁に収めたいほ どである。 というのに、東側はというと、色が剥げたような、何ともつまら ない渇いた枯れ草のような草ばかり。草がないところは完全に地面 が露出しており、焼けたような硬い地面に覆われている。緑の草が ないわけではないが、西側と比べるのは、比べる方が心を痛めてし まいそうだ。 ここまで東西で差が出ると、それはそれで一種の芸術とも言える かもしれない。 元からこんなに差があったわけではない。 ハイノ平原というのは、灰の平原というそのままの意味である。 言葉通り、ここは一度灰になった。 建国前、この平原には盗賊が大規模な村を作っていた。二百年ほ ど前のある出来事により、前統治国家がなくなったこの場所は、そ ういった人間が集まるには丁度良かったのだろう。 だが、とある人間が現れ、この平原を盗賊ごと根こそぎ燃やし尽 くしたのだ。 数年前から始めた緑化活動により、西側は改善され始めてはいる 937 が、東側まではまだ手が回っていないのが現状である。 ⇔ 誰に遠慮するでもなく、憚るでもなく、丸い月は堂々と自分の指 定席に居座っていた。天から全てを見下ろし、堂々たる光で下界を 照らし出す。 何とも尊大な月明かりに照らされたハイノ平原では、草が擦れる 音が微かにあちらこちらから聞こえていた。 風が吹いているわけではない。こんなところに風車を置いても、 自分の息をかけるくらいしか回す手段がないくらいには無風だ。 だとすれば、この音は風ではなく、生物の動きによるものだろう。 その音を発生させている原因の一人であろう人間は、出立前言わ れた言葉を思い返していた。 ︱︱﹃勇者﹄は任せると言われても⋮⋮これじゃ、誰が誰だか分か んないぞ⋮⋮ 王都を出立してから数時間。 視界は暗い。近くにある草でさえ、白い幕の向こうにあるシルエ ット状態だ。 月明かりだけで遠くまで見えるかと訊かれれば、クロノは迷いな くNOと答える。いくら眼がよくても、視力と夜目は別物である。 兵力で劣るギールの部隊からすれば、夜の方が戦力差を誤魔化せ るので都合がいいのかもしれないが、クロノからすれば明るい方が やりやすい。 敵もわざわざこんな暗闇で自分の位置を報せるような真似はしな 938 いだろう。 現在クロノは単独で別行動をとっている。クロノの仕事はあくま で﹃勇者﹄の撃破であって、防衛である他の部隊とは丸っきり違う のだ。途中までは同じペースで進んでいたが、適当な場所で別れた。 よって、今すべき仕事は真っ先に勇者を見つけること。 どの程度相手が進んでいるのかは分からないが、もう既に敵は王 都へ向かって進軍を始めたらしい。 纏わりつくように身体に擦れる草を置き去りにして平原を駆ける。 光源は月明かりだけだ。 一つ目の川を跳び越え、二つ目の川に差し掛かる。 三つ目の川も飛び越え少し歩を進めると、一旦足を止めた。流石 にそろそろ敵の先頭部隊とぶつかるはずだ。 じっと暗闇の中を見つめる。 やがて、音が聞こえてきた。先ほどまでの自分と同じような、が さがさと草が擦れる音。 暗闇の向こう︱︱その先にいる人物が輪郭をはっきりと現した。 それは、余りにもはっきりとした輪郭。それは、はっきりとしす ぎた輪郭。 気づくと周囲から暗闇は既に消え去っていた。 これは、確固たる自信故か。それとも、単純に馬鹿なのか。 何はともあれ、クロノは確信する。目の前の人間が自分の相手だ ろうと。 この世界の全ての闇を振り払うような、月よりも神聖めいた光を 伴った男が、まるで散歩するかのように威風堂々とそこにいた。 ⇔ 939 時は少し遡る。 暗闇の中の行軍を始める前︱︱その直前。 ﹃勇者﹄は、敵の動きを考えていた。 これから行くのは王都だ。敵の本陣。何も備えていないわけはな い。様々な作戦が考えられる。 見通しの悪い暗闇。伏兵や奇襲をかけるには絶好の条件だ。対策 も様々考えられる。 だが、あえてそこは何も対策を立てない。 必要がないからだ。どうせ、先頭に立つのは自分なのだから。正 面から相手の全てをぶち壊してねじ伏せる。それだけだ。 しかし、こう暗いと相手がどこにいるか分からない。 そこで彼は考える。 であれば、自分から場所を報せればいい。夜、光に群がる蛾を捕 まえるように。 そんなサディスティックな欲望を隠しながら﹃勇者﹄は堂々と、 一歩一歩、敵の本陣に向けて歩き出した。 背中に光る翼を携えて。 結果として、その光で彼は己の存在を、この戦場に存在する全て に誇示することとなった。 ⇔ ︱︱敵だ。 クロノにそれ以上の考えは必要なかった。 敵ならば殺す。実にシンプルな解答。 940 固い地面を蹴る。先手必勝だ。張り詰めた緊張感なんてものが出 来る前に叩く。 目の前にいる男が勝手に光源を発生させてくれているので、視界 には困らない。敵の背後にはどこまでも並んだ部下であろう人間た ちが見えるが、まったく関係はない。頭を潰せばそれで終わりだ。 闇と光が入り混じった地面を駆け抜ける。 ﹃勇者﹄らしき男の目の前にたどり着くと同時に、エクスなんた らを頭の上から振り下ろした。 剣速で明らかに人工的な風が中途半端に明るい平原に吹く。その 風は男の後ろにいる部隊の最後尾にいる人間まで届いた。 クロノの手にエクスなんたらを通して感触がやってくる。そして やや遅れて聞こえる甲高い金属音。 見たところ、男が右手に持った剣で払うようにして、エクスなん たらを弾いたらしい。 ﹁あ?﹂ ギロリと、男の黒々とした眼がクロノを捉えた。その眼は今まで 会った誰とも違う、内に秘めた僅かな狂気を必死に隠そうとしてい るように感じた。 金属音が聞こえたことで、ようやく男の背後の人間たちはクロノ に気づいたらしく、擦れる草による耳障りな合唱を響かせる。 クロノはそれらを無視して、第二撃目を加えにかかる。魔法を使 わせる暇を与えたら負けだ。それくらいの事は経験上知っている。 純粋な肉弾戦に持ち込まなければならない。だからこそ、手を休 めはしない。 踏み込んだ二撃目。 顔を真っ二つにしようと、顔の中心を横一文字に斬った。 相手は瞬時に後ろへと跳んだ。 感触は僅か。そして微か。相手の鼻先を掠っただけ。 941 暗闇にフェードアウトしていく血を最後まで見送る暇もない。 この時、男の背後の人間はようやく動き出したようだった。 942 第九十話︵後書き︶ 戦闘中に会話って無理じゃね? 943 第九十一話︵前書き︶ 暫くナナシの独壇場かな 944 第九十一話 戦場は荒れていなかった。全くといっていい程に。 兵士たちの叫び声が聞こえるはずだった平原には、僅かな金属音 が響くだけ。それ以上には何も聞こえはしない。 その音を生み出している二人は、魔法の蔓延したこの世界にはそ ぐわない、何とも地味で質素な剣戟を繰り広げていた。 だからといって、地味=弱いとか、そういった等式は成り立たな い。人一人殺すのに派手な爆弾を仕掛けるよりも、拳銃で一発脳天 を撃ち抜いた方が確実なのと同じだ。 本来戦いとは地味なものである。派手な物よりも確実に殺せる物 を使用し、両者の間に会話などが介在する余地はない。戦闘中の相 手との会話なんていうのは、絵本や演劇の中だけでやっていればい い。 互いにその事は十二分に分かっている。 だからこそ、現在彼らの間にはぶつかる金属の音と地面を蹴る音 くらいしか存在しないのだ。 二人だけの空間︱︱この場は他者が入り込むことを許さない。見 ていた人間も、ぼんやりとそんなことは分かった。この二人に比べ れば自分たちなど蟻以下の存在だろう。生物としての根源的なレベ ルが違う。 彼らの戦いは弱者に己の無力さを自覚させる。 ただ、それでも空気の読めない人間というのはどこの世界にも一 定数いるもので。 ﹃勇者﹄の背後から一人の兵士が二人へと走り出した。 兵士としては、きっとそれは勇気であったのだろう。 だが、実力の伴わない勇気は勇気とは言わない。蛮勇だ。 二人の戦闘を見て唖然としていた他の兵士たちは制止することも せず、一人の兵士は二人の間に入っていった。 945 二人もそれに気づくが、クロノからすればそんな兵士などどうで もいいことだった。 一定の範囲に入ってくれば勝手に巻き添えで死ぬだろう。 両者とも同じ考えだった。 そして、兵士は二人の想定した一定の範囲へと、足を踏み入れ︱ ︱︱︱られなかった。 死んだ︱︱わけではない。 彼を襲ったのは純粋で強大な凶刃ではなく、堅い壁にぶつかった ことによる衝撃。 光の壁。それが兵士を襲った衝撃の正体。二人を覆うように四角 い光の壁が張り巡らされていた。 何時からあったのか。誰のものなのか。 兵士が解答を出す前に、その主から声が聞こえた。 ﹁コイツはオレがやるから、お前ら先に行ってろ!﹂ こちらを向くことなく叫んだその声は、どこまでも遠くに伝播し ていく。 言葉の意味を理解すると、瞬く間に行軍を開始する部隊。 末端の末端まで波及したその言葉は結果として、荒れていなかっ た戦場を大きく荒らすこととなる。 遠目で二人を確認しながら、回り込むようにして進んでいく部隊。 やろうと思えば、クロノはこんな光の壁など壊せた。 だが、あえてここは見送る。クロノの仕事は目の前の男を殺すこ とだからだ。余計なことに気をとられて死んでしまいましたではお 話にならない。 魔法を使わせる暇を与えたのは反省材料だが、自分に向けて使わ れていないなら関係はない。 946 ︱︱ここで確実に殺す。 ⇔ 同時刻 孤児院 屋根の上に少女とドラゴンはいた。こういえば実に不可思議であ るが、傍目から見て屋根の上にいるのは少女と少年だ。 ぼんやりと見える空に浮かんだ星を眺めて、両者同じく、言って も意味のない言葉を吐いた。 ﹁暇だ⋮⋮﹂ 孤児院の中では、ユリウスと兵士たちが避難してきた民衆の誘導 に尽力している。この時間帯になると流石に避難してくる人数はご く僅かだが、それでもいることはいる。 避難が始まる前までは、何でもありの鬼ごっこなどを二人でやっ ていたが、避難が始まる直前﹁邪魔だからどっか行ってろ﹂と言わ れ、しょうがなく屋根に移ったのだ。 ドラの方は暇を貰ってもやることがない。街には人がおらず、唯 一の趣味とも言えるカジノなどやっているわけもなく、暇を持て余 していた。 リルはというと、ここまで来たのだからクロノに会わずにどこか に行くという選択肢は端からない。しかし、ここでやることも特に ない。 リルの趣味の中には、﹃クロノとの天体観測﹄もあるが、実のと ころそこまで星に興味はなかった。彼女にとって重要なのは﹃クロ ノと﹄という部分だけであって、その言葉さえあれば、たとえトイ レ掃除だろうと幸福感に包まれるだろう。 947 依然、空を眺める二人。 間違いなく彼らは暇だった。 ⇔ 行軍を開始した部隊の先頭は、王都から一番離れた川の前にいた。 川の幅は20m程度か。深さは成人男性が入っても、膝より上が 出るくらいだ。 両端には石と砂で出来た河原。比較的上流に位置するはずだが、 粒の大きい砂がやたら多い印象を受ける。河原の手前の平原まで砂 が侵食し、足に纏わりつく。硬い地面よりも足へかける負担はそこ まで多くはなさそうだ。 川の上には、この深さならばそこまで必要さを感じない橋が掛け られていた。 少し離れた場所で戦っている﹃勇者﹄の光によって、視界は色を 確認とはいかないまでも、最低限物体を確認できるくらいには広い。 だからこそ、彼らは気づくことが出来た。目の前、背の高い枯れ たような草に隠れた敵の群れに。草の中に揺らめく人影。 身構える兵士たちの中から声が飛ぶ。 ﹁出て来い。来ないならこのまま潰すだけだぞ﹂ しかし、その言葉に返答はなかった。未だ隠れられていると思っ ているのか。だとすればおめでたい脳みそだ。 ﹁命を捨てる気か? あまり感心したものではないぞ?﹂ 諭すような語り口。 依然、誰の言葉も帰っては来ない。 敵の狙いは、見えない草陰からこちらを殺すこと。相手は全員息 948 を殺して待っているはず。草の音を頼りに、こちらを狙う腹積もり だろう。 現在人影が見えてはいるが、全体像は把握できない。草に紛れて いるからである。もしかしたらこれは人の影をしたダミーかもしれ ないが、だからといって不用意に近づいて本物でしたでは笑えない。 兵士たちの間の共通認識はそうだった。 業を煮やしかけていた兵士たちに、ある案が出された。 ﹁燃やせばいい﹂ 草ごと燃やしたとすれば、たとえ人影が本物で生き残ったとして も、隠れる場所はなくなり、後は兵力で圧倒できることだろう。 そう提案した兵士の案に、先頭の集団は徐々に乗り始める。 ﹁火炎部隊用意﹂ 炎属性の魔導士たちが先頭に集められ、隊列を組んだ。心中でイ メージを固めて、その時を待つ。 ﹁一斉放射﹂ 小隊の隊長の合図と共に放射された赤と橙の混じった炎は、轟々 と音を立て、大気中の酸素を燃やしながら渦を巻くようにして枯れ 草のような草の上を、地面の上すらも這うように広がっていく。発 した本人たちの想像をはるかに超えて。終いには河原まで燃えてい く。 炎の絨毯は暗い平原を明るく照らし、全ての方向に広がった。 ﹁⋮? 待て!?﹂ 949 一人が異変に気づいた時にはもう遅かった。既に炎は彼らのコン トロールを外れている。 一度広がった炎は衰えることを知らないかのように、思うがまま に全てを燃やし尽くす。それこそ、発した彼らすらも。 聞こえる、風船から空気が抜けたような音。その度に火柱が上が る。 続いて聞こえる多くの爆発音。 地面が燃えていた。もっと言うならば、足元にちりばめられた砂 が燃えていた。 砂が燃える度に炎は勢いを増していく。 漂う、腐った卵のような異臭。 これは砂じゃない。 最早取り返しがつかないくらいにその気づきは遅すぎた。 炎上。 草だけを燃やすはずだった炎の渦は、下に散りばめられた砂のよ うな何かによって勢いを増し、うねるように、草陰に隠れた案山子 ごと先頭集団を悉く飲み込んでいった。 ⇔ 数時間前 ﹁なんだよそれ?﹂ ギルフォードはナナシが手に持った黒い砂のようなものに対して 訊いた。 指でそれを弄りながらナナシは答える。 ﹁これがこっちの今回の先鋒。火薬っていうんだけどね﹂ 950 ﹁火薬?﹂ ﹁最近⋮⋮といっても一年ちょっと前か。それくらい前にこの大陸 に入ってきたものでさ。まあ、口で説明するよりも見たほうが早い か﹂ ナナシは手に握った火薬を放り投げると、近くにいた騎士団の一 人に火をつけるように命じた。 乱雑に散らばった火薬に火が点火される。 すると、火は勢いを増し、若干の火柱を上げて燃え上がった。 ﹁火をつけるとこんな感じになる。これを朝方、一番遠いミナリス 川を中心にひっそりばら撒いておいた。魔導隊の仕事はそれだ。砂 っぽいでしょ? 特に暗闇なら﹂ やりたいことは分かる。これをばら撒いて火をつければ確かに凄 まじい威力になるだろう。 そこまで考えてギルフォードは疑問を口にする。 おれら ﹁そんな仕事を魔導隊に任せたのか? そういう力仕事なら騎士団 の方が向いてそうだが⋮⋮﹂ ﹁実際、魔導隊なんて大して戦力になりゃしないのさ。相手との質 が違いすぎる。そもそも、魔導隊に入る条件はうちの方が緩い。そ うでもしなきゃ人が集まんないからね。こっちの試験で受かってる 奴なんて、大半はあっちの試験じゃ落ちるやつばっかさ。母数から 違うんだ。100人の中のTop10と、1000人の中かのTo p10じゃ、レベルが違うに決まってるだろ?﹂ 大国との埋めようのない差。 951 ナナシは誰よりもそれを実感している。 きみたち ﹁それに、どちらにせよ騎士団じゃ無理な仕事なんだよ。さて、こ こでクエスチョンだ。昨日の天気は? 答えられないならもうボケ が始まってるね。間違いない。普段から頭を使わないからだよ脳筋。 これに懲りたら少しは勉強しなさい!﹂ ﹁なんで俺が答えられない前提なんだよ!? 雨だよ雨! しかも 嵐だ!﹂ ﹁っち、分かったかクソが⋮⋮﹂ ﹁残念そうな舌打ちやめろ!﹂ 息を切らすほどの激しいツッコミを入れた彼に対し、ナナシは極 めて冷静に心を落ち着けてから言った。 ﹁まあ、三十路迎えたオッサンの脳内年齢の話なんかどうでもいい んだけど﹂ ﹁なら振る⋮⋮ゴホッ⋮⋮!﹂ ﹁声荒げるからだよ。で、何の話だっけ? ⋮⋮⋮あーそうそう、 火薬っていうのはさ、湿ってると使えないんだよ。雨の次の日の地 面なんて濡れ濡れ、そんなところに撒いたら湿っちゃうでしょ? そこでだ、私は考えた、じゃあ乾かそう。湿ったものは乾かせばい いんだ。てわけで、魔導隊で火使える奴選りすぐって送った﹂ 火をつけるではなく、湿った地面を暖めるために魔導隊を送った らしい。少々もったいない使い方かもしれないが、策が嵌れば威力 952 としては十分だ。 そのままそこに魔導隊を置いておけば、始まった時の火薬の火付 け役にもなる。 ﹁なら、配置はミナリス川に火付け役として、魔導隊か?﹂ ナナシは首を振って否定する。 ﹁いんや、ミナリス川には誰も配置しない。無人だよ無人。火付け 役も周囲が火薬に囲まれてて危ないしね。下手したら自分も飲まれ る﹂ ﹁じゃあどうすんだよ。火薬が無駄になんぞ?﹂ ﹁火をつけてもらうのさ。相手に。西側は緑化活動が一部にしか広 まっていない。けど、その一部には背の高い葦が生えてるだろ? そこに人型の案山子をいくつか配置した。暗闇の中なら人影に見え るさ。それに、自分の火が暴れだした方が、相手は少なからずパニ ックに陥る。それこそ、防御するという思考を奪うくらいには﹂ ﹁相手が火を使うとは限らなくないか?﹂ ﹁鬱陶しい草は燃やすのがてっとりばやい。上手くいかなかったら それまでだけど、こっちの損害は火薬だけで済む。十分だと思わな い?﹂ 失敗しても兵士の損害はない。駄目で元々の作戦。 自分の作戦の一部を高らかに告げたナナシは、最後にいたずらっ ぽく笑いながらこう付け加えた。 953 ﹁ハイノ平原らしく、大胆に盛大に、そして非情に、この国の敵に は灰になってもらおう﹂ その言葉の下で、髪に隠れたナナシのないはずの眼がウィンクし た幻視が見えた気がした。 954 第九十二話︵前書き︶ 姉らしき人物初登場 955 第九十二話 自軍の炎によって包まれた人間たちは、熱さの中で身を焦がし阿 鼻叫喚の地獄絵図を作り出す。 皮膚が肉が骨が焼けていく。熱が痛みが身体の芯まで駆け抜ける。 無駄だと分かっていても、人間は叫ぶ。熱くて。痛くて。そして 何より、苦しくて。 だが、炎に包まれて少しすると、叫び声は消える。死んだのでは なく、喉が焼けたのだ。 人間の自殺の中で焼死は比較的苦しい部類に入る。 炎に包まれたからといって、簡単に灰になるほど人間の身体は脆 くない。たとえ身体が全身燃えたとしても、少しくらいならば命を 繋ぐことが出来る。後遺症が残る可能性は否めないが。 実際、通常の火災では純粋な焼損が直接的な死因になることは実 は少ない。死因として多いのは、炎に伴って発生する有毒ガスの吸 引である。 自殺する場合は逆に、自分の身体に火をつけるだけで、密閉空間 でもなく大して有毒ガスが発生しないので、身体が焼損するまで待 つしかない。その間というのは、他人からすれば短く思えるかもし れないが、本人にとっては非常に長く感じるものだ。だからこそ、 自殺の中では苦しいとされる。 現在彼らがいるのは、だだっ広い平原だ。密閉空間ではない。彼 らにとってそれは幸か不幸か。 言い方次第では、苦痛が長いとも言えるし、生きる可能性が高い とも言える。 敵に牙を向くはずだった炎は激しさを増し、先頭集団を飲み干し て隊の中盤へと差し掛かる。 流石にここまで来ると、炎が暴走していることに気づき、ほとん どの人間が各々自分の前に風や土で壁を作った。それくらいの時間 956 的猶予はあった。 中盤でせき止められた炎は当然、それ以降には広がらない。 真っ先に炎に包まれた最前列は、考えるよりも、半ば本能で川に 飛び込んだ。当然火薬は河原にもあったが、死に物狂いでそれを抜 けていった。 本当に悲惨なのは、先頭集団の真ん中から最後尾辺りである。味 方の炎の暴走なんて非現実的な現象に対処するには時間がなく、川 に行くには遠すぎた。それでも何人かは川に飛び込めたが、大半は そのままのた打ち回るか、川に行く前に力尽きるかである。 平原に漂う火薬の臭いと、焼けた肉の臭い。焼けた肉といっても、 それは焼肉とは全く別種の臭いで、嗅ぐ者全員が顔を顰める。 炎は依然、前方を燃やし続けている。150年前を再現するかの ように。 しかし、ここで水が降った。月がはっきりと見える空から。雨で はなく水だ。 雨と呼ぶには、粒が大きい。というよりそれは粒ではない。湖を 炎の上からぶちまけたような、そんな水だった。 続いて兵士の奥の奥から声が聞こえた。 ﹁早く誰かが消火すればいいと思ったのだけれど、誰もやる気配が なかったから、しょうがなく私がやる羽目になったわ。その事につ いて、皆反省なさい﹂ それは女性の声。この隊︱︱ひいては国で、誰もが知っている人 間の声。 生き生きとした声ではなく、どこか億劫そう、それでいて言葉の 端から溢れ出る自信と不遜。 誰も何も答えない。発言することを許さない空気をかもし出す女 性。 957 ﹁私は眠たいから帰って寝させてもらうおうと思うのだけれど︱︱ ︱よろしい?﹂ 本当に眠たいのだろう。生あくびをしながら、目の前の惨状を見 ているとは到底思えない暢気な言葉を吐く。 集団の回答は無言の肯定。はいかYESすらも許さない。つまり この問いに意味はない。基本的に彼女の言葉には沈黙の肯定しか許 されないのだ。 女性は集団から抜け出すと、腰まで垂らした宝石のような金髪を 輝かせながら、虫の息の兵士が多い川へと向かった。 兵士たちを助ける為ではないことは皆分かっている。 苦しさから呻き声を上げている兵士を尻目に、戦場には似つかわ しくないロングスカートの裾をまくり、鼻を押さえながら川へと降 り立った。 ﹁ああ、めんどくさい﹂ 眠たそうな青眼をしばたかせ、一秒ほど固まった。 かと思うと、彼女の足から波紋が広がる。不自然に水の量が増え ていき、川が流れない。 女性が湧き上がる水に腰を降ろすと、まるで椅子のように水が形 作られた。豪奢な飾りから彼女のこだわりが、ただの水であるはず の椅子にも窺える。 ﹁安心して。愚弟も暫くしたら来るでしょうから。あんな愚弟でも ある程度は役に立つでしょう。それまで頑張っておいてね。では御 機嫌よう﹂ この場にいない実の弟に散々な言葉を投げつけ、女性は優雅に椅 958 子に座ったまま、洪水かと思う速度で川を下っていった。 ⇔ 平原に金属の音が響く。大気を震わせる。不自然に明るい壁の中。 炎の気配など、どこにも感じさせない。仮にあったとしても、き っと彼らは気に留めないだろう。 その内の一人、﹃勇者﹄は笑っていた。近くから味方が過ぎ去っ てから、たがが外れたように常に狂相を浮かべている。これが本来 の姿のようだった。 クロノも当然その事には気づいていて、目の前の人間が何か崇高 な理念なんて持っていない、肉を貪るためだけのただの獣に思えた。 それは若干合っているとも言えたし、若干間違っているとも言え た。 互いの背格好は似ている。平均より背は少し高い。大体180c mほどだ。髪は黒く、この世界には珍しい。 身体は特別細身ではないし、特別太いというわけでもない。露出 した筋張った腕は、針金を束ねたような頑強な印象を受ける。 鍛えられていると言えば、確かにそうなのだが︱︱それにしても ありえない。この程度の筋肉であれば、普通に鍛えている者とさし て変わらない。 だというのに、彼らの速度は常軌を逸していた。簡単に言えば、 それは人間ではないと他人に思わせるような速度、そして力。風よ りも速いと言われても違和感はなく、事実その通りだった。 怪物︱︱そんな表現がしっくりきそうな二人。 ⇔ クロノは戸惑っていた。今の現状に。 959 純粋な剣の勝負に持ち込めばこちらに分はあると思っていた。 自分の母親を鑑みるに、彼らの世界はどうやらこっちの世界とは 大分違うらしく、剣なんてものは普段使わないらしい。それは平和 ということなのか、或いは別の何かが発達しているのか、クロノに は分からない。つまるところ︱︱普段から剣を使っている自分とは 差があるはずだ。 間違ってはいない。当たっている感触からして剣に関しては自分 の方が上だ。極端なギアチェンジもしている。 それでも︱︱致命傷には至らない。 思ったよりも数段、相手が剣を使い慣れている。少なくとも並以 上だ。 しかし、魔法に必要なイメージする時間も、抽出する時間も与え はしない。 このまま押し切れはするだろうが、予定より大分時間がかかりそ うだった。 ふと、盲目の参謀から言われた言葉を思いだす。 ﹁こっちは時間稼いでおくので、その間にお願いします﹂ ︱︱あっちが持ちこたえられればいいけど⋮⋮。 ⇔ 唐突に現れた予想外のイレギュラーに、この世界の人間にとって のイレギュラーは ︱︱あー怖い怖い。 などと、いつも通りの調子で考えていた。 眼前に迫る死という名の刃。滑らかな動きでそれをかわす。 960 かわしざまに剣を振るってはみるものの、さっぱり当たらない。 どころか、振ったことによって隙が出来るので、振らない方が安全 なのではと思ってしまう。 冷静に敵を分析してみる。 自分と同じ黒髪だが、眼は青い。自分の世界でも珍しくはあるが、 ハーフであれば無い話ではない。 ふざけた身体能力にしても、差はなさそうだ。 ︱︱日本刀⋮⋮か⋮? 自分に死という制裁を下そうとしているのは、刀身が鮮やかな血 のような紅に彩られた、この世界には存在しないはずの日本刀らし き物体。細身なのだが、中々硬い。 最初に使っていた、どこぞの神話に出てきそうな名前のついた剣 は折られた。何とも使えない宝剣である。現在は自分で生成した光 剣で闘っている状態だ。 ︱︱いや、宝剣ってそもそも実用性皆無だよな⋮。 そう思いなおす。 自分の世界でも実際そうだった気がした。多分この世界では意味 合いが違うだろうが、そうでも思わなければやっていられない。 ︱︱我流っぽいな。 剣筋に決まった型は見受けられない。自分の世界でいう達人とい うわけではなさそうだ。自分よりは上だが。 彼が簡単にそう判断できたのは経験だ。 一時期、日本刀で人を殺すことにハマっていた時期があった。そ の時、ひっそりと道場に通ったのと、辻斬りという時代錯誤的行為 961 をしていた経験がこの場で活きていた。 単純な殺し合いの経験も多々ある。 磨かれた危機察知本能が迫る刃一つ一つを見て﹁喰らったら死ぬ よ﹂と告げていた。 ︱︱ほんっと、あの親には感謝だわ。 とある遺族を思い出して内心苦笑する。 やっていたことの関係上、何度か命を狙われたこともある。 端から捕まえる気などなく、自分を殺そうとしか考えていないで あろう警官。死ぬくらいなら、と自分を殺しにかかる被害者。どこ ぞの誰に雇われたのか分からない殺し屋なんて者もいた。 だが、最も厄介だったのは殺した人間のとある遺族︱︱母親だっ た。 警察でも察知しずらい自分の居場所を一ヶ月以内に必ず見つけ出 す執念。容赦なく自分の手で殺そうという強い決意。どんな汚い手 でも使う貪欲さ。その全てが実に素晴らしかった。 お蔭で大分、危機察知能力というか、生存本能が研ぎ澄まされた 気がする。何とも頭が下がる思いだ。 相手との力量差を察知した上で彼は考える。 ︱︱どうすっか⋮。 剣で勝ち目はほぼないだろう。 だけれども、真面目に魔法なんてものを使う気は端からなかった。 精々かく乱程度である。 真面目に魔法なんてものを解禁するなら、そもそもこんなことを せずとも、遠くから国全土を火の海にでもすればいい。 彼がそれをしないのは、単純につまらないからだ。殺したという 実感がイマイチ湧かない。 962 殺すのならば手に感触が残る形で。 それは彼のこだわり。自然と育まれた感覚。歪んだ彼の哲学。 ︱︱考えてもしょうがねェか。 楽しい。 今、彼が感じている感情はそれだけだった。湧き上がる興奮。そ れ以上、何も必要はない。 バトルジャンキー そう考えると彼がやるべきことは只一つ。純粋に楽しむだけ。 ただ、間違ってはいけないのは、決して彼は戦闘中毒者ではない ということ。 これは殺すという料理の下準備︱︱味付けの段階。あくまで殺す までの過程として、これを味わうのだ。 彼は、あらゆる思考を放 棄して、目の前の戦闘へと、本能だけを傾けていった。 963 第九十二話︵後書き︶ 焼死に関しては、あんまり詳しく書きませんでした。 それだけで一話が終わりそうだったので 964 第九十三話︵前書き︶ 割と適当 965 第九十三話 暗闇の中に蠢く影。生い茂った草。光源が遠い。北の山の上に君 臨する月。 軍隊の行軍は著しく遅くなっていた。 彼らを包むのは恐怖。 目の前で仲間が惨たらしくやられる様を見てしまった。幸い死者 はそこまで出なかったが、再起不能者は多い。 ああなりたくない。 その感情は至極当然で、人間として、生物として当り前の感情だ。 戦闘経験が豊富ならば、これも割り切れたかもしれない。よくあ ることだと。 しかし、彼らには足りなかった。戦闘経験よりも遙かに、敗者の メンタリティが。 挫折。 戦勝続きだったここまで。初めての大きな敗北と言えたかもしれ ない。 これが﹃勇者﹄や三姉弟ほど強ければ、敗者のメンタリティなん てものはいらなかっただろう。事実、そういった彼らには必要が無 いものだ。生まれながらに絶対的勝者なのだから。基本的に負ける ことがない人間にそんなものは必要ない。 だが、残念なことに、今いる兵士たちはそんな存在ではなかった。 あえて言えば、所詮凡人の域を出ない存在。天才と凡人の間に創ら れた壁を永遠に越えられないような存在だった。 そんな彼らに追い討ちをかけるように去ってしまった大きな戦力。 出発前、高揚していた気分は、どん底まで落ち込む。 歩み寄る死への恐怖が彼らの歩みを遅めていた。 そして、それは、惨状を作りだした人間の狙い通りであった。 966 ナナシにはまったく、相手を全滅させる気などない。出来るのな らしたいところだが、不可能だ。 そもそも、この戦争の勝利条件はクロノの﹃勇者﹄撃破であって、 それ以外では成し得ない。きっと全ての軍隊を壊滅させても、﹃勇 者﹄が生きている限り、戦いは終わらないだろう。 撃破するのはどう足掻いてもクロノ以外不可能だ。情けないと言 われようが、それは客観的事実だ。 自分たちのやるべきことは、あくまでその間の時間稼ぎ。 陰惨な仲間の死に様を見て恐怖させる。それがあの川での目的。 それでも、この国の﹁最強﹂が使えない現状、やはり敵を多く殺 しておくに越したことはない。この国の﹁最強﹂は諸刃の剣。動か した瞬間に、実質的敗北が決まる。 作戦の成功を、平原に火柱が上がっていたのを確認した兵士から 聞いたナナシは、髪の下で密やかに笑い、誰にも聞こえない声で呟 いた。 ﹁私の手のひらで踊り狂って死んじゃえよ﹂ ⇔ 恐怖に身を震わせた軍隊は、著しく行軍を遅めながらも、何とか といった体でようやく二つ目の川へとたどり着く。予定は既に一時 間以上オーバーしていた。 当然、彼らも先の出来事で何も学ばなかったわけではない。足元 にも草陰にも細心の注意を払うようになっており、警戒心は一層高 く持つようになっていた。予定より大幅に遅れたのは恐怖だけでは なく、こういった慎重さもあったからかもしれない。 ここまで来ると、どうして部隊を分けなかったのか、という後悔 967 が生まれるが後の祭りだ。驕りと慢心の結果である。 目の前には平原のど真ん中に位置する川。 川幅は三つの川の中でもっとも大きく、500m近い大河。ただ、 深さはミナリス川と大して変わらない。苦もなく歩いて渡れる。橋 はあるが、少なくともそこを通る気にはならない。 なぜなら︱︱ ﹁よう。こっちからのプレゼントはどうだった?﹂ その上には、敵と思しき人影が並んでいたからだ。 真っ先に足元に撒かれた砂に目を向ける。足で踏んだ感触からし て先ほどの燃えた砂と同じものだ。集中すれば微かに臭う異臭。 ﹁ん? 報告より人数減ってねえか? どうした?﹂ あからさまな挑発。ここで挑発に乗ってはいけない。 ﹁いやいや、そちらのプレゼントに感激したらしくてな。子供のよ うに早く帰って開けたいと駆けていってしまったよ﹂ 平静を装い返答を返す。警戒は解かない。むしろあげるべきだ。 ﹁そいつぁ、よかった﹂ 含み笑いをして、橋の上に立つ敵の先頭は手を掲げた。悪寒が走 る。よぎる死。 ﹁じゃあ、もういっちょくれてやるよ!﹂ 振り下ろすと同時に、火が木製の橋を伝い河原に撒かれた砂へと 968 奔る。 脳裏に浮かぶ、さきほどの光景。燃え盛る炎が全てを飲み込んで いくイメージ。全てを燃やし尽くす絶対的炎が出現する︱︱かと思 われた。 だが、その通りには全くならない。 炎が河原を伝う。撒かれた砂のようなものの上を奔った。 しかし、それだけだ。音はしない。炎は勢いを増さない。逆に衰 えていく。軍隊の前にある炎だけが。 終いには炎は二つに分かれ、軍隊を避けるようにして横に広がっ ていった。 ﹁同じ手が通用するとでも?﹂ 炎が自分たちを避けていったのを確認してから、一歩河原へと踏 み出す。 靴に染みる冷たさ。足に入ってくる水。 炎が彼らの前で失速した原因は水だ。単純に水属性を使える者を 先頭に置き、あらかじめ進むであろう道を濡らしただけ。火薬は湿 っていると使えない。 濡らしていない方向には炎が広がり、けたたましい爆音を響かせ るが何ら影響はない。 近づいてくる軍隊に慌てたのか、敵の先頭に立っていたうろたえ たように声を上げた。 ﹁クソッ⋮⋮!! 引くぞ!!﹂ この言葉で圧倒的優位がこちらにあると判断した軍隊は、歩みを 早める。 敵が橋の上から慌てて走り去る後を追いかけようとするも、橋の 先は燃えているので使えない。迷わず川の中へ入り、追撃を始めた。 969 爆音は激しさを増しているが、炎はまったく襲っては来ない。ど こまで広い範囲に火薬を撒いたのだろうか、という疑問が浮かぶが こちらに来ないのならどうでもいい話だった。 長い大河を多くの軍勢が走る。走るのに苦はない。 敵を追いかけていた先頭が、ようやく川の真ん中に差し掛かった。 相変わらずドドドと爆音がうるさい。しかし、彼らはそちらを向 くことなくひたすらに敵を追いかけて走った。 これは火薬による爆音だ。 そう、思った。思ってしまった。先ほど聞いた経験が、そう彼ら に判断させた。火薬とはこういったけたたましい音を響かせるのだ と。 だからこそ、彼らは気づかない。その音の中に別種の轟音が混ざ っていることに。 耳劈く爆音。爆音が火薬だと判断させる経験。暗い闇の中。炎が 上がっていても視界は広くない。渡るのに時間がかかる長い大河。 昨日の嵐。全てが整った状況。 これらから導き出される結論は一つ。 先頭がようやく向こう岸のたどり着こうかという時。 轟音と共に、膨大で純粋な水が彼らを飲み干した。 ⇔ 孤児院 暇を持て余していた少年と少女は、何となく空を眺めていた。空 に散りばめられた星々は、昨日本当に嵐だったのかと思うほどくっ きりと見える。 リルは一際目立つ星々を指差しながら、何か色々と違う単語を口 にする。 ﹁えーっと、アレがデブで、アレが尻で、アレがペテ⋮⋮ン師? 970 だよ﹂ ﹁絶対間違っとるじゃろ⋮⋮﹂ リルの星に関する知識はクロノから︵元をたどれば朱美から︶だ が、あまり興味が無いのではっきりとは覚えていない。そもそも、 覚えるということ自体が得意ではない。 ﹁それで星は馬だったり、魚だったりするんだってー!﹂ 何か間違った知識を誇らしげに語るリルを見て、ドラは呆れつつ 内心溜め息を吐いた。 ︱︱こう暇じゃとな⋮⋮。 リル同様ドラも星になど興味はなく、このままだとぼんやりと一 夜を過ごす羽目になりそうだった。 退屈は人生を色褪せさせる劇薬だ。このまま、この暗闇と同期し て溶けていってしまう。そんなのはつまらない。 ドラはおもむろに立ち上がる。 ﹁でー、あれが羊でー、魚はー⋮⋮あり?﹂ リルが振り返った時、そこにはただ暗澹とした暗闇があるだけだ った。 ⇔ 洪水。 それが侵攻を強めていた軍隊を襲ったモノの正体。 971 この時期、ギール王都周辺は記録から見て雨が降りやすい。 ナナシがまず最初に目をつけたのはそれだ。この時期に降りやす い雨と平原の川、この二つから導き出されるものは簡単だった。川 を堰きとめ、洪水を作り出す。 さしあたって、数日前に適当な人選をして北の山に送り、川を堰 きとめる準備をさせた。 だが、問題があった。洪水はそれに伴って、大きな轟音を響かせ る。それに気づかぬほど相手も間抜けではない。事前に察知されれ ば、敵の実力からして防ぐのは容易だ。 だからこそ、直前まで悟らせない。防ぐ暇を与えないようにしな ければならなかった。 洪水に匹敵する爆音を響かせ、そしてその音を決して不思議に思 わせないモノ。そこで思いついたのが火薬。 火薬の爆発音に紛らせて決壊させる。すると、轟音は爆音に混じ る。火薬という存在を知らない人間も多いだろう。だから、事前に 使っておく。これはそういった音を響かせるモノだと、意識に刷り 込ませる。この音は不自然な音ではないと。 合図としても火薬は優秀で、火柱が上がったことを合図にすれば、 暗闇でも北の山から見える。 川ということで真っ先に思いつく洪水という作戦、敵も同じだ。 きっと最初はそれを警戒する。そこであえて、2番目にそれを持っ てくる。 人間は学習するものだ。一度喰らったものには警戒を強める。し かし、全てに警戒は出来ない。あることに集中すれば他のことが薄 れる。洪水を警戒していた脳は、途端に火薬を警戒するように切り 替わる。再び火薬が撒いてあったとすれば尚の事。同じ失敗はしな いと、それだけに意識を向けてしまう。 ナナシは言った。天変地異でも起きてくれないと。 言葉通り、ナナシは起こしたのだ。自然の力を借りて、洪水とい う災害を。 972 第九十三話︵後書き︶ そろそろ地味な勇者戦は終わらせようっと 973 第九十四話︵前書き︶ これでも力入れて書いたんですよ⋮。 戦闘むっず。 974 第九十四話 ﹁ハァ⋮⋮ガハッ⋮⋮ハァ⋮⋮ハァ⋮⋮ふぅーあっぶねえええ!!﹂ ギルフォードは必死に川を走り抜け、背後で轟音が収まってから ようやく一息ついた。何度も乱れる呼吸を整えて頭を冷静にする。 身体は洪水の飛沫により若干濡れ、夜の凍てつくような寒さが身 体により染みる。 走り抜けた跡を振り返ると、身体が自然と身震いした。寒さもあ ったかもしれないが、何より恐怖から。 大河は川幅を大きく越えて地面を濡らしているが、先ほどの轟音 が嘘のように静まり返り洪水の跡など傍目には分かりそうもなかっ た。仕事を終えたらそれまで、とでも言うようで、それが逆に恐怖 を煽る。 ギルフォードに与えられた仕事は、橋の先頭に立ち相手を煽るこ と、それと火付けの合図役であった。 煽るときは出来るだけ嫌味に余裕たっぷりに、そして火をつけた 後は狼狽したように、というのがナナシからの指示である。油断を 誘うため、というのと他に策がないと思わせるためらしい。 なぜ自分なのか、と訊くと実に心外な回答が返ってきた。 ﹁えー、だってアンタそういう卑怯なの得意じゃん? 演技とかさ、 リアクションとかさ、スゴイと思うよ? じゃなきゃ私アンタをお ちょくんないもん﹂ 否定はしないが、コイツは自分を何だと思っているのだろうか、 大道芸人かなにかだと思っているんじゃないだろうか、という疑念 に囚われかけた。 975 ﹁それに体力一番あるからさ、先頭に立ってても洪水が来るまでに 逃げ切れるでしょ? 筋肉馬鹿だし﹂ 確かに、魔法が碌に使えない分肉体を鍛えてはいる。魔法をメイ ンで使えない分、トドメは筋肉に頼らねばならない。特に団長であ る自分は。 最後の一言がなければ自分はさぞ気分良く戦場に行けたかもしれ ない。相変わらず一言も二言も多いやつだ。 そんなことを思いつつ、ギルフォードは戦場に向かったわけだが ︱︱。 ﹁こんなギリギリだとは思わなかった⋮⋮。アイツ、俺を殺す気か よ!﹂ 後2∼3秒走るのが遅かったら確実に飲まれていたであろうほど に、洪水の範囲は広かった。 この場にはいない作戦立案者に恨み言を吐く。 ﹁何が﹁計算からして余裕余裕﹂だよ! 絶対計算してねえよ!﹂ 余裕の基準から違うのか。余裕でこれくらいなら、ナナシの言う ギリギリは確実にアウトだ。 ︱︱あいつの余裕はもう信用しねえ⋮。 そう心に固く決めていると、ふいに右手から声が聞こえた。 ﹁降ろせ⋮﹂ ﹁ん?﹂ 976 右手に目を向けると、そこには人の顔。一瞬ホラーかなにかかと 思いかける。人面右手なんて実にシュールな怪談だ。 当然そんなわけはなく、右手に持った人間が言った言葉である。 大の大人の襟元を掴み上げて持っている状態だ。 ﹁降ろせと言っている!﹂ そこでようやくギルフォードは思い出す。両手に持った人間のこ とを。橋の上から逃げる時、走るのが遅かった魔導隊二人を無理矢 理持って走ったのだと。 もう片方︱︱左手の人間に目を向けると、視線が合わない、完全 に意識がないようだ。 ﹁なんだよ。お礼の一つでも言ってくれていいんじゃねえの? お らよ﹂ 襟元から手をパッと離すと、二人はそのままうつぶせの状態で地 面へとダイブする。 ﹁い、いきなり離すやつがあるか!﹂ ﹁んだよ。離せっつったんだから離したんだろうが﹂ 悪びれた様子なく平然と主張する。若干悪いことをしたという自 覚はあるが、それにしても助けてやったのにあの態度はないだろう。 これはちょっとした腹いせだ。 落とされた二人の内一人は、相変わらずキャンキャンと吼えてい る。まるでスピッツのようだ。 もう片方はというと、落としたというのに未だに起きない。それ 977 どころか寝言まで言っている。大した神経である。 ﹁⋮⋮僕以外の人に惚れたって⋮⋮? えっ、騎士団の⋮⋮⋮待っ て、待って⋮⋮置いて⋮⋮か⋮⋮﹂ 悪夢でもみているのか、うんうんと魘されている。妙にリアリテ ィがある気もするが、気のせいだろう。 ︱︱どんな夢見てんだよ⋮。 ﹁︱︱聞いてるのか!﹂ 未だに吼え続けるスピッツ。 性別はメス。人間的に言えば女だ。正直口調が似合っていない。 年齢はみたところナナシくらいか。 背はギルフォードより低く、見上げられている状況だ。そのため か、怒っているというのに何とも威圧感を感じない。 ︱︱いや、身長は関係ないか。 よくよく思い返せばナナシも自分よりは背が低かったが、︵滅多 になかったが︶怒っている時は不思議と気圧された。きっと人間性 の問題だろう。或いはナナシに慣れたことによって、ちょっとした 耐性がついたのかもしれない。 ﹁あー聞いてる聞いてる。へいへい﹂ ﹁なんだその返事は!﹂ 空返事を返すが、相手はそれでも収まらないらしい。プライドの 978 高い魔導隊の相手は本当に嫌になる。実力が伴っていないのであれ ば尚更だ。その点ナナシは実力も十分であったので、あそこまで付 き合えるのかもしれない。 ギルフォードは呆れ顔でスピッツを見下ろす。こうしてみると、 本当に背格好はナナシに似ている。あくまで背格好だけ。 ﹁あのなぁ、現状を理解してるか? んなこと言ってる暇があった ら構えろよ。敵はまだいるぞ?﹂ そう言って、ギルフォードは月の浮かぶ川を指差した。洪水の影 など感じさせない川。その水面には数人の人影。 ﹁なんで⋮⋮? 全部流れたんじゃ⋮⋮﹂ ギルフォードのような演技ではなく本心から零れたうろたえた声。 そのためか、口調が若干女性らしくなっている。 ﹁ばーか。流石に全員直前まで気づかないわけねえだろ。何人かは 残るさ。っつても数では勝ってる。とりあえずは残党狩りだ。後軍 が来る前に潰すぞ﹂ 首をコキリと鳴らすと準備運動のように大きく肩を回す。足元に 寝転がり魘されている男を踏みつけて起こすと、剣を高く掲げ合図 とばかりに振り下ろした。 が、その直前でぴたりと剣が止まる。 聞こえたのだ。音が。がさがさと。王都の方から。 脳内が警鐘を鳴らし、一旦全ての行動がキャンセルされる。 ︱︱なんだ? 979 草の音。人が走っている。それは分かる。だがありえない。音の 接近スピードがありえない。人間のそれではなかった。 ︱︱これは誰だ? 音が、小柄な影と共に目の前を通過した。はっきりと見えない小 柄な影。目の前のうるさい女よりも小さい。下手したらそれは子供 くらいの小さな影。 次第に音が変わる。がさがさからぱしゃぱしゃと。 水の音。水の上を跳んでいる。ついでとばかりに雑音が混じり、 生き残った敵が川の中に倒れていく。 そして、一際大きく跳んだその時。極一部が鳥のようなものに遮 られた月に照らされたその姿は、間違いなく見たことのある少年の ものであった。 ⇔ ドラは月明かりの中、闇を駆けていた。深い理由はない。単純に 暇だったからだ。散歩とでも言い換えればいい。 そもそも、戦場に来るなとは言われていない。参加するなと言わ れただけ。ドラゴンの姿でなければ大した問題はないだろう。クロ ノの言葉を思い返し自分なりに解釈しただけの話。川の人間を蹴り 飛ばしたのは、走るのに邪魔だったからどけただけである。決して 参加したわけではない。 当然それらが苦しい言い訳であるとは分かっているが、あのまま 無為に時間を過ごすのも人生というものの彩りを失くしてしまいそ うだった。 向かうのは、クロノがいるであろう場所。目星はつく。黒々とし た闇の中に燦燦と煌く光が堂々と位置を報せてくれている。あそこ 980 以外にはありえないだろう。 流石に戦いを邪魔する気はない。ある種、見物でもしに行こうか というくらいの軽い気持ちである。 二つ目の川を越え、更に疾走していく。先ほどから焼けたばかり の草の臭いが鼻につく。どうやら焼けた草のせいだけというわけで はないらしい。嗅いだことのある嫌な刺激臭。 ︱︱カイがこの前言っておった火薬か⋮? ベイポートで知った東洋の物。その時は何とか顔には出さずに済 んだが、焼けたとなると更に臭いが酷く、鼻を覆わずにはいられな い。鼻の利くドラには少々辛い代物である。 このまま下を向いていると、気がおかしくなってしまいそうだ。 逃避のために走りながら空を見上げる。丸い月が君臨し地上を照 らしている。 そんな空の中で一つの何かが飛んでいた。比較的夜目は利くほう だという自負はある。身体強化しているクロノよりも上だ。それで も余程上空を飛んでいるのか、どうにも何だかは分からない。こう なると夜目云々ではなく、単純な視力の問題だ。視力も悪くはない が、それでも詳しくは見えない。黒い闇の中に何かが飛んでいる。 ただ小さすぎて見えないだけかもしれない。 ︱︱鳥⋮⋮かの。 別段敵意のようなものは感じない。脅威ではなさそうだ。 そう考え、ドラは更に足を速めたのだった。 ⇔ 風の音がうるさい。寒い冷たい。凍てついている。空気が。 981 光の壁に囲まれた中では、台風と言われても違和感のない風が吹 き荒んでいた。魔法ではない。物体の動く速度によって生まれた風 だ。 地面を蹴る度に穴が開き、開始当初の平坦な平原は見る影もない。 無機質な剣戟の音は、数時間に渡って止むことなく響き続けてい る。 押しているのは間違いなくクロノだ。﹃勇者﹄の服にはところど ころ傷がついていて、僅かに血の影も見られる。ほぼ無傷であるク ロノとは大違いだ。 途中から服の下に光の鎧を作っていなければ、既に﹃勇者﹄の敗 北は決まっていただろう。 ⇔ ﹃勇者﹄は一旦理性を働かせ考える。 ︱︱スタミナおかしいだろ。 自分にも言えることだが、ほぼ無休で数時間に渡り身体を動かし ているのは明らかな異常行為であった。ペース配分などしていない。 フルマラソンを短距離走のような調子で走っている状態だ。 ︱︱アレか。肺活量まで強化されてんのか? 自分の国の誰も知らなかった魔法なので、詳しいことは分からな い。自分以外に使える人間に出逢ったこと自体初めてである。 ︱︱いや、筋組織、それ以前︱︱細胞自体から別のものに変わって んのか? 982 人間の筋力ではここまでの駆動は不可能だ。構造的に無理だ。だ とすれば、筋肉という物自体が別の何かに変貌しているのかもしれ ない。細胞の構造を変異させているのか。 そう考えてみると実にわくわくする。客観的にこの力を見てみる と、何と不可思議なことだろうか。未知に対する知的好奇心が心の 底から湧き上がって来るようだ。 そして純粋に思う。 ︱︱解剖してェ。 邪な考えなど一切なく、純粋な好奇心からそう思った。 当然解剖しただけでは解らないことばかりだろうけれど、とりあ えずやってみたい。 一度、もしかしたら魔力とは臓器から生まれているのではないだ ろうかと考え、人間を解剖してみたがイマイチ解らなかったことを 思い出す。 二の舞になる可能性は高いが、やってみないことには解らない。 何事も挑戦だ。人間の医学とは幾多もの失敗を経て成長してきたの だから。 ︱︱ヤバイ。超ワクワクしてきた︱︱! 嗚呼、どうしてこの世界はこんなにも自分の胸を高鳴らせてくれ るのだろう。 テンションが急激に上がり、自分に歯止めが利きそうにない。自 然と笑みが零れる。 そして、思考を﹃殺す殺す絶対殺す﹄から﹃生け捕りしてから殺 す﹄に切り替えた。 ⇔ 983 ︱︱変わった? 相手の表情が僅かに変わった。微量な変化。歪んだ狂相なのは変 わらないが、確かに変わったようにクロノには見える。 吐き気がするほどにおぞましい表情。こんな人間のどこが﹃勇者﹄ なのか。悪魔と言った方がしっくりくる。 実の所、表情はそこまで変わっていないし、他の人間が見ても狂 っているとはあまり思わないだろう。 だが、漠然と何かが狂っている。それは具体的に何かがではなく、 説明しようがないくらいに漠然としたもの。しかし、はっきりと言 える。目の前の男は何かが根本から捻じ曲がっていると。あえて言 うとすれば空気が、クロノにそう感じさせる。まるで人間ではない ように。 顔も見たくない。ずっと見ているとこちらまで狂ってしまいそう だ。 そこでクロノは自分に言い聞かせる。 ︱︱余計なことを考えるな。 殺すのに余計な感情も考えも不要だ。どうやって殺すか、それだ けを考えればいい。相手の立場とか、考えとか、理由とか、知る必 要はないのだ。最低限、相手が殺すべき敵であるということだけを 知っていればいい。それらを知る段階は、戦いの前にあるのであっ て、戦いの最中にそんなことをしている暇はない。 戦いの中に感情は出来るだけ持ち込まない。 間違っても一時の怒りで人は強くならないとクロノは考えている。 逆に怒りで冷静さを失ったら負けだ。感情は時として動揺を生み、 動きを鈍らせる。だからこそ心を奥底に押し込め、まるで機械のよ うに冷静に淡々と敵を殺す。 984 相手の言葉に反応するな。 戦いの最中、相手から飛んでくる言葉は、間違いなく自分にとっ てプラスになどならない。そういった時は得てして、こちらを惑わ そうとしている時だ。だから碌に耳を傾けてはいけない。 これらはクロノが人を殺すような仕事を請けるようになってから 培った経験に基づくものだ。当然、依頼なら何でも請けるわけでは ない。善悪の判断は事前に自分でつけている。大概の依頼は事前に ギルドで合法かどうか審査を受けているので心配はないが。 人を殺すたびに、心の中で何かが壊れていくような錯覚を覚えて しまう。最近はもう、人を殺すことに躊躇いがなくなりかけている。 脳みそが麻痺している。とでもいうべきだろうか。殺すたびにそれ は増していっている。 ならばやらなければいい、かもしれない。 だが、クロノは自分にこう言い聞かせる。これは、誰かがやらな いといけないことなのだと。 自分がやらないとしても、依頼がなくなるわけではない。内容が 殺害指令や生死問わずになっているということは、その人間は少な からず多くの人間に害を与えているということなのだ。つまり誰か が不幸になっている。 結局、その状況をどうにかする為には、誰かがその人間を殺さな いといけないのだ。その役目が誰になるかという話なだけ。そして 自分がやった方が被害は少なく迅速で確実という自覚がある。 殺害指令は言うまでもない。殺さなければいけない。では、生死 問わずはというと、結局変わらない。生死問わずで生け捕りしてき たとして、その後罪人がどうなるかというと、100%死刑だ。ど うせ死刑なんだから殺してもいいよ。生死問わずとはそういう意味 だ。死ぬのが早いか遅いかの違いでしかない。自分がやらなくても 誰かがやらなければいけないのだ。 先日のクライスの言葉。 985 ﹁大を救うために小を切り捨てる﹂ これと同じだ。あの時は感情に任せて批難してしまったが、やっ ていることは実質変わらない。 多くの人間のために少数の人間を殺している。何が違うというの か。 これが正しいと信じている。自分がここまでやってきたことが間 違っていないと。誰かがそれをやらないといけないのならば、その 役目は自分が担おうと。 どうせ、自分の母親を殺した時から自分の心は壊れているのだか ら。 目の前の男は、どうあっても斬り捨てるべき悪である。これは自 分にしか出来ないことで、やらなければいけないことだ。 足を速め、右手に持った紅朱音を強大な風切り音と共に頭の上に 振り下ろす。 すると相手は左足で地面を蹴る。よりわずかに速くに右手の光剣 を自分の身体の中心めがけて振ってくる。左から迫る刃を避ける為 に、自分は前に突き出した左足で跳び身体を後ろに下げる。下げて いる間に敵は左へと逃げている。 知っている。短時間で何度もやったやりとりだ。1000通り以 上経験した相手の行動パターンの中から、紅朱音を振り下ろした時 の相手の動きを見てどれにあてはまるか判断した結果。 避けるのが最適な行動だ。それは分かる。安全で確実な方法。 だが、同じことをやっていては事態は何も変わらない。故に相手 の一撃を避けない。喰らうわけではない。 それは賭け。失敗したらどうなるか容易に想像出来る危険な賭け。 それでもやる。 その判断に要した時間は僅か、弾指の10分の1、六徳の10倍 986 ︱︱刹那。 右手だけをレベル3に設定し、左足で踏み込んで振り下ろした紅 朱音。左から襲い来る眩い光剣。 ここだ。ここしかない。状況を打破するのはここだ。 その光剣を︱︱刃先を︱︱左手で︱︱︱掴む。掴んだ。掴めた。 風よりも速い光剣の威力はそれだけで相当で。衝撃で左手の骨と いう骨が粉みじんになったことが分かった。もう左手は使いものに ならないだろう。むしろそれだけで済んだこと自体が奇跡だった。 常人ならば左手の肘の辺りから千切れてしまうだろう。 だが掴んだ。 ︱︱絶対放すか! 左に流れようとする相手の身体を骨砕けた左手で目一杯引っ張る。 ﹃勇者﹄の顔に人間らしい驚愕が初めて浮かんだ。構わない。知 ったことか。 意識はどこまでも敵に向け、自分が今いる位置も何も確かめない。 他のことに意識を向けている余裕はなかった。 ﹃勇者﹄が光剣を放すよりも早く、限界まで力を込めて引きずり 戻す。 光剣を放した時には既に遅い。﹃勇者﹄の身体は強引に紅朱音の 元へと戻された。 本来ならこの時点では、紅朱音は地面へと着いているが、現在の 右手は身体の中で唯一のレベル3だ。レベル5の動きよりも遅い。 だからこそ、﹃勇者﹄が引きずり戻された時には丁度身体にめり込 む位置にある。 いくら﹃勇者﹄の魔法の使用速度が速かろうが、もう既に間に合 わない。イメージする時間も、抽出する時間もない。 987 いや、魔法を使おうと考えることすらも許さない。驚愕に見開い た﹃勇者﹄の黒々とした眼がそれを沈黙で語る。 そして、二人の戦いの終わりを告げる、深紅の断罪の刃が無慈悲 に振り下ろされた。 988 第九十四話︵後書き︶ 本来日本刀の片手振り下ろしは推奨されませんが、クロノは実質素 人だから⋮という言い訳。 一旦、クロノvs勇者戦はこれでおーわり 989 第九十五話︵前書き︶ 殺気全否定クラウン 990 第九十五話 道化師はただ一人︱︱月下の下で佇んでいた。 頭の中には夥しい数の声が鳴り響き、喧しいことこの上ない。常 人であれば気が狂いそうな実に統一性のない耳障りな合唱を次々と 聞き流す。 自分が聖徳太子のような存在であれば、この言葉たちを全て聞き 逃すことなく、言葉を返すことが出来るのだろうか。 ﹁結局、聖徳太子っているんだっけ? いないんだっけ? 僕がい た時代ではまだ結論が出てなかったんだったっけ?﹂ 誰に訊くでもなく吐き出したその問いは、暗闇の中へと消えてい った。 頭の中では依然、うるさい声が幾重にも重なって聞こえる。 しかし道化師はそんな声など気にも留めず、下を見下ろしながら 淡々と言葉を吐き出していく。 ﹁僕はさー、殺気ってあんま信じてないんだよね。感じたことない もん。魔法よりオカルトだよ。まあ、半径10km全員の声が聞こ えるからかもしれないけどさ﹂ ふざけた調子でケラケラと笑いながら道化師は飄々と空に居座り 続ける。 ﹁殺気ってオカルトみたいなもんだよね。言い換えれば出来の悪い テレパシーじゃない? 殺すっていう感情しか伝えられない出来の 悪いテレパシー。人の眼を見て感情を推測するのは誰だってある程 度出来るけど、それとは違うだろ? 何の情報もなくいきなり殺気 991 を感じるなんて、僕には理解出来ないな﹂ 殺気に怨みでもあるのかと思うほど、好き勝手に扱き下ろしてい く道化師。 ﹁僕が殺気を心の声として感じている可能性もあるけど、それにし たってねえ⋮。曖昧で不確定すぎると思わない? そんなものに頼 って戦うなんてアホらしいね。ねえ、そう思わない?﹂ ここでクラウンはある特定の人物に、決して届かない言葉を皮肉 気に投げかけた。 ﹁クロノ君?﹂ ⇔ ︱︱どれだけ火薬撒いたんじゃ⋮⋮。 顔を顰めながら疾走するドラ。 どれほど走ろうと火薬の鼻につく臭いから逃げ切れない。平原全 体が異臭を漂わせる。 ︱︱財政が傾きかねんぞ⋮。 ベイポートで見た火薬の値段は決して安くはなかったはずだ。カ イが大量に買うのを見て財布を心配したほどだ。ここまでの量とな るとクロノの報酬何回分必要なのだろうか。想像するだけで顔が引 き攣った。 上空では未だ飛行物体が見える。最早気には留めない。 992 歩きづらい平原を駆け抜けると、少し小さい川が見えてきた。ミ ナリス川だ。 河原から脚力を最大限に使って思いっきり飛び、向こう岸に着地 する。 再び酷くなる刺激臭。どうやらここにも火薬は撒かれているらし い。早くこの場から離れようと一層速度を上げていく。 やがて見えてきたのは四角い光の壁。平原の中には似つかわしく ない。それ自体が発光していて、淡い燐光が暗闇の中で異彩を放つ。 ドラはその内部へと眼を向けた︱︱。 そこで見たのは︱︱ ⇔ ドラが二人の元へとたどり着いた時、クラウンの目の前を飛行物 体が横切った。それはクラウンが一方的に視認しただけだ。そもそ も、現在のクラウンは傍目には見えない。 飛行物体はクラウンに気づいた様子なく、下降していった。 光の壁へと。 それを見送った後で道化師は、﹃彼女﹄を憐れむように呟いた。 ﹁ああ⋮⋮実にうるさくなりそうだ﹂ ⇔ ドラがそこで見たのは︱︱血を流しながら地面に倒れる︱︱︱︱ 自分の主の姿であった。 993 ⇔ 二人の戦いの終わりを告げる、深紅の断罪の刃が無慈悲に振り下 ろされた。 が、その刃は最後まで振り下ろされなかった。ピタリと︱︱刃が 手前で止まってしまったのだ。 理由は単純だ。クロノの力が抜けた。 クロノは集中しすぎていた。 ﹁意識はどこまでも敵に向け、自分が今いる位置も何も確かめない。 他のことに意識を向けている余裕はなかった﹂ この言葉通りだった。故に気づけなかった。背後に忍び寄った第 三者の殺気に。地面の中から湧き上がるそれに。 ﹁二人﹂の戦いは確かに終わりを告げた。遅れてきた第三者によ って。 振り下ろす途中、クロノを衝撃が襲った。背後から。硬く、強い 衝撃。 歯を食いしばるも、予期せぬ衝撃で行動が一瞬キャンセルされる。 来ると知っていれば耐えられたはずの痛みだった。 だが、クロノはこの衝撃を知っている。昔何度も味わった感触だ と。 だが、クロノはこの正体を知っている。自分を襲ったのが、きっ と拳の形をした地面であると。 だが、クロノはこの人物を知っている。これは三姉弟の一人︱︱ ディルグ・ユースティアによるものだと。 姿は見えずとも確信を持って言えた。 大方、光の壁の外から地面を操っているのだろう。 しかし、分かったところでどうしようもない。痛みによって僅か に鈍った動き。時間にするのもめんどくさくなるほどに僅かな時間。 それでも動きが鈍った。 994 そして、それを見逃すほど目の前の男は甘くはなかった。 直後。 クロノを光剣が貫いた。 ⇔ ドラの目の前から突如として光の壁が霧散していく。おそらくこ れは戦いの終焉を告げるものだ。そして同時にクロノの敗北を告げ るものでもあった。 真っ赤な血が流れている。クロノの身体からそんなものが流れる のを見たのは何時以来だっただろうか。考えてみても一年近く遡り そうだった。 敵の姿を見る。ところどころ傷がついているがどれも致命傷には 至っておらず、身体は至って元気そうだ。 しかし、その眼は限りなく淀んでいて、どこか不服そうにイラつ いている印象を受ける。 ここまでを省みると、ドラは冷静に見えるだろう。敵を把握し現 状の理解に努めている。 だが、内心は燃え滾るような激情が昂ぶっていた。 悲痛に叫びたい。今すぐにでもこの現実全てを消してしまいたい ほどの激情を必死に堪える。今やるべきことは違うのだ。決して激 情に任せて怒り狂うことではない。 分かっている。分かっているからこそ、ドラは表面上平静を保て た。精神が何とか体裁を繕えた。長い一生を過ごしてきたことによ って、精神の抑え方を知ったのかもしれない。ほんの百年前のドラ であればここまで冷静ではいられなかっただろう。 まずは策を考えねばならない。クロノが負けたということは自分 でも十中八九負けるということだ。 そんな相手から、クロノを引き剥がして戦闘から離脱する。 既にクロノが死んでいるという可能性は考えなかった。いや、考 995 えたくなかった。考えてしまったらそれが現実になってしまう気が して。 ドラは頭の中をフル回転させる。戦闘経験に関してはクロノより 上なはずだ。様々な策が浮かんでは消えていく。 その時だった。強烈な悪寒が走ったのは。 殺気︱︱。 全身の毛が逆立ち、鳥肌が浮かぶ。根源的恐怖。背筋が凍るとは このことを言うのかもしれない。 それは今までの生涯に感じた殺気が、所詮偽物だったのではない かと思うほどの重さ。暗く重い絶望感。まるで深海の底のような感 覚。 それはそのまま、殺気を放っている人間の心情が内部に入ってき ているのではないかと思う。 きっとこれは敵の放つものではなく、自分に向けられたものでは ない。だというのにこれほどのプレッシャー。 ドラは気づいた。考えた。思い出した。 上空の飛行物体。進行方向が同じ。敵意はない。この三つが意味 するのは、ある人物だ。 やってしまった。今更自分の失態に気づいた。 あの﹁少女﹂が目の前で自分が消えたとすれば、どういった行動 をとるか容易に想像できたはずなのだ。 ドラはゆっくりと上を見上げる。自分の予想が外れてくれていれ ばいいと思いながら。 だが、世界は、その甘い考えを粉々に打ち砕く。 光の中に燃えるような赤髪。それとは対照的に、どこまでも暗く 沈んだ︱︱死人よりも虚ろな眼をした一人の少女が空に浮かんでい た。 996 ⇔ 爛々輝く太陽が世界から消えた。 太陽消えた世界はどこまでも暗く、先の見えぬ死の世界に成り果 てた。 この世界は舞い戻る。太陽と出会う前へ。何時かの雨の日へ。ボ ロ雑巾以下の日々へ。 見えない。見えない。見えない。先も後も今も。 光を失った世界にはひたすらに漆黒が広がり、何も見えなくなっ てしまった。 細波すらたたない、風一つない静かな世界。きっとこれは前触れ だ。大きな災害の前の一時の静けさ。 この世界は太陽によって成り立っていた。それが無くなった今︱ ︱全てのバランスは崩壊し、暴走を始める。 誰だ。誰だ? この世界から太陽を消し去ったのは。 世界は許さない。消し去った人間を。 この世界の主は許さない。消し去った人間を。 少女は許さない。クロノを傷つけた人間を。 そして、世界に漆黒の闇が訪れた。 ⇔ 音がする。その場にいた全員がその音を感じた。微かな風の音。 風の音は徐々に音量を上げていく。同時に見える。渦を巻いた風。 全員が少女の存在に気づき上を見上げた。 少女の濁った瞳には何も映ってはおらず、ただ暗澹とした闇がそ こにあるだけ。 首から落ちようとする頭を、右手で抑えるようにして、頭を抱え 997 ている。 うわ言をぼそぼそと呟いているが、最早なにを言っているのか分 かりそうもない。 ﹁⋮⋮あ⋮⋮死? 死⋮⋮⋮死死死死死死死死死死⋮⋮﹂ きっと自分でも何を言っているのか分かってはいないだろう。 その間にも風はうねりを増し、渦を巻くようにして際限なく広が っていく。先ほどの光の壁の範囲などゆうに越えた。 そして、少女の言葉が純粋な殺意へと変わった。 ﹁死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死 ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね﹂ 次の瞬間。 風の音は轟音に変わり、全てを飲み込むような竜巻が平原を支配 した。 吹き荒れる暴風。 何者の抵抗も許さない、凄烈なる自然の力。味方であるドラすら も巻き込む気だ。いや、おそらく存在に気づいてすらいないのだろ う。 ドラが声を上げるよりも早く、周囲を飲み込んだ竜巻。天に届く のではないかと思うほどに巨大。そして強大。 ドラの元に竜巻の一端が触れた。瞬間、ドラは覚悟する。いくら 自分でも無事では済みそうにない。 軽い自分の身体が舞い上がり、地面へと叩きつけられるイメージ。 そしてドラの身体は舞い︱︱上がらなかった。 いや、風がこの場からなくなっていた。風という風が瞬間的にこ の場から消えた。 998 ﹁おいおい⋮⋮お痛が過ぎるんじゃないか?﹂ 竜巻の消え去った跡には、﹃勇者﹄を顔に張りつけた殺人鬼が立 っていた。 999 第九十五話︵後書き︶ クロノをこのまま殺すか考えちゅー 1000 第九十六話 竜巻が跡も残さず消え去った。 当然それをかき消したのは﹃勇者﹄以外の何者でもない。 風属性というのは、一般的に空気に働きかけるものとされている。 世界に漂う空気を魔力で使役するといった感じだ。 彼はリルの使役した風に魔力で干渉した。例えば、同程度の魔導 士が同じ空気を操ろうとした場合は、魔力が拮抗しどちらも使役で きないが、今回はケースが違う。魔力量は﹃勇者﹄の方が圧倒的に 多い。 結果。干渉された空気はリルの元を離れ、﹃勇者﹄のものになっ たというだけの話。 傭兵が金によって寝返ったといった表現が正しいだろうか。 とにかく、そういったことが目に見えず行なわれ、リルの竜巻は 消えてしまった。 その後で最も冷静であったのはドラだった。 他の人間が動き出す前に、いち早く地面を駆けた。目指すのはク ロノ。 現在図らずも注意はリルに向いている。あれこれ考えるよりも、 早くクロノを回収しなければならない。遠目に一人の金髪の男も見 えたが、気には留めなかった。 判断は早かった。クロノの元へと辿りつけはした。問題はここか らだ。 ﹃勇者﹄の黒い眼が近くに来たドラを見下ろしながら視認した。 同時に光剣が飛んでくる。昔であれば反応は出来なかったであろう 速度。 だが今は違う。クロノを見慣れているお蔭で何とか紙一重で一撃 ならかわせる。 1001 小さい体躯をわずかに動かすと、切っ先は耳を掠めただけで済ん だ。すり抜けた剣はそのまま地面に穴を開ける。 相手が次の体勢に入る前にクロノを右手で持ち、地面を蹴った。 小さい身体のどこにそんな力があるのかというくらい舞いあがり、 距離をとる。 ドラを追おうとする﹃勇者﹄に上からの追撃。風の刃が死ととも に迫る。 決して打ち合わせたわけではない。これはリルの暴走だ。 そんなものは﹃勇者﹄に通るわけもなく、再びかき消されてしま う。それでもリルの暴走は止まらない。 その間にドラは燃えていない茂みの中に身を隠し、クロノの容態 を冷静に見つめる。 意識はないが息はある。左手の手がありえない方向に捻じ曲がっ ているところを見るに、左手の骨は完全に折れている。他の箇所も おそらく幾つかは折れている。 肝心な出血部分はというと、右胸に大穴が開き、肉が露出してい た。左でなかったのは不幸中の幸いか。 ただ、血は際限なく溢れており、このままでは出血多量で5分と 持たないことは明白だ。そしてそれを止める手段をドラは持ち合わ せていなかった。出来ることと言えば、自分の天衣の霊装を千切っ て包帯代わりにすることくらいだ。それも気休めにしかならない。 一秒でそこまで判断は出来たものの、結局対処方が見つからなけ れば意味がない。あまり時間をかけていたら今度はリルが持たない だろう。現在リルは﹃勇者﹄を相手にしている。勝てるわけはない。 端からリルを身代わりに置いていくという選択肢はなかった。そ んなことをすれば、たとえクロノが生き残ったとしてもどうするか は想像に難くない。それにドラにとっても、少なからずリルという 少女は大切な存在になりかけていた。 とりあえず包帯代わりに、天衣の霊装をクロノの身体に巻く。 その時だった。何かが蠢いている感触が伝わってきたのは。 1002 布越しにどろっとした血の温かさと共に、何かが蠢いている感触 がした。血管の流れとか、筋肉の動きとかそういったものとはまた 違う感触。 咄嗟に布を外し、じっと傷口の奥を覗き込んだ。血に塗れた肉。 よくみると肉が蠢いている。いや、肉が増えている。 ﹁なんだこれは⋮⋮!﹂ それは紛れもなく再生。貫かれ死んだはずの肉が、再生し始めて いた。 明らかに不自然で奇怪。完全に人間の行なえることではない。何 かが不味い気がした。人知を超えた領域。 だが、ドラはここで思い直す。 ︱︱だからどうした。 この現象は現時点で間違いなくクロノにとって+だ。このペース なら出血多量で死ぬ前に傷はふさがるだろう。それでいい。それ以 上には何もいらない。この現象がたとえ悪魔によるものであろうと も、クロノの命が繋がるのであればいい。悪魔が対価を求めるとい うのなら自分の命を差し出してやろう。 そう考えた。そう考える自分に驚きさえした。 天衣の霊装を包帯代わりにクロノに巻いて、ドラは一旦その場を 離れた。 いくらクロノが無事だとしても、少なくともすぐには戦える状態 にはならない。失った血は戻らないし、全ての骨が再生するのかど うかも怪しい。 であれば、今やるべきことは一つしかなかった。 1003 ⇔ ドラがいなくなって時間にして数十秒。 ﹃勇者﹄は変わらずそこにいた。何かするわけでもなく、単純に そこにいた。 上空ではリルが相変わらず、届かない力を奮い続けていた。狂乱 したリルは届かないということにすら気づいていないらしく、ひた すらに風を操ってはかき消されるといういたちごっこ。 ﹃勇者﹄に、離れていたディルグが近寄った。同時に﹃勇者﹄は 表情に﹃勇者﹄の顔を貼り付ける。 ﹁差し出がましいとは思いましたが、自分の判断で手を出しました﹂ ﹁いやいい⋮。礼を言わなければいけないのはオレの方だ﹂ 確かに助けがなければ間違いなく死んでいたであろう。 あの時点でディルグには﹃勇者﹄を見捨てるという選択肢はあっ た。 そうしなかったのは、まだ﹃勇者﹄が戦力として必要だと考えて いるからである。たとえどれ程気に食わない人間であろうとも、重 要な戦力を無闇に削るような真似をする気はなかった。その程度に は彼も冷静だ。 まあ、見捨てるといってもディルグが視認出来たのは、クロノが 勇者の元にたどり着いたことくらいで、その中でどんな攻防が行な われていたかは分からない。魔法を使用し始めたのはクロノが﹃勇 者﹄の元にたどり着いた時であり、それがたまたま紅朱音を振り下 ろす直前になって発動しただけなのだが。 1004 ﹁先ほどの人間は⋮どこへ⋮⋮?﹂ ﹁さあな⋮⋮分からん。ただあの傷ではそう長くは持たないだろう﹂ ここで﹃勇者﹄の顔に僅かな暗さが宿る。 平然と会話しながらも、﹃勇者﹄は少女への注意を切らさない。 未だに目に見えぬところで魔力によるいたちごっこは行なわれて いる。 ﹃勇者﹄はある程度時間が経ったのを確認してから、そろそろ終 わらせようかと少女を鋭い視線で射抜く。 少女は臆するということをしらないように、更に強い憎しみの視 線で﹃勇者﹄を睨んだ。 受けなれた視線だ。死の間際の人間の一部はああいった眼を自分 に向けて来る。その全てを殺して彼はここにいるのだ。 右足一本で宙へと舞い上がり、少女への距離を一気に詰める。空 中でも風の使役は怠らない。 少女は視線を憎しみと共に﹃勇者﹄へと向け、必死に風を操作し ようとするがどうにも上手くいかない。 右手に光剣を発生させる。 視認は出来ても反応は出来ない速度で、少女の首めがけて光剣を 振るった。 衝撃︱︱。 肉を抉る感触︱︱ではない。 何か硬いものに当たった感触が手を痺れさせる。 少女ではない。反応できていないのだ。 内心の驚きを隠しつつ光剣の先を見ると、そこにあったのは︱︱ 爪。大型の肉食獣よりも更に大きく鋭そうな爪。何となく、そこら 辺のナイフよりも切れそうだなと思う。 1005 そしてそれを着けているのは、いかにも似合わない不釣合いな緑 髪の少年だった。 ⇔ ドラは何とか﹃勇者﹄の一撃を龍化した右手の爪で弾く。連撃で ないなら何とかはなる。衝撃で爪の一部が剥がれたが、わずかに顔 を歪めただけで気には留めない。そのままリルの元へと一直線に跳 んだ。 ﹁死ね死ね死ね死ねシネシネシネシネシネシネシネ死ね死ね︱︱﹂ 未だ壊れた人形のようにうわ言を繰り返しているリル。明らかに 正気ではない。接近したドラにすら気づいてはいない。 ドラはそんなリルを ゴツリ と殴った。まだ人間の左手で。まるで拳骨を落とすように。 突然の衝撃に、﹃勇者﹄の魔力に対してかろうじて自分を浮かせ るだけの風を確保していたリルは、それすらも失い地面へと落下す る。 ドラはリルを空中で抱え、地面へと降り立った。 それでもリルは収まらない。 ﹁離せよ!! 私は!! アイツを殺さなきゃいけないんだよ!! 私のクロノを殺したアイツを!!﹂ 見たこともない表情。歪んでいる。何かが。心の根底でこの少女 は歪んでいる。いつものリルという天真爛漫な少女の面影はどこに 1006 もなかった。 それだけクロノの敗北が少女の世界に与えた影響は計りしれなか ったのだろう。 しかし先に言っていた言葉が事実︱︱だと思っているならまだ、 この少女は修復出来る。ドラは確信を持ってそう言えた。 ドラは小声で確信と共にその言葉を囁いた。 ﹁阿呆が。クロノはまだ生きておる﹂ 威力は絶大で劇的。どんな魔法よりもリルにとっては魔法の言葉 だっただろう。 この世の全てを怨むような凶相は薄れ、徐々に顔に生気が戻る。 ﹁⋮⋮ホント⋮⋮?﹂ 信じられないといった様子のリルにドラは呆れたように言葉を返 す。 ﹁こんなところで冗談を言ってどうする﹂ 死人だったような顔は、完全にいつもの元気すぎてうるさいリル へと戻っていた。 戻った代わりにリルの眼に涙が滲んだ。 ﹁⋮よかった⋮よかったよ⋮クロノが死んじゃってたら⋮⋮わたし ⋮⋮﹂ 泣きじゃくるリルを地面に下ろし、ドラはよかったと思いつつす ぐさま思考を切り替える。 ここまでなぜか、何もしてこなかった﹃勇者﹄を睨みつける。﹃ 1007 勇者﹄の顔には待ってやってんだぞ? という言葉が浮かんでいた。 これは余裕だ。何が起ころうとも、どうにでもなるという余裕。 ドラはこんな状態のリルに頼らなければいけない自分の力を嘆き ながら、冷酷な現実を突きつける。 ﹁生きている、と言ってもクロノも今すぐは動けん。傷は酷い。早 めにどこかに連れて行かなければならん﹂ 急に真剣な調子になったドラに、リルは涙を拭って向き直る。こ ういうところは本当に成長したのだと思う。 リルが現状を理解していることを確認してから、ドラは静かにこ れからを告げた。 それは︱︱決死で必死の逃走。賭け以外の何物でもない。あまり にもお粗末で危険。だがやるしかない。 リルの反論を力づくで抑え込み、ドラはそれを押し通した。 たとえその先に、どんな結末が待っていようとも。結末を知って いたとしても。 ⇔ ﹁さて、子供だから待ってやったが、そろそろいいか⋮?﹂ ﹃勇者﹄は白々しい嘘を吐きながらゆっくりと二人に近づいた。 彼が待ったのは決して子供だからなんて、人間味のある理由からで はない。女子供だろうが、容赦しない人間だ。 ドラもそのことは十分に分かっていた。きっと、待っていたのは 別の理由だろうと。 一歩一歩近づく﹃勇者﹄。 ﹁行くぞ!﹂ 1008 唐突にドラが叫んだ。それを合図にくるりと踵を返し、リルを引 っ張って走り出す。 ﹃勇者﹄はディルグに待っているよう告げると、こんなものかと 呆れながら後を追った。 追いつかれる。分かっている。それでもドラは走った。 数秒でたどり着く、クロノを寝かせた場所へ。今さっきいた場所 から100mほどの草の中。同時に﹃勇者﹄が二人へと追いついた。 ﹁逃げ切れるとか思ってないだろ?﹂ ドラは﹃勇者﹄へと向き直る。背後にはリルと寝たままのクロノ。 背後の二人を庇うようにしてドラは立つ。 ﹁さてな﹂ 短い返答を返し、射殺すように鋭い視線で﹃勇者﹄を威圧するが、 意味はなさそうだ。 ドラの顔には冷や汗が伝う。失敗したら全滅。 意を決する。やらなければ全滅だ。唾を飲み込んだ。 心臓の高鳴りが、身体の奥底から鳴り響く。やめておけと、ある 本能が囁く。足が一瞬、笑った。 それら全てを抑え込み、ドラは目の前の敵と対峙した。 痺れを切らした﹃勇者﹄が動き出す。 直前。 ドラは、自分の身体を人間から、本来の姿︱︱ドラゴンへと変貌 させる。急激に肥大する身体。 小柄な体躯は、何者にも負けぬ巨躯へと成り変わり、少年だった 身体は︱︱見るもの全員を震わす威圧感を伴った鮮やかな緑青色の 1009 ドラゴンへ。 一瞬、﹃勇者﹄がその変貌に意識をとられた。湧き上がる好奇心。 目の前でありえない現象が起こっている。 しかし、すぐさま冷静さを取り戻し思う。これだけの為じゃない だろう? と。 そこで気づく。 そういえば、背後の人間はどこに行った? 気づいたときには遅い。クロノとリルはどこまでも広がった暗闇 の空へと消えてしまっていた。 目くらまし。 ドラがドラゴンへと変貌した理由はそれだけだった。自分の巨躯 で二人を隠し、注意を引いている間にリルがクロノを連れて、空へ と飛び去る。 一人が残って、時間を稼ぐ。 これしかなかった。それ以外の術は思いつかなかった。 残った方に待っているのは確実な死。 そしてドラは知っていた。残るのは自分でなければいけないと。 これは臣下である自分の務めだと。 生存本能が拒否した。身体が震えた。それでもやるのは自分以外 にはありえない。 死ぬと知っていても、自分がやるしかないのだ。 死ぬのが怖い。そう思った。生物として当然の感情を思った。そ れでもやるしかない。 ドラは戦いに身を投じる。死が約束された絶望の戦いへと。 ドラは突き進む。自分の死という結末に向けて。 ﹁ここは通さんぞ人間?﹂ 1010 第九十六話︵後書き︶ さよーならドラ。 次回は多分ドラ視点の過去話かな。 ぶっちゃけ、人を殺しなれてる﹃勇者﹄様が即死の場所貫けないわ けはないんですよねー。 クロノの謎の再生は大体馬鹿親のせい。胸に亀裂入れたアレのせい。 1011 ﹃友として臣下として﹄︵前書き︶ イマイチ 1012 ﹃友として臣下として﹄ 二百年前︱︱彼は王だった。とある大陸の西方に聳え立つ、天に 届きそうな霊峰の更に上。雲の中にある龍人の里の王。 彼は強かった。おそらく大半の生物が、見ただけで彼に頭を垂れ るくらいには。 側近には美しく聡明な白龍を置き、何不自由なく過ごしていた。 王の決め方は実に単純で、戦って最も強い者が王となるというシ ンプルなルール。 しかし、彼は戦うことなく王座へとついた。彼が強いことは誰も が知っていたからだ。万が一本気で戦われては、里が崩壊しかねな い。 王と言っても特にやることはなかった。食糧は里で自給自足出来 るし、わざわざ他の種族が攻めてくることはない。そんなことは自 殺行為だ。だからといってこちらから攻めることもない。 結局、何もやることなく怠惰に過ごしていた。好きな時間に寝て、 好きな時間に食う。 それが就任して百年ほど︱︱二百数年前から三百年前の話。 そんな怠惰な日常に転機が訪れたのは、二百年ほど前の話だった。 時を経て、人間の文化が次第にいくつか入ってきた。里の人間は それに夢中になったりした。 実のところ、彼は人間があまり好きではなかった。一度下界に下 りた時、人間が何だか魔物だとか言って、いきなり襲ってきたこと があった。自分から喧嘩を売ってきたくせに、彼らはまるで自分が 正義であるかのようで鼻についた。食べてみても不味い。食糧とし ても価値はない。 調べてみると、どうやら龍人という種族は人間から見たら他の下 等生物と同じ、魔物にカテゴライズされるらしい。実に失礼な話だ と思った。そんなものと一緒にするなと言ってやりたくなった。 1013 脆弱な存在の癖に力の差を弁えない愚か者。それが彼の認識だっ た。 まあ、文化というか、人間の造ったものにはいくつか役立ちそう なものもあったので、それはまだよかった。 問題は文化だ。特に議会制という文化。 国の方針は一個人によって決められるものではなく、何をするに も大勢の民に選ばれた庶民や貴族の承認が必要という実にめんどく さい制度。民主制とかいうふざけた文化。 それに毒された弱い龍人は、声高にそれを叫び始めた。少なくと もそれは彼の眼には弱い龍人にしか見えなかった。彼の考えの根底 には、王は絶対の存在で、王に成りたければ力づくで奪え、という のがあった。それが里のルールだった。 最初は無視していた。所詮弱者の戯言だと。 だが、彼の意に反して徐々に気運は高まっていく。元々人間に詳 しかった側近の白龍も、そちら側の主張をしはじめた。 当然賛成派ばかりではなく、彼と同じ考えの者も多かった。 二分した里。王がいる反対派が若干有利に思えた。 そんな時だった。一部の反対派が秘密裏に工作を行なっていた。 彼の預かり知らぬところで。 人間がいたせいでこんなことになったのだから、人間を全て消し てこよう。 それは実に短絡的な発想。気に食わない奴がいるから、殴ってこ ようか、というガキ大将のような暴論だった。しかも、何の解決に もならない。 立案の段階で彼がいたら、おそらく止めていただろう。そんなこ とは無駄だと。だが彼がそれを知ったのは、それが始まった後だっ た。 反対派の中︱︱特に若く気性の荒い連中が、魔物を従えて下界へ 1014 と侵攻を始めた。 始めは順調だった。いくつもの国を滅ぼした。彼も、もう始めて しまったのだから、と止めることはしなかった。脆弱な人間に負け ることな考えていなかった。 そして、最後に帰ってきたのは︱︱全滅の報せだけ。 その情報は瞬く間に里に広まった。責任の所在として槍玉に挙が ったのは、当然反対派のトップであった彼だった。傾いた世論を止 めることは出来ず、結局彼が全ての責任を負わされ辞職。 新たに議会制となった里が彼に下したのは、里からの追放という 罰。 聞くところによると、白龍は最後まで反対したらしいが、後の祭 りだ。庇うならもっと早くしろと言ってやりたい。 彼は怒りに任せて里を壊すことも可能だった。それでもしなかっ たのは、失意に包まれていたからだ。そんな元気すらもなかった。 それから暫くの時間を彼は覚えていない。何だか夢の中だったよ うな気もする。夢と現実の間を彷徨っているような、曖昧な記憶し かない。探ろうとしても出てこない。人の姿になったり、龍の姿に なったりしてフラフラしていたと思う。きっと姿が安定していなか ったのは自分の精神状態の問題だったのだろう。度々天衣の霊装を 狙って追っ手が来たような気もするが、イマイチ覚えていないとい うことは大したことではなかったらしい。 次の確かな記憶は四年前だ。この頃になると、姿は龍で安定して いた。適当な場所に洞窟を掘って、飽きたら別の場所へという流浪 人のような生活をしていた。 そこに足を踏み入れた無粋な二人の客人。自分の姿に怯むどころ か、瞬く間もなく距離を詰めて斬りかかってきたふざけた女。 実質的な戦闘での敗北はアレが初めてだった。 今更問答無用で襲われることに何か言う気はない。もう慣れたこ 1015 とだった。 敗北は、正直悔しかった。自分が侮っていた人間に、抵抗する間 もなく斬られたなんて、笑い話にもならない。 おまけに殺しもせず何を言うかと思えば﹁私の下につけ﹂ときた。 ふざけてるなと、彼は内心で吐き捨てた。 龍が勝者の下に着くなど、自分のいた時代で完全に終わった風習 だ。それに、自分はそんな掟に縛られるような状態ではない。端的 に言えば犯罪者だ。従う義理もなかった。 それでも彼が承諾したのは暇だったからだ。単純に暇。それと、 この幼い少年について行けば女と再戦の機会もあるだろうと踏んで いた。少年に至ってはスキを見て殺すことも出来る。最悪少年を人 質に戦えと脅すことも可能だ。 そう思って彼は、女の下についた。 それからの二年は、今までの生涯で最も充実していて、最も楽し かったと思う。 代理で付いていくことになった少年は、強くて弱くて、一緒にい て楽しかった。生涯で初めて誰かの下についた居心地はそんなに悪 いものではなかった。次第に下という感覚はなくなっていき、どち らかと言えば友人という感覚になり始めた。少年の口からもそう言 った言葉が聞こえた。 友人だと言ってくれることがたまらなく嬉しかった。 二年も経つと、殺すとかそういう感情は薄れ、完全に友人という 感覚になっていた。 だがあくまで自分は臣下というスタンスは崩さない。まだ、この 少年は強くて弱いのだ。もっと成長して貰いたかった。 その結果が二年前の村での一件。 自分を恥じた。謝っても謝りきれない。きっと、友人だという感 覚を持っていなければこんな感情にはならなかったはずだ。 そして少年の母親の一件。 1016 彼は主従関係を破棄された。好きなとこに行けと言われたが行く 宛てはない。 やがて、戻ってきた少年は弱さを捨てていて、誰よりも気高く強 く見えた。それでいてどこか脆さを感じた。 それを見て彼は思った。自分のような者は王になど相応しくはな かった。彼こそが本物の王だと。 彼は誓った。 自分は彼に本当の意味で臣下として仕えようと。友人という感覚 は心の奥底に捨てて、真の意味で仕えようと。彼が友人として望む ならその様に接するが、奥底では臣下として仕えるのだと。あらゆ る不幸から災厄から彼を守るのだと。全ては彼の為に。 とっくに彼の心は少年に惹かれていたのだ。二年という僅かな時 間で。 自分にけじめをつける為に、彼は少年と戦った。結果は惨敗。そ れでよかった。 敗北に喜びを感じた。その時点で彼は龍として終わっていたと感 じた。 敗北した彼は、今度こそ本当に少年の下についたのだ。 少年といた四年。教えたし教わった。少年からいくつも大切なこ とを教わったと思う。それらはどれも自分にとって大切なもので、 かけがえのないものだ。 本当の名前などもう思い出せない。それでいい。少年が最も呼ん だ名前こそが自分の本当の名前だ。 少年と出会ったあの日から自分の一生は始まったのだ。 そして今。彼は目の前の敵と対峙する。敗北すると知っていても。 身体が震えた自分を恥じた。 誓ったはずだ。あらゆる全てから少年を守るのだと。 今がその時であるのだ。 1017 1018 第九十七話︵前書き︶ 思いの外会話パート 歪んだ勇者様の考える平和の実現方法 1019 第九十七話 ドラと別れたリルは、どこまでも広がった闇の中を飛んでいた。 自分が今出せる最高速を出し、それでいて慎重にクロノを運ぶ。 傷口が開いたりしたら厄介だ。 決して余裕はない。揺さぶられた心は、未だ悪夢の中にいるよう な感覚。魔力も、力任せに使ったお蔭で大分減っている。 それでも飛ぶことを止めはしない。 自分よりも遥かに苦しいことをしている者を知っているから。こ の程度で音を上げていては、一人残った彼に顔向けが出来ない。 互いに知っていた。残った方は確実に死ぬであろうと。 自分が残ると言いたかったけれど、その言葉は喉を通過する前に 彼に止められて、吐き出すことは叶わなかった。 その時、全ての反論を許さない小柄な少年は、どこまでも気丈に 笑っていた。 だが、リルは知っている。僅かに少年の身体が震えていたことを。 その震えが何を意味していたのかを。 しかし、少年はそれでも譲らなかった。 生かされた自分の使命はクロノを確実に安全な場所まで運ぶこと。 絶対にそうしなればいけないのだ。少年の決意を無駄にしない為 に。 リルは、自分に残された搾りかすの如き魔力を振り絞って、更に 速度を速めた。 それからどれくらいの時間が経った時だろうか。川の周辺に黒い 点が見えてきたのは。 黒い点は近づいてよく見ると人で、王都側に固まった人の集団だ った。大きく動いてはいない。戦っているというわけではなさそう だ。 1020 視線は全員、圧倒的光に照らされた龍へと向いていた。 リルは一旦そこで足を止め、慎重に地面へと降り立った。 突然の来訪者に気づいた一人の兵士は驚きの声も上げられず、案 山子のように立ち尽くす。 そんな兵士にリルは掴みかかり、ドラの最後の伝言を掠れ声で叫 ぶように伝えた。 ﹁ギルフォードって人に伝えてよ⋮⋮! クロノは戦線を離脱する って⋮⋮! それと⋮ッ⋮⋮ドラ君からの伝言⋮⋮死にたくなかっ たら全員王都まで避難しなってさ⋮⋮!! 分かった⋮⋮!?﹂ しかし、兵士は突然の出来事の連続に混乱しているのか返事がな い。 目の前の兵士が役に立たないと判断したリルは、別の人間を見る が︱︱全員が同じような案山子に見えて、どうやっても伝わらない 気がした。 諦めかけたリルに、唐突に声が掛けられた。 ﹁オイ、本当かそれ?﹂ ﹁本当だよ⋮ッ!!﹂ リルに声を掛けたギルフォードは、背後にいるクロノを視認して、 少女の言っていることがどうやら嘘ではないらしいと判断する。そ れは同時に、クロノの敗北︱︱ひいては自軍の敗北を理解するとい うことでもあった。 リルは一層、縋るように叫んだ。 ﹁早く! 最後なんだよ⋮! ドラ君の⋮⋮最後の言葉を無駄にし ないでよ⋮⋮﹂ 1021 ⇔ ドラと﹃勇者﹄の戦いは続いていた。続いていたと言っても、差 がないわけではない。 傷を見つけるのすらも困難な﹃勇者﹄と、深紅の血を大量に巨躯 から流れさせている龍。 両者の力量差は素人でも傷を見れば一目瞭然である。 一撃目はほぼ確実にかわすが、連撃になると最後までついていけ ない。単純な速度の差が傷となって如実に現れていた。しかも、﹃ 勇者﹄の数少ない傷はドラがつけたものではなく、全てクロノによ るものだ。 それだけ差があっても勝負がついていないのは、ドラを賞賛する べきところだろう。 ﹃勇者﹄が超人的な速度で地面を蹴った。凛とした姿がドラの視 界から消える。 瞬間。ドラは龍化を解き、少年へと姿を変える。 少年の姿へと成り変わる時、どこを﹁軸﹂にするか決めておく。 少年の姿と龍の姿では大きさが違い過ぎる。龍の状態の姿を基本に、 子供の姿になる為にどこを中心として身体を伸縮させるかを決める のだ。別段、龍の身体の中心を指定する必要はない。身体であれば 足だろうが手だろうが可能だ。 右手を﹁軸﹂に指定すると、そこを中心に伸縮が始まり、龍の状 態であった時の右手の位置に少年として姿を現す。 巨大だった身体は突如として小柄な少年になり、相手は標的を一 瞬失う。 それはまるで、殴ろうとした風船が、いきなり空気が抜けて小さ くなるような現象。殴ろうとした手はそうなるとほぼ空振りする。 一撃目は、身体の伸縮でほぼかわせる。問題はそれ以降だ。 1022 風ごと全てを切り裂くような斬撃が容赦なく襲ってくる。 また大きくなったとして、的が大きくなるだけ。速度は遥かに負 けている。筋力も同様。 足りない。全てが。 どうにもならない無理難題が、ゴミ山のように山積していた。 ここでドラは、痛みに耐えながら一つの問いを投げかけた。 ﹁︱︱ひとつ訊きたい⋮﹂ それはこの戦いが始まってから、初めての言葉。肉を裂くような 音ではなく、紛れもない言葉が平原の闇に消えていった。 ﹃勇者﹄は驚いたのか、一瞬黒々とした眼を大げさに見開くと、 ドラの視界から姿を消した。 戦いに無用な言葉は不要だ。 そんな、クロノや自分と同じ考えなのかと思い、来るであろう攻 撃にドラは身構えた。 だが、いつまで経っても攻撃はやってこない。 ﹁?﹂ 不思議がるドラの目の前に、再び﹃勇者﹄が姿を現した。その手 には、金髪の若い青年︱︱ディルグの姿。意識がないのか、首がだ らりと下を向いていて、どうにも生気を感じさせない。生きてはい そうだが、暫く目は覚ましそうにない。 ﹃勇者﹄はディルグを平原の中に放り投げた。それはまるで邪魔 だと言っているようで、乱雑で粗雑な行為に見える。 驚くドラを余所に、﹃勇者﹄は先ほどのおぞましいまでの表情と は打って変わって、実にフランクな口調で謝罪の言葉を口にした。 1023 ﹁悪ィ悪ィ。あの馬鹿が近くにいたら真面目に話せないんでな﹂ どうやらわざわざ、人に訊かれたくないが為に部下を気絶させに いったらしい。 ﹁それにしてもアレだ。お前って﹁喋るタイプ﹂だったのか。実は オレもなんだよ﹂ 仲間を見つけたように饒舌に語る﹃勇者﹄の顔はどこか嬉々とし た表情に見える。 ﹁殺し合いに無駄なお喋りはいらない。冥土の土産なんて喋ってる 間に、いきなり刺されるかもしれねェし、懐から取り出した拳銃で 脳天ブチ抜かれるかもしれねェ。分かってる。︱︱でも喋りてェん だよ。なんかこう、気分的にな? 分かるだろ?﹂ どこか勘違いしている自分に気づくことなく、ドラへと同意を求 めるが、返答を待たず更に﹃勇者﹄は語る。 ﹁話聞いてくれなさそうな奴にはやんないけどな。話すら聞いてく れない相手との会話なんて、一人で寂しく喋ってるのと変わんねェ。 さっきの奴とか、まさにそんな感じだった。全然話聞いてくれそう になかったから、アイツとは喋んなかった。お前もアイツみたいな タイプかと思ったんだが、違ったんだな﹂ アイツとはクロノのことだろう。確かにクロノは戦闘中無駄な会 話は一切しない。 遠くで二人の会話を聞いていたとある道化師は、ぐさりと何かが 刺さった自分に言い聞かせるように呟いた。 1024 ﹁ぼ⋮僕は一人じゃないし⋮⋮セーフセーフ⋮⋮だよね⋮?﹂ ここまで一気に語った﹃勇者﹄は﹁なんの話だったっけ?﹂とい う風に小首を傾げてから、思い出したのか、両手を目一杯広げて言 った。 ﹁訊きたいことがあるなら一つといわず、いくらでもウェルカムだ。 オレの気分次第で真面目に答えてやんよ﹂ ふざけた調子で告げた﹃勇者﹄の顔は、どこか爽やかで︱︱逆に 恐ろしさを与える。 隙だらけに見えるが、ドラにはどう考えても勝てる未来が浮かば ない。 ドラは相手が話に応じる気になったことを確認してから、戦闘が 開始してからずっと思っていた疑問を投げかけた。 ﹁なぜ、クロノを追わなかった?﹂ ﹁クロノ⋮⋮? ああ、アイツ名前クロノっていうのか。なんでっ てそりゃ⋮⋮お前が邪魔したからだろ?﹂ ﹁違うじゃろう? 貴様が儂を置いて追えないはずがない﹂ 速度からいって、﹃勇者﹄はドラを置いてクロノを追えたはずだ。 無論、意地でも止めるが。 しかし、﹃勇者﹄にはそもそも追う素振りが見えなかったのだ。 ﹁いや、それ以前に、貴様ほどの人間がクロノを殺し損ねるわけが ない。一撃で息の根を止められたはずじゃ。他にも疑問はいくらで 1025 もある。無駄に時間をかけているじゃろ? 儂だってリルだって、 もっと早く殺せたはずじゃ﹂ ﹃勇者﹄は、ここまでの問いに対しての回答をするよりも先に︱ ︱笑った。 ﹁アハッ⋮⋮ははははは!! スゲェな! んだよ、そこまで分か ってんのか﹂ 一頻り笑った後、何とか堪えるようにして回答を吐き出した。 ﹁まあ、簡単に言うと、時間稼ぎだな。アイツ⋮⋮クロノ? って やつが離れるまでの﹂ ﹁元から逃がす気だったと⋮?﹂ ﹁半々だな。お前らが現れなきゃ、そのまま殺すつもりだったけど よ。丁度よく、お前らがアイツを連れ去ってくれただろ?﹂ どうして逃がす気になったのか、という問いをドラが訊くよりも 先に﹃勇者﹄は見透かしたように語る。 ﹁麻薬⋮⋮って言っても分かんねェだろうし、今回はちょっと違う な⋮。⋮⋮⋮アレだ。オレにとって殺人は食事みたいなもんだ。し ないと餓死して死んじまう。それが今回アイツを殺す時、そこのク ソボケが邪魔しやがった。食事を他人につまみ食いされた気分だ。 オレはそれが我慢ならない。他人の手のつけた食いもんなんか、食 いたくねえんだよ。それなら、また仕切りなおして一から始めよう かと思っただけだ﹂ 1026 長々と自分の歪みきった価値観を語る﹃勇者﹄。 ようするに、他の人間が自分の戦いに手を出したことが気に食わ ないらしい。 ここでドラはふと、疑問を覚えた。 ﹁クロノの傷は即死とはいかんまでも、放っておいたら死ぬものだ ったぞ?﹂ ﹁死んだらそれまでだ。しょうがない。一応下の人間が見てる中で、 易々逃がすわけにもいかないだろ﹂ ﹁つまり、儂は無駄死にか。助けが来たら始めから逃がす気だった んじゃろ?﹂ ﹁そうでもないぞ? 誰か残ってオレと戦う気じゃないなら、しょ うがないから追って全員殺しただろう。そうしなきゃどっかのクソ ボケに咎められるからな。でも、お前が残ったことで追わない大義 名分が出来た。あっちの小さい女よりも、お前の方が都合がいい。 ﹁ドラゴンに阻まれて追えませんでしたー﹂なら面子は立つしな。 ついでに、今回の被害も全部お前のせいにしとけば、オレの監督責 任も問われない。おお、なんだ。良いことばかりじゃないか。ドラ ゴンって便利だな﹂ 言葉の端々には自分が負けるなんてことを全く考えていない自信 が滲んでいた。 気休めにもならないことを、楽しげに語る﹃勇者﹄をドラは鋭く 睨む。 ﹁貴様は何がしたい? 何のためにこんな戦争をしている?﹂ 1027 ﹁王命でしょうがなくさ﹂ ﹁この期に及んで下らん嘘を吐くな﹂ ﹁つまんねェヤツ⋮⋮﹂ ﹃勇者﹄は不満そうにわざとらしく口をすぼめると、今度は小首 を傾げた。 ﹁⋮⋮ベターに世界征服? も、違うな。それはあくまで過程だ。 ⋮⋮あァ、思いだした。﹃夢﹄の為だな。子供染みた﹃夢﹄を実現 する為だ﹂ 夢。 普通に考えれば、実に希望的な言葉だ。持つことによって人は努 力し、自分を磨く。負の響きなどどこにも見当たりそうにない。 だがなぜか、目の前の男が言うと、どうしても絶望的な言葉に聞 こえる。 ﹁﹃夢﹄とは中々粋なことを言うな﹂ ﹁なんだよ。意外そうな眼で見るなよ。オレは案外ロマンチストで ドリーマーなんだぜ?﹂ 苦笑しながら話す﹃勇者﹄に、ドラは意識を切らさない。 知っている。きっと、その﹃夢﹄とやらは、碌でもないものであ ろうと。 ﹁オレの﹃夢﹄が実現した後に、結果として残るのは平和だ。そこ には、どんな人間の不平不満もなく、絶対に戦争なんて起きない。 1028 素晴らしい世界だと思わないか?﹂ 言葉だけなら、それは素晴らしい世界だろう。ほぼ全ての人間が 望んで止まない夢だ。 それでも、目の前の人間は違う。 そう思わせる空気がどんよりと漂っている。 ﹁幾多もの人間が望んでは挑み、敗れ続けてきた平和の実現が、貴 様のような人間に出来るとは思わんがな﹂ ドラの言葉に﹃勇者﹄は、何とも﹃勇者﹄らしく力強い希望の言 葉を返した。 ﹁簡単だ。絶対出来る。オレの﹃夢﹄が実現すれば、とっても簡単 だ。オレの世界で言っていた環境破壊とか、地球温暖化も全部解決 出来る﹂ 言葉に嘘はない。﹃勇者﹄の顔はどこまでも爽やかに眩しいほど の輝いて見える。 この男は信じきっている。自分の﹃夢﹄が平和を築けると。 ドラは、そんな﹃勇者﹄を訝しみながら核心を問う。 ﹁では問おう。貴様がそこまで平和を実現出来ると信じきる﹃夢﹄ とはなんだ? 何をすれば、貴様の言うような平和が訪れると思っ ている?﹂ そして﹃勇者﹄は爽やかな笑顔のまま、自分の夢を語る。 それは、本当に発想だけなら簡単なことではあるが︱︱ほぼ全て の人間が思いつかないことで︱︱思いついたとしても決して口にし ないことで︱︱ましてや、実行するなんて馬鹿げているとしかいい 1029 ようがないことで︱︱確かに﹃勇者﹄の言う平和は実現されるであ ろうことだった。 ﹁簡単だ。人間を全部殺せばいい。オレの﹃夢﹄はこの世界の人間 を全て殺して、最後に自分を殺すことだ﹂ 1030 第九十七話︵後書き︶ ドラの戦闘パート飛ばしたいな 1031 第九十八話︵前書き︶ 短め 1032 第九十八話 ﹃勇者﹄が言った﹃夢﹄は本来、馬鹿げていると笑い飛ばすもの で、子供の夢想の中でだけ存在するようなものだ。仮に思ったとし ても実現が出来ない。唾棄すべき﹃夢﹄。 ﹃勇者﹄の平和への実現方法は、実際には何の意味もない。 例えば、炎と水が隣あっているとしよう。 ﹃勇者﹄の平和への実現方法とは︱︱炎のせいで水が蒸発しそう だ、だから蒸発しそうな水を全て炎にぶちまけて消火しよう、とい うのと同義だ。炎を消したのは、水が蒸発しそうだからであるとい うのに、守るべき水を犠牲にしている。これでは本末転倒だ。平和 を享受する存在自体を消してしまう。 だが、とても厄介なことに﹃勇者﹄は本気でそれをする気であっ て、更にそれを成し遂げるられるだけの馬鹿げた力を持っていた。 故に、ドラは笑い飛ばせない。どれ程馬鹿げていても、実現出来 ると思ってしまう。 ﹁貴様は⋮⋮本当にそんなことをする気なのか⋮!? 貴様の﹃夢﹄ の先には何もないだろう!? そんなことに何の意味がある!?﹂ 憤りを覚えたようにドラはそう叫んだ。 ﹃勇者﹄の﹃夢﹄が達成された世界の先には何もない。ただ、無 が残るだけだ。 しかし﹃勇者﹄はあまりにもあっさりと、心底意味が分からない といった調子で答えた。 ﹁なんも。なんも残らねェよ。何を残す必要がある? 意味はある さ。オレが楽しい。それだけだ。それ以上に何もいらねェだろ?﹂ 1033 もう半ば、この話し合いに意味はないことは分かっている。 それでもドラは糾弾する。目の前の人間は絶対的悪であると。 ﹁貴様一人の都合で他の全てを滅ぼすことが許されると!! 正し いと思っているのか!!?﹂ ピクリと﹃勇者﹄の眉が、ある言葉に動いた。 言葉に熱が篭っていくドラに対し、﹃勇者﹄は極めて冷ややかに 告げた。 ﹁ぜーんぜん。正しいとか、思ってねェよ。でも、悪いことだとも 思ってない﹂ ﹃勇者﹄は独自の価値観を朗々と語る。 ﹁本来︱︱全ての物事や事柄に悪も善もないんだ。人間を殺すな。 まあ、人間の社会では悪いことだな? ではなぜ悪いのか。悲しむ 人がいるからとか、困る人がいるからとか、色々理由はある。でも な︱︱悲しませて何がいけない? 困らせて何がいけない? 結局、 最後まで突き詰めると全ての物事に根源的善悪はない。あるのは、 誰かが勝手に決めたこれは悪いことだという、アホらしい常識だけ だ。そんなものに縛られるなんて、馬鹿みたいじゃないか?﹂ 絶対的に会話がかみ合わない。 会話をする以前の問題で、かみ合っていないのだ。 会話を成立させるためには、相手が言葉を理解しているとか、あ る程度の前提条件が必要だ。 価値観が全員同じということはありえないが、根底の部分で善悪 の区別は大まかにある。人を殺したらいけないとか、泥棒はいけな いとか、大体の人間に共通しているはずだ。 1034 それらは言わなくても分かることで、わざわざ理由なんていらな い。何となく、本能的に分かっている。絶対的にそれらは悪いこと なのだ。 全ての事柄になぜ? をつけると、全てに意味も理由もなくなっ てしまうのだ。 だからこそ、ある程度のところで理由もないような、絶対的価値 観が必要だ。 だが﹃勇者﹄はそこから破綻している。基本的な前提条件から違 う人間と、話がかみ合うわけもない。 ﹁だから、オレは思うままに生きる。オレの行動は他人の言動や価 値観に左右されるんじゃない。全てオレによって決定されるんだ。 解り合おうとか思うな。オレはお前らから見て絶対に悪だし、永遠 に更正なんて不可能だ﹂ ドラは、長々と語った﹃勇者﹄をじっと怨むように睨み続けてい る。 ﹃勇者﹄は自分の価値観の一部を吐き出して満足したのか、とた んに笑顔を作り、これまでの全ての会話を無駄にする言葉を口にし た。 ﹁⋮⋮で、オレに長いこと喋らせてる間に策は思いついたか?﹂ ドラは厳しい表情を崩し、困ったというように首を振る。 ﹁それが全然でな、ほとほと困り果てているところじゃ﹂ その言葉に熱は篭っておらず、今までの全てが演技であったこと を示していた。 ﹃勇者﹄はニヤリと笑い、会話の最初の頃のようなフランクな口 1035 調で訊いた。 ﹁でも、魔力は十分溜めてんだろ?﹂ 今度は本当の動揺がドラの顔に浮かんだ。 ﹁最初ッからお前は、﹁喋るタイプ﹂じゃねェなとは思ってた。そ んなお前が話しかけてきたんだ。だとすれば、理由は時間稼ぎしか ないだろ? 魔物と人間の魔力放出構造は割りと近いらしい。特に 人間の姿にもなれるお前なら尚更。人間はでかいの撃つには大分時 間がかかる。つまり︱︱一撃必殺の為の魔力を溜めてるってわけだ﹂ ﹁⋮知ってて、なぜ乗った?﹂ ﹁見たいっていうのもある⋮⋮けど、最大の理由は、お前の夢も希 望も︱︱お前の全てを殺してから殺してやりたいっていうのがある からだな﹂ どこまでも不遜で傲慢な考え。 それ以上ドラは何も言わなかった。本来、戦いに言葉はいらない と思っているからだ。 瞬く間に少年の姿から緑青色の龍へと変貌を遂げる。風格すら感 じさせるその身体から流れていた血は既に渇いており、﹃勇者﹄は ﹁傷の治癒もあったか﹂などと呟いている。 渇いて変色した黒い血が付着した翼をはためかせる。平原には暴 風が吹き荒れ、眼も開けることすら困難なほどだ。 ﹃勇者﹄はそれでも何もせず、子供のようにワクワクしながら待 った。 龍は風に乗って、一気に上空へと舞い上がる。 それでも﹃勇者﹄は何もしない。 1036 相手の姿が米粒ほどにしか見えなくなったところで、﹃勇者﹄は ぼんやりと呟いた。 ﹁おー、こうしてみるとジャンボジェットよりでかいんじゃね?﹂ ﹃勇者﹄の言葉が正しいかどうかはさておき、対流圏の中間まで 届いたところでドラは止まった。 ドラは一度思い出す。昔の自分を。里が壊れるからと、戦わず王 座についた頃の自分を。 じっくりとイメージを固めるために、ルーチンワークとして久々 に詠唱のような呟きを始める。 ﹁其は全ての上に君臨するもの︱︱其は全てを浄化する神聖たるも の︱︱﹂ 暗闇に光がとある深海魚のように漂い、徐々に形作られていく。 不確かな光はドラの口元に集まり輝きを増していく。形は四角か ら球体へ。 創るのは自分の昔の名前に刻まれたあるモノ。 ⇔ ハイノ平原から数百キロ離れたところで、最近ドラゴンを見たあ る商人は、突然の輝きに目を覚ました。 孤児院から馬車に乗ってアースへと向かっていたヘンリーは、ふ いに光を感じて幌の端から外を覗いた。 退却を始めていたギルフォードは、突然の光に眼を眩ませた。 1037 そして全員が空を見上げると︱︱そこに闇は一かけらも存在せず ︱︱圧倒的な輝きを放つ球体が存在していた。 全員が昼と夜が逆転したような錯覚を覚えた。 ある人間が言った︱︱あれは太陽だ。 それはたとえではなく、ほぼ全ての人間がそう思った。 次の瞬間︱︱。 太陽が墜ちてきた。 1038 第九十九話 莫大な光を放つ球体が、熱と共に一体の龍の目の前に出現する。 クリエイト・ラー その光はどこまでも白く眩しく、まさに真昼の太陽を思わせた。 ﹁創造太陽﹂ ラー かつて全ての龍の頂点に立った彼は、今一度昔へと遡る。 捨てたはずの名前。唯一太陽の名前を冠することを許された龍の 王にして神。 里どころか、一つの国を滅ぼしてなお余りある人知の及ばぬ力。 それは最早攻撃ではなく、神の裁きにすら見える。 ヤッベェ、超ワクワクして そんな強大な力を向けられるのは、ただ一人の人間。 ﹁ハッハハハ!!! オイマジかよ! きた!!﹂ この言葉さえなければ、善の﹃勇者﹄が悪の龍と戦っているよう に見えるかもしれない光景だが、既に台無しである。 光の球体は、﹃勇者﹄自身がジャンボジェットくらい、と言った ドラの何倍も膨れ上がり肥大していく。 これ以上見ていると失明しそうなほどに輝きを増し、君臨する平 原の温度が急激に上がった。 やがて、重苦しく厳かな声が夜とは思えない明るい空に響く。 ﹁墜ちろ天﹂ その言葉を合図に、莫大で強大な太陽が地上へと、ただ一人の人 間を殲滅するために︱︱墜ちた。 1039 視覚も聴覚も閃光と轟音に遮られ、感覚機能が正常に機能しそう にない。 天変地異。そういった言葉が当てはまりそうな現状。世界の終わ りにすら見えた。 太陽は落下する。天は地に墜ちる。 全ての人間が生物が恐れ慄き、恐怖に身を震え上がらせる。 ただ一人を除いては︱︱。 ﹁スゲェよ!! あァ、スッゲェ!!﹂ 笑いながら﹃勇者﹄は一人で墜ちる太陽に立ち向かう。まるで全 ての生物を守るかのように。その姿はまさに﹃勇者﹄だった。 墜ちる太陽は迫っている。 ﹁でもな︱︱﹂ 閃光が平原を包む。全ての人間の眼が眩み、瞬間的に誰も視認出 来ない空間が出来上がる。 終わった︱︱。大体の人間がそう思った。 しかし、﹃勇者﹄だけは︱︱どこまでも不遜に傲慢に言い放つ。 自らの勝利を。敵の敗北を。 ﹁全ッ然駄目だ!!!﹂ ⇔ 閃光の後、一人の人間が眼を開けた。いや、開けることが出来た。 1040 つまるところ︱︱その人間は死んでいない。 生き残った彼は別段、強くも弱くもなく、特別な力を持っている わけではない。兵士として極めて平均的な能力を持っている存在だ。 そんな彼でも生き残った。この事実が示すところは何か。 恐る恐る周りを見渡した。そこには︱︱以前までと変わらない暗 闇と、焼けた平原が広がっていた。 それはあまりにも、先ほ どと変わらな過ぎる光景。何ものも消えていない。 今自分がいるここが夢なのか、それとも太陽が墜ちてきたのが夢 なのか、何が現実で何が夢なのか分からなくなってしまう。そんな 光景だった。 ⇔ ドラは結果を見るまでもなく悟っていた。自分の敗北を。 太陽が墜ちる直前、見えてしまった︱︱光の壁。幾重にも重なっ たそれらが、自らの放った太陽を包む姿。それによって衝撃を抑え 込むつもりだろう。それらを何百何千と割ったところで、敵は何千 何万といくらでも増していくだけだ。 あちら 明らかに足りない。強い故に見えてしまう勝負。 異世界の人間とは実にデタラメだ。 そう、心の中で悪態をついた。 閃光が消え去った平原は、何も無くなってはいない。 やはり、と言う気も起きなかった。 自分の死は間違いなく迫っている。カウントダウンは10を切っ たところだろう。 ドラはそこまで簡単に予想出来てしまう自分に半ば呆れた。 9。 完全に閃光が消え去って、太陽の影はどこにも見当たらなくなっ た。 8。 1041 眼下には人間らしき無数の黒い点が、身の安全に気づいたのか蠢 きだした。 7。 微かに地面を蹴る音が聞こえた。 6。 ここでようやく力を使い果たした脱力感が襲ってきた。 5。 不自然な風を身体に感じた。 4。 一つの点が迫ってきているのが見えた。 3。 熱かった身体が急速に冷え込んでいくのが分かった。 2。 点の輪郭が見えてきた。 1。 眼前に光剣が見えた。 0。 首が︱︱落ちた。 ⇔ ﹁よっと﹂ ﹃勇者﹄は風を操作し、舞い上がった身体を無事、固い地面へと 着地させた。 ﹁よっと、ってオッサンかよオレは⋮⋮まだ25なんだけどなァ⋮﹂ 自分で言っておいて勝手に沈んでいるその姿は、とても﹃勇者﹄ には見えない。それに25と言っても、張りのある肌や、通常時な 1042 らば、比較的整った部類の顔のせいか年齢よりも幾分若く見える。 着地して少しすると、今度は地響きのようにドスンと重い音が、 血の雨と共に平原に響いた。 音の正体は、空から降ってきた、首が切断された龍の死体。 顔面に生温かい血を浴び、ぺろりと舌で舐めて落胆したのか顔を 顰める。 ﹁旨いわけじゃねェな⋮。人間のと大して変わんねェ⋮﹂ 血が美味しいか、と聞かれればそれは甚だ疑問というか、この場 に普通の人間がいたならば、そもそも食べるものじゃないというツ ッコミが返ってくるだろう。 しかし残念なことに、普通の感性を持っているであろう彼の部下 は未だ眠ったままだ。 それを確認してから、物言わぬ死体と化した龍に語る。 ﹁確かにお前のは凄かった。けどな、お前はオレに時間与えすぎだ。 あんだけ時間ありゃいくらでもなんとかなる。もし、本物の太陽な ら放射能で死んでただろうし、大きさ的に出来上がった時点でオレ は熱で蒸発してた。どっちもなかったってことは、結局、太陽のよ うに見える何かってだけだ。んなんじゃ足んねェよ﹂ 当然、返答はない。 吐き出したその言葉は一つの例外もなく夜の闇の中に消えていっ た。 ⇔ ギール王城内 1043 一人、王は玉座に鎮座して報せを待っていた。 人払いはしてある。こういう時は一人でいるのがいい。 どうにも他人がいると、緊張が目に見えて、こちらまで浮き足だ ってしまいそうになるからだ。一人で静かに待つのが一番だ。 白を基調とした空間内にはカーテンが締め切られ光など点ってお らず、昼の厳かな静寂とは対照的な別種の不気味な静寂が漂ってい る。 歯がゆい。何も出来ない自分が。 待つことしか出来ないのだ。実力とかそういった理由ですらなく、 王であるというだけで戦場には立てない。王を戦場に立たせるのは 国の恥で、諸刃の剣だからだ。 時間がとても長く感じる。ここまでの数時間が、今までの人生と 同じくらいにすら思えた。 やがてやってきた、ノックの音。 このノックはどちらだろうか。凶報か吉報か。 祈っても結果は変わらないと分かってはいるが、祈らずにはいら れない。 ﹁入れ﹂ 不気味な暗い部屋にドアの向こうからランプの明るい光が差し込 んだ。 だがそこにあったのは、光とは対照的に暗く沈んだ人間の顔。 最早、内容は訊くまでもなかった。 ﹁クロノ殿は負傷し戦闘を離脱。突如として現れたドラゴンも、﹃ 勇者﹄に敗北しました⋮﹂ クライスはその言葉に動揺を見せず、一言﹁そうか﹂とだけ言っ た。 1044 連絡係の男は沈痛な面持ちになったまま、それ以上言葉を発しな い。 クライスはおもむろに玉座から立ち上がる。 ﹁どちらへ⋮?﹂ ﹁避難するだけじゃよ﹂ ﹁でしたら護衛を⋮⋮﹂ ﹁いらん。それより、城に残った者を逃がすのに尽力せい﹂ ﹁ですが⋮﹂ ﹁くどい。落ち合う場所はこれに書いておるから、一時間くらいし てから開け﹂ クライスは連絡係の言葉をピシャリと遮って、手に持っていた紙 を渡すと、追いすがる男を無視して、そのまま無駄に広い城内へと 消えていった。 ⇔ クライスに敗北の報せが届いてから一時間後。 ﹁負け⋮⋮か⋮﹂ 敗北の報せはナナシのところにも既に届いていた。 城内にいたナナシはその報せを聞いて、騎士団の修練所内に来て いた。 1045 現在敗走をしている騎士団が戻ってくるとしたらここだろうと踏 んだからだ。 誰もいない修練所内に一人でいると、ふと昔の記憶が蘇ってきそ うになる。 ﹁あれ? 負けるのってこんなに悔しかったっけ⋮あはっ⋮⋮﹂ 一人でそんなことを呟いていると、突如として扉が開いた。 すぐさま顔の表情を繕ってそちらを向くが、当然誰かは分からな い。足音からして一人だ。 ﹁誰?﹂ ﹁私です⋮﹂ 声に聞き覚えはある。確か、陛下に連絡をしにいったやつだ。 息遣いが荒い。よほど急いできたのか。心なしか声が震えている 気もする。 ﹁あのこれを見てください⋮﹂ ﹁いや、私眼見えないんだけど⋮﹂ 一瞬嫌味かと思ったがすぐさまその考えを頭から消した。流石に こんな時にふざけている馬鹿はいない。 紙を広げたような音がしたことから、おそらく見せたいのは紙の 内容だろう。 ﹁悪いけど口頭で﹂ 1046 内容を話すよう促すと、堰を切ったように一気に喋りだした。 とても聞き取りづらい速さだったが、重要なところは理解出来た。 だからといって、今更どうにもなりはしない。聞いたところ、一時 間前の話らしい。時間的にもう追いすがることは不可能だろう。ど この地下通路を使ったかも分からない。方角からして今回使ってい ないどこかであろうが、それにしても間に合わない。 そこまで考えていたナナシの耳に、再び扉が開く音がした。 今度は足音からして集団。どんな集団かは考えるまでもない。 ナナシはそちらに顔を向けて、やってしまったという顔で、絶望 的なこの国の﹁最強﹂の情報を、呟くように告げた。 ﹁陛下、地下通路通って、一人で戦場に行ったってさ⋮⋮﹂ ⇔ レオンハルト側の兵士の一人は進んでいた。 ギール帝国の思わぬ反撃にはあったが、結局は勝ち戦だ。その証 拠に敵は敗走して、こちらが追い詰めている。 気分は高揚している。 ここからは狩りだ。獲物を狩るだけの戦ですらない狩り。 殺してはいけないなんて制限は今回ない。民間人はこんな場所に いないからだ。 思うが侭に全てを蹂躙する。 それだけ︱︱のはずだった。 先を進む兵士の目の前にふと、人影が見えた。 気になって近づくと白髪頭の老人だった。とても軍人には見えな い。かといって民間人ではなさそうだ。 左手には変わった形の帽子らしきものが見えるが、暗くて全体像 が把握できない。 1047 その老人は、低く重い声で、凛とした顔で、言った。 ﹁ギールクライスという者じゃが、そちらの大将と少々お話をさせ てくれないかの?﹂ 1048 第九十九話︵後書き︶ 次回は炎の建国記書いて、百話目で戦争編第二部終わり ラストは第三部戦争編:シュガーでようやく終わりかな 1049 第百話︵前書き︶ 百話なのに主人公が出てこない異常事態。 1050 第百話 全方向を人に囲まれながら、王︱︱クライスはまるで罪人のよう に護送されていた。右手には王の証として分かりやすく王冠を握っ ている。むしろどんな形であれ、護送されていることは幸いかもし れない。もし最初に会った人間が好戦的で考えなしな野蛮な人間だ ったとすれば、こう上手くは行かなかったはずだ。好戦的であって も、最低限の知能を持っている人間であってよかったと、己の幸運 をかみ締めるべきだろう。 焼けた平原に充満する嫌な火薬の臭いに鼻を覆いつつ、王は敵の 先導に従い、灰になった草を踏み分けて進む。 ︱︱再生にはまた時間がかかりそうじゃな。 先祖が燃やしつくし、荒れた地となっていたハイノ平原の緑化活 動がまた白紙になったことを、顔には出さず郷愁にひたり軽く嘆い た。 こんな時でも、クライスは冷静にこの先の未来を思い描いていた。 王とは常に冷静でなければならない。 王の動揺は敵︱︱よりも下に波及し、戦意を失わせ士気を削ぎ国 を混乱に陥れる。そんな王は真の王ではない。愚王だ。国にとって ただの枷にしかなり得ない。故に決して下の者に動揺は見せてはい けないのだ。 王は心と考えを切り離し、同一視しない。どんなことを思ったと しても、そこに自分の感情を挟んではいけない。感情に感化されて は冷静な判断を下せないからだ。どんな非常な決断だろうと、国の 利益を考えなければならない。 そうクライスは信じてここまでの生涯を過ごしてきた。 その経験が、こんな状況にあってもクライスをひたすらに冷静た 1051 らしめた。 途中、死後間もないと思われる龍の死体を通り過ぎ、少し進むと、 その先には一寸先も見えないような暗い平原が広がっている。上を 見上げると、いつの間にか黒い雲が月を覆っていた。 再び視線を闇に戻すと、先の見えぬ闇の中にあって、一箇所だけ 穴が開いたように白い点となって光輝いている場所がある。 ︱︱あそこか⋮。 これから連れて行かれる檻に適当な目星をつけ、クライスはすぐ に視線を外した。 今は敵陣のど真ん中。どこもかしこも敵だらけだ。クライスが珍 しいのか、それとも集団で歩いているからなのか、よく奇異の視線 を感じる。これでは本当に罪人の護送のようだ。処刑前、市内の衆 目に晒され処刑台に連れて行かれる罪人。 ︱︱まあ、大して変わらんな。 下らない考えを抱きながら、クライスは進む。 やがてたどり着く光の点。近くで見ると、白い幕に覆われた野営 場所らしく見えた。内部に光源があるらしく、中から幕をすり抜け た光が漏れている。外観の第一印象は簡素で粗末、しかも狭い。人 が10人ほど入れば一杯だろう。少なくとも王が出向くような場所 ではない。 聞くところによると、開始前、敵の本陣はここから大分離れた場 所にあったらしいので、急ピッチで移動したのだろう。 入り口の前にいる見張りのような兵士にクライスの身柄が引き渡 される。 1052 ﹁どうぞこちらです﹂ 一礼した慇懃な口調の兵士に言われ、白い幕の中へと入った。 中は予想通りの狭さ。木製の簡素な椅子が二つに、一般家庭用並 に小さいテーブルが一つ配置されているので、恐らく10人も入ら ない。 椅子の片方には既に主が座っていた。 黒髪で黒眼、年齢は20になるかならないかといったところか。 髪は乱れのないストレート。体格は可もなく不可もなく、普通とい う言葉がしっくりくる。パーツ個々よりも揃い方が良いので、目鼻 立ち自体はそこそこいい部類に入るだろう。黒髪黒眼ということを 除けば、そこら辺の青年と言われても違和感はない。 誰だかは訊くまでもなかった。 青年はクライスの姿を認め、部下を下がらせた後、すっと椅子か ら立ち上がり、落ち着いた動作で会釈し、爽やかな笑顔で口を開い た。 ﹁お初にお目にかかる、クライス王﹂ ﹁こちらこそ、今代の﹃勇者﹄﹂ まずは互いに軽い自己紹介をしようと思ったが、お互いよく分か っているらしく逆に相手の口から自分の名前が飛んでくる始末。 これ以上は無駄だと判断した二人は、挨拶もそこそこに椅子に座 った。 テーブルを挟んで向かい合う王と﹃勇者﹄。両者の間には、互い が互いに刃物を突きつけているような、何者の介入も許さない空気 が張り詰めていた。 最初に沈黙を破ったのは﹃勇者﹄だった。 1053 ﹁ちょっと失礼﹂ そう言って席をはずし幕の外へ、数秒後再び椅子にどっかりと座 りなおす。 ﹁失礼した。少々野暮用があってな﹂ 尋ねる前に自分から野暮用と言ったということは、この後も野暮 用で通す気だろう。何があったか話す気はないらしい。 そう判断したクライスはそれ以上尋ねはしなかった。そもそも、 そんなことを訊ける立場ではなかった。 ﹁さて、用件を訊こうか﹂ ﹃勇者﹄が腰を落ち着けて尋ねるその様からは、老獪さすらも感 じてしまう。 ﹁先方そちらに伝えたとおりじゃ﹂ ﹁和平交渉か﹂ 間髪入れずに答えた﹃勇者﹄の表情は読めない。どこまでもポー カーフェイス。 ﹁左様じゃ﹂ 肯定とばかりに頷いたクライスに対し、﹃勇者﹄は顎に手を当て て言った。 1054 ﹁些か、都合が良すぎるだろう、それは﹂ 毅然とした態度ではっきりと﹃勇者﹄は和平を否定する。 ﹁こちらはそんな交渉に応じる必要はない。このままでも十分落と せるからな。そちらの戦況が悪くなったからといって、慌てて交渉 に来るなんて都合が良すぎると思わないか?﹂ ﹁至極尤もな意見だ﹂ 得心いったといったという顔でクライスは大きく頷いた。 ﹁じゃから、今回参ったのは名目上和平交渉じゃが、実質的には違 う﹂ ﹁ほう? ではなんだ?﹂ ﹁これを﹂ クライスがそう言って懐から取り出したのは、一般の人間が見れ ばなんて無駄な飾りつけだろう、と思うほど大きくギール帝国の紋 章が象られた紙が何枚も重なっている。 そんな紙を机の上に置いた。 ﹃勇者﹄は何も言わずその紙を受け取り、内容を吟味し始める。 領地、領民、その他諸々の諸権利等の名前が並んでいる。そして その下には ﹁これを譲渡する︱︱︱か。全面降伏、と受け取ってもいいのか?﹂ ﹁まあ、そういうことになる⋮かの﹂ 1055 実際にはこの条文に意味はない。結局やることは変わらないのだ。 問題は、道義上譲りうけたという名目。しかるべき手続きを踏んで 正当に手に入れたということ。 ﹁条件は? 無条件降伏というわけではないだろう?﹂ ﹁こちらの領民の非奴隷化。それと助命かの﹂ ﹁厳しいな。今回はこちらの損害も相当だ。何人も死んだ。それを 誰も殺すな、では下は納得しない﹂ ﹁儂の首でも晒すがいい。くれてやる﹂ 別段何か思った顔でもなんでもなく、あまりにもあっさりと、平 然とした顔でクライスはそう言った。自分の命を捨てる発言。 流石の﹃勇者﹄もこの発言には眼を細めた。 ﹁正気か?﹂ ﹁正気だとも。それでは足りんか?﹂ ﹁いや、そうじゃないが⋮﹂ うろたえる﹃勇者﹄に何をくだらないことを訊いているんだ? という顔で即答するクライス。 ﹁一国の王がそんな簡単に命を捨てていいのか?﹂ ﹃勇者﹄の問いにクライスは、軽く微笑みながら王を語る。 1056 ﹁王とは、常に決断を迫られるものじゃ。どうすれば国︱︱ひいて は国民にとって最善か。以前、儂はある若者にこう言った。﹁大を 救うために小を切り捨てる﹂そして︱︱今回、切り捨てるべき小が 儂だっただけの話よ﹂ 力強く言い切ったクライスの言葉に﹃勇者﹄はなにも答えなかっ た。 クライスは自分の前で手を組み、先を急かす。 ﹁して、受け入れてくれるかの?﹂ ﹁其方の言い分は分かった。条件としても申し分ないだろう﹂ 紙の束をつまむようにして持ったまま﹃勇者﹄はすっと立ち上が る。 そして﹃勇者﹄は︱︱﹃勇者﹄としての顔を引き剥がし、獰猛な 殺人鬼の笑みを持って︱︱紙を真っ二つに引き裂いた。 ﹁だが断る﹂ クライスは立ち上がらず無言のまま︱︱会話の途中溜めていた魔 力を︱︱足元から灼熱の炎に変えて全方向に迸らせた。 ハイノ平原を︱︱再び灰にするように。 ⇔ 色々な国にある昔話というのは、ある意味でその国の歴史を示し ている。とある国には勇者の話、また別の国には龍の話といった風 に、ある程度歪曲されているかもしれないが、紐解いていくと大体 1057 が事実だ。 そしてギール帝国にもそういった類の昔話は多数あり、枚挙に暇 がない。その中でも最も有名な昔話として、広く知られているのが ハイノ平原の話。 ギールという国の歴史は、ハイノ平原から始まったと言っても過 言ではない。 内容は実に簡単だ。 一人の若者が、平原に住み着いていた盗賊の根城ごと平原を燃や し尽くした。 無駄な形容詞等の言葉を省いて要約すると、内容の大半はこれだ けで事足りる。 盗賊が住み着いた時代背景には、前統治国家が二百年ほど前魔物 に滅ぼされたというのもあったりするが、昔話ではそこまで詳しく 語られてはいない。 平原を燃やし尽くしたと言えば、実に簡単なことのように思える が、普通の人間にそこまでの魔力はない。魔力量は絶対に成長しな いので、きっとその若者というのは俗に言う天才だったのだろう。 しかも、稀代の。 では、そこまで強大な力を持った若者が最後にどうなったかとい うと、昔話の最後にまでしっかりと示されている。 若者は王になりました。 実際の所は、東の無法地帯の殲滅や、様々な紆余曲折を経てはい るが、これが真実であることに変わりはない。 この国で最も有名なこの話は俗にこう呼ばれている。 ﹃炎の建国記﹄ ⇔ 1058 燃え上がった炎は、地面を迸って全ての方向に広がり敵を悉く焼 き尽くす︱︱はずだった。 だが現実は違う。クライスの足元で燃え上がった炎は、一瞬大き く燃えた後、瞬く間に消えてしまったのだ。 魔力が足りないなんてことはあり得ない。クライスは紛れもなく この国で最高の才能を持っていた。 ﹃勇者﹄に水を掛けられたわけでもない。その程度で消えるよう な炎ではないし、何かした素振りはも見えない。 ︱︱何が⋮⋮ 思考を働かせるが、上手く機能していない。焦りからか息が上が る。意識が遠のきそうだ。呼吸が苦しい。 ︱︱呼吸? どんどん追い詰められている感覚。それでもクライスの脳は解答 を導き出せない。いや、出せるわけがなかった。 代わりとばかりに﹃勇者﹄が愉快そうに解答を出す。 ﹁何で自分の炎が消えた? って顔してんな。ハハッ!! 答えは 簡単だよ。酸素の欠乏だ﹂ 酸素︱︱未だこの世界にはそんな言葉は存在していない。故にク ライスは、その可能性にも、﹃勇者﹄が言っていることにもたどり 着かない。 ﹁風属性ってのは、意識すれば気体別で操れるんだ。存在を理解し ていれば、だが。今回はお前の周囲10cmの酸素濃度を極端に薄 くした。残念なことに完全に排除は出来ねェんだよな。火は酸素が 1059 なきゃ燃え上がらない。酸素の薄い空間で火なんてつけたら、すぐ に僅かな酸素は消えちまう﹂ 倒れそうなクライスは、おぼろげな意識で思考が出来ない。﹃勇 者﹄が何を言っているのかも理解が出来なかった。 ﹁今時小学生でも知ってる話だ。まァ、オレ小退だけど﹂ クライスには、自虐気味に笑う﹃勇者﹄の顔すらも歪んで見えた。 そもそもの話、視界が揺れている。 ﹁科学のかの字も知らないこの世界の人間には難しかったか?﹂ ついにはあざけるように笑う﹃勇者﹄の顔を見ることすら叶わず、 クライスは朦朧とした意識のまま床に倒れ伏︱︱さなかった。 残っている。自分が。 アメリカンコーヒー並に薄い意識でも、まだ意識はあった。そし て、それだけあれば十分だった。 どれほど身体が辛かろうと、意識さえあれば何とか動かせる。 朗々と語っている﹃勇者﹄に向けて、混濁した意識のまま重たい 身体を動かした。魔法を使っている場合ではない。イメージ出来る ほど脳は機能していない。 ただ、思うだけだ。 ︱︱殺す。 純粋なる殺意を滾らせ、無意識に、服に忍ばせた鈍く光る短剣を 取り出した。 生涯で最大の全速力を持って、眼と鼻の先にいる﹃勇者﹄の脳天 に短剣を刺しにかかる。 1060 耳障りな甲高い金属音が響き渡る。クライスの手を襲う痺れ。舞 う︱︱短剣の刃先。 刃先が折れた。いつの間にか﹃勇者﹄の前に作られていた光の壁 に負けた結果。 ﹁こいつを割りたきゃ、対戦車ライフルでも持って来いよ﹂ 絶望的なまでに足りない力。一太刀すらも届かない。これこそが、 世界最高の才能を持ってやってきた﹃勇者﹄。 ﹁じゃあな﹂ クライスの耳にその言葉が届くと同時に︱︱首が宙を舞っていた。 ⇔ 騎士団詰所 修練所内 修練所内は纏まりのない喧騒に包まれていた。理由は一つ、クラ イスの手紙の内容だ。 ナナシは一人で内容を反芻する。 ﹁首と引き換えに助命を嘆願するが、おそらく失敗するだろう、か﹂ 既にクライスの手紙には事の顛末が予見されていた。命を引き換 えにしても降伏は受け入れられないだろうと。 実際、考えれば分かることだ。ここまでの敵国の侵攻した国の惨 状を見るに、今まで、唯一の国も降伏をしなかったわけはない。そ れでも、全てが滅ぼされているということは、つまり︱︱端から降 1061 伏を受け入れる気などないのだ。ましてや、こちらは他と違って多 大な被害を与えている。降伏を受け入れる義理はない。 クライスがそこまで分かっていながら、あえて向かったのは、あ わよくば﹃勇者﹄を殺すというのもあっただろうが、本当は戦争の 泥沼化を防ぐためだろう。 王が生きていれば王を守る為に、兵を割き勝ち目のない敗走をし なければならない。その間にも幾多もの味方が死んでいく。勝ち目 がない敗走を避け、被害を減らすというのが本来の目的だろう。 しかし、やはり王の死が兵に与える影響は大きく、現在、喧騒に 包まれている状態だ。 ﹁黙れお前ら!﹂ 一際大きく低い声が響き、全員の視線がそちらに向く。 ﹁お前らが今やるべきことはなんだ? 無駄に駄弁ってることじゃ ねえだろ!? 手紙の最後には﹁民間人を優先に避難せよ﹂書いて あっただろうが。今やることは、城に残ってる使用人たちを逃がす ことだ。それと、街にまだ人が残ってるかもしれん。分かったら、 街の見回り班と城内の見回りで二つに分かれろ!! 分かったら行 け!!﹂ 団長の熊のような怒声は瞬く間に広がり、騎士団たちはテキパキ と二つに分かれて蜘蛛の子を散らすように修練所内を出て行った。 後に残されたのは騎士団長と盲目の軍師だけ。 ﹁意外、だね。アンタがこんなに冷静だとは思わなかったよ﹂ ﹁うっせ。他の隊に手紙の内容は?﹂ 1062 ﹁とっくに伝えた﹂ ﹁そうか﹂ 暫しの静寂が二人を包んだ。 会話が持たない。普段ならこういう時はナナシからおちょくるの だが、そんな気分にはならなかった。もっと別のことが頭を占めて いたからだ。 ﹁なあ、ナナシ﹂ ﹁なにさ﹂ ﹁俺は今でもあの時、お前を向かわせたことを後悔してる﹂ ﹁そんな辛気臭い話は聞きたくないんだけど?﹂ またそのことか、と言わんばかりにナナシは呆れ顔だ。 ﹁まあ聞けよ。あの後さ、お前は俺に﹁正しい判断を下した﹂って 言ってた。でも、怨んでないとは一言も言わなかったよな﹂ 少しの時が止まる。 ナナシはまさか、ギルフォードがそんなことを言うとは思ってい なかった。 少し考えてから、冷静に淡々と言葉を返す。 ﹁⋮⋮怨んでない、と言えば嘘になる。でもしょうがないんだ。結 果は変わらないよ﹂ 1063 ﹁そうだな⋮。あーーもう、なんつーか上手く言えないな。何か、 こう⋮⋮話が繋がらん﹂ まどろっこしい言い方でも何を伝えようとしているのか、ナナシ には多分、分かった。きっと、自分が訊きたかったことの回答が言 おうとしていることだからだ。 ﹁⋮アンタが何を言おうとしてるか、当ててやるか?﹂ ﹁おう、言ってみろ﹂ ﹁アンタは死ぬ気だ﹂ 核心。他人では、ナナシ以外に導き出せないであろう回答。ギル フォードの眼は鋭くなり、ナナシを見つめている。 ﹁もう敵はそこまで迫ってる。全員は逃がせない。何人か残って時 間を稼ぐしかない。そして、残ったやつに待ってるのは死だ。きっ と、﹁殺したいほどに俺を恨んでるなら安心しろ。今から死ぬから﹂ とか言うつもりだったんだろ?﹂ ﹁⋮けっ、お前は占い師か何かかよ﹂ 諦めたように吐き捨てたギルフォードにナナシはからりと笑う。 ﹁話題の切り出し方がへたくそなんだよばーか。私以外だったら分 かんないでしょ﹂ ﹁お前みたいなのが何人もいてたまるか﹂ 1064 心底うんざりといった調子で首を振るギルフォード。 再び数秒の静寂が二人を包んだ。 ﹁私も知ってたさ。誰か残んなきゃいけないっていうのは。アンタ が残るってんなら、騎士団は大体残るよね。騎士団全員残れば十分 時間稼げるかなー。魔導隊はチヤホヤされすぎて、そんな根性ない だろうし﹂ ナナシはあえて軽い調子で重い話題をべらべらと喋る。 ﹁いんじゃない? それで。それともなに? 止めて欲しかった?﹂ ﹁いいや、全然﹂ ナナシは笑顔は崩さずに、まるで他愛もないことのように軽い調 子で最も重要なことを口にする。 ﹁まあ、私も残るけど﹂ 大げさな落胆と諦めの色が混じった溜め息が吐き出される。 ﹁はぁ⋮⋮知ってたよ。言うと思ったよ﹂ ﹁なんだ、アンタだって占い師じゃん?﹂ ふざけているとしか思えない会話だが、互いに言葉に嘘がないこ とは分かっていた。 ナナシは、顔に手を当てながら声のトーンを一段階下げる。 ﹁私の夢はさ。アンタをそっから引き摺り下ろして、扱き使うこと 1065 だから、それが出来ないくらいなら一緒に死んだ方がマシだよ﹂ ﹁ほんと可愛くねえ奴⋮⋮﹂ ﹁私に可愛さを求めるなんて愚の骨頂だね。アンタに格好良さを求 める並みのね﹂ クスリとナナシは髪の下で笑い、首をコキリと鳴らした。 ﹁さて、ひっさびさの戦闘だ。鈍ってないといいけど﹂ 意気揚々とそう告げ、意識を集中させる練習を始めようとするが ︱︱ ふと、空気が急速に冷えていくような錯覚を覚えて止めた。 誰かが入ってきた音はしない。むしろ静かすぎるくらいだ。とい うことは、原因は一人しかいない。 ﹁何かあった?﹂ 返答はない。いなくなったわけではない。単純に声が返ってこな い。 ﹁無視すんなっ!﹂ 適当に光属性で球体を作成し、ギルフォードがいるであろう場所 へと投げつける。ガツッと音が聞こえ、球体が転がった音が聞こえ た。 それでも返答がない。 突飛な発想だが、いつの間にか敵の攻撃を受け、死んでしまった のではないかという不吉な考えがよぎった。 1066 ﹁ナナシ⋮⋮﹂ ﹁いるなら早く返答返せっての﹂ ナナシは返答が帰ってきたことに安堵したのだが︱︱ 直後、首筋に衝撃を喰らい、意識が飛びそうになる。 ﹁⋮ッ⋮!﹂ ナナシは必死に意識を保ちながら、元凶に対し、怨み言のように 言葉を投げつけた。 ﹁何の⋮真似だよッ⋮!!﹂ ﹁首にやるのは今ので最後にしようと思ったんだが⋮⋮上手くいか ねえな﹂ 先刻注意したばかりのことをナナシが思い出す間もなく、続けざ まにみぞおちに響く打撃音。 ﹁お前は今回参謀でありながら、国を敗北に導くという重大な過失 を犯した。よってここにその権利を剥奪する﹂ ナナシの任命書に書かれていた言葉の通り。 下らない屁理屈だ。ナナシは批難されるような過失は犯していな い。﹃勇者﹄相手の策を他力本願にしたことだってしょうがなかっ ただろう。 だが問題は、この場面でそれが何を意味するのか。 杓子定規的な物言いのギルフォードの言葉に、ナナシは何とか意 1067 識を保たせ頭を働かせるが、どうにも言葉が出てこない。 ﹁つまりだ。今のお前はただの民間人なんだよ﹂ 民間人。 この言葉がナナシの頭に何度もリフレインされる。そして重なる 手紙の内容。あの時の沈黙。 ﹁民間人を優先に避難せよ﹂ 失いかけたナナシの理性でもすぐに分かった。分かってしまった。 ﹁⋮始めから⋮⋮その⋮⋮つ︱︱﹂ ﹁民間人は避難させにゃならんのでな。大人しく寝とけ﹂ 昏倒しかけたナナシの言葉を最後まで言わせず、ギルフォードは 丹田に最後の一撃を加えた。 ナナシの身体は椅子の上でがっくりとうな垂れ、傍目からも意識 がないことは明白。 ﹁好きなだけ怨め畜生。生きろよ糞野郎﹂ 惜別の情を捨て去るように吐き捨てて、ギルフォードはその場を 後にした。 それから約4時間後、呆気なく王都は落とされてしまったが︱︱ そこにあった死体は皆、同じ格好をした騎士のような人間だけであ った。 ギール側、死者442名︵ギール・クライス含む︶という、敗戦 国が戦勝国の死者数よりも3倍以上少ないという異常事態で、ギー ル帝国は事実上の崩壊を迎えたのだった。 1068 1069 第百話︵後書き︶ ギルフォードとクライスとドラは死亡確定。 次回はエピロか、ラストの第三部スタト 1070 ∼エピローグ∼︵前書き︶ 大勢に影響はない話 エピロですらない。 次回からラスト第三部 1071 ∼エピローグ∼ ﹃勇者の夢﹄ ﹁⋮⋮権力者の最期ってのは往々にして醜いもんだ。マフィアのボ スだろうが、どこぞの中東の大佐だろうが、権力者の死の間際って のほど醜いもんはねェ﹂ 足元に転がった首でリフティングしながら、誰もいない幕の中で ﹃勇者﹄は感慨深げに語る。 ﹁案外難しいなッ⋮と。その点、お前の最期は大分マシだった。誇 っていいぞ。ちっと無謀だったけどな﹂ 今現在、リフティングの球となっている相手に言い聞かせるよう に言うも、足を止めることはない。 外から足音が聞こえる。おそらく、中のちょっとした騒ぎを聞き つけた部下だろう。流石にこんな場面見られるわけにもいかない。 つまらなそうにリフティングを中断し、慌てて椅子に腰をかける。 ︱︱それにしてもあのトカゲも大概だったなァ⋮。壁を一万ちょっ と割るとか、正気じゃねェ。 自分でも光の壁の頑丈さに自信があったが、まさかあそこまで割 られるとは考えてもいなかった。自分の考え通り一枚割るのに対戦 車ライフルが必要であれば、あの太陽もどきの威力は単純に考えて それ一万発分ということだ。 1072 ︱︱おお怖ェ。アイツみたいなのも人間とみなすと、人間全部殺す にはどんだけ殺せば足りるんだか⋮。 感心したと同時に憂鬱な考えが頭を支配しかける。 しかし、きっと明日になればクライスのこともドラのことも詳し くは思い出せないだろう。それ以前に思い出すということをしない。 彼はあまり、終わったことに興味がないからだ。印象に残れば別 だろうが、今回は別段印象に残るような殺し方をしたわけでも、相 手でもなかった。快感も普通の人を殺した時とあまり変わらなかっ た。 殺人が彼にとって食事だというのなら、そこには上手い不味いの 区別もある。そしてドラとクライスは、無難な味だった。それだけ の話だ。 彼が印象に残っている殺害相手は生涯で三人だけ。彼ですら感心 する執念を持った女性と、自分が殺した中で最も快感を得られた最 初の二人。 未だその三人を越える極上の食事にはありつけてはいない。 彼の﹃夢﹄は抱いた時から永遠に変わってはいない。 あちらの世界で人間を全部殺すことは不可能ではなかった。ただ、 殺し方が彼にとって不満だった。核や、ウィルス︱︱どうしても兵 器に頼らざるおえない。自分の手に感触が残らない殺し方しか方法 がなかった。感触が残らなければ実感も得られない。それでは意味 がなかった。 仮に手に感触が残る殺し方をしつづけたとして、あちらの世界の 住人は70億人。頑張って5秒に一人殺すとして、一時間で720 人。すると、全員殺すのにかかる時間は約972万時間。一年は8 760時間。単純に計算して全員殺すのに1000年以上かかる。 人間の寿命を考えると絶対的に不可能だ。 彼はその事実に絶望し、殺すことを止めた。だがこの世界は違う。 彼には超人的な肉体があり、5秒に一人だって夢じゃない。それ以 1073 上だって出来る。一箇所に奴隷として集めれば、1秒で十人だって いける。人口も、肥大しすぎたあちらの世界よりは明らかに少ない。 今の彼は﹃夢﹄への挑戦で希望に満ち溢れていた。可能だと信じ それに向けて努力する。全ては︱︱夢のために︱︱。 ⇔ ﹃火事場泥棒とピエロ﹄ 王都壊滅後数日︱︱廃墟と化した王都にその男はいた。格好はレ オンハルト王国の兵士用の服を着ているのだが、どこか落ち着きが なく挙動不審。 瓦礫の中を、キョロキョロと周囲を見渡しながら何かに怯えるよ うにひっそりと進む。 崩れて瓦礫に塗れた商店の跡を掘り返し、金目のものがあれば大 胆にも手持ちの手さげ袋の中に入れる。 そう、彼は正規の兵士などではなく、俗に言う︱︱火事場泥棒だ った。 着ている服は泥棒らしくくすねた。この服を着ていれば瓦礫撤去 などと言えば、大体のことは誤魔化せる。 しかし本職ではない。普段は行商をやっているしがない商人だ。 たまたま、滅亡の噂を聞きつけたのと、自分の収入が芳しくない時 期が重なった。所謂モグリ。 真面目に瓦礫の撤去をしているであろう兵士の横をビクビクしな がら通り過ぎ、どこかいい場所はないかと探してみる。 聞くところによると、領民は迅速に避難したらしいので、金目の ものはしっかりと持ち出されており通常時と比べて見つかりづらい。 ここで彼が本職であれば、研ぎ澄まされた勘により莫大な収入に なったのであろうが、残念なことに彼はモグリだった。ここまで得 たのは、子供の小遣い程度のはした金だけだ。 1074 だが彼にも宛てはあった。自分の店を持っている商人仲間から聞 いた話だが、店によってはいざという時のために、秘密裏に店の中 に地下金庫を作っているらしい。それは当然他人には見つかりづら い場所にあるのだろうし、一般の人間は知らない。 つまり、そこさえ見つければ、どこかの商店の隠し金庫にたどり 着けるはずだ。 そういった邪な考えを胸に抱いて、彼は商店の跡を中心に瓦礫の 中を探し回っていた。 ただ、残念なことに彼は忘れていた。金庫なのだから、簡単に開 けられるわけはないということ。それと、既に避難するときに持ち 出されているという可能性を。 そこまで考えつかない辺りが、商人として損をしてしまう彼の残 念なおつむの弱さかもしれない。 彼はひたすらに瓦礫を掻き分け探ってはみるものの、中々地下へ の入り口は見つかりはしない。その姿は奇しくも、傍から見れば真 面目に瓦礫を撤去している兵士の姿そのものであった。 そうして陽が傾きかけ、10軒ほど回り諦めかけたところで、よ うやく地面の下に扉を見つけることが出来た。地図からして、この 街でも有数の規模を誇る商店だった場所。 高鳴る鼓動を抑え、周囲に人がいないことを確認してから、慎重 に両開きの扉を開いて中へと入った。 中は暗くじめっとした空気が漂っているように感じる。 薄暗く細い階段を慎重に下りていくと、見えてくる黒い大きな扉。 入り口と同じ両開きのタイプ。 問題は︱︱鍵穴が見えること。扉には明らかに鍵穴がついていて、 当然ないと入れないだろうことが容易に想像出来た。 かといってここまで来て引き下がる理由はない。行商で背負った 借金の返済は待ってくれないのだ。 駄目元でとりあえず、重そうな扉をゆっくりと引いてみる。 1075 すると︱︱微かだが動いた。 ︱︱もしかしたら鍵かかってない? 見えた一筋の希望に、藁にもすがる思いでかけてみる。 慎重に扉を引く。扉は軋むような音を響かせながらも開き始め、 中からは光が漏れ出していた。 少し開けたところで一度大きく息を吐き、わずかに開いた隙間か ら中を覗き込む。 中では︱︱人が、宙を舞っていた。それも一人ではない。何人か の顔が円を描くように上がっては下がり、上がっては下がりを繰り 返していた。 先客がいたかと男は落胆しかけたが︱︱ よくみると、それが異常な光景であることに気づいた。 宙を舞っているのは顔だ。顔だけだ。顔から下など、端から存在 していなかった。 生首。 あまりにも恐ろしい二文字が頭を占める。 顔には生気が宿っておらず、虚ろな眼が開きっぱなしという、最 早生首にしか思えない条件が揃っていた。 声を出すことすら憚られた男の視界が、突如として一つの顔で覆 われた。扉の向こうから逆に覗き込まれている。 ﹁⋮ヒッ⋮⋮﹂ 情けない声しか出すことが出来ない男。 扉が開かれる。その先にいたのは︱︱顔面を白いクリームで塗り たくったような赤鼻の怪人。 手は、いくつもの生首をキャッチしては放り投げるという、何か の儀式かと思わせるような狂気的な行動を行い続けている。 1076 男は腰を抜かし、扉の前にへたりと座り込む。 白化粧の怪人の表情は笑っているようにみえるのだが、それすら も男には恐ろしく思えた。 ﹁君は⋮⋮ああ、火事場泥棒か﹂ 何も言っていないはずなのに、ピタリと当てられる。 未知の存在。 目の前の人間はきっと人間ではないとさえ思う。人間の皮を被っ た何かだ。 ﹁酷いな⋮これでも人間なんだけど﹂ 思ったことをずばずばと当てていく怪人。 それが男の恐怖を更に加速させる。 ﹁ジャグリングの練習をしてただけなんだけどなぁ⋮⋮。ほら、首 ってジャグリングの練習には丁度よく歪でしょ? まあ、見つかっ たならもういいや。十分やったし﹂ あの行為が何の練習だというのか。 男はその考えを口に出せず、黙るだけだ。 そんな男に怪人はまるでボールでも投げるように、一つの生首を 放り投げた。慌ててそれをキャッチする男。 ﹁その首さ、ナナシって子に渡しといて。ああ、誤解がないように 言っとくけど、殺したのは僕じゃないからね? ちょっと首を拝借 しただけだよ? じゃあ、またいつか﹂ 顔を精一杯歪ませた笑顔を残して怪人は、始めからそこに存在し 1077 なかったかのように姿を消した。 後に残された男は、いきなり渡された30前後であろう男の首を 抱えたまま、ようやく意味のない言葉を呟いた。 ﹁⋮⋮俺にどうしろと⋮⋮?﹂ この後、男は先の部屋で莫大な金を発見し、これが幸運の首だと 信じて、言われたとおりナナシを探すことになるのだが、それはま た別の話。 1078 ∼エピローグ∼︵後書き︶ 次回クロノ出てこないかも 最期に訊きたい、ファンタジーってなんだっけ? 1079 簡単じゃないキャラ紹介︵前書き︶ 自分でも整理しきれなくなったのでまとめ。 ネタバレにもならないネタバレ。 キャラ持て余しすぎ。 1080 簡単じゃないキャラ紹介 ■ クロノ 主人公。17歳。割と豆腐メンタル。身長180くらい。エクス なんたらは永遠にエクスなんたらで。 冷静でいようとするけど、あまり上手くいかない。剣術は素人に 毛が生えた程度。 家追い出されたり、母親殺したりと、かなりめんどくさい人生送 ってる。 どちらかと言えば、才能主義派。昔の自分の経験からだと思う。 実際は結構根暗。初対面の相手にはコミュ障の気も。 自分の家の事とかは未だに誰にも話してはいない。ドラに話した のも迷いの森のことだけ。 ドラに関しては親友だと思ってた模様。 書いてて一番気持ち悪いキャラ。 ■ ドラ 死亡組。年齢多分400歳くらい。最期は綺麗に首落とされて死 亡。子供にも大人にもなれる。 龍になったら緑青色のジャンボジェット並みにデカくなるらしい。 眼は黄色い。 本名はドラゴヌート・うんたらかんたら・ラー・うんたらかんた ら・バハムートの予定だったけど書く機会がなく、永遠に未登場。 バハムート自体本来がベヒーモスの変形で、ベヒモ自体にあまり良 い印象がなかったというのもあったり。 一応元王。近代化の煽りを受けて追放されるという、龍らしから ぬ理由によってフラフラしてた。王時代の側近がスノウ。 ぼっちだったので、クロノといた時間は楽しかったらしい。 ある意味一番ファンタジーな存在。 1081 ■ リル 多分ヒロインだけど、13だし、ヒロインにはなりきれない残念 な子。属性は風。 ユリウスとマルスが買い取る前に、孤児院の財政難を聞いて自分 一人分の金が浮けばいいなと思って孤児院を出るも、冒険者になる ことに怖気づく。 クロノに拾われてから好意を持つも、家族愛的に見られ相手にさ れず。普段は害はないが、多分メンヘラの部類。 髪は燃えるような赤の短髪。発育は若干遅めで、その事を気にし てる様子。 ユリウスとかとも知り合い。稼げるようになって出身孤児院に久 々に戻ったら、ユリウスとマルスに買い取られてた。 世界の中心にクロノを置いてはいるが、リルの世界にはわずかに 別の人間もいるので、最大限ぶっ壊れることはなかった。クロノの 敗北で信仰心のようなものも薄れた様子だが、依然クロノが中心。 もし、クロノが死んだら後を追うでしょう。その程度のメンヘラ。 まあ、主人公補正でクロノが死ななきゃ良い話。 ■ 勇者 性格馬鹿で正義の味方。やってることは案外それっぽい。永遠の 厨二病患者。現実には存在しえない殺人鬼。年齢は25だけど、日 本人って外国人から結構幼く見えるから、年齢どおり見られること は永遠にない。逃亡生活中に顔を整形した経験あり。 資質だけならオール5。精神のベクトルだけが、変な方向に曲が ってる残念な奴。それさえなきゃりゃ、なんにでもなれた。 一通りなんでも出来る。だが、小学校中退。 銃殺とか色々やったけど、お好みの殺害方法は、刺殺と撲殺だと 殺すうちに気づく。確実に殺す時は首を撥ねる。だが、小学校中退。 基本的に相対主義だから議論とか無駄。いると議論が終わるタイ 1082 プ。だが、小学校中退。 ナメプしてクロノに負けかける馬鹿。だが、小学校中退。 終わったことはあんまり思い出さないタイプ。だが、小学校中退。 本名は白井善治。多分、物語中は永遠に出てこない。だが、小学 校中退。 最近不思議に思っていることは、黒髪は人間の進化の上で比較的 なりやすいはずなのに、どうしてこの世界ではめずらしいのかとい うこと。だが、小学校中退。 この世界でなら電信柱によじ登ってから東京タワーに飛び移れそ うだし、生身で殺しのライセンスとれるんじゃね? とか思うも、 電信柱と東京タワーが存在しなかったのであえなく断念。 ■ ユーリ 超コミュ障。属性は風。妹。13歳 まあ色々どうでもいい設定は詰め込んでいる存在。 異世界転生済み。前世の記憶はある様子。本名は多分○○悠里と かだと思う。気分次第で影浦かもしれませんけど、多分でない。 最初っから出てて、メインキャストになるなる言い続けてイマイ チ持て余し気味。 設定が適当過ぎて処理しきれなくなったキャラの末路。隙あらば 勇者毒殺しようとしている危ない子。 クロノについては覚えていて、昔誰かに探させたこともあるけど、 結局所在不明だったようだ。 主人公以外を転生させたらいいんじゃね? という発想の元作ら れたキャラ。 流石に第三部では頻繁に使おう。 ■ ディルグ 闇帝。冗談です。由来はこれだけど。意味はない。 長男。19歳。顔は中の上。属性は地。唯一魔側で2位だったの 1083 で姉に愚弟と呼ばれる可哀想な奴。ただ魔側自体、色の濃さで判断 とか曖昧すぎて細かい優劣決められないだろ、と今更思う。都合悪 くなったら具体的な数値出すなんかに変えるかも。 直情型。まあ戦場ではある程度正しい判断を下せるようなので大 して問題はないかと。でも挑発には乗る。 プライド高いけど、三人⋮⋮四人の中で一番弱い残念。 最近でもない最近婚約者に逃げられてカリカリしてる様子。ちな みに彼に落ち度はないのに、その事で姉にいびられている模様。 クロノについては覚えていて、よく心の中で罵倒している模様。 こんなんでもぶっちゃけ三人の中で精神構造が一番まとも。 三姉弟の中で唯一、現時点で彼視点のサブタイ付きのお話が予定 されているキャラ。一番人間臭いから。多分タイトルは﹁優の中の 劣﹂ ユーリもあるかもだけど。 ■ マリア 長女。21歳。属性は水。 生まれながらの絶対的勝者を地で行く。多分腹黒。炭よりも黒い。 コミュ障な妹、直情型の弟に代わって実質家の実権を握ってる。 父は無理矢理隠居させたらしい。ミスパーフェクト。 三部で若干の暗躍を見せる予定。最大の出番はエピローグの予定。 家のデザイン調度品の配置、その他諸々に拘りがある様子。 選民思想を持ってはいるが、それを表に出してはいけないことも 知っているので表には出さない。 水さえあればそれを辿ってどこまでも行ける。 最近結婚しないのでレズという噂も立っているが、本人曰く相手 がいないだけらしい。でも多分、そんな物好きは現れない。夫婦喧 嘩とかしたら千の言葉を持って相手を罵倒し、相手の胃に穴を開け るタイプ。だから結婚できないと思われ。 何か眼鏡かけた腹黒秘書みたいなイメージがしっくり来る。 1084 彼女の中でクロノという存在は最初っからなかったことになって いる。 ■ アレク 男。多分19くらい。属性は地。 顔は⋮⋮多分ワイルド系。まあそこそこ。絶対に気品はない。 第三部ではまともな戦闘パートがある予定。 アンナの家とかに追われているらしい。 魔力量は作中でも最低クラス。地属性での造形すらも出来ないレ ベル。石柱とか造れない。出来るのは穴を掘ることだけ。しかも1 ∼2回やっただけで魔力量尽きるカス。 盗賊の時は洞窟を形成する地盤の深いとこの一部分だけを掘って、 崩落させただけ。 ギャンブルは好きだけど、稼ぎをそれに頼ることはしない。やり すぎても眼つけられて出禁くらうから。それとまあ、別の理由もあ るけど、特に意味はない。 元奴隷。農村の三兄弟の次男で幼い頃に両親に売られたらしい。 理由は魔法の才能が三男よりなかったから。ちゃんとした手順で正 当に解放されるってことを望んだのには理由があるらしいけど、そ れは多分後々。ちなみに彼を売った家族は既に全員死んでる。 アンナとは寝食を共にしてはいるものの、手は出していない。身 重になると機敏に動けないからっていうのもあるけど、単純にヘタ レっていうのもありそう。 魔法の才能もないし、ある意味追放された少年的に正しい姿。ク ロノみたく隠された力とか一切ない。 アンナ以外の人間はかなりどうでもいいと考えてる。 自分が弱いことは自覚してるし、戦闘には向いてないのも知って る。冒険者である程度資金貯めて商人でもやろうかとか考えてる。 アンナのお願いは全部かなえてやろうとか思ってるけど、無理な もんは無理。唯一アンナの本質に気づいてる。 1085 彼視点のサブタイつきのお話も用意してるキャラ。多分タイトル は﹁優と劣﹂ ■ アンナ 女。銀髪。多分19くらい。属性は光。 苗字みたいなのは多分バードレール。 顔はぶっちゃけ可愛いより綺麗って部類なのに、口調で全てを台 無しにする残念な子。クロノ曰く貴族風の豪奢な服を着て口さえ開 かなきゃ多分貴族に見える。身体も多分作中最高クラスにバランス がいいはず。 この口調にしたことを後悔しているキャラの一人。 実際のところアレク如きよりは全然強い。人を殺したことはない。 大体アレクが殺してるから。 第三部ではまともじゃないことになる予定。 実は作中最強のメンヘラ。リルなど足元にも及ばないレベル。そ こら辺は多分後々。 アンナの世界はリルと同じ感じだけど、若干違う。リルの世界で 一番大事なクロノは太陽のようなものだけれど、彼女の世界ではア レク自体が世界という感じ。逆にいえばそれしかない。アレク以外 の存在は彼女の世界の中に存在してない。彼女にとって彼以外の存 在はゴミに等しい。 他人から見たらおっとりしている風にしかみえないのが更に質が 悪い。 現在の彼女はある意味で作られた表面上の顔。でもそうなること を望んだのは本来の彼女。 彼女視点のサブタイつきの過去話もあるかも。 ■ ギルフォード 男。死亡組。30歳のおっさん。属性は光。 やられ役のかませから見事栄転を果たしたキャラ。最期は⋮⋮考 1086 えてない。死体から首だけをクラウンに持っていかれ、胴体は首な し死体となっている。知らない間に首がなくなっていたので、敵兵 士の間では幽霊かなにかかとか噂されているようだ。 魔力量は、通常実戦に立てるレベルではない。まあ、凡人にして は頑張った方と言えるだろう。 行く宛てもないと書いたが天涯孤独ではない。叔父とかもいるが 疎遠なだけである。 第一印象は熊。魔法がろくに使えない分鍛えてはいるので、純粋 な殴り合いなら強い。 洪水から逃げるのがギリギリだったのは、二人ほど襟首を掴んで 引っ張っていたからでまったくナナシに落ち度はない。 脳みそはそこそこ。 ナナシを向かわせたことを未だに後悔している。お蔭であんな最 期を迎えた。 自分は聖人のような心の清い人間ではないと自覚している。 ■ ナナシ 性別は不詳。22∼25くらい。属性は光。正直性別はどっちで もいい。 鼻は潰れ、両目と右腕と左足を失くしている。それをやった黒龍 が登場する予定はない。 才能は結構あるけど、実質戦えなくなったので生かされることは ない。 見えない顔は多分、本来ボーイッシュな感じ。まあ女っぽい。で も現状自分の顔の惨状は知ってるので、他人にはほぼ見せない。 メンタルはそこそこ強そう。少なくとも他人に弱いところ見せる 人間じゃない。一人の時とかにひっそりと泣いてそう。 逃げる時は、騎士団の中でも若い連中をギルフォードが選りすぐ って無理矢理ナナシを連れて逃がしたという設定。 書く予定のない設定として、先代の騎士団長に戦場で拾われた孤 1087 児で、騎士団の不遇を聞いてどうにかしようとか考えてたのに、先 代が死んだ上ギルフォードが自分の考えた方法以外で待遇を改善さ せたので、彼に反発してるというのもあるけど書く予定はない。 再登場の予定もない。ナナシ自身戦闘できないし使いづらい。第 三部では余計な作戦はなしで、単純に勇者様ぶっ殺せばいい話だし。 持て余したキャラその二。 実はギルフォードがマジで? とか言ったことを内心、三十路の おっさんがマジで? はねーわとか思ってる。 ■ クライス 男。死亡組。60手前くらいか。属性は火。 国で最大の戦力にして諸刃の剣︵笑︶。勇者に比べればゴミも同 然。 代を経るにつれて初代よりも魔法の力は衰えてる。それでも国で はおそらくトップクラス。 おねしょについての設定は生かされませんでした。 王様としては可も無く不可もなくといった感じ。最期は勇者に無 謀な特攻をしかけ無事死亡。 王に関しては独自の理念とか持ってそう。設定として跡継ぎは息 子が二人いたけど幼い頃に死亡。妻も20年くらい前に死亡。跡継 ぎはクライスの弟辺りが継ぐ予定だったそうな。まあ、直系の子孫 がいたらしっかりと最期にそいつら自分で全部殺したでしょうけど。 無駄に後継者名乗って無駄に兵を殺すよりは家族を殺すタイプ。弟 も殺す気だったけど、先に逃げられてた。 大を救う為に小を切り捨てるっていうのが国を持つ上で基本だと 思ってる。 ■ ユリウスとマルス なぜか再登場を果たしたキャラたち。性別は男。ユリウスは褐色 ハゲ、年齢は40くらいじゃないかな。マルスは相変わらず気弱っ 1088 ぽい。年齢は40くらいだけど、多分童顔。 現在は孤児院もやってる。経理は実質ヘンリーに任せてるけど。 クロノがいなくなったことに気づいて、奴隷商人を探し出して潰 したまではよかったけど、そこにクロノの姿はなく、まあ若干の後 悔を見せた。 しょうがなく奴隷商人に捕まってたヘンリーとかを孤児院に預け るも、再び行くと孤児院の現状があまりにも酷すぎて買い取ったら しい。 なんか知らん間にBランクからAランクに上がってる。ただギル ドランク自体設定として碌に生きてないのも事実。 属性は未定。戦闘パートがあるかも未定。 ■ ヘンリーとメリー なぜか再登場したキャラ2。 ヘンリーは多分17。顔に生意気だった子供の頃の面影はないも のの、内面はまだ生意気。属性は火。戦闘出来るレベルにはない。 ぶっちゃけ奴隷商の警備体制甘すぎだろ⋮。現在は孤児院の経理と か担当。 メアリーは⋮何歳かすら覚えてない。多分15くらい。髪はピン クとか一番正気じゃない。現在は孤児院で洗濯とか掃除とか実に家 庭的なことやってる。大体敬語。多分ヘンリーが好きだけど、まあ 暫く無理。 ■ メギドとザイウスとソフィア モブに片足突っ込み始めた方々。 メギド茶髪。冷静。ザイウス赤髪。馬鹿。ソフィア青髪。冷静。 以上。齢はみんな20前半。ソフィアが実年齢言ってた気もする。 三人ともおそらく幼馴染。ギール王都出身。 ソフィアは親との確執がある様子。その他は⋮ザイウスは親も馬 鹿だろうからないだろう。メギドは知らん。 1089 親との確執について上手くストーリーを繋げられず、もてあまし 気味の彼ら。 第三章で出番はある予定。 ■ クラウン ハイハイチートチート。不老不死の術式を刻んでる。 ありがちな訳知り顔のキャラ。﹁あれはうんたら拳法のなんとか ⋮!﹂とか言ってそう。 初出は第六話。まあどこにでもいると思われる。 基本は道化師の格好。 あっちの世界では人間不信の引きこもりで、フィクションに逃避 してたので映画とか神話とかには詳しい。 超能力者とかいうキチガイ。超能力は単純な読心。範囲は半径1 0kmくらい。ただオンオフの切り替えは出来ない。だからクラウ ンの頭の中では常に心の声が何百と鳴り響いている。だから更にう るさくなる人ごみは嫌い。ただ年に一度人の多いところに姿を現す。 ジャグリングもそのためっぽい。そこら辺は多分後々。 年齢は⋮多分何万歳。 読心の能力によって世界の声を聞いて、世界自体に意思があるこ とに気づいた。 この世界が戦乱を望んでいて、その火種として連れて来るのが勇 者。まるで偶然のように術式を発生させて連れて来る。世界は勇者 の無意識に囁いて、怒りとかを増長させて、戦いへと導くとかいう 設定。ただ、唆す力もあんまり強くない。しかも今回の勇者様は、 唆さなくてもやることは変わらないから意味はない。 異世界の人間はこの世界にとって異物なので、拒否反応みたいな ので一度に多くの人間は連れ込めず、同じ時代に居られる異世界の 人間は、例外はあるが基本的に二人まで。不老不死のクラウンで一 枠は埋まってる。クラウンがずっと生きてる理由は、自分が死ぬと 別の誰かが連れてこられるから。正直もう生きるのに疲れてる。 1090 クラウンはナイアーラトテップとか言ったけど、ニャルはしっか り顕現してくれるので多分違う。 正直世界関連の設定は、持て余しすぎて廃案にしたいレベル。 戦闘パートの予定はなし。真面目に仕事するのはエピロだけ。 ■ 朱美 ハイハイチートチート。 女。死亡組。200何歳。 屑親の極み。外伝書こうと思って書いてない人。主人公以外が召 喚されればいいんじゃね? という発想の元作られたキャラ。 二百年ほど前に連れて来られた勇者。色々あって王都を滅ぼした 模様。 設定としては、二百年ほど前こっちの世界来て戦力として数えら れるも、人間どころか生物を殺すということも出来ず、戦場で使え ないということでそのことからどんどんと立場を悪くした方。まあ、 いきなりでっかい魔物殺せとか現代人に言っても精神的に無理な話。 魔物は殺すべきっていうのが常識な世界の人間じゃなく、普通の現 代人は養鶏場の鳥を縊り殺すのすら精神的に出来ないわけで。そう いう意味では本来作中でもトップクラスに一般的な人間だったと思 われる。 魔物が一杯押し寄せてきたときも、最後まで戦場に立たず、その ことで完全に見切りを付けられ、暗殺指令を出される。そして寝静 まったときに、暗殺者がやってきてなんやかんやあって暗殺者を誤 って殺す。で、殺してみると暗殺者はこの世界で唯一信頼してたル ークでしたってことで、精神ぶっ壊して狂乱状態で暴れまわって王 都ぶっ壊す。 クロノが人を殺せるようにしたのは、自分が殺せないためにああ なったから。この世界で何かを殺すって事の重要さを痛感していた ため。クロノの中で自分がどういう存在かは理解してた。だから、 クロノの中で一番大事であろう自分を殺させることで、﹁大切な人 1091 間ですら殺したんだから、自分に殺せない人間がいるわけないだろ﹂ みたいな感じで誰でも殺せるようにした。一人やったら二人も三人 も同じ。 最期は魔法のない世界で身体を繕えなくなり死亡。そこで見た少 年はおそらく今代の勇者。 ■ ルーク 男。年齢は20前半。最初から死亡組。 クロノとかは王都以外にいて難を逃れた彼の弟の子孫。 屑の中の屑。書いていない外伝勢。 設定としては、魔力なしの判定を受け幼少期はクロノのように過 ごす。追放の話も挙がっていたが、その頃丁度兄が死亡しうやむや に。 結局追い出すタイミングを失い、城の中の下級兵士として過ごす。 まあ、そこでも待遇というか貴族ということで妬みが酷く、精神が 捻くれる。 朱美が登場して世話係みたいなのを任されるも、内心は嫉妬。朱 美は逆に一目惚れ。でも何度か衝突して、解り合った感じになる。 そんな折、魔物が一杯押し寄せてきて戦場に駆り出され、朱美か ら秘密裏に聞いてた無属性を駄目元で使ってみると、使えたのでそ のまま殲滅。 そのことで勇者に祭り上げられる。 少しして、朱美を暗殺するよう命じられる。まあ、朱美さんは強 いことは強かったし。一番仲の良かったルーク君が油断させられる だろってことで選ばれたっぽい。結局それを生かすことなく寝込み を襲う羽目になるわけだが。 躊躇ってるときに朱美が眼を覚まして色々あって戦いの内死亡。 死んだ時につけてた仮面剥がれ、ルークだとバレ朱美発狂。 暗殺を断って朱美と逃げるという選択肢もあったが、選ばなかっ た。朱美より権力を選んだ模様。 1092 ■ メイ 砂糖国の領主。齢は20⋮何歳だっけ。 似非関西弁を使う。似非関西弁は領主の口調として決められてい るもので、本来は普通の口調。 まあ、そこまで腹黒くはないはず。 砂糖国自体が千年ほど前の異世界人が建てた国だから、遺伝的に 全属性使えると思われ。その時期は二人の制限は例外。なので佐藤 芽衣という名前もある。 早く領主とか辞めたいなーとか思ってる。幼少期録に遊べなかっ たので現在のこの国の体質は嫌い。現状からの脱却を目指すも無理 っぽい。 砂糖の歴史については第三部で書くか未定。 ■ ユイとユウ 前者が女。後者が男。多分幼馴染。前者が外見リル以下の幼女。 後者が糸目の優男。別に目が開いて隠された力がー、とかはない。 年齢は互いに40手前。 ユイは宿屋経営。ユウは酒場経営。 ビッグマウンテンは大山。センターなんだかは中原。だから大山 結衣と中原裕って名前もある。 ユイは弱いくせに酒好きでよくユウに介抱されてる。ユウの店で 暴れると教育されるので、地元民は馬鹿なことしない。 その他人間兵器とか色々と設定はあるが、書くのめんどくさい。 第三部で書くかも。 メイと違って現状からの脱却はほぼ諦め気味。 ■ カイ 男。鍛冶屋。齢は15くらい。 拾われっ子なので力は遺伝していない。 1093 倉庫の祖先が残した設計図から最近新武器を開発中。多分銃。マ スケットにしようか、すっ飛ばして拳銃にしようかは未定。そうい う才能はある。 ■ その他 完全にモブ。 個別に書くのもめんどくさいレベル。 特筆して書くとしてチェスとメアリーくらい。どうでもいい設定 としてチェスの兄は多分アレク。 名前のないキャラとしてドラを見た商人とか、女誑しの騎士とか いるけど特に意味はない。 ディックとかいうゴミみたいな王に至っては書くだけ無駄。 1094 第百一話︵前書き︶ 短め クロノの姉の名前初登場 1095 第百一話 フィファル大陸の中央に位置する大国︱︱レオンハルト王国。 大陸全土を見渡しても規模は最大。人口も資金も他の国とは比べ 物にならない。軍事規模も三姉弟を筆頭に最高クラス。欠点として は海に面しておらず、別大陸との貿易がしづらいことくらいだろう か。 歴史の中で、最大の危機といわれた二百年前の王都壊滅を乗り越 えて復興した以降は、目立った危機もなく、名実共に大陸の盟主と して君臨している。 そして今回、大陸全土を巻き込んだ戦乱の中心でもある。 この国の世論も上層部も戦争に傾いてはいるが、決して上層部は 一枚岩というわけではない。大まかに分けて三つの種類に分類され る。 ﹃勇者﹄の言う事を盲目的に信じきっている者。﹃勇者﹄への嫉 妬から反発を強めている者。どちらにも属さない中立的立場の者。 挙げた順番の通りに人は多い。 当然、表向きにはこんな分類は存在せず、城の噂好きの兵士たち の間でだけ囁かれるゴシップのようなものだ。 その中で最も少ない中立的立場と目されている女性が、最近心変 わりしてきたのではないかと噂が立っていた。 三姉弟長女︱︱マリア・ユースティア。 魔法の名家に生まれた彼女は全ての才能に溢れていて、実質三姉 弟の中で最高の天才と呼ばれている。魔法だけの話ではない、卓越 した政治手腕も彼女は持ち合わせていた。直情型の弟とも、無口な 妹とも違うオールラウンダー。 彼女が表舞台に立つようになってから、元々大きいユースティア 家は更に権力の階段を一つ飛ばしで駆け上がっていき、有数の名家 1096 から、筆頭の名家にまで上りつめた。 唯一の欠点としては、完璧な彼女に相手が萎縮して、結婚相手が 見つからないことだろうか。 そんな彼女は、国が戦争へと傾き始めた頃は、立場を明確にはせ ず、中立的立場をとっていた。 ﹃勇者﹄如何に関わらず、女性である彼女が軍のトップに立つこ とはなく、現在のポストも予定通りの立ち位置であって、弟のディ ルグと違って怨む要素がなかったというのがそういった噂の根拠と なっていた。 だが最近、彼女が戦争に反対しているという噂が流れ始めている。 ﹃勇者﹄への嫉妬からではなく、単純に戦争反対派。 元になったのは、彼女の戦争での振舞い。どこかやる気がなく、 億劫そうな姿。終いには﹃勇者﹄が見ていなければ勝手にどこかに 消えてしまう。 最初は怯えかと言われたが、嫌々そうに戦場に立つと、敵を一切 寄せ付けない力を振るうので、その噂はたちまち立ち消えた。 決め手となったのは、どこかから流れてきた噂。彼女は近しい人 間にこう漏らしているらしい。 ﹁戦争は外交の手段であって、実際に行なうものではない﹂ 不確定な噂は、まるで真実のように誇張され、瞬く間に城内の兵 士に広まった。 それがどこから流された噂かを確かめることもしないまま。 ⇔ マリア・ユースティアは、ギール王都事変後、いち早く自らの家 に戻っていた。水属性である彼女は、水さえ流れていれば、それを 辿って誰よりも早く移動できる。 自らの家と言っても生家ではない。与えられた領地に建てた彼女 だけの家だ。王都の貴族街にも個人の家はあるが、あまりそちらに 1097 はいかない。 そちらに行くと、自分に媚を売ってくる人間が鬱陶しくてたまら ないのだ。やれ、婚姻だんなだと急かされるのもあまり好きではな い。別段彼女は結婚する気はなかった。しなくても、十分やってい けるからだ。どうせ当主になるのは自分の弟なのだし、自分の結婚 はそこまで多大な影響を与えない。 シンメトリーを意識した豪奢なレンガ造りの門を抜け、堂々と家 の主は中へと入った。 内部も外観も全て彼女の趣味で左右対称を意識されており、丁寧 に整頓されている印象を受ける。家具自体が、家を飾り付けている。 入ってきた主に対し、使用人の女性たちは皆一様に頭を下げ、真 夜中だというのに欠員なく出迎えの意を示している。 その中の一人の女中に何事か囁くと、そのまま二階の書斎へと入 っていった。 書斎の中は当然誰もおらず、静寂だけが流れている。 暗き静寂に包まれた書斎のランプをつけると、ふと、赤銅色の机 の上に白い紙が置いてあることに気づいた。 見てみると、外面は真っ白で封筒にも入っていない。宛名も差出 人も書いていない。 何かの手紙であろうが、それにしてもおかしい。彼女への手紙は 使用人を介して伝わるもので、決してこんなダイレクトに置かれる ものではない。 先ほど、使用人に手紙はないかと訊いたところ、ないと答えたの で、これは正規のルートを通った手紙ではない。おそらくここに忍 び込んだ何者かが、ついさっき置いたもの。 明らかに不審な手紙。 頭の中で政敵の頭を思い浮かべるが、こんな手段は使わないだろ う。 しょうがないので、とりあえず中身を開いてみる。 綺麗に折りたたまれた紙の中に書かれていたのは、過剰な修飾語 1098 と敬語の山。 公式の文章とは得てして無駄に長いものだ。例えば、5行に渡る 言葉が羅列されていたとして、内容だけを簡単に置き換えてみると 案外1行で済んでしまう。 効率より礼儀を重視した文章。この手紙もそのタイプらしい。つ まり、そこそこ学のある人物か、国が書いたということ。 クリスマスツリーの装飾を丁寧に剥がしていくように、無駄な言 葉を省くと、やはり簡単な内容で事足りた。 どうやらこれは告発文らしい。それは聞くものによっては、衝撃 的な内容。 ﹁ディック・レオンハルト王は、﹃勇者﹄に隷属の首輪をつけられ、 奴隷として扱われている﹂ 事実だとすれば、それは許されない行為。一国の王を操っている という不敬極まりない行為。 手紙の内容を把握した彼女は︱︱それでも平然とした口調で、紙 をびりびりに引き裂きながら呟いた。 ﹁そんなこと、とっくに知っているのだけれど﹂ 1099 第百一話︵後書き︶ 次回は賢者モードクロノ君をお送りします多分 1100 第百二話︵前書き︶ リルのメンタルはボロボロ。基本メンヘラで打たれ弱いからしょう がない。 結局クロノとリルは似たもの同士。 1101 第百二話 ガタンガタンゴトン 頭が揺れている。視界は暗く、何も見えはしない。それもそのは ずで、そもそも瞼が開いていない。今見えているのは瞼の裏にある 闇。 固まった身体に感触が戻ってくる。この感触が久方ぶりと思うほ ど懐かしく感じる。どうやら頭だけではなく、身体ごと揺れている らしい。 背中に感じる堅い感触。体勢は仰向け。背後は地面ではおそらく ない。左手は他の箇所と違い、誰かに握られている。 動かそうとしても身体が重い。全身の筋肉が断裂しているような 錯覚を覚える。 どこか動く場所はないかと探ってみると︱︱ 瞼と口だけが開いた。 見えたのは低そうな白い天井。それと端に見える燃えるような赤。 紅白で覆われる視界。 ﹁どこ⋮⋮ここ⋮?﹂ 思ったより声が出ない。 消え入りそうな掠れ声で尋ねたその声に返ってきたのは、何の回 答にもならない回答。 ﹁クロノ起きた! 起きた!?﹂ リルの心配したような大声がやたら耳に響く。声が身体に染みて 1102 痛い。 とりあえず自分が寝ていたことは分かった。しかしどれくらい寝 ていたのか、全く予想が出来ない。 ︱︱そもそも、なんで寝てるんだっけ? 頭で考えてみるも、記憶が整理しきれていないらしく、イマイチ 出てこない。地面は未だ揺れていて、そのお蔭で脳みそが揺さぶら れる。 クロノはなんとか記憶にあるところから思い出してみる。 ︱︱ああ⋮戦争があっ、て⋮⋮⋮! ﹁そうだ⋮⋮! そういえば⋮⋮⋮アガッ!!﹂ 興奮のまま無理矢理身体を持ち上げようとするも、過度の筋肉痛 で痛みしか感じず、素っ頓狂な声しか出てこない。 苦しそうな声を上げたクロノを慌ててリルが制止する。 ﹁だっ、駄目だよ! まだ動いちゃ﹂ リルの瞳には分かりやすい涙。その下には腫れた眼。おそらく長 いこと泣いていたのだろう。 涙を滲ませながら言うリルを見て、クロノの記憶が完全に蘇る。 同時に、敗北とは別の情けなさを感じた。 ︱︱何やってんだオレは⋮。リルをこんな泣かせて、何やってんだ よ。 15にも満たない少女をこんなにも悲しませたことに対する自責 1103 の念が渦巻く。自分のせいだということが痛いほど分かった。 だが今は謝罪をしている場合ではない。後でしっかりと謝ろうと 思いながら、状況の理解に務める。 仰向けのまま見える白い天井はおそらく幌。揺れていることから、 ここは馬車の中だろう。集中して耳を澄ませると、蹄が地面を闊歩 する音が聞こえる。 身体が動かず、視線だけを別の方向に向けると、わずかに見える 空の青、草の緑。 ほぼ馬車と見て間違いはない。 馬車の中を見渡していて、クロノはふと、ごく自然な疑問を覚え た。いつもあるはずの、いるはずの、誰かがいない。 ﹁そういえば⋮ドラは?﹂ 自然に口をついたその疑問に、リルは途端に顔を俯かせ、何も答 えることはしなかった。 ⇔ たとえ余所でどんなことが起こっていようとも、信憑性の欠けた 噂は今日も暢気に噂好きの間を駆け巡る。噂に信憑性など大して必 要はないのだ。廊下トンビのように意味もなく彼らはそれらを収集 し、他人へと垂れ流す。それがまるで自分の仕事であるかのように。 ︵最近、マリア様が王子殿のところに足繁く通っている、と︶ ︵つーか、王子なんて齢じゃねえだろ。もう三十路手前だぜ。むし ろ王子の嫡男が王子と呼ばれてもいいくらいだ︶ ︵王がなかなか王位をお譲りになられんからな︶ ︵⋮不謹慎な話だが、近頃王の体調が思わしくないから、そろそろ 1104 だと思うんだがな。⋮⋮どちらにせよ︶ ︵⋮どちらにせよ⋮か。そうだな。結果は変わらん。⋮⋮まあ、王 の現在の状況についても、幾分か怪しい噂はあるが︶ ︵下手なこと言って首が飛ぶのは勘弁だぜ?︶ ︵まったく持って同意しよう︶ ︵話を戻すとして⋮、どうしてそんな頻繁に通っていると思う?︶ ︵普通に考えてまあ、ゴマすりだろうな。次期王の最有力候補であ る王子殿に早くから近づいておく。王の体調を鑑みてそろそろ交代 せざるおえんだろうしな。⋮強制か任意かは別として︶ ︵普通に考えてゴマすりなのかよ⋮︶ ︵なんだ? 懸想しているゆえ、とでも言って欲しかったか? マ リア様がそんなことで動くたまか?︶ ︵⋮⋮⋮ゴメン、訊いた俺が悪かったわ⋮︶ ︵マリア様が懸想することは、間違いなくないだろう。逆に王子殿 がすることがあってもな。まあ、そうなったら、彼女はそれすらも 利用するだろうが︶ ︵怖ぇよ⋮⋮。つまり、取り入りってことでいいのか︶ ︵多分な︶ ︵これ以上権力手に入れてどうする気なんだろうかね。今だって十 分だろうに︶ ︵さてな、彼女の考えなど我々では到底理解できんだろう。他人に は理解出来んからこそ、彼女はあそこまでの高みにいるのだ︶ ︵ほんっと天才すぎて怖いね。あーあ、どうして神様ってやつは天 才に二物も三物も与えるんだか。なんだよ、俺らみたいな凡人は難 しいことせず、せっせと働いてろってか︶ ︵そういうことなんだろうな。そろそろ持ち場に戻れ︶ ︵っけ、世界ってやつは才能のないやつに厳しいねえ。まったくよ︶ ⇔ 1105 兵士たちが下らない噂話を流している頃︱︱ 渦中の人物は、王子と会い、目的の人物との面会を終え、げんな りした気持ちで自らの家へと戻っていた。 ︱︱めんどくさい。 正直な感想がそれだった。別に王子になど用はないというのに、 目的の人物と会うためには、毎回王子と話さなければいけない。 話しているときに感じる視線の中に、どうにも劣情の色が見える。 舐るような視線とでも言えばいいのか。全身を舐めまわされている ような感覚を覚えるのだ。 それがどうしようもなく気持ち悪い。 自分の容姿が他より秀でていることは分かる。うぬぼれではなく、 純然たる事実として、彼女は自分をそう理解している。 受けなれている視線ではあるが︱︱だからといって、妻も息子も いる王子がそういった視線を向けるのは、どうかと思う。 更に付け加えると、王子の話は自分をどれだけかっこよく見せる かというものばかりで、実につまらない。下らない話を聞かされる 自分の身にもなれと言ってやりたい気分だ。 それでも聞かなければ目的は果たせない。しかし、聞きたくない。 相反するジレンマがマリアの中で波となって押し寄せる。 そして波に浮かぶ黒い感情。 ︱︱どれもまだ早い⋮か。 自分を諌めるように心中で呟き、一旦その考えを頭の片隅に置い ておく。削除はせずに。 ︱︱ペース的に考えて、このまま行くと一ヶ月で大陸は制覇出来る わね。 1106 頭の中で大陸の地図を思い浮かべ、制覇した地区を黒く塗りつぶ していく。やっていくと、純粋な黒が大陸の半分以上を塗りつぶし た。 ︱︱主要な国は大体潰した。後は︱︱ 意識を向けるのは、黒く塗りつぶされていない、これまで戦った 国と比べると狭く小さい国。それでいて、マリアがもっとも警戒し ている国。 ︱︱シュガーだけ。 ⇔ クロノが起きたその日の夜︱︱リルはぼんやりと夜空を見上げて いた。 起きた後、クロノはリルがドラについて何も答えないのを見て悟 ったのか、そのまま眼を閉じ、何も言わなくなってしまった。すぐ に寝たというわけではないだろうが、それ以降は何にも反応を示さ なかった。 言った瞬間、圧倒的失望感がクロノの顔には見えた。 リルが今現在思い浮かべるのは、ドラとの最後の会話。 後悔している。情けないと思っている。 あの場面で、なぜ、自分が残ると言えなかったのか。 言ってもきっと結果は変わらなかっただろうけれど、言えなかっ た。少年の身体が震えていることを知りながら。 ドラがクロノを連れて一旦離れた時、ドラには生き残る選択肢が あったはずだ。クロノの為だけならば、一度戻る必要はない。その 1107 まま自分を置いて逃げればよかった。その方が確実だったはずだ。 であれば、あの時戻ってきたのはクロノの為ではなく、他ならぬ 自分の為だ。 少年は自分の命を捨てて二人の命を守ったというのに、なぜ自分 の心はあの時、死にたくないという感情に抗えなかったのか。 少女の心中を後悔が包む。 ﹁私が残る﹂ もしあの時、それを一つ言えたらこんな感情にはならなかっただ ろう。もしかしたら、そうして自分が残ることになって、ドラが生 き残ったかもしれない。そうすればクロノは、ここまでのショック は受けなかったかもしれない。 たとえば、クロノはリルが死んだとして、きっと大いに嘆き悲し んではくれるだろう。でもリルの頭の中では、こういう結論も出し ている。 きっと、ドラ君が死んだ時よりは、ショックが浅いだろう、と。 前々から気づいてはいた。あの二人の間に、他者が入る隙間がな いことに。 どれほど自分がクロノを愛したところで、ドラと同じところまで は行けない。彼がいる限りは。クロノの隣にいるのは、常に彼なの だ。 クロノを連れて十分離れて落ち着いたとき浮かんだ感情は、自分 でも吐き気がするほどに汚くて醜いものだった。 ﹃これで邪魔者がいなくなった﹄ 微かな声で、自分の心がそう囁いた。 少女は自分の汚い感情を自覚して思う。死ぬべきは自分だったと。 こんな卑しい自分など死んでしまえと。 気づけば夜の馬車の中でリルは泣いていた。 ﹁なに泣いてんだお前は﹂ 1108 唐突な声。 少女にあまりにもあっさりと声を掛けたのは、夜の月明かりの中 でも鈍い輝きを失わないスキンヘッド兼乗っている馬車の持ち主。 リルがクロノを連れて王都に帰ったとき既に魔力は尽きかけ、丁 度避難するところだったユリウスの馬車に乗せて貰ったのだ。 リルは慌てて顔から涙を消し、気丈に表情を取り繕う。 ﹁泣いてないっ! それよりた、た、た、⋮⋮﹂ ﹁手綱か?﹂ ﹁そうそれ! 離したら駄目なんだよ!﹂ ﹁もう暗いから今日はこれ以上進まねえよ﹂ 確かに馬車の揺れは収まっており、幌の中から見える景色に変化 はない。 ﹁で、何でお前は何で泣いてんだよ?﹂ ﹁泣いてないって言ってる!﹂ ﹁そうかよ。じゃあ俺の知らない間に雨でも降ったってことか﹂ 馬鹿にしたように笑うユリウスの言葉に、リルははっとして自分 の頬を指でなぞる。ひんやりとした水滴が指についた。 ﹁似合わない顔してんじゃねえよ阿呆。いつも通り馬鹿っぽい笑顔 浮かべとけ。お前がそんな顔したまんまだと、このまま連れて帰っ 1109 たときにアイツらに俺が色々言われるだろうが﹂ 散々な言いようだったが、ぶっきら棒な言葉の端々には密かな心 配の色が見える。 普段であればリルは笑い飛ばすか、憎まれ口を叩くのだが︱︱ 今回は、少し違った。 ﹁私は⋮⋮私は⋮﹂ 意識せずとも口につく言葉。 たった一言を皮切りに、堰きとめていた堤防が決壊し、言葉が洪 水のように一気にあふれ出す。 ﹁私は最低なんだよ! 私を生かすために残ったドラ君が死ぬって 分かって真っ先に思ったのは﹁これで邪魔者がいなくなる﹂だった んだよ!? 最低でしょ!? なんなの私は!? なんなの、なん で私みたいなのが生きてるの!? なんでドラ君が死んで、私が死 ななかったの!? ねえ! なんで、あの時私が死ぬって言えなか ったの!? 気づきたくなかったよ! 私がこんな汚い人間だなん て! 私が死ねばよかったんだよ⋮⋮! こんな最低な私なんて死 ねばよかったんだ!!﹂ 鬼気迫る形相で、自分に言い聞かせるように叫んだ少女は、誰の 眼から見ても正常ではなく、明らかな異常。 抑えこんでいた自分が表面に露出する。 自己嫌悪。それこそが誰にも気づかれない、常にリルの根底に渦 巻く暗い感情。この感情はクロノに会った時から何も変わってはい ない。今回のことに限らず、リルにとって自分は、無力な自分は、 嫌悪する対象なのだ。 だからこそリルは、自分が永遠に届かない強さを持ったクロノに 1110 憧れた。自分と違って無力ではない彼に。クロノがすぐ追い抜ける 程度の強さであれば、リルはクロノをここまで愛さなかっただろう。 少女の狂乱を冷静な眼で見ていたユリウスは、実に馬鹿にしたよ うな顔で少女へと短い言葉を返す。 ﹁知るかよそんなこと﹂ おおげさに溜め息を吐き、呆れたといった顔でユリウスはつまら なそうに言葉を続ける。 ﹁お前が戦場で何を見て、何を経験したのかなんざ俺には分かんね え。まあ分かんのは、お前の言うドラ君ってやつが、お前の代わり に死んだんだなーってことくらいだ﹂ 落ち着いた調子で、相変わらずつまらなそうな顔のユリウス。 ﹁お前が思った感情は確かに汚いし、人間として多分間違ってる。 でもな︱︱人間誰だって汚いもんだ。完全に清廉潔白な心の人間な んていねえよ。いたとしたら、ソイツは人間じゃあないと俺は思う。 それに、死ねばよかったって、今更思ってどうすんだよ。あの時死 ねばよかった、だからどうしたってんだ。お前、過去に戻ってその 場面で死ねるのか? 過去に戻れんのかよ? それとも今死ぬか? 今死んで何の意味がある? 今お前が死んだらソイツの命は無駄 になるがな。結局、いくらお前みたいなガキが悔やんだって意味ね えんだよ。死ねばよかったって⋮⋮お前は生きてんだろうが。死ん でおけば、なんて、もしの話なんざしても現実は変わらねえよ。今 目の前にあることだけが現実だ。お前に出来るのは、お前の代わり に死んだって奴が無駄死にだと思わないような人生を送ることだけ だ﹂ 1111 力強くではなく、どこまでも冷静にそう語ったユリウスは、最後 に馬鹿にしたように言った。 ﹁まあ、つまり︱︱いつも通りお前は馬鹿っぽい笑顔浮かべてろっ てことだ﹂ リルはユリウスの、どの言葉にも答えることはなく、堅い木の床 にごろりと寝転がり、それ以上何も動かなくてなってしまった。 その様を見てユリウスは自然と大きく溜め息を吐き、一人馬車の 外へ出た。 王都壊滅から二日。あの日満月だった月は若干欠けている。 馬車から少し離れたところで、ユリウスはひとりごちた。 ﹁あークッソ、似合わねえな。こんな役割はヘンリーかメリーの役 目だってーのによ﹂ その二人と合流するまでの道筋を頭に思い浮かべ、目的地への日 程を弾き出す。 ﹁三日ってとこか。シュガーまで﹂ 1112 第百二話︵後書き︶ 実際はクロノがドラを失ったショックで、リルとの肉欲に溺れてい くというストーリーもあったけど、流石に汚いので止めました。 1113 第百三話︵前書き︶ また主人公出てこない。 1114 第百三話 ギール帝国の滅亡は瞬く間に大陸へと広まり、楽観視していた人 々でさえも今回の事態は危惧せざる負えないという認識がようやく 広まりつつあった。 そして人々は、今更のことながら、とある二つの国へと洪水のよ うに流れ込む。 一つは戦勝国であるレオンハルト王国。 戦勝国であれば一応は安全だろうという考え。国民になるには多 額の税金を払わなければならない上、見計らったように金額が引き 上げられており、行くのは一種の上流階級たちだけだ。 その他はというと、先にあげた国とはまったく正反対の、来るも のは拒まず去るものは追わずといった体のシュガー神聖国へ。 他国にはまだシュガーより大きな国はある。それでも人々がシュ ガーを選ぶのは、一重に歴史からだ。千年という長きに渡って沈黙 を守り、由緒ある国。ここ百年近くは小さな争いすらも起きていな い。近くで争いが起きようと、決してこの国まで戦火が及ぶことは ない。それが百年も続いている。 アンタッチャブル 最早フィファル大陸の中で、シュガーという国は神聖の名の通り、 一種の神聖なる不可侵領域と化していた。 シュガー首都アースにはそんな事情もあり、日に日に人の群れが 目に見えて増していた。 決して広くないシュガーの中でも特に人口が集中する首都。正確 には測っていないが、見る限りでは通常時の5倍は人がいるように 見える。 ﹁人口増加に歯止めがかからんね﹂ 1115 まさに渦中の国の領主は困ったように溜め息を吐く。 続いて領主の館︱︱その中の和室に幼い少女のような声が聞こえ る。 ﹁私たちにとっては大歓迎なんだよぅ。ねえ、ユウ君?﹂ 和室の中には座布団が三つ置かれ、三人の人影。皆一様に座布団 の上で正座している。 同意を求められた糸目の青年のような男は、柔和な笑みを浮かべ たまま求められた通りの回答を返す。 ﹁そうですねえ⋮。このままだと、仮装大会を行なわずとも例年通 りの収益を得られそうです﹂ 宿屋経営と酒場経営の観点から見ると、人口増加は客が増えると いうことでもあるので、願ってもいない朗報のようだ。 自分の憂鬱を軽くいなされた領主は、少し不満げにそっぽを向い た。 それをフォローするように、ユウは別の視点に立って問題点を提 起した。 ﹁ただ⋮⋮人口の増えすぎは治安の面から見て、悪化が懸念されま すね。最近、教育しなければいけない方々が増えてきておりまして、 仕事量が激増して大変ですよ﹂ ﹁にゃはっ! ユウ君の店で暴れるとか有望な自殺志願者だよぅ﹂ ケラケラと軽い調子で笑うユイを尻目に、ユウは依然柔和な笑み を崩さない。 1116 ﹁ユイさんの方だって、何かしらのトラブルは御有りでしょう? 先日も︱︱﹂ 10歳ほどの少女にしか見えないユイは、いたずらっぽく笑い、 人指し指で自分の首をなぞる。 ﹁やだにゃあ⋮お痛をする子にちょっとお仕置きしただけだよぅ?﹂ 言葉に熱は篭っておらず、字面とは真逆に冷淡な印象を受ける。 しかしその顔からはお仕置きの内容が、本来の意味をはるかに超え ているであろうことが見て取れた。 ユウはそれを受け流し、不貞腐れているメイに顔を向ける。 ﹁︱︱ということなので、このままの状況が続くと不味いかと﹂ ﹁すっごい回りくどいフォローされた気がするんやけど、ウチの気 のせい?﹂ ﹁ええ、気のせいですよ。きっと﹂ ﹁ユウ君って意外とふてぶてしいよね⋮⋮﹂ 既知の人間の見慣れない一面を見たメイは、馬鹿にされていると 感じ取ったのか、再びそっぽを向いた。 ﹁まあ、冗談ですからそんなに拗ねないでください﹂ こういった場面に慣れているらしく、落ち着いた様子でフォロー を入れるユウ。 ジトッとした何か怨むような視線でユウを睨みながら、メイは再 1117 び二人へと顔を戻し話題の転換を図る。 ﹁⋮後でユウ君はお仕置きやね⋮。ユイちゃん頼んだ。それはいい として、対策をどうするかっちゅーのが問題なんやけど﹂ どうやら完全にユウを許したというわけではなさそうだ。直後に 聞こえたユイの舌なめずりの音に、ユウは不気味な悪寒を感じて身 震いする。 ﹁お仕置きは確定なんですか⋮。対策⋮と言ってもこの国は表向き 軍事力は居ませんしね⋮。諜報の﹁忍﹂に秘密裏に見回りして貰う しかないでしょう﹂ ﹁たっのしみぃ、ユウ君をお仕置きとかゾクゾクしちゃう﹂ 完全に関係ないことでテンションが上がり、若干素が垣間見える ユイ。ユウはいよいよ持って身の危険を感じ、縋るように訊いた。 ﹁⋮やっぱ止めません⋮?﹂ 直後に返ってくる双子の姉妹かと思うほど息の合った言葉。 ﹁却下﹂ 逃げ道は用意されていないらしい。 自らの生存すら諦めたユウは、悟ったように溜め息を吐いた。 ﹁もういいです。話を戻しましょう﹂ ここで恍惚の表情から戻ってきたユイが、ようやく意味のある会 1118 話に参加する。 ﹁⋮ユウ君の提案はご尤もだよねぇ。それくらいしか手はないと思 うよぅ﹂ 同意の意を示し︱︱ でも、と付け加えて言葉を続ける。 ﹁それはあくまで現在の対処法であって、人口増加の根本的解決に はなってないよねぇ? このまま増え続けたとして、全てを監視出 来るかーって言ったら無理だよぅ? 人数には限りがあるんだから さぁ﹂ 考えてみればその通りで、人口が増え続けたとしたら、その分だ け監視人数も増やさなければならず、そこまでの大所帯をこの国は 抱えてはいなかった。 黙りこむメイの様子を見て、ユイとユウは密かに視線を交わし、 互いに小さく頷いた。 やがてユイが立ち上がって口を開いた。 ﹁つまり、根本的な解決方法は一つなんだよ。このままだと難民が 増えるだけだ。何をすればいいのか、本当は分かってるでしょ? 私たちに遠慮しないで言えばいいんだよ。幸いクリョノンは生きて るわけだしさぁ﹂ ユイからは既に外見通りの少女らしさは消えており、堂々とした 大人にすら見える。 ユウもその言葉に無言のまま大きく頷き、同意の意を示す。 しかしメイはそれでも答えない。相変わらず俯き黙り込んだまま だ。 1119 業を煮やしたのか、或いは呆れたのか、ユイは大きな溜め息を吐 いた。 ﹁いいよ。じゃあ、ユウ君が言ってあげる﹂ ﹁あれ、そこ僕なんですか?﹂ ﹁女性に言わせるなんてないよねぇ。本来ならここまでのセリフ、 全部ユウ君に言って貰いたいくらいなんだよ?﹂ 渋々といった感じでユウはすっと正座から立ち上がり、メイに向 けて極めて優しい言葉で言った。 ﹁﹃勇者﹄側との全面戦争をしろ、と命じればいいんですよ﹂ ⇔ アース 昼間 洪水のように押し寄せる人の群れ群れ群れ。それらの進路に統一 性は一切無く、ところどころで逆流を起こしているような状態だ。 そんな荒波に揉まれながらも、人目を引くニコニコした銀髪の彼 女。その手はしっかりと握られており、ちょっとやそっとのことで は外れないだろう。 ﹁あーうぜぇ。んだよこの人ゴミは﹂ 混みではなくあえて、ゴミと苛立たしげに呟きながら、アレクは 人混みの中にいた。右手はアンナの手で塞がっている。 彼が現在目指しているのはとある武具店であるのだが、そこにた どり着けそうにないほどの人混み。 1120 おまけに人混みの中は、人間が密集しているためか異様に暑く、 気持ちの悪い汗がじっとりとアレクの身体を伝っていた。 ︱︱またセントー入りなおすか⋮。 朝方アンナと入っては来たのだが、こう汗をかいてはしょうがな い。 この国に来て初めて入ったセントーをアレクはなんだかんだ気に 入っていた。山の下にあるマグマというものから出来上がっている という説明も含め。斬新で奇怪なものだ。もう一人︱︱アンナはな ぜか好きではないらしいが、おそらく熱いお湯が嫌いとかそういっ た理由だろうと彼は推測している。 セントーに限らず、この国では学ぶことが多い。文化水準が高い とでも言えばいいのか、他の国にはないものばかりで、技術的にも 高レベルだ。 移民が多く、様々な文化が入り混じった結果なのだろう。大陸の 中にありながら、独自の文化がこの国では発展していた。 遅々として進まない人混みの中で、アレクがぼんやりとこの国の 文化について考えていると︱︱ ふいに、奇異の視線を感じた。自分ではなく、後ろのアンナへと。 いつものこと、ではある。滑らかな銀髪、他とは一線模す整った スタイル。アンナは贔屓目なしに見ても人目を引く容姿だ。 だが、今日の視線はなにか違う。男の劣情の視線ではなく、女の 嫉妬の視線でもない。 ︱︱驚いてる⋮? 驚愕といった色が、視線の先にある多くの表情から見えた。そし てその多くは女性によるもの。 1121 ︱︱バレた? それはないだろ? アンナは元貴族だ。この驚きは、あの人がまさかこんなところに いるなんて、というものかもしれないと一瞬考えるもアレクはすぐ さま否定する。 ある意味ではアンナは確かに有名だが、こんなに多くの一般人が 顔を知っているわけはない。 アンナの家からの追っ手という可能性も吟味してみるが、それな らば今すぐにでも目の色を変えて捕まえに来るはずだ。それにここ まで数は多くないだろう。 いよいよ持って意味が分からなくなってきたアレクだったが、こ こで微かな話声を聞いた。 ﹁朝⋮あんなんだっけ?﹂ ﹁なんか違う気が⋮﹂ ﹁もっと無愛想だったよね⋮?﹂ ﹁猫かぶり⋮?﹂ 朝、セントー、豹変、無愛想、猫かぶり。浮かんでは消える単語。 これらだけで、彼女たちの驚きの理由がアレクには十分理解出来 た。ついでにアンナがセントーを嫌いな理由も。 分かったところで、アンナがセントーを嫌いな理由はセントーの ルールのようなものなので、どうしようもない。 終始にこやかな顔のアンナに聞こえないように、アレクは小さく 溜め息を吐くのだった。 1122 第百三話︵後書き︶ 次回は本当に賢者モードクロノ君をお送りします。 アンナがセントーを嫌いなのは男女別だからです。 他は後々。 1123 第百四話︵前書き︶ トップクラスに長いです 内容はクロノの崩壊と、リルの正妻ポジションの確立? 心理描写苦手 今更ギルドの設定も多め クロノの精神の完成形は勇者様だと思う。何があってもブレない。 完全なる自己の確立をしてる。 1124 第百四話 アース郊外には、廃墟にしか見えない古ぼけた館が存在する。ど うやらどこぞの金持ちが趣味で建てたものらしいが、建築から半世 紀ほど経った現在は所有者がおらず、地元の子供たちの遊び場と化 していた。 今日も今日とて、子供たちの遊び声が無駄に広い館に木霊する。 ただ一つ、いつもと違ったのは︱︱ 今遊んでいる子供たちは、地元の子供などではないことだった。 人相の悪い男の野太い声が、子供たちの無邪気な声を掻き消した。 ﹁お前らうっせぇぇええええええ!!﹂ ユリウスの声は確実に子供たちの鼓膜に届いたのはずなのだが、 依然声が鳴り止む様子はない。 叫んだユリウスの手には、ユリウスの顔を覆うほどに積まれた衣 類︱︱もとい洗濯物。どうやらユリウスが今日の洗濯当番らしく、 その事で若干イライラしている様子だ。子供たちもなんとなくそれ を理解しており、普段なら子供に混じって遊んでいるユリウスから 静かにしろなんて言葉が聞こえても、そのせいだろうと思って聞き 流す始末。 平日家事をしないんだから休日家事をしろ、とでも言われてる休 日の父親のように、慣れない手つきで洗濯物を干していくユリウス。 その顔からは毛ほどの不満が見える。 ﹁昨日ついたばっかだってのに⋮いきなり家事かよ⋮⋮ちょっとは 労われってんだ﹂ 本日の天気はむかつくほどの快晴。絶好の洗濯物日和。 1125 ギール滅亡から丁度、一週間が過ぎていた。 前もって買っておいたこの古ぼけた館を仮の孤児院として、先に ヘンリーたちを向かわせていたのだ。 ユリウスがここに着いたのは、つい昨日のこと。正直なところ、 疲れていた。 それでも働かせられるとは、自分の孤児院内での立場はどうなっ ているのだろうか? と気になってしまう。 しかし、ユリウスが一番気になっていることはそれではなかった。 考え事をしている最中洗濯物を落とし、拾い上げる。 気になっているのは、孤児院を設立する前の話。ある意味で、設 立のきっかけになったと言える人物。その人物と同名の青年。 ﹁⋮クロノ⋮か⋮﹂ ⇔ その頃孤児院の別の場所︱︱ 文句一つつけようがない青空とは正反対の空気を纏った青年は、 まるでゾンビのように生気がない顔で、古ぼけた館の庭先に座り、 空を仰いでいた。 クロノがこの孤児院の中にいるのには、理由があった。 再び目を覚まして動けるようになってから、すぐにでもここを立 ち去ろうとしたのだが︱︱ ﹁おいおい、運んでやったってのに礼の一つもナシかよ﹂ と、人相の悪い男に言われ、短い礼の言葉と共に礼金を払おうと 言うと、それを拒否された。 ﹁それじゃあまるで、金目当てにやったみてえだろうが。気分悪い 1126 ね﹂ ﹁じゃあ、何が望みだ?﹂ ﹁そうだな⋮⋮暫くここで働いてもらおうか﹂ ﹁断る﹂ ﹁お前に拒否権があるとでも?﹂ ﹁⋮⋮勝手にしろ⋮⋮﹂ そういったようなやりとりがあって、結局期限付きでここで働く 羽目になったのだ。 こうなるように仕向けたのは、おそらくリル辺りだろう。何を考 えているのかは分からないが、大きなお世話だと言ってやりたい気 分だ。 実を言うと、クロノは別の可能性︱︱ユリウスが主導したという 可能性も考えてはいたが、どうでもよかったので頭から排除した。 クロノは一目見て、人相の悪い男が、かつて自分をバグラスの街 に連れて行った人間であることに気づいていた。そして、あちらも それを疑っていることに。自分の側と違うのは、イマイチ確信が持 てないということだろう。昔の自分と見比べて、髪の色が違うこと が最大の要因か。 そこまで解りながらクロノは、その全てを切り捨てる。 どうでもいい話だ。だからといって何か変わるわけではない。 そんなことが、どうでもいい、と思えるほどにクロノの心は疲弊 していて、冷え切っていた。 少しして、洗濯を終えたばかりのユリウスがクロノを見つけ声を 掛けてきた。 1127 ﹁おい、何休んでるんだ。お前、仕事は?﹂ クロノにこの日与えられた仕事は、急遽移動させた家具や生活必 需品の配置。本棚やベッド、机に椅子と、到底一人で終わる量では なかったが、クロノはあっさりと言葉を返す。 ﹁終わった﹂ ﹁嘘つけ。今日一日はかかるだろうが﹂ ﹁疑うなら勝手に見て来い﹂ めんどくさそうにクロノが言うと、ユリウスは納得いかないとい う表情で孤児院へと入っていった。 そしてすぐさま、クロノの元へと戻ってくる。その顔には、驚き といった色が窺えた。 ﹁お前、何した⋮?﹂ ﹁何も、普通にやっただけだ﹂ まったく抑揚のない機械のような声で、端的に告げると、クロノ は黒いフードを被りおもむろに立ち上がる。 ﹁今日はもう用がないみたいだから、俺は本業をしに行ってくる﹂ クロノはそれだけ言って、何かを言いたそうにしているユリウス を無視し、孤児院を後にした。 1128 アース市内 孤児院を出たクロノは、本業︱︱ギルドへと、人混みをものとも せずクロノは突き進む︱︱はずだった。 自分でも驚くほど歩くペースが遅い。 原因は分かっている。 ︱︱うるさい⋮。 いつもならば気にならない人の声がやけに響く。耳障りな雑音が 心に波風を立てる。道行く人々全員が、現在の状況を何も知らず暢 気に笑っているような気がして、心の中の焦燥を駆り立てる。 それらの感情がクロノの歩みを遅めていた。 ︱︱うるさい⋮! うるさい!! 喉の奥がやり場のない怒りを溜め込んでいる。頬に力が入りぴく ぴくと震えている。手には血管がくっきりと浮き上がっている。 今すぐにでもこの人間の群れを消し去りたい衝動が湧き上がるも、 なぜそんな衝動が湧き上がるのか自分でも分からなかった。 とにかく耳障りで目障り。他の人間が全員愚鈍な豚に見えてしょ うがない。 クロノは既に、まともな精神状態ではなかった。そして、自分で もそれを何となく自覚していた。 苛立ちに似た感情を抱きつつ、足早に暑い人混みを駆け抜ける。 途中何度か人にぶつかったが、特に問題なくギルドまでたどり着け た。 ギルドの両開きの木製のドアを開くと、肌に感じる異様な熱気。 ギルドの中は、大通りを埋め尽くしていた人混みの比ではない。密 集し過ぎた多くの男たちによるじめっとした悪臭。まるで豚小屋だ。 1129 その国の首都のギルドというのは、国がギルドに依頼されて建て るもので、本来その大きさや内装の綺麗さで国の権威を示すのだが、 この国は一切見栄を張ったりせず、他の国と比べて狭く質素だ。狭 いと言っても20坪ほどはあるが、それでも他国に比べれば狭い。 そんな狭いギルドの一階には溢れんばかりの人が、これでもかと 敷き詰められていた。 一階には、新規ギルド登録窓口や、依頼掲示板、依頼発注所、報 酬受け渡し口などがあり、二階は完全に職員用のスペースとなって いる。 報酬は依頼者から直接受け取るタイプと、依頼者がギルドに預け るタイプがあり、後者はギルドで行なわれている。 見ると、登録窓口には本日業務休止の札が置かれている。 大方、難民が増えすぎて職にあぶれた人間たちが、誰でもなれる 冒険者になりに来て、ギルドが処理しきれずパンクしたのだろう。 困惑の表情を見せる人間が多いところを見るに、ついさっきまでは 機能していたらしい。収入の安定しない冒険者は、世間的に見て下 級の職業だが、こういう時は手軽になれるので重宝する。強盗にな らない辺り、ここにいる人間はまだ上等だろう。 人混みの理由を適当に推察したクロノは、依頼掲示板へと目を向 ける。 乱雑に貼られた紙が、本来薄いベージュの壁を覆いつくしている。 普段ではありえない量の依頼だ。掲示板の横には、大量の紙の束を 持った職員らしき女性がひっきりなしに貼っていっている。 依頼はランク別で掲示板に貼られており、自分のランク以上の依 頼は受けられない。 依頼を受ける方法は、掲示板から紙を持っていき、発注所でその 紙に書かれた依頼を受けると言うだけだ。そして紙は再び掲示板に 貼られる。その繰り返し。 一つの依頼につき、受けれる人数は決まっていて、その人数に達 した時点で紙はループを止めることとなる。一人︱︱またはグルー 1130 プが一度に受けられる依頼の数も決まっていて、基本的に三つまで だ。例外も存在するが。 紙がひっきりなしに貼られているということは、それだけ依頼が 多いということ。クロノでも一目で分かるほど、アースに流れ込ん でいる人間は多い。人が多いということはそれだけ犯罪も起きやす いということだ。職は有限だ。職にあぶれた人間は、どうにかして 生計を立てるしかない。たとえ、それが犯罪だとしても。 クロノの推測通り、内容は市内の見回りや犯罪者の確保ばかり。 依頼者名のところには、なんだかありふれた名前ばかりが記されて いるが、おそらく偽名で、依頼者は国だろう。表向きこの国には治 安維持組織が存在しないので、急激に悪化した治安を冒険者で補お うといったところか。 クロノは、無数に貼られた紙の中から、一番ランクの高いBラン クの依頼を三つほど剥ぎ取って発注所へ。 剥ぎ取った依頼の内容はどれも似通ったもので、条件の欄には漏 れなく﹁生死問わず﹂と記されていた︱︱。 ⇔ 赤髪の少女︱︱リルは表面上落ち着きを取り戻し、クロノ同様孤 児院に滞在していた。どういうことか、ユリウスに半ば強引にここ に引き留められている。クロノも泊められているところを見るに、 どうやらユリウスはユリウスで思うところがあるらしい。 ここにいる以上、子供たちに暗い顔を見せることも出来ず、表面 上は明るく振舞っているのが現状だ。 ﹁え∼ここ教えて﹂ ﹁ここは4に3かけた後6足して﹂ 1131 尋ねられた問いにすらすらとするリル。 孤児院の中では簡単な教育を行なっている。早めに独り立ちでき るようにという、マルスの考えからだ。教育内容は、演算と識字が メイン。その二つさえ出来れば、最悪生きていくのには困らない。 リルは孤児院の中では比較的年長の部類に入るので、たまにここ に来ると教える側に回る。決して頭が良いわけではないが、基本的 なことはクロノに教わったのでなんとかといった具合だ。 ﹁12⋮に6⋮⋮18?﹂ ﹁うん正解﹂ いつものクロノとの関係とは真逆で、リルは優しく微笑んで少女 の頭を撫でる。 褒められたことが嬉しいのか、少女は頬を紅潮させ次の問題に取 り掛かる。 リルはそれを慈愛とすら思うような、優しい表情で見守るのだが ︱︱ ふいに教室のドアが力強くノックされ、反射的にそちらを向く。 開かれたドアの先に立っていたのは、素性を知らなければ人攫い かと思うほど人相の悪い男。 ﹁ちょっと訊きたいことがあるんだが、いいか?﹂ 教室から一旦出て、庭先に出たところでユリウスとリルは立ち止 まる。 ﹁訊きたいことって、何?﹂ 1132 先ほど少女といたときとは打って変わって、冷淡というより暗い 表情と声。 ユリウスは表情の変化に驚くことなく、自分よりも幾分幼い少女 に訊く。 ﹁訊きたいのはクロノについてだ﹂ ﹁私じゃなくて本人に訊いた方がいいと思うよ﹂ ﹁アイツが答えてくれると思うか?﹂ ﹁なら、私に訊いたって同じだよ。クロノが喋らないことを、私が 喋るわけにはいかないもん﹂ つっけんどんに答えて会話を終わらせようとするリルに、ユリウ スは食い下がる。 ﹁別に、直接素性を尋ねようってわけじゃあない﹂ ﹁クロノを泊めてることもそうだけど⋮⋮何かあるの?﹂ ﹁ちょっと気になることがあってな﹂ ﹁具体的には?﹂ ﹁お前が答えてくれるなら、その後で教えてやるけど?﹂ つまり、先に質問に答えろということらしい。 いよいよ持って不毛な会話に思えてきていたリルは、これ以上の 抵抗を諦め、一つ条件を出した。 1133 ﹁いいよ。質問の内容によっては答える﹂ 答えないという選択肢を残しつつ、早く先を話せと目線で促す。 とりあえずの了解を得たことを確認してからユリウスは質問を口 にし、リルはすらすらとそれに答えていく。 ﹁まず、お前はクロノとどこで出会った?﹂ ﹁ギール王都﹂ ﹁出会った時期は?﹂ ﹁4年前﹂ ﹁クロノの現在のランクは?﹂ ﹁⋮⋮言えない﹂ ﹁初めて会った時のクロノの髪の色は?﹂ ﹁? 当然黒だよ?﹂ 途中、風変わりな質問が飛んできたが、内容はどれも直接クロノ の素性に繋がるようなものではない。これで何が分かるのだろうか。 疑問に思うリルに、ユリウスは最後の質問を投げかけた。 ﹁最後だ。お前に会うより前、アイツは誰とどこにいた? 具体的 には、7年前アイツがどこにいたか聞いたことはあるか?﹂ 1134 7年︱︱どうやらこれがキーワードらしい。7年前と言えば、自 分は未だ孤児院にいた頃だ。聞くところによると、ヘンリーたちが 助け出されたのもその時期らしい。 未知のキーワードの出現に、リルは頭の中でヘンリーたちと繋げ るも、遠慮して助け出された時のことをそこまで詳しく訊いてこな かったので、イマイチ話が見えない。 ﹁それこそ、私が答えることじゃないよ。たとえ知ってても教えな い。本人に︱︱﹂ 言いかけて、リルはふと気づいた。自分の言葉に見える穴に。 ﹁知ってても﹂ 否、何も知らなかった。よく思い返せば、リルはクロノという人 間について詳しいことは何も知らなかった。7年前どころではない。 どこで生まれ、どの様に育ち、どうして自分を助けたのか。出会っ てからも、最初の半年以外はちょくちょく顔を合わす程度で、具体 的に何をしていたのかすら知らない。2年前、クロノが僅かに変わ ったあの頃、何があったのかさえ、知らなかった。 クロノは己をあまり語らない。いつも、自分やカイを立てて悩み を聞いてくれる。家族に関して教えてもらったことと言えば、母親 がいるということだけだ。それ以外は、訊けなかった。今考えると 自然に、会話の中で一定のこと以上訊かないように誘導されていた 気さえした。 突然、今までよく知っていると思っていた人物が、まったく知ら ない誰かに思えて、リルは妙な悪寒を覚えた。 ただ、悪いのは自分だとも思う。今まで、クロノの深くまで踏み 込めなかった自分が悪いのだと。現に、ドラはクロノの過去︱︱特 に母親についてある程度知っている節があった。きっとそれは、一 番近いドラにだけ話したことなのだ。そして、そこまでの信頼を得 られなかったのは他ならぬ自分だ。 1135 自分に抱えた暗い何かを、誰かに知って欲しくて、クロノはドラ に話した。そのドラが消えた今、クロノは誰にも理解されず、一人 でこの現実を彷徨っている。 リルにも経験はあった。つい最近、ユリウスにぶちまけた感情も、 きっと誰かに言いたかった、言って楽になりたかったのだ。 クロノも同じで、誰かが、クロノを知らなければならない。理解 しなければならない。何を抱え、今までの人生で何があったのかを。 そうしなければ、クロノは自らを閉ざし、誰の手も届かないところ まで行ってしまう。時間が解決してくれるなんて、馬鹿げた作り話 に頼っても意味はない。 そのためには、今までの立ち位置では駄目だ。守られる立場では なく、クロノの隣を対等に歩けるようにならないといけない。ドラ の様に︱︱とまではいかないとしても。自分は自分なりのやり方で。 同時に少女は完全に自分の想いを自覚する。始まりは、単純な強 さに対する憧れだったかもしれない。初めのうちは、憧れと、この 感情を勘違いしただけだったかもしれない。 だとしても、今ははっきりと言える。正直に真っ直ぐに、たとえ この先何があったとしても、この想いは揺らがないと。 知らなければならない︱︱ではなく、知りたい。クロノの為では ない、自分の為にクロノのことを知りたい。クロノの全てを知りた い。 そして、最初に知るべきは、今、目の前にあった。 ﹁ねえ、喋ったんだから教えてよ。7年前のこと﹂ ⇔ ボキリ そんな音がアース市内某所で聞こえた。同時に人が一人倒れた。 1136 ゴキリ また別の場所で音が聞こえた。同時に人が一人倒れた。 ベキリ ボキリ ゴキリ ゴキョリ 音はひっきりなしに聞こえ、その度に人が倒れていく。一回音が する度に、一人倒れた。 倒れた人間は声を上げずにもがいていて、それまで元気にピンピ ンしていたのが嘘のようだった。 死体になりかけた人間は、地面に倒れてすぐに、忽然と姿を消し た。死体の消失は、まるで始めからそこに人間などいなかったよう で、見る者全員に混乱をもたらした。 クロノは手一杯に﹁荷物﹂を持ちながら、嫌な臭いのする炎の前 にいた。 アース郊外にある山の中腹に築かれた石造りの建造物。 山は休火山で、市内のセントーの温泉は、ここの地下にあるマグ マから出来ている火山性温泉が主となっている。麓からは、ところ どころ可燃性のガスが噴出しており、一部は立ち入り禁止の立て札 が置かれている。 建造物と言っても、屋根はない。周囲を石で囲んでいるだけだ。 石に囲まれた中心は窪んでいるのだが、現在は炎によってそれは窺 えない。 目の前に燃え盛る炎からは、嗅ぐ全員が嫌悪するような焼けた異 臭が漂っている。簡単に言えば、肉が焼ける臭いだ。ただ、牛とか 豚の焼ける臭いとは少々違うと、嗅ぐ者全員が分かりそうな異臭。 きっと正体を言えば、多くの人間にとっては嫌な臭いどころか、 吐き気のする臭いに様変わりするだろう。 クロノは、燃え盛る炎の前にいる数人の人間の内、一人の人間に 声を掛ける。 ﹁ほら次だ﹂ 1137 ﹁⋮⋮⋮お、おうっ! ちょっ、早い早い! 10分も経ってない ですよ﹂ ﹁知るか。早く確認しろ﹂ クロノが﹁荷物﹂を無造作に放り投げると、声を掛けられた二十 代前半と思しき痩せ型の男は、驚きながら﹁荷物﹂をマジマジと見 つめて、手元の紙を眺める。 ﹁⋮⋮はい、完了でーす。全員正解。それにしてもよくこんなに簡 単に見つけ出せますね﹂ ﹁⋮何食わぬ顔して、街に紛れてたからな﹂ ﹁正直、一人ぐらい間違えて殺すんじゃないかなーって思ってまし た﹂ ﹁犯罪者かどうかくらい見れば分かる﹂ 言葉を聞き、感心したように男が口笛を吹き、﹁荷物﹂︱︱もと い、犯罪者の死体を全て燃え盛る炎へと放り込んだ。 炎の中で燃えているのは、他ならぬ人間だ。人間の焼ける臭いと いうのは、特有の脂のせいなのか、精神的なせいなのか、何か嫌な 臭いがする。 この国では、死体の処理、埋葬方法として火葬が一般化している。 行き倒れの死体があると、そのまま放置していても腐るだけなので、 ここ︱︱火葬場へと運ばれる。埋葬する場合は、燃えた後しっかり と取り出せるように容器に入れて、個別に燃やすのだが、処理の場 合は見境なく炎に放り込んで灰になるまで燃やすことになっている。 1138 ﹁次の依頼をよこせ﹂ ﹁はいどうぞー﹂ 無愛想なクロノに、男は軽い調子で紙を五つほど渡す。全てが依 頼書だ。内容は全て生死問わず。手配書には、相手が何をしたかま で、克明に記されている。並ぶ、窃盗、強盗、強姦、殺人の文字。 見飽き過ぎて、文字がゲシュタルト崩壊しそうだ。 始めのうちは、こことギルドと街を移動していたのだが、次第に めんどくさくなり、ギルドに直接直談判した結果、職員の男が火葬 場で死体を確認し、依頼書も男から受け取るという現状に落ち着い た。ついでに三つの制限も外して貰った。一度に多くやった方が効 率がいい。 早速次へと向かおうとするクロノに、職員の男が下らないことを 訊いた。 ﹁それにしても、アレどうやって殺してるんですか? 血もついて ませんし﹂ 死体にもクロノにも血がついていないことを疑問に思ったらしい。 ﹁⋮⋮街中で血を派手に噴出させるわけにもいかないだろ⋮﹂ ﹁だからその方法⋮⋮って、おーい?﹂ 男が言いかけたときには既に、クロノの姿はそこになかった。 アース市内 1139 陽が傾き、地平線の向こうへと消えかける。消えかけの太陽から 零れた茜色の陽射しが、アース全体を染め上げていた。 その頃になってもクロノは足を止めない。人の群れの中を縫うよ うに駆けていく。 一人、手配書の人間を見つけ︱︱握った。 ボキリ 枝が折れる音に似た、骨が砕ける音が聞こえた。 人が倒れると同時に、クロノはそれを抱え再び疾走する。 やったことは単純だ。首を握った。力が強すぎて首の骨が折れた。 ただ、それだけ。 窒息ではない。正確には︱︱クロノはうまく、相手の首を絞めな がら窒息させることが出来ない。素手で殺す時はどうしても力が入 り、レベルが自然と最低3まで上がる。そのレベルになると半分以 下の力で握っても、相手の骨が折れてしまうのだ。逆に、本気でや れば首ごと上を千切ってしまう。 また一人、見つけて首を握った。 時間にして僅か、秒にすら満たないくらいではあるが、感触はあ る。硬い骨。生温かい体温。喉を走る、波打つ血管の鼓動。生きて いるのだと分かる。そして自分がそれを殺しているのだと分かる。 殺すたびに、自分から何かが無くなっていく。亡くなっていく。 それでもクロノは手を止めない。 一人握った。一人握った。握った。握った。握った。握った握っ た握った握った握った握っ握っ握握握握握握握握握握握握握握握握 握握︱︱︱︱︱︱︱ 50を殺した辺りで、完全に夜の帳が下りて、職員の都合により 次で最後ということになった。 最後だからといって、やる事は変わらない。一人、また一人と殺 1140 して行くだけだ。 闇の中︱︱宿にあぶれたのか、道端で野宿している人間も多い中 で、正確に殺していった。 依頼の紙の束を、殺す度にめくり、次の標的を確認。その繰り返 し。 ようやく、紙の束の最後尾にたどり着く。最後に記された名前と 顔。並ぶ罪名。 その顔は微かに、確かに見覚えがあって、クロノの精神の崩壊を 更に押し進めた。ピシリと、何かにヒビが入った気がした。同時に、 よくこんな人間を覚えているなと、無駄に記憶力のいい自分が恨め しく思えた。 少し探すと、その顔は目の前に現れた。服だけで兵士と分かる。 どこの? ギールの。 丁度一週間前、王城を出たときに見えた隊列の中にいた人間の一 人だった。クロノの人生の中では、モブキャラもいいところの人間。 覚えているだけで、クロノの記憶力が賞賛されるくらいだ。 罪名は強盗殺人。大方、職を失ってどうにもならなくなったのだ ろう。 クロノは一瞬立ち止まって、その姿を見た。 直後。相手もクロノに気づいたらしく、驚いたような顔でクロノ を見つめ、すぐにこちらに走ってきた。 そして、先ほどの相手とは打って変わってクロノの胸倉を掴んだ。 鬼気迫る表情で、歯軋りをしながら兵士は叫ぶ。 ﹁なんで⋮⋮!! お前が生きてるんだよ!!﹂ クロノは何も言い返さない。 兵士は止まらない。今まで溜めた何かを吐き出すように、耳劈く 声で叫ぶ。 1141 ﹁お前が逃げたから⋮⋮俺は、俺の国は⋮⋮!! あああああぁぁ ぁぁぁっぁ!!! ふざけんなよ!! 死ねよ!! 死ねええええ ええ!!!!!﹂ 国なんて言葉で取り繕ったが、彼は今の自分の境遇が許せないよ うだった。﹁お前さえいなければ﹂なんて言葉が垣間見えるようで、 殺人を犯すまで自分を堕としたことが、何より耐え難いように見え た。 実際、国が滅んだことについて、クロノを攻めるのはお門違いだ。 クロノは精一杯戦ったし、逃げたわけでもない。負傷による離脱と、 恐れからの逃走は違う。そもそも、国の戦力ではないクロノに頼ら ざるを得ない程度の戦力しか持っていなかった国が悪いのだ。 兵士の手は、胸倉から首へ。クロノの首を、力の限り絞めた。奇 しくも先ほどまでの人間たちとは、逆の関係。 ﹁死ね⋮!! 死ねよおおおおおおお!!!﹂ クロノはこの時、不思議と冷静で、夢の中にいるような意識だっ た。兵士についても、耳の鼓膜を破りそうな声が五月蝿いな、くら いにしか思っていなかった。 兵士の手を右手で軽く握る。 ベキリ あっさりと、兵士の手が折れた。いや、手首より上の骨が纏めて 砕けた。 ﹁⋮ア⋮ッ⋮ガあああああ!!!﹂ 砕かれた兵士は痛みに耐えかね、耳障りな叫び声を夜の街に響か せる。 クロノはそのまま、呻く兵士の首を掴み、ゆっくりと持ち上げた。 1142 ここで、兵士の眼から怨恨が消え、恐怖へと成り変わる。 ﹁やめろ、やめろ、やめて、、なあやめてくれ。な、あ、やめてく れ? なっ? な、っ?﹂ 生命の危機を感じた兵士は、急激に下手に出て延命を図る。 その様を見て、クロノはほとんど無意識で、表情のない人形のよ うな顔で、短く小さく呟いた。 ﹁醜いなぁ⋮﹂ 氷よりも冷たい声。眼から眼光は消え、青い瞳さえも黒く染まっ ているように兵士には見えた。 下手に出ていた兵士は、その眼から言い知れぬ恐怖を覚えて、必 死に叫んだ。 ﹁なんだよ⋮⋮なんだその眼は!! お前は!! 俺の国も家族も 殺したくせに、俺の命まで奪うのか!!!?﹂ それが兵士の最期の言葉。そして、最期に聞いた言葉は︱︱ ﹁黙れクズ﹂ 言うと同時にクロノは、自然とレベルを5まで引き上げ、本気で 兵士の首に自分の指をめり込ませた。 血が溢れる。骨は粉になり、皮膚は指に破られ、首と胴体が分か れてしまった。掴んでいない胴体が地面へと落下する。 首からの生温かい血が、クロノの顔にかかり、ようやくクロノの 意識を夢のような中から、現実へと引き戻す。 手に持った首を地面に放り投げると、1度バウンドしただけで止 1143 まった。 殺した。一週間前まで、味方だった人間を殺した。 だというのに︱︱何も思わなかった。ショックを受けるどころか、 だからどうした、という言葉すら浮かんでは来なかった。だからど うした、というのは何か起きたことに対して言う言葉だが、それす ら浮かんで来ないということは、今起きたことは自分にとって何か が起きた、と認識すらしていないということ。つまりこれは︱︱︱ この殺人は話題にする必要もない、まるで呼吸をするようなことだ ったということだ。 直後。クロノはショックを受けた。人を殺すことにではなく︱︱ 人を殺してもショックを受けない自分に。つい最近まで、罪悪感は あったはずだ。どれほど薄くてもあったはずだ。それが今はもうな い。人間として当然に思うはずの感情がなかった。 そしてクロノは︱︱嗤った。嗤うしかなかった。 ﹁⋮ハハッ⋮⋮ハッハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ ハハ!!!! ⋮⋮何なんだ俺は⋮⋮何なんだよ俺は!!!!! ⋮⋮アアアアアアアアアアアアアァァァァァ!!!!﹂ 喉が枯れるほど叫んだクロノは、ガラガラと自分の何かが壊れて いく音を感じた。 殺すたびになくなっていたのはきっと、自分の人間性とか道徳心 とか、そういうものを全てひっくるめたものだったのだと、初めて 気がついた気がした。 ﹁死んだ。死んだ。皆死んだんだよ。なあ、何やってんの俺? 護 りたいって思った結果がこれかよ!!!﹂ この二年、クロノは人を殺し続けた。誰かがやらなければいけな いことだと、自分に言い聞かせて、ずっと。 1144 リルやカイには、そんな素振りすら見せず、常に笑って見せた。 二人にこんな世界を見せたくはなかった。もしかしたら、カイは紅 朱音の血から気づいていたかもしれないが。 正直な話、二人の前で演じるのは疲れた。だからこそ、最近はリ ルを避けていたのかもしれない。 二年で受けた依頼は、盗賊団壊滅だけで優に百を超え、殺した人 間は千を超えた。百を殺した辺りで、まともな躊躇いが消えた。五 百を殺す辺りになって、殺した数を数えるのを止めた。今では、ど の程度の力で、どうやれば、どんな風に死ぬか、そんなことばかり 詳しくなった。 そんな退廃した生活の中で、それでもクロノが最低限の精神を保 てたのは、きっと、一人ではなかったからだ。 常に隣に誰かがいた。何でも︱︱とは言わない。互いに隠すこと もあったけれど、確かに言い合える︱︱︱理解してくれる誰かがい た。 彼はクロノにとって、最低限の精神を保たせるストッパーのよう なものだったのだ。 生存の代償として、そのストッパーを失った今、精神は歯止めを 失い、どこまでも︱︱︱どこまでも︱︱︱壊れかけていた。 1145 第百四話︵後書き︶ Q.俺はなんですか A.主人公です。物語の最後まで死なないのも補正です。 クロノを豆腐メンタルって言ったけど、家で虐待の後、追い出され て、自分の身代わりに女の子死んで、育ての母親を殺して、自分の 身代わりで親友が死んで、負けたせいで国が滅んで、こんな人生、 自分だったらうつ病で死ぬね。 実はクロノはメンタルが強いのではないだろうか。 1146 第百五話︵前書き︶ ホントスイマセン。めんどくさくなったんで後半テキトー。 いや、本当に。私のために生きろとか、クロノが死ぬなら私も死ぬ とか入れる予定だったんだ。 もうちょっと依存を高める予定だったのに、めんどくさくなった。 クロノの攻略難度は多分高くない。出逢いさえよければ簡単。 1147 第百五話 深夜︱︱クロノはひっそりと古ぼけた館に戻ってきていた。帰っ た頃には、既に子供たちは寝ていたようで、昼間のような活気はな く、つい最近まで無人だった時の静寂を取り戻していた。 クロノに宛がわれた部屋は、一階の入り口から入ってすぐ脇にあ る小部屋。幾分か古びていて、床を歩くたびに不安になりそうだ。 内装は持ってきたベッド一つと、中庭に向いた窓が一つだけ。窓に は何時のものか分からない、埃の被ったカーテン。使用人室のよう に思えた。 クロノは差し込む月明かりを嫌い、カーテンを閉め切った。舞う、 粒子状の埃。一粒一粒が鮮明に見えて気持ち悪い。 続いてしっかりと部屋に鍵を掛ける。埃でも溜まっているのか、 なかなか掛からなかったが、数回回す内にガチャリと音が鳴った。 鍵を掛けたクロノは、顔も洗わずに着の身着のままでベッドへと 倒れこんだ。 疲れている。肉体的にも、精神的にも。喉の奥から漏れる溜め息 が一段と重かった。 ︱︱早く寝よう⋮。 無心になって寝ようとするも、疲れているはずなのに、一向に眠 たくならなかった。どころか、いつもどうやって寝ていたのかすら も分からなくなる。こういう時、やる事は一つだ。 ﹁ねえ⋮⋮﹂ 自然と漏れ出た声。しかし、その先を言おうとして、言葉が詰ま った。 1148 ﹁ああ⋮⋮もう、いないんだっけ⋮﹂ 久々のシングルルームに、か細い声が空しく響いた。 いないという、現実が襲ってくる。月明かりすらも遮った部屋に はクロノ一人。脳みそが落ち着いたところで、起きてから初めて自 覚した。彼がもう、この世のどこにもいないことを。 ﹁一人で泊まるのって何時以来だろ⋮﹂ そんな齢ではないというのに、一人で向かえる夜が、妙に恐ろし く思えた。 ﹁弱いなぁ⋮俺⋮ハハッ﹂ クロノはそう、自嘲気味に笑った。 かつて、怪物でいいや、と思った自分を思い出す。誰も護れない くらいなら、怪物でいいと。 ︱︱今はどうだ? 考えてみる。ドラは死んだ。ギールは滅んだ。誰かを護った覚え がない。 考えてみる。怪物でもいいと思ったのに、人間らしさを失う自分 が怖い。 ︱︱中途半端じゃないか。 怪物にもなれず、人間にもなれない。自分が一番中途半端な存在 に思えた。 1149 ︱︱なんだ俺? 誰だ俺は? 自分が分からなくなる。何のために生きているのか。自分が誰な のか。迷わないと決めたはずなのに。 そもそもなぜ、人を殺しているのか。誰かがやらなければいけな いから。他人よりも強いから。 では、なぜ彼らは殺されなければならない? 犯罪を犯したから。 犯罪を犯したから殺す。それはなぜ? 殺さないと誰かがもっと 不幸になるから。 つまり︱︱誰かが不幸にならない為に、自分は人を殺しているわ けだ。間接的に誰かを護るという、義務感や使命感らしい。 ここで、クロノは考える。揺らぎ始めた自分が、今疑問に思って いることを。 ︱︱人間に護る価値はあるか? 今まで街を歩いてみて、依頼をこなしていて、純粋に思った。思 っていた。人間って醜くて汚いな、と。同じ人間のはずなのに、ど うしても豚やゴミに見える。犯罪を犯すのも、被害を受けるのも人 間だ。人は、一度立場が違えば、どちらにも転ぶ。勝手にやればい い。 一つの現実を見るたびに、汚くて醜い人間を嫌いになっていく自 分がいた。嫌いな存在を、嫌な思いをしてまで護る価値がどこにあ るというのか。 本当は知っている。この感情が、ドラを失った一時の気の迷いで あると。人間性とか、道徳心を失いかけた人間の戯言だと。それで も、考えてみると、護る理由なんて全くなくて、人間が嫌いだとい う事実ばかりが証明されていく。でも、今更止めると、今までの自 分が否定されてしまうようで、止めるのが怖くなった。 1150 人間だけじゃない、もっと言えば、この世界が嫌いだった。こん な過酷な現実を自分に課す世界が嫌いだった。 クロノは17歳という齢で、見なくていい、汚くて悲しい現実を 見すぎた。普通は、見すぎる前に大抵死ぬ。親に追い出されたとい うことは、孤児になる。孤児になったら死ぬ確率はぐんと上がる。 自分の身代わりになって死んだ人間がいれば、大抵はもう片方も逃 げ切れずに死ぬ。親との殺し合いなど、そもそもやらない。人生で 二度も自分の身代わりになって人間が死ぬことなど、普通はありえ ない。一人の青年が負けたせいで国が滅ぶなど論外だ。 ここまでのどこに、この世界を、好きになる要素があるのだろう か。生半可な幸せな思い出では、これらに押しつぶされてしまいそ うだ。 彼にとって最大の不幸と言えたのは、強すぎたということ。普通 の人間が死ぬ場所で死ねない。結果、多くの過酷な現実を見すぎる。 弱ければ、とっくに死ねたはずなのだ。弱ければこんな下らないこ とを考える余裕もなかったはずだ。 ︱︱分かんない。嗚呼、分かんないや。 これ以上考えても、精神が壊れそうだったので、クロノは思考を 放棄した。どうして人を殺してはいけないの? とか、考えるのも 馬鹿馬鹿しくなる善悪の区別についてさえ、今の脳みそが真面目に 考えそうだった。 寝ようとして、薄いシーツを掛けたけれど、不自然なまでに感覚 が研ぎ澄まされて、寝れそうにない。 クロノはふと、誰かの足音が近づいているのに気づいた。スリッ パでも履いているのか、ペタペタと音を立てて部屋の前に近づいて いる。 コンコンとノックの音が聞こえた。間違いなくこの部屋。嫌な予 感がした。根拠のない悪寒。 1151 続けざまに聞こえる声。 ﹁クロノ⋮いる⋮?﹂ 元気のない声だが、すぐにリルだと分かった。依然、悪寒は止ま ない。 ﹁何か用?﹂ ﹁ちょっと訊きたいことがあって⋮﹂ 悪寒が確信に変わりかける。開けたくない、知られたくない記憶 の蓋が見え隠れした。 そして、リルの次の言葉で悪寒は確信に、記憶の蓋は底から湧き あがってくることとなった。 ﹁七年前のことで、ちょっとね⋮﹂ 警報が鳴り響く。無意識で頭を?いている自分がいた。考えてみ れば簡単で、誰が教えたのかはすぐに分かった。 先ほど︱︱一人で考えている時、クロノはあえて、一番古い記憶 を思い出さなかった。捨てられた過去。自分では割り切ったことだ と思っても、本心は思い出したくないと叫んでいる。ましてや、誰 か︱︱特にリルには教えたくなどない。 ﹁早く寝たほうがいいよ﹂ ﹁とりあえず開けて﹂ ﹁いやだ﹂ 1152 ﹁なんで?﹂ ﹁とにかく開けない。早く寝な﹂ ﹁話くらい聞いてよ﹂ ﹁聞く気も答える気もない﹂ ﹁私は︱︱﹂ ﹁黙れ!!﹂ つい、声を荒げてしまう。扉の向こうから、後ずさった音が聞こ えた。リルに対してこんな乱暴な言葉を使ったこと自体、初めてだ ったかもしれない。 ﹁俺はもう疲れた。今日は寝る﹂ 突き放した言い方をして、ふてくされるようにクロノは寝たまま そっぽを向いた。 少しして、足音が離れていくのを感じ取り、クロノは再び一人の 闇の中へと入っていった。 ⇔ クロノの部屋から離れたリルは、ある種の確信と手ごたえを感じ ていた。 ︱︱七年前がキーワード⋮。 1153 ユリウスの話に出てきたクロノは、間違いなく自分の知っている クロノで、自分の知らない過去のクロノだ。七年は、クロノを知る ためのキーワード。 だが、まだ何かが足りない。理解するためには、何かが足りない。 思い出す。ユリウスと、自分が知っているクロノの話には、矛盾 があるはずだ。自分の知っているクロノは弱くない。自分の知って いるクロノには母親がいる。 ︱︱母親⋮? 捨てられたはずなのに︱︱母親。いないはずだ。だが、いるらし い。誰かが。 自分がクロノに会ったのが4年前、ユリウスたちとクロノが会っ たのは7年前。 ︱︱その間は? 空白の三年。その間クロノはどこにいたのか。冒険者ではない。 自分と同じ時期に登録しに来ていたはずだ。 思い返せば、クロノの母親については、出会った時に少しだけ聞 いた。自分より強い。世界を見て来いと言われた。母親について語 るクロノの眼はどこか嬉々としていて、少し嫉妬した覚えがある。 きっと、次に知るべきはそこだ。クロノの母親について。クロノ ですら届かない強さを持った母親。 リルは母親という存在について、イマイチよくわからない。一般 的な母親像というものが浮かんでこない。物心ついた頃には既に孤 児院にいて、親なんて知らなかった。スラム街に捨てられていたら しいが、記憶はない。ましてや、親の記憶など微塵もなかった。 先代の院長には、親を怨まないでおいて、と言われたけれど、怨 1154 もうにも顔も姿も思い出せない相手にそんな感情が湧きそうにもな かった。 だから、リルは親という存在についてさっぱり分からない。 だが、クロノを理解するには、まずそこから理解しなければなら ない。 リルは知っている。ここから先は、クロノ本人に訊くしかないと。 ⇔ 翌日 クロノは朝から、ユリウスに買出しやら、掃除やら、下らないこ とを任されていた。クロノは嫌な顔一つせず、それらを淡々と5分 でこなした。 正直なところ、クロノは昨日のリルについてユリウスに問いただ したかったが、めんどくさくなって止めた。そんなことをすれば、 自分が誰なのかすぐに彼は確信を持つだろうから。あの頃の自分は、 もう死んだのだ。他人に話すことではない。 クロノが今いるのは、館の裏口にある裏庭の前。そこにある石段 の上に座っている。この館の設計者はどうやら緑が好きらしく、正 面にも中心にも裏にも庭があった。 どうでもいい仕事を終えたクロノは、茫然としたまま空を見上げ ていた。本日も雲ひとつない快晴。どこまでも広がる蒼穹。 ︱︱少ししたら、仕事でも行くか⋮。 昨晩、護る価値がないと自分で思ったが、今更止めるという選択 肢はなかった。最早、惰性で続けているような感覚かもしれない。 やがて幾ばくかの時が経ち、そろそろ行こうかと立ち上がった時、 背後の裏口のドアが開いた。 1155 反射的に、咄嗟に振り返る。リルだったらどうしようか、などと 考えながら。 振り返った時、そこにいたのはリルではなく、見覚えのない茶髪 の少年だった。年齢は9∼10くらいか。孤児院の子供だろう。髪 は逆立っていて、生意気そうな眼から腕白な印象を受ける。少なく とも、暇だから裏庭を見に来るような、そんなタイプには見えない。 どちらかと言えば、身体を動かすのが好きなように見えた。 ︱︱かくれんぼでもしてるのか? クロノがそう考えていると、その少年が口を開いた。 ﹁おい﹂ 周囲︱︱クロノが見渡せる限りには他に人はいない。少年と自分 だけだ。自分が気づかない人間に少年気づいているわけもなし。つ まり︱︱この﹁おい﹂は、自分に向けられた言葉らしい。 随分と生意気な口を利く少年だな、と思っていると︱︱続けざま に生意気な口が飛んでくる。 ﹁おい、聞こえてないのか? お前だよ、お前﹂ 礼儀にうるさい方ではないが、クロノも流石にどうかと思い始め る。少年から見て、自分が年上に見えないなんてことはないだろう。 クロノは本心から不機嫌そうな、くぐもった声で少年に訊いた。 ﹁⋮なんだ⋮⋮﹂ ﹁なんだ、聞こえてるじゃん﹂ 1156 少年の身長はクロノの胸に届かないくらいか、といった具合でリ ルよりも少し低い。 ﹁⋮⋮何か用か⋮⋮?﹂ ﹁お前、強いんだろ?﹂ ﹁は?﹂ 思わず変な声が出た。イマイチ話が見えない。 ﹁リル姉が言ってたんだよ。すっごい強いって﹂ 話の出所はリルらしい。姉なんて呼ばれているリルを想像してみ ると、似合わなすぎて吹き出しかけた。 一瞬、リルが何かこの少年に余計なことを言って、探りに来たの かと勘繰るが、この少年がそんな器用なことを出来るとは思えなか った。 同時に、少年の眼に映った何かの色を見て、クロノはなぜか吐き 気がした。これは何なのか。 逆に、少年は目をキラキラと輝かせ、淀んだクロノの瞳を見据え る。 ﹁そんだけ強いってことはさ、お前に教われば強くなれるんだろ? ってわけで教えてくれよ。魔法﹂ 既視感。吐き気が増した。そして、原因を知った。誰かと言って いることが同じだと。それが、他ならぬ自分であると。 クロノは暗澹とした眩暈に襲われ、よろめいた。昔の自分を見て いるようで気持ちが悪い。それは、強くなって歪みきった自分と、 1157 弱い故に純粋さを残す過去の自分が出会ってしまったようで、まっ すぐな少年の顔をまともに見られそうになかった。 しかし、直後。クロノは、更に自分を混乱に陥れる言葉を、無意 識で口にした。 ﹁いいよ。教えてやる﹂ ﹁ほんとか? よっしゃ!﹂ ︱︱何を言っているんだ俺は? 自分の中で、過去の自分が身体を動かしているようで、果てしな く気持ち悪い。 ようやくクロノの頭が平静を取り戻した頃には、既に少年はその 気のようで。かといって、一度やってやると言った以上、最低限は 見ることにした。 クロノは奥歯を噛みながら、立ち上がりかけた腰をどすんと、石 段に落とす。もう完全に頭は平静だ。そして心底嫌そうな顔で、少 年に訊いた。 ﹁属性は分かってるのか⋮?﹂ ﹁えーっと⋮⋮炎?﹂ ﹁一回目の前でやってみろ﹂ 庭の適当な所を指差して、やってみろと促す。少年は従順にその 場所へ行き、無言で集中を始めた。 十秒後。何も起きない。三十秒後。何も起きない。そして︱︱一 分。何も起きない。 1158 魔法を使う基本的な要素は、イメージ、抽出、放出の三つ。何を したいかをイメージして、それを実現するために必要な魔力を自分 から抽出して、現実へと放出する。発動させる時、何か言う人間が いるのは、言葉にした方がイメージしやすいからだ。 よく使われるたとえは、人間が蛇口のついた樽だとして、水が魔 力。イメージの段階は容器を用意する。抽出の段階は水を容器に入 れる。放出はその水をぶちまける。 樽の大きさだけではなく、蛇口だって一度に出せる量は個人差が ある。イメージだけは努力で早くなるが、この二つは無理だ。この 二つは努力ではどうにもならない差、ゆえに魔法は才能の世界だと 言われる。蛇口の差は、発動するまでの時間の差に直結し、一度に 出せる量が少ないと、発動には時間がかかる。 ただ、流石に目の前の少年はおかしい。戦闘をメインとする人間 は、イメージから放出するまでかかる時間も重視され、二秒以内な ら優秀とされている。リルなどは、0.何秒というレベルだ。それ と比べるのは酷な話だとしても、いくら蛇口が小さいからといって、 一分はかかりすぎだろう。 流石のクロノも首をかしげた。更に三十秒待ってみたが何も起き なかったので、少年へと近づいて、無理矢理止めさせた。 ﹁お前⋮属性間違ってないか?﹂ ﹁そんなわけないんだけどなぁ⋮﹂ ﹁何をイメージしてる?﹂ ﹁何か⋮こう⋮⋮ごわっとした燃え盛る炎?﹂ 手で山でも作るようにジェスチャーを見せてくれた少年。何とな く、どんな炎かは分かる。本当に何となくだが。 1159 ﹁抽象的すぎる。それと無駄にデカイ。最初のうちはもっと小さい のから考えろ﹂ クロノは知識としては、基本的な魔法の初歩を知っている。昔、 魔法が使えなかった頃、どうにかしてがむしゃらに調べた覚えがあ る。 ﹁火がおきた後じゃない。おきる時をイメージしろ﹂ ﹁おきる時?﹂ ﹁火打ち石とか、摩擦熱とか﹂ ﹁何だそれ?﹂ このままでは埒が明かないと悟ったクロノは、どうしたものかと 思案して石段を見つめた。そして、一瞬、少年の目の前から姿を消 した。 直後。館の外で一本の木が轟音と共に崩れ落ちた。 そちらを向いた少年の背後にはクロノの姿。戻ってきたクロノの 手には、四角い木材が一つ。四角いといっても綺麗な四角ではない。 無理矢理木から直接抉り取ったような、雑な四角。 ﹁うおっ⋮! いつの間に⋮!?﹂ ﹁いいから。見とけ﹂ 驚く少年を尻目に、クロノはその木材を石段に置く。 上をしっかりと持ち、人知を超えた速度で、思いっきり石段の上 1160 を平行に滑らせた。 風が発生して、少年は目を開けていられない。ようやく眼を開け ると、木材の滑らせた面がかすかに燃え、煙が燻っていた。が、火 はすぐに消えてしまう。 クロノは、ばつが悪そうに呟いた。 ﹁流石に無理があったか⋮。燃やす用以外の木って燃えづらいしな ⋮。指でも擦ったほうが良かったか⋮﹂ 少年が興味津々に木を見ているのを見て、クロノは慌てて言う。 ﹁⋮今のは極端な例だが、火っていうのはこうやっておこせる﹂ ﹁俺でも出来る?﹂ ﹁無理だな﹂ クロノ以外では、あんな雑なやり方で火など起きないだろう。専 用の道具でもないと、人間の力では無理だ。 ﹁まあ、分かりやすく自分の指でも地面に軽く擦ってみろ﹂ 少年は言われるがまま、石段の上に自分の指を軽く滑らせてみる。 ﹁ちょっと指が熱くなっただろ?﹂ ﹁なった!﹂ ﹁強く擦ればそれだけ熱くなる。一定のところまでいけば火がおき る﹂ 1161 ﹁じゃあ、指を擦るだけで火っておこせるのか?﹂ ﹁普通は無理だな。人間の力じゃ無理だ。その前に、強くしすぎて 皮膚が破けて、最悪指の切断まで行くぞ。それ以前に指を燃やして どうする﹂ 的確なツッコミを入れられた少年はなーんだ、という風に落胆の 色を見せる。 ﹁というか、そんなことはどうでもいい。理解するべきは、擦れば 火が出るってことだ。頭の中に、今見たような四角い木材と平べっ たい石をイメージしてみろ﹂ ﹁したぞ﹂ ﹁そしてそれを強く擦ったらどうなった?﹂ ﹁火が出るな﹂ ﹁そこまで想像出来るなら上出来だ。もう一回、今度は現実に火を おこそうとしてみろ﹂ 命令口調でそう告げると、少年は素直に、再び無言で集中を始め る。 その間にクロノは、石段に腰掛け今言ったことを思い出してみる。 何の本だったか。魔法学基礎 火の章 第一編 補足だったか。こ こまででも上手く発動しない方は、まず火をおこす道具を使って火 をおこすということを実感してください。そしてその道具を頭に思 い浮かべてくださいとか、そんなことが書いてあったような気がす 1162 る。そもそも、魔法の属性が違った自分には無用の長物だったわけ だが。 そこまで省みて、昔の自分︱︱死ぬ前の自分がいかに、無駄な苦 労をしていたのかと嘲笑った。 クロノがそんな物思いに耽っていると、ふいに声が聞こえた。 ﹁なあ﹂ クロノが驚くような声ではない。火をつけていたはずの少年の声 だ。 何かあったのかと思い、少年のいる場所へと目を向けると、まっ たくの逆で、そこには先ほどまでと変わらない光景があった。それ は、あまりにも変わらなすぎる光景。 ﹁何もおきないんだけど﹂ 見れば分かる。何もおきていない。手入れされていない庭に生え た雑草があるだけだ。意味が分からないといった風に少年は首を傾 げるが、クロノも同じだった。 ﹁言った通りやったか?﹂ ﹁やったっての! というか、何かもう疲れた﹂ 深い溜め息を吐いて、クロノは重い腰を上げた。 ︱︱何やってるんだ俺⋮。 自分でそんな疑問に囚われながら、少年の元へ。 1163 ﹁なっ、何もおきてないだろ?﹂ 見れば分かる、と言い返してやる気にもならなかった。いよいよ 持ってクロノは、少年自身が属性を間違えているのではないかとさ え思ってきた。 ﹁どこら辺に火をつけようとした?﹂ ﹁ここら辺﹂ 雑草の一際深い場所を指差した少年。その通りにクロノはそこに 行ってみる。 腰を下ろし、しゃがみこんでじっくりと眺める。間近に来てみて も、やはり変化があるようには思えなかった。 やはり少年が属性を間違っているらしい。そう結論づけたクロノ は、立ち上がろうと地面に手をついた。 その時、微かな違和感を感じた。手に触れた地面が、何か違う。 見た目は変わらないのに、他の場所より少し熱い気がした。 クロノは慌てて、少し離れた日向の地面に手をついてみる。気の せいならいいな、と思いつつ。 しかし、やはり日向の地面は、少年が燃やそうとした場所よりも 明らかに温度が低かった。 その事実を噛みしめかけたクロノは、最後の希望に縋ろうと少年 に訊いた。 ﹁⋮なあ、お前ここに来るまで、魔法を使ったか? 使おうとした か?﹂ 突然の質問に少年はビクリと身体を震わせ、それでいて確かに首 を横に振った。 1164 瞬間。クロノは静かに理解する。それが何を意味しているかを。 そして同時にクロノは改めて認識する。 ︱︱やっぱり、俺、この世界嫌いだ。 この後、自分が言うべき言葉の選択肢は二つだ。一つは、過去の 純粋な自分が推す選択肢。もう一つは、今の歪んだ自分が推す選択 肢。どちらが正しいか、頭の中での結論はとっくに出ていた。 結論を言おうとして、過去の自分がでしゃばってくる。そうじゃ ないだろう、と。先ほど、無意識で少年に言った時のように。 だが、ここは譲らない。ここだけは、過去の自分には譲りたくな かった。ずっと、言ってやりたかった。過去の自分にこの言葉を。 そうすれば、現実はもっと違う形で変わったはずだから。こんな自 分にならないで済んだはずだから。 クロノは少年に告げる。突きつける。甘美な果実のような幻想で はなく、苦い薬のような冷酷な現実を。いずれぶち当たる壁ならば、 ここで真実を突きつけてやるべきだ。それが自分の役目だろう。 ﹁お前、才能ないから諦めろ﹂ あっさりと、クロノはそう言った。 対する少年の反応はというと︱︱これまた淡白なもので ﹁は?﹂ だけだった。少年の顔には、今何を言われたのか分からないとで もいうような、混乱の色が見えた。 ので、クロノは改めて、追い討ちをかけるように淡々と言う。 ﹁もう一度言ってやる。お前、才能ないから諦めろ﹂ 1165 一回目をリピートするように、声の大きさもイントネーションも 抑揚も、寸分違わずクロノはそう言い切った。 少年は二回目でようやく言葉の意味を理解したのか、足元が小刻 みに震えだした。そして、足同様震える声で、言葉を吐き出した。 ﹁どういう⋮意味だよ⋮それは⋮!﹂ ﹁そのままの意味だ。お前、才能ないから諦めろ﹂ ﹁訳を⋮言えよ! 訳を! お前に何でそんなことが判断出来るん だよ! これだけで、お前に俺の何が解ったってんだよ!﹂ 徐々に声を荒げていく少年が、クロノには現実に認められない憐 れな存在に思えた。 クロノは、少年とは逆に、どこまでも冷静に淡々と告げる。 ﹁俺は、お前のことなんて微塵も知らないし、興味もない。こんな 短時間でお前の全てを解るような人間でもない。でもな︱︱解るこ ともある。それは、お前に才能がないってことだ﹂ ﹁だからその訳を言え!﹂ クロノはわざと、呆れるように大きな溜め息を吐いた。内心は憐 れんでいる、目の前の少年を。それでも、クロノは言う。早く諦め ろと言わんばかりに。 ﹁魔力量不足。はい終わりだ﹂ 一言︱︱それだけ。それだけを言った。当然、少年はこれだけで 1166 は納得しない。喚きだす。 ﹁何だよ⋮⋮それ⋮⋮﹂ ﹁魔力の説明から必要か? なら、簡単魔法講座 第一巻をおスス メしよう。多分解りやすい﹂ ﹁そんなこと訊いてるんじゃねえよ!﹂ 叫び散らす少年を、クロノは何よりも淀んだ目で冷たく見つめる。 ﹁お前には魔力が足りない。それ以上の説明がいるか? お前の魔 力量じゃ、火も起こせないよ﹂ ﹁だから何で︱︱﹂ ﹁それが解ったか? じゃあ、結論から言ってやる。お前の魔法は 発動してた。良かったな﹂ 全然良かったと思っていない口調で、クロノは理由を続ける。 ﹁お前が火をおこそうとしてた地面は、他の所より少し熱かった。 発動は成功してたわけだ。それでも火が点かなかったのは、火が点 く温度までいけなかったってこと。初めのうちは、イメージと現実 が合わなず、どれだけ魔力を使えばいいか分からなくて、火が点か ないこともあるだろう。でも、お前は疲れたと言った。魔力を使い 切ると襲ってくる倦怠感を感じたわけだ。つまり、魔力を使って限 界まで温度を上げた結果が、ちょっと地面が熱くなった程度にしか ならないってこと。これ以上の証明は必要か?﹂ 1167 途中、クロノが魔法を今日使おうとしたか、と訊いたのは、他の ことに魔力を使って消費していないかを確かめる為。魔力をフルに 使って、地面が少し熱くなった程度にしかならない。その事実だけ で、少年の魔力量をクロノは知った。知ってしまったのだ。 少年はこれ以上言い返さない。それは同時に、少年が自分の無力 さを知ったということでもあった。これだけ並べられた冷酷な現実 の一つ一つが、少年の才能の無さを告げていた。 いてもたってもいられなくなったのか、少年は無言のまま館の中 へと走り去ってしまった。描いた理想と、突きつけられた現実との ギャップに耐えかねたようだった。 クロノはそれを見もせずに、遠のく足音だけで少年が離れたこと を確認してから、青い空を見上げる。 ﹁なあ、出て来なよ。︱︱リル?﹂ その言葉に呼応するように、館の屋根からひょっこりと赤い髪が 見え隠れし、人が空から落下してきた。10m近くあろうかという 死の免れない落下だったが、少女はなんなく地面へと舞い降りる。 クロノに近づいて、リルは不思議そうな顔で訊いた。 ﹁何時から⋮⋮気づいてたの?﹂ クロノはニヒルに笑って見せた。 ﹁カマかけただけだよ﹂ 本当のところは、半々といったものだった。居る気はしたが、確 証がないくらいのもので。 だが、クロノにとってそんなことはどうでも良かった。重要なの は、今の事がリルに聞かれたという事実。 1168 今度は逆にクロノがリルに訊いた。 ﹁どう? 聞いてて、酷いなと思った? 嫌いになった?﹂ ﹁正直⋮酷いなと思ったよ。クロノらしくないなって。私には諦め ろなんて言わなかった﹂ クロノはカチリと、頭の中でスイッチが入った気がした。正直、 リルに今の話を聞かれたのは誤算だった。リルの前では、あんなこ とを言わない優しい青年を演じ続けた。だが、聞かれた今、言葉が 喉の奥から溢れてきて、どうでもよくなり始めていた。あるいは、 これこそが精神をおかしくし始めた人間の前兆なのかもしれない。 ﹁⋮⋮﹁らしくない﹂? アハッ⋮⋮残念だけど、これが俺だよ。 あんなことだって平気で言う人間が俺だよ!﹂ 情けないなと自分でも思った。今更、リルにこんなことを言って いる自分が。でも、止まりそうになかった。 ﹁諦めろなんて言わなかった? そりゃあそうさ、リルには才能が あっただろ。さっきの子なんかとは全然違うレベルの才能が。リル はさ、自分の今の力が、努力で手に入ったものだと思ってる? 思 い上がるなよ。リルのその力は、才能があったから得たものだ﹂ 言ってからクロノは気づく。これではまるで、リルの努力を全て 否定しているようなものではないかと。リルのムスッとした顔から もそれが窺えた。 ﹁言い方が悪かったか? 言い方を変えよう。リルだって努力はし たさ。俺だって知ってる。じゃあ、訊くけどさ︱︱リルと同じくら 1169 いの努力を皆がしたとして、リルの領域に皆がたどり着けるか? リルほど強くなれるか?﹂ リルは答えない。顔を俯かせた沈黙。 ﹁答えは否だよ。魔法は才能だ。どう頑張ってもリルの領域にたど り着ける人間は限られる。そうなりたいと願っても、凡人はどこか でその夢を折るしかないんだ。強くなるには努力が必要だ。正しい さ。けれども、それにはまず、一定のスタートラインに立っている ことが前提だよ。そこにすら立てない凡人の努力は努力じゃない。 ただの徒労だ﹂ ﹁そうだとしても、言い方があるよ⋮﹂ ﹁言い方? やんわり言って、諦めるか? このままだと、努力す れば夢は叶うなんて、優しい言葉を真実だと勘違いして、尚も徒労 を重ねるだけだ。徒労は人生において無駄以外の何物でもない。そ んな時間があったら、もっと自分に見あった夢に向かって努力した 方がいい。人間、分不相応な夢はみるもんじゃない。いずれ知る現 実ならば、はっきりと早い段階で現実を知らせ、諦めさせるべきだ。 それが、力を持った者の務めだろ﹂ リルは何も言わないが、未だ顔には不満の色が色濃く見えた。 クロノはそんなリルを冷静な眼で見つめ、人差し指をピンと立て る。 ﹁俺は一人、分不相応な夢を見て、現実を突き付けられても諦めな かった少年を知っている﹂ これ以上言えばきっと、リルは気付くだろうけれど、今更そんな 1170 ことはどうでもよくなっていた。 そしてクロノは語りだす。とある少年の話を。 ﹁その少年は絵本に出てくるような勇者になりたかった。誰にも負 けないような勇者に。少年の生まれた家は、そこそこ魔法の名家と して有名な家だった。少年の姉も兄も妹も才能豊かで、将来を嘱望 された。でも、少年だけは違って、魔法の才能なんて微塵もなかっ たんだ。才能どころか、魔法を使えもしなかった﹂ 薄く口元に自嘲気味な笑いを浮かべ、クロノは続ける。 ﹁才能がないって分かった後の、少年の立場は日に日に悪くなって いって、毎日のように兄の魔法の実験台にされたりしてさ、その度 に骨が折れたりしたよ。死ななかったのは幸運か、または兄に最低 限の家族への情があったからなのか、今となっちゃ分かんないけど さ。そんな中でも、少年は諦めなかった。どうにかして、魔法が使 えるようになりたかった。毎日本読んで、魔法の発生のさせ方を何 万回も繰り返して、時には眉唾な魔力の増やし方なんてやって、努 力したんだ﹂ ここでクロノは声のトーンを一段と下げて、顔から笑みを消した。 ﹁でも、現実は非情でさ、少年は一向に魔法なんて使えるようにな らなかった。少年の努力は努力じゃなくて、只の徒労だったんだよ。 そんな無駄なことをしてたある日、少年は家を追い出された。理由 は、魔法の使えない落ちこぼれだったから。魔法の名家には、ふさ わしくないってさ。そして、どこだか分かんない片田舎に連れてか れ、そこで奴隷商に捕まって、何とか逃げ出して、逃げる途中、森 で狼に会って喰われて死んじゃいましたとさ。おしまい﹂ 1171 童話を締めくくるように、おしまいと告げて、クロノはリルを見 つめる。驚きの表情は浮かんでいない。むしろ、知っていた不確か な事実が確信に変わったといったように見える。 だが、クロノはその表情の変化を無視して、問いかける。 ﹁︱︱さて、この少年はどうすればよかったんだろうな? どうす れば、死なないですんだ?﹂ ﹁死んでないよ。クロノは現に今、生きてる﹂ リルの確信めいた一言を、クロノはまるで聞こえていないかのよ うに無視した。 ﹁俺はこの話を省みて思うわけだ。諦めればよかったんだと。やる 前から結果の見えたことだった。なら、やらなきゃよかったんだ。 無駄な徒労を重ねた時間を、もっと別のことに回せばよかったんじ ゃないかってな。たとえば勉強して、他大陸の言語を使えれば、最 悪交渉役にはなれて、家を追い出されることはなかったかもしれな い。もっと経済を勉強すれば、財政管理につけて、家を追い出され ることはなかったかもしれない﹂ クロノは過去の自分を否定する。正面から、思い切り。 ﹁ずっと、言ってやりたかった。少年に。諦めろって。無駄だって。 現実は凡人に優しくないんだ。諦めなかった結果が、分不相応な夢 を見た少年の死という末路だよ。そして︱︱これが、俺が送るはず だった人生だ﹂ クロノは知っていた。リルが自分の強さに憧れていたことを。自 分がこんな弱い人間だとしれば、幻滅して離れていくかもしれない。 1172 今まではそれを恐れていたけれど、今はそんなことどうでもよくて、 むしろ嫌われればいいな、とさえ思っていた。 だが︱︱リルの反応はまったく予想していなかったもので、クロ ノでさえ、頭をおかしくしたんじゃないかと思うような︱︱笑いだ った。 ﹁? 何?﹂ ﹁⋮⋮やっぱりクロノだよ。やっぱり私の知ってるクロノだ﹂ リルが何を言っているのか分からない。尚も、リルはくすくすと 笑いながら続ける。 ﹁だってさ、クロノは、本当にあの子の将来を考えて言ってあげた んでしょ? あえて、酷い言い方で。その方が諦めやすいから。や っぱり、クロノは優しいよ。他人のことをちゃんと考えて、時に厳 しく言ってくれる。これって優しいってことだよ。たとえそれが嫌 われるようなことでも言うなんて、私には出来ない﹂ 昨晩、護る価値がないと思ったはずなのに、他人のことを考えて いる。そうでなければ、クロノは少年に何も言わず去ったはずだ。 それは紛れもない事実で、クロノの思考をかき乱した。 ﹁さっき、クロノは嫌いになった? って訊いたけど、全然私がク ロノを嫌いになる要素なんてないんだよ﹂ リルの言葉が穴を開けクロノに入ってくる。嫌いになればいいの にな、と思って言った言葉が何の意味もないことを今更知った。 そしてリルは更に、クロノに追い討ちをかける。 1173 ﹁送るはずだった、そんなことに意味はないよ。もし、なんて人生 にはないんだ。今、クロノは生きてる。それが現実なんだ。それに ね、私はクロノがどんな人間だったとしてもいいよ。クロノの何を 知っても、私がクロノを嫌いになんてなるわけないんだ﹂ 迷いなくリルは言い切る。真っ直ぐにクロノを見つめて。眼を逸 らそうとしても、リルがそれを許さない。 ﹁だから、教えてよ。クロノが今までどんな人生を送ってきたのか。 知りたいんだ。クロノが何を見て、何を思ったのか。私は全部受け 入れて、理解する。そして、言ってあげるんだ。クロノは独りじゃ ないよって﹂ ﹁何で知りたいんだ⋮⋮そんなこと﹂ 吐き捨てるように訊いたクロノの問いに、リルは今まで言えなか ったことを、はっきりと宣言する。 ﹁好きだからだよ。クロノが好きだ﹂ ﹁それは勘違いだよ。恋愛感情と、憧れを間違えてるだけだ。いつ か気づくさ﹂ ﹁違う。絶対に違う。私は言い切れるもん。クロノが好きだって﹂ クロノは、言い返すこともせずに、拗ねたようにそっぽを向いた。 ﹁今すぐじゃなくてもいい。いつか、クロノが話す気になった時で いいから教えてよ﹂ 1174 リルの言葉一つ一つがクロノを抉った。 クロノは迷っていた。怖い。これ以上踏み込ませることが。踏み 込ませて失った時が怖い。誰かを失い続けた今までが、また繰り返 されるようで怖い。臆病な自分が見え隠れする。 しかし、孤独でありたくもない。分かっている。自分は、誰かが いないと駄目な、弱い人間だと。このままだと、壊れる一方だ。 踏み込ませてもいいの、だろうか︱︱ ﹁リル⋮⋮!﹂ ﹁何?﹂ ﹁夜まで考える⋮⋮。だから、待ってくれるか?﹂ ﹁もちろん!﹂ 本当は、きっとこの段階で答えは決まっていたのだと思う。けれ ど、一度整理をつけるためには、それしかなかった。 その夜、クロノは部屋を訪れたリルに、全て話した。今まで、誰 にも言わなかったことを含めて全部。自分の考えも、迷いも。 それを聞いたリルの反応はというと︱︱ ﹁いいんだよ。クロノが世界が嫌いだっていうなら、それでいいん だ﹂ ここまでならば、まだ常人にも理解出来ただろう。嫌いな存在を 無理に好きになる必要はない。 だが、この先は一般的に考えれば、間違っているとしかいいよう がなかった。 1175 ﹁クロノがこの世界を嫌いで、消したいっていうなら消せばいいん だ。私も手伝うよ﹂ 何を言っているんだろうか、とクロノさえ思った。それほど、リ ルという少女の言動は異常だった。 しかし、直後の言葉でクロノは静かに理解する。リルという少女 の中を。自分に対しての感情の重さを。 ﹁でもね、嫌いなこの世界を好きになりたいっていうなら、私が手 伝う。クロノがこの世界を好きになれるように。生きる意味が分か んなくて、欲しいっていうなら私が意味をあげる。私の為に生きて って言ってあげる。私はクロノがいないと死んじゃうから。誰かが いないと駄目っていうなら、私がその誰かになる。私はずっと、そ の隣にいるから。いたいから。クロノは独りじゃないんだよ? で も︱︱邪魔だと思ったら死ねって言ってもいいよ。死んであげるか ら。ねっ? いいんだよ。クロノが思ったようにやればいい。私は これからクロノの為に生きる。それが私の生きる意味だから。クロ ノが望むなら、何でもやってあげる﹂ ︱︱狂ってる。 クロノは瞬間的に、一般的感性を使ってそう思ったが︱︱ 心の底から湧き上がってきた自分の感情は︱︱喜びだった。自分 を肯定してくれることによる喜び。そして、どれほど歪んだ愛情で も自分をこんなにも想ってくれる喜び。 同時にクロノは自覚する。こんなことを嬉しいと思う自分も、狂 っているのだと。 だが、クロノにとってはそれでよかった。狂っていようがなんだ ろうが、自分を愛してくれる存在がいる。それだけでよかった。そ 1176 の事実だけで自分が独りではないと実感出来た。 そして、二人は話し続けた、夜が更けるまでずっと︱︱。 ﹁で、クロノ、私の告白の答えは?﹂ ﹁⋮⋮⋮今は、答えられない。やっぱり、リルにはまだ早いと思う。 それに今の俺じゃ、答えられない﹂ ﹁そんなこと︱︱﹂ ﹁だから、リルが今の俺と同じくらいの齢になっても、まだその気 持ちが変わらないっていうなら、今度は俺から言うよ﹂ ﹁⋮⋮うん! ⋮⋮ねっ、今日は一緒に寝よ?﹂ ﹁いいけど⋮⋮﹂ ﹁何かしてもいいんだよ﹂ ﹁しない﹂ ﹁ケチ﹂ ﹁いいから寝るよ。お休み﹂ ﹁おやすみ、クロノ﹂ 1177 第百五話︵後書き︶ リルは正妻候補にランクが上がった。 依存度が50上がった。信仰心が20薄れた。 次のランクに上がるには、100万のクロノからの愛情と約3年の 歳月が必要のようだ。 イベントアイテム、クロノの浮気を使えば殺人鬼に進化するぞ。 次回は勇者様の華麗な休日。 1178 ﹃無力な少女﹄︵前書き︶ リルの個別話。色々途中までは書いてるが、あくまで途中までで放 置中。 最後はテキト︱ 1179 ﹃無力な少女﹄ リルはどこで自分が産まれたのか、両親の顔がどんなものだった のか、全くと言っていいほど憶えていない。そもそも見たことがあ るのか、自分でも疑問に思うくらいだった。 だが、それを特別悲しいことだと思ったことはなかった。 物心ついたときには既にリルは孤児院にいた。おそらく二歳くら いのことだ。確かなところは正直分からない。産まれた年を知らな いので、実際の年齢というものが分からないからだ。気づいたら勝 手に年齢が決まっていた。そして同じように誕生日も決まっていた。 孤児院にいた頃、誕生日が分からない子どもは当時の院長によって 一律新年の始まりということにされていた。そのことを後に入って きたヘンリーが随分と冷めた口調でこう言っていたのを覚えている。 ﹁そら新年で誕生日一気にまとめりゃ、余計な祝いの経費がかから ないで済むわな﹂ その言葉にリルは妙に納得した。金の出費を抑えつつ、子供に幸 福感を与えられる。なかなか良策だ。 孤児院を離れた現在では、 自分の誕生日をクロノと同じにしている。 孤児院内での生活には満足していた。衛生状況こそ悪かったが、 親しい友人もいたし、それなりに楽しい日々だったと思う。 反対に気に入らない人間もいた。それはそれで当たり前のことだ。 それくらいの好き嫌いはある。子ども同士の些細なトラブルから嫌 いな子もいたが、とりわけ、当時の院長が嫌いだった。 当時の院長は控えめな言い方をしてふくよかな、白髪混じりの六 十代後半くらいの女性だった。多くの子どもに慕われており、リル の知る限りでは彼女が嫌いな人間はきっと自分くらいだろうと思う ほどだった。 1180 リルだって何かされたわけではない。どこが嫌いだったのか、と 訊かれても明確な答えは出てこない。ただなんとなく嫌いだった。 嫌いだからといって反抗的な態度を見せたわけでもない。本当に何 となく、軽い嫌いだったのだろう。 ﹁何時かお母さんが迎えに来るからね﹂ そんなことを院長に新年毎に言われた。リルだけでなく色んな子 どもに言っていた。 当然、その言葉は絵空事だ。幼いながらにリルはそう知っていた。 子どものために言っていることも知っていた。だから、そのことで 院長を嘘つきだ、なんて責める気はない。 院内では七歳くらいで、迎えなど来ないことを多くの子どもがう っすらと理解するようになる。リルはそれよりかなり早いくらいで なんとなく理解した。 理解して、特に何も思わなかった。そもそも、親がどういうもの なのか知らないし、顔も知らない人間に強烈な恋しさや憎悪を覚え るなんて器用な真似はリルには出来なかった。幸せに暮らしていよ うが、どこかで野垂れ死んでいようが、まったく関係のないことだ。 周りに親がいる人間なんて一人もいなかったから、劣等感を覚える こともなかった。﹁いなくて当たり前﹂孤児院で育ったリルの常識 はそうなっていた。 長らくリルの世界は孤児院の中だけだった。それが変わったのは、 九歳の頃。 その頃、目に見えて院内の衛生状況が悪化してきた。食事は一日 一食になり、ちょっとした風邪が笑えない事態に悪化する。周りの 子どもたちも見る見る痩せてきて、僅か1ヶ月で20人が死んだ。 お金が足りない、と太った院長が一人自室で呟いているのを何度か 見かけた。実態のない死が風となって孤児院に入り込み、一人ずつ ゆっくりと腐らせている、そんな気がした。 1181 このままでは遠からずここは崩壊する。ここにいても結果は変わ らない。それに自分がいなくなれば、かかる金が減るだろう。そう 思って孤児院を出て、すぐに免疫力の低下した身体は風邪にかかり ︱︱クロノと出会った。 出会いの印象は、そこまで良くはない。助けてもらいはしたもの の、何と表現すればいいのか、顔からあふれ出す自信とでも言うべ きか、そんなようなものがやたら煌びやかに光っていて、精神状態 が卑屈に陥っていたリルには、正直イライラするくらいだった。一 目見て、これは自分と違う人種だな、と判断するような差がそこに はあった。 その後の印象は更に良くない。いきなり氷雪の霊峰に連れていか れて、その近辺で約半年間生活させられた。手足が霜焼けになるわ、 高山病にかかって呼吸困難に陥るわ、ろくな思い出がない。 そこでは、料理や勉強、魔法などをクロノに習った。 孤児院の中では魔法なんて御伽噺の中にしか出て来ない存在で、 自分には無縁のものだと思っていたから、使おうと思ったことなん てなかったし、どういうものなのかも詳しくは知らなかった。 やってみれば案外簡単で、かなり使える能力だった。この時、リ ルという少女は無力の烙印を引きはがし、ついに自活できるように なったのだ。 ようやく半年が過ぎて、クロノ監視下から離れられた直後、その 足でギルドへと向かった。その時、半年前抱いていた死への恐怖感 は薄れており、意気揚々と初仕事を請け負った。 初仕事の感想は、こんなものか、というのが正直なところ。これ で、自分でも自活できることを自覚した。 最初の報酬を貰って真っ先に向かったのは孤児院。はした金に過 ぎないものだったが、最初の報酬はそこに使ってやろうと決めてい た。 高揚感に包まれたリルがその足で向かった先で見たものは、それ はそれは立派な孤児院。幽霊屋敷が知らない間に大病院に変わった 1182 のか、とでも思うような変貌っぷり。死の臭いなんてものとは程遠 い。 後から知ったことだが、その頃には既にユリウスとマルスが買い 取って約半年が経過していた。半年というと、リルが出てすぐくら いのことだ。 整備された庭で楽しそうに遊ぶ友人を見て、リルはまず︱︱下唇 を噛んだ。きっとリルにはどうにかしなければ、という使命感のよ うなものがあった。この半年の行為がまったくの無駄に思えて悔し かった。自分如きが何かしようがしまいが、結局大人の善意ですべ てが無と帰した。 その日は、遠くから孤児院を眺めるだけで、適当に帰った。 まだ、自分に出来ることはある、とその頃は思っていた。相手の 資金力を知らなかった。 その後、暫くの間リルはクロノについて世界を飛び回った。稼ぐ のに金に執着心のないパートナーとしてクロノが優秀だったのだ。 ある程度稼げるようになって、再び孤児院に向かって、詳しい事 情を訊いた。本当は訊く必要もなかった。自分の金なんてここは必 要としていないのは、雰囲気から見て明らか。 まあ、それはいい。自分の金が必要ないのなら、それはそれで幸 せということだ。 問題はリル自身。元々がここのために出たはずだ。そこに自分の 助力はいらないという。戦いが好きなわけじゃない。どこか飛び回 るのだってあまり好きではない。ここには自分の友人が多くいる。 では、ここに戻れるか? 答えは否。自分はもう自活出来る。こ こは孤児院であっても、自分で生活出来る者を養う場ではない。ま だ一人で生活の出来ない子供を支援する場だ。言いかえれば無力な 子供を養う場だ。そして自分が無力ではないことをリルは自覚して いた。 昔は無力であることが恨めしかったのに、この時ばかりは無力で はないことが恨めしかった。 1183 更に久方振りにあった友人との会話。そこで思い知ったのは、能 力の差。何でこんなことも分からないんだろう、と思った。思って しまった。会話が噛みあわない。たかが一年にも満たない年月で、 リルは自分が変わってしまったことを自覚した。 他の全ての事象も、そのどれもが自分の想像とはかけ離れ、無言 で、ここはお前のいる場所ではない、と言われているようだった。 無力で無くなったことが、リルから孤児院での生活を、使命感を、 完全に打ち砕いた。 何のために自分はやってきたのだろう? 押し寄せる感情がぐち ゃぐちゃと混じり合った脳みそで何度自問しても答えは出なかった。 孤児院を出るまでは何とか取り繕ったが、街に戻ったときは足に 力が入らずふらふらと街中を彷徨い、やがてまるでクロノと最初に 出会った時のように、路地の片隅でへたり込んでしまった。 そしてまた、同じようにクロノと出会った。彼はこちらを心配そ うに覗き込んでいた。 なぜその時、自分が立ち上がったのか、リルには分からない。た だ、何となく立ち上がってクロノに向かって倒れこんだ。 きっとクロノには何が起きているのか分からなかっただろう。そ れを困惑した表情でクロノは受け止め、リルを抱きしめた。 この日、この時、自分の居場所はここにしかないんだと思った。 思いこんだ。そして同時に、孤児院という存在が中心から消え、そ の場にはクロノが居すわることになった。 別にこれは美しいことでもなんでもない。真実の愛とか、そうい ったものとはきっと縁遠いことだ。簡単に言い換えてしまうならば、 失恋で傷心の彼女に優しくした男が掻っ攫っていった。たったそれ だけのことだ。自覚するしないに関わらず。 こうして無力な少女は、無力でなくなり、その代償に使命感を失 った少女は、新たな拠り所を得た。 これが何でもない少女の、何でもないお話。 1184 1185 第百六話︵前書き︶ 勇者様の華麗なる休日。夢に対する人生観。最近長いね。 やっぱり前話は後で書き直して、リルの依存を高めます。 1186 第百六話 石造りの壁に、ゆらゆらとランプの明かりが反射して、薄暗い部 屋を本が読めるくらい最低限明るく照らしている。 本日、﹃勇者﹄は自室にて本を読んでいた。 彼の自室は、王城内に造られた暗い石造りの部屋。中は広くない。 内部にはベッド一つに、本棚が一つ。それらだけで一杯になりそう な狭さ。使用人どころか、どこぞの牢屋にすら思えた。 だが、彼はこの部屋を思いの外気に入っていて、変える気はなか った。誰もいないところで静かに本を読むのは嫌いではない。一人 になれる空間は好きだ。 現在は思うところがあって、物流と地理を学んでいる。 ︱︱紙の生産には成功してる。地図もそこそこ正確。ただ、世界地 図なんてのはないな⋮⋮。そして火薬はまだ、こっちに来てない。 先の戦いで自軍に多大な損害をもたらした火薬。損害はどうでも よかった。問題は、火薬がこの大陸では入ってきたばかりというこ と。 自分の世界と照らし合わせても、この世界の時代背景がイマイチ 見えてこない。現在のこの世界は、あちらの世界でどの程度の時代 にあたるのか。それが知りたかった。好奇心から。 ︱︱欧州系だよなこの大陸⋮⋮。歴史では火薬って何時頃来たんだ ったか⋮⋮? 人種からして欧州に分類し、火薬が欧州に入ってきたのは何時頃 かを探ってみる。 1187 ︱︱日本史で最初に火薬が出てきたのが、元寇だよな⋮⋮。120 0年代後半だろ⋮⋮。同時期くらいか? 紙の生産が欧州で流行り 始めたのも、この時期だろ⋮⋮。 そう考えると、1300年手前くらいに思えるのだが、何か違う 気がする。 ︱︱でも、紙って結構前からこの大陸では生産に成功してるんだよ な⋮⋮。それこそ800年前には、既に結構質良いのがあるみたい だし⋮⋮。それ以前の歴史は⋮⋮分かんねェけど。待てよ⋮⋮幌馬 車って、発祥は開拓期のアメリカじゃなかったか? この大陸の歴史は1000年前以前の記録が存在しない。見事に 何にも記されていないのだ。分かるのは、術式魔法というものがあ ったということくらいで、それも今となっては未知の技術だ。隷属 の首輪は、何時からあるのか分からない物を発掘し、再利用してい るに過ぎない。 この世界では、一般的なファンタジーらしく魔法は使えるのだが、 その自由度は低い。何かを唱えれば守護霊が護ってくれるとか、そ んなことはないし、ましてや時間を止めるとか、瞬間移動とかは出 来ない。 だが、術式魔法というのはその限りではないらしい。 ︱︱術式⋮⋮ねえ⋮⋮。俺を呼んだ時は、研究が行き詰まっていて いたのになぜか出来た偶然の産物だった上、発動した瞬間に消えた って話だし。 術式を発動させた瞬間に、術式は消えたらしい。そういうものな のか、あるいは別の理由があるのか。 他にも、どうしてこの世界の言語や文字を自分は理解出来るのか。 1188 どこぞの青狸のこんにゃくを食った覚えはない。この世界の全体像 はどうなっているのか。 疑問は考えれば考えるほど尽きない。 結局、いくら考えても分かりそうになかったので ︱︱とりあえず、外出るか! と、遠征から帰ってきた最初の休日を過ごすことにした。行き先 は既に決めてある。 意気揚々と扉を開け部屋を出ると、自分に何か用でもあったのか、 金髪の長い髪を腰まで垂らした女性︱︱マリアと出くわした。 ﹁何か用か?﹂ ﹁いえいえ、丁度お出かけされるだろうと思いまして﹂ ﹁だから?﹂ ﹁国外に出て歩くおつもりでしょう?﹂ 図星。読心術でもつかわれているのか。そんな疑念に囚われる。 ﹃勇者﹄は最近、他国に単身で出かけては、毎回注意されている。 国側からすれば、そんな簡単に、しかも国外に出歩かれては困るの だろう。実は、こんな牢屋のような部屋を変えない理由の一部もそ れにあった。﹃勇者﹄の部屋は内装もさることながら、城内での位 置も非常に悪く、地下にある。人目につきづらいこの部屋なら、こ っそり出ても誰にも見られない。帰りもこっそり戻って、一日中本 を読んでいたと主張すればいい。 だが、見られた。それも軍事のナンバー2に。 1189 ﹃勇者﹄は、無理矢理身体能力で抜けようかと模索し始めるが、 マリアから次に飛んできたのは予想外の言葉だった。 ﹁丁度いいのでこれお願いします﹂ そう言って手渡されたのは小さな紙。メモ用紙のようだ。そこに 記されているのは、今﹃勇者﹄が行こうと思っていた国、それと見 覚えのある商品。 ﹁それさえ買ってきて下されば、今回のことは黙っておきますので﹂ 普通の男ならば見とれてしまいそうな、美しい社交辞令の笑顔を 浮かべるマリア。自分の世界に行っても通用しそうだ。 つまり︱︱買って来いということらしい。自分をパシらせるとは、 本当に肝の座った女である。 かといって、そんなことで腹が立つほど﹃勇者﹄も子供ではなか った。 ﹁いいだろう。分かった﹂ ﹁それと、勝手な行動は謹んでくださいね﹂ どこか後ろ暗い取引が二人の間で密かに成立する。 それだけ言うと、﹃勇者﹄はどこかへと歩いていった。 ⇔ ﹁昨夜はお楽しみでしたね﹂ 朝、目を覚まして、二人目にあった人間にそんなことをニヤニヤ 1190 しながら言われた。隣にいる最初にあった人間を見ると、暢気にも にこやかに笑いながら、同調するように楽しかったなどと言ってい る。 彼はその光景を見ながら、とりあえず一言言いたいことがあった。 ﹁いや、何もやってねえよ!?﹂ 勢いよく吐き出したその声は、朝、人の多い食堂入り口前︱︱宿 屋受付のカウンターに響き渡る。食事をしていた人間の注目が三人 に一斉に向いたが、カウンターに鎮座する人間を見て一様に視線を 外す。 ﹁またまた∼、お兄さんやっちゃったんでしょぅ?﹂ ﹁黙れませガキ﹂ ﹁うん。楽しかったよ∼∼∼∼﹂ ﹁お前もちょっと黙ろうか﹂ アレクは隣にいるアンナの口を片手で塞ぎ、強引に黙らせる。も がくアンナから視線を外し、目の前に座る少女を見る。どうみても、 10歳くらいにしか見えない少女。 ユイと胸につけられた名札に記された少女は、手を振ってふざけ た調子で弁解をする。 ﹁いやいや、若い男女が泊まったら、この言葉をかけろっていうの が、ウチの伝統なんですよぅ﹂ ﹁どんな迷惑な伝統だよ⋮⋮﹂ 1191 伝統だからとかではなく、絶対にわざとだ。 アレクにそう思わせるほど、ユイの声に申し訳なさはなく、から かいたいという気持ちが、表情から滝のように溢れだしていた。 ﹁それに私はガキじゃありませーん﹂ ﹁はいはい、分かったから、飯を食わせろ﹂ アレクは受付カウンターを通り過ぎ、食堂の中へ。 食堂の中は、受付カウンターとは真逆で大混雑していた。 それもそのはずで、現在ここ︱︱宿屋ビッグマウンテンは、50 室以上ある客室全てが満室らしい。客の数はざっと見ただけで、百 人は超えている。 大陸全体の情勢不安を受け、この国に流れ込んできた人間のお蔭 で、アース全体的に見ても宿屋はほぼ満室状態だ。宿屋の中でも、 人気のここが埋まっているのは当然のことと言えた。 自分でも、よくこんな宿に泊まれたなと思う。たまたま、ギルド に紹介された宿がここだった。なぜか一室だけ空いていたらしい。 混雑する食堂内でなんとか居場所を見つけ、食事をとる。 ﹁暑いな⋮⋮﹂ 食堂内は密集しているせいか、昨日の人混みのように暑い。ただ の暑さではなく、蒸し暑い。 不快感に囚われながら食事を終えた頃には、じんわりと嫌な汗が したっていた。おかげで碌に味を覚えていない。 アンナと共に食堂を出ると、またもユイに声をかけられる。 ﹁どうかしましたぁ?﹂ 1192 どうしてこんなに突っかかってくるのだろうか。他の客には声を かけていないというのに。よく分からない。 とりあえず、感じた不満点をぶつけてみる。 ﹁食堂が暑いんだよ⋮⋮﹂ ﹁あっ、窓開けるの忘れてた﹂ 確かに両側に備え付けられた窓は閉められていた。 ﹁なんでしたら、今度からお部屋に直接運びますか−?﹂ ﹁そんなこと出来んの?﹂ ﹁はい。時間さえ指定してくだされば、三食可能ですよぅ﹂ 思ってもいない申し出。正直、アレクもアンナも人の多いところ は得意ではない。 だが、突如、アレクの中で何かが引っかかった。本当に漠然とし た何かが。それは言葉か状況か態度か。あるいは全部。 しかし、その何かに結論を出せないまま、アレクは返答を返す。 ﹁⋮⋮じゃあ、頼むわ﹂ ﹁はいはーい。分かりました﹂ 適当に時間を指定して、二人は宿屋を出ようと入り口へ。 そんな二人にユイが見送りとばかりに声をかけた。 1193 ﹁いってらっしゃーい、アレクさん、アンナさん﹂ これもアレクの知る限りでは、一々ユイは出て行く客に声をかけ てはいない。不可解な疑問が浮かぶ。 その言葉に答えることもなく、二人は宿屋を出ていった。 アレクは、宿屋を出て少し歩いてから、ふと、疑問を覚える。 ﹁なあ﹂ ﹁ん∼∼∼何∼∼?﹂ ﹁お前、名前教えたか?﹂ アンナは小首をかしげ否定する。 自分の名前は台帳に記録したから知っていることに疑問はない。 だが、アンナの名前までは記していないはずだ。 ﹁どうなってんだ⋮⋮﹂ いくら考えても答えは出ない。 湧き上がる疑問を解決できないまま、二人はセントーへと向かっ た。 アレクは最近朝風呂にはまっている。何か、あの熱いお湯に浸か ると、前日の疲れが一気にとれるような気がするのだ。特に今日は、 先ほど食堂で嫌な汗をかいたので、更に丁度いい。 セントーにおいての問題としては、アンナが入りたがらないこと くらいか。きっと、セントー自体が嫌いというわけではないのだろ うが、どうにも入りたがらない。ただ、原因は知っている。 ︱︱今度混浴の場所でも探すか⋮⋮。 1194 内心でそんなことを考えつつ、強引にアンナと別れ脱衣場に入る と、中はガランとしたもので、籠に入った服の数から見て中には一 人しかいないようだ。 セントーは脱衣場で服を脱いで、籠に入れてから入るというシス テムになっている。勿論男女別。 借りた大きなタオルを籠に放り込んで、小さい方のタオルを手に 持って中に入る。 入った瞬間に感じる熱気と、独特の臭い。中の広さは、狭くもな く広くもなくといったところ。桶と椅子が20ずつある。奥にある 浴槽は熱さの違う温泉が3つ。更に奥の壁にはどこの山だか分から ない、頂上だけが白い山が描かれている。 早速中に入ろうとした、その時︱︱ふいに声が聞こえた。 ﹁富士山⋮⋮だよなァ⋮⋮これ﹂ 男の声。見ると、絵の前で仁王立ちしながら腕組をした男の後ろ 姿。髪は黒。身体は、ところどころ裁縫でもしたような傷がついて いる。細身だが、しっかりと筋肉が見える身体つき。身長は180 くらいか。 ︱︱黒髪とは変わった人間だな⋮⋮。まあ、どうでもいいか。 そう判断したアレクは、その男の存在を無視して一番熱い浴槽へ と入った。身体の芯まで響くような熱さ。この熱さが心地いい。意 識せずとも、疲れを吐き出すような溜め息が漏れた。 入ってから再び黒髪の男を見ると、何が面白いのかじっと絵を眺 めている。こちらの存在にすら気づいていないようだった。 ︱︱絵描きか? 1195 芸術などアレクには微塵も分からないが、とりあえずあの山の絵 が珍しいのは分かる。それに見惚れているのか。 正面からみた黒髪の男は、年齢10代後半の青年に見えた。もし かしたら自分と同じくらいかもしれない。 何となくそんな感想を抱いていると、男と目があった。珍しい黒 眼。黒々とした闇がどこまでも広がっているようで、どこか恐ろし さを覚える。 絵描きなどではない、と瞬時にアレクに判断させた。 が、アレクの判断とは正反対に、男からはフランクな口調で言葉 が飛んでくる。 ﹁アンタよくそこ入れるなァ⋮⋮。45度以上あんだろ、そこ﹂ 心底感心したような声。どうやら既にここには入ったらしい。 ﹁俺にはこれくらいが丁度いいんだよ﹂ ﹁そうかい。のぼせないように気をつけろよ﹂ 男はアレクとは正反対の一番温い浴槽の中に入ると、先ほどのア レクと同じように疲れの権化のような溜め息を漏らした。 ﹁異国で入る風呂もいいねェ。いや∼、本当に自分が日本人だなと 思い知らされるな。銭湯に温泉とか贅沢すぎるわ﹂ ︱︱ニホンジン? 聞いたことはないが、どこか知らない国の人間らしい。そもそも セントー自体が異国の文化らしいので、セントー発祥の国の人間か。 1196 ﹁富士山までご丁寧に描いてくれやがって。なんだァ、この国はオ レをホームシックにでもする気ですかァ?﹂ 楽しげに笑い、陽気な声を浴場内に響かせる男。 その後、数十分に渡って男二人だけの空間が続いたのだが、特に 会話を交わすこともなく、先に黒髪の男は出て行った。 ⇔ その日︱︱というよりも、数日前からソフィアはイライラしてい て、他の二人のパーティーメンバーにもそれが分かった。 原因としては、おそらくギール王都壊滅。 愛国心のようなものは、三人とも一般庶民程度には持っているく らいで、そこまでない。むしろ、普段あちらこちら飛び回っている 分、他人よりも低いかもしれない。 だとすれば、今ソフィアの胸中を占めているのは、おそらく親に ついてだろう。 三人共親とは、王都壊滅後、どうなったか連絡がとれていない。 メギドは冷静に、成り行きを見守ろうと言う。ザイウスは、なるよ うにしかならないと言う。 二人とは違い、親子仲が良好ではなかったソフィアだが、なんだ かんだ親のことを一番心配しているのだろう。ソフィアの親は、冒 険者になることを反対していたが、それは娘の身を心配してのこと で、ソフィアも実は分かっているはずだ。 現在のソフィアの苛立ちは、不安が行き場を失くし表面に苛立ち として出てきているだけ。 ザイウスとメギドは、その見解で一致していた。 幼少の頃から一緒にいるが、家族とか仲間とか、そういったもの 1197 を見捨てることが出来ないのがソフィアという人間である。その程 度のことが分かるくらいには、三人の付き合いは長い。この前の二 人の少年を拾った時も、そんなソフィアの考えが見え隠れした。 昼頃︱︱とりあえず食事にでも行こうと、三人が入った店は、ア ース特有のスシという料理がメインの店。値段設定は少し高めだが、 美味いと評判なので、これで少しでもソフィアの気が紛れればとい う二人の配慮からによる店選びである。 店の先にある暖簾を?き分けて中に入ると、真っ先に目に飛び込 んでくる頭に鉢巻を巻き、明らかにうろたえた50代くらいのオッ サンの顔。 オッサンの視線の先には、若い男︱︱が、掌に乗りそうなスシを、 バクバクと口の中に流し込む姿。 男はなにやら神妙な顔で呟いている。 ﹁何だろうか⋮⋮この⋮⋮カリフォルニアで人気の寿司屋に行った 時のような、何か違う感は。日本の回転寿司って凄かったんだな⋮ ⋮。まあ、食うけど。あっ、大将! おまかせ握り50追加で!﹂ 決してプラスの評価をしているわけではなさそうだが、評価とは 裏腹に手が休まる様子は微塵もない。まるで水のようにスシを口の 中に流し込んでいく。 注文を受けた店主らしきオッサンは、呆然と男を見ている三人に ようやく気づいたのか、涙目で声をかけた。 ﹁あの⋮⋮ご注文は⋮⋮﹂ ﹁あっ⋮⋮いいです⋮⋮﹂ 店主の様子が居た堪れなくなった三人は、そそくさと店を後にし 1198 た。 ⇔ 陽が完全に地平線の向こうに落ちて、代わりとばかりに浮き上が ってきた月が闇に染まった空を照らしていた。 酒場︱︱センターフィールドは本日も大盛況。店内は人でごった 返し、満員御礼の立て札をかけたいくらいだ。 しかし、店主︱︱ユウは、そんな店の状況とは裏腹にげんなりし た気持ちだった。 毎年仮装大会の時期はこれくらいの客が押し寄せるので、客の捌 き方は慣れたものではあるのだが、普段とは別な点が一つ。 一際大きな怒声が酒場に広がる。 ﹁︱︱アア!? 蛆でも湧いてんのかテメェの脳みそはよォ!﹂ ﹁ハッ、その言葉はそっくりテメェに送り返してやるよ豚が!﹂ これだ。 大陸の情勢不安が一般人の精神にも反映されているのか、どうに も客の気性が荒い。そして終いには店の中で暴れだす。 ユウの店で暴れたらどうなるか、何ていうのは、地元民やよく来 る人間なら知っているはずなのだが、新顔が多いせいか、彼らは暴 れることに躊躇いがない。そして、その度にユウが﹁教育﹂する羽 目になる。 普段なら多い日で一日五件ほどだが、今日だけで十五件。今、目 の前で起きている件を含めると十六にも上る。 そんなこともあって、ユウは既にうんざりした気持ちで、それで 1199 いて顔には笑顔を貼り付けて、接客をしているのだった。 ﹁お客様? お静かに願います﹂ ﹁テメェは引っ込んでろ!﹂ 豚と呼ばれた、醜悪な人相の男の肩に手を置くが、突き飛ばされ た。 これで最終通告は終わり。ここからはいつも通り、機械のように 同じことをするだけ。 そこからは無言のまま、素手だけで二人の男をのした。その後、 意識のない二人をわざと引きずって、カウンター奥から店の地下へ。 そして、五分ほどの簡単な﹁教育﹂を施して、一旦地上へと戻った。 続きは、店じまいした深夜3時以降からだ。 ﹁教育﹂を終え、カウンターに戻ると、豚が座っていた席にはま た新たな客が一人、ポツンと座っていた。 性別は男。年齢は10代後半。そしてなによりユウの眼を惹いた のは︱︱黒い眼と黒い髪だった。その男が誰なのか、ユウはなんと なく分かった。 こちらの視線に気づいたのか、男は手招きしてこっちに来いと告 げる。言われるがまま、男の前へ。 ユウは営業スマイルを崩さず、いつもの調子で優しく訊く。 ﹁ご注文はいかがなさいますか?﹂ ﹁あー⋮⋮ビール一つに枝豆で﹂ どこかの中年が好みそうなオーダー。 かしこまりました、と頭を下げ、ユウは早速準備にとりかかる。 従業員は何人かいるが、この男は自分の手で相手することにした。 1200 お盆に乗った木製のコップに樽から直接ビールを注ぎ、手早く枝 豆もお盆に乗せると、ユウは男の元へ。 ﹁どうぞ﹂ カウンターにお盆ごと置いて頭を下げると、枝豆を一口つまんだ 男から飛んでくる言葉。 ﹁なんだ。毒でも入ってるのかとおもったんだが﹂ その言葉でユウは、なんとなくではなく、確実に誰だか分かった。 ついでに、相手が自分のことを知っていることに驚く。間違っても 一介の酒場の店主にかける言葉ではない。 ﹁⋮⋮そんな手が通用するとは思ってませんよ⋮⋮現にユーリさん が何度も失敗していますしね⋮⋮﹂ 三姉弟の一人の名前を出すと、﹃勇者﹄は嘲るように笑った。こ の嘲りは、ユウではなくユーリに向けられたものだ。 ﹁んだよ、そんなことまで知ってんのか。分っかんねェんだよなァ ⋮⋮あそこまで怨まれる理由が﹂ 心底分からないといった風に暢気に首を傾げる﹃勇者﹄。 ユウは彼とは真逆に神妙な顔をして、﹃勇者﹄に尋ねる。 ﹁⋮⋮私のことはどこから⋮⋮?﹂ ﹁ウチんとこの女狐から。何となくアイツがこの国を警戒する理由 が分かるわ。確かに、ここが一番危ないかもなァ﹂ 1201 その言葉にユウは臨戦態勢をとり身構える。 ﹁まァ、今日は別に戦いに来たわけじゃあない。潰すときはちゃん と、無駄な軍隊引き連れて来るさ。立場的に今このポジションを失 いたくはないしな﹂ ﹁今日はどういったご用件で?﹂ ﹁下見兼観光。この国にいるとホームシックになりかけるな。よか ったな、図らずもオレに精神ダメージを与えられたぞ﹂ 随分と尊大な態度で﹃勇者﹄は笑った。笑いながら﹃勇者﹄は途 端に笑顔の種類をニヤリへと変える。 ﹁本当に似すぎだ、この国は。誰が建てたのか、是非ともお聞かせ 願いたいねェ﹂ ﹁そこまで⋮⋮そちらは知っていると⋮⋮﹂ ﹁いや、これはオレが今日来て思っただけだ。女狐も知らないだろ うよ。まっ、興味もないだろうが﹂ ユウはそれ以上何も答えない。言うだけ無駄だった。﹃勇者﹄は 間違いなく確信を持っている。 答えないユウを見て、﹃勇者﹄は飽きたとでもいうように立ち上 がる。 ﹁⋮⋮んじゃあ、オレ帰るわァ。金はここに置いとくぞ﹂ 1202 ユウがカウンター上のビールと枝豆を見ると、いつの間にか無く なっていた。 ﹃勇者﹄が千鳥足で出口へと向かっていく様を呆然と見ていたユ ウだったが︱︱ 何を思ったか、出口の手前で﹃勇者﹄は立ち止まり、慌ててユウ の元へ戻ってくる。 戻ってきた﹃勇者﹄の口から飛び出した言葉は、ユウがまったく 予想していなかった言葉で、一瞬、本当に彼はあの﹃勇者﹄なのか と疑いたくなる言葉だった。 ﹁忘れてた⋮⋮。なァ、アイスってどこに売ってんの?﹂ その手には、皺くちゃになった小さな紙が握られていた。 ⇔ 少年は、夜の街を一人彷徨っていた。 この少年はつい先刻、突きつけられた現実をどうにも認めたくな くて、衝動的に孤児院を飛び出してしまったのだ。 突きつけられた現実が脳内でリフレインする。 ﹁お前、才能ないから諦めろ﹂ 本当は知っている。これは変えようのない事実だと。薄々気づい ていた。他人に出来ることが、自分には出来ないと。 ただ、少年は夢の捨て方を知らなかったのだ。真っ直ぐに抱いた 憧れの捨て方を。幼すぎる故に。 齢9。﹃勇者﹄のいた世界なら、未だサンタクロースの存在を信 じるような年齢だ。 そんな少年に、突きつけられた現実は冷酷すぎた。 1203 人間は叶わない夢を見て背伸びをし、いずれ自分の届かない現実 を知って夢を捨てる。 だが、この少年は背伸びをすること自体を否定された。それは、 諦めるなら早い内にというクロノの一種の優しさなのだけれど、少 年には気づけなかった。 少年は空を見上げる。 本来なら、少年は既に孤児院にて夕食を食べ終えている時間。昼 食の前に飛び出してきたので、昼食も食べていない。 腹が減っている。今すぐにでも食事をかき込めと、成長期の胃袋 が悲鳴を上げていた。しかし、当然のように、少年には金がなかっ た。 ︱︱このまま死ぬのかな⋮。 大げさにもそんなことを考えながら、街を彷徨っていると︱︱血 が足りないせいか、一瞬、よろめいた。 その拍子に何かにぶつかったようで、少年は声を上げる。 ﹁いてっ﹂ よろめきから回復した少年が、ぶつかった先を見ると、そこにい たのはオッサン。若くはない。きつい加齢臭と毛むくじゃらの顔が それを物語っていた。 そしてその足元には、木の容器に入った白い半液状の丸い物体。 簡単に言えば︱︱アイス。 ︱︱子供かお前は! 俺に寄越せ! 内心そんなツッコミを入れていると︱︱ふいに強めの衝撃が首元 を襲った。 1204 感触からして、どうやらヒゲ面のオッサンの手が首元を掴んだら しい。 ﹁お前は、何してくれてんだアアアア!?﹂ ︱︱アイス如きで大人げなさすぎだろおおおおおお!! 当然そんな叫びはオッサンには届かず、声に出すことも叶わない。 少年は、アイス如き、と言ったが、値段は思いの外張るもので、 実は一杯、一般庶民の給料一か月分は必要である。給料一か月分失 ったと言い換えれば、オッサンの怒りはご尤もと言えた。 少年にとっては更に最悪なことに、オッサンは仲間と居たらしく、 オッサンの背後からは四人ほどの男がぞろぞろ。平均年齢四十くら いか。唯一二十代くらいの男は、マスクをしていた。 そんな光景に苦笑する暇もなく、首元を掴まれたまま、人通りの 少ない道から外れ、民家の奥の奥の隙間のようなところへ連れて行 かれる。 そして少年は乱暴に放り投げられ、硬い壁へと思い切り激突した。 ﹁⋮⋮ッってぇ⋮⋮!!﹂ 少年が僅かに声を上げた時には、オッサンたちは他から見えない ように少年を取り囲んでいた。 これから何が始まるのか少年には、嫌でも想像が出来てしまう。 ︱︱本気か⋮よ!? こんな⋮ ﹁⋮⋮ガ⋮⋮ハッ⋮⋮!﹂ こんなことで、と内心で言う事すら許されず、誰のものか分から 1205 ない蹴りが少年の小さな腹に叩き込まれた。 続けざまに聞こえる嫌な重低音。音の発生源は右手。誰かに踏ま れているようだ。今度は足の指から聞こえた。顔面にも強烈な蹴り が叩き込まれる。鼻に嫌な感触が奔った。身体全体が熱く悲鳴を上 げていた。 少年は朦朧とし始めた意識で思う。 ︱︱こんなことで⋮⋮死ぬの⋮⋮かよ⋮⋮。 自分の生存を諦め始めた少年。これが才能のない人間の末路かと、 自分でさえ思った。 そして、少年はこの日︱︱クロノとは別種の圧倒的﹃強者﹄に出 会う。 ﹁なーにやってんだか。オレの前でそんなもん見せんじゃねェよ︱ ︱﹂ 少年の耳に届いたその声は、あまりにも暢気で、物騒で、軽そう で、それでいて︱︱いやに耳に響く声だった。 ﹁殺したくなっちゃうだろ﹂ 声が聞こえたと同時に、汚い音が聞こえ、少年の視界が開け︱︱ 深紅に覆われた。 ︱︱なんだこれは。 1206 深紅の正体は見れば分かる。だが、目の前で何が起きたのか理解 出来ない。かろうじて理解できたのは、平均年齢四十代のオッサン 連中は死んだということだけ。 現在少年の視界には、首が四つと深紅の血が舞っている。首がべ ちゃりと音を立てて地面に落下すると同時に、少年はようやく事態 を理解する。突如として現れた黒い髪の男が、何らかの方法で首を 撥ねた。それだけのことだった。 黒い髪の男は、胴体だけと成り果てた男を踏みつけるように上に 立ち、手についた血を舐めては不味そうな顔をしている。 悲鳴を上げる気にもならなかった。目の前で人が死んだというの に、少年に湧き上がった感情は恐怖ではなかった。 ︱︱スゲェ⋮⋮。 感嘆と憧れ。少年に湧き上がった感情はおおよそそういったもの で、微塵も恐怖はなかった。 だが、ここで少年は気づく。舞った首は四つだ。相手は五人いた。 その気づきは実際正しくて、黒い髪の男の背後には、二十代くら いのマスク男の生存が確認できた。 マスク男の眼には少年とは違い、絶対的恐怖と錯乱の色が浮かん でいる。 ﹁あァ、一人殺り損ねた。まァ、実験には丁度いっか。ほれ﹂ 黒い髪の男は相変わらず暢気な声色で、平然と振り返り、マスク 男にキラリと光る短剣を放り投げた。 意味が分からないといった表情でマスク男はそれをかろうじて受 け取る。 そして、呆然と立ち尽くすマスク男に、黒髪の男は衝撃的な一言 を投げかけた。 1207 ﹁どっからでもいい。脳天でも、心臓でも、どこでもいい。一発刺 させてやるよ。あっ、魔法使ってもいいぞ﹂ 両手を目一杯広げて、まったく抵抗しないと示す黒髪の男。 ︱︱馬鹿げてる。 少年は流石にそう思った。どこからどう見ても自殺行為だった。 マスク男も、これなら、と思ったのか、錯乱と恐怖の中に生気が 戻る。微かに見えた勝機に眼が輝いていた。 マスク男の行動は早かった。真正面から黒髪の男へ駆け出す。そ の速さたるや、距離が短いこともあり、瞬きすら許さないようなも のだった。 ﹁死ねええエエェェェェェェ!!!﹂ 耳劈く悲鳴のような叫び声を上げたマスク男の振りかぶった短剣 が、黒髪の男の脳天に突き立てられる。 直後。グジュリと嫌な音がして、頭から血が滴った。見るもの全 員が、これは死んだな、と思うほどに強く力を込めた成人男性の一 撃だ。血が流れるのは当たり前と言えた。 だが︱︱それだけだった。血が滴っただけ。しかも、到底致死量 になど届きそうもないほど微量。 短剣の大部分が未だ外にあって︱︱黒髪の男の頭に埋まっていな かった。埋まったのは刃先のほんの先だけ。 マスク男はどうみても本気だった。あんな叫び声を上げて本気で なかったはずはない。だというのに、これはどういうことか。 状況が理解出来ない二人を尻目に、黒髪の男はやはり暢気に呟く。 1208 ﹁やっぱり身体が硬くなってる。筋肉の作り自体を変えてるんだな。 これなら、普通の人間の力で刺されても死なないんじゃないか﹂ 完全に一人の世界に入っていたところで、ようやくマスク男を見 下ろした。 ﹁まだいたのかよ?﹂ マスク男の存在などどうでもいいかのように言いながら︱︱直後。 首が舞った。 黒髪の男の右手がまるで瞬間移動でもしたかのように、右から横 に跳んだ。右手には血が付着している。 ようやく少年は理解する。どうやって首を撥ねたのか。 手刀とはよくいったもので、まさに刃物のように手刀で首を薙い だ。その結果、首と胴体が離れた。不思議なことは何もない。当然、 誰にでも出来るわけではないが。 あっという間に五人を殺した黒髪の男は、めんどくさそうに頭を かき始める。一度も使っていなかった左手には、鉄製のバケツのよ うなものが握られていた。 そしてギロリと、少年を見下ろす。 ﹁食いかけに興味ないんだよなァ⋮⋮﹂ 微妙そうな顔をして少年を食いかけと表現し、ブツブツと呟き始 める。 ﹁あいつらが悪いな。オレの許可なく勝手に人を殺すとか極悪人だ。 なんて、最低な奴らだ。しかもオレは、少年を助けたわけだ。勝手 な行動ではないどころか、警視総監賞を貰いたいレベルだな﹂ 1209 自分の言葉に納得したように、うんうんと頷いてどこかへと歩き 出す男。 少年は痛む体で必死に耐えながら、潰れていない喉の奥から言葉 をひねり出す。 ﹁お、おいっ!﹂ ﹁ん? 何か用?﹂ この光景を見ながら、男に声をかける少年は傍目から見ても異常 と言えた。誰がどう見ても黒髪の男は、声をかけたいと思うような 人間ではない。 それでも少年が声をかけたのは、諦めたくなかったから。なまじ、 今の目の前の現状を見せられてしまったから。圧倒的強さに魅せら れてしまったのだ。 こうなりたいと願った故の行動。 少年はクロノに投げかけたような言葉を男に投げかける。 ﹁どうしたら⋮⋮お前みたいに強くなれる⋮⋮?﹂ ﹁はァ?﹂ ﹁教えてくれよ⋮⋮! 俺は、強くなりたいんだ⋮⋮!﹂ ﹁知るかよ。勝手に頑張れ﹂ 見捨てるように吐き捨てて去ろうとする男に、少年は縋るように 叫ぶ。 ﹁魔法の才能がないのは自分でも分かってるんだ⋮⋮! でも、俺 1210 は諦められないんだよ! 強くなることを諦めたくないんだ!﹂ 男が一瞬、足を止めた。男の肩が上下に震えだす。聞こえる嘲笑。 蔑みの笑いにも聞こえた。 男は振り返る。その顔には、心底馬鹿にしたような怒りが貼り付 けられていた。 ﹁あァ!? 馬鹿かお前はァ! 諦めたくないなら諦めんな! 頑 張れよ! 努力しろ!﹂ ﹁でも、俺には才能が⋮⋮﹂ ﹁才能がないって言えるほど、お前は努力したのかよ!? その齢 で!? 笑わせんな! 誰かに言われただけだろ!? テメェの道 は他人に決められるもんじゃねェだろうが!﹂ ﹁ないんだよ! 魔法が使えないんだ! それは自分でも分かって るんだ! どう頑張っても夢には届かないって⋮⋮分かってんだ!﹂ 自分を否定する少年。しかし、男はそれすらも否定する。 ﹁それが馬鹿だってんだよカスが! 魔法が使えない? だからど うした! それが事実だったとして、使えない=弱いにはならねェ んだよ! ヒョードルは魔法なんざなくたって強ェんだよ! モハ メドは魔法なんざなくたって強ェんだよ! 人間はな、魔法なんざ なくたって地球の表面上を支配できるんだ! 頭を使え、脳みそ回 せよ! 一日腕立て一万回やれ! 腹筋二万回やれ! それでも強 くなれないなら武器を使え、造れ! 拳銃だろうが、核ミサイルだ ろうが、人間なら造れるんだよ!﹂ 1211 男は止まらない。夢を否定する少年を否定する。 ﹁オレは誰よりも人間の可能性を信じてる。オレだって夢の途中な んだ。オレはもう諦めない。その夢を達成できると信じてる。だか らオレは、その夢を否定する人間が大ッ嫌いなんだよ! それ以上 言うなら、食いかけだろうがなんだろうがぶっ殺すぞ!﹂ 苛立ちながら、少年の全てを破壊するように力強く言い切った男 の眼は本気だった。本気で自分の夢を達成出来ると信じている。 少年は地べたに這い蹲ったまま、何も言い返せなかった。少年の ︱︱この世界の常識が否定された。魔法が使えない=弱いではない と。 出てきたたとえ話は、さっぱりわからなかったけれど、希望は示 された。魔法など使えなくても、強くなれる。 その事実は、少年に一縷の望みを繋がせてくれた。諦めるなとい う言葉が心の奥から湧き上がってくる。 少年がこんなにも簡単に、男の言うことを信じたのは、自分が強 くなれると信じたかったからだ。諦めたくないと願って、自分にと って都合の良い言葉を信じた。 それが正しいことかどうかは誰にも分からない。 ﹁⋮⋮俺は⋮⋮なってやる⋮⋮。強くなってやる⋮⋮﹂ ﹁そうだ。なりたいなら勝手になれ﹂ 男は再びどこかへと歩き出そうと、少年に背を向けた。 その背中に少年が投げかけた言葉は︱︱感謝だった。 ﹁ありがとう⋮⋮。俺は諦めない⋮⋮もう諦めないから⋮⋮﹂ 1212 ﹁あっそ。勝手にしろ﹂ どうでもよさ気に適当な返事をした男に、少年は最後の言葉を投 げかける。 ﹁⋮⋮名前⋮⋮教えてくれ﹂ 知りたかった。自分をここまで魅了させた彼の名前を。圧倒的強 さを持った人間の名前を。 男は振り返ることもせず、めんどくさそうに右手で頭を?いた。 ﹁ゆ⋮⋮じゃねえな。あれは称号みたいなのだし。名前か⋮⋮白井 だ。白井善治﹂ ﹁俺は︱︱﹂ ﹁興味ないから言わなくていいぞ。聞いても明日になったら忘れて るだろうし﹂ 心底興味がないのだろう。今度こそ少年はそれ以上何も言わない。 白井は数歩歩き出したところで、何かを思い出したように立ち止 まる。 ﹁あァ、そうだ。お前がオレにありがとうって思ってんなら、今度 またここ来るからよ、それまで強くなってろ。で、精々オレをてこ ずらせて殺されろ。期待しないでおいてやる。じゃあなー﹂ 意味不明なことを言い残して、白井はどこかへと消えた。 後に残された少年は、骨が折れたままでも、強く決意する。絶対 1213 に強くなってやろうと。白井の言う今度とは、何時だか分からない けれど、それまでに絶対に強くなってやろうと。たとえ、魔法が使 えなくても人間は強くなれるのだから。 ⇔ 一日が終わる頃︱︱マリアは帰ってきた﹃勇者﹄から受け取った 鉄製のバケツのような物の中︱︱白いアイスを見て、彼女にしては 珍しく微妙な表情をして静かに怒りの声を上げた。 ﹁溶けてるんですけど⋮⋮﹂ 1214 第百六話︵後書き︶ 少年はまあ、頑張れ。 次回は本編進めて戦争の始まりかな。 1215 第百七話︵前書き︶ 久々短め 考えてみたら少年がぼこられてる間、クロノはリルとイチャついて たわけで、勇者の方がよっぽど善人だね。 正直、クロノが一番何言ってるのか分からないキャラ。書いてて気 持ち悪い。 一応百五は修正しておきましたけど、まだ微妙。もっと依存しろ。 もっと壊れろ。 少年は、多分昨日辺りヘンリーに見つけられてそう。 1216 第百七話 コンコン 宿屋に泊まっていたアレクは、そんな音で目を覚ました。 ダブルベッドのもう一つには、相方であるアンナが、昨日寝たと きと微塵も変わらない位置で上品に寝ている。寝相が悪く、シーツ が乱れているアレクとは大違いである。寝顔だけを見れば、おっと りとした印象はどこにもない。まるで綺麗な人形のようだ。 窓から見える太陽の位置からして時間は7時、8時くらいだろう。 ︱︱いや、8時か。 すぐさま不確かな時間を確定させる。彼が8時だと断定したのは、 自らを起こしたノックの音からだ。昨日ユイに朝食の配膳を指定し た時間が丁度8時だった。個人的な来客など二人にはあるわけもな いので、ノックの音はそれ以外あり得ない。というより、それ以外 だったら逆に困る。 ﹁朝食か?﹂ ﹁はーい。そうですよぅ﹂ 特徴的な幼い猫撫で声。この宿屋には、数えるのもめんどくさく なるほど従業員がいるが、朝食を持ってきたのは幼いユイらしい。 ユイの声を確認してから、部屋の内側から鍵を開ける。 ﹁昨日ぶりですねぇ。朝食どこ置いときます?﹂ 1217 ﹁適当にそこら辺のテーブルにでも置いといてくれ﹂ ﹁はーい﹂ ユイは、アンナには負ける間の抜けた声を上げ、テキパキと鉄製 のカートに乗った、ただ二つの食事をテーブルに置いていく。挙動 の端々からは慎重さが見られ、音を立てないように配慮してくれて いるようだった。 配膳を終えたユイは、部屋の扉の前で立ち止まり、アレクへと振 り向く。 ﹁昨夜はお楽しみでしたね。ではではー﹂ ﹁はいはい、しつこいぞ﹂ 流石に二回目となるとツッコミも控えめになる。 適当に受け流すと、ユイはつまらないといった表情で、部屋の扉 を閉め、最後に頭を下げ出て行った。 ユイが去ってすぐに、アレクはチラリとアンナを見る。相変わら ず夢の中にいるようだ。 それを確認してから、部屋の扉を開ける。当然、そこには部屋を 出たばかりのユイがいた。その前にはキャスター付きの何も乗って いないカート。 ﹁何かありましたぁ?﹂ ﹁やっぱ、おかしいよなぁ⋮⋮﹂ ﹁? 何がです?﹂ 1218 ﹁おかしいんだよ。こんなサービスがあるんなら、あんなに食堂は 混まないだろ? 大体の人間が配膳を選ぶはずなんだ。それに、こ の部屋は別にフロアの奥ってわけじゃあない。なのに、カートには 他の食事は乗ってない。つまり、俺ら以外にはこのサービスを使っ ている人間がいない。いや︱︱本当はこんなサービスはないんだ。 まさか、フロアの中で階段から近くも遠くもないこの部屋に最後に 運ぶ意味はないだろ﹂ アレクとアンナが泊まっている部屋は、二階にあり、南北に広が った廊下の真ん中に位置している。階段には近くも遠くもない。 昨日、食堂は混んでいた。人が多すぎて暑さを感じるほどに。わ ざわざ、あんなところに行くくらいならば、運んで貰おうと思う人 間は多いはずなのだ。 アレクは更に、感じた違和感をぶつける。 ﹁サービスだけじゃない。お前は俺の見た限り、一々他の宿泊客に 声をかけていない。俺たちだけだ。ここに泊まる時だって、なんで こんなとこが空いてんだよ。偶然、それもたった一室だけ﹂ ﹁ようするに、何が言いたいんですぅ?﹂ ﹁︱︱お前は何者だってことだよ。アンナの名前を知っていること を含めな﹂ 本当のところは、アレクにとって一番最後の事実が重要だった。 アンナという名前を知っていることが。 ユイは、小さく息をついたかと思うと、顔から幼さを消して、続 けざまにもっと深い情報を喋った。 シルバードール ﹁だって、お客様はバードレール家の﹃銀人形﹄様なんですから、 1219 VIP待遇は当たり前でしょう?﹂ 言葉を聞いた瞬間︱︱アレクの心に静かな怒りの炎が滾った。眼 が変わる。幼い少女を見る眼ではなく、敵意が剥き出しの眼。大き く見開いた眼に、赤い血管が奔る。 ﹁⋮⋮アイツをその名前で呼ぶな﹂ ﹁安心してくださいよ。別に売るような真似はしませんから。そん なんでこの国が助かるんだったら、とっくに問答無用で貴方を殺し て、彼女を送ってますって﹂ 言い換えれば、アレクなどいつでも殺せると言っているようなも の。その上、必要とあらばアンナを売り飛ばすことをもいとわない ということ。 ﹁なんで知っているかって? 私たちは、各国の要人くらいは把握 してますよ。こんなご時勢ですし、重要な戦力になりそうな方もね。 その両方を兼ね備えたアンナさんなんて、知らないと不味いでしょ う?﹂ ﹁⋮⋮お前がこの国の関係者だってことは分かった。しかも、この 国が戦争の算段をしてることもな﹂ ﹁理解が早くて助かります﹂ ﹁でもな、参加するしないは俺の決めることだ。勝算のない勝負は 受けないんでね。それにだ、参加したとしても、アイツは前線に立 たせない﹂ 1220 ﹁殺したい相手もいるでしょう? 普段ではありえないチャンスで すよ? 三姉弟の一人を殺せるチャンスなんて、中々あることじゃ ない﹂ ﹁ガキの下らん挑発には乗んねえよ。そんなんで焚きつけられるの は馬鹿だけだ。ようするに、お前は戦力を集めてるわけだろ? お 前は頼む側だ。人にものを頼む態度じゃねえな﹂ ﹁こんないたいけで可愛くて可憐な少女に、貴方の靴でも舐めて誠 意を見せろと?﹂ ﹁生憎そんな趣味はない。言ったはずだ。勝算のない勝負は受けな い。勝算はあるのか? 軍事のぐの字もないようなこの国に。それ とだ、雇う側の誠意ってのは、行動でも態度でも言葉でもねえよ。 俺みたいな屑は、相手がどんな下衆だろうが屑だろうが畜生だろう が、それが可能なことならば、貰えるものさえ貰えりゃやるんだ﹂ アレクはここであえて、﹁俺﹂と言った。自分だけを屑だと表現 した。彼自身、自分は屑であると自覚はある。そして、アンナが自 分などとは比べ物にならない純粋さを持っているということも分か っている。その純粋さが、一般的に良いことかどうかはおいておい て。 ユイはアレクの言葉を聞いて、顔に幼さを瞬時に戻し、踵を返す。 ﹁そこら辺はまた後日ですぅ。後日募集が大題的にかかると思うの で、その時にでも話しますよぅ﹂ こちらを見ることすらせずに言ったユイの口調は最初の頃に戻っ ていた。 そのまま、鉄製のカートを押してユイは階段へと歩き出した。 1221 ﹁あぁ、そうそう、推理は中々よかったですけど、穴も多かったで すよぅ。配膳サービスはしっかりありますし、私だって普段は声を かけてます。最近は人が多くて、現在重要な方にしかかけてないだ けです。配膳サービスも、限られた方にしか提供しないだけですぅ。 そんな都合よくこのカート用意できません。それに、全員8時に指 定するとは限らないでしょ?﹂ 色々と喋りながら歩いていくと、階段のところに辿りついたとこ ろで、一旦こちらを振り返り、不敵な︱︱おおよそ少女とは思えな い、微笑を浮かべた。 ﹁最後に一つ。私はガキじゃないですよ、ボウヤ﹂ 最後にそんな不気味な微笑みを残して、ユイは階段を下りていっ た。 残されたアレクは、暫く︱︱アンナが彼を探そうと部屋を出てく るまで、じっと階段の先を見つめていた。 ⇔ 天気、晴天。気象予報士によれば、空を覆う雲が一割以下ならば 快晴らしいので、この三日は快晴にあたる。三日連続でここまでの 快晴だと、次に来るであろう雨の日が一段と恨めしく思えそうだ。 クロノはいつも︱︱といってもここ来て三日ほど、同じ場所にい た。裏口の石段の上︱︱滅多に人が通らない裏庭の前に立っていた。 普段であれば、探検でもしている子供しか通らない場所。 だが、どうやら今日は違うらしく、クロノは背中越しにいつもよ り大きな足音が近づいてくるのを感じていた。子供ではなさそうだ。 扉が開く音が聞こえ、直後に飛んでくる野太い声。 1222 ﹁よう﹂ 声からすらも、どこかゴロツキではないかと疑わせる。これはあ る意味で彼の宿命なのか。 クロノは振り返らず素っ気なく答える。 ﹁⋮⋮朝方頼まれた仕事なら、もう終えたが﹂ ﹁早いのは結構なことだ。⋮⋮って、別にそんな話をしに来たんじ ゃねえ﹂ 身体のありとあらゆるパーツが、初見の人間に悪人だと思わせる 男︱︱ユリウスは、ずかずかとクロノに近づき、クロノの横に座っ た。 ﹁今日見た感じ、リルはある程度立ち直ったみたいだな。礼を言う﹂ 目の前に広がる統一性のない、緑生い茂る庭を見つめながらユリ ウスはそう言った。 ﹁別に⋮⋮お前に礼を言われることじゃない﹂ 一瞬、二人の間に沈黙が生まれる。間が持たない。二人は依然、 視線を一切合わせず、目の前の緑を見つめ続けている。 ﹁⋮⋮昔な、孤児院なんて作る前、クロノってガキがいたんだよ﹂ ﹁偶然にも、俺と同じ名前だな﹂ 1223 ﹁そうだな。偶然だ。そのガキは、どっかの貴族の生まれで、才能 がないから捨てられることになってたんだ﹂ ﹁まあ、よくある話だな﹂ ﹁俺は行く宛てのないそのガキにいいとこ紹介してやるって言った。 正直、同情してたんだろうな。でも、当時の俺は先に行くとこがあ った。そこにガキは連れてけない。だから、宿屋に預けて待ってろ つったんだ﹂ ﹁そうか﹂ ﹁で、ガキを預けた街に戻ってみるとよ、そこにはいねえの。血眼 になって探したね。探してる途中で、奴隷組織潰したりしてよ。そ れでも見つかんねえの。聞いたらさ、迷いの森に入ってたってよ。 知ってるか? 迷いの森って﹂ ﹁有名どころだな。少なくとも、人間が入る場所じゃあない。死亡 確実だ﹂ ﹁本当そうだ。あそこは人間が入っていい場所じゃない。俺は今で もあの時のことを後悔してる。どうして、用事なんて放り投げてガ キと一緒にいなかったんだろうってな﹂ 長々と独白したユリウスだが、その間も互いの視線は緑の中だ。 ﹁︱︱で? そんな話を俺にしてどうする? 俺がそのクロノだと でも言う気か?﹂ ﹁そんなことは言わない。お前は色々な場所回ってるんだろ? な 1224 ら、クロノに会う確立も0じゃない。会ったら言っといてくれ﹂ ﹁言う? 死人に何を言えと言うんだ?﹂ ﹁俺はアイツが生きてると信じてる。勝手な話だけどな。どっかで 生きてるんじゃねえかって信じてる。だから、もし会ったら言っと いてくれ。あの時、一緒にいてやれなくてごめんな、って﹂ ﹁知るか。自分で言え﹂ 吐き捨てるように言うと、クロノは座ったままのユリウスに背を 向け、裏口の扉に手をかけた。 が、そこでふと足を止める。 ﹁お前がそんなに覚えてくれているってことは、多分ソイツは幸せ なんじゃないのか。死人だろうが、なんだろうが、誰かが自分を知 ってるっていうのは、幸せなもんだ。家族に見捨てられたソイツに とっては、特にな﹂ ﹁そうかな﹂ ﹁そうだろう。まあ、多分⋮⋮だがな﹂ 結局、最後まで二人は視線を合わせることがないまま、クロノは どこかへと消えた。 クロノが裏口の扉を開け、どこかへと去った後で、ユリウスは震 える声で一人呟いた。 ﹁んだよ⋮⋮⋮見ねえ内にでかくなりやがって⋮⋮⋮﹂ 1225 1226 第百七話︵後書き︶ 新規厨二ワード﹁銀人形﹂適当に思いついた。アレク君の相手は、 多分ディルグになりそう。 1227 第百八話︵前書き︶ やっぱり後半は適当 ぶっつづけで書くとだれるようで 日常回からの急転直下をしたかっただけ 本編はラスト5行くらいから。それまで飛ばせばいいと思われ。 指輪の設定って必要? 朱美さんから貰ったやつ 1228 第百八話 閉じているはずの眼に感じる暖かな光。身体に感覚が戻ってくる。 瞼は重いわけではない。昨晩はよく眠れたようだ。 クロノは右向きに寝たまま、とりあえず瞼を上げた。そこにあっ たのは︱︱小動物的穏やかな寝息を立てているリルの寝顔だった。 ﹁ん⋮⋮今日もいたのリル?﹂ 寝ていたリルは、クロノの言葉に驚くような早さで反応し、パチ リと眼を開ける。 ﹁おはよっクロノ!﹂ ﹁おはよう﹂ 寝起きだというのに、遥かに高いリルのテンション。 ここ数日、クロノが眼を覚ますと、なぜか毎回リルが同じベッド で寝ている。どうやら、寝静まった後にわざわざ忍び込んで来てい るらしい。 ﹁俺はもう寝てるからいいけど、寝るとき狭くないの?﹂ クロノの部屋はまったく数日前と変わっていない。使用人室のよ うな、殺風景な部屋。ベッドだって、どこからどう見ても一人用だ。 ﹁全然、クロノがいればどこでも寝れるもん! ⋮⋮でも、クロノ が嫌だったら止めるけど⋮⋮。嫌だった⋮⋮?﹂ 1229 急激なテンションの落差。器用にも眼を涙が出るように震わせな がら言うリル。 クロノだって長い付き合い上、これがわざとだとは気づいている。 一般的に言えば︱︱あざとい。 しかし、だからといって、クロノの答えは変わりはしない。リル がどんな演技をしようが、言うことはどうせリルが望んだとおりの ことなのだ。 ﹁いや、全然﹂ 答えを聞くと同時にリルは演技の沈んだ顔から、本当のパァっと 眩しい笑顔になる。 あの夜の出来事から、特にクロノとリルの関係は変わっていない。 クロノがリルを避けなくなったり、リルが少々積極的になったりと、 些細な違いこそあれど、傍目から見ても変わりはないように見えた。 クロノ自身はというと︱︱正直、依然と意識は違う。 流石にあそこまで言われて、﹁ああ、これは家族愛の延長線上だ な﹂なんて思うほど馬鹿ではない。リルが自分に抱いている感情が ﹁Like﹂か﹁Love﹂かくらいの違いは分かる。 が、クロノはそういった感情を誰に対しても抱いたことがないの で、自分がリルをどう思っているのかが分からないでいた。 わざわざ結論を先送りにしたのは、リルの年齢以外にそういう疑 問があったというのもある。 自分ではそう思っていないが、そもそもクロノは男女関係という ものに潜在的忌避感があった。 まず、男女関係と聞いて真っ先に浮かぶのが、名も無き村の地下 で見た映像。吐き気がした。 次に浮かぶのは、今まで殺した罪人の罪状に見える汚い文字。治 安の悪く孤児の多い街ではよくある話なのだが、聞くだけで胸糞が 1230 悪い。 今までの経験がそんなものばかりで、無意識の内に、恋愛感情を 抱くことを避けていた。クロノにとって、男女関係というのは汚く て気持ち悪いことだと刷り込まれているのだ。 故に、今意識的に抱こうとしても上手くいかないのだった。 リルに対する意識を妹のような存在から変えてみるが、イマイチ 何をどうすればいいのか分からない。 なので、とりあえず、主観的に改めてリルを見て思った感想を伝 えてみることにした。今までとは多分、違うニュアンスの言葉を。 ﹁ねえ、リルってさ︱︱﹂ それは余りにも唐突で、突然で、リルの状態を正常ではなくさせ た。 ﹁可愛いよね﹂ ﹁ふぇっ⋮⋮!? えええええぇぇ!?﹂ 直後、少女は甲高い声と共にどこかへと走り去ってしまった。 ⇔ ﹁︱︱で、何で俺のとこ来てるんスかねえ⋮⋮?﹂ ﹁何となく⋮⋮? それより聞いて! クロノがおかしくなっちゃ ったの! いや、私はそんなクロノでも好きだけど、むしろ、私に だけそんなこと言ってくれるのは嬉しいっていうか⋮⋮﹂ 1231 ﹁うん分かった。とりあえず落ち着こう!?﹂ 予想外の言葉を聞いたリルは、恥ずかしさのあまり孤児院を飛び 出し、ウッドブック工房に来ていた。 カイはいきなりリルが訪ねてきたことに驚きつつ、このままでは 埒が明かないと状況を整理する。 ﹁えっと⋮⋮朝方兄貴のベッドに忍び込んでたら、いきなり可愛い って言われた?﹂ ﹁うん、そう﹂ ﹁まず、なんで忍び込んでるのか分かんないッスけど⋮⋮可愛いな んて言われるの初めてじゃないでしょ?﹂ 確かにその通りで、たまにクロノはそういうことを言う。リルが 拗ねている時など、まるで誤魔化すように言ったりするのをカイは 知っている。そして、リルはそれを聞くと途端に機嫌を直していた ということも。 ﹁違うの! なんか、こう、いつものご機嫌とりの感じじゃなくて、 本当⋮⋮真顔で﹂ ︱︱あっ、ご機嫌とりだって気づいてたんだ⋮⋮。 気づいていながら、途端に機嫌を直していたということらしい。 お世辞であってもクロノに言われたかったのか。 ﹁考えすぎじゃないッスかね﹂ 1232 ﹁そんなわけないもん! クロノマイスターの私が間違うはずない んだよ!﹂ ︱︱クロノマイスターって、どんな職業なんスかねぇ⋮⋮。 木製のカウンターに座りながら、足をばたつかせるリルを見て、 カイは﹁カウンターに穴が開かないかな﹂などと心配しつつ訊いて みる。 ﹁最近、何か変わったこととかなかったんスか?﹂ カイの問いにリルは僅かに頬を紅潮させながら、小さな声で呟く ように答える。 ﹁⋮⋮⋮した⋮⋮﹂ ﹁ゴメン、聞こえないッス﹂ ﹁∼∼∼∼ッ! したの! クロノに告白したの!﹂ 瞬間︱︱カイの顔はまるで巨大隕石が衝突して恐竜が絶滅したよ うな衝撃を受け、時が止まったかのように、口を開けたまま数秒間 静止した。 約10秒後、ようやく正気を取り戻したカイは、顔から驚きを隠 せないままリルに訊いた。 ﹁兄貴の答えは!!?﹂ ﹁⋮⋮まだ私には早いから、私が今のクロノくらいになってから言 うって⋮⋮﹂ 1233 ︱︱脈はあるのか、それか、誤魔化されたか⋮⋮。うーん、判断つ かないッスね。 自分の知らないところで色々あったらしく、カイは一人蚊帳の外 にいるような感覚を覚えるも、二人の進歩自体は喜ばしいことだろ うと思う。 ﹁ま、いいんじゃないッスか。何だかんだ拒絶されてないってこと は、全然大丈夫でしょ﹂ ﹁そうかなぁ⋮⋮﹂ ﹁リルが変わったって感じたのが気のせいじゃないっていうなら、 兄貴の中で何かが変わって、そんな言葉が出てきたってことだと思 うッスよ。変わってそんな言葉が出てくるってことは、上手いこと 意識はされてるんじゃないッスかね?﹂ 一応安心させる為にやんわりと言った言葉なのだが、どうやらリ ルの耳には都合のいい部分だけが強調されて伝わっているようで、 恍惚とした表情を浮かべながら、色々と少女にはふさわしくない暴 走気味の言葉を呟いている。 ﹁子供は三人で⋮⋮⋮家は︱︱﹂ ︱︱うわあ⋮⋮兄貴も大変だなぁ⋮⋮。リルに好かれるとか、胃に 穴が開きそう。 もし、クロノがリルを拒絶していたら、と考えかけてカイは止め た。血の雨が降る気しかしない。いや、雨で済めば御の字か、血の 1234 台風が巻き起こりそうだ。 ﹁そんなに気になるなら、直接聞いてくればいいでしょ。さっきの 言葉がどういう意味だったのか﹂ ﹁むーー⋮⋮それが出来たら苦労しないの!﹂ そう言ってリルはカウンターを飛び降り、二人以外誰もいない店 内にストンと着地音を響かせた。 並べられた武具の数々を通り過ぎ、出口へとたどり着いたところ で、リルはカイへと振り向いた。 ﹁ちょっとは楽になったかも! ありがと! じゃーねー﹂ 来たときの混乱した表情ではなく、満面の笑顔をカイに向けてか ら、リルはウッドブック工房を出て行った。 どこへ行くかは知らないが、来たときよりもマシな気分にはなれ たようだ。 その事実に安堵した後、あることを思い出してカイは声を上げた。 ﹁あ、銃の調整手伝ってもらうの忘れてた⋮⋮﹂ だが、時既に遅し。カイの声は空しく誰もいない店内に響き渡る だけだった。 そして、数分後、再びウッドブック工房のドアがゆっくりと開か れる。 カイは一瞬、客よりもリルが戻ってきたのかと期待するが、見事 にその期待は裏切られることとなった。 扉の向こうにいたのは、なんとも不気味で無愛想な黒い格好をし 1235 た不審者。カイだって初対面であれば怪しすぎて何か黒いことを疑 うであろう容貌。 そんな怪しさ満点の人物は、見た目に似合わない不安げな声を発 する。 ﹁リルいる⋮⋮?﹂ ﹁さっきまでいましたけど、どっか行きましたよ﹂ ﹁何か言ってた? いきなり飛び出しちゃったからさ、何かあった のかなって﹂ カイの眼から見て、どうやらクロノは心底リルが飛び出した意味 が分からないといった風に見えた。 ﹁﹁クロノがおかしくなったー﹂って言ってここ来ましたね﹂ ﹁? おかしなことした覚えないよ?﹂ ︱︱だめだこりゃ。 首を傾げるクロノに、カイは心の底から溜め息を吐き、天井を仰 いだ。 ﹁そりゃあ、朝方いきなりあんなこと言われたら、驚くッスよ?﹂ ﹁え、普通に思ったことを言っただけなんだけど⋮⋮﹂ クロノは本当に純粋にそれだけのようだ。そこらの子供のように 思ったことを言っただけ。 1236 ﹁だーから、好きな人に寝起きでそんなこと言われたら、驚くでし ょうが。兄貴だってそうでしょ?﹂ ﹁そういうもんなの?﹂ ︱︱ああ⋮⋮この人本当にだめだ⋮⋮。どうしてこういうところは 朴念仁なんスかね? 考えてみれば、今まで傍目から見てもリルの圧倒的なアピールに 気づかないような人間である。分からないのも無理はない。この分 だと、他の異性に好意を持たれていたとしても気づいてはいなそう だ。 だが、逆に考えると、リルにはチャンスかもしれない。しっかり と言った分、流石にクロノだって無視は出来ないだろう。 ﹁まあ、いいッスけどね⋮⋮。リルだってまんざらじゃなさそうだ ったみたいッスし。ちゃんと、リルの気持ちに答えるって決めたな ら、それで。ちっとばっか、期限長すぎると思うッスけど⋮⋮﹂ ここから先は、二人の問題で、自分の踏み入るところではないと 判断したカイは、それ以上何か言う気はなかったのだが︱︱ クロノが気まずそうに僅かに眼を逸らしたのを見て、嫌な予感が して、疑いの眼差しを向けた。 ﹁あの、まさか⋮⋮まったく何も考えてなかったとか⋮⋮もしそう だったら、ドン引きどころじゃなくてブン殴りますよ﹂ ﹁⋮⋮違うよ? 言っとくけど違うよ?﹂ 1237 クロノは否定するが、直後、気恥ずかしそうに、カイを更に不安 に陥れる一言を投げかけた。 ﹁︱︱ただ、よく分かんないんだ。俺がリルを好きなのかどうなの かさ﹂ ﹁は?﹂ ﹁いや、好きか嫌いかで聞かれたら好きだよ。でもさ、これはカイ に対しても同じだ。俺にそっちの気はないし、これは恋愛感情じゃ ない。なんて言えばいいかな⋮⋮リルをどう見ればいいのか分から ない。どう見るのが、異性として見るってことなのかが分からない んだ。まず見方が分からないからさ、好きなのかどうかも判断でき ないんだ﹂ カイがクロノの言葉を聞いてまず思ったのは︱︱ ︱︱何を言ってるんだろう? それしかなかった。何を考えてこんなことを言っているのか。さ っぱり分からない。まるで言葉の通じない異国人と話しているよう だ。そもそも、そんなことは考えることなのだろうか。 だが、とりあえず分かったこともある。 ︱︱この人は馬鹿なんスね。馬鹿で馬鹿で馬鹿で馬鹿ッスね。 無駄に難しく考えるのは癖なのか。そんなことを考えるなんて、 馬鹿としかいいようがない。 しかし、それがクロノという人間なのだとしたら、別に自分が何 か言うこともない。わざわざ一般的な感性を教える必要もないだろ 1238 う。それは自分の役目ではない。 ︱︱リルも大変ッスね⋮⋮。 少女はまず、彼にそういったことを教える、或いは無意識で自覚 させるところから始めなければならないらしい。 そう考えると、二人ともそれぞれおかしな部分がありすぎて、逆 に丁度いいのかとさえ思った。きっと彼らは形の歪んだパーツで、 二人合わせたらおかしな部分を補ってまともな形になるのだろう。 そんなカイの考えが正しいかはさておいて、彼にはまた別の思い が浮かんでいた。 ︱︱いつからここは、バカップルの溜まり場になったんスかねえ⋮ ⋮。 ここ数日で二組のバカップルの甘ったるい空気を見せられて、﹁ ここは何の店だったかな﹂と呆れるしかないカイだった。 ⇔ クロノが仕事終わりにふと、空を見上げると、そこには金色の夕 陽があるだけで雲はなかった。 カイと別れて以降のクロノは、実にいつも通りギルドの仕事を淡 々とこなし、ようやくこの時間に終わったのだ。 ︱︱いつもより早いな⋮⋮。 最近はほぼ毎日深夜までかかっていたが、今日は夕方辺りで殺人 依頼が尽きた。終わったというのはそういう意味だ。 近頃、街中では、犯罪を犯すとひっそりと消えてしまうという、 1239 まるで神隠しのような噂が立っているらしい。そのお蔭か、犯罪件 数が下がっている。それがクロノの仕事量にも直結しているわけだ。 いつもより早すぎる仕事終わりに、久々に街でも回ろうかと気ま ぐれを起こして、クロノは街を徘徊し始めた。 自分の足音がよく聞こえる、夕陽に照らされた道を歩く。 紫のローブを纏った怪しげな占い師、外観が古びてさび付いてい るセントー、見るだけで時の狭間に落ちたかのような錯覚を覚える 時計屋、大体は回ったことがある場所ばかりだ。 過去をなぞるように、クロノは歩いた。どこか物足りなさを感じ ながら。 人通りは少ない。というより、人通りが少ないところを選んで歩 いている。あまり人の多いところは好きではない。 しかし、閑散とした道は、そう長くは続かない。必ず終わりは来 る。特に人が多い、今日この頃は。 クロノの歩いていた道の先にも人影の多い通りが見えた。左右に 避ける道はない。後戻りする選択肢もない。 しょうがなく、クロノは前へと歩みを進めた。 大きな通りに行ったところで、真っ先に眼に飛び込んできたのは、 とある店の前で並んだ少女の姿。 その姿を見てクロノは足を止めた。 重なって見える。まるでそこに二人の人間がいるように、赤い少 女に緑の少年の姿が重なって見えた。 それは当然、幻視なのだけれど、どうにもクロノには現実に見え て、言葉を失った。 喪失感が襲ってくる。揺さぶられ崩壊が始まる精神。 が︱︱クロノは寸でのところで踏みとどまる。 そして理解する。漠然と。 ︱︱ドラは⋮⋮ここにいるんだ。ここにしかいないんだ。 1240 自分の記憶の中にしか、彼がいないと。他には何も残っていない。 死体すらもないのだ。 独りの夜の時は、何も解っていなかった。ただ、ドラが死んだと いう現実を顧みただけ。今は独りではない。 今度こそ真の意味でクロノは理解した。飲み込んだ。ドラが死ん だことを。 やがて、クロノの存在に赤い少女が気がついて、アイスクリーム 屋の列を抜け出して向かってきた。 ﹁クロノ? 大丈夫?﹂ ﹁ああ、大丈夫⋮⋮だよ⋮⋮﹂ そう言うクロノの眼は、明らかな狼狽と焦燥を見せ、逆に大丈夫 だと自分に言い聞かせて、無理矢理大丈夫な状態にしようとしてい るようだった。 そんなクロノをリルは華奢な身体で精一杯受け止め、優しく小さ く囁いた。 ﹁いいんだよ。辛かったら辛いって言って。私が支えるから﹂ クロノはそのまま数秒間動きを止め、リルへと傾いた身体を起こ す。 ﹁ごめんな。ありがとう⋮⋮もう、大丈夫だ﹂ その眼には未だに狼狽と焦燥が見えたが、先刻よりは大分マシに なったようだ。 リルもクロノから離れたことにより、無理にどうにかするつもり はない。 1241 ﹁本当ごめん。リル並んでたのにな。俺が並びなおすからさ、リル は先に帰っててもいいよ﹂ ﹁帰らないから一緒に並ぼ?﹂ 自分の腕に抱きつきながら、上目遣いで見るリルに、クロノは何 も言えないまま、並ぶ運びとなった。 その後、二人分のアイスを買って、二人は陽の落ちかけた街に紛 れていった。 こうして、二人の今日という日は幕を閉じた。 ︱︱となれば、二人にとっては、比較的晴れやかな気分で一日を終 えられたはずなのだが、残念ながらそうはならない。特にクロノに とっては。 最初にそれを見つけてしまったのは、リルだった。 二人分のアイスを買って、孤児院に帰ろうと、街の中心部にある 噴水の前を通った時、リルの視界に入った、木製の立て看板。いつ も見る街の案内図ではない。 一瞬、立ち止まって内容を見て、リル風に翻訳してみると内容は 次の通り。 ﹃近々、レオンハルト側と戦争を行なうので傭兵募集中∼。詳しく はビッグマウンテンまで﹄ 実際はもう少し硬い文章だが、内容はこれだけで十分だった。 1242 リルは即座に隣のクロノを見る。そこにいたクロノは、リルが今 まで見たこともないほどの平坦な無表情を貼り付け、見開いた眼は ︱︱視線だけで相手を圧殺するような重厚さを醸し出していた。 1243 第百八話︵後書き︶ ドラの辺りは自分で何書いてるんだろ? ってレベルで書いてて意 味分かんなかった。 1244 第百九話︵前書き︶ 凄い短め リルメイン リルがクロノの精神安定剤化してる 短いのはめんどくさくなったのが理由 もっと互いに依存させたい 1245 第百九話 真夜中の孤児院は、まるで人がいないつい先日までの古ぼけた洋 館に戻ったかのような静けさを取り戻していた。人が一人歩けば、 その音が現在のこの館で最も大きな音となることだろう。 そして今、足音が密かにしていた。密かなはずの音が、最も大き く聞こえるという、なんとも不思議な状況。 その音を立てているのは︱︱一人の少女。 リルは慎重に歩きながら、クロノの寝ている部屋にようやくたど り着いた。 時刻は既に一日が終わり、新たな一日に入った辺り。当然クロノ も寝ていることだろう。 これまた音を立てないように、慎重さを持って立て付けの悪そう なドアを開けた。 埃被った部屋の中では、当たり前のようにクロノがベッドの壁側 で寝ていた。 この部屋のシングルベッドは左側が壁に隣接している。頭は窓側 にあって、朝方は窓から漏れ出る朝陽によって一日の始まりを知る ことが出来る。 クロノが壁側に寝ているのは自分の為だろう、とリルは思った。 朝方、クロノが狭くないかと心配していたので、わざわざ壁際に寝 て自分の寝るスペースを作ったのだろう。 クロノの寝相はいい。有り得ないくらいに寝た位置から朝まで動 かない。 そんな配慮を嬉しく思いながらも、リルはそれを無駄にする。 もぞもぞとクロノの寝るベッドに入りこみ、壁際で寝ているクロ ノにピッタリと張り付く。結果、ベッドのスペースは多分に余る。 別にリルは寝やすさなど求めていないのだ。ただ、ずっとクロノ 1246 の傍らにいたいだけ。 クロノの温かい右手を握って、規則的に寝息を立てるその顔を覗 き込む。 滑らかな黒髪と、赤みがかかった唇。微かに出会った頃の幼さが 残る。案外女顔かもしれないとも思う。 閉じた眼元は穏やかで、夕暮れ時に見た、平坦で冷たい重厚さは どこにもない。 こうしていると、戦いとは無縁のただの優しい17歳の青年だ。 穏やかな寝顔にとりつかれるように魅入りながら、リルは隣にク ロノがいるという多幸感︱︱と、また別種の憤りも覚えた。 思い出す。立て看板を見た時のクロノの無表情。内に秘めた燃え 盛る激情を抑えるような無表情。どうして、この世界はクロノにあ んな表情をさせるのだろうか。どうして、この世界は何の罪もない クロノから全てを奪うのか。 あの夜に聞いたクロノの過去。聞くだけでリルの心を引き裂くよ うな話だった。それを実際に体験したクロノは、どれほどだったの か、想像するのも嫌になった。 単純に身体の傷だって酷い。この綺麗な顔の下には、傷ばかりだ。 身体の傷は前から知ってはいた。ただ、それはあくまで戦いでつ いたものだ。そう、リルは思っていた。それなら、まだよかった。 だが、現実はもっと残酷で、傷の殆どは10歳までに家族につけ られたものだった。主に兄や、父親からの虐待の痕。 なんとも見事に服の下に隠れるように、背中や腹につけられた傷 跡は治っても消えることはない。 信頼出来るはずの、家族からの虐待とは、どんなことなのだろう か。家族がいないリルには、完全には分からないけれど、それでも 聞くだけで嫌になった。分からない自分でさえ嫌になる、それほど の絶望をクロノは味わった。 それすらも許容して家にいたのに追い出され、朱美という女性に 拾われて、ようやく信頼出来る家族が出来たかと思ったら、その女 1247 性を殺すことになって、その後唯一残ったドラですら失った。 世界は理不尽で不条理だ。クロノにとって大事な人間は根こそぎ 奪い、クロノに害を与えた家族を生かす。 何度も何度も失って失って失い続けて、それでもクロノは休むこ となく独りで戦い続けている。 心にも身体にも一生癒えない傷を負って、それでもクロノは休む ことなく独りで戦い続けている。 だが、傷を負うにも限界はある。傷は負いすぎたら死ぬ。 そして、最近のクロノは既に限界が見え始めている。どこか不安 定で今すぐにでも壊れそうな脆さが最近のクロノには見える。 もしかしたら、とっくにクロノの心は限界を迎えているのかもし れない。そうなっていてもおかしくはない。 静かにクロノの穏やかな寝顔を見ていると、リルはなぜか︱︱涙 が出た。消え入りそうに言葉を吐き出す。 ﹁⋮⋮もう、クロノはこんなにボロボロなんだよ⋮⋮⋮ねえ、なん でまだ⋮⋮⋮クロノに戦えっていうの⋮⋮⋮ねえ⋮⋮⋮!﹂ 立て看板を見た瞬間、リルは何となく、まだこの世界がクロノに、 戦え、と言っているような気がして、底知れぬ不安感を感じた。 本音を言えば、この穢れた世界からクロノを隔離してあげたい。 ひっそりと、誰もいないところで、静かに暮らさせてあげたい。 けれど、クロノは今、それを望まないだろう。だからリルはそれ をしない。少なくとも、今現在は。 自分に出来る事は、ただ、クロノが壊れないように支えることだ け。 それしか出来ない自分の無力さを痛切に嘆いて、リルはようやく 眠りについた。 1248 ⇔ ﹁ふあ∼ぁ﹂ 手で口を覆っても隠しきれない大きな欠伸をしたリルに、クロノ が心配そうに声をかける。 ﹁寝不足? 別に深夜にわざわざ俺の部屋忍び込まなくてもいいの に⋮⋮。起きてる時来てもいいよ﹂ ﹁違うからだいじょーぶ! でも、起きてる時行っていいなら行こ うかな﹂ 眠気を吹き飛ばすように元気な返事を返したリルの眼には、小さ な隈が浮かんでいた。 二人は、一日の始まりを告げる朝陽が照らすアース市内を歩いて いる。 朝陽に照らされた街並みは綺麗とは言い難い。雑多な文化がごち ゃ混ぜされたこの街の建物には統一性がないので、それが原因かも しれない。 現在目指しているのは、昨日の立て看板に記された宿屋。実は昨 日行ったのだが、﹁また明日来てください﹂と店主のユイに言われ てしまい、しょうがなく昨日は帰ったわけだ。 というわけで本日、ユイのいる宿屋ビッグマウンテンに向かって いるわけだが︱︱ 朝方のアース市内は︱︱いつにも増して騒がしかった。 ここ数日は確かに騒がしい。だが、その騒がしいここ数日以上に、 今日という日は騒がしかった。 1249 地鳴りのような行列の足音が、そこら中から鳴り響き、怒声と叫 喚が響き続けている。 原因は、これまた昨日の立て看板。 街中のありとあらゆるところに配置された看板は、瞬く間に民衆 に広まった。 この国に人が多く集まったのは、この国ならば安全だろう、とい う考えからだ。もっと言えば、この国は攻められないだろう、とい う考えからだ。誰も戦って勝てるとは思っていない。 それが昨日、この国の意思表示として戦いの意を示した。つまり ︱︱ここは安全ではない。 生命の危機を感じた無力な民衆たちは、更なる逃げ場を求めて大 移動を始める。それが今の混乱した状況を作りだしていた。 多くの無力な民衆は逃げ惑う。まるで巨大な波から逃げ惑うよう に。 1250 第百十話︵前書き︶ クロノはロリコンのようです。 短め 次回はユウ君無双ぶっこんでスタト 1251 第百十話 何とかといった体で、ビッグマウンテンにたどり着いたクロノは、 中に入って真っ先に目についた人間に困った顔で声をかけられた。 ﹁早くないかにゃぁ⋮⋮。明日って言ったけど、まだ10時だよぅ ?﹂ ﹁おはようユイちゃん!﹂ ﹁むぅ⋮⋮おはよぅ﹂ 外見だけならユイは、リル以下なので、リルにはちゃん付けで呼 ばれている。 二人の少女のやりとりを見ていたクロノは、後でリルにユイの年 齢でも教えようか、などと考えたが、ふいにユイの視線がおそろし さを増した気がして止めた。 周囲を見渡すと、人の影どころか気配すらも感じられない。クロ ノだって、この宿屋が混んでいるという事実は聞いている。だが、 これはどういうことか。 宿屋に入ってすぐのユイのホームポジション︱︱受付のカウンタ ー奥の椅子に座りながら、ここの主はクロノの疑問を見透かしたよ うに言う。 ﹁⋮⋮他の人なら結構出てったよぅ⋮⋮。根性ないにゃぁ。てわけ で、今はかなり空き部屋があるのです。泊まってくぅ? まあ、元 々クリョニョンとリルちゃん用の部屋は、通常客とは別に用意して るんだけどねぇ﹂ 1252 ﹁⋮⋮有り難くない特別扱いだな﹂ クロノはそう言葉を吐き捨ててから、顔を黒いフードで覆ったま ま無愛想に続ける。 ﹁⋮⋮今日まで待ってやったんだから、早く詳しいこと教えろ﹂ ﹁急いてはことをし損じるよぅ?﹂ ﹁⋮⋮下らん問答に付き合う気はない﹂ ぴしゃりと会話を終わらせようとするクロノに、ユイは口をすぼ め不服そうに声を漏らす。 ﹁むぅ⋮⋮なんというぶっきらぼう⋮⋮。どっちにしろ﹃試験会場﹄ はここじゃないんだよぅ﹂ ﹁﹃試験会場﹄?﹂ 聞き慣れない単語に素で訊き返した。 してやったりと言わんばかりに、メイが微笑む。 ﹁にゃはっ、良い顔が見れたよ。﹃試験会場﹄はユウ君の所。まっ、 クリョニョンとリルちゃんは試験するまでもないけどさぁ﹂ おちょくられているな、だからユイは苦手だ。 と、そんな憂鬱を隠し、露骨に舌打ちをした後、ユイに背を向け て早速宿屋を出ようとした。訊きたいことは山ほどあるが、今はユ ウの所に行くのが先決だ。 ︱︱︱が、どうにも右手に握ったリルの手が動かない。何やら不 1253 安そうに俯いている。 眼を合わせて見ると、これまた不安そうな顔を覗かせて言った。 ﹁私、勉強苦手だよ⋮⋮?﹂ 数秒後、大笑いするユイを尻目に、リルの手を強引に引っ張って、 酒場︱︱センターフィールドへと向かった。 ⇔ 建国からずっと存在しているなどという、眉唾な噂が残る酒場は、 朝方ということもあって、寂々としていた。夜中の騒がしさはどこ にもない。少なくとも︱︱一階は。 煤けた色の一階建ての木造建築。度々改修はしているので、おそ らく当初の面影はないだろう。 通常、この酒場は一階しか見えない。客が立ち入れるスペースは、 更にその中の一部。一階の半分だけ。奥の厨房には入れない。 だが︱︱この街の住人には密やかに噂される。﹃教育﹄はどこで 行なっているのか。実は、隠されたスペースがあるのではないかと。 クロノは、﹃試験﹄という単語に怯えたリルを引き連れて、人の いないはずの酒場に来ていた。 入り口にある両開きのドアを開くと、軋んだような音が誰もいな いであろう暗い店内に響いて、言い知れぬ不気味さを覚えた。 暗い室内に入り口から差し込んだ光は放射上に広がり、中にいる この店の主を照らす。 ﹁こんにちは、ぐらいですかね時間帯は。クロノさん﹂ 1254 柔和な笑みを携えたユウは、大仰に頭を下げ、手でこちらに来て くださいと促す。 促されるまま近づいていくと、今度は背を向けて店の奥へと入っ ていった。どうやら、ついてこいということらしい。 夜中とは違うホールは、まるで違う空間のように思えた。 ほとんど光のない店内を奥へ進み、厨房らしき場所へついたと思 ったところで、ふいにガタンと重く低い音がした。音の発生源は足 元から。 足元からは光の穴が見えていて、平べったい石のようなもののシ ルエットが映った。穴を何かで塞いでいたらしい。 ﹁ああ、踏み外さないように気をつけてください﹂ 言いながら、ユウが光の穴の中に入っていったので、二人も中に 入った。 下っていく石段の途中には、壁際にランプがついていた。これが 光の正体のようだ。 ﹁地下室か?﹂ ﹁ええ、そうですね﹂ ﹁ちょっと怖いかも⋮⋮﹂ 不安そうなリルの手を軽く握り返すと、途端にリルの鼓動が早く なり顔を赤らめる。 そうして数十秒下りたところで、質素な扉が見えてきた。 先導していたユウが扉を開けると、まず階段に比べて眩しい光が 飛び込んでくる。 地下室の下は土の地面。広さは地下にしてはかなり広く、四方2 1255 0mほどはありそうだ。高さは5mくらいか。天井が丸いことから、 ドーム状になっていることが想像出来た。 入ってきた扉とは反対側にも扉が二つほどある。内装は殺風景な もので、一人用の椅子が唯一つポツンと置かれているだけ。 中には20人ほどの男女︵というかほぼ男︶がいた。空気はなん とも殺伐としていて、多くの人間が新たに入ってきた二人を舐るよ うに見てくる。 特に視線を浴びるのはリルだ。どう見ても、この場には似つかわ しくない少女。 多くの視線を感じたその時︱︱クロノにはなぜか、微かにある感 情が浮かんだ。 それは︱︱怒り。本当に微かなものだが、確実に腹の底が煮える のを感じた。 自分で不思議に思った。視線なんて今更の話だ。もう受けなれて いるはず。 しかし、次に心中に浮かんだ言葉は、怒りの理由はそうではない と言う。 ︱︱汚い目でリルを見るな。 自然にそんな言葉が出てきて、クロノは心中で首を更に傾げる。 なんだろうか、これは。 クロノが自分自身に混乱していると ﹁大丈夫クロノ?﹂ という声が聞こえて、ようやくクロノは我に返った。 ﹁大丈夫﹂ 1256 何とかといった様子で答えを返し、平静を保つ。 そんなクロノを無視して、ユウは笑顔のまま、二人から視線の注 目を奪うかのように、集団の中心にある椅子の前へ。 ﹁さて、そろそろ説明でも始めましょうか﹂ ここでクロノは思い出す。そういえば、戦争の傭兵募集場所に来 ていたのだと。 もう頭は冷静だ。何となく、リルを覆うようにして前に立ち、ユ ウを見つめた。一斉に皆の注目がユウにひきつけられる。 ﹁本日は第一次募集にお集まりいただきありがとうございます﹂ ユウはいつもより恭しく頭を下げて説明を語り出︱︱さない。そ れよりも先に質問を投げかける。 ﹁説明を始める前に一つ、皆様に御聞きしたことがございます。こ の中で︱︱﹃勇者﹄と戦いたい方は、挙手をお願いします﹂ 最初にどよめきが集団に広がった。 どういう意図があるのかは分からないが、クロノはおそらく多く の人間がそれが目的であろうと踏んでいた。 客観的に見て、この国に勝ち目はない。軍事力だけを見てもその 差は歴然で、いくら傭兵を雇ったとしても勝ちの目はない。 つまり︱︱参加するメリットがない。むしろ、大国を敵に回すこ とによって死ぬ可能性は高まる。 ではなぜ、ここにいる人間は参加しようと思ったか。 おそらく彼らは有象無象の存在で、﹃勇者﹄を殺すことによって 名を上げようとしているのだろう。または、単純に馬鹿か。 そんな読みが正しいのか、おずおずと手が挙がり始めた。 1257 途中でクロノも手を挙げて、周囲を見渡すと、リル以外に手を挙 げていない人間は一人しかいなかった。 ﹁俺は興味ないんだが﹂ 短く切りそろえた茶髪をめんどくさそうに?きながら、言い切っ た男。 どこかで会ったなと、記憶を探ると、何週間か前、盗賊団壊滅を 手伝った男だった。名前はアレクだったか。本日は、銀髪の女性︱ ︱アンナは連れていない。 ユウは周囲を見渡して、ほぼ全員の手が挙がったのを確認してか ら、笑顔のまま言う。 ﹁手を挙げなかった方は、とりあえず見ていてください。挙げた方 は今から少々﹃試験﹄を受けていただきます﹂ ﹃試験﹄の単語が聞こえた瞬間、集団に疑問符が浮かんだ。つま りどういうことなのか。 ﹁﹃勇者﹄相手に、何人もいてもしょうがないんです。人が多けれ ば多いほど良いってわけじゃないんですよ。ある程度の実力に満た ない方がいては、邪魔になりますので﹂ 確かにその通り。力のない人間が無駄によってたかっても、﹃勇 者﹄には敵わない。むしろ邪魔になるだけ。 今度は怒りが集団に見える。自分たちでは力が足りないと言われ ているようなものだ。 クロノは、器用に感情表現を見せる集団を背後から見て、冷静に ユウへと視線を移し、問いかける。 1258 ﹁で、﹃試験﹄内容は?﹂ ﹁そんなに難しくありません。とっても簡単﹂ ユウは笑顔を崩さず、自らの背後にある只一つの椅子に腰かけて、 実に簡単な合格条件を告げた。 ﹁私に一撃加えて下さい。そしたら合格です﹂ 1259 第百十一話︵前書き︶ 無双メインのどうでもいい話 クロノはただの情緒不安定 次回は報酬等の条件と汚い戦力差の埋め方の話 クロノの身体の術式関連もあるかも 1260 第百十一話 ︱︱なん⋮⋮だろうか⋮⋮これは? アレクは呆然と、目の前に広がる光景を眺めながら、言葉を失っ ていた。 ここに来るのに、アンナは宿屋に置いてきた。何だか、ユイにあ そこまで言われて連れて来るのが癪だったというのもあるし、あま り人の多いところにアンナを晒したくはないというのもあったから だ。 戦争については、参加する気は未だない。とりあえず、条件やそ の他諸々でも訊こうかと思って来た。 そして、酒場の地下で突如として始まった﹃試験﹄。﹃勇者﹄に など興味はなかったので、アレクは受けなかったが、それは確実に 正解だっただろう。そう思わせる状況が目の前に広がっているのだ。 目の前に広がる光景を簡単に現すならば︱︱死屍累々。実際には 死んでいないが、表現としてはこれが正しそうだった。 合格条件は単純で、糸目の優男に一撃加えるだけ。それだけだっ た。自分が弱いと自覚しているアレクでさえ、頑張れば出来るんじ ゃないか、と思ったほどの手軽さ。皆、そう思ったことだろう。 ︱︱だが、現実はどうか。意気揚々と、魔法やら肉弾戦やらを臨 んだ彼らは、なんともあっさりと倒れ伏している。 優男の宣言から一分と経たない内に、ほぼ全ての人間が身体で敗 北宣言をしている。 何が起きたか、と言えば、単純な話で、アレクにも分かる。 強烈な素手による一撃を叩き込まれ昏倒した。説明はこれだけで 十分。付け加えるとしても、素早く、といった単語が冒頭に追加さ れるくらいのものだ。 ただ、﹁強烈﹂の度合いが遥かに常人を越えてはいたが。 1261 残ったのは、参加していないアレクと、この場には相応しくない 少女。 後は︱︱参加していながら、未だ動いていないクロノだけ。 アレク自身、クロノの強さは断片的に知っている。その強さが、 目の前のユウという男に類似したものであるということも。 二人の特筆すべきところは、身体能力。魔法優位のこの世界には、 幾分か逆行した力。それでいて、人間ではない、と思わせる力。 気づけば、アレクは息を呑んで見つめていた。二人が動き出すそ の時まで。 そして︱︱ついに二人が動いた。 ⇔ ユイはぼんやりと、天井を見上げていた。 クロノ以来、傭兵募集の看板を見てここに来た人間はいない。 妥当でもあった。傍目から見たら自殺行為なのだ。参加しような んて思う人間は気が狂っているだろう。 ﹁アンナちゃんにちょっかいかけに行ってもなー。アレク君がいな いと反応してくれないし﹂ 頭の中で浮かんだ馬鹿な案を即座に却下して、窓の外に眼を向け る。 ﹁そろそろ﹃試験﹄始まったかなぁ⋮⋮。ユウ君とクリョニョンか ぁ⋮⋮﹂ どっちが勝つかな、と言いかけて止めた。勝敗が既に見えきって いた。 確信めいた言葉を持ってユイは呟く。 1262 ﹁ユウ君︱︱でも、クリョニョンには勝てないよねぇ⋮⋮正直﹂ ⇔ 有象無象の人間が倒れていく中、クロノは只一人、冷静にユウを 観察していた。全ての挙動を一つ一つ。 身体の動きを一つも見逃さず、どういう動きをすれば、どういう 攻撃が飛んでくるのかを、頭の中でパターン化していく。 無属性の使用は間違いない。武器は素手。早さを除けば、至って 普通の拳。武術とか、そういうものの影は見られない。リーチの差 では剣の分、こちらに分がある。 クロノにとって剣とは、リーチを伸ばす為の道具でしかない。通 常の人間の様に殺傷能力を上げる必要はないからだ。ただ、リーチ だけで考えれば槍などの方が遥かに長いし使いやすい。クロノがあ えて剣を使う理由は単純に強度の差。クロノの超人的力では、通常 の武器など一撃で砕けてしまう。紅朱音とエクスなんたらにその心 配はない。 そしてなにより重要なのが︱︱レベル。 無属性のレベルは5段階で、1∼5に分けられる。 クロノの通常はレベル1。力は常人より少し強いくらいであるが、 ここまでならば鍛えれば普通の人間でもたどり着ける。レベル2で、 人間の限界。極限まで鍛えれば人間でもたどり着ける限界ライン。 レベル3より上は、最早人間ではない。 昔、クロノが朱美に訊いた限りでは、レベル5は音速の手前︱︱ 亜音速くらいの速度らしい。音速の意味がクロノにはさっぱり理解 出来なかったが。 レベル5は頂点であり、限界。それ以上には上がらないらしい。 単純に考えてレベルを一つ上げるごとに、強さは増す。 見たところ、今のユウはレベル4。 1263 これが彼の限界ならば、こちらに負ける要素などなかった。剣す らもいらない。 クロノは、最後の一人が倒れ伏した瞬間に、即座に移動を始める。 5m先のユウへ、多大な風を巻き起こして。 レベル4の動体視力ならば、反応は出来るだろう。 二歩で間合いを詰めた刹那︱︱読みどおりユウと眼が合って、相 手から有り得ない速度の右拳が放たれた。 ︱︱と同時に、クロノはユウの視界から消え、クロノがいた場所 に拳が届く前に、背後に回り込んで首に手を当てて囁いた。 ﹁まだやるか?﹂ 勝敗は一瞬で︱︱歴然だった。 ユウにしては珍しく、呆れたといった表情で、静かに首を振った。 ﹁負けで﹂ ユウの拳が放たれてから、それが届く前にわざわざ後ろに回りこ める速度の差。それだけで両者の差の証明は十分だった。 本当は、ユウが拳を放つ前に正面から一撃加えることも出来たが、 それはそれでユウの身が危険な気がして止めた。一撃与えた瞬間に ユウの身体に風穴を開くことが容易に想像出来てしまった。 心なしか、どこか汗を?いているユウは、死屍累々の足元を見渡 して、高らかに﹃採点結果﹄を告げる。 ﹁合格者は一名です。後の皆様は不合格。﹃勇者﹄と戦えないなら 帰るという方は、ここでお帰り下さい﹂ 優しい声色でそんなことを言ってから、いつもより爽やかな笑顔 1264 を作って、何か思い出したように付け加える。 ﹁あっ、そうそう。八名のマリアさんのところのスパイさんは残っ て下さいね。大事な﹃教育﹄がございますので﹂ 言葉を聞くと同時に、何人か呻いていた人間の顔に驚愕と恐怖が 浮かんだ。 だが、動けない。立ち上がろうともがくのだが、痛みからか何度 か身体がビクッと動くだけだ。 倒れ伏した全員を見渡して、もがいている人間に対するユウの動 きを再生していくと、どうやらその八名だけ、あばら骨が折られて いるようだった。 あばら骨は肺を支えていて、度合いにもよるが折れると呼吸する だけで激痛が奔る。それが何本も折れているとなると、動くどころ か、痛みで正常に脳みそは機能しないだろう。もしかしたら、折れ た骨が肺にまで刺さっているかもしれない。肺が破れているとした ら、動くどころではない、生命の危機だ。 ユウはそんな彼らを無視して、リル以外に﹃試験﹄に参加しなか ったアレクに振り向く。 ﹁というわけで、これがこの国の戦力です。十分ご理解いただけた でしょうか?﹂ ﹁へいへい、十分ですよ﹂ 苦笑いを浮かべながら、もういいよ、と言わんばかりに何ども頷 くアレク。 ﹁リルさんには⋮⋮説明するまでもないでしょうし、行きますか﹂ 1265 ﹁どこに行く気だ?﹂ ﹁メイさんのところですよ。状況や作戦、アレクさんの知りたい報 酬などについてはメイさんからということで﹂ ﹁まるで俺が守銭奴みたいな言い方止めろ﹂ アレクの抗議の声を華麗にスルーして、ユウは地下室にある入っ てきた扉とは別にある二つの扉︱︱その内の一つを指さした。 ﹁あちらに進んでください。道なりに行けば、すぐに着くでしょう﹂ ﹁ユウさんはどうするの?﹂ ﹁まあ、色々やることがありまして﹂ 優男は、まるでそれ以外の表情を知らないかのように柔和な笑み を浮かべたまま瞬く間に、呻く八人を指さした扉とも、入ってきた 扉とも違う、明らかに元からではないであろう赤黒い痕がついた扉 の中に放り込んで、彼自身も中へと入っていった。 どうしようか、と周囲を見渡していると、アレクと眼が合って、 視線が暫し交錯した後、どちらともなく示された扉の向こうへと入 っていった。 指示された扉の中は、円環上の通路のようで、道の曲がりからそ れが推測出来た。周囲は土の壁に覆われ、どこかひんやりと冷たく、 壁に付けられたランプの火が漏れなくついていて、視界には困りそ うにない。もしかしたら火がついていなければ少し寒いくらいかも しれない。道幅はそこまで広くないが、二人くらいは横並びで歩け そうだ。 1266 先頭をアレクが歩き、その後ろをクロノ、リルの順で歩いている 状況になっていた。 ﹁なあ⋮⋮﹂ アレクの方から突如として聞こえた声に、クロノは何事かと不思 議に思いながら、無愛想な声を返す。 ﹁なんだ⋮⋮﹂ ﹁お前さぁ⋮⋮子供連れて歩くのが趣味なの? この前と今回、別 のガキ連れて歩いてるけどよ﹂ ブフリ、と喉の奥から息を含めた尊厳とか色々なものを吹き出し かけ、割と真剣な声色で言う。 ﹁次そんなこと言ったら首へし折るぞ﹂ ﹁おお怖い怖い、冗談に聞こえねえから笑えねえわ﹂ 顔は見えないが、やれやれと、首を横に振っているのがクロノに は確認出来た。 ﹁そういえば、この前のあれ、弟だっけか? アイツは置いてきた のか?﹂ 何気ないはずの質問が、今のクロノにはどうしようもなく嫌な言 葉に聞こえて、心に動揺が奔った。 ︱︱が、突如右手から消えた感触が、逆にクロノを落ち着かせる。 右手に握っていたはずのリルの手がいつの間にかなく、リル自身は 1267 クロノの前に立ち、アレクを本気で睨んでいた。 クロノは、そんなリルを見て動揺を完全に抑え込み、優しく怒り に燃えるような赤い髪を撫で、小さく囁いた。 ﹁大丈夫だから﹂ 幸い、リルの顔は先頭を歩くアレクには見えていなかったらしく 事なきを得た。 そしてクロノは告げる。自らの口から、飲み込んだ彼の死を。 ﹁⋮⋮死んだよ﹂ ﹁あ?﹂ ﹁死んだ。先の戦争に巻き込まれてな⋮⋮。いや、巻き込んだのは 俺か﹂ クロノが自嘲気味に答えると、アレクはめんどくさいことを訊い たと思ったのか、右手で頭を?いた。 ﹁あー⋮⋮なんだ、悪いこと訊いたな﹂ ﹁別に⋮⋮気にするな。お前こそ、連れはどうした?﹂ ﹁置いてきた。連れて来ても、多分意味ないからな﹂ クロノは、もう片方︱︱極端なまでにおっとりとしたアンナの顔 を思い浮かべ、その言葉に心中で何となく頷いた。 ここで、少し疑問に思っていたことを口にしてみる。 1268 ﹁﹃勇者﹄が目的じゃないなら、なんでお前は参加しようと思った ? こんな無謀な戦争に﹂ 先頭を歩くアレクから、薄く笑った声色で言葉が返ってくる。 ﹁単純な話、金だ。こんな無謀な話に参加してやるんだ、相応の対 価くらい貰えるだろ? じゃないと割りに合わない。それに、未だ 参加するって決めたわけじゃない。条件次第さ﹂ 言っていることは解る。 今回のをギルド風にランク付けするとしたら、AどころかSまで 行ってしまうだろう。それくらい危険で無謀だ。危険度に見合った 報酬となると、それはそれで莫大になるだろう。 だが、それだけでこんな無謀な作戦に参加しようと思うだろうか。 命を懸けてまで。 クロノが疑問に思っている間にも、三人はランプに照らされた土 壁の通路を進む。 と、上に上がる石造りの階段が見えてきて、三人も道筋通りそれ を上った。 数えるのも億劫になるような数のらせん状の階段を上り、ようや く地下からの脱出を果たすと、そこに太陽はなく、どこかの家屋内 の廊下のようだった。 ﹁ここは⋮⋮?﹂ アレクが短く声を漏らす後ろで、クロノはここがどこか知ってい るような感覚を覚えた。 自分の歩幅と何歩歩いたかを頭の中で計算して、そこに歩いてき た方向を加えると、案外簡単にここがどこだか分かった。 1269 ﹁こっちだ﹂ リルの手を引いて、見知っているであろう館の中を歩き出す。ア レクも慌ててそれに付いていく。 中はかなり広いらしく、歩けど歩けど果てが見えそうにない廊下。 それでもクロノは、ある方向へと歩き続けた。 ﹁どこ向かってんだ?﹂ ﹁この館は来たことがある。ここまで奥には俺も入ったことがない が⋮⋮正面玄関の方向くらい分かる。正面玄関にたどり着けば、そ こから和室までの道筋は知っている。メイはおそらく和室で待って るだろう ﹂ ﹁方向ってお前⋮⋮俺たちずっと地下で最後は螺旋階段だぞ? ど っち向いてるかなんか分かるのかよ?﹂ ﹁地下通路の方向は北東。螺旋階段は約4回転半。つまり出たとき の方向は北東の反対南西。これだけ分かれば十分だ﹂ ﹁へえ、そうやってウチの部屋を見つけるんやねぇ⋮⋮﹂ 淡々と言いながら、クロノは領主の館を突き進もうとして止めた。 最後に声のした方向に顔も向けずに、ぶすっとした声を投げる。 ﹁⋮⋮お前がここにいることで見事に俺の予想を外してくれている わけだが?﹂ ﹁いやね、ウチも和室で待っとったんやけどね。あんまり遅いから﹂ 1270 ﹁案内役も付けないお前が悪い。俺がいなかったらどうするつもり だ?﹂ ﹁大丈夫やって、ユイちゃんからいるって連絡は来てたから﹂ 感情が篭っているのかいないのか、どこか掴めない笑顔で言うメ イ。 これだからメイは苦手だ。というよりクロノ自身、メイ、ユイ、 ユウの内、前二人は苦手だ。おちょくられているのか、この前の依 頼の時といい、話していて素でイラっとくることが多い。 ﹁⋮⋮まあ、いい。それより︱︱﹂ ﹁詳しい話はあっちに行ってからでええやろ?﹂ 廊下の端︱︱明らかに正規の扉ではない、ただの壁にしか見えな い隠し扉のようなところから顔を覗かせ、どこかへと歩き出すメイ の後を三人も追っていった。 1271 第百十二話︵前書き︶ くそみたいな会話パートの上まだ続く会話パート 予定通り行かない やりとり書くのたるい 報酬関連は次回冒頭でテキトーにやったことにしとこう 1272 第百十二話 畳による独特の草のような匂いがする床。陽の差し込む方角では、 障子が入ってくる光を和らげている。その向こうには、この館の日 本家屋部分を取り囲むようにつくられた縁側、それと少し狭い日本 庭園らしき庭。 見るものが見れば、古風な日本家屋の一室だと思うかもしれない し、専門家が見れば部屋の中がどこかちぐはぐな印象を受けるかも しれない。 それもそのはずで、ここを造ったのは何の専門知識もない人間な のだ。何となく、日本家屋ってこんな感じかな、と頭に思い浮かべ たイメージを吐き出して製作しただけ。 つまるところ︱︱専門知識のない一般人が大雑把に思い描くよう な古風な和室︱︱に似せて造っただけの部屋だ。 そんな和室に通された三人は、和室の入り口で靴を脱ぎ、藍色の 座布団の上に座っていた。三人が横並びで座り、正面にはメイが座 っている。座り方は四人とも正座。ここに来たことがあるクロノ、 リル、主であるメイが入るなり正座で座ったのを見て、同調意識で も芽生えたのか、アレクも慌てて正座で座った次第だ。 この部屋の主とクロノは、アレクを憐憫の眼で見つつ同じことを 考えていた。 ︱︱5分持てばいいな⋮⋮。 自分たちの正座初期段階を思い出して、二人は微かに同情を覚え た。 使用人が熱いお茶を持ってきたのを確認してから、まずメイが軽 く三人を見渡して尋ねる。 1273 ﹁自己紹介は必要?﹂ ﹁⋮⋮俺はいらん﹂ ﹁私もー﹂ 全員と面識のあるクロノと、クロノ以外にあまり興味がないリル は首を振る。 続いてアレクがメイに向かって口を開いた。 ﹁いらないだろ。お前が誰かくらいは分かる﹂ その言葉にメイは両手を叩いて含み笑いを浮かべてみせる。 ﹁さよか、じゃあ早速本題といこか﹂ そろそろ重要な話が始まるのかと、クロノは聞き入る姿勢をとる のだが︱︱ 直後に聞こえた声は、現在の大陸情勢にも、一国の領主にも相応 しくない暢気なものだった。 ﹁はーい、まず質問ある人ー﹂ どこぞの先生が生徒に訊くように暢気に右手を上げたメイを、ほ んの少しの間ぽかんとした顔でクロノは見てしまう。アレクも同様 だったようで、状況についていけず開いた口が塞がらないと言った 様子だ。 そんな中、動揺しない人間が一人。 1274 ﹁はいはーい﹂ ﹁ほいリルちゃん﹂ ﹁前から思ってたけど⋮⋮メイさんって普段何してるの?﹂ ﹁いい質問やね。ウチの仕事は、主に内政の処理と外国の動きを見 ての貿易活動の方針決定。貿易はベイポートがメインで、主に東と の貿易が盛んなんやで。ウチんとこは公に宰相とか置いとらんから、 国の仕事は領主であるウチがしなきゃならへん。意外と忙しいんや で﹂ ﹁へぇ∼、ただお茶すすりながら毎日せんべい食べてたわけじゃな いんだね。知らなかったー﹂ ﹁ぐふっ⋮⋮!﹂ ナチュラルに毒を吐く少女に、一国の領主は口に含んだお茶を吹 きだしかける。おそらくリルにそういった意識はないのだろうが。 未だ精神的ダメージが大きいのか、俯いているメイに不機嫌そう に声をかける。 ﹁ふざけてないで︱︱﹂ が、言いかけたクロノの言葉は遮られる。 ﹁ならこっちから質問だ﹂ ﹁ほいどうぞ﹂ 1275 ﹁まず、お前らに勝算はあるのか? 無謀な自爆特攻でも仕掛ける 気じゃないだろうな、そんなんなら俺は願い下げだ﹂ 客観的に見てこの国に勝ち目はない。それでも尚、戦いの意を示 したということは何かあるのだろう。 しかし、アレクの問いにメイは︱︱首を傾げた。 ﹁さあ?﹂ ﹁⋮⋮ざけてんのか?﹂ ﹁やってみなきゃ分からない⋮⋮なんて言う気はあらへんけど、本 当に分からんよ。だって︱︱﹂ メイは視線をクロノへと移し、実に他力本願で無責任なことを言 い放つ。 ﹁一番重要な﹃勇者﹄の相手はクロノに任せるつもりやから、そこ 次第なんよ。クロノが勝てないっていうなら、ゲームエンド﹂ メイもギール同様に、勝利条件は﹃勇者﹄の撃破だと考えている らしい。そして、その役目はただ一人に任せようとしている。つま り、完全なるクロノ頼み。勝算があるかどうか分からないというの は、そういう意味だ。 この時点で、アレクの投げかけた問いの答えを出す相手は、ただ 一人に絞られる。その人物は、顔を俯かせ、喉の奥から無理矢理搾 り出したような、無念と怒りの入り混じった返答を返す。 ﹁⋮⋮後、少しだったんだ⋮⋮後、ほんの少し⋮⋮一秒にすら満た ない、そんな時間があれば⋮⋮アイツを殺せたんだ﹂ 1276 ﹁何の話だよ﹂ ﹁ハイノ平原で﹃勇者﹄と戦った。⋮⋮殺す手前まで行ったんだ。 最後に、邪魔が入らなければ⋮⋮殺せたはずだったんだ。後少し、 後一秒、それ以下でも、僅かに背後からの援護が遅れていれば、殺 せたんだよ、あの時に!﹂ 俯いていた顔は静かな怒りに染まり、好青年に分類される普段の 顔の面影すら消し去りかけていた。 豹変︱︱とは行かないまでも、変貌を遂げたクロノの顔を見て、 アレクは驚くことなく言葉を発する。 ﹁まあ、流石にな、そんな顔で言う言葉を嘘だとは思わない。だと したら大層な役者だが。とりあえず、信じてはみよう﹂ 言いながら、視線をメイへと移す。 ﹁︱︱だが、思い違いをしていないか﹂ ﹁何をや?﹂ ﹁お前が戦争での勝利条件を﹃勇者﹄の撃破と考えているのは分か る。確かに、今回の最重要人物はソイツだ。煽動役兼精神的支柱の ﹃勇者﹄を殺したら勝ち。先頭に立つ﹃勇者﹄を失った敵の軍隊は、 戦意を失い、和平でも何でも応じる。今までの国もきっと同じ考え だっただろう﹂ 正座がきつくなってきたのか、崩し始めたアレクの足は、痺れか らうまく動いていないようだった。二人から憐憫の眼を向けられて 1277 いることに気づかないまま、でもと付け加えて続ける。 ﹁それはある程度の戦力を今までの国が保持していたからだ。戦意 さえ失わせれば、どうにかなる程度の戦力を持っていたからだよ。 引き換え、この国はどうだ? 戦意を失って錯乱状態の相手にすら 負けそうな戦力じゃないか? 一人一人が強くても、絶対的に頭数 が足りない。ユウとかいう優男ほど強いやつが何人いる? 片手の 指で足りそうなくらいだろ?﹂ 戦力不足。アレクの言う通り、表向きこの国には軍隊はいない。 今までの国とは違い、クロノが﹃勇者﹄を倒したとして、その先を 任せられる力がない。もし、ユウのような人間が多くいるならば、 そもそも傭兵の募集などかけないのだ。 メイは神妙な面持ちで国家機密とも言える内容を口にする。 ﹁⋮⋮公にしてないだけで、諜報部隊はおるよ。たとえば、君の情 報とかは彼らからのものやし。彼らは危険な場所に潜入することも あるから、ある程度は戦闘も出来る﹂ ﹁具体的に何人いる?﹂ ﹁八十八﹂ ﹁言うまでもなく足りないな。敵は万を超える、桁が違いすぎる。 ﹃勇者﹄を殺ったとして、数の暴力で潰されるだけだ。戦力の足り なさをどう補う? 傭兵で、なんて馬鹿なこと言うなよ? ここに こんだけしか集まってない時点で、これから10人も集まれば良い 方だ﹂ 淡々と並べられていく変え難い現実に、この国の領主は顔を暗く 1278 し、一瞬俯いた後︱︱待ってましたと言わんばかりに口元に笑みを 浮かべた。 ﹁ウチだって、勝算のない戦いはせんよ。名誉や愛国心から玉砕覚 悟で戦うなんて下らない。そんなんなら、最初っから傭兵なんて呼 ばへん﹂ ﹁勝算があると?﹂ ﹁あるから戦うんや。簡単な話、士気の下がった敵を制圧できる程 度の戦力を保持するか、相手にこれ以上戦闘できないくらいの壊滅 的被害を与えればええ。そしてウチが選ぶのは後者﹂ ﹁馬鹿かお前は。壊滅的被害を与えられる戦力があるなら、制圧だ って出来る。むしろそっちの方が簡単だろ﹂ ﹁制圧するには、自らの戦力を誇示しなきゃならへん。それがウチ には出来ない﹂ ﹁この期に及んで諜報部隊の存在を隠せると思ってるのか? そこ までして神聖の名の通りクリーンなイメージを保ちたいのかよ﹂ アレクの眼には、軽蔑にも似た色が浮かんでいた。 分かってないな、といった表情でメイは首を振った。話について いけていないリルは、興味がないらしくぼんやりと庭を眺めている。 ﹁そっちやない。公に出来ない戦力を使う、ってこっちゃ。諜報で もない、﹃汚い戦力﹄を﹂ ﹁﹃汚い戦力﹄⋮⋮?﹂ 1279 ﹁戦力差はそれで埋める。そこら辺は、クロノに任せるつもりやけ ど﹂ メイの顔は確信を持って、﹃汚い戦力﹄でどうにかなると思って いるようだった。 突如として飛んできた流れ弾に、ここまで黙っていたクロノも怪 訝そうな表情で、聞き慣れない単語について尋ねる。 ﹁なんだ、それは?﹂ ﹁一応、クロノも知っとるはずやけどな。ああでも、間接的にやね。 直接は関わってないか﹂ 他言無用とでも言うように長い人指し指をピンと立てわざとらし く口元に当てて、不敵な笑みを持って領主は語り出す、﹃汚い戦力﹄ について。 それは、世間一般では汚い︱︱と言われるであろうこと。人によ っては、人道に反するとか罵るかもしれないこと。 戦争にだって暗黙のルールくらいある。始める前に宣戦布告する とか、勝った場合の敵国領地の扱いとか、大陸の中でいつしか作ら れたそれら。 を、完全に無視する作戦。してはいけないとは決められていない けれど、間違いなく掟破りの範疇に入るものだ。 クロノは確かにそれを知っていた。メイの言うように、間接的に。 聞いたクロノが真っ先に発した言葉は、返答次第では侮蔑の混ざ る問い。 ﹁お前らがやったのか?﹂ 1280 ﹁いや、微塵も関係あらへんよ。たまたま見つけただけやって、空 き家で。使えるなら使うってだけの話や﹂ 続いてアレクからは純粋な疑問が飛んでくる。 ﹁出来るのか? それは﹂ ﹁出来るから、勝算があるって踏んだわけやけど﹂ ﹁そうかい。ただ、成功したとしても非難轟々だな。国の評判が地 の底まで落ちてくぞ﹂ ﹁大丈夫やって、ウチとの関連性を決定付けるものは何もない。神 風が吹いたような自然現象だと思わせればええ。騒ぐようやったら、 少し黙殺するだけの話や﹂ 最後の少しにどれほどの意味が込められているのかは、メイ以外 には測り知れない。 アレクは納得したように一度頷いてから、話題をがらりと変える。 ﹁さて、ここまで誰も未だ参加するとは言っていないわけだが、そ んな中でこんだけベラベラと作戦を喋るなんて迂闊だな。誰かが裏 切って敵に情報渡すとは考えなかったのか?﹂ ﹁愚問やね。もし、クロノが敵側につくならどちらにせよ詰み。リ ルちゃんはクロノのいる側につくに決まってる。そして君は︱︱あ の国につけない。だから別に話したところで、影響はない﹂ ﹁⋮⋮見透かされてるようで気持ち悪い﹂ 1281 1282 第百十三話︵前書き︶ 長けりゃいいってもんじゃない。前回会話途中、地の文少ないと思 った結果がこれだよ。会話パート長すぎ。次回で会話パートようや く終わる予定。 次回は無属性の数とかの話。 終わったらようやく迷いの森行ける。 1283 第百十三話 とある宿屋の店主は、傭兵を見送って暫くしてから、本来の宿屋 らしく掃除をしていた。小柄な体躯には幾分か大きすぎると思われ る箒を身体の一部のように扱い、つい先日まで客の多かった宿屋内 を掃き掃除して回る。 人間何年も同じことをやっていれば慣れるもので、生まれた時か らここで育ったユイとしては、普段通り、他人から見れば異常なペ ースで一階の掃除を終えた。 ︱︱壁の改修工事も発注しとかないと⋮⋮ちょっとここ空けるかも しれないし、早めにやっとこ。 全体の掃除を終えてからの予定を立てながら、二階への階段を上 りきると、見覚えのある後姿が視界に映った。腰まで垂らした銀の 髪は艶があり、まるでダイヤの様で特徴的だ。 ﹁あー、アンナさんじゃないですかぁ﹂ 声を掛けてみるが、返答はない。返答の代わりとばかりに、アン ナらしき女性は足を止めこちらへと振り返った。 アンナの身長は平均女性よりも少し高い部類に入るだろう。ユイ の身長からすれば、高い山を見上げるような格好になる。 振り返ったその眼を見上げた瞬間︱︱ユイは漠然と思った。 ︱︱違う。 自らが今まで見ていたアンナではない。 半開きの眼からは輝きが消え、柔らかな笑みを浮かべていた顔は、 1284 水晶の如く透き通るような肌と相まって人形のような無機質な感情 無き表情へと成り代わっていた。感情の映らないその顔は、柔らか いの反対の硬いではなく、鋭いという形容詞が当てはまりそうだ。 すらりと伸びた手足と、妖しく美しい銀の髪も、普段とは違った 冷たい印象を与える。 それらはまるで、人間界に堕ちてきた神話の存在のような妖艶さ と神聖さ。 人間とは顔だけでここまで印象を変えることが出来るのか、とユ イに思わせるほどの様変わり。 ユイはほんの僅かな間、同性に嫉妬という感情を抱くことすらお こがましいと思わせるような美しさを持ったその容姿に魅入った後、 ある言葉を思い出し、まざまざと実感する。 シルバードール ︱︱﹃銀人形﹄⋮⋮。 人形という名は、人間界に存在する物の中で、何とか当てはまり そうなものを無理矢理与えたようにすら思えた。 その人形は、メイに冷たい一瞥をくれただけで、何ごともなかっ たかのように自らの部屋へと入っていった。 ⇔ 同時刻。領主の館では︱︱ ﹁五﹂ ﹁十﹂ ﹁それはない﹂ 1285 ﹁こっちとしてもないな﹂ ﹁⋮⋮六﹂ ﹁七までなら譲歩しよう﹂ ﹁⋮⋮しょうがない。ええやろ、それで手を打とう﹂ などというようなやりとりが交わされ、報酬の前金についてはア レクとメイだけで決められていた。単位は百万である。成功報酬は また別だ。 クロノは興味がないのか、金の話には一言も口を出してこない。 本当のところ、アレクは成功報酬についてはどうでもよかった。 成功の条件は戦争に勝利すること。客観的に見て無理だ。クロノの 実力を信じていないわけではないが、信じきれもしない。そこまで 深い付き合いではないのだ。負ける前提だからこそ、前金の方が重 要だった。ただ間違っても持ち逃げする気ではない。しっかりと死 なない程度には戦う気だ。 アレクがこんな無謀な作戦に参加したのは、とある一人を殺した いから。普段ではありえないそのチャンスが目の前にあったがゆえ。 それさえ出来れば国の勝敗などどうでもいい些末事。他大陸に逃げ るルートも既に確保はしている。 ﹁ほな、今日のところは一旦切り上げとこか﹂ 報酬の話が大雑把に纏まったところで、メイは痺れを感じさせる ことなく正座からすっくと立ち上がった。その姿に未だ足の痺れた アレクはどこか敗北感を感じる。 今日のところは、ということは、また近日中にもこういった場を 設ける気らしい。作戦の概要などは大まかに理解したが、流石に細 1286 かいことは未だ決められないのだろう。これからは集まった戦力を 考えて、細部を詰めていく作業が待っている。今からあれこれと訊 いたところで、きっと望む回答は得られないに違いない。 そこまで判断して︱︱尚、アレクは立ち上がらない。座ったまま でメイを呼び止める。 ﹁待てよ﹂ ﹁なんや?﹂ 訊くべきことがあった。作戦に大きく関わりはしないことで、相 手が答えようと思えば答えられるであろうことの中で。 見上げながら、アレクは内に秘めた疑問をストレートに投げかけ た。 ﹁ユウって奴、それと隣にいるコイツが使っていたアレはなんだ?﹂ アレクの脳裏に浮かんだ、先ほどの﹃試験﹄。何が起きたかの説 明は出来る。 出来るからこそ︱︱理解出来ない。それほどあの光景は単純な異 常だった。 言葉にしてみると単純だ。人間がありえない速度で動いて、あり えない力で戦闘を行なった。それ以上もそれ以下もない。 では、あれは何? と訊かれるとアレクには答えられない。説明 は出来るのに、理解が出来ないという矛盾。 人には知られたくないこともあるだろう。以前、クロノと仕事し た時、クロノは自らの力については口を閉ざした。その時はそうい った類のものであろうと追及はしなかったが、今回は事態が事態だ。 話を聞いている限り、あの超人とも呼ぶべき力がこの作戦の根幹 にある。当事者の身としては知っておくべきだろうとアレクは考え 1287 た。 すんなり教えてくれるとは思っていない。むしろ、最初は拒否さ れる可能性が高いだろう。知るためにはそこからどう突き崩すかだ。 頭の中で断られた後のパターンをいくつか考えつつ、メイの言葉 を待った。 が、一息ついたメイの口から出てきたのは、拒否に近けれどアレ クの思惑を根底から突き崩すものだった。 ﹁教えてもええの?﹂ 問いの投げかけ。この問いはその力を持っているクロノではなく、 アレクに向けられたものだと視線が語る。 ﹁どういう意味だ⋮⋮?﹂ ﹁もしキミに教えたなら、ウチは一生キミに監視つけなきゃならん。 ﹃汚い戦力﹄だけでもギリギリのラインやのに。ようやく抜け出し た束縛をまたキミは受けることになる﹂ 遠まわしな拒否。その上、暗に脅している。これ以上深く突っ込 むな、﹃汚い戦力﹄を知ったことは不問にしてやるからと。 ﹃汚い戦力﹄だってかなりの重要事項だ。勝敗に関わらず口外さ れては困るだろう。 つまり、あの力は﹃汚い戦力﹄よりももっと重要なことで、国家 機密の中でも最上位に位置するものだということ。 いやもしかしたら、国家機密レベルですら足りないことかもしれ ない。それこそ、この世界の根底に関わるような︱︱。 不確かな予感がアレクの身体を駆け巡り、背筋に青筋が奔った。 一旦世界だなんだと、おおげさに考えていた馬鹿げた思考を捨て 去り、提示されたデメリットを吟味する。一生監視下に置かれるな 1288 んて真っ平ゴメンだ。2年の潜伏期間を経てようやく手に入れた自 由だ。今更捨てる気にはならない。そんな自分の考えすら見透かし たメイのデメリットの提示。 癪な話だが、メイの言うとおり訊かない方がメリットがありそう だった。内心渋々といった顔で、表では呆れ気味に誘導されたゴー ルへとたどり着く。 ﹁じゃあ言わなくていい。余計なことされるのは勘弁だ﹂ 痺れた足を無理矢理に立ち上がらせる。途中、グキリと変な音が 鳴ったが、何とか立ち上がれた。柔らかい畳の感触が足から伝わる。 その様を見て、ここまでまったく会話に参加していなかった隣の クロノもあわせて立ち上がった。痺れを感じさせず。立ち上がり、 庭を見ているリルという少女の手を握る。 ﹁⋮⋮よ﹂ クロノが近くにいる少女にしか聞こえないであろうボリュームで 何事か囁くと、少女は元気よく頷いて、うんと言った。 その光景を見て、というよりその少女を見て、なぜか自分のツレ に似た雰囲気を感じて悪寒を覚える。程度こそ違えど、きっとあの 少女はアンナと同じタイプだ。どこか脳みその螺子が吹き飛んでい る。 前回の弟やら、今回の少女やら、クロノという男の周りには変わ った人間しか集まらないようだ。 やがて、三人が和室の出口へと歩き出しかけて、メイがただ一人 を手で制す。 ﹁クロノはここに残っといてや﹂ 1289 止められたクロノは立ち止まり青い瞳でメイを睨みながら、無愛 想な声を出した。 ﹁⋮⋮何か用か?﹂ ﹁色々、話しておくことがある﹂ クロノの顔が一瞬強張ったのがアレクにも分かった。同時にこの 色々とは、また自分の理解の及ばないことであろうとも。 ﹁え∼、クロノが残るなら私も残る!﹂ 不満そうに頬を膨らませる少女を嗜めるようにメイは言う。 ﹁悪いけど、これはクロノの︱︱﹂ が、最後まで言う事は叶わず、一人の言葉によって遮られてしま う。 ﹁別に、俺は今更リルに隠すことは何もない。大体全部話したから な﹂ 当人にそう言われては返す言葉もなし。メイは驚いたようにほん の僅かに眼を見開き、すぐさま表情を戻す。 話の流れからして蚊帳の外なのはどうやら自分だけらしいという ことを悟り、疎外感を感じつつも、これ以上ここにいても碌なこと がなさそうだと判断したアレクは、呆れ気味に首を振って言った。 ﹁へいへい、後はお好きにやってくれ。邪魔者は退散するとしまし ょうか﹂ 1290 こうしてただ一人の部外者は、奇妙な部屋を出て行った。痺れる 足を引きずりながら。 この後暫し、広さの割りに迷路のようなこの館を迷うことになる のだが、そんなことは誰も知る由もない。 アレクが和室から出て行ったのを確認してから、リルを除いた二 人は座布団に再び座った。 最初に口を開いたのはクロノだった。 ﹁⋮⋮諜報部隊がいるって言ってたが、﹃汚い戦力﹄のことと言い ⋮⋮俺のことつけさせてるだろ。どこまで知ってるんだ? 俺のこ と﹂ 当然、クロノはメイに自分の動向を教えたことなど一度もない。 だというのに、﹃汚い戦力﹄に間接的に関わったことを知られてい る。それを踏まえ、クロノはどこからか見張られているという結論 に達した。 メイは、温さで経った時間を伝える茶を啜りつつ、目を合わせな いまま困ったといった様子の声で答える。 ﹁どこまでと聞かれたら、きわどいな∼。推測混じりにある程度、 やな。尾行は⋮⋮つけ、たいんやけどね。無理やった﹂ がっくりと首を落とし、だらりとした様子でメイは続ける。 ﹁だってキミらあれやん。ドラ君の背中に乗って移動しとったやん ? 追いつけへんって。だから止めたわ﹂ 1291 言われてみれば確かにその通り。諜報部隊がどんな人間かは知ら ないが、ドラの後を見失うことなくつけられる可能性は限りなく低 い。速度が違いすぎる。どう追っても途中で引き離されるのがオチ だ。 ﹁たまたま﹃汚い戦力﹄を見張ってたら、キミらが関わってきたっ てだけの話や﹂ 言葉に嘘はなさそうだ。聞いた話では、確かにあの件はこの国の 産業に関わることなので、様子を見に行かせるのはおかしな話では ない。 内心で何度か頷いてから、先ほどは邪魔がいて訊き出せなかった 問いを口にする。 マルチ ﹁ユウが複数属性持ちなのは、どういうことだ?﹂ もしかしたら︱︱ 以前から何度か考えたことはあった。その度にそれはありえない と理性で否定した。ユウと戦うまでは。 クロノは何度かユウが魔法で酒場のランプに火を点けるところを 見ている。 通常、人間が複数属性を持つことはありえない。これはこの世界 の人間の原則だ。 だがクロノは知っている。そのルールが通じない人間を。 ただ一つの例外は︱︱ ﹁お前らは、この世界の人間ではない⋮⋮?﹂ 見てきた事実と、不確かな予感と推測が入り混じった問いがクロ ノの口から零れた。 1292 そうとしか考えられなかった。クロノの人生の中で与えられた情 報からは、そこまでしか分からなかった。 次の瞬間、クロノの視界に飛び込んできたのは︱︱俗に言うピー スサイン。 ﹁20点!﹂ 目潰しでもする気かと思う速度で飛んできた2本の指の主は、へ らりとした笑顔で続ける。 ﹁ウチらは紛れもなくこの世界で生まれた人間。それは事実。でも、 純正かって訊かれたら怪しい。そんな存在﹂ クロノは考えてみる、純正の意味を。辞書的に言えば、そのもの 本来であること。混じり気のないことだ。 この場合の本来は、この世界の人間。混じりというのは、それ以 外の世界の人間のことだろう。 人間で混ざるものと言えば︱︱血。一応元貴族のクロノには、血 統の重要さというものが分かる。魔法の名家なんてものが出来上が る背景には、血統による遺伝的要素が大きい。血統を守るために、 魔法の名家同士での婚姻などもよくある話だ。無論、絶対受け継ぐ わけではないし、血統に関わらず優秀な人間もいるが。 ﹁つまり、お前らの先祖はこの世界の人間じゃないと﹂ マルチ ユウが複数属性持ちの理由は遺伝。しかも口ぶりからしてユウだ けではない。 ユウの無属性がレベル4で限界だったのは、この世界の人間の血 オリジナル が混じったことによる血の劣化か。 彼らの先祖である﹃勇者﹄は、この世界の人間全てを凌駕する魔 1293 力を持ってやってくる。そこに能力の劣るこの世界の人間の血を混 ぜたため、能力が劣化したというとこだろう。純度100%のぶど うジュースに純度50%のぶどうジュースを混ぜたようなものだ。 異世界関連の人間同士で近親交配を繰り返していてはいずれ滅ぶ ことになるので、しょうがないと言えばしょうがないことか。事実、 歴代の魔法の名家の中にはそれで滅んだ家もある。 クロノとしてはかなり重要なことを言ったつもりなのだが、メイ は実に軽い調子でこともなげに肯定する。 ﹁まっ、言うてもけっこー遠いんやけどな。千年前って、何代遡れ ばええんやろか?﹂ 千年前と言えばこの国の建国時期と重なる。この国自体が、異世 界の人間が造ったものらしい。 ここまでの話はある程度理解して、クロノは言う。 ﹁で、お前は俺に何の用だ⋮⋮?﹂ そもそもこの場に残らされたのは、メイが呼び止めたからであっ たことを思い出した。一旦質問を止めて、メイの言葉を待つ。 メイ自身も本当に忘れていたのか、あっ、と声を出して自らを戒 めるように自分を軽く殴る。 ﹁今更の注意喚起? と、ちょっとした情報を﹂ それまでのふざけた顔から、急に締まった真剣な表情をするメイ に、クロノは不思議な緊張感を感じてしまう。 ﹁言われてると思うけど︱︱目立ったらアカンよ。無属性のことは 特に。﹃勇者﹄撃破については色々誤魔化しとくから﹂ 1294 じっとこちらを見据える真っ直ぐな瞳。メイでもこんな顔が出来 るんだなと思った。それくらいには真剣な表情だった。 確かに言われてはいる、自らの母親に。無属性については無闇に 喋るなと。 理由は、この力を知った人間が邪な考えを持って擦り寄ってくる からだと言われて、それに納得もした。 その理由は間違ってはいないだろう。強大な力は常々利用される ものだ。今回の﹃勇者﹄だって元々は、その力を見込まれて呼ばれ たはずだ。 だが︱︱。 他になにかあるとも思う。先ほどのアレクに対する態度は正直過 剰とも思えた。 自分以外にも無属性はいるはずだ。しかし、その存在が広まって いないのはどういうことか。 ここまでひた隠しにする理由が何かある。そしてその理由を目の 前の人間は知っている。 ﹁お前らがそこまでして隠す理由はなんだ? 無属性に何がある?﹂ 単純に知りたいという好奇心と、自らの使う力を知らなければな らないという義務感が、クロノの口を動かした。 問いかけられたメイは、考え込むかのように僅かな間顔を下に向 け腕組をして、すぐに顔を上げる。 上げたその顔は真剣︱︱というより、どこか惚けたような顔。そ して答えも惚けたようなものだった。 ﹁いや、ないよ?﹂ ﹁は⋮⋮?﹂ 1295 本日二度目の素での疑問符。呆気にとられるとはこういうことだ ろう。絶対メイとユイは狙ってやっているに違いない。 ﹁無属性自体にクロノの知らない隠された力がー︱︱なんてものは あらへん。身体能力の強化以外の効力はない。他の属性との違いだ って、クロノの知っている以外のことはウチだって知らんと思う。 無属性は、樽に蛇口以外の穴が開いてるようなもので、常時レベル 1状態でオンオフ出来ないとか知ってるけど、クロノだって知って るやん?﹂ 常に発動していると言っても、レベル1では見た目より力が強い な程度ではあるのだが。 クロノだってそれくらいは知っている。使うにあたっての基礎知 識だ。 今訊きたいのはそんな基礎知識ではない。 ﹁じゃあなぜ隠す?﹂ ﹁強いて言うなら︱︱隠しやすいから。本当はどの属性でもええ。 無属性が世間から一番隠しやすいってだけの話﹂ ﹁答えになってないな。俺はなぜ隠すか、と訊いたんだ。隠しやす いからなんてのは、隠す理由が別にあって、どれを隠そうか悩んで 無属性を選んだ理由でしかない。本質的な答えになってない﹂ 話からして、この世界に存在する魔法の属性の中でどれかを世間 から隠す必要があった。クロノが訊きたいのはその理由だ。 隠すのがどれでもよかったということは、属性を揃えさせないこ とに意義があるらしい。どれか一つでも欠けさせる必要があった。 1296 逆に言えば、全ての属性を揃えれば何かが起こる。または出来る ということ。 今度こそメイは真剣に考えているのか、顎に手を当てて何度か唸 った。 ﹁⋮⋮まあ⋮⋮クロノやしなぁ⋮⋮教えてどうこう、なるってこと もないか⋮⋮?﹂ ぶつぶつと呟いて渋い表情をしている。その後、何度かこちらの 顔を確認するように見てきた。 やがて、意を決したのか自らの頬を一発叩いて、メイはこちらへ と顔を向ける。 そしてメイは告げる、隠す真の理由を。 ﹁⋮⋮隠す理由は︱︱術式研究の最初のキーだからなんよ。単純に して最も難解な。術式を刻むには、全属性を混ぜて線を刻まないと 駄目なんや﹂ 1297 第百十三話︵後書き︶ 予定。無属性の話↓迷いの森2∼3話↓勇者側のマリア視点?話↓ 最終戦パート。 書いてて思った。長い 1298 第百十四話︵前書き︶ 廃案にしたい怒涛の説明パート。見るのもたるいレベル。 クロノの術式の話とか入れたかったけど入りませんでした。 やっと迷いの森入れるよ、やったね。 ﹃汚い戦力﹄は、正直もう出てるから隠す意味もない。 1299 第百十四話 術式魔法︱︱。 人間が本来起こすことの出来る事象を遥かに越える魔法。ものに よっては人智を超えたと呼ばれる力。 ロストマジック その歴史は、有史以前に始まり、有史以前で終わってしまった。 現代では失われた魔法に分類される。 現代においては、その様な認識だけが一人歩きしているだけで、 その製法について知る者はいない。 歴史の闇に消えた技術。 それでも存在が知られているのは、現代においても使用されてい るからだ。︱︱隷属の首輪という形で。 奴隷制の根幹にある、隷属の首輪は新たに作られることはない。 いや、作れない。現代で使用されているのは、過去の遺品を再利用 しているに過ぎない。 隷属の首輪の内に刻まれた見るだけで酔いそうな幾何学的な紋様。 それが術式であるということまでは知られている。 ︱︱だがそこまで。そこまでしか分からない。その紋様を形作る 線は、どうやって刻まれたものなのかが分からない。 真似をして同じ紋様を刻むだけなら簡単だ。その道の職人に頼め ば寸分違わずやってくれるに違いない。 しかし、そうして同じ紋様を刻んだところで隷属の首輪としての 効力は発揮しない。ただ変な模様のついた首輪になるだけだ。 何かの作り方が違う。まず、最初の結論としてそこに行き着く。 調べた結果、首輪自体は何の変哲もないものだった。つまり鍵は その紋様。 ただ刻むだけでは駄目。何か特別な方法が必要だ。 紋様の刻み方。これが術式研究においての最初の課題とされ、同 時に最大の難関とされる。 1300 そして現在、クロノの目の前に提示されたのは、その答え。紋様 の刻み方。全属性を混ぜて、物理的な線を刻む。 今までの話を脳内で総合する。無属性の存在を隠す理由は、全属 性を揃えさせないため。揃えた場合に出来ることは、術式を刻むこ と。 ようするに、全ては術式を使わせないためのことらしい。 ﹁無属性を隠すのは、術式を他人に使わせないためか﹂ 確認するとあっさりと返答が返ってきた。 ﹁まあ、せやね。そんで、秘匿するのに無属性を選んだ理由は、本 当に隠しやすいってだけっていうのも理解出来た?﹂ 隠しやすいというのはクロノにも分かる。自分自身、幼少期には 気づけなかった。今振り返ると、兄からの攻撃の受け具合や、奴隷 商からの脱走の時など、レベル1の兆候はあったが、あくまで見た 目より動けるなくらいで微々たるものだ。誤差の範囲に過ぎない。 完全に気づいたのは迷いの森で何度か死にかけた後、朱美から教え てもらってからだ。 一般的に無いとされている先入観も手伝って、普通に暮らしてい ては気づけないだろう。 ﹁それに無属性って数少ないやん? そもそもレアで、全体の3% くらいやし﹂ クロノに具体的な数値は分からないが、数少ないということは分 かる。自分のように、純粋に魔力なし判定を受けた人間の多く︱︱ いや、もしかしたら全員が無属性かもしれない。魔力なしの判定を 1301 受ける人間も、確か30人に1人くらいだったか。 しかし︱︱ ﹁隠し通せるか⋮⋮? 俺は偶然だが、自分で気づく人間がいない とも限らない。これだけの力、一度気づいたら嫌でも目立つように なる﹂ この千年の間、これほどの力に誰も自力で気づけなかったのか。 気づいた人間を口封じするにしても限界があるだろう。 クロノの疑問に、メイは心底驚いたような顔をした。 ﹁⋮⋮なんだ。案外知らんことも多いんやね﹂ 悔しいが言い返せない。内心ぶすっとした顔でメイの言葉を待つ。 ﹁クロノは前提から間違ってる。これだけの力って言ったけど、無 属性だからって全員が全員レベル5まで辿りつけるわけないやん? 無属性だって、属性の一つや。他のと同じように才能の差はある。 ︱︱いや、もしかしたら他の属性よりもその差は大きいかもしれん。 簡単な話、レベル4とレベル5の壁は厚い。越えられないくらいに﹂ クロノの脳裏に浮かんだ、先ほどのユウとの戦闘。勝敗を分けた のは決定的な速度の違い。そこに工夫の余地はない。ただただ埋め ようの無い単純な速度の差だけがあった。その差はたったレベル1 分の違い、それでもあそこまで差がつく。 ﹁大半の人間は無属性なんてどう頑張ってもレベル1までしか行け ない。そこが限界。レベル1なんて微々たるもんや、普通に暮らし てて気づかない。レベル2まで行ける人間なんて、何十年に一人。 それですら人間として許容範囲内の力。そもそも無属性は母数が少 1302 ウチら ない。その中からクロノ並みの力を持った人間が生まれてくる確立 なんて、考えるだけで気が遠くなる。異世界人関連以外でレベル5 まで行ける人間なんて、歴史上見ても、クロノ入れて二人しかおら んよ﹂ 母数の差。数少ない無属性の中で天才が生まれてくる確立は他の 属性よりも更に低い。もしいたとしても、気づかないで一生終える 可能性もある。 そう考えると隠蔽は難しくない。レベル1が大半ならば、特別な 隠蔽などせずとも気づかれないで済む。見た目より少し力が強いた だの人間というだけだ。 メイが示した二人という言葉にも心当たりがあった。自分以外で、 歴史上という単語に当てはまる、もう既に死んでいるであろう人間。 無属性、魔法、遺伝、容姿、血。それらのキーワードに当てはま りそうな人間は一人しかいなかった。 ﹁ちなみにクロノ以外のもう一人は︱︱﹂ ﹁言わなくていい。何となく分かる﹂ 言いかけたメイを手で制す。大方の見当はついていた。 今日知った事実は、少々刺激的なものではあったが、比較的事実 としてすんなり受け入れられた。有り得ない話ではないし、今まで の自分の経験とは矛盾しない。 ﹁まあ、完全に隠し通せてるとは言い難いんやけどね。さっき話に 出てきた﹃アレ﹄の彼とかは、自力で術式の改良に成功していたわ けやし﹂ ﹁無属性の存在に気づいてたのか?﹂ 1303 ﹁多分ちゃうね。別に無属性に気づいてなくても、術式の作成には 魔力のない人間も必要だっていう認識でも良いわけで。魔力のない 人間に、他の人間と同じように魔力を流し込むイメージさせてたん だと思う。現に彼のいた空き家からは、隷属の首輪つきの無属性含 めた全属性分の人間がおった。⋮⋮それでも、魔力自体を線として 刻むのは普段やらない分コツも必要やし、全属性持ちと違って寸分 違わず全員のタイミングを合わせないといけないから、結構難しい はずなんやけどな⋮⋮﹂ メイにここまで言わせるとは、その彼とやらの発想が凄いという べきなのだろうか。 話の中だけで聞いた永遠に会うことのない彼とやらは、性根こそ 腐っていれど優秀な人間ではあったのかもしれない。 ここで本日何度目か分からない疑問がクロノに生まれる。 それは︱︱なぜ、ここまでして術式魔法を使わせたくないのか? という疑問。 理由は様々考えられる。術式は便利であり強力。使い方を間違え れば、手のつけられないところまで行く可能性を孕んでいる。更に 戦闘に置ける利便性も計り知れない。戦争というもの自体がもっと 凄惨な惨禍を残すようになる。 現存する隷属の首輪ですら、人間の尊厳という観点から使用反対 派はいる。現にこの国では使用禁止になっている。術式というもの が広まれば、それ以上のものが出来上がるかもしれない。 簡単に言えば︱︱人間には過ぎた力。だから、公にはしない。 と、こんな風に隠す理由付けはいくらでも出来る。 だが︱︱ ︱︱それだけか? 1304 予感や確信があるわけではない。話の中で矛盾があったわけでも ない。単純に疑問に思っただけだ。 ﹁お前らはなんで︱︱﹂ 疑問を口にしかけて、クロノは自分で口を止めた。 脳みそが高速で回転を始めていた。 回るキーワードは、千年、建国、歴史、術式、消失。 連想ゲームのようにそれらを関連付けていく。 この大陸には千年以前の歴史がない。ごっそり消失している。術 式の製法も何時の頃かに消失している。この国の建国が丁度千年ほ ど前、歴史に残っている最古の記録。 もし、歴史が消えたのではなくて、消されたのだとしたら︱︱。 術式も同様だとしたら︱︱。 それらを行なったのは誰か? 勿論、普通は不可能なことだ。こんな論を言っても不可能だと一 笑に付されることだろう。 歴史を消すということは、言葉にするよりも遥かに難しい。国な どの纏まりを消すのは勿論のこと、それを見て語り部となる一個人 すらも消さなければならない。極端な話、大陸の歴史を消すとなる と、少なくとも大陸に存在する人間の半分以上は消すことになるだ ろう。むしろ半分で済めばいい。 術式の製法の消失だって同じ事。現存する隷属の首輪の量を鑑み るに、一箇所の場所でつくられていたわけではないだろう。大陸全 土に広まっていたはずだ。製作していた全ての場所を消すというの は、どれだけ難しいことか。 ︱︱しかし、クロノは知っている。それが出来ると。大陸に存在 する人間を半分以上消すことなど、この国の建国当初であれば、容 易いことだと。 なぜなら、この国を造ったのは、この世界に存在する全ての人間 1305 を凌駕する魔力を持った存在だからだ。それも複数人。 有り得ない、あってはいけない規模の大量虐殺。 脳内が回転の末導き出した答えは、人を殺し慣れたクロノですら 素直に戦慄を覚えるものだった。 言いかけたクロノの口は、新たな問いを投げかけるために動き出 す。 まだ、まだだ。まだ、これは憶測の域を出ない。 ﹁お前らの先祖は、何人殺した⋮⋮?﹂ クロノの脳内など見えていない他人からすれば、唐突過ぎる話題 の転換だろう。何か言いかけたかと思えば、数秒固まって、何の脈 略もないことを聞いているわけだ。 しかし、メイは慌てる素振りなど見せず、小さく息を吐いて、何 でもないような顔で答えた。 ﹁約95%﹂ 通常は答えとして相応しくない回答だった。何人と問うて、違う 単位で返ってきている。 だが、クロノにはこの答えの意味が分かる。この%の意味が。 それは同時に、クロノが考えていることをメイが見越しているこ とを示していた。そして、それが実際にあったということも。 ﹁いや∼、人間ってスゴイわよね。千年でここまで回復するんだか ら﹂ 想像するだけでおぞましい事実。 クロノは眼を見開いて、メイを見つめたまま言葉を失った。 1306 ﹁⋮⋮なんでそんなことをしたんだ? って顔してる。︱︱訊きた い?﹂ クロノの心中を見透かしたような言葉。その言葉に視線で早く答 えろ、と命令するように強く睨む。 ﹁憎かったから、この世界が。だから消した﹂ 憎かったから、たったそれだけの言葉こそが理由。 良心の呵責など軽々と吹き飛ばして、この世界を消そうと思わせ、 実行させるほどの憎悪とはどういったものなのか。 疑問に答えるようにメイは語り出す。なくなった歴史を。 ﹁大体千年⋮⋮それよりちょっとくらい前かな、術式魔法は最盛期 を迎えていた。その頃の世界とやらは、今よりもずっと小国が乱立 していて、どこもかしこも戦乱状態。村の寄り合いみたいな集団で も術式さえ使えれば大戦を起こせるわけだから、統一国家なんて出 来上がるわけもない。まあ、術式にも制限や規則性はあるらしいけ ど。⋮⋮そんな状態が続いたある日、とある国がある術式の作成に 成功した﹂ ﹁﹃勇者﹄召喚か⋮⋮﹂ メイは無言で頷いた。 ﹁それ以前にも自然発生的にいることはあったらしいけど、人為的 に呼ぶことが出来たのはおそらく初めて。術式最盛期においてもそ の力は絶大⋮⋮というより術式に頼った時代の中では今よりも強か った。全属性を一人で使えて、一個人で術式の書き換えが出来るか らね。今ある術式の上に線を重ねて出鱈目なものにして機能不全に 1307 出来る。そして魔力量はこの世界のどの人間より多く、書き換えら れる回数はほぼ無限。術式に頼りきりの時代で、それを破られたら お手上げ。そして﹃勇者﹄を呼び出すことに成功したその国はその まま世界を統一︱︱︱︱﹂ ここでメイの表情に僅かな暗さが宿る。 ﹁と、なればまだよかったんでしょう。残念だけどそうはいかなか った。ある日、快進撃を続けていた国に立ちふさがったのは︱︱ま た別の国が呼んだ﹃勇者﹄だった。どっかから召喚用の術式の製法 が漏れたのか、はたまた自力でたどり着いたか、まあおそらく前者 だろうけど、そんなことはどうでもいい。問題はそれ以降召喚の術 式の製法はねずみ算式に各国に広まっていくってこと。情報管理を しっかりしろと言ってやりたいわね。⋮⋮対峙した二人の﹃勇者﹄ に話を戻すけど、彼らは相打ちで両者死亡。︱︱さて、重要な戦力 を失った二つの国はどうする?﹂ 答えは考えるまでもなかった。 ﹁また新たな﹃勇者﹄を呼ぶ⋮⋮﹂ かれら ﹁そう、死んだら呼べばいいだけ。ううん、当時の感覚で言えば、 壊れた道具をとりかえるみたいな感覚だったでしょうね。﹃勇者﹄ はその時、人間じゃなくて戦争の道具だった。おかしな話でしょう ? この世界のことなのに、別世界の人間が戦わされ、こっちの人 間は高みの見物なんて﹂ ﹁﹃勇者﹄を無理矢理、力で従わせられるとは思わないが⋮⋮?﹂ ﹁あるでしょ? 強制出来るものが。隷属の首輪っていうね。⋮⋮ 1308 ⋮⋮あー、何を言いたいかは分かるわ。どうやってつけたかってこ とでしょ? 召喚してすぐ、いきなりこっちに来て混乱している最 中が多かったみたいね。じゃなくても、知り合いもいない世界でち ょっと優しくしたりしたら、案外簡単に人間って心を許すものよ。 嘘の常識や礼儀を教えたってバレない。そうして、﹃勇者﹄を道具 として扱った戦争は広まっていった﹂ 完全に自分のキャラ作りを忘れ、腕組をし天井の木目を見ながら メイは続ける。 ﹁そして︱︱何時か、何時だったか、どんな場所か、どんな拍子か、 何があったのか、具体的なことは伝わっていないけど、一人の﹃勇 者﹄の首輪が外れた。その一人は、望む望まずに関わらずこれまで 何人もの同胞を手に掛けて戦い続けた人間。クロノは朱美さんから 別世界のこと聞いたことある? 盗賊も魔物も魔法もない世界。こ の世界とは比べ物にならないほど平和な世界。当然、人を殺すこと なんて有り得ないし、他の生物を直接殺すことも少ない世界。そん な世界出身の人間が、同じ世界の人間を殺すことを強要され続けた ら、もう正常な精神ではいられない。命令されていても記憶はある。 彼の心は既に死んでいた。そして残った感情は唯一つ︱︱この世界 への憎悪だけ﹂ 殺すことで精神が疲弊していくのはクロノにも分かる。その上、 自らが望まない戦いを強いられ、同じ世界の人間を殺し続けたとな ると、精神を正常に保つことは不可能に近い。 そんな経験をした末、感情の帰結が憎悪へと向かうのは当然とい えば当然のことで、クロノには何も口を挟めなかった。 ﹁彼が行なったのは、理不尽な戦いを強要し続けたこの世界の人間 の殲滅。それと、同じような異世界の人間の救出。彼はその二つを 1309 一週間でやってのけたらしいわ。95%っていうのは、この大陸じ ゃなくて、この世界の人間の中でってこと。残った5%はどこから 出てきたのか知らないけど、俗世から離れて未開の地で暮らしてた 人たちでしょうね。それが今ではこんなに増えちゃったけど。その 後、救出された人間は、何とか元いた世界に帰ろうとしたけれど、 そんな術は用意されてなかった。元々使い捨ての予定だもの、帰る 為の術式なんて残されてるわけないわよね。しょうがなく彼らは国 を造り、この世界にとどまることにした。そこで長に指名されたの が私の先祖﹂ ﹁その彼とやらか﹂ 今までの話からして長に指名されるのに相応しい人物は一人しか いないはずだが︱︱ メイは首を振った。 ﹁ううん、違う。彼は︱︱消えたわ、忽然と。全員救った後行方不 明。必死に探したらしいけど、彼は未だに遺体すら見つかっていな い。目的を果たしたからなのか、何かに巻き込まれたのか、消えた 理由は今となっては分からない。元々﹃忍﹄っていうのは、彼を捜 索するのが主題で作られた部隊なの﹂ 忽然と消えた彼とやらは、何を思って最期の時を過ごしたのか。 やりきった達成感か、目的を失った喪失感か、或いは壊れた心では 何も思えなかったか。 その胸中を想像するだけで、クロノはさきほどとは別の戦慄を覚 えた。 ﹁残された彼らは、二度とこんなことが起きないように術式の痕跡 を一切合財消し去って、僅かに残った歴史を知る人間が騒ぐたびに 1310 消し続けた。そうして今この世界があるの。この世界に来て幸せに なる人間なんて誰もいない。だからこそ、私たちは術式を隠す。術 式があっては遠くない未来に同じことが起こってしまうから﹂ 誰も幸せにならないという単語で脳裏に浮かんだのは、自らを育 ててくれた存在。最期の時以外、口にこそしなかったが、朱美の言 葉の端々にはこの世界への憎悪が見てとれた。 クロノは朱美の身に何があったのか、詳しくは知らないが、彼女 がこの世界を嫌いだということは分かっている。だからメイの言う ことは間違いではないと思う。 ﹁隷属の首輪はどうして残っている?﹂ ﹁単純に数が多すぎて、隠されたものを探しきれなかったというの が真相ね。いずれ全て消し去るわ。私にはその義務がある。二度と あんなことが起きないようにする義務が﹂ ここまでメイが言っていることは分かるし、賛同も出来る。歴史 を消した経緯も、術式を隠す理由も、クロノには責められそうにな かった。虐殺すら、されてもしょうがないなと思ってしまった。そ れほどにこの世界の人間が行なった行為は罪深い。 が、あることが引っかかった。 ﹁お前らが術式を隠してきたって言うなら、なんでかーさんや今回 の﹃勇者﹄はいるんだ﹂ 隠してきた無属性に気づき、術式研究の末にたどり着いたとは思 えなかった。少なくとも、自分がいた7年前には無属性の存在には 気づいていなかったはず。 メイは苦々しげに頬を歪ませながら、悔しそうに声を漏らした。 1311 ﹁⋮⋮分からない。分からないの。術式研究も進んでいないはずな のに、なぜかあの国は再び成功させた。こんなこと有り得ないはず なのに⋮⋮。特に今回は﹃勇者﹄の行動から、なにから何までおか しなことが多すぎる⋮⋮﹂ ⇔ 同時刻 ﹁そりゃあ、この世界のルールとして、最低別世界の人間が二人い ないといけないからねー。いなくなったらこの世界が補充するだけ。 それは変えられない原則さ。誰が決めたんだか知らないけど、はた 迷惑なルールだね。まっ、最低二人はルールじゃなくて、この世界 の意思かもしれないけどさ。もしかしたら決まってるのは最大二人 以下ってことだけで、0でもいいのかもね。それにしても、まだ千 年前の彼を捜索してるのかー。絶対見つからないと思うけどなー。 なんて言えばいいのか、燃え尽き症候群? をリアルでやっちゃっ た人だから。燃えたのとはちょっと違うけど、死体は原形も留めな い感じで消えちゃったし﹂ 丸い赤鼻がトレードマークの道化師は、決して届かない解答をだ だっ広い一室に響かせ、解答を求めていない人間の耳へと流し込む。 人が優に百人は入りそうなこの部屋は、昼間だというのにカーテ ンが閉め切られ、深夜と変わらない暗さを演出していた。 内装は多くの人間が一目見て﹁ああ、この場所は自分の様な人間 がいる場所ではないな﹂と判断するような豪華さ。 天蓋付きのベッドに白いクローゼットにソファー、柔らかすぎて 歩くのに緊張しそうな絨毯。出入り口のドアに付けられた取っ手は、 取っ手と呼ぶのがおこがましく思ってしまうほどに重厚。 1312 しかしクラウンはそんなことお構いなしに、まるで我が家のよう にソファーに寝そべっていた。 不気味に暗い室内にはどこからのものか、メイとクロノの声が響 いていたが、クラウンが手を叩くとすぐさま聞こえなくなった。 ﹁︱︱っていうのが、大まかな歴史だね。訂正する箇所としては、 術式最盛期ってとこくらいかな? 個人的に最盛期は225回目の 終盤かなー。364回目の終盤なんて、僕が経験した364回の内 10位以内にも入らないや。ああ、後は道具って表現かな。どっち かと言えば、ゲームのモンスターに近いね。﹃勇者﹄の中でも優劣 はあるし、戦争後期になるとゲームで言う固体値を厳選する作業も 行なわれていたし﹂ 室内には陽気な声だけが響き、他の物音は聞こえそうにない。 ﹁君だって二百年前のことは知ってるだろ? 王都壊滅の理由は、 代々この﹃偽りの王家﹄だけに戒めとして伝えられていたわけだか ら。それを破って、術式研究に手を染めちゃあねえ⋮⋮。まあ、研 究の成果として白井君を呼べたわけではないけどさ。この世界がこ こに呼んだら面白くなりそうだな、って判断したからにしろ、戒め を破るのは駄目だねえ。それじゃあ今の君の現状もしょうがないこ とだ﹂ クラウンはソファーから飛び上がって、天蓋付きのベッドの上で 虚ろな表情をしている老人の首筋につけられた首輪に手を当てた。 ﹁ああ、声は出せないんだっけ? 言わなくても僕には分かるから いいや﹂ 老人の身体からは明らかに生気というのものが失われ、極端にや 1313 せ細った腕と足はまるで骸骨のようだだ。 ﹁ディック・レ⋮⋮いや、その先の名前は相応しくないか、君は偽 りだから。ん、薄いけど思考は出来るみたいだね、偽りの意味かい ? 考えれば簡単さ。二百年前、彼女の怒りの矛先が真っ先に向い たのは、自分をここに呼んだ王とその一族。直系が生き残るわけな いだろ? あそこでこの国の王の血は完全に断絶したんだ。あの日、 王都で生き残ったのはただ一人、たまたま余所から来ていた大道芸 人だけ。それが君の先祖だよ。いやー、彼の執念も中々だったねぇ。 当時の王は幼少期の怪我で顔に火傷の痕があってその影響で左目は 失かったんだけど、それと成り代わる為に大道芸人の彼は自分で顔 を焼いて左目を抉ったんだよね、アハハッ。王が火傷の顔を隠す為 につけてた仮面で細かいところはごまかせたし、本当上手くやった もんだよ﹂ 老人の耳にその声は届いているのかいないのか、表情は微塵も動 きそうにない。動く気力すらないのかもしれない。 それでもクラウンは続ける。 ﹁あーあ、せっかく君の先祖が﹃勇者﹄によって起こされた悲劇を 伝えてくれたのに、それを無視しちゃうなんて馬鹿だねえ。隷属の 首輪を使う発想は褒めてあげるけど、逆に自分がつけられてちゃ世 話ないよ﹂ 首筋につけられた隷属の首輪を一度撫で、道化師はくるりと踵を 返す。 ﹁さーってっと、そろそろ行こうかなー。君も残り少ない人生⋮⋮ 具体的に言うと多分後一週間くらい﹁殺される﹂までの人生を謳歌 するといいよ。じゃあね、また今度、会う機会はないと思うけど﹂ 1314 消える直前、クラウンは何気なく独り言を呟いた。 ﹁飽くなき欲望には繰り返す裁きを。繰り返してこの世界が滅ぶこ あっち と364回。学ばないなぁ本当に﹂ ⇔ ﹁今までの話からして、お前らは異世界側の味方のようだが、今回 俺はアイツを殺すぞ?﹂ この国は異世界の人間がまた呼ばれないように造られた国で、本 来は異世界側の味方なはずだ。 ﹁言ったでしょ? 今回は特に異常なの。﹃勇者﹄は従わされてる んじゃない、何かあったわけでもなく、正気で潰しに来ている。あ れはただの殺人鬼よ。殺人鬼にむざむざ殺されてやるほど、お人よ しじゃないわ﹂ 今回の﹃勇者﹄の異常性は、今までの常識から遥かに外れている。 あの男は根本的に狂っている。崇高な理念もなく、ただ楽しいか らやっている。たった一回の戦闘でまざまざとクロノはそのことを 実感出来た。 クロノは座布団から立ち上がって言う。 ﹁お前らが術式を隠す理由は分かった。協力はしてやる﹂ 協力と言っても、元々朱美に無属性は隠すように言われていたの でやることは変わらないのだが。 1315 更に但し、と付け加えてクロノは続ける。 ﹁︱︱お前らに言われたからじゃない。俺はかーさんに言われた通 り今まで通りやるだけだ。その結果がお前らの目的と同じってだけ の話﹂ 完全に素直になれない人間の言い分だったが、メイはそれで納得 したのかそれ以上何も言う事はしなかった。 障子の外に眼を向けると、既に真っ赤な夕陽が空を支配しており、 時間の経過を示していた。 これ以上話もなさそうなので、終始どこかへ行ったり庭で遊んで いたリルを引き連れて、部屋を出ようとする。 そんなクロノに背後から声が掛けられる。 ﹁最後に一つ︱︱﹂ ︱︱ああ、ちょっとした情報とか言ってたっけ。 冒頭の会話を思い出し、どうせ今までのことに比べたらどうでも いいことだろうと思いながら、振り返らずに言葉を待つ。 次の瞬間飛んできたのは、多くの人間には先ほどの話よりも重大 ではないであろう話で、クロノにとって今までのどの話よりも重要 な話だった。 ﹁ドラ君の骨は巨竜退治という﹃勇者﹄の武功の一つの証明として、 城内に飾られる予定らしいわ﹂ その言葉は今までの話を瞬間的に忘却の彼方へと吹き飛ばして、 クロノの中心に鎮座する。 自然に顔が歪むのを自分でも感じた。リルの手を握っていない右 1316 手が拳の形を作り、血が出るほど爪が食い込んだ。奥歯がギリリと 音を軋ませた。 ﹁気持ちは分かるけど、勝手な行動は謹んで﹂ ﹁お前に命令される謂れはない⋮⋮!﹂ 今すぐこの場から全てを置き去りにして、あの国に乗り込んで取 り戻したい衝動に駆られる。 ﹁戦後の交渉で絶対にこっちに持ってくるから、今は﹃勇者﹄を殺 すことだけに集中しなさい﹂ 理性と感情がぶつかり、互いに互いを削っていく。 理性では分かっている。今行くべきではない。単身で乗り込んで も勝ち目はない。邪魔されないように﹃汚い戦力﹄を配置して、一 対一の状況を作れる用にするのが先決。 感情では思っている。今すぐにこの衝動に身を任せて、敵の全て を消し去ってしまいたいと。 感情の制御が上手く行かない。ここ数日精神が不安定なのは自分 でも自覚はしているが、今日ほどの衝動はない。 ︱︱そんなクロノに掛けられた声は、あどけない少女の悪魔のよ うな囁きだった。 ﹁クロノのしたいようにすればいいんだよ﹂ 言葉通りに受け取れば、行動は決まっている。 だが逆にこの言葉はクロノに本来の目的を思い出させた。余計な ことを取っ払って考えてみると、真にしたいことは 1317 ︱︱﹃勇者﹄を殺す。 シンプルな目的。 それを達成するのにどんな工程が必要かを考えると、脳みそが急 激に冷えていった。 暫し呆然と天井を仰ぎ、ふう、と一息つく。 ﹁行こうか、リル﹂ ﹁うん!﹂ そう言ってクロノは歩き出すが、メイには何が起こったのか理解 できるわけもなく、慌てた様子で訊いてくる。 ﹁だから乗り込んだら駄︱︱﹂ ﹁勘違いするな。俺が行くのはお前が言ってたあそこだ。今から行 くから﹃物﹄を玄関に用意しとけ﹂ メイを置き去りにするようにクロノが歩き出すと、玄関に行く途 中でリルが訊いてくる。 ﹁ねえ、これから行くとこってどんなところ?﹂ ﹁んー、そうだね⋮⋮﹂ 歩きながらクロノは少し考え、答えを吐き出した。 ﹁俺の故郷みたいなとこ? 迷いの森っていうのは﹂ 1318 1319 第百十五話︵前書き︶ ちょっとバージョンアップした迷いの森。 ここに来た理由とかは後々。正直隠す意味もないけど。 1320 第百十五話 その森は︱︱秘境にして魔境。 黒々とした木々が絨毯のように敷き詰められ、不気味な雰囲気を 漂わせている。それに、時折森の奥から聞こえる心の芯まで震わす ような野獣らしき叫び声も加わって、この中に入ることを躊躇わせ る。 逆に考えれば、そんな様相を呈しているのは親切なことか。これ が妖精の出てきそうなファンタジックな森であれば、子供が興味本 位で入ったりするかもしれない。 森の中央には、天を貫くような山がぽつんと存在するが、その山 肌にも木々が侵食しており、山肌を見ることは叶わない。 広さだけなら大陸に存在する小国と比べても遜色はなく、むしろ 広い部類に入るかもしれない。 森の内部には様々な動植物が存在し、資源としての有効価値も比 較的高いが、その危険性の高さゆえに入ろうとする者はおらず、統 治しようとする国すらも現れない。 昔、この森ごと燃やしてしまおうという計画も行なわれたらしい が、早い段階で森を追われた魔物たちが近隣諸国に尋常ならざる被 害をもたらしたことにより、途中でご破算となったらしい。 放っておいても内部の魔物が近くの街に下りてくることは一年に 一回あるかないかなので、現在は完全に放置されている。 そういった経緯もあり、シュガーとはまた別の意味でのアンタッ チャブルと化している。公海ならぬ公土とでも呼ぶべきか。 その森の名は︱︱迷いの森。 行きすら怖く、帰りはない。 そんな森の前で、一人の少女が思わずその雰囲気に苦笑いする。 1321 ﹁うわぁ不気味⋮⋮﹂ ﹁それは俺も思う﹂ 目の前に広がる陰鬱な森。昼でさえ不気味だというのに、現在は 夜で一層入りたくなくなる。 領主の館を出てその足でここに向かってからどれくらいたっただ ろうか、夕陽の影などどこへやら、既に月が高くなっていた。 クロノが全力で走れば夕陽が落ちかける手前か落ちてすぐくらい にはついたのだろうが、リルを連れて行くとなると本気で走るわけ にも行かず、リルを抱っこしながらその身体に付加を掛けない程度 のレベル3で走ってきたため、こんな時間になってしまった次第だ。 無論、領主の館と1000km以上離れたここに数時間でやってく るというだけで、十分な早さではあるのだが。 抱っこにしたのは、背中が背丈の三倍はあろうかという大荷物で 覆われていたからだ。 普段クロノは荷物など剣以外持っていないのだが、今回はメイか ら貰ったこれがないと仕事にならないのでしょうがない。 ﹁そういえばクロノって普段荷物って持ってないよね。服とか食料 とかお金とか、どうしてるの?﹂ ﹁食料は必要になったら現地で買うかな、自分で調達もするけど。 服は普段から何着か持ってるよ? 新しいの作ったりもするし﹂ ﹁作るの!?﹂ ﹁裁縫するわけじゃないけどね。俺の服って全部﹁天衣の霊装﹂だ から⋮⋮って分かる?﹂ 1322 ﹁ちょっとまって⋮⋮えーっと⋮⋮ドラ君が言ってたやつ?﹂ ﹁そうそう。自在に伸び縮みして形も変えられるからさ、形を考え るだけで新しいの作れるんだよ。しまう時は小さくすればポケット に入るし﹂ ﹁あれ? でもドラ君がこの前着てたような⋮⋮﹂ ﹁伸び縮み出来るってことは、ちょっとした切れ端でも大きく出来 るってこと。切って伸ばしてを繰り返せば無限に増えてくんだ﹂ そんなことを﹁天衣の霊装﹂を貰った当時︱︱2年程前言ったら、 ドラには﹁罰あたりめ﹂と言われたものだ。しかしその後﹁まあ、 もうそれでもいいか﹂と言ったのもクロノは覚えている。 貰ったのはかーさんと別れて少しして、ドラと本気で戦った時だ ったか。今では懐かしい記憶だ。 ﹁それと、金も現地調達かな。そこのギルドで仕事するだけでいい し、ギルドがない街に行く時は最低限の金も持ってくけど⋮⋮。基 本的にいっつも金は持ち歩かないよ。ていうか、多すぎて邪魔にな るだけだしね﹂ ﹁多すぎて邪魔になる量って⋮⋮﹂ ﹁Sランクの依頼になると優に百万は超えていくからなぁ⋮⋮。あ れ持ち歩くのはちょっと⋮⋮。余ったらそこらへんに埋めてるよ﹂ ﹁埋め、る⋮⋮?﹂ ﹁預ける場所もないし、そんなにお金も必要ないし、色んな街の近 1323 くに埋めてるな。極端に必要な時はそこから掘り返してる。数は1 000箇所くらい﹂ ﹁それ他の人に見つかったらどうするの⋮⋮?﹂ ﹁おめでとうってことであげるよ? 一応全部場所は覚えてるけど、 あんなに使うこともないしねえ⋮⋮。今まで4回見つけられたかな ? 埋めてから1回も見に行ってない場所もあるから、もっと見つ けられてるかも﹂ クロノの人並み外れた金銭感覚を見せつけられたリルは何も言え なくなったのか、それ以上言ってくることはなかった。 これから世にも名高い魔境に入ろうというのに、緊張感のかけら もない会話。 と言っても、住み慣れたクロノに緊張する要素などほぼなく、リ ルにとってもクロノがいることで外敵に対して緊張することはなに もないのだが。 クロノは背中の大荷物を持ち上げて、リルから暗い森へと向き直 る。 ﹁さて、そろそろ入ろうか﹂ ﹁これクロノの家見つけられるの?﹂ 森の中はまさに一寸先は闇状態。こんな中に今から入って一つの 家を見つけるなど、誰の目から見ても自殺行為も甚だしい。 しかし、クロノは不安など感じさせない軽い声で言った。 ﹁余裕余裕。今いるのが南東の端だって分かってるし、これからど れくらいの速度でどれくらい走れば着くかなんて感覚で分かるよ﹂ 1324 リルを右手で抱っこして、森へ入ろうと足を進め、何か思い出し たのか一旦立ち止まる。 ﹁ああそうそう、家に着くまでは眼閉じててね﹂ ﹁なんで?﹂ ﹁途中色々あるからさ、眼開けてたら結構危ないんだよ﹂ リルは言っている意味がイマイチ分からない様子だったが、とり あえず言われたとおりに眼を閉じた。 それを確認してからクロノは走り出す、先の見えぬ暗い森の奥の 奥へと。 ⇔ 冷え切った森の中。 身体が高速で揺れているのが分かる。ガサガサと草にぶつかる音 が聞こえる。道が均されていないのだろう、揺れと音が止むことは ない。 上下左右に揺れ視界を遮られた状態でも、リルは安心しきってい た。 疾走することによって発生している風はクロノが本気で走ってい ないといっても本来小柄な少女に耐え切れるものではないのだが、 自分で風を操作することによって心地よい風になっている。それに 加えクロノに抱っこされているということもあり、リルの心は揺れ などものともせず幸福感に包まれていた。 当然不満はない。 ︱︱が、気になることはあった。 1325 ︱︱どうして眼を閉じててなんて言ったんだろ? 言われた通り眼を閉じていて視界はさっぱりであるが︱︱閉じな くてもこの暗闇では何も見えないと思うのだ。 もし見せたくないものがあるとしても同じこと。開けていても見 えない。 ︱︱というより、そんなものがあるならば逆に見たい。 これから一生クロノについていくと決めた少女には、自分とクロ ノの間に隠し事があるのが許せなかった。 クロノの全てを知って、それらを全て分け隔てなく愛していきた い。その為には隠し事などあってはいけないのだ。 そう考えた少女は、悪いことだと分かっていながら、暗闇の世界 から眼をひっそりと開けた。 無論、眼を開けても月明かり以外の光がない森では明るさなどさ して変わ︱︱った。 ﹁え⋮⋮?﹂ 思わずリルは短く声を漏らした。 確かに、眼を閉じているよりは明るいに決まってはいる。完全な 暗闇の世界と月明かり射す森を比べれば月明かりが射している分、 森の方が明るいだろう。 ︱︱だとしても、暗いことに変わりはないはずだ。 しかし目の前の光景は明らかに違った。 まず、視界にはクロノが見えた。それはいい。 クロノの青い瞳と眼が合った。それもいい。 いや、もうこの時点でおかしいかもしれない。リルは合っている クロノの瞳が青いと断言出来る。決して普段のクロノを知っている から青い瞳だと言っているわけではなく、視界の中で青い瞳に見え 1326 るのだ。今のリルの視界を他人に見せてもこれは青だと断言される ことだろう。 つまり︱︱しっかりと色を認識出来る。暗いはずの森で。 ︱︱だがそんなことはまあいい、と言えた。そんなことが些細に 思えるほどおかしな点があった。 現在リルの視界にはクロノがいる。クロノがいる。クロノがいる のだ。︱︱クロノしかいないのだ。 暗くて他のものが見えないのではなく、本当に視界がクロノで覆 われている。視界にクロノ以外が存在していなかった。 そして︱︱更に言えば、視界の中にいるクロノは︱︱五人。 その五人全員と眼が合っていた。 ﹁なにコレえええぇぇぇぇぇ!?﹂ リルはついに脳内の処理が追いつかなくなり驚愕の声を上げた。 そんな声もクロノに覆われた世界を振り払うことは出来ずどこか へと消え去ってしまう。 続いて聞こえるクロノの呆れたような声。 ﹁何叫んでるの⋮⋮って、眼開けたのか⋮⋮﹂ 声にいつもと変わった様子はない。リルの聞きなれたクロノの声 だ。 ついでに視界を覆うクロノの表情にも変わりはない。︱︱口元す らも。言葉を発するような動きはどこにもなかった。 ﹁どんなの見てるかは知らないけど⋮⋮それ全部幻覚だから﹂ ﹁幻覚⋮⋮?﹂ 1327 ﹁視覚だけに作用するやつだから、直接害は、っと⋮⋮まあ、詳し い説明は家についてからするよ﹂ 途中何かあったのか、身体が大きく揺れた。 その揺れは、未だ自分の身体は抱っこされままで、クロノは走り 続けているということの証明。意識して風を操ってみると、やはり 同じ結論に達した。 おかしいのは視覚だけ。 ﹁ずっと幻覚見てるとおかしくなるけど、とりあえず眼さえ閉じれ ば大丈夫だからさ﹂ クロノに言われ、リルは静かに眼を閉じた。この夢のような世界 を少し名残惜しく感じながら。 二人は進む、まだまだ先へ。 ⇔ 迷いの森は、奥に進むにつれて徐々にその凶暴な本性を現す。 迷いの森が迷いと呼ばれる所以の一つ︱︱名前すらつけられてい ない花の花粉による幻覚作用。 視覚だけとは言っても、見る内容によっては人間はそれだけで息 を止めることもある。そう考えるとリルが見た幻覚は幸運なもので あったと言えるだろう。 他にも多種多様の動植物たちが混在する暗い森の中をクロノは迷 いなく進んでいた。︱︱眼を閉じながら。 実はクロノにここの幻覚は効かない。特別な何かをしているわけ ではなく、長く住んだことによって耐性が出来ていた。幻覚以外に も麻痺毒などがあるがそれらも慣れによって耐性がある。︵本当は とある女性につけさせられたという方が正しいが︶ 1328 幻覚が効かなくてもなお眼を閉じているのは、その方が慣れてい るからだ。 耐性があると言っても、当然最初からあったわけではない。最初、 幻覚を見ていた頃は、眼を閉じなければこの森の奥地は歩けなかっ た。 百聞は一見にしかずなんて言葉があるように、人間の情報収集に おいて視覚は最も多くの情報を得られ、他の五感よりも重要な位置 を占める。見えている情報が嘘だと分かっていても、それを無視し て行動することは難しい。たとえばナイフが自分に飛んでくる幻覚 を見ていたとして、避けないという選択肢を選ぶことはなかなか出 来ることではない。条件反射で避けてしまう。それが幻覚だと分か っていても。 であれば、見ない。自ら視界を閉ざす。 無属性を得て、この森でまともに戦うようになってから、クロノ は最初にその結論に達した。 今、眼を閉じているのはその頃の名残だ。 眼を閉じていても、どこに何があるかは身体が経験でおおまかに 知っている。 しかし暫くここに来ることはなかったので、たまに予想外の場所 に木が出っ張っていたりもする。それが先ほどリルが感じた大きな 揺れ。 敵の接近は耳で分かるので、苦にもなりはしない。今は戦いはし ない。避けるだけだ。 そうして幾分か走ったところで、クロノはふと足を止めた。 ︱︱ここら辺かな。 傍目には今まで走り抜けてきた場所となんら変わりはない、木々 が生い茂り月明かりすら遮断する密集地帯。 周囲を埋め尽くす木々、その内の一つの幹にクロノは触れる。 1329 左手を目一杯広げ、何かを確かめるようにざらざらとした幹の上 を滑らせていく。 ﹁ついたの?﹂ ﹁待ってね⋮⋮﹂ 頭の上の高さから徐々に手を下に、頭と同じ、首の辺り、そして 胸の位置まで来たところで手を止めた。 ﹁ここだな﹂ そう言うと同時に、無人だった森にベキベキと何かヒビが入る音 が二人の背後からし始める。 ガラスが割れるような高い音が何度か響き、最後に一際大きな音 を森に響かせた。 音が止んだのを確認してからクロノは背後へとくるりと身体を回 し、右手に抱かれたまま眼を閉じている少女に言った。 ﹁もう眼開けていいよ﹂ リルがゆっくりと眼を開けるとそこには︱︱破れた光の結界の残 滓が舞う中にひっそりと佇むログハウスがあった。 ﹁ようこそ、俺とかーさんの家に﹂ 1330 第百十六話︵前書き︶ 次は寝てからの話 後1∼2話迷いの森やって、マリアさんに主人公移そうっと。 1331 第百十六話 ログハウスの外観は至って普通と言えた。狭くもなく広くもなく、 多くの人間が見て﹁ログハウス﹂だと判断出来るくらいには。見た ところ高床式のようだ。 その脇には明らかに造られた畑らしき土が見える。こちらはやや 広いだろう。おそらくログハウスの敷地面積の倍はあるに違いない。 しかし見るに現在作物が植えられている可能性は低そうだ。 まるで夜空に散りばめられた星のように宙に舞う光の粒子は、ひ らひらと浮かびながら沈む様子はない。 味気ないログハウスを彩る幻想的な光の粒子を興味津々に見つめ ながら、興奮した様子でリルは訊く。 ﹁なにこれ!?﹂ ﹁ここを覆っていた光の結界の残骸だね。普段この家は結界で守ら れてるんだ﹂ 簡潔に説明を終わらせ、クロノはリルを地面へと下ろす。そして 目の前に見える自らの家の入り口へと歩き出した。 リルもきょろきょろと辺りを見渡しながら、その後をついていっ た。 リルが5歩ほど歩き、”中”に入ったのを確認してからクロノは 呟く。 ﹁遮断﹂ その言葉を合図に舞っていた光は壊れる前︱︱結界へと戻るため に集合を始め、瞬く間に畑を含めたログハウスをすっぽりと囲った。 1332 結界の端は丁度今しがたリルが歩いた辺り。 ﹁これでよしと﹂ ﹁これが結界?﹂ ﹁そうだよ。指定した人物の声に反応する術式での自動生成。結界 自体にも自動で認識錯誤の術式が付くようになってる﹂ ﹁自動生成⋮⋮認識錯誤⋮⋮???﹂ リルは単語の意味がイマイチ理解出来ていないらしい。 ﹁ようするに俺が遮断って言ったら、勝手に壊れた結界が元に戻る ってこと。認識錯誤は、簡単に言えば外からここが見えないように することかな﹂ 厳密に言えば、認識錯誤はこの空間自体を意識から完全に消して 認識出来なくするもので、見えなくするとは若干違うのだが。 クロノが認識出来ないはずの家を見つけられるのは、鍵の位置を 覚えているからだ。 結界を解除するための鍵。森に多数存在する中のたった一本の木、 その幹の特定の場所に手を触れる。それが結界の解除方法。 但し、手を触れるのはクロノか朱美でなければいけない。そうい う風に朱美が術式で設定している。 人物の識別材料として使っているのは指紋であるが、クロノもそ こまでは知らない。 高床式のためか少し高くなっている入り口から中に入ると、玄関 にあったランプが勝手につき、内部がほんのりと照らされ徐々に内 1333 装が見えてくる。 まず見えるのは今いる玄関と、その先にあるリビングらしき大き なテーブルが置かれた部屋。リビングに行くまでの廊下の途中には 三つの扉がある。天井の高さからして二階はなさそうだ。 外から見るよりは少し広そうだ。外からでは暗くて奥行きが見え なかったせいだろう。 安宿とは違って、歩いても軋むような音はしない。 廊下を歩いていくと、クロノが通った先から備え付けられたラン プに火が点っていき、リビングに着くまでには十分過ぎる明るさと なった。 クロノはリビングにある大きめの紅いソファーに背負った大荷物 を放り投げる。 ﹁あー邪魔だった﹂ 袋に入った大荷物から”中身”がいくつか床に零れ落ち、軽い振 動と共にガランという低い金属音を響かせた。 元々二人用の家なのだろう、円形のテーブルの側には椅子が二つ。 木製のはずなのだが、着色しているのか紅と黒という風変わりな色 をしている。 ﹁ここがリビングとキッチン﹂ 明るくなったリビングの奥には確かにキッチンらしき場所も見え る。 クロノは慣れた手つきで黒い椅子に座る。それを見て、どこか緊 張した様子でリルも紅色の椅子に座った。 ﹁ここがクロノの家⋮⋮﹂ 1334 か細い声で呟いたその声は、都合の良すぎることにクロノの耳に 届くことはなかったようで、反応はなかった。 ﹁今日はもう遅いから寝ようか。ベッド二つあるから寝るとこにも 困んないし﹂ ﹁待って、ベッドって⋮⋮同じ部屋?﹂ ﹁嫌なら俺はここのソファーで寝るけど⋮⋮﹂ ﹁違うの! ⋮⋮同じ部屋じゃなかったらどうしようかなって⋮⋮ ⋮⋮∼∼∼!! 何でもない! 同じならいい!﹂ 勢いよくテーブルに顔を突っ伏して、視線が合わないようにする リル。僅かに見える頬は赤くなっていた。 その様子を見て、クロノは少しの間ぽかんと口を開け、どういう ことかを理解すると、少し気恥ずかしそうに言った。 ﹁いや、まあ⋮⋮そこまで言ってくれるのは嬉しいけどね⋮⋮﹂ この瞬間この場にいたのは、おおよそ戦いなんて物騒な言葉とは 無縁の、奥手な17歳の青年と13歳の少女だった。 暫し、言葉を出すことすら憚れるような沈黙が二人を包む。 その空気を打ち破ったのは︱︱外からの眩い閃光。自然では有り 得ない光量が、薄暗い森ごとログハウスを貫いた。 クロノは反射的に眼を閉じると共に、リビングを出て玄関へと向 かった。 こんな機能はこの家にはない。結界の中に敵がいることは有り得 ない。 だとすれば、この光は外部からのものに違いなかった。 1335 更に言えば、この森でこんな閃光を放つ魔物はクロノの知る限り いない。アンコウのように暗い森で光を灯し獲物をおびき寄せる種 類もいるが、これは放たれた閃光。 明らかなイレギュラー。 乱暴にドアを開け、閃光の収まった森を見渡すと、 ﹁これで気づいてくれるかにゃー﹂ ﹁さあ、どうでしょう﹂ そんなことを言っている男女が結界に手を触れていた。 ちなみにその男女は、糸目の若そうな青年と、リルより年下と思 われる少女だった。二人とも背中にクロノがここまで背負ってきた ような大荷物を背負っている。 その姿を認めたと途端に、クロノは愛想のない仏頂面を作る。 ﹁あっ、クリョにょんだー。開けて開けて﹂ ﹁何の用だ⋮⋮﹂ ﹁必要な﹃物﹄届けに来たんだよぅ﹂ ガラガラと金属音のする荷物をこれ見よがしに見せ付けるユイ。 クロノは結界の端まで歩いて、二人の目の前へ。 ﹁じゃあそこに置いて帰れ﹂ ﹁冷たいっ!? 氷雪の霊峰の山頂より冷たいよ!?﹂ ﹁勝手に凍えて死んでしまえ﹂ 1336 氷雪の霊峰とは大陸の北に連なっている山脈の中で一番高い山の ことで氷の産地だとか、そんなことはどうでもいいとして、実に冷 たい言葉を吐くクロノ。 ﹁まあまあ、申し訳ないですが、今晩一晩泊めていただけませんか。 今日はもうこんなに暗いことですし。明日からのお仕事、私たちも お手伝いしますから﹂ クロノはちらりと森を見る。闇に覆われたこの森は、童謡に出て くる悪い魔女でも住んでいそうな雰囲気。それでなくても暗いこの 森を歩いて帰るのは至難の業に近い。 ﹁泊めてくれないと、さっきみたいな光を何度でもブチ込んで安眠 を邪魔しちゃうよぅ﹂ ﹁地味にうざいまねを⋮⋮。⋮⋮ッチ⋮⋮解除﹂ 露骨な舌打ちを見せつつ、結界を解除する。 ベキベキと結界にヒビが入り、隔離された世界が外界と繋がった。 ﹁もたもたしてるとすぐに閉じるぞ。早く来い⋮⋮﹂ 無愛想に言いながら、二人が結界の中に入ったのを確認してから 結界を再び張った。 ⇔ クロノがリビングに戻ると、リルがユイを見つけて声を上げた。 1337 ﹁あーっ! ユイちゃんなんでこんなところにいるの?﹂ ﹁お届け物。悪いけど今日泊まらせてね﹂ 紅いソファーに置かれた荷物と背負った荷物を床に下ろし、ユイ はそこにぼすんと座った。 ﹁お前ら、ここどうやって見つけた?﹂ この家はクロノですら鍵を開けなければ認識出来ない。それなの に、間違いなくユウとユイは結界に触れて、こちらを認識していた。 ユイは妙に殴りたくなるにやにやした笑顔を浮かべる。 ﹁知りたい? 知りたい?﹂ おちょくられている。めんどくさい。 瞬時にそう判断したクロノは、ユイを無視して対象を変える。 ﹁おい、ユウ﹂ ﹁でも教えてあげ︱︱﹂ ﹁私たちには術式を見破る見透し眼鏡っていうのがあるんですよ。 まあそれ自体も術式を刻んだものなんですけど﹂ ﹁隠蔽とか認識錯誤かかってても、それを無視して見れるのか?﹂ ﹁多分いけると思います。元々隠蔽されて探しきれなかった術式を 探して消す為に、私たちの祖先が後世に残したものですから﹂ 1338 ﹁ユウ君の裏切り者ぉーーーー!!﹂ 一人で叫んでいる馬鹿は置いておいて、クロノは考える。 ﹁お前らも全属性持ちなんだから、術式は刻めるよな?﹂ ﹁そうですね。︱︱でも、使えはしないです。何を考えてるかは分 かります。術式を使えば今回だってそこまでの危機じゃない。ただ、 使えないんです﹂ ﹁どういうことだ?﹂ ﹁刻めるのと使えるのは違います。術式の線には一定の規則性があ ります。その規則性を私たちは知らない。もし国の在り方が変わっ ても術式を広めさせないためでしょう、祖先はそれを私たちに残さ なかった。適当に刻めばいいってものじゃないんです。適当に刻ん で、制御不能のものが出来上がるかもしれない。それに今でも、私 たちの国では術式研究はタブーになってますから。本来術式の刻み 方だって伝えられてはいなかったんです。私たちが刻み方を知って いるのは、朱美さんを手伝う過程で知ってしまっただけで﹂ 適当に刻んだところで、開けてみなければどんな効力があるか分 からない。それ一つで国が滅ぶ可能性だってある。まるでパンドラ の箱。 要約すると、今からやろうとしていること”以外”は、術式は使 えないということ。 皮肉気にクロノは笑う。 ﹁それだけ術式を危険視しておいて、ここでの”これ”はいいのか﹂ 1339 ﹁そう言われると、返す言葉もありませんね﹂ それまで黙っていたユイが口を開く。 ﹁信念やプライドで何かを守れるなら、誰も苦労しないんだよぅ。 折る時も必要にゃの、それが大人ってもんだよクリョにょん﹂ ﹁お前が大人なんて言っても、説得力ないな﹂ ﹁にゃにおう!?﹂ 一旦ここでまともな会話は終わり、この後は各々就寝まで時間を 過ごした。 それ以降目立ったことと言えば、露天風呂があることでユイがお おはしゃぎしたことくらいで、就寝する運びとなった。 寝室に向かう直前、クロノはユウを呼び止める。 ﹁ユイ⋮⋮じゃなかった、ユウ。さっき言ってた見透し眼鏡って今 あるか?﹂ ﹁ありますが⋮⋮何か?﹂ 気になっていた。リルから聞いた、自分の身体の再生具合。何も しなくても勝手に治っていった身体。 明らかにおかしい。 普通に見ても変わったところはないが、術式の痕を術式で隠され ているのだとしたら。 ﹁それで俺の身体見てくれ﹂ 1340 ﹁いいですけど⋮⋮﹂ ユウはどこかから取り出したモノクルを通してこちらを眺め︱︱ ﹁あ⋮⋮﹂ とだけ声を上げて固まった。唖然とはまさにこういうことをいう のだろう。 珍しく呆けたように口を開けているユウ。 答えは訊くまでもなかった。 何時か、どこでか、どの位置かまでクロノは想像出来た。心当た りがある。線をわざと刻まれるような痛み。術式を刻むことが出来 る人間。 おそらく、自らが母を殺したあの時だろう。 怨むことはない。そのお蔭で死ななかったと言える。感謝しても しきれないくらいだ。 ︱︱本当、かーさんには頭が上がらないな。 ﹁お前の反応で大体分かった。どうせ胸のあたりだろう、もういい﹂ ユウに問うこともなく、それだけ言ってクロノは寝室へと入って いった。 ⇔ クロノに取り残されたユウは、一人闇に閉ざされた廊下で立ち止 まっていた。 どういう意図があったのかは分からないが、本人は満足して帰っ 1341 ていった。 だが、ユウにはクロノとは別の、きっとクロノですら気づいてい ないものが見えてしまった。 最後にクロノは﹁胸のあたり﹂と言った。 確かに、そこに術式はあった。経験上、隠蔽の術式と思われるも のと、よくわからないもの。 世界中に千年以前の名残として、術式はまだある。消し去る努力 はしているものの、完全に消し去れてはいない。 隠蔽の術式は何度か地中に埋まっているのを見たことがある。隠 蔽は視覚と触覚を完全に騙し、そこから違和感を奪い去る。見透し 眼鏡でもないと分からないだろう。 しかしユウはそんな術式にあまり眼がいかなかった。もっと他の 場所に、目立つものがあった。 それは︱︱右腕。右腕に刻まれた膨大な線。 胸に刻まれた線など、比較にならないほどの数と量。線と線の隙 間は1mmあるのかと思ってしまうほどで、刻まれていないところ を探すのが難しいくらいだった。まともな右腕の皮膚などろくに見 えはしない。 今まで見てきた術式の何よりも緻密で繊細。何をするためにあそ こまでの術式が必要なのか。 そして何よりも恐ろしいのは︱︱クロノ自身がそれに気づいてい なそうなところ。 誰がやったのかは分かる。育ての親を考えれば誰だかはすぐに分 かった。 理解出来ないのは、本人に気づかれないように術式を刻む必要性。 何のために刻み、何のために隠したのか。 ﹁⋮⋮貴女は⋮⋮何をやったんですか⋮⋮?﹂ 今はいないこの家の主への声は、永遠に届くことはなかった。 1342 第百十七話︵前書き︶ 安定の後半の雑さ クロノのこの考えは、少なくとも物語中は変わらないかなー。 次回は基本リルサイドで、リルのちょっとした過去回想とか質問の 意図とか書いて夜は終わり。 遅くなった理由、ゲームしてました。 1343 第百十七話 クロノが寝室に入ると、二つあるベッド︱︱その両方に先客がい た。 二つのベッドの間には今まで無かった移動式の木製の仕切りがあ り、寝てしまえば互いのベッドから隣は見えないようになっている。 この仕切りは、とある女性が何時か来る親離れの時用に自作した ものなのだが、少なくとも4年前の段階では使うことがなかった。 では現在、なぜそんなものを引っ張り出してきたかというと、そ の理由は既にベッドに入っている少女二人にあった。 元々リル以外泊める予定はなかったのでよかったのだが、突如と して現れた二人のイレギュラーの分、寝る場所が足りなくなったの が事の発端である。 クロノは最初、ユイとユウには﹁ソファーで寝ろ﹂と言ったのだ が、ユウは良いとしてユイが文句を垂れた。 ﹁え∼、客人をそんなところで寝かすなんて、失礼な話なんだよぅ。 宿屋失格の烙印を押されてもしょうがないよぅ?﹂ ﹁ここは宿屋じゃないし、お前らは客人じゃない。どちらかと言え ば不法侵入者だ﹂ ﹁不法侵入なんてした覚えはないよぅ?﹂ ﹁安眠を妨害してやる、とか強請って無理矢理入ってきた奴の言葉 じゃないな﹂ ﹁それはそれこれはこれ﹂ 1344 ﹁私は別にソファーでも良いんですがね﹂ ﹁とにかく! ベッドが欲しいんだよぅ﹂ ﹁絶対に嫌だ﹂ ここまでクロノが意地を張ったのは、別にソファーで寝るのが嫌 だったわけではなく、ユイの言うとおりにするのが癪だっただけだ。 妙に譲らないユイにクロノもムキになりかけていたところ、その 様子を見かねたのかリルが言った。 ﹁私はソファーでも良いよ⋮⋮?﹂ ﹁駄目、それなら俺がソファーで寝る﹂ ﹁クロノがソファーで寝るなら私もソファーで寝る﹂ ﹁それは駄目だって﹂ 見るのも聞くのも面倒くさくなるような譲り合い。話合いが無限 ループに陥り、一向に進まなくなる。 やがて、ユイが何か思いついたようにポンと手を叩いた。 ﹁じゃあ、二人一緒のベッドで寝ればいいんだよぅ。そうすればベ ッド一つ空くし、ユウ君も私とベッドで寝れる﹂ ﹁なるほど! 流石ユイちゃん﹂ 何がなるほどなのかクロノにはさっぱり分からなかったが、リル の笑顔に何か言う事も躊躇われ流されるまま、結局ユイの言うとお 1345 りにベッド二つに四人が寝ることになってしまった。 ベッド間の仕切りは、安眠を妨害してくるであろうユイ対策であ る。 ︱︱寝てるかな⋮⋮。 もし寝ていたとして、起こしては申し訳ない。 クロノは足音すら立てないように慎重にベッドへと歩みを進める。 そして中に入ろうとシーツに手をかけると︱︱闇の中の眼と合っ た。 ﹁あれ、起こしちゃった?﹂ ﹁ううん、起きてた﹂ クロノから少し安堵の吐息が漏れる。 手にかけたシーツは、リルが先に入っていたせいか、慣れない生 温かさを帯びていた。 のそのそとベッドの中に入り、仰向けに寝る。 ﹁ねえ⋮⋮﹂ ﹁ん?﹂ 隣に眠るリルからの声に身体を向ける。 2人眠るには狭いベッドの中で身体と身体が向かい合い、眼が互 いに合う。 ﹁明日はどうするの?﹂ 1346 ﹁朝から仕事。”アレ”使い切ったら終わりにするけど、多分夕方 までかかるんじゃないかな﹂ 心なしか一瞬リルが眼を逸らしたような気がクロノにはした。 ﹁そんなに?﹂ ﹁量が量だからなぁ⋮⋮。見た感じ五百は優に超えてるし、かなり 大変だよ﹂ ﹁そっか⋮⋮﹂ また、気まずそうに眼を逸らされた気がした。 落胆⋮⋮ではないと思う。 だとすればなんだろうか? 少なくともプラスのイメージは浮か ばない。 リルの口元はぎゅっと結ばれ何かを抑えているように見えた。 ﹁何か⋮⋮言いたいことあるの?﹂ 何となくで口にしたその言葉にリルはビクリと身体を震わせる。 どうやら図星だったらしい。 ︱︱解りやすい反応ありがとう。 と多分に幼さの残る少女に内心感謝する。 クロノはあまり人の心を読むのは得意ではないと自負している。 今まではかなり気を遣って会話していたが、それが合っていたのか どうか自信はない。本当は不味いことを言ったことがあるかもしれ ない。 1347 そもそもの話、人付き合いの経験が少ないので、心なんてものは イマイチ読めない。ドラがいなくなった現在、素で話す人間はリル とカイくらいのものだ。 だからこうして表情に出してもらえると助かる。 ﹁遠慮しないで言えばいいよ﹂ 今回のことに何か不満があれば色々言って欲しいし、それを改善 する努力も惜しむ気はない。他のことだって同様だ。 リルは固く結んだ口を少し緩め、気まずそうに、そして心配そう に小さく呟いた。 ﹁⋮⋮クロノはどう思ってるの?﹂ 珍しく歯切れの悪い言葉。表情に普段の快活さはない。 ﹁相手に︱︱自分の家族がいること⋮⋮﹂ リルの言葉を聞いて、クロノがまず思ったことは ︱︱なんだ、そんなことか。 とても軽く、そんな感想を抱いた。 言いづらそうにしていたのは、言ってしまって自分が傷ついたり しないかと考えたせいだろう。 この問いですらも、ある意味自分を心配してのことだ。 能天気そうに見えて、案外リルはこういったことには気をつかう。 たまに抜けているところもあるが。 逆に考えれば、リルがここまで踏み込んでくれるというのは、信 頼の証とも言える。 1348 ﹁戦場で会ったりしたらどうするの?﹂ クロノは微塵も表情を動かさず、あくまで自然体で短く言った。 ﹁殺すよ﹂ 実はギールの時点で一回妹に会って見逃しているのだが、今とそ の時では心持ちが大きく違う。 その時は躊躇いがあったことを認めよう。確かに手は止まった。 しかし今ならば、冷静に、冷徹に、手にかけられる。その自信が ある。 この前の兵士の件で分かった。自分にはもう人殺しへの躊躇いは ない。 ﹁でも⋮⋮家族だったんだよね⋮⋮。血の繋がった⋮⋮﹂ 依然言いよどむリルをまっすぐに見つめて、クロノは︱︱笑顔を 見せた。 ﹁血なんか繋がってたってさ、何の意味もないよ。血の繋がった家 族だからって、誰も助けてくれないんだ。俺を助けてくれたのは何 時だって、血の繋がってない赤の他人だった。︱︱だから結局、ど うだっていいんだよ、そんなこと。そんなゴミみたいな繋がりより も、今の俺にはリルの方がずっと大事だ﹂ クロノは頭では、血の繋がりの重要性を理解している。だがそれ は、多くが貴族社会に置いてのものだ。血統による家格、地位。し かもそれらは現在貴族社会に生きていないクロノには何の関係もな い。 1349 では、貴族社会を抜きにした、血の繋がりによる家族の絆とかそ ういったものはというと︱︱ クロノはそんなこと微塵も信じていなかった。 血の繋がりによる家族の絆など、認めないし、信じない。 その考えの根本にあるのは、自らの実体験。 自分の幼少期のことだけではなく、街によっては溢れかえるよう な孤児を見たりした中で、自然と血の繋がりによる絆を否定する考 えが育まれた。 そんなに血の繋がりが重要ならば、こんな世界にはなっていない だろう。 リルは少し暗い表情を一瞬見せた後、クロノに擦り寄る。 ﹁そっか⋮⋮大丈夫なら、いいよ。でも無茶は駄目だからね?﹂ ﹁それは約束できないなぁ⋮⋮﹂ ﹁むー⋮⋮﹂ 唸りながら、ゆっくりとクロノの胸に顔をうずめていく。 ﹁絶対死なないでね。どんな形でもクロノが生きてればいいから。 クロノが死んだら︱︱私も死んじゃうよ?﹂ ﹁死ぬ気はないし、そんなこと言われたら益々死ねないな。︱︱そ ろそろ寝た方がいいよ。明日は早いし。お休み﹂ ﹁うん、お休み﹂ 完全に顔が埋まった状態でリルが上を向いて言ったその言葉を合 1350 図に、クロノは夢の世界へと落ちていった。 1351 第百十八話︵前書き︶ 久々更新。遅れの戦犯新生活。 今回は前後半で雑さ変わらないからへーきへーき。 安定の何言ってるかワケワカメ 1352 第百十八話 クロノが隣で寝息をたて始めた頃︱︱ リルはクロノの胸にうずめていた顔をゆっくりと上げた。 ベッドの間に設けれた仕切りの向こうからは、獣の唸り声かと思 うようないびきと、それに混じった微かな寝息が聞こえている。 普段からは想像も出来ないが、大きないびきがユウで、小さな寝 息がユイだと思う。 もし逆だったら? と考えかけてリルは止めた。逆だったら色々 とマズイ気がする。 顔をゆっくりとクロノへ向ける。 クロノはすっかり寝入っているようで、穏やかな顔で眼を閉じて いる。 リルはその顔を見て愛おしく思いながら、二つの会話を思い出し ていた。一つは先ほどクロノと交わした会話。もう一つは︱︱風呂 場でユイと交わした会話だった。 時刻は二時間ほど前に遡る。 ⇔ この家には、この世界の一般とはかけ離れた風呂場というスペー スが存在する。 内風呂と外風呂があり、しかもその風呂場に流れているのは、地 下から無理矢理引っ張ってきた天然の温泉というおまけつき。 無理矢理というのは、少なくとも普通の人間には出来ない手段で 掘り当て、有り得ないほどの力を使いここまで引っ張ってきたとい う意味である。 寝室に入る前に先に風呂に入ろうということで、女性陣は先、男 1353 性陣は後に入ることとなった。 白い湯煙舞う露天風呂。景色は不気味な森が見えるばかりである が、上からの月光と合わせて見ると風情があると言えるかもしれな い。風呂の周りは石で囲まれ、温泉宿と言っても通用しそうだ。 泉質はぬめり気の多い重曹泉で、いわゆる美肌の湯などと言われ るタイプの温泉である。 が、温泉に微塵も興味のないリルにそんなこと分かる訳もなく、 ﹁なんだかぬめぬめする温泉だな﹂程度にしか思わなかった。 ﹁どうよ? クリョニョンとの関係進んだ?﹂ ユイは寛いだ様子で温泉の中で足を伸ばし、浴場を囲う石を背も たれにしながら訊いてくる。 ﹁な、なんで?﹂ ﹁ここ最近二人の仲が目に見えておかしいなぁーってね﹂ にやついた笑顔のユイ。 言われてみれば思い当たる節はいくつもある。普段こんな長い間 ずっといることは少ないし、こんなにべたべたしていたらクロノが 途中でどこかへと逃げる。 そういったことを出来るようになったのは、自分の立場からすれ ば喜ぶべきことなのだろう。クロノが自らを受け入れてくれたとい うことに違いない。 しかし、今のリルはそれを手放しで喜べなかった。 ﹁何か不安ごとかにゃー?﹂ 1354 いつの間にか近づいていたユイが懐の辺りから覗き込んでいた。 ﹁表情に出てるよぅ?﹂ ﹁そ、そう⋮⋮?﹂ ﹁うん、丸分かり﹂ 自分でどんな表情をしていたのかリルには分からなかったが、ユ イの接近に気づいていない時点で相当上の空だったのだろう。 慌てて湯煙立ち込める水面を見てみると、そこにはいつも通りの 自分の顔があるだけだった。 ﹁とか言いつつカマ掛けただけなんだけどなー。様子的に図星ー?﹂ ユイにケラケラと笑われたところで、リルはようやく嵌められた と気づいた。 ﹁ふむふむ、どうせクリョニョン絡みなんだろうけど﹂ こちらも図星。見事なまでのクリーンヒット。 ユイはよくこういうところがある。人が思っていることをずばず ばと当てていく。 年端もいかぬこの顔で表と裏を使い分け、それでいて、自分の思 っていることは他人には悟らせない。掴みどころのない雲の様な性 格。それがリルのユイに対する印象だった。 きっとこの容姿通りの年齢ではないのだろうとリルは密かに思っ ている。 当然このことを本人に言いはしない。それくらいの分別は付く。 1355 ﹁そうだにゃー⋮⋮たとえばクリョニョンが他の女の子に目移りし ないかなーとか?﹂ ﹁⋮⋮違うよ?﹂ 気にはなるが、流石にこの状況でそのことについて悩んだりはし ない。本当に気にはなるが。 ﹁なるほど悩んでるのは事実っと。︱︱まあ冗談はさておき、悩み っていうのは現在のクロノの精神状況か、クロノとの関係かなー﹂ 今度こそ完全にリルは顔に動揺の色を浮かばせる。提示された二 択の内一つはまさにその通りだった。 一方ユイは非常に軽い調子で、ずばずばと心の奥底まで入り込ん でくる。 ﹁うーん、両方ではあるけど、どっちが気になってるかと言われれ ば⋮⋮状況? それとも、関係?﹂ クロノと同じ、珍しい黒い瞳でじっとこちらを覗き込むユイ。そ の瞳に全てを見透かされてしまうような気がして、咄嗟に眼をそら した。 が、このネバーランドの住人にはそんな小細工通用しないようで ﹁ん∼、関係⋮⋮かな?﹂ と、ここまでのどこにそこまで絞り込める要素があったのかと問 い質したくなるほど、寸分の狂いもない正確な解答を出されてしま った。ここまで来ると寒気すら覚える。 1356 ﹁⋮⋮なんで分かったの?﹂ ﹁仕事上、色んな人と接する機会が多いのさー、その経験ってやつ ? あと、女の勘かな? まっ、絶対に読めない例外もいるけど﹂ 馬鹿げた返答をリルは無意味だと判断してスルーした。そんなこ とで人の心が読めるなら世の中の宿屋は化物だらけである。 ﹁さてさて、ぶっちゃっけ言っちゃうと、リルちゃんの不安は間違 ってないと思うよ﹂ 不安の内容についてとか、最早疑問を投げかけるのも無駄に思え て、リルは何も言わなかった。こういう人間だと割り切らねばやっ ていられなそうだ。 ﹁クロノにとってリルちゃんは代わり︱︱ドラ君の﹁代わり﹂さ﹂ リルは水面に顔を落としながら短く﹁知ってる﹂とだけ答えた。 ﹁ずっと隣にいた彼がいなくなった。じゃあ﹁代わり﹂に誰か置こ う。それが今の現状だよ。︱︱本人はそんな自分の深層心理には気 づいていないだろうけど﹂ ﹁⋮⋮知ってる、知ってるんだそんなこと﹂ ﹁知っているのと受け入れるのは別の問題だ。﹁代わり﹂に見られ るのが不満?﹂ ﹁不満じゃない︱︱わけない。でも、しょうがない︱︱今は。そう しないと、クロノが持たないんだから﹂ 1357 ただ一人の誰かを想いながら、年不相応に悟ったようにリルはそ う言った。 ﹁ユイちゃんは分かってないよ、根本的に私とクロノの関係を、ク ロノから見た私を。⋮⋮﹁代わり﹂に見られるのは慣れてるんだ。 最初からそうだったんだから﹂ 自分よりも背の低い少女が眉を顰めるのを見下ろして、リルは続 ける。 ﹁出会った時からそうだったんだ。私と同い年のクロノの妹、私は その﹁代わり﹂として拾われた。クロノもそんなことは言ってた、 ﹁代わり﹂とは言わないまでもね。だから今回は、何の﹁代わり﹂ かが変わるだけ。妹かドラ君か、それだけの違いだよ﹂ ﹁存外⋮⋮冷めてるんだね。私はもっと悪い意味で年相応に純粋な 子だと思ってたよ﹂ ﹁子供が純粋だなんて勝手な大人の思い込みだよ。子供だって、物 心つくころには平気で嘘を吐くようになってるんだから﹂ この時水面に揺れた顔は、温かい温泉とは対照的に、ユイが言う ような温度のない冷めた眼をしていた。 ﹁⋮⋮不満じゃない、とすれば何が不安?﹂ 冷めた表情から変わって、不安げという感情を灯しながらリルは ゆっくりと答える。 1358 ﹁⋮⋮⋮⋮このままでいること⋮⋮かな。今﹁代わり﹂として見ら れるのはいい。︱︱でも、この先一生誰かの﹁代わり﹂としか見ら れないんじゃないかなって、ずっと私を見てくれないんじゃないか なって︱︱そんなこと思って、こんな状況でも結局自分のことを考 えてる自分が嫌になる﹂ クロノと一緒にいられるようになったことを手放しに喜べないの は、それが自分を見てのものではなく、﹁代わり﹂として︱︱ドラ の役割としてのものだからだ。 出会ったときから﹁代わり﹂として見られていたのだとすれば、 これから先もそのままかもしれないという不安と、自己中心的考え が渦巻く自分への嫌悪。 その二つがリルの不満ではない不安。 ある程度は仕方ないと受け入れられる。それでも怖い、自分とい う存在を見てくれないことが。 伏し目がちに心中を吐露したリルに、自称永遠の12歳は湯に身 体を浮かばせ星散らばる夜空を見上げながら言った。 ﹁一生﹁代わり﹂かー、私はそうならないとおもうけどなー﹂ ﹁え⋮⋮?﹂ ﹁初めこそ妹の﹁代わり﹂だったとしてもさ、途中から﹁リル﹂と いう存在はクロノにとって特別だったはずだよ。正直、リルちゃん とクロノの妹って性格全然似てないし、妹の﹁代わり﹂としてって いうのは途中から無理が生じるでしょ。途中からはあくまで妹のよ うな、であって妹の﹁代わり﹂ではなかったと思うよ。今回だって ドラ君がいなくなったから急遽その﹁代わり﹂として一時的に扱わ れてるけど、いずれその違いにも無意識で気づくようになる﹂ 1359 顔を伏せていたリルにずいっと近づいて、下からリルの唇に人差 し指を当てながらユイは続ける。 ﹁大体さ、クロノにとって誰かの﹁代わり﹂になれる時点でリルち ゃんは特別なんだよ? 他の人間じゃ﹁代わり﹂にすらなれないん だから。朱美さんのこともあるにしろ、クロノは根本的に人嫌いで 他人と関わろうとしないから、周りにいられるってだけで十分特別 な存在ってことだと思うよ﹂ 元気付けようと言っているのだろうが、リルにはそれでも十分だ った。人間、お世辞だと分かっていても嬉しいものは嬉しいものだ。 表情が少し緩んだのを見て、ユイはいたずらっぽくうっすらと微 笑んだ。 ﹁個人的には二人のこと応援してるよ? リルちゃんは友達、クロ ノは友達の子供だしね! その二人が家族になるっていうなら、私 としては祝福してやるのだぜ?﹂ ユイはびしっと指を突きつけて勢いよくそう言い切った後、頬を 紅潮させるリルに少し落ち着き払って付け加える。 ﹁まあ、クロノのことでまだ気になることがあるっていうなら、本 人に訊けばいいんだよ。リルちゃん相手なら嫌な顔ひとつせず答え てくれるでしょ。そのためのお膳立てはしてあげる﹂ そのお膳立てとやらが、風呂上りに勃発したあの無駄に見えるベ ッド論争である。無益な争いの狙いは二人きりの空間を作るという ことらしい。結果として簡単にクロノが挑発に乗ってくれたのでそ こまで労することはなかった。 1360 ⇔ 時間は戻り︱︱現在。 気になっていたことは訊けた。返答はあっさりとしたもので、た だ一言﹁殺すよ﹂。ユイのような長年の経験のようなものがあるわ けではないが、答え方からしておそらく言葉に嘘はないと思う。 ︱︱ただ、その後の顔がどうにも気になってしまった。答えた後 のクロノの笑顔が。血の繋がりに意味などない、と言ったときの自 然な笑顔が。 あの顔を見てリルが抱いた感想は一つ。 ︱︱そこは笑う場所? 気を使って無理して笑うではなく、あくまで自然に見せた笑顔。 きっと自分の過去を思い出して辛そうな顔をするか、あるいは平 静を装う場所だと思う。 だが︱︱クロノは笑った。まるでなんでもないことのように。 家族がどういうものかなんて、経験のないリルには微塵も分から ない。それでも、話に出てくる家族にはよく家族の絆やら家族愛や らなんて言葉が当てはまることくらいは知っている。 その家族を平然と否定して、あんな自然に笑えることがおかしい と思った。自分のように家族を知らないのではなく、知った上で笑 顔で否定出来ることが。 きっとあの笑顔はなんでもないことだという証明なのだ。なんで もないことだから笑えるのだ。 血の繋がった家族だからって馬鹿みたいに信用するものじゃない と、だからあれは、あの仕打ちはなんでもないことなのだと。きっ とそう思うことにしたのだ。クロノにとって血の繋がった家族とは そういうものなのだ。そう思わないと理不尽に耐えられなかったの かもしれない。 1361 クロノがその考えに至るまで︱︱あの笑顔が出来るまでの経験を 想像して、リルは背筋が寒くなった。 同時にあの笑顔は、どこまでも傷だらけのものなのかもしれない とも思った。あの笑顔は幾多もの経験という傷の上に成り立った傷 だらけの笑顔なのだろうと。 そんな風に笑えるようになってしまったクロノが、とても悲しく 思えた。 今、穏やかに寝息を立てているクロノにはどこにもそんな影が見 当たらなくて、それがより一層リルの心を抉る。 そしてリルは密かに決意する。何時かあの傷だらけの笑顔を消し てしまおうと。辛い記憶を消してしまうほど幸せになって、今度こ そこの人が無傷の笑顔を浮かべられるように。 そんな静かな決意を胸に、リルは再びクロノの胸の中で眠りに落 ちていった。 ﹁⋮⋮このいびきは来る前にお酒飲んで来ましたね⋮⋮﹂ 1362 第百十九話︵前書き︶ やっと夜終わったー。安定の最後の雑さ加減。説明下手だな。 ようやく朝行って森終わらせられる。 1363 第百十九話 虫の羽音すら許さない静寂の中、彼は緩やかに意識を覚醒させ始 めていた。 ︱︱ん⋮⋮? 瞼が重すぎて開きそうにない。視界は瞼の裏の暗闇に閉ざされ何 も見える気配はないのだが、それ以前に光を感じないので、もしか したら開けても同じで瞑々たる闇が広がっているだけかもしれない。 身体の感覚はふわふわとしていて、神経が中途半端に起きている 状況。僅かに伝わる感触からして、身体は仰向けに寝ているようだ。 少しして徐々に感覚が戻ってくる。多分寝ている場所はベッドに 違いない。不思議と瞼が重いのが気になるが、起きるのにそこまで 時間はかからないように思えた。 そのときだった。ヒタヒタと近づいてくる音が聞こえたのは。 音の主は元から近くにいたようで、少し歩いて立ち止まったのか 音はすぐに止んだ。 ここで右腕に少し感覚が戻ってきて、明らかな異常に気づく。感 覚はあるが神経でも麻痺してるかのように薄すぎる。動かすことは おろか痛みすら感じそうにない。これは起きかけとかそういった部 類のものではなく、何か意図的なものに思えて仕方がなかった。 考える間もなく右腕に微かに何かが触れたような感覚がして、突 如として麻痺しているはずの神経から痛みが奔った。 ︱︱なんだ、これ⋮⋮っ!? どう足掻いても身体のどこも動きはしない。痛みに声を上げるこ とすらも叶わずされるがまま、時間だけが過ぎていく。 1364 やがて痛みが消え、ようやく瞼が開くようになったので、彼は思 い切り眼を見開いて右腕を見た。 そこにあったのは︱︱ 血に塗れた母親の顔だった。 ⇔ クロノは雷にでも打たれたかのように唐突に眼が覚めた。開いた 眼に映るのは、見慣れた寝室の暗闇。この暗さでは未だ陽は上がっ ていないだろう。 ﹁夢⋮⋮?﹂ 特別暑くはないはずなのだが、まとわりつくような汗が背中をじ っとりと伝っていた。 夢とは記憶を整理する中で、勝手に脳が記憶の映像を使ってスト ーリーを作ったものだと昔母親に習った覚えがあるが、あんな出来 事があった覚えはないし、あんな顔の母を見た覚えもない。記憶の 中で思い出す最期の母の顔はあそこまで血に塗れてはいなかったは ずだ。 覚えはない︱︱が、既視感はある︱︱気がする。何とも煮え切ら ない話だが、見たことがある様な気もほんの少しだけする。記憶の 書庫のどこを探してもその本は見つからない。それでも、違和感が 拭えない。自分の記憶に鍵がかけられたような不気味な感覚。 ﹁そうだ右⋮⋮﹂ 痛みが奔った筈の右腕の感触を確かめてみると、違和感を覚えた。 肘の辺りを強く打ったときのように右腕が痺れている。 1365 クロノが恐る恐る右腕を見ると︱︱眠っているリルの下敷きにさ れていた。右腕はリルの下を潜りながら背中まで達し、左腕は逆に 上を通ってこれまた背中まで達していて、その向こうで両手を合わ せている。もっと分かり易く言うと、リルを抱きしめるような格好 になっている ﹁⋮⋮あ、れ?﹂ 自分でも寝相はいい方だと自負している。こんな体勢で寝た覚え はない。 クロノは首を傾げるが、理由が分かるわけもない。なぜならこの 体勢はリルが寝る前にクロノの腕をせっせと動かしたせいだからだ。 当の本人はクロノに抱かれながらすやすやと眠っている。 ︱︱腕の方は血の巡りの問題かな。 腕の痺れをリルの下敷きになったことによる血行不良と冷静に断 定する。多分その読みは間違っていないだろう。意識して身体を強 化していない時のクロノの身体など一般人と大して変わらない。 早速抜け出そうと身体を起こすために足に感覚を集中させると、 やたらリルの足と絡んでいるようで、流石に身長差の関係上足の先 までとはいかないものの、膝の手前辺りまでは完全にロックされて いる。眠り姫を起こさずに立ち上がるのは困難そうだ。 慎重に腕だけを引き抜こうと、痺れた神経を無理やり動かしてみ るが、起こしたらという恐怖心で中々進まない。 五回ほど施行したところで一旦手を休め息を吐いた。 ︱︱落ち着けって⋮⋮。休憩、休憩。 なぜこんなに緊張しているのか自分でも分かりそうになかった。 1366 起こしたところでリルのことだから、別段気にした様子なく笑って 許してくれるに違いない。 少しして徐々に右腕の感覚が夢ではなく正常に戻ってきた。そし てまず感じたのは︱︱ ︱︱暖かい⋮⋮。 右手から伝わる体温。血の巡りによる僅かな動き。誰かを殺すと きとは違い、一瞬で消え去らないそれら。 体温が、匂いが、リルが生きているということを実感させてくれ ている。それだけで荒れていた心が落ち着くのを感じる。 それは同時に、自分にとってこの少女が特別な存在であるという ことでもあった。今現在、この世界に存在する誰よりも、特別な。 リルがクロノの中でそういった存在になったのは、別にクロノが リルのことを特別好きだとか、そういった理由ではない。 ではなぜかというと、ただ︱︱近くにいたから。 クロノの世界の中にいる人間は極端に少ない、数としては僅か4 人だ。逆にそれ以外の人間は現在のクロノからすればかなりどうで もいい。更に言えば、完全に心を開いたと言える人物は生涯で二人 しかいない。理由としては朱美から人と深く関わるなと言われたこ とと、元来クロノはあまり人間が好きではないということが挙げら れる。 近くにいた人間がいなくなった、次にその席に据えるのは順当に その次に近くにいた人間。4人しかいないクロノの世界にいる人間 の中で、ドラの次に近くにいたのはリル。それだけのことなのだ。 当然のようにクロノは自分の中で無意識に行われるその入れ替え に気づかないし、気づいたならばまた無駄に悩むだろう。だから、 ときに気づかないことは幸せなことなのかもしれない。 1367 リルの温もりを感じながら、クロノは昔を思い出す。きっかけは リルに家族について聞かれたこと。 追い出されたあの日、あのとき、自分はこんな乱れた精神状況に なっていただろうか? と。大切なものを失ったという意味では、 現在の状況と変わらないはずだ。しかし、あのときは少し泣いただ けで済んだ。すぐに切り替えることが出来た。 あの頃から成長したどころか、精神は退化したのかもしれない。 何かになりたくて力が欲しかったあの頃と、力を手に入れて何の 目標もなくなった今の自分を見比べて自嘲気味に笑った。 英雄になりたかった、﹁勇者﹂に憧れた。誰からも尊敬される存 在になりたかった。それが、今いるこの場所はあまりにもかけ離れ た郊外。あの頃の夢はこの先永遠に叶わないだろう。描いた未来と 現実は永遠に交わることはない。 ︱︱いや、おそらく何があったとしても自分は思い描くような存 在にはなれなかっただろう。 稚拙な空想の中の﹁勇者﹂はひたすらに正義で正義で正義だった。 無償で何も求めないで、困っている人間を助けてくれる。その行動 には何で、とか、どうして、といった理由はいらない。助ける理由 など絶対に考えないのだ。そういうことを考えてはいけないのだ。 生まれながらにしてそういう存在なのだ。 そんな人間に自分は絶対になれない。ついこの間助ける理由につ いて考えたばかりだった。 依頼なんて受けなくたって、金は稼げるし、金がなくたって森で 自給自足出来る。だから人を助ける理由なんてどこにもない。ただ ひたすらにめんどくさいだけだ。 それでも惰性でしていたのはきっと、未だ自分の中で正義への未 練があったからだろう。叶わなくなった夢へのささやかな抵抗と未 練。とうの昔に捨てたと思ったはずのそれが未だどこかにあったか らだ。 1368 ︱︱いらないな。 今度こそクロノは捨てる。僅かに残ったその残滓を、己に一欠片 も残さないように踏み潰す。入念に、何度も、何度も。 このまま依頼を受け続ければ、無駄に力を知られるリスクが高ま るだけだ。今まであの注意は自分のためだと思っていたが、違うと いうことが今日分かった。自分のためではなく、かーさんが知られ ることを望まないのならば、自分の今までの行為が無駄になったと してもそれに従おう。 ︱︱俺はこの世界にいない方がいいんだ。 悲観ではなく、純粋にこの力を知られないためにそう思った。そ の方がかーさんの望みは叶うだろう。 考えてみる、この戦いが終わった後、どうするべきかを。 ﹁⋮⋮ロ⋮⋮ノ⋮⋮﹂ 寝言で自分の名前を呼ぶリルを見て、あることを思いついて、心 の内にしっかり留めながら、一度リルを抱きしめてクロノは寝るこ とにした。 1369 第百二十話︵前書き︶ 森終わり。そしてクロノは遅めのgw突入。次回からはようやく白 井君サイドー。それ終わって突入して終わり。 出てきたやつのイメージはゴーレムっぽいの 1370 第百二十話 翌朝︱︱クロノとリルは家を出て、夜の様相とは別種の不気味さ を醸し出している森の中にいた。朝方に他の二人と二手に別れて﹁ 仕事﹂をするために、人の気配を微塵も感じさせない森を彷徨って いる次第だ。 人の代わりと言ってはなんだが、あちらこちらからバキバキと枝 が折れるような音がひっきりなしに聞こえ、複数の生物がいること が想像出来る。 ﹁襲ってこないねー﹂ ﹁あんまり強くない種類みたいだから、相手する気もないよ。強く ないと意味ないから﹂ 二人はのんびり日光浴でもするような調子で、不気味な森を歩い ていく。 ﹁そういえば、今日は眼閉じててとか言わないの?﹂ ﹁この近辺は幻覚系の植物はないからね。幻覚系は森の外側を取り 囲むように分布してる。代わりに捕食系は一杯だけど。ほら、アレ とか﹂ クロノが指差した先には、粘っこい糸を引いたような液が赤い花 の中心についた何とも毒々しい植物。よく見ると花の中心にはぽっ かりと穴が開き、その周りには生物のような尖った牙らしきものが 生えており、まるで口のようだ。 近くに寄るに連れ、甘い砂糖菓子のような匂いが鼻腔をくすぐる。 1371 匂いだけでお腹が満たされてしまいそうだ。それもこの姿を見ると 一気に醒めてしまうのだが。 ﹁⋮⋮ねえ、アレ本当に植物?﹂ ﹁分類は一応⋮⋮。たまに自分で動くけど⋮⋮﹂ 口の中に吸い込まれていく1m級の蛾を見送って、グロテスクな 植物からすっと二人は離れた。 ﹁よくあんなのがいて町に下りていかないよね﹂ ﹁単純に人間って不味いんだ。栄養価も低いし、餌としてみるには 適さないんじゃないかな。縄張りに入ってきたのは襲うけど、わざ わざ人里に下りる必要はないんだろう﹂ ﹁ふうん。︱︱ところで、今何探してるんだっけ?﹂ 二人が家を出て約三十分。戦闘らしきことは一切していない。た だ暢気に森林浴をしているだけだ。周囲には数を数えるのもめんど くさくなるほど敵はいるのだが、警戒して襲ってこない。 ﹁とりあえず一番強いのから潰していきたいから、オーガキング探 してるけど中々いないな﹂ ﹁それってそんなに強いの?﹂ ﹁力だけならこの森でも最強の化物だよ。俺でもちょっと手を抜い たら力負けする。昔それで左半身潰されたし﹂ 1372 アハハとクロノは笑うが、とてもじゃないが笑える内容ではない。 背中に背負ったジャラジャラとなる布袋を下ろし、ざわめく周囲 を確認してからクロノは言う。 ﹁︱︱でもこんなに探していないなら、切り替えた方がいいかもし れない。今周りにいるレベルのやつでも十分っちゃ十分だ﹂ 準備運動でもするように身体をゆっくりと動かして、臨戦態勢に 入ろうとした︱︱そのときだった。 地面が、揺れた。一回、二回、三回と。定期的なペースで厳かに 地を鳴らし、緩やかに何かが近づいてきている。音に怯えたか、周 囲にいたとるに足らぬ雑魚たちは瞬く間に二人から離れていく。 そんな中でリルはきょとんと、クロノはばつの悪そうな顔で音源 の方を見つめた。 やがて、音の主が木々の間から黄色く光る無機質な瞳を覗かせ、 それを皮切りに全貌が露になる。 まず目を引くのは、白目や黒目といった区別のない生物とは思え ない黄色い瞳。その瞳自体が発光しているように見える。 身体に目を移すと、その無生物さに驚かされる。森の中にあって、 自然らしからぬ角ばった銀色の光沢。口や耳といった器官はどこに も見当たりそうにない。四角いブロックを積み重ねただけのような 3m近いその身体は、身体というよりもフォルムといった方が相応 しそうだ。 自戒するようにクロノは呟く。 ﹁⋮⋮⋮⋮うん、お前のこと忘れてた﹂ 感情無き瞳はそれに答えることなく二人の姿を捉えた。次の瞬間。 黄色い光線が何の前触れもなく二人目掛けて発射された。反射的 にクロノはリルを抱えて飛び退る。 1373 光線の通った後には白い煙が仄かに立ち、シュゥという音だけを 残し丸ごとその部分が消失していた。 再び瞳が二人を捉え、クロノは一目散に駆け出す。喰らえば無事 どころか死は免れないのは明らか。一心不乱に森の中を駆け抜け、 無慈悲な怪物から必死に距離をとる。 完全に見えなくなったところで、リルを下ろし一度息を吐く。そ して通ってきた道へと振り返って、怪物へと向けた言葉を口にする。 ﹁ほら来い﹂ その言葉に呼応するかのように、突如として銀の怪物は轟音を響 かせその巨体を現した。 見えたと同時にクロノは向かってくる相手にカウンターの要領で 右腕を叩き込む。嫌な重低音が森の中を一瞬で駆け巡り、どこまで も遠くへと響いていった。 叩き込まれた方はというと、自慢のフルメタルボディを完璧に砕 かれて、クッキーのような残骸を辺りに散らばし機能停止へと追い 込まれた。かろうじて無事なのは黄色い瞳くらいである。 クロノはそれを確認して︱︱この状況にそぐわない一言を発した。 ﹁逃げないと⋮⋮﹂ ﹁え⋮⋮?﹂ 混乱した様子のリルに有無を言わさず、再びクロノはリルを抱え て一目散に駆け出した。 先ほど怪物と遭遇した辺りまで戻ってきて、クロノはようやくと いった様子で安堵の息を吐いた。 ﹁よしこれで大丈夫﹂ 1374 ﹁今のやったんじゃないの?﹂ リルの疑問はもっともで、傍目から見て今のは明らかに再起不能 まで追い込んだように見えた。 だがクロノはその疑問に首を振った。 ﹁アレ再生するんだよね⋮⋮。永久機関と形状記憶だか何だかで、 不眠不休でどこまで壊しても十分くらいで破片が勝手に集まって元 通りになる﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮ここって本当に森?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮多分⋮⋮﹂ ﹁でも、あれだけ強いなら︱︱﹂ リルの言わんとしてることを察し、クロノが先んじて答える。 ﹁それも無理なんだ。何ていうか⋮⋮アレは人形みたいなものだか らさ、今回みたいなのは効かない。だから今回出会ったら一番駄目 なやつ。幸いこの森に十体しかいないから、もう出遭うことはない ⋮⋮と信じたいね﹂ あくまで願望に留めて、クロノは再び重い荷物の入った袋を背負 い﹁仕事﹂を始めた。 その後、数日に渡って﹁仕事﹂は滞りなく進み、二人は下準備を 終えて街へと戻っていった。 1375 第百二十一話︵前書き︶ 白井君サイドのお話が少し続きそう。やっぱり白井君書きやすい、 流石主人公 1376 第百二十一話 クロノが森の中で﹁仕事﹂をしている数日の間、クロノの相手と なる男はクロノとはまた別の意味で忙しかった。 落ち着いた雰囲気の机の上には、乱雑に並べられた紙の山山山。 よくみると机の上には台帳や国の地図や各種資料なども並んでいる。 それをありえない速度で右から左に流しながら、何枚かに一枚の割 合で﹁勇者﹂と呼ばれる男の声が紙の舞う中を飛んでいた。 ﹁ここ間違ってる、明らかに金の流れがおかしい。その名簿に載っ てる担当者洗え、多分そいつかそいつの下請けの下請け辺りが怪し い﹂ 自らの風に乗せ一枚の書類を部屋の外に飛ばすと、向こうからよ く通る声が聞こえ、小走りでどこかへと向かっていった。 その姿に一瞥もくれず、男は作業をひたすら超人的速度で続ける。 ここ ﹁ここもアウト、税金が高い、こんなの豪商しか払えない。厳重注 意で様子見、御託並べるなら即刻王都連れてこい。この住民訴訟は 突っ張れ、流石に調子乗りすぎだ。そうだな、この近辺の衛兵を一 旦引き上げさせろ、それでどんだけ自分たちが普段守られてるか自 覚できるだろう。これは要視察、見ないと分からん、現地に調査員 派遣しろ、こっちも﹂ 左で国内の地図や収穫高など各種データを纏めた資料を見ながら、 右では収支報告の台帳や住民の請願などの書類をそれに照らし合わ せる。傍から見れば、本当に全部確認しているのかと思ってしまう 速度でそれを捌いていく。 実際彼はしっかり全てに目を通している。通した上で︱︱全てと 1377 はいかないまでも︱︱理解して問題点を抜き出していた。この速度 で手を動かしているのは﹁勇者﹂としての力だとしても、情報処理 能力は彼が元々持っている能力である。 こんなことは本来彼の仕事ではないのだが、興味本位で事務仕事 をざっくり見学してみて、﹁ここおかしいだろ﹂と一枚の書類を指 摘したのがことの始まりである。事務方としてもいくら彼がどれだ け偉い人物であろうと、ぽっと出の部外者に自らのテリトリーを侵 されるのは少々思うところがあったのだろう。表情には不快感を出 さず、一人が冗談混じりに﹁やってみますか?﹂と言った結果、見 事に自信を喪失する羽目になった。 それが三日前の話。今はというと、各種あらゆる部署、あらゆる 方面の書類を集め、一極集中して処理を行っている。 当然、資料と書類を見ただけで問題だと判断出来ることは少ない、 疑惑を持つことすら難しい。それでも明らかなのは幾つか見えてし まう。こんな明らかな問題がスルーされるとはいくらか事務方内部 も怪しいようだ。 また一枚書類を部屋の外に飛ばしかけて、止めた。問題無しを示 す部屋の中に留めておく。 ︱︱これはスルーだなァ。 見たところ問題はあった。それでもこれはあえて見逃す。 載っていた名前が︱︱めんどくさい。いくら自分が高い地位を得 たからといって、まだまだ内政においては手を出してはいけない人 間はいる。今表立ってやり合うのは得策ではない。同じような理由 で事務方が大きく関わっていそうなのはスルーだ。ここで彼らを処 罰すると内政に差し支える。なのである程度彼らが厳重注意で済み そうな軽いものだけを選ぶ。 ︱︱殺すってなら楽な話なんだがな。 1378 今のところこの位置を手放す気はない。まだまだこの世界につい て知らないことが多い、それらを知るためにここは都合が良い。だ から今は﹁勇者﹂を演じておく。 机から紙の山が消え、代わりに床に紙の海が出来たところで彼は 一息吐いた。流石に何千枚という数を1時間で処理するのは目にも 脳にも負担がかかる。 それでも彼は充実していた。暇つぶしとしては中々面白い。殺人 をゲーム感覚でやっていると言われたら真っ向から反論し、いかに 殺人が素晴らしいかを相手に教え込むが、ことこれに関してはゲー ム感覚と言われても否定出来ない。 凝り固まった身体を伸ばしていると、ふいにドアの向こうで何か が煌いた。 ﹁お疲れさまです﹁勇者﹂様。この辺りで一度ご休憩なされては? 丁度お昼時ですから﹂ 煌く金の髪を腰まで垂らしたマリア・ユースティアは、とても眩 しい社交辞令の笑顔を浮かべていた。 彼には一つ書類を見ていく中で気になっていたことがある。それ は、不正が疑われる書類の中に彼女の名前はおろか、影すらも見え なかったということ。どう不正書類の粗を捜しても彼女にはたどり つけない。この女は綺麗すぎる。まあ見つけたところで、他の奴同 様見逃す気ではあるのだが。 ﹁そうだな、丁度終わったところだ。昼飯でも貰おうか﹂ 返答にマリアは驚いたようで、ほんの一瞬目を見開いたが、すぐ に表情をいつもの笑顔に作り変えた。 1379 ﹁良ければご一緒させて頂いても?﹂ ﹁ああ、構わないが﹂ マリアとはよくこうして食事を交わすことがある。誘ってくるの は毎回向こうからだ。 最近巷では戦争に関して不仲説が囁かれているが、少なくとも表 面上目だった争いはない。むしろ、この世界で一番の話し相手と言 っても過言ではなかった。 そもそもこの女は裏で何を思っていたとしても、それを噂として 流されるようなヘマはしないだろう。 だからあの噂は誰かが意図的に流した情報と彼は踏んでいた。 ︱︱まあ誰かは分かってるんだが。 目星はついているが、特に何かする気もない。現時点でそこまで 不都合はない。それにその誰かとやらはこの国で一番相手するのが めんどくさい人間だ。 彼は首を回してからすっと立ち上がり、散らばった紙を風を操作 して机の上に積み重ねてから、マリアを引き連れて第一食堂へと向 かった。 中には既に二人分の食事が無駄に長いテーブルに隣り合って用意 されており、スープには仄かに湯気が立っていた。テーブルは無駄 に長いだけでなく、縦:横が20:1ほどの割合で非常にバランス が悪い。 彼がここに留まる理由として密かに料理があった。仮にこの世界 で一人で放浪したとして、おそらく途中で食べるものに困るだろう。 ゲテモノも食えるタイプではあるが、知識がない状況で毒のある動 植物を食べて死んでしまいましたでは笑えない。どれを食べれるか 分からないと、最悪毒がないと分かっている人間を食べなければな 1380 カニバリズム らなくなる。昔、食人主義というものに興味を持ち食べてみたこと カニバリズム があるが、筋っぽいわ肉が薄いわでとてもじゃないが美味いとは言 えなかった。未来永劫食人主義は理解出来ないなと思ったくらいだ。 不味い食事は出来れば御免こうむりたい。 ﹁︱︱あの値段にはその費用も含まれてるんだろう。魚と氷の輸送 費も馬鹿にならないしな﹂ ﹁では我が国で寿司の製作は難しいと?﹂ ﹁現状はそうだな、この国の最大の欠点は海に面していないことだ。 魚は腐りやすい、遠くから輸送するにも大量の氷が必要だ。費用面 を考えると非現実的と言わざるを得ないだろう﹂ 食事の途中、こうして話すことが多い。基本的に向こうからの質 問をこちらが返すといったものだ。内容は技術や別世界の話が主で ある。 今まで話して来て、一番食いつきがよかったのは、マスメディア と民主制についてだ。特に民主制については、普段ではまず見るこ との叶わない怪訝そうな表情を見せた。 他人との会話というのは嫌いではないので、こうして色々会話す るのは楽しい。マリアにしても特別親しい人間はいなさそうなので、 自分が一番の話相手ではあろう。 ︱︱が、だからといってこの女が自分にとって敵か味方かという のは別の問題である。 何時かこの女は自分を殺しに来る。予感ではなく、確信としてそ う言えた。 ディルグのように嫉妬からではなく、ユーリのように︱︱理由は 分からないが︱︱憎悪からでもなく、時期が来ればこの女は敵意な き殺意で自分を殺しに来る。勢力を拡大し終えた後で、実権を握る 1381 のに邪魔になる自分を。 そこに敵意などないのだ。ただ邪魔だから殺す。使い終えた道具 を捨てるように。 互いにある程度理解しているはずだ。相手がどういう人間かを。 何時か自分を殺しに来るだろうことを。 それまでは、この白々しい仮初の演劇を続けよう。 ﹁︱︱本当にそうだな﹂ ﹁ええ、全く﹂ 顔をほころばせ二人は微かに笑いあった。 1382 第百二十二話︵前書き︶ この人はきっと変わらない。クロノみたくぶれない。 1383 第百二十二話 ﹁︱︱ああ、そう﹂ 従者からの報告にマリアは蚊ほどの興味も示さずに、淡白な返答 を口にした。 ﹁勇者﹂と食事を交わした後、彼女は王都にある彼女個人の家で 過ごしていた。この近辺には生家となる本邸もあるのだが、現在は 弟の所有物のためそちらに出向くことは少ない。 ﹁増員しますか?﹂ ﹁いいわ、無駄だから。下がって﹂ どうやら記憶の片隅から抹消されかかっていた諜報部隊からの情 報が数日前途絶えたらしい。もう誰を送ったのかすら覚えていない が、元々失敗するだろうと思っていたので驚きはない。諜報という 点においてあの国はこの国大陸のトップに君臨している。駄目で元 々、感付かれて消されるのも予想済みだ。 下がれと言われた従者は言いづらそうに、マリアの脳を刺激する 一言を発する。 ﹁それと、これは何の関係もない話ですが︱︱あの方がアースにい るとの情報が⋮⋮﹂ それまでの興味なさ気の表情から一転、鋭い視線でマリアは訊ね た。 ﹁⋮⋮それは確か?﹂ 1384 ﹁目撃証言からもほぼ間違いないかと﹂ かと思うと、途端に興味がなくなったのか﹁そう﹂とだけ答えた。 彼女は従者を今度こそ下がらせた後、柔らかい椅子に深く腰掛け 唯一の窓へ目を向けた。 窓からは基本的に王都を一望できるようになっている。この家自 体が︱︱城を除き︱︱王都で一番高い住居となっているためだ。 眼下に広がる町並みはところどころ統一性があったりなかったり で、逆にごちゃごちゃしているという印象を受ける。間に見える人 間は米粒ほどにしか見えない。 それらを彼女は見下ろしながら頭を巡らせる。 ︱︱新聞ね⋮⋮。難しいか⋮⋮。 ﹁勇者﹂から以前聞いたマスメディアの話。アレを使えば世論の 操作は比較的容易に思える。世論の操作が出来るなら多くの事は楽 に運ぶようになる。何かをするときに彼女の邪魔をするのは他の政 敵ではなく、いつも頭の悪い民衆だ。自らの権利を盾に蟻のごとく 群がって喚きたてる。想像するだけで虫唾が奔る。それを簡単に操 作出来るのならば、こんなに上手い話はない。 マスメディアというのは端的に言えば情報屋のようなものだ。こ の世界に﹁勇者﹂の世界のようなテレビとかインターネットなんて ものは存在しない。現実的なところで言えば紙媒体である新聞が実 現可能か。 だが紙は高い。コストという観点から見て、民衆に広まって採算 がとれる事業ではない。採算がとれる値段設定にすれば民衆は高す ぎて買わないだろう。私財を投じたとしても、信頼性が高まるまで 何年かかることか、気が遠くなりそうだ。 結局、今のところは今まで通り地道に噂を流しておくくらいしか、 1385 世論操作の方法はなさそうだ。 ︱︱将来的懸案かしらね。 他にも﹁勇者﹂から聞いた中でいくつか実現したいことはある。 どうやら彼の世界とやらは、こちらより幾分も進んだ文明を保持し ていたようだ。その辺りは出来るだけ訊きだしておきたい。︱︱彼 を殺す前に。 何時か、そう遠くない将来、あの男はこちらを殺しに来る。互い にそう思っていることを互いに知っている。互いに待っている、殺 すタイミングを。 違うことがあるとすれば、こちらは準備しているのに、あちらは 気づいていながら何も対策を講じないということ。それが自信か傲 慢かは後の結果だけが語る。何をしていようが、何をしていまいが、 結果的に勝てばいい。例えばあの男が何か罪を犯したとして、誰が 罰せられるというのか。罰する側がやられてしまうのがオチだ。単 細胞的言葉だが、勝てば全てが許されるのだ。だからあの男は何も しないのだ。罠があると分かっていようとも、何の対策もとらない のだ。その全てに勝ってしまえばいいのだから。勝ってしまえるの だから。 物思いに耽っていると、窓の外に一際大きな集団が目に映った。 三十人ほどの︱︱マリアから見て︱︱みずぼらしい服装の集団は何 かを喚きながら貴族街を堂々と闊歩する。ここには不釣合いなその 集団の正体はすぐに見当がついた。 ﹁戦そー反たーい!﹂ などと蟋蟀の合唱の如く耳障りに喚き散らしている。五月蝿いこ とこの上ない。 この虫共は民衆の中にいる戦争反対派の連中だ。先の戦で兵士が 1386 火達磨になる等の被害を負ったことを建前に戦争を止めろと騒ぐ馬 鹿。 あの程度の被害で止めろとは、頭が悪いとしか言いようがない。 たかが兵士が何人か使えなくなっただけだ。あんなレベルの代えな どいくらでもいる。大体あの程度で怖気づく軍隊など意味はない。 しかも何やら弾幕のようなぼろきれを持っており、戦争反対者一 覧と書かれたその上にはマリアの名前が示されていた。噂の上では そういうことになっているのだが、実際そんなことはない。 ︱︱羽虫如きが私の名前など使って欲しくはないのだけれど。 不愉快さを内に秘めながら、民衆にまで噂が広まっていることに ため息を吐いた。 彼女はとにかく民衆が嫌いだった。政敵より何よりも民衆という 存在に嫌悪感すら抱いていた。何の責任も持たず私利私欲のために 行動し、それを訊きいれて失敗したら国のせい。行わないなら行わ ないで蜂起する。ふざけた話だ。 更に近頃人権派とかいう馬鹿げた団体が、民主制の復活を掲げ始 めてきた。愚としか言いようがない。民主制なんて、人間が作り出 した最も愚かな制度だとマリアは吐き捨てる。 三百年ほど前にこの大陸で隆盛を極めた民主制は、現代に至り綺 麗さっぱり消えうせた。理由は簡単で、そのどれもが内部の腐敗だ った。国民が代表者を選ぶ民主制で有利なのは口の上手い詐欺師だ。 口八丁手八丁で都合の良い情報だけを与えれば国民はころりと騙さ れる。もし国民が物事の本質を見極められる賢人ばかりであるなら ば、民主制でもいいだろう。だが現実、賢人1割愚者9割で占めら れる彼らではどう足掻いても愚者に軍配が上がってしまうのだ。 口の上手さだけで代表になった詐欺師共はというと、私利私欲の ために動き国の腐敗を招いて、最後にはどこかへと高飛びする。国 民は自分が選んだという責任を忘れ、残った善良な官僚共に怒りを 1387 向ける。残された国は見事に終焉を迎えるわけだ。ああ、なんて馬 鹿な話なんだろうか。そんな歴史も知らないで、民主制だなんだと 騒ぐ彼らはやっぱり愚者じゃないか。 民主制を行えるのは国民全員が正しく本質を見極められる賢人ば かりの国だけだ。﹁勇者﹂の国は民主制だったらしいが、文明のレ ベルから考えるとさぞかし賢人ばかりであったのだろう。この世界 では不可能に近い。 窓の外に見えるその全てを見下ろして、哀れむようにたった一言 呟いた。 ﹁ああ、なんて︱︱愚﹂ ⇔ ﹁自分は選ばれた人間なんだ﹂ それは子供時代、多くの人間が抱く妄想。自分だけは特別で、他 人は自分より幾分も劣った存在。世の中が馬鹿ばかりに見えてしょ うがない。 そういったことを思うのは異常なことではない。世間における自 分の立ち位置を知らない子供は、何でも出来る気になって、周りの 大人や他人を馬鹿にする。自らにつけられたこの翼でどこまで行け る、そんな錯覚を覚える。 それが間違いだと気づくのは、社会が大分近づいてくる年代の頃 か、それよりも早いか。 ﹁ああ、この世界で自分は選ばれた人間じゃないな﹂ 年をとるにつれ、多くの人間と出会うようになり、その中で身の 1388 程を知る。上には上がいるのだと。自分がどうやってもたどり着け ぬ地平にいる人間を。どこまでも飛べると思っていたその翼が幻覚 であったことを。完全に社会に出る頃には、多くの人間が自分がと るに足らない凡百の存在であると気づくのだ。 マリアという少女もそんな例に漏れず、幼少期の頃に自分は選ば れた存在であり、他人は皆愚かという考えを抱いた。 ただ、彼女が一般的な人間と違ったのは︱︱︱︱間違いなく、彼 女は選ばれた存在であったということだった。 彼女は生まれながらに人生というものに勝利していた。やろうと 思えば大体のことは出来たし、欲しいと思えば大体のものは手に入 った。家柄も地位も財産も容姿も才能も、その全てが誰よりも勝っ ていた。何もしなくても、生まれ持った幸運で一生を楽に過ごせる。 そういう種類の人間だった。 かといって、彼女はそれにかまけて何かを怠ったりしない。勉強 などしなくても一生を過ごせるとしても、彼女はしっかりと勉学に 励んだし、戦いなど必要がなかったとしても、あえて自ら軍に入っ た。 他人が馬鹿に見えるからこそ、彼女には馬鹿共がやっていること がどうにも無駄に思えてしょうがなかった。もっと早く、もっと別 の方法があるはずだ。彼女にとって他人がやることは自分がやった 方が上手く早く終わる。他人がだらだら愚かなことをやっているの を見るのは嫌いだった。だから彼女はひたすらに上を目指した。権 力の上を。 愚かに見えるのは家族とて例外ではなく、幼少期の頃政敵のつま らない攻撃に悩んでいる父を見て、その瞬間ひっそりと思った。 ﹁こいつは切ろう﹂ そして現在、彼女の父親は隠居という名の幽閉により、僻地へと 1389 追いやられてしまった。父親が消えてすぐに、彼女の家は有数の名 家から筆頭の地位まで上り詰めることとなった。 彼女は人を見下しているわけではない。ただ、正しい位置から見 下ろしているのだ。 当然そんな彼女に近寄る人間は少なく、孤高と呼ばれるには十分 なくらいだった。上辺だけの付き合いならば人間の指を全て足して も足りないくらいなのだが、こと友人となると一人しかいなかった。 その一人は唯一自分と同格であると認めた人物だった。聡明で才 能に溢れたその人間は、しかし年をとるにつれ愚に堕ちて行き︱︱ 今はもういない。もう二度と出会うことはないだろう。 寂しいと思ったことはない。ただ他人は馬鹿だと思って見て来た だけだ。きっとこの先、彼女が変わることはないだろう。 1390 第百二十二話︵後書き︶ さって、とっとと終わらせよう。 1391 第百二十三話︵前書き︶ こんなこと書いてるけど、ディルグ君はクロノのことに関しては反 省してません。むしろ弱者を虐げるのは当然だと思っています。 これでもクロノ入れた姉弟の中で一番まともな人間。友達もいるしね 1392 第百二十三話 戦況は決して芳しくはなかった。兵士は死に絶え、騎士はもはや 王を守れる場所にはいなかった。時間が経つにつれ、前線にいた戦 車も機能を停止し、後列にいた僧侶までも神の加護などなく死に絶 えた。そして、ついに最後の砦である女王まで捕えられ、玉座の王 は丸裸で敵を迎えいれる。 ﹁はいチェックメイト∼﹂ 軽そうな声を発したのは、一目で上質と分かる服を着ている若い 男。服とは裏腹に、適度に乱しているその髪や態度からは、軽薄そ うなヒモに近い印象を受ける。その向かいにいる男もどこか軽そう な、それでいて服だけは上等な格好をしている。 ﹁あれ、マジで負けちまった﹂ ﹁ハッ、俺に勝とうなんざ一万年早いわ﹂ ﹁つい2ゲーム前に勝ったばかりなんだが?﹂ ﹁俺は常に進化してるから、そんな前のゲームの雑魚とは違うのだ よ。この2ゲームの間に一万年分進化したのである﹂ ﹁マジで!? ⋮⋮ん? じゃあお前もうジジイじゃん! 何で生 きてんの?﹂ ﹁確かにそうだな⋮⋮⋮⋮なんてこった! 俺は不老不死だったの か!?﹂ 1393 ﹁お前らは人の家でなに馬鹿な会話してるんだ!?﹂ 家主の男は二人とは違って態度も服装に相応のもので、二人のよ うな軽さはない。むしろ、口調からは生真面目や堅物といった言葉 が当てはまりそうだ。 我が物顔で高そうなソファーに座って、頭の悪そうな会話をして いた二人は、家主の声に顔も向けず答える。 ﹁ちょっ黙れよー。目離したらコイツぜーったい盤面変えるんだか ら﹂ ﹁うわあ、親友を疑うとか最低だわー。人間の屑だわー。昔のお前 はそんなやつじゃなかったはずだ! 歳をとってそんなとこまで変 わっちまったのか!?﹂ ﹁もう⋮⋮あの頃︵ゲーム開始時︶には戻れないんだよ⋮⋮俺も、 お前もな⋮⋮﹂ 片時も目を離すまいと若い男二人はテーブルの上にのったゲーム 盤をじりじりと見つめている。その時、片方の男が右手をテーブル の下にひっそりと持っていった。 ﹁いいや、違う! 俺たちは︵このゲームを最初から︶やり直せる はずなんだ!﹂ ﹁そんな資格は︵敗者のお前には︶ない⋮⋮これで終わりだ!﹂ ベシリと手を叩く音がテーブルの下から聞こえ、それと同時に存 在しないはずの33個目のチェスの駒が絨毯の床に零れ落ちた。 1394 ﹁やっぱり駒隠し持ってやがったじゃねえか。ほら、金寄越せ﹂ ﹁ありゃりゃ、最後まで負けゲーかよ﹂ 敗者となったらしい男は観念したようにやれやれと首を振って、 椅子の下においてあった重そうな袋を乱雑に放り投げた。 それを受け取って中身を確認してから、勝者は家主へとようやく 顔を向ける。 ﹁お前もやるか? カモにしてやんよ。負けた方200万な﹂ どっしりと椅子に腰かけたまま、家主︱︱ディルグ・ユースティ アは首を振る。 ﹁やらん、賭け事は好かんと言った筈だ。それに、お前らほど暇じ ゃない﹂ ディルグはきっぱりと言い放ち不遜に椅子に座りなおす。 続いて、仮にもこの国ではトップに近い位置にいるディルグに、 気後れなどする様子もなくふざけた言葉を投げかけていく若い男た ち。 ﹁さっすが名家筆頭の当主様、まっじめー!﹂ ﹁堅い堅い。ダイヤより硬いよ? リラックスリラックス、肩の力 抜いてこーZE?﹂ ﹁お前らが緩いだけだろ! 仮にも要職についてるのだから、少し は真面目にやれ!﹂ 1395 言葉だけなら頭の緩いチンピラにも思えそうだが、これでもこの 二人は多分に名家と呼ばれる位置にある家の跡取りである。 普段の素行はとても褒められたものではなく、湯水のように金を 使い果たし遊びつくすのが日課となっている。その筋では遊び人で 有名な二人だ。ディルグとの関係はというと、端的に言って悪友に 近い。 一喝された二人はめげることもなく、相も変わらずふざけた調子 でだらりと身体を伸ばしながら言った。 ﹁え∼、だってやることないし∼﹂ ﹁親父とかに任せときゃなんとかなるし∼﹂ ﹁所詮俺たちなんかお飾りなわけですよ。まだまだ上の代は現役で、 そっちがずーっと牛耳ってんの。お前んとことは違うんですー﹂ ﹁後何年かは脛かじったまま居られるもんなー﹂ ディルグ含め彼らはまだ二十歳にも満たない年齢であり、基本的 に家の主導権を握るのは大分先のことになる。︱︱ディルグの家の ように親を隠居させない限りは。 ﹁まあ、俺たちも? 出来れば仕事なんてめんどくさいことはした くないし? 一生遊んで暮らせればいいかなって思ってるから、不 満なんてないけどな﹂ ﹁最低の有閑貴族だな、お前ら⋮⋮﹂ ﹁勝手に俺含めんなよー﹂ 1396 ﹁え? じゃあなに? お前働きたいわけ?﹂ ﹁断固拒否させてもらう﹂ 二人はテーブルに広げたチェス版を億劫そうに片付け始める。そ の動作はとてもじゃないが機敏とは言えない。身体の全てからやる 気のなさが溢れでており、ウィルスのように空気を介して周りに伝 わっているかのようでさえある。常人がずっとこの場にいたとした らきっと、この5月病に近いこのウィルスに毒されてしまうだろう。 ﹁そういや、この前俺んとこのジジイがさ、﹁お前もあの姉弟のよ うに優秀なら⋮⋮﹂とかぼやいてて笑ったわ﹂ ﹁あー、俺もそれ言われたことある。俺が優秀だったら、お前らの 首なんかとっくに飛ばしてるっつーの﹂ ﹁本当にそれだよな。ばっかじゃねーの?﹂ その発言には、自分たちが無能であるという意味も含まれている ことにこの二人は気づいているのだろうか。 ﹁⋮⋮、﹂ 頬杖を付きながらディルグは二人の会話を眺めている。 最後の駒をしまい終えチェス盤を片付けると、二人は退屈だとで もいうようにあくびを噛み殺す。 ﹁どーっすかなー﹂ 1397 ﹁カジノでも行く? それとも女でも引っ掛けに?﹂ ﹁どっちも?﹂ 盛り上がり始めた二人は一斉にディルグの方を見た。 ﹁行っちゃう? ディルグも来るか?﹂ ﹁言っただろうが、賭け事は好かん﹂ ﹁それ、今まで何度も聞いたけど、なんでよ?﹂ ﹁なんだろうな⋮⋮こう⋮⋮今までの行動を全て無駄にするような 一発逆転があるのが気に食わない﹂ 片方はつまらなそうに首を傾げ、片方は理解できないといった風 に手を傾けた。 ﹁わっかんねーな、それが面白いんだろ?﹂ ﹁ジグソーパズルをちまちまやるタイプかよ﹂ ﹁何とでも言え。それに、俺はこれから会議だ﹂ その言葉にふるふると首を振り、呆れたような、哀れむような視 線を浴びせかける。 ﹁お前みたいな才能なんてなくてよかったとつくづく思うね。めん どくさい生活はまっぴらごめんだ﹂ 1398 ﹁上に行けば行くほどめんどくさくなるってんなら、俺たちはこの ポジションで十分だもんなー﹂ ﹁天才じゃなくて凡人でよかったわ﹂ 好き放題言っていく悪友たちに一瞥もくれず、ディルグは椅子に 座ったまま手で出てけと促す。 ﹁俺はもう出る。お前らも早く出てけ﹂ ﹁あー冷たすぎて寒くなってきた﹂ ﹁お前の言葉が冷たすぎて風邪引きそう﹂ 派手なブーイングを室内に響かせながら、それでも素直に去って いく二人。このブーイングは毎回のこと、一種の様式と化している のでディルグもさして気に留めることはなかった。 いつもどおり勝手に来て好き勝手やっていく二人の友人を見送っ て、自戒するように一つの単語を反芻する。 ﹁天才、か⋮⋮﹂ ⇔ ﹃優の中の劣﹄ 世の中の人間に優劣をつけて二分化するならば、きっと自分は優 に入るだろう。ディルグはそう思っている。そしてそれは事実であ る。 おそらく彼はこの世に生まれた時点で、その後の行いなど関係な 1399 く、優に入っていただろう。家柄は名家の長男、魔法の才能も10 0万人に1人に近いレベル、容姿だって良い部類だ。 一般的に恵まれていると呼ばれる存在。他者から天才と呼ばれる には遜色のない存在。自分でもそれは自覚している。それをあから さまに分からないフリをすれば、他者からは嫌味に見えることだろ う。 だが、と言うべきか、だから、と言うべきか、彼はこうも考える。 優の中でも優劣はつくものだ。優に残った中からまた優劣をつけ ていくと、何時か自分は、姉や妹よりも先に劣に分けられる。一回 や二回の選別ではなく、何百回と優劣をつけ続けていくと、何時か 自分は他の二人よりも早く劣になる。 地上にいる凡人からは、雲の上にいる自分たちは平等に天才に見 えることだろう。その間にある些細な高さの違いなど、そんなに気 に留めはしないだろう。 だが、その高さの違いこそが永久に超えられない壁なのだ。天才 というカテゴリーの中での優劣を決める絶対的な差なのだ。 目線を下げれば、自分だって雲の上に存在するような人間だ。下 には地を這う蟻の如く人間がいるだろう。しかし、なまじ身近な姉 弟に自分より上の存在がいるから、それが出来ない。 天才の中で自分が劣っていることを心の奥底で知っている。それ を感じたのは何時の話だったか。 姉弟の中で一番最初に魔測を受けたのは一番上のマリアだった。 結果はその年のトップ。周囲の反応は称賛と、当然だ、という空気 が混在したものだった。マリア自身も特別喜んだ様子はなく、当然 だ、とでも言うような態度だった。 家の血筋を考えれば、それは当然と言えば当然。おそらく、こん なに魔法の才能に恵まれた血筋はこの国にはなかっただろう。 それから二年後、今度はディルグ自身が魔測を受けることになっ た。周囲は当然トップを期待していたのだろうし、本人も当然のよ うにトップなのだろうと思っていた。 1400 そして、結果は︱︱二位。悪い結果、だとは言わない。二位だっ たからといって、彼が天才であるという事実は何も変わりはしない。 トップとの差だってそんなにはなかった、本当に微々たる差であっ た。 だが、それでも、二位だったという事実が幼い彼のプライドを傷 つけた。 周囲の反応は多くが称賛だった。生まれた年が悪かった、差なん てほとんどない、そんな言葉をよくかけられた。その中にあって僅 かに聞こえた、失望の声。声は決して大きくない。それでもその声 は、他のなによりも大きく聞こえた。 そして芽生えた劣等感。ほんの少し、若葉が土から顔を出すか出 さないかくらいの僅かなものが。 だが、その時はそれだけで済んだ。それ以上劣等感を感じる機会 というのは無かったし、そのことを深く考えることは無かった。も っと他に、身近に、自分より出来ない人間がいたから。 彼の弟は、そもそも評価する土俵にすら立てない存在だった。弟 がいる間は、家族の目もそちらに向いていた。それに、自分より下 の存在が身近にいることで一種の安心感を得られた。何かをする度 に弟が下であると実感ができる。自分が優れていると悦に浸ること ができた。 問題はその後︱︱弟がいなくなった後、弟に向けられていた目は 彼に向けられた。残念なことに家族に彼より下の存在はいなかった のだ。姉も妹も彼より優れていたし、両親はそもそも親というだけ で格上の存在だった。 やがて親は姉や妹と比べて、彼の出来が悪いと密かに嘆くように なった。子どもでもその言葉はいやでも耳に入った。他人の目もそ う言っているように見えるようになったし、きっとそれは事実だっ ただろう。 誰も彼も、基準が高すぎた。﹁他の二人の化物と比べて才能がな い﹂という一文をすっかり失念していた。 1401 いや、もしかしたら、言っている本人たちはそれを理解していた のかもしれない。だが言われた本人にとっては、自分が劣っている という事実だけで劣等感を覚えるのには十分だった。 弟さえいれば、こんなことにはならなかった。そんなことを何度 か考えた。 人間は自分よりも劣っている他者を見つけて優越感に浸りたがる 生き物だ。身近に下の存在がいることで自らの自尊心を保っていた。 今思えば自分が弟をいじめていたのはきっとそういう理由なのだろ う、とディルグはぼんやり理解している。 とりわけ、対応が変わったのは姉であるマリアだった。何時から か愚弟と呼ばれるようになり、冷たく当たられるようになった。今 ではろくに口も利かなくなり、家督も実質彼女が握っている。今の 自分など、彼女の手の上で踊らされたお飾りの当主に違いない。 戦いでも、政治でも、彼女には勝てないということを思い知らさ れた。何度も何度も。勝とうと思うことさえもおこがましいと思わ せられるような、圧倒的敗北感と劣等感が彼の中で次第に増大して いった。 自分は天才であって、本物の天才ではない。本物の天才には勝て ない。それはもう決まっていることなのだ。きっと、生まれながら に勝てない相手と勝てる相手は決まっているのだ。 だからこそ、本当に自分より下の存在には負けられないとも思っ ている。ジャイアントキリングなんて認める気はない。ゆえに、そ れが起こりやすいギャンブルを嫌悪する。ディルグはギャンブルと いうものは、ちょっとした運で勝てるものだと思っている。当然、 そこには駆け引きだってあるのだろうが、最後には運だろう、と。 それが我慢ならない。 ﹁勇者﹂にいくら対抗心を燃やしたところで、勝てないであろう ことは知っている。あの男も本物の天才。もしかしたらそれ以上の 存在だ。ただ、ぽっと出の彼にいきなり上に立たれて、未だ彼が上 であると完全には認められていないだけなのだ。ディルグは心の隅 1402 ではそう思っている。 何時か、彼に抵抗することを諦める日が来る。そのことを漠然と 知っている自分が、知っていて諦めている自分が、情けなく思う。 今の自分は、小動物が身体を大きく見せて、抵抗するフリをしてい るだけ。 こんな自分が、天才と呼ばれることに違和感がある。それを誰か に言ったところで、意味はない。嫌味ととられるのがオチだ。 天才であると自覚しながら、本物の天才ではないと思う。 そんな矛盾した思いを1人で抱えて彼は、今日も凡人の海の中に 身を投じる。虚ろな目で上を見上げながら。 1403 第百二十四話︵前書き︶ 主人公編。遅れすぎて笑う 1404 第百二十四話 遠足前の子どものような心で、﹁勇者﹂もとい白井は、今日も無 駄に着飾られた城内を気後れすることなく、堂々と闊歩する。観察 してみると、自分のいた世界の西洋城とは細部の造り方が僅かに違 うように見える。その辺りも文化の差というやつなのだろうか。い や、細部しか違わないことに驚くべきなのだろうか。どの進化の経 路を辿ってもこの手法に行きつくのならば、それは優れた建築方法 ということだ。あるいは、人間という種の考えることはどこの世界 も同じということか。 人間の傾向や本質といったものは、どの世界でも大して変わらな い。この世界に来て、そんなことを思う。どこにだって悪人はいる し、善人もいる。上流階級は権力を追い求め、庶民は日々の安定し た暮らしを求める。まあ、あまりにも違いすぎたのならば、それは 人間ではないと言われてしまいそうだが。 基本的に人の少ない城内ですれ違うことは少ない。同じ城の中で も明確に生活圏は分けられているため、あまりにも場違いな人間に は出くわさない。上流の場所にはそれ相応の人間、下級層の場所に はそれ相応の人間という風に分けられている。 勿論、白井は上流に位置するわけで、この様に人とすれ違うこと は珍しい。 一瞬、視界の外から視線を感じて立ち止まるが、背後に人の気配 は存在しない。むしろ前方の、それもすぐ近くに人がいる気配があ る。 視線を少し下に落としてみると、海のような青い眼の少女が飛び 込んでくる。どうやら相手との身長差がありすぎて視界に入らなか ったらしい。 その眼は、傍目には綺麗に見えるものの、どこか澱んでいて、何 かに汚染されているような印象を受けた。眼だけではない、黄金の 1405 ように輝いているはずの髪も言いようのない不純物が混ざっており、 身体全体が見えない負のオーラで覆われているように見える。 眼が合った瞬間、相手の生気が膨れ上がり、その無表情とは裏腹 に、活き活きとした殺意が、鋭利な刃物となって白井の身体を念入 りに何度も突き刺してくる。視線で人を殺すとはこういう事を言う のだろう。 視線は一瞬、自分の頬に向いたかと思うと、再びじっとこちらの 眼に殺意を向けてくる。 ﹁⋮⋮ユーリか﹂ 三姉弟の末妹︱︱ユーリ・ユースティアはそれに答えることなく、 そっと凶悪な視線を外し、身を少し屈め、頭を下げて横を通り過ぎ ていった。 毎回、視線が合うたびにこうだ。言葉を交わすことはなく、表情 が極端に変化するわけでもない。その視線だけが、他の誰よりも強 い殺意を伴って白井を襲ってくる。姉や兄とはまったく違う理由で、 比べ物にならない強さで、その視線は打算の入り混じらない殺意を こちらに示す。この女は、マリアのように殺したことで起こる何か を求めてはいない。殺すこと自体が目的なのだ。 よく、常日頃から無表情で何を考えているのか分からない、と言 われるユーリだが、白井にはよく分かる。あれは、24時間365 日自分を殺すことしか考えていない。思考の全てをそれに費やして も構わない勢いだ。 だが、白井にはそこまで恨まれるような覚えがない。この世界に 来て、彼女の不利益になるようなことをした覚えはない上に、あの 殺意は一朝一夕で出来上がるレベルのものではない。何年も何十年 も、相手を恨み続けて、それでもなお恨み足りないといった様子だ。 この世界に来て5年も経っていない自分に向けるにしては、少々重 過ぎる。 1406 ここまで見当違いだと、自分の気のせいとして片付けるべきなの だろうが、なぜか白井にはあの視線に見覚えがあった。どこで、と 聞かれても思い出せないが、確実にどこかで見覚えがある。いくら 記憶を掻き回しても合致するものは浮かんでは来ない。 ︱︱そういや、俺の頬見てたな。 今までは視線を合わせて、何かあるまで向こうからは外さなかっ たものだが、今日は頬に視線を移した。 何かあったか、と頬を指でなぞってみると、一箇所通常の肌とは 違う感触を感じた。そこには治りかけのかさぶたが張り付いていた。 クロノに付けられた傷を放置していたらこうなったようだ。 よくよく思い返してみると、この世界に来て目立った外傷を負っ たのは初めてかもしれない。 物珍しさに気をとられただけだろう。そう思って気にしないこと にした。 白井は心なしか足早にそこを立ち去り、足取り軽やかに城の裏口 を目指す。 ついさっきまで殺意を向けられていたことを忘れてしまったかの ように、はやる冒険心が彼の心を支配していた。 そもそも今日は、城を出て冒険でもしに行こうかと思って部屋を 出たのだった。未知のものに対する好奇心は二十歳を越える年齢に なっても、大いに持ち合わせていた。 もし、街中を歩いていて、目の前から来た高そうなコートを着た 美女がいきなり熱いフランスパンをこちらの手に持たせ、意味あり げに﹁ユーカリ!﹂と叫んで立ち去ったとして、その先を追う人間 は多くない。きっと、周囲からの視線に顔を背け﹁関わらないほう がいい﹂と思い、手に持ったフランスパンをゴミ箱に入れ、再び雑 踏に消えていくだけだろう。たとえそこに、得体の知れない未知の 匂いを嗅ぎ取ったとしても、それに混じった危険の匂いを恐れ、進 1407 んでその先を知ろうとは思わない。 その辺りが一般人と冒険者︱︱よく言われる主人公︱︱の違いな のだ。 そして、白井は主人公だった。今日も今日とて未知の匂いに心躍 らせ身を委ねる。後先は少し考え、それらを無視して。 裏口が見える位置になって、まるでどこぞのスパイのように壁に 張り付き身を隠し、そっとみやる。 出口は正面口以外にも複数ある。その中でもここは普段から通る 人間が少ないことを事前のリサーチで知っている。 堅く閉ざされた扉の前に見張りの姿はない。時刻は昼時。丁度交 代の時間のはずだ。 ︱︱計画通り。 内心ほくそ笑み、クックックと三流悪役のように笑いたい衝動を 寸でのところで抑えて、獲物を追う獣の如く扉を駆け抜けた。 マリアはどうやら、自分を軟禁状態にして勝手に出歩かせないよ うにしたいらしく、どこもかしこも見張りで塞いでいることが多い。 おかげでこんなスパイのような真似をする羽目になったが、今回 もしっかり抜け出せたので何も言うまい。 勝利の拳を軽く握り、白井は未知の匂いを求めて更に足を加速さ せる。目指す先は秘境﹁迷いの森﹂。 ﹁迷いの森﹂には予想より早く、一時間足らずで着いた。国自体、 東部が﹁迷いの森﹂に隣接しているためだろう。 どこの国のものでもなく、前人未到の領域であり、立ち入りがタ ブーと化している。内部の詳細は不明で、危険であるという認識だ けが独り歩きしている。そんな煽り文句を聞いては、白井としては 行くしかない。彼にとってここは未知の塊であり、好奇心を満たす 1408 甘い果実である。 ﹁何じゃありゃ﹂ 目の前に立ってまず目を引いたのは、切り立った崖のように背の 高い木々の向こうに見える、その親玉とでも言うような山。木々に 覆われた山は肌すら見えず、その高さだけを悠然と示している。そ れも生半可な高さではない。雲など余裕を持って貫き、頂上は遥か 天の上に微かに見えるだけ。 この世界には空の標とかいう、これよりも高いと思われる山もあ るらしいが、ここだけでも白井にとっては理解の外だ。まず、元い た世界ではお目にかかれない。 高さを競うように聳え立つ木々は、譲り合いの精神を教えたくな るほど、密度がおかしい。木同士の間隔というものをまるで考えて いない。これでは日光の恩恵を受けられない木々が多くあるに違い ない。更にそのお陰で森の中に日光はほとんど射していないらしく、 昼間だというのにおどろおどろしい暗闇が漂っている。 ﹁シュヴァルツヴァルトでもここまでじゃなかったぞ﹂ 黒い森と異名をとるドイツの森を思い返し、呆れたように呟くが、 その顔はむしろ笑みさえ零れていた。 一歩また一歩、感触を確かめるように薄い暗闇へと歩き出す。 しかし、意気揚々と中へ入りかけて、すぐさまちょっとした異変 に気づく。 ︱︱誰かいる。 殺意とか勘とか、そういった曖昧なものではなく、足音がする。 それも背後から。小さな歩幅でざりっざりっと音を立て、こちらの 1409 後ろをつけてきている。 城からここまで自分の速度についてくることは有り得ない。だと すれば、予め行き先がバレてたのか。それとも行きそうなところ全 てに兵士を配置していたとでも言うのか。あの女ならやりかねない。 いくらか可能性を思案したところで、おもむろに振り返ってみる と、そこにいたのは予想とは違い、年端も行かぬ少年であった。 ﹁誰だ、お前?﹂ 少年は突然の振り返りにびくっと身体を震わせたが、白井の問い には答えようとせず、気弱そうな顔を下に向ける。 十代に満たないと思しき少年は、生来なのかどこか気弱そうで、 覇気というものを感じられない。特筆すべき特徴も大してなく、ぱ っと見て特徴を訊かれたならば真っ先に気弱そう、という単語が出 て、その先の言葉に詰まることだろう。 ﹁おーい、何か言えよ。その耳は飾りか?﹂ ずかずかと少年に近づいてみるが反応はない。煮え切らない様子 にイライラし、襟口を掴みひょいっと持ち上げる。 ようやく足をじたばたさせるといった反応を見せた少年は、吃り 気味に言った。 ﹁⋮⋮ま⋮⋮﹁迷いの森﹂に入るんでしょ⋮⋮?﹂ ﹁そうだが﹂ ﹁僕も、なんだ⋮⋮﹂ ﹁アァ? お前みたいなのが何か用でもあんのか?﹂ 1410 ﹁えっと⋮⋮と、とっ、友達に肝試ししてこいって⋮⋮。それでお 兄さんを見つけて、それで⋮⋮後をついてけば少し安心かなって⋮ ⋮﹂ 言葉を聞いて、何となく前後関係を理解する。同時に、やっぱり 人間はどこの世界でも変わらないなとも思う。 きっとこの少年は気弱さにつけこまれ、何かグループの中心的少 年辺りに、からかい半分でここに行って来いなどと言われたのだろ う。危機察知能力が足りない彼らにとってここは、夜の学校や幽霊 屋敷感覚なのだ。 さて、どうしたものか。ついてこさせるか、置いていくか、ある いは︱︱。答えを出すまでに1秒とかからなかった。 ぐるりと周囲を見渡し、誰もいないことを確認してから、少年を 下す。 ﹁ついてくるなら勝手にしろ﹂ 瞬間、少年の顔がぱぁっと輝いた。 再び暗闇の中へと歩き出す白井の後を、少年も同じように、先ほ どより軽い足取りでついていく。 二人は一歩、また一歩と、引き返せない魔境へと足を踏み入れる。 異変があったのは数秒後。少年の耳に、全身に、嫌悪感が奔るよ うな嫌な音が響いた。視界が揺れる。真っ赤な点が視界を覆ってい き、終いには完全に赤く染まってしまった。声が声にならない。ひ ゅーひゅーと音を立てるだけだ。 まるで徐々になっているようだが、そうなるまで、実際はほんの 少し︱︱秒にも満たないくらいだっただろう。 視界に映るのは︱︱狂気的で狂喜的な笑みを浮かべた男の顔。男 1411 が手に持っているものが、短いナイフで、そこについている赤が自 分の血であるとは、少年はいよいよ最期まで気づくことはなかった。 ﹁ギャハッ!! アアアアァァァ∼∼∼∼∼∼∼!!﹂ ぐちゃりぐちゃりと音を立て、無邪気な子供のように、何度も何 度もナイフを振り下ろす。まるでリズムでも刻むかのように。 脳みそが泡を吹きぼしながら沸騰する。テンションメーターは振 り切って測定不能。楽しすぎて笑うしかない。今誰かに話しかけら れたって、人間の言語を話すことはできないだろう。 きっと少年はとっくの昔に死んでいる。それでも気の向くままに ナイフを振り下ろす。 ようやく手が止まったのは、原型がなくなった辺りの頃。それを 人間の姿に戻すのは、下手なジグソーパズルを完成させるより難し い。どれが腕でどれが足であるかの判別は素人には無理だろう。 脳みそが次第に冷めてきた。この虚脱感すら愛おしい。 先ほど頭に浮かんだ選択肢の中、迷う必要はなかったのだ。誰も 見ていない、相手は無傷。ならば殺そう、というのは白井にとって 簡単な帰結だった。 改めて目の前の惨状を冷静な目で見てみる。死体はバラバラにな っており、白い骨が露出して、その周りにかろうじて肉がついてい るような状態。自分の服も返り血で血まみれである。どうやって城 に帰ってから誤魔化そうか。魔物の血ということにしておこうか。 この死体はどうしようか。何か利用価値はないだろうか。 骨付き肉を手に持ってみると案外持ちやすい。人間の肉でなけれ ば噛みつきたいくらいだ。 そこであることを思いつく。そうだ、魔物の撒き餌くらいには使 えるんじゃないだろうか。 骨付き肉を2つほど拾い上げ、今度こそ白井は森の奥地へと足を 1412 進める。 走るのは何かもったいない気がして止めた。この暗い雰囲気を噛 みしめるように、きょろきょろと辺りを見渡す。 サメの嗅覚は何億倍にも薄めた血の匂いを嗅ぎつけるという。そ のレベルではないにしろ、これだけ血が付いていれば何かしらがや ってくるのではないか、と期待していた。 歩き始めて半刻ほどして、ようやく最初の標的に出くわす。一言 で言えば黒いオオカミ。元の世界のよりはデカイか。出現の仕方か ら見て、元のよりも馬鹿みたいに速い。 その出現を合図に、周りで窺っていた他の獣共も一斉に飛びかか ってくる。チンピラかお前らは、と言いたくなる。 そこから先のことは、記憶にも残らなかった。 求めているのはこんな、地球上に存在する生物に大人の貧困な想 像力で余計なぜい肉を付けたようなやつらではない。 一層増した血の匂いを身に纏い、うきうきとスキップ混じりに、 未知を求めて再び歩き出した。 1413 第百二十五話 ︱︱こんなもんか。 白井は拍子抜けしていた。何が襲ってこようが、特に手間取るこ とはない。事前の評価が高すぎたのか、がっかりしたと言っても過 言ではなかった。 途中の幻覚作用持ちの植物も、大したレベルではなく、少し慣れ たら抗体が出来たくらいだ。 森の中で戦っていると、昔行ったゲリラ戦が頭に浮かんでくる。 もう少し亜熱帯気味の森の中で敵との遭遇に注意しながら、ひたす らに進む。確か民間のゲリラ勢力と軍の対立だったか。中々にスリ リングでつまらない場所だった。なぜつまらないかというと、ほと んど銃撃戦だからだ。殺した感触が手に残らない。まあ、白井はど っちつかずで荒らしに行っただけなのだが。 他にも白井はいくつかの戦争や紛争に旅行感覚で出かけたことが ある。お陰で国際的機関からも狙われる羽目になった。荒らしすぎ て一個小隊を相手にしたことが何度もある。うるさすぎて、しょう がなく建築工学を学び、拠点ごと爆破してやったこともある。本当 に苦肉の策であった。 いくつか戦場を歩き回って、思ったことがある。あそこは人殺し のいる場所じゃないということだ。あそこで行われているのは、人 殺しですらない。相手を人として見ていない。殲滅すべき敵であり 人ではない。そんなのは人殺しではないのだ。10何箇所の戦場を 回って、白井は戦場に行くのをぱったりと止めた。 あっちの世界に比べればこの世界の戦争なんてままごとみたいな ものだ。きっちり人を人として見ている。 ゲリラ戦を思い出し、匍匐前進でもしてやろうかと考えていたと 1414 ころ、木々の隙間に心躍る獲物が現れてくれたのでしないで済んだ。 これを何と表現すればいいか、ゴーレムを想像してくださいと言 って、石や泥で組み上げる者が多い中、少数派として機兵を想像す る者がいる。その機兵を造ったらきっとこんな感じだろう。 それは、シンプルイズベストを素で行くような簡素さ。大まかに 上下二つのパーツで出来ているように見える。上下にそれらしき足 と腕が二つずつ。余計な着飾りは見当たらない。 銀のフォルムに、上パーツについた黄色い目らしき物体が特徴的 だ。目のついた部分は見上げるほど高い。 ﹁ロボットかよ﹂ 簡単にそう言ってしまったが、技術力として見ると元いた世界よ りも高い気がする。稼働音がしないし、動きがやたら滑らかだ。人 型というのが個人的には気に入るような、技術的には気に入らない ような気がしたが。 これは明らかにおかしい。この世界の文明レベルのものではない。 そして︱︱ ﹁いいねェ! こういうのを求めてたんだよォ!﹂ テンションの高まった叫び声に反応したのか、ロボットの上パー ツが一瞬傾いた。無機質な黄色い目がこちらを捉え︱︱閃光が煌め いた。 銃口を向けられた時よりも遥かに重たい死の予感が全身を迸る。 ガードという選択肢はない。判断するよりも身体が自然に動いた。 右へと飛び退り着弾点を見ると、地面は線をなぞるように白煙を 上げ消失していた。 ︱︱レーザー光線!? 1415 ふざけてる、としか言いようがない。こんなものをこの世界で見 るとは思わなかった。 これは誰のものだ? 誰が造った? なぜここにいる? この先 に何がある? 疑問が沸々と湧き上がってくる。これだ。これこそが求めていた 未知だ。 まず一撃食らわそうと間合いに入る。フォルムは硬そうだ。何か 作るよりも素手の方が壊せるだろう。 だが、相手の反応が早い。こちらが攻撃の態勢に入るや否や、宙 に浮きながら尋常ならざる速度で後ろに退いた。速度だけならこち らよりも速いかもしれない。そこに何かの発射音は聞こえなかった。 身を隠すことにきっと意味はないだろう。サーモグラフィで人間 を見つける機械が、自分の世界ですら実用化されているわけだ。技 術レベルの違うこれにだって、それ以上のものがあるに違いない。 そしてこいつはおそらく人間相手専用だ。こんなのが魔物を襲い始 めたらこの森はさぞ綺麗な更地になることだろう。人間専用のこい つについていないはずがない。 ︱︱攻めるしかねェな。 全速力で間合いに入る。レーザー光線を掻い潜り、懐に入った。 瞬間。パカッと言う擬音が聞こえてきそうなくらい見事に銀の腹が 開く。腹の中は穴だらけで、穴の中は︱︱ミサイル畑だった。 ︱︱ミサイルゥゥゥ!! 咄嗟に姿勢を低くしロボットの股を抜け背後に回ると、元いた場 所はミサイルの雨。雨による爆風は波状の衝撃波となって轟音と共 に森の中を駆け巡る。白井自身、煽りを受け遠くへと吹き飛ばされ 1416 た。 爆風を操って何とか地面に着地するも、身体は熱でところどころ 火傷していた。それでも思ったより深くないのは、この世界に来て 身体能力というか身体自体が強化されたからだろう。ローストにな らないだけ上等だ。 ミサイルは使わせた。懐に入る上での障害物は一つ除いたと言っ ていい。煙を強引にかき消し、目視で相手を確認する。距離は約3 0m。直線のレーザーを避けるのは容易い。自分より速かろうが避 けるだけなら割と楽だ。 ︱︱このまま内臓武器削る安牌かァ? 何度も潜り込んで中の武器を全て出させる。壊すのはその後。こ の身体能力ならば勝算はある。敵が複数でないこの状況で決定機に 最善手を使わないやつは馬鹿だ。つまりあのロボットにはミサイル より速い近接戦闘武装はないと考える。そのミサイルを避けられた ならば、他のも避けられるはずだ。 黄色い発射口の直線上に立ち、一発目を誘う。瞬間。閃光と共に 飛んでくるレーザー。 まず、直線から一歩動きそれを避ける。避けた後もレーザーは照 射され、元いた場所は綺麗な更地だ。 一つ分かったことは、こいつは動作は速いが、次の動作に移るま でが遅い。そしておそらくミサイルは条件反射だ。 動作と動作の間を縫って一気に距離を詰め、内側に潜り込む。 ︱︱さあ、次はなんだ? わくわくして次の攻撃を予見していた白井を襲ったのは、またも やミサイルだった。二度となると流石に芸がない。銀の腹が大きく 開く。内部から顔を覗かせるのは、満タンに詰められたミサイルた 1417 ち。 ストックが内部にあった? この身体にまだまだ武器を貯蔵して いる? そう考えて、また別の可能性が浮かぶ。だがこれはあり得 ない。あってはいけない。思考を必死に押さえつけてそれを否定す る。 そして発射された後の穴を見て、その可能性が夢でもなんでもな いことを知った。 空になった発射台。避ける直前、その中に見えたのは︱︱先から 再生していくミサイルだった。 再び爆炎で吹きとばされるが、あらかじめ風を操っていたお陰で 前回よりも被害は小さい。被害らしい被害は、持っていた少年の骨 付き肉がこんがりしたくらいだ。 二度飛ばされたことで頭は冷静だ。とても冷静にただ一つ、初め からやっておけばいいことを行う。 ﹁じゃーな﹂ このまま何カ月もここに籠れるなら遊んでいてもいいが、残念な がら明日には王都を出なければならない。全て終わった後で再びこ こに来よう。ここの全容解明はまた今度だ。 早速立ち去ろうとするが、後ろの方はどうやら追いかけてくる気 満々のようで、無機質な目がぎろりとこちらを見た気がした。 ここからは地獄の果てまで追いかけっこだ。振り切れないような らしょうがない。その時は、属性魔法で直接的にぶち壊すだけだ。 が、相手は途中で突然の急停止。故障ではなく、本当にぴたりと、 そこに何かこえてはいけないラインがあるかのように。 白井としては好都合だ。これ幸いと急加速し、相手の射程から出 る。 1418 相手が見えなくなってから、念のため辺りを地属性で探ってみる。 白井は﹁勇者﹂の能力として、どこになにがあるか、土の上に立っ ている物の感触や重さが半径数百キロ圏内までならば分かる。初め から使えば良かったのだが、それだとスリルが味わえない。 ﹁どうなってんだ、これ﹂ ロボットは依然、最後に見た位置で止まっていた。それはいい。 問題は他の物体と生物の配置だ。重さからして、ロボットとまった く同じ物が他に9体、森の中を徘徊している。だが幸い、こちらの 近くには1体もいない。一番近いのが先ほど相手したやつだ。 ︱︱これは偶然じゃない。 頭の中で位置情報を組み立て、脳内の地図に配置していく。問題 はロボットが先ほど止まったライン。あそこが活動範囲の端ならば、 その奥には何かがある。活動範囲は基本的に四角では指定されない。 多くは円状に指定される。そしてその場合は、活動範囲の中心に何 かがある。 先ほどのラインを含み、他の9体も含んだ円を頭で描くと、何が 中心にあるかは簡単に見当がついた。 ﹁山⋮⋮? じゃねえな、これは木か﹂ それは森に入る前に見上げた山。空を貫いてなお上に伸びる山は、 しかし山ではなかった。探ってみると、しっかりと地上に根を生や した巨大な大木だった。木の肌に木が生え、全貌の見えなくなった 大木。 それを中心にあの兵器共は活動している。あそこには、人智を越 えた何かがある。 1419 ﹁スゲェな! 良いよ! すっごく良い! ︱︱ん?﹂ 子供のように笑っていた白井の意識に何か気になるものが入った。 ロボット以外に、たった一か所、妙に重い場所があった。そこに だけ、何かが集まっている。地面についている数からして軽く二千 は越えているだろう。重さもバラバラで、とても同じ生物の集まり とは思えない。特に動いている様子もない。殺し合ってるというわ けではなさそうだ。 基本的に動物は他の種と群れを組むことはない。きっと魔物だっ て同じこと。であれば︱︱ ﹁⋮⋮まあ、いいか﹂ ここじゃない。ここでやったところで、この先つまらなくなるだ けだ。これはこの先を面白くする相手からの配慮だ。それを無碍に するのは忍びない。 ﹁期待してるぜ?﹂ 白井は誰かにそう言って、魔境から引き上げていった。 1420 第百二十六話︵前書き︶ 全体的に適当 1421 第百二十六話 いつでもどこでも威風堂々とわがもの顔で闊歩する彼が、今回ば かりは日本人らしい引きつった笑顔と共に足を止めた。 ﹁げッ⋮⋮!﹂ 珍しく気まずそうな声を漏らした白井の前には、怒っても笑って もいない、何を考えているのか分からない表情のマリアが突っ立っ ていた。 魔境から引き上げた彼が、行きと同じルートを通ったところ、城 の裏口で見事にバッティングしてしまった。というより、マリアは 待っていたのだろう。放蕩勇者様のことを。 ﹁さて、弁明はございますか?﹂ 詰問に近い口調でこちらにぐっと近づく。 杓子定規的な物言いをして煙に巻こうと試みることにする。形勢 は明らかにこちらが不利なのだが、白井はいけしゃあしゃあと悪び れた様子もなく答えた。 ﹁本日の議会は、国内内政に関する議題が主だ。門外漢のオレが内 政に干渉するべき問題じゃない。たとえ、立場がオブザーバーだと してもだ。自分の影響力くらい分かってる。いたずらに発言して議 会を混乱させるのはオレの本意ではない﹂ 実際にはこれは詭弁だ。それっぽいことをそれっぽく言っただけ。 既に色々なところに口出ししている白井が、内政不干渉などと言っ たところで説得力の欠片もない。 1422 勿論、その程度のことをマリアが分かっていないわけもない。彼 女は一度頷いてからもう一度改めて言った。 ﹁成程。︱︱して、本当のところは?﹂ ぎちょう ﹁MCがグランだからめんどくさくなって行くの止めた﹂ あっけらかんとサボりの理由を口にする白井に、マリアは呆れか らか、かぶりを振った。 白井はわざわざグランの口調まで真似して、自分自身の勝手な想 像を口にする。 ﹁どうせろくすっぽ進まなかっただろ? きっと出だしはこんな感 じだ、﹁果たしてこの案件にどう対応すべきか、そこのところにつ いて、皆様がどのようにお考えになるか、皆様の意見を統合した上 で勘案し、可及的速やかにどのような対応をはかるべきか、多くの 方々の厳正かつ中立的な意見を踏まえた前提で、どういった⋮⋮﹂﹂ 言っている白井自身、途中でげんなりして諦めてしまいたくなる。 無駄に豊富な修辞の語彙を使った怒涛の遠回り。これこそがグラ ンという50後半の古株貴族の得意技。議題の全てを靄の中に埋も れさせ、出席者全員を睡魔の罠にかける天才。彼の手にかかれば子 供の謎解きもメビウスの輪に早変わりだ。 ﹁その中でお前はオレを探すと言って、まんまと睡魔からの脱出に 成功したわけだ。感謝こそされ、文句を言われる筋合いはないな﹂ 傲慢にも感謝しろとまで言い始めた白井に、マリアは表情を微塵 も変えず、それについて何も言いはしなかった。 1423 ﹁それにしても酷い格好ですね﹂ 白井の服装は、服という服が焦げ付いており、ところどころ肢体 が見え隠れしている。現代に戻れば紛うことなき変質者の仲間入り だ。 ﹁ちょいと爆撃喰らっちまってな。︱︱で、何かオレに用か? お 前の性格からして、探してくるって言ってそのまましれっと家に帰 りそうなもんだが﹂ これでもマリアの性格はある程度知っていると自負している。無 意味なことはしない女だ。だからこそ、あの迷宮と化した無駄な議 会からエスケープしたに決まっている。その女がここにいて自分を 待っていたのだから、何かしらの用があったということだ。 ﹁明日以降についての最終確認、と言いたいところですが、立ち話 もなんでしょう。お部屋に移動しましょうか﹂ ﹁先に行っててくれ。こんな恰好じゃ、城内を歩くこともままなら ん﹂ 焦げ付いた服をこれみよがしに引っ張って見せ、二人は一旦別れ た。 ︱︱さってと、そろそろこのごっこ遊びも潮時かね。 いずれ来る終局、その始まりはもうすぐそこまで迫っている。そ して、その口火は相手が切ってくる。予感がある。確証もある。 振り返ってみると、長かったような、短かったような。もう少し 遊んでいたかったような気もする。 1424 だが終わってから始まるのは、最高で最低の世界。ごっこもクソ もない。そこには屍しか残らない、待ち望んだ世界。 想像するだけで顔がニヤついてしまう。凶暴の中に無邪気を秘め たその笑顔が止まらない。 自室で服を着替え、マリアの待つ部屋に向かう途中も、彼の気分 はなかなかにハッピーで、薬でもキメたかのように頭が蕩けそうだ った。 ︱︱どうせ︱︱どうせ壊れてしまうなら︱︱。 どかっと偉そうに足をテーブルに投げ出し、マリアの前に腰かけ る。 どこまでも傲慢で不遜な彼は、﹁勇者﹂の皮を完全に剥がし、初 めて彼が彼である本来の顔になって言った。 ﹁腹ァ割って話そうや、女狐ェ。くっせェ三文芝居は止めようぜ?﹂ ︱︱自分から壊してしまおう。 凶悪さの中に冷静を混ぜた顔で彼は続ける。 ﹁今回の作戦を最後にオレは御役ご免だ。お前の描くその先の未来 にオレはいない。そうだろ?﹂ ﹁そうね、今回でアナタとはサヨナラ﹂ 間髪いれずにあっさりとマリアはそう答えた。何でもないことの ように表情すら微塵も動かさず。 マリアの言葉を引き継いで、白井は続ける。 1425 ﹁そして、今回が一番重要なところ。相手は化け物どもの巣窟。大 陸統一において最大の癌だ。お前には勝てる確証がなかった。そこ でオレを使おうと思った。逆に言えばオレが必要なのはここまでだ。 後はお前1人で制圧出来る。あそこをどいつもこいつも小国だと舐 めちゃいるが、そんな奴らはこの世界を分かっていないただの阿呆 だ﹂ ﹁この世界の人間じゃないアナタが分かっていると?﹂ ﹁楽観的阿呆共はこの世界の兵力の差がどれだけ無意味か分かって ねェ。たとえばオレの世界じゃ、10人の精鋭より1万の雑兵が強 い。だがここでは10万の雑兵よりたった1人の天才だ。個人の力 の差がデカ過ぎんだよ、ここは。たーだ残念なことに凡人はそれに 気付かない。お前らの言う天才が、テメェの矮小な脳みその理解を 遥かに超えてるってことに。あくまで常識の範囲に当て嵌めて語ろ うとしやがる﹂ ﹁⋮⋮本当に、理性がクレイジーな猿じゃなければ欲しい人材なの だけれど﹂ ﹁だとしたら、そいつァオレじゃねェよ﹂ 皮肉げに白井はそう笑って見せた。 ﹁そこまで知ったアナタはどうするの? 今ここで私をヤる?﹂ ﹁おいおい、お前みたいなのに﹁ヤる?﹂なんて言われたら、別の ことを邪推したくなる﹂ ﹁あら、アナタにはそういう思考はないのかと思ってたわ。以前、 1426 そっち方向で手懐けようとした時、まったくの無反応だったから﹂ ﹁別に、これでもオレはお前の立場を尊重して遠慮してやっただけ だよ。大抵の男はお前に誘われただけで、それこそ盛った犬みたい に尻尾振って喜んでついてくっての﹂ ﹁勇者﹂の顔とは程遠い、そこらのチンピラにも似た下卑た笑い に、マリアは侮蔑の視線を投げつけていた。 ﹁オレは今ここで何かしようってわけじゃない。最後くらい、お前 と真面目に話してみたくなっただけだ。お前が今回の後で、あるい は途中で、オレを殺しに来るっていうなら、どうぞウェルカムだ。 相手側と協力して殺すのもいい。終わった後疲弊した状態を殺すの もいい。おそらく後者の予定だろうが。オレは逃げも隠れもしてお 前らを迎え撃ってやるよ﹂ 白井は決して死にたがりではない。自分で処理出来ない範囲のこ とはしない。手を出したらいけないラインをきっちり見極めて、そ のギリギリを綱渡りしてきた男だ。不利だと判断したら撤退だって する。 ﹁どうやったらこんな猿が出来上がるのかしら。親の顔を見てみた いものね﹂ ﹁オレの親は悪くねェよ。かなりしっかりした親だったと思うぞ。 悪かったのはオレの脳みそだけだ。これでも、親には申し訳なかっ たと思ってる﹂ そこまで言って、ふと親の顔を思い出してみるが、どうにも曖昧 で、インクの滲んだようなぼやけた表情しか出てこない。最期の顔 1427 も、後ろから刺したものだから確認していない。 そこまで自分は不義理な人物だったかと思い返すと、親殺しをし た時点で不義理もへったくれもないということに気づいて軽く自己 嫌悪に陥った。 ﹁あらそう。︱︱とりあえず、アナタに奇襲が効かないってことは 分かったわ。待ち構えられたら、それはもう奇襲として意味をなさ ないもの。いくつか手を考える必要が出てきたみたい﹂ ﹁嘘つけ。お前のことだ、他にも腐るほど用意してやがんだろーが。 オレを消した後のシナリオも既に書き終わってるくせして。ウワサ・ ネットワークの掌握は順調かい?﹂ ﹁お陰さまで。これで、アナタがいなくなった後も苦労しないで済 みそうだわ﹂ ﹁結構なこった。オレが死ぬといいな?﹂ ﹁シュガ︱の主力全員落としてから、領主辺りと相討ちがベストね。 それでも死ねなかったら介錯してあげるわ﹂ ﹁言ってろ。︱︱明日は予定通り出発する、そこに変更はない﹂ 白井は椅子から立ち上がって、ふらふらと部屋を出て行った。背 中にマリアの不穏な視線を受けながら。 ︱︱今回でオレを消す気なら、あっちの方は明日辺りか。 1428 第百二十七話︵前書き︶ 適当 1429 第百二十七話 ﹁これも駄目、こいつも駄目、こっちも駄目ー、駄目駄目駄目駄目 駄目のオンパレード!﹂ ヒステリックな色を含んだ叫び声を上げ、身体を目の前の机に投 げ出してみる。だからといってまったく事態が好転するわけではな い。ひたすらに堅い感触が身体を襲うだけ。分かっていながら、こ うせさざるを得ない。こうでもしないとやっていられない。 ﹁何叫んでるんですか、外まで声、響いてますよ﹂ 何時の間にやら部屋に入ってきていたらしいユウが宥めるように 言った。 その姿を認めながらもユイは一向に机から身体を起こそうとしな い。 ﹁傭兵の選定ですか、目ぼしい方は⋮⋮﹂ ﹁いたら苦労しませーん。ブラム兄弟には拒否され、ミランも拒否、 クリークに至っては敵側につきましたー。その他二百を越える数も、 大体おんなじ。みーんな根性ないんだよぅ﹂ 正式に傭兵でも雇おうかとリストを眺めて、接触を試みるものの、 どれもこれも拒否拒否。ユイがうんざりするのも無理はない。 ﹁そりゃあ、どう考えたって敗色濃厚ですから⋮⋮。むしろ、こち ら側についてくれる方のほうが異常かと﹂ 1430 ﹁それにしたって全員拒否だよ!? もうやんなっちゃうぅ﹂ 口ではブーブーと文句を垂れるユイだが、ある程度この結果は予 測していた。一応、必要最低限の戦力は回収してある。極端な話、 クロノさえいれば後はどうでもいい。傭兵を探しているのは、念の ため戦力を少しでも増やしておくか、程度の考えでしかない。 ﹁余程のわけありじゃないと、中々難しいんじゃないですかね。あ ちら側に恨みを持っているとか、あちらにつけないとか﹂ ﹁その線で探してはいるけど、恨みを持ってそうな敗戦国の将は大 概役に立たないのばっか。私が個人的に期待してる子も、行方不明 っていう﹂ ﹁行方不明⋮⋮? 見つけられないんですか?﹂ ﹁いやー、治安維持に諜報隊かなりさいちゃってさ。そんなに人数 残ってない上に、他の面子は敵側の諜報に回してて探れないの。そ れに優先度低いし。私はナナシちゃん面白いと思うんだけどなー。 だって、全盛期ならリルちゃんクラスだよ? ロマン感じない?﹂ ﹁ロマンというか、単純にそのレベルなら十分に強いと思いますが ⋮⋮。全盛期なら、ってことは今は﹂ ﹁うん、そこが残念なところ。今どれくらいかっていうのは未知数。 立場的にも敗戦国ギールのとこの人間で、結構いい線行ってるんだ けどなぁ⋮⋮。敗戦後の混乱で行方不明じゃなければ、駄目元で行 ったのに﹂ 心底残念そうに口をすぼめる。 1431 果たしてナナシが使えるかどうかさっぱり見当もつかず、確実性 の低いところに回す人員がいないのが残念なところだ。どうせこち ら側についてくれる傭兵など、適当に穴を掘って温泉が湧き出る確 立並みに見つけるのが難しいのだから、特攻覚悟で探してもいいと 思うのだが、この状況では時間がかかりすぎる。 ぐだぐだしていた身体をようやく起こし、冗談めかした口調で言 う。 ﹁どうせ仲間になってくれる傭兵なんていないんだから、別路線で 攻めよう!﹂ ﹁たとえば?﹂ ﹁﹃ジェスター﹄さんとか!﹂ ﹃ジェスター﹄というのは、毎年行われる仮装大会の前年度優勝 者であり、目下10連覇中のミスター大道芸人である。毎年毎年、 どうやっているんだという奇抜なメイクと、斬新なパフォーマンス を見せ、圧倒的得票数で優勝を掻っ攫っていく。年齢性別共に不詳 の謎の人物でもある。年度によっては仮装大会の登録名が﹃パノン﹄ だったり、﹃ピエール﹄だったり名前もイマイチはっきりしない。 当然、傭兵などではない。 ﹁⋮⋮疲れてるのは分かりました。少しお休みになっては?﹂ ﹁いや、待とう? あんな派手な格好の一人旅だよ? 襲われやす いに決まってる。それなのに、やっていけてるってことはだよ? もしかしたらクリョニョンよりも強い可能性が!?﹂ 熱弁を奮うユイを見て、ユウは色々と諦めたのか眉ひとつ動かさ 1432 ず、それ以上何も言ってこない。 ﹁それに、前回の仮装大会の後ふざけて後をつけさせたら、簡単に 撒かれてしまったんだよ! つまり、これはかなりのツワモノの⋮ ⋮⋮⋮うん、私が悪かったから真顔止めて。ツッコもう? ツッコ ミ待ちなんだよ?﹂ 悪ふざけも大概にしろ、とユウが無言の非難を送ってくるので、 これ以上の話は諦める。続ければ暫く酒場への出禁を食らいそうだ。 慌てて話題の転換を図ることにした。 ﹁あっ、そうそう、ギールで思い出したけど、あそこの再興が図ら れてるとかいう噂が出回ってるよぅ﹂ ﹁よくある話ですね。⋮⋮でも、あそこって跡取りいましたっけ?﹂ ﹁いないよぅ、中心人物はクライス王の弟なんだってー﹂ ﹁今はそんなことしている場合ではないでしょうに、あんまり騒ぐ と完全に息の根を止められますよ。進撃が止まるまでは潜伏期間で しょう﹂ ﹁弟の頭はあんまりよろしくないみたい。それとー、本日、﹁勇者﹂ 様がお国を出発したってさー﹂ ﹁猶予期間無くなってきましたね。もう無謀な傭兵捜索をやってい る場合ではなさそうですよ﹂ ﹁むー、じゃあ今日はとりあえずクリョニョン呼んでプランの確認 かな。ということで呼んでこよーっと﹂ 1433 1434 PDF小説ネット発足にあたって http://ncode.syosetu.com/n5019bk/ 追放された少年 2014年8月28日23時01分発行 ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。 たんのう 公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、 など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ 行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版 小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流 ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、 PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。 1435
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