B−Pおじさんの物語 この『B−Pおじさんの物語』は、平成8年2月に川越地区B−P祭実行委員会によってつくられたも のをベースにしています。この物語はB−Pの歴史をビーバースカウトやカブスカウトにもわかるように 作られたものですので、スライド(PowerPoint)と併せてB−P祭などの際にご利用ください。 スライド1タイトル これから上映するスライドは、ボーイスカウト運動を始めた人、ベーデン−パウエルの物語で す。 ベーデン−パウエルは、ボーイスカウトの仲間の間では、その頭文字をとって、B−Pと呼ば れ、親しまれています。 今日は、そのB−Pの誕生をお祝いする集いです。 それでは、「ビーピーおじさんのものがたり」の、はじまりはじまり。 スライド2 B−Pの誕生 B−Pは、今から約140 年前、1857 年の 2 月 22 日に、イギリスの首都ロンドンで生まれました。 お父さんは、大学の先生で、有名な科学者であり、牧師さんでもありました。 B−Pは、その 12 番日の子どもでした。 スライド 3 チャーターハウス時代のB−P B−Pは、チャ−タ−ハウスと呼ばれる学校に入りました。でも、勉強はあまり得意ではありま せんでした。 その代わり、先生から入ることを禁止されている森が大好きでした。 ひそかに森の中に入っては、野ウサギを捕まえて、焚火で料理したり、見回りにきた先生に見 つからないように、木の上にかくれたり、とにかく、冒険をして遊ぶことが大好きでした。 スライド4 軍隊に入ったB−P B−Pは、勉強よりも冒険をすることの方が好きだったので、上の学校に進むことよりも、軍隊 に入る道を選びました。 ユーモアがあり、愉快なB−Pは、子どもたちに好かれました。B−Pは、子どもたちに、観察 することや、ゲームを教え、良く遊びました。 B−Pがオカリナを吹くと、子どもたちは、列になってついて行きました。 1 スライド5 斥候術を教えるB−P B−Pは、どんな小さなことでも見落とさない、鋭い観察カを持っていたので、部下の兵隊たぢ に尊敬されました。 そして、その観察カを生かして、敵に気づかれないようにして、敵の様子を調べる方法を教え てあげました。 スライド6 ズールー族の反乱 B−Pは、アフリカに行くように命令されました。 アフリカではズールー族が反乱を起こしていたのです。 B−Pは、得意の観察力(観察する目)を使って、ズールー族の様子を探り、勇敢に戦いました。 戦いの中にあっても、傷ついたズールー族の女の子の手当てをしてあげたり、子どもたちに、 やさしくしてあげたりしました。 B−Pの活躍で、ズールー族の酋長デニズールは、降参して、B−Pにビーズでできた首飾り を贈りました。 そのビーズは、後になって、ウッドバッジと呼ばれ、ボーイスカウトの指導者訓練の修了者に 与えられるようになりました。 スライド7 マフェキングの戦い 1899 年、アフリカでイギリスとオランダからの移民、ボーア人との間で戦いが始まりました。「ボ ーア戦争」と呼ばれる戦いです。 B−Pは、9000 人のボーア軍に包囲されたマフェキングの町を、わずか 1000 人の兵隊で、得 意の観察力や敵をだますアイデアを使って、217日の問、守り抜き、イギリスの英雄になりまし た。 その戦いの中で、9 歳以上の少年たちは、伝令役として活躍し、B−Pの戦いを助け、B−Pを 感心させました。 スライド8 ブラウンシー島 B−Pは、軍隊時代に自分が学んだ技術をまとめて、兵隊たちのために「斥侯の手引き」とい う本を書きました。 ところが、この本は、冒険遊びのやり方を書いた本として兵隊たちよりも、少年たちに良く読ま れました。 そこで、B−Pは、少年たちのために、野外活勤の正しいやり方、楽しみ方を教えてあげようと 考え、1907年の夏、20 人の少年たちと、プラウンシー島でキャンプを行いました。 スライド9 スカウテイング・フォア・ボーイズ ブラウンシー島のキャンプは大成功でした。 B−Pは、このキャンプの体験をもとにして、1908年に、少年たちの野外活動のやり方、楽し み方を書いた「スカウテイング・フオア・ボーイズ」という一冊の本を完成させました。 この本は、冒険好きの少年たちの問で大評判になり、大勢の少年たちが、本を買ってスカウト 活勒を始めました。 「スカウテイング I・フオア・ボーイズ」は、今でも世界中の多くの仲間たちに読まれています。 2 スライド10 アンノウン・スカウト 霧のロンドンで、アメリカから仕事のためにやってきたボイスさんが、道に迷っていると、一人 の少年が現われて、道案内をしてくれました。 ボイスさんは、道案内のお礼にお金をあげようとしましたが、少年は『ぼくはボーイスカウトです。 お礼はいりません。ぼくに良いことをさせてくれて、ありがとうございました』といって、霧の中に 去って行きました。 ボイスさんは、この不思議な少年のやっている「ボーイスカウト運勤」を調べ、その素晴らしさを 知って、アメリカに広めました。 今では、アメリカは、世界一のボーイスカウトの国になりました。 スライド11 結婚 1912 年、B−Pは、オリーブさんと結婚しました。 B−Pの奥さんになった、オリーブさんは、ガールスカウト運動にカを注ぎ、やがてガールスカ ウトの世界の総長に選ばれました。 スライド12 第 1 回世界ジャンボリー 1920 年、イギリスのロンドンで、第 1 回世界ジャンボリーが開かれました。 この時、世界の国々から集まったスカウトたちは、B−Pを、ボーイスカウトの世界の総長に選 びました。 スライド13 ボーイスカウト運動への別れ 1937 年の夏、オランダで開かれた第 5 回世界ジャンボリーの閉会式で、B−Pは、世界のスカ ウトたちに別れを告げました。 そして、大好きなアフリカのケニアに移り住んで、のんびりと暮らしました。 そして、ある日、この地上に別れを告げる日の近づいたことを知ったB−Pは、世界のスカウト たちに、最後のメッセージを書きました。 スライド14 最後のメッセージ 「私は、非常に幸せな生涯をおくることができた。だから、君たち一人ひとりにも、同じように幸 福な人生を歩んでもらいたいと願っている。 お金持ちになっても、社会的に成功しても、わがままができても、それによって幸福にはなれ ない。 幸福への第一歩は、少年のうちに、健康で強い体をつくっておくことである。そうしておけば、 大人になったとき、世の中の役に立つ人になって、人生を楽しむことができる。 幸福を得る本当の道は、ほかの人に、幸福を分け与えることにある・・・」 1941 年 1 月 8 日、B−Pはこの世を去りました。 スライド15 ちかいを立てる少年たち 今日も、明日も、そして毎日、世界のどこかで、ボーイスカウトの仲問入りをする少年たちが、 「やくそくあるいはちかい」を立てていることでしょう。 B−Pはこの世を去りましたが、その教えは、私たちの心の中に、いつまでも生き続けています。 ボーイスカウト運動という、すばらしい活動をつくり、教えてくれたB−Pおじさん、ベーデン− パウエルに、あらためて感謝いたしましょう。 3
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