祝、山中伸弥教授、ノーベル医学生理学賞受賞 - 久留米大学医学図書館

2012 年 12 月号
No.523
医学図書館ニュース
祝、山中伸弥教授、ノーベル医学生理学賞受賞
地域医療連携講座
足達 寿
日 本 に お け る 最 近 の 明 る い ニ ュ ー ス と 言 え ば 、 や は り 京 都 大 学 iPS 細 胞 研
究所長、山中伸弥教授のノーベル医学生理学賞の受賞であろう。 受賞理由
は、成 熟し た 細胞 から 未 熟な 多 能性 幹細 胞 への 先 祖返 りが 可 能で あ るこ と
を 発 見 。「 細 胞 や 器 官 の 発 生 の 理 解 に 革 命 を 起 こ し た 」 と 評 価 さ れ た 。 日
本 人 の 医 学 生 理 学 賞 受 賞 は 、1987 年 の 利 根 川
進 博 士 以 来 、実 に 2 5 年 ぶ
り2人目であり、まだ、50歳という若さで現役バリバリの研究者の受賞
に 日 本 中 が 沸 い た 。山 中 教 授 に と っ て は 、2006 年 の iPS 細 胞 作 製 か ら わ ず
か6 年 とい う スピ ード 受 賞と な った が、素 晴ら し い研 究成 果 とは 対 照的 に、
記者会見でのユーモラスな受賞の感想や研修医時代の友人たちの話が面
白 か っ た 。 山 中 教 授 は 、「 ス ウ ェ ー デ ン か ら の 受 賞 の 知 ら せ は 、 家 の 洗 濯
機がガタガタと音がするので詳しく調べていた時に受けた」と切り出し、
研修 医 時代 の 友人 たち は 整 形 外 科医 とし て スタ ー トし たが 、手術 が 下手 で、
とても臨床医としてはやっていけないと思ったなど手厳しい感想を述べ
て い た 。 ま た 、 山 中 教 授 自 身 も 手 術 の 時 は 、「 じ ゃ ま 中 」 と 揶 揄 さ れ 、 文
字通り「じゃま者扱い」をされていたので、臨床ではとてもやってはいけ
ないと思い、研究者に転身することを決めたと述べておられた。ノーベル
医学 生 理学 賞 を受 賞す る よう な スー パー ヒ ーロ ー が、この よ うな 挫 折を 経
験されていたということを聞くと、何となく、ほっとする気持ちがするの
は私だけであろうか?
山 中 教 授 の お 話 し の 中 で も う 一 つ 印 象 深 か っ た こ と は 、国 、同 僚 研 究 者 、
友 人 、 家 族 に 対 す る 感 謝 の 言 葉 で あ っ た 。「 国 の 支 援 の た ま も の で あ り 、
日本が受賞したと思っている。支援がなければ受賞はなかった」と強調さ
れ、特に同僚研究者3名の名前を挙げて感謝されていた。恐らく、普段か
ら控えめで礼儀正しく、チームワークを大切にされる方なのだろうが、こ
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のような記者会見の場で、これほど謙虚に「感謝の意」を表される方も少
ないであろう。その卓越した人間性にも敬意を表したい。
若 い 研 究 者 や 学 生 へ 向 け て は 、「 研 究 は ア イ デ ア と 努 力 次 第 で い ろ い ろ
なものを生み出すことができる。日本は天然資源が限られているが、研究
成果や知的財産は無限である。研究は国の力になり、病気に苦しむ人たち
の 役 に 立 つ 」と エ ー ル を 送 ら れ た 。今 後 、iPS 細 胞 の 本 格 的 な 実 用 化 に は 、
ま だ 時 間 を 要 す る と 思 わ れ る が 、新 薬 の 開 発 や 臨 床 応 用 が 一 日 で も 早 く 実
現することを願ってやまない。
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