スイス紀行 (2006年) (1) 4 月 29 日 「あ!盗られた。」 ここはチューリッヒ中央駅。関西空港からルフトハンザ航空でフランクフルト 経由でやっとチューリッヒに着き、電車でチューリッヒ中央駅に着いたところ。 ミネラルウオーターを買おうと、スーパーに入ってレジに並んでいた所、ショ ールダーバッグのチャックを開けられ、カメラと紳士用手提げカバンを盗られ た。こんなこと初めてであるので、足がガクガク。ともかくホテルにチェック インして、カバンの中になにが入っていたかを紙に書き上げる。財布(日本円) 銀行のキャッシュカード、車の免許証(日本と国際)、帰りの飛行機のチケット、 家の鍵など)そして愛用のカメラ。しかし運良くパスポート、クレジットカー ド、スイスフランは O.K. ともかく中央駅の警察に行こうとしたが、場所が良く分からない。仕方ないの で電車で空港へ引き戻し。ルフトハンザのチケット売り場に直行した。事情を 話すと、再発行はできるが、手数料がかかり、もし出てきたときそれは戻らな いとなかなか売ってくれない。頼み込んで売ってもらう。若い人だったがお客 さんのことを考えたための行動であろう。「手数料はいいんだから。」と思った が・・・次には警察へ。ルフトの人が案内してくれた。警察では、こわもての 人が出てきたが、とても優しい。何を盗られたかを事細かに聞いてくれた。カ メラはデジタルかと言うので、フイルムのヤツと話すと、ニヤリとして「オー ルドカメラ」と言う。オカーサンが「イエス、ベリーオールド」と強調する。 免許証のことを話したら、調書に書いておくから運転は大丈夫とのこと。ひと まず調書を貰って、ホテルヘ帰って就寝は午後 11 時。オカーサンに迷惑をかけ てしまった。でもなすべきことはしたと、ひとまず納得する。 4 月 30 日 ホテルで朝食後、電車でツェルマットへ。チューリッヒ中央駅から、ベルン 乗り換えでまずブリークへ。電車の乗り心地は、日本よりはるかに良い。狭軌 のようであるが(後に幹線は標準軌であると判明)、すべるように走る。ベルン からの電車は指定が取ってあって、号車指定があるのだが、何号車という表示 が無い。車掌が来たので、何号車か聞いたら「知らない」とのこと。どうせブ リークまで誰も乗ってこないだろうからそこに座っていなさいとのこと。この 辺は大まかである。スイス国鉄は優秀であると聞いていたが、考え方がすこし ズレている。それにしてもスイスパスは、色んな種類があり、我々のは一ヶ月 (2) の間に三日間、好きな日に乗れる。外人専用のものであるが、役に立った。 インターシティー(IC)は特急であるが、特急券はいらない。 ブリークに着き、ここからツェルマットまで私鉄に乗る。7 分歩けとのことだっ たので、カバンを引きずりながら覚悟していたが、国鉄の駅をでるとすぐツェ ルマット行きの私鉄の駅であった。歩いて 30 秒程度。7 分と言うのは、国鉄の ホームを含むらしい。この電車はよくもまあと思うようなところを走る。所々 ラック、ピニオンの所もあり、部分的に登山電車の様でもある。氷河特急も乗 り入れているらしいが、ここのところがどうなっているのか分からず宿題。 無事ツェルマットに到着。まずは近くのお店で昼食。電気タクシーでホテルへ。 ちなみにツェルマットは、環境の為かガソリン車の乗り入れは禁止している。 ホテル「アルバナ・レアル」から期待していたマターホルンがクッキリ見える。 天気が良いことに感謝する。 ホテルのマダムの人のいいこと。そんなに大きなホテルではないが、何かホッ とする。ひとまずバゲッジを置いて、ロビーでスネガに行って、ケーブルに乗 ろうかと話していたら、マダムが「あのケーブルは工事中よ。」と言う。それで はと、明日に予定していた、ゴルナーグラード行きの登山電車に乗ることにす る。途中、橋の上から、マッターホルンが良く見える。誰もが写真をとる所ら しい。我々も当然マッターホルンをバックに撮りましたね。 ゴルナーグラード行きの登山電車もスイスパスのお陰で割引がある。凄い所に 電車をひいた、と思われるようなところだが気持ちよく電車は登っていく。下 にツェルマットの村が見えてくる。30~40 分くらい乗っただろうか、終点ゴル ナーグラードである。右手にマッターホルンが、中央に氷河、左手にモンテロ ーザが雲ひとつ無い天気に、雄姿を見せている。ここは標高 3.200 メートルく らい。ともかく天気が良く、無風なのが嬉しい。マッターホルンは写真では何 度も見たが、その圧倒的な姿に見ほれる。山ではあるが、神々しくオーバーハ ングになった北壁が、人が少しうつむいているように見える。やはり来て見な いとその存在感は分からない。オカーサンが見たがったはずである。 ホテルに帰ってきて、コーヒーが飲みたかったので注文。これがすこぶる美味 しかった。 夜は、マレーシア人の怪しげな「鉄板焼き」を賞味。肉はブラジルからと言っ ていたが、まずい。その夜、私のイビキのため、何時ものことであるがオカー サンはあまり寝られない為、朝焼けのマターホルンを写真に撮った。良い出来 栄え。註(カメラは盗られたが、オカーサンが予備を持ってきてくれた。)翌朝 長男の雄一に連絡がとれ、「スリに会って自宅の鍵を盗まれた。」と話せて一安 心。日本に帰っても締め出されずに済むことになった。 5月1日 (3) 予定を早めて、ベルンへ出発。電車でブリークへ。そして国鉄でベルンに到 着。ここは小さな街であるが、スイスの首都である。結構駅も大きく、タクシ ーに乗りたかったのだが、タクシー乗り場が良く分からない。道行く若い娘さ んに聞いたら、 「ベルンは小さい街です。私はタクシーに乗ったことが無い。従 ってタクシー乗り場は良く知らない。あなた方の行きたい所は何処ですか。ホ テル ベルベデーレ?それなら歩いてすぐである。何故にタクシーなどに乗る 必用があろうか。歩きなさい。」と説教され、仕方なくバゲッジを引きながら歩 く。この言葉には、確固たる意思があり、スイスが EU に入っていない、そして 多大な労力を払って、永世中立国として生き抜く姿を垣間見た。そして案内も 一生懸命である。一瞬、自分はヤワだなと思った。 ホテルで休憩後、ベルン市内探索。戦争の被害も無く、昔のままのたたずまい である。道幅も狭いが、かわいいトラムが走っている。建物の中を潜り抜けた りしながら。ベルンの旧市内は世界遺産であるが、なるほどと思う。人どおり は結構多く、賑わっている。街のあちこちにスイスの国旗が翻っている。小さ いながらも、首都であることを誇らしく思っているようであった。 とある店で、お土産に「スイスアーミーナイフ」を買った。いろいろなタイプ があるが、カード型のものがしゃれていると、私の息子三人と純一君に・・ 一枚 30S フランであるから、約 2.900 円くらい。 マーケットを散策。豆腐のようなものが浮かんでいたが、これがモッツァレラ チーズとオカーサン。何処に行ってもマーケットは楽しい。さすがに時期が早 く、まだ花が少ないのが残念。河のそばの遊歩道はマロニエの若葉で、むせる ようである。そこで大きなチェスをしている人もいた。みんななんだか、ゆっ たり楽しんでいるようで、アクセクの私と好対照であった。 夕食は、オカーサンが探してくれたお店。名前は忘れたが、ここが雰囲気も良 く、料理も上々。スイスワインの美味しさにビックリ。生産量が少ないので輸 出して無いらしい。色は淡いのだが、ボディーはしっかりしている。買って帰 るには、少しおもすぎるなあと残念に思う。 5月2日 今日からは、レンタカーである。ベルン空港で借りる予定なのだが、ホテル の隣がハーツレンタカーである。それが分かっていたら、日本でそこを指定し たのにと残念に思う。 (ここで釈明しておくと、レンタカーを借りるのは、空港 が一番分かりやすいと思ったからである。)従ってベルン空港まで、タクシー。 (4) 早く着きすぎて、空港のあちこちの人から、「何か困ったことがあるか。」と問 いかけられる。ともかく見知らぬ人に親切。約束の 11 時にハーツの人が来て (どうやらベルンから来たらしい。)無事レンタカーを借りられた。これがまた フォード、フォーカスのディーゼル。昨年はオペルだったのにね。 高速は走らず、トゥーン湖の北をゆっくり走る。普通の道こそスイスらしい。 綺麗な田舎の住宅があったり、途中タンポポが咲いている野原があったり、ご 機嫌である。トゥーン湖のほとりで小休止。お天気が抜群であるので、いい気 持。水鳥が遊んでいる。 インターラーケンは通過して、山道へ。ついに長年にわたって思い焦がれてい たグリンデルワルド到着。ホテルで荷をといて、バルコニーから見るに、アイ ガーが真正面。そしてグリンデルワルドの村が見える。一面の緑にポツポツと 民家が見える。日は暖かくバルコニーからタバコを一服しながらの景色は、し ばしの極楽。この世にこんな所があったんだなあと感心する。 フィルストのロープウエイの乗ろうとしたのだが、休みとのこと。どうやら 5 月初めは、スイスはオフシーズンらしい。仕方なくグリンデルワルドの全景が 見えるフウィンシュテークのロープウエイに乗る。帰りの時間を守らないと、 乗り遅れてハアハアするよと、人の良さそうなじいさまの係員が、身振りで教 えてくれた。上からの景色も素晴らしい。コーヒーが美味しい。 天気も温度もちょうど良く、素晴らしいひと時でしたね。 夕食はホテルで食べることにする。ディナーは毎日変るらしく、シェフのサイ ンがしてある。気に入って二日続けてここで夕食にした。 ホテルのベッドの枕が、アルプスの形にしてある。心憎い。この晩も私のイビ キのため、オカーサンがアイガーの朝焼けを写真に撮った。 5月3日 ユングフラウ・ヨッホに行く日である。グリンデルワルドからヨッホまでの 乗車券を買うとき、またスイスパスが役に立った。割引があるのである。まず グルンドという所まで降りて行って、向きを変えてクライネシャイディックを 目指す。ここで登山電車を乗り換え、アイガーの中をトンネルで登山電車が進 む。約 100 年前に出来たと言うのだから、その根性にびっくり。途中トンネル の二箇所で停車して、外の景色を見せてくれる。いよいよユングフラウ・ヨッ ホに到着。ヨッホとは肩のことで、メンヒとユングフラウの間である。駅はや はり地下にあるが、迷路のようになっている。ともかくトップオブヨーロッパ であるスフインクス展望台へ、エレベーターで上がる。そこは地上 3.500 メー トルくらいであり、多少酸素も薄く感じた。ユングフラウ、氷河、メンヒなど (5) が、またも雲ひとつ無く見える。アイガーが見えないが、メンヒの後ろにある と後で分かった。一面の雪景色で目がまぶしい。何時もヨーロッパに行く時、 天候が気になってスイスを避けてきたのだが、この天気には何かに感謝せざる を得ない。ここで昼食。スパゲッティーを注文したのだが、オカーサンの食欲 に感心。帰りにアイスパレスなど見学。あまりの大きさに私も方向感覚が麻痺 する。よくもこんな地下に、こんなものをと。 帰りのクライネシャイディックで、臨時の電車が出ていた。どうやら中国人の 団体らしく、喧しかった。日本人も昔はこうだったのだろうかしら。 5月4日 グリンデルワルドにお別れして、ルツェルンへ。やはり高速は使わず、一般 道を走る。ブリエンツ湖の北側を通る。水面の色がトゥーン湖と少し違うよう だ。途中ブリエンツの町で、工芸品の店に寄る。素朴な木彫りであった。お店 の人が日本人で、日本人が良く来ると言っていた。この町からもスイス唯一の SL ロートホルン登山列車が出ているのだが、今は休業とのこと。残念。 ルツェルンに入る。簡単にホテルが分かったので安心。フロントに車の鍵を渡 し、街の見学へ。ホテルの横の芝生がレストランになっていて、緑の下で昼食。 まずは有名な交通博物館へ。行きはタクシー。汽車、飛行機など興味があるも のだらけ。こんなものを展示してあるのは、ドイツ的か。帰りはタクシーが拾 えないので、バスで。ヨーロッパの乗り物は大概、車掌が乗っていないので、 チケットマシンでキップを買う。ドイツ語で書いてあるが何とか分かり、来た バスに乗る。適当な所で降り、ルツェルン旧市内観光。なんと言っても有名な 木の橋を渡る。火災に遭ったらしいが、以前のままの絵がかかっている。どう やらここもペストで苦労したらしい。ルツェルン湖から流れ出している河は、 そうとう水量もあるらしく、流れも早い。旧市内はなんだかホットする街で、 今日来たとは思えない。広場でコーヒー。時間がゆっくり流れてゆく。至福の ひと時である。初めての街と言うのに、気取った所が全く無い。こんな街も珍 しい。いっぺんで気にいってしまった。ホテルのそばの緑地では、おとうさん 達がペタンクをしている。出かける前からしていたので、ずい分長く楽しんで いらっしゃる。しかも回りは、緑一色。羨ましい姿であった。 5月5日 朝 嘆きのライオンと氷河博物館に行く。ライオン像は修理中であったが想 像よりずい分大きかった。氷河博物館では、その昔氷河にあった石が、周囲の 岩を削り取った様子が面白かった。アルプスも昔は海であり、造山運動のこと (6) が事細かに説明してあり、興味ぶかい。この辺も昔は海だったのだと。 チューリッヒに向かう。高速を通ったので感慨は薄い。ただ道路標識はドイツ より親切で、あまりまよわずにレンタカーを返すチューリッヒ空港に着く。レ ンタカーリターンとある標識をたどっていけば、自然にハーツの会社に着く。 そこでレンタカーを返し、ホテルのシャトルバスでヒルトンへ。ここはアメリ カ系であり、なんの趣もない。そうそうに電車でチューリッヒへ。夕食は久し ぶりに中華料理。これが意外に美味しかった。チューリッヒは特徴の無い街で ある。大都会とはこういうものかも知れない。 5月6日 チューリッヒ発、ルフトハンザでフランクフルト経由関西空港へ。帰りはな んてことなし。 追記 海外旅行は何度も行っているが、「物取り」にあったのは初めてである。 しかし、その為にスケジュールを変更することも無く、無事に帰国でき た。しかもこういう事件で、ルフトハンザ、警察の人など、さまざまな 人の好意に接することが出来て、ある意味で良い経験になったと思う。 何がサービスなのか・・ルフトハンザのチケット売りの人のように、 売るのは簡単だが、お客さんのことを考え少し待ったら、など言う人が 日本にいるだろうか。空港の警察官、ベルンの若い娘さんなど、思い出 は尽きない。 盗人もいるが、人情味のある多くの人に会えたことが、この旅行の一番 の収穫であったかも知れない。 なお盗品は、保険で有り余るカバーをしてもらった。 ひとえに JTB の大森さんにはすっかりお世話になってしまった。こちら のスケジュールを良く理解してもらい、良い旅行をさせてもらった。 これらが本当の「旅」かもしれない。
© Copyright 2024 ExpyDoc