患用少女<翠玉> - タテ書き小説ネット

患用少女<翠玉>
咳集斎
タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト
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︻小説タイトル︼
患用少女<翠玉>
︻Nコード︼
N9289CD
︻作者名︼
咳集斎
︻あらすじ︼
病弱生き人形シリーズ。別の意味で“愛でられる”病弱な患用人
形たちの話です。
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47
1
娼館
この世には患用少女がいる。
“散り遅れ”と呼ばれる人形たちもその一つだった。
主に飽きられ、捨てられたもの。主に先立たれたもの。
メンテナンス
この娼館ではそんな“散り遅れ”達が大量に飼われていた。
療養の末、呼吸器や循環器の炎症基準を一定まで改善させられた“
散り遅れ”達は、愛玩の果てに“散る”。
量産品や雑種が殆どの娼館に、純血種が持ち込まれたのは初めての
ことだった。
人間で言えば21.2歳の、淡すぎる白金の髪に青いほど白い肌、
緑の瞳をした人形は、確かに際立って精緻な顔立ちをしてはいた。
しかし、こけた頬、青ざめた疲労に縁取られた目元、チアノーゼが
かり紫がかった乾いた唇は、工場や研究所で使い古された量産品の
それと、何ら変わらなかった。
持ち込んだ廃品業者に横抱きにされた人形は、胸から壊れた風琴の
ような喘鳴を響かせ、魘されるように力無く咳き喘いでいた。
うぅゥ⋮︱︱っ、ゼェェィぜィぜィぜィぜィ⋮ッ
は,ァッ︱ゼェェーー⋮っゼィッゼィッゼィッ、
娼館の主である楼主は、札束を廃品業者の胸元にねじ込み追い返す
と、商品をひょいと抱え上げた。
人形は痩せ衰えた肩を上下させ、ゼェェ、ゼェェと老木の樹皮が嵐
に剥がれるような呼吸を繰り返す。間近に見れば見るほど、匂い立
つほどの美貌の中、痛々しいほどのやつれ様が際立っている。
﹁上玉に勿体無いことをする奴がいたもんだな、﹂
楼主は人形を放るように寝台へと横たえる。呼、と人形師が声を挙
げると同時に、人形はごほりと深く咳き込んだ。
途端に胸がゼイゼイと痙攣し、咳が胸の奥底から立て続けにほとば
2
しる。
ゼィっゼィっゼィっゼィっ、、
ッぅ⋮︱︱ゼほ、ゼぉンっゼほゼホッ、ぅゥ︱⋮っ!ゼホゴホゴ
ホゴホゴホゼホゼホ
うゥ、ッぜほっ、ゼひィィぃ︱︱⋮っゴン、ゼぉンゼホンゼホン
ゴホンゴホゴホゴホゴホゴホゴホ⋮っ!
やつれきった、弱弱しくも烈しすぎる咳。真っ青になって寝台から
くずれ落ちる人形。人形師が背をさするが一向に治まらず、人形は
ごんごんと裏返る胸を掻き毟るように押さえた。ゼィィと息を吸い
かけた途端に咳になり、指先まで青ざめていく。
﹁これは酷いな、芳香も尽きかけている﹂
人形師は人形を横抱きに抱えると、幅広の長椅子にかけさせ、息を
吸う間もなく咳き込む口元に酸素吸入器を宛てがった。
確かに、啼鳥の魅力である、咳き入る度に溢れる吐息の香りが、人
形からは殆どしなかった。
﹁もう散りかけってことか?﹂
少しばつの悪そうに楼主が尋ねる。
﹁いいえ、枯れかけですよ﹂
柔らかな物腰の人形師は、点滴の用意をしながら目を伏せてぽつり
と言った。
確かに人形の肌には艶がなく、腰まである髪もぱさついて藁のよう
だった。
うぅ︱︱⋮!っゼホンゼホンゼホゼホゼホゼホゼホ⋮ッゼぉォッ、
ゼェほッ、ゼヒ︱︱⋮っゴンゴンゴンゼほっ、
﹁綺麗な顔なのに、可哀想なことだ﹂
未だに咳き止むことのできない人形の手を、楼主はゆっくりと取っ
た。
﹁娼館の男とは思えない振る舞いですね、﹂
人形師がくすりと笑う。
3
﹁少し妹を思い出してな、胸を病んで十五で死んだ﹂
このままでは到底客に出せないと、人形は療養することになった。
少し玩べば途端に散る量産品と違い、純血種は療養さえうまくいけ
ば、病弱な人間と同じくそれなりに持ち直すことができる。
あァ⋮っ!
ぅゼぉッ、、ゼヒュ︱︱⋮ゴンゴンゴ
ゼィゼィゼィゼィ⋮ッゴン、ゴホンゴホンゴホンゼホンゼホンっ、
ゼはッハァ
ンゴンゴンゴンゴンゴン⋮⋮
人形は酸素吸入器に口元を覆われ、寝台で起き上がったまま、ゼィ
ゼィと身を折り曲げて必死で息をする。
横たわることも眠りに落ちることもできず、折れそうに細い身体が
幾度も軋んで、浴びたように汗をかいている。
意識を手放せぬまま咳き入り続ける人形を、楼主は痛々しい思いで
見やった。
﹁なかなか良くならないな、﹂
﹁枯れかけですからね、容色だけはだいぶ戻りましたが﹂
ほら、と咳に喘ぐ翠玉の顎を掴み、くいと上向かせる。確かにくす
んで青ざめていた肌は、夜光貝の内側のような青い艶を帯び始めて
いた。
苦しげに寄せられた眉根、きつく閉じられた目蓋は金色の睫毛に縁
取られ、吐息に瞬くように震える。
青褪めた花弁のような唇は虚ろに開かれ、ごぅごぅと咳き入る度、
胸の奥から這いずり出る病に犯され続けているかのよう。
苦痛に歪んだ貌は今にも苦しいと叫びそうなのに、その言葉さえ知
らず、咳ばかりがほとばしり、つい、と涙が一筋伝った。
泥に塗れた宝石のような美しさ。
楼主はほっと息をつく。
4
﹁5年ものの人形など、普段なら2,3回で使い潰すでしょうに﹂
笑いながら人形の聴診をする人形師。
﹁今回のは純血種、工場や研究所からの量産品や、庶民からの払い
下げとは訳が違うんだよ﹂
楼主は少し煩わしそうに、煙草に火を付けようとした。人形師は鋭
い視線で諌める。
﹁それはそうと、この人形の棄てられたわけがわかりましたよ﹂
ミルク
元々は希少金属で財を成した、富裕な家の主に愛でられていた人形。
銘は翠玉とされていた。主は日に二度の栄養剤も手ずから与え、発
作の酷い夜は寝ずに介抱する程に、翠玉を大切にしていた。しかし、
突然の病で主は世を去り、新たな鉱脈の発見による事業の傾き、後
継問題で事業さえ破綻せざるを得なくなった。遺された翠玉を売却
しようという声もあったが、主の手垢のついた五年ものの翠玉は半
値以下、事業の維持には足しにならないことがわかると、主の正妻
が翠玉を引き取った。正妻は美しい人だったが、政略結婚で粗略に
扱われ、顧みられなかったことを怨んでいた。翠玉に食餌も薬も与
えず、日に日に病み衰えて艶を失っていく翠玉を嘲笑っていたとい
う。
﹁悪趣味な女だな、﹂
毒づく楼主を、人形師はくすりと嘲う。
﹁女衒には言われたくないと思いますよ﹂
クスクスと笑う人形師に舌打ちすると、人形師は肩をすくめて笑い、
足早に退散した。
翠玉、人形の瞳から名づけられたのだろう。
苦しみに伏せられた金褐色の睫毛から、咳の狭間に覗く、虚ろに濡
れた瞳。
ッう︱︱、ぅゥ⋮ッ、
ゼェェ︱︱⋮ッ、ゼゴ、ゼゴぉ︱︱⋮ッゴホンゴホンゴンゴンゴ
ンゴンゴンゴン⋮
5
人形の絶え間ない咳と喘鳴が、漣のように続いている。胸は裏返ろ
うとするのに、気道が詰まって咳さえ吐けない時があり、“翠玉”
はうぅ、うゥゥ、と呻いて胸を押さえる。
﹁⋮苦しいか?﹂
答える筈のない人形に問いかける。
人形にも五感は人間同様にある。
ただそれを苦しみと呼ぶことが出来ないだけで。
ただ呻き、喘ぎ、咽び咳き込むだけで。
ッぁ、ぅう⋮︱︱っ! ゼビュぅぅぅぅ︱︱⋮っ、ッぁぐっ、ゼゴ、ゼビュぅゥゥ︱︱⋮
っゼほっ、、
胸を裂くような咳が響き、“翠玉”が前にのめった。楼主は焦り、
思わず抱きとめて背をさする。
その時だった。
“翠玉”は、ふっと楼主を振り仰いだ。咳に濡れた翠の瞳がつかの
間楼主を捉える。吸い込まれそうに深く、透明な翡翠の色。
ずくり、と、楼主は胸が軋むような感覚を覚えた。
ふわり、
それは花がほころぶような、つかの間の微笑だった。ほんの一瞬が、
焼きつくように意識を捉える。
ッ︱︱︱、
びくりと“翠玉”の背がわななき、
ッうゥ⋮うゥゥ︱︱⋮ッ!
ゼごッッ、ゼびゅゥゥゥゥ︱︱っ、
重厚な岩戸を押し開いて吹き抜ける嵐のような喘鳴が、楼主の指先
までびりびりとしびれさせた。
ゼぼゼホンゼホンゼホンゼホンゼホン・・
ゼェェェィゼィッゼィゼィっ、ゼェェィゼほッゼほゼッ、
ゼぉォォォ︱⋮ッ!
っ、、
6
深い咳き込みにくずおれる“翠玉”。
︱︱︱、
妹の名を、呼びかけそうになった。自分の腕の中でがくりと首を仰
け反らせ死んだ妹の。
部屋にはただ人形の喘鳴と咳が途切れずに続いていた。
コンコンコンコン⋮っコぉンコぉンコぉン・・ッぐ、ぅゥ・・っ
ゲホンゲホンゲホンゲホンゲホンゲホン⋮ゼぉォ︱
︱⋮っゼホンゲホンゲホンゲホンゲホンゲホンゲホン⋮ ゴホ・・ゴフゴふぐふ・・ッ、、ぐッ、ぅゥ⋮っ︱!ッふグ
フゥぅゥ・・ッ!
ゴホンゴホンゴホン⋮ゴホ、
ヒィ⋮ゼィゼィゼィ⋮ゴホンゴホンゴホン⋮ゼィゼィ、、 夜の帳が下りてくる。啼鳥たちの胸は冷気の沈殿した空気に犯され
ていく。
娼館の回廊には、啼鳥たちの囀りが反響し始め、まるで咳の洞窟の
ようだった。
回廊の左右に面した小部屋は、格子戸が下りているだけで、人形達
の様子をうかがい知ることが出来た。
キヒぃィ︱︱⋮っコぉンコぉンコぉンコぉンコンコンコンコン・・
ハァ、ゴ・・ほッ、、ケフ⋮っ、、
ゴホっ、ゴホゴホゴホ・・ッ
ゴぼゴホゴホ⋮ゼヒュぇ︱︱⋮っゼゴッゼぇホゼホゼホゼホゼホゼ
ホ⋮
うゥ︱⋮!ゴホンゴホンゴホンゴボンっ・・ゼィゼィ・・っぅゥ︱
7
︱⋮!ぐ⋮ゴほ︱⋮ッゴほ⋮ッ、、
量産品や何代も重ねた雑種とは言え、人間から見れば類稀な美貌の
人形達が、宵闇に甲高く囀る。
“散り遅れ”ばかりを扱うことで知られたこの娼館には、特に重苦
しく悲痛な囀りが響き渡っている。
しんしんと訪れる闇が、病み衰えた胸を浸し、咳で削り取るように
死へと誘っていく。
ある者は胸を押さえ、ある者は烈しく喀血し、ある者は魘されるよ
うに身悶え⋮
肺病という鳥籠に囚われた人形たちは、絶え間ない咳に限られた生
を削り取られていく。
恐れは患用人形には不要なものだ。あるのはただ、苦しみ。
ゼ
それを苦しみと呼ぶことさえ知らずに、人形達は咳に咳いて散って
いく。
ゼェェェ︱︱⋮っゼぉンゴボゴホぉッ、ゼェぉッ、ゼぉォッ
ェィゼィゼィゼィ⋮⋮
赤褐色の髪をした少女人形が、がたがたと震えながら、全身で吼え
るような咳を繰り返す。床に座り込んだまま浴びたように汗をかき、
白い肌をますます青褪めさせ、だらだらと涙を滴らせていた。肺炎
を起こしているのだろう。ぜぉぜぉと獰猛な獣の叫びのような咳が、
折れそうな身体を貫き続ける。
ゼホぉッゼホぉェッ、ゼェェゴホぉー⋮ッ、ゴホンゴボンゴぉ
ンゼォォぉぉッ、
胸の奥から、太い蛇がずるずると這い出てくるかのような尾を引く
咳が、手をあてがう暇も無く溢れては、喘鳴に途切れ、また溢れる。
こんな咳を繰り返していては、朝までには肺がつぶれてしまうだろ
う。
8
ゲホンゼホンゼェェィゼほッゼほゼッ、ッうゥ⋮っ︱︱、はァ
っ、
っ!ゼェェィゼほッゼほゼッ、ぐぅゥぅーー⋮、ッゼぼゲホン
ゲホンゲホンゲホンゼホンゼホン・・っ、、
心臓性喘息を起こしている柘榴と啼鳥の血が入った雑種と思われる
少女人形。胸を押さえて格子戸に縋りつき、ゼイゼイ、がは、と肩
で息をしている。
ッ、ヒィ︱︱⋮ゴホン!ゴホッゴホッゴホ⋮ゴフゴフゴフ・・
っ、、ぅゥ・・!ゼぇー⋮ッほ、ゼホゼホゼホゼホ⋮っ
喘ぐ度に金褐色の髪が緩く波打ち、切れ長の鳶色の瞳に生理的な涙
が溢れる。咳き入る度に胸に爪を立て、指先はますます血の気を失
っていった。
ッごほ⋮っ⋮!コン、コンコンコンコン⋮ッゴふ・・っ!ゴホっ
ごボッ、、
ヒ︱⋮コホンコホンコホンゴホ⋮ッヒュ︱⋮ゴホン!ゥ、うゥ⋮
ごほッ、コンコンコンコンコン⋮
背中までの艶やかな黒髪に、白い着物を着流した華奢な人形。人で
言えば二十歳ばかりに見える。
﹁これは?﹂
楼主に連れられていた客が、煙管で人形を差した。
﹁お目が高い、これは不如帰の雄でしてね。ある少年趣味の紳士の
観賞用でしたが、散り遅れて払い下げられたものです﹂
楼主の言葉なぞ耳に入らない、啼き続ける不如帰の痩せ尖った頤を、
血がこんこんと伝う。長い睫毛が震え、青白くこけた頬を、ほつれ
た黒髪が隠した。
﹁せっかく手折った花なら、自分で散らしてやれば良いのに、勿体
無い男だ﹂
紳士は煙管を咥え、深く吸い込む。
9
ゼほ、ゼィゼィ・・・
ゴホ⋮ゴホッごホゴホゴホゴホッ・・・コンコンコンコンっ、ウ
ぅ⋮ゼェェ︱ぜホ・・・ゴホゴホッ
ゲフゲフッ、ゴフご⋮フぅゥッ!ゴふゴふゴふッッ、ゴホンゴホ
ンゴホンゴホン⋮ッハ、ゼィ、ゼィゼィゼィ⋮⋮ 身体を折り、くぐもった力無い咳が、息をつく間も
与えずに胸を穿つ。喘ぐ唇からは喀血が滴り、夜具に椿の花が点々
と咲く。縹深い瞳が物悲しく量の手を見つめた途端、
ッ︱︱ゴふ⋮っ、、
再び血がせり上がり、ばたばたと雪色の敷布を紅く染めた。
不如帰は殆ど意識を失いながらも、苦しげに眉根を寄せ、倒れまい
と両手をついた。
ゼふッゼほッゴホっ、、ぐ・・!ゼほッ、、うゥ⋮ゼィ、ゼィ
ゼィゼィ⋮
ぜぃぜぃと喘ぐ唇は紅く染まり、少女のように華奢な顎を喀血が滴
る。
﹁如何ですか、そろそろ散り際ですよ﹂
楼主はそう勧めると、格子戸の南京錠を開け、徐に人形の夜着を肌
蹴た。殆ど陽を浴びたことのない、蝋燭のような白い肌。薄い胸に
鳥籠のような肋骨が浮き、冷気に咳き込む度に鳩尾が窪む。楼主が
背中に耳を当てると、ぜぇぜぇと病が枝葉を繁らせるような喘鳴が
聞こえた。
三十半ばと思われる神経質そうな眼鏡の紳士は、人形の顎をぐいと
うゥ、ゥ
掴むと口付ける。先刻まで煙管をくゆらせていたその唇で。
ヒぃィィ︱︱︱⋮ッ!ゼぇェェ︱︱ッゼホゼぶぐ、ぶ
っ︱︱!ゼェィゼェィゼィゼィゼィっ
ッハ、ゼフゼふォゼふぉッッ、、ぐゥぅッッ、、ゼヒィ︱︱ッげ
フぉゲフぉゲボゲホゼぇェ︱︱⋮ェホ!ぉ゛ッ、、
ッ︱︱ゴフゴフゼフゼふゥッ、、ゼェ、ゼェゼェゼほゼホンゼホ
10
ンゼホンっ、、ゼェェッゴフゥ︱︱うゥッ、ゼェ、ゼほぉッ!!
不如帰は途端に火が付いたように咳き入った。胸を裂かんばかりの、
首を絞められた小鳥の悲鳴のような咳、咳、咳。
髪を乱し少しでも清浄な空気を求めて、咳き入り仰け反る度に、喀
血が口元から棚引いた。
﹁どうぞごゆっくり、﹂
楼主は感情を込めずに恭しく頭を下げ、格子戸の外側にある木製の
引き戸を閉めようとした、その時だった。
﹁君も観ていきたまえ、もう長くないだろう﹂
恍惚に口元を歪ませる紳士。そういう趣味か、と口の中で毒づきな
がら、一礼して側に侍る。
が、は⋮ッ、、ぅゥ・・ゴぼ、ヒィぃ︱⋮ゴほ、ゼフっケフケフ
ゲふゲふうゥゥ︱⋮ッ!ゴほぉ゛ッ!ぉッ、、
ぐッ、ゲフゲフゲフゲフゲフッ、ヒゥぅ︱︱⋮ごボゴホッ⋮っゼ
ふぉッ、、ゼふッ!
不如帰は紳士の腕の中で羽ばたくようにゼェヒィと烈しく咳き込み
身悶えては、口を押さえる間もなく喀血を吹き上げた。紳士は蝋細
工のような不如帰の鎖骨、肋骨、鳩尾とあらゆる場所に口接ける。
感情の無い啼鳥人形は、その感覚に反射的に身を震わせ、深く喘ぎ、
苦しく切なく啼く。
ッあ、ゼぉォ⋮っ、ゼほゼホンゼホンゼホンゼホンッガは⋮ッぁ、
、ッ!キヒュ︱︱⋮っゼぉッ、
ゼひぅ︱︱⋮ゥっ!ゼぉほォッッ、ヒ︱︱⋮ゼぇほゼフゼフゼフ
ゼフゼふぅうゥッ︱︱⋮!
真っ赤に染まった口を開け、ゼェイゼェイと、必死で空気を貪ろう
とするが、途端にゼふ、ゼふと烈しい咳になる。
まるで咳と喀血に凌辱されているかのような、悩ましい不如帰の肢
体。
11
ざわ、ざわり、
喘鳴がより強く胸を塞いだ。
そろそろだな、
楼主は思った。
キヒュ︱︱︱ゴボっ⋮っ、、ッゥぅ⋮ッゴぼゼぼンゼぼンゼッ⋮
ぉホッ、、
うゥゥ︱⋮ッ!ゼほ、、ゼほンゴぼンゴぼゼホンゼホン⋮っ、ッ
ガ、、は⋮ぁッ!
がぼ、と喀血が弧を描き、黒髪が宙に棚引いて舞う。きヒュ︱︱︱
︱、甲高く不如帰の胸が鳴く。力無く傾いだ身が格子戸にぶつかり、
ず、としなだれた途端、
がぼ、り、
咳にわなないた背が爆ぜ、ぶわりと目が眩む程に白いものが、花の
香と共に広がった。はらはらと花弁のように、降り注ぐ。
翼、が生えた。
背から広がる人の腕ほどの長さのそれは、まさしく白い翼だった。
不如帰の身体がぐらりと傾ぎ、紳士が抱きとめる。細い首ががくり
と仰け反った。口元からこんこんと血が溢れ、ごほり、最期の吐息
が紅い霧となって揺らぐ。
はらはらと、宙を舞っていた細かな羽が降る。桜の花弁のような、
紅い小さな葉脈を持った羽。背中の翼もよく見れば細長の花弁で、
まるで大輪の月下美人が咲いたようだった。
︱︱ゼ、ほッ⋮ェふ・・ッ、
不如帰が最期に小さく紅く啼いた時、ざぁ、と野分のような音と共
に、一斉に花弁が散った。まるで宿主の最期を花弁で彩るかのよう
に、はらはらと雪のように降り積もる。
12
︱︱これが、啼鳥のもう一つの由来
肺の病巣が羽のように植物質に変異していき、病巣が肺を満たすと
共に、烈しい咳と共に背を裂いて、咲く。
最期のひと時に咲く宿痾の花は、まるで天使の翼のようで、啼き声
に喩えられる咳や喘ぎと合わせ、肺病の人形に“啼鳥”の名を与え
た。
花の色は様々だが、量産品は大体が白く、花も小ぶりだった。
﹁量産品でこれだけ大輪の花を咲かせるとは、噂に違わぬ腕前だな﹂
紳士が着衣を整えながら囁く。楼主はお褒めに預かりまして、と一
礼し、メイドを呼んだ。朝には業者がやって来て、不如帰の亡骸を
処分するだろう。高級種であれば遺伝子や種を回収したり、プラス
ティネーションを施して鑑賞に回されたりもするが、量産品は一斉
に火葬されるのがせいぜいだった。
ほんの一夜、一瞬だけ花開く命。
︱︱あの啼鳥、翠玉はどんな羽を咲かせるだろう、
楼主は、未だ生々しく紅く光る不如帰の喀血を見やりながら、ふと
思い巡らせた。
13
小夜啼鳥
療養の甲斐あって、翠玉は次第に艶と芳香を取り戻していった。
ほとんど白に近い白金の髪に、やや切れ長の湖水のような翠の瞳。
咲き初めの薄紅の薔薇のような唇。そして薄青に艶めく白磁の肌。
普段は人形に対し感情を挟まない人形師でさえ、思わずため息をつ
くほどの美しさだった。
コホン⋮コホンコホンコホン⋮ッ、ごほっ、
ぅ、う⋮ゴホンゴホンゼホンゼィゼィゼィ⋮
夜闇が深くなる毎に、翠玉の咳は次第に激しさを増していく。濡れ
た瞳に、長い睫毛を憂鬱そうに伏せ、ひぅひぅと軽く胸を押さえる。
楼主は翠玉の背をさすりながら、レースや刺繍に彩られた、胸を締
め付けない衣装に着替えさせる。髪に、うっすらと緑がかった白い
花を散りばめた翠玉は、儚い精霊のようだった。
汚すことはおろか、触れることさえ躊躇わせるような美しさ。
ゴホン⋮ゴホンゴホンゴホンゴホンコンコンコンコン⋮っ、ッゼ
ぇィゼィゼィゼィ⋮
娼館の最上階に設けられた翠玉の部屋は、音が反響するよう円形の
鳥籠を型取っていた。石造りの娼館に、悲愴な咳がざわめきのよう
に反響する。翠玉は幅広の長椅子に横たわり、小夜曲を歌うように
咳き入る。
うぅ︱︱、ぅゥ︱⋮!ッごホ⋮︱︱ッぅゥ⋮ごほ、ゼィゼィ⋮、
ゼェェェィゼィッゼィッ、ゼホンゴホンゴホンゴホンゴホゴホゴ
ホゴホ⋮⋮
蝋細工のような手で口元を覆い、切なく苦しい呻き声を漏らしなが
14
ら、胸の宿痾を押し殺すように咳き囀る翠玉。
手折るのがためらわれるほど、悲愴に美しい花。
物憂げな瞳に長いまつ毛を伏せ、咳き込む度に、ふわりと強い百合
の清涼な香りと金木犀の甘い香りの混ざったような香気が溢れる。
純血種ならではの、長患いによる押し殺すような啼き声の悩ましさ
と、その儚げな風情に誰もが狂おしい思いにさせられた。
翠玉は鳥籠の中、一晩中囀り続ける。客の手前、夜間の介抱はメイ
ドの少女たちが全て行った。人間の美少女に傅かれる、病んだ宝石
のような人形。
好事家たちはほぅとため息をつき、翠玉を一夜買いたい、触れられ
ずとも一晩過ごしたいという客は引きも切らなかった。
﹁ご覧の通り翠玉は、口接ければ途端に散ってしまうほど脆弱。な
らばそれなりのお値段を頂くことになりますが、﹂
と数字を弾いて見せると殆どの客が押し黙り、手頃な量産品の“散
り遅れ”を求めに、階下の小部屋へと向かった。
触れれば途端に壊れそうな翠玉の儚い美しさ、悩ましい囀りに、娼
館の客は増すばかりだった。
夜通し囀り続け、白金の髪を惜しげなく寝台に広げて眠る翠玉。朝
陽に白い肌が青く透け、白金の髪が煌めく。咳き疲れ力無く眠る翠
玉は、未だ残る胸の痛みに眉根を寄せ、時折ごほごほと咳き入った。
その咳が酷い発作に繋がらないかと、楼主は毎日黄昏まで、眠る翠
玉の傍で過ごした。
﹁やはり純血種は比べ物にならないな。ただそこに居るだけで、あ
れだけの客を呼ぶんだから﹂
楼主は札束を指先で弾いた。翠玉の囀りが客を呼び、名もない“散
り遅れ”が啼いて血を喀き散らせた命は、既に億の金に変わろうと
していた。
﹁翠玉に一夜を過ごさせれば、その倍は手に入りますよ﹂
人形師がくすりと笑う。
15
﹁馬鹿な、その一夜で散らされたら元の木阿弥だ﹂
楼主は横目で翠玉を見やる。朝露に煌めく百合の花のような芳香が
漂っていた。
﹁出し惜しみしていると言われても否定はできませんね﹂
人形師は翠玉の薬と栄養剤を調合し、差し出した。
﹁自分でお与えなさい。私は残った“散り遅れ”を今宵まで持たせ
るべく、メンテナンスに忙しいので﹂
毒づきながら微笑む人形師に、楼主は舌打ちした。
眠る翠玉を抱き起こすと、翠玉は長いまつ毛を震わせて楼主を見つ
める。名前の由来でもある青みがかった透ける緑色の瞳が、大きく
瞬いた。
楼主をしっかりと捉える瞳には、一条の曇りも無く、ただ無垢だっ
た。
︱︱自分を売り、散らそうとしている男に?
戸惑いを覚えるほどの強い眼差しが、ふわりと揺らめいて再び目を
閉じる。
楼主は微かに震える手で、水飲みの口を翠玉の唇に押し当てる。
注ぎ込まれる栄養剤を、時折、こほ、こほりと噎せながら僅かずつ
飲み干していく。まるで接吻をする花嫁のように。こほり、と小さ
く咳き込みながら、翠玉は咲きほころぶような微笑みを浮かべる。
直向きな信頼と、安堵と、慈しみ。ただの反射にしか過ぎない微笑
みなのに、至上の愛情を向けられたかのような。
﹁翠玉、﹂
楼主は初めてそう呼びかけ、か細く震える背をかき抱いた。
翠玉が客を呼び続けて二度目の満月を迎えた頃、楼主はあることに
気づいた。
翠玉は咳き入る度に左胸ばかりを押さえている。囀りに痛々しい呻
き声が混ざるようになり、薬を吸わせてもなかなか治まらず、気が
16
つくと真っ青になっていた。
︱︱まさか、心臓病の併発?
ひとつひとつの病が品種となっている啼鳥だけに、その可能性は薄
かったが、翠玉の虐げられ様を考えればあり得ない話ではなかった。
一度詳しく検査をしてからメンテナンスを、と考えていたその時だ
った。
左胸を押さえ、はぁはぁと息を荒げたかと思うと、翠玉の身体がず
るりと、揺り椅子から崩れ落ちた。
ひゅうひゅうと、微かに吐息が通り抜けるような甲高い咳を繰り返
すと、ぜぇはぁと小刻みに喘ぎ、
ゼォほッッ︱︱!
まるで殻を割るような痛々しい咳が一つほとばしり、やっと息を吐
く。
﹁翠玉!﹂
ぜぉォォォ︱︱、ぜぃっぜぃっぜぃっぜぃっ、ぜぼっ、ゼヒぃぃ
⋮ッうゥ︱︱⋮!
ゼぉンゼほゼホゼホゼホ⋮うゥ、ッぜォぉぉぉッ、ゼひィィぃ⋮
︱︱ゴホンゴホンゼホンゼホゼホ⋮っ!
ゴンゴン、ゼォンゼホンと胸を押さえずには要られない、病が濃縮
したような音の咳を繰り返す。
呼吸の門を必死でこじ開けようとするかのような咳、咳、咳。
うぅゥ⋮!ッ︱ぜほっ、ゼぉォォ︱⋮ッ!ゼホッゼホンゼホンゼ
ホンゼホッゼホッ、ッは、はぁッ
ぅゥっ︱︱⋮!
ゼホンゼホンゼホンゼホンゼホン⋮っ!ゼはッ、ぁッ、ッゼほゼ
ホゼごッ
百も千も咳き入り続けると、力尽きて門を抑える手を離してしまっ
17
たかのように、はっはと無音の喘ぎに胸を掻き毟る。
真珠色の肌を青褪めさせ、汗に塗れ眉根を寄せて苦しみ続ける翠玉。
楼主は翠玉を横抱きに療養室へと走った。
﹁左肺の半分が真っ白ですね、﹂
人形師はX線写真を手に呟いた。
啼鳥特有の腫瘍︱︱羽根が、脈々と翠玉の胸を犯し始めていた。
﹁嘘だろ、あんなに金を注いで、これからという時に﹂
﹁注いだのは、金だけですか?﹂
苛立ちながらも不安の色を隠せない楼主に、人形師は微かな笑みを
浮かべた。真意を測りかねるといった面持ちで人形師を見上げる楼
主。
うぅゥ⋮︱︱っ、ゼェェ⋮っィぜィぜィぜィぜィ⋮ッ
はァッ、ぁあゥぅ⋮!、
っゼホゼホンゼホゼホッ、ゼぉォォっ、ゼぇほゼホゴホゴホゴホ
ゴホゴホ⋮はぁッ
ヒ︱︱⋮ゼぉ゛ォォォっ、はァッ、あぁッ⋮!ヒぅゥゥゥっ、ゼ
ッホゼッホ⋮!ゼホンゴホンゴンゴンゴンゴン⋮
途端、翠玉が魘されるように苦しみ始め、楼主は人形を抱き寄せた。
ゼぉゼぉ、ゴンゴンと息も吸えないほどの咳がほとばしり、楼主は
酸素吸入器を翠玉の口元にあてがうと、ゼィゼィと痙攣する背をさ
すった。
胸に巣食う翼は日に日に枝葉を繁らせ、翠玉は窒息するほどの咳が
止まらなくなり、真っ青になって意識を失うこともしばしばになっ
た。日に日に細る翠玉の身体は、ますます透きとおる程に儚さを増
していった。殆ど意識を失い、伏せられた瞼は青ざめて艶めき、夜
光貝のようだった。いつ息絶えてもおかしくない病状ながら、翠玉
の美しさは透明な純度を増していき、ますます散華の時を想わせた。
客からは散り際の迫った翠玉を買いたいという申し出が相次いだ。
18
楼主は苛々と価格を釣り上げていき、あれこれと客を断った。
せめて翠玉の代わりになる人形をと、払い下げ品業者を回ったが、
純血種とは名ばかりの療養の時間さえ残されていない品が、今にも
枯れそうに咳き入っているばかりだった。
自分でも説明のつかない苛立ちから、楼主は量産品の少女人形から、
淡黄色の髪に暗緑色の瞳の啼鳥を伽にと選んだ。
﹁量産品の小夜啼鳥ですよ、ちょうど翠玉と同程度の病状です﹂
見透かしたような人形師の瞳を睨めつけて、楼主は小夜啼鳥の少女
ゴホゴホっゴホンゴホンゴホンゴホ
を横抱きにして自室へ赴いた。
ゼホンゼホンゴホン、ゼホ
ン⋮
人間から見れば類まれな美貌だが、翠玉ほどに畏怖を感じさせるほ
どの美しさではない、ありふれた小夜啼鳥。
絶え間無く咳き込む胸は肋骨がくっきりと浮き、なだらかな蕾のよ
うな膨らみに触れると、ひ、と息の詰まったような甲高い喘鳴が漏
れ、ゼホゴホと烈しい咳が迸る。
患用人形の娼妓に、技巧は必要がない。美しい人形が苦しみ、喘ぎ、
身悶える姿は、それだけで客の愉悦を誘うからだ。
え゛ほっ、ゼほぉッッ!!
ゴ、ぇほぉォぉッ、、ゼぉ
しかし楼主は敢えてその咳き入る唇に、自身の屹立を押し込んだ。
︱︱!
ォォォ︱︱⋮っ!
ゼごぇェェっ︱︱⋮っ、ぐゥぅぅ⋮っゲぇほゼホゼホぉォッ、ッ
ぁぐっ、っゼほっ、、
ごぶ、と小夜啼鳥の喉が痙攣し、胃の腑を裏返す咳が溢れた。胃液
と唾液を滴らせ、ゼェほぐェほと咳き込んではだらしなく涙を流す
恨めしげに見上げることさえせず、ゼィゼィと喉を掻き毟る小夜啼
19
鳥の背を摩る。青ざめた肌の下で、背骨が折れそうに喘鳴に軋んだ。
嘔吐のような咳が治まった途端、楼主は小夜啼鳥を片手で抱きかか
え、何の躊躇いもなく、秘裂にずぶりと屹立を押し込んだ。
ンぅ・
ヒぃィィ︱︱︱⋮ッ! ッは、ゼホぉッぁ、はァッ、はっ、ヒぅ
ゥゥっゼホっゼゴぉッッ、、
ゼェェィゼィゼィゼィゼィ⋮ゴホっ、ゼホンゲホンゲホっ
・ゥ⋮っ!
悲鳴のような喘鳴が、闇を切り裂いた。
楼主の指で、動きで息を荒げ、ぜぇひぃと胸で鳴く啼鳥を玩弄した。
はァ、
ひゅうひゅうとか細い音を漏らしながら、はぁはぁと喘いだかと思
えば、何十秒も続け様に咳いて咳いて⋮
ゼゴぉぉォッ、、ゼぉンゼぉ゛ぉ︱︱⋮ゼぇホンっ!!
ゼはァ、ぅゥ⋮!
ゼホンゼホンゼホンゼホンゼホンゼホンゼホゴホゴホゴホ⋮ッゼ
ひィィ︱︱⋮ぅあァッ、、
見開いた瞳からだらだらと涙を流しては、薄い背をわなわなと震わ
せる。殆ど窒息している状態で、楼主の肩に、腕にぎりぎりと青褪
めた爪を立てて苦しむ小夜啼鳥。
肺が破裂するかのような咳がほとばしる度、花弁のような秘裂はき
ぅきぅと狭まり、奥深くまで棘を締め付ける。
︱︱かハッ、あァッ、ッヒュ︱︱⋮ゼぉンゼホ、ゼゴぉォォォッ
⋮!ゼェほゼホゼホンゼホンゼホンゼホン⋮
ゼヒッ、ハァ、ハぁァ⋮ゼっほォぉぉ!うぅ︱⋮っ!ゼホンゼホ
ンゼホンゼホンゴぉンゴンゴンゴンゴンゴン⋮
20
反射が喘ぎを起こし、また窒息と咳を呼ぶ。外から、内から、病に
貫かれ続ける患用少女。
︱︱翠玉、
楼主は無意識にその名を呼び、咳き喘ぐ青い花びらのような唇に口
付けた。
ぐゥぅぅ⋮ッふ、ゼふゥうゥゥ⋮
吹き込まれる煙草の香りに、華奢すぎる身体がびくりと軋み、
ゼぉォォ︱︱っ⋮ふッ︱︱!
!!
口の中で破裂する、病の芳香。逃れようともがく小夜啼鳥の背を羽
交い絞め、芳香を味わいながら、烈しく突き上げた。
ゼヒュ︱︱⋮っ、ゼヒュ︱︱⋮っゴぉンッ、ゼぉンゼぉンゴンゴ
ンゴン⋮ゼぉほォッ!
ゼェェェィゼィッゼィゼィっ、ゼぉォォォ︱︱⋮っ!ッゼほぉッ
ゼほぉッゼホゼホゼゴぇェェッ、、
背中が何度も割れんばかりに戦慄いて、肌越しにゼぉゼぉと喘鳴が
烈しく震えた途端、楼主の背筋を快楽がぞくりとなぞった。
その途端、
ゼォぉぉ︱︱⋮ッ、ゼゴぉォォっ︱︱⋮っ!!
ばさり、
強い、銀木犀のような病の芳香。肺を切り裂くような咳と共に、翼
が開花した。
ひゅー⋮ひゅー⋮と、首を仰け反らせて血痰の混ざった唾液を滴ら
せ、か細い息を繋ぐ小夜啼鳥。
苦悶に濡れた瞳が、最期の刹那に楼主を捉えたかに、思えた。暗緑
色の瞳は、ごぼごぼと最期の発作にぐるりと白目を裏返し、輝きを
21
失う。
ざぁ、と一瞬のうちに花弁が散り、力を失った身体はずるりと崩れ
落ちる。
瞳は白く見開かれ、だらしなく舌を出し、最期の最期まで咳に咳き
抜いて窒息したと知れた。
雪色の花の上に横たわる、欲望に塗れた亡骸。
︱︱⋮ッ!!
苦悶のうちに凍りついた死に顔に、感じたことのない罪悪感が込み
上げ、楼主はその場に嘔吐した。
22
羽根
名も無い小夜啼鳥を散らせてから三日、楼主は翠玉にも、他の“散
り遅れ”にも客を宛がうことさえ忘れ、日がな翠玉の傍らを離れな
かった。
ッぅぅ︱︱⋮ゼェィゼィゼィっゼィっゼェェェィ、︱うぅゥ⋮、
ゴホ⋮ッ、
ゼィっゼィっゼィっゼィっ、、
ッぅ⋮︱︱ゼほ、ゼぉンっゼほゼホッ、ぅゥ︱⋮っ!ゼホゴホゴ
ホゴホゴホゼホゼホ
うゥ、ッぜほっ、ゼひィィぃ︱︱⋮っゴン、ゼぉンゼホンゼホン
ゴホンゴホゴホゴホゴホゴホゴホ⋮っ!
力なくも烈しい咳は呻きと混ざり合い、うぅ、うぅぅ、とより悲愴
に白い部屋を切り裂いていく。
この三日間、どんなに薬を投与しても咳き止むことができず、眠り
に落ちるのは烈しい咳に失神した時だけだった。
薔薇は散る寸前が一番美しいという。
患用少女も同じなのか、翠玉の瞳の翠はますます深い色に透けてい
った。青く透ける肌の艶は煌きを増していくのに、目元と頬だけは
微熱に微かに火照り、艶かしく蒸気している。
咳とも喘鳴ともつかない吐息を薄い胸から奏で続ける翠玉。ゼィゼ
ィと喘ぐ度に、酸素吸入器の内側がほんのりと赤く煙った。魘され
るように無意識に胸を押さえ、水面から上がろうとするかのように、
首を仰け反らせる。
﹁翠玉、﹂
23
眠りの淵で苦しみに突き落とされる翠玉。楼主に出来ることは背を
摩ることと、点滴や酸素を追加するだけだった。
ゼェェ⋮ッ、ゼぉ、ゼホンゴホゴホゴホゴホゴホゴホ⋮ッ
キぅ、ゼぉ︱︱⋮ッゼホンゴホンゼぃゼぃゼぃゼぃ⋮
咳に揺り起こされ、身を折り曲げて胸を押さえてはゼィゼィと喘ぐ。
滅多に能動をしない患用人形が、無意識に胸を掻き毟り、吸入器さ
﹂
え剥ぎ取ってしまうほどの苦しみ。
﹁駄目だ、翠玉⋮
吸入器を押し当てようとした楼主の手に、ゼィゼィと縺れた咳がか
かり、霧のような血しぶきが肌を染めた。百合と金木犀の交じり合
ったような、篤い病の芳香が漂う。
ゼほっ!ゼほォおォっ!はァ、ヒぅゥ⋮!ゼェィゴンゴンゴンゼ
ォンゼォンゼごッ、
ッうゥ︱︱⋮!ぜほ、ゴッ⋮ほ!ゼはァっ、ぅぁ⋮ッ、ッゼぇェ
ほおォォっ!
翠玉の苦しみの叫びが咳と混ざり合う。物言えぬ患用人形の切り裂
くような囀り、苦悶の咆哮。人のそれよりも鋭く痛々しい胸を抉る。
烈しい咳に涙が散る。
ゼィっゼィっゼィっゼはァッ、うぁあッ、、ぐぅぅ⋮うゥ︱︱、ッ
!ッふゼフッぜふゼフゼフ⋮ゼフ、
うゥ︱︱⋮ッ!ゼホゴホゴホゴホゼホゼホゼッ⋮ほぉォ⋮ッ!ゼ
﹂
ひィィ︱︱ッ、
﹁翠玉!
楼主は思わずその身体を掻き抱く。腕の中で身悶える翠玉は、苦し
みのあまり楼主の腕に縋った。
24
意思ではない、反射に過ぎない、
その筈だった。
か細い身体から火照る熱、ぶわりと漂う病の芳香、苦しみの狭間の、
縋り求めるような眼差し。全てを楼主に委ねた、憐れみを乞う瞳。
︱︱翠玉、
︱︱ゼほッ、あァッ⋮!ヒッ、うぅ︱⋮っ!ゼぉンゴぉンゼホン
ゼォンゼホンゼビュぅぅぅぅ︱
ゼホンゼホンゼホンゼホンゼホゼホゼホゼホ⋮
ぅ、え゛ほっ、ゼほぉッッ!!
︱⋮っ、ッぁぐっ、ゼゴ、ゼビュぅゥゥ︱︱⋮っゼほっ、、
けぶるようだった血混じりの咳は花弁のように口唇を彩った。白い
肌に散る赤い花を、楼主は拭い、背をさすりながら、再び酸素吸入
器を宛てがう。
ゼっ、ゼぉッ︱︱ッゼはッ、ゼはァっ⋮!ゼぉンっ、うゥゼお゛
ほッッ!
ゲホンゴホンゴホンゼホンゼホンゴホンゴぉンゴホゴホゴホ⋮っ
!ゼぇェェ︱︱⋮っ!
っぐ、ゼぉォ︱︱っ、ゼェィゼェィゼイゼイゼィゼィ⋮ッうぅッ⋮
﹁翠玉!﹂
楼主は懸命に翠玉の骨の浮いた背をさする。必死の呼吸が僅かずつ
リズムを取り戻す。息も絶え絶えの中、翠玉は綻んで、微笑む。
まるで愛しむかのような、悲しまないでと訴えるかのような。
散る寸前の薔薇が風に揺れるような微笑み。
ぎしり、と楼主の胸が軋む音が、喘鳴の隙間に響いたような気がし
た。
翠玉の側に居れない夜の間、楼主は何も手に付かなくなり、幾度も
煙草を口にしては即座に揉み消した。
25
﹁何を躊躇っているんです。この時のために買ったのでしょう﹂
人形師は客に抱かれ喀血した量産品に、メンテナンスを施しながら、
冷ややかに問う。ぐったりと仰け反る量産品の白駒鳥の青年。琥珀
色の長い髪が、ずるりと弧を描いた。
ッカはァ・・ゼェぇ︱︱っぇフえふゼフゼフえフッ、ッひ、っゼ
はァあァッッ⋮!ゼほェ゛ッ、ゥえッ、
ハァっハァっ、ヒ︱︱ゴほ・・ぉッ・・!ゼェェふゼふゼフゼフ
っ、げフゼッフゼフゼフぅゼほェ゛ッ、ゥえッ、ハァっハァっ、
薄衣を肌蹴た、骨の浮いた胸が痙攣し、こんこんと喀血が細い顎を
伝った。乱れた前髪の間から覗く瞳が、涙に濡れた灰がかった翠で
あることに、楼主はぎくりとする。人形師はぽつりと、これはもう、
明日までもたないな、と呟いた。人形師の眼鏡の奥の瞳が曇ったこ
とに気づかないまま、
﹁わかってる、わかっているんだ、﹂
ぐしゃりと髪を掻き毟り、顔を伏せる楼主。
︱︱余命僅かな“散り遅れ”、使用価値は玩弄、それ以上でも以下
でもない、それなのに、
メイドの少女が駆け込んで来たのはその時だった。大変です、翠玉
さまが、息せき切った言葉の終わりを待たずに、楼主は椅子を倒し
て駆け出していた。
﹁翠玉!﹂
回廊にはぶわりと強い芳香が溢れかえっていた。
翠玉は辛うじて意識を保ちながら、両手を床につき、全身をこわば
らせて必死に呼吸を繰り返していた。
きぅぅ、しゅぅぅぅ、
扉の隙間から風が吹き込むような音が、薄い胸から漏れる。殆ど吐
くことさえできない息が胸を塞ぎ、汗と唾液がばたばたと細い顎か
ら滴った。
26
きぅゥゥゥ︱︱、しゅ、キぅ︱︱⋮ッゼゴぉぉッ︱︱、、ぅうッ、
しゅぅ、キぅぅ︱︱
重い岩を漸く動かしたような、ぜごりという咳が溢れたかと思えば、
また、キぅ、しゅぅ、と形にならない吐息が音を立てるばかりだっ
た。
翠玉は苦痛に目を見開き、生理的な涙をだらだらと滴らせながら、
はくはくと唇を震わせる。
﹁翠玉、翠玉、しっかり!﹂
楼主は酸素吸入器をあてがい背をさすったが、何の足しにもならず、
もはや喘鳴にさえもならない吐息にがたがたと震えるばかりの翠玉。
まさか、こんな形で、
艶かしい死の予感がぞくりと楼主の背筋を撫でた。
今まで数え切れないほどの人形の散り様を目の当たりにしたという
のに。
﹁どきなさい、﹂
人形師は楼主を押しのけ、酸素吸入器に薬を追加すると、翠玉を背
後から抱きかかえ、ぐぃ、と腕で胸を押し始めた。
ぐ、と痛みに翠玉の顔が歪み、ぜふり、という音と共に僅かに吐息
が漏れた。それと引き換えに、ひぅ、と薬の混ざった酸素を吸い込
む音。よし、と人形師は独語ち、再びぐぃ、と抱き寄せるように、
胸を押した。
ゼごッ、キひぃ︱︱⋮ッ、ゼひゥッ、キぅ︱︱⋮ッ、
何度も何度も肋骨が折れるほど、まるで心臓を押すように。
僅かずつ、吐息の通る音が大きくなっていき、その狭間にひぅっと
息を吸い込む音が響く。どのくらいそうしていたのか、翠玉の呼吸
はぜぃぜぃと壊れた風琴の音を立ててはいたが、規則正しい寝息の
速度になっていった。楼主はやっと安堵の息をつく。人形師は翠玉
を寝台に横たえると、僅かに肩を上下させながら、こほ、と小さく
咳を払って、楼主に向き直る。
﹁わかったでしょう、選り好みしている時間など、翠玉にはもう無
27
いのですよ﹂
額の汗を拭いながら言う人形師。その瞳の瑠璃の深さに、楼主はま
るで痛みをこらえるような、思いつめた眼差しで意識を失った翠玉
を見やる。
何かを感じ取ったかのように、人形師は楼主の肩に手を置いて囁い
た。
﹁今宵の内に客をあてがいなさい、貴方のためにも﹂
楼主は凍ったままの表情でその場に立ちすくんだ。
翠玉の傍らで、微動だにできない楼主。
﹁⋮⋮大丈夫、ですか﹂
まるで?のように血の気を失った楼主の顔を、人形師は覗き込んだ。
楼主は凍りついたまま、ぽつりと言った。
﹁暫く、翠玉と二人だけにしてくれないか﹂
ぜひぅ、ごひぅ、と縺れた絹糸のような喘鳴を零す翠玉。未だ苦し
げに眉根を寄せ、伏せた目蓋は夜光貝の内側のように青く、病み輝
いていた。儚いが故の美しさ。
もう翠玉は長くない、
まざまざと思い出されるのは、あの小夜啼鳥の死に顔。
楼主はふら付いた足取りで、室内に備えていた貴腐葡萄酒の瓶を手
にし、洋杯に無造作に注いだ。
左手の指輪を、縁にかちりと宛がう。石の細工が開いて、ぱらりと
粉が注がれた。
︱︱ゼぃッ、ゼほッ、ゴホゴホゴホ⋮
俄かに翠玉が咳き込み、楼主はぎくりと振り返ったが、翠玉は再び
ぜひぅ、ぜひぅ、と病んだ寝息を繰り返す。
︱︱翠玉、
痛々しく美しい、翠玉の寝顔。触れた刹那に壊れるほどの、脆弱す
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ぎる美しい人形。
楼主は燐寸を擦ると、一息に煙草の煙を胸深く吸い込み、翠玉を抱
き寄せる。
か細い身体がぐったりと仰け反り、淡い金の髪がずるりと波立った。
揺り起こされた翠玉は、はっと瞳を開けた。翠の瞳が楼主を見とめ
る。
翠、名を呼びかけ、楼主は口を噤んだ。翠玉は、病みやつれてなお、
綻ぶような笑みを浮かべ、ゆっくりと目を閉じた。
︱︱それはまるで、接吻を受ける花嫁のようにうっとりと緩慢な仕
草で。
﹁翠玉!﹂
ゼぉンゼェ
ゼゴぇェェ⋮っゼォンゼォ
楼主はその薄紅の花弁のような唇に口付けると、ゆっくりと胸に満
ちた煙を口移しした。
︱︱︱!
翠玉の身体が、腕の中で戦慄く。
ゼぉォォ︱︱っ!ゼォふ⋮ッ︱︱!
ンゼォンゼォンゼォンっ、、
ゼごッ、うゥッ︱︱、ゼぉォォ︱︱⋮ッゥゥ⋮!!
ェェィゼェィゼェィゼェィゼェィっ、、
口の中で翠玉の病が芳香となり、破裂する。
火が付いたような咳と喘鳴で啼き叫び、ばたばたともがき苦しむ翠
玉。
ぅゥっ︱︱⋮!ゼぉッゼぉ
ゼゴぉォォ︱︱っ、ゼごぉォォォッ、ゼホゼホゼホゼぇホンっゼ
ォンゼォンゼホンゼホン⋮っ!
ゼゴぉッ、ッぐ、ッゼほゼホゼごッ
ッゼぉッゼぉォォ︱︱︱っ、、
肺からの凄まじい嘔吐のような咳、咳、咳。ゼぉゼぉと胸が背中ま
で裂けそうな、深い病の音。まるで咳と言うより、羽根で塞がった
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胸の中、病んだ吐息でばんばんに膨れ上がった肺が破裂しているか
のような音。生理的な涙を流しながら、胸を押さえ、身を折り曲げ
て咳き入る翠玉。楼主の腕にしがみ付き、嘔吐のように涙を滴らせ、
胸を掻きむしって咳き入る翠玉は、まるで肺の内側から病に陵辱さ
れ、突き殺されていくかのようだった。
﹁翠玉、済まない、﹂
楼主は一息に、毒を入れた貴腐葡萄酒を煽った。
ッ︱︱!
がふり、喉が灼け、胃を焦がす毒に吐血が込み上げた。ばたばたと、
床を濡らす冴え冴えとした赤。
ああこれが、けれど喀血より苦しくはない筈だ、人形達の苦しみに
比べれば、
楼主は妙に冴えた思考で思った。
ばん、と大音を立て扉が開き、人形師が雪崩れるように駆け込んで
来る。
﹁馬鹿な⋮!何を、何をしたんですか!﹂
人形師が感情を露わに、楼主に掴みかかる。がふりと吐血が溢れ、
楼主は譫言のように翠玉を呼び、くずおれた。
ずるり、と二つの身体が折り重なるようにして床に臥す。
﹁翠玉!﹂
人形師がその名を叫んだ時、
ゼぉォォ︱︱⋮っ、ゼぉ、ゼゴぉぉぉ︱︱⋮ッ!
が、ば⋮ッ、、
胸を裂くような咳とともに、がばり、と背が爆ぜた。
ぶわりと咽るほどの芳香がほとばしり、白、いや淡い薄紅の羽根が、
視界を埋め尽くして広がる。華奢な身体はまるで、開花の芳香に吹
き上げられるかのように弾み、弧を描いて舞う。
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﹁すい、ぎょ⋮く、!﹂
吐血を繰り返しながらも、楼主は翠玉を抱き止めようとし、ずるり
と崩れ落ちる。抱き寄せた背の感覚が、楼主の意識をつかの間、明
晰にした。
﹁羽根、が﹂
人形師が目を見開く。
羽根は一翼、背中の左側からのみ広がっていた。翠玉はぐったりと
首を仰け反らせながらも、キぅ、しゅう、と力無い呼吸を繰り返し
ている。
﹁翠玉!﹂
人形師の叫びと共に、楼主の意識は暗がりへ落ちていった。
﹁︱︱本当は、気づいていたんじゃないか﹂
﹁さて、何のことでしょう、﹂
楼主の問いかけに人形師はくすりと笑う。
ッごホ⋮︱︱ッうゥ⋮ゼほ、ゼィゼィ⋮、ゼホンゴホンゴホン、
ゴホンゴホンゴホゴホゴホゴホ⋮⋮
娼館の最上階⋮天蓋付きの寝台で、片羽根の天使と見紛う人形が、
小夜曲を謡うように咳き入っていた。
桜のように淡い薄紅がかった羽根は、ひぅ、ぜひぅ、という呼吸に
合わせ、風にそよぐように揺れる。
翠玉は片翼のまま、一命を取り留めた。
右肺だけは犯されていなかったため死には至らなかったものの、酸
素メンテナンス無しには生きられない身体になってしまった。
寝台に横たわりながら、こちらを見やる翠玉。天蓋から紗がかった
薄絹のような幕で覆い、高濃度の酸素を循環させた寝台。
楼主もまた一命を取り留めたものの左半身に麻痺が残り、じわじわ
と毒が命を蝕んでいた。人前に出ることもなく、残された時を翠玉
の部屋で過ごしている。
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﹁最近客をえり好みしていると評判ですよ、値が十倍になったとも﹂
人形師は楼主が片手で入れた茉莉花茶に口を付けながら言う。
﹁人形に元手をかけるようになっただけだ、﹂
楼主は憮然とした表情なものの、何処か安らいだ声で返した。
娼館は、散り遅れの純血種が殆どになっていた。
魅了された客が幾度も通い詰め、身請けしたい、最期の散華を看取
りたいと思いつめて初めて、人形に触れることが出来る︱︱
徒らに人形の死を早める客の登楼を禁じずとも、客は畏怖を覚える
ほどの儚い美しさを前に、無造作に人形に触れることが出来なくな
っていた。
﹁同じ穴の狢を増やすようですね﹂
人形師はくすくすと笑う。
何とでも言え、と楼主は横目で翠玉を見やった。
ぜほ、こほり、力ない咳を繰り返す翠玉は、羽根に胸を蝕まれる前
よりも更に艶めいて美しく思えた。
﹁翠玉が散ったら如何するんです、﹂
人形師の言葉が鋭利に響いた。複製やプラスティネーション⋮そん
な姑息な技術では、楼主の慰めにならないことは明らかだった。
楼主は曖昧に、唇の端だけで微笑む。
その意味を人形師は鋭敏に感じ取った。
﹁愚かですね︱︱、﹂
愛おしむように、人形師は口にした。
ッ︱︱ごホッ、ゼホッ⋮ゼホンゴホンゴホンゴホンゴホン⋮ゼィ
ゼィゼィ⋮ゼほ、ゼほッ、、
翠玉の咳が尾を引くように止まらなくなると、楼主は足を引きずり
ながら立ち上がり、天蓋の中へ赴く。
背を擦り、薬を与えて、ただそれだけで、
遺された時は短いというのに︱︱
まるで労わりあうような、二つの影に、人形師は小さく息をついた。
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娼館には片羽根の天使がいる。
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PDF小説ネット発足にあたって
http://ncode.syosetu.com/n9289cd/
患用少女<翠玉>
2014年10月6日14時42分発行
ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。
たんのう
公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ
うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、
など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ
行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版
小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流
ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、
PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル
この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。
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