ライト兄弟による飛行機械の開発史 - 社会情報学科 - 岡山理科大学

平成 20 年度修士研究(共催:岡山理科大学)要旨
岡山理科大学大学院総合情報研究科社会情報専攻
ライト兄弟による飛行機械の開発史
−技術・構造分析と社会との関係−
情報社会システム研究室
I 0 7 V M 0 4
利
川
留
尉
はじめに
この修士論文「ライト兄弟による飛行機械の開発史−技術構造分析と社会との関係−」では、
二つの研究テーマを掲げた。まず彼らの飛行機械について技術と構造分析を、時系列で、そして
他の開発者との関わりで、詳細に解明した。また次に 1903 年の飛行実験成功後の飛行機と社会
の相互関係について、特許問題を核にして、研究をした。
第一章
第一節
飛行機械開発の始まり
飛行機械開発時の科学技術的な状況
19 世紀後半の欧米の科学技術は、電気技術の発達、蒸気機関から内燃機関への発明など、めま
ぐるしく進歩していた。しかし、飛行技術に関しては、ライト兄弟が有人動力の飛行機械を発明
するまでに、気球やそれを発展させ蒸気機関をつけた飛行船があったが、空中でのコントロール
を自在にするものには程遠かったのである。この飛行機械開発当時の科学技術的な状況を調べた。
第二節
ライト兄弟が飛行実験を行った動機
ライト兄弟が、空に羽ばたくきっかけとなったのは、1896 年、ドイツの航空研究家オットー・
リリエンタール(Otto Lilienthal 1848−1896)が飛行実験で墜落死した記事を見たのがきっかけ
である。当時、多くの研究家達が有人動力飛行を目標にしていた。中でもリリエンタールは、有
人動力飛行に最も近いとされ、世界的に注目されていた。墜落死した後も、彼の著書『鳥の飛行』
や実際の飛行実験などの資料は、多くの研究家達が参考にしていた、ライト兄弟も彼の資料を参
考にしていた。リリエンタール墜落死の 3 年後にライト兄弟は、本格的に飛行実験に取り掛かっ
ている。正にリリエンタールの飛行実験はライト兄弟の飛行機械開発の主要な動機と言えよう。
第二章
第一節
飛行機械についての実験方法と技術・構造分析
空気力学の実験
ライト兄弟も有人動力の飛行実験を成功させる 1903 年まで、1900 年から 1902 年までの 3 年
間、翼に影響してくる揚力、抗力について何度も風洞実験を重ねてきた。ニュートン、ベルヌー
イ、スミートン等、近代の空気力学での揚力、抗力の方程式の妥当性を検証した。
第二節
他の開発者の空気力学と飛行実験について
リリエンタール、ラングレー、シャヌートの各実験の詳細とそれを基にした彼らの構造的改良、
翼の形、実験方法を調査し、比較してその特性を調べた。それに対して、兄弟の実験方法につい
ても調査を行った。結果として、揚力、抗力、そして空を飛ぶための最適な翼の形を見つけ出し、
1903 年 12 月 17 日の初飛行を成功させたのである。
第三節
風洞実験と飛行機械の構造と改良〔翼の形態、断面、アスペクトについて〕
ライト兄弟独自の風洞実験の詳細と結果の解析を、資料を基に行った。ライト兄弟は、効率の
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良い翼をみつけるために風洞を作り、その中に翼の模型を何
タイプも設置し、風を送り込んで実験する方法を試したので
ある。翼の模型に設置してある角度計から変化する数値を読
み取っていた。そこで、キャンバーとアスペクト比の効果に
気付き、翼についての理論を成熟させていった。左の写真は、
ライト兄弟が実験を行った風洞である。中に翼の模型を置き
実験を行っていた。一般的にキャンバーを大きくするほど、
得られる最大揚力係数も増加するが,同時に抵抗も増大する。また、翼のアスペクト比とは、翼
の縦(翼弦)と横(全幅)についてあらわしている比率のことである。翼は細く長いものほど効率が良
く揚力を得るとされている。
第四節
飛行成功の三要因
①たわみ翼について
たわみ翼(twist wing, wing warping)とは、翼の先端をねじることで、翼にかかる揚力、抗力を
調節し、空中での左右のバランスをとるものである。上の図は、たわみ翼の実験をするためにラ
イト兄弟が製図した凧の設計図である。
たわみ翼の使用目的として、飛行機を左右に旋回させる機能は方向舵(垂直翼)が担う役目である
が、それだけで旋回を行うと機体が横滑りするという問題が生じる。
横滑りは、機軸と飛行方向とが一致しない現象で、横滑りは旋回時に昇降舵と方向舵とのバラ
ンスがとれていないときなどに発生する。横滑りを起こさずに旋回を行うには、機体を旋回する
方向に適切にロールさせる必要がある。
② 推進機関 (内燃機関、プロペラ) について
チャールズ・テイラー(Charles E. Taylor 1868−1956)は、1902 年 3 月からエンジンの設計を
6 週間で完成させ、その後、組み立て、調整までを行った。左の写真は、当時設計されたエンジ
ンの枠組み(レプリカ)である。そして 1903 年の 2 月エンジンを完成させている。エンジンの開発
で彼がいなければ、飛行実験が遅れていたのではないかと考えられる。そして、ライト兄弟が風
洞実験で研究し、開発したプロペラが合わさることで推進機関が完成した(右の写真)。
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③ 自然条件について
飛行実験を行っていたキティーホークは、一定の風が吹き、緩やかな傾斜であった。向かい風
を受けることと、緩やかな傾斜を下ることで、より多くの揚力が翼に発生し、グライダー実験で
成果を出すことができた。そして、そこに推進機関が加わり、さらにたわみ翼などが合わさるこ
とで、ライト兄弟の飛行実験は成功している(左の写真)。これらの関連性は、同日 4 回の飛行実
験(1 回目:12 秒 36m、2 回目:13 秒 58m、3 回目:15 秒 60m、4 回目:59 秒 260m)で着実に距離を
伸ばしていることが確認できるため、よってこの実験の成功は偶然的なものではないといえる。
飛行実験が成功したことについて、家族に電報を送っている。実験の成功に興奮していたため
か、スペルミス等の間違いも見受けられる(右の写真)。
第三章
第一節
特許問題と社会との関係
特許問題の経緯について
1908 年 6 月 20 日、ライト兄弟が、グレン・カーチス(Glenn Hammond Curtiss 1878−1930)
の製作した飛行機械が特許に抵触しているとして警告した。しかし、カーチスはその警告を無視
したのである。そこで、1909 年 8 月 18 日にライト兄弟は、カーチスが特許を侵害したとして提
訴したのである。ここから、特許問題が始まっていった。最終的にライト兄弟の訴えは認められ
たが、途中、兄弟の特許にカーチスのエルロンが触れているのかが明確でないということで、彼
らの訴えを認めない判決も下されている。
第二節
特許問題に関わった人物・組織
グレン・カーチスは、彼の作るオートバイのエンジンが飛行機械に適しているということで
AEA が召集した人物である。そこで、カーチスは AEA で飛行機械について学び、自身のエンジ
ン搭載、飛行機械のデザイン、そしてエルロン(翼の一部を独立させて動かす方法)を用いて飛行実
験を成功させ、飛行機械の仕組みを理解し会社を設立し飛行機械の販売を試みた。しかし、彼の
採用しているエルロンが、ライト兄弟の特許のたわみ翼に抵触すると警告を受け、特許問題が起
きたのである。この特許問題は、当初は構造上の問題が争点であったが、当時の産業化が進むア
メリカ社会において、開発された技術品に対する経済的利益の側面も及んでいた。
第三節
特許問題が与えた社会的影響について
① 判決確定後の開発者たちの対応
飛行機械の開発者たちにとって、ライト兄弟の特許は非常に邪魔なものであった。そこで、ラ
イト兄弟よりも先に飛行実験したサミュエル・ラングレーの飛行機械をもう一度復元し、ライト
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兄弟よりも先にもしラングレーが飛行機械の実験が成功することができたと証明できれば、ライ
ト兄弟の特許は無効になるのではと考えたのである。
その結果として、ラングレーの飛行機械を、当時の機体から何箇所も手を加え復元することで、
飛行実験は成功し、スミソニアン博物館では、ラングレーの実験機を人類初の飛行することが可
能であった機体として展示したのである。そこでオービル・ライトは、スミソニアン博物館に取
り合ったが相手にされず、そのためライト兄弟の実験機であるライトフライヤーをロンドンの科
学博物館で展示することを決意したのである。
② 特許問題がどのように報道されたか
最先端の科学技術品ということで社会的注目もあり、ライト兄弟とカーチスの特許問題につい
て、当時の新聞でも取り上げられている。1910 年 1 月 3 日にニューヨーク州での特許控訴裁判の
判決についての記事が、スクラップとして残っており、そこでカーチスがライト兄弟に負けたと
いう見出しで掲載されている。また、当時の航空機に関する記事も数多く取り上げられている。
そして、1928 年のスミソニアン博物館に、ライトフライヤーの展示問題について取り上げられた
記事も残っている。
おわりに
ライト兄弟が飛行機械を開発した時代は、世界的に科学技術が飛躍していった時代である。そ
こで、彼らの考案した翼をたわませながらバランスを取るたわみ翼と、非力ながらも軽いエンジ
ン、そして風洞実験で効率のよいプロペラを編み出しエンジンと組み合わせることで推進力を生
み、そして自然条件を味方につけることで飛行機械は実験を成功させたのである。また、飛行実
験が成功したことで飛行機械について注目され、ライト兄弟の特許が飛行機械を開発するにあた
って障害となったが、他の研究者たちはそれに対抗するため、たわみ翼ではなくエルロンを採用
したのである。これは現代の航空機にも採用されているため画期的な考案であった。また、飛行
機械の特許について争うことで、世界的にも飛行機械について注目を集め、その後急速に軍事的
転用への途を歩むと共に交通・運輸面にも大きな影響を与えていくようになったのである。
参考文献
[1] Russell Freedman,“The Wright Brothers”Holiday House New York 1991
[2] Orville Wright,“How We Invented The Airplane”Dover Publications 1988
[3] Marvin W. McFarland Editor,“The Papers of Wilbur and Orville Wright”McGraw-Hill Book 1953
[4] Fred Howard,“Wilbur and Orville”Dover Publications 1998
[5] Tom Crouch,“Bishop’s Boys”W. W. Norton & Company 1989
[6] Jack Carpenter,“Pendulum”Arsdalen Bosch & Co. 1992
[7] Tom D. Crouch,“A Dream of Wings”Norton 1989
[8] Octave Chanute,“Progress in Flying Machines”Dover Publications, Inc. 1997
[9] 原 俊郎 著『ライト兄弟の秘密』叢文社 2002 年
[10] 鈴木 真二 著『ライト・フライヤー号の謎』技報堂出版 2002 年
[11] 加藤 寛一朗 大屋 昭男 柄沢 研治 著『航空機力学入門』東京大学出版会 1982 年
[12] 有賀 貞 大下 尚一 編『新版 概説アメリカ史 ニューワールドの夢と現実』有斐閣選出版 2002 年