*射 アー -」 よって は内外 贈され 射場天体観測 ーカイブ室新 という

アーカイブ
ブ室新聞
(2013 年 9 月 2 日
第 694
6 号)
台・天文情報
報センター・アーカイブ
ブ室
国立天文台
中桐正夫
射場天体観測
測所の望遠鏡
鏡の一部を発
発見
*射
アー
ーカイブ室新
新聞第 693 号(2013
号
年 8 月 30 日)に「射場天体観測所一覧
覧を収蔵-そ
その 2
-」という記事を
を書いた。射
射場天体観測
測所は昭和 3 年(1928 年)、神戸市
年
市に射場保昭
昭氏に
て設立された
た私設天文台
台である。射
射場天体観測
測所の機材は
は当時の天文
文観測機材と
として
よって
は内外
外でも有数の
のものであっ
った。それら
ら射場天体観
観測所の一切
切が 1946 年に
に東京天文台
台に寄
贈され
れた。しかし
し、東京天文
文台から改組
組された国立
立天文台では
はその機材が
が星図の一部を除
写真 1
7 吋半屈折赤
赤道儀
き、全
全く残ってい
いないのであ
ある。その痕
痕跡すらない
いということ
とは非常に不
不可解なこと
とであ
る。写
写真 1 は、射場天体観測
射
測所一覧の第 1 ページに掲
掲載された 7 吋半赤道義
義望遠鏡であ
ある。
アー
ーカイブ新聞
聞 692 号(20
013 年 8 月 229 日)に書い
いたように、2013 年 7 月
月になって、国立
科学博
博物館の西條
條氏から射場
場天体観測所
所の機材の一
一部が川崎に
にあるらしい
いという情報
報が入
ってきた。京都大
大学総合博物
物館で「射場
場保昭展」が
が検討されて
ており、射場
場保昭氏につ
ついて
が集められて
ていたのであ
あろう。大阪
阪市立科学館
館の嘉数次人
人氏からの情
情報で射場天
天体観
情報が
測所の
の機材の一部
部が川崎の科
科学館にある
るというので
である。そこ
こで 2013 年 8 月 22 日、国立
科学博
博物館の洞口、中島氏と川崎青少年
年科学館に調
調査に出かけ
けた。川崎青
青少年科学館
館では
国司氏
氏のお世話で
で射場天体観
観測所から東
東京天文台に
に寄贈された
た望遠鏡が川
川崎天文同好
好会の
箕輪敏
敏行氏から川
川崎市に寄贈
贈されたとい
いう望遠鏡の
の一部を見せ
せていただい
いた。
射場
場天体観測所
所の機材一切
切が 1946 年 に東京天文台
台に寄贈され
れたが、現在
在ではその所
所在が
明らか
かでない。射
射場保昭氏の
の御次男の射
射場満家氏が
がお父上から
ら聞いた話で
では、姫路出
出身の
東京天
天文台の先生
生と寄贈につ
ついての相談
談がなされた
たということ
とから、東京
京天文台への
の寄贈
にあた
たっては、広瀬秀雄氏が
広
が窓口で行わ
われたようで
である。アーカ
カイブ室新聞
聞第 662 号で
では、
これらの機材の一
一部が流星写
写真儀に転用
用されたとい
いう情報をも
もとに記事を
を書いた。今
今回は
青少年科学館
館での調査に
について報告
告したい。
川崎青
川崎
崎青少年科学
学館に保管さ
されていたの
のは、写真 1 の 7 吋半屈
屈折赤道儀望
望遠鏡の赤道
道儀の
一部の
のようであっ
った。射場天
天体観測所の 7 吋半屈折望
望遠鏡の赤道
道儀は背が高
高いのである
るが、
川崎青
青少年科学館
館の倉庫に保
保管されてい
いた赤道儀は
はそれほどの
の高さがなか
かった(写真 2、
2 3)。
写真
真2
写真 3
写真
真 2 がドイツ式赤道儀の
のコラム部分
分であり、写
写真 3 が赤経
経赤緯軸及び
び望遠鏡取付
付台部
分であ
ある。この赤
赤道儀には 20 ㎝反射望
望遠鏡(写真 4)が載せられ
4
れていたそう
うで、川崎に
に持ち
込まれ
れた時点で 7 吋半の屈折
折望遠鏡はな
なかったよう
うである。こ
この赤道儀に
に 20 ㎝反射望
望遠鏡
が載せ
せられた状態
態で川崎青少
少年科学館に
に川崎天文同
同好会の箕輪
輪敏行氏によ
より寄贈され
れ、現
在、川
川崎市の文化
化財に登録さ
されていると
とのことであ
あった。箕輪
輪敏行氏ご自
自身が東京天
天文台
の冨田弘一郎氏か
から譲り受け
けたと話され
れていたこと
とから、この
の赤道儀が射
射場天体観測
測所か
京天文台に寄
寄贈されたも
ものの一部で
であることは
は確かなようである。
ら東京
写真
真4
載って
ていた20㎝
㎝反射望遠鏡
鏡
真 1 の赤道儀
儀のコラムは
は2段に繋が
がれており、
川崎青少年科
川
科学館に存在
在する赤道儀
儀は、
写真
その上
上段部分と思
思われる。射
射場観測所一
一覧の7吋半
半屈折赤道義
義望遠鏡の欄
欄には機械部
部分は
西村製
製作所製であ
あると書かれ
れており、川
川崎青少年科
科学館の赤道
道儀のコラム
ムには写真 5 の名
盤が付
付いていた。
。
写真 5 西
西村製作所の
の名盤
真 1 でみると、射場天体
体観測所での
の 7 吋半屈折
折赤道義望遠
遠鏡は重錘式
式のガバナー
ーによ
写真
る運転
転時計駆動で
であったが、
、川崎青少年
年科学館にあ
あった赤道儀
儀はモーター
ー駆動に改造
造され
ていた
た。
射場
場天体観測所
所の機材の一
一部を発見で
できたことは
は、国立天文
文台でアーカ
カイブをやっ
ってい
る者にとって非常
常に幸運であ
あったと思っ
っている。こ
このことにつ
ついて情報を
を寄せてくだ
ださっ
た大阪市立科学館の嘉数次人氏、国立科学博物館の西條恵一に感謝する次第である。
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ければ幸いです。中桐のメールアドレスは、[email protected]