11・文化という名の下に 2010.12.15. 成蹊・文化人類学Ⅱ 11・文化という名の下に 2010/12/15 - [2] [11/24]文化財はどうやって決められるのか 市町村のレベルでは、各自治体の教育委員会が管轄する 行政の部門としては「社会教育」が相当する 具体的にどれを文化財に選ぶか・選ばないかの判断は、 教育委員会のもとに設置される文化財保護委員会が担当 する 文化財保護委員会の委員は、通常教育委員会から委嘱された「学 識経験者」あるいは「文化財有識者」 より具体的には、たとえば高校の歴史の先生とか、小学校の校長 先生とか、地元の郷土史家とかが候補となる 都道府県あるいは国レベルでも基本的には同様 国の場合は、文化庁に専門の調査官がおり、外郭団体として有識 者による文化審議会および文化財専門調査会が設置されている 11・文化という名の下に 2010/12/15 - [3] [11/24]文化財の所有者は? 通常、文化財指定と同時に即座に国有財産あるいは公有 財産になるわけではなく、それまでの所有者が継続して 所有権を有する ただし、所有者はその文化財を管理する「義務」を負う ことになり、私有財産として勝手に処分することはでき なくなる さらに、管理のためにかかる経費は原則として「自己負 担」である 経費が過大な場合は、公費による補助金支出も認められるが、通 例全額補助されることはない また、多くの文化財は一定の「公開」が求められる 11・文化という名の下に 2010/12/15 - [4] 文化財のジレンマ 文化に優劣はつけるべきではない←→文化を文化財と して保護しようとすれば順位付けせざるを得ない 文化財はできるだけ保護するのが望ましい←→保護す るのには費用や人的資源が必要である 有識者が密室で文化財を決定するのは民主的ではない ←→文化財の価値をランキングするには一定の知識が 必要である 文化を保護することと観光に利用することは別である ←→観光で稼ぎでもしなければ保護するための金銭支 援も人的支援も得られない 11・文化という名の下に 2010/12/15 - [5] 「文化」が地方に与えた2つの課題 地方はもっと「文化的」でなければならない 地方は「文化」を保存しなければならない 概ね1960年代まで 概ね1980年代以降、現在まで 1950~60年代の自給自足→大量消費で起こった社会変 化(cf. 10月に確認した映像資料)からやや遅れて、1970年代 を転換点として「文化」の意味づけが大きく変化する 11・文化という名の下に 2010/12/15 - [6] 第1の課題:地方はもっと「文化的」であれ 地方の「封建遺制・因習」は、文化国家日本の足手まと い 物質的・経済的発展が「文化」であり「善」 地方の〈文化〉は否定・駆逐・矯正 地方改良運動(1900年代末~1910年代) 民力涵養運動(1910年代末~1920年代) 生活改善運動(1940年代末~現在、ピークは1950/60年代) 浪費・虚礼・怠惰・貧困・非効率・不衛生・地域間抗争 といった「悪」のない「地方」へ 文化的地ならし 11・文化という名の下に 2010/12/15 - [7] 第2の課題:地方は「文化」を保存せよ 地方には、実は豊かな「文化」が残されているから、 それを次世代に向けて継承し保持せよ 第1の課題とは異なる意味=「日本の伝統」としての 「文化」 1970年代の3つの舵の切り替え 1. 2. 3. 高度経済成長の浸透、文化的地ならしの完了 「地方の時代」1979年長洲知事発言 /「文化の時代」197980年大平総理諮問機関 1975年文化財保護法改正→「日本人のこころのふるさと」と しての地方の祭りの位置づけ 11・文化という名の下に 政策テーマの変遷 2010/12/15 - [8] 11・文化という名の下に 2010/12/15 - [9] 「文化を売り物にする」という戦略 「文化」を観光資源化して外部に対する売り物にする 地域の歴史・文化と生産品をリンクさせ、それを観光と パックにして外部の需要を呼び込む 地域に根ざした一次・二次産業育成をめざす「まちおこし・むら おこし」事業と並行 全国規模でパッケージングが行なわれ、「文化」が商品化されて ゆくのが、1980年代後半から 国のお墨付きや日本○○選選定により、ナショナルな格 付けが進行するのが1990年代半ば以降 cf. 成蹊学園の欅並木は、1982年に都民の日制定30周年記念として 「新東京百景」に、1996年に当時の環境庁によって「日本の音風景 100選」にそれぞれ選ばれている
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