これからの船員教育 - 日本航海学会

第129回講演会(2013年11月8日,9日) 日本航海学会講演予稿集 1巻2号 2013年10月3日
これからの船員教育
○正会員
非会員
西井
原
典子(富山高等専門学校)
大伸(新日本海フェリー株式会社)
正会員 山谷
尚弘(富山高等専門学校)
非会員
博(富山高等専門学校)
見上
要旨
船舶職員養成施設において昔から行われてきた教育内容が、失われつつある。その結果、現在の学校では、
船に対する職としての「厳しさ」
「楽しさ」を正確に伝えられなくなっている。専門教科の知識だけでは、将
来、船員として働く際の船の仕事に結びつく結果とはならない。船の魅力を感じないまま、船員を目指す学
生は船社会に送り出されているのが現状である。これを改善するためには、学生が、知識の習得だけではな
く、同時に経験をもって船を身近に感じる事が必要である。本研究では、実践的な活動をもとに船仕事を経
験させ「知識」「技術」
「精神」を結びつける教育を検証し、船員を目指す学生への教育改善策を提案する。
キーワード:教育・訓練、船員、職
1. 研究の背景と目的
一つの方策として、船舶職員養成施設における教育
の在り方を見直すことが挙げられるのではないだろ
近年、船員として働き始めたにもかかわらず、短
期間で離職する傾向がある。船員として乗船したが、
うか。
結婚や子供の成長、親の老後の心配などから、船の
船員を目指す者にとっての入口である商船系学校
職を辞める者も中にはいる。このような理由で職を
は、船員の魅力を十分引き出し、海運業界で活躍で
辞めたり転職したりすることは仕方ないかもしれな
きる人材を育て上げ、社会へと送り出す必要があり、
い。一方で、船員としての技量不足から離職する者
その責務を負っている。この学校、すなわち船舶職
もいるのが実情で、早期離職の理由としては本質的
員養成施設が、
“船の学校”としての船らしさを欠い
な問題である。早期離職者が増加してしまうと、乗
てしまっている状況を見直し、かつ、船員を目指す
船実務経験が生かされる海上勤務と陸上勤務を結ぶ
学生が、船員の仕事に活かせる基礎知識や技術力を
オペレーター職に必要な人材、つまり船員特有の会
習得することによって船員としての柔軟な判断力や
話を理解でき、円滑な海上業務支援を行う人材も同
行動力を身に付けられるような環境を築き上げてい
時に失うこととなる。この職も船員経験者が繋いで
かなければならない。そこで本研究において、船員
いく道の一つであり、技量不足から早期離職をする
を目指す学生への教育活動についての改善策を試み
者が増加すると、海上の海技者から陸上で働く海事
ることとした。
者へと転向する者が減り、たとえ転職しても、海事
2. 現在の傾向
技術者として存在することを選ばずに他業種の職を
現役の船員 60 名に対し、就職後に離職を考えたか
選ぶこととなる。このようなことから「船から陸」
どうかについてアンケート調査を実施した結果、船
への道を業界内に留めることが難しくなってきてい
員として就職してから 3 年以内に離職を考えた人は
る。この悪循環が、今後の我が国の海運業界の持続
18%、5 年以内の人は 33%存在した。一般的に、就
発展に悪影響を与えることは必至である。少なくと
職したならば「石の上にも 3 年」と例えられるよう
も、技量不足による自信喪失で早期に離職すること
に、最低 3 年間は同じ会社で働き続けるべきであり、
は、その根本的な原因を摘み取り改善しないと解決
その期間を越えることができなければ、職場で耐え
できない。この原因に対し、今から改善するための
て働き続ける力のない早期離職者とみなされる。で
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は、船員については、採用後からどれだけの期間を
古い文化(強い縦社会組織)が残っていることから、
耐え抜いて働くべきと考えられているのか。前述の
船員として働く者は、
「新しい知識」と「昔からの知
アンケート調査時に、
「船員として一人前になるまで
識」との両方をバランス良く理解出来なければ、職
の期間はどれくらい必要と言えるか」という質問で
として受け入れられない実情がある。
また、既述の早期離職に該当する時期を乗り越え
インタビュー調査を実施した。
た現役の船員からは、早期離職をする者については、
船員を辞めようと考えた時期
就職前の船に対する意識が欠けていること、または
集団生活に対する考え方に甘さがあることが原因で
11%
7%
1年以内
はないかという意見が寄せられた。そのほか、人事
3年以内
担当者および実務経験者からは、早期離職に加え、
5年以内
48%
15%
6%
13%
船員として求められるレベルへ技術力が到達するま
10年以内
その他
でに要する期間が長期化していることも目立ってい
考えていない
るという声が聞かれる。技術力到達までに要する期
間が長期化した結果、現場で「使い物にならない」
と言われる人材が増えているのである。
この背景として、まず、就職前の段階である学生
図 1 船員へのアンケート結果
「一人前になるまでの期間」とは、船員として少
時代に要因が存在すると考える。学生に目を向ける
なくとも必要な知識や技能を身に付けた経験者とみ
と、それぞれの将来に向けた勉強や努力の姿勢に違
なされる時期と言い換えることができる。すなわち、
いが存在しているのである。将来の目標をしっかり
一人前に到達する前に離職する者は、経験未熟での
と持ち、それに向けて努力をする学生は、優秀な成
離職となるため、その職を離れるには時期が早いと
績を収め、海技士筆記試験も順調に合格していく。
いうことである。インタビュー調査の結果、約 20
一方、目標が見えていない学生は、成績が思わしく
名に回答を求めた結果、ほぼ全員が最低「3 年~5
ないことを理由に大手船会社への就職を目指ざそう
年必要である」と回答した。船員として 3~5 年間は
とせず、また海技士筆記試験の受験もしようとしな
継続して働かないと、船の仕事に携わった経験者と
い。後者は自分の能力を向上させて就職活動に挑戦
しては認められないことを示している。つまり、5
しないため、採用条件が比較的容易な会社に職を求
年以内に離職することは、早期離職であるというこ
める傾向がある。これが結果的に二極に分かれた船
とがわかる。船員として就職した者が早期離職をす
員を作り出してしまうのである。二極とは、職場に
る要因は様々あるが、世間一般に言われる「ゆとり
おいて、現在の自分より上のレベルを目指して努力
世代」が職としての教育においても悪い影響を与え
をする者と、その一方で、ぬるま湯状態を好み、向
ている。
「教育する側」と「教育を受ける側」との双
上心を持たない者のことを指す。特に後者は、実際
方が、いろいろな問題を「ゆとり」の一言で諦める
に現場では「高専卒の三級留まり」と呼ばれ、問題
傾向が見られるようになってきた。また、携帯電話
視されている。これは、自然と築き上げられる船内
やメールへの依存により、船内の電波環境の悪さか
の縦社会組織のバランスを崩す結果となり、新人船
ら周囲とのつながりを失ったように感じて不安にな
員の成長の妨げにもなっている。そして、成績中間
ったり、集団生活におけるストレスを感じたりして、
層に位置する学生は、進学や陸上企業へ就職するた
一人の時間を好む若者世代にとっては、自分の時間
め、前述のように両極端な船員となる新卒者が社会
を犠牲にしたくない傾向が生まれていることも要因
に送り出されているという実情があるのである。
企業においては、新人教育を行うにあたり、新卒
の一つと考える。しかし、船の世界では、現在でも
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者の船に対するレベルの低下が新人教育期間を伸ば
動は少しずつではあるが、企業に評価して頂いてい
しており、新人教育期間内では独り立ちできない者
る実績がある。
も多く、職員採用を見送られる者もいる。この期間
4.航海コースにおける活動案
内に早期離職してしまう者は多数で、教育途中での
航海コースにおいては、判断力と行動力とがバラ
挫折は企業にとって大きな損失となる。本来、新人
ンス良く身に付く教育が必要である。行動力ばかり
教育期間に職として定着させる事が重要であり、こ
が先走りする行動は「俺様」文化を増大させ、他人
の期間を乗り越えた船員は、
「責任感」と「職に対す
の意見を聞こうとしない人材を創ってしまう。これ
る誇り」を重視するようになり、船員としての資質
が当直中のミスを指摘出来ない状況を作り出し、事
が上がるのである。自己完結を必要とする船舶にお
故につながることとなる。的確な判断は、正確な行
いて、船員はすべてを自分たちの力で解決し、安全
動となる「技術」である。操船においては、経験は
運航を行わなければならない。プロとしてのプライ
もちろんのこと、常にシミュレーションすることを
ドを持つことが必要とされるため、船員を目指す学
心掛け、最悪の事態を回避していかなければならな
生は船舶職員養成施設で基礎を学び、その後は企業
い。人間は、訓練とシミュレーションを繰り返し行
がプロとして育てる必要がある。
うことにより、的確な判断を下す事ができるように
3.学校教育における改善策の実施
なる。大型船舶に乗れなくても、実際の船の動きを
昨年度より、富山高等専門学校商船学科機関コー
体験して学ぶことができるように、練習船や小型舟
スでは、
「機関学同好会」
(在籍者17名)を設立し、
艇を利用して、追越し、行会い、横切りなどの見合
職を学ぶ「機関塾」となる活動を開始した。本活動
い関係を作り、実海域における操船の判断と各船種
は、本校練習船「若潮丸」の機関室及び実験室を利
による見え方や操縦性能を実感させ、判断力を鍛え
用して、授業カリキュラムの実習では行われていな
る実習も有効であると考える。船橋においては、適
い現場の仕事(整備作業)を学ぶものである。実際
切なコミュニケーションが、人的要因による事故を
の現場の技術を正確に伝えることにより、学生が職
防止あるいは抑制できることは言うまでもない。船
に対する考えを学ぶ機会を与えている。この活動に
員としてのコミュニケーション能力を向上させるた
より、同コースにおいて、進路として船会社を希望
めには、集団生活を円滑に行う能力を養うことで身
する者の全員が、海技士二級筆記試験に合格し、一
に付く。この能力の取得と向上に有効な環境が、寮
級筆記試験の合格者もそのうちの 8 割に達しており、
生活と乗船実習である。様々な考えをディスカッシ
学生に自分の進路を考えるための良い影響を与え、
ョンすることが、発言による行動力と、聴くことに
目標を達成させる効果を生んでいる。これら筆記試
よる対話力(言葉選び)からの判断力を育てる効果
験合格者には、海技免状に恥じることのない技術を
を生むのである。こうした能力が培われれば、航海
身につけることを目標に活動させている。今後、富
士、操舵手の当直中の操船ミス等も、会話によって
山新港に係留中の帆船「海王丸」の機関ボランティ
十分回避できることとなる。学生に、操船実例を積
ア活動や技術に対して評価を行う予定である。同好
極的にディスカッションさせ、判断力を磨かせるこ
会に所属する学生は、就職活動においても自信を持
とも大切なのである。
技術力においては、基礎的知識の習得に練習船を
って自分の将来の道を企業に伝えることができてお
り、大手船会社や機械関係各社に内定を頂いている。
利用して、操船や停泊作業を学ぶ必要がある。本校
具体的には、大手外航船社、海洋研究事業船社、エ
においては、悪天候が多く航海できる時期にも制限
ンジンメーカー等がある。また、
「機械屋」としての
があるため、操船の一部を「操船シミュレーター」
「知識」
「技術」は船舶運航だけに留まらず、機械系
に頼らざるを得ないが、これを有効的に利用するこ
企業にも対応できる人材を創ることとなる。この活
とで成果は期待できる。リーダーシップの考え方に
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第129回講演会(2013年11月8日,9日) 日本航海学会講演予稿集 1巻2号 2013年10月3日
おいては、長の指揮を目的として考える人が多いが、
考え方を良くしていけると期待する。また、最終教
船内組織のピラミッドの頂点に立つためには、基礎
育となる乗船実習期間内に民間船会社による社船研
となる底辺がしっかりしていなければならない。リ
修を行うことで、商船本来の教育成果が現れると思
ーダーシップは、基礎となる底辺に位置する時期を
われる。その理由は、船の世界では「厳しく」
「楽し
柔軟な対応で取り組み、成長することにより自然に
く」を重視すべきだからである。現代の社会的傾向
身に付くものである。現場では、下積み時代にしっ
は、怒らずに褒めて育てる教育を重視しているが、
かりと仕事に向き合い、そこで成長した結果、リー
これに逆行する教育は、柔軟な考えを必要とする船
ダーとなる心構えを意識できるようになり、周りか
員にとっては、「厳しさ」が正確な行動となり、「楽
ら支持される要素を備えるようになるのである。学
しさ」がコミュニケーションによる船内調和を生み
生の頃からリーダーシップを養う方策としては、学
出すことにつながり、有効である。閉鎖空間のよう
生全員に持ち回りでそれぞれリーダーを経験させる
な船内で「ON」と「OFF」を切り替えて過ごさなけ
ことが、仕事に向き合う姿勢づくりと、支えられて
ればならない船員は、技術と共に、心も鍛えられて
リーダーが成り立つことを実感する効果を生み出す。
いることが重要なのである。教育機関においては、
本校で 3 年前から行われているカッター帆走による
学生が失敗を恐れず積極的に実習に参加でき、安心
長時間航海は、学生自身で航海計画を立て、自分た
して行動を起こせるように、教育者の「技術力」と
ちで可能な限り帆走をしていくため、経験から成る
「広い心」が必要とされる。教える側のレベルが上
自信を学生に植え付けており、成果を上げていると
がれば、必然的に教わる側のレベルも上がる。船員
ころである。
の職を十分理解した教員が必要であり、プロ集団で
実際の船を伝えていかなければ、
「これからの船員教
5.まとめ
育」は成り立たない。船員としての実務経験を有す
「知識」
「技術」
「精神」
、この三つがバランス良く
る教員が少なくなった現在でも、船舶職員養成施設
保たれた人材を、船員と呼ぶ。知識だけでは、船を
には、現場を知るプロの存在は必要不可欠である。
動かす事は出来ない。技術と精神を備えてこそ、柔
教員が努力をし、それに足りない部分は現役船員の
軟な対応ができ、
「船乗り」となる。教育機関におい
協力によって補うことが可能である。実際に経験し
て船を十分理解させ、職とのギャップを少なくした
た船員生活を講話などにより伝えてもらい、職のプ
上で新人船員としてスタートすることが、働き始め
ロとして「見せる仕事」を行ってもらうなど、船員
てからの違和感や相違を少なくさせ、職への定着に
の技術の高さを実感できる活動が必要である。実際
結びつくのである。しかし、シーマンシップに欠け
に、協力を頼めば快く受け入れてくれる現役船員も
る現在の教育環境では、日本人船員の必要性を世界
現れている。機関学同好会や授業においては、技術
にアピールできなくなり、島国日本の物流を自国船
資料の提供などでもご協力を頂いている。これから
員ではなく外国人船員によって支えられる結果とな
は、船を身近に感じる活動を増やし、実施すると共
る。これでは、日本人船員の将来も、これからの船
に企業と教育機関がオーバーラップして教育を行う
員の未来も失うこととなる。カボタージュ政策を掲
ことにより、基礎知識に柔軟性を持たせ、今求めら
げ、日本人船員を確保しようと努力している内航船
れている人材をみんなで育てるべきである。このよ
主においては益々、人材確保が難しくなってくる。
うにして「船員」という言葉に込められる人材を育
今後は、練習船の長期実習と社船実習との二種類
てることは当たり前のことではあるが、現在の船員
二段階での乗船実習を実施することにより、商船本
教育では、知識、技術、精神を結び付ける教育は行
来の船員を短期間で育てることができる。特に、高
われていない。これらをうまく結び付ける技術こそ
専の乗船実習の分割化は、低学年時から船に対する
が「これからの船員教育」である。
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