論文紹介:津久井ほか(2009)火山 伊豆大島火山: 史料に基づく最近3回の大規模噴火の 推移と防災対応 紹介者: 小山研究室 4年 長島 恵輔 伊豆大島火山とは ・主に玄武岩からなる成層火山 ・東京の南南西約100kmの、伊豆・ 小笠原弧の北部、火山フロント上に 位置する ・中央部には、北東方向に開いた径 4kmのカルデラがあり、約1500~ 1700年前に形成されたと考えられる ・最新の噴火は1986年11月15日 ・同21日には、500年ぶりとなる割れ 目噴火が起こった 伊豆大島火山:地形とスコリア・割れ目・ カルデラの分布 カルデラの南西部に比高160mの中央火口丘 三原山が存在する ・1989年頃から山体の膨張が継続 しており、次の噴火へ向けてマグマ が地下に蓄えられている 伊豆大島火山とは 歴史時代の噴火記録や詳しい地質学的研究、噴火史の研究 (震災予防調査会編1903、中村1915、以来・久野1958、森本1958、 Nakamura1960、1961、1964、田沢1980、1981、一色1984a、1984b、 小山・早川1996、川辺1998) 最近約1700年の間に、噴出量が1億トンを超えるような大規模噴火 が平均して100~150年に一度、起こってきた この間1876-77年、1912-14年、 1950-51年、1986年に中規模の噴火 があったが、いずれも大規模噴火より も一桁小さい数万トン程度の噴出量 伊豆大島火山とは 次の噴火が大規模噴火となる可能性が高く、 現時点で大島火山の大規模噴火の推移を 総括しておくことは、火山学・防災の両面から意 義がある 16世紀以降の3回の大規模噴火について、 活動推移の時間・空間的解像度をあげるよう 史料と若干の野外活動調査により再検討を行い、 今後の噴火に対応する前にあらかじめ知って おくべき点を見出した。 伊豆大島火山の噴火史および地質の概要 カルデラ期初期の浅海のマグマ水蒸気噴火を主とする噴出物…泉津層群 陸上の噴火堆積物…古期大島層群 カルデラ形成およびカルデラ火山の噴出物…新期大島層群 (Nakamura1964) 噴火による堆積物と休止期の 堆積物を一噴火輪廻に由来 する一組の地層として『部層』 と定義 Y1~Y6部層(湯場層) N1~N4部層(野増層) S1、S2部層(差木地層) (右グラフ) 識別された部層 伊豆大島火山の噴火史および地質の概要 カルデラ期初期の浅海のマグマ水蒸気噴火を主とする噴出物…泉津層群 陸上の噴火堆積物…古期大島層群 カルデラ形成およびカルデラ火山の噴出物…新期大島層群 (Nakamura1964) 噴火による堆積物と休止期の 堆積物を一噴火輪廻に由来 する一組の地層として『部層』 と定義 基底スコリアの降下 →(溶岩流) →火山灰降下 Y1~Y6部層(湯場層) N1~N4部層(野増層) S1、S2部層(差木地層) (右グラフ) 識別された部層 最近3回の大規模噴火 安永六年噴火(1777年) 貞享元年噴火(1684年) 天文二十一年噴火(1552年) Y3が天文、Y2が貞享、Y1が安永に相当する 最も新しいものでも1777年の安永噴火なので、噴火に関する情報は、 観測によるものではなく地質・岩石学的な調査や史料に基づいている 1.天文二十一年壬子(1552年)噴火 ①1552年10月7日に御原(三原)から 噴火が始まり、10月15日に「江津」と いう所に新しく島ができた ②地震・空振が激しく起こり、火映(?) が天高くあがった ③噴火活動の継続期間は明記されて いないが、この木札が奉納されたのが 噴火開始の1ヶ月後であるから、主な活動は それ以前に終わっていた (一色1984a) 元町薬師堂に保存されていた木札に 書かれていた記述 ゴードーの鼻 = 江津 海に流れ込んで島を形成したのか、「江津」 付近だけを流れ残したのを「島」にたとえた のか、依然不明 1.天文二十一年壬子(1552年)噴火 2.貞享元年甲子(1684年)噴火 『甘露叢』 『徳川実記』 『熱海名主代々手控抜書』 『伊豆七島明細記』 より 1684年 3月29日~31日 1684年 8月29日~ 1690年 ・三原山御洞で噴火が始まり、4月11日まで止まなかった ・噴火開始とともにスコリアの噴出 ・噴火開始後10日以内に溶岩の噴出(東北東に流下、海中に広がった) ・噴火に伴う鳴動・地震によって民家の器材に被害 ・爆発音が時々聞かれ、降灰 (噴火開始5ヶ月後に降灰期に移行したと推定) →9月15日時点での降灰の厚さ:山中で1m余り 集落の近くで60-25cm ・1685年も降灰が続いた ・次第に活動は穏やかになり、1690年に終息 (降灰期は約6年間続いたと解釈できる) 3.安永六年丁酉(1777年)噴火 第Ⅰ期~第Ⅳ期 ・ 降灰期 (森本1958、震災豫防調査會編1903 ) 第Ⅳ期とした活動―『大島山火記』安永七年十一月の記事から報告 (森本1958、震災豫防調査會編1903) →この記事は『安永七戌年島方御用留』三月の記事と同文 第Ⅳ期とした活動は第Ⅱ期を 誤って記録したもので、第Ⅳ期 は実際には活動がなかった 第Ⅰ期~第Ⅲ期 降灰期 3.安永六年丁酉(1777年)噴火 第Ⅰ期 『大島山火記』 より ・1777年8月31日夕方、貞享噴火の際に開口したといわれている山頂火口から噴火し、 開始当初、爆発音が繰り返し聞かれ、地震も起きた ・白黒で長さ3-10cmの火山毛や小さいスコリアの降下が時折見られたが、3cmも積もった ところはなかった ・9月7日:朝~夜中まで、降雨中にもかかわらず焼発音が強かった ・9月8日:たびたび降灰、地震があり、26日ごろまで続いた ・9月28日、29日には爆発音・地震は止み、降灰はなかったが、9月30日に再び盛んにな り、 10月6日から噴火が一段と盛んになった ・10月8日、9日:9日夕方まで大風雨だったが噴火は強かった ・10月12日:「砂交じり焼石」が降下 ・11月28日から鳴動・爆発音が強くなり、時々細粒の「焼砂」が降った →他の文書との整合性から、8月31日の誤りでは…? ・1778年2月7-16日ごろに噴火は激しくなったが、2月17-26日にはやや穏やかになった 3.安永六年丁酉(1777年)噴火 第Ⅱ期 『安永七戌年島方御用留』 『大島山火記』より ・1778年4月19日より21日夜まで爆発音厳しく、「灰交じりの黒い砂」が降り、「大石」で山を 築きあげた ・昼間でも夜のように暗かった ・基底スコリアの主要部分と三原山スコリア丘の主体 が形成されたと考えられる ・北西のカルデラ床から初めて溶岩の流出が起こ り、中ノ沢に沿って長さ4km、幅18m、深さ30mほど を 埋め尽くした(右図) ・基底スコリア層中に含まれる花粉から、スコリアの 噴出は春であったとされており(遠藤ほか1994)、 史料の記述と整合的 ・5月末~9月末は降灰、火映もなかった 中ノ沢 3.安永六年丁酉(1777年)噴火 第Ⅲ期 『安永七戌年島方御用留』 『安永七戌年島方御用留』 『大島山火記』より ・1778年10月27日から再び三原火口の活動が激しくなってきた ・11月6日:再び溶岩の流出が起こり、火口から南西方の野増村-差木地間の赤沢に流れ 込んだ(規模は長さ6km、幅15m、深さ55mほど) ・三原火口がこの噴火で浅くなったと解釈できる記述あり(下文) ・11月15日、あるいは14日:今度は火口から北東方向に溶岩の流出が起こり、外輪山との 間の火口原の北半を埋め、東に向かって流下し、海に達した 三原火口に関する記述 3.安永六年丁酉(1777年)噴火 降灰期 『天明三卯年島方御用留』 『天明九年大島差出帳』 『弘化三年大島差出帳』 『南方海島志』 『伊豆七島明細記』より ・1779年以降、噴火活動は一時収まり、平穏であった ・この後1783年11月25日~27日ないし28日に噴火が再開し、大量の降灰があり、麦や野菜 などが枯れた ・1784~86年、1789年頃にもしばしば降灰があり、北風卓越風の風下側にあたる利島にも 火山灰が降下した ・1792年秋にようやく静穏に帰し、16年間にわたった安永大噴火が終了 ・人家の損傷も大きく、農業・漁業に壊滅的な被害 ・噴火前と噴火終了後の大島 の人口は、2.5%減少(右図) →降灰の多かった野増、泉津 で特に減少が目立ち、降灰の 少なかった差木地では増加 大島の年別による人口変化 代官所の作成した防災避難計画 ①新島村(現在の元町)と岡田村(岡田)は「急難」の恐れはないが、差木地・野増・泉津には それぞれ溶岩流を阻む隔たりがないため、これらの村の島民に新島村へ移る件を検討した. しかし当時は噴火が沈静化していること・山や畑から離れると生計が立てられない・仮住居 を準備するのに費用がかかる、といった点により、当面は差し置いてほしいと島民から願い 出があった ②噴火が激しくなった際には、費用がかかっても新島村へ移らせるつもりである. 廻船・漁船での移動もできるように役人に申渡した ③具体的な乗船人数:廻船1艘あたり200人、 漁船1艘あたり30人なので、廻船5~6艘と 漁船30艘余りで、全島民2298人が船で一時 避難できる ④緊急の事態に至った際には、新島、伊豆半島 下田・稲取、神奈川三崎のいずれの港に乗り つけ、江戸あるいは韮山の代官所へ報告する ように役人に申渡した ⑤新島・利島の廻船が江戸へ寄った際には、 その船の役人に、大島の緊急時に船を大島へ 向かわせるよう申しつけるつもりである 大規模噴火3回の活動推移 天文・貞享噴火 安永噴火 火口が山頂カルデラに限られている 一噴火輪廻に典型的な基底スコリア→溶岩流出→火山灰降下 噴火開始から10日以内に基底スコリアの噴出 と溶岩の流下が相次いで起こった 溶岩の流出は1~2日以内に終了した 基底スコリアの主体は噴火開始から7.5ヶ月 後に降下し、溶岩の流下は合わせて3回 (同時、その7ヶ月後、8ヶ月後) 溶岩の流出が始まると、数時間~数日以内に海岸付近まで達している →溶岩の噴出率が高く、一気に流出が起きた ― 降灰期:噴火開始から半年後に開始、初期に 激しく、6年続いた(天文は不明) 海岸付近まで達した溶岩流は、カルデラ床に 新たに開口した火口から流れ出た 降灰期:主噴火期が1年強継続し、そのさらに 5年後に始まり、9年続いた 噴火の噴出総量:4.2、3.5、6.5億トン(Nakamura1964) 大規模噴火3回の活動推移 安永噴火での噴出量は、天文・貞享噴火での 噴出量の1.5~2倍 上昇・噴出したマグマが大量であったため、収 束するのに時間を要した 噴火の推移を予測するためには… ・マグマ頭位が上昇して基底スコリア・溶岩噴出を伴う主噴火期なのか、マグマ後退 に伴う火山灰を噴火する降灰期なのか ・マグマが山体を破壊して貫入しているのか 将来の溶岩の流路を予測する上での留意すべき地形 カルデラ北西縁―元町東方の凹地 カルデラ北縁湯場北方の凹地 火口が開口→溶岩が元町を襲う まとめ 大島火山の地下にマグマが継続して蓄積しており、次の噴火は確 実に近づいている 一旦始まった噴火活動がどのように推移し、収束するのか的確に 判断することは重要な課題だが、十分なレベルにまで成熟している とはいえない 将来の噴火に備えて基礎資料を提示することを目的とし、最近3回 の大規模噴火の推移を記述した 安永噴火の際にとられた防災計画の記録に触れた これまで指摘されなかった地形的特徴を示し、注意を喚起した
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