20世紀の中国経済

20世紀前半の中国経済
1820年代の中国は世界のGDPの3分の1
工業化の20世紀
19世紀半ばから近代的機械工業
対外貿易が工業化を促進
第一次世界大戦→欧米からの工業製品の輸入が途
絶える→輸入代替工業化
1890~1930年代→軽工業の発展
1940~70年代→重工業が発展
(戦時経済への傾斜)
満鉄→製品の大半は日本へ
(中国経済との連携を欠く)
工業製品自給率の推移
工業製品の自給率の推移
120
102.3
102.3
100
55.3
92
84.6
52.7
59.9
1920
1930
1936
35.6
19.4
1936
ソーダ灰
0
セメント
綿糸
40
20
0
68.9
綿布
%
80
60
86.5
1920
年
製造業生産額業種別構成比の推移
製造業生産額の業種別構成比
1980
19.5
1970
20.9
1963
21.8
14.7
16.4
38.1
1933
40
20%
26.9
14.8
26.5
1953
0%
11.6
24.4
15.1
35.1
34.5
40%
21.4
60%
軽工業(繊維)
軽工業(食品)
重化学(金属)
重化学(機械)
重化学(化学)
その他
18.8
17.8
12.5
6.6 7.6 3.7
4 4.3 6.4
80%
100%
工業発展の担い手
軽工業~外国資本→国内資本
↓
↓
原料や販路 華僑や留学生
(華僑送金~工業化に要する資金提供)
重工業~日本企業と国家資本企業
第二次世界大戦後
国民政府~旧日本資本企業を接収
(国営企業の割合高まる)
人民共和国政府~社会主義モデルの下、国
営化
地域的分布
上海を中心に
(国内交通の要地、
租界→商取引や金融センター、近代的機械工
業)
工業化が進んだのは、大連・天津・青島・武漢
など沿海もしくは長江流域
40年代から70年代 東北と内陸地域
交通通信の近代化
1850~70年代
外国資本主導により長江および沿海航路に
汽船輸送(国際貿易網に組み込まれる)
電信→外国資本主導で
80年 清朝政府が天津に電報総局
1876年 上海~呉淞(最初の鉄道
英国のジャーディン・マセソン商会)
1881年 唐山~胥 各庄(国営鉄道)
*外国からの投資や借款によって進められた
東北および華北地方の幹線鉄道
*内陸諸都市と沿海部との汽船航路
*日清戦争後 鉄道ブーム
民間の汽船会社、電信網の整備
*1930~40年代 日中戦争および国共内戦
によって整備進まず
→49年以降も交通通信網の抜本的な拡充進
まず
農業
19世紀末から
対外向けや国内の工業用原料作物
地主と小作人
社会主義化後は土地改革→大量の自作農
→経営規模の過小化(コスト上昇)
集団化によって労働意欲を失わせる
人口増加によって一人当たりの穀物消費量
増えず
金融
19世紀初めに約束手形を発行する金融機関
19世紀半ば~貿易拡大→送金と外国為替
1897年 中国通商銀行
1935年 金融恐慌
→民間銀行に対する政府の影響力強化
→通貨発行権を中央政府に
日中戦争期 戦時統制経済
社会主義化~金融の国有化
悪性インフレの収束、経済活動の要
前近代中国の経済秩序
文書による契約
→「包」(請負)→中国経済の不確実性に伴う危
険性の分散、他に転嫁する志向性
→地域的多様性に富む重層的な市場が重なる
→前近代の中国経済の発展が遅れる
商業ネットワークと同業団体
同じ業種の商工業者の団体
18世紀 「公所」「会館」
→商品市場や雇用市場のシステムを大枠にお
いて規制
→国家と市場の中間に同業団体(市場秩序)
1904 清朝 商会簡明章程
1914 中華民国 各地に商工会議所(商会法)
1918 工商同業公会規則
1929 南京国民政府 商会法 工商同業公会
法
前近代の国家と経済
対外貿易 清朝 全面禁止
1684年 マカオなど4つの港で(厳しい規制)
1757年 広州に限定
消極的(対外経済関係が国内市場秩序に影響
を及ぼさないように)
漕運~皇族、官吏などの食糧を運ぶ(割合少)
塩専売
国家が果たした役割は小さい
経済構造の変容過程
1880~1910年代半ば
対外貿易の拡大と外国資本の流入
工業製品の輸入代替を企図した近代工業
商品的農業の拡大(農産物輸出の増大)
資本蓄積→本格的な輸入代替
第一次世界大戦(西欧からの工業製品の輸入
激減)→中国の工業化を進展
1910年代半ば~30年代
国内経済主導で発展(交通・通信網、商業・金
融業の発展、エネルギー供給拡大)
日本の中国侵略→軍需工業
第二次世界大戦、朝鮮戦争、戦後冷戦
中華人民共和国の建国
→重工業中心の経済発展
経済発展戦略
1860~90年代 洋務運動
太平天国運動の鎮圧→西欧の武器や軍艦の
威力→軍需機械工業の国産化
1870年代 軽工業品の輸入代替工業化
20世紀 日清戦争敗北、義和団運動
1898年 戊戌の変法
1902年 光緒帝 抜本的な政策を
→内部抗争や恐慌の影響→失敗
1911年の辛亥革命後
経済関係法制の整備
貨幣制度の統一
1920年代
急進的な輸入代替工業化政策→資金の裏づ
けなし
1930年代
内陸部に鉄鋼、アルミ、硫安、電機などを建
設しようとするもの→日本軍の中国侵略に備
え軍需工業確立に傾斜
1945年 日本企業の接収
国民経済の形成過程
近代以前の中国
→遠隔地との取引(銀両)、 地域経済(銅銭)
19世紀末~1930年代 国内市場の統合
①国内の商品流通の拡大
②対外貿易の発展→保護関税→輸入代替工業化、
通貨の統一、度量衡の統一
都市の形成
第二次世界大戦後→国民経済の再統合と復興の課
題に失敗(国民政府が国民の支持を失う)