資料にもとづく宝永南海地震の余震の推移分析

史料にもとづく宝永南海地
震の余震の推移分析
小山研究室
30616024
広岡 昌史
研究内容・方法
研究内容
宝永4年10月4日(1707年10月28日)に宝永東海
地震と同時に発生した巨大地震である宝永南海地
震の余震調査、推移分析を行う。
主に西日本の過去の日記を読んで分析する
研究方法
①宝永南海地震に関する史料を読み、地震に関する
記述を抜き出し、データベース化する。
②データベース化し、さらに全体、地域別の余震の推
移・頻度をグラフ化する。
宝永地震について
• 宝永地震は1707年10月28日におこった巨大
地震であり、駿河湾から四国沖までが一度に震
源域となった。
• 震度6以上の範囲は諏訪、飯田(長野県)、甲府
盆地(山梨県)、駿河湾西岸から東海・近畿・四
国・山陽・九州東部まで及んだ。
• 地震による津波は房総から九州にまで至る太平
洋沿岸を襲った 。
非常に広範囲
南海地震とは・・・?
• 左下図は歴史上起こった
南海・東海地震である。
• 左上図におけるA・B領域
を中心にして発生する地
震を南海地震という。
• 地震の間隔は100~150
年である。
• 東海・南海地震ではほぼ
間違いなく津波が発生す
る。
左図 出典 東海・南海地震の震源域と地震発生年表
小山(2006)
史料のグラフ化について
京都府7冊、大阪府6冊、奈良県2冊、愛媛県
2冊、大分県1冊の史料をデータベース化し
た。
さらに上記史料の中から史料内容の情報量、
詳細さを考慮し、今回、グラフ化した日記は
『西大寺日日記』(奈良県)『地震海考』(大阪
府) 『河内屋年代記』(大阪府) 『大叩』(愛媛
県) 『奥平藩日記』(大分県)の5冊である。
各日記ごとにそれぞれ、考察した。
作業結果の一例
数ある史料より信頼のできる記述を選定しデータベー
ス化した(下表は『北野天満宮史料』(京都府)冒頭部)
月日
天気
時刻
地震の記述
回
数
史料名
宝永4年10月5日
晴天
夜中より明
け六つ
地震少つ六七度
也
6~
7
北野天満宮史
料(京都府)
宝永4年10月6日
晴天
同上
同上
同上
宝永4年10月7日
陰
宝永4年10月9日
晴
今晩
今晩地震
宝永4年10月13
日
陰夜
雨
夜八つ
地震小二度あり
宝永4年10月17
日
晴
暮れ前
地震小
地震少つ
2
結論
• 余震回数、規模の大きさなどは史料の著者の感じ
方により差異がみられた。
• 余震回数は全体として次第に減少している。
• 突発的に大きな余震が発生している。
• 大余震の記述は10月5件、11月3件、12月2件、
翌年1月3件、2月1件、3月1件、4月1件、8月1件、
9月1件あり。
• 九州地方では大きな余震は発生していない。
• 閏1月27日に大阪・奈良を中心とした大規模余震
(「昨10月4日の如し」との記述)が発生。
なお、本震と同じくらいの強さとの記述があるのは閏1
月27日のみであった。