第8課:イエスの使命 ■「見失った羊」 ■「失くした銀貨」 ■「放蕩息子」 ■「金持ちとラザロ」 ■「盲人バルトロマイ」 ■「取税人ザアカイ」 日曜 「見失った羊」と「失くした銀貨」 月曜・火曜 放蕩息子の譬え①② 『放蕩息子』 A) この父親の教育法 B)愛と正義・ゆるしと罰・やさしさと厳しさ C)「自由」を与える vs 「規律」で縛る D)破滅堕落への道と結果(浪費・放蕩) E)悔い改めはどうして起こるか? F)回復 G)「人間の姿」と「神の姿」 水曜 失われた機会 金持ちとラザロ ルカ16:19~31 らて る で れ行 ア 、 や たか ブ 天 が 。れ ラ 使 て たハた、 。ムちこ 金のにの 持すよ貧 ちぐっし もそてい 死ば宴人 んに席が で連に死 葬れいん た も犬 のも をや なっ めて た来 。て は 、 そ の で き とち 人 と 思る が い こ っ物 横 う の てで た で 金 い腹 わ き 持 たを り も ち 。満 、 の の たそだ門 しのら前 た食けに い卓の、 もか貧ラ のらしザ だ落いロ 毎紫 日の 「 贅衣 あ 沢や る に柔 金 遊ら 持 びか ち 暮い が ら麻 い し布 た てを 。 い来 い たて つ 。、 も 金 持 ち と ラ ザ ロ ル カ 16 : 19 ~ 31 し か し 、 ア ブ ラ ハ ム は 言 っ た 。 苦 しわ んた でし いは まこ すの 。炎 』の 中 で も だ え てに く浸 ラ だし ザ さ、 ロ いわ を 。た よ しこ のし 舌て を、 冷指 や先 さを せ水 でア くブ そ だラ こ さハ で いム 、 。よ 大 、声 わで た言 しっ をた 憐。 れ『 ん父 るア れ し ラブ な て 金 ザラ が 、 持 ロハ ら 金 ち とム 目 持 も がと を ち 死 、そ 上 は ん 遥の げ 陰 で かす る 府 葬 にぐ と で ら 見そ 、 さ れ えば 宴 い た たに 席 な 。 。い で ま そ 金 持 ち と ラ ザ ロ ル カ 16 : 19 ~ 31 金 持 ち は 言 っ た 。 るそ へ あ お ここ 渡 っ 前 そ とか ろ て た れ もら う 、 ち ば でわ と こ の か きた し こ 間 り なし て か に か いた も ら は 、 。ち で お 大 わ 』の き 前 き た 方なたなし にいち淵た 越しのがち え、方 と お たは も い 前今 。反 の 。 『 はは 対をお子 も、 にも前よ だこ 悪らは、 えこ いっ生思 苦で もてきい し彼 のいて出 むは をたいし の慰 もがるて だめ ら、間み 。ら っラにる れ てザ良が 、 いロいよ 金 持 ち と ラ ザ ロ ル カ 16 : 19 ~ 31 でろ 者 父 しに の ア 金 ょ行 中 ブ 持 うっ か ラ ち 。て ら ハ は 』や 、 ム 言 れ誰よっ ばか、た 、がも。 悔兄し『 い弟、い 改の死い めとんえ るこだ、 る預 が言 『 よ者 お いが 前 、い の 』る 兄 。弟 彼た らち にに 耳モ をー 傾セ けよ し か し 、 ア ブ ラ ハ ム は 言 っ た 。 下な こ がし た さい ん 5 て し 『 いよ な 人く の 父 』う 苦 いだ 父 よ に し まさ 親 、 、 い すい の で よ 場 。。 家 は く 所 あわ に お 言 に のた ラ 願 い 来 者し ザ い 聞 る たに ロ で か こ ちは を す せ と ま兄 遣 。 て が で弟 わ わ 、 金 持 ち と ラ ザ ロ ル カ 16 : 19 ~ 31 聞者 きが た 入あ と れっ え はて 死 しも 者 な、 の いそ 中 だの か ろ言 ら うう 生 』こ き 」と 返 をる を 傾『 けも なし い、 なモ らー 、セ と 預 言 者 に 耳 ア ブ ラ ハ ム は 言 っ た 。 金 持 ち と ラ ザ ロ ル カ 16 : 19 ~ 31 様 の 意 図 は ? そ れ で も 、 こ れ を 話 さ れ た イ エ ス る か も し れ な い と 分 か っ て お ら れ 、 ● こ の 「 譬 え 」 は み ん な に 誤 解 を 与 え 話 は 出 し て い い の か と 心 配 だ し て い る の に 、 こ ん な 危 な い 例 ● 「 霊 魂 不 滅 」 「 死 後 の 世 界 」 を 否 定 21 : 「 犬 が や っ て き て 、 で き も の を な め た 」 ● ラ ザ ロ の 哀 れ さ が リ ア ル で あ る 。 つ い て い る の は な ぜ ? ● 譬 え の 中 の 登 場 人 物 に 個 人 名 が ● な ぜ こ ん な に 長 い の か ? こ の 譬 え の ? の 部 分 関下 わに る行 こわ とれ はる な全 いて 」の に 、 の せ て 、 彼 ら は 、 も は や 日 ね た み も 、 す で に 消 え 失 報 そるえそい の。ものを 愛 、記受 も つ憶け 、 い にる に 憎 残こ 、 し 忘ると み れ事も も ら柄な 、 れさい 。 知 ら な い 。 ま た 、 も は や 「 生 しきき かこ しとて 、をい 死知る 者っ者 はては 何い、 死 る 事 ぬ も。べ 出。す。彼彼彼臨「 てみべ人らららむ人 、なてははもにかの 皆一の獣み死臨ら子 ちつもになぬみでら り所のま同の、あに ににはさ様でこる臨 コ帰行空る ヘ あれ。む の レるくだと息るのすと ト。。かこ 死なこ 3」皆らろを。ぬわろ 持 よ は : ち が で 1 り ち獣 っ 9 あなて う一 ~ かるいい に様に 2 ら 。る 、にも 1 も陰力「 、府をす 知につべ 恵はくて あ も、しな なわてた いざなの かもせ ら、、手 で計あの あ画なな コるもたし ヘ 、のう レ」知 行る ト 9 識く事 は : 1 0 「陰府」と訳されたギリシャ語「ハデス」 ■ヘブル語の「シェオ―ル」と同じ意味で、そこ は義人であろうと悪人であろうと、人が死んだ ら誰もが行くことになる墓を示した語である。 ■「ハデス」すなわち『陰府』の中で苦痛と共に 火で燃やされているという話は聖書のどこに も記されていない。 再臨の時、復活し永遠の命 眠りの状態 生きているこの世界 眠りの状態 千年期の時、復活して滅び ジ ャ ン ・ カ ル バ ン カルバン派の神学者の解説 ●この「金持ちとラザロの譬え」が、人の死ぬ 時か ら復活の時までの中間期間の間、体を離れた 意 識をもったまま実際に体験する中間状態であ ると 主張する。 ●このようにしてこの期間の間、義人の霊は楽 園 において予備的な幸福を享受し、悪人の霊は 陰 府の火の中で予備的な苦しみを受けることに な 再臨の時、復活し永遠の命 アブラハム ラザロ 中間状態 生きているこの世界 金持ち 中間状態 千年期の時、復活して滅び カルバン主義の考え ●人が死んだら肉体を離れた霊魂は本格的 な天国でも地獄でもない臨時収容過程である 中間状態(Intermediate State)に留まり、生前 に行った善悪によって予備的な平安や苦痛を イエスの再臨まで体験するという、一種のプロ テスタント的煉獄。 復習:カトリックの「死とその後」 カ ソ リ ッ ク 教 会 の 教 え 天国 煉獄 聖人 「 煉 獄 」 の 絵 再臨の時、復活し永遠の命 アブラハム ラザロ 中間状態 生きているこの世界 金持ち 中間状態 千年期の時、復活して滅び 『霊魂仮眠説』 ●この説は、アナバプテスト派を攻撃するため に、手荒い表現でカルバンが書いたもの。 ●カルバンはこの譬えを、単なる譬えではなく、 「霊が体を離れて自由になった時の状態だ」と 語った。 ●この「霊魂仮眠説」に反対するSDA教会を、 フ―ケマ氏は異端視している。 弁証 この譬えは霊魂不滅を証明する話しではない。 弁証その1 ●新・旧約時代に死んだ全ての義人の霊が死 後直ちに「アブラハムのふところ」に抱かれる ならば、紀元前ほぼ2000年までに生きてい たアブラハム以前の霊たちはどこにいるのだ ろうか。 ●義人が死んだらアブラハムのところに行くと いう聖書の記事が全くどこにもない。 ■ ヨ セ フ ■ ヤ コ ブ ■ イ サ ク ■ ア ブ ラ ハ ム ■ バ ベ ル の 塔 ■ ノ ア の 箱 舟 ■ カ イ ン と ア ベ ル 事 件 ■ ア ダ ム と エ バ の 罪 ■ エ デ ン の 園 ■ 人 間 の 創 造 ■ 天 地 創 造 : ■ モ ー セ 聖 書 創 世 記 弁証その2 ●義人の霊が留まるというアブラハムのふとこ ろと悪人が永遠に炎の中で苦しめられるとい う陰府がとても近い。譬え話のように互いに向 い合って会話できるというのであろうか。 再臨の時、復活し永遠の命 アブラハム ラザロ 中間状態 生きているこの世界 金持ち 中間状態 千年期の時、復活して滅び 弁証その2 ●それが事実ならば、救われていない両親、夫 婦、子供、兄弟や友人、隣人が火の中で叫ぶ 声を聞き、哀れな姿を見つめながら何百年、何 千年をアブラハムのふところの中で平安を感じ ることができるのだろうか。それは楽園でなくも う地獄である。 弁証その3 ●死んだ義人の霊はアブラハムの管轄下にあ り、苦しめられる悪人も神ではなくアブラハムに 憐れみを請わなければならないのか。 弁証その3 ●死んだ義人の霊が苦しめられる悪人の霊の ために介入することができるだろうか。聖書に はこのような奇想天外な記述はない。 弁証その3 ●カルバンは、ここに現れるアブラハムも、 金持ち、ラザロはみんな死んだあと体を離 れた人々の霊であると言っているが、聖書 本文には彼らが霊であるという表現はない。 弁証その4 ●むしろ、「胸・目・指・舌」などの肉体を持った 存在として表現されている。 ●聖書にはアブラハムも他の者と同様に約束さ れた永遠の命と御国を受けることなく復活の希 望を抱いて死に、神は彼らのために世の終りの 日に天の住みかを備えると約束している(へブ ル11:8、13-16、39、40)それなのにどうし てアブラハムだけが終りの日にある復活も迎え られずに肉体をもたない霊の姿で、楽園に一人 で現れたというのであろうか。 すを郷彼・てが入約を「 ・ こ 喜 。熱、ら・ 、れ束抱の 」望すは・ とびはらさい人 る な の れれてた し さこ わらろ声かまた死 て ち ヘ に ち ブ い にがを せもには ラ た天勝実あそんのま 皆 イ れ し の の っ際げをでを 、 13 で故たは ~ し手た信 16 郷故、 見たに。仰 聖書の「死後の状態」 ■ダビデを初めとする全ての僕たちは死後直後に 天に昇ることができなかった。(使徒2:34/へ ブル11:13-16) ■自分の子供らの幸せや不幸にも関わることがで きない。この世の現実とは全く切り離された状 態である(ヨブ14:21) ■一切の感情や意識がない(コヘ9:5・6) ■「わざも、計略も、知識も、知恵もない」無活動状 態である(コヘ9:10) ■苦しみのない状態のみならず、神を賛美するこ ともできない無感覚な状態である(詩編6:5) 再臨の時、復活し永遠の命 眠りの状態 生きているこの世界 眠りの状態 千年期の時、復活して滅び この譬えは この以前から続く イエスの例え話による説教の 一部分である 「そこでイエスは彼らに、この譬えをお 話になった」ルカ15:3 (ルカ15:4-7) 「迷子の羊」の譬え (ルカ15:8-10) 「失くした銀貨」の譬え (ルカ15:11-32)「放蕩息子」の譬え (ルカ16:1-13) 「不正な管理人」の譬え (ルカ16:19-31)「金持ちとラザロ」がきてい る。 15章・・・「失われたもの」シリーズ 16章・・・「現世における財産と来世の運命」 シリーズ 譬え話に入る文型 ■「あなたがたのうち、百匹の羊を持っている者 がいたとする・・・」 ■「ある女が銀貨十枚を持っていて・・・」 ■「ある人に、二人の息子があった・・・」 ■「ある金持ちのところに一人の家来がいた が・・」 ■「ある金持ちがいた。・・・毎日贅沢に遊び暮 らしていた。ところが・・・」 このイエスが用いられた譬えの出所 ●民衆によく知られていたエジプトの民族説話 ●エジプトのアレキサンドリアに住んでいたユ ダヤ人たちがユダヤ風に変えて伝えた物語 ●シーオシリスという人が死んだ後、地下世界 を旅する物語 ある金持ちの取税人とある貧しい律法学者 が死んで葬られたが、この律法学者の友人が 夢の中でこの二人の来世の状況をみたという 物語 ではなぜ、イエス様はこの譬え を語られたのだろうか? ではなぜ、イエス様はこの譬え を語られたのだろうか? :14「欲深いパリサイ人たちが、すべ てこれらの言葉を聞いて、イエスをあ ざ笑った」 これに対する答えとしてイエスは語 られたのである この譬えの目的① ■この世において享受する財産の祝福は、自 分たちがアブラハムの子孫であることを自負 しながら自分たちの義を誇り、神が認めたとこ ろの現世と来世の運命に対する保証であると する彼らの通念を完全に覆すため この譬えの目的① ■金持ちは自分たちに与えられた財産を 自分の快楽や安易だけのために用い て、貧しい人を無視して彼らの必要 に 目をそらすのは厳然たる罪であること を指摘するため。 この譬えの目的② ■生涯において形成された品性は渡ることので きない「大きな淵」のように永遠の運命を定め、 その後には救いのための二度目のチャンス が与えられないのである。だから生きている 間に正しく生きるべきである。 この譬えの目的② ■「モーセと預言者」すなわち旧約聖書の権威 を再認識させ、いかなる奇跡も聖書の権威に 代わるものではなく、聖書のみが基準であり、 救いの方法であることを再度明言された。 この譬えの目的:まとめ ■この譬えの目的は、教理的なものではなく、 倫理的なものである ■一つ二つの譬えをもってきて、教理の根拠に しようという試みは神学的に禁じられている この譬えの目的:まとめ 【謎】なぜこの譬えだけ、アブラハム・ラザロという個 人名が付けられているのであろうか? 【答】 イエスは、ラザロ(マルタの兄弟)を楽園や地獄か ら呼 び出されず、直接墓から呼び出された。 もしラザロが楽園へ行って幸せに数日暮らして いたら、なぜ再び苦しみ悩みの待つこの世に、 再び、呼び戻されるようなことをなさったのか? プロテスタント教会が引きずった問題 「日曜礼拝の問題」 「ギリシャ的霊魂不滅の思想」 「滴礼による洗礼」 「創造論」など ●聖書的基盤を持たない思想や習慣
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