第8課:イエスの使命

第8課:イエスの使命
■「見失った羊」
■「失くした銀貨」
■「放蕩息子」
■「金持ちとラザロ」
■「盲人バルトロマイ」
■「取税人ザアカイ」
日曜
「見失った羊」と「失くした銀貨」
月曜・火曜
放蕩息子の譬え①②
『放蕩息子』
A) この父親の教育法
B)愛と正義・ゆるしと罰・やさしさと厳しさ
C)「自由」を与える vs 「規律」で縛る
D)破滅堕落への道と結果(浪費・放蕩)
E)悔い改めはどうして起こるか?
F)回復
G)「人間の姿」と「神の姿」
水曜
失われた機会
金持ちとラザロ
ルカ16:19~31
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たか ブ 天 が
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。ムちこ
金のにの
持すよ貧
ちぐっし
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で連に死
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だ落いロ
毎紫
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沢や る
に柔 金
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見そ 、 さ れ
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たに 席 な 。
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金
持
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と
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16
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19
~
31
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も、
にも前よ
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もがるて
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「陰府」と訳されたギリシャ語「ハデス」
■ヘブル語の「シェオ―ル」と同じ意味で、そこ
は義人であろうと悪人であろうと、人が死んだ
ら誰もが行くことになる墓を示した語である。
■「ハデス」すなわち『陰府』の中で苦痛と共に
火で燃やされているという話は聖書のどこに
も記されていない。
再臨の時、復活し永遠の命
眠りの状態
生きているこの世界
眠りの状態
千年期の時、復活して滅び
ジ
ャ
ン
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カ
ル
バ
ン
カルバン派の神学者の解説
●この「金持ちとラザロの譬え」が、人の死ぬ
時か
ら復活の時までの中間期間の間、体を離れた
意
識をもったまま実際に体験する中間状態であ
ると
主張する。
●このようにしてこの期間の間、義人の霊は楽
園
において予備的な幸福を享受し、悪人の霊は
陰
府の火の中で予備的な苦しみを受けることに
な
再臨の時、復活し永遠の命
アブラハム
ラザロ
中間状態
生きているこの世界
金持ち
中間状態
千年期の時、復活して滅び
カルバン主義の考え
●人が死んだら肉体を離れた霊魂は本格的
な天国でも地獄でもない臨時収容過程である
中間状態(Intermediate State)に留まり、生前
に行った善悪によって予備的な平安や苦痛を
イエスの再臨まで体験するという、一種のプロ
テスタント的煉獄。
復習:カトリックの「死とその後」
カ
ソ
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ッ
ク
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教
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天国
煉獄
聖人
「
煉
獄
」
の
絵
再臨の時、復活し永遠の命
アブラハム
ラザロ
中間状態
生きているこの世界
金持ち
中間状態
千年期の時、復活して滅び
『霊魂仮眠説』
●この説は、アナバプテスト派を攻撃するため
に、手荒い表現でカルバンが書いたもの。
●カルバンはこの譬えを、単なる譬えではなく、
「霊が体を離れて自由になった時の状態だ」と
語った。
●この「霊魂仮眠説」に反対するSDA教会を、
フ―ケマ氏は異端視している。
弁証
この譬えは霊魂不滅を証明する話しではない。
弁証その1
●新・旧約時代に死んだ全ての義人の霊が死
後直ちに「アブラハムのふところ」に抱かれる
ならば、紀元前ほぼ2000年までに生きてい
たアブラハム以前の霊たちはどこにいるのだ
ろうか。
●義人が死んだらアブラハムのところに行くと
いう聖書の記事が全くどこにもない。
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地
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造
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聖
書
創
世
記
弁証その2
●義人の霊が留まるというアブラハムのふとこ
ろと悪人が永遠に炎の中で苦しめられるとい
う陰府がとても近い。譬え話のように互いに向
い合って会話できるというのであろうか。
再臨の時、復活し永遠の命
アブラハム
ラザロ
中間状態
生きているこの世界
金持ち
中間状態
千年期の時、復活して滅び
弁証その2
●それが事実ならば、救われていない両親、夫
婦、子供、兄弟や友人、隣人が火の中で叫ぶ
声を聞き、哀れな姿を見つめながら何百年、何
千年をアブラハムのふところの中で平安を感じ
ることができるのだろうか。それは楽園でなくも
う地獄である。
弁証その3
●死んだ義人の霊はアブラハムの管轄下にあ
り、苦しめられる悪人も神ではなくアブラハムに
憐れみを請わなければならないのか。
弁証その3
●死んだ義人の霊が苦しめられる悪人の霊の
ために介入することができるだろうか。聖書に
はこのような奇想天外な記述はない。
弁証その3
●カルバンは、ここに現れるアブラハムも、
金持ち、ラザロはみんな死んだあと体を離
れた人々の霊であると言っているが、聖書
本文には彼らが霊であるという表現はない。
弁証その4
●むしろ、「胸・目・指・舌」などの肉体を持った
存在として表現されている。
●聖書にはアブラハムも他の者と同様に約束さ
れた永遠の命と御国を受けることなく復活の希
望を抱いて死に、神は彼らのために世の終りの
日に天の住みかを備えると約束している(へブ
ル11:8、13-16、39、40)それなのにどうし
てアブラハムだけが終りの日にある復活も迎え
られずに肉体をもたない霊の姿で、楽園に一人
で現れたというのであろうか。
すを郷彼・てが入約を「
・
こ
喜
。熱、ら・ 、れ束抱の
」望すは・
とびはらさい人
る
な
の
れれてた
し さこ
わらろ声かまた死
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ヘ
に
ち
ブ
い にがを せもには
ラ
た天勝実あそんのま
皆
イ
れ
し
の
の
っ際げをでを 、
13
で故たは
~
し手た信
16
郷故、 見たに。仰
聖書の「死後の状態」
■ダビデを初めとする全ての僕たちは死後直後に
天に昇ることができなかった。(使徒2:34/へ
ブル11:13-16)
■自分の子供らの幸せや不幸にも関わることがで
きない。この世の現実とは全く切り離された状
態である(ヨブ14:21)
■一切の感情や意識がない(コヘ9:5・6)
■「わざも、計略も、知識も、知恵もない」無活動状
態である(コヘ9:10)
■苦しみのない状態のみならず、神を賛美するこ
ともできない無感覚な状態である(詩編6:5)
再臨の時、復活し永遠の命
眠りの状態
生きているこの世界
眠りの状態
千年期の時、復活して滅び
この譬えは
この以前から続く
イエスの例え話による説教の
一部分である
「そこでイエスは彼らに、この譬えをお
話になった」ルカ15:3
(ルカ15:4-7) 「迷子の羊」の譬え
(ルカ15:8-10) 「失くした銀貨」の譬え
(ルカ15:11-32)「放蕩息子」の譬え
(ルカ16:1-13) 「不正な管理人」の譬え
(ルカ16:19-31)「金持ちとラザロ」がきてい
る。
15章・・・「失われたもの」シリーズ
16章・・・「現世における財産と来世の運命」
シリーズ
譬え話に入る文型
■「あなたがたのうち、百匹の羊を持っている者
がいたとする・・・」
■「ある女が銀貨十枚を持っていて・・・」
■「ある人に、二人の息子があった・・・」
■「ある金持ちのところに一人の家来がいた
が・・」
■「ある金持ちがいた。・・・毎日贅沢に遊び暮
らしていた。ところが・・・」
このイエスが用いられた譬えの出所
●民衆によく知られていたエジプトの民族説話
●エジプトのアレキサンドリアに住んでいたユ
ダヤ人たちがユダヤ風に変えて伝えた物語
●シーオシリスという人が死んだ後、地下世界
を旅する物語
ある金持ちの取税人とある貧しい律法学者
が死んで葬られたが、この律法学者の友人が
夢の中でこの二人の来世の状況をみたという
物語
ではなぜ、イエス様はこの譬え
を語られたのだろうか?
ではなぜ、イエス様はこの譬え
を語られたのだろうか?
:14「欲深いパリサイ人たちが、すべ
てこれらの言葉を聞いて、イエスをあ
ざ笑った」
これに対する答えとしてイエスは語
られたのである
この譬えの目的①
■この世において享受する財産の祝福は、自
分たちがアブラハムの子孫であることを自負
しながら自分たちの義を誇り、神が認めたとこ
ろの現世と来世の運命に対する保証であると
する彼らの通念を完全に覆すため
この譬えの目的①
■金持ちは自分たちに与えられた財産を
自分の快楽や安易だけのために用い
て、貧しい人を無視して彼らの必要
に
目をそらすのは厳然たる罪であること
を指摘するため。
この譬えの目的②
■生涯において形成された品性は渡ることので
きない「大きな淵」のように永遠の運命を定め、
その後には救いのための二度目のチャンス
が与えられないのである。だから生きている
間に正しく生きるべきである。
この譬えの目的②
■「モーセと預言者」すなわち旧約聖書の権威
を再認識させ、いかなる奇跡も聖書の権威に
代わるものではなく、聖書のみが基準であり、
救いの方法であることを再度明言された。
この譬えの目的:まとめ
■この譬えの目的は、教理的なものではなく、
倫理的なものである
■一つ二つの譬えをもってきて、教理の根拠に
しようという試みは神学的に禁じられている
この譬えの目的:まとめ
【謎】なぜこの譬えだけ、アブラハム・ラザロという個
人名が付けられているのであろうか?
【答】
イエスは、ラザロ(マルタの兄弟)を楽園や地獄か
ら呼
び出されず、直接墓から呼び出された。
もしラザロが楽園へ行って幸せに数日暮らして
いたら、なぜ再び苦しみ悩みの待つこの世に、
再び、呼び戻されるようなことをなさったのか?
プロテスタント教会が引きずった問題
「日曜礼拝の問題」
「ギリシャ的霊魂不滅の思想」
「滴礼による洗礼」
「創造論」など
●聖書的基盤を持たない思想や習慣