日本の地震災害 第2章 断層出現! ― 昭和

伊藤和明著 日本の地震災害
第2章 断層出現!
―昭和初期の内陸直下地震―
3051-6012 小柳優里
昭和初期、日本列島で大きな災害をもたらし
た内陸直下の地震があった。それは
北丹後地震と北伊豆地震の2つである。
 どちらも内陸の活断層の活動によって発生し
た地震で地表に地震断層を出現させた。
 このような地震は震源が浅く、局所的ではあ
るが激甚な揺れによって人間社会に強烈なダ
メージをもたらすことになる。

北丹後地震
直下地震の脅威
時間:1927年(昭和2年)3月7日
午後6時27分
場所:京都府北部
震源:丹後半島の付け根にあたる部分
マグニチュード:7.3
(95年1月の兵庫県南部地震とほぼ同じ規模)
死者:2925人
活断層の活動による
典型的な内陸直下地震
山田町の倒壊家屋
奥丹後震災誌より
時代背景
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4年前に関東大震災発生。この影響が日本経済に
重くのしかかっていた。
2年前にすぐ西に隣接する地域で北但馬地震(M6.
8)が発生。多数の民家や温泉旅館が倒壊。火災も
発生し428人の死者がでた。
<北丹後地震発生>
8日後に東京渡辺銀行に端を発した銀行の取りつ
け騒ぎが全国に波及。金融大恐慌のきっかけとなる。
まさに昭和の激動期を予感させるような
大地震だったといえる。
被害状況1
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この年はとりわけ寒い冬で雪も多く、1mほどの積雪が
あり、地震の激しい揺れに雪の重みが加わって多くの
家屋が倒壊した。全壊家屋は約1万3千戸にのぼる。
地震発生時間が夕食で火を使う時間帯と重なったこと
から各地で火災が発生した。
人口に対する死亡率:峰山町22%(ほとんど全ての家
屋が全壊または全焼)、市場村12.2%、吉原村10.
1%、島津村8.2%
小学校も13校の校舎が
全壊または全焼した。
火災後の峰山町
奥丹後震災誌より
被害状況2
当時の『朝日新聞』号外の見出し
「呪はれた丹後半島の光景、実に凄惨を極む」
「峰山、網野の両町、全く焦土と化す」
 丹後ちりめんの産地(峰山町・網野町など)は地震に
よって工場が倒壊し原料となる生糸が焼失したため
生産不能になり、経済的にも大きな打撃を受けた。
 北丹後地震による被害は広範囲に及んだ。北但馬地
震で大きな被害を受けた城崎(きのさき)でも、火災に
より2300戸が焼失した。震源から150km以上離れ
た鳥取県の米子で、2戸の倒壊家屋がでた。大阪市
内では、地割れから泥水を噴き出し、家屋が浸水した、
すなわち液状化現象が発生したものと考えられる。
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地震断層が出現した
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郷村断層と山田断層の2つが地表に出現。この2つ
の断層は互いに直行する“共軛(きょうやく)断層”で
あった。
郷村断層は北北西~南南東に延びる長さ18kmの
部分が動き、西側が最大80cm隆起、水平には最
大2m70cmの左ずれを生じた。
山田断層はこれとは直角に走る長さ約7kmの断層
で、北側が最大70cm隆起し右ずれの変位が最大
80cmに達した。
・郷村断層(京丹後市小池)
道の幅だけ断層でずれている。
(奥丹後震災誌 京都府 より)

このような断層活動により、ほぼ断層沿いに分布し
ていた町村は激しい揺れに見舞われ、大規模な災
害となった。なお郷村断層の跡は現在3ヶ所で保存
されており北丹後地震の遺構として国の天然記念
物に指定されている。
断層が出現した3ヶ所

日本の活断層は、
中部地方から近畿
地方にかけては特
に密に分布している。
歴史的にも地表に
地震断層が出現す
るような内陸直下地
震は圧倒的に中部
より西に多い。
宮津(上)・京阪神(下)の
断層分布図


1923年の関東地震を契機に東京帝国大学に地震
研究所が設立され、北丹後地震はこの研究所が誕
生してから初めて体験した大地震であった。そのた
め、地震後、余震の観測や綿密な測量が実施され、
1日ごとの余震の発生状況や出現した地震断層を
挟んで、地面がどの方向にどのくらい動いたかなど
が明らかになった。また、地震発生の2時間半程前
に海岸の地盤が最大1.3mほど隆起したことも確
かめられ、これはまさに地震の前兆現象であった。
このように北丹後地震は、地震前後の地殻変動な
どについて初めて多くの貴重なデータが得られた地
震であった。
北伊豆地震
壊滅した村々
時間:1930年11月26日未明4時2分頃
マグニチュード:7.3
震源の深さ:約2km
被害:伊豆半島北部から箱根にかけて震度6、
全壊家屋2165戸、死者272人
北伊豆地震の被害を
受けた家屋
前震活動
北伊豆地震は顕著な前震活動をともなった地震
である。
 2月~5月:半島東部の伊豆市沖で群発地震が
続く。3月20日には伊東で震度5の強い揺れを
観測。5月9日には1日に100回以上の地震が
発生した。
 11月~:20日ごろから連日200回を超える有
感地震発生。25日の夕方にはM5の強い地震
があった。本震が発生したのはその翌朝。

被害状況1
『函南震災誌』の記事より(要約)
「上下左右に激しい地震動が20秒あまり続き、家々
は算を乱して倒壊し、道路や橋梁も破壊され、火災が
数か所で発生した。暗黒の中で阿鼻叫喚のありさま
となり、交通も通信も途絶えてしまった。夜が明けたも
のの、朝食をとるすべも無く、喉の渇きをいやす水も
無く、余震が頻々と続いている」
 家屋の倒壊及び人的被害が最大だった韮山村では、
1276世帯のうち、家屋の全壊463戸、半壊420戸、
死者76人を数えた。全半壊した家屋は全体の70%
近くに達している。
 『震災記念誌』にも韮山小学校の児童の作文が載っ
ていて、地震の被害の激しさが伝わってくる。
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丹那(たんな)断層が動いた


北伊豆地震を引き起こしたのは伊豆半島北部を南
北に延びる丹那断層の活動だった。丹那断層とそれ
に関連する複数の断層(箱根町断層、浮橋断層、小
野断層)が動いて地表に地震断層を生じ、活動した
総延長は約35km、南北に伸長する丹那断層を挟
んで、相対的に東側が北へ、西側が南へ動く左横ず
れの断層活動だった。水平変位は丹那盆地で最大
約3.5mに達した。
北伊豆地震が発生した1930年頃は東海道線の丹
那トンネルを掘削している最中だった。丹那断層はト
ンネル中央部でトンネルと直行するかたちになってい
た。北伊豆地震によって、断層は丹那トンネルを横
切り、2.7mの横ずれを生じてしまった。設計どおり
に両側から掘り進むと、横に食い違ってしまうため、
仕方なくトンネル内のずれた部分で線路をS字状に
つなぎ、東海道線を開通させた。

地震断層の跡は現在2ヶ所で保存されており、
見学することができる。
↓田代盆地の火雷神社石
段の正面にあるべき鳥居
が右横にずれている
↓乙越の大塚さんの家の跡赤
い表示が断層の亀裂。 水
路が食い違っている
目立った土砂災害
北伊豆地震で大災害となった地域は、断層に沿う田
代や丹那などの山間盆地と、韮山など旧狩野川沿い
の軟弱な沖積地とに大別することができる。箱根でも
多くの家屋が倒壊した。
 大規模な山崩れも各所で発生した。
・中狩野村佐野梶山山腹:長さ1.5kmの崩壊。土砂は
狩野川本流をせきとめたが、決壊による災害にはい
たらなかった。
・北狩野村大野旭山:面積3haに及ぶ崩壊。
 道路や橋梁も被災し、交通網に影響を与える。山崩
れや崖崩れによる道路の寸断、路面の亀裂や陥没、
倒壊した家屋による道路の閉鎖、橋げたの落下や破
損などがいたる所で発生した。こうした被害は被災地
への救助・救援活動に大きな支障をきたし、復旧・復
興の遅れを招いた。
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丹那断層の活動度

戦後になって東海道新幹線の建設が計画さ
れた時、新丹那トンネルは1930年に北伊豆
地震を起こした丹那断層を横切ることになる
が、高速鉄道を通して大丈夫なのかという疑
問が当時、国鉄内部から持ち上がった。この
相談にあずかったのが著者の恩師でもある
火山学者の久野久(くのひさし)東京大学教
授で、教授は次に丹那断層が活動するのは
おそらく数百年先だろうと答え、計画は実行
に移された。
教授の推論の根拠

丹那断層を挟んで両側の地形は約1000m左ずれ
に食い違っている。この食い違いは過去からの断層
活動の累積によって生じたもので、地質調査によっ
て、丹那断層は少なくとも50万年前から活動してい
たことがわかった。1930年と同程度に平均2m変
位すると仮定すれば、1000mのずれを生じるため
には500回の地震を起こせばよい計算になる。50
万年の間に500回活動してきたとすれば、平均10
00年に1回地震を起こしてきたことになる。したがっ
て、丹那断層の活動によって起きる地震のおよその
再来周期は約1000年ということになり、当分は安
泰だろうという結論に至った。
推論の実証
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丹那断層については、近年トレンチ法による発掘調査が実
施された。この調査は活断層の走っている部分の地表を掘り
下げて地層の中から過去の断層運動の痕跡を探し出し、出
土した土器や放射性炭素による年代決定を行い、活断層の
活動度を推測しようというものである。
1983年の「丹那断層発掘調査研究グループ」による発掘調
査から、1930年北伊豆地震の1つ前の地震を示す地層の
乱れは838年に神津島の噴火によって飛来した白色火山灰
のすぐ上にあることがわかった。
一方、『続日本後記(しょくにほんこうき)』の841年の項には
伊豆の国の大地震によって村々が壊滅し死傷者がでたこと
が読み取れた。
この記事を発掘調査の結果と照合すると、841年の地震こ
そ丹那断層が動いて起こしたものであり、それから1100年
近くを経て、1930年の北伊豆地震が発生したことになる。こ
うして教授の推論は実証された。
参考URL
 舞鶴海洋気象台
http://www.maizuru-jma.go.jp/jisin/tangojisin/tangojisin.htm
 e-PISCO
http://www.e-pisco.jp/equake/fault/fault.html
 災害
http://www.city.mishima.shizuoka.jp/kakukaHP_system_kan
rika/amenity/rekishi/saigai/saigai.htm
 アルバム断層
http://georoom.hp.infoseek.co.jp/album/33fault.htm
 立川断層の状況
http://www.bekkoame.ne.jp/~satortri/tachi-index/tachidanso/danso-index.html