認定NPO大阪精神医療人権センター30周年記念シンポジウム 報告 「精神科病院への訪問活動は どのようにしてできたのか、 どのような変遷があったのか ~ 1985‐2015年の30年 ~」 認定NPO大阪精神医療人権センター 吉池 毅志 1 1983-1985年 宇都宮病院事件と、大阪精神医療人権センターの設立 • 83年12月、弁護士らによる「精神医療と人権を考える弁護 士の会大阪支部」は、精神科医らとの合同勉強会「精神 病院問題懇談会(精問懇)」を発足した。 • 84年3月14日、報徳会宇都宮病院において、入院患者が 看護職員により金属パイプで殴打され、死亡した事件が 発覚した。事件の衝撃を受け、二度と繰り返してはならな いという認識から、84年12月、精問懇の医師から「大阪精 神医療救援センター構想」が提案された。 • 85年11月9日、精神科病院における人権救済を目的として 活動する任意団体として、5つの発起人構成団体と21の賛 同団体によって、大阪精神医療人権センターが設立され 2 た 。当初は、私書箱設置と面会、電話相談に着手された。 1985-1992年 初期の活動 行政交渉等への取り組み • 86年、大阪市職員が当時の「同意入院制度」における 「市長同意」となった患者を同一病院へ入院させる見 返りに、同院から賄賂を受け取る贈収賄事件が発覚し た。人権センターは大阪市へ公開質問状を提出し、8 年間20回に及ぶ対市交渉を93年まで重ねた。 • 87年、活動の記録化と市民への情報提供のため、人 権センターは精神科病院の実情を掲載した「活動報告 集」(現在の「扉よひらけ」)の発行を開始した。 • 88年、大阪府下の差別条項については、全市町村の 条例集を調べて申し入れた。その結果、公的施設にお ける入場制限条項の殆どが撤廃・改正された。 3 1993-1996年 大和川病院事件への取り組み • 1993年2月22日、大和川病院における患者不審死事件が報 道された。人権センターは「事件をうやむやにしたくない」と の遺族の声を受け、入院患者への面会活動、大阪府への公 開質問状提出、市民集会の開催、弁護団による民事提訴の 支援、厚生省への要望書提出等の活動を展開した。 • 面会活動に国会議員も加わり、衆議院厚生委員会にて厚生 大臣が「我が国の精神病院の重大な問題だ」と発言するに 至る。1994年、一連の問題に関するTV番組作成への協力、 新聞への寄稿など、社会に訴える活動を展開した。 • 1996年、人権センターは厚生省へ三病院一斉立ち入り調査 を求める要望書を提出した。大阪府交渉には、同院元看護 師も同席し、カルテ改ざんの証言もなされた。同年11月、事 務局長らはサンフランシスコの権利擁護活動を視察した。4 1997-1998年 大和川病院問題の終結と反省 • 97年3月10日、大和川病院での暴行死、違法入院・拘束、電話 ・面会妨害、使役労働、職員水増し、24億円不正受給など、読 売新聞により特集記事の調査報道がなされた。事件は反響を 呼び、その後の大阪府医療対策課による改善指導、さらには 検察庁の捜査に至り、同院は保健医療機関および開設許可 の取り消し処分となった。 • 98年3月、事件の反省をふまえ府下の精神保健政策を考える べく、府精神保健福祉審議会は生活人権部会を設置し、人権 センターは、大精連、大家連、地域従事者、大阪弁護士会の 五枠を要望し、審議議会委員を受任した。審議会の中に権利 擁護検討委員会が仮設置され、人権センター代表を中心に「 5 意見具申」のたたき台が準備された。 1998年 病院訪問活動「ぶらり訪問」の開始 • 大和川病院事件のような事件を二度と起こさないためには、府 下の精神科病床を持つ全ての病院を訪問し、患者の声を聞き 、市民の目によって病棟を点検する訪問活動が必要だと、人 権センターは認識していた。特定の面会でなくても訪問できる、 サンフランシスコの取り組みとの大きな差が認識されていた。 • 98年7月、人権センターは大阪精神病院協会の役員会に出席 し「患者が安心してかかれる医療に一歩でも近づけるために、 病院訪問を行い、情報を公開していきたい」と説明し、病院訪 問(ぶらり訪問)について協力を依頼した。病院協会にも大和 川病院事件を繰り返してはいけないとの認識があり、「風通し をよくし、市民の視線を浴び、声に耳を傾ける時が来ている」と 6 の意見のなか了承され、府下全体の病院訪問が開始された。 1999年 NPO法人設立と、意見具申の検討 • 99年2月、審議会の中に、医療人権部会が設置された。人権セ ンター代表らが執筆した「守られる精神障害者の人権とは何か 」を基に、「社会的入院は人権侵害」との認識や権利擁護制度 の構築など、意見具申に向けて集中的に検討された。 • 同年4月、人権センター事務局長は、参議院国民福祉委員会 で参考人として「繰り返さないために、精神保健指定医の義務 強化が必要」と意見陳述し、後の精神保健福祉法改正に反映 された。 • 99年、契約主体として社会的活動を広げるために、NPO法人を 設立した(4月設立集会、10月法人登録)。 7 2000-2001年 意見具申の採択と、その具体化の検討 • 2000年5月、府精神保健福祉審議会は、知事に対する意 見具申として『入院中の精神障害者の権利に関する宣言』 を含む「精神病院における人権尊重を基本とした適正な 医療の提供と処遇の向上について」を採択し提出した。 • 2001年2月、府精神障害者権利擁護連絡協議会が設置さ れ、意見具申の具体化の検討を開始した。 • 2001年8月、箕面ヶ丘病院における不当拘束、職員水増し 等が発覚し、大和川病院事件の今日性が再認識された。 8 2002‐2003年 精神医療オンブズマン制度の誕生 • 意見具申の具体化に向けて、府精神障害者権利擁護連 絡協議会で審議され、2002年「精神病院における入院患 者の権利擁護システムの構築について」が提言された。そ の提言に基づいて、同年9月、精神保健福祉審議会は精 神医療オンブズマン制度を承認し、活動の開始が決定し た。 • 制度の実施にあたっては、「ぶらり訪問活動」に取り組ん できた人権センターが、府より事業委託を受け、精神医療 オンブズマン活動を担うこととなり、2003年4月、自治体制 度としての病院訪問活動が開始された。 9 2003‐2008年 精神医療オンブズマン制度の取り組み • 2003年4月から開始された「精神医療オンブズマン制度」 では、2008年7月までの間、84病院に訪問がなされた。 1病院あたりの病院滞在時間は約3時間で、1病院あたり の訪問者数は4~8人程度であった。 • 訪問活動では、「入院中の精神障害者の権利に関する宣 言」が守られているかをはじめ、療養上の環境や職員の 対応、医療提供や情報提供、退院等の相談対応など、入 院患者からの聞き取りを中心として実施された。 10 2003‐2008年 精神医療オンブズマン制度の成果 • 連絡協議会で報告内容を検討し、病院と確認し、情報公 開する過程で、多くの病院で要望が取り入れられ、療養環 境の具体的改善に至る例が多くみられた。 • 一つのテーブルで、患者の声に基づいて、病院側と「対話 できる関係」が構築され、虐待や権利侵害の芽を摘む予 防的改善が生まれた。 • 活動は府下の全精神科病床の訪問を実施し、2巡できた。 訪問後、病院からの内部告発や個別面会依頼の電話な ど、病院外部へ患者さんの声が更に聞こえるようになった。 11 2008年 精神医療オンブズマン制度の終焉 • 2008年4月、「大阪府財政再建プログラム試案」が示され、 その中で「精神障がい者権利擁護システム事業(精神医 療オンブズマン制度)」の予算打ち切りが盛り込まれ、 2008年8月以降の予算(全体事業費290万円、うち人権セ ンターへの委託費145万円)の全額カットが発表された。 • 大阪精神病院協会をはじめ、連絡協議会を構成する13機 関・1学識経験者は、一致して事業継続を求めた。存続を 求める署名は1万8000人分となった。7月、大阪府議会本 会議において、「精神障害者権利擁護システムの存続に 関する件」として、存続について全会一致で採択された。 12 • 同年7月末日、橋下府知事の判断で、制度は廃止された。 2009年‐現在 精神科医療機関 療養環境サポーター制度 • 制度の廃止後、2008年の府議会決議の後押しもあり、「大 阪府精神科医療機関療養環境検討協議会」規約が新た に確認され、「大阪府精神科医療機関療養環境検討協議 会制度」が、2009年4月より開始された。 • 人権センターがサポーターを集約し、訪問先病院を選定・ 調整し訪問し、報告書を作成し検討協議会で検討している。 ただし、作業にかかる費用は1円も支払われていない無償 活動となった。年に10病院程度の訪問となっている。 • 現在は、30年構築してきた権利擁護活動の後退を防ぎつ つ、求められている権利擁護システムをより拡充し、全国 13 水準化することを目指して取り組んでいる。 社会的解決のために、「声をつなぐ」対話へ 問題の解決に向け 対話の場に加わり 対話する 国 府 市 問題を引き起こす 根本的構造を指摘 し、挑戦する 病院 対話 対決 市民 当事者の声を 能動的に聴きに行く 病院 職員 遺族 患者 打開できない問題を 放置・風化させない 市民への情報発信 14
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